朗読「磁場と反転 ―その人 田池留吉part3―」テキスト

 

はじめに

あなたは、目に見えない世界について、今、どのように思っていますか。
あるのかないのか分からないとおっしゃいますか。あるいは、そんな世界な どないと頭から否定しますか。それとも、目に見えない世界はあるのではな いかと思っていますか。
私は、目に見えない世界は確かにあると感じています。そして、目に見え ない世界にこそ、真実があると感じています。
真実があるというのをもっと具体的に言えば、本当の自分との出会いとい うことです。目に見えない世界に本当の自分が存在していると感じていると いうことです。
「目に見えない世界? それは心の世界ですか。では、この本は宗教書で すか」と尋ねられれば、私は「いいえ」と答えます。
そして、「私は私達の心の世界のことを語るのでもなく、人生哲学を語る のでもなく、たった一つの真実の世界(本当の自分の世界)を、磁場と反転という言葉を使って語っていきたいんです」と答えるでしょう。
ところで、この磁場という言葉も、反転という言葉も、私達の日常生活ではあまり使わない言葉だと思います。日常的でない言葉には、誰しも違和感があります。言葉を聞いただけで、ああ、これは何か難しそうな本だなあと思われると思います。
確かに、目に見えない世界のことを言葉で表現するには限界がありますが、私には、一人でも多くの人に、目に見えない世界は確かにあることを知って いただきたいという思いがあります。
そして、本当の自分との出会いを現実のものとしていただきたいと思っています。
五官(目、耳、鼻、舌、皮膚の五つの器官)だけを頼りに生活を続けてきた、続けている私達です。従って、目に見えない世界にこそ真実があるということは、まだまだ、にわかに受け入れ難いでしょう。強烈に痛烈に心に響いてくるものではないと思います。
しかし、五官でとらえていける形のある世界は、これから色々なところか らますます崩れていきます。私達は、それを「意識の流れ」と表現しています。
その流れは、粛々として形のある世界を崩しながら、「目に見えて形のあ る世界の中には真実は存在しない」ことを証明していきます。
形を崩すことによって、私達の向いている方向が間違っていると促していくのです。
それらの現象から、「私達は一体何を信じていけばいいのか。私達はどうすればいいのか」と心の底からの叫びを聞いていく人が、これから、たくさん、たくさん出現していくでしょう。そういう大変な時を私達は迎えていくのです。
もちろん、これまでにも私達は大変な出来事を体験してきました。しかし、それはまだほんの序の口と言えると思います。本当に大変なのは、まさにこれからです。
そして、大変な時を迎えるからこそ、私達は自分達の間違いに気付いていけるようになっているんです。


さて、前置きはこのくらいにしておきます。
磁場と反転という言葉にあまりなじみがない人も、ぜひ、最後まで読み終えていただきたいと思います。本書の内容を頭で理解しようと思わないで、ただ読み進めてください。
読んで損をしたということは絶対ありません。もしかしたら、その反対になるかもしれません。

それでは、もう少し具体的な説明に移ります。
まず、本文中、田池留吉、田池留吉の磁場という言葉が多く出てきます。田池留吉氏というのは、実在の人物です。唐突に実在の人物の名前がついた磁場を思うとか、そこに心を向けてと言われても、それには少々抵抗があるかもしれません。
そこで無用な混乱を起こさないように、そして、安心してお読みいただきたいので、まず、田池留吉、田池留吉の磁場、そして、反転についての説明をしておきます。

〈 田池留吉と田池留吉の磁場、そして、反転 〉
「田池留吉の磁場」の田池留吉というのは、田池留吉氏ということではありません。つまり、田池留吉の磁場は、田池留吉氏個人の磁場という意味ではありません。
「田池留吉の磁場」というのは私達の目には見えません。私達の目では確認できません。それは波動、エネルギーなんです。だから、私達の目には見えないけれど、心で感じることができるんです。しかも、どなたでも感じていけるんです。なぜならば、「田池留吉の磁場」というのは、私達の心の中(この「心」ということについては、後のページで説明させていただいていますので、ご参照ください)にある世界だからです。
田池留吉の磁場は、どなたでも感じていけるということを、どうぞ、額面通り受け取ってください。
額面通りということは、Aという人の心の中にはあるけれど、Bという人の心の中にはないとか、そういうことは絶対にあり得ない話だということです。
田池留吉の磁場は、老若男女を問わず、国籍を問わず、その他一切の差別、区別なく、どなたの心の中にも存在しています。
そこでまず、第一番目に押さえていただきたいことは、田池留吉の磁場はどなたの心の中にも存在するということです。
それから、第二番目に押さえていただきたいことは、田池留吉の磁場の波動、エネルギーだけが、唯一プラスの波動、エネルギーということです。
そこで、プラスの波動、エネルギーとは何でしょうか。
それは、喜びと温もりと考えてください。そして、実はそれが本当の私達の世界なんです。本当の私達の世界は喜びと温もりだけの世界です。どこまでも広がっていく限りがない世界です。
だから、田池留吉の磁場を思う、田池留吉の磁場に心を向けるとは、喜びと温もりである本当の自分を思う、本当の自分に心を向けるということなんです。
そして、その世界こそが本当のあなた達なんだと伝えてくれたのが、何を隠そう田池留吉氏でした。従って、田池留吉の磁場の田池留吉はここからきているのだと考えていただいていいと思います。
田池留吉氏は、その本当のあなたに、あなたの心の針を向け、合わせていってくださいと伝えてくれました。決して、田池留吉という一人の人間に心を向けてくださいと言っているのではありません。ここが非常に大きなポイントです。


さて、プラスのエネルギーがあるならば、マイナスのエネルギーもあるはずです。プラスのエネルギーとは、今も語ったように喜びと温もりです。従って、マイナスのエネルギーは、それ以外と考えてください。喜びと温もり以外のものは、みんなマイナスのエネルギーです。そうすると、どうでしょうか。
私達が日々生活をしている中で、いつもいつも、私達は喜んでいるばかりでしょうか。実際はその反対ではありませんか。そんなにいつも心穏やかに明るくというわけではないでしょう。
怒ったり、イライラしたり、自分を誇ってみたり、不満をぶつけたり、愚痴を言ったり、競争心をむき出しにしたり、冷たくあしらったりなど、喜びと温もりの世界とは、およそかけ離れた「心」というか「思い」を日々繰り返し出しているのが、実際のところではありませんか。
喜びと温もり以外は、みんなマイナスのエネルギーということからすれば、私達はそれこそ毎日、毎日、マイナスのエネルギーばかりを出していると言えるでしょう。そんな状態では、自分の中の本当の自分、つまり、喜びと温もりの自分と出会うなんていうことは、とても考えられないことです。そうです。そんな状態では不可能です。無理です。
しかし、そのような私達であっても、たった一つだけ、本当の自分と出会うことができる方法があるんです。
それは、自分が出してきた、そして、今も出し続けているマイナスのエネルギーをプラスに変えていけばいいんです。
どんどんどんどん自分の中でエネルギーの変換をしていけば、必ず自分の中から喜びとか温もりとか、そういう思いが自然に湧き上がってくるんです。それが本来の私達人間のあるべき姿だからです。
そして、そのことを、私は自分の体験より、今、語らせていただいているというわけなんです。
このマイナスのエネルギーをプラスのエネルギーに変えていくという作業を、本書では「反転」という言葉でご紹介しています。
私は、正しい手順(正しい手順は、本書を読み進めていけば分かります)を素直に踏んで、田池留吉の磁場に心を向けて、反転と思いを発信していけば、いつでも、どこでも、誰でもマイナスのエネルギーをプラスのエネルギーに変えていけることを、知っていただきたいと思っています。そして、それが真実の世界(本当の自分の世界)を知っていく唯一の手段だと知っていただきたいんです。
どんどん田池留吉の磁場に心の針を向け、合わせて、そして、反転力を高め、強めていく方向に進んでいかれたら、どなたも必ず、本当の喜びと幸せに出会えます。そして、生まれてきたことに、本当にありがとうと心から思えるご自分に出会えます。

繰り返します。
「本当の私達の世界には、喜びしかありません。それは、どこまでも広がっていく温もりの世界です。今、その世界を田池留吉の磁場と表現しています。その世界から発信するものは、プラスのエネルギーだけです。」

では、田池留吉の磁場、その世界へお進みください。



1 はじめに

私達人間は、本当の自分を捨ててきました。そして、偽物の自分をつかんできました。私達は何度転生を繰り返しても、その都度持った肉体という形を指して、それが自分だとしてきたんです。偽物の自分をつかむということは、そういうことなんです。しかも、それが間違いだとは、これまで誰も気付けませんでした。
また、私達人間は、死ねば終わりだと思ってきました。
永遠の生命を信じたかったけれど、肉体という形を本物とする思い(この思いを基盤にした物の見方、考え方を本書では「肉」と表現しています)は、極めて強いものでした。従って、肉体という形がなくなれば、その人の人生はそこで終わりで、その人の時間もそこでストップしてしまうと思い込んできました。自分の時間、自分というものが永遠に続いていくなんて、全く思いもしなかったはずです。
本当の自分は、無限に広がっていく存在であるのに、偽物の自分をつかんできた私達は、自分を肉体という小さな、小さな形の中に閉じ込め、押し込めてきました。そうして、私達は気の遠くなるような長い、長い時間を経てきたのです。それが地獄の世界です。
本当の自分を捨ててきた私達はみんな、地獄から出てきて、地獄へ帰る転生を数限りなく繰り返してきました。地獄ということですから、その世界は、決して明るくて楽しくて、幸せで安らいでいるとは誰も思わないでしょう。だから、その苦しい転生から解脱するべく大変厳しい修行を重ねていった先人達もあったようです。けれども、「肉」から自分を解き放つことができなければ、どんなに厳しい修行をしても、本当のことには辿り着くことはできないんです。悟りの境地に達するなどということは絶対にあり得ないことでした。地獄から出てきて、地獄へ帰る転生は続いていくのでした。それが私達の過去でした。
そこへ、今世、田池留吉氏という一人の人間が、一つのメッセージを私達に送ってくれたのでした。
「私達は意識、エネルギーです。私達の本当の姿は目に見えません。」
私達は、田池留吉氏のもとで、これまで二十年余りの年月、学ばせていただきました。それは、このたった一行のメッセージを自分の心で学び知っていく難しさを味わいながらの年月だったと振り返っています。
そして今、私は、こうして、田池留吉の磁場と反転というテーマで、本書を出版する運びとなったことを心から喜んでいます。
以下の文章は、執筆するにあたって、私の心に上がってきた思いです。私は、自分の中から湧き起こってきたこの思いに忠実に、これから語らせていただきたいと思います。


私がお伝えしたい田池留吉の磁場があります。田池留吉の磁場を私はお伝えしたい。心で感じている波動の世界をお伝えしたい。
田池留吉の磁場を思い瞑想をしているときの私の思いをお伝えしたい。
ああ、それはお母さんの懐の中。お母さんの中に抱かれている私自身。それは温もりと喜び、安らぎ、何とも言えない喜びの世界。そんな世界を私はお伝えしたい。田池留吉の磁場を波動としてお伝えしたい。
今の私の心で感じている世界、その世界をしっかりと心から受け止め、言葉にしていきます。
お母さんありがとう。お母さんありがとう。私にこの肉体を下さってありがとう。このように産んでくださってありがとう。
その思いから私は、伝えたいことがあります。
田池留吉の磁場は私達なんです。
すべてを生かすエネルギー。田池留吉の磁場はすべてを生かすエネルギーです。喜び、喜びのエネルギーです。
喜びしかないんです。温もりの中にある私達でした。その喜びと温もりを捨て去って、私達は形を本物とする思いを大きく、大きくしてしまいました。
私達は自分を捨て去ったんです。温もりと喜びの自分を捨て去りました。そして、形こそすべて、この形ある自分が自分だという思いを大きく広げてきました。
それがすべての苦しみの元でした。
苦しみあえぐ人達に思いを向けたとき、「私は肉です。私は肉です」、そんな思いが返ってきます。そうではありません。
「私達は意識です。喜びのエネルギーです。温もりのエネルギーです。」
しかし、そのように私達が伝えるとき、ああ、肉という思いを自分の中から小さくして、そして、消し去ることは本当に難しいことを感じます。
しかし、私は伝えます。
田池留吉の磁場を心で感じた以上、私はこの喜びの世界、真実の世界を伝え続けます。
私は、磁場、そして、反転と心を向けていき、磁場と反転のエネルギーを心で感じ、そして、心で感じた磁場と反転のエネルギーを言葉として綴っていきます。
磁場と反転のエネルギーを心で感じたまま、私は言葉にしていきます。
反転の実践を通して、私の中に伝わってくるエネルギーは、喜び、嬉しさ、温もりの大きな力です。パワーです。この反転のエネルギーこそ、私達が待ち望んできたものなんです。

ところで、本書の四ページで「意識の流れ」と書かせていただきました。また、その流れは、粛々として形のある世界を崩しながら、そこには真実は存在しないことを証明していくと書かせていただきました。
田池留吉氏は、その「意識の流れ」からのメッセージとして、次元移行ということを伝えてくれました。次元移行とは、今の三次元の世界から次の次元へ移行するということです。
田池留吉氏は、「あなたもその意識の流れに乗って、次元を超えていきましょう。みんな意識の流れの中にあるんですよ」と伝えてくれたのです。
そうです。今まさに私達は意識の流れを心で知っていくように、こうして生まれてここにいるんです。次元移行という意識の流れへ、しっかりと心を繋いでいくためです。そして、そのためには、自分の中に反転の喜びのエネルギーを湧き起こす必要があるんです。
とは言っても、そのエネルギーは、もともと私達の中にあったんです。母の温もりの中にあった自分達を呼び起こすために、私達はこうして肉体を持ち、田池留吉の磁場を学んでいます。
そのことを、私はしっかりと伝えていきたいです。


2 コペルニクス的転回

さて、これから磁場と反転について綴っていきたいと思いますが、その前に、本書を理解する上で、最も大切なポイントとなる「コペルニクス的転回」ということについて、触れておきます。
すでにご承知のように、ポーランド出身の天文学者コペルニクスは、当時主流だった天動説を覆す地動説を提唱しました。
つまり、それは、地球の周りを太陽が回っているという発想から、実は太陽の周りを地球が回っているんだという発想の転回でした。
これは、天文学史上、とても重要な再発見ということですが、実はこの「コペルニクス的転回」が、本書を本当に理解していただくために不可欠なものだと、最初に述べさせていただきたいと思います。
要は、私達は何を基準にして物事を見て、考えて、判断していくのが本当のところなのかということです。
地球の周りを太陽が回っているというとらえ方は、地球を基準にしています。一方、太陽の周りを地球が回っているというとらえ方は、太陽が基準です。地球を基準にするか、太陽を基準にするかで、両者は全く違います。
それと同じく、自分の物の見方、考え方、判断の基準を180度転回していこう、全く変えていこうということなんです。
では、それは、具体的に言えばどういうことなのでしょうか。私達は何を基準にしていけばいいのでしょうか。
先ほども「肉」という言葉を出しましたが、ここで、「有限の世界」と「無限の世界」ということについて考えてみましょう。
有限の世界とは、その文字通り限りが有る世界です。有限の世界には形があります。目に見えて触れることができる形の世界です。そこでは音も聞こえます。匂いもあります。簡単に言えば、私達の日常です。
一方、無限の世界とは、限りが無い世界です。無限の世界には形がありません。従って、私達の五官では把握できない世界です。
つまり、有限の世界では、目や耳といった五官が活躍しますが、無限の世界ではそういうわけにはいきません。
ということは、目や耳といった五官を通して入ってくる情報を基にして、真の無限の世界を感じるとか、感じたということは、実は全くあり得ないことなんです。
ここのところ、ご理解できますでしょうか。
確かに、それらの情報を基にして、自分の心の中に色々な思いを広げていくことはできます。いわゆる思いの世界、心の世界です。
そして、思いの世界だから、そこに形が現実にあるわけではありません。だからといって、それは本当の無限の世界とは言えないと言っているんです。それは似て非なるものなんです。
なぜならば、その思いの世界というのは、目や耳などの五官という形の世界(有限の世界)を基にして広げている世界だからです。
基、つまり基準が有限の世界だから、たとえ思いの世界であり、目に見えない心の世界だと言っても、それは有限の世界の域を超えることはできないとなってくるのです。
要は、基準の問題です。
つまり、形もなく、限りもない無限の世界を本当に感じていくためには、先にあった「コペルニクス的転回」が自分の中に起こってくるということが絶対に必要となってきます。
基準となるものを180度転回するということです。
基準です。



いわゆる「コペルニクス的転回」は、天動説から地動説へということでした。
勘の良い人は、何となくお分かりかと思います。
そうです、本書でいう「コペルニクス的転回」は、自分の基準を有限の世界から無限の世界へ180度転回するということなんです。
自分を限り有るもの、肉体という形を指して自分だと思っているところから、自分は無限の存在なんだ、形のないものなんだと知っていくところへ、あなたの立ち位置を変えていきましょうということです。
つまり、あなたの立ち位置を変えていくこと、物の見方、考え方、判断基準を180度変えていくこと、これが私達の「コペルニクス的転回」です。
目に見えるこの肉体が自分だという思いを、自分は目に見えないエネルギーなんだという思いに、180度、くるりと転回していくということが、たった一つの大切な、大切なポイントです。
実は、私達人間はみんな、自分の判断基準を有限の世界から、無限の世界に変えていくために、生まれてから死ぬまでの時間を用意しているんです。つまり、私達はなぜ生まれてきたのかと言えば、この「コペルニクス的転回」を遂行し達成していくことにあるんです。
私達は、本当は、自分とはどういう存在なのか、人間の本当の姿とはどういうものなのかということを、知らずに死んでしまってはいけないんです。しかし、現実はというと、殆どの人が、自分の本当の姿を垣間見ることなく、この世を去っていきます。
生きているときは、それなりに楽しくて愉快な時を刻んだとしても、私達には、死んだあとの時間というか、空間があります。死んでしまえば、生きているときにとらえてきた形のある世界は、全く何もありません。あるのは自分の思いの世界だけです。しかも、その思いの世界というのは、生きているときに感じているそれとは、到底比較できないほどの厚みというか重圧です。
例えば、今、あなたが寂しいなあと感じている感覚と、あなたの肉体がなくなった状態で感じてくるその寂しさの感覚は、比較にならないほど違うということです。
肉体という形がいわゆるクッションの役目をしています。
だから、例えば、寂しいという思いも、肉体を外してしまえば、もっとストレートに、一気に自分に迫ってくると言えば少しは想像ができるでしょうか。
ただ、現実には死んであの世から帰ってきた人などいないから、死後の世界と言われても判然としないし、どうも現実的ではないということが本当のところだと思います。
しかし、私達は死んでも存在しているんです。このことを生きている間に少しでも信じていけるようになって、しかも、死後の自分はどのような状態で存在しているのかということを知りながら生きていくことが、何よりも大切なことではないでしょうか。
私は、今を生きるとは、死後の自分を知りながら生きていくことだと確信しています。そして、それが本当の人生を生きることなんだと思っています。
だから、生きているときに、本当に自分の人生を歩いてくださる方が、一人増え、二人増えというふうになってくれば、もちろん、世の中は大きく変わります。
それ以外は、どんなに私達が鋭意努力しても、真の平和などやってこないし、私達人間が本当の喜びだとか、本当の幸せに目覚めるはずはないんです。
私は、以前に『意識の転回』という本を出版させていただいています。
この発想の転回についての詳細は、拙著『意識の転回』に掲載されていますので、興味を持たれた方は、どうぞ、一読くださればと思います。
本書は、この「コペルニクス的転回」をできる限りスムーズに遂行していけるように、磁場と反転というテーマより語っていく内容となっています。


さて、それでは、「コペルニクス的転回」という言葉にポイントを置きながら、本章の冒頭に掲げた磁場と反転に話を戻します。
今、少々触れましたように、本書で言うところの磁場と反転は、言うまでもなく、無限の世界を基準としたものです。
インターネットで磁場、反転と検索すれば、色々な知識、情報が得られます。
例えば、N極とS極が作る磁場とか、あるいは、地球の磁場と反転、太陽の磁場と反転とかいう類のものです。ただし、それらは、全部有限の世界のお話なんです。確かに、そこには目に見えないエネルギーが働いています。しかしながら、それは、本書で言うところの磁場と反転とは一線を画すというか、全く別物です。いいえ、別物というよりも全くスケールが違うという表現のほうが適切でしょう。
目に見えないエネルギーが働いているという表現は同じであっても、有限の中での磁場と反転は、無限の中でのそれと比べれば、とても小さな世界だと言わざるを得ません。
それは、無限の世界の磁場と反転のエネルギーをご自身の心で感じられれば、はっきりとします。
そもそも、地球とか太陽とかと表現されれば、私達人間からすれば、とても大きな世界のことのように思ってしまいます。従って、そのところにおける磁場と反転のエネルギーはさぞかし大きいだろう、すごいだろうということかもしれませんが、私達人間という存在は、それどころではないということを、ぜひ、あなたの心で感じて、知っていただきたいと私は思っています。
ただし、最初は、無限の世界を基盤とした磁場と反転は、分かりづらいでしょう。そして、なかなか信じられないでしょう。
自分の中で「コペルニクス的転回」が起こりつつある状態になっていなければ、確かにそうかもしれません。
しかし、それでも、私は、一人でも多くの方に、無限の世界を基盤とした磁場と反転のエネルギーを、それぞれの心で感じて、心で分かっていただきたいと思っています。

無限の世界を基盤とした磁場のエネルギー、反転のエネルギーが、本来の磁場のエネルギーであり、本来の反転のエネルギーです。そのことを心で感じ、心で分かる人であるならば、自分が生まれてきた本当の目的もはっきりと分かってくるし、それが分かってくれば、自分の人生を心から喜びで全うできるんです。
どれだけ知識を高め、多くの情報を持ち、社会から称賛された人生であっても、それは所詮、有限の世界の中の出来事です。だから、その結果として、どんなに富と権力を掌握した人生であっても、それは、本当の喜びとか本当の幸せに繋がってこないんです。
確かに、表面上は喜び溢れ、幸せに満ちているように映るかもしれませんが、それが本当の喜びとか本当の幸せに繋がってこないのは、私達人間の中にある根源的な寂しさは、それらによって埋めることができないからです。形の世界における富と権力では、人間の中にある根源的な寂しさを解消することは絶対にできません。
なぜならば、私達人間の中にある根源的な寂しさは、自分を捨て去ったことにあるからです。
私達は、本当の自分というものを捨て去ったんです。本当の自分を捨て去った私達人間はみんな、根源的な寂しさを抱えてきました。自分の本質が見えない人間は寂しくて当たり前です。私達の本質は無限の中にあるんです。だから、その自分達の本質に触れていく人生こそ、喜びに満ち溢れ、幸せに満ち溢れている人生だと言えるのではないでしょうかと、私は問いかけているのです。
私達人間の本当の姿は目に見えません。今ある肉体は、どなたの肉体も時間とともに機能が低下し、やがて朽ち果てていきます。
しかし、たとえ、自分のこの肉体が朽ち果てようとも、自分という本質は永遠に朽ち果てないものなんです。
このような発想を基盤にして、肉体を持っている今、つまり、生きている今をどのように存在していくか、そのことについて、真剣に思ってみること、考えてみること、それが何よりも、何よりも大事なことなんです。
どうぞ、本書をきっかけに、無限の中にある自分というものに思いを馳せることをしてみませんか。



そして、無限の中にある自分というものに思いを馳せるきっかけになるように、これから磁場と反転の実験をいっしょにしていきましょう。その中でも、特に水道水を使った磁場と反転の実験を徹底的にされることをお勧めします。

次章の実験には、特別な道具や装置は必要ありません。
しかし、私達が磁場、そして、反転と思いを発信したときに状態が変化します。
その状態の変化は、Oリングパワーテストなどで確かめます。
つまり、最初は状態の変化を、例えば、水道水であるならば、鼻で確かめたり、舌で味わったりして、磁場、そして、反転と思いを発信する前と、発信した後との違いを確認します。そして、最後にどのくらい力が違うのかを確かめるのがOリングパワーテストというわけです。
ただの水道水がこうも変わるのかという驚きと不思議の実験です。
「百聞は一見に如かず」です。実際に自分で試して、まず、驚きと不思議を体験してみてください。
特別な道具や装置は一切要らず、ただ思いを発信するだけで状態が変化する体験に素直に驚いてください。
そして、ただ驚くばかり、不思議だと思うばかりに留まらずに、なぜ状態が変化するのかを考えてみてください。
そして、考えても答えが出ない、出せないと分かったら、頭で考えることはやめましょう。
自分の心で感じ分かっていくしかないとさっと諦めて、さらにその先を知るというか、体験されることをお勧めします。
ただし、その先を知る体験は、上記のようなOリングパワーテスト等で確かめることはできません。Oリングパワーテスト等で確かめられるのは、あくまでも形の世界のことです。それから先は、それぞれの心で確かめていかなければなりません。
大事なのは、自分の基盤を有限の世界から無限の世界へ転回するということですから、まず、磁場が発するエネルギー、反転が発するエネルギーを五官で確かめることから始めて、そして、さらにその先を行くことにしましょう。
ところで、その先のことは、今も申し上げたように、それぞれの心で確かめる以外にないんです。だから、そのためには、今までのように五官だけを重視するのではなくて、自分の「心」にもっと着目していく必要があるんです。
そこで、この「心」というものも、先の「コペルニクス的転回」と同様に、大切なキーワードになってくると思います。
というのも、目や耳などの五官というものには、全部形があります。形があるということは、それらは有限の世界の中にあるものだということは簡単に理解できます。無限の世界は、形がない世界です。形で示すことができない世界です。だから、そこに形があるということは、それらは有限の世界の産物だということになります。
しかし、「心」は例外です。「心」には形はありません。心の世界は目に見えない世界です。しかし、目に見えない心の世界も形で示すことができる場合があります。ここが目や耳といった五官とは違って、心の世界の厄介なところです。
例えば、思いやりとか優しさを形で示す場合、そっと手を差し出すとか、そういう動作でその人の思いを伝えることができるでしょう。「心」には形がないけれど、その人の思いは、言葉とか態度という形で確かに示すことができます。
このように、「心」、「心の世界」は、言葉とか態度という形で示すことができる場合がありますが、それは、有限の世界の中の「心」、「心の世界」だとご理解ください。そして、それは、無限の世界を基盤とした「心」、「心の世界」とは違うことをご理解ください。
つまり、「心」、「心の世界」にも、有限の世界のものと無限の世界のものとがあると言えるんです。
有限の世界、無限の世界の違いは、すでに書かせていただいた通りです。従って、その人が目に見えるこの肉体が自分だという思いを基盤にしているか(肉を基盤)、それとも、自分は目に見えないエネルギーなんだという思いを基盤にしているか(意識を基盤)、それによって、両者の「心」、「心の世界」には大きな隔たりがあります。大きな隔たりとは、感じている世界の大きさ、広さ、温もり、優しさそういうものに雲泥の差があるということなんです。


もう少し、「心」、「心の世界」について、有限の世界と無限の世界から説明を加えます。有限の世界の中というのは、簡単に言えば、私達の日常生活の中ということですから、そこには、目に見えて耳に聞こえて触れることができる空間があります。そのような中で私達は日々の暮らしを送っています。そして、その中で、私達は色々な思いを出しています。色々な場面で、そしてまた、出会う人達に色々と心を使っているんです。
そもそも「心」という言葉は、私達が、割と日常的に使う言葉でしょう。例えば、心を癒すとか、心を大切にとか、心が大事だとか、心が疲れる、心が折れる、心が痛む、心を病む等々、このように「心」という言葉は、決して非日常的な言葉ではありません。
それでは、そういった「心」や「心の世界」は、実は小さな世界の「心」、「心の世界」であり、狭い意味での「心」、「心の世界」だと感じている人は、一体どれくらいいるでしょうか。
また、私達は、心が広いという意味で、度量が大きいとか懐が深いという表現をしますが、この場合の心が広いというのも、肉が基盤、つまり、有限の世界が基盤であれば、小さな世界、狭い世界の「心」、「心の世界」だと思ってください。無限の世界を基盤とした「心」、「心の世界」からすれば、それは、小さな、狭い「心」、「心の世界」なんです。
以上の説明で、「心」、「心の世界」にも、有限の世界のものと無限の世界のものとがあるということが、ご理解いただけましたでしょうか。
「心」、「心の世界」というのは、決して一律的にとらえることができないと分かっていただければ幸いです。

そこで話を戻しますが、磁場と反転にも有限の世界のものと、無限の世界のものとがあると書きました。どちらも目に見えないエネルギーの世界です。
しかし、今の「心」、「心の世界」の説明と同じで、両者は違います。それは、これから先を読み進めていく中で、あなた自身が感じていってください。
ただし、繰り返しになりますが、私達は生まれてからずっと、五官を通して入ってくる情報に基づいて、あるいは、それを分析して頭で理解することを習慣としてきました。心で感じる、心で分かるということよりも、頭で分かる、頭で納得するということが日常化しています。だから、形で示されれば、やはり、分かりやすいです。その一例に数値で示すということがあります。私達の日常生活の中において、数値等が判断材料となり、判断の基準となっている場合が多々あります。
従って、有限の世界を基盤とした磁場と反転のエネルギー、そして、無限の世界を基盤とした磁場と反転のエネルギー、両者のエネルギーを数値で示すことができれば一目瞭然なんですが、それは全く不可能なお話です。心で感じてください、心で分かってくださいとしか言いようがないんです。しかしながら、頭で分かる、頭で納得するということが日常化している私達は、目に見えない世界についても、当然のことながら、頭を優先させてしまいがちです。
目に見えない世界。それは意識とか波動とか、エネルギーとか気とかという言葉で言われている世界ですが、私達は、その目に見えない世界にも、自分達の頭脳というか知識というか、そういうもので対処しようとする傾向があります。
しかし、目に見えない世界を頭で解き明かすことは絶対にできないことを、予め言っておきます。
そして、頭では絶対に解き明かすことができない目に見えない世界ですが、それは私達の心で感じ分かっていける世界なんです。
だから、頭で理解できないものは信じられないとすぐに排除せずに、自分の心で感じていく方向に進んでいってくださることを切に希望します。
私達は無限の世界にある「心」を感じられるのだから、どうぞ、その「心の世界」をどんどん感じていただきたいと思っています。
そして、有限の世界から無限の世界へ発想を転回していくこと、基盤を変えていくこと、このことをやり遂げていきましょう。
そうしていくことが、自分達の本当の喜びと幸せに繋がっていくことを感じ、信じられる自分達に復活していこうではありませんか。

それでは、次章より、磁場と反転のエネルギーを心で感じていく実験をしていきましょう。



3 磁場、反転のエネルギーを発信 Ⅰ
― 身近な物に、磁場、反転のエネルギーを向ける ―

【 実験その1 水道水 】
以下の要領で、二人一組で実験をしてみてください。
用意するもの。ガラスコップ一個、水道水。

1 ガラスコップに、水道水を七分目程度注ぐ。
2 一人が、そのお水をまず一口飲む。味、匂い等を記憶しておく。
3 そのガラスコップを片手に持ち、もう片方の手で、Oリングを作る。Oリングを作った指先は軽く合わす程度で、指に力を入れない。
4 もう一人が、そのOリングの中に、両手の人差し指を入れて、自分の親指とでOリングを作る。その状態で左右にぐっと水平に腕を動かし、相手のOリングの硬さを確かめる。
5 ガラスコップを一度、テーブルに置き、田池留吉の磁場と思い、そして、ガラスコップのお水に意識を向け、反転と発信する。
6 上記の2~4を繰り返す。
1→2→3→4の状態と5→6の状態に変化はありましたか。
変化があれば、何がどのように変化しましたか。
なぜ変化したのでしょうか。
また、変化がなければ、なぜなのかも考えてみてください。

〈 結論 〉
水道水に、田池留吉の磁場を思い、反転と発信すれば、力があって美味しいお水に変化します。
水道水を入れただけのコップを持った場合のOリングと、水道水に磁場、そして、反転とした場合のOリングとは、全く様子が違います。前者は、Oリングを作った指先が軽く開きます。後者は、Oリングの輪が固いです。それは、実際に試みれば体感します。特に、ガラスコップを持ってOリングを作った方は、指先に力を入れずとも、二の腕辺りから指先まで力が入ってくるのが分かるでしょう。
力があって美味しいお水は、身体に良いはずです。市販のお水がなくても大丈夫です。田池留吉の磁場と思い、反転力を高めていけば、あなたの肉体細胞に優しい波動が、お水を通して浸透していきます。もちろん、不純物の限りなく少ないお水が用意できるならば、それに越したことはありません。
大切なのは、お水云々ではなくて、必ず磁場に心の針を向け、そして、反転と発信することです。

【 実験その1の1 水道水(遠隔操作) 】
1 ガラスコップに、水道水を七分目程度注ぐ。
2 一人はその部屋を出て、別の部屋に移動する。
3 移動した場所で、田池留吉の磁場と思い、置いてきたガラスコップのお水に意識を向け、反転と発信する。
4 元の部屋に戻り、実験その1の2、3、4を試みる。

どうでしたでしょうか。
実験その1の5→6の状態と同じ結果となりましたか。

〈 結論 〉
磁場、反転とエネルギーを発信する対象物が目の前にあっても、なくても、関係はありません。また、その距離が近くても遠くても、関係はありません。それが思いの世界、意識の世界です。

【 実験その2 身体に装着する品物 】
1 例えば、メガネ、コンタクトレンズ、時計、入れ歯に差し歯等々、装着したときに極端に不具合ではないが、微調整が必要だと感じている物を用意する。
2 一度、身体から外し、田池留吉の磁場を思ってから、その品物に意識を向けて、反転と発信。
3 再度、身体に装着して着け心地を確かめる。

〈 私の感想 〉
私はメガネとコンタクトレンズを併用しています。どちらも遠近両用のものですが、特にコンタクトレンズを遠近両用に交換した際に、以前のものよりやや大きくなって、装着時ではなくて外すときに不具合がありました。面積がやや大きくなったせいなのか、目にピタッとして一度で外すことはできませんでした。
それが、外すときに反転と発信すれば、すっとすんなりと外すことができたという体験があります。

【 実験その3 飲食物 】
お水については、Oリングパワーを試みるために、磁場と反転と発信して飲むことを何度かされたと思います。お水に、反転とすることは定着されていても、その他の食べ物、飲み物についてはどうでしょうか。案外、反転を忘れて食べてしまっているかもしれません。
私は食欲不振になったことがないので分かりませんが、例えば、そんな時、少し目を閉じて、田池留吉の磁場、反転と思いを向けてから食べるようにすればいいのではないかなあと思います。
私は、コーヒーが好きで一日に何杯か飲みますが、その時には、反転として飲むようにしています。あと、果物が好きで、特に朝に食べるのは身体に良いような気がするので、反転としていただいています。また、私は、サプリメント(健康補助食品あるいは栄養補助食品)も何種類か飲用していますので、その時にも必ず反転としています。
サプリメント以外の医薬品を飲む場合にも、反転とされることをお勧めします。

【 実験その4 お風呂のお湯 】
私は、夏、冬問わず、一日一回は必ず湯船にお湯を張って、半身浴を習慣としています。
湯船のお湯に反転です。反転と思いながら、半身浴約二十分。気分爽快で一日のスタートとしています。
また、私は、磁場、そして、反転と発信したお水が入った二リットルのペットボトルを、部屋に置いて就寝しています。朝の目覚めがいいように思います。

【 実験その5 本 】
本は波動です。著名な人が書いたとか、そこに書かれてある文言云々ではなくて、本当のことが書かれてあるのかどうなのか、それは波動が物語ります。
もし、あなたが過去に心酔した宗教家の著書が手許にあれば、その本にOリングパワーテストをしてみてください。
そして、UTAブック発行の、例えば、『意識の流れ』の本と比べてみてください。本書でも、もちろん構いません。
あるいは、装丁の立派な高額な本と、UTA会セミナー資料とで、Oリングパワーテストを試みてください。
結果は歴然とします。本は波動です。田池留吉の磁場に通じる本は、あなたにプラスの波動を伝え続けています。

実験その1から実験その5まで、五つの事例を挙げましたが、どうでしたでしょうか。ぜひ、ご自身で試みてください。特に、実験その1(水道水の反転)、実験その1の1(水道水の反転、遠隔操作)、実験その2(身体に装着する品物の反転)については、学びに触れ、学びの基本をしっかり押さえている人であれば、いつでも、どこでもできます。
その他、磁場と反転のエネルギーを発信する機会を、ご自分の日常生活の中でどんどん見つけて試してみてください。
例えば、自動車、自転車のハンドルに反転としてみてはどうでしょうか。私は、運転免許証を取得していませんので、もっぱら自転車ですが、反転と思ってから乗るようにしています。具体的にどうということは分かりませんが、そうしてから乗るということが、自転車に思いを向けて乗るということだから、それが良いことなんだと思っています。どのように良いかというと、きっと、反転と思いを向けることにより、自転車のハンドルもサドルもペダルも、私の身体に沿うような状態になっているんだと思っています。

ところで、物体の不具合が、磁場と反転で全部解消するということはないかもしれません。しかし、物体も波動です。それを使う人の心に語っています。
例えば、パソコンの動作が不安定な場合を考えてみましょう。
その場合、不安定である原因を突き止めて、その部分を交換するとかそういう手当は必要ですが、その前に、自分のパソコンに思いを向けることを怠っていませんかということを、磁場と反転と思いを向けることで、再認識してください。
最近、私はそのことを体験させていただきました。
パソコンに限らず何でもそうです。不具合を解消することを目的とするのではなくて、思いを向けることが大切なんだ、パソコンならパソコンの思いに沿って使っていくことが大切なんだと思いました。
このように、日々の生活の中で、磁場と反転の実践をしていけば、色々なことに気付けるチャンスがあると思います。
もちろん、磁場と反転の実践は、第五章の部分を集中的にしていかなければなりません。つまり、自分の中を反転させていくことが最も重要なことです。それをしっかりと実践してください。
そして、一方ではお水を反転、何々を反転として、楽しみながら、磁場と反転の威力を感じながら、日々反転力を高めていきましょう。
さて、次の実践は、少し趣を変えて、あなたの肉体細胞に、磁場と反転のエネルギーを発信するということについてです。


4 磁場、反転のエネルギーを発信 Ⅱ
― あなたの肉体細胞に、磁場、反転のエネルギーを向ける ―

今、あなたは何らかの薬、いわゆる医薬品を飲んでいますか。
どこか身体の調子がすぐれないとき、あなたはすぐに薬を飲むほうですか。すぐに病院に行くほうですか。
私自身のことになりますが、私は、小学生の頃に扁桃腺を切除する手術を受けて以来、現在に至るまで、体調を崩すということは殆どなく元気です。ただ、私はどちらかと言うと、喉から気管支の辺りが弱くて、夜中に目が覚めたときに、ああ、少し喉が痛いなあと思ったときは、それからしばらくして咳が出てきます。一度出始めると、すっきりと治まるのに、一週間、二週間、長いときは三週間くらいかかります。
咳が出るから風邪かなあと思いきや、風邪の症状は他に何もありません。風邪ではないと知りながら、夜、咳き込んでしっかりと眠ることができない日が二晩、三晩続いてくると、辛抱たまらず、ついつい市販の咳止め薬を飲んだり、近くの病院で処方してもらったりしてしまいます。
咳止め薬とか、病院で処方してもらった薬で咳が止まるのではなくて、私の咳は、ある程度日にちが経てば自然と治まってくることを今までの経験からして分かっていても、そこは愚かですから一回ないし二回は薬を服用してしまうんです。
もちろん、これは私の中からの促しだと私自身は感じていますから、その間、自分の喉、気管支の辺りに意識を向けて、反転とすることは怠りません。
しかし、その一方で、私は、咳が出て睡眠時間が充分でないと感じているし、睡眠不足は仕事に差し障ると思うし、電車の中や職場で咳き込むと、周囲に不快感を与えているだろうと思って、実際は意識を向けて反転としながら、やはり、早くこの咳を止めたいという思いに駆られ、市販の薬、あるいは、病院の薬を一回、二回と服用してきました。
私は、今のところ、それ以外は目と歯の予防のために定期的に医師に診てもらう程度で、いわゆる医薬品を常時飲んでいるということはありません。
私は、すぐに薬とか、すぐに病院ということではないけれど、それらを全く度外視しているわけでもありません。時と場合によっては、薬も飲むし病院にも行くでしょう。薬を飲んではいけない、病院に行くこともタブーとは私自身は思っていません。
ただし、なるべくそういうことにならずに済むならば、それに越したことはないでしょう。だから、私は、今、元気で体力と気力もまだあるときに、この磁場と反転の学びをしっかりとしています。
磁場と反転の学びを低次元でとらえるならば、それは私にとって予防医学だと思っています。
もちろん、磁場と反転の学びはそんな低次元のものではありませんが、磁場と反転の学びをしっかりとやっていれば、大病することはないでしょうとは言えるんです。
学びを真剣にやっていけば、肉体細胞の思いを心にしっかりと受け止めている自分があることを知っていきます。ということは、学んでいくうちに、肉体細胞を思える優しい自分に変わっているんです。肉体細胞なしでは学びができないことを感じ、肉体細胞から伝わってくる優しさ、喜びを感じてきます。
そうなってくると、肉体細胞を大きく破壊するほどのエネルギーを、際限なく流し続けるということは、もうしないはずです。
そして、肉体細胞が壊されていく前に、自分の出してきたエネルギー、出すエネルギーを反転、反転としていけばいいということが分かってくるから、肉体細胞からのシグナルは、そんなに大きなものになってこないということでしょうか。
ただ、それはその通りなんですが、本当のことを心で知るまでは、みんなそれこそ偽物の自分を中心にした生活を続けていきます。
当然、自分の心から流れ出すエネルギーはブラックです。いわゆるマイナスのエネルギーばかりです。みんな自分の肉体細胞を壊していくエネルギーを平気で流し続けていくんです。
本当のことを知らずに生きるとはそういうことです。だから、みんな生まれてからずっとそういう状態です。その結果、ようやく、本当のことはこういうことだよと知って、それから学び始めても、その間何十年という年月を経ています。それぞれにある程度の年齢に達しています。
従って、その間の年月の結果を受けてということもありますから、健康上、これまで全く何もないという人は殆どいないと思います。
また、若い時には何でもないことでも年齢を重ねていけば、自分の身体に負荷がかかってきます。つまり、老化というものは誰しも避けられないことです。
私自身も数年前に五十の坂を越えました。今は確かに医薬品を常飲していることはなく、病院等とのお付き合いも日常化しているわけではありません。しかし、確実に身体上の機能は低下しています。私は、身体のケアについて無関心ではありません。ストレッチ体操等の軽い運動、サプリメント(健康補助食品あるいは栄養補助食品)、健康器具、それらを活用して、自分なりに無理のない範囲で体調管理を心掛けています。
先ほども書きましたが、本当のことを心で知るまでは云々ということがあります。それでも若い時は少々の無理は大丈夫かもしれません。しかし、ある程度の年齢に達してくれば、身体を厭うこと、つまり、体調管理は必要なことだと私自身は考えています。
早寝早起き、偏らない食生活で寝食を整えて、適度な運動をして生活のリズムを崩さないように心掛けましょう。これならば非常に経済的に体調管理ができます。そういう基本的な日常生活をまず習慣づけていくことは、年齢を重ねるにつけ大切なことだと思います。
そして、あとはサプリメント、健康器具などを補助的に活用していくのも、そう悪くはないと私自身は思っています。
世の中、健康、健康と言って、様々なサプリメント、健康器具の情報に溢れていますが、それらはあくまでも補助的なものだと考えていれば、それらにはまり過ぎることもないでしょう。
もちろん、サプリメント(健康補助食品あるいは栄養補助食品)や健康器具を活用して、健康的で快適な日々を送っていきましょうというだけでは、世間によくある健康志向、ただ単に元気が一番というお話です。
ただ健康であればそれでいいというものではありません。磁場と反転の学びをしっかりと自分の中で習得する生き方が基盤にあって、体調管理があるんです。と言うのも、体力、気力が充分でなければ、本当の世界を学んでいくことは難しいからです。
磁場と反転の学びを生活の中心に据えていれば、もし、体調が芳しくない状態であるときには、それは、自分に対して何らかのメッセージだと感じます。従って、体調を整えていくこともさることながら、そのメッセージを心で受け止めていく方向に、自然に心の針が向いていくはずです。
そして、そういう自分になっていれば、病院とのお付き合いも、薬を飲むということについても、どの程度にしていけばいいのか、自然と自分の中に答えが返ってきているはずです。

ところで、先ほど、ただ健康であればそれでいいというものではないと書きましたが、そうは言うものの、私達は、やはり、自分の身体のこと、健康のことに少なからず関心があると思います。そして、生きている間は元気でいたいという欲の思いがあることは否定できないと思います。誰も好き好んで人様にご迷惑をかけたくないでしょう。また、大抵の人は、死に対する恐怖を拭い去ることは難しいでしょうし、まだ死を意識しないずっと手前のほうでも、少し体調に異変が生じようものならば、この先どうなるのかと、まず不安な思いが広がっていくのが普通です。それが私達人間の一般的な状態です。
しかし、犬や猫などは違います。最近、私が体験したことをここで紹介します。
私の家族に、オスのチワワがいます。一九九九年十二月一日生まれだから、もうすぐ十三歳になります。人間の年齢に換算すれば、もう立派なおじいちゃんです。その犬が、最近、身体の調子が少しおかしくなりました。ずっと元気で、動物病院へ行くのは、一年に一回、フィラリア予防の薬をもらいに行くのと、混合ワクチンと狂犬病の予防接種くらいのものでした。今年も、フィラリアの検査の時に血液検査もしてもらって、特にどこも異常がないとのことでした。ただ少し心臓に雑音があると獣医さんが言っていましたが、特にこれといった注意もなかったし、犬の様子を見ていたら普通だったので、私達は、そんなに大したことはないだろうと思っていました。
しかし、それからあまり日数が経たない時に、突然、散歩中にパタッと倒れるということが、二度、三度と起きるようになりました。それで、しばらくは様子を見ていましたが、とりあえず、病院へ行こうということになりました。
心臓をサポート、ケアするドッグフードに切り替えて、血管を広げる心臓の薬を飲ませていくということで、昼頃に病院から帰ってきてやれやれと思っていたら、また突然に家の中で一歩、二歩、歩いただけで息が荒くなってしまって、こんな様子は今までなかったので、どうなったんだろうと思わずにはいられませんでした。
少し前から空咳をしたりするので、確かに心臓が少し弱っているのかなあと思っていましたが、この時の突然の症状には正直言って戸惑いました。
お水は飲まないし、何も口にしない。ただ横たわっていて、しかも呼吸が荒い。一番好きな散歩も行きたがらない。吠えることもない。その時の状態は決して良い状態とは言えなかったけれど、獣医さんに診てもらったすぐ後なので、私達は時間が経てば段々に回復してくることを期待する以外にありませんでした。
ただ、確かに犬自身は元気がなかったけれど、犬から伝わってくる思いは私達を元気づけてくれるものでした。
犬や猫などには、死という感覚がないんだと、私はその時に、改めて感じさせていただきました。本当に伝わってくるのは喜びの思いだけなんです。ありがとうの思いだけなんです。
彼らは自分が肉とは思っていないから、自分の身体のことなんかに思いがいくはずがないんです。身体がしんどくても、私はこれからどうなるんだろうとか、そういう不安な思いも、もちろん、死に対する恐怖も何もなくて、ただ喜んでいる状態なんです。
こういうことをしたら死期を早めるとか、そういうことは一切なく本当に自然そのまま、ただあるのは喜びだけ。すごいと思いました。元気であってもなくても、いつも喜んでいる、何にもとらわれていないんです。
そのような犬の思いを感じさせていただきながら、私は私で自分の心の針をしっかりと田池留吉の磁場に向けて、犬の心臓の辺りと頭に反転の思いを向ける機会をいただきました。それは、私自身の貴重なお勉強の機会となりました。ありがとうと喜びと優しさの思いを向ける実践でした。
翌朝、少しドッグフードを食べて、お水と牛乳も飲んで、荒かった呼吸も静かになりつつありました。あの時の現象は、我が家の愛犬が磁場と反転の実践を喜びで促してくれたと私は思っています。そして、今は、これまでのように、散歩に行こうと元気な声で吠えてくれるので、その声で私の一日も始まる嬉しさを味わっています。(追記 ここまで書き終えたときには、それから三週間後の出来事など予期できなかったほどに、本当に元気を取り戻してくれた愛犬でした。)
このように、田池留吉の磁場を思って反転と肉体細胞に発信することによって、何らかの効用が働いていきます。つまり、身体上の不都合な部分が改善されていくことは確かなことですが、この作業は、エネルギーを発信する側とそれを受信する側の状態により、大きく左右されると言えるでしょう。
今回の私の体験では、受信する側は犬です。犬は自然です。素直です。あとは発信する側、つまり、私自身が自分の心を見ながら作業をするところにポイントがありました。それは、心の針を合わせていくことに、ただありがとうの思いだけであるかどうなのかをしっかりと確認することです。
つまりは、今回の場合は私次第だったという点について、私自身の貴重なお勉強の機会だったと私は思っています。

さて、私の拙い体験談はこのくらいにしまして、今、田池留吉の磁場を思って、反転のエネルギーを発信する側と受信する側と書きましたが、特にこの章のテーマである肉体細胞に磁場と反転のエネルギーを向けるということについては、その発信する側と受信する側の双方ともが、しっかりと心を見ながら行うということがとても大切なことだと言えます。
もっとも、自分で発信して自分で受信するというのが基本的な形ですから、自分はどんな思いで磁場と心を向けているか、反転と発信しているか、そこのところが最大のポイントです。
磁場と反転のエネルギーは、身体上の不都合な部分を改善していくということですが、それは同時に、自分の心をしっかりと見ることを促していくということなんです。
身体上の不都合な部分を改善していくことが第一の目的ではなく、自分の心を見て、つまり、自分の心を中に向けて、自分の間違いに気付いていくということが第一の目的です。
「心を見る」「自分の間違いに心で気付く」。肉体細胞が促しているのはこのことです。肉体細胞からのメッセージを決して軽んじることのないように、しっかりと踏まえながら、磁場、反転と発信していきましょう。そして、そうする中で、薬や病院と上手にお付き合いをしましょう。

ところで、例えば、私の咳のような軽い程度の体調不良であるとか、加齢からくるものや、その他予防のためという場合には、特にきつい薬を続けて飲むわけではないし、絶対に病院へ行かなければということもありませんから、さほど問題はありませんが、もう少し、あるいは、もっと大変な状態の人であれば、その人は、もうすでに薬を飲用しているでしょうし、だから、それは実際問題として、直ちにやめるというわけにもいかないでしょう。あるいは、薬だけではなくて、病院で何らかの処置を受け続ける必要があるかもしれません。もうすでにそういう状態であれば、なお一層、肉体細胞からのメッセージを真摯に受け止めていくことを、決して疎かにしないでください。
病んでいる肉体細胞、損傷している肉体細胞、疲弊してしまった肉体細胞には、薬等の外からの治療はある程度必要だと思います。
薬等で痛みや不具合が和らぐならば、それはやむを得ない選択です。
しかし、ある程度痛み等が緩和された状態のときに、しっかりと自分の肉体細胞を思い、その部分に田池留吉の磁場、反転と発信することを励行していくようにしてください。
ただし、大変な状態になってから、そういうふうにするということは、はっきりと言って難しいことかもしれません。私達は、どうしても、痛みを和らげたい、不具合を弱めたいという思いのほうが強くて、その思いから、田池留吉の磁場、反転としてしまう確率が高くなってしまうからです。喜びだけでということは殆ど綺麗事だと思います。
病気が進行していく速度と、田池留吉の磁場、真実の世界、波動の世界を信じる信を培っていく速度を比べてみれば、大抵の人は前者のほうが速いんです。
しかし、99.999…%そうであっても、そこにはまだ0.000…1%の可能性があるならば、やはり、最後の最後まで自分の心の針を田池留吉の磁場に向けていくべきなんです。
そうしたとき、ある瞬間、ピッと自分の心の針が田池留吉の磁場、田池留吉の世界に合うことがあるかもしれません。
そうすれば、先の両者の速度がその瞬間に入れ替わるという事態になってきます。
そして、例えば、病気が進行していく速度よりも早い速度で、その人の中がどんどんどんどん田池留吉の磁場に心を合わせていけるようになれば、段々身体も回復してきます。
また、たとえそうならなくても、本当に生まれてきたことに、お母さんに産んでいただいたことに心から感謝して、あと残された時間を過ごされていくようになります。決して苦しみの中で死んでいくことはありません。
その大きな分かれ道というのは、その人が心の中にどれだけお母さんの温もりを感じているか、信じているか、ただ、その一点にかかってきます。
最も良いのは、身体も心も元気なときに、お母さんを思い、ゼロ歳の自分(ゼロ歳の自分は過去の自分ではありません。どなたも、今、ゼロ歳の自分を感じることができます。それが意識の世界です。詳しくは第六章を参照してください)を思う瞑想を通して、お母さんの温もりが信じられる自分をしっかりと確立しておくことです。
そういう状態になっていれば、ふっと自分の肉体細胞に思いを向けるだけで、そこから伝わってくる肉体細胞の本当の思いに触れていけるんです。そして、心は素直に反応します。
肉体細胞は自分です。
自分から優しい、優しい母の温もりと、ありがとうの思いが伝わってきたとき、あなたならどんな思いを発信しますか。
こんな肉体細胞なんかと切り捨て、疎ましく思いますか。
ありがとう、ありがとう、そして、ごめんなさい、ここまで私は私を自分で傷つけてしまった、本当にごめんなさい、そんな思いが湧いて出てきませんか。
病気になったからと、それもこんなに大変な病気だと、そういうふうに暗く悲しく落ち込んでいくのは、もうやめにしましょう。
病気になったからもうダメだではなくて、病気になったからこそ、ありがとうと伝えてくれる優しい自分と出会えるチャンスが広がっていくんです。
副作用のあるきつい薬を飲んだり、手術を受けて肉体細胞にメスを入れたりすることは良くないことは分かっていても、それでもそうするより他に手がなければ、一時的に医療の手助けを受けて、肉体を持つ時間を確保するのもいいのではないでしょうか。
そうです。まず肉体を持つ時間を確保していきましょう。自分に本当のことを伝えるためには肉体が要るんです。
そうして、その時に、何とか生き長らえたいとか、死にたくないとか、そういう思いが出てきたならば、「反転」と自分に言ってください。
あなたの中にある本当の温もりと優しさと喜びを信じて、信じて、お母さんの中に抱かれているあなたを思い起こして、そんなあなたの中からふっと暗い思いが出てきたならば、すぐに反転と発信するんです。
自由の利かない身体になっても、あなたが思うことはたった一つです。それはお母さんです。
「母のお腹の中にいた自分は、今の私がどんな状態であっても、存在し続けているんです。
お母さんを思うことは、そんな私自身を思うこと。田池留吉の磁場と心を向けることは、お母さんを思い、本当の私を思うこと。」
こんな思いが自分の中からふつふつと湧いて出てきたならば、状態は大変であっても、きっとその人は幸せを感じておられるはずです。
自分の中の奥のほうでお母さんと繋がっていることを感じるからです。
苦しくて暗くて辛い思いが出てきても、何かその奥のほうに柔らかくて温かくて明るく解き放たれた世界があると、ほんの一瞬でも感じ、信じることができたならば、その体験はその後の自分にとってかけがえのないものになってきます。
人にはみんなその後の自分というのがあります。今のその肉体を置いた後の自分です。
「今のこの肉体は、残念ながら本当の自分の意に充分には添わなかったかもしれないけれど、しかし、私はまたいずれ違う肉体を持ってきます。その時こそ、本当の私の意に適えるような私になります。」
先ほどのような心の体験が今の肉体を通してあったならば、そういうことを自分に約束して死んでいけるのではないでしょうか。
単に長命がいいのではありません。その後の自分にどのように繋いでいくか、ここのところが一番重要なことなんです。
肉体細胞に、磁場、反転のエネルギーを向けてということは、そうすることによって、意識の世界、波動の世界を本当に自分の中で信じていく信を培い、その信を高めていく、深めていく、強くしていくことに繋げてくださいという意味です。
そのために、あなたの肉体細胞は惜しみなくあなたに協力してくれているんです。
その肉体細胞の思いを感じながら、あなたの身体の不都合な部分、つまり、肉体細胞に、磁場、反転のエネルギーを発信するようにしてください。
ただ単に身体の不都合を解消するために磁場、反転と発信するのではなくて、肉体細胞から流れる波動と一つになって、磁場、反転と発信していくことを学んでいきましょう。
自ずと、肉体細胞、ありがとう、ごめんなさい、ありがとうとなってきます。
身体が楽になって嬉しいということもさることながら、磁場、反転のエネルギーを発信できる喜びが感じられるのです。
その喜びを心でどんどん感じていけば、やがて肉体細胞から、もっと大きくて広い自分の中へ、磁場と反転のエネルギーを発信する喜びに移行していくでしょう。
活性化された肉体細胞とともに、自分の中に磁場と反転のエネルギーを向ける、その喜び、幸せを、次章で語りたいと思います。

5 磁場、反転のエネルギーを発信 Ⅲ
― 自分の中に、磁場、反転のエネルギーを向ける ―

これまで、磁場、反転のエネルギーを発信させて、その効果を目や鼻などの五官、あるいは、身体で確認できる実験例を掲載してきました。
ここからは、その効果を、あなたの五官等ではなくて、あなたの心で確認していく作業に移っていきましょう。

本書の冒頭で、私達の本当の姿は目に見えないということと、私達の本当の世界は喜びと温もりだけの、どこまでも、どこまでも広がっていく世界だと述べました。
このことは、にわかに受け入れ難く信じ難いことでしょうが、磁場、反転と思いを発すれば、そこに何かの変化が起きるといったことは、これまでの実験を経て証明されたと思います。
そこに何かの変化が起きるということは、変化を起こす何かがある、ここまではご理解いただけますか。大丈夫でしょうか。
それでは、変化を起こす何かとは、何でしょうか。
これまでの実験には、特別に何の道具も装置も使用していません。ただ、田池留吉の磁場を思い、反転と発信してくださいということだけでした。
ということは、この田池留吉の磁場、そして、反転と思いを発信するところに、大きなヒントがあるということになってきませんか。
実は「思いを発信する」「思うということ」、これは非常に大切なことなんです。
そもそも、私達はいつも絶えず思いを発信しています。私達の心は常に動いているんです。ましてや、何かを見たり、聞いたりすれば、どんどん心が動いているんです。しかし、そのように自覚している人は殆どいません。心そのものに心を向けるのではなくて、見るもの、聞くもの、触れるものなどに心を向けてしまうからです。
大抵は、心が動くと言えば、何か大きな衝撃等があったときという認識しかないと思いますが、決してそうではありません。
そして、絶えず心が動いているということは、私達は絶えずエネルギーを流しているということなんです。私達から絶えず、エネルギーが流れているということなんです。
ただし、自分の心が動いている、自分の中から思い(エネルギー)が絶えず流れていることに気付かずにいる人が殆どだから、日々生きていく中で、自分から発信する思い(エネルギー)は殆どがマイナスだなんて言われても、ピンとこないし、よく分からないと思います。
しかし、私達は、自分からエネルギーが流れているのも知らず、しかも殆どマイナスのエネルギーばかりを流しているのも知らずに、私は正しい、私は立派と思ってきた、思っている私達だと言っても決して言い過ぎではないんです。
それほど、私達は、思うということをあまりにも軽く考えています。
この場合の思うということは、心の中であれやこれや思い悩むという意味ではなくて、瞬間的に自分の中から出てくる思いというふうにとらえてください。
例えば、あなたが、ある状況である瞬間、「あの人、嫌い」と思いを発信したとしましょう。その時のその瞬間のエネルギーはすごいんです。
「何と大袈裟な。ちょっと気に食わなかっただけ」と、あなたは言うかもしれません。それが思うということを軽く考えているということなんです。
「あの人、嫌い」というエネルギーはその瞬間に仕事をしています。やがてそれが現象化してくるんです。
そういうことに、殆どの人が無頓着です。思うということ、思いを発信するということを軽く、軽く取り扱っています。
従って、自分からエネルギーが流れていて、そのエネルギーが仕事をしているんだという自覚は皆無に近い状態でしょう。それは、殆どの人が自分の心の針を常時、自分の外に向けているからです。
ところで、今、「心の針」と言いましたが、心の針とはどういうことでしょうか。
それは、あなたがいつも何を思っているのか、何に心を向けているのか、あなたの心の向け先はどこにあるかということです。
そして、心の針を、常時、自分の外に向けている状態とは、例えば、自分の家族のこと、仕事のこと、健康のこと、その他娯楽、趣味等々、つまりは、日常生活全般のことばかりをあれやこれやと思っている、考えている、そういう状態を言います。
そう言われれば、殆どの人は、朝起きて夜寝るまで、そのような状態ではないでしょうか。
例えば、元気で行動力があって溌剌とした日々を送っていると言えば、聞こえは良いかもしれません。家に閉じこもり、引きこもりの状態よりは、何か明るそうなイメージです。
前者は、五官を通してどんどん情報を吸収していって、それによって生活の幅が広がり、外へ、外への生活を楽しんでいる感じです。後者は、周囲の人達には暗いイメージを抱かせるかもしれないけれど、当の本人からすれば、閉じこもって、引きこもって、案外自分の世界を楽しんでいる日々かもしれません。
ただ、心の針がどこを指していますかということになれば、少々事情が違ってきます。片方が明るく、片方が暗いのではなくて、心の針がいつも外に向いていればどちらも暗いんです。自分の心の針が外に向く原因が自分の中にあるのに、それを無視した生活を続けていくことが暗いという意味です。
また、暗いだけではなく間違っています。本来は、心の針を自分の中に向けていくことに、自分のエネルギーを消費すべきところを、どちらも外からの情報を吸収することに、エネルギーをどんどん消費していっているからです。

ところで、心の針が外に向いていれば、例えば、怒りの原因や恨みの原因が自分の中にあるなんていうことは、絶対に分かりません。
従って、自分を怒らせたり、恨みの思いを噴き出させたりする相手、状況ばかりをあげつらって攻撃するばかりです。
自分の中から怒りや恨みのエネルギーが噴き出しているにもかかわらず、私達はそのことは横に置いて、怒りに対抗して、さらにこちらも怒りまくるとか、憎しみ合い、罵り合い、責めまくって、互いに破壊のエネルギーをまき散らしていくばかり、垂れ流していくばかりということを、ずっと続けてきました。
ところが、心の針が外を向いている状態のときは、そういうことになかなか気が付かないんです。破壊のエネルギーと言っても目に見えないものだから分からないんです。分かっているのは目の前の相手と、相手の言動だけです。
本当は、そういうことは、私達は一刻も早くやめなければならないんです。しかし、それぞれの主義主張があります。突き出した刃で相手を仕留めるまではというのが私達の現実、哀しい性です。
とにかく、怒ったり、憎んだり、恨んだり、嫉妬したり、責めたり、見下したりといった思いを頻繁に出しているという自覚もあまりなければ、それがそんなに悪いことなのかということなのでしょう。
例えば、怒りが噴き出す状況下に置かれれば誰でもが怒る。こういう時、こういう場面に遭遇すれば大抵の人はこんな思いになるだろう。ということで、人間の感情からして当たり前だ、当然だということかもしれませんが、それは違うんです。
怒って当然、憎んで当然ということは、本当はありません。
もっとも、私達はロボットではありませんから、出会う人、出会う場面で本当に色々な思いが出てきます。人間は感情、感性の生き物ですから、それは自然なことです。しかし、自然なことと当然なこととは違うんです。当然だと思ってしまったら、そこから話は先に進みません。
そうではなくて、どんな時も、ただ、自分の今、出している思いを確認する必要があるんです。当然だと思ってしまったら、その確認は疎かになってしまいます。自分の中から思いが出ていても、素通りしてしまうんです。
また、出している思いを確認したら、それをぐっと抑え込むのではなくて、すうっと自然に素直に出していきましょう。もちろん、その出し方にも色々とありますが、とにかく、自分の思いというか、自分の心を自然に素直に出すほうがいいんです。
ぐっと思いを飲み込み、抑え込むのは美徳でも何でもありません。
そうかと言って、感情のままにその時の勢いで思いを吐き出すのではなくて、そうですね、その間、息を一回吐いてください。
その時、軽く目を閉じてみたらどうでしょうか。それらは一瞬でできます。
その時に、心の針ということをあなたが思い出してくださったならば、しめたものです。
自分の外に向けていた針を、今度は自分の中に向けてみてください。そして、怒って当然、憎んで当然、恨んで当然、罵って当然、見下し、責めて、愚痴を言って当然と、どんどん見境もなく際限もなく怒って、憎んで呪ったり、責めたりしているあなたの心を感じてみてください。
例えば、怒り心頭に発するほど怒り狂い、恨み骨髄に徹するほど恨んで、あなたの心は爽快に晴れ渡っていますか。
怒っているのはあなたです。恨んでいるのはあなたです。心の針が外に向いているときは、あなたはあなたを怒らせている人と状況、恨みの思いを抱かせた人と状況に対して、そういうものがあるから私は怒っているんだ、恨み辛みの思いが出るんだというところから、自分の思いを離すことはできません。必ず自分を正当化していきます。
しかし、心の針を自分の中に向けたとき、あなたは知るはずです。怒りは、恨みは、もうすでに自分の中にあったことを。
そうなんです。怒りや恨みやその他の思いの数々、それはエネルギーとしてあなたの中にすでに蓄積されていることを知っていきます。それが、ある人、ある出来事を通して出てきているだけなんだと知っていくはずです。それらは、もともと自分の中にあったものなんだと知っていくはずです。
「本当は、私達の中には喜びと温もりのいわゆるプラスのエネルギーしかなかったと言うけれど、そんなもの本当に自分の中にあるのか。自分から出てくるものは、暗くて、うっとうしくて、イライラして、相手を叩きのめす闘いのエネルギーだけだ。ああ、そうか。これが、マイナスのエネルギーなのか。私はこんなマイナスのエネルギーをたくさん、たくさん作り続けてきたということなのか。」
心の針を中に向ける習慣を身に着ければ、こんなことは誰でも自然に分かってきます。
私達の本当の姿は目に見えないと言いましたが、そうです、私達はエネルギーそのものです。しかも、プラスのエネルギーを覆い尽くすように、たくさんのマイナスのエネルギーを蓄積してきました。
今、私達は、肉体という目に見える形を持っていますが、もともと私達には、今のようなこんな肉体はありませんでした。
では、何でこのように目に見える世界に私達があるのかと言えば、肉体という形を自分に用意して、自分の中に蓄積してきたマイナスのエネルギーを知って、そこから自分を解き放していきたかったからです。
しかし、結果はその逆でした。
肉体という形を持つからこそ、マイナスのエネルギーもまた色々な形を通して知っていけるはずでした。ただ、私達は形を持ったが最後、その形を自分だと思い込んでしまったんです。
ここが、私達の最大の過ちでした。
私達は、形のある自分というものをそれぞれが主張していき、マイナスのエネルギーを自分の中から解き放つどころか、自分の中にさらにマイナスのネルギーをため込んでいったのでした。自分で自分の首を絞めていったとは、まさにこのことでした。しかし、それにはこれまで誰も気が付きませんでした。
心の針を外に向けることしか知らなかった私達は、どんどんどんどん自分の外に向かってエネルギーを流し続けました。
私達の幸せと喜びは自分の外から手に入れるものとする一方で、苦しみもまた自分の外からやってくるものだという考え方、思い方は本当に根深く、私達の心の中に浸透しています。
それもそのはずです。私達は、本当の自分を忘れ去ったのですから。そして、本当の自分に今まで誰一人出会うことなく、今世という時をようやく迎えたのです。
しかし、私達の現実はというと、本当の自分を捨て去ったことなど全く気付かずに、一日、一日、飛ぶように過ぎていきます。
光陰矢の如しとはよく言ったもので、五年、十年、五十年などあっという間です。肉体は、あっという間に老いていくのです。そして、死んでいきます。
日本においても、平均寿命は伸びていくけれども、生まれてきた人間は、いつかは死ぬんです。死ぬ瞬間はどなたにもやってきます。
もちろん、その間、文字通り千差万別の人生があります。
この世には、億万長者もいれば、その日の食べる物にも事欠く人もいます。その他、頂点を極める人生も現実ならば、社会の底辺に苦しむ人生も現実です。長寿の人もいれば短命の人もいます。
本当にいつの世も、人生は千差万別です。形から見れば、何とも不公平です。
ただし、お母さんに産んでもらったということについては、どの人もみんな公平です。そうです。産んでもらったんです。つまり、肉体という形をもらったということについては、みんな平等なんです。それ以外は世の中、不公平、不平等です。
私達は、「そんな不公平、不平等なところでもいいから、お母さん、私に肉体を下さい、私を産んでください」と懇願してきた自分達の思いを綺麗さっぱり忘れていきます。それどころか、「誰も産んでくれとは言っていない」、「子供は親を選べない」、「同じ産んでくれるならば、もっとこんなふうに」とか、そういうことを堂々と語る人もいます。

現代社会は、どんどん便利になり、豊かになっていく一方で、人の心というものは、どんどん落ちていっているようです。多かれ少なかれ大抵の人はそのように感じているのではないでしょうか。
昔はよかったなあと、昔はこんなふうでなかったと思っている人も少なからずおられると、私は思います。それは、当たらずとも遠からずということかもしれません。
だからということでもありませんが、先行き不透明で問題が山積みされている中に存在しながら、その世の中の流れとは全く違う流れを、それぞれの心の中に作ってください。
心の針を外に向けるのみの生き方ではなくて、自分の中に針を向ける生き方を始めていきましょう。
「お母さん、不公平で不平等なところでもいいから、私に肉体を下さい、私を産んでください」と懇願してきた思いというのは、どなたの心の中にもある思いなんです。
ただし、このことは話を聞いて頷けるというものではないです。しかし、心の針を自分の中に向けていくことをやっていけば、どなたにも分かることなんです。だから、私は一人でも多くの人に、その思いに触れていただきたいんです。
私は、私達人間は、まず、その原点に立ち戻らなければならないと思っています。私達人間の原点は「母の反省」にあると私は思っています。ここで言う「母の反省」とは、道徳的なものではありません。自分の心を偽って、自分の心を縛って、形だけの反省をしても意味がありません。そんな反省では、私達は自分の中に作ってきた闇の世界をどうすることもできないんです。
産んでくださいと懇願してきた思いは、どなたの心の中にもあると言いましたが、実はそれと同じように、私達の心の中には、母という意識(温もり)を徹底的に否定してきた思いがぎっしりと詰め込まれているんです。温もりがプラスのエネルギーであるならば、それを徹底的に否定し、それに徹底的に挑んできた思いはマイナスのエネルギーだと言えるでしょう。
そのマイナスのエネルギーは、自分を産んでくれた母親がたくさん見せてくれます。分かりやすく教えてくれます。
だから、外から見ればどんなに良くできて、立派で優しい母親であっても、そんな母親像とは別に、本人には、そうでない部分が強調されていく場合が殆どです。
あなたを産んで育ててくれたお母さんに感謝しなさいと道徳的に言われても、本当は「はい」と素直に誰も言えないはずなんです。
「はい」と素直に言える人ならば、生まれてくる必要がないからです。生まれてくるということは、私は真っ黒ですということを自ら証明しているんです。
母のお腹にいるときは、生まれ出て自分は何をしていきたいかを、みんな知っていました。ゼロ歳の頃はまだその思いが継続しています。しかし、やがて目が見え、耳が聞こえるようになれば、もう事情が違ってきます。そういうものを通して、自分の中の闇の世界、つまり、マイナスのエネルギーが動き出します。そのエネルギーは、母のお腹の中にいたときに感じた母の思いを掻き消していきます。そして、自分の目の前にいる母親が出すエネルギーと闘っていくのです。
そのところを、自分を産んでくれた母親の反省を通して自分の心で知っていくことが「母の反省」です。
プラスのエネルギーを覆い尽くすマイナスのエネルギーと前に表現しましたが、本当にその通りです。
私達は母のお腹から出てくるたびに、マイナスのエネルギーを作り続けてきました。私達は、みんなそんな転生を数限りなく繰り返してきたのです。
そして、今という時を迎えています。今世、今というこの時間と空間、これは本当に大切な時間と空間なんです。
今世を境にして、これまでの私達の流れが変わると言っても決して言い過ぎではないからです。ただし、このことは、私達の頭では絶対に理解できません。ご自分の心で知ってください。
そのために、まず、お水等を実験材料にして、本来の磁場と反転のエネルギーの世界を五官等で確かめていただきました。それは、ただ単に不思議と驚きを体験する実験ではないんです。特に、水道水に磁場と反転の思いを向けていくことにより、本来の磁場のエネルギー、反転のエネルギーをしっかりと心に感じていただき、そして、どんどん自分の中を反転していってくださいということなんです。その実践をせずして、本当のことは決して見えてこないんです。
産んでくださいと懇願してきたはずの思いを、この世に生れ出てほんの僅かな時間で掻き消し、マイナスのエネルギーを作り続けることしかできなかった私達だったけれど、ようやく、それに終止符を打つ流れの中にあることを知ってください。
産まれてくるということ、産んでもらうということ、それはどんなにありがたいことなのでしょうか。
それは、心の針を自分の中に向けて、自分が作り続けてきた真っ暗闇の世界を心で感じられるようになれば、自ずと心に響いてきます。理屈ではありません。
この世に、心正しき清らかな人など存在しません。人の良い人はたくさんいるでしょう。暗いニュースの多い中、心温まる話を聞けば何かほっとします。嬉しいです。
しかし、私達は本当の自分の姿を見失ったままなんです。私達は、私達人間の本当の姿を知るという方向に進んでいかない限り、私達には本当の喜びも、本当の幸せも巡ってこないことを知らなければなりません。

さて、そろそろ「思いを発信する」「思うということ」が大切だというところへ話を戻します。
・ 「思いを発信する」、どんな思いを発信するのか。
・ 「思うということ」、何を思うのか。
答えは、もうすでに何回も言っています。田池留吉の磁場を思い、反転と発信するということです。
もう少し言葉を足せば、田池留吉の磁場を思えるあなたに、反転と心から発信できるあなたになってくださいということです。
ただし、田池留吉の磁場を思うということについての大きなハードルは母です。まず、どなたも「母の反省」から始めてください。
「母の反省」とは、繰り返しになりますが、自分の心を偽って、自分の心を縛って、立派な反省をしてくださいということではありません。
「母の反省」とは、あなたを産んでくださったお母さんに使ってきた心、思いを思い出すことによって、あなたの中の暗い闇の部分を自分の中にさらけ出していくことなんです。
具体的には、お母さんがしてくれたこと、お母さんがしてくれなかったこと、そして、あなたがお母さんにしてあげたことの三点に絞って、その時々のあなたとお母さんの関わり合いの中で、一体あなたはどんな思いをお母さんに向けて出してきたかを、思い出せるだけ思い出してください。それを一通り自分なりにやってください。
お母さんがしてくれたことは殆どが当たり前で、お母さんがしてくれなかったことに対しては文句ばかり言って、そして、お母さんにしてあげたことは案外少なかったです。私の場合は総括すればそんな感じでした。
母親に対しては、自分の闇の思いが本当にストレートに飛び出していくし、母に使ってきた心、思いは、母だけでなくて、私の周りの人達に使ってきた心、思いでした。それを母は伝えてくれていたんだと確認してきました。
まず、その表面的な反省をしてください。そして、必ずお母さんを思い、ゼロ歳の頃の自分を思う瞑想の時間を持つようにしてください。
母のお腹にいた頃に、母の意識から伝えてもらった温もりに触れていけばいくほどに、表面的な反省によって感じてきた闇の思いは、もっともっと深いところから出てきているものだということが、自分の心で感じてくるんです。自分の心で分かってきます。
例えば、お母さんがしてくれなかったことに対して、ふくれっ面で文句を言ってというただ単にそんな状態であっても、自分の中から流れ出すものは、その何倍も何十倍もの、いいえ、もっとすごいエネルギーだったんです。その時は、私は私の目の前にいる一人の母親に対して、自分の不満をぶつけていると思っていただけでしたが、実はそうではありませんでした。それはほんの入り口に過ぎなかったんです。その奥にある母への思い(温もりに抵抗する思い)の凄まじさを何度も体験させていただきました。
母(温もり)を徹底的に否定し、徹底的に拒否し、徹底的に闘いを挑んできた自分だったと心から知れば、そんな自分に心から懺悔できるはずです。そうして初めて、自分の中の温もりを信じられる、そういうことです。私は、幸いにもそんな体験を重ねてきました。
「母の反省」は自分の復活に繋がっていきます。お母さんというハードルを飛び越えてください。飛び越えた先にあるものは、ただただ母に対する喜びと感謝だけです。自分の間違いに気付かせてくれるのは、たった一つ、母の温もりだけです。

私は、今、母を思い瞑想をすれば、お母さんに語りたいこんな思いが自分の中から出てくるんです。
「母に肉体をいただいた私は、たった一つの自分を探し続けてきました。
お母さんと呼んで、お母さんと呼び続けて、私はその私に帰れる日を心待ちにしてきました。
お母さん、私はたくさんの時間をいただきました。
お母さんの中へ帰るために、たくさんの時間をいただいてきました。
自らを苦しみの底に突き落としてきた転生でした。お母さんの心を忘れた私の中に、ようやくあなたへの思いを語れる今を迎えています。
ありがとうございます。私はあなたの中へ帰ります。私は喜びでした。母の中へ帰れる私が私でした。
母の温もりは私の中にありました。私達はこの三次元に肉という形を持ち、母よりその形をいただいてきました。私は何億年もの間、この地球という星で、転生というものを繰り返してきました。

お母さん、ありがとう。私はこれからこの肉体を通して、さらに私の中を見つめて母のもとへ帰る道を喜び、喜びで歩き続けます。
私は私との約束を果たさせることができたのです。
私は私を導いています。この道は、私が探し続けてきた道です。私はその道を心の中にしっかりと見つめ、私は喜びで私を見つめています。
反転のエネルギーを自分に向けたとき、ただただありがとうの思いが広がっていくんです。
お母さん、ありがとう。ありがとう。ありがとう。
この思いを伝え続けてくれた私自身にありがとうです。
ありがとう、ありがとう。私は私に伝えます。
心を中に向けることを伝えていただきました。
今、私は喜びで私自身を心に感じています。ありがとう、ありがとう。ありがとう。このありがとうを私に捧げ、私はこれからも存在していきます。
田池留吉という存在は私の中に確実なものを伝えてくれました。
心の針の向け方、合わせ方、心より伝えてくださいました。
ありがとうございます。私の中へ心を向ける喜びを、ただただ私は味わっていくだけです。
何をしていても、何を思っても、私は私を思えることに限ります。ただただ、そのことをやり続けます。
肉という形を持たせていただき、ありがとうございます。
私の歩みは、私の中で確実に足並みを揃え、喜び、優しさ、温もりを伝えてきます。これが私の世界。母へ帰る私の中の歩みです。
私はすべてをしっかりとここに懸けて、これからも生きてまいります。
私は二五〇年後、アメリカ、ニュージャージーの貧しき家に生まれます。そして、私はその家から、この心の世界を広げます。
貧しき環境の中。苦しき環境の中。しかし、私の心の中には明るい灯。灯です。私の心の中に優しい灯、力強い灯。私はその明りをしっかりと抱え、私はアルバート(現在は田池留吉氏)と出会います。アルバートに出会う時を、私は心待ちにしています。
出会いがすべてだと私はすでに伝えました。出会いがすべてです。私の中に点った明るい光が、それこそこの地球全土、宇宙、すべてを照らす光へとなっていくのです。
私のエネルギーは、今、その時を待ちかねています。
心から流せる喜びを味わいながら、私はこれからの二五〇年、三〇〇年の時を経てまいります。
意識の世界より、私は伝えます。
私達に心を伝えてくださったお母さんに、ありがとうの思いを伝えます。お母さんの意識にありがとうです。私は心よりこのメッセージを送ります。」
語っているのは、今の私であり、過去の私であり、未来の私ということが、母を思い、ゼロ歳の自分に戻る瞑想の中で感じます。
母を思う瞑想とは、私が一つになっていることを感じられる嬉しい時間なんです。
「温もりが自分の中にある」「喜びは自分の中にある」。そのことを「母の反省」を通してしっかりと自分の中に育てていけば、田池留吉の磁場と思えば、心が広がっていきます。お母さんの温もりの中にしっかりと抱かれている自分を感じます。
だから、どんどんどんどん自分の中に思いが向けられるんです。
向けることが喜びだからです。思いを向けて、反転と発信できる喜びを感じます。温もりに帰りたかった思いを強く、強く感じていきます。
「温もりに帰ろう。ともに帰ろう。反転」と自分の中に発信していくのは、そんな思いが心の底から湧いて出てくるからです。
必ず出てきます。温もりに帰ることを本当に待ち望んできた自分の思いに触れていく幸せが伝わってきます。
そして、今世という時間と空間を境にして、私達の流れは変わる喜び、確かな喜びだけが響いてきます。
これらは、自分の中に心の針を向ける瞑想でしか分からないことなんです。いくらこのように私自身の心の体験を語ったところで、それを実証するのは、それぞれの心の中です。
ただ、私はこうして言葉を通して自分の中から出てくる思いを、このように自分の中から出てくる思いを、言葉という形を通して伝えていけることに、本当に喜びを感じています。
どうでしょうか。
あなたも、あなたの中にある真実を知っていくことに全力を傾けてみませんか。自分に素直に、自分に誠実に生き直してみませんか。
あなたに本当にその気があるならば、いつでもあなたはあなたの人生をやり直せるんです。
その条件は、固い決意と、少しの勇気と、自分に対する真面目さです。するかしないかはあなたの選択であり、そして、その結果もあなたのものです。
どの人にも、程度の差こそあれ、心に引っかかる人、物、事があると思います。しかし、なるべくそれらから自分を解き放していく方向に生きてください。
自分の心をそこに残すことがあなたの責任であり、正義であり、愛情であり、優しさであるとあなたが言われるのならば仕方がありませんが、あなたが、もし、これまでの自分の生き方に対して、微かでも何か揺らぎなどを感じているならば、今、決意をしてください。
一足飛びにはいきません。簡単に格好よく自分の生き方を変えていくことは難しいです。しかし、しっかりとした決意があれば、やがて変革の時が自分に訪れてきた場合、それを直感します。
従って、その時を逸することはありません。まさにマイナスのエネルギーがプラスのエネルギーに変わっていく喜びの中で、今までとは違う自分を感じていくはずです。
それまでは、ウサギとカメの話ではありませんが、日々、自分の中に心の針を向ける瞑想、自分の中に磁場と反転のエネルギーを発信するということを、地道に淡々と継続していってください。
ウサギとカメの話には続編があるようですが、本来の磁場と反転のエネルギーを本当にひとたび心に感じていったならば、そのまま真っ直ぐに本来の喜びの道を歩いていくというシナリオは、もう変わることはありません。変えることなどできないんです。
無限の世界の磁場と反転のエネルギーを心で感じるということは、そういうことなんです。
有限の世界の話ならば、いくらでも書き換えたり脚色したりすることはできますが、無限の世界の話は、たった一つです。
そのたった一つの世界を心で感じていけば、これだ、これだとはっきりと自分の道が見えてきます。そして、心に見えているその道を淡々と歩いていけばいいということが分かります。
「田池留吉の磁場を思ってください。そして、反転と発信してください」というこんな簡単なメッセージを、一体どれだけの時間、私達は待ち続けてきたのか、どうぞ、あなたもあなた自身に聞いてみてください。
自分の中で苦しみ続けてきたたくさんの自分を心で感じられる優しい、優しい自分に生まれ変わってください。
必要なのは、固い決意と、少しの勇気と、自分に対する真面目さです。自分の中をどんどん反転、反転して、本当の自分との出会いを現実のものとしてください。
喜びと温もりの中にある自分が本当の自分の姿です。それ以外は、みんな偽りの自分です。ただし、偽りの自分がたくさんあるからこそ、そして、その偽りの自分がなかなか手ごわいからこそ、反転、反転としていったときの喜びは大きいんです。それを体験していきましょう。
マイナスのエネルギーがマイナスのままであれば、いつまでも苦しみしか訴えてきません。しかし、マイナスのエネルギーはプラスに変わっていくと確信していけば、返ってくるものはありがとう、嬉しいという喜びだけです。
そして、そういう心の体験を重ねていけば、もともとマイナスなど存在しなかったことが心で納得します。
「喜びと温もりの世界が本当の自分の世界でした。」
その信をどんどんどんどん強く深めていけば、反転力は自ずと高まっていきます。また、反転と発信するエネルギーが強ければ強いほど、信は強く深くなっていきます。
そうすれば、「私はあなた、あなたは私。私達は一つ」ということも、あなたの心で正しく理解できます。
もちろん、次章で語る「意識の流れ」は、どんどん心に響いてきます。次元移行という「意識の流れ」が自分の心にどんどん響いてくれば、本書の最初のほうでお断りしたように、「田池留吉の磁場は、田池留吉氏個人の磁場という意味ではありません」という一文も簡単に理解できるはずです。
田池留吉氏は一介の老人です。ただ、確かに言えることは、そのような肉体を持って、私達に次元移行という「意識の流れ」を伝えにきてくれたことです。
田池留吉氏に心を向けるということと、田池留吉の世界に心を向けるということとの違いが、自分の中ではっきりとしてくれば、田池留吉氏という人をどのように見ていくのか、はっきりします。
崇め奉ることも間違いならば、見下すことも間違いなんです。
どうぞ、心で感じていきましょう。心で分かるようになってください。そうです、心で感じ、心で分かるようになっていきましょう。
心で感じている、心で分かっているということは、田池留吉の磁場、田池留吉の世界しかないと、自分の中ではっきりと応えられるということです。
そうすれば、従来からあるいわゆる宗教の世界、精神世界、あるいは、宇宙のパワーという世界は、一体何だろうかなどということは簡単に分かってきます。心で分かってくれば、自然にそこから自分を解き放していくのではないですか。
自分の世界の大きさを心で感じてくれば、ちっぽけな世界に心を向けてきた自分だったと手に取るように分かります。
「母の反省」を通して、自分の中に本当の温もりを蘇らせてください。まず、そこからです。その温もりの自分とともに、自分の中を反転、反転としていくんです。そして、ともに、「意識の流れ」を感じていってください。
次章では、その「意識の流れ」について、心より語りたいと思います。
どうぞ、ますますあなたの心で読んでください。あなたの心の中にある喜びと温もりがどんどん反応していくでしょう。それとともに、あなたの中のブラックのエネルギーもまた反応していくでしょう。あなたの眼は文字を追っていますが、あなたの心は、波動を感じているからです。

6 意識の流れを心に感じていこう

これまで、私は、できるだけ分かりやすくというところにポイントを置いて、本書を綴ってまいりました。
しかし、ここからは、私自身の心に感じている田池留吉の磁場の世界と、反転のエネルギーを中心にして書かせていただきたいと思います。

私は、毎日、田池留吉の磁場に心を向ける瞑想を続けています。田池留吉の磁場と思ったとき、私は、これから二五〇年、三〇〇年かけて進んでいく次元移行という意識の流れを心に感じます。
意識の流れというものは、もちろん、私達の目には見えません。
しかし、その流れは、今、粛々として滞りなく流れていて、私達に次元を超えていきましょうというメッセージを絶えず伝えてくれているんです。
目に見える世界(有限の世界)には、時間という感覚があります。
いわゆる時の流れです。それは、過去があって今があって、そして、未来があるという順番です。
しかし、目に見えない世界(無限の世界)には、その感覚はありません。過去も未来も今と一つなんです。言い換えれば、目に見えない世界(無限の世界)には、今という時しかないんです。
「過去があって今があって未来があるのではなく、今しかない。」
このことが自分の心の中に感じられ信じられるようになれば、生きるということも死ぬということも、これまでとは全く違った見方ができます。
今、田池留吉の磁場を思い瞑想をするということは、私の過去も、そして、未来もみんな田池留吉の磁場を思い瞑想をしているということだと、私ははっきりと分かるんです。その感覚が私にはあります。
瞑想の中では、過去の私も感じられるし、未来の私も感じられます。私の中には過去の私も存在していれば未来の私もすでに存在していて、それらが一斉に田池留吉の磁場と思いを向けています。その中心となっているのが今、肉体を持っている私です。
私の心の中に、田池留吉の磁場の世界、田池留吉の世界を大きく広く広げていけばいくほど、私の過去も私の未来もそれに連れだって、その世界のすごさを感じていきます。その私の過去と未来から私は色々なメッセージを受けて、また今の私のお勉強が進んでいくことを感じています。
今のこの肉体を入り口にして、そんな自分自身の意識の世界を心に感じられることが、私には最高に嬉しいことなんです。
もちろん、今世、田池留吉氏との出会いがなければ、そんな世界を自分の中で紐解いていくことは叶わなかったです。
ただ、瞑想を重ねていったとき、田池留吉氏と私との出会いがないということはあり得ないことだということも分かってきましたから、やはり、意識の流れはすごいなあとつくづく感じています。
まさに、私はこの意識の流れを自分の中に確立するために、田池留吉氏との出会いを計画してきたことを確信しています。
瞑想を重ねていくことは、私の中にその確信を深めていく、強めていく手立てなんです。
私の意識の世界はすでに、次元移行という意識の流れを確実にとらえ、その流れの中を着実に進んでいます。だから、瞑想そのものが楽しいです。瞑想をすることに大きな意味があることを感じて、瞑想以外に自分を知っていく方法はないと、はっきりと分かります。
瞑想は自分を知っていくたった一つの方法です。
私達は、田池留吉氏のもとで、自分を知っていける正しい瞑想の仕方、手順を学んできました。その中で、正しい瞑想がなかなかできない訳も同時に学び、正しい瞑想が自分の中でできなければ、自分を本当に知っていくことはできないし、ともに次元を超えていこうという意識の流れに乗っていくこともできない厳しい現実も、伝えていただきました。
こうして田池留吉氏のもとで学ばせていただき、約二十年という時間が過ぎ去りました。ともに学びを進めている人達が日本各地にいます。海外在住の人達もいます。
私達のこれまでの転生の時間からすれば、田池留吉氏との出会いから二十年余りという学びの時間は決して充分とは言えませんが、私は、今の私を通して学ぶべきことは学んできたという感想を持たせていただいています。
あとは、私の中で確立した中心棒の補強に努めるだけなんです。私は、それを独立独歩、自己確立の道と表現しています。
私は今現在、五十三歳です。日本女性の平均寿命までこの肉体を持ったと仮定して三十年余りの時間があります。数字には特別にこだわりませんが、中心棒の補強のために、私はまだもう少し今のこの肉体を離すことはないということは確かなようです。
それは、田池留吉氏の没後に、さらに田池留吉の磁場、田池留吉の世界、そして、反転のエネルギーを私自身が学んでいく計画があることを感じているからです。その学びをどのように展開していくか、そこまでが私が今の肉体を持っている間の私のお勉強だと私は考えています。
その間、私は肉体と意識の関係、目に見える世界(有限の世界)と目に見えない世界(無限の世界)との関係、それを私は私の中で、さらに純度の高い田池留吉の意識の世界から受ける波動を通して、学んでいけると思っています。
もちろん、その間、目に見える形の世界には色々と現象が起こってくるでしょう。これまでに私達が見たり聞いたりしてきたこと、体験したこと、経験したことを遥かにしのぐエネルギーが現象化してくると思います。
その中で多くの人達は、自分達の窮状を訴えていきます。救いの手をあらゆるところへ伸ばしていくでしょう。
自分達の救いというのは、言うまでもなく、自分達の生命を救うこと、自分達の家族を救うこと、自分達の日常生活を取り戻すこと、立て直すこと等々です。
全部、肉、形の世界のことです。そういうところに救いの手を差し伸べてくださいと、多くの人達が思いを集中させていきます。
もちろん、急場の救済、とりあえずの救済措置は必要です。ただ、何でもかんでもこうしてほしい、ああしてほしいだけの要求は、いつまでも通用するわけはありません。
天災、人災にかかわらず、そういう事態があちらでもこちらでも起こってくる中で、人々の心は、一体どんな声を上げるのでしょうか。
行き場のない思いが、さらに次の事態を呼び起こすことになることに、どれだけの人達が気付いていくのでしょうか。
そして、その一方で、心の立て直しというか、心の安らぎ、平安、救いを求める声も、これまで以上に大きくなっていきます。
もちろん、その声に応えようとしていく人達、団体の活動もますます活発化していくでしょう。しかし、それらもまた全部、肉、形を基盤とした活動に過ぎません。肉、形を基盤としていては、本当の心の立て直しなどできるはずはありません。
そのような世の中の流れを、やはり、そうかと確認しながら、私は私の心の中に針を向けて、自分の中に伝わってくる思い、響いてくるメッセージを何らかの方法で発信していきたいと思っています。
今は漠然としている私の中の思いも、いずれは形になってきます。私は、それが意識の流れの中に存在する私自身だと感じているからです。もちろん、その時に、田池留吉氏の指し示す方向にともに向いていこうとする独立心の強い仲間がいれば、なお嬉しいです。

私は、私達の心の中に自分を救い、自分を導いていく本当の自分の存在を確信しています。
本当の自分との出会いは、これまでの転生で繰り返してきた過ち、すなわち、人を救おうとしてきたこと、人を導いていこうとしてきたこと、我に従えとしてきたこと、我こそ一番なりとしてきたこと、特にそれらの思いを反転させて、もう二度と同じ轍を踏まないと自分に誓ってきた約束を彷彿とさせます。
私は、田池留吉の磁場に心の針を向け合わせていくことだけが、自分を自分で救い、導いていくたった一つの方法だと知りました。そして、それは、本来は誰一人例外なく、みんながみんなできることなんです。いいえ、自分の心を救うのは自分でしかできない、自分の心を導いていくのは自分でしかできないんです。救世主など存在しません。
田池留吉の磁場に心の針を合わせて反転と自分の中に思いを向けていくことが、どんなに優しくて温もりであるか、それが本当の愛の行為なんだということは、それを淡々と実践している人ならば分かるはずです。
自分を救い、自分を導いていくことができる私達だったんです。
私達の中には、本当の温もりと喜びのパワーがあったんです。そして、それが私達だったんです。
この気付きは、本当に大きな気付きでした。
自分の外には何もありませんでした。自分の外に、自分を救い、自分を導いてくれて、自分に本当の喜びと幸せ、安らぎを与えてくれるものは何もなかったんです。それが今世まで分かりませんでした。また、あると思ってきた自分の愚かさに、どんなにしても気付けませんでした。
今このようにして、母に産んでもらった私がいます。私はこの肉体を通して、その愚かな自分を知っていく道を自分の中に選んでいったことを誇りに思っています。
田池留吉の磁場に心を向けて、自分の中を感じていくことを伝えていただいた喜びと嬉しさ、幸せは私の中でずっと続いています。
だから、いつでもどこでもそこに私の心を戻すことができるんです。
目を開けて生活をしていれば、色々な映像が目の中に入ってきます。耳を通して言葉を聞き、その他、私の五官が集める情報によって、私の心の中が動いていきます。動いていくけれど、私は、私の心を本来の私に戻すことができます。
ふっと心の針を合わせていく訓練を積んできました。積んでいます。人の話を聞きながら、そして、楽しい団らんの中で、また日々の生活の中の仕事をしながら、ふっと心の針を向け合わせる作業です。
そうして、反転のエネルギーを自分の中に発信して、マイナスの情報を自分の中に滞留させることなく、早く、そう、できるだけ早くプラスに変えていく術を心得ているので、私は私を決して見失うことはありません。自分の決めてきた道を真っ直ぐに進んでいくだけです。
「いつも自分の心の針の向け先を確認していく実践を積んでいくことが大切だ」、心で真実の世界を感じてくればくるほどに、自分を引き締めていくメッセージが来ます。
「私は、今の私にすべてを任されているんだ。過去の私も未来の私も、今の私にすべてを任せている」。そんなことが心に響いてくると本当に嬉しいです。
「あなたに全託します」、こんなメッセージを自分に四六時中流していると感じられればどうでしょうか。自分が本当に愛しくなりませんか。
「つかまない。握らない。こだわらない。この世のことは、結局はどうでもいいことです。ここで自分を認めさせ、有利な立場に立たせようとも、そんなものは自分にとっては何にもならないことに、できる限り早く気付くべきです。それは決して消極的に生きていくことではないんです。どうでもいいことに自分のエネルギーを費やしていく空しさ、冷たさ、愚かさ、そういうものが心に響いてくればはっきりと分かります。本当に歩みたかった、生きたかった道を歩いている、生きていると、自分の中で実感できることほど幸せなことはありません。」
私は、このように自分の中から色々なメッセージが出てきます。それらは、私が私に反転と伝えたとき、ああ、自分は何も知らずに間違って生きてきたんだと、心で気付いてくれるたくさんの私自身からのメッセージです。
自分で体験してきたことを、今、私に伝えてくれているんです。
もちろん、それは来世の私もきちんと聞いています。いいえ、来世の私が最も学習していると思います。
そんな自分の世界を感じるとき、ああ、私は私の中で生きているんだ、私の中には私しかいないんだ、いつも、いつもその私とともにあればいいんだ、その私を感じていればいいんだという思いが広がっていきます。
過去に生きた私にも、未来に生きる私にも、温もりと喜びの世界を伝えることができる今です。反転と発すれば、必ず喜びが返ってくる、ありがとうが返ってきます。だから、反転と自分に言うことが嬉しくてたまりません。
今の私を通して、私は、ようやく自分が信じられる自分となりました。いつも、いつも私とともにあればいいんだ、私を感じていればいいんだという思いの中には何もありません。静かな喜びが広がっていくだけです。生まれてきてよかった。お母さん、ありがとう。ただ、その思いが伝わってくるだけです。二十年前の私には全く考えられないほどの変わりようです。
そして、私はまた田池留吉の磁場を思い瞑想を続けます。
私の中の真っ暗闇の世界に、私の中の温もりと優しさを向けていく瞑想です。それは、マイナスのエネルギーをプラスのエネルギーに変えていくパワーが、自分の中にあったことを感じられる時間です。嬉しい時間です。
必ず自分の中に伝わってきます。ありがとうが伝わってきます。嬉しいと伝わってきます。
「反転のエネルギーをありがとう。反転と伝えてくれてありがとう」、そう伝わってくるんです。
私の中は、すでに二五〇年後に向けて、次元移行へ向けて、田池留吉の磁場、反転のエネルギーとともに歩んでいます。
特に最近の瞑想の中では、具体的にそのことを伝えてきます。
今の肉を離してから二五〇年に至る間の自分の状態に照準を合わせて、瞑想の時間を持ってくださいと伝えてきます。
その瞑想の時間を持つことによって、今を生き、今を学ぶ喜びをさらに心に広げていけるのだと思います。なぜならば、その間の私からすごいエネルギーが流れていくことを心に感じるからです。
今を本当にきちんと生き、きちんと学んでいくことが、どんなに大切なことなのか、二五〇年後に至る自分の状態を感じていけばいくほどに心に伝わってきます。
その間、肉体という形を持たない私は、意識、エネルギーのまま自分を存在させ、私の中へどんどん反転のエネルギーを流しています。肉体という形を持たない私は、その肉という壁に妨げられることなく、ストレートに反転のエネルギーを自分の中から放出していけるのです。私の中をどんどん反転させ、そして、反転させたエネルギーをどんどん流していきます。この作業というか仕事が私には用意されていることを感じます。
肉体という目に見える形がなくても、私は私の意識の世界は、きちんと田池留吉の磁場の波動を受けて、次元移行の遂行を着々と進めていく喜びを感じていくでしょう。
今の肉体をなぜ持ったのかと言えば、それは意識の転回を自分の中で現実のものとするためでした。
二五〇年後の肉体を持つ意味は違います。意識の転回をするために生まれてくるのではなく、自分の中で現実となった世界を、その肉体を通して発信していくことが主な目的です。
肉体を持ってくる意味が、これまでと全く違うということを感じ、それは、私の中の意識の流れが今世を境にして変わったことを証明しています。
このように、私は、田池留吉の磁場に心を向けて合わせていけば、自分の道筋が心に響いてきます。
いつもと変わらない何気ない日常生活の中で、自分の今を本当に喜びとして迎えることができるのは、そんな自分の道筋が心に響いてくるからなんだと思います。今の自分を通して未来の自分が心に感じられる、それが信じられる、そんな確かな手ごたえがあるからでしょう。
この道をずっと行けばいいという確信があるから、「次元をともに超えていこう」とメッセージを自分の中で発信できます。そう発信できる喜びは本当にすごいです。ここを感じていけば、この喜びに勝るものなんて何もないです。
田池留吉氏が私達に伝えてくれたこと、それは本当に本当のことでした。
「本当のことはあなたの心でしか分からない。あなたの頭では絶対に分からない。だから、あなたはあなたの心を見てください」と、最初から最後まで言い続けてくださった田池留吉氏でした。
あとは本当に私達次第なんです。田池留吉氏が私達を導いていくのではありません。
田池留吉氏は、私達の中に、田池留吉の世界、田池留吉の磁場があることを、きちんと学んでいただきたいと粉骨砕身されてきた方だと私は感じています。今現在も、ご老体にかかわらず、その姿勢に変わりはありません。本当に頭が下がる思いです。
田池留吉の世界と欲は合わないと聞きながら、自分の心を見ることなく、どこまでも欲だけで田池留吉氏と接していこうとする意識の世界は、やがて現象化されていきますが、一方でそれさえも、すべて受け入れられていることを感じて、意識の世界の大きさ、深さ、温かさを感じずにはいられません。
そのようなところからも、意識の世界のすごさを確かに感じますが、それよりも何よりも、やはり、それぞれがしっかりとした手順を踏んで、正しい瞑想が少しでもできてくるようになれば、田池留吉の磁場と反転のエネルギーのすごさは、自ずと心で分かってきます。意識の流れが、否が応でも心に響いてくるんです。
そして、意識の流れを心に感じていくことが、これからの自分の生き方を左右していくことが分かります。どのように今を生きていけばいいのか、そんなことは簡単に分かることです。
逆に言えば、意識の流れの存在に気付こうとせずに、あるいは、いつまでもその流れに逆らっていけば、どんな事態になっていくか、そう遠くない時間の中で、それがはっきりと自分達に示されていきます。
もちろん、そういう事態に臨み、自分の中を初めて真剣に反転させていこうとする場合もあるでしょう。遅きに失するということではありませんが、それでは本当にもったいないと思います。
この道を行くならば行くと、自分の中をはっきりとさせることが肝心です。学んでいるような、学んでいないようなどっちつかずでは、結局は自分の中は何も変わりはしないです。そんなに私達が作ってきた闇の世界は甘いものではありません。
一筋縄ではいかないたくさんの自分を抱えて、今、ここにこうして存在していることを本当に知っていけば、田池留吉氏が、学びについて、こうしていきなさいということは、必ずクリアしていくでしょう。
そうしなければ、自分の中に本当のことは伝えられません。従って、自分を救っていくことも、自分を導いていくことも叶わず、さらに深い、深い暗闇の世界に自ら落ちていくしかないことは明白なんです。
田池留吉の磁場のエネルギー、反転のエネルギーを、本当に自分の心で感じてください。
水道水を反転させてどうなるのか、そんな不遜な思いを出した人はいないでしょうか。もし、そういう人がおられたならば、本当にその思いを自分の中で反転としていかなければ、どんなに熱心に学びに集ってこようとも、自分の心で本当の波動の世界を理解していくことは、大変難しいとだけ言わせていただきます。
本文中、何度も語っていると思いますが、私達は本当の自分を見失い、捨てて、これまで気の遠くなるような時間を経てきたんです。私達の中には、本当に数え切れない転生の歴史が残っています。それはこの地球上での転生ということに限って言っても、そうなんです。そして、実は私達には、この地球上以前、つまり、三次元以前の歴史があるんです。
意識の流れが示す次元移行というのは、それらの自分を全部ひっくるめて、ともに次元を超えていこうという壮大な計画なんです。それが心で分かってくれば、どなたも自分に真摯に誠実に向き合っていくはずです。しかし、心で分からなければ、本書に語られていることは、すべて絵空事でしかありません。だから、心で分かってくださいと申し上げています。

それでは、今ここであなたの目を軽く閉じて、田池留吉の磁場と心で言ってください。そうして、しばらくそのまま瞑想を続けていきましょう。
「私は田池留吉です。あなたの中に私の世界が広がっていきます。私はあなた。あなたは私。私達は一つ。私達の心の中にあるものは温もりと喜びだけです。その温もりと喜びの中へあなたの心を戻していきましょう。反転のエネルギーを、どうぞ、心で感じていってください。
日々、あなたが生活をしている中で、あなたの心を揺らす事が起こるでしょう。そのたびにあなたの中で、田池留吉の磁場と瞬間思い、反転と瞬間思ってください。あなたの中に変化が現れてきます。
それは、あなたの心でその時にすぐに受け取れる場合もあります。そうでない場合もあります。しかし、焦らず弛まず、いつも、いつもそのように田池留吉の磁場、反転と心の針を向け合わせていくことをやってみてください。
あなたの中に必ず変化が現れてきます。「母の反省」を通して、あなたの中をご覧になってきましたか。そのあなたの学びの時間、その時間が決して無駄にならないように、田池留吉の磁場、そして、反転のエネルギーを、あなたの中にしっかりと感じていけるようになってください。
「私達は次元を超えてまいりましょう」、このメッセージをいつも、いつもあなたの心の中に伝えています。私達の思いを心に受け取っていけるようなあなたに蘇ってください。意識の流れに乗って、あなたも私達とともに次元を超えてまいりましょう。
喜びと温もりの世界へ一歩、一歩、歩いていくこと、それがあなたの喜びだと、あなたの中でしっかりと感じられるようなあなたになっていってください。」
このように、田池留吉の世界から、私達にいつも、いつもメッセージが発信されています。メッセージとは言葉を聞くのではなくて、波動を感じていくことを言います。
さあ、どんどん瞑想を続けて、田池留吉の磁場と思えることが嬉しくて、反転と言えることが嬉しくて、というあなたになっていきましょう。どんどんあなたの心に響いてくる、そんなあなたになっていきましょう。

再度、ここで確認です。
自分の中を反転させるエネルギーは、喜びと温もりのエネルギーです。そのプラスのエネルギーは、私達の心の中にすでにあります。喜びと温もりのエネルギーこそが、私達本来の姿だということが信じられる自分に復活していくこと、それが、今私達がするべきことなんです。その自分に復活していけば、ますます喜びと温もりのエネルギーで、自分を反転させていくことができます。
そして、どんどん自分を反転させていくことが、意識の流れの中に自分を誘っていることになっていると心で分かってくれば、あなたの人生は、180度変わります。
目に見えるもの、耳に聞こえるものをつかむ心、こだわる心が薄れていきます。それは、本当に大切なものが自分の中に響いてくるからです。
どんどん自分に反転のエネルギーを流し、本来あるべき自分の姿を感じて、さらに感じて、その自分とともに生きていく時間を少しでも早く持つようになさってください。

固い決意と、少しの勇気と、自分に対する真面目さ、私は、いつもそこに自分を戻し、自分を感じています。そして、日々、淡々と着々と瞑想を続けています。それができる体力と気力が、まだ私にはあります。さらに、時間的な余裕、経済的な余裕があって、これで自分の予定通りのコースを進んでいくことができなかったら、それこそ本当に自分に申し訳ないと感じているところです。
どうしても何よりも私は私に真実を伝えたかったです。そのために学ぶ環境を自分で用意し整えてきました。
これは誰一人例外なく、みんな同じはずなんです。「何よりも、何よりも、そして、何としても自分に真実を伝えたかった」、心の叫びはみんなに共通するところです。
その心の叫びを聞いているか否か、その心の叫びに素直であるか否か、その違いはあっても、みんな本当の自分の中に帰りたいと心が叫んでいることは間違いのないことでした。私達は、本当の自分を捨てた時から、ずっとそう叫んでいたのです。
私は、瞑想をする中でそこのところに自分の心が触れていくと、もうたまらなくなるんです。今、この思いに背を向けては私の未来などないと、はっきりと感じてきました。
今がすべて、今が千載一遇の時、その思いが私を今日まで支え、私を引導してきたのでしょう。
もちろん、私自身がそのように自覚できたのは、田池留吉氏という偉大な道しるべがあったからです。その道しるべなくしては、真っ暗闇の中から這い上がることなど不可能でした。
そして、真っ暗闇の中で、ようやく一筋の灯りが自分の中に灯ったんです。その手ごたえを感じた私は、その灯りを自ら消すことがないように、自分を大切にしてきました。自分を自分で潰したくありませんでした。潰したくないというよりも、潰してはいけなかったんです。
過去と同じ轍は踏まないという固い決意と、少し勇気を出して自分の中を覗いてみるということと、毎日、毎日、同じことを継続していく真面目さ、このうちどれか一つ欠いても、私は今の私を迎えることはなかったと思っています。
そうしたしっかりとした基盤の上で、さらに、今、田池留吉の磁場と反転のエネルギーに、自分の心の針を向けて合わせる訓練を重ねています。
訓練です。トレーニングです。頑張っているのではなくて、淡々と喜びで訓練を積んでいるということです。それが私の日常なんです。
私は死ぬまで、そして、死んでからも、この訓練を続けていきます。
それは言うまでもなく、意識の流れをはっきりと感じているからです。頭でなく、心で知っています。私の意識の世界がもう、そうなっています。
意識の流れの中にある私自身がすることは、その流れに沿って、その流れとともに流れていくことなんです。
それは、一言で言うならば、田池留吉の磁場に心の針を向けて合わせていくことです。本当の私に心の針を向けて合わせていくことです。
意識の流れは私達の心の中にあります。私達が意識の流れなんです。私はそのことに気付きました。だから、こうして今、その流れを感じていけることが最高に幸せであり、意識の流れとともにあることが最高に喜びなんです。
意識の流れを心に感じていこうとは、本当の自分を心で感じていこう、そう言い換えてもいいかと思います。そして、本当の自分を心で感じていくということは、その自分を知らずにきた闇黒の世界をつぶさに感じていくということです。
温もりと喜びを感じていけばいくほど、闇黒の世界もまた大きく感じていくからです。感じていくけれど、その闇のエネルギーを、さらに自分の中で大きく深くしていくことはもう、あり得ません。
それらのエネルギーは、自分の中の温もりと喜びのエネルギーに吸収されていくからです。それが意識の流れとともにある喜びと幸せがする仕事です。その感覚が自分の中で実感できれば、さらに瞑想に拍車を掛けることは間違いありません。
自分の中に温もりと喜びの自分を感じていけばいくほど、闇黒の世界もまた大きく感じていくと書きましたが、それはその通りです。
私達の心の中に眠るブラックのエネルギーが、これからの時間の中で、さらに磁場と反転のエネルギーを感じて、気付きと促しを受けていくんです。そして、エネルギーの質が変化していきます。
そのようなマイナスをプラスに変えていく反転のうねりが、自ずとこの地球全土を覆い尽くしていきます。それは、磁場と反転のエネルギーが私達の住む星、地球上で可視化、つまり、目に見える形で示されていくということです。さらに、地球という一つの天体だけではなくて、いわゆる一般的に宇宙と称されているその他の天体をも含む宇宙空間に、大きな影響を与えていきます。
地球、その他の天体と言えば三次元的な表現ですが、もちろん、それらもまた意識、波動、エネルギーです。そして、それらを包括する本来の磁場の世界があります。その磁場の世界から発せられるエネルギーの強さが増してくればくるほど、宇宙空間に及ぼす影響は甚大だということなんです。このように、意識の流れからのメッセージは、次から次へと宇宙的規模で可視化されていきます。
このことは、目に見える形の世界(有限の世界)にだけ心を向けて生きている人には、自分の心に響いてくるのにまだもう少し時間を必要とします。しかし、意識の流れは今、粛々と滞りなく流れていると語ってきたように、もうすでに心に伝わり、心に響いてくる時期を迎えています。
私は、むやみやたらと人々の心に興味と不安感を募らせる思いはありません。ただ、それは厳然たる事実であることだけをお伝えしたいと思います。本来の磁場の世界から発せられる唯一プラスのエネルギーは、マイナスのエネルギーに満ち満ちた意識の世界へ、ストレートに届けられます。そして、次から次へとプラスに変えていくんです。つまり、反転させていきます。

私の心が受けたその一端を掲載させていただきます。私達が神と崇めて欲の思いを膨らませてきた世界が、以下のA、B、C、Dに代表される意識の世界です。そして、それらは、今もなお私達の心の中に大きなブラックのエネルギーとして鎮座しています。それらのエネルギーが、磁場と反転のエネルギーを感じて、さらに気付きを促されていくこれからです。
その中でもAの意識が深い眠りから覚めたということが、宇宙(この場合の宇宙とは意識の世界を指します。いわゆる視覚で確認できる宇宙とは違います)の目覚めを連動させていきます。
132ページで書かせていただいたように、私達には、この地球上以前の歴史が心にしっかりと残っています。つまり、私達には、三次元での転生以前の自分達があるんです。宇宙の目覚めとは、次元を超えて存在してきたそんな自分達意識の目覚めと思っていただいていいと思います。
本来の磁場を思って瞑想を重ねていけば、意識の世界の奥深さを感じてきます。それを私達は宇宙と呼んできました。宇宙に思いを向けるとは、単に三次元での自分に思いを馳せることに留まらずに、さらに自分の意識の世界を広げてくださいということなんです。
そして、さらに広がった意識の世界が目覚めるということですから、そこには大きなエネルギーが発生します。そのエネルギーは私達の想像を遥かに超えたエネルギーの大きさ、広さ、深さなんです。
かつて、この地球上において、EやFに代表される大きな大陸が沈んだ歴史があります。それらもすべて私達に気付きを促していく現象だったということを語らせていただくことで、これからの時間の中でこの地球上に起こってくる出来事もまた、それと同様に、いいえ、それ以上に私達に気付きを促していくことを感じ取っていただきたいと思います。
それが意識の流れです。私達が待って、待って、待ち望んできた意識の流れの全容が姿を現してくる時間を用意しています。
そして、二五〇年後の再会、あるいは、出会いにより、次元移行を最終的に遂行していく計画となっています。
以上のことを含みながら、以下の文章に目を通していただければ幸いです。ただし、内容云々については、頭で分かるものではないことはご承知おきください。

① A
A。肉の私には全く見当もつきません。A。言葉は聞いたことがあります。心を向けてみます。

人々の心を牛耳ってきたと出てきました。Aは苦しいと語ってきました。深い、深い眠りから覚めたような感覚でした。
Aの苦しい意識を感じ、私の中から、この苦しい意識に、母の優しさ、温もりを伝えていきたいという思いが出てきます。
人々は、悠久の昔より、神を、もっともっと深遠なる神の世界を求めてきた。今もAに思いを向けている人々は、この地球上にたくさんいます。もちろん、私達のように肉体を持っていない意識達の中にも、Aと繋がっている意識達もたくさんいます。
Aというブラックのエネルギーに、温もりと優しさを伝えることができる今という気がします。
これは、磁場、反転の瞑想を重ねてきて、そして、磁場のエネルギー、反転のエネルギーがすごいということを物語っていると思います。
磁場に心を向けていけばいくほど、奥深く眠っていたブラックのエネルギーも眠りから覚め、そして、ともに次元移行へという道筋に宇宙(意識の世界)はあるのだなあと感じます。
温もりと喜び、優しさを心から発信していきます。

② B
私はB。私は母の温もりに背いて生きてきた。地獄の奥底を這うように生きてきた。Bと名乗る意識は苦しみの底にありました。今、私は心の中に温もりを感じ始めています。
私に誘う意識があります。
「温もりを思い出しなさい。あなたの中にある温もりを、あなたの中にある喜びを、どうぞ、どうぞ、心の中に広げていきなさい。心の中に広げていきなさい。」
私の中にそのような心の声が伝わってきます。
誰ですか。何ですか。心を向けなさいと伝わってきます。
Bと呼ばれて、私は大きな世界を作ってきたと思ってきました。しかし、私の中にあるものは苦しみと呪いと、とてもとても大きな、大きな恐怖の塊でした。
心を見なさいと言われても、私は恐怖の塊でした。じっとしているだけでも苦しかったです。
Bは苦しみの底に沈んだ意識であると、今、私は、ここにはっきりと伝えます。
私に温もりと喜びを下さい。私に温もりと喜びを伝えてください。地獄の底で這いずり回るのは、もういいです。
はい、少しでもここから抜け出したい。私を呼び覚ます大きな、大きな喜びと温もりがあるような……。それがあなただと伝わってきます。
心を見てくださいと伝わってきます。喜びを心に広げていきなさいと伝わってきます。

反転のエネルギーは大きな、大きなエネルギー、喜びのエネルギーです。マイナス、ブラックの世界に必ず響き届いていく大きな喜びのエネルギーであると、私の心から流れていきます。
そうです。この喜びと温もりを私は全宇宙に伝えたい。届けたい。
心からそのように思います。私の名前はBだと伝わってくる意識に母の温もりを届けます。
「あなたの中にある喜び、温もりを、どうぞ、信じてください。それがあなた自身です。その思いがあなたを地獄の底から救っていくんです。」
私はそのように伝え続けます。

③ C
Cと応える意識に思いを向けてみます。

ああ、苦しい、苦しい、苦しい、苦しい。私を崇め奉らないでください。
Cは苦しみです。温もりを忘れ去った苦しみの意識です。ブラックのエネルギーを宇宙に大きく広げてきました。
我こそ大宇宙なり。Cという名前を心に刻み続けてきた人々の心の中に、今もCの思いがしっかりと残っています。
Cは苦しみの奥底から今、蘇る時を迎えるでしょう。目覚めです。宇宙の目覚めです。宇宙へ反転のエネルギーが流れています。
母なる宇宙へ帰りましょうという優しい力強い呼びかけのもとに、我もまたその呼びかけに応えていきたいというのが、Cの今の切なる思いです。
Cを心の中に包み込んでください。パワーの源が私ではありません。私のパワーはブラックです。母の温もりの中に帰りたい。私も帰りたい。パワーを求めてきた意識達よ、Cの中へその思いを広げてください。
母のもとへ帰りたいという思いを、どうぞ、心に広げてください。
Cは崇め奉る存在ではございません。心の中を私はさらけ出したいです。
苦しみの奥底からようやく新たな私へと旅する、いざ、その時を迎えることを感じます。
その時期が今まさに巡ってきています。私はC。語らせていただきありがとうございます。
私の中に反転の喜び、温もりのエネルギーが届きます。ああ、嬉しい。苦しみではありませんでした。

Cよ、ともに帰りましょう。語ってくださりありがとう。心の中に伝えます。喜びと温もりを、母なる宇宙へ続くこの道をしっかりと伝えます。Cよ、あなたは喜びです。温もりです。
私達とともに、ともに次元を超えていく意識なんです。
どうぞ、そのことを信じて、信じて、心の中に温もりと喜びを思い起こしなさい。

④ D
田池留吉の磁場を思い、Dの大予言、D、そのほうに心を向けてみます。
はい、その先にあるのは、ブラック、ブラック、ブラック。どこまでもブラックの世界。底知れぬブラックの世界を感じます。
人々の心の中に何を伝えたか。ただただ恐怖の坩堝に陥れた。その正体はブラック。すべてを打ち消してきたブラックのエネルギー。
後世に伝わり称えられているような世界ではありません。ちっぽけな、ちっぽけな世界でした。真実を知らないブラックの世界を感じます。どこに繋がっているのか。ただただ母の温もりを忘れた暗闇の中。

人々は心のどこかで何かを求めてきたんです。ああ、そうです。恐怖をかきたてるのではなく、そうです、私はそういう思いから予言したのではありません。
はい、こうして私は計り知れない時間の中で心をしっかりと閉じてきました。苦しみが、苦しみが広がります。ああ……。

何が間違ってきたのか分かりますか。温もりを忘れ去って、ただただ己を現してきたんです。肉の中で己を現してきたんです。そのことを伝えます。私達の心の中にある安らぎ、優しさ、温もりを忘れ去った結果、この苦しみの闇黒の世界を創り上げてきました。
心の中をしっかりと見つめていきなさい。そうです、しっかりと見つめていくのです。優しさ、温もりを忘れ去った心を見つめていきなさい。

人々の心に恐怖の思いをかきたてる予言などあってはならないのです。確かに私達の学習の場であるこの地球は衰退の一途を辿ります。しかし、私達が伝えているのは喜びです。地球が滅んでいく恐怖を伝えているのではありません。
私達が伝えているのは喜びです。真実の自分達の姿を思い出していきましょう。そのように私達は呼びかけています。
母の温もりを忘れ去った意識達にこのことを伝えます。
Dもその意識の中にあります。だから、遠く、遠く気の遠くなるような長い時間、全く真っ暗な暗闇の重石の中でただただ自分を閉じ込めてきた、そのことを少し伝えました。
しかし、心の中を開いていくのは、あまりにも人々の欲の心が、長い、長い時間、重く、重くのしかかって、なかなかその扉を開くことは難しいです。
ああ、しかし、今、こうして心を向けさせていただきました。少しずつ、少しずつ、この温もりが染み込んでいけば、もう少し語っていただけるのかと思います。

⑤ E
E大陸が沈んだとき、私の心の中には大きな、大きな衝撃がありました。神を呪う思いです。この神を呪う思いが私の中に、本当に大きな衝撃として残りました。
私はその大きな衝撃のまま、何度か転生を繰り返しました。そして、今このようにして、田池留吉の肉とともに、この三次元に肉という形を持ち、真実を学んでいるという今があります。
私は、自分の中にE大陸という思いを、これまでに何度か向けてきました。
今、磁場、反転というお勉強が進み、その反転のエネルギーの中で、再び、E大陸ということに思いを向けるチャンスを得ました。
「Eの悲劇」という文字を見たとき、私の心は何かを叫びました。
そうです。E大陸が沈んだのは悲劇でも何でもなかったんです。E大陸が沈んでいったのは喜びでした。
私の心の中からそのように伝わってきました。
Eの悲劇はあり得ないことだったんです。私は、ああ、あの当時、神を呪い、この肉体を捨てました。
その時は、大きな、大きな衝撃のもと、ああ、どうしても、どうしても神を呪う思いを自分の中で受け止めていくことができませんでした。
これがこれまでの私の転生でした。今世の転生までの間、ああ、どれだけ私の心は苦しみの底を這いずり回ってきたことか。
そして、今、E大陸と思いを向け、自分の中に反転のエネルギーを広げていったとき、ああ、E大陸が沈んだのは悲劇でも何でもなかった。E大陸が沈んだのは喜びそのものだ。ああ、私の中が間違っていたんだ。ああ、お母さんごめんなさい。ありがとう。そして、ああ、お母さんありがとう。ありがとう、ありがとう。
そんな思いを、今日、「Eの悲劇」という文字から、私の心はそのように思いを向けさせていただいています。
今、E大陸、反転とエネルギーを向け、さらに、私はE大陸に思いを向けています。
ああ、本当に嬉しいです。この喜びの思いが、はい、再びこの地球上にやってきます。
そう遠くない時間の中で、私はそのことを心でしっかりと感じています。E大陸が沈んだとき以上、いいえ、それを超える、何倍も何十倍もの力がこの地球上に加わり、それが本当に大きな、大きな喜びとなって、人々の心の中に、大きな、大きなこれまでとは比べ物にならない衝撃を与えていくことでしょう。私はそのことをしっかりと感じさせていただきました。
E大陸よ、本当に申し訳ございません。E大陸よ、ありがとう。私は今、E大陸に思いを向けています。
心の中にどんどんどんどんエネルギーが湧き起こってきます。
E大陸に思いを向けてきたときの私の思いを反転とします。このエネルギーはすごいです。
宇宙が動いていきます。私は少し前、Aという言葉を出しました。
Aが目覚めることは喜びです。Aに心を向けていくことは喜びです。心の中をしっかりと見つめ、私は、Aという大きな、大きなエネルギーを宇宙の中で包み込んでまいります。
田池留吉、アルバートのエネルギーの中で必ず、Aのエネルギーをしっかりと受け止めてまいります。E大陸のもっともっと比べ物にならないほどのエネルギーが、この地球に湧き起こってきます。
Aの目覚めは宇宙の目覚めです。ありがとうございます。ありがとうございます。

⑥ F
田池留吉の磁場を思い、F大陸を思います。E大陸と同様にF大陸を沈めるエネルギーの大きさを思います。
そして、田池留吉の磁場を思い、反転とします。そのようにして瞑想を続けます。

F大陸が語ってきます。ああ、人々の心の中にある欲の思いを一身に受け、F大陸は沈んでいきました。人々の心の中の欲の思いを見てくださいと、F大陸はそのメッセージを送り、海の底に沈んでいきました。
今、F大陸を思っています。田池留吉の磁場の中、反転のエネルギーの中、F大陸が語ります。
「お母さんの優しい、優しい温もりの中、F大陸の喜びを感じていただきたい。当時、F大陸とともにその命を捨てた意識達、その肉体を捨てたとき、神を呪い、自分を呪い殺し、すべてを捨て去ったその心をしっかりと自分の中で受け止めていく今です。
F大陸の意識に心を合わせ、そこからどのようなエネルギーを感じていくか。
苦しみを作り出したのは、欲を広げてきた人間の心。F大陸に罪はありません。欲の心がF大陸を沈めました。F大陸はそのことをメッセージとして伝えました。喜びを発信しました。喜びを発信したんです。
ブラックを発信したのではありません。ブラックを発信したのは、人間の欲の心です。ドス黒いどこまでも腐り切った欲の心です。
我と我の一族の安泰、繁栄を願うちっぽけな思い。そのブラックのエネルギーこそ、F大陸を沈めたのです。」
今、F大陸は語ります。田池留吉の磁場の中。反転のエネルギーを受けて、F大陸は語ります。

ああ、このエネルギーを感じます。確かに、確かにありがとうと、F大陸はそのようにして、形を崩していきました。形が崩れていくことが喜びだったんです。喜びのエネルギーを私達に伝えてくれました。形を崩すことによって、喜びのエネルギーを伝えてくれました。

反転のエネルギーを心に広げ、F大陸を思い、そのエネルギーを包んでまいります。
F大陸は喜びだったんです。しかし、そこに湧き起こるブラックの世界、その世界こそ私達の心の中に今もしっかりと眠る世界です。このブラックの世界をしっかりと、これからこの宇宙の中で包んでまいります。

F大陸よ、ありがとう、ありがとう。

何度、何度大きな大陸を沈めたら、私達の心の底からの喜びに出会えるのか。そのような思いで私達は、F大陸もE大陸も沈めました。心の中のエネルギーを感じます。母の温もりの中へ帰ろうと、そのエネルギーをしっかりと呼び起こすために、大きな大陸が沈んでいきました。
ああ、しかし、心の中を見てこなかった人間達の意識、その真っ黒な、真っ黒な闇黒の世界の中でのたうち回り、闇黒の世界に沈み込んできた転生の中に、今、今、ようやく一筋の光が差し込みました。一筋の光が大きく、大きく、太く、太くなっていく。その光が広がっていく。その光が宇宙を照らしていく。その道筋にある二五〇年、三〇〇年であることを心が告げてくれます。

ありがとうございます。次元移行へ心を向け、そして、闇黒の宇宙をしっかりと、しっかりと心に包み込んでいきます。
F大陸よ、ありがとう。F大陸よ、ありがとう。
F大陸からのメッセージを心に受け、私達は今、心の中をしっかりと見つめてまいります。ああ、当時、私達はF大陸とともにこの肉体を捨てた意識の集団です。その集団が今、語ります。
「田池留吉の磁場に心を向けなさい。反転のエネルギーを自分達の心の中に伝えなさい」、そのメッセージをしっかりと受け止めて、私達はこの喜びのエネルギー、温もりのエネルギーとともに、一歩を歩んでまいります。
私達はF大陸と運命をともにした意識です。私達は今語らせていただき、ありがとうございます。お母さん、ありがとうございます。

このように、私達は、A、B、C、Dに代表されるブラックのエネルギーの塊のまま、これまでずっと存在し続けてきました。
また、EやF大陸をたくさんの人達の心は知っているでしょう。
たくさんの人達がそこで生まれて死んでいった歴史を、心の中にしっかりと持っていることも事実です。
ただし、これらのことは今のあなたの記憶を辿っていっても、到底分かることではありません。今現在のあなただけがあなたであるというところから自分の心を動かせないならば、分かるというか感じるということはとても、とても難しいです。
しかし、もう少し自分の心を緩めていったときに、A、B、C、Dが語る内容はそうだ、その通りだ、これらはみんな自分の心の世界だときっと納得するでしょう。
また、E大陸、F大陸という言葉を聞いたときには、妙に心の中にざわめきが起こってくるのではないでしょうか。
そういうことが、自分の心が知っているということなんです。それをどれだけ信じていくか、いけるかはあなた次第です。
ただし、何度も言うように、これらの内容については、肉、形を自分だとするところからは絶対に受け入れられないし、信じられないのが現実です。それは確かにそうなんですが、本書に出会った人は、何としてもその現実を自分の中で打破していただきたいというのが私の思いです。なぜならば、AもBも、そして、CもDも、私達とは決して無縁な世界ではないからです。
私は、私達が、これからの転生の中で受けていく出来事を通して、心を見て、自分の流してきた思いの間違いに気付いていくことが、ただただ待たれていることを感じています。これからの二五〇年、三〇〇年、磁場のエネルギーの中で、自分を反転させていく喜びをともに味わっていきましょう。私は、このような思いから、A、B、C、D、E、Fの意識の世界について、語らせていただいた次第です。決して他人事ではなく、ご自分の意識の世界だと本当に心から知っていただきたい、私はそのように思っています。


7 ともに帰りましょう

今、あなたの心を「意識の流れ」に向けてみてください。
あなたの心に響いてくるものがありますか。
「意識の流れ」からのメッセージは、絶えず、どなたの心の中にも届いています。
「ともに帰りましょう」「次元を超えていきましょう」
意識の流れは、これからさらにその速度を上げて、力強くメッセージを伝え続けていきます。従って、形の世界は大きく崩れていきます。私達人間が求めてきた喜びと幸せが全く間違っていたことを、私達に繰り返し、しっかりとはっきりと示されていくこれからの時間です。
どうぞ、「ともに帰りましょう」「次元を超えていきましょう」という意識の流れからのメッセージを、心から受けていけるあなたであってください。

ところで、私は、本書執筆当初は、セミナーの経緯に触れることは念頭にありませんでしたが、その後、私の中で意識の流れを大きく感じる出来事がありましたので、まず、セミナーの経緯について、簡単に語らせていただき、続いて意識の流れを大きく感じた出来事を語りたいと思います。
「はじめに」の章でも触れましたように、私達は、田池留吉氏のもとで、二十年余りの年月、目に見えない世界、意識、波動の世界のことを学んできました。田池留吉氏と学んできた学び、そして、セミナーは、言うまでもなく、この意識の流れの中で遂行されてきましたし、今も淡々と、そして、着実に遂行されています。
二十年余りの間、主に日本各地において、二泊三日のスケジュールで二百回を優に超えて開催されてきたセミナーは、その後、UTA会セミナー、そして、「意識の流れ」勉強会という名称で継続されてきました。
そして、二〇〇九年四月以降は、これまでに学んできた人達の同窓会という趣旨でUTA会セミナーが発足されて、今現在に至っています。
ただし、同窓会と言っても近況報告が目的ではありません。
ただ集まってホテルに宿泊して歓談するのではなく、田池留吉氏のもとで真実の世界を学ぶために、学びの仲間が全国各地から、また海外からも集まってきています。
そして、二〇〇九年四月に発足したUTA会セミナーは、二〇一一年九月開催の第八回UTA会セミナーの頃から、本書のテーマである磁場と反転ということを中心に進行していきました。
もちろん、セミナーのテーマは、「意識の転回」ただ一つであり、何ら変わることはありません。その大前提である「意識の転回」を推進していく切り札が、磁場の瞑想と反転の実践というわけなんです。
それは、肉から意識へとそれぞれが意識の転回を推し進めていくについて、まずは身近なところから反転を実践していき、そして、不思議と驚きを体験していきましょうというところから始まったのでした。
そして、その磁場と反転をテーマとしたUTA会セミナーも、二〇一二年七月に大きな節目、変わり目を迎えました。
少なくとも、私自身は、二〇一二年七月の第十二回UTA会セミナーは、大きな意識の流れの節目だと感じていますし、思っています。なぜそうなのかについては、第十二回UTA会セミナーの始まりと終わりの出来事について語らせていただくことで、ご理解いただければ幸いです。

〔 第十二回UTA会セミナーの始まりは、セミナー開催日一週間前の田池留吉氏の緊急入院、手術、そして、退院という一連の出来事でした。そして、それは、第四章のところで触れた我が家の愛犬の急死という出来事で終わったのでした。セミナー開催日三週間前には、磁場と反転のエネルギーの確かさを実証してくれた愛犬が、セミナーが無事終了したのを見届けたかのように、自らの肉体を置いていきました。〕

(セミナーの始まり)
田池留吉氏が緊急入院されて、手術から退院まで僅か四日間という短期間にも驚きますが、もっと驚きの体験がありました。
舞台は、自宅の風呂場でした。
朝の六時半頃とはいえ、夏真っ盛りの七月中旬です。田池留吉氏は、湯船(湯温四十度)に約二時間半の長時間に渡って胸まで浸かったままの状態で発見されたのです。二時間半ですから、時計の針は、午前九時過ぎを指していた計算になります。
発見されたとき、田池留吉氏は呼びかけにも応じない、頬を叩いても反応なし、顔色は土色。意識を失った状態のまま救急車で搬送されたということでした。
ところが、そういう事態にもかかわらす、前に発症された脳梗塞も起こさずに、それどころか、救急車の中で意識を回復されたときは、自分の名前も生年月日もはっきりと告げて、意識が飛んだ空白の時間は何であったのかと思ってしまうほどの回復ぶりだったようです。
あとで聞いた話ですが、これには本当に驚きましたし、不思議でした。実際にそんな長時間、夏真っ盛りの時期にしては高い湯温の中に胸まで浸かった状態では到底いられないです。脱水状態はもとより、もっと大変な事態になっていても決して不思議ではなかったはずです。
それから、搬送先の病院もなかなか決まらずに、しかし、ようやく受け入れが決まったのが、とある市民病院でした。これがまた功を奏したようでした。というのも、その病院と連絡を密にしているのが大学の附属病院だったからです。田池留吉氏は、その病院で即、緊急手術ということになりました。それは約二時間半の手術。聞けば頭に二カ所穴を開けて、片側からは水を、そして、全体のバランスから、もう片方からは血液を抜くという手術。
そんな大変な手術だったのにもかかわらず、その直後に面会した私達は、田池留吉氏の本当に普段と何も変わらない元気な姿を見せてもらい、声を聞かせてもらって、よかった、やれやれと安堵しました。
翌日、病室を訪ねた私達は、もうベッドの上に座っている田池留吉氏に、またびっくりでした。
病室での田池留吉氏の話は、この一連の出来事を一通り語られたあと、間近に迫っているセミナーのことばかりでした。
田池留吉氏によると、どうやらこの一連の出来事は、セミナーの引き継ぎをスムーズにしていくために仕組まれたものだということでした。すべてが予定通りに流れていっていると言うんです。
長く湯船に浸かり意識を失っていても、きちんと発見する人が用意されていて、その人達が適切な手配をしてくれたこと、もうダメかもしれない状態なのに考えられない回復をしたこと、すべてが不思議と驚き、そして、きちんと用意されている意識の世界のことだったと言うんです。
私自身は、田池留吉氏が緊急に頭の手術をされるという一報を受けたとき驚きはしましたが、私の中に田池留吉氏の死は出てきませんでした。しかし、氏が言う、セミナー云々の思いも感じ取れませんでした。それよりも、田池留吉氏の状態如何によっては、セミナーはキャンセルかと考えていました。しかし、氏にはそんな思いは全くなく、セミナーの引き継ぎばかりを話されていました。
私にしてみれば、そんなことを急に言われてもと戸惑う思いのほうが強くて、こんなに元気なんだから、今はこう言っておられても、いざセミナーになれば、いつも通り全部されるだろうと思っていました。
それが、予定よりも早く無事退院されて、セミナーが近づいてくるにつれて、ああ、今度のセミナーは田池留吉氏の言われる方向に行くんだなあと感じてきました。正直に言って、今度ばかりはセミナーが待ち遠しいというよりも、何か落ち着かないというか緊張する思いが出てきていました。
私はそういう心の状態でセミナー当日を迎えたんです。そして、二泊三日のセミナーの間に、拙い未熟な私にとって、貴重な体験をさせていただく運びとなったのです。
私は今回ほど、セミナーをしている田池留吉氏のすごさを感じたことはなかったです。意識の世界、田池留吉の世界まで持ち出さなくても、田池留吉氏はすごいと私は感服しました。
こうして、セミナー前から色々とあった今回のセミナーも無事予定通り終了して、私は家路に着きました。

繰り返しになりますが、第十二回UTA会セミナーは、意識の流れの中の大きな節目でした。
その始まりはこれまでに語ってきた出来事でした。そして、その終わりの出来事は、私には悲しくて辛い出来事でしたが、意識の世界では、もちろん、喜びを私に伝えてくれて、喜びで私を前に一歩進めてくれる出来事でした。
私は、第十二回UTA会セミナーは、田池留吉氏の入院から始まって、我が家の愛犬の急死で終わったと感じています。
それらの現象を通して私に伝えてくれた意識の流れからのメッセージは、これからの私にとって大きなものになっていくと思います。
貴重な意識の流れの一コマを通過しながら、私がなしていくことは、田池留吉の世界へ、一歩また一歩と限りなく近づいていくことに尽きると感じています。
心の針を向ける、合わせる、田池留吉の世界を思う、本当にただひたすらそれだけを喜びでやっていくことに尽きるんです。
田池留吉とは何者か、そして、その田池留吉と出会った私とは何者か、それをもっともっと自分の中で感じ取っていける学びが、今、私の中で始まっている、そう言わせていただきたいと思います。

このように、私自身は意識の流れのうねりを感じています。一連の出来事はその節目を私に感じさせてくれたものでした。
それでは、田池留吉氏はどのように思っているのだろうか。
田池留吉氏が口頭で伝えてくれた言葉があります。しかし、果たして田池留吉の意識の世界は、今回のご自分の現象をどのようにとらえているのか。私は意識を向けてみました。

「肉的には大変な状態になりましたが、その時、私の中には自分の死はありませんでした。私は意識の世界からの指令により、自分のこの肉体をそのような状態に預けたというか、そういうことです。
それによって、生命の危機に陥ることはないことは私の意識は知っていました。私の身体の状態は死んだような、そして、意識が飛ぶ、意識がない空白の時間があったようですが、それらは田池留吉の磁場に通じている意識の世界にとっては、どうということではありませんでした。
田池留吉の肉体を一時そのような状態にまでして、そして、そこから意識の流れに沿った事態が進行していくという、極めて正確な意識の流れの中の出来事だと、私は感じています。すべては田池留吉の磁場からの動きです。」

淡々と語る中に意識の流れを遂行していく凛としたものを感じさせていただきました。内容は私が感じていたものと同じでした。
これが、田池留吉氏が行う田池留吉の磁場と反転の実践だと思いました。意識の流れにその身を全託する、そうすることによって、意識の流れはよりスムーズに、そして、力強く流れていくんだ、まさにその節目に肉というものが大活躍するんだと実感し、肉の果たす役目というものを感じさせていただきました。
そして、そういう意味では、私には、もう一つの出来事がさらにそのことを分かりやすく自分に伝えたような、そんな気がしてなりませんでした。それは、自分の未熟さを感じつつ、まさに、意識の流れには何の狂いもないことを確信させてくれた出来事でした。
その我が家の愛犬が急死するという出来事について、もう少し詳しく語らせていただきたいと思います。
その出来事は意識の流れの一コマとして、私の中を駆け抜けていきました。私は、私の中の暗い思いにガツンと活を入れてくれるような、そんな喜びの波動を感じさせてくれた愛犬(シンちゃん)の急死という出来事から学ばせていただきました。

(セミナーの終わり)
セミナーが終了し、自宅に帰り着き、あとは預かってもらっているシンちゃんの帰りを待っていた私達に、今しがた死んだという知らせが携帯電話に入りました。それから一時間ほどして、シンちゃんはまだ温かくて、目もパッチリと開けて、今にもワンワンと言ってくるような状態で私達の許に帰ってきました。
預けた時は、いつもと同じように元気だったのに、いつもと同じように、また三つ寝たら会えるからねと別れたのに、本当に嘘みたいなお話でした。
まだ温かくて柔らかな身体を、いつも使っていたバスタオルとドライアイスで包んでキャリーバックに入れてから、私は母に瞑想をしようと言いました。それはどんどん私の心に響いてくるものがあったからです。
心が受ける波動は、喜び、喜び、そして、温もりだけでした。ありがとうだけを私達に伝えてくれていました。すごい波動でした。
シンちゃんと呼びかけたら、今にもむくっと起き上がってくるような、そして、元気よくワンワンと吠えるような、そんなリアルな亡骸を前にして、その日は涙が止まりませんでしたが、語ってくれるシンちゃんの意識を心で受け止めていったとき、ああ、肉体という形の果たす役目は終わったんだと感じ、本当にシンちゃんは私達にとっては、意識の流れの重要な一コマを伝えにきてくれた意識なんだと感じました。
私にとって、ただの犬ではなかったことを、改めて痛感させていただきました。私にとってということは、少々おこがましいようですが、意識の流れにとってと言えると私は思っています。
シンちゃんは、シンちゃんという犬の形を持って、意識の流れという次元移行を伝えにきてくれた意識であると私は感じています。まさに、シンちゃんは田池留吉だったんです。
振り返ってみると、シンちゃんが私の目の前に現れた時期(二〇〇〇年一月十五日に私の父が連れてきました。そして、一年後の二〇〇一年一月十五日にその父が亡くなり、それ以降、私の学びは急速に歩みを進めていきました)も、私の目の前からその姿を消していった時期も、本当にきちんと計算され尽くされてある意識の流れの計画なんだと感じずにはいられません。またそれは、時期という点からもそうなんですが、場所という点からも感じることなんです。シンちゃんは、産まれてきた場所(これまでずっと預けてきた場所)で死んでいったのです。こうして、シンちゃんの肉体は、意識の流れの中の節目に現れ、節目に消えていきました。それは、ドンピシャという表現がピッタリ、お見事という感覚なんです。そのように私自身は感じられるんです。
ただ、そのように感じていても、現実には、日々色々な場面でのシンちゃんとの思い出は私の記憶にたくさんあるし、まだまだ私は未熟なので、フッ、フッと暗い思いが過ることは否定しません。それは仕方がないと思っています。しかし、そういうことで私自身が落ち込むことはないんです。出てくる思いにありがとうと返していけばいいだけだということを、私の心は知っているからです。
実際にシンちゃんと思えば、私の心の中には、そんな暗い部分はありません。田池留吉の磁場、そして、喜び、母の温もりとして、私の中に生きているシンちゃんの思いです。だから、私の瞑想が、今回のこの現象で、さらに弾みがつくような感覚があります。
シンちゃんとの出会いと別れは、明らかに、次元移行へ向けて着実に歩んでいく私の計画の中の一コマでした。私は、シンちゃんによって、肉の心を癒され、楽しませていただいて、委ねるということもその肉を通して学ばせていただき、人間が作ってきた欲の世界のすごさも、犬という自然から学ばせていただきました。
「私の肉を追わないでください」というメッセージ通り、ありがとうとシンちゃんを思い、私は私の学びの道をしっかりと喜びながら進んでいけばいいんだと感じ、心が軽くなりました。
田池留吉の磁場に心の針を向け合わせて、喜びのエネルギーが、そして、温もりが、自分の中からどんどん湧いて出てくることを感じ、その波動、優しさと喜びの波動が仕事をしていくんだと実感しています。
「シンちゃんは私の中にいる。」
形はないけれど、確かに私の中に存在する喜びと温もりのエネルギーなんだと私の心は感じ取っています。
喜びとありがとう、そして、温もりのエネルギーをどんどん心に広げていくことが、田池留吉の磁場を思い、反転と発信する実践なんだと、私は今回の現象を通して学ばせていただいたことが、本当に嬉しいです。また一つ、私は、身軽になって、この道を行くことができることを喜んでいます。

シンちゃんは、喜びと温もり、ありがとうのエネルギーです。田池留吉の磁場、お母さんと心を向けたときに感じるものと同じです。反転と発信する私の心の中にシンちゃんはエネルギーとして存在しています。
もちろん、シンちゃんに限りません。あなたの家の犬も猫も、そして、人間以外の生きとし生けるものすべては喜びと温もりの波動なんです。人間だけがそれと相容れない波動を流し続けてきました。
それを具体的に私の心に伝えてくれた十二年七カ月のシンちゃんとの触れ合いを経て、私はもう一段も二段も真実の方向に自分の歩みを進めていくんだと感じています。
私は、愛犬の急死で学ばせていただいたことが大きいです。
これまで私自身、私の勉強として身近な人の死を体験してきました。そのうちの二度は、私の学びにとって、非常に大きなポイントとなりました。
そして、今回の愛犬の死は、肉と意識についての関係を、私の中で具体的なものとして、何か、ああ、分かる、分かると実感できるようなそんなことを感じさせてくれたものでした。
肉の別れの悲しさ、辛さ、寂しさは、もちろん私の中に上がってきましたが、それよりも、意識として、意識の世界の力強い喜びというかそういうものが、私の中に大きく広がっていくのが分かりました。それは、私自身がこの学びを進めていく上で、私を前に一歩押し出してくれたように思います。
もちろん、犬は自然で自分が肉だという思いがないから、彼らには死の世界がありません。別れが辛いと悲しむのは人間だけです。
生きていても死んでいても、つまり、肉体という形があってもなくても、私の中で喜びと温もりを伝えてくれている、そんな意識の世界を学ばせていただいたことがすごいと思います。
今回のこの出来事が、いずれやってくる田池留吉の肉との別れにも大いに活きてくると私は感じました。私は私の勉強を進めていきます。ありがとう、嬉しいと進めていきます。
肉、形を本物として生き続けてきた人間が、いかに愚かで無知で欲いっぱいだったのか、私はさらに自分の心の中のエネルギーを日々感じながら、ともに次元移行へという大きな意識の流れを強く、深く感じてまいります。
間違い続けてきた自分の歩みを、今世の時を境にして、こうして修正させてもらう喜びのチャンスをいただいたことに、感謝しかありません。
ありがとうと心から発信できる今を堪能していきたいと思います。
こうして、私は二〇一二年(平成二十四年)七月に私の周りで起こった出来事を振り返りながら、一九九三年(平成五年)四月の熱海セミナーから参加させていただいた学びの時間、二十年の年月の重みを、今、心に感じています。
二十年前には、全く雲をつかむような私の中でしたが、今の私の中には、確固たる学びの道筋、つまり、次元移行を告げてくれている意識の流れがはっきりと感じられます。
ところで、田池留吉氏がすでに自らのホームページで明らかにされているように、ご自身は二〇一四年(平成二十六年)十二月までは、セミナーに出席されますが、その後、セミナーの表舞台には立たないということですから、本当に私達にとって、それからが大きな分岐点となっていくでしょう。
私は、すでに、私達は、田池留吉氏が伝えてくれた学びを、どのように自分達の中で大切に育んでいくかということを、それぞれがきちんと自分の中で確認していく時期に来ていることを感じています。
私自身は、今世このように母に産んでいただいて、学びに触れさせていただいて、さらに今は磁場の瞑想と反転の実践を通して学ばせていただいていることを、本当に喜んでいます。
田池留吉氏から手取り足取り教えていただいたことを、しっかりと自分のものとして、これからの時間をさらなる喜びの時間としていけるように、私は私の心を見て、自分の決めてきた道筋を淡々と歩いていく所存です。
ともに同じ方向を向き、ともに学んでいける前向きな仲間達がいれば、私は幸いだと思っています。
二〇一五年(平成二十七年)一月以降、どのような形で継承していくか、まだまだ計画の段階です。
ただ、今、私の中でふっと浮上してきた思いがあります。それは、学びの友達とともに学ぶ時期が来たときには、一九九三年(平成五年)四月、新幹線の車窓からくっきりとした富士の山を眺めて臨んだ熱海の地からスタートしたいという思いです。
それが現実のものとなるかどうかは未定です。それよりも、これから約二年の時間を経過していく中で、私は私の歩みを進めながら、さらにしっかりと自己確立を遂行していくことに、全力を傾けていきます。

「ともに帰りましょう」、優しくて力強い意識の流れからの誘いを、素直に、どこまでも素直に、そして、喜んで受け取っていける私達になっていくことが、待ち望まれていることを感じます。
心に培ってきた欲にまみれたブラックのエネルギーを、どんどん自分の中から解き放していくことが、喜びの道に繋がっていくことを知ってください。磁場の瞑想と反転の実践を通して、あなたの心で知ってください。
意識の流れは、どの人の心の中にも届きます。これから二五〇年、三〇〇年かけて、真っ直ぐに伝え続けてくれます。
「ともに帰りましょう。ともに、ともに帰りましょう。」
帰るところは一つです。本当の自分の中に帰りましょう。
喜びと温もり溢れる世界が、私達の本当の世界です。


8 おわりに

生きていれば色々なことがあります。そして、色々と身の回りに起きる出来事を通して、あなたの心に上がってくる思いが必ずあります。その思いのうち、喜びと温もり以外は全部マイナスの思いです。つまり、マイナスのエネルギーです。
自分の身の回りに何が起こったかということに終始するのではなくて、その出来事によって自分の中から発信されるマイナスの思い(エネルギー)を確認して、それをいかにプラスの思い(エネルギー)に転じていくか、転じていけるか、そういうことをいつも自分の中で実践していっているか、そこにチェックポイントを持って生きていきましょう。
事の顛末に終始するだけの人と、それによって自分というものを感じて見つめていく人とでは、同じような出来事を体験しても、それからの個々の人生は大きく変わっていきます。
生きていれば、確かに色々なことがあります。飛び上がりたい、小躍りしたいほどの嬉しいことも、幸せなこともあります。
そして、悲しいことも辛いことも、力を落とすこともあります。
嬉しい時や幸せな時は、そのままその喜びを喜んで受けていくことは容易いことです。けれども、悲しいことや辛いこと、力を落とすような出来事に出会っていったとき、その状況、その事態を本当にありがとうと喜びで受けていくことはどうでしょうか。
それはなかなか難しいものです。嘆き悲しむことはできます。落ち込んでいくこともできます。そして、そこから自分を立ち直らせる、自分の心を立ち直らせるよりも、悲しみの中に漂い、現実から目を逸らして、力を落として惰性で生きていくほうが生き易いかもしれません。
しかし、本当のあなたが待ち望んでいるのは、そういうことではないことを知ってください。
本当のあなたは、その状況から、今のその事態から、「自分の中を見てください。自分の中を知ってください。感じてください」と、ただそれだけのメッセージを送っています。
「どんな状況であっても、どんな事態であっても、ありがとうと受けていけるあなたなんですよ」と限りなく優しく、そして、力強く伝えてくれている本当のあなたの存在に、それぞれがそれぞれの心で気付いていったとき、あなたの中から、どんどん喜びと温もりが湧いて出てきます。それは言葉にはなりません。どんどん溢れ出てくる思いは、ただただありがとう、ありがとうだけなんです。ここを体験すれば、人は変わります。間違いなく変わります。
確かに、苦境の中であっても、元気をもらった、勇気をもらった、そして、頑張って生きている人の姿に感動して、私も頑張って生きていこうと、物事を前向きに、プラス、プラスと感じ取っていく姿勢は決して悪くはないでしょう。ただし、それには「けれども」が付きます。そこに決して留まるべきではないし、それがベストではないことを知っていただきたいんです。ただ単にそれだけでは、本当の人生を生きているということになり得ないんです。
なぜならば、私達は、永遠に生き続ける意識、エネルギーだからです。今の肉体があるこんな短い時間が私達の人生ではないからです。永遠に続く自分が見える、感じられるということが、本当の人生を生きると言えることだし、そうなってこそ、本当の幸せ、本当の喜びに繋がっていくんです。
つまり、本当の自分との出会いが現実のものとなっていくことが、本当の人生を生きることなんです。
だから、最後に、再度、言わせてもらいます。
永遠に続く自分が見える、感じられるには、意識の転回しかありません。
元気をもらった、勇気をもらった、私も頑張って生きていこう、確かにそう言って人は前を向いて歩いていこうとします。
しかし、その元気も勇気も励みも、実は決して不動のものにはなり得ないんです。それだけは、どうぞ、知っておいてください。
時間の経過とともに状況は変化していきます。状況の変化とともにあなたの心も変化します。最初にあなたが心に感じた感動や共鳴は、果たして、その時々の状況にスムーズに対応していくでしょうか。私はそれは難しいと思っています。
確かに、肉、形を本物とした基盤の上での元気や勇気や励ましは、基盤を同じくする人達には大変ありがたいものでしょう。本当に元気づけられて、勇気づけられて、大きな励み、心の支えになっていくと思います。しかし、それらは、私は一過性のものだと思うんです。私には、そのような元気や勇気などが、人間の心の奥底の底まで届くパワーを発揮するとは思えません。
人間の意識の世界の奥底に眠る闇は深淵です。肉、形を本物とした基盤からは、その深淵な闇の世界を解き放つパワーは発揮できません。
自分の中の深淵な闇の世界は依然としてそのままなのだから、遅かれ早かれ、その闇の世界は、また違った形で噴き出してきます。
しかも、その噴き出しは、回を重ねるごとにすごいエネルギーを蓄えてきます。あなたが本当のことに気付くまでそれは続いていくでしょう。当然に、当時もらったと思った元気も勇気も励みも吹っ飛んでいきます。あるいは、心の支えとなっていたものが揺らいできます。そんなしぼみ吹っ飛んでいく元気や勇気や励み、そして、揺らいでくる心の支えとは、一体何なのでしょうかということを、考えてください。
その一方で、状況が変わっても、時を経ても、決して変わらない、風化しない人間の心があります。それは、形の世界に左右されない基盤の上に確立した心です。
自分達は意識であるという確固たる基盤の上では、刻々と変わる周りの状況があっても、そして、どれだけの時間を経ても、決して揺らがない自分の心を感じることができます。
その決して揺らがない自分の心の奥底から、本当の元気、本当の勇気が湧いて出てくるのです。心の支えとは、決して揺らがない本当の自分への信です。
本当の自分との出会い、これを現実のものとするために、どうぞ、色々な出来事から学び、出会っていく人から学んでください。
私達の心の中にある真実の世界は、喜びと温もりだけです。
田池留吉の磁場、そして、反転と心から思えるまで、自分の中を反転とする実践、また実践の日々を送ってください。
自分がこの世に生を受けたのは、本当の自分との出会いを実現するためでした。
一人でも多くの方が、この目的を達成されて、私達とともに次の次元へ進んでいかれることを切に望んでいます。
形のないものを信じていくのは難しいかもしれません。いいえ、難しいでしょう。しかし、これまでに書いてきましたように、意識の流れという流れは厳然としてあります。そして、それは次元移行を私達に伝えています。次元移行は、粛々として遂行されています。
どうぞ、あなたも、そして、あなたも本書に触れたことをきっかけにして、田池留吉の磁場という形のない世界を思い、瞑想を実践していってください。反転を実践していってください。あなたの心で思うということを実践していってください。そして、あなたが思い、あなたの心に響いてきたものを確認していってください。
それによって、あなたの心に暗い思い、嫌な思いを感じ、そこから逃げ出したい、目を逸らしたいという思いが出てきたら、即座にその思いに向けて反転と発してください。
どうぞ、自分の心から逃げ出さず、目を逸らさずに、しっかりと心で受け止め、確認していきましょう。
あなた一人だけではありません。自分を見捨ててきた私達人間は、自分の中に例えようもない深淵な闇を抱えています。それは万国共通です。老いも若きも男も女も、そして、国籍を問わず、生まれ育ちがどうであれ、また財産の有無、頭脳明晰であろうとなかろうと、頑強な身体であろうとなかろうと、そんなものは一切関係がありません。
人間の価値は、自分の本当の姿が何であるのかを心で知っているか否かで決まってきます。そして、本当の自分を心で知っていったならば、これも誰一人例外なく、私達は一つ、喜びと温もりの中で一つであることを知っていきます。
そのように意識の転回が進んでいった人間達の中では、争い事など起こりようもありません。戦争、紛争など絶対に起こりません。聖戦を大義名分として人殺しなどできるはずがないのです。
今の世の中、狂っています。気象も狂い、人間の心も狂っている現象が、これからの時間の中でますます顕著になってきます。
しかし、それは、決してマイナスの現象ではなくて、そこから何にどのように気付いていくのかということを通して、私達人間に本当の目覚めを促していくプラスの現象なんです。
次元移行という意識の流れは、タイムリミットとして二五〇年から三〇〇年と伝えてきます。
もちろん、田池留吉氏も私も二五〇年後にアメリカの地に転生してきます。それは、次元移行の計画を最終的に遂行していくためです。
私達は肉体という形を持って、同じく形を持っている意識達に向けて、そしてまた、形を持たない意識達に向けて、最終的なメッセージを送っていきます。
今世、私は田池留吉氏のもとで、この次元移行という意識の流れについて、心で学んでまいりました。そして、日々、磁場に向けて瞑想をする毎日です。
あなたはなぜ生まれてきたのか、どうして今そこにあなたがいるのか、あなたがその肉体を外したあとの世界はどんな世界なのか、あなたは生きても死んでもそこにそのまま存在していることを知っているか、そして、それがどんな状態なのか知っているか、等々こんな問いかけを、どうぞ、あなたがあなたに向けてしてみてください。
磁場と反転です。磁場から流れてくる波動、エネルギーと一体化して、自分の中に反転と発信していく喜び、幸せを心で感じ広げていけるあなたになってください。
今、自分に用意した時間の中で、本当に生きることはどういうことなのかを知ってください。
これから二五〇年に至る激動の時間の中で、人間の転生は繰り返されていきます。生まれてきて、それぞれに厳しい人生が待っていると思いますが、それは自分を本当に目覚めさせる絶好のチャンスなんです。
こうして、本書に触れた方達は、それが嘘か真かご自分の心で感じてくるまで、ぜひ、磁場の瞑想、そして、反転の実践を重ねていただきたいです。
そして、ご自分を次の転生、その次の転生と繋ぎ、私達との出会いを必ず果たしていただきたいと思っています。
あなたの心の中の無数の意識達が、私達との出会いを待っています。
どうぞ、思うことから始めてください。母を思う、ゼロ歳の自分を思う、そして、田池留吉の磁場を思うことを実践してください。
焦らずに弛まずにいつも真摯な思いで自分の心を見つめていってください。
必ず、あなたの心に響いてきます。意識の流れからのメッセージがあなたの心に響いてきます。誰に聞かなくてもいいんです。あなたはあなたに聞いていけばいいんです。あなたはあなたの心を見ることに尽きるんです。あなたはあなたの心を見ていき、自分に問いかけていけば、思うこと、感じること、そして、その感じたものを信じていくことが、どれだけ自分にとって愛溢れる行為なのかがつぶさに感じられます。
そのような状態の中で、あなたの心がいつもどこを向いているか、あなたの心はいつも穏やかか、幸せを感じているかを絶えずチェックすることです。そして、そうでなければ、即座に反転。これだけのことをしっかりと実践していけば、間違いなく幸せを感じます。喜びを感じます。そして、さらに、瞑想をしていこう、自分を次元移行へと進めていこうと、積極的に本当の意味で明るく生きていけることでしょう。
最後になりましたが、私達はそういう仲間達との出会いを心待ちしています。私達の見つめる先にあるのは次元移行だけです。そこへ向かってともに歩いていきましょうと力強く呼びかけ、本書を閉じさせていただきます。