◎ 「心を見る」とは何か
ここまで、私が、セミナーの中でお伝えしてきたことを、かいつまんで話してみました。その中で、「心を見る」という表現がありました。初めて耳にされた人達も多いでしょう。そこで、心を見るということについて、少し語りたいと思います。
その前に、心を見るという「心」とは、一体何なのでしょうか。
私達はよく「心」は大切だとか、「心」豊かにとか口にしています。世間には「心」を謳う書物はたくさんあります。今は「心」の時代だとも言われています。いわゆる宗教の世界はみんな「心」を説いています。しかし、その「心」が分からなくなってしまったのが私達人間ではないでしょうかと、私はセミナーを通し、ずっと呼びかけてきたのです。
あなたは今、ひとつの肉体を持っています。その肉体があるから、あなたは確かに自分は生きていると思っておられます。しかし、果たして本当にそうなのでしょうか。肉体が生きているのではなく、「心」が生きていると考えられないでしょうか。
また、生まれてきた人間は必ず死んでいきます。どなたにも死は訪れるのです。死はその肉体が消滅するときです。では、死を迎えることによって、あなた自身は消滅すると思っておられますか。それとも霊や魂となって彷徨い続けていると思っておられるのでしょうか。肉体があなたなら、その肉体とともにあなたは消滅していくことでしょう。しかし、あなたがその「心」であるならどうなのでしょうか。そして、霊や魂と「心」とは違うのでしょうか。
これらの点について明確な解答を出せる人などいません。世間ではまことしやかに伝えられていますが、どの宗教書を紐解いてみても肝心なところはぼやけているのです。なぜならば、真実を知らないままずっと存在してきたのが、私達人間だからです。その肝心なことというのが、今まで誰も解明できなかった、たったひとつの真実です。その真実に出会うことが、本当の人生を生きるということなのです。だから、私は少なくともこの本を手に取ったあなたに、本当の人生を生きてもらいたい、そして、ありがとうと言ってその肉体を離していってもらいたい、そう思っています。
◎ 心を見る作業:日常の中での実践
さて、少々、話がそれかけましたが、あなたは「心」であり、心を見るということは、あなたを見る、見つめることだということと、真実を知っていくには、心を見る作業が必要不可欠だということを、念頭に置いて、読み進めてください。
心を見るというのは日常のあなたの生活の中で、あなたが今何を思い、どんな思いを出しているかを、その都度、確認していくという作業です。あなたが語り、行動する背景には、あなたの思いがあるのです。何を語り、何をしたかを重視するのではなく、その時のあなた自身の思いを自分の心の中で追っていく作業が、心を見るということです。
もう少し具体的な例を挙げてみましょう。
例えば、あなたが人に何かを言われたとしましょう。あなたにとってそれが嫌なことであっても、いいことであっても、その相手の口を通して語られた言葉によって、あなたの心に何か動きがあります。いいことを聞かされたときは喜んでいたのに、同じ人から嫌なことを言われたら悲しくなったり、怒ったり、落ち込んだりしませんか。それは一体どういうことなのでしょうか。相手の言葉や態度、あるいは、目の前の出来事で、自分の心が明るくなったり、暗く沈んでいったり、恐怖や疑い、憎悪の念を膨らませていったり、とにかく、心はいつもいつも動いています。その動く心を丹念に辿っていくと、私達はずっと相手の言葉や態度によって色々な思いを発してきたことが分かるはずです。そして、嬉しいとか、苦しいとか、つらい、悲しい、寂しい等々を繰り返しながら時を過ごしてきた、言うなれば、私はそのような様々な思いとともにある、色々なことを思っている私がここにいる、ということが見えてくると思います。心を見ていくと、悲しんだり、落ち込んだり、相手を罵ったり、そしてまた、殺したいほど憎んだりする自分、相手を思い通りに動かそうとする自分が、はっきりと見えてきます。
さらに心を見ていくと、相手がこう言ったから、こんな態度を示したから、こんな出来事に出くわしたから、様々な思いが自分の中に出てくると思ってきたけれども、本当はそうではないのかもしれないと思えてくるかもしれません。なぜならば、相手が何も言わなくても、何もしなくても、自分の心は、絶えず動いていると感じるからです。また、同じような場面に出会っても、そこから感じる思いも、出している思いも、その時その時で違っているし、相手によっても違ってくると気付きます。
それではその思いはどこから出てくるのか、なぜ出てくるのか、なぜ心はいつもいつもこんなに忙しく動いているのだろうか、心を見ていく習慣の中で、きっと色々なことが疑問として浮かび上がり、また、色々な気付きもあると思います。
◎ 母親との関係:心を見る出発点
こうして日々、日常生活の中で動く心を見つめていくことも大切ですが、あなたの心がストレートに出る相手は、何と言ってもあなたを生んでくれた母親なのです。あなたを生んでくれたお母さんには、あなたの思いがストレートに出てきます。あなたはあなたを生んでくれたお母さんを、今現在どう思われていますか。「お母さん」とあなたが心の中で呼んだとき、あなたの心に上がってくる思いはどんな思いでしょうか。それを正直に、ありのままにノートに書き綴る作業から、まず始めてみてください。自分を偽ることなく、飾ることなく思いを綴っていくことが大切です。
生まれて育ててもらった過程の中でお母さんに使ってきた心、長じて一社会人、あるいは、一家庭人となって母親に接したときに出てくる心、年老いていく母親に対して使っていく心、どんな時もあなたのお母さんはその肉を通し、あなたの心にある怒り、恨み、呪い妬み、恐怖、寂しさ、悔しさ等々、様々な思いを引き出してくれているのです。それがお母さんという存在です。それは、あなたを生み育ててくれたお母さんという存在を遥かに超えたもの、本当のお母さん、意識のお母さんという存在です。そして、その作業を重ねることによって、あなたを生んでくれた母親の思いというものに、あなたは触れていきます。
◎ 自分自身との対話:心を見る深まり
「お母さん、ありがとうございます。お母さん、私を生んでくださって本当にありがとうございます」、この思いが、あなたの心からふつふつと沸き起こってくるのです。それが本当の人間の心だからです。それが本当のあなた自身だからです。
心を見るということは、あなたの中にあるたくさんの思いに気付くということです。あなたの周りに存在する人達、あなたの周りで起こる出来事、それらによってあなたの中にある思いが引き出されていきます。その思いこそが、あなた自身なのです。あなたの心の中にあるから、その思いが引き出されてくるのです。すなわち、母親を通し、また、人と出会うことにより、そして、様々な出来事に出会うことにより、実はあなたはあなた自身と出会っているのです。そういうことが心を見る作業を通し、自分の心で分かってきます。
◎ 苦しみとマイナスの意味
相手を嫌い、蹴落とし、憎む前に、あなたはあなたの心を見ていかなければ自分自身のエネルギーに翻弄され続けます。エネルギーに翻弄されて、自分が全く見えない状態に自らを落としていく結果となっていきます。本当の自分を知らないから、そんな自分を自分だと思ってしまうのです。自分が許せなくなったり、自分で自分が抑え切れなくなって、どこかにそれをぶつけていってしまったり、あなたはさらに混乱していきます。
しかし、あなたが心を見るということの大切さを知っていたなら、その荒れ狂うエネルギーの中においても、自分を取り戻していけるのです。やがて、あなたの中には限りない喜びと温もりが存在していることを、あなた自身が知っていきます。生んでもらったこと、生まれてこられたことをただ喜ぶあなたに、あなたは出会っていけるのです。その過程を歩むことが本当の人生を生きるということだと、私は知ってほしいのです。
あなたの心の中で、「私達の思いを聞いてください、私達を助けてください、救ってください」と、たくさんのあなた自身が生きています。それが病気とか、色々な出来事を通して表面化してくるのです。その時あなたが、自分が生まれてきた意味も、目的も、自分という存在も知らなければ、外へ外へとそれらの現象を解決する方法のみを求めていきます。もちろん、病気になれば医療の手助けを受けて、身体を治していくことは必要なことでしょう。その他、事態の改善に向けて肉を動かしていくことも必要かもしれません。しかし、身体を治すとか、事をうまく収めるとかが最終目的ではありません。そういうことから自分の心を見て、自分の出してきた思いを確認していくこと、そこから自分の間違いに気付いていくこと、そして、そんな自分自身を心で受け入れていくことが大切なのです。病気を治すため、事態をよくするために心を見ていくのではなく、心を見ることが目的なのです。そのために、あなたは病気というチャンスを自分に与えたり、その他、色々な不都合に出会っていったりするのです。すべては、あなたが自分で書いてきたシナリオの中のひとつに過ぎません。自分が自分に与えた課題なのです。しかし、肉の自分を本物とする生き方の中では決してそうは思えません。今、悩み苦しんでいることの解決方法ばかりを探すのです。しかし、それを解決する方法はただひとつしかありません。それは自分の心を見るということです。
すなわち、心を見ていかない限り、根本的に解決しないということですが、それが、なかなか分からないのです。
あなたの肉にとって不都合なこともみんなすべてよし、あなたにとってマイナスと思われることもみんなプラス、この図式が分かりますか。
マイナスは、いわゆる真実を知らないまま苦しんできたあなたです。今、ひとつの現象を通して、やっとマイナスのあなたが顔を出し、語り始めているのです。人を通し、出来事を通し、様々な苦しみをあなたにぶつけてくるのです。あなたはその中できっと右往左往することでしょう。表面上の事柄にとらわれて、その解決策に四苦八苦するかもしれません。肉のあなたはそうかもしれません。でも、そんな時ふと、あなたの心を覗いてみてください。そして、その現象を思うのです。すなわち、ひとつの現象を形としてとらえるのではなく、波動として感じていくのです。日々、心を見てこられたならば、きっと、そこから何かに気付いていかれることでしょう。目の前の出来事は大変な状態であっても、そこから感じられるものは限りない優しさではないでしょうか。
◎ 病気や不都合:心を見るチャンス
マイナスを得ることによって、あなたがそういうことに気付いていったならば、それらはみんなプラスに変わっていくということです。すなわち、マイナスを得たことにより、今まで見えなかった世界が見えてくるのです。そうなれば、最初はマイナスだと思っていたものが実はプラスであった、私には必要なことであったのだと、あなたの心で段々と分かってくるはずです。
私はマイナスを克服しなさいと言っているのではありません。世間ではよく「病気と闘う」とか「病気に負けないで」とか言われていますが、その心はとても冷たい心です。自分を全く知らないから、そういうことをやり続けているのです。病気とは闘うものでなく、受け入れていくものです。病を得たとき、あなたの肉体細胞に心を向けてみてください。あなたの肉体細胞からは、あなたを苦しめる思いは流れていません。あなたに間違いに気付いてほしい、あなたに優しい思いを流してほしい、肉体細胞はあなたにただそのことを告げているのです。
それは肉体細胞に限りません。人間以外の生きとし生けるものすべてから流れている波動は、優しさと温もりです。それは、それらがみんな真実を知っているからです。愛の中に生かされていることを知っているからです。人間だけが厳しくて、暗くて、冷たい波動を、この宇宙に流し続けてきました。だから、これから人類は未曾有の体験をして、自分達の間違いに気付いていくということです。
◎ 母親の反省と他力信仰の反省
心を見る作業の中心柱は「母親の反省」と「他力信仰の反省」です。他力の神々に救いを、パワーを求めてきた心そのままを、あなたは今世の母親に使ってきたのです。それは二つ並行して反省を進めていけば分かります。母親に使ってきた心と、他力の神々を求め続けてきた心は、その根っこが同じなのです。
そして、肉のお母さんがどうとか、あなたが生まれてきた環境がどうとかではありません。あなたはその母親を選び、その環境を自ら設定して、この世に肉を持ってこられたのです。全部、自分がお膳立てした道筋です。その中で真実に目覚めるというか、本当の世界と出会っていく計画を、ご自分で立ててこられたのです。今、あなたがどんなに苦しい状況の中に肉を持っていても、それらはみんな自分で選んできたものなのです。だから、誰を恨むこともいらない、誰と比較することもいらないということです。あなたは、比較競争、呪いと恨みの中で存在してきたあなた自身を、本当は自由にしてやりたいと思ってきたはずです。しかし、その手立てが分からなかっただけなのです。
◎ 自分自身への問いかけ
どうぞ、真っ直ぐに自分の心を見ていってください。自分の心の声を、叫びを聞いていってください。そして、苦しんでいるのが本当の自分ではなく、私は喜びであったと気付いていけるように、様々なシナリオを自分に書いてきたのだということを、その心で分かってください。
そのことが自分の心で分かってこない限り、今世もまたあなたの人生は失敗です。たとえ、どんなに富を築き、名声を得ようとも、あなたの人生は失敗なのです。自分は何を間違ってきたのか、なぜ間違ってきたのかということを心で気付けなければ、地獄から生まれてきて地獄に帰っていくあなたの転生は、これからも永遠に続いていくことでしょう。
どうぞ、あなた自身、目を覚ましてください。欲にまみれたあなた自身の心を見ていってください。
そのために素直になって、何も持たなかった赤ちゃんの頃のあなたを思い出していってください。あなたの目の前のお母さんに全託して、ただ喜びだけを発していたあなたの心に戻っていくのです。そのあなたの汚れなき幼子のような心が、あなたの心の奥底にしっかりと今でも息づいていることを信じていってくださいと、私はお伝えしているのです。その心で、その目で、今のあなたを見てください。確かに、あなたは社会に適合して立派に成長されているかもしれません。しかし、あなたの心にはヘドロのような汚れがびっしりとこびりついてしまっています。もちろん、それは今世の時間だけではなく、過去から引きずってきたわけですから、その心の掃除は並大抵ではできません。みんな自分は立派である、間違っていない、正しく生きてきたという思いが心にしっかりとあります。特に人生の荒波を乗り越え、混乱した世の中を生き抜いてきたと思っている人は、私はよくやってこれたものだと自分の人生を賞賛することはあっても、全く間違った生き方をしてきたという思いにはなれません。また今世も、頑固に頑固を上乗せするような人生を生きてこられた、ということなのですが、そんなことに誰が本気になって耳を傾けるでしょうか。
たとえ、人生八十年、健やかに過ごされても、それから先があるのです。死ねば終わりではありません。あなたの意識の世界はずっと永遠に続いています。ということは、あなた自身が永遠に続いているということです。そして今世、生まれて死んでいくという人生の時間の中で、ようやく、あなたは自分自身が永遠に続いていくと知るチャンスに出会っているのです。だから、肉のあなたは気付けなくても、あなたの中の意識達は本当に諸手を挙げて喜んでいるのです。それを肉のあなたがどれだけ信じていけるかということでしょう。
私はあなたの肉に向かって語っているのではないことを、あなたが分かってくださるには、私に思いを向けて、私の波動の世界を感じていくことが必須条件です。そうすれば、私を肉で知っていても、知らなくても、私はあなたの心の中から語っている本当のあなたであることが分かってくると思います。これは確かに難しいです。頭では分かりません。いくら頭を巡らしても出てくるのは疑問と疑念だけです。
頭を巡らせば、「洗脳されたくない、そんなことは信じられない、信じない、何が意識の世界だ、そんなものには騙されるな、もっと肉に心を向けろ、お前は幸せになりたいのだろう、ならばお前の肉の喜びと幸せをもっと求めていけ、お前の周りはみんなそうだ、その肉を表せ、その肉を高めろ、そして、金を手に入れろ、そうすれば、幸せも喜びもお前の思い通りだ、何でも願いが叶えられるぞ、そんなまやかしに心を染めていけば後で泣きを見るのはお前だ、今更何を言っている」、そのような思いしか出てこないでしょう。
本当のあなたをその心から捨て去って、肉のみに生きてきたあなたの心の歴史が、そのように語ってくるのです。このことは、ほぼどなたも同じでしょう。
しかし、そこでもう一歩踏み込んで、自分自身の心に尋ねてみるのです。