自分を許していこう


 セミナー参加者へ一言03を読んで、私は肉の自分の目先のことにとらわれ、未来の自分を心の中に感じていなかった、現実として受け止めていなかったと思いました。やはり肉の思いがとても強く、毎日自分を肉と思って肉のことに振り回され、自己供養できていない自分を再確認させられました。心を見れば、お金やものに頼り、人も物事も肉の自分の思い通りになるのが一番幸せだと信じてやまない自分の苦しい心が見えてきます。その幸せを得るために必死で頭を回し、肉を動かしている自分が見えてきます。その心の底には、不安と恐怖がしっかりとあります。肉を守って守って、どこまで守っても気が済まないような、自分を肉と信じる限り永遠に続く恐怖心の中に生きている自分を感じました。だから、気づかぬうちに人も物事も思い通りにしよう、思い通りにしようとするエネルギーを使ってしまうのです。恐怖心と支配欲の悪循環の中で苦しみ続けている自分を感じました。
 目を閉じて田池先生の目を見ながらアルバートを思い、来世の自分を思ってみました。アルバートを求めて求めて求めている思いが、強く伝わってきました。私はこんなに大切な思いを忘れていたと思いました。来世アルバートの目と出会うために必死の思いで生まれてくる私の心でした。申し訳なかったと思いました。
 ホームページでいただいた先生の問いかけで、少しでも意識の方に心を向けることができました。ありがとうございました。


 HPの自分を許していこうを読んで、たじろいだというか、躊躇しました。本当に心を見ていけるのかという思いです。
 今まで散々相手の所為にしながら、それなのに自分は心をみている、みんなの思いを許しているのはこの私だという思いをしっかりと持ちながら学んでいると豪語し、自分の心からごめん、ありがとう、嬉しいが出てこないのを感じながらも、自分は学んでいるという思いを放せませんでした。
 自分はこの11年間一生懸命に心を見ようとしているという思いを放せませんでした。その間にもらった時間や家族の思いなど見れる自分ではありませんでした。ほんの少し、みんなにこうして許されているという思いが出てくるや否や、これが人生の目的なんだと、自分を正当化する思いの中で安穏としてきました。
 今、UTA会になって、前よりも少し時間があり、セミナーセミナーと取り付かれたように行っていた自分が狂ってきたと思いました。いくら動機や目的をみなさいといわれても、自分は見ているという思いで、その一つひとつの思いを全然見ずにきました。
 とにかく行くんだ、闇だけど、とにかくそれに気付くためにいかなくては・・・、と誰の思いも私には届きませんでした。子供達の思いも、ましてや夫の思いも、ただ夫の肉を見ては責める思いだけで今まで来ました。
 いつも一番偉いのは自分で、心が変ってきたのもつまるところは「自分のおかげ」だったのです。どこまでも愚かなんてもんじゃあない自分にホトホト呆れるほどの自分です。
 きのう家族に対しての自分の心を見ました。何一つ変ってはいない、HPにでている人の思いがわかってきました。本当にその通りだと思いました。何も出来ないくせに寂しい思いだけをつのらせて、それは自分が偉くて、喜びではなくて、闇の思いで生きている自分までも相手に「何とかしろ!」って怒鳴っていました。
 救いようのない自分だと思いました。何をするにもどうしようかと決断できない自分は欲の塊で、楽していいようにみられたい心のまま、何の修正も出来てはいませんでした。ほんとうにこの学び以前の自分が見えてきました。
 それでも、みんな、もともとある幸せまで壊してきた私を「お母さん」と呼んでくれて、今までと変らずに一緒にいてくれます。夫も私にまだ憎まれ口を聞いてくれます。素直になる事が一番大事でした。
 自分の思いをありのまま、ただ素直に自分が受け取る事だけでした。この学びを特別なものと思ってきました。ただ自分から出ている思いに自分が気付く事が出発点でした。偉いからみれませんでした。何とかとひねくりまわすから分からなくなっていきました。
 素直になる事からはじめます。でも嬉しいです。こんな事思っている自分をこうしてさらけ出していきます。先生、学びの友の皆さん、たくさん偉そうにしてきた人達にもありがとうです。それにこうして肉持ってくれた自分にもありがとうです。


 おのれ偉い私です。人の苦しみをわかろうとしない私です。冷たい私です。氷のように冷たい私です。心を閉ざしつづけてきた私です。感情を殺してきました。喜びを殺してきました。誰かに暖めてもらいたかった。温もりを求めてきました。ひとに温もりを求めてきました。誰でもいい私の魅力(魔力)で温もりを求めてきました。
 結果は、虚しさ、屈辱、失望、失意のどん底、それでも、おのれ偉い私を崩すことなど出来なかった。いつも、おのれ偉い私しかなかった。こんな私が、苦しんでいる私が一番悪いと頭で解っていても、心で解らないと心で心でと、心と言う言葉に縛られてきました。
 真剣にまじめに、それほどやっていないのに、やっていますと、誤魔化し続けて来ました。怖かったのです。少しもわからない私を認めるのが怖かったのです。必死で、心で解ろうとしました。肉の思いを必死で閉ざしてきました。必死で求めてきました。でも何か間違っている。でもそれが何かわからなかった。悔しかった。こんなに一生懸命しているのに、何が違うの。どこが間違っているの。家族を犠牲にしてまでも、この学び一筋の思いで必死でやってきたのに。苦しかった。馬鹿みたいに苦しかった。
 心を見ないで、肉の思いを外そうとしていました。早く楽になりたかったのです。供養しているつもりが、つもりだけでした。感情のまま生きてきました。肉でしていました。全て肉の思いでしていました。間違っていたんだ。この私の全てが間違っていたんだ。
 これから歩んでいく道が、たとえいばらの道でも、アルバートから外れていっても、私は自己責任、自業自得の思いで受け入れていくことが出来る。嬉しいです。自分を責めながら、受け入れていこうとしています。嬉しいです。肉の私が、肉の必死の思いで信じていこうと思ったアルバートの道です。うまく言えませんが、もう泣かないで、感情に振り回されないで、淡々と心見ていく私になっていきます。


 心を見ているつもりが、何も見ていませんでした。
 タイケトメキチといつも真向かいでいる状態ではありませんでした。先生の言葉を本当に真剣には受け止めていなかったと言わざるを得ません。こんな怠惰な自分を認めざるを得ません。
 心を本当に入れ換えて、原点に戻ってもう一度やり直します。
 自分の心を真向かいから見ることから逃げていました。真向かいから見ることを避けていました。
 自分の心を見ることは自分の一番嫌な心を見ていくことでした。一番認めたくない心を認めていくことでした。
 己が一番偉い心を認めたくありませんでした。いつも謙虚に生きているつもりでいました。人の前にしゃしゃり出ることを恥と思って生きてきました。自分は謙虚な謙虚な人間だと思って生きてきました。
 でも、心の中では自分こそ一番人間の本質を見抜いている人間だと自惚れているところがありました。この世の中の出来事を本質から見抜いてやるんだという自負が心のどこかに潜んでいました。
 こんな己偉い心をいつも心の奥に隠したまま人を見下して生きてきました。でも、その心を人に見せないように見せないようにして生きてきました。
 こんな傲慢な心のままに生きてきたとはなかなか認めたくはありませんでした。でも、これを認めねば一歩も前に進めないことが分かりました。
 なんと傲慢な人間だったのでしょう、この自分は。
 それをなかなか認められませんでした。それをはっきりとこれから認めて、この傲慢な醜い自分を何度も何度も確認しながら、この心見ていく道を進んでいきます。


 ホームぺージの、自分を許していこうを読んでいくうちに、胸がどんどんどんどん張り裂けそうなくらいに何かが涙と共に込み上げてきます。私の思いを掲げてくれているようで、私の心を書き綴ってくださっているようで、嬉しくて、それでいて、ここまで私の心は苦しいものを抱え込んでいたのかと教えてもらえると、自分が愛おしくなります。
 どんどん学びが進めば進むほどに苦しみが増していきました。こんなはずではない、私は誰よりも一生懸命に学んでいる、だからもっともっと分かってきても良いはずなのに。みんながどんどん進んでいくようで、やればやるほどに自分が惨めになっていきました。それはコペルニクス的転回とはほど遠く、田池留吉の肉を見て、人を見て、責め裁いて、少しでも前に出ていると見えたものは容赦なく引きずり降ろしてやりたいと思う思いが出てきました。
 私は田池先生に出会ってからずっと病気続きでした。常にどこかが悪く入退院の連続だったような気がします。長い間ただここに参加しているだけで心を見ることをせずに、この苦しいのは田池留吉のせいだと、ずっと田池留吉を殺してやりたい思いだけが膨らんでいきました。ある時、私は肉の田池留吉なんかに出会いたくなかったと現象の場で思いっきり出させていただきました。始めてこの思いは田池留吉を心から離した苦しみなんだと気付きました。その場にのたうち回る苦しみは並大抵のものではありませんでした。だけどその後はどんどん心が優しくなっていくのを感じました。私は本当の優しさに出会うために苦しみがあったのではないのかと思えるほどでした。
 自分に優しくなりたいです、心から本当の喜びを感じて歩きたいです。田池留吉と今世こうして出会ったのです、決して偶然ではありません。全部私が私に書いたシナリオです、そして避けては通れない道順です。だからこれから謙虚な心に変わって心を見ていきたいと思っています。ありがとうございました。


 小さなことに捕らわれてきました。この自分の肉が大切だからです。怒りに満ちた世界で生きて来ました。それが私の世界だと思っていました。私の世界は狂っています。苦しいバラバラの世界です。肉を本物として生きてきた 私が一杯います。田池を殺すと凄んでいる私が一杯います。田池留吉に向かって その思いは飛び出します。田池留吉だけどアルバートすごい勢いで飛び出すとき やっぱり 母親をこの心から捨てた悲しみと 自分自分へのどうしようもない怒りで外へ外へ求めていた間違いに気付きます。受けてくれる アルバートは優しい 暖かい 田池留吉の目をめがけて飛んでいく私を受け入れてくれる思いは優しい 私が自分の間違いを認めたとき その優しさは響いてきます。アルバート 優しい思いが 暖かい思いが心に響いてくる。みんながその思いを感じてる。一瞬にして 凄まじい荒れ狂った私はなりを潜めて苦しかったと泣き出す。母を捨てたから。母を殺してきたから。私が私を分って上げられなくて 切り捨ててきて 逃げてきて けれど 私は今 田池留吉の肉に出会えた事が嬉しい。伝えてもらった 全てが 本当だと思う。ずっとずっと信じてもらってきた。そして 未来 私は アルバートの肉に出会う時 嬉しくて 嬉しくて 田池留吉を思い出すと思う。何故かそう思う。私は私に優しくなりたい。誰よりも私に優しくなりたい。誰よりも分ってあげたい。認めていきたい。アルバートをいつも心から離さない事 それが 私が私に優しくなれる唯一の方法だと思います。


 今まではマイナスはマイナスでしかなかったけれど マイナスをプラスに読みました。泣けて泣けて仕方なかった。そこまで読んだらもう胸が一杯になった。許されてる 許されてる自分を感じます。田池留吉に今世出会いたくて 自分を許していく道を本当の自分に戻っていく道を指し示してもらって 愛してもらって 受け入れてもらって 私は今世始めて 自分を愛していく事を知りました。私が肉を本物として培ってきた 破壊のエネルギーは必ず 大きなプラスのエネルギーになっていくんだと思いました。アルバートを思う時 許されて 受け入れてもらっている自分を感じます。沢山の自分がそう感じてる。逢いたかった。逢いたかった。って言ってるようです。
 厳しいけれど いつか 必ず 戻っていきたい。この苦しい苦しいエネルギーと共に 私はアルバートへアルバートへ帰っていきたい 本当の自分へ帰っていきたいと強く強く思いました。懐かしいです。アルバートの宇宙 そう思うと懐かしいです。暖かくて 優しくて 何所までも それだけしかない 忘れてました。懐かしい。帰っておいで。両手を広げて待ってくれてる ああ 私は 帰りたかったんだ。ここへ ここへ 真黒な宇宙で生きて来た。
 破壊と殺戮と憎しみの宇宙の中で私は生きて来た。けれど 違いました。そこが私の居場所ではなくて 私の居場所はアルバートの宇宙。そして その真黒な宇宙も また アルバートの宇宙に帰っていける。こんなに汚してしまったのは 私でした。誰も悪くない。私でした。私が苦しみを作り出し 私が・・・。ごめんなさい。ごめんなさい。ああ 私はずっとずっと愛されていた。ずっとずっとこの暖かさの中で生きて来た。それを私が捨てた。今 帰っていきたい。沢山の自分と共に帰っていきたい。アルバートへアルバートへ心がいきます。田池留吉 ありがとう。田池留吉とアルバートが重なります。


 ホームページを読んでいるとき使った思い
 ホームページは波動を感じていくものとわかっているつもりでした。ホームページを読んでいるときの心を思い出したら、いつもではないにしても、その内容や文章を読んでいました。どうしてみんなそんなに上手に伝えられるのかと思って見ている私がありました。短く要点をきちんと伝えていることに感心していました。ホームページを読みながら、私もこんな心感じているのに・・・。私の心と重なり合うものがたくさんあるのに・・・。伝えたいことが伝えられないもどかしさみたいなものを感じていました。
 それが言葉や文章の上手下手ではなく、波動の違いなんだと気付きました。何を見ても何を聞いても心を動かしマイナスのエネルギーを使ってきました。表面を取り繕って、心の中で競争してきました。これでわかったつもりでいたことが今とても恥ずかしい。己偉い思いで読んでいたから、こんな思いが出てきたと思いました。だから同じようなことを感じたとしても、出ている波動が違えばまったく違うということなのだと思いました。
 心を見ていなかった。そんな心が一つ一つ見えてきました。こんな長い時間かけなければ気付けない反省はありますが、今、ゆったりとした中で自分の心と向き合っている私がうれしいです。気付けたことがうれしくて、うれしくてなりません。アルバートの中でこの私を抱きしめています。今私はひとつでも自分の闇と出会っていきたい。もう、人と比べなくていい。私のペースで歩いていこうと思います。そして、私の心の宇宙を少しでもよろこびにしていきます。田池留吉アルバートの温もりを何度も心で感じられた私があります。温もりが私の中にあることを知ったのです。この温もりの中が一番しあわせでうれしいからです。


 神になりたかった。私は神になりたかった。幸せは神になることだった。なのに田池が邪魔する。田池が憎い。この私の存在を認めない田池が憎い許せん。力、チカラ、力・・・力が欲しい・・・金力、財力、なんでもいい、力が欲しい・・・一番手っ取り早いのは霊力だ。霊力であやつの鼻をあかしてやりたい。認めさせたい。霊力・・・摩訶不思議な力が欲しい得たい。なのにあやつは田池はそれを間違いだと言う。田池は嫌いだ。あやつは信用できん。あやつはこの私を問題にもしておらん。あやつの大事はこのわしじゃない。わしなど何ともおもとらん。このわしを取り立て重宝してくれる奴はおらんのか。もう用なしか。何の役にもたたんのか。このわしの存在を何故もっと認めぬ。何故もっと大切にしない。何故このわしを蔑ろにするのだ。いいように使いやがって!いいように使いまくりやがって!もう知らんぞ。このわしを蔑ろにした見せしめだ。困らせてやろうじゃないか。田池!お前が苦しむ様を見たいわ!苦しめたい。どうすればあやつを苦しめることが出来るのか。田池!お前をどん底に突き落とすことが出来るのか。憎い!このわしを大切に取り立てないあやつが憎い。このわしを認めろ!このわしの存在を認めろ!このわしだ・・・わしはここにおるう・・・あー苦しい・・・田池!私を助けろ!私を救え!私を救えない田池留吉など認めん知らん。信用できん。あー苦しい・・・。田池を殺せ。田池を殺せ殺せ殺せ・・・殺せ!!!!

 肉を信じ力を信じる私に不可能はないと豪語してきた。こんな苦しみなんかどうにでもなることを田池留吉に突きつけたかった。証明したかった。思いが先なんて許せなかった。肉が先と認めさせたかった。形が力が金が先だと譲りたくなかった。田池留吉に素直になりたくなかった。田池留吉を認めたら私は敗北することになるから嫌だった。私に逆らう田池留吉が許せなかった。徹底的に反抗反発してきた。田池留吉に対抗できるいや田池留吉をギャフンと言わせるだけの力がどうしても欲しかった。

 見えない敵に怯えながら戦ってきた。戦って戦ってきた。ここにきてはっきりしてきたように思う。見えなかった敵は田池留吉だったということを。田池留吉を殺すため、田池留吉に止めをさすために産まれてきたことを。あーでも一方でこの思いを出すために修正するために産まれ出てきたことを今感じさせてもらっています。この思いを今世肉持って私の目の前に立って下さっている田池留吉に向かって直接吐き出させて頂いている私・・・これ以上の幸せはありませんでした。あー私は・・・私は・・・言葉がありません。

 私は霊道が欲しかった。欲しくて欲しくてたまらなかった。気も狂わんばかりに欲しかった。霊道を欲する思いで私の中は満杯だった。それしかなかった。他に何もなかった。何もいらなかった。一途な思いだった。なのに私はこの思いを封印した。出てくるな!と威嚇した。この思いがあることじたいが許せなかった。こんなにも欲している思いを何故ここまで隠し通さねばならないのか。それは田池留吉が間違いだと明言するから出せないのだ。出したくても出せないのは田池が言うからだった。でも心の中は必死だった。摩訶不思議な力を得たいとする思いを私は田池留吉の前で飲み込むしか封印するしか仕方なかった。田池留吉が憎かった。私をこんなに苦しめる田池留吉を憎んだ。田池留吉を受け入れることを私は拒み続けた。でも拒めば拒むほど田池留吉を求める思いは大きく大きく膨らんでいった。

 お母さんの温もりなんかいらないと、温もりなんかなくても私は生きていけるということを証明したかった。温もりに突きつけてやりたかった。摩訶不思議な力さえあれば私はさみしくなんかないと恐いものなどないと温もりに分らせてやりたかった。温もりを封じ込めたかった。温もりを知っているたくさんの心に蓋をしたかった。温もりを求めるたくさんの苦しい思いに「うるさい!やかましい!黙れ!」って思いで蓋をしてきた。温もりを求めながらその温もりを拒絶してきた。そう・・・温もりを求める私は肉のこの私。でも温もりを拒絶する私を同じ私だと思っていないようだ。別個というか上から物申す存在を別個って捉えている感じがする。これが他力の神?私が作ったと言う他力の神?他力信仰の反省は何度も何度もやってきた筈・・・なのに何だこの心模様は!田池留吉アルバート・・・どこにもない・・・凍えるような漆黒の暗闇の中で上から物申す私がのさばっているだけ・・・これが今の私の心の風景?ショックだ。

 お母さんの温もりをやさしさをと叫ぶたくさんの私の思いをどうしてここまで残酷に残忍に封じ込めないといけなかったのか。肉を信じているからですよと私が答えてくれる。そんなにこの肉を大切に重大に思っている私なんですかと問いたくなってくるほど私は自分を肉だと信じ込んでいるんだ。

 田池留吉が肉持って伝えてくださる「私は意識」ということカケラも見当たらない。こんな筈じゃないのに。今更ながら改めて肉にどっぷりもどっぷり頭から漬かりながら、「意識」と言う他力の神を作り上げ、意識意識と念仏、経、呪文のように唱えているに過ぎない心模様に気付こうとしている。それをアホなこの肉は分ったと出来たと自惚れ錯角しているに過ぎないのだ。愚か極まりないというしかないこの肉。でもいとしい。かわいい。責める思いは小さい。心癖とは言えよくもまぁここまでやるかって思う。

 意識を神に祭り上げ祈り念じている心を掘り下げ見ていきます。このことに気付けたこと感謝です。ありがとうございました。


 何がどうとかではなく、私の大きな間違いは波動でした。私は全然方向が間違っていました。私の波動は、いつも攻撃的で、鋭くて、己だけの世界でした。
 逆方向に向きながら、私は正しいとしてきました。破壊へ真っさかさまの波動を垂れ流しにしながら、私はできていると思ってきました。柔らかい、温かい、素直な波動とは、逆方向でした。思いも、向ける先も全部が違っていたということがわかりました。
 やっと、自分の心の世界がわかりました。自分で作った世界で自作自演で苦しんでいました。心を外に向けて、誰が、彼がと思っていたから気づけませんでした。
 自分の波動こそが私の今の世界でした。我が、我がの心で、頑張って頑張って勉強しているつもりでも、先生の目はごまかせませんでした。自分をごまかしてきていましたが、先生の指はごまかせませんでした。ちゃんと、ぴたりと私に前で止まって、指さしてくださいました。闇のサンプルの現象に出させていただけて、本当にヨカッタです。
 ずっと気づかす、これでも私はできていると、間違ったまま、自分では進んでいるつもりでセミナーに参加するところでした。落ち込んで、恨んで、もだえ苦しみながら、やっとやっと少しわかりました。自分の苦しみの原因、私の大きな間違いの心。田池先生、ありがとうございました。嬉しいです。


 今一番いやなこと、自分の心をごまかすこと。このごに及んでまだそんなことをしている自分がとても愚かに思えてくる。自分の心をごまかしごまかし取り繕って、良い自分を演じよそおっても笑顔も引きつるだけ。素直にありのまま生きていきたい。汚い心がでたら、それを素直に認め修正していくだけ、頭ではよくわかっていても瞬時に取り繕う心がでて、それで自分の心を見ることから逃げようとする、うまく取り繕えばそれで心を見た気持ちになってしまう、心が広がった気分になってしまう。自分を真正面から見つめない、心の見方もずいぶんごまかしごまかしのくりかえしだったと思う。どれほど人を欺き自分自身を欺きとおしてきたか、これからはごまかしのない人生を歩んでいきたい。アルバートに本当に向き合うために、共に歩んでいくために。


 嘘で固めた人生、自分を偽る人生。今もう一度自分を振り返って見ている。その人から流れる波動、そしてホームページから伺えるその人が感じているアルバートの世界、アルバートの宇宙、自分とは大きな隔たりがあることを感じる。心の中は悔しい、羨ましい、妬ましい、悲しい、さまざまな思いがよぎる。そしてそんな心が切なくて泣いている。そんな思いを押し込めてあの人はすばらしい人だという言葉で自分の醜さから目をそらしてしまう。比較する心がいっぱいあるのに、田池留吉を非難する心がまだまだくすぶっているのにごまかしてしまう。わかっていないのにわかったふり、感じていないのに感じたふり、もうそんな苦しいことはやめていきたい。本当に素直にありのまま、自分の心だけを見つめていきたい。とてもとても間違っていました。ごめんなさい。


 私は肉が自分だと信じてきました。心から肉だけを信じてきました。心がずっと外を向いたままでした。何もかも外を向いたままの自分でした。波動もわかりませんでした。肉で見て肉で感じて、肉を信じてきました。エルのセミナーはそのことを教えてくれました。セミナーに行き始めてから十年が経ちます。私はその間、ずっと肉が自分だと信じ続けてきました。その中で私はできている、わかっている、感じていると思ってきました。でも中身は空っぽでした。エルのセミナーが終わったとき、私は自分の過去世と同じ体験をしました。自分を誇り、肉だと信じる思いは末路は哀れだと。私の過去世すべては、末路は哀れだったと実感しました。どんなにすばらしいと自画自賛しても、また素晴らしいと言われるような存在であったとしても、肉を信じ、肉を基準としていたなら、末路は哀れでした。こんなはずじゃなかったと。最後は恨みとのろいで死んでいったのです。この十年間、私は過去と同じように生きました。私は素晴らしい、私は特別、私はわかっているのだと。
 UTA会になってからその自分がはっきりと感じられるようになりました。そのときは真っ暗でした。愕然としました。すべて間違っていたのだと。一人一人に頭を下げても済まないほどに私は己一番をやり、すべてを見下してきたのだと思いました。何から何まで間違っていた自分だったと。ただその自分に呆然としていました。私はすばらしい、私はわかっている、私を認めよという心の裏側は、田池殺してやる、田池おまえの存在など認めない。お前を殺すために私は今存在している、お前がいる限り私は私の思いを果たせないのだと。すべてを破壊し、戦いのエネルギーが満ち満ちていました。すばらしいと豪語するその裏は、戦いと破壊しかなかったのです。私は表面では田池先生が好きだと思ってきたのに、本心はこれだったのかと、いつも憎しみを抱えて、顔は笑っていたのだと思うと、自分のことが何もわかっていなかったのだと思いました。
 自分を振り返ったとき、私は本当にこの肉を信じてきたと伝わってきます。私は、意識がすばらしければ肉もすばらしい、肉がすばらしければ、意識もすばらしいのだと、そう信じてきたのです。だからこの肉が好きでした。すばらしい肉を持った私はまさにすばらしいのだと。悪臭を放ちながら、私は自分を自慢し続けてきました。私の過去世は栄耀栄華を誇った時代があったのだと思います。しかし必ず最後は苦しみの中、本当に末路は哀れだったと思います。そして今世、同じ体験をしました。ただ一点違うことは、今私は肉を持っていきているということです。
 まだ私は、私は肉を信じてきた、肉が自分だと本当に信じて生きてきたんだと思えた時点です。ただ肉を自分だと信じる心が、本当の自分、アルバートを信じ、お母さんのぬくもりに帰りたいと信じている自分を殺してきた、ふたをしてきたのだと思えます。その自分をひとつ一つ剥がしていったときに、本当の自分の思いとともに、アルバートに素直に心を向けられる自分になっていけるのだと思います。肉を信じる思いが、すべてを妨げてきたのだと実感しています。肉を信じてきた心には何も残らないからです。今までずっと外に心を向けてきました。だから気づきませんでした。私は肉を信じてきた、ずっと外を向いてきたと思ったとき、初めて心が中に向きました。「たった一言、苦しかったね。一緒に帰っていこうね。その一言だけでいいのです。待って待って待っていたのです」そんな切なる思いをぽんと感じたとき、私は冷たかったと、もうそれだけでした。自分の中の意識たちがうれしいうれしいと泣き叫んでいました。そして苦しかった苦しかったと泣き叫んでいました。私は何も見えていなかった。肉肉で、自分さえよければそれでいいと、本当に冷たい人生だったと思いました。肉を信じる心が、過去世たちを封印しました。偽者の自分だけをみていました。
 まだ今は、自分の心癖が日々出る中、どれだけ心の針をアルバートに向けていけるのか、自分の心だけを見ていけるのか心が揺れています。でも私は間違ってきたんだと心で思えたことが、ただそれだけで私はもう自分にうそはつきたくない、本当の自分を信じていける自分になっていきたいと思えるようになりました。何か自分が信じてきたものが、すべてひっくり返らなければならないように思います。何一つ正しいことはなかったのだと思える瞬間があります。人のことを言っている暇はありませんでした。また言えるような私ではありませんでした。どれほど肉の自分を自分だと信じてきたのか、これからその自分と向かい合っていかなければならない、そう思っています。
 今回のセミナーで、自分の中の宇宙、ふるさとに向ける時間がありました。本当にうれしいというか、言葉では言い表せないけれど、こんな私でも、そうだふるさとがある、宇宙か・・・と、私の心の中に宇宙が、ふるさとがあるのかと感じられた現象でした。すこしびっくりしました。
 一回一回のセミナーがすごいと思います。真剣に、そしてまじめにやっていかなければ本当にもったいない気がします。今まで何度も心の転回をするチャンスをいただいてきたと思います。そしてそのたびに、肉を選び、また信じてきたと思います。もう同じ繰り返しをしたくありません。その自分が出てきたとしても、必ず心を見ていく自分になっていこうと思います。自分で自分を信じられるようになっていくこと、それが今の私の課題です。


 宇宙に思いを向けるとなぜこんなに寒いのか、他力と結びついたパワーを求める心が歴然と存在しているからです。ずっとアルバートの宇宙とは正反対のブラックの宇宙に心を向け続けてきたことを改めて感じています。それは3億6千年、それ以前からの思いです。そこの知れない深く深く吸い込まれそうな漆黒の世界。恐怖を感じながら、それに打ち勝つためにそのパワーを求めようとしていたのです。他力の心、パワーを求める心、摩訶不思議な力を求める心、支配しようとする心、それが渦巻いている世界。自分の流してきた波動がいかに冷たい凍るような波動なのか、はっきりと感じ取れます。その宇宙の中で、苦しく絶望的になりながらさまよい続けている過去世達、今の現実をもっと真摯に受け止めて私は私の道を歩いていこう、決して生易しい道ではないけれど、アルバートを信じて私なりに歩いていこう、そう思っています。


 波動が分らなければ本当のところは何も分らないことを田池留吉は伝えて下さいます。波動は心で感じるものなのに、やはり相手の言動や態度といった形で相手の心や思いを推し量ってしまいます。形にとらわれこだわる思いは肉を基盤とする思いの上に立っています。意識、意識と言葉だけをとらえいつもこの心で思い口にしてきました。語るその時の思いは今思えばずいぶん上から物申していたように思います。そんな思いを見ることなく野放しにしたまま意識だけでなく、本当の私、波動、温もり、自業自得などことば集の中の言葉をたくさん語ってきました。これらの言葉を多く語れば語るほど私の心は昂揚し、どんどん偉く高くなり分った出来たにまでなり思いは頂点に立っていました。それはまさしく神になったかのような心境でした。一つ一つの言葉にある人は感激しある人は活力を取り戻せたようだと言いました。田池留吉が語る言葉は一言も聞き漏らすまいとの思いで聞き入りました。波動よりも言葉を重視しました。そこに流れている田池留吉の波動には無頓着だったように思います。言葉を掴みました。言葉を語ることで私は過去からの心癖同様肉表わし誇示出来る自画自賛、自己陶酔の場を確保していたのでした。一つ一つの言葉に人の心を惹きつけ魅了する力を注ぎ込み、それを他力の神々に仕立て全ての頂点に立つべく利用しました。そのエネルギーの実態の確認もしないまま過去からの間違いを今世もこの学びに触れながら間違いと気付かずに延々と続けてきました。

 田池留吉は波動でした。田池留吉は本当の私の波動を伝えてくれていました。田池留吉は本当のあなたはお母さんの温もりですよ、お母さんの温もりはあなたの心の故郷ですよとその肉を通し波動で伝えて下さっていました。
 本当の私は意識波動なのに・・・意識は波動でしか分らないのに・・・この学びに出会い田池先生から本当の私の存在を教わった時、何ともいえないなつかしさを覚え苦しい心が救われたように感じたこと今なつかしく思い起こしています。あの時一瞬私の心は田池留吉の波動を感じていたのだろうと思います。なのに肉を基盤とする心は肉表わせる絶好の形に心奪われ、チャネリングが出来るチャネラーなる存在に魅せられ取りつかれてしまいました。本当の私との出会いよりも肉表わし誇示したい欲望に駆られてしまった私は意識、心、と言いながら言葉を重視し、その意識、心は肉を基盤としていることに気付かないままこの学びをスタートさせたのでした。本当の私との出会いを真剣に思う思いはたちまちのうちに色あせ薄れていきました。やがて他力信仰の心のまま「神になりたい、幸せになりたい」との願望を欲望を目的に置いていることにも気付かないまま、一途な思いでがむしゃらに突き進んできました。波動ということあまりにも軽く粗末におざなりにしてきました。学びに集った目的は一体何だったのか。動機を見るのですよとセミナーの度に促して下さった田池留吉の忠告も私の心には届かなかったのでした。たくさんの言葉を他力の神に仕立て上げこの肉を誇示する手段に使っているなんて思ってもみないことでした。

 あらためてHPを読み返す中「私は本当の自分との出会いを真剣に思った」にふと心がとまり釘付け状態となりました。私はどうなのか。比較とかではなくこの友のようにどれほど真剣に本当の自分との出会いをこの心にしてきたかを問い返してみました。意識が分らず波動ということ粗末にあしらった心が思う本当の私はやはり肉しかありません。そんな心に何も響くものはありません。微動だにしない肉を基盤とする心があるのみです。肉が本物と信じ肉を基盤にする思いがいかに間違いかは頭で十分理解しています。相手の言動や態度で相手の心を思いを知ろうとすることは間違いだと的確ではないということも知っています。でも私は田池留吉よりもチャネラーをこの心に入れてきたことの間違いを間違いと確認することなく認めようとすらしないままELを卒業してしまいました。田池留吉を信じていこうとの思いとは裏腹に平気で道標を踏み倒し田池留吉に反発する心は、苦しみを脹らませ闇を増幅させるだけでした。喜べない心が心を見てこなかった何よりの証です。まだまだ素直に認められない心があります。でも心の片すみでこれでいいのだとありのままを受け入れていこうとする思いが感じられ救われます。何かうれしくなってきます。

 セミナーの場で田池留吉の目を肉眼で見る実践や、先生の指差しから私は自分の中の他力の神々の存在とその間違いに少しですが真剣な何かに気付けたような感じがしています。真剣な何かは今は分りません。でもわくわくしてきます。これからのセミナーが楽しみです。大切な気付きをいただきました。この気付きをこれまでのように肉表わす手段には決して使うまいと硬く心に誓っています。

 田池留吉・・・どれだけ許されて待っていただいていることか・・・私は幸せ者です。幸せの真っ只中で肉信じやりたい放題したい放題させてもらって自業自得の結果で喜んでころこんで苦しみ泣き喚いているたくさんの私にも待ってもらっています。田池留吉の波動の世界でたくさんの私と心おきなく語り合える喜びが心に響いてきます。異語は波動の世界で語っていました。HPは波動を伝えてくれていました。意識の世界は目に見えない形で掴めない波動でしか分らない世界だと教えていただいています。この学びは波動をこの心で感じ取れるようになれる学びでした。なのに私は独り善がりの世界で看板を架け替えただけでした。ここにきてやっと肩の荷が降ろせそうな感じがしています。本当の私に出会える第一歩を今から踏み出します。ありがとうございました。


 第一回UTA会セミナー(琵琶湖グランドホテル)に参加して本当にこの学びは終了したのだと感じました。少々、寂しい思いが心の中に広がっておりましたがこの一瞬一瞬何に気づいてゆかなければならないのかと必死で心の中をみつめていた。
 夫婦揃っての参加者を優先にてこ入れをする田池先生の姿をみつめ夫婦揃わない私には場違いな場所に肉を運んでいるようにも思われ本当に終わったのだなと確信をしておりました。

 過去約15年間のこの学びの物凄さ厳しい中に多大な愛の数々を学ばせていただき田池先生の波動の転回は想像を絶する喜びへの転回でした。それまで苦しみのない世界不安恐怖のない愛の世界を求めて多くの転生を積み重ねようやく今世田池留吉の意識の世界にたどりつきました。
 初めて聞く波動の学びでした。波動は形を現し波動の重苦しさ軽さ明るい暗いのなかで多くの過去世闇が悲鳴をあげうごめいているのを感じました。
 そしてタイケトメキチの意識喜びの中でそれらのすべてが一つになって感じていたのは母の愛の波動どこまでも暖かく安らぎある広い広い心のなかの宇宙でした。そして、それは私の本質真実でございました。やがてそれは心の喜びになり爆発しました。その反動でしょうか魂の正体が鮮明に現れ間違いに心驚かせてはや半年経過しました。そして今回のセミナー参加では数えきれないほどの多くの母の意識が一つになり愛とともに多くの過去世の集合体がいまの自分の存在であったことに改めてびっくりしましたが肉の範囲でした。

 二日目の瞑想のときには大勢の肉それに隠れた多くの意識たちは田池留吉の肉をめざして救いを求める者或いは呪いの波動をむき出し殺しにかかる者苦しいとのた打ち回るもの等々・・まさに地獄の絵図・・
 そんな中で私は声にならない必死な心の叫びを出しておりました。しばらくして、涙が溢れ・・こんな状態が時空を超えたはるか遠くにあったとき本当の神はなんにもしてくれなかったことを思い出していました。

 間のあたりに繰り広げられているように人類は幸せ永遠の安らぎを求めのた打ち回っている地獄のそこからの叫びを我々は聞き涙を流し共に泣き叫んだが神はなんにもしてくれなかった。ながめてなんにもしてくれないのなら我々が神となり人々に永遠の安らぎを与えてゆこうと心励み苦しみの原因心魂を規準に神仏の存在の慈愛を明らかにしてきた・・・そのなかで仏の世界は慈悲の心ですべての人々の魂を救う唯一の道であると如来のパワーを説き顕わし無知で真っ暗な人々の心を魅了し仏の如来界ができあがった。
 運命を解いた愛は神の存在を身近に置き魂の存在を強調して神を語ってきました・・

 見過ごすことができなかった、こうするよりほかになす術がなかった・・・我々はなんにも悪いことをしようとした訳ではないむしろ大変な偉業をなしとげ真実の神の代理をやっていると信じ込み神仏の慈愛を語り伝えてきた・・・のた打ち回る魂を救う手立てはこれしかなかった・・・
 我々が魂といってきたのは肉の思いの残骸であり永遠ではなかったことを知っていた。しかし、帰る術を失った私たちは永遠を願う思いは強く魂を守るために祈り三昧願掛け祈祷三昧に明け暮れている人々に対して魂の永遠幸せを願い癒して正しい道を歩んでいると信じるよりほか方法がありませんでした。
 そして、それは今世、田池留吉の意識にであうまでつづきこの学びに参加させて頂き他力信仰とはいかに自分の真実を折り曲げ本当の自分をないがしろに心闇サタンに売り飛ばしている実態が見えれば見えるほど我々の行為は無知極まりない支配欲のなにおもない。そんな自分が嫌になり闇に隠れおおせるものであれば永遠に隠れていたい思いです。

 やり場のない魂の存在を説き言葉巧みに欲をすて神仏の慈愛に全託するよりほか救いの道はないと言い続けてきた自分の心のなかはと振り返れば己の信じることはいつも正しく他を我が意に従属させようとする支配欲の鬼であった。
 正しいとか間違いの規準はやはり己偉い高い尊しなる傲慢な心のあらわれ、それにあぐらをかいていたなんて・・自分だけは違うと信じていた・・タイケトメキチの意識の世界が心のなかに現れていらい現実を認めようと努力をすればするほどに我々の行為は恐ろしい・・真実をあざむく貪欲闇を繰り広げる結果に終わっていた・・・どんなに懺悔致しごめんなさいと誤っても誤りきれない今日このごろでございます。

 我々は魂の根源は喜び愛の意識だと知っていた。人間だけがその根源に帰る術を見失って苦しみ喘いでいることも知っていた。我々も地獄の底で癒そうとしたが帰る道はみつからなかった・・・

 本当の安らぎ真実を求めてきました・・苦しみも愛でした。苦しみがなければ本当の自分に目覚めようとはしなかった。
 これまでは苦しみのなかに愛があるなんて気づかないで苦しみの原因を他に責任転嫁して恨み呪い破壊のエネルギーをまきちらしどこまでも自分だけは正しいと自惚れ真実の心の叫びを聞くのがこわく魂を信じることで物凄いエネルギーから解放され自由に自分の存在を誇りうる自分だけの世界を築くことができると信じて魂の世界を広げ魂こそ命の源だったと信じ魂の安らぎをもとめたのでございます。まさか、それが自分で作り上げた闇だとは気づきませんでした。何人・・たとえ真実の神でも動かすことのできない魂の世界において自由奔放に色々な心の世界を想像幻想により描き表せる。そこに幸せを求め生命の源に帰ろうと必死でした。

 魂の存在が崩れたとき、あなたの心は本当のあなたに蘇ります。タイケトメキチの意識の世界はあなたの心のなかにあり、こうしてあなたの心の中から真実を解き明かし本来のあなたに帰るよういつもいつも促しております。


 HPを読んで 未来の私に心を向けました。アルバートを求める私がいます。頭では説明できません。けれど 未来は存在しています。どうしようもない苦しみの中でアルバートと出会いたい私がいます。求めて求めてやまない私がいます。
 田池留吉を思い出すと思うのです。アルバートの目を見た瞬間に田池留吉を今を思い出すと思うのです。その時 私は涙涙でどうしようもなくなる。嬉しくて 懐かしくて どうしようもない。先生 ありがとう。
 今世 私の人生はマイナスだらけでした。苦しくて苦しくてもう死んだ方がましだと何回も何回も思いました。でも生きててよかった。私の全てが間違っていたと感じられた事が私にとっては奇跡です。そしてその苦しみもまた今に繋がってると思えばとても愛しい。歴然として 凄まじい思いを抱えているけれど その一方で 田池留吉のお母さんのアルバートの柔らかい優しい大きな思いも響いてきます。故郷のメロディーを沢山の私が聞いてる 心で感じてる。帰っておいで。帰っておいで。両手を広げて待っていてくれてる。扉が大きく開いているような感じがします。ああ そうでした。この肉が私だと思ってから苦しかった。私は苦しみじゃなかった。苦しい私が私じゃなかった。優劣も何もない。ただそこにあるのは愛しいと言う思い。暖かい 優しい 信じる その他には何も存在しない。
 帰ろう。一緒に帰ろう。その扉の向こうで皆が待ってくれる。ありがとう。ありがとう。ありがとう。沢山いろんな苦しいことが一杯あったけど 全部全部 本当の世界へ私が本当の居場所へ帰っていく過程でした。私はこれから歩いていきます。
 この肉が自分だと思って 使いつづけたマイナスの思いに 優しい思いを伝えていきます。母の温もりを田池留吉の暖かさをアルバートの愛を自分に伝えていきます。殺戮と憎しみと破壊しかなかった私が溶けていきます。
 沢山の私が聞き入って 感じているのを感じます。ごめんね。長い間封じ込めてきてごめんなさい。ああ 謝っていこう。認めていこう。ああ 宇宙に残してきた 仲間の苦しみが伝わってきます。一緒に帰って行こう。私達の本当の居場所へ帰って行こう。もう苦しむのは終わりにしよう。ありがとう。ありがとう。優劣なんて初めから存在してなかった。作ったのは私でした。自分を表わしたかったのも私でした。そんな事 する必要はなかった。
 「みんな仲良く」先生が言った言葉。今 泉のように沸き上がってきます。ああ 自分の使った沢山の思い してきた思いが見えてきます。私一人の思いが沢山の人をものを地獄の渦の中に入れてきた。だから 凄まじいマイナスの思いだけど プラスに変わっていきたい。私と関わった人達 本当にごめんなさい。そしてありがとう。憎む思い 肉を私とする思いが強いです。だけどだけど私はこの温もりを信じていきます。そして 肉を私と信じる私にそうやって生きて来た沢山の私に優しくなって 私は私を許していきたいと思います。


 今とても苦しい、なぜどうしてと自分の心に問いかけてみる。私がアルバートと思っていたものは本当のアルバートではない、自分がつくりあげた他力の心の上に立ったアルバートだったということを感じています。わかったつもり、少しはましになったつもり、でもそうではありませんでした。今まで何度も自分の立てた指針が曲がっていることに気づくチャンスはありました。でも私は己偉さから認めようとしなかった。この私が間違っているはずがない、そこから抜け出ることができなかったのです。長い間、チャネラーとして人の上から物申していた私がそんなに簡単に心を変えられるはずがありませんでした。変えたのはポーズだけ心はそびえたっていました。この私が一番、その心を簡単に変えられるはずがありませんでした。今自分の出してきた真っ暗なエネルギーで苦しんでいる、当然のことです。でもこの苦しみから逃れようと、さらに冷たい心を出し続けていたのです。田池留吉はすべてを知った上でただ見守ってくれていたのです。愚かさも、傲慢さもすべて知った上で見守ってくれていたのです。自分自身を許していくその思いは、アルバートを信じ、アルバートの波動を感じていく、その喜びの中からうまれていく、私はその道をたどっていきます。


 自分の心をごまかしたくない、いつわりたくないと思ったその時から、噴水のように自分でもあきれる思いがふきだしてきます。こんな心をどこに押し込んでいたのだろう、認めたくないという思いが一瞬はしります。今さらと自分を消し去ってしまいたいような思いがでます。今まで自分の間違いを認めることは喜びだと語ってきました。でもしぶしぶでしかなかった、心の奥底では本当に間違いだったとは認めていなかったのだと思います。肉の思いや自分に不必要なものをひとつひとつ取り除いていったときにそこに残るのはアルバート、田池留吉しかないことを、心で感じながら、そんなことは絶対に許せない、我こそはという思いで抵抗に抵抗をかさねていた自分であることに気づきます。田池留吉に飛び掛り、顔の皮をひんめくりそれを振り回してやりたいような憎悪の心、私は自分でそれを感じていながら真正面から向き合いたくないとお茶をにごしていた、田池留吉をまっすぐに見ながらつい眼をそらしてしまうその原因を自分の心にいっぱい見出しています。


 友達と異語をしていて、求める思いがこんなにこんなに強いのかと、自分から出てくるそのエネルギーに驚く。そしてそれを押し込めてきたエネルギーにもまた驚く。求めるエネルギーと押し込めるエネルギー。求めるエネルギーが強ければ強いほど、押し込めるエネルギーもまたどんどんと強くなっていって...苦しみの相乗作用。
 心を見ていくにつれ、あきれそして情けなくなっていく。こんなにも、こんなにもかい...と。初めは出てくることに対してだったけど、次第にここまで酷いと思っていなかった今までの自分に対してあきれて、情けなくなってきた。全然酷いじゃん。出会っていくのもシンドイけど、まさかもうこのまま放置して見過ごしていくわけにもいかない。今まで放置して見過ごしてきたことにやっとヤバイと思い始めた。ごめんなさい、申し訳なかったと思います。私が間違っていました。まだまだ上辺だけの口先だけかもしれないけど、正しくないっていうのはわかる。私は正しくなかった。間違ってないなんて言えるもんではなかった。自分の思いに向き合っていませんでした。
 私は自分の思いに対して第三者的な立場をとっていたように思います。客観的に見て、あーだこーだ言っていたよう...。受け止める、受け入れる、ただひたすら自分の思いを見つめる。自己責任としてこの思いを見つめていく。申し訳ありませんでした。ずっとずっと苦しかった。そんな思いが伝わってきます。
 先生のHPにもあったけど、過去世が云々、闇が云々でなく、肉の私の思いが苦しみの原因だったように思いました。先生のHPはすごいです。どんどん意識が流れていくのが感じられます。嬉しいです。比べる思いや卑下する思い焦る思いついでに自分のも載せてほしい、そんなのも出るけどそれ以上にとってもとっても嬉しい思いが感じられます。ありがとうって思います。先生のHPを開くのが毎日楽しみです。


 闇出し現象を通して、瞑想を通して感じられた地獄の世界をこの肉の私がどれだけ把握しているのだろう。
 私の地獄の世界がどんなに闇に翻弄され、凄まじい世界か、15年以上の時間をかけて、他力、嫉妬ねたみ、呪い、破壊と闘争・・・、それはそれはあらゆる思いを感じさせてもらい出させてもらった。そしてこの肉は田池留吉を殺しに来たことも感じさせてもらった。こんな心を使って心に七転八倒の苦しみの世界を作り上げてきたことも知った。それをこの肉の私がどれだけわかっていこうとしてきただろうか。これだけ心の世界を感じさせてもらいながら結局「私は意識」だと信じていなかった。
 ならばこの肉を脱いだとき私はどんな世界に生きるのかを思った。肉というクッションも無い、嘘のつけない意識だけの世界が転回されることを思えば、この後残された時間どんな心で生きていくのかと真剣に自分に問いかけた。人と比べることも、認められたい心も、己偉しの思いも、苦しみとしてしか私の心に残らない事を思えば、私がして行く道が自ずと見えてくる。
 私の中にあるのです。アルバートを感じお母さんの温もりを感じる心の世界がどんなに安らいで心満たされる世界か・・・。確信できる私があるのです。先生がいつも伝えてくれているのは、アルバートを信じ、心で感じた温もりを信じていきなさいと、ただそれだけだったのです。アルバートを思うお母さんを思う。感じたアルバートの波動、この確かなよろこびをこれから心に積み上げて闇の自分をどれだけ包み込んでいけるか、その自分しかないのだと思いました。ごめんありがとうと・・・。田池留吉アルバートの波動を知ることの出来た今というときを大切にして心を見ていきます。うれしい思いが上がってきて、アルバートを真剣に求め始めている私が感じられます。


 大きくて強いものきれいなものに憧れ、力を求め、自分の欲望を満たすためならどんなことでもやってきた。その欲望はどこまでいっても尽きる事がなかった。一番になりたかった。みんなを支配したかった。ますます膨らむ欲心に手を焼きながら、自分に対して恐怖を覚えながらも、心から欲する思いに突き動かされて肉は、振り回されていた。まさに地獄だった。どうすることもできなかった。アルバートを捨てた哀れな自分、狂った自分から流れる波動はどれ程恐ろしいものであったか。どんなに幸せになりたい、幸せにしてあげたい、人と仲良くしたいと思ってもみんなを破壊し地獄のどん底へ、突き落とすことだけしかできなかった。みんな偽者だった。自分の周り、いや宇宙の隅々まで覆ってしまうほどの地獄を作り出し、今も寂しくて冷たくて荒涼とした中で行き場を失って凍えているのが見えてきます。自分の良い所をいつも前面に押し出し、自分のしてきた事をしっかりと認めていくことを避けてきた。その事がさらに苦しみを作ってきた。
 やっと今世この肉を持った私が田池留吉に出会えてその波動を伝えてくれるのを待って待ってくれています。みんなアルバートに帰りたい、もといた場所に帰りたい、と叫びながら泣きじゃくっています。不思議と現実を知っていくほどに心が和んでいきます。段々と自分の住んでいる所がどんな地獄であるかを知るに連れて肉持った私の大きな罪を重ねてきた責任を感じています。誰に頼るのではなく自分の中にある答えを見つけていくという事がこういうことなのかと思っています。真実は心を見つめる中でであえるものだと今世の私は学びました。もう自分の心を信じて意識の流れに委ねていける私になりたいです。


 私は田池先生に反発する気がないと思っていました。でも、私の意識、私を使おうとしている意識(それも私ですが)が反発します。
 「あんな奴は殺せ」と言っているのでした。
 「見抜かれるから殺せ」です。
 「いい人をいくら演じても正体を見抜かれる。いくら隠しても出している波動でばれる。あいつさえ居なければ、今まで通り平穏に気楽に思いのまま生きられるじゃないか。あいつが居るばかりに、思いを隠して生きないとダメ。ばれる。暴かれる。いやだ。いい人でいたい。聖人君子で生きていきたい。何も言われたくない。この己が偉いということ、誰にも負けたくないと言うこと、絶対に知られたくないのに、全部ばれる。それが苦しい。いつも、いつの時代も必死でいい人を演じ、人を助け、自分の身を守って生きてきた。今世もそうしたいのに、させてくれないあいつが憎い。殺してやりたい。
 なんでわしらを暴くのだ。なんで、わしらの思い通りに動かせてくれない。ああ、苦しいじゃないか。
 もういい。もういい。もう、こんな学びはやめろ。いくらやってもおまえの希望通りには行かないぞ。いつも皆に認めて欲しいおまえの希望は叶えられない。あいつにはみんなばれている。確実にばれている。だから、だめなんだ。」

 苦しいです。イヤです。あなたの思い通りに生きたくないのです。私は私で生きていきます。もう、あなたと二人三脚はイヤなんです。やっと気づけました。あなたの存在にやっと気づけました。私は素晴らしい、そう思って、それを心の支えにずっと生きてきました。でも、もうやめます。それを支えにするのはやめていきます。正直に、まっすぐに、愚かな自分のままでいいから素直に生きたいのです。あなたと共に生きてきた人生は苦しいだけでした。高いプライド、己が偉い心、自分自分の心、私は負けないの心、全部いいと思ってやってきたこと苦しいだけでした。私は愚かな一人の人間でいいんです。この学びに出会えたことだけを喜びにしたいのです。肉の充足を求めているのは、間違いでした。肉だけでも生きていけると豪語する私の思いと意識がしっかり同通していました。己が偉い自分と、「あんな奴殺せ」が同じでした。ずっと、こんなことばかりを続けてきた私です。いつも同じでした。気づくだけでも長いことかかりました。でも、気づかずにずっと死んで生きてを繰り返してきたから、気づけただけでも喜んでいきます。田池先生、許し続けてくださって、ありがとうございます。


 今私にとっての大きな課題は、相対評価から絶対評価への意識の転回です。相対評価の世界に足から頭まですっぽりとつかった時代を生きてきました。他のものより優っているということが絶対の評価でした。他より優るために負けないためにどれほどの努力を重ねてきたか、そしてその度ごとにどれほどの思いを使い続けてきたか、決してきれいごとではすまされない、心の宇宙を真っ黒に塗りつぶしてきた、それが事実です。その思いをこの学びにまでもちこんできました。今少しずつ少しずつその思いを見てはいます。でもなかなかです。核という存在や、ホームページなどであの人はすばらしいと評価する思いの中に、もう相対評価が入っています。波動を心で感じた直後にもう比較の心が入ってきます。自分は自分の道を歩むだけと自分に言い聞かせながら、心の中には羨ましい、自分もそんな思いに早く達したい、無理だろうな、どうせ私は・・・・と暗い暗い心へ発展していくのです。相対評価の世界がどれほど自分を落とし込め苦しめてきたか、それから自分を解放して、アルバートと自分という世界を心で本当に感じていきたいと思っています。


 田池黙れ、黙れ、黙れ。私に指図するな。私は私のしたいように、やりたいようにするのだ、お前の指図など受け入れられるか、本当のことだと意識だと、アルバートだと、そんなものわからなくても私は十分幸せだし、わかっているのだ。私はわかっているのだ、お前になど一言も文句は言わせない。お前には先を行かせない。お前を上に上に立たせたくない。われが一番なのじゃ、このわしが常に肉でも意識でも一番なのじゃ、何が意識だ、何が心を見るだ、ふざけるな。この私に説教をたれる気か。偽者だ、それこそ偽者じゃ、わしこそ本物の神なのじゃ。
 われこそ神なり。われの言うことをすべて叶えよ、肉がいい、いいではないか。何もそんなことで反省などする必要はないわ。わしは一番、誰よりも何よりも一番なのじゃ。田池お前の肉が邪魔じゃ、この肉を本物として何が悪い。わしは苦しくなんかないぞ、わしは偉いんだぞ、私はお前など必要とせんのじゃ。母親のぬくもりなど要らないのじゃ、今までも一人だったのじゃ、今更いるものか。絶対にお前のことは許さない、わしが許されるなんて、いい加減にしろ、わしが一番偉いのじゃ、私が一番すばらしいのじゃ、文句を言わせんぞ、お前などくそ食らえ、私は地獄なら地獄でもいいのじゃ、お前にだけは屈したくはないのじゃ、この肉が捨てられない、この肉がすべてなのじゃ、私に反省を促すな、私にかまうな、わしは肉が本物、それだけを信じて生きてきたのじゃ、この三億六千年の間、この思いだけを信じてきたのじゃ、何も苦しいことはないわ。お前に許してもらわなくても十分じゃ・・・
 苦しい苦しい、この心が苦しい、もうお前と関わりたくない、心を見るなんて、絶対に許せない、このわしが一番なのじゃ、誰にも負けたくないのじゃ、負けるわけがないのじゃ、わしが絶対唯一の存在なのじゃ、誰にも文句は言わせない。このわしだけが存在するのじゃ、許せない、もう誰も許せない、一人が何じゃ、苦しいがなんじゃ、田池殺してやる、わしを否定するものは皆殺しじゃ、それがわしのやり方じゃ、それがわしの世界じゃ、地獄じゃ、文句があるか、地獄で文句があるか、言わせん、何も言わせん、このわしが一番じゃ、このわしだけが生きられればそれでいいのじゃ、後はみな死んでしまえ、すべて消えてなくなれ、もう何もかもいやじゃ、わしが選ばれんのなら、わしがすばらしくないのならもう何もイヤじゃ、何もかもイヤじゃ、この肉を捨てられない、どうやって捨てたらいいのかわからない。

 肉を信じている心の裏側はまさにこの心です、怒りしかない世界です、急にこんな思いが出てきます。さっきまでは心を見ていこうと思えたのに、一瞬にしてこの心が出てきます、そういう時は何もしたくないし、肉でもだらだらしています。やっぱりこの肉を捨てられない、どうしても肉が基準、肉を信じてきた自分が顔を出します。幾重にも幾重にも重なっているように感じます。素直になれたときがあったとしたら、あっという間に元の世界に戻ってしまっているのです。その心の中は言い知れない憎しみでいっぱいです。本当に田池留吉を殺しに来たという思いです。すべてを木っ端微塵に破壊したくなるような思いです。こんな心を抱えていたくないのに、私の心はこの思いでいっぱいです。ふと気づくと怒りの中にあります。
 そんな時、いつも私はその自分を否定してきました。こんな私であるはずがないと、私はこんな心ではないと、でも感じるのです。田池留吉を、そしてすべて自分の思い通りにならないのなら破壊してやるという思いが、私の本音のように感じています。その実態を知らないままいるから、いつも気づくと肉の自分に戻ってしまっていたのかもしれません。本当の自分、優しいぬくもりの自分に気づくことも必要だけれど、今私はこの自分の実態から目をそらすことは、もっともっと意識の世界から心が離れていくように思います。苦しいけれど、逃げても逃げても私だから、決して離れていくことはなかったのですね。私は自分の闇から逃げてきました。苦しみから逃げたかった。すばらしいと誇る心の裏は、本当の自分が出てくることをいつも恐怖し、そして怒りの心で伺っていた自分だと思います。
 田池を殺せという私があります。まさに地獄の自分を見たとき、機関銃ですべての人を撃ち殺す、気に入らない人はすべて皆殺しにしてやるというほどの恐ろしい情景が見えた、あの思いそのものです。私は苦しいんだと叫ぶ自分。見たくないと逃げている自分。この繰り返しを私は今までしてきたのだと思います。そして気づかぬうちにその世界にすっぽりとはまり込んでしまっている。今の自分がその状態です。でも今は、その現実を逃げずに見ていくこと、「己が偉い」その一言の中にたくさんの隠れていた自分があります。


 遠い遠い昔からたった一つしかない真実を求め心の宇宙をさ迷ってきました。肉を信じながら、しかし、肉だけで割り切れない払拭しきれない何かを心の奥底でいつも感じていました。その何かが分らないまま、しかし、その何かにずーと後押しされてここまでやってきたって感じがしています。田池先生に始めて出会った時、心の奥深くで感じた言い知れぬ感動や安堵感を思い起こす時、今世物心ついた頃から心の奥底でそこはかとなく感じていたのは、遥か遠い過去から出会いたいと願ってきたお母さんの温もりだったような感じがしています。田池先生にお出会いさせてもらったあの頃に心を戻せば、言葉では言い尽くせない感動と感謝となつかしさが甦ってきます。馬鹿でした。アホでした。田池留吉の波動を本当の私の波動を感じさせてもらっていながら、アホな私は敢えて自ら×の波動をこの心に引き込みました。波動を知りたいと思わなくても私は波動の中を、肉の思いがどうであれ常に流れていることに気付きつつあります。心がたゆまなく何かを感じています。感じているのは波動でした。波動だけが実在しているのでした。田池留吉・・・やっと思い出しました。私は波動でした。幼い頃から心の奥底で感じていたのは私の心の故郷への思いだったように思います。なつかしいあの温もりに故郷に帰りたかったんです。帰りたくて戻りたくて・・・私の故郷は私の帰る所はお母さんの温もり、田池留吉の波動の世界でした。始めて耳にした田池先生の肉声の故郷を溢れる思いと涙で聞き入ったこととても納得しています。

 セミナーの現象の場で今の自分の心の世界を見る実践がありました。神になりたかったたくさんの私が「田池を殺せ!」と一心に祈り念じ唸りうめいていました。あまりの苦しさに声も出せず身動きも出来ずじっとうずくまるしかないのです。それはそれは絞り出すような苦しみの世界です。肉を信じるがゆえに肉に好都合の神々をたくさん作っては安易に心に入れてきた他力信仰の世界は、想像を絶する苦しみの世界であることをこの心は確認することが出来ました。ほんの少し垣間見ただけなのに、ここまで苦しいとは思ってもみませんでした。「田池を殺せ!」は「本当の私を殺せ!」「温もりを殺せ」でした。

 他力信仰は田池留吉を抹殺するため、自分が自分を抹殺するために作った地獄です。他力信仰は田池留吉を忘れ、お母さんの温もりを忘れた思いが作ったこの肉だけに通じる世界です。田池留吉を捨てて、田池留吉に帰りたかった私の心を殺していく世界です。他力信仰は私が私を憎み、侮り、裏切る世界です。その世界をセミナーで垣間見せてもらえ、それを自分の心が波動として感じさせてもらえること本当に奇跡としか言いようがありません。田池留吉をお母さんの温もりを、この心から締め出し殺していく思いがどういうことなのか。少しずつその間違いの恐ろしさを感じています。間違ってきましたと簡単に言えるものではありません。言葉がありません。どれほどの大罪を犯してきたことか。絶対正しいと信じ誇ってきた肉が、どれほどの間違いを苦しみを宇宙に流しているか。今貴重な心の体験をさせていただいています。すべては波動でした。波動で感じる世界が真実の世界でした。田池先生ありがとうございます。うれしいです。私が作った地獄をほんの少し覗いただけでもこんなに凄いのです。その実態はと思っても計り知れません。それこそ想像を絶する世界だと思います。でもどれだけ凄くてもいいんです。

 肉信じる思いが作った他力信仰の世界がどれほどの苦しみで間違いかをこの心で知って感じていきたいです。その世界が凄ければ凄いほど何かうれしくなってくるんです。不思議です。落ち込むどころか間違いが鮮明になってくるのがとてもここちいいんです。私から流れている今の波動を確認することを疎かにしてきました。○の波動か×の波動かとあらためて問わなくても×の波動ばかりです。でも×の波動をじっと見ていくと、その奥に×を責めることなくそっくりあるがままをそっと包んでくれるやさしいあったかい思いに行き着きます。お母さんの思いでした。お母さんの温もりが私をこうしていつも待ってくれているのでした。うれしいです。×があるから○を感じられるってこと本当にその通りでした。

 他力信仰は本当の自分を殺します。お母さんの温もりを遮断し殺しにかかります。田池留吉、アルバートの波動を容赦なく遮断し封じ込めようとします。そして自分が自分の心の指針を狂わせ狂っていきます。恐ろしい他力信仰の世界を作ってしまった罪の深さの認識がこの肉に届くにはまだまだだと思います。でも狂った私を救えるのは田池留吉の波動を感じられる私の心しかありません。田池留吉に向かって泣きじゃくりながら思いっきり悪態をつくたくさんの私に、田池留吉の波動をこの心から伝えていきたいです。肉信じるがゆえにお母さんの温もりを捨去った私が、心の奥底で何より求めていたのは他ならぬお母さんの温もりでした。肉がどんな手段を使って遮断し殺しにかかろうとお母さんの温もりは消えずにずーとそのまま私の中に存在してくれていました。田池留吉の肉に出会えてよかった。他力信仰がなぜ間違いなのかこの心で少しずつでもいいから知って感じていきたいです。間違いだらけの愚かなこの肉を許してゆけるこの道を誰にも頼らず比べず信じて歩いてゆきます。ありがとうございました。


 苦しい自分と出会う度 私はずっと愛されてきて 今も 愛され続けていることを思います。田池留吉の目に向かって飛び掛っていく私を それは お母さんが自分の子供を愛しむように 笑って包み込んでくれます。「このごんたくれは・・」と笑って受け止めてくれてるように感じます。その度に 信じる思いは強くなります。アルバートの存在を田池留吉の存在をそして私が永遠に生き続てきた意識だと言う事を信じられます。そして これからも 私は間違った自分と対面し対話していく中で その信を養っていきたいと思います。田池留吉のアルバートの優しさとぬくもりはこの心に刻まれて消えませんでした。肉に求めた優しさはすぐに消えてしまっても この温もりは消えません。だから信じられます。そしてこの温もりは 間違い続けた私にそれを認めていく事を即してくれます。そして許してくれます。私が必死になって求めた温もりはこの見える世界にはありませんでした。肉にはありませんでした。本当の私をアルバートが田池留吉が信じてくれてました。そして私が私を信じてくれてました。そしてどんな私であっても受け入れてもらっていました。それは肉の世界には存在しませんでした。けれど 肉の世界があるからまた 私は今それに気付かせてもらいました。肉に求めた優しさがいつも裏切られたから その心の歴史があったから 苦しみがあったからアルバートの世界 真実の世界 私が帰る 私の居場所があることを感じました。田池留吉が肉もって肉の世界にきてくれて その時に私も同時に肉を持たせてもらって それを思う時 私の心は喜びで打ち震えます。お母さんありがとう。ありがとう。と言う思いが込み上げてきます。もし 田池留吉の肉に出会っていなければ私は殺人を犯していたか 精神病院に入っていたか 自分を殺していて また 憎しみの上書きをして更に苦しい耐えがたい地獄へ戻っていくところでした。母親を殺していたかもしれません。それを思うとき 本当の自分にありがとう。お母さんにありがとう。そんな思いが広がります。歴然として私の心は真黒です。地獄です。けれど 小さいけれどアルバートを田池留吉の温もりを信じられる 自分の心の中に温もりがあった喜びがあります。その思いを信じて 自分と対面していこうと思います。

 沢山の自分に宇宙で苦しんでいる友にこの温もりを存在を伝えたい。そして共にアルバートへの道を歩いていきたい。自分が肉でないと言う事をもっともっと心に刻んでいきたい。ありがとう。お母さんありがとう。産んでくれてありがとう。ああ 母の思いが伝わってきます。私を信じて信じてくれてる思いが伝わってきます。本当にあなたを恨んでごめんなさい。苦しませてごめんなさい。ありがとう。私は自分を救っていきます。間違ったアルバートに心を向けているならば それを素直に認め その心をまた見ていきます。そうやって 繰り返し繰り返し アルバートへの信を強く強くしていきたい。
 田池留吉 アルバート 同じです。ああ 来世の私にも伝えたい。アルバートに出会いたくてたまらない私がいます。ありがとう。先生 ありがとう。みんなありがとう。私の心の扉が大きく開かれて皆が待っててくれたように思います。今まで散々自分の肉を誇ってきて 見下してきた私を許して下さい。ありがとう。産まれてこれて 肉持てて 田池留吉と出会えた私は幸せです。幸せに何もいらなかった。お金も地位も何も必要なかった。ありがとう。ありがとう。響いてきます。故郷の思いが響いてきます。


 地獄に生きる私の苦しみは言葉になりません。慟哭 叫びとなります。  ずっと長い間 怒りの世界の中で生きて来ました。外に心を向け続け生きて来ました。今 苦しい私と対面していく度に思う事は こんなにも苦しい思いを自分で封じこめて来た事を詫びるばかりです。けれど 三億六千年 宇宙時代 肉持つ度に怒りと憎悪の思いを積み重ねて苦しみ続けたからこそ 今こうして私は田池留吉と出会い この心に暖かい思いがあることを知りました。私が帰る故郷があることを心で感じました。幸せだと思って死んだ事はたった一度もありませんでした。真実を知らないまま 憎悪を膨らませ 外に心を向けつづけた私に私は心から伝えて行きたいと思います。田池留吉のアルバートのそしてお母さんのこの心で感じた温もりを伝えていきたい。
 間違い続け 苦しみ続けた私に出会うたび 抱き締めたくなります。言葉にも出来ない程 苦しんでる私自身を愛しく思います。どんな私もどんな思いもあの暖かさに触れたら思い出す。自分の帰るべき場所を思い出します。お母さんを捨てた思いを思い出し それが苦しみだったのだと気付いた時 それが大間違いだったのだと気付いた時 初めて 故郷を思い出します。私のしてきたこと 思いは 凄いです。外に救いを求めた結果 沢山の人を不幸のどん底に落とし 何よりも自分を自分で殺していました。お母さんを捨てたから 私は行くべき道が分らなくなってしまいました。この肉が自分だと信じていたから 力を求めました。栄光を求めました。その力で 苦しみがなくなると信じていたからです。その為には 例え誰を犠牲にしても 誰を殺しても 誰を苦しめても構わなかった。けれどそうすればするほど 苦しみは増すばかりでした。心が満たされる事はありませんでした。それが 長い時間生きて来た私です。けれど今世 私は田池留吉と出会いました。お母さんに産んでもらってその肉と出会いました。苦しみの中で生きて来た私が一斉に田池留吉を殺しに掛かりました。肉で幸せになれると信じて この肉が自分だと信じてやってきたことが全て無駄だったと間違いだったと認めたくなかったからでした。認めてしまったら 自分がなくなってしまうと思ったからでした。けれど田池留吉に心を向け その目を見ると その思いも全て許されていて そして優しく なくならないよと認めていこうと語りかけてもらってるような気がします。その思いはただ優しさだけです。暖かい 信じ続けてくれてるその世界が広がっているだけです。その思いに触れるたびに 汚しきって 破壊しまくった 自分の宇宙を元のアルバートの宇宙に戻していきたいと思います。そして 苦しみ続ける自分にアルバートの田池留吉の波動を伝えていきたいと思います。本当に私は冷たい冷たい人間でした。
 こんなに苦しい私が一杯いるのに こんなに凄い地獄を作り出し こんなに真っ黒な宇宙にしてしまったのに 私は外にばかり心を向け続けました。過去世私が歩いた道をひたすら歩いていました。自分に暖かく出来ない人間が人に暖かく出来るはずがありませんでした。人を幸せに出来るはずがありませんでした。人に愛を説ける筈がありませんでした。人を指導できる筈がありませんでした。自分と対面する度に そう思います。苦しい自分を愛していく事が出来ない人間が偉そうに人に説いてきました。自分の心も見えてないのに 人の心が間違ってると言って来ました。私は愚かです。愚劣としかいいようがありません。こんなに苦しんでる自分を愛せなくて 他人を愛せる筈がありませんでした。苦しければ 自分の闇のせいにしました。人のせいにしました。その間中 地獄で苦しみもがいてる私はほったらかしな上に さらに鞭で叩きのめしてました。私が今自分にしてやれる事は 田池留吉にアルバートに心を向けることだけです。お母さんの思いを伝えれる私になる事だけです。私は自分を救いたい。この地獄の私がいてくれたからこそ 私は真実を知りました。アルバートの田池留吉の暖かさを そして 真実の存在を信じられました。自分の心の中に温もりがあることに気付かせてもらいました。私は私に言いたい。ありがとう。自分の心に心を向けて 自分と対話していきます。そしてアルバートへ帰っていきたい。本当に今までごめんなさい。争い 人よりも上にと必死になってきた私を許して下さい。そして その為に 苦しめた沢山の人に心からごめんなさい。私は帰っていきます。道はどんどんきつくなってくるけれど この温もりを信じて歩いていきます。


 どれだけ人を傷つけてきたか、本当に私のしてきたことは、自分さえよければそれでいい、人が苦しもうが何をしようが私の知ったことではない。また、もう私に関係ないのだからと簡単に切り捨ててきた。その人たちを一体どれほどに苦しめたことか、自分がまいた種で人を切り裂いてきた。人の心をいとも簡単に切り裂いてきたのです。それが私という人間でした。私は何を見てきたのか、一体何人の人を、そして意識を傷つけ切り裂いて、それでも自分さえよければそれでいいという心で生きてきたことか。肉を信じるということはここまでも自分勝手で、そして冷たいかということです。私は思い返せば自分の思いでたくさんの人を傷つけてきました。何ともない風にしてきました。どれほどに自分が冷たかったかということです。苦しくて苦しくて、それでも叫び続けてきた意識たちに、私はいつも冷たい視線を投げかけていたのです。自分さえ幸せになれれば、そして思い通りになれればそれでいい。どれほどに冷たい人間だったか。私は怪物でした。人間の姿をした怪物でした。まさに心は冷え切っていました、そして鋭い刃でいつも人を責め続けてきました。それが私の心の現実でした。
 苦しんでいる人を嫌いました。こっちにまで苦しみを持ってくるなと、拒絶しました。苦しんでいるほうが悪いのだと、自分の言動、行動によって傷つけたとしても、苦しんでいる人が悪いのだと即、切り捨てました。完全に自分のことしか考えない心を私は持っていました。私は自分をいい人だと、優しい人間だと思っていたけれど、やさしさがかけらもない人間でした。自分のしてきたことが、そして発してきた言葉、すべてが冷たい冷たいものばかりでした。それでも私はいっそう肉が本当だと、自分を誇ることだけに心を向けていったのです。間違い続けながら生きているということがどれほどのエネルギーを流しているのか、私は自分がしてきたこと、波動の世界をまったく見ないで、本当に外ばかりを見てきました。こんなにも冷たい自分だったのに、自分は悪くないと、もっともっとと利益ばかりを求めてきました。認められること、褒め称えられることだけが幸せのように思ってきました。まさに狂った世界に生きてきました。肉の世界ではそれほど外れたことはしてこなかったつもりが、いいえ、とんでもなかった。私はやりたい放題でした。真っ黒なエネルギーを流し続けていました。勉強に出会いながらも、私は間違った自分をし続けてきました。今ふと自分を振り返ってみると、どれほどに冷たい私だったか、関わってきた人たち、もの、すべてが不幸だったと思います。こんなに冷たい、そして真っ黒なエネルギーをすばらしいと思い流してきた私です。
 何にどう謝ったらいいのかわかりません。でも今までそのことにすら気づかなかったのです。本気で自分の心を見ていくしか、私にできることはありません。そして間違い続けてきた自分の波動を、エネルギーを回収していく、それを一心にしていくしかありません。自分のしてきたことの一つひとつがどれほどのものだったのか、田池死ね、この波動をいつもいつも心に持っていたのです。何をしていても、何を思っていても、私からはこの波動が流れていたのです。何一つ正しかったことはありません。ただ間違い続けてきた、たった二十数年の間に、私は確実に自分の作り上げた心の世界の中に生きていました。どっぷりと漬かってきました。本当にいい湯だと信じ込んできました。ふたを開けると、肥溜めの中そのものです。自分のしてきたこと、何一つごめんねと思えなかった。きっと自分の中の過去世、意識たちにも同じだったのだと思います。肉を信じてきた心が、ここまで冷たく、苦しいと叫んでいることにすら耳を傾けることができずに、自分だけよければいいという世界に堂々と生きていました。
 私の中が、そして周りが私の波動に泣いていました。本当は私自身が一番泣いていました。田池殺してやると、すべてを破壊してやると、その心は私の中に生きています。でも決して私はそのために生まれてきて、今肉を持っているのではない、いやだ、いやだそうじゃないんだ、違うんだ。そんな思いが出てきます。この心を供養するために生まれてきたのだと、そう信じていきたい。そう信じたい。苦しいと叫び、そして呪い、戦い続けている自分のまたその奥に、私の本当の思いが、叫びがあるような気がします。
 本当のことを信じる、伝えてもらったことを信じてみる、それがどれほどの愛なのか、私が本当に幸せになる道を、本当の自分に帰る道を生きていきたいです。今まで平然と生きてきたことが情けないと同時に、悲しみになっています。でもこんなにすごい私だからこそ、今この時間をいただいている。そう思うと私のすることはただ一つ、ひたすらに心を見ていく、そしてまだ今はわからないけれど、きっと必ず心でアルバートを信じられる自分になっていきたい、そう思います。本当に間違った人生でした。もう言葉がありません。
 でも、出てきてくれてありがとう。間違っているということを教えてくれてありがとう。間違ってきたんだと思えることが、なぜかふとうれしいのです。そのために私は肉体を持ったのですね。やっと本当の自分が見えてくる。
 もう自分にうそをつきたくない、そう思ったときから何かが少しずつ変わろうとしています。また変わっていきたいと思っている自分を感じています。


 「自分で感じて、自分で確認して、自分で納得するしかない。」人に頼ってきた。全く反対の人生を送ってきた。酔生夢死と言われたが人任せの無責任な思いで生きてきました。現実の自分を見ることから逃げて逃げおおせると高をくくって来ました。間違っていましたと素直に認められない。何処までもわたしは正しいと認めろと言い放って決して引き下がらない頑固な頑固なわたしです。相手を殺してでも自分を認めさせないと収まらない。認めて欲しいの思いが人を区別差別し見下げ、優越感に劣等感にさいなまれ、嫉妬し、恨み呪いへと......。認めて欲しいとこの心で何事もやってきました。認めて欲しいからやってきました。認めてもらえないと相手殺したいほど憎み呪う。ずっとこの心を使ってきました。これほど認めて欲しいの心がまちがった思いだとはしりませんでした。自分で自分を認めていけばいい。素直になってありのままの自分を認めていけばいい、善い人になるのを辞めよう。まず思いを隠さず引っ込めずだして認めていこう。

 私は真実の道を教えてもらいました。本当の優しさと愛を教えてもらいました。今 自分を振り返る時 田池留吉の肉に出会った事もセミナーに参加出来ることも 何一つ感謝の思い等 一欠けらもなかったと思います。
 全部肉で捉えていました。田池留吉の肉とセミナーは自分を表わす道具でした。真実の教えも 霊道も 自分を表わす道具の一つでした。全部 肉の思いの上になりたった「分った」「感じた」でした。チャネラーにランクをつけて あの人はいいチャネラー あの人は悪いチャネラーとやってきました。
 そして自分がいいチャネラーになるために必死で「反省」をしていました。
 自分でピラミッドを作り 自分がどの位置にいるか 確認していました。そして 先生の肉に認められることが最高でした。先生の側に居る事が最高でした。人に「意識」を出し 人の「意識」を取り 「私あんたより分ってる偉い」その心で 指導し その心を見ずに 優しい振りをして 威圧的に物を言い 切りつけてきました。私はミカエル ラフェル等と守護霊等といって またランクをつけてやってきました。その思いで田池留吉に心を向けて 心が広がったと言って来ました。その時その時の言葉 思いが鮮明に出てきます。苦しい人が側にくれば咳をし 「お前が側に来るから苦しいんじゃ」と思ってきました。私は自分を表わしたかっただけです。自分の栄光を掴みたかっただけです。自分を認めてもらい 奉り上げてもらいたかっただけです。反省や瞑想はその為の道具に過ぎませんでした。でも その心で 私はどれだけの人を傷つけたか分りません。狂ってました。狂いに狂っていました。私の出した「意識」は自分の地獄の自分が語った苦しみでした。
 そして 私の出した 田池留吉の意識とされるものは 全部闇 真っ黒でした。それを競い合い 認めてくれないと怒り 私は何をしてきたのかと思います。狂ってるとしか言いようがありません。本当に申し訳なかったと思います。そんな狂った心で本当の事等感じるはずも 分るはずも ありませんでした。
 私が出してきたものは 自分を表わしたい思いから 出たものです。最低です。私は何をしにセミナーに行っていたのでしょうか。分らなくて当然でした。苦しくて当然でした。私は宗教 他力信仰をしていたに過ぎません。その教祖になりたかっただけです。申し訳ない思いで一杯になります。どれだけ偉そうだったか。どれだけ上から威圧的に物を言ってきたか。どれだけ自分は素晴らしい 特別で選ばれし者だと思ってきたか。
 みんなに土下座して謝りたい。無知とエゴの塊です。その思いがどれだけ自分の心を抹殺してきたか どれだけの人を自分の地獄に引きづり込んだか分りません。その思いは宇宙まで真っ黒にしました。その間 自分の心は見ていませんでした。ほったらかしでした。苦しければ 田池先生と呼びました。挙句の果てには こんな学びに入ったから苦しいんだと どこまでも 苦しみの原因を外に求め その救いを外に求めていました。狂っていたとしか言いようがありません。愚かと言う言葉で片付けられない程 身勝手で冷たい私です。どんな風に謝っていいのか分かりません。本当に本当に申し訳なかった。ごめんなさい。どうか 許して下さい。過去からずっとこの思いを出し続けて生きて来ました。巫女の時も 私は霊道を持たせてもらう度にこの心を膨らませ続けました。そんな為に与えられたのではないのに。そして過去もこの心で人々を苦しめたに違いありません。それを思う時、許して下さいという思いしか出てきません。本当に許して下さい。
 本当にごめんなさい。それでも 田池留吉は許してくれてました。信じて待ち続けてくれてました。その思いを感じる時 もう言葉がありません。心から申しわけないと思います。私が出来る事は この愚かな自分を認め 心を見ていく中でアルバートに心を向け 信じる思いを強くしていく そして 決して離さない事だけです。そして そうしてきた自分を許していくことだと思いました。私から暖かい思いが流れていく事を信じて 私はこの心を見続けます。本当に今までごめんなさい。そして本当にありがとう。
 先生が「チャネラーは地べたから物申せ」と言った意味が今優しく心に響いてきます。


 未来の私がアルバートの目に向かって飛び掛って苦しさを叫んでいます。私はアルバートの肉と出会える そう心に響いてきました。すごい喜びが心を駆け巡りました。出会える 出会える。出会えるんです。嬉しい。ものすごい嬉しさが掛けめぐる。それは 今 私が田池留吉の肉に出会えたことの喜びを噛みしめているそれ以上の喜びの爆発です。来世 私は宇宙時代から培った憎しみ 憎悪 呪い 破壊 我こそはと言うこの全ての思いを そして アルバート 何故この肉を私に与えたのだと言う思いを全部全部あの目に向かって出します。それがどれほどの喜びか 心は打ち震えるばかりです。
 私はやっと今世田池留吉の肉が指し示してくれた真実の道を歩きはじめる事が出来ます。気の遠くなるぐらい長い旅路でした。心の中の苦しかった私が泣いているのを感じます。長かった。長かったと。私は信じます。アルバートと共に歩いていく自分を信じます。田池留吉の肉が伝えてくれた全てを信じられます。お母さんの思いが伝わってきます。故郷のメロディーが響いてきます。私が歩きたかった道。私がいる場所。競争心や己一番等 私とか あなたとか そんな区別も無かった そんな心 宇宙を 地獄に変えてしまった私を田池留吉のアルバートの思い お母さんの思い その思いを信じる自分を信じて 私は自分を愛して包み込んでいきます。破壊し尽くされた宇宙で 呆然として 諦めて それでもまだ怒りつづけてる自分がいます。そして 残してきた仲間の苦しみが伝わってきます。その思いをも包み込んで 私の今感じてる この嬉しい 愛され続けてきたと言うこの思いを伝えていきます。これから 私の道は険しくなるかもしれません。どんどん自分の出したエネルギーの凄さを実感していくことになると思います。凄まじい破壊のエネルギーを出し続けた思いをこの心で実感させてもらう度に愛され続け信じ続けてきてもらえた幸せをもっと深く心に刻んでいけると思います。愚かでエゴ剥き出しで自分勝手で無知で怒りの欲の塊の愚かな自分の肉をその自分を抱き締めて謝って認めて許していきます。信じられます。田池留吉の肉が伝えてくれた全てが今信じられます。その暖かさが広い広い優しさが伝わってきます。今世 私が宇宙時代から培った凄まじいマイナスの思いを自分の心をただひたすらに見つめ 認め 愛し 許し続けながら アルバートと共に歩いている本当の自分を 歩いていける自分を信じていきます。そして来世の私へ繋げていきたい。ありがとう。田池留吉。私を産んでくれてありがとう お母さん。今まで曇って霞んでいて見えなかった事が 今鮮明にはっきりと見えているそんな感じです。五官の目ではなく 心の目で見ているそんな感じがします。そして扉が大きく広がって今私の前に広くて真っ直ぐに伸びた一本道が開かれています。それは 私が本当に歩きたかった道 心を見ていける アルバートと共に歩いていける喜びの道です。来世へ繋いでいく道です。ああ嬉しい。静かな喜びが広がっていきます。何度も何度も間違ったアルバートに心を向けていくかもしれません。でも 本当のアルバートに心を向けて 共に歩いている自分を信じて信じて 何度でも何度でも 間違った自分を認め 愛していきます。どんな凄まじい思いも帰っていきたいと思っている。そしてアルバートの宇宙へ 故郷へ帰っていける。そのことに気付けた事が嬉しい。自分で苦しんできたのだとこの心で感じられた事が嬉しい。全部間違っていたのだと思えた事が嬉しい。愚劣極まりない私であったからこそ 田池留吉の肉に出会え そして 今があるそのことが申し訳ないと思うと同時に嬉しい。そして何よりも私の心の中に私が帰っていける場所 アルバートの宇宙 世界があると気付かせてもらったことが嬉しい。私はずっと幸せだったのだと言う思いが込み上げてきます。私と関わった全ての人にありがとう。ありがとう。本当にありがとう。田池留吉 私は今あなたと出会えた幸せを噛みしめています。


 セミナーとセミナーの間は、以前にもまして凝縮された心を見る機会を与えられている、そんな感じがします。アルバートを思う時間がとても増えている、いつも心のどこかでアルバートを思い感じている、田池留吉を感じている、そのように思います。次から次へと途切れることなく私の宇宙から顔を出す闇、その闇と向き合いながらも、アルバートを思い求める心が日ごとに強くなっていくのを感じます。田池留吉にさまざまな思いを出してきた、受け止めてもらえるのがわかっていて出していた。すべての原因は自分にあったことがやっと認められます。田池留吉に認めてもらいたいという肉の欲望が満たされない時、自分の怠慢を責任転嫁する時、その矛先がすべて田池留吉の肉に向けられました。もっとも愚かなことをしていた自分だったと感じています。今はっきりと田池留吉に負けるものかとがんばっていた力が抜けて、負けました、いえ、勝ち負けの問題ではなく、その温もりの中に心がとかされていくような安堵感を覚えます。やっと田池留吉に真正面から向き合える、愚かな自分を認めて、向き合っていける、心の中にあった大きなしこりが、溶かされていくような感覚を受けます。


 私はお母さんを捨てました。心の中からお母さんを捨てました。肉の世界で、家出をして自分は立派に立身出世をしてみせると思いました。心の中から神を捨てた瞬間でもありました。いや、とおの昔に神を捨て去っていました。
 お母さんのお腹から出た瞬間から、肉を選ぶ道を歩いてきました。あれが欲しい、これが欲しい、と欲を広げてきました。人と比較し、もっと立派にならなければ、と思いました。あの人は大した事はない、この人のようにならなければ、と思って頑張ってきました。頑張れば何でもできる、頑張れば何にでも成れる、と思ってきました。頑張って社会の役に立つことがいいことだと思ってきました。心で思うことよりも実際に行動で表わさなければ意味がないと思ってきました。心の中にもうとっくに神はありませんでした。
 でも物事が自分の思うように行かなくなったとき、藁にも縋る思いで他力の神に祈りました。その神が思うような結果を出してくれなければ、別の神に縋りました。神を祭ることはいいことだと思ってきました。どんどん闇の世界に落ち込んで、本当の神から遠く遠く離れてしまいました。
 すベてすべて間違ってきました。肉ばかりを選んで生きてきました。本当の世界、意識の世界なんか、もうどこを探しても全然見当たらないほど、自分の心の中から忘れ去っていました。
 間違ってきたことを本当の自分に詫びていきます。お母さんに謝っていきます。自分の心の中に本当の世界、意識の世界があることを認める道を歩んでいきます。


 ホームページの「アルバートが流れていく、本当にうれしいです」が心に響いてきました。文章を読みながら、自分にはまだまだわからないことだなあと思いつつ、何かが心から込み上げてきて、やがて涙が溢れてきました。肉の私にはまったくわかりませんでした。心が反応していました、そのまま瞑想して心をそちらに向けると、自分の心がアルバートを呼び、お母さんを呼んでいることだけはわかりました。帰りたいという思いが伝わってきました。
 ホームページの「UTA会に参加しよう」のぺ一ジが心に浮かんできました。やさしいやさしいものが伝わってきて、自分がそのやさしさに包まれている感じがしました。文章の中には、地獄、急斜面、殺してやる、…そんな、暗く厳しい言葉も出てきますが、でも、伝わってくるものは、穏やかで明るいです。うれしいと思いました。
 パソコンを前に目を閉じてこのホームページに心を向けていれば、後は何もいらない、いつまでもこうしていたいと思われる、やさしさ、ぬくもり、安らぎです。毎日この波動に出会っていたと、改めて、うれしくなりました。
 中の目を開いて、先生の目を思うと、本当に心で先生のまなざしを感じているようでした。あたたかいあたたかいものが伝わってきました。うれしかったです。ありがとうございます。肉では何もわかりませんが、この喜びと安らぎを大切にしていきたいと思いました。


 「アルバートが流れていく、本当に嬉しいです。」を読ませてもらっていると、心の奥深くからなんともいえない暖かい思いが込みあがってきます。やがてそれが温かい涙となって頬を伝います。何と幸せな時間、空間にいる自分がありアルバートが私の心に流れてきたという感じでした。共有している私は意識なんだなあ、これを信じていきたいなあ、しっかり温めてまた地獄の自分と出会っていきたいなあ、ありがとう、ありがとうって嬉しい思いが溢れてきました。一人の喜びはみんなの喜びでもあるのだと思いました。


 田池先生を思えばうれしいです。瞑想して、先生の目を思いアルバートを思うと、セミナーで感じた喜びぬくもりが心によみがえってくるようになりました。いつもいつもアルバートの波動に出会えるというような状態ではまだまだありませんが、でも一日のうち30秒でも感じられたら、本当にうれしいです。今までの自分を思ったら、奇跡といっても言い過ぎではないと感じます。
 田池先生の伝えてくださることを素直に実践していったら、こんな自分でも本当にそうなっていくんだなぁと思いました。焦って焦って、うまくいかないと投げ出して、でも一足飛びに喜びを感じたい私でした。何度も何度も、自分の中から、焦らずにたゆまずに一歩一歩といわれ続けました。今本当に少しずつ少しずつでいいんだなぁと思えるようになりました。うまくいかないことがあっても、時間をかけていけばいいんだと思えます。そんな風に心が変わってきたことがうれしいです。
 日々の生活の中では、怒りの心を見せられることも多いです。田池先生とは何の関係もないことで、相手の人に対して怒っているのに、瞑想して心を見ているうちに、最後には「田池死ね」と出てきます。いつもいつもたいがいそうなんです。長い間なぜだかわかりませんでした。でも、今日瞑想をしていて、私の心が最初から「田池死ね」だからだということがだんだんわかってきました。何か行動を起こすときに、気づかないうちに、私は肉だ、肉の力を見せてやる、肉の思い通りにして幸せになってやるという、田池留吉、アルバートに真っ向から対立する思いを基盤にしているから、だから、ちょっと肉の思い通りにいかないことが起こると、その心が吹き出してくるのだと、やっと気づきました。心を見ているつもりで、全然見ていない証拠でした。恥ずかしいです。でもやっと気づけたので、無駄にしないでこれからしっかり心を見ていきたいと思いました。


 私は自分の中にあるぬくもりよりも闇のすさまじさにただたじろぎ、そして心癖の執拗さに自分を投げ出したくなりました。肉の世界に生き続けるのはしんどいなと思いました。今まで感じてきたものをすべて疑いたくなりました。もういいもういい、もうこれでいい、もうどうせこれ以上はどんな努力をしても何も変わらない、わからない。それほど私の闇は私にのしかかり、虚無の世界へ私をひきづりこんでいきました。一瞬の心の隙、肉の田池留吉を拒否した時に、目を開けていても闇、目を閉じても闇、アルバートに心が合わなくなったことを感じました。それはなんともいえない切ない世界でした、寂しくて寂しくてたまらない世界でした。なぜ肉にとらわれるの、なぜその思いを変えられないの、苦しむのは自分だけだよと、自分に語りかけながらも、どうしても肉をつかむ自分の心をもてあましてしまいます。私は田池留吉の肉を追っていただけでした。田池留吉に認められることを唯一の喜びとしていました。間違いだらけでした。だから自分が少しも信じられませんでした。本当の自分に申し訳なかったと感じています。私は自分にこうあるべきと自分に納得させようとしていただけで、心では少しもわかってはいなかった、少しも変わってはいなかったと今思っています。自分の出してきた暗いエネルギーに、他力のエネルギーに足元をすくわれ地獄を這いずりながら絶望的になっても、それでもアルバートへの道を指し示す存在を心の中に感じたことも確かなことです。それを信じてまた原点からやり直していきます。


 ずっと静かに他力の思いを見つめてみました。どうしようもない自分だと思いました。少しはこの肉の私のいいところもある。と思っていました。けれど それさえも打ち砕かれました。そのいいところと自分で思っていたところさえ 私は誇っていたのです。何をするにしても 何を言うにしても私はこの肉を表わしていました。認めてもらいたくて 凄いねって言われたくてやっていた。自分から流れてる波動を感じた。臭い。本当に臭すぎる。重くて黒くて臭い。こんな波動を持って 流し続けた私。見れば見るほど エゴの塊 自分勝手 我が侭気ままの自分がそびえたってる。そんな自分なのに私は優しい私は偉いとやってきた。そんな心で私は「分った」「感じた」と言ってきたのだ。「好きだよ」と言ってきたその裏側は「利用する」思いが詰まっている。全てがこの肉の為に利用するものであった。打ち砕かれた。いい所など何一つない。良い思い等 何一つ使ってない。私が一番嫌いな相手が私の姿。人の嫌なところと言って批判非難してきて 偉そうに指導までしてきたけれど それは全部自分の姿心でした。私はあれほどでないと思ってきた事でさえ 自分の心そのものでした。今まで私が憎んだ人 非難した人責めた人 馬鹿にした人 その全てが私の姿 私の心 そのままが映っていた。何故か分らないけれど涙が出てくる。いつも 必ず敵を ライバルを作った。こいつには絶対に負けたくない。こいつより 先に幸せになってやる。見返してやる。そんな思いをもち続けてきた。けれど そのこいつ あいつは私自身。だから 私は私といつも戦っていた。いつも自分を非難し 嫌い 憎しみ 馬鹿にしていたのだ。このことを分ったと思っていた。けれど 分ってなかった。自分の中に憎しい 責める 戦う 競う相手がいる以上 何も分っていないのだと思った。それに気付いた時 愕然となってしまった。物凄い私だ。どうしようもない私だ。愚劣の極み もう言葉がありません。酷すぎます。全てが自分であったと思った。人の態度 憎しみ続けた事柄 その全てが自分の姿 自分の心 自分の地獄であったと思った時 泣けて泣けてしようがなかった。あれだけ恨んで 見返して 土下座させて謝らせて 後悔させてやると思ってきた人々の姿が私であった。私を見せてくれていた。私の心を鮮明に見せてくれていた。あなたの心です そう言って 私の地獄を見せてくれていた。それなのに私は 見返してやるだの 絶対に負けないだの 私は悪くないだの 土下座させたいだの 言い訳しながら 自分は絶対に間違ってないとそびえたち 復讐心を募らせてきた。どうしようもない自分だと思った。何一つ誇る所などない。何一つ偉そうにできる私ではない。誰をも責めて批判なんてすること ましてや 指導なんて できる私ではない。「肉は愚劣の極みです」先生が言ってた事を 今心で本当でしたと言えます。私は何をしてきたのだろうか。何もしてない。何も見てない。こんな臭い 死臭漂う重くて真黒な波動を流し続けてきたのにそれさえも分らなくなってしまっていた。被害者面しながら 私は悪くないと言い張ってきた。どうしようもない自分。なんと言う愚劣な自分。自分勝手すぎる エゴの塊すぎる 自分さえよければそれでいい それだけしかない。それで苦しいと言って 田池留吉を殺すと言い放ち この学びのせいにしてきたこともあった。私はどんな時も自分が正しくて 被害者なのだ。そうやって 自分の苦しみを外へ外へ向けて癒そうとしてきた。自分を表わしながら 凍える程の寂しさを紛らわそうとしていた。全てが私でした。愚劣と見えた相手の姿全てが私の姿でした。私が責めた人呪った人憎しみ馬鹿にしてきた人達 本当にごめんなさい。申し訳ない 申し訳ない それしか出てこない。私は見せてもらっていた。修正し帰っていくために 心を見やすいように 私の心そのものを映し出してくれていた。もう言葉になりません。どんな風に言っていいか分りません。目に余る程の自分の愚かさに愕然としています。苦しい苦しいと言い続けました。当たり前でした。苦しくて当然でした。余りにも 自分を知らなさ過ぎました。本当に申し訳ありませんでした。それしか言えません。それしか出てきません。相手を責め 呪い 憎しみ 己一番 闘争 間違ってない そうすることで自分を守って庇って癒しているつもりが 本当は全部自分が自分に向けてやっていたことだとは全く分ってなかった。冷たくて自分さえ良ければ良くて 自分を守り 自分を庇い 偉そうにして 指導までして 自分は間違ってないと言い張り 自分の利益にならないと思えば 簡単に人でも動物でも切り捨てられる それを正当化しなんとも思わない平気な顔で自分は偉いとやっている あれが私。私です。私そのものです。本当にごめんなさい。あなた方を責める事なんて一つもなかった。本当はありがとうなのに 何を私はやってきたのか。本当に申し訳なくて申し訳なくてたまらない。こんな波動を流し続け 生き生きしている花でも この波動に触れたら 枯れて死んでしまう そんな波動を流し続けている私。だからこそ だからこそあれほど願って 相当な決心をして 修正していきますと誓ったのに 何もかも忘れ去り しまいには お母さん 田池留吉 アルバートまで捨去り 憎しみ 戦いを挑んできた。私は馬鹿です。大馬鹿です。でも 愛してるよ。って暖かい思いが響いてくるんです。こんな私に どうしようもない私に 愛してるよ。帰っておいでと優しい優しい思いの中に包み込んでくれる。本当にごめんなさい。愛の教材を拒否し続けてきた私を許して下さい。愛を優しさを温もりを間違ってきた私を許して下さい。そして 私と関わりあった人達に 心からごめんなさい。そしてありがとう。それは愛だったのに 私が返す思いは 殺してやる でした。この肉は本当に愚か 愚劣の極みでした。そんな言葉で片付けられないほど酷い私です。本当の自分を思う時 どんな思いで私のこの愚かな思いを見続けていたのだろうと思います。ごめんなさい。本当にごめんなさい。帰ってくる思い 日々使っている思い 見せてくれる思い それを間違ってましたと認めて 優しく包んでいける私でありたい。できるよ。できるよ。響いてくる暖かな 明るい 優しい思い。ああ 本当の私。やっと出会えた。本当の私の思いをこの心で今感じる。響いてくる。信じてるよ。やっていけるよ。アルバートが待ってるよ。田池留吉が信じて続けてくれてるよ。両手を広げてアルバートが待ってくれてるよ。あの胸に飛び込んでいこう。全てを分った上で許してくれてるから信じて飛び込んでいこう。帰っていこう。元いた場所へ。全ての私を拾い上げて 一緒に帰っていこう。そんな優しい思いが響いてきます。優しいです。に今世逢いたかった私。嬉しいです。ありがとう。何も無くても幸せなんだよ。田池留吉アルバートしかいらないんだよ。それだけが全てなんだよ幸せだね。幸せだね。嬉しいな。嬉しいな。アルバートと一緒にいるんだよ。嬉しいね。嬉しいね。幸せだね。そんな思いが響いて響いてきます。どうかどうか 愚かな私を許して下さい。田池留吉アルバート 私の愚かな心を許して下さい。どうしようもない私を許して下さい。間違っていたのは私でした。悪いのは全部私でした。これから私は ありがとうの思いで受け入れていきたい。全てが自分を映し出してくれてる。その思いを忘れないで 私の心を見せてくれてありがとうとそう言っていきたい。そして思いを愚劣な私に伝えます。「肉は愚劣の極みです。あなた方そんないいもんですか」先生が言った通りでした。全くそのとおりでした。自分の肉に少しでもいいところもある。とそう思ってる間は 絶対に反省等できない 心見る事なんて出来ない ましてやアルバートと共に歩む事等出来ない そして 転回なんて程遠い 心からそう思います。


 本当の私たちは意識なのだ。姿かたちのない意識だけが本当の私たちです。肉ではなかった。意識が本当の私たちでした。肉を持ちながらこのように思える私嬉しいです。過去に未来に伝えていこうとしている私、必ず伝えていきますと思える私嬉しいです。肉にしがみついて来た私、自分で苦しみをつくってきた私、全て間違いだったと気付きはじめた私、肉では何もわからない私です。でも意識が心が本当だと思える。嬉しくて嬉しくてたまらないです。
 他力の心で生きてきました。人の心ばかり見てきました。本当の自分さえも誤魔化して生きてきました。何に怯えているのかもわからずに生きてきました。こそこそ、おどおどしながら生きてきました。その裏で己偉い私を現していました。卑怯な私でした。陰でこそこそと悪いことしてきました。ばれる事を恐れながら、誤魔化し続けていました。人を恨み責任転嫁ばかりをしてきました。出してきた思いは全て現象化していました。
 今の私は、生まれ変わったように強くたくましくなってきました。冷静に落ち着いて心を見ていけるようになって来ました。タイケトメキチに委ねていく思い、信じていく思いが強くなってきました。アルバートをかたときもはなさないと強く強く思います。


 パソコンのホームページに向かっていると、たくさんの意識たちが、アルバートめざしてよってくるのを感じます。過去世、縁のある意識たち、すべてが冷たい凍るような世界に存在し、少しでも温もりを伝えて欲しい、アルバートの波動を伝えて欲しいと集まっていることを感じます。私は今まで何も伝えられなかったことを感じています。自己供養もしているつもりだけだったと感じています。アルバートを心から信じ、心を広げていかない限り何も伝わってはいかない、自己満足だけの学びだった、己あらわすだけの学びだった、そう思っています。田池留吉の言葉もきっちり受け止めず、聞き流し、自己流を貫いてきた愚か者です。素直という言葉も心を広げるということもすべて肉の思いで、肉の土台の上でとらえていた自分であったと感じています。心が冷たくて凍えそうで張り裂けそう、そんな自分を本当に確認することができました。何ひとつ誇るものも、自慢するものもありません、今確かに感じるのは自分が出してきた波動の凍るような冷たさと、重さです。そんな自分でも許されていました。大きな愛の中に包まれていました。それだけで十分です。毎日毎日一歩ずつです。


 私はいつも人にどう思われるか、そんなことばかりに心を使ってきました。自分と向き合えなかったのも、常に誰かと何かと競っていたからだと思います。いつも心に誰かを入れ、自分と比較して、馬鹿にされたとか、私のほうが上だとかやってきたのです。その思いがまた自分を苦しめてきたということがわかっていませんでした。いつも心に誰かを入れてきたのです。だから肉の田池留吉に認められることにばかり心を向けてきました。それだけを目標に、すべてを敵にしてきたのだと思います。それが苦しかった。すばらしい自分にならければ、そしてそう認めさせなければと、心の中はいつもいつも競争でした。全く間違った心で学び、進んでいると思ってきました。この心では決して本当のことはわからない、そしてこの学びは進んでいくことはできないのだというとを知りました。
 自分自分、そしてこの肉が自分だと信じている限り、私は何もわからないのです。でもこの自分に全く気づかなかったのです。長い間、ずっと長い間、私はこの自分にすら気付くことがなかったのです。私はこんな自分だったんだなと、今までの自分を振り返ると、すべてこの思いで凝り固まった自分が見えます。どんなときもそうでした。アルバートがわからない、感じられないのが当然でした。ずれていたから、根本がずれていたから、何もわからなくて当然でした。でも今この自分が見えてくるにつれて、だから私は何もわかっていなかったんだということが一つずつわかってきました。この自分を見ずに、すべてをわかろうとしてきた自分が本当に無知で、傲慢だったと思います。この自分を受け入れていく、ここから初めてこの学びが始まるような気がしています。
 今まで学んでいるようで、何も学んでいなかった、ちゃんとその結果が出ています。意識の世界は本当に確実にそのことを教えてくれます。いい加減なものは何一つありませんでした。いい加減だったのは私でした。意識の世界は確実に、常に間違っていることを伝え続けていました。ただ私がそのことに気付かないだけでした。己一番、自分しか見えない生き方がどれだけ自分を殺し、真っ黒なエネルギーを放出していくのか、自分だけでいいではすまされないほどのエネルギーでした。何もわかっていない、すべて間違ってきたんです。でも今、この思いに出会えたことがうれいしです。だからこそ自分の心を見ることができるからです。後は本当に実践です。こうやって出てきた思いが本当だったと思える自分になっていくには、素直になっていくしかない、また素直になっていきたいと思っています。

 今日、夫婦で話をしているとき、「己が偉い」と言われました。「そうだ、私は己が偉いんだ」と認めたと思った瞬間に、怒りがムクムクと湧き上がってきました。「何を言うか、この私に何を言うか、私を誰だと思っているんだ、私を一体誰だと思っているんだ、許さないぞ、誰にもそんなことは言わせんぞ、黙れ、黙れ!」怒りが一瞬にして出てきました。私は、自分で間違ってきたんだと本当に思ったんです。私のすべては間違ってきたんだと、何一つ正しいことはなかったんだと。
 でも心の中は、たくさんの意識たちが待っていました。そして正直に思いを伝えてくれています。どうしようもない怒りと、神となって、何か自分がとてつもなくすばらしいものだと信じ続けてきた自分が、ハッキリと感じられました。ああ、心の中の蓋が開き始めているのかなと思いました。前だったら、ただそれを口にして怒りを振りまくだけだったと思います。でもふと、ああ出てきたんだな、と思いました。静かに心を向けてみようと思いました。次々と語ってきました。神となってきた自分、誰よりもすばらしく、頂点に立ってきたと信じている自分、「自分で自分に言うことはいいけれど、誰にもそんなことは言わせない」とそう叫んでいました。
 私はいつも自分から逃げてきました。恐ろしい自分が、闇の自分が語ってきたとき、見えてきたとき、いつもその思いに蓋をしてきました。少し喜びを感じると、いつも苦しみが中から語ってきました。そのたびに、蓋をしてきたのだと思います。そんなはずはないのだと、でもそれが逃げていたということでした。見たくない、そんなはずはないと、それが私の心の歴史そのものだったということを認められなかっただけでした。
 何か今までは、出てくることを一生懸命封じ込めることに力を注いできたように思います。でも、出てきてくれたんだ。勇気がいるけれど、怒りもたくさん出てくるけれど、前だったら簡単にこの自分を殺していました。そう思えるだけでも、これから本当に変わっていきたい、今までどれだけ冷たかったかということをまた一つ感じられました。自分を知るということ、出てきた思いと向かい合うということがどれだけ今大切なことか、逃げてきたその一つひとつを、もう一度見るチャンスをいただいています。一瞬にして暗闇になるけれど、これが私だったんだと思える今があることを大切にしていきます。そして必ず心を見るということにつなげていきたいと思います。
 自分を神だと信じてきた私が出てきます。私が作り上げてきた世界をしっかりと見ていきます。


 ホームベージを見て瞑想しました。苦しい心がたくさんたくさん出てきました。その心を見ているうちに、「俺は田池を殺すために肉を持った」という思いが次々語りました。「俺は、自分が正しいということを証明するために、肉の幸せこそが本当の幸せだと証明するために、田池と真っ向から勝負するために、肉を持ったんだ。俺の苦しみの何がわかるか」という激しい思いでした。そして、「私はお母さんのぬくもりなんかいらない。お母さんなんかいらない。田池留吉なんかいらない。私は私で生きていくんだ」という思いも語ってきました。苦しい苦しい心でした。でもこの思いが心から出てきたとき、うれしかったです。こういう苦しい思いとともにお母さんのお腹の中にいれてもらった、田池先生に出会わせてもらった、そんなふうに思えて号泣しました。
 「自分が間違っていたなんて絶対に認めるものか。地獄の底を永久にはいつくばったって、私が間違っていたなんて認めない。私は間違っていない。私は正しい」・・・私の心は、この思いで凝り固まっていました。でも心の深いところからようやくこの凝り固まった思いを語れたことが喜びでした。私はただ自分の心と出会っていくために、自分の心を知っていくために肉を持ったんだと感じました。本当に自分の心に出会えたら、それがどんなに苦しい心でも、自然に喜びが感じられ、苦しい心も少しずつ喜びに変わっていく、解放されて軽くなっていく、そんな感じがしました。うれしかったです。


 私には、認めてもらいたいという思いで頭がいっぱいでした。もうそれしかありませんでした。そのためにはセミナーに毎回参加することが絶対でした。セミナー、セミナー、セミナー・・・・もう狂っていたとしかいえません。何よりもセミナーでした。誰がなんと言おうとセミナーだけでした。周りに宗教と思われて当然でした。親に心配をかけて当然でした。何も分かっていませんでした。セミナーを反対される理由が分からずに、反対する人を敵と思って嫌いました。セミナーを反対する人は敵でした、悪魔でした。セミナーに参加できないとなると、必ず誰かのせいにし、ののしり、悪態をつき、全く手に負えない状態でした。それでも自分は正しいと信じて信じて生きてきました。ホームページも同じです。異語の勉強も同じです。もう言葉が続きません。どれだけすさまじい思いで生きてきたのか、人と接してきたのか・・・・すさまじいです。
 セミナーに全部参加したいのは、田池留吉に認められたいからでした。その思いにまったく気づかずにせっせとセミナーに足を運びました。そして愚かにも、そんな自分をすばらしいと誇り続けていました。こんなに真剣にセミナーに参加している私はすばらしいと、100パーセント信じて己を表してきました。若いのに偉いね、と言われるたびにさらに自信をつけていきました。何よりもセミナーを優先している自分をすばらしいと信じて疑わなかった。間違っているわけがなかった。認められて当然と思ってきました。だから、5年前に先生に「セミナーにくる動機が間違っている」と言われたとき、私は怒り狂いました。許せませんでした。その言葉を受けつけずに反発しました。でも先生に認められたい私は、この怒りを先生にぶつけることができず、まるで素直に受け入れたかのようにいい子になりすましました。そしてこの思いを供養することなく、今までずっとこの心でセミナーに参加してきました。どんなにいい人ぶってにこにこしても、心の中は「認めろ!認められないと言うなら死ね!」でした。その心をずっと隠し持ってきました。あぁ、今やっと言えます。嬉しいです。「田池死ね」の一言で、私の何かが変わっていくような気がします。もういい子ではなくなりました。心を見る勇気がわいてきます。いい人にならなくてもよかった。そのままありのままの姿で私は受け入れてもらっていた、それが幸せでした。アルバートに心を合わせながら、認められたい思いをしっかり供養していけるように心がけていきます。


 私にはとても苦手な言葉があります。「ごめんなさい」の一言です。この言葉を発する時、心にとても痛みをともなうのです。なぜ私が誤らなければならない、私は間違っていない、この人の下に組してなるものか、屈辱感と怒りと悔しさを秘め、今に見ていろと心に復讐心を持ったごめんなさいを何度発してきたでしょうか。ごめんなさいの一言でその場をおさめ、自分の心にふたをしてきたのです。今なぜごめんなさいの言葉に痛みをともなったのか、明らかにされてきました。真実のごめんなさいには自分への愛とやさしさがあります。私のごめんなさいは、自分をごまかすごめんなさいでした。


 苦しむことはもう止めていきましょう。自分が偉いと思うから自分の非は認めたくなかった。それが私の苦しみの始まりでした。この肉が自分と思い続けてきたから、自分をいつも奮い立たせてきました。いつかはきっと報われると思い続けてきました。だから苦労は買ってでもしなければと思いました。でもやはり苦労は嫌いでした。楽をして偉くなりたいとばかり思っていました。だからいつも中途半端なことばかりしてlきたのです。一時の楽しみに出会っても、直ぐにもっともっとという欲が出てきます。利用できるものは何でも利用してやろうといつも何かを狙っていました。でもその結果は、適えられない失望感を十分に味わってきました。認められない自分を自分で冷たくあしらってきました。本当に冷たい自分であったと思います。無知で、エゴで欲たれの最たる者ではなかったでしょうか。こんな私でも人目には真面目に見られていたようです。それをいいことに自分も相手も誤魔化してきたのです。ウソをつく、騙す、誤魔化す、自分を隠すことが本当は嫌でした。でもそうしなければ自分を守れないと思ってきました。自分を認めてもらいために自分を何度も誤魔化してきました。私がこの学びに集ったのも自分を認めてもらいたい、人を見返してやりたいという一心だけでした。すべてがこの肉の自分が基準でした。その間違いに気付くまで本当に長い時間と、苦痛を必要としたのでしょう。やはり今、思い返せば、仕事を辞めたことが一番の決断であったと思います。本当に優柔不断で生きてきた私にとっては初めての英断ではなかったでしょうか。肉では一つの賭けと思っていたのでしょうか。とにかくそのときは、もやもやする苦悩を吹っ切りたかったのです。自分を崖っぶちに追い込んでしまわない限り真剣には自分を変えることはできないと、そう自分を感じていたのでしょう。その決意をしてから三年が過ぎました。どれほど私は変わったでしょうか。自分が一番よく知っています。「苦しむことは止めていきましょう」と素直に自分に言うことができます。そして素直に「はい」と言えるようになりました。自分に正直になってきました。このことがどれほど気楽なことなのかと実感しています。毎日の生活がとても穏やかに過ぎていきます。何も欲しがることもなくただ淡々と過ごしていきます。自分を振り返る、自分を見つめながら、未来の自分に伝えていきたいと思います。肉を持った田池留吉と出会えたから、私は本当の自分を見つめることを知りました。今はこれ以上の喜びはありません。だからもう、本当に、苦しむことは止めていこうと、もう一度、決意しました。


 私は自分の思いが中心でした。私が法を作り上げ、私が人を罰し、そしてすべてを判断してきました。自分の作り上げた神の世界に人を入れてきました。だから常に上下を作っていったのです。私の心を見れば、まさに自分が神となって支配してきた思いが見えてきます。神として生きてきた自分、自分ほどにすばらしいものなど何一つないのだと、本当に心の底からそう信じてきました。疑うことなんてありませんでした。疑うよりも怒りの心を出すことのほうが何倍も大きかった。怒りは支配になりました。私の言うことを聞け、私が正しいと言え、とにかく何が何でも私が偉いのだと、一番すばらしいのだと、この心を大きく大きくしていきました。そのたびに敵が増えていきました。支配の思いが大きくなっていきました。
 私が語るとき「私は偉いんだよ、私はすばらしいんだよ」この思いをどっぷりと使いながら、さもわかったように語っていました。心は完全に他力の神となって語っていました。上からものを言い放ってきました。こんなにも偉い自分、自分を神だと信じてきた自分、その世界にすべての物、人を入れ、思うように支配したかった。みんなを信者にしたかった。何よりも私が一番すばらしいという思いに浸りたかった。実感したかった。きっと田池留吉に認められたかったのも、この学びがある間もそうだけれど、この学びが終わってから私は「私こそが正しい道を歩いているのですよ」と、その証明をしたかったから。まさに、心は他力の神になりたかったのだと思います。どうしても、こんなにも認めてほしかったのは、このためでもありました。自分が田池留吉となって、自分が一番すばらしい、わかったものとして君臨したかったのです。
 きっと過去でも同じようなことをしてきたのだと思います、いずれ私が支配してやる、すべて私の思う通りにと、私が神となって私の理想の世界を作り上げてみせるのだと、信じてきた自分が見えきます。本当にすごい心が見えてきます。このままだったら確実にこの学びが終わってから、私は自分を表していたと思います。思いがそうだからです。すばらしい、特別な、そして正しい私・・・まさに他力の神そのものです。私の学んできた目的が、自己供養ではなく、自分を表すためだったのです。そのためだったのです。ただ己偉い、すばらしい自分、というのではなく、その先がありました。過去からずっと私はこの道を歩いてきたのだと思います。そして何度も他力の世界を作り上げ、神となり、肉の世界で支配、君臨してきたのだと思います。
 田池留吉の肉ある間に本当のことを心で気付かなければ、まったく同じ道を、いやそれ以上にずれた道を今世も歩いていく、そんな気がします。それほどに私は過去からたくさんの間違いをしてきたと思います。ただ思い出したくなかった。「そんな自分は見たくない、あっちへ行け」と殺し続けていただけでした。でも波動だけは流れていました。波動はウソは付けない、本当にそうだと思います。今まで自分だと思ってきた自分が、小さい小さい自分で、思いの世界は本当にすごい心を使ってきたのだとしみじみ感じます。出てくる思いは、ただただ肉を信じてきた地獄の私です。でも私が地獄に生きてきたというよりも、私のこの思いが地獄を作り出してきたと思います。まさにそうでした、地獄があったのではなく、私の心が地獄だったのです。でもこんなすごい私だからこそ、この学びに出会えたのだと思います。自分の出してきた思いがすさまじく大きければ大きいほどに、自分の思いを真剣に回収していかなければいけない。自分一人くらい大したことはないと思ってきたけれど、私の流してきた波動がこの地球を、いや、宇宙を真っ黒にしてしまう、散々してきたのだと、心の中は真っ黒だというのが、本当にそうだったんだなと感じています。
 少し出てきた思いがこれほどなのだから、自分の心を開けていくことが怖いです。でもほんの少しずつだけれどうれしいことは、「お母さん、アルバート、私は本当に本当に苦しかった、苦しかったんです」と言えたこと、そして「帰りたいよ、帰りたいよお母さん・・・」とやっと自分の中から出てきたことです。それだけでも、何かうれしいです。自分が作り上げてきた世界、そして思いを見つめていきます。今はまだ、出口の見つからない道をさまよっている感じです。でも、アルバートが私の心の中にいる、そしてお母さんのぬくもりに帰っていきたい、そう思う自分を信じていきます。アルバートを素直に心から呼べる自分になっていきたいです。そして、他力の神と出てくるこの思いの実態を見つめていきたいと思います。


 自分の心を見ていくうちに、己は偉い、己が一番、その心は確かに大きな闇ですがそれもかすんでしまうような、大きな闇が存在することを感じています。過去何度も転生を繰り返し、この地球上ばかりではなく、それ以前の宇宙時代から、私はアルバートに逆らいその宇宙を破壊することばかりを目的としてきたことを知らされます。いつもいつも死を前にして、呪い恨み憎むことばかりを繰り返してきた、アルバートの世界、愛の世界そのものの存在を許すことができなかった。人が苦しみ、あえぎ叫びのた打ち回ることを、争いや闘争、殺戮をほくそえんで見ていた自分を感じるのです。自分の命以外はとるに足らない存在だと、ありでもひねりつぶすように、抹殺していた自分を感じるのです。残虐で非道で冷たい自分。この宇宙に自分以外の存在を許さない、自分にとって都合の良いものしかその存在を認めない、そんな転生を何度繰り返してきたでしょうか。ひとつひとつ思い出すたびに、それほどでもないと思っていた自分がいかに甘かったか思い知らされます。今世、たまりにたまった思いをぶつけるために、肉を持ち田池留吉に出会いました。そしてすさまじいエネルギーを放ってきました。出しても出しても出し切れないエネルギーです。田池留吉、アルバートはそのすべてを知った上で許してくれているのを感じます。でも自分で自分を許すことの難しさを感じています。アルバートへの信、それがすべてであるということをこのごろつくづく感じるのです。


 ホームページの「アルバートがすべて、アルバートを信じている心が喜びをまた大きくしてくれる、アルバートの波動に出会えた私はもう言葉もありません、ただただ幸せです」を何回か読むうちに、心に響いてくるものがありました。そのまま瞑想すると、「ありがとう、ありがとう、お母さんありがとう」と心に伝わってきました。私は苦しい苦しい人生を歩んできました。何億年もの間、何を信じていいかわかりませんでした。でも今世、本当のものに出会いました。アルバートと自分になって、ただひたすらこの道を歩んでいけばいいのだと心で知りました。お母さんありがとう。
 先生の目を見ると、信じてもらっていることが伝わってきました。私が田池先生を信じている信の、何倍も何倍も信じてもらっていることが伝わってきて、懴悔と喜びの入り交じった思いが湧いてきました。幸せを感じました。
 私の人生は、人に認めてもらうための人生でした。人に認めてもらうために、がんばり、戦い、人を蹴落としました。人に認めてもらおうとすればするほど、心が外に向いていき、人の心を探るようになり、でも人の心なんてわからないし、自分の心すらわからないから、私の心は狂って、何も信じられなくなっていきました。そのことが一番辛く苦しいことでした。でも今、人に認めてもらう必要なんかなかったと、その思いが少しずつ自分の中で膨らんでいくのを感じています。
 全部自分の心の中の問題だった、自分が、肉の自分と本当の自分になってただ心を見ていけばいい、そして少しでもアルバートヘの信を深めていければ、それで人生はマルだったんだということが、心でわかり始めています。だから、うれしいです。日常の中でたびたび出てくる怒りの心は、やっぱり「私をバカにするな、私を認めろ」という心です、、この心に本当の人生を伝えていきたいです。伝えていける自分に変わっていきたいと思います。そうしなければ、また私は自分を認めさせるための人生を送って今世も失敗してしまうからです。私も、今世の思いを来世へとつないでいきたいです。そして、みんなと手をたずさえて四次元へと移行していきたいです。そのための今世を大切にしていきます。


 自分が今いる地獄を覗くと、金金金と目の色を変えて走り回る姿を見ます。どんなにお金に執着を持ち、自分をがんじがらめにしてきたか、お金で買えないものはない...この世のすべてを金で操る思い、物はもちろん人の心、神の力、地獄の沙汰も金次第...己のすべてを金に変え、権力を現し、誇示してきた姿が浮かぶ。いやというほどそんな姿を見せられて、どんなに心が荒び切ったか思い知りました。お金に心が向けば向くほど、アルバートから離れて自分を落とし込める私でした。お金で買えないものはない、幸せと名の付くものはすべてお金で買えると豪語する浅はかな私でした。心の底から自分をいかに粗末にしてきたかを懺悔する思いが噴き上がり、肉を象徴するお金にすべてを注ぎ込んできた哀れな自分を詫びました。心の幸せ、アルバートを思いアルバートを信じる喜びに勝るものはなにもありませんでした。いかにお金を手にし、この世のすべてを手に入れたとしても、私は決して幸せにはなれないということを知りました。私にとってお金という存在は肉そのものでした。苦しさを誤魔化し肉の己を現すには絶好の材料でした。はかない泡沫の幸せにうつつを抜かし、お金を積めば積むほど苦しみも増していくことすら分からなかったのです。今自分が置かれている肉の環境を見るとき、いかに大きな計らいが与えられているか、すべてがこの地獄を見るために整えられたと感じます。今まで生きがいと感じてきた生き方が苦しくてたまらなくなってくる。そしてその苦しみの中に地獄から救いを求める自分自身の姿をはっきりと見ます。ようやく私は一番見たくない地獄を、一番認めたくない姿を見ようとしています。アルバートのあの安らかな世界を知らなかったなら、私はまだまだ金金地獄に住み続けていたと思います。難しいです。でも今しか自分を救えない、アルバートを心に宿した今しかチャンスはない、そう思っています。


 自分のことは自分で何とかなる、いや自分で何とかできる、そんなおごった心を使い、思いを出し続けていました。自分の人生、健康すらも、そして細胞一つ一つさえも、肉の努力だけではなく、念を使い思いを使い、自分のエネルギーで形を整えようとしてきた自分があります。優しさ、温もりではありません、私の言うことを聞け、思い通りになれとすべてに対しそんな想念を出し続けていたのです。肉に執着し、健康に執着し、意識よりも肉体が大事と心を使い続けた過去世達、今その思いをようやく真正面から見る事ができます。本当の幸せはお金があるなし、健康そのものということではなく、アルバートを心から信じているか、波動を感じているか、それだけだった、アルバートを心に感じる満ち足りた思いだけが真実の幸せを自分自身につたえてくれることを、知りました。


 ホームページの私は喜びも闇もアルバート、あなたに一直線です。嬉しいです。私の心は喜びでいっぱいです。愚かな肉の思いを放していけます。肉どっぷりだった私がその肉の思いを放していけます。喜びが溢れています。闇を怖がっていた私です。その闇を喜びで受け入れていけます。喜びも闇もアルバート嬉しいです。心がこんなにも喜んでいます。真っ直ぐにまっすぐにアルバートに向かっていきます。本当に本当に有難う。


 ホームページの、「私は喜びも闇もアルバート、あなたに一直線です。」を何度も何度も読んでいます。これほどまでに心の世界を素直に伝えていただけるものかと、そして私はその何十分、何百分、何千分の一しか感じられないかもしれないけれど、それでも今こうして心の世界を教えていただけることに感激しています。きっと言葉ではそのアルバートの波動は伝えられないのかもしれないけれど、それでも私は一直線の言葉を使える心がとても羨ましく感じました。沢山の過去の苦しみを抱え肉体を持てた今世の私です。そんな心にも気付かずに自分が自分にと生きてきました。今苦しかった過去の一つに出会ったとき心から「気付いてくれましたか、やっと出会いましたか」と言う思いが湧いてきて、何とも嬉しくて、これまで自分をどんなにおろそかにしてきたかを思いました。これからは私も心に感じて疑わないものを作り上げたいと思います。そしてホームページを大切にしていきます。


 喜びも闇もアルバートに一直線を読んで
 ああ そうだったんだ。アルバートだけでよかったんだ。田池留吉だけでよかったんだ。それなのに 私は いろんなものを中に入れてしまっていた。
 喜びも闇も全部アルバートに一直線でよかったんだ。あれこれと肉の頭でこねくり回していました。そうだったんだ。どんな思いがこの心から出ても 全てアルバートに向かっていけばよかっんだ。霧が掛かっていてぼやけてしまっていた思いが一挙に晴れ渡りました。ああ 闇もアルバートに一直線。喜びもアルバートに一直線。繰り返し繰り返し心に響いてきます。田池留吉だけ見つめていけばいいのだ。ああ 答えがやっと見つかった。そうだ。アルバートに向けて一直線だったんだ。嬉しくなってきました。ああ 嬉しくなってきた。心見ることは喜び。そうでした。闇もまた喜び。全部アルバートに向かっていけばよかった。心の奥底から浮かび上がってくる 懐かしい思い。両手を広げて待ってくれてる 私はそれに向かって一直線に歩いていけばいいんだ。嬉しいです。霧が晴れたようです。響いてくる思い 全部アルバートに帰して行こう。それだけでいいんだよ。そんな思いが響いてきます。ありがとう。ありがとう。そうだった。そうだったんだと今私の心の中で繰り返し繰り返し響いてきます。


 ホームページ「私は喜びも闇もアルバート、あなたに一直線です」を本当に何度も何度も読み返しました。淡々と語られているのにその一言一言が心に深く深く沁み通ってきます。アルバートを信じアルバートに委ねていく喜びの波動がどんどんどんどん伝わってきます。うれしい、うれしいです。田池留吉アルバートを信じる信の強さ、そこには何の躊躇もためらいもなく強さとやさしさを感じます。尽きないであろう喜びと幸せの波動がホームページを通して響いてくるのです。こうして心の体験や学ぶ姿勢を伝えてもらって本当に目からうろこでした。喜びもアルバート闇もアルバートに一直線、ただアルバートでよかった。そして一生懸命さも私と違っていたことに気付かせてもらいました。うれしくて、本当に何度も読み返しています。田池留吉アルバートに一直線、これが本道なんですね。


 本当に私は自分中心でした。全部が自分中心だったから、破壊のエネルギーを流してきました。そのことに気付かなければ、私はずっとそれでいいと思い生きていったと思います。でも間違っているのです。すべて自分が中心だという思いは、とても冷たいです。本当に本当に私は、自分のことしかありませんでした。自分さえよければいい、自分の思うように何でもやっていく、進めていく、それは間違いでした。自分に気付かなければずっと人に迷惑をかけ、傷つけ、生きていくところでした。何もかもが自分中心の世界の中でしか見ること、捉えることができませんでした。とにかく自分、自分だけでした。人に心を向けてきたのも、外に向けてきたのも、全部自分のことしか考えられなかったからです。本当に冷たい私でした。すべてが自分中心に回っている、そうでないと怒りを振りまきました。ヒステリーを起こしてきました。全部全部、この肉の自分を中心に、そして信じてきたからだと思います。
 みんな自分だと思うと、自分の心がこんなにも悲しんできたのかと、言い知れない悲しさを感じます。泣き崩れている自分がいます。でもその自分を抑えなくていい、止めなくていい、ごめんね、ごめんね、ずっとずっと気付かなかった。こんなにも自分を傷つけてきたなんて、この自分に気付けなかったなんて、苦しかった、苦しかった、自分だと思えたとき、この自分をいとおしく感じます。ごめんね、ごめんね、もう捨てたりしないよ、ここにいるよ、何も聞いてあげられなくてごめん、殺してきてごめん、自分の心がこんなにも泣いていたこと、そしてこんなにも敏感だったことに気付きませんでした。何も、何一つわからない私でした。ごめんなさい。自分にごめんなさい。なんて言っていいかわからない、ただごめんね。人に嫌われることが、責められることが怖くて、怖くて仕方がなかった。嫌われると思ったとき、私の心は本当に敏感に感じていました。それと同じように、私の中の意識たちはずっと私に嫌われることがこんなにも悲しくて悲しくて、どうしたらいいのかわからないほどに、ただ泣き崩れていたのだと思います。何もわからない私でした。でもこの思いとともに、やさしい本当の自分を思い出していきたいです。一緒に、一緒に、帰る道を歩いていきます。ごめんなさい、でもずっとずっとそれでも待っていてくれてありがとう。こんなに冷たい私なのに、それでも信じて待ってくれていた。ごめんね、ごめんね、そして本当にありがとう。


 ホームページの「アルバート、本当に唯一大切なキー・ワードです」を読みました。本当に素直な素直な、そして真っ直ぐな心が伝わってきます。肉のとらわれのないやさしい軽い心が伝わってきました。
 私は自分自身の心を振り返れば、どれほど自分の肉の思い、そして人の肉にとらわれてきたことだろうかと思えてなりません。私はいつも、このすばらしい私を認めてくれないのなら、私を特別扱いしないのなら、私はお前を殺してやる、切り捨ててやるという思いで生きてきました。ひたすら自分を認めてくれる場所を求めてさまよっていた私でした。この学びに出会ってからも、最初はこの思いで突き進んでしまいました。そんな自分の姿、心にもまったく気づかないほど、心を見られない私でした。ただ心が苦しかったということが、苦しくて苦しくてたまらなかったということだけが、だからこの苦しいのを何とかしたいという気持ちだけが、この学びに私をつないでくれていたと、今はそう思っています。
 どれほど認められたかったか、その心の底には寂しい思いが一杯一杯ありました。寂しさに振り回されてきた私の人生でした。寂しさに振り回されていたから、とても心を見るどころではなく、己をあらわす方向へいってしまった、そしてその思いが満たされなければ、すべてを切り捨てていく、そんな私でした。でもそんな自分が今はいとしくてなりません。苦しみ続けてきた寂しかった自分に、ありがとうの思いしかないのです。ありがとう、ありがとう、お母さんありがとうと、思いは母親に向いていきます。ただただありがとうございましたと、母に伝えています。寂しい心をたくさんたくさん抱えた私を生んでくれた、そしてこの寂しさが私をこの学びにつなぎ続けてくれた、自分に、生んでくれた母に、やはりありがとうしかありません。
 たくさんの暗い心に翻弄されながらも、今は少しでも優しい自分を感じられるようになり、喜んでいます。私を包んでくれる私の存在を今心に感じています。


 肉を見ていたら地獄、怒り、破滅の世界に落ち込んでいく、アルバートに心を向ければ感謝と懺悔、温もりに包まれて存在している自分を実感します。心がうれしくなっていく、そんな時はどんな闇でも優しくなって、共にアルバートに戻っていこうねと、心が温かい、その両極端の世界を私は右往左往してきた。こんなに暖かな温もりの世界を知りながらも、気づくと私は肉を掴んでいる、とても強い心癖です。それでもいい、そんな自分を許していこうと思います。気づいたとき、アルバートに心を合わせて温もりの世界を心で感じながら心の軌道修正をしていきます。少しずつ、少しずつ、心癖の修正がなされていくことを心は知っています。今生、肉を頂いた意味も、必死の思いで転生したことも心は覚えています。すべてが私の心の中で修正したい、本当の自分に蘇りたいと叫んでいるのが聞こえてきます。心の叫びをいい加減に捉えてきたと思いました。田池留吉、アルバートを心から離せば、地獄の世界に心は住んでいることを実感します。いつも、いつも、共にいるアルバートを私は決して決して心から離すことなく、これからの残された人生、真剣に心をアルバートと共に喜びの心で見ていきます。


 ホームぺ−ジの「アルバート、本当に唯一大切なキー、ワードです」を見ました。
 アルバートを信じていたら苦しい心が見えてもそれが嬉しくてその心を幸せな中に広げていける、苦しい自分を共に嬉しい心で包んでいける、そんな優しさがとても伝わり胸がいっぱいになりました。
 私は苦しい心の中で苦しい心を見ています。だからそんな自分をだめだと責める思いや焦る心も出てきます。そんな自分は自分に優しくないなーと思っていたら内からワッと涙が込みあがってきました。
 目を閉じてアルバートを思い瞑想しました。異語がせきを切ったように飛び出しました。アルバートに思いを語りたくて仕方ありませんでした。傲慢な私を詫びながらそれでも心の中は寂しくて寂しくてなりませんでた。懺悔と心の内を語りたい思いが重なっていました。己偉い私は田池留吉に認めてもらいたい思いをなかなか崩すことが出来ずそれが苦しみでした。間違っていると知識では分かっていても、その思いがあるから「私はあなたあなたは私」が信じられないのです。私は今まで何を求めてきたのかと思うと情けなくやはり基準は肉でした。何にも分かっていない私です。異語と共にそんな思いが出てきて、苦しい私自身に本当に冷たい自分だったと思いました。
 田池留吉に闇も喜びも心のすべてをさらけ出し、そしてそんな自分のすべてを委ねたいと思いました。その時お腹の底からグワッと苦しい意識が込みあがってきて異語で伝えてきました。出ているエネルギーはとても苦しいのに心は嬉しくて嬉しくてなりませんでした。闇は泣きながらアルバートの下に帰りたい、田池留吉の心の中に帰りたいと懸命に何度も何度も伝えてくれました。苦しいのに嬉しい思いが切実に伝わってきて、闇は肉の私が知っている以上にもっと素直でもっとアルバートを思っていることを知りました。苦しい意識と共に肉の私も心を裸にしていきたいと思いました。
 パソコンの前に座らせていただきホームページを見れる私は本当に幸せだと思いました。


 ホームページの「アルバート・本当に唯一大切なキーワードです」を読みました。読んでいるうちに涙が溢れてきました。どんどん溢れてしかたがありませんでした。
 私は今まで苦しい中で苦しい思いを何とかしようと思ってきました。でも、今は苦しい思いもたくさんあるけれど、アルバートを信じていこう、アルバートに心を向けていこうという思いもあります。
 自分がしてきた他力信仰がどんなものであるか全く分かっていませんでした。他力信仰の反省を何もしてきませんでした。でも、今、他力信仰は自分を殺すだけでしかなったと感じています。自分の思いを封じ込め、押し殺し、嘘偽りの心だけで生きてきました。どんなに心が苦しいと叫んでも、その苦しいことを認めず、覆い隠して取り繕ってきました。苦しければ苦しいほど、どんどん息もできないほどに押し込めて固めてきました。本当に間違ってきました。私は私を殺し続けてきただけでした。
 今、やっとそんな間違いに気がつき始めました。愚かなことにやっとです。やっと殺し続けてきた心を開放していきたいと思っています。認めていこうと思っています。殺し続けた私自身を許していきたいと思っています。
 いま本当にこの学びをしてよかったと思っています。日常の生活がガラリと変わり、肉的には厳しい環境になりました。でも、心をアルバートに向けていこうと思えば、すべてが心を見る教材だと受け入れていけそうです。そう思えることが嬉しいです。自分の心がどこを向いているかだけを見ていこうと思います。


 突然、肉の私はアルバートの前には針の一点にも値しないと思いました。それなのに私は素晴らしいとか、私を認めてほしいという思いを持って生き続けてきた自分がなんと傲慢なことなのかと思いました。この肉はアルバートの前には何も無いということそれが分かっていませんでした。何も分からなかった過去世の私は、ずーっと肉を誇り頑張ってきて、必死になって自分を表してきた自分に対してもういいんだと思うと泣けて仕方がありませんでした。もういいねと自分に言いました。中の目を開けて瞑想しました。自分の心の中から思いが伝わってきました。
 私の心の中に存在するものは、アルバートの意識、そして田池留吉の思いです。許されて許されて今も存在することに気づいていきなさい。アルバート以外は全部、真っ黒闇です。その闇を誇ってきました。しかしそれをいくら誇ってもアルバートの中では一点の点にも値しないのです。
ありがとうございました。心の中から気づかせていただきました。


 先日、夫から人に命令するような言い方だと言われた。そんな自分があることは承知していたし反省もしていた。でもその一言にムッとした。「グチャグチャ言うな」自分でも驚くほどの怒りが出てきた。苦しい思いが中から出てくる。腹の底からせりあがってくる苦しさが怒りとなって一気にぶち投げた。破壊崩壊のエネルギーが地響き立てて唸り上げる。出せた。やっと出せた。その凄まじいエネルギーに自分がたじろぐほどだった。
 上からものを言ってきた。何でも思い通りにしたかった。苦しかったから威圧的な思いを出してきた。こんな凄まじいエネルギーを過去からずっと使い続けてきた。これが教祖の思いのような気がした。この思いを夫に子供に周りの人に使ってきたことを改めて思い知らされた。そんな苦しい思いをおもいきり出せたことで心が軽くなり出てきてくれた事がうれしくなった。
 アルバート、この苦しい意識をしっかり受け入れていきます。やさしい思いが広がった。さあ、一緒に温もりに帰ろう、苦しい意識と真向かいになってやさしく抱きしめた。ごめんね。ありがとう、うれしいしかなかった。パッと心の中に青空が広がった。雨上がりのように清々しくてうれしかった。自分の嫌っていた闇がこんなに愛しいなんて・・・。こんなうれしい心になれるなんて・・・。
 アルバート、闇を何度でも抱きしめていけると確信できたことがうれしいです。闇に出会って抱きしめてそれが幸せだと思えたから・・・。ひとつひとつ闇と一緒に温もりに帰ります。肉の私の必死の思いです。喜びやさしさを感じていくほどに闇が出てきてくれる。そしてたくさんの意識が温もりに帰たいと叫んでいる。その確かな思いが心に響いてくる。今私は闇と一緒に温もりに帰れるという確な思いを感じている。その自分がうれしくてなりません。


 アルバートを信じ切りすべてを委ね切る幸せ...自分のすべてを優しく受け容れられる心...私の心にもそのとろけるような感触が伝わってくる。アルバートとともに歩む意識だと目覚めた喜びが果てしなく広がり、すべてを包み込むように心のひだまで伝わってくる。それと同時に何と肉に固執し苦しみを許せない自分だろうかと反省させられる。アルバートを感じ信じる道を私も歩きたい、いいえ歩いている...そう自負する自分の何と小さいものだろうか。肉に流されアルバートを心の隅に追いやり、日々の喧騒に明け暮れている現状が浮き出してくる。そんな心に優しく優しく伝わる波動...「アルバートに心を向けて、もっとしっかりと向けて...」自然と心が応え始める。お母さん、お母さん...言葉にならない思いが溢れてくる。優しい波動が心一杯に広がって、自分のすべてをアルバートの前に投げ出し委ねる喜びが蘇ってくる。アルバート...喜び喜び...嬉しい...じっとこの感触を味わっていたい...肩の力が抜けてなんとも言えない安らぎが心を満たす。肉持ってこの心に培った闇のすべてをこの心で愛していける、私は喜びです、アルバートと歩めることが、アルバートとともにあることが...これ以上の喜びがどこにあるでしょうか。アルバートとどこまでもどこまでもともに歩む私たち、アルバートを信じて信じて歩こう...そんな思いが心に響き、すべてにありがとう、ありがとうです。信の薄さを嘆く愚かな自分を許し、ひとつひとつ確実にこの心に喜びを積み重ねて行きたいです。


 9日から先生のホームページが見られなかったので異語をしている友達に異語をする前に読み上げてもらいました。最初のぺ一ジの最新の二つを聞かせてもらっているとそのやさしい波動が私の中に入ってきて心がふわあと軽く大きく広がりどんどんと中から暖かい思いがこみ上げてきて涙が止まりませんでした。
 ホームページを開けなくて寂しいなと肉の私が感じるどころではない、もっと寂しくて待ちわびて待ちわびていたという思いがどっとあふれ出てきました。やっとその思いを果たせたという感動、まるで光のシャワーを浴びているように温かで気持ちよく感じられました。田池留吉を捨てて、忘れ去って寂しい寂しいその思いをつのらせた私がよりいっそうその波動の温かい事を知り、嬉しくて嬉しくてないているかのようでした。
 一緒にいつも学ばせてもらってるのだなと思いました。インターネットが繋がらなくても肉の私はのんびり構えていましたが中から必死にその寂しさを訴えていた意識たちが私と一緒にいや私以上に喜んでいるのを感じました。肉の私は本当に傲慢だった、こんなに寂しいと苦しい心を抱えていても何かで誤魔化してしまう自分なんだということに気付きました。もっと素直になって自分の心に真向かいになっていこう、なりふりかまわずやっていこうと思いました。今、寂しいと叫ぶその自分をしっかり抱きしめて一緒にアルバートの道を歩きたいという思いにならせてもらえて嬉しいです。こうしていつも闇と共に歩いていきたい、やさしくなりたいと思っています。
 先生のホームページから流れるものの凄さを改めて確認させてもらったようで嬉しいです。


 ホームページを見て瞑想すると、寂しい心が一気に吹き上げてきました。寂しくて寂しくてならず、寒くて寒くてなりませんでした。私はこの心から逃げてきたんだとはっきりわかりました。逃げるために心をたくさん外に向けてきたことが見えました。私の心は寂しくて、寒くて、その寂しさと寒さに震えながら、怖くて狂いそうで、そんな心を抱えて真っ暗な宇宙を、誰も助けに来ないひとりぼっちの真っ暗な宇宙をさまよい続けてきたことが伝わってきました。この心と今度こそ逃げずに向かい合っていこう、真正面から受け入れていこうと、自分に言い聞かせました。苦しんで苦しんできた心でした。
 私がこの自分の心を受け入れられなかったのは、やっぱりアルバートヘの信が弱いせいだと思いました。そして、どうしてこんなに寂しくてひとりぼっちなのか、それはやっぱりお母さんを捨て、アルバートを捨てたからに他ならないと思いました。寂しい心が求めていたもものは、母親のぬくもりでした。本当はお母さんを呼び続けていたのでした。心を向けると、お母さんと号泣しました。
 丹田呼吸をして田池先生の目を見ると、間違ってきましたという思いで一杯になりました。本当は幸せな存在なのに、寂しいということ自体が間違っているんだ、自分を寂しい存在にしてしまったこと、お母さんのぬくもりを捨てたことが間違ってきたんだと思いました。肉の思い、エゴや欲を通すために、本当に大切なものを私は捨ててしまったんだなぁと思いました。
 これから、自分の中の寂しさと向かい合って、時間をかけて供養していきたいと思いました。寂しい心から、人を羨んだり嫉妬したりしてきました。寂しいから何とか人に自分を認めさせて心を満足させたいと躍起になってきました。そういう間違いから自分を救っていきたいと思いました。だから、これから少しずつ時間をかけて、寂しい心を見て、セミナーで感じたあの喜びと安らぎを伝えていきたいと思いました。


 自分の心の恐ろしさ、凄さを感じています。見たくない、そこには触れたくない、恐怖と苦しさが必死に肉に逃れようと動かされます。
 もういいではないか、アルバートが心に存在しています。闇と真正面に対面していこう、苦しい思いのすべてをさらけ出していこう、肉の私が、すべてが自分の意のままに動いていると錯覚してきた心を修正していく時が今です。すべての過去世、未来を今の心に持つ心を見る機会を与えられています。
 夫は私の心を見せてくれている大切な大切な相手です。己を誇り、己を表す心、怒り、ありとあらゆる心を如実に出させてくれた相手です、これからも修正すべき心を見せてくれるでしょう。
 本当に凄いエネルギーを流し続けてきました。ただ、ただ、私は懺悔です。ありがとう、心の底からすべてにありがとうと言っている心が確実に存在します。
 アルバートを信じて、すべてが許されて存在していることを心で確認しながら醜い心が懺悔と感謝に変わっていく、その喜びを感じながら存在していることを喜びとしてこれから生きていきます。


 自分が一番偉い、自分ほどのものはいない、自分こそはとその思いをずっとずっと使って生きてきました。自分を何より上に置き、すべてを意のままにというこのエネルギーのすさまじさを思い知らされています。わがままで勝手気ままな自分だとは思っていましたが、振り返ってみるとなんとそこまで凄いとはなかなか認められない私でした。「認めるもんか、タイケなんかに負けてたまるか、」と崩れる事を恐れる私が必死になって抵抗していたからだと思います。
 田池留吉を捨てて、たどった道がどれ程間違っていたかという事を現象化してきて認めざるを得ない状態に追い詰められてやっとやっとです。自分の肉をほんものとして生きることはどれ程苦しいものであったか、自分自身が一番よくわかっていました。その自分に真向かいになっていけるとき力が抜けてほっとしてやっと生きた心地がしたという思いになれるからです。
 そしてアルバートの波動がその奥から流れ出てくるのを感じさせてもらいもう嬉しくてたまらなくなります。私はこのアルバートの波動を知るために生まれてきたと心の底から伝わってきます。長いことかかってやっとです。でも少しずつではあるけど確実に信じる思いを強めていけているようで嬉しいです。その為にはあの田池留吉の肉、セミナー、ホームページ、たくさんの資料、異語のお勉強とありとあらゆるものを与えられていました。なんと恵まれた環境、今その事が感じられて本当に嬉しいです。もう生まれてくるだけで最高に幸せな自分だった。そして今本当の自分が決めてきた道を歩き始めようとしていることが嬉しくて嬉しくてなりません。喜びのエネルギーがマイナスをプラスに変えていくのだとつくづく思います。田池留吉、アルバートの波動に出会えた喜びが私を元のところに返すエネルギーです。田池留吉に出会えた私はそれだけで十分すぎるほどの幸せでした。それを感じられるか感じられないかは心の針の向ける方向しだいだと思いしっかり心を合わせていきたいです。


 あなたが舐めた辛酸はすべて喜びです...そんなメッセージがあった。そんなことがこの私の上に起こるはずはない、苦しみは苦しみでしかなく悲しみは悲しみだ...そんなに捉えてきた私でした。肉を通して見せられる地獄の数々を何とかうまく繰り抜けようとやっきとなり、他力の限りを尽くした私でした。今、自分が味わっている苦しみが喜びに変わる、そんな奇跡が現実に起こるなんて...でも現実に心が変わっていく。今まで逃げて避けてきた心がアルバートに触れただけで溶けていく。じわじわと押し寄せる喜びが心の奥から上がってくる。HPに自分のために用意してきた人生を送る喜びを載せておられたけれど、私も自分のために苦しみを選び困難な肉を選び、とことん落ちてそして真実に目覚め行く喜びを信じて肉をいただいたのだと思いました。苦しかったからよかった、苦しまなければ決して真実には届かなかった私でした。肉から意識への転回に必要なエネルギーは大変なものだと感じます。苦しみという反動があってようやく転回ができるのだとしみじみ思います。捨てられないものに囲まれて、自分をがんじがらめに縛り上げ、息もできないほど闇に埋もれていた私、そんな現実を心で認識し反省に自分を導くためには本当に苦しい過程が必要でした。苦しい自分を自覚し、ほんの少し苦しみから顔を上げたとき、そこに見えるのはとても優しく暖かい世界でした。苦しみだと信じてきたことが実は大きな喜びだった...そのことに気付いたとき喜びが大きく膨らんできました。肉で味わう辛酸が辛酸でなくなり、まったく違う見方ができるのです。嬉しいな...肉持って苦しみと思ってきたことがこんなに嬉しい思いで捉えられるなんて...この心に培ってきたアルバートへの信が、苦しい心の底にずっと育ってきているのを感じます。波が来るたびに飲み込まれ溺れてきました。でも今は不器用ですがなんとか波に乗れるのではないか、そんなに思います。そしてひとつひとつ来る波を喜べる私になって行きたいと思っています。


 嬉しかった。私の苦しかった出来事 思い 現象 絶望の中で生きてきた今世の人生が アルバートの優しさと暖かさの中でそれら全てが喜びだったと言う思いになった。確信となって私の中を突き抜けていった。そして 憎いと思ったり いや 喜びだったのだと思ったりしていたけれど 憎いという思いが 溶け出して 喜びだったのだと思った時 地底の奥深くから その一片も残らずに私が全て悪かったのだと思った。
 どんな時も どんな時代も私が全て間違い 悪かったのだと思った時 私の中の沢山の私がお母さんを思い出した。お母さんの思いを捨てたその瞬間に私はいつも男や女 人を求める情欲に走った。男と女の中に真実の愛があると信じては 裏切り 裏切られ けれど その思いが間違ってると言う事に気づかずにずっと その中にあると信じ続けてきた。その思いが他力を生み出して 沢山の苦しい思いを積み重ねていった。間違ってました。その思いの中で相手を縛り 自分をも縛り 破壊し続けていた。折角肉体を頂いたのに 私はこの思いで 肉体を振り回し傷つけてきた。母の思いを捨てた中に真実の愛や優しさ等存在するはずがなかった。
 田池留吉の目を思う瞑想の中で 何度も何度も田池留吉とアルバートとお母さんが重なって 寄せては返す波のように何度も何度も響いてきた。嬉しかった。本当のあなたは喜びですよ。そう優しく背中を撫でられたようで 心が打ち震えた。アルバートしかないと思った。それしかないのだと思った。ありがとう。ありがとう。私は本当に間違った愚か者でした その思いが凄く苦しかったと無数の私が 叫んでいた。そして未来の私がアルバートと出会える喜びを伝えてくれた。ああ 私は過去から生き続けてきた意識なのだと思った。大きな間違いを犯しながら けれど それがあったからこそ 私は今世田池留吉の肉と出会えて 今日と言う日があった。苦しい思いが大きかったから 苦しみぬいてきたから今の嬉しい思いがある。お母さんを捨てた寂しすぎる思いを見たくなくて 男を求め 特別に扱われる事に喜びを見出そうとした。どれほどその思いが相手を苦しめ 自分を切り捨て 嫌い 見捨て続けてきたか。けれど 間違ってるよ そう 現象を通して私は教えてもらった。私はしっかりとアルバートだけを見て この情欲の思いを見ていこうと心に誓った。その思いで苦しんできた私に 苦しかったねと共にアルバートへ歩いて行こうと伝えようと思った。アルバートは全部知ってくれていた。全部受け入れてくれてた。そして こんな愚かな私に 私はあなた あなたは私と伝えてくれた。その思いが肉が飛び散るかと思うほど優しい思いがどっと伝わって打ち震えた。ありがとう。田池留吉ありがとう。先生ありがとう。これほどまでに私は愛されていました。
 人生の全てをやり直せることを知った。暗い苦しい私が甦っていけることを知りました。黒一色だったオセロの駒が 今一つ白になろうとしている。それを感じます。私はしっかりと自分の心を見ていきます。一人でもいい。誰にこの思いを分かってもらえなくてもいい。とにかく 私はアルバートだけを見て しっかりとこの心を見ていこうと思います。全てが間違い 全て私が悪かった。その根底が母親を捨てた時に瞬時に使った心 情欲であった事がこの心で分った時嬉しかった。これから全てが救われていく。私の全てが救われていく。それは私の心の針次第。肉の思いが強いから しっかりと 心の針を向けていこう。用意してきた私の道をしっかりと歩いていこう。アルバートの存在をはっきりこの心で確信できるから 私は信じていきます。田池留吉の全てを信じて アルバートをしっかりと見て 肉の時間が許す限り 全力を尽くしたい。私に優しくなりたい。包んであげたい。どれほど苦しかったか。私は今 こんなに私が愛しい。苦しい私にありがとうと あなたがいたから 私はアルバートに出会えました。ありがとう。ありがとう。共に共に歩いていって下さい。喜びの道を 真実の道を 帰っていこう。一緒に帰っていこう。こんなにもじぶんを愛しいと思える。奇跡と言う言葉があるとしたら これが奇跡だと思います。先生 本当にありがとう。本当にありがとう。あれほど死にたかった私が 今生きるていることが嬉しい。お母さん ありがとう。本当にありがとう。私は私を救い出していきます。ただアルバートに心を向けて あなたが命がけで産んでくれた その本当の思いと肉体を大切に 私はこれから アルバートへの道を歩いていきたいと心から思います。何もいらない。ただこの心に田池留吉アルバートお母さんの思いがある。それが私。本当の私。それだけでいい。それだけでいい。もう他の事はどうでもいい。喜んで喜んで 苦しいこの心を見ていきます。


 間違ってきた、間違ってきた、そう何度も自分の心に確認してきました。反省しながらアルバートへの道を歩んでいる、そう自分で思い込んでいた、いやそう思っておきたかったというのが現状です。大きくずれていました。まったく反対方向といっていいほどずれていた、アルバートに心は合っていなかった、それを確認させていただいたセミナーでした。3億6千年の心癖がそう簡単に修正できるわけがありません。少しはましと思った時、喜びの心は消えていきます。肉の喜びにうつつを抜かす自分がありました。欲だらけです、その欲を認めたくないだけです。どんな思いでこの学びを続けていたか、田池留吉に向かっていたか、その思いを見ると苦しくて苦しくてなりません。そして汚い反吐がでそうな心がみえるほど、こんな私でも許されていたという思いがこみ上げてきます。母親がわが子をいとおしむその思いの中に包まれている自分を感じます。アルバート、アルバートがすべてです、アルバートしかありません、そう心は知っているのに、信じない、と頑張ってきた愚かな自分がありました。でもそんな愚かな自分をもやさしく温かな思いでつつむ自分がある、その自分を信じていこうと思っています。ちょっとした心の隙に落とし穴はたくさんあります。情欲でねじれた心の軸の修正に真摯にとりくんでいきます。


 ホームページを見て瞑想しました。最初は苦しい思いがたくさん出ました。それは、自分が間違ってきたことをなかなか認められないからでした。最初は、こんな自分なんか死ねばいいと思いました。私の喜びは人との比較の上に成り立っていて人より上ならうれしく、人より下だと自分を見下げて落ち込んだりいじけたりする、そんな心を基盤にこの勉強もしてきたことが明らかでした。全部肉が基盤でした。不安な心も強く、田池先生に、誰かに、.大丈夫だと言ってほしい心もたくさんありました。己が一番でないとどうにも我慢できない心もたくさんはたらいていました。肉の幸せを本当の幸せとする心も私の心を覆っていました。
 もうそんな心でしか学べない自分は死んでしまった方がいいくらいだと思いました。自分をうけいれられませんでした。でも、その心の叫びを聞いているうちに、死んだ方がいいと思っている心が優しさをぬくもりを求めていることが伝わってきました。もう一度全部をご破算にしてやり直そうと思えました。今までは、どんなにがんばっても、結局間違った土台の上に積み重ねてきた私の勉強でした。そのことを認めていきたいと思いました。肉の自分がいろいろ判断していました。それで自分自身が一番苦しんでいました。
 ただただ心を見ていこうと思いました。どうしても、形を整える心癖と肉で何とかしたい心癖が抜けませんでした。素直になって田池先生の目を思い、母を思いました。母親に暗い心を向け続けてきたことを、本当に間違っていましたと懺悔する思いが出ました。何もかも間違ってきたと懺悔する思いが出ました。本当に原点に戻って、また一から心を見ることをしていきたいと思いました。


 私に情欲を昇華できるのだろうか・・・目覚めから先ずそう思ってしばらくいました。年齢は関係ない、私は自分が何度も転生をする中で、極端ではあるけれど身を守り通した時も、娼婦となって正反対に生きてきたことも、数知れず夫婦であっても幸せでなかった今までの自分を感じました。それは計り知れない転生の中で結局幸せにはなれないんだという繰り返しであったのです。人間なのだから自然にそなわっているこの感情をありのままそのままで・・・ということなのかな・・・と思いました。
 そしてホームページを開きました。そこにはただならぬ空気が感じられました。みんなの喜びが読む前、アッ新しくなっていると思った瞬間から伝わってきました。アルバートしかないんだという思い、静かに読み進めると、田池留吉の「あなたは私です。私はあなたです。」その途端どっと胸からこみ上げてきました。寂しい心が情欲につながっている。そして肉の田池留吉にむかっている・・・正しく私も同じでした。
 目を瞑り田池留吉を思う、250年後の自分を感じる、ホームページからどんどん喜びが伝わってきました。共に共にいく意識たちの喜びでした。集うことの喜びでした。小さいこの肉体のあれこれに捕らわれてはいけない、それが全てだなどとあなどってはいけない、四角四面にとじこめてはいけない、アルバートがいる、アルバートを信じる自分を愛してくださいと、信じていくのですよと伝わってきました。さっきまでの心は一変していました。言葉ではないんだなぁ。偉そうに言葉を発してきた自分が恥ずかしいと思いました。そして出てきてくれた思いに、ありがとうといいました。
 この心は一番みなくてはいけない私の心です。寂しいからと泣いてきた私が、歩みだしたと思います。


 情欲を昇華していく、難しい作業だというのが率直な思いです。一般には男と女の世界のことを指すけれど、私にはもっと根深い人間としての欲、殺してまでも思いを通す他力のすさまじいエネルギ−だと感じられます。
 今まで思いを断ち切る、封鎖する、あるいは思いを決行して恨み呪い寂しさをさらに掻き立てる、そんな方向にしかいかなかった、肉を自分だと思う世界その次元では情欲の思いに振り回されているに過ぎなかったということにようやく心は気付き始めています。自分のそんなすさまじいエネルギ−に心で気付いていくほどに、私は何だか今ほっとしています。やっとこの心この自分に光を当てていける、アルバ−トの波動の中で溶かしていくことができる、そのことが感じられるからです。情欲を昇華する、難しいけどきっとできる、アルバ−トの実在を確信する心には可能だと伝わってきます。だから喜びでその心を包んでまいります。


 ホームページを読んでいると、腹の底からすさまじい叫びが上がってきました。涙がぼろぼろ出ました。自分を肉と思っていることが苦しくてたまらないという心の中からの痛切な叫びでした。自分は間違っていたと思いました。「私たちは肉ではなく意識です」と伝えてくださった田池先生の思いに逆らって逆らってきた心が本当にはっきり見えました。自分を肉と思う心で、人との比較の中に上下優劣差別区別の世界を作り上げて、その中での喜びを本当の喜びとし、苦しみを乗り越えるために何とかと思ってがんばってきました。私は本当に人を見下げて見下げてきたんです。己が偉かったんです。そびえ立っていました。でもそんな自分が今まで当たり前となってしまっていて、なかなか気づけませんでした。そして、そびえ立っている肉の自分こそがすばらしい本当の自分だと信じて疑わなかったほどでした。
 でも苦しかった。心は正直に伝えてくれました。苦しいということを訴えてきました。そして、ホームページが私に本当の喜びを伝えてくれました。ともに学ぶ仲間がセミナーでの体験をとおして、本当の喜びを伝えてくれました。私は素直でなかった。喜びに対して、田池先生の伝えてくれる思いに対して、素直でありませんでした。この学びも間違ってとらえていて、アルバートヘの信が深まって喜びが自分の中で広がっていくことも、何か肉的に自分が上がっていく、肉の自分がすばらしくなっていく、そんなふうに勘違いしていました。肉を自分と思う心を土台に学んでいたからでした。学びの本道から大きくずれていました。苦しかったです。
 ホームページを前に目を閉じて、素直に「はい。私は肉ではなく意識でした」と思いました。心の目で見る先生の目が、私はあなた、あなたは私と伝えてくれました。うれしかったです。今まで本当に間違ってきたと思いました。自分を肉と思って苦しみ続けた三億六千年でした。もう限界だというところまで私の心はきていました。だから、その心を救っていくために、私は今世肉を持って田池先生に出会ったということを心で感じました。本当に素直になって、意識の転回をしていきたいと思いました。

 アルバートを捨てた心、人間の心を支配する心奥深くに厳然として存在する闇の心、情欲とはそんなものだと感じています。自分は肉だと信じてきた私にとってそれはすべての欲の心に密接に結びついており、他力信仰へ走る大きな原動力になってきた。寂しい心を満たすため、肉の幸せ、栄誉栄華を求め、またすべての心を、関心を求め、支配するため、肉を誇り肉を自分とする心すべてに情欲の心が張り付いていた。男女間の愛憎もしかり、でもそればかりではなく、人間の営みすべては情欲の心によって動かされていたように思う。過去世においても女である場合には男の情欲をそそり刺激し、自分の欲望を達成するために女として利用価値を最大限に生かし、男であった場合には金と地位を最大限に生かし、女を意のままにしてきた。今世も関心を得るため、自分の方に思いを向かせるため、己を表すため、さまざまな手練手管をつかってきた。意識せずとも、私は無意識のうちにそんなエネルギーを出し続けていたように思う。そのエネルギーは反吐が出そうなほど、異臭を放つ。田池留吉に対しては、この私を認めて欲しいという思いを出し続けていた。でも田池留吉にはそんなものは通用しない。悔しく憎く、悪あがきをする、そんな状態だったのだと思う。情欲を昇華する、それはしようと思ってできるものではないだろう。アルバートを心から信じ、アルバートの波動をしっかり感じ、共に歩んでいく、その過程で少しずつ少しずつ薄れていくように思う。私は意識、アルバートへ帰る意識、そう信じていく喜びの心の中に、優しく包まれて溶け込んでいくように思われる。


 ホームページを見て瞑想しました。自分の中の情欲を思うと、やはり寂しい寂しい心が出てきます。私は、自分を寂しい存在だと思い、この寂しさを何とかするための人生を送ってきたのだと気づかされます。自分の存在そのものを寂しい心だと思っていたから、何とか自分が寂しいということを隠そうとしたし、寂しい私を何とかしてほしいと他力を膨らませました。その心を一番向けたのは母親でした。そのことが、今では本当に申し訳なくてなりません。肉の母は、肉の愛情から私の寂しさを何とかしてくれようとしましたが、そこにはたらいているエネルギーは情欲のエネルギーだったと感じます。自分の心がそのエネルギーの中にはまり込んでしまっていて、そのことに気づき、そこから自分を解放していくことが、どんなに大変なことか今実感しています。申し訳なかったと、そればかりです。
 田池先生を思うと、私がどんなに助けてください、この寂しさを何とかしてくださいという思いを出しても、決して助けてくれなかったことが思い出され、今はそれがどんなに愛だったか心で感じます。助けずに、黙って、信じて待っていてくれたことが、どんなに寂しい私にとって愛だったか、本当にありがとうございますしかありません。
 自分で自分を救っていく道でした。私は寂しい存在ではなく喜びの波動だった、私は肉ではなく、意識でしたと、自分自身に伝えていく道でした。肉でどうこうできるものではないけれど、私もアルバートを信じていく道を歩いていきたいと本当に心から思います。心の中にアルバートの喜びを広げ苦しんできた自分を救っていきたい、心の転回を一直線にしていきたい、そう思っています。


 肉の寂しさはいかようにも埋められる。そして今までもその寂しさを埋めるためにあらゆることを試みてきました。いろいろなもので一時、心の満足を感じてもそれは本当の喜び、嬉しさではありませんでした。肉の喜びはそれが当たり前になってしまうと、もっともっととさらなるものを求めていきます。いつも、心のどこかに空洞を抱えたようなもろさ、寂しさが根強く存在する。それを繰り返してきました。人と比較し、もっと喜びが欲しい、もっと幸せになりたい、そんな思いすべては本当の心の喜びを知らなかったからだと感じています。情欲とはそんな自分の心の空洞を埋めようとする思いから生じてきたように思います。欲の心、それが縦横無尽に枝葉が伸びて絡むように私の心をがんじがらめにしてきたことを感じています。今やっと、その姿が顔をだしてきました。一本一本の枝葉をたどり、心の奥底にあるものを見い出していきたい、自分自身にやさしくなれたらと思っています。


 ホームページの「ひとつを感じます」を読んでいると、何かが心に響いてきてただただ涙が溢れてきました。何を感じているのか自分でもわかりませんでした。ただ、私は今まで頭で、肉でわかろうとしてきたことが見えました。意識の転回も、来世も、アルバートとの出会いも、四次元も、五次元も、全部全部頭でわかろう、わかるはずだと、心の底で思いこんでいました。肉でわかりたい心の奥には、肉の私がすばらしくなりたいという欲がたくさん潜んでいました。そのことに気づけました。その思いを修正していくんだということが見えました。
 そして、自分は何にもわかってなかった、わからなかったことに気づきました。そして、それでよかった、そんな自分が愛されて許されて生かされていた、そのことが心に響いてきました。ホームページに心を向けると、私たちは肉ではありません、意識ですと心に伝わってきます。そして、あのセミナーでの香世さんの異語のチャネリングが心によみがえってきます。あたたかくあたたかく心に響いて、ぬくもりが心に伝わってきて、ただ耳を傾けているだけで心が癒されていきました。そのぬくもりは、宇宙へ伝わっていっているような感じがしてなりませんでした。出会えたことが喜びでした。
 アルバートの波動を流し伝えてくれる意識と出会えたことが、本当に喜びでした。ありがとう、ありがとうと心からわいてきます。
 今は何もわかりません。ただ心を見て自己供養をしていく、アルバートを感じ信を深めていく、そのことをただひたすらにしていきたいと思いました。その中で、きっといつの日か心でわかってくるのだろうと思いました。


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