UTAの輪の中でともに学ぼう 塩川香世
あなたはなぜ生まれてきたのでしょうか。
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私達は、今、肉体を持っています。肉体という形を持っています。しかし、私達の本質は意識。愛、愛のエネルギーなんです。
波動の世界がすべてでした。私達は形の世界を本物として、ずっと、ずっと、長い間、気の遠くなるような長い間、転生を繰り返してきました。
すべて苦しい転生でした。間違った転生でした。真っ暗闇の転生でした。その中に真実は何もなかったんです。真実は心に届かなかった。
このことに、誰もこの地球上に転生してきた人達、誰一人として、心で気付いた人はいなかった。誰一人、真実を明らかにする人はいなかった。
しかし、今、こうして、私達が肉体を持っているこの三次元の中で、ようやく、ようやく、田池留吉、アルバートという真実の波動の世界と出会い、三十年の学びの時間を経て、私達は、真実の道、愛へ帰る道を、自分の心の中に見出し始めています。
だから、私達は呼び掛けます。宇宙に彷徨う私達の仲間、この三次元にやってこれなかった私達の仲間に呼び掛けます。
もちろん、肉を持ってこの地球上に転生してきた意識達にも、呼び掛けています。ともに、ともに、帰ろうと。
愛、心のふるさと、私達のふるさとです。私達の心のふるさとは愛でした。愛は、私達の心のふるさとでした。懐かしい、懐かしい母の温もりの中へ、喜びの中へ、ただただ広がっていく中へ帰ってまいりましょう。
私達は、これから、250年、300年かけて、この地球上に、そして宇宙に広がっている空間の中で、私達は、呼び掛けてまいります。
波動として、存在していることを、ただただ自分達の心の中で感じ合い、共鳴し合う喜びの道を、ともに歩いていきましょう。
(all) |
宇宙を思って瞑想をしましょう。
愛へ帰る道。母なる宇宙を心に呼び、喜び、喜びで次元を超えていく、すべて自分が切望してきたことでした。
肉がすべて、肉を本物として生きてきた過ちの人生。真っ暗闇の中へ落ちていくことしかできなかった過去。
過ちの人生、過ちの過去とともに帰っていく道を選んでください。厳しくて険しいけれど、本物の優しさ、温もり、喜びの世界を知っていくには、それしかありません。
思うは田池留吉を日々実践、実践です。肉の時間の終わるその瞬間まで、思うは田池留吉一筋の道を生きていきましょう。
なぜ、自分に肉という形を用意したのか、思いの世界にある自分をしっかりと学ぶためです。学んで間違い狂い続けてきた自分の世界から本来の明るい世界へ温もりと喜びの世界へ帰っていくために、全部自分で計画してきたことでした。
その自分の思いをいつ、どんなタイミングで心に感じていけるか、そのタイミングをいつまでもどこまでも逸すれば、もはや地獄の奥底の底のずっとずっと奥底から自らを浮き上がらせる術はなしです。打つ手なしです。
1101) 奈良スカイプ瞑想会、ありがとうございました。前を向いて、ご自分の歩みを少しでも前へ出してください。ともに学ぶチャンスを用意してきた私達です。どんなに幸せな私達なのか、どうぞしっかりと心で味わってみてください。間違い続けてきた、狂い続けてきたことを感じていけばいくほどに、今、肉を持って学べるということがどんなに幸せなのか、心にどんどん響いてくるでしょう。他力のエネルギーにぐるぐる巻きの私達が、田池留吉、アルバートの真実の波動の世界を学べるという計画を立ててきました。固い決意のもとに、その計画を立ててきたことが、本当に自分の中に響いてくれば、もうあとは何も思うことはありません。その思いとともに、しっかりと自分の進むべき方向を見定めてください。
UTAブックさんのこのスカイプ瞑想会という企画もそうですが、ともに歩む仲間の一人として、私は色々と学べる場を用意していただいていることを嬉しく思っています。
田池留吉、アルバートとともにの自己確立の道、ご自分の中でしっかりと打ち立ててください。その喜びを共有してまいりましょう。
1102) 苦しんで苦しんで、悩んで悩んで、しかし、その中から、見事に蘇っていく、そんな手立てがあることをあなたは今の肉を通して知ったはずです。自分が苦しいことも知らずに分からずに、自分の人生を閉じていくほど、哀れはありません。自分がずっと間違って生きてきたことを知らずに、分からずに、のうのうと生きている人が山ほどいます。それが私達人間の実態です。
気付いていきましょう。日々流す思い、エネルギーの中に、その気付き、促しはいくらでもあります。こんなこと当たり前だと素通りしていることもたくさんあります。当たり前ではないんです。本当の自分を知らずに存在していることが全くおかしいんです。狂っています。ですが、狂っていると自覚することなく、我は素晴らしいとやってきた私達でした。
本当のことを心で知っていきましょう。心を開いて開いて優しくそして力強く狂ってきた自分を受けていきましょう。喜びの中に、温もりの中にいざなわれていることを知ってください。
1103) 私達は思いの世界に生きているということをくれぐれも忘れないでください。今、形の世界を目の前に展開していますが、それは言うまでもなく影の世界です。しっかりと形があるから、なかなか影だとは思えないかもしれませんが、影は影です。あるようでないんです。その反対に、思いの世界はないようでしっかりとそこにあります。決して消えません。その思いの世界はいったいどんな状態なのか、しっかりと知っていくために、形の世界を今、自分の前に広げているという意識の世界の仕組みを知っていきましょう。形の世界を立派に作り上げるために、形の世界を用意したのではないのです。
全く思い違いをして存在してきたことに、少しでも心から気付いていくことが肝心です。全く思い違いをしてきたんです。意識の転回を速やかにして、自分の目を覚ましましょう。覚ました目で自分を見つめ、自分の周りを見ていけば、さらに転回が捗っていきます。転回が進んでいけば、自ずと心は軽くなります。こだわりが薄くなって弱くなって、本当の優しさだとか嬉しさ、喜びが広がっていきます。ゆったりと時間を過ごす喜びの中で、どんどん自分を解き放していきましょう。
1104) 生きていく方向を転換していくこと、それは肉から意識への転回を意味しますが、これは本当の自分からの唯一のメッセージです。もう私を裏切らないでくれという思いを込めて、どんどん促し続けます。気付きを次から次へ用意します。愛ゆえです。愛だからそれが自然なんです。自然に逆らって逆らって、逆らい続けてきた偽物の自分は、これも当然の如く幸せになれるはずはありませんでした。こんな簡単なことが長い間、分からなかったなんて嘘みたいなお話です。
けれど、それが現実だったんです。その現実をしっかりと確認して受け取って、もう本当に自分の目を覚まさなければならない時期に来てしまいました。悠長に構えている時間はありません。これまでの転生の時間に比べたら、残された時間はほんの僅かです。気を引き締めてしかし喜んで、喜んで、愚かな自分の現実と出会い、生きていく方向を180度、転換してください。
1105) 私は、最近つくづく思います。一番幸せなのは、ゆったりとした時間がある人だなあと。もちろん、言うまでもなく学びに触れているというのが前提条件ですが。
学びに触れ、そして時間に追われることなく、ゆったりと心も身体もゆったりとして、瞑想ができる生活環境が整っている人、何よりも幸せです。
単に時間やお金があっても、ゆったりと心も身体もゆったりとして瞑想ができるとは限りませんが、時間やお金に縛られないという人は、肉でもそうですが、確かに意識の世界を学ぶのにも好条件です。
シンプルな生活をお勧めします。お金は別として、時間的にゆったりとゆったりとお過ごしください。ぼぉーとする時間があればいいんです。思い煩うことが何もなくて、ぼぉーとできる時間を持てる人、もしあなたがそうならば、まず今のあなたを本当に喜んでいってください。
あなたの今の生活はどうですか。思い煩うことが何もないとまではいかないまでも、あまりない生活でしょうか。思い煩うことがいくつかあってという人は、何を思い煩っているのか、なぜ思い煩っているのか、本当に思い煩うべきことなのかと、ひとつ、ひとつ検証してみてください。
1106) 意識の流れ。この流れをしっかりと自分の中で感じてください。意識の流れ。この流れの中にあると伝えていただきました。すべての意識がこの流れの中にあると。すべてです。だから、その流れに逆流する流れは自然淘汰されていきます。意識の流れと融合するのではなくて、自然淘汰です。
言い方を変えれば宇宙のもくずということになります。
意識の転回を速やかにしていくことです。いつまでも肉、形の世界に留まることは要求されていません。形ある世界から形のない世界へ歩みをともにしていこう、そして、さらに意識の世界を進んでいこう、波動、愛の世界は限りなく続いていきます。進化させていくことが喜びの扉をどんどん開いていくことなんだと感じます。肉の次元に留まっている私達ではありません。愛を捨てた私達です。ですが、愛へ帰れるんです。その道筋を今世、はっきりと知らされました。本当の自分、愛に帰る道をどうぞ、ごいっしょに。田池留吉、アルバートの波動の世界とともに。
1107) ともに瞑想をという時間と空間を用意しています。ともに瞑想をしていける今を喜んで、学びの仲間とともに瞑想をしてください。あなたのそばにそういう学びの仲間がいればそれは幸いなことです。なくても、セミナー会場にくればたくさんおられるし、今はネットを通しても学べます。
意識の世界には時間も距離感もないし、はい、心を向けようと互いにしていけばいいだけです。向いているか否か、どの程度向いているのか、そういうことを気にするよりも、自分の切なる思いを大切に、本当の自分の存在を信じて、向けていこうとする気持ちが何よりも大切です。
250年に至る中で何度かの転生がそれぞれに用意されています。自分で用意しています。今世はその準備段階です。ここをきっちりと押さえて、そして、必ず次元移行を果たすという自分の計画の遂行してください。
今世はこれまでの転生の向きを変える大きな転換期だということを心に留め置いて、自分のこれまでに思いを馳せて、日々喜んで生活しましょう。自分のするべきことを本当に心で知っている人は最高に幸せです。
1108) どんなことも自己選択、自己責任です。例えば好き放題、自分の思いのまま、欲のままに生きていったとして、その責任は全部自分で負うようになっています。賢く立ち回っているつもりで、そしてそれは形の世界ではそれなりに通用しても、意識の世界は絶対にそうはいかないんです。形の世界では逃げ道はあるけれども、意識の世界にはありません。
肉の法則は意識の世界には通用しません。肉の掟は肉の中でのみ有効です。そして、その肉の掟も、結局は意識の世界で清算しなければなりません。なぜならば、もともと肉の世界など存在しないからです。影は影でしかありません。
全く違う基盤に自分を乗せていくしかないことを、これから250年、300年かけて、徹底的に知らされていくという計画です。
形の世界が崩れて崩れて崩れ去って、そこから何かを感じ始める、気付いていく、そうならなければ残念ながら気付けないんです。そういう道筋を歩いていくようになっています。意識の流れは粛々として流れています。次元移行へ向けて力強いメッセージをどんどん流していきます。
1109) 田池留吉、アルバート。今そう呼べる今に喜びを感じていますか。田池留吉、アルバートと思える幸せはどうですか。肉あればこそです。互いに愚かな肉ではありますが、肉あればこそ、田池留吉、アルバート、そして愛、母なる宇宙に思いを向けることを知ったのです。肉を通して学ばせていただいてきました。今ももちろん学ばせていただいています。
喜んでいきましょう。嬉しいじゃないですか。学びの友もたくさんいます。目に見える友、目に見えない友、ともに宇宙に思いを向け、次元移行に思いを馳せる時間を私達は用意してきました。しっかりと心を向けていきましょう。欲だらけの私達でしたが、それもすべて受け入れてもらってきました。だからこそ、こうして生まれてこれたんだし、真実の波動の世界を垣間見る学びにも集わせていただきました。本当にありがとうしかないですね。腐った自分の思いの世界を知っていけばいくほどに、本当にありがとうしかありません。ありがとうございましたと言うのは私達のほうなのに、出会いをありがとうと伝えていただいた田池留吉の意識の世界でした。本当にすごい世界なんだと思いました。
1110) 世の中の流れに逆流する流れのように感じる意識の流れかもしれません。
実はその反対です。意識の流れが本筋であって、それに逆流しているのが世の中の流れです。学んでいる人達にとっては、こんな解釈、無用かもしれませんが、さて果たしてどうでしょうか。あなたは、本当にあなたの中で意識の流れというものを感じておられますでしょうか。いいえ、あなた自身が意識の流れであると知っていますか。意識の流れを現実のものとしてどの程度受け止めておられるでしょうか。
どうぞ、自分に用意している時間、肉を持つ時間、大切にしていきましょう。意識の流れの中にある自分達だったと、意識の流れの中に溶け合う喜びと幸せを学んでまいりました。少なくとも私自身は、その自覚があります。千載一遇のチャンスの中で、自分の進んでいく方向を伝えていただいたことに心から感謝です。
田池留吉を思えること、アルバートと呼べること、あなたの中で唯一の喜びだとする確信の道を生きてください。私は愛ですと心から思える自分に戻ってまいりましょう。
1111) 瞑想をしてください。瞑想をしましょう。正しい瞑想ができるようになれば、本当に分かってくるんです。今が、そして自分がどんなに幸せなのか、どなたの心にも響いてきます。まずはそれが感じられるかどうかです。そのためにはどうすればいいのか、たくさんのお勉強の材料は揃えられています。そういうものをいい加減にして、本当のことが知りたい、本当の幸せを、喜びを知りたいというのは欲だけです。自分の心の貧しさをまずは知ることです。欲だけで生きてきた自分の心の歴史がどなたにもあります。本当の自分を捨て去ったからそれは当たり前のことでした。欲でしか生きられなかった。欲を欲とも思わずに生きてきたと言ってもいいと思います。
どんな大義名分があろうとも、本当の自分、自分が愛だということを捨て去った、忘れ去った意識の世界は愚劣以外のなにものでもないことを、私達はもっと知っていかなければならないでしょう。
そのために、これから250年、300年の中で何度かの転生が用意されているのです。
1112) 目に見える友、目に見えない友、たくさんの友とともに、今日また心を向ける時間と空間をいただきました。同じことの繰り返しに感じるかもしれないけれど、決してそうではないことをあなたの心で感じてください。
よかった、ありがとうと笑顔で別れていく嬉しさが何とも言えません。
少々不純な動機で始めた「ともに瞑想会」でした。田池先生からもう止めたらどうやと言われたことがありました。ですが、私自身、続けてきてよかったと思っています。ともに歩もう、ともに行こうの思いで、それぞれが集われていることを信じて、私は私の喜びの道を歩いていくだけです。田池留吉の意識の世界に徹底抗戦してきた私達ですが、どうぞ、何としてでも今世を境に、本当の自分に素直になって、250年後の出会いを果たしてください。ともに心を向けていける喜びを伝え続けます。お互い、肉はどこまでいっても愚かですが、愚かな肉は肉なりに、ともに学べることを喜んでいけばいいのではないでしょうか。特別な存在はどこにもありません。みんな地獄の底の底の奥底から這い上がってきた意識です。しっかりとそれを自覚して、自分の舵を真実の方向に切っていってください。
1113) 学びの友からのメールです。読んでみてください。
「疲弊した意識の世界に活力を」日々の生活の中で突然に突き上げてくる思いです。今日も、朝に「疲弊した意識の世界に活力を」この思いで目が覚めました。驚いたけれど嬉しかったです。
朝の1109の朗読の後の瞑想の中で、力強く力強く、この思いが何度も繰り返す。愛おしい愛おしい思いが涙ともに溢れてきて、愛おしいという思いが本当に優しいと心から思える。お母さん、お母さん、ありがとう。お母さんを呼べることが嬉しいです。お母さんを思えることが嬉しいです。
「UTAの輪セミナー」の時間と空間の中で、毎日ホームページから流れるメッセージ、そして、ポッドキャストの朗読を聞いた後の「ともに瞑想」の時間と空間の大切さを改めて噛み締めています。「ともに行こう」の呼びかけが嬉しくてうれしくて、どれほど間違い続け狂気の中に沈んでいても、必ず帰れることが信じられる。本当に至れり尽くせりの中で学ばせていただいています。
「あなたに残された肉の時間を、どうぞご自分のために使っていってください。喜んで喜んで使っていってください。そして、250年後、喜びで出会いましょう」のメッセージ、全てに流れていく。真っ直ぐに真っ直ぐに心に届きます。いつも変わることなく流れてくるメッセージは、母なる宇宙からのメッセージ。ふるさとの歌のリズムとともにいつもいつも流れていた。母なる宇宙からの思いと、母なる宇宙への思いが一つに重なってくる。そんな感覚を心に感じながらメッセージとともに日々を送る。このリズムに乗って、すべてを委ねていける喜びは、私の中で正しいと思っていた思いを、すべてご破算にして、新たな一歩を踏み出せば、目に見える友、目に見えない友とともに、次元移行に向かって羽ばたいていける勇気が喜びとともに湧き上がってくる。一歩また一歩と、この道を歩き続ける喜び幸せを広げていける自己確立の道、自分を信じて信じて歩き続けます。
日々の生活の中で煩う心が気付かせてくれます。心配する心癖は、どれほど己が偉くて、欲深くて、自己中心であったかを気付かせてくれていました。小さい小さい中に固まって、人の目を通して自分を見ていたことを気付かせてくれる。残された肉の時間は自分のためにと溢れてきます。
ホームページから流れる波動は初めから、そして、250年後の次元移行に向かって流れている。永遠に流れている。
「ともに帰ろう。」ともに一つになってと私達の本当のふるさと母なる宇宙に帰れる流れの中にあることを伝えてくれている。その流れの中に私達のエネルギーは初めからありました。ともに行こう。ともに帰ろう。その誘い、やっとやっと気が付きました。田池留吉の指し示す方向に、目に見える友も、目に見えない友も一つになって突き進んでいくその喜び、大きく大きく広がっていきます。
あなたは愛です。と田池留吉からの指差しが嬉しくて嬉しくて。真っ黒が嬉しくて嬉しくて。喜びとともに、ありがとうの思いが突き上げてきます。溢れてきます。
やっとやっと素直に、素直に、ハイ、私は愛でした。私達は喜びです。ひとつの世界しかなかった。この世界だけが真実なのだと信じられる。
私は愛です。この思いを未来の私に繋ぎます。そして、250年後、必ず必ずアルバートに出会わせていただきます。
私は愛です。の思いとともに出会わせていただきます。
「ともに瞑想会」ありがとうございました。
1114) はっきりとした意思表示をしてください。自分は、私はこうして生きていくんだ、こっちのほうに心を向けて、思いを大切に生きていくんだ、そう決断すれば、それを淡々と遂行していくだけです。その決断に間違いがなければ、必ず分かります。喜びが幸せ感がふつふつと沸き起こってくるからです。自然に嬉しい、ありがとう、よかった、今日も一日ありがとう、そんな思いが出てきます。それが私達の本来の状態だからです。何の不思議もないけれど、愚かな肉としては不思議であり、驚きであり、だからこそ喜びが広がっていきます。もともと幸せな自分だったこと、喜びを知りたい、感じたい、本当のことを知りたいと思わずとも、すでに知っていたことを知るからです。どうして生きていけばいいのか、自分の心で本当に分かれば、こんな幸せなことはないです。文句なしに嬉しいです。ただ嬉しいだけです。自分の本当の世界に帰っていける道が分かれば、それはもうただただ嬉しいだけ。そうではありませんか。
1115) 愚かでない人間などいません。私達はみんな愚かでした。愚かです。そんな愚かな私達だからこそ、本当のことに出会っていけば、嬉しさが倍増します。形の上で不平等、不公平で散々自分をいたぶってきた人ほど、本当のことを自分の心で知っていけば、苦しみの底をその肉で知っているから目の前がぱあっーと明るくなります。霧が晴れ、すっきりとした青空のもと、母に抱かれていた喜びと幸せ、安心感だけが自分の心を埋めつくすのです。その一方で、色々なものに恵まれて当たり前と生きてきた人は、同じことを体験しても、それが自分の中に強く響いてこないかもしれません。そう思うと、心を落として生きてきたことはみんな同じでも、自分の中が急転回していく喜びと出会えるかどうかは、まさにその時のタイミングということになるでしょうか。
この自分の中が急転回していくという体験、これこそが、まさしく250年後に必要になってきます。そのとき出す喜びのエネルギーは爆発的なものです。宇宙を駆け巡り、次元移行へと大きな仕事をしていきます。まさに意識の世界の流れです。その流れにしっかりと乗っていこうと、今呼び掛けています。
1116) 楽しく日々生きていますか。不平、不満、愚痴、暮らしていれば出てくると思いますが、できるだけ短時間に反転してください。悲しいことや、辛いこと、苦しいことも起こってくるでしょう。ですが、ずるずると引きずることなく、その中に巻き込まれるのでなく、悲しみや辛さ、苦しみっていったい何だろうかと自分に問いかけながら、自分の中で包んでいきましょう。
目を閉じて思えば、すべてよし、すべてよかったんだ、心が広がっていけば、そして自然に嬉しさが、喜びが広がっていけば、それは学びの成果だと思ってください。無理に思おうとしなくても、寂しい中、悲しい中、苦しい中、ふうっと思えば、自分の中に、自ずとそのような世界が広がっていっていると感じてくれば、意識の世界ってすごいなあと思わざるを得ないと思います。
そういう心の体験をひとつ、ひとつ重ねてこそ、自分の住処である思いの世界を大切にしようとなってくるのではないでしょうか。その思いがまた自分を喜びへといざなっていきます。自分の中の愛が仕事をしている、そう自ずと感じるでしょう。それが波動となって宇宙へ流れていくんです。
肉のあなたは何もできません。肉のあなたがすることは、ただひたすらに、真摯に素直に田池留吉を思うこと、心の針の向け先を確認することだけです。
1117) 私は、田池留吉を信じています。田池留吉を信じるということがどういうことなのかを心で分かっています。また、私は、アルバートを思う、呼べる幸せも感じています。今世が千載一遇のチャンスだったことも心で知っています。
あなたはどうですか。自分を精査してください。自分に下駄をはかせても仕方がありません。空しいだけです。きちんと、自分の今を精査できる勇気を持ちましょう。現実を直視して、そして、自分の学びを進めてください。宇宙とともに次元を超えていくのか、宇宙のもくずとなって沈み込んでいくのか、自分の中で答えを出し、出した答えに責任を持って生きていきましょう。喜び人生を生きましょう。苦しみ人生なんてなかったんです。
ただし、意識の転回が捗らなければ、いつまでも苦しみの中です。形を見ればそうは思えないかもしれませが、それもこれも全部自分が自分に必ず伝えてきます。苦しみを伝えながら、苦しみの中にあると思っている自分の間違いを伝えてきます。メッセージを素直に真摯に受け取って、本当の喜びの人生をともに生きていきましょう。
1118) 暮らしていくにはある程度のお金が要ります。仕事をして収入を得るか、年金か、相続等で確保するか色々とあるでしょう。後ろめたいものでなければ、それらを活用してまず生活のリズムを整えていきましょう。生活のリズムを整える、学びをしていくのにはひとつの大切な条件です。体力、気力の面からもそうですし、実際にやってみればお分かりになると思います。肉の世界に少々足をかけて、そして学んでいくということが学びをしていくうえにおいて、最も効率的です。少々足をかけるためには、それなりの生活が要ります。基本的には、自分のことは自分でということです。自分の意識の世界を変えていくために、ひとつの肉を持ってきたという大前提のもと、肉は肉の生活を楽しみながら、しかし思いはひとつだから、少々肉の世界に足をかけていくだけでいいんです。時期がくればその足を引っ込めて、自分の思いの世界に戻っていくだけです。その思いの世界がどんな状態なのか、それが何よりも重大です。
1119) 苦しみも悲しも寂しさも怒りもその他みんなみんな違っていました。それらは一人の人間のとしてのごくありふれた感情、思いだけれど、それは私達が作ってきたものでした。最初からあったものではありませんでした。
と私達は伝えてもらいました。そして、最初からあったものは喜びだけだったと、伝えてもらったけれど、なかなか実感が湧いてこないということだと思います。
苦しい、辛い、悔しい、悲しい、寂しい、助けて、何とかして、どうしたらいいのか、そう叫んでいるほうが私達にはしっくりいくでしょう。喜び、嬉しい、ありがとうと思うよりも、苦しみ悩み憂いているときが、圧倒的に多いからです。羨み呪い競争し支配し闘いのエネルギーばかりをまき散らしてきた私達には、自分は愛だと確信する道は険しいです。厳しいです。次から次へと押し寄せてくるブラックのエネルギーの渦。それが私達の実態です。ですが、今、今です。今、しっかりと田池留吉という道しるべに自分の針を向けていきましょう。道しるべはあなたの心の中にあります。出会ってください。道しるべの波動をしっかりと受け取ってください。
1120) 体力、気力のある間に学んでください。どちらも大切です。単に生き永らえることが幸せなことではありません。幸せの条件は学びに触れることです。学びに触れて、学びで言われていることを素直に実践することです。それがない人は、どんなに満たされた人生であっても本当の人生には巡り合えないです。なぜ生まれてきたのかを心で知らずに生きても、行き着く先は決まっています。なぜ生まれてきたのかを心で知らずでは、地獄から出て地獄へ帰る循環から自分を解き放していけないからです。本当は地獄など存在しません。地獄は、愛を、本当の自分を捨て去った私達が作ったものです。私達は地獄という苦しみの世界を自分達で作り上げて、そこへ自分達を沈み込ませたという愚かなことをやってきました。
愛を、本当の自分を捨て去った、つまり、私達は愛から出てきてしまったのです。愛の中にいればよかったのに、飛び出していきました。飛び出してきたけれど、愛はずっとそのまま私達を待ち続けています。だから、その愛の中へ帰っていけばいいんです。素直に喜んで帰っていけばいいだけです。こんな簡単なことが分からず、苦しみ続けてきた私達だったことを、あなたも自分の心で感じて、そして自分に心から懺悔してください。
1121) 意識の転回。大きなたったひとつの大切な大切な仕事です。困難と厳しさを伴いますが、クリアする以外にありません。難しいですが、不可能ではありません。喜んで自分の意識の世界の転回を試みていきましょう。
どんなに苦しい中で転生してきたか、死後の自分が教えてくれます。自分が自分に伝えてくれるんです。死んでも死んでいないたくさんの自分です。みんな心の開放を待ち望んでいます。手を差し伸べ、こっちだよと伝えてくれることを待ち望んでいます。ひとつの肉を足掛かりに、どんどん自分を解き放していきましょう。もう苦しむのは止めましょう。自分で自分を追いつめるのではなくて、抱きかかえ抱きしめて、そしてともに行こう、ともに帰ろうとしっかりとメッセージを伝えましょう。反逆、抵抗の思いもまた嬉しいです。今だからようやく出会えたのです。そんなに自分を傷つけてしまったのかと心から詫びて、帰るところはここしかないことを、しっかりと伝えてください。
1122) 肉を持つ時間は限られています。肉を離す時が突然にやってくる場合もあります。今はもう何が起こってもおかしくありません。想定内、想定外、様々な現象が起こってくる中で、学びに触れた私達は、瞬間、心を向ける合わせる、向けられるか合わせられるか、それだけです。
なぜ生まれてきたのか、何をするために生まれてきたのか。苦しみや悲しみはなぜあるのか。人間はみんな幸せにならなければならないのに、なぜそうならないのか。本当の自分を知らずに生きて死んで、何度繰り返してきたのでしょうか。けれど、それももうまもなくピリオドです。今のような肉を持てなくなるからです。少なくともこの地球上においてはそのような環境は残されないでしょう。それではどうなるのでしょうか。意識の流れに乗り切れない意識達は、漆黒の中に沈み込んでいくしかないかもしれません。意識の流れ。どうぞそのいざないにしっかりと応えていけるように生きてください。
1123) UTAホール志摩セミナー、ありがとうございました。ポッドキャストを聞いていただいたかもしれませんが、今回、参加者名簿に目を通したとき、お久しぶりのお名前があって、つい嬉しくなってあのような内容になりました。もちろん、今回もたくさんの学びの友とともに学べる時間をいただいたことが私には本当に嬉しいです。思いのままにセミナーを進めさせていただいて、本当にありがとうございました。
ポッドキャストで読ませていただいた文章を載せておきます。
セミナー会場において、いつも見慣れた友もいいけれど、久しぶりに学びに集ってくれた友もまたいいものです。ひとたび学びに触れて何らかの事情でセミナーに来れなくなってしまった友かもしれませんが、どうでしょう、みんなとともに心を向ける時間と空間を共有してみて、よかったと思っておられるのではないでしょうか。それぞれに事情があると思いますが、今世学びに触れたんですから、どうぞこのチャンスを無駄にしないでください。宇宙に点在する夥しい意識達を思うとき、こうして今肉という形を持って学べることがやはり、私には最高に幸せだと思わざるを得ません。狂い続け闇黒の中に沈み込んできたから分かるんです。どうしても何としてもここから自分を救い出していきたい、いこう、自分を解き放していきたい、いこう、そんな思いから這い上がってきた意識が、ようやく、ようやく、本当の自分に、愛に帰る道筋と出会ったんです。今世、田池留吉という肉を通して伝えていただいた真実の世界でした。私は、肉の私は何ということもない平々凡々です。ですが、私は自分を250年後に繋ぐことができたと確信している意識です。どんなことがあろうとも必ず次元を超えてともにある喜びの世界を広げていくことを知っています。肉ではご多分に漏れず色々とあります。ただ、目を閉じて思いを向ければそれらはどうでもいいようなことばかりです。それよりも、今この心に感じているものを大切に育んでいこうと思うだけです。久しぶりに出会う友を見て、あなたもどうですか、ともに行きませんかという思いを投げかけてみました。
1124) 学びの友のメールです。よかったと笑顔で別れていく喜びは、何度味わってもいいものです。
今回もこのような学びの機会をいただきありがとうございました。
初めてUTAホール志摩に訪れ、みんなとともに瞑想の時間を頂き、本当に幸せだなと思いました。ゆったりとした中で、心の底の底に思いを向ける。アマテラスを思う。宇宙を思う。田池留吉、アルバートを思う。なんとも贅沢な時間でした。また3月お会いできるのを楽しみしています。ありがとうございました。
1125) もうすぐ弥生三月。2018年最初の本セミナーが三月の最終週にあります。これから、第10回NPO法人UTAの輪セミナーに向けて資料を整えます。振り返れば、2015年3月に、田池先生のいないセミナーが始まりました。そして、その年の12月に田池先生は本当にその姿を消して、それが第1回のNPO法人UTAの輪セミナーとなりました。それ以降、志摩へ向かう近鉄特急の電車の中では、先生の訃報を受けたあのときのことをいつも思います。覚悟はしていたものの、実際に2015年12月のセミナーは心中複雑でした。田池先生の肉とともに最初の志摩セミナーをしたかったというのが私の偽らざる思いでした。そういう経緯の中、本セミナーも来月で10回目となります。それ以外のセミナーもスタッフの人達のご尽力で数を重ねています。田池先生が心血を注いで伝えてくれた学びです。それぞれに事情の許す限り、ともに学んでください、学んでまいりましょう。
1126) 二つに一つです。学びはそういうことです。学びをするということはそういうことです。二刀流は通用しません。それぞれが思い出してください。自分が今世、肉をもらってきた訳を、その決意を心に思い出してください。何をしたかったのか自分に問い続けてください。きっと思い出すはずです。きっと満足のいく回答が出てくるはずです。そういうふうになっています。
今世、学びに触れるとはそういうことなんです。偶然ではありません。何となくでもありません。きちんと自分の中で計画してきたからこそ、あなたは学びに集ってきたのではないでしょうか。もちろん、すぐに去っていく人もいます。途中で消えていく人もいます。しかし、長く学んでいる人達は学びにぶら下がっているという場合もあるかもしれませんが、決してそうではないと私は思いたいです。それがどうなのか自分の心で分からずでは、大変もったいないと思います。せっかくのチャンスをみすみす逃すことのないようにと思ってしまいます。余計なお世話かもしれません。余計なお世話でしょう。ただ、こんなすごいチャンスを用意している私達ですということを心で知っていただきたいと思います。
1127) それぞれに学べる環境が違います。色々と事情もあるでしょう。ですが、そういうことを言い訳にして、自分から目を背けずに、きちんと自分の流してきたエネルギーを確認してください。無理をせずに学んでください。ゆったりとしかし心の向け先は揺ぎなくただ一点です。自分に用意してきた今世の時間です。大切に大切にしてください。本番250年後に向けてできる限りの準備をしていくことが、自分にとって最も喜ばしいことです。もう次元移行は始まっています。あとは最終の詰めをするために250年後に集結しましょうということです。
心を田池留吉に、アルバートに、そして愛、母なる宇宙にしっかりと向けて、ともにともに帰る道を確認してください。喜びです。喜び以外に何もありません。ともに次元を超えて、そして限りなく広がっていく意識の世界を学んでいきましょう。ともにある喜び、ともに生きる喜び、ひとつになっていける喜びです。
1128) 体力、気力の許す限り、ともに瞑想をしましょう。思う、思える喜びをどんどん感じていきましょう。私達はみんな本当に間違い続けてきたんです。自分の本当の姿を見失ってきたから、苦しみの底の底に沈んでも当たり前のことでした。人として立派、見上げた人と評される人は、世の中にたくさんおられます。過去の歴史を紐といても、そのようになっています。
だけど、現実はそうではないんです。肉体を離したあとの意識の世界の状態を、肉体を持っている間は忘れ去っていて、殆どの人は生と死を分断しています。死がまさに喜びの状態でなければ、生の喜びは本当の意味で分かりません。生きている間は功績等を積み上げ立派であっても、自分を見誤っている限り、死ねばみんな無知な状態になるでしょう。最初から無知だったけれど、肉という世界で上手にごまかしてしまうんです。その術にたけた人が、世の中に次から次へと認められていくということでしょう。世の中に認められても行き着く先が真っ暗闇ではどうしようもありません。本当の安らぎ、温もり、喜びの中へ戻っていけるように、肉を持つ時間を活用してください。
1129) 田池留吉、アルバートの世界は厳しいけれど真実の世界だから、思いを純粋に向けていけばいくほどに、応えてくれます。しっかりと応えてくれます。それは揺るぎない世界だから委ねていけるんです。安心感が広がっていきます。そこには何の縛りもありません。伸び伸びと自分を解き放していける喜びと幸せに包まれています。田池留吉、アルバート。そう思いを向けられる今をただただ喜んでいきましょう。
これまでの転生の延長線上に今世を置くことがないように。全く違う軌道に自分を乗せていくように、いけるように、そのために肉を持ってきた私達です。肉に塗れてきた過去とともに、田池留吉、アルバートの世界を心に広げていきましょう。待って待って待ち続けてきた自分の思いに、もう素直に真摯に応えていってもいいのではないでしょうか。幸せに喜びにどんどん出会っていきましょう。
1130) 思いを純粋に向けると書きましたが、それはどういうことか分かりますか。
この学びをするにあたって、それぞれどなたも程度の差こそあれ、突き当たる問題があります。冠婚葬祭です。いかに周りに自分の思いを伝えているかで、あなたの学びに対する姿勢が分かります。自分の思いを真っ直ぐに伝える、言える、それは自分の中の信の問題です。周りとの協調を取りながら、この学びはできません。はっきりとした明確な意思のもとで、学びを遂行していく、そんな覚悟でないと、あなたの今世の転生は過去の転生と何ら変わることはありません。確かに、色々と感じることもあるでしょう。しかし、この学びのたったひとつのポイントは意識の転回です。
これから、それぞれどのような転生を自分に用意しているか、それはそれぞれの課題ですが、今世、自分に肉を用意して、学びに繋がったという事実を、自分の中で本当に大切になさってください。
自分を裏切り続けてきた私達です。もうそんな愚かなことは止めてください。
1131) 想定内、想定外、様々なことが起こってくる中で、どうぞ自分を見失わないように、自己確立に努めてください。自分を捨てないでください。裏切らないでください。ともにある喜びを心にしっかりと感じられるようになってください。母なる宇宙へ必ず、必ず帰っていきましょう。母なる宇宙、私達のふるさとです。母なる宇宙は喜びです。それが私達の宇宙でした。闇黒の宇宙に塗り替えてしまったけれど、帰れるんです。帰れることを伝えていただきました。帰ってきなさいと伝えていただきました。みんなとともに帰ろう。母なる宇宙へ。苦しみの奥底の底のまだずっと奥底からどんな思いで這い上がってきたか。感じてください。知ってください。だから、私達は田池留吉の意識の世界を学ぶ計らいの中にあったんです。田池留吉、狂いに狂ってきた意識にようやく、その世界の波動が届きました。
それが今世、今という時間でした。
1132) どんな時も、思うのはただ一点です。その一点を自分の中で知っていくことを、何よりも、何より優先してください。一点が分からなければ、どうしようもありません。しっかりと自分の中で確認、確認の日々をお過ごしください。すべてはそれぞれの意識の世界の出来事です。確かに、意識の世界はひとつです。しかし、それは心の針をきちんと合わせているのか否かで全く違う世界を広げていることをお忘れなく。
田池留吉、アルバート、母なる宇宙と言っても、あなたが感じているそれと私が感じているそれとは違うかもしれません。また喜び、温もり等の厚み、深さはどうでしょうか。意識の世界、波動の世界は限りなく広いんです。限りがありません。どんどん思いを向けていくだけです。喜びで純粋に思いを向けていくだけです。ともにある喜びをひとたび感じていけば、肉を持つがゆえの愚かさを感じても、それによって、自分を見失うことはあり得ません。揺れる心を今感じられるから幸せなんです。愚かな自分が浮き彫りになってくるのを知っていけることが喜びなんです。
待ち侘びてきた波動の中に生きていることを、あなたの心で知ってください。
1133) 昨日、今日と2日連続で、南河内のスカイプ瞑想会がありました。ホールの近くに住まわれている方が殆どで、学ぶにあたっての環境は整えられています。学びの友がたくさんいて、瞑想をする場所が近くにあってという好条件です。これは志摩の方にも言えることですが、どうぞ、その環境を可能な限り活用して、瞑想をする喜びを堪能してください。
スカイプ瞑想会の最後に、両日とも次元移行へ向けていただきました。次元移行はすでに始まっています。苦しみの世界から喜びの世界へ、それぞれの意識の世界を転回していってください。していける私達なんです。ブラックはブラックでなかったことを心で知って感じていく幸せ、喜びを瞑想の中でどんどん感じて、そして、次元移行へ思いを馳せてください。
思うは田池留吉、思うはアルバート、そして、次元移行を伝える意識の流れです。
1134) 田池留吉を思い、アルバートを思い、意識の流れを思います。
出会いをありがとうございます。本当にありがとうございます。心からありがとうの思いを伝えます。間違い続けてきたけれど、そして狂うしかなかったけれど、こうしてありがとうと言える自分に触れさせていただいています。肉を持ったから、持たせてもらったから、真実の波動の世界と出会わせていただきました。宇宙に向ける瞑想を重ねていくことができました。宇宙を思うことが恐怖で、恐怖で、しかし、それは狂い続けてきた冷たい闇黒の宇宙しか知らなかったからだと、今世の肉を通してはっきりと感じさせていただきました。狂ってきた闇黒の宇宙を喜びと温もりの宇宙へ帰していきなさいと伝えていただきました。母なる宇宙の波動を届けられ、もう本当に間違い続けてきたことを何度も伝えてもらいました。
出会わせていただいたことに感謝しかありません。
1135) 肉を持っている以上、肉を維持するのに必要なこと、必要なものはあります。衣食住を適当に整え、体調管理にもできる限り気を付けてというところで、必要最低限という意味です。色々なものを持ち過ぎると、そこから自分の思いを離していく難しさに直面するでしょう。しかし、自分の切なる思いの実現にエネルギーを注いでいくためには、その難しさに真正面から取り組んでいくことが必要になってきます。頭であれこれと思っている間は、難しいという思いがどうしても出てきてしまいますが、瞑想、正しい瞑想ができてくると、結局どうでもいいようなものを握っていると分かってきます。ああこの思いを弱め緩め離していくことが、自分の歩みを一歩前に進めていくことになるんだと感じてくると、どうしようこうしようと思い煩わなくても、自然に形は整っていきます。あとはそれにすうっと乗っていけばいいだけです。
本当の喜び人生を味わっていきましょう。生まれてきたことに、生んでもらったことに、心からありがとうです。ありがとうしかないと、自分の心で分かるまで、幸せ、喜びとは縁遠いでしょう。
形の中でどんなに恵まれていても絶対に幸せではないんです。もう自分をごまかしていくのは止めて、本当の自分の思いだけを淡々と実践していってください。
1136) あなたの心の中は、今どんな状態でしょうか。綱引き状態が続いていますか。学びをやっていこうと思っているのだけれども、なかなかだ、自分の中の他力のエネルギーの収拾がつかないことに辟易している等々、色々とあると思いますが、学びに触れた以上、肉終える最後まで、決して諦めずに学びを継続してください。焦らずに、ゆったりと、そして一番は喜びを忘れずに、自分との約束を果たしていこうとなさってください。
難しいのは承知で、しかし、必ず帰っていきます、戻ってまいりますと、自分に誓ってきた約束でした。ふるさとの歌詞にもあります。思い出そう、約束と。その通りなんです。約束して決意して今世を迎えたということです。今世はだからこれまでの転生とは違うはずなんです。その違いを心から知って、自分の予定を予定通りに遂行してください。
1137) 大切なこと、大切なもの、本当に自分にとって何が大切なことなのか、大切なものなのか、絶えず問いかけることが必要だと私は思っています。
もうそんなのはすでに自分の中で答えが出ているということかもしれませんが、ですがどうでしょうか。自己確立の度合い、程度、日々の生活の中でしっかりと確認するようにしてください。
目を閉じていても、目を開けていても、田池留吉を思うことには違いはないはずです。瞑想をする時だけ思うのではありません。いつも思っているんです。思いながら、肉のことはできないと思いますか。もちろん、生活の中での色々な仕事をきちんとするのは当たり前ですが、その仕事をしている間でも、ふっと思える瞬間があります。必ずあります。仕事に集中しているときは別として、その瞬間、瞬間はいくらでもあるでしょう。目を開けているとき田池留吉を思うとはそういうことを言っています。
いつも心の針の向け先の確認です。心の管理を怠らずに、田池留吉とともにある喜びを感じてください。
1138) 大阪で桜開花の頃、琵琶湖でセミナーです。目に見える友、目に見えない友、たくさんの友とともに、田池留吉、アルバート、そして愛、母なる宇宙へ心を向けていける喜びです。二泊三日、あっという間に過ぎ去ってしまいますが、喜んで喜んで自分達の間違いにどんどん出会っていきましょう。そして、自分達の帰るべきところを、はっきりと心に感じていきましょう。地球上で数限りない転生の機会をもらいました。今世、確かな出会いがありました。出会いたくて出会いたくて、その思いが、ようやく、今世、叶ったのです。ともにある喜びを心から伝えてくれます。「出会いをありがとう、そしてともに行こう」の呼び掛けに、あなたもそしてあなたも、素直になってしっかりと応じてください。
田池留吉、アルバート、ああ本当に待ち望んできた波動の世界でした。
闇黒の宇宙、アマテラスの目覚め、そして進化へと、意識の流れの仕事は粛々となされていきます。最終地であるアメリカの準備はすでに整えられています。250年後のタイミングはまだかまだかというところだと思います。
1139) 学びの時間は限られています。肉を持って学ぶ時間は限られています。その時間のうち、本当に体力、気力のある間に喜んで学んでいきましょう。
自分が生まれてきた意味、訳、しっかりと確認しながら、日々喜びの中でお過ごしください。いつも田池留吉、アルバートを思う時間の中で、肉もまたゆったりと楽しくそれぞれの肉の仕事をなさってください。
本当に今ここにこうしてあって、田池留吉を、アルバートを思えることを、過去とともに未来とともに喜んでいきましょう。未来、来世のあなたはすでに存在しています。過去のあなたからの思いととともに、来世のあなたの思いを感じて、そしてひとつになって、ともに歩みを進めてください。
肉の自分だけではなく、たくさんの自分の存在を知っていくことは、本当に喜びでした。そこから、生きること、死ぬこと、その他色々と思ってみてください。思い方、感じ方、そして生き方、喜び、幸せ、色々なものが違ってくることを実感してください。
1140) 見ていく思いの先はただ一点です。意識の流れが伝える次元移行へしっかりと思いの照準を合わせて、そして肉もまた楽しく心地よくその時間を過ごしていくことが最高に幸せな人生と言えると思います。
次元移行。今世の出会いによりそれを自分の中ではっきりと知ったことは何よりでした。田池留吉、アルバートを思うとき、遥かなる宇宙の思いを感じずにはいられません。本当に帰りたかった。私達のふるさとです。母なる宇宙に思いを馳せる、こんな幸せなことはありません。宇宙へ帰ろう。母なる宇宙へ。心をひとつにして母なる宇宙のもとに帰る道を進んでいけることが本当に嬉しいです。宇宙に思いを向けることは喜びでした。本当に喜びでした。狂い続けてきた闇黒の宇宙が、ようやく自分のふるさと目指して生きていける喜びを伝えてきます。ありがとう、本当にありがとうございます。出会いを本当にありがとう。伝えてくださってありがとうございます。
1141) UTAホール志摩セミナー、一泊二日ですけれど、1月、2月、3月参加された方、どうでしたでしょうか。自分の心で感じる、そして自分の心で分かっていく学びですので、自分の今の環境の中で無理をせずに、しかし、真剣に真摯に取り組んでください。
私達はみんな間違って間違って生きてきました。今もそうです。けれど、今世は自分の流してきたエネルギーを本来のエネルギーに戻していこうとしています。自分で自分の背中を押して、今世こそはと本当に決意して生まれてきたんです。生んでもらいました。250年後の舞台設定はすでに整っていると感じています。どうぞ、250年後ともに歩みを、そしてともに喜びのエネルギーを爆発、発信していきましょう。そのためには、今世の肉を通して学んだことを、確実に繋いでいくことが大切です。
意識の世界は厳しいです。真実はひとつだから、二股は絶対に通用しません。自分を裏切らないでくださいと繰り返し伝えています。裏切りのエネルギーを流しながら、それを自覚していない人もいます。自分がどんな思いで、今世生まれてきて学びに繋がってきたのか、その自分の思いを軽く見ないでください。
昨日のUTAホール志摩セミナーに参加された方達が以下のようなメールを早速くれました。ともに学ぶ仲間が増えていくことが喜びです。
今回もこのような学びの機会を頂きありがとうございました。
志摩ホールでの学びの時間は本当に凄いです。田池先生が残してくれた宝物。まさにその通りです。こんな学びの機会を、こんな素晴らしい場所でさせて頂けることが凄いことなんですね。セミナー最高でした。ありがとうございました。
志摩セミナー、有難うございました。本当に「共に、共に」の思いがこんなにも喜びを、有難うを伝えてくれているとは、今まで思いもしませんでした。自分が自分に伝えてくれている。ただひたすら田池留吉を思うだけ...。帰途、湖西線の車窓から大好きな琵琶湖を見ながら、琵琶湖を思うとき、故郷を思うとき、まず田池留吉を思おう。全ての物を思うとき、まず田池留吉を思おう。何をするときも、何を思うときも、田池留吉を思おう。そう思えた自分が嬉しかったです。有難うございました。
志摩ホールでのセミナーに参加する事ができてとても嬉しかったです。ありがとうございました。大きいセミナーも良いですが志摩ホールは時間も空間もぎゅっと濃縮された感じでとても良かったです。嬉しさと苦しさと、ずっと自分が向き合うのを拒絶して蓋をして逃げ続けてきた奥底に隠してきた思いといよいよ真剣に向き合っていかないと自分の学びが一歩たりとも進まないと思いました。苦しい思い、闇を認められずにずっと隠して見て見ぬふりをしてきましたがもう自分を裏切り続けてきた冷たい自分と、共に田池留吉アルバートの真実の波動の世界に帰っていきたいです。肉の思いが分厚くて強くて強くてどうしようもないですが母親の反省と正しい瞑想をコツコツとしていくしかないと思いました。本当にいつもありがとうございます。優しい嬉しいセミナーでした。琵琶湖のセミナーも楽しみにしています。よろしくお願いします。
1142) 肉を持っている間に、できる限り、精一杯、自分を見ていきましょう。自分の流してきたエネルギーを、自分が作ってきた世界を知っていきましょう。感じる、知る、そして変えていく方向に思いを向ける、喜んで喜んでその道を一歩進めてください。
お母さん、ごめんなさい。お母さん、ありがとう。思いを向けてどんどんそんな自分に出会ってください。あなたは愛ですと伝えてくれたこと、心の底から本当に心の底から信じて、そして伝えてくれた波動を大切に育んでください。それは自分自身でした。本当の自分からのメッセージを代弁してくれたんです。その思いとひとつになって生きていくことだけが、本当の喜びの道、幸せの道です。肉を持っている間に、できる限り、精一杯、そして喜んで、本当の喜びの道、幸せの道の一歩を進めていきましょう。
1143) 宇宙に思いを馳せる、宇宙を思う瞑想を重ねていく、そして私は愛でしたと思いを向けていく、そんな時間を肉を持つ間、何度も何度も持ってください。喜びで喜びで持ってください。ありがとう、あなたの中のたくさんのあなたが必ずそう伝えてくれます。苦しい中にあったけれど、今、何か嬉しい、温かい、そんな思いを伝えてくれると思います。
本当の優しさと温もりの中で、自分をどんどん解き放していきましょう。
田池留吉、アルバート、お母さんと自然に呼びたくなります。ときには叫んでいます。嬉しくてありがたくて、本当に信じて待っていてくれていた波動を感じ広げていくことが何よりも何よりも幸せなんです。
心の体験です。帰りたいから帰ろう、絶対に帰ります、そんな思いの変化に驚きそして喜んでいってください。喜びしかありません。喜びの先は喜び、そしてその先もまた喜びの世界です。そんな中に私達はありました。そこへ帰っていこうといざないを受けてきました。素直にそのいざないに応じてください。1144) 自分が生まれてきた意味を心で知ったならば、その自分の中の思いを淡々と遂行していく喜びを感じながら生きていけます。本来の自分のあるべき道を見つけたのだから、肉、形の世界で彷徨っている人とは生き方が違ってきます。どんなに近しい間柄であろうとも、生きていく、向いていく方向が違ってくれば、自ずと距離は離れていきます。肉からすれば、少々寂しいことですが、それは致し方のないことです。生きる方向、向いていく方向にズレがあることを淡々と受けて、日々の生活をなさってください。
私達は自分の思いの世界に生きています。肉、形の中にあっても、思いの中に生きていることを確認してください。その思いの世界を少しでも快適に風通しよく日当たりよくしていけば、肉もまた楽しい日々になること間違いはありません。心からありがとう、本当に幸せですと思えるのは、本来あるべき道を淡々と歩いていることを確信できてこそです。
田池留吉、アルバートの波動の中に生きている喜びと幸せを、心で感じて感じて、今世の肉を終えてください。
1145) UTAホール志摩セミナーの今年後半の参加者名簿がメールで送付されてきました。あと各月数名ずつ、今月の琵琶湖セミナーで抽選があって、それで決定です。一泊二日ですが、今年は8回ありますので、都合がつく人は詰めて参加すれば、それなりにいい体験をされるのではないかと思います。そのUTAホール志摩セミナーに参加された人からメールをいただきました。参考にしてみてください。
UTAホール志摩セミナー、ありがとうございました。優しさ喜びの一杯詰まった田池先生の残してくださった この地、UTAホール志摩、その中で一泊二日と、短いけれど本当に充実した学びの時をいただき、嬉しかったです、 ありがとうございました。現象の輪の中に何度か出していただく中で、苦しみが喜びとなって中から突き上がってくるのを感じさせていただきました。お母さんーお母さん-素直に、心から母を呼んでいる、そんな私と出会うことができました。苦しいけれど嬉しい。苦しいけれどうれしい体験でした。本当に 凄い、嬉しいセミナー。1月、2月、3月と回を重ねる毎に その思いを強くしています。セミナーに参加させてもらえたこと、本当にありがとうです。「家庭の事情で、仕事の都合で」と、そのような思いだけでセミナーに参加するのは勿体ない、申し訳ないと思いました 。安易な気持ちでセミナーに参加することだけは止めよう、 真剣に 素直にそして真摯に自分と向き合うことを心掛けていこう強く思いました。 ありがとうございました。
1146) ともに学べる時間と空間が用意されていることが本当に幸せだと思います。苦しみの奥底に彷徨い続けてきた意識に、ようやく明るい兆しが差し込み、そしてその一筋の灯りを段々に広げていける喜びの中にあります。闇黒の中で、どんなにしても分からなかったものが、こうして自分の中で現実となっています。帰ってきなさい、戻ってきなさいと、ようやくその思いに素直にそして喜びの思いで応えていけることが、本当に嬉しいです。
自分の中に自分を信じられる喜びを感じています。肉、肉で生きてきた、形あるものしか信じられなかった、そんな意識の世界に、今世本当に衝撃的な出会いを用意していました。田池留吉、アルバート、そうストレートに呼べる、思えることが本当に嬉しい、幸せです。
アルバートと出会いたかった、出会いたかった、その思いを現実のものとしてくれた意識の世界にありがとうです。アルバートとともに、アルバートとともに、私の中に響いてくる嬉しい思いです。
1147) 私は正しいという思いからは、何も変わらないです。肉的には確かに正しいかもしれません。常識からすればそれは間違いのないことかもしれません。しかし、根本に立ち返ったとき、そう、根本です。基盤です。基盤を間違えて生きてきた私達です。まずはみんな間違ってきましたというところから始めましょう。そして、これも大切なことであり、大きなポイントです。それは喜びで自分の間違いを知っていくということです。素直に真摯に愛を捨てた、本当の自分を捨てたという事実を受け止めてください。
そんな覚えはないといっても、愛を捨て、本当の自分を捨て、闇黒の中に落ちていったことは確かなんです。そのことをはっきりと自分の心で分かって、そのうえで、私は正しいとどこまでも言い切れるでしょうか。
何が正しくて何が間違っているのか。いいえ、みんな間違い、間違いだらけだったのです。間違いだらけで、それでも母の温もりを求めて、こうして肉を持ってきました。本当のことが知りたくて田池留吉の意識の世界との出会いを計画してきました。そんな自分の切なる思いを大切に大切にしてください。
1148) あの人もこの人もみんなみんな、本当は田池留吉を思って、そして母を思っていくことに出会わなければならないんです。自分が犯してきた過ちの数々を心で知っていくべきなんです。しかし、今の時点で、学びに出会っている人は多くはないし、しかも、その中で本当に自分の間違いに心で気付いて自分の生きていく、向いていく方向を真剣に変えていこうとしている人は、まだまだ少ないです。
心を見ることを知らない世の中の殆どの人は、目の前の生活に、形ある世界に心を向けて、何とか、何とか、生きていこうとしています。それが自分達の幸せに繋がっていくことを信じて疑っていないと思います。とりあえず、今が楽しければいい、あるいは、今を乗り切ればまた道が開けてくる、そんな感じで、いつの間にか時間は矢のように過ぎていく毎日だと思います。そのような考え方、生き方を180度変えていこうというのが学びで言わんとするところです。
「人生は喜び。お母さんありがとう。生まれてきた本当の意味を心で分かって、私は本当に生まれてきてよかったよ。生きていく方向、見ていく方向を必ず変えていくよ。お母さん本当にありがとう。」
そんな思いがそれぞれの心で大きく育っていくのを、本当のあなたが心待ちしています。
1149) 宇宙を真っ黒に汚してきたから、宇宙に向ける瞑想がとても恐怖でした。狂いに狂い、狂い続けてきた過去の自分を呼び起こすことなどできるものか、お前の言うことなどに何で素直に従わなければならない、そうやって、私は反発、反逆の思いを出し続けてきました。それでも、それでも、いざないを受けました。信じてごらん、私を信じてください、何の変哲もない一人の老人から届く思いは本当に衝撃的なものでした。心の体験を何度も何度も重ねさせていただきました。異語に反応する自分を不思議に思いながら、ああ、私はこのリズムを知っている、何とも言えない世界に自らを引っ張っていったそんな嬉しい体験も数多くあります。
気が付けば、普段、犬(自然)といるとき異語でふるさとを口ずさんでいる私がありました。ずっと宇宙を思い続けていたかった。忘れることができない宇宙を私は、自分の中に呼び戻さなければならない、呼んでみたい、素直に喜びで宇宙を思っていこう、いつの間にか、そのように自分の中が変わっていきました。
今は宇宙を思えばただただ嬉しいだけです。恐怖も何もないです。宇宙は私のふるさとでした。そんな宇宙を汚しまくってきた自分に懺悔でした。そして、そんな自分がとても愛しいと思いました。母なる宇宙、ああ私のふるさと、母なる宇宙、たくさんのたくさんの私を抱えて戻っていきます。戻っていけることが喜びです。
1150) 心に広がる思い、広がっていく喜びは、何度でも味わうことができます。
繰り返し、繰り返し、何度味わってもいいものです。決して消えない、薄れていきません。思えばそこへ通じていると感じられる喜び、幸せ、安心感です。周りがどんな状況であろうとも、自分の中にしっかりと広がりゆく世界が厳然としてあると確信していれば、心は右往左往しません。見て聞けば思いは出てきますが、その思いは瞬間温もりへ返していけばいいことだし、またそれをするために、今、肉を持っているわけだから、それは自分自身の大切な仕事です。だから、もうそういうことで自分が右往左往しないことが嬉しいとなってくるでしょう。それよりも、思いを向けて心に広がっていく世界、波動を感じる喜びと幸せに出会えている今に、ありがとう、嬉しいということです。
来世のあなたからのメッセージをどんどん受けて、過去のあなたとともに、来世のあなたとともに歩みをしてください。今のあなたがすべてです。今、しっかりと田池留吉、アルバートを呼べるあなたになってください。
1151) 欲に塗れ自分を見失ってきた過去とはもう本当に決別しましょう。肉を持てば欲は消えることはありません。ただ、欲に塗れる愚かなことを止めることはできます。汚れに汚れ切った自分の意識の世界だと知って、そしてそんな自分にも関わらず、見捨て見限ることなく、こうしてチャンスを用意してきたことも知ってください。しかも、もう残り少ないチャンスだとあなたは本当は知っています。
肉に生き自分を見失ったまま彷徨い苦しみ続けても、そんな自分を見捨てることなく見限ることのない本当の自分はずっとそこに存在していました。本当の自分からのメッセージはどんどん来るけれど、全く気付かずにいただけです。今世こそ、本当の自分と出会って、本当の自分に沿って生きていきませんか。幸せも喜びも全く次元が違っていたことを心から知っていきましょう。
間違い続けてきたことが喜びでした。間違い続けてきたから、どうしようもなかったから、今世、こんな素晴らしい計画を立ててきたんです。背水の陣です。もうあとはありません。しかし、必ず次元移行を達成すると私の中では目途はついています。どうぞ、ともに歩みを、歩みをともに。喜びと温もりの世界へ帰っていきましょう。
1152) 死んでも終わらない自分の世界です。死んで安らかに眠ってなんかいられません。安らかな眠りにつけるならば、死は恐怖でも何でもないではないですか。しかし、みんな自分の心で知っています。死んだあとの世界がどんな世界なのか、みんな心で知っているから、死のことは後回しにするんです。そして、安らかな眠り、天国で私達を見守ってくれている、そんな何の根拠もないものに自分の心を紛らわせて、ごまかしているだけです。
何の根拠もない。いいえ、今、私達肉を持っている私達ですが、死んだ自分の状態がどんな状態であるか、自分の心で分かる学びをしています。だから、何の根拠もないとは言えません。本当に自分の心を敏感にして、自分と真っ直ぐに向き合う勇気を持って、優しさを持って、今の自分に、過去の自分から、そして未来の自分から伝えてもらいましょう。
そして、今だ、今を変えていけば、過去も未来も、たくさんの私が変わっていくんだと知っていきましょう。そんなすごい学びに出会っている幸せを心にしっかりと感じてください。
1153) もうすぐ琵琶湖セミナーです。琵琶湖セミナーは、今は年に2回となってしまいましたが、関西の人達には根強い人気があります。やはり距離的、時間的に行きやすいということでしょうか。それだけではないように思いますが、特別な事情がない限り、長らくお世話になり、田池先生との思い出もたくさんありますので、琵琶湖セミナー、継続してやっていきたいと思っています。
喜んで楽しくともに心を向けてまいりましょう。ともに田池留吉、アルバートの波動の世界に心を向けて、そしてそれぞれ250年、300年に思いを馳せていきましょう。何を見ていくか、何を信じていくか、それぞれの心にしっかりと問いかけながら、流してきたエネルギーをしっかりと感じてください。みんな喜びでした。喜び以外何もなかったんです。だから、狂い続けてきたけれど、温もりも喜びも全部自分の中にあったことを知って、狂い続けてきた自分にしっかりと伝えてください。
ともに帰ることを約束してきたこと、必ず必ず現実のものとしてください。
1154) 宇宙と心から思える喜びと幸せ。今世初めてそんな喜びと幸せを知りました。宇宙に心を向けてみなさい、向けてごらん、そのいざないは私の中をどんどん開いていきました。どんどん宇宙が変わっていく不思議と驚き、そして喜び、嬉しさ、幸せ。繰り返し繰り返し感じ味わっていく楽しみがあります。ただただ、ともに帰れる喜びだけを感じています。真っ暗、真っ黒だからこそ喜びが大きくなっていきます。宇宙には喜び以外にないからです。喜びの宇宙から喜びを消し去っていったのは、私自身でした。私は消し去ったと思ってきたけれど、そうではありませんでした。喜びの宇宙はずっとそこにあったのです。私が見失っていただけでした。自分の目を覚ます以外に道はありませんでした。喜びの宇宙を呼び起こしていくのは自分でした。ありがとう。そう伝えていただいたことが本当に嬉しいです。「あなたを信じています。私達はひとつです。」と伝えていただいたことを真っ直ぐに受けていくことが喜びです。
1155) 思うは田池留吉です。思うはアルバートです。思うは宇宙、母なる宇宙、愛です。UTAの輪の中で、ともに心を向けてまいりましょう。決してUTAの輪から離れていくことのないように、しっかりと自分の心を見て、喜んで自分の流してきたエネルギーを受けていってください。
UTAの輪。それがどんな仕事をしていくか、そこから流れ出すエネルギーのすごさを、それぞれの心できっと感じられるこれからだと思います。宇宙。汚しに汚してきた宇宙ですが、本来の宇宙の輝きに戻っていけることを知りました。温もりと喜びの世界、そんな本当の宇宙にしっかりと心を向けられる私達に蘇っていきましょう。
ともに帰ろう、ともに、ともに、そんな呼び掛け、いざないは益々その勢いが増していきます。スピードアップして、そしてそのスピードもさることながら、パワーアップも目を見張るものがあります。
どうぞ、過去のあなたとともに、未来、来世のあなたとともに、今をしっかりと生きてください。思うは田池留吉です。思うはアルバートです。思うは宇宙、母なる宇宙、愛です。
1156) 宇宙に向ける瞑想が嬉しくて喜びで、宇宙を思うことができる今が本当にありがたくてというふうになってくればいいんです。宇宙は愛です。宇宙を思うということは、愛、自分を思うということです。そんな楽しくて嬉しくて喜びの瞑想を、肉終える最後の瞬間まで堪能していきましょう。そんな時間と空間を持つ、これほどの幸せはないでしょう。
宇宙、心からありがとうの思いが流れていきます。本当に出会いたかった。私の宇宙。どこまでも愚かで地に落ちてしまったけれど、ようやく、ようやく、目覚めのときをいただき、帰っていく、戻っていくことを実現できるチャンスをいただきました。このチャンスを逃すほど愚かではありませんでした。よかった、本当によかった。肉、肉、肉の力を信じて自分を鼓舞し誇ってきたけれど、本当の自分の世界からすれば、そんなものは本当に芥子粒のものでした。どうでもいいことばかりに躍起になっていた自分を振り返るチャンスの中で、本当によかった、ありがとう、今度こそ道を間違えずに生きていけると思っています。
1157) 琵琶湖セミナー、ありがとうございました。ワン・ツー・スリーの瞑想はもちろんですが、ふるさとの歌をみんなでともに歌いながら、喜びのエネルギーの中にあることを感じていくことも大きな、大きな喜びです。
大きな声でふるさとを歌ってください。心の中からどんどんエネルギーが飛び出てきます。「帰ろう、ふるさとへ。」そんな思いをしっかりと確認してください。狂いに狂い続けてきた私達に、帰ろう、帰ろうと呼び掛けてくる思い、波動の世界を、どうぞあなたの心で味わってみてください。
この学びは波動を学ぶ学びです。流し続けてきた波動がどんな世界を生み出してきたのか、どなたもご自分の心でしっかりと確認してください。確認して、そしてそれでもこうして肉を持たせていただいたことを喜んでいきましょう。私は異語を発します。異語は波動です。波動を受けてください。UTAの輪の中でともに学べる喜びと幸せを共有してまいりましょう。
「田池留吉、アルバート、私達は必ず必ずあなたとともに帰ってまいります。」固く約束してきたことをあなたの心で思い出してください。
1158) 250年後の出会いを楽しみにしています。みんなそれぞれに心は荒んで、もうどうしようもない状態の中で出会うのです。心に受ける衝撃は今世の比ではありません。一瞬心に電光が流れる、私はそんな出会いを自分に用意しています。瞬間的に私は今世の私を心に呼び起こします。来世の私はすばやい行動を取ります。中がもうすでに目覚めているからです。中の意識、そのエネルギーに肉は突き動かされ、どんどんどんどん自分の中で爆発が起こっていくんです。どんどんどんどん私は自分を開いていきます。エネルギーの噴射です。喜びのエネルギーにどんどん変えていくそんな出会いを、私は私に用意しています。ともに、ともに、愛のエネルギーとともに私達は移行してまいります。
今世の出会い、そして250年後の出会い。意識の流れの中の出会いでした。本当にありがとうございました。
1159) 田池留吉を思うことができる、アルバートを呼ぶことができる、幸せな自分と出会っています。やっと、やっとそんな自分と出会えた今世でした。
心から、心からありがとう。意識の流れを伝えていただいたから、その流れの中に生きていると伝えていただいたから、そしてそれを真っ直ぐに受け止めていける自分に変わらせていただいたから、田池留吉を思うことも、アルバートを呼ぶことも、最高に幸せなことだと、はっきりと分かります。田池留吉を思っていさえすればいい、そして、アルバートを呼ぶ心をしっかりと育てていけばいい、そうです、そうだったんです。
出会いを本当にありがとうございます。田池留吉、アルバート、ただただ、ただただ、そう心から言える、思える私自身が本当に嬉しいです。宇宙が変わっていくすごさは、喜びとともにしっかりと私の中に広がっていっています。宇宙が変わっていくから、次元移行が予定通り遂行されていくんだと感じます。次元移行は宇宙とともに、そう自分に伝えることができる喜びを感じています。
1160) 自分の心を見ることに尽きます。自分の流している思い、エネルギーを今、肉を持っている今、しっかりと確認してください。肉を持っている今だから確認できます。そしてその修正もできます。
私達は、形の世界に生きているのではありません。自分の流している思い、エネルギーの中に、つまり思いの世界に生きています。その世界を快適にすることが自分の幸せ、喜びです。形で示されて、たとえば物であるとか、人、言葉、態度、そういうものがなければ、感じられない幸せ、喜びは、本物ではありません。何はなくとも幸せ、喜びこそが本物なんです。では、どうすれば、どうなればそれが分かるのかということは、自分の心を見ていく必要があります。自分の中にしか本当のことはないことを知っていくことが待たれています。外ではありません。みんな自分の中にあったことを心で知っていけば、それはそのまま自分を本物の幸せ、喜びの世界へいざなっていくということです。
1161) 桜満開、春爛漫。満開も花吹雪も見ごたえがあります。四季折々の風景を楽しむことができる日本の国に肉を持ってきたことを喜びながら、しかしその一方で、気候のリズムも正常でなくなってきていることを感じています。すべては意識の流れの中の出来事です。その中に、今、肉を持っている私達は、ただただ自分の中に上がってくる思いとともに一日、一日を大切にしていきましょう。
生まれてきて、学びと出会って、自分の間違いに気づいていく、そして自分の歩むべき道を知っていく、そういう意識の流れの中で自ら用意したシナリオを淡々と遂行していくことをしてください。
喜びと温もりの中にあった私でしたと、私は愛でしたと、そう心から思える自分に巡り合っていきましょう。本当の自分に待たれているあなたであると、田池留吉の肉を通して、あなたがあなたに伝えたことを知ってください。
1162) ゆったりとゆっくりとそして喜んで、自分を感じてください。自分の生き方、思う方向、全部間違ってきたことをまず心で分かることが大事です。心で分かれば、真っ直ぐに素直に、思う方向を変えていくことができます。思う方向を変えていけば、自ずと、幸せな自分を感じてきます。心からありがとうと自分に伝えることができます。自分にありがとう、何て素晴らしい響きなんでしょうか。苦しむことしか知らなかった自分に自分がありがとうと言ってやれる、優しい中に温もりの中にあったことを知ったから、自然とそうなっていきます。そうなってくると、瞑想をして自分と対話することが嬉しい、本当に嬉しいとなってくるでしょう。ここに私は確かに生きている、確かな喜びと温もりの世界にあったことをさらに感じていきます。だから瞑想は喜び、そうなってくるんです。それが自然です。何も難しいことはありませんでした。みんなが幸せになる道はこの道しかありません。
1163) ともに、UTAの輪の中でともに学んでまいりましょう。UTAの輪を見失っては、愛へ帰る道は絶対に分かりません。真っ暗闇の中でどれだけの時へ経てきたか、もう同じ過ちを繰り返すのは本当に止めてください。真っ暗闇の中で薄らぼんやり灯された光を目指してください。それぞれの心に映る光の度合いは違うかもしれません。しかし、確かに一筋の鮮明な光の道が差し込んでいます。そして、その道は真っ直ぐにしっかりとついています。その道を一歩、一歩歩んでいくことがすべてだと心で分かります。懐かしいふるさとへ続いていく道は、歩みを進めていけばいくほどに、温もりと喜びに出会えます。母なる宇宙へ帰る道を真っ直ぐに突き進みましょう。250年後の出会い、本当に楽しみです。心から爆発するエネルギーは、宇宙とともに次元を超えていく私達の心の叫びです。雄叫びです。
アルバートと心から叫びながら、ともに、ともに次元を超えていく壮大なドラマが展開されていきます。本当に待ち遠しいです。準備万端整えて、その瞬間を待ちます。
1164) さあ自分の間違いを知っていこう、そして本当の自分と必ず出会うんだ、そんな思いを心に秘めながら、何もかも整った状態の中に肉体を持たせてもらったんだ、何度も何度も感じてきました。だから、私は幸せです。
切なる思いに触れ、切なる思いが実現の方向へ一歩、一歩近づいていく過程を学んできました。箸にも棒にも掛からぬ意識の世界に、ようやく届いた幸せ、喜びへの道でした。
田池留吉の思いを心から知りました。本当の私の思いをその肉を通して真っ直ぐに伝えてくれたことに言葉がありません。
反発、反逆を繰り返し、それでも信じて待ってくれていた思いを、その肉がない今、より鮮明に感じています。私は肉ではないよと伝えてくれた通り、その世界から変わらずに流れてくる波動の世界です。この波動とともに私は生きているんだと思えることは、ただただ喜びでしかありません。
三次元での出会いを本当にありがとうございました。本当にありがとうございました。
1165) 瞑想をして信じて待ってくれていた本当の自分の思いをどんどんそしてしっかりと感じてみてください。どんな思いで待っていたか、心に響いてくるはずです。絶対に裏切らない、決して見捨てない、そんな世界があったんです。本当にあったんです。裏切られ裏切り、そして見限り見捨て、見限られ見捨てられてきた世界ではなかったんです。心で知った今世の肉でした。そんな肉を自分に持たせた思いに触れています。大切にしています。どんなことがあってももう自分を見失ってはならないと、瞑想のたびに確認しています。それが喜びなんです。真っ暗闇の中でやっと、やっと出会った真実の自分自身の叫びでした。その叫びは、苦しいから叫んでいるんではなかったんです。帰れるところがあった、見つけたよ、本当にあそこへ帰ればよかったんだとはっきりと分かったから、もう叫ばずにはいられないんです。そんな自分の心の叫びがただもう嬉しくて、嬉しくてということです。あなたも見つけてください。しっかりと見つけてください。見つけたら、ただ真っ直ぐに進んでいくことです。そして、もう一度、必ず出会いましょう。今世感じた喜びの世界をともに行こうと、喜びの確認をともにしていきましょう。
1166) 学びの友のメールです。一読してみてください。
191回の朗読とともに瞑想しました。
意識の流れ「増補改訂版の朗読、59と60」を聞いた後に191回の朗読を聞かせて頂き瞑想しました。
静かに涙が流れます。凄い学びだった。長い間学びに集わせていただけた私達は、本当に手取り足取り学ばせて頂き、自分の足で一歩を踏み出すその瞬間まで、ともに学ばせて頂きました。今も学ばせていただいています。核の存在にありがとうしかありません。静かな中で心に溢れてくる思いでした。
本当に至れり尽くせりの中で学ばせて頂きました。自分で全てを整えてシナリオ通り、そう思える瞑想は本当に、田池留吉、お母さんありがとうございましたの思いでいっぱいです。琵琶湖セミナーを境にして、天変地異を思えば自分の奥深くに固まっていた、肉の別れの寂しさ、悲しさ、辛さ、苦しさ、悔しさ、空しさが凄まじい叫びとなって次から次に繰り返し出てきます。そんな中で必ず必ず「桜のように散り際を潔くしてまいりましょう。」と溢れてくるんです。ああそうだった。今世こそはと溢れてくるんです。厳しさの中の「桜の花のように散り際を潔く」本当のやさしい波動が心いっぱいに広がっていくのを感じています。
そんな中で191回の朗読を聞かせて頂きました。
「田池留吉の思いに心を向けてください」
「三次元での出会い、本当に本当にありがとうございました。」本当にその通りです。本当にその通りです。
今を変えていけば、過去も未来の私も、たくさんの私が変っていける。私から流れる波動が変っていくことの大切さを、苦しい自分が気付かせてくれる。ともに愛へ帰りたい。ともに愛に帰ろう。自分の中の喜びとともに天変地異を思い、次元移行に向かって歩き続けます。それが信じられる今を大切に、今があることが喜びです。
ありがとうございました。
1167) 心はみんな知っています。なぜ生まれてきたのかも、何をするために今ここにあるのかも、本当はみんな自分の心で知っています。知っていながら、知らないと思っているだけです。知らないと思っている壁を取り除けば、たちまちのうちああそうだった、そうだった、ごめん、ごめん、間違って生きてきたよ、でも嬉しい、嬉しい、こんな自分の世界と出会えて嬉しい、ありがとう、ありがとう、本当にありがとう、そんな思いが広がっていくんです。
しかし、壁と言った通り、分厚い壁で自分の世界を仕切ってしまいました。区切ってしまいました。その壁を取り除く、取り払う、風通しをよくする、日当たりをよくするということが大変なことなんです。
そして、大変な作業をしない限り、壁は取り除けません。知らずのうちになくなっているなんてことはないんです。誰が作ったのでもなく、紛れもなく自分が作り積み上げた壁です。母の温もりがその壁を撤去する唯一の手段です。母の温もりのパワーだけがそれを可能にします。そして母の温もりというパワーはすべての人がその心に持ち合わせています。
信じるか信じないかはあなたの選択です。だけど信じていただきたいと思います。そして、みんなみんな幸せへ、喜びへ帰っていきましょう。
1168) 自分の心で感じ分かっていく学びであり、よって、心で感じることを拒否したり、あるいは感じたものを信じ切ることができなければ、幸せとか喜びは分かってこないでしょう。偽りの幸せ、喜びの中で自分を見失っていくしかありません。自分を見失っていくことがどんなものなのか、みんな体験済みなのに、それでも肉を持てばきれいさっぱり忘れます。それほど肉の壁は分厚く高いということです。
それを突破するにはそれ相当の覚悟が要ります。それ相当の覚悟を決めて生まれてきたはずなのに、それもまたきれいさっぱり忘れてきた私達でした。それを思い起こすために、学びがありました。学びに集い自分の心を見る実践を促されました。温もりに徹底抗戦してきた自分の意識の世界をしっかりと確認して、生きていく、存在していく方向を変えていく以外に道はないことを学んだはずです。愛でした。愛の中にあるからこそ、修正が可能なんです。素直にしっかりと修正して、本来の軌道に自分を乗せていきましょう。
1169) ゆったりと流れていく時間を楽しんでいます。何をするのでもなく、ただゆったりとゆっくりと思える時間があれば、それは幸せだと言えるでしょう。何を思う患うことなく、何を求めるわけでもなく、ただ思う時間。そんな中に自分を漂わせて、そして思うんです。それが本当に幸せで喜びなんて、学びに出会えなかったら、絶対に思いもしなかったことでした。
学びに出会えていなかったらなんて思う必要はないけれど、出会えていなかったら、永遠に本当のことは分からず、闇のまた闇奥深くに自分を沈み込ませて二度と浮き上がってくることはなかったでしょう。
深遠な闇のまた闇奥深くから、こうして出会いを持たせていただいたことにただただ感謝してありません。出会うべくして出会った出会いですが、千載一遇のチャンスだと伝えていただき、意識の流れの計画、仕事を伝えていただきました。田池留吉の肉とともに学ばせていただいた約22年の時間。そして来世の肉が肉をともにする時間を加えて、三次元での学びを終了します。
1170) 箸にも棒にも掛からぬ意識と表現しました。自分のふるさと宇宙を汚しまくってきた意識の世界でした。それは、今世の肉を通して、真実の波動と出会うというチャンスがなければ、全く気付けないことでした。箸にも棒にも掛からぬ意識の世界なのに、我の宇宙は素晴らしいと本当に思ってきたのだから、本当にお粗末でした。それでもこうしてチャンスを何度も何度も用意して、ようやく、ようやくそのチャンスを活かすことができたことは事実です。厳粛にそして喜びで受け止めて、来世の肉を思います。来世、必要不可欠の肉を用意して、自分の歩みを一歩、一歩進め、次元を超えていく喜びとともにある計画を立てたことに感謝しかありません。
250年後はすでに始まっており、ともにある喜びだけをしっかりと見つめています。田池留吉、アルバート、その意識の世界からのメッセージを忠実に実践することがすべてだと心得ています。
1171) 真っ直ぐに思えば思うほどに応えてくれる世界です。喜びと温もりしかない世界には、欲の思いは一切通用しないけれど、ただひたすら純粋に思えば思うほどに確実に広がっていく喜びと温もりがあります。
欲に塗れた中にずっとあった私達の心には、純粋ということは縁遠いことかもしれませんが、瞑想をする時間を持って、ゼロ歳の自分に戻っていけることを確認しましょう。そういう意味においても、瞑想をする時間はとても大切な時間です。肉から意識へ転回していくにおいて欠かせないものです。自分の中に真実の世界があったんだ、ここに帰ればいいんだ、その思いは宇宙に喜びのエネルギーとしてしっかりと流れていきます。肉は何もできません。特別に何もしなくていいんです。ただ、自分の中に針を向けて、自分の中をしっかりと確認して、喜びと温もり、愛のエネルギーの中にあった自分を知っていけばいいんです。そんな自分を思っていれば、そこから流れ出していきます。愛のエネルギーを流す器になりましょう。
闇のエネルギーばかり流してきたけれど、学ばせていただきました。変わっていきましょう。
1172) 昨日、南河内UTAの輪勉強会の第22回を聞かせていただきました。私は、南河内の住民ではありませんので、その勉強会には参加していませんが、当時、録音していただいたものを聞かせてもらったように記憶しています。昨日、久々に先生の肉声を聞いたからか、大変よかったと思いました。田池先生ご自身、南河内の住民として参加されていた勉強会もこれで最後ということがあったのかもしれませんが、非常によくまとめられた内容でした。先生の講和、これ一つで十二分と感じました。翌年12月に亡くなられるまで、本当にぎりぎりまで、その肉体を通して、私達に波動の世界を伝えていただいたことを改めて嬉しく思います。先生の肉がそこにあって、宇宙に向ける瞑想を体験できたこと、心からありがとうです。
皆さんも一度聞いてみてください。そして、あなたの学びに対する姿勢、生き方、存在の仕方を再度確認してください。
1173) 本当に心から学んでいこう、なぜ自分は生まれてきたのか、なぜ色々な苦しみや悲しみがあるのか、真実はいったい何なのか、そういったものにしっかりとした回答を見出そう、真摯に素直に真っ直ぐに学びと向き合う方達とともに歩みを進めていく喜びと幸せがあればいいと、私は思っています。たくさんの人達が学びに参加されることはいいことだし、嬉しいことですが、大事なのは、ともに同じ方向を向いて学んでいこうとする思いだと思います。次元移行を伝える意識の流れは厳然としてあるんです。その意識の流れに沿って、意識の流れとともに生きていく思いを育んでいる、あるいは育んでいこうとする仲間が一人、二人と増えていけばこんな嬉しいことはありません。育んでいきたいではなく、育んでいく強い意志を持ってください。
数は問題にしていません。その中身です。ともに行こうという思いの実践です。言いました。250年後はすでに始まっていますと。
1174) 瞑想を楽しんでください。楽しんでいきましょう。肉あればこそ楽しめるんです。今、しっかりと自分の世界を感じていきましょう。心から心から、本当に心から、田池留吉、アルバートを思えるかです。心からというのは、何の思いもなくということです。思いの向け先には何もありません。ただ嬉しいから、思うことが喜び、思うことがすべて、そんな中で、ようやく田池留吉、アルバートと呼べる今を、肉を持っている今を存分に楽しんでください。真実の道、愛へ帰る道をひたすらに進んでいきましょう。
そういう意味において、ポッドキャストも活用してください。
以下、学びの友からのメールを紹介しておきます。
ポットキャスト 191回 田池留吉の思いに向けての瞑想、聞こえてきました、「あなたも一つ、私も一つ、みんなみんなみんな一つの世界にあります。」と。
ポットキャスト 192回 250年後の私から「待っています、待ってきました、ずっとずっと、ずっとこの日を待ち続いてきました。どうぞ受け止めてください、心を広げて私を受け止めてください。」
嬉しいしか出て来ません、ありがとうございましたしか出て来ません。
1175) 意識の世界の変革をよろしく。なぜ生まれてきたのか、真剣になって自分に問いかけてください。自分の思いをごまかさず、自分の思いから逃げずに、自分に問いかけてください。学びに触れ、母の反省をした人ならば、すでに答えは出ているはずです。あとは、自分の中で導き出した答えにどれだけ素直に真摯に従っていけるかどうかです。それは自己選択、自己責任のもとでやってください。
そして、これだけは言っておきます。今世、学びに触れたにも関わらず、学びをやろうとしない人、学びから離れていった人は、学びを知らずに、肉、肉で生きている人よりも、罪深いということです。自分を裏切る行為を平然とやってのけたんです。それは何を意味するのか、否が応でも思い知る時が必ずやってきます。それは、逆に言えば、今世、学びに集ってきた自分の思いがいかほどのものかということを証明しているんです。決死の覚悟で生まれてきて、決死の覚悟で田池留吉との出会いを用意してきた自分の思いを、今世もまた蹴散らしていくその心はどんな心なのでしょうかと、私の中から出てきます。しかし、それもまた自己選択、自己責任です。
1176) 小さな枠の中に自分を押し込めず、もっと広い中にある自分の世界を感じていきましょう。無限に広がっていく中にあることを心で感じていけば、目を開けて同じ風景を見ていても、自分の中に映るものは違っているでしょう。どこがどうということは分からずとも、心の軽さを感じるのではないでしょうか。心の軽さ、それは心の解放感とも言えると思います。本当に幸せで安らいでいて、委ねていける喜びの中にあると心で感じ始めたら、繰り返し何度でも味わっていこうとします。自然とそうなってくるんです。それは同時に、諸々のものにこだわり、諸々のものをつかみ、握っていた思いが段々と緩んで弱まっていくという方向になっていきます。
いい循環がそこに生まれてきます。いい循環の中で、流れをスムーズにしていきましょう。意識の流れです。自分の中の意識の流れ、スムーズに流していきましょう。澱むことなく、どんどん流れていくその流れの中で、喜びと幸せを共有していきましょう。
1177) 思う喜び、思える喜びを知りました。思うことは喜びなんだ、そう知りました。何を思うか、思えるか、それを今世の肉を通して学ばせていただきました。思いの世界が私自身なんだとはっきりと知ったとき、その思いの世界に生きている自分を大切にしていきたい、いこう、それがたったひとつの喜びの道なんだと自ずと分かりました。
あと一度の転生を残すのみとなって、嬉しさ、喜びの中に細心の注意を払って今世の時間を大切にしていこうと改めて感じています。
次元移行。意識の流れの中で粛々と遂行される大きな仕事です。ともに次元を超えていこうといざないを受けて、それを真っ直ぐにしっかりと受け止めて、ともにある喜びだけを見つめていく生き方に徹していく喜びと厳しさを感じています。思いを向けていくこと、合わせていくこと、ただそれだけです。
1178) 苦しみの奥底へさらに奥底へ沈んでいくか、それとも苦しみの奥底の底から浮き上がってくるか、ふたつにひとつです。そして、それは全部自己選択、自己責任です。誰も何も救ってくれない、助けてくれません。
いいえ、もうすでに浮き上がっていく手立ては示されています。それが今世、今という時でした。「愛であるあなたに気付いてください。」ストレートにメッセージを聞きました。こんな幸せな転生はなかったはずです。
道を外し、自ら落ちていった過去。今を変えていきましょう。今を変えれば、過去も未来も変わっていきます。意識の世界には今しかないからです。
過去、肉を持った、そして未来に肉を持つ、けれど、数々の肉に関わらず、自分の世界はひとつしかありません。ひとつ、それは私は愛だという確信です。私達は目覚めるために、肉を持ってきます。だから、肉は苦しみではなく、喜びだと、意識を転回していけば、そう言えるでしょう。
田池留吉の世界がその肉を通して、意識の世界の本当の喜びはもちろん、肉の世界の本当の喜びも伝えてくれました。
1179) ただひたすらに真っ直ぐに、田池留吉、アルバートを思う。それは簡単なようで難しいことです。思えないものをどっかりと握ってきたからです。その心の歴史が、何の思いもなく、ただひたすらに真っ直ぐに思うということを困難にしてしまいました。絶えず思いの先には欲の渦が大きく広がっています。思うということがどんなにすごいことなのかを全く知らずに、ただどす黒い欲望の渦だけを広げてきたということでしょう。
欲を欲とも思わずに、思えずに生きてきたこと、大きな過ちでした。それなりに一生懸命、精一杯生きてきたかもしれません。これが喜びの道、幸せの道、そう自分に言い聞かせ、信じて行じてきた人生も数え切れないほどあるでしょう。そんな過去の決していい加減な人生とは思えない、思いたくない人生が全部、全部間違い、過ちだったと心で分かりますか。断ち切れますか。
過去、喜びの道、幸せの道、そう自分に言い聞かせ、信じて行じてきた、しかし、それはもしかしたら、今も同じなのではないかとふと思っていませんか。どこがどう違うのか、はっきりと自分の中で感じておられるでしょうか。
1180) 次元移行という意識の流れを心で知り感じ、そして日々の生活を淡々と送っていく、こんな肉の時間が多くあれば幸せです。
愛の中にあった自分を知り感じ、愛へ帰っていこうと自分をいざなっていく作業の中で、肉を持っている今を愛しく思い、日々の生活を淡々と送っていく、こんな肉の人生最高に幸せな時間です。
何もかもすべてが整えられていることを感じ、馬鹿な肉も、意識の世界のすごさをはっきりと知るでしょう。
肉で頭で何とかしようとしている間は、あまりうまくいきません。何とかできると思っているから、その肉で何とかという思いを緩め弱めていくことができないからです。それを緩め弱めていくと、見えてくるものがあります。本当のあなたが少しずつ顔を出してくるのです。心を思いを離していくほどに、それが感じられます。ここに任せていけばいいんだ、委ねていけばいいんだ、どっちになったってすべてよかったんだと自然に思えるんです。楽に生きていきましょう。そして、心の針を向けて合わせていくことは真剣にひたすら真っ直ぐに、そんな生き方を学んでいきましょう。
1181) 落ち込んでいる暇はないんです。ぶつぶつ言っている時間はないんです。泣いても悔やんでも仕方がありません。自分にもっと優しくなっていきましょう。そこに今その肉体を持っているんだから、それを大いに活用して明るく温かい開けた自分の世界に出ていきましょう。
みんな待っています。あなただけが暗い穴蔵に自分を閉じ込めていることに気付きましょう。みんながみんな苦しんでいると思ったら大間違いです。
広い、広い、どこまでも広がっていく温かい温もりの中へ飛び立とうとしています。心からありがとうの思いを流し、さあ行こう、どんどん行こう、中から急き立てる喜びのエネルギーのすごさに嬉しさと驚きを禁じ得ないと感じているかもしれません。
少なくとも、私自身はもうすでに250年後に自分を繋ぎ、次元移行という意識の流れが粛々として仕事をしていることを心に感じています。
250年後の来世の肉とともにある喜びを、今心に感じながら、今世の肉の時間をしっかりと予定通り生きていこうといつも確認しています。
1182) 学び一本、あなたに強制しません。ただ、私が私の中に思いを向けて、田池留吉の世界からのメッセージを聞く私にはそう伝わってきます。
「学び一本で生きてください。」田池留吉の肉がある間も、折に触れ、あんたは学び一本やでと肉声で直接に言われました。
あんたはこれからより一層厳しく自分を見なあかんとも言ってもらいました。意識の流れを遂行していく力強い思いとともに発する言葉なんだと、ありがたく受けてきました。真実の世界が、肉を持つ必要のない世界の意識が、今世、肉を持ってきたという事実は非常に重いものです。どうか、それぞれの心でそのことをしっかりと受け止めてください。
何度も転生を繰り返し、間違いを山ほど積み上げてきた私達には、大変難しいことです。意識を肉から転回していくことは大変なことです。現に肉という形を持って、形を本物とする濁流の中にあるわけですから、しっかりとした中心棒が自分の中になければ、学び一本で生きていくことは難しいでしょう。それでも、それでも、ともに学んでまいりましょう。
絶対に変わらない、何があっても、どんなに時が流れ去ろうとも、絶対に変わらないものがありました。心で感じ知ってください。
1183) 「あなたは幸せですか。」何度となく自分に聞くことを勧めています。あなた自身が本当に幸せだと答えられない限り、何もどうすることもできません。
自分を自分で幸せにいざなっていく、元々幸せな自分を知っていく、それをするために、今肉体を持ってそこにいることを忘れてはいけません。
自分の本当の姿、自分の中に愛があった、私は愛ですと心で分かることが、みんなを幸せにできるんです。あなたから流れる波動が仕事をします。多くを語らなくても、立派なことを語らなくても、あなたの心の針が、本当にあなたの中の愛に合っていれば、愛というエネルギーが流れるんです。それがあなた、私達です。それを本当に心で分かるために、こうして肉体という形を持っているということ、それをいつも心に留め置いて、そして自分に確認してください。「今、あなたは幸せですか。」
自分には決して嘘はつけないことを知るでしょう。真っ直ぐに本当に真っ直ぐに存在していく喜びを知ってください。
1184) 学びの友よりメールです。単純によかった、ありがとうと思いました。シンプルに生きていきましょう。シンプルにそして本当の自分に真っ直ぐに生きていきましょう。
ともに瞑想会、ありがとうございました。波動のお勉強、ただただすごかったです。委ねて行けばよかった・・・こうして委ねて、委ねて、あふれる思いをみていけばよかったんだ。心地よい時間でした。自分に「ごめんね」そして「ありがとう」 お母さんに「ありがとう」タイケトメキチ「ありがとう」帰宅して、夫が嬉しそうに、「おかえりー」 ほんとに波動でした。波動は喜びでした。なにも気張らなくても、すうっと流れていく。「私嬉しい」それだけでした。ありがとうございました。
1185) 日々、日本各地で世界各地で事件、事故が起こります。自然災害が頻発します。現象界、形ある世界が揺れ、崩れ去っていくことによって、あるひとつのメッセージを発しています。
正しく受け取ってください。受け取れる私達なんです。肉から意識へ転回していくことが絶対条件です。肉、形の基盤は跡形もなく崩れ去っていく現象が、次から次へと起こります。次から次へと起こってくるそれらの現象によって、否が応でも何かに気付いていくようになっています。根底から揺さぶられていくこれからの時間。その時間の中で、何度転生の機会を持つでしょうか。まさに愛の仕事がこれからこの地球上で展開されていくのでしょう。ともに歩みを、ともにある喜びをというあなたの中の田池留吉からのメッセージをきちんと受けてください。きちんと受けて、きちんと自分と向き合ってください。それが自分に対する愛です。自分に誠実に素直に生きていく生き方が心から待ち望まれています。
1186) 色々な面において恵まれている環境にあります。恵まれているというのは、自分を知るという学びの計画を遂行するにあたって特段の支障がないという意味です。自分の思い通りに学びが遂行されていく喜びの中にあります。
一番望んできたことは、真実の道を見つけ、その道を真っ直ぐに突き進んでいくことでした。その望み通りに事は遂行してきましたし、これからも何の狂いもなく、私の中の意識の流れは流れていきます。そう約束して、肉を去った田池留吉、アルバートの思いをありがたく受け止めています。
もちろん、今世において、学びに集う前という肉の時間があります。真っ暗な真っ黒なエネルギーを流すことしかできなかったから、それは全部自分に返ってきます。返ってくるけれど、もうそれで苦しみは膨らませません。意識の世界の変化を嬉しく思っています。間違い狂い続けてきたけれど、ようやくありがとうという思いがどんなにすごい思いなのかを知るに至りました。恵まれた環境をありがとう、はっきりと言える今世の幸せを味わっています。
1187) 思う喜び、思える喜びと表現していますが、本当にそれでした。田池留吉を思う思える、アルバートを思う思える、今こんな時間を用意していることがすごいとしか思えません。形で示されなければ喜びを感じらなかった。喜びが自分の中から湧いて出てくるなんて、とてもとても信じられなかった。思うこと、思えることが喜びだなんて、今世の肉を通して初めて知り得たことでした。
貧しい本当に貧しい意識の世界に落ちていったけれど、自分のふるさとを目指して這い上がってきたんだと、今世はっきりと知りました。だから、這い上がってきた思いにきちんと応えていかなければ、いくべきだと、ただそう思っています。
見ていく方向を180度変えていくことを喜びで、ただひたすらに喜びでやっていけば、自ずと道は開けてくるし、明るい温かい日差しも差し込んできます。心地よい風も吹いてくる、視界が広がっていく、そんな中で、自分を知っていけば感じていけばということでしょう。本当の優しさ、愛に目覚めよと、田池留吉の世界が、ひとつの肉を持ってきてくれたことに、心からありがとうをお伝えします。
1188) 今月最終の日曜日に、南河内のかなんぴあというところで、学びの友とともに瞑想をする時間を持ちます。私は初めて行かせてもらう場所です。80名参加予定と聞いています。みんな私より若くて元気溌剌です。もちろん、意識の世界には年齢など関係がありませんが、肉を持って学ぶということで、自ずと、体力気力はある程度、考慮しなければならないでしょう。そういう点において、体力気力の充実している時期に、しっかりと学びの基礎を固めるというのは、願ってもないことです。
私自身、30代前半で学びに集いました。学ばせていただいた年月を懐かしく振り返り、その幸せをかみしめながら、ただ前を向いて自分の予定のコースをしっかりと歩んでいこうと思っています。
友よ、ともに歩みを。ともに同じ方向を向き、幸せ、喜びを共有し、そしてアルバートを心から呼んでいきましょう。愛、私達のふるさと愛、母なる宇宙へ心を馳せてまいりましょう。
1189) 肉として肉で生きてきた過去。どんなに幸せになりたかったか。だけど、どんなにしても幸せになれなかった。ありとあらゆることをやってきました。一時期は幸せを感じたかもしれませんが、それは決して死ぬまでそうだったということはあり得ませんでした。幸せの裏側に悲しみや苦しみがあることを感じながらということでした。
不幸せを望む人など存在しません。どうすれば、どうなれば、幸せな人生を送れるのか、誰しも一度は考えると思います。一度きりの人生だと思ってきました。ずっと、ずっとそう思ってきました。転生を知らなかったわけではないけれど、それぞれ別物でした。プツン、プツンと切れて、本当に死んだら終わりとそれしかありませんでした。
そんな中でずっと生きてきたんだから、その基盤を180度変えていくことは、相当自分の中で感じるものがなければ難しいでしょう。確たるものが自分の中で広がっていかない限り、肉を本物とする思い、そのエネルギーがずっとずっと優勢のままだと思います。そうではないんだと思いつつ、自分の基盤を変える大変さはどなたも感じておられるのではないでしょうか。ですが、そこを突破することを、それぞれみんな自分に伝えています。突破しなければということを伝えています。突破する色々な場面を自分に用意しているということです。その最たるものが天変地異です。
1190) あなたの中にいい循環を作ってください。そのためには、まず素直になることです。素直に学びと向き合うことです。解釈、持論、屁理屈、言い訳、そんなものは通用しません。空っぽにして、自分の生きていく方向、歩んでいく方向をしっかりと見定めていこうと、学びの道しるべに沿って学んでください。それ以外に幸せになる道、幸せな自分、喜びの自分と出会える道はありません。漆黒の中に沈み込んでいく道だけが残されています。田池留吉の肉は道しるべでした。こっちですとはっきりと指し示してくれました。その方向以外の方向は、漆黒の闇の中へ落ちていくんです。すべては自己選択、自己責任です。
学びの中で、すべては自己選択、自己責任ですという表現がたびたび出てきます。突き放したような言い方と感じる人は、本当にそうであるのか、自分の心、他力の心をしっかりと見直してください。
1191) 学びは波動です。波動を学んでください。今現在、私は、年四回の本セミナーその他、学びの友とともに瞑想をする時間と空間を用意していただいています。私の肉は愚かですが、ともに瞑想をしましょうと私が声掛けをするにはするだけの意味があります。そこのところ、それぞれの心を本当に敏感になさって感じていただけたらと思います。
一度どこかのセミナー会場で言ったと思いますが、田池先生から、セミナーをしなさいと言われた人は、私以外にありませんということです。もし、田池先生から直接にそのように言われた人があるならば、申し出てください。セミナーの真似事はできる人はいるでしょうけれど、それはセミナーであってセミナーでないと断言しておきます。セミナーの真似事では、意識の流れが伝える次元移行をそれぞれの中で達成することはできません。その真偽のほどはそれぞれの心で確認してください。すべては自己選択、自己責任のもとでやってください。
ただ、どうかUTAの輪から離れていくことがないようにとだけ言っておきます。
1192) UTAホール志摩セミナー、ありがとうございました。笑顔でお別れできるセミナーをまたひとつ終えることができました。よかった、ありがとうという思いを心に広げて皆さん帰っていかれたのではないかと思います。セミナーの最後に言いましたように、日々心を見る、そして瞑想という地道な作業を繰り返していきましょう。
ともに歩みを、ともに同じ方向を向いて一歩、着実な一歩を歩み出そう、私はそのような思いでともに学ばせていただいています。一筋縄ではいかない意識達が肉を持って今世、学びをしているんです。田池留吉の肉がない今、その肉がある間に隠し持っていたものが表面に出てきます。色々なルートを通して私の耳にも入ってきます。ですが、私はそういうことには、殆ど無頓着です。250年、300年に至る計画はすでに出来上がっており、そういうどうでもいいことで道草を食っている暇がないからです。ただ真っ直ぐに自分の決めてきた予定のコースをこなし、250年後の出会い、そして次元移行へということなので、どうぞ、皆さんも自己確立に勤しんでください。
ともに歩みを、ともに同じ方向を向いて一歩、着実な一歩を歩み出そう、その思いを波動として流しています。
1193) 苦しむだけ苦しんだらいいんです。悩むだけ悩んだらいいんです。苦しみ悩んだ分だけ、意識を転回すれば喜びは大きく大きく広がっていくからです。楽して真実の道と出会えるはずはありません。苦しみ悩み、落ちて落ちて絶望の淵から這い上がってきたことを自分が自分に教えてくれるんです。どこまでも信じている本当の自分との出会い、これほど喜びはありません。幸せはありません。その喜びも幸せも自分で捨て去ってきたと分かることが何よりの喜びです。分かればあとは真っ直ぐ一直線にその喜びとともに生きていけばいいのです。
ありがとう、本当にありがとう、そう自分に伝えてください。苦しみ悩み絶望の奥底に沈んできた自分にありがとうと伝えることができるなんて、すごいことだと思いませんか。自分の世界が180度変わっていくんです。変わっていけばいくほどに、喜びが温もりが尽きることなく湧いて出てくることを知る、そんな意識の世界に元々あったことを感じていくことが、愛へ一歩近づいていくことだと感じています。
1194) 私はアルバートの波動と出会うために肉を持ってきたんです。狂い続けてきたけれど、その思いを心にしっかりと秘めて、今世この世に出てきました。必ず田池留吉の学びに出会うと肉の環境を整えました。田池先生からは、あんた主人を殺したなとはっきりと言われましたが、まさにその通りです。若くして突然の死の宣告があったから、私の中からの何が何でもこれではいけないというメッセージが肉に届いたのです。
そうでもしなければ、のほほんと適当に肉の生活を楽しみ、そして今世もまたそれで終わりでした。そしてそれで今世を終えていたら、私はもう二度と暗闇の奥底から抜け出すことはできませんでした。そんなこんなを、学びに集い、自分のエネルギーを知ることによって、そして心が本当の意味で敏感になったから、自分の中の思いをストレートに知ることができました。
宇宙を制覇してきた私が、田池留吉の世界に屈することは屈辱だと何度も感じてきましたが、本当に無駄な抵抗でした。私とあなたはひとつだと伝えてくれた思いを、ようやく、今世の肉を通して真っ直ぐに受けていくことができた私は、もう自分を見失うことなく、予定通り、次元移行遂行の仕事を果たしていきます。喜びの道を歩き始めた今世は、本当に転換期となりました。私の歩みは行きつ戻りつではありません。心に感じたからです。
1195) それぞれに生活があり、生活パターンが違います。思い方、考え方、ものの見方、価値基準、肉を基盤とする中においては、千差万別です。幸せ、喜びもそうだと思います。
そんな中において、学びに触れた私達はではどのように生きていけばいいのでしょうか。答えはもうみんな知っています。頭では分かっています。すでに知っている、頭で理解していることを、素直に実践できるかどうかです。それは、その人がどれだけ波動の世界の真実を心で感じているかによって違ってきます。
肉塗れの中から、そこから抜け出していくのにはどうすればいいのかということになりますが、千載一遇の時という言葉を何度も、何度も思い起こして、どうぞ、自分が本当に心から望んできたことを実現できるようにしていただきたいと思います。
自分の中の切なる思いをどうぞ叶えてください。今世を境にして、もう変わっていきましょう。母の思いに素直に真摯に応えてください。それぞれが選んでいくことです。しかし、いつも言いますように、それとは関係なく意識の流れは粛々として流れています。だから、その流れに乗っていくことがたただひとつの選択なんですということをお伝えしておきます。
1196) 新緑が目を癒してくれます。つつじが咲き乱れています。アジサイももうすぐですね。第11回NPO法人UTAの輪のセミナーの受付も始まりました。2018年も足早に過ぎ去っていきます。本当に時間の経つのが速いです。10年、20年、250年、あっという間です。ですが、心はゆったりとして、いつもいつも田池留吉を思い、アルバートを思い、宇宙を思って、日々の時間を大切に、自分を大切にしていきましょう。
「生まれてきてよかった、本当によかった、ありがとう、ありがとう、お母さんありがとう、私、帰ります。私のふるさと、母なる宇宙へ帰ります。」
そんな思いが繰り返し、寄せては返す波のように自分の中に沸き起こってくる瞑想の時間を、たくさん、たくさん持ってください。
そんな喜びの幸せの時間を自分に用意してきたことを心から感謝できるあなたになってください。
1197) 自分に自分が用意したもの、肉、環境、時間、それらを総動員して、必ず自分の決めてきた予定を滞りなく遂行してください。自分の決めてきた予定、それは肉のことを言っているのではなく、意識の世界の変革です。
それぞれに予定、計画を立ててきました。その自分が設定したハードルを超えて、次の段階に進んでいく準備を滞りなくこなしていくことが喜びの道を一歩前に踏み出すということです。次元を超えていくという大きな仕事があります。肉から意識へ基盤を変えて、そして、真実の道を一歩、また一歩進んでいきましょう。
意識の転回です。意識の転回を遂行していくことがすべての始まりです。
肉、形を本物としてきた思いから、その思いを緩め弱めていこうとする思いへ、そしてそれでもなかなかつかんで握っている手を離すことはできないけれど、最終的にはポーンと飛び出していく必要があります。
ポーンと飛び出していけば、見えてくる世界がどんどん広がっていくでしょう。
1198) 何はなくとも嬉しい。ただ嬉しい。思える自分がここにあることが嬉しい。そんな意識の世界を確認、そして確信して、日々の生活を淡々としていけばいいだけでした。すべてが整っている中に今、自分はあることを知ったとき、どんなに幸せな存在なのか、元々幸せだったと伝えていただいたことに自然とそうですと頷けます。
あれがほしい、これもほしい、こうなりたい、こうでなければならない、こうすべきだ、これが人生というものだ、これが幸せ、喜びと、様々な思いを流してきました。しかし、どれもこれも全部違っていました。
今はもちろん、肉を持っていますということで、自分の中から過去、自分が作ってきた自分が出てくる時間というわけですから、それはしっかりと確認して元の自分へ戻していくことをやっています。そういうことができる今が、ただただありがたいです。苦しみだけの中でした。苦しみから喜びへ帰っていくことを知った今、帰っていけることを知った今、思う思える自分がここにあることがただ嬉しいとなっています。
1199) ともに歩く道、ともに生きる道を伝えてくれました。その喜びと幸せを伝えてくれました。もう自分を裏切らないと誓ってきた自分に誠実に、ただ素直に生きていこうと、瞑想の中で確認、確認しています。
田池留吉、その意識の世界、波動の世界を、こうして肉を持って知ったから、これほどの幸せも喜びもないでしょう。自分の心で感じている世界を大切に、大切に育んで広げていくことがすべてです。
限りのない中にある喜びです。目を閉じて思いを向けていくことがすべてであり、だからどこに思いを向けていけばいいのか知らず、分からずでは、苦しみの中から抜け出すことはできません。どんなにしても苦しみの中にいます。思いの向け先を知る、それがただひとつの大切なことです。喜び、幸せの自分へいざなうただひとつの手立てです。
1200) 私のゴールデンウィークの始まりは、思わぬパソコンの不具合となりました。パソコン操作に不慣れですので、何か問題があるといつもUTAブックさんのお世話になっています。UTAブックさんもそうですが、私の周りでは学びの友が色々と好意的に動いてくれています。これもみんな田池先生が残してくださったのだと感謝しかありません。ありがとうございます。みんな仲良くともに学んでいくんやでといつも背中を押されているように思います。
まだ私のデスクトップパソコンは整備中です。なかなかスムーズに作業がいってくれませんが、家に来てくださった技術者の方、同居の母に心を見させてもらう時間なんだと思っています。
1201) 自分が自分に用意した時間、環境、肉を通して、しっかりと自分が流してきたエネルギーを知ってそしてそのエネルギーを本来の私のエネルギーに変換していく楽しみを味わっています。
私は幸せです。真っ暗真っ黒のエネルギーに渦まれてきたけれど、そんな中で、本当の光、温もり、喜び、安らぎの世界が、本当に自分の中にあった、この世界が私なんだ、私だったんだと自分に伝えたからです。私を信じていくことがあなたの喜び、幸せだと、自分にしっかりと伝え、それを現実のものとしているから、私の歩みはもう後戻りは絶対にしません。ただ前を向いて、次元移行へ向かって突き進んでいくだけだと、瞑想をする中で感じています。この感じている世界は私のものです。私は、私の信じた道をただ歩いていくのみです。喜びと幸せを共有できるということは、その道を歩くということなだと、私は理解しています。
ともに同じ方向を向き、ともにある喜びと幸せをあなたもごいっしょにどうですか。アルバートの波動の中にある私達です。ともにアルバートを心から呼んでまいりましょう。
1202) 南河内のかなんぴあというところで、学びの友とともに瞑想をさせていただきました。私は初めて訪れたところですが、ゆったりとした会場でよかったと思いました。
仕事に子育てに忙しいと思いますが、まだまだ若いということをフルに活用して、どうぞ、自分の決めてきた愛へ帰る道を今度こそ見失わずに、自分を裏切らずに、一歩、一歩、着実な一歩を歩んでください。参加された友も言っていました。若いっていいなと。その通りです。体力、気力のある限られた時間を大切に、苦しみ悩みながらも、自己確立に専念してください。
ともに歩みを。250年、300年へと、そしてその先、永遠に続く愛へ帰る道が見えている、感じている肉から発する言葉は、時として、あなたにそこまで言って大丈夫かという思いを持たせるかもしれませんが、それはあなた自身が、自分の心で波動の世界をどんどん感じ広げていけば、そんな思いは雲散霧消するでしょう。セミナー会場において、私を肉の目で見ることはお止めください。肉の目で見て頭で判断していては、結局は疑心暗鬼に陥り、何も分からずまま年齢を重ね、今世を終えていくことになります。それだけは避けてください。今世は千載一遇のチャンスです。しかも体力、気力のある間は限られています。その間に自己確立の道を育んでください。
1203) 心はどこを向いているか、いつもいつも確認しましょう。日々の生活の中では色々とあると思います。あって当たり前です。何もかも思い通りというわけにはなかなかいきません。ですが、そんな中においても、何が今の自分にとって大切なことなのか、絶えず確認することです。
確認です。確認とは自分の中に聞くということです。田池留吉を思い、心の針を合わせて聞いてください。
取捨選択をきちんとして、自分を見失わないことです。自分の生きていく方向を見失わないことです。肉でどんなに頑張ったとしても、それは本来の生きていく方向とは違います。肉でどんなに満足のいく結果、評価を得ようとも、自分の心はノーと叫んでいます。ノーと叫んでいる声に、思いに耳を傾け、心を傾けていく優しさ、強さが待ち望まれています。
優しさ、強さです。真実の道を歩くことは強くなければできません。強い、それは本当の優しさと温もり、喜びに支えられている強さです。
1204) ともに真実の道を歩いていきましょう。喜びの道、愛へ帰る道、母の温もりの中へ戻っていく道です。
肉、影の世界には、それ以外の道がたくさんあります。選択肢がいくつもあります。
真実の世界には、選択肢がありません。ただ一つの道しかないんです。
その道が自分の中で確認、確信できなければ、漆黒の闇の中ということです。漆黒です。明るさも温もりも安らぎも何もなく、真っ暗で寒くて重圧感に満ち満ちています。固まっていくしかありません。苦しみの奥底に沈み込んでいくしかありません。
そんな中から這い上がってきたことを、あなたは忘れましたか。思い出してください。どんな思いで這い上がってきたか。肉をくださいと切望してきた思いを、しっかりと思い出して、そしてその思いに必ず応えてください。凍え切った自分の心をあなたの中の温もりで溶かしていけることに目覚めてください。
1205) ゴールデンウィーク後半スタートです。デスクトップパソコンも無事回復し、5月の志摩セミナー、第11回NPO法人UTAの輪セミナーに心を向けて、色々と調整していきます。
ともに瞑想ができることがただ嬉しいと思っています。瞑想の基本は一人でするということですが、こうして同時期に肉を持って学びに集わせていただいた友とともに、田池留吉を思い、アルバートを思い、そして母なる宇宙を思う時間と空間を共有できることが幸せです。
それぞれに自己確立の道をしっかりと育んでください。そして250年後に必ず繋ぐという意思を強く持って、今世の学び、今世の人生を終えていきましょう。
あなたはどの程度感じておられるか定かではありませんが、私達は本当に地に落ちてしまった意識の状態でした。状態です。そんな私達に心を見なさいと伝えてくださったことは、本当にすごいことなんです。
自分を見限り裏切り続け、自分を苦しみのどん底に突き落としてきたんです。今世、肉を持ってそして学びに集うということはそういうことでした。千載一遇のチャンスということを肝に銘じて、自分を救い上げてください。
1206) あなたは本当の喜びを知っていますか。本当に今幸せですか。自分が生まれてきたことを心から喜んでいますか。肉を持たせた自分の思いに触れていますか。心に響いていますか。
まだまだ他にも色々とあるでしょうけれど、たとえば、このようなことをチェック項目として自分なりに作って、いつも自分の今を確認してみてください。
自分と自分の学びです。自分に問いかけ、自分で答える、つまり自問自答しながら、歩みを進めていくという学びの姿勢を大切にしてください。
すべては自分の中にあると知っていますか。感じていますか。信じていますか。自分の心で感じるものを信じていく確かさは、どの程度でしょうか。
心から、心から、何の思いもなく、ただ真っ直ぐに田池留吉を思い、アルバートを呼べる喜びはどうでしょうか。アルバートとともに、この思いの喜びと幸せを、どうぞあなたも自分の中に広げていってください。
そうです。アルバートとともに私達はありました。
1207) 喜びと幸せの道、この道一本で突き進んでいく準備、用意を滞りなく進めていきましょう。愛へ帰る道、アルバートとともに、全宇宙とともに、母なる宇宙へ帰る道、この道一本です。
あなたの心にもこのメッセージが届いているはずです。すでに届いています。どうぞ、真摯に受け取ってください。もう自分を愚弄するのは止めましょう。肉が自分だとする思いは、自分を徹底的に排除していく思いです。真実の波動の世界に生きていることを否定しているからです。
肉、形の中に生きているという思いは、すべてを破壊していきます。天変地異のエネルギーは、愛のエネルギーは、そのことを私達に示してくれます。真っ直ぐに指し示してくれます。
帰ろう、帰ろう、愛へ帰ろう、そんな大号令がもうまもなく地球全土に満ち溢れてまいります。
1208) 鹿児島、宮崎スカイブ瞑想会、ありがとうございました。最初、音声のエラーが少々ありましたが、それも程なく解消して無事予定通り終了でした。
様々な理由から、セミナー参加が難しい人が何人かおられましたが、どうぞ、今世は千載一遇のチャンスだということを、繰り返し自分の中で思い起こし、日々、喜んでそして淡々と心を見ること、田池留吉を思う瞑想の継続をしてください。
今回のスカイプ瞑想会を、それぞれのきっかけにしていただければいいなあと思いました。どうぞ、自分の中の思いを大切に、それぞれが今世、肉を持ってきた意味をしっかりと自分の中で確認してください。
1209) 田池留吉の肉が指し示した方向にしっかりと自分の心の針を向けて合わせて、喜んで自分が作ってきた宇宙を崩していきましょう。
崩れ去っていく宇宙の中から、喜びと温もりのエネルギーが一気に溢れ出てきます。そしてそれがさらに闇黒の宇宙を開いていきます。
ともに行こう、力強い呼び掛け、いざないのエネルギーは次から次へと闇黒の宇宙を目覚めさせていきます。
私達が戻っていく、帰っていける母なる宇宙をしっかりと目指して、ともに、ともに全宇宙が歩んでいく、そんな壮大な意識の流れです。
今、ひとつの肉を携えて、意識の流れの中にあったことを確認できる喜びと幸せの瞬間です。
肉、肉、肉がすべてと苦しみ喘いできた数え切れない過去。今、大きく転換していくチャンス。すべてが元あったところへ帰っていくことを、心の底から感じてまいりましょう。
「愛へ帰る。愛へ帰ろう。」力強い呼び掛け、いざないに素直に応えてください。
1210) 肉を離すその瞬間まで、自分に責任を持って生きていきましょう。生き抜いていきましょう。もう二度と自分を裏切らないと誓ってきた思いを心に、愛へ帰るたったひとつの生き方を選び取ってください。
どんなにしても分からなかった喜び、温もり、幸せでした。影をつかみ影に泣いて影を恨んできた人生でした。
間違っているとはっきりと伝えていただいたけれど、それをすんなりとは受け入れられなかったことも事実です。今もなお抵抗勢力に自分を苦しめているあなたかもしません。それでも、そんなあなたを信じて待ち続けてくれている本当のあなたがいるということもまた事実です。
自分に今世肉を持たせた思い、これからも肉を持たせる思いは、いったいどんなメッセージをあなたに発信しているのでしょうか。
静かに真っ直ぐに自分に問うていくことが大切なことだと思います。
1211) 田池留吉の意識の世界が、ひとつの肉を持ってきて、そして真実の波動の世界を伝えてくれた、次元移行という意識の流れを伝えてくれた、これは揺らがない事実です。
そして伝えてくれたこの事実をしっかりと心で受け止めさせていただいたのも決して揺らがない事実です。
学びの核をきちんとして、田池留吉の意識の世界はひとまず肉を離しました。本番前の準備を滞りなく済ませるという仕事を終え、あとは仕上げに余念がないということだと思います。
その思いは、現象界にきちんと形として示されていきます。次元移行という意識の流れは、粛々として流れています。どうぞ、肉から意識への転回をそれぞれの中できちんと果たして、そして次元を超えてまいりましょう。
次元を超えて、いついつまでもともに歩いていく、生きていく道をあなたの意識の世界がしっかりと選び取ってください。
1212) 田池留吉、アルバート、そう本当に心から思い、心から呼べる幸せと喜びで自分の中を広げていきましょう。広げていけばそれにつれて、闇のエネルギーもまた飛び出してきます。それは嬉しいことです。温もりの中で、どんどんこの仕事をしていきましょう。
喜びの仕事です。闇が喜びへ、愛へ帰っていく様は、何度感じても嬉しいだけです。嬉しい心の叫びをどんどん出していきましょう。解き放っていきましょう。宇宙へ帰れる、母なる宇宙へ帰れる喜びをただただ伝えてください。
限りない意識の世界です。あるのは喜びだけです。温もりだけです。私達は、この中にずっとずっとあったことを知っていく喜びを体験してみてください。
1213) 本当のことははっきりと言わなければなりません。言葉を濁してはいけません。それが相手にとって厳しいことであっても、学びに関することは、いい加減では済まされません。意識の世界は、1+2=3です。1+2≒3は通用しません。肉、形の世界とは全く違います。
正しい瞑想を重ねていけば分かります。厳しいけれど、厳しいからこそ信じていけるんです。絶対に変わらない世界は、田池留吉、アルバートの波動の世界だけです。盲目的に、闇雲に信じるのではなくて、正しい瞑想ができてくれば、信じるも信じないもない、そんな次元の話ではないことが自分の心で分かります。
だから、まず正しい瞑想ができる状態にすることです。なぜ生まれてきたのか、何をするために生まれてきたのか、学びは難しい、分からないと逃げずに、きちんと自分と向き合ってください。
向き合えない思いはいったい何なのか、それが肉が本物だとしてきた他力のエネルギーです。
1214) あなたは学びに出会ったんです。どんなルートを辿ってそうなったのかは問いません。学びに集い、心を見ることを伝えていただきました。なぜあなたは生まれてきたのかということを心で知ってくださいということでした。
「人生の本当の目的を今世こそしっかりと知って、本当の人生を生きていきましょう。本物を心で知ったからこそ肉もまた喜びなんです。」
このようなメッセージは、あなたの心にすでに繰り返し届いているはずです。
あなたの中の本当のあなたの思いに、メッセージに、しっかりと沿って、その肉の人生を終えてください。肉の人生は終わっても、本当のあなたはあなたといつもいっしょです。それが私達です。
「あなたと私は一つです。文字通り一体となっていきましょう。」これもまた本当のあなたからのメッセージです。
1215) 最近に始まったことでもないですが、特に近頃は、えげつない事件を目にします。耳にします。えげつないというのは関西弁だから、なじみがないかもしれません。要するに常軌を逸したまさに人間の狂った思いが、様々な現象として頻繁に起こってくるのでしょう。
そこまでするか、何を思っているのか、思わず出る思いです。ですが、決して他人事ではないということ、環境、条件が整えば、自分の心からもふいに飛び出してくるエネルギーなんだということだと思います。
暴走するエネルギーを暴走する前に歯止めをかけるには、そのエネルギーの転換を速やかに、自分の中でする以外にありません。それは思いを抑え封じ込めるというのではなく、そのエネルギーをしっかりと確認して温もりの中へ解き放していけるかどうかということです。
みんなすごいエネルギーを蓄えてきたんです。その自覚を持って、人と接していく、生活をしていくことが大切なことだと思います。
1216) 心で決めてきた道でした。自分の心の針の向け先を確認、生きていく方向、歩いていく方向をしっかりと見定めて、そして自分に問いかけながら、この道を真っ直ぐにということです。
アルバートの波動と出会う、心待ちしていたこの思いを大切に、愚かな肉を通して学べる今を喜んでいます。
同時期に肉を持ち学びに触れた友が、それぞれの環境の中で田池留吉を思い、アルバートを思い、そして意識の流れを思う、それが日本の国であろうとアメリカであろうと、そして年齢、性別に関係なく、今、思う時間を持っていると思うと、ただ嬉しいです。
ともに歩みを、ともに同じ方向に生きていこう、そんないざないの中にあることが感じられる瞑想は、ただただ幸せです。
1217) 決して綺麗ごとでは済まされません。はっきりとしっかりとした思いのもとで、生きていく方向を見定めていくことが要求されます。基盤の変換を徹底的に要求されます。それをクリアしない限り道はないと、それぞれの心の中に届きます。それがこれからの250年、300年の転生です。
自分が自分に伝えるメッセージを速やかに受け取り、本来の軌道に自分を乗せていく喜びの道を歩んでいきましょう。
肉を持つ時間は限られています。自分のその肉を終える最後の瞬間まで、しっかりと田池留吉を思い、アルバートを思い、ただひたすら本当の自分、愛に帰っていく道を思いましょう。
思うは田池留吉です。思うはアルバートです。ただそれだけです。ただそれだけをしっかりとやっていけばいいんです。肉でない私達が肉の人生にのみエネルギーを注いでいく愚かさに、一日も早く気付いていくことです。
1218) 学んでいこう、心からそう真剣に思う人達だけが学んでいく、形として見ればそういうことになっていくと思います。
自分の中にどの程度中心棒が確立しているかによって、自分直接の現象、自分の周りに起こってくる現象を通して、学びの一歩を前に進めていけるか、あるいはその反対に学びを捨てていくか、ふたつに分かれていきます。
今世、同時期に肉を持ち学びに触れた人は一人残らず、ともに歩んでいただきたいという思いに変わりはありませんが、それは強制することではありませんので、それぞれに任せます。
ただ、私は私自身は、はっきりと道が見え自分の中に中心棒が確立していますので、それらの情勢には左右されずに、この道一本で突き進んでいくことだけは確かです。意識の流れは順調に粛々と流れていることを心で感じ、田池留吉、アルバートの波動の中にひとつに溶け合っていく喜びを広げていきます。
5月の志摩セミナーも終わりました。一つひとつ予定をこなし、我が道を行く喜びを感じさせていただいています。
1219) セミナー等が終われば、ともに瞑想をした学びの友からメールをいただいたりしています。そのうちのひとつです。一読してみてください。
落ちて落ちて落ちまくって、狂い続けてきた私は、心からお母さんを呼びたいと思いました。本当の自分に帰りたいと思いました。お母さんなんかいらない、温もりなんか信じない。決して、決してそうではありませんでした。そんな冷たいことを私は自分に言い続けてきました。そのことを地獄の底の底の自分が伝えてくれました。本当に地獄の底から生まれてきたこと、どれだけ破壊と殺戮の思いを流し続けてきた自分だったのかと知った時、私が何としてでもしたかったことは、お母さんと呼ぶことでした。ずっとずっとお母さんに帰りたかった、素直になりたかった。
お母さんを捨てていいわけがなかった、温もりなんて信じなくていいわけがなかった。今の環境を通して、私は自分と出会わせていただいています。真っ黒な暗黒の宇宙の中に生き続けてきた自分が、この時に肉を持って、なぜ苦しいのか、なぜ間違ってきたのか、どうすればいいのか知ることが出来るこの千載一遇のチャンスをどれだけ望んできたのか。今突き上げてくる真っ黒な自分が教えてくれました。
狂いに狂ってきた自分を感じて初めて、肉の幸せでは絶対に幸せにはなれないという事が分かりました。お母さんでした。温もりでした。ただただその一点に私は向いていけばいいのだと思いました。それ以外に自分を救う道はない。だからお母さんを伝えていただいたことがどれだけ幸せなことだったのか。その思いでセミナーに参加しました。
私が作り出してきた暗黒の宇宙アマテラスとともに、私はお母さんを呼んでいきます、お母さんに帰ります。お母さんの温もりに帰っていきます。そんな思いで自分の中のアマテラスを思うことが嬉しかったです。
思う先は温もりだけ、思うのは温もりだけ。お母さんだけ。
「思うは田池留吉」の瞑想をさせていただいた時、見えてくるのはただ一つの道でした。向ける先はただただその一点だけでした。これからどんな自分が出てきても、思うは田池留吉・アルバート、お母さんの温もりです。これだけでよかった。これだけだった。温もりのない世界で、もうどうしたらわからなかった私に、あなた間違っていますよ、帰っておいでと伝えてくれました。帰りたい、帰ろう、どれだけやさしい誘いなのか。思う先、お母さんの温もり、田池留吉を伝えていただいた私は、ただただ幸せです。この思いを自分に伝えていきます。セミナーありがとうございました。
1220) 瞑想の喜び、瞑想の楽しみを心で知っていますか。それを知っていたら、思いを向ける喜びと幸せを知っていたら、あと肉の雑多な用事は、それなりにぼちぼち程々にやっておけばいいのではないでしょうか。
自分のするべき仕事をせずに、肉のことばかりに東奔西走してみても、結果は分かっています。そうはっきりと言える今世となったから、今世はやはりすごいと思います。
肉の中で、肉として生きて、肉の人生のみを見て考えて思って時間を過ごしてきた過去の転生。
その過去の転生とは全く違う転生でなければならないんです、今世は。
思いの向け先を180度変え、そしてただひたすらにその方向を向いて存在していくことを、はっきりと自分に伝えてください。
向け先を180度変えていくことは今世だけでは無理でも、その決意をしっかりと確認する今世であっていただきたいと思います。
自ずと取捨選択に取り掛かるでしょう。もう時間は残されていないとひしひしと感じる中において、賢い選択をしてください。
1221) 私の人生、いったい何だったのだろうか。あなたがその肉を置いていくとき、よもやこんな思いが自分の中から出てくることはないでしょうね。
今世、生まれてきて学びと出会ったのだから、そんな哀しい幕切れだけは絶対にならないように、しっかりと自分を学んでください。自分に用意してきた肉の時間です。自分の愚かさを心でしっかりと知って、そして喜びの自分を信じられるように肉を持っている間、最大限学びましょう。
自分に対する優しさ、それは宇宙を思う優しさです。その優しさこそが本物の優しさです。自分達の世界は、限りなく広いんだと知っていくことが、何よりも何よりも幸せなことです。
1222) アルバートとともに、ここに思いを向けて瞑想です。あなたの心に突き上がってくる叫び、雄叫び、それはそれは待ちに待った喜びの叫びです。
どうぞ、あなたもその心の中でこの体験を重ねていってください。
アルバートとともに、どんなに嬉しいことか。こうしてはっきりと道筋を自分に伝えることができる、本当に幸せなんです。
闇黒の宇宙が一斉に、アルバートとともにと雄叫びを上げていくこれからなんです。
アルバートとともに、初版の意識の流れの副題がこれでした。何の躊躇もなく、アルバートとともにというフレーズが出てきた当時を思います。
アルバートの波動と出会いたかった。心から心からそう願ってきた私の意識の世界でした。その意識の世界を田池留吉の眼力は見逃しませんでした。
あんたより私はあんたを知っていると言われた言葉が心に残っています。
1223) 肉を持って肉を喜ばせたり楽しませたり、色々とあると思います。もちろん嬉しい楽しいことばかりではないかもしれないけれど、泣いたり怒ったりイライラする時よりも、笑って楽しく過ごす時が多いほうがいいに決まっています。ただ、心から笑っているかどうかということがありますが。
とにかく心地よく暮らしていきましょう。本当の意味で風通しよく日の当たる温かな場所を自分の中に広げていくこと、それが心地よく暮らすということです。
肝心要のことをおざなりでは、心地よく暮らすことはできないです。自分の本当の姿を知っていきましょう。偽物の自分はどんなにしても偽物です。飾っても化けても剥がれてきます。それならば偽物の自分を自ら剥ぎ取って、本物の自分を出していけばいいのではないでしょうか。
心地よく爽やかな風の中、温かい温もりの中、伸び伸びと自分を広げていける、そんな中にあることを、それがあなたの世界だということを、田池留吉、アルバートの波動は伝えてくれています。
1224) 肉を持って自分を感じる喜びです。自分を感じる、自分の流すすさまじいエネルギー、一瞬にして飛び出てくるすさまじいエネルギーを感じることは喜びなんです。苦しみではなくて喜びなんです。あなたもそのように自分の中の変化を確認していますか、楽しんでいますか。
すでに愛に帰れることを知っているから、すさまじいエネルギーは喜んで喜んで出てきます。苦しみのブラックのエネルギーを垂れ流すのではなくて、愛へ帰るために、喜びの自分に帰るために飛び出てきます。
今、肉を持ってそのことを自分の中で確認できることが喜びです。
中心棒の確立、いわゆる自己確立がきちんと出来てくれば、どんな状況、どんな場面にあっても、絶対に自分を見失うことはない、自分の中の愛を信じるということはそういうことです。
1225) 日々の生活の中で自分が発するエネルギーを確認して、日々思いを向けて、そしてホームページを読んだりその他学びの教材を活用したりして、自宅学習を淡々とこなしていく。そして何よりも大切なことは、セミナー参加を試みて波動の世界を体験する。
これらをそれぞれの生活のパターンの中で、練って練って練りこんで、今、肉を持っている今という時間、自分を学ぶことに喜んで使っていく。
これが最大唯一の幸せの肉の人生の過ごし方です。
どなたもみんなあと肉を持つ、持てる回数は数回です。その数回へ経て、自分の行き先を決定するということをお忘れなく。
この次元移行という意識の流れに乗り切れず、宇宙のもくずとなって苦しみの奥底に沈んでしまったあとは、どれだけの時を経るか分かりません。
どうぞ、それもこれもみんなあなたの心で知っていけるということを学んでください。
1226) 明確な生きる目的を心で感じている人は、本当の意味で強いです。明確な生きる目的、それは言うまでもなく、肉を基盤としたものではありません。
肉を基盤とした生きる目的は、肉がなくなってしまえば、泡のように消えていきます。肉は影、当然その基盤の目的も影です。影は影でしかありません。実体がありません。
意識を基盤にして生きる。その中で明確な目的を知っていく。意識は永遠不滅です。決して消え去ることはありません。
その意識の世界をマイナスからプラスへ変換していけばいいんです。プラスへ変えて、喜びと幸せを増幅させていきましょう。自らの愛の世界を大きく広く厚く広げてまいりましょう。それが私達の存在する明確な目的です。
1227) 肉終えるその瞬間まで、しっかりと自分を学んでいきましょう。喜んで喜びで自分を感じていきましょう。自分が流してきたエネルギーをしっかりと確認していくことです。確認すればするほどに今どんなに幸せな時を自分に用意しているか、分かります。
それでも待ってくれていた本当の自分の思いにどんどん触れてください。
それでも信じて待ってくれていた本当の自分の存在をしっかりと知って、苦しみの奥底に沈んできたのは、この本当の自分を捨て去ってしまったからだったことに気付いていきましょう。
本当の自分。本当の自分と出会えるチャンスを自ら用意してきたのは事実です。
これまでの転生も、もちろんみんなそうでしたが、肉を通してはっきりと伝える術を持たなかったから、過去全部失敗に終わりました。
今世は違います。だから今世を本当に大切にしてください。大きな分かれ道です。
1228) あなた幸せですか。満ち足りていますか。自分の意識の世界が段々と分かってこられましたか。そのうえで再度聞きます。今幸せですか。満ち足りていますか。
学びのお友達、いますか。互いにいい関係で学びができていますか。
実り多い人生にするには、なぜ自分は生まれてきて、今ここにこうしているのかということを、明確に自分の心で分かることが必要です。
生まれてくれば、みんなやがてその肉を置いていくときがやってきます。死をどのように自分の中でとらえていくか、真実を学ぶためには、このハードルを見事超えていかなければならないでしょう。
死についてあれこれ、あれこれ思いを巡らすのは、私達人間だけです。他の生きとし生けるものは、決してそうではありません。その違いはどこから来るのか、そこが大きなポイントです。
この死ということに並んで愛ということも、私達人間が超えていかなければならない大きなテーマーでした。
1229) UTAブックさんが、仮題でありますが、人と動物(植物)がいる風景という本の出版を予定されています。学びの友に広く募集されるようなので、条件付きですが、奮ってご参加ください。詳細はUTAブックさんのホームページで。
当時、まだ母と同居していなかったとき、両親の家に生後1カ月のシンちゃん(愛犬)が来ました。シンちゃんとの最初の出会いは、私にああ波動ってこんなんだと教えてくれました。家にポッと明るさが灯り優しいって感じたことを思い出します。こんな小さな存在なのにすごいなあと驚きました。
みなさんもいっしょに暮している動物から、植物から色々と学ばれていると思います。あなたの学びとして、テーマに沿って思いを向けてみてください。そして感じたものをUTAブックさんにお伝えください。
1230) 日々の瞑想の時間。その時々によって時間の長短はありますが、至福の時です。田池留吉を思う、アルバートを思う、そして宇宙を思う。異語で語り合う。波動の中にあることを感じる。至福の時間です。
肉を持ってこんなすごい時に巡り合えるなんて、本当に幸せだと思います。
私ももう若くはありません。重ねてきた年齢もさることながら、今世の学びに出会うまでに自分の流してきた思いの間違いは自分の身体を通して見させていただいています。肉は少々不具合がありますが、肉体細胞からのメッセージ、波動はこの心の中に広がっています。肉体細胞からくる思いを感じると、やはり肉はいかに愚かであるかが分かります。
こうして、私は私に肉を持たせた思いと真向かいになって、自分に用意してきた肉を持つ時間を大切に、そして、さらなる意識の成長を学んでいるんだと感じています。ありがとう。田池留吉、出会いを本当にありがとうございます。
1231) 選択を誤らないでください。勇気を持ってはっきりと生きる方向を定めてください。今世こそそうしましょう。今世をあなたの転換期に必ずしてください。転換期です。心の針の向きを変えていこう、変えることは難しくても変えていくんだ、そんな思いというか決意をしっかりと意識に刻み込んで、そしてその今の肉を置いてください。
喜びを忘れ去って欲に走ってしまった私達人間です。欲を欲とも思わずに、無造作に垂れ流してきたエネルギーが充満している宇宙です。
その宇宙を自分の心で気付いた方からまずは変えていきましょう。
変えるといっても、あなたの肉は何もできません。肉は学びの基本に沿って自分の心を見ていき、思いの針の向け先が全く間違っていたことに気付けばいいんです。それが本当に心で分かっていけば、肉の愚かさが心に響いてきます。肉は何もできないことが分かります。何もできない肉だけれど、意識の世界の計画の邪魔にならないようにするにはどうすればいいのかを考えるでしょう。そうです。意識の世界の計画の邪魔にならないように、肉は存在してください。
1232) 出来る限り、最大限に、自分を学んで今世を閉じていきましょう。自分に対する責任を果たしていくこと、それは過去どの方も全くできなかったことでした。どんなに真実の世界を追い求め修行をし、愛の人と世の中の評価を受けたとしても、その肉を置いて行き着く先は、地獄の底の底の奥底に何ら変わりはありませんでした。
安らかに天国に眠る、もう本当にそんなまやかしの世界とは決別してください。そうして自分の心を見ずに目を背けて自分を誤魔化していくのは止めましょう。
自分の本当の姿を見誤れば、生きても地獄、死んでも地獄なんです。
はっきりとそう自分に伝えてきませんか。あなたの日々の瞑想の時間の中で、死んだ自分からしっかりと伝えてもらってください。
それが愛です。限りない優しさです。手を合わせて故人の冥福を祈るならば、まず自分の現実をしっかりと知っていく方向に生き直しましょう。
1233) 肉を持っている今、自分の思いの世界を知ること、その今の自分の肉体を通して、自分の流してきたエネルギーを知ること、こんな幸せはありません。どんどん自分の流してきたエネルギー、自分の中に蓄えてきたエネルギーの凄さ、凄まじさを喜んで喜んで知って感じてください。
それができる時間と空間を学びに集っている人達は用意されています。
凄まじいブラックのエネルギーが温もりと喜びのエネルギーに変わっていくんだということを知らずに、ブラックのエネルギーのまま噴き出し、周りとトラブって、大切な肉の時間を無駄にしないようにしましょう。
心の中の闇は自分の中の愛のエネルギーに変えていく、変わっていく術をしっかりと今世こそ学んで、その作業をただひたすらに継続していく時間を迎えてください。
喜びの道を一歩、一歩たゆまず焦らず真摯な思いで歩いていく、そんな歩みをあなたも始めてください。
1234) 第11回NPO法人UTAの輪セミナーに参加予定の方、どうぞ、しっかりと宇宙を思う瞑想をしてきてください。ともに宇宙を思う喜びをあなたの心で感じていただきたいと思います。
もちろん、言うまでもないことですが、宇宙を思う瞑想をというのは、自分の中に母の温もりがあるとしっかりと知ったうえでというのが、大前提です。むやみやたらと瞑想をしないでください。まずはゼロ歳の自分の目を通して母を思う瞑想をしっかりとしてください。温もりの中にあった自分をしっかりと知って信じていれば、宇宙を思う瞑想は、ただただ喜びだけです。田池留吉の目を見ての瞑想もそうです。瞑想は喜びです。
中からムクムクと田池死にさらせという思いが噴き出してくるけれど、そのエネルギーはどうでしょうか、まだ苦しみ一色ですか。
大きな大きな喜びの雄叫びとともに噴き出してくることを、何度も何度も体験していますか。この体験を重ねていくことが大切です。
どんどん心の解放を進めてください。広い広いどこまでも広がっていく温かな中に自分を解き放してください。
1235) 肉を持っている今、肉に関わる様々な仕事はそれぞれにあると思いますが、生きる本当の目的を心で知っていれば、それはそれなりに淡々とやっていけばいいということになります。
肉でするべきことをきちんとするというのは、当たり前のことです。今、肉を持っていることを心からありがたいと思うのは、日々の中で自分の流してきたエネルギーの凄さをはっきりと知ることができるからです。
本当に自分を学んで肉を閉じていこうと思うならば、本当の意味で肉を大切にしていくでしょう。それは、肉を基盤とする大切さとは異なります。
自分に肉を持たせたことを心からありがたいと思えれば、その意味も自ずと自分の心で分かるでしょう。
とにかく、肉を持っている今が大切な時なんです。その自覚があれば、人を殺したり自分を殺したりは絶対にできない、やってはいけないことだと分かります。法律や道徳で心を縛らなくても、母の反省をしていけばそんなことは一目瞭然です。決して神は偉大なりと自爆などしません。
1236) ただひたすらに真っ直ぐにこの道を。私は私にいつもそのようにメーセッジを送っています。
メッセージはいたってシンプルです。田池留吉、アルバートとともに歩いていく、生きていくことだけに照準を合わせなさい。それだけです。
そのメッセージを今世の肉を通して、ようやく、ようやく、現実のものとして自分の意識の世界に伝えることができたことに、ただただ感謝です。
それさえきちんとしていれば、あとは自ずと整ってきます。それを心で知ったことは本当に大きな成果です。どんなに肉を動かしても、どうにもならないのが意識の世界の計画でした。意識の世界の計画に沿って肉が存在することが、肉の喜びであり幸せにも繋がっていくことを知りました。
本当に本末転倒に生きてきたこれまでの転生だったと振り返り、それでも、それでもこうして自分にチャンスを用意してきたんだから、その私自身の思いに、誠実に応えていくだけだということになります。
あなたもあなたの中の切なる思いに、誠実に応えてください。お互い約束を果たしてまいりましょう。
1237) 瞑想は喜び。瞑想はただただ喜びです。田池留吉、アルバートを思う瞑想、そして宇宙を思う瞑想。正しい瞑想ができるように日々学んでください。
正しい瞑想こそがすべてです。思う喜びと思える喜びは、意識の流れの中にある喜びを伝えてきます。そして、次元移行を伝えてきます。
あなたの心は、自ずと、地球上に肉を持たせていただいた長き時間にありがとうを告げることでしょう。ありがとうございましたと地球という星を思うでしょう。
そんな意識の世界を抱え、肉を持っている今を喜んでありがとうと過ごしていく人生、こんな人生が最後の最後自分に用意していたんだ、何とも言えない思いが込み上がってきませんか。
肉、形の中から自分を解き放して、そしてさらに自分というものを、愛の世界を、ともに学んでいける喜び、幸せを感じてください。
1238) 同時期に肉を持ち、田池留吉の意識の世界を学ぶチャンスを得た、喜んでください。このことをまず喜んでいきましょう。肉を持つことがこんなにも喜び、幸せだったんだと、学びを進めてきた人ならば、すでに心に感じ入っていることだと思います。
おそらくあなたの過去皆無でした。喜びで生まれてきたはずなのに、喜びで死んでいくことは叶わなかったのです。喜びで生まれてきたということすら分からなかったというのが事実でしょう。
今世をあなたの転換期に必ずしてくださいとメッセージを送りました。
喜びで生まれてきたことをしっかりと知って、そして喜びで死んでいけるように、生まれてきてよかった、お母さんありがとうございましたと死んでいけるように、日々学びを進めていきましょう。
今、もしあなたの心が苦しいならば、それはあなたがあなた自身に冷たかったということを伝えてきているんです。心を開きなさい、開いてくださいと自分に伝えてくる苦しみを勇気を持って喜んで受けてください。
あなた自身の声に、思いにあなたが応えてあげなくて誰が応えられるのでしょうか。
1239) 250年後を思うとたまらなく嬉しい。たまらなく幸せです。私は自分に計画してきた本当の自分、愛に帰る道にただただありがとうです。ただただ嬉しい。こんなに狂い続けてきた私が私を見捨てることなく、本当の自分に帰っていこうといつもいざない続けてくれていたことを知りました。
今世、肉を持ったからです。持たせていただいたからです。肉を持って、田池留吉の肉を通して、波動の世界の真実を伝えていただいたからです。
出会いでした。千載一遇の出会いでした。自分が望み計画してきたこととはいえ、本当に見事に的中しました。予定通りの遂行をただただ喜んでいます。
愚かな肉を携えて、ああしかし、もう肉を持てる時間も残り少ないと思うとき、たくさんたくさんお世話になりましたと自ずと地球という星に思いが向いていきます。
1240) 意思表示ははっきりとしてください。この学びについての意思表示です。
学ぶならば学ぶ、止めるならば止める。学びついては、特に中途半端はダメです。イエス、ノー、はっきりとさせて自分の生き方を定めてください。
学びは宗教ではありません。自分を救うのは自分の中の愛です。自分の外に求める心をしっかりと見てください。他力信仰の延長線上にいては、学びの本質に触れることは絶対にあり得ません。真似事はできます。ですが、真似事は真似事であって、学びとは似て非なるものです。
あなた、田池留吉を信じていますか。究極はここです。
田池留吉の何を信じていますか。田池留吉って何ですか。
1241) 心を中に中に向けていけば、出会うんです。苦しみ、悲しみ、怒り、支配、妬み、不安、恐怖、寂しさ、聳え立ち等々。それは分かり切っています。
しかし、そこでウロウロしない。もっともっと中に中に心の針を向けていきましょう。
ブラックの自分からどんどん教えてもらってください。どんなに苦しい暗い冷たい中を生き続けてきたかを。切々と語ってくるでしょう。
脅してくるかもしれません。しかし、それにも臆せずにドーンと向き合ってください。本当は・・・と本音を漏らすんです。みんな帰りたいに決まっています。喜びへ温もりへ自分のふるさとへ、帰りたいんですよ。
抗って強がって必死になって自分を崩すまいとするその思い、哀れかもしれませんが、何と愛おしいのでしょう。
私はそう感じています。私の中の愛がそう感じるんです。だから、もう絶対に自分を裏切りません。ともに帰ろう、その思いだけをしっかりと真っ直ぐに流し続けます。苦しみから喜びへ変わっていく様をともに味わいたいと思っているからです。
1242) 肉の私を好ましく思わない人も、どうぞ、ともに学びをしましょう。こうして互いに肉を持って、自分を学ぶという絶好のチャンスを自分に用意してきたんです。
あなたが私に対してどんな思いを抱いているかなんて、私は眼中にありません。ただ私は私の心に響き伝わってくる波動を流しています。
宇宙を思い、真実の世界に愛の世界に、私達のたったひとつのふるさと、愛へ帰ろうと呼び掛けています。
私は心に感じています。田池留吉、アルバートとともに生きていく意識であることを心で知っています。
だから、私の未来は明るいです。暗い真っ暗な過去とともに明るい未来に向かって一歩、一歩歩んでいくことがただただ嬉しい、喜び、幸せ、それだけです。肉の私なんて大したことはありません。しかし、真実の世界を心で感じ知っていくには肉がどうしても必要でした。
このひとつの肉を持って、私は私の歩みを進めていくだけです。私の開けた未来へ向かって、ともにともに歩いていくだけです。瞑想、正しい瞑想は私をその方向へいざない続けてくれる唯一の救いです。
1243) 自分の愚かさにどんどん涙を流してください。どんどん叫んでください。そして悔し涙から喜びの涙へ、苦しみの叫びから喜びの雄叫びへ変えていきましょう。
肉はなぜあるのか。肉の中で肉を通して自分が瞬間流すエネルギーを知るため。そして、そのエネルギーを肉を通してしっかりと確認するために、今、あなたはセミナー会場という場所に肉を運んでいます。
だから、その時間と空間を大切にしてください。目から涙が溢れ出ます。鼻から鼻汁が出ます。喉から咳が出ます。口から叫び声、唸り声、異語が出ます。手は上に上がり、足は飛び跳ね、バタつかせるかもしれません。身体全体が激しく動く場合もあります。
どうぞ、あなたのその肉体を通して、思う存分に蓄えてきたエネルギーを確認してください。
言うまでもありませんが、日常生活の中でそれをすると、大変なことになります。セミナー会場、あるいは条件の整った一定の場所だからそれが可能なんです。それ以外ではトラブッてしまいます。結果不必要な時間とエネルギーを使ってしまうことになります。
できる限り効率的に自分の今世の計画を遂行してください。
自分に残された肉の時間をしっかりと考慮に入れ、本当の自分に帰る道、愛へ帰っていく道に至るあなたの今世の計画を予定通り達成していただきたいと思います。そして、250年後の出会いを必ず果たしてください。
あなたのご事情が許せるならば、喜んでセミナーに参加してください。
1244) この地球上に肉を持たせた思い、私自身の思い、その思いに心を向けると、私はなんて幸せ者だったんだとしみじみ感じます。
本当に愚かな闇のエネルギーを垂れ流しまき散らし噴射し続けてきたけれど、意識の流れのいざないに沿っていける喜びと幸せの中にありました。自分を見失うことなく、見捨てることなく、ようやく自分の本来の軌道に自分を乗せて、さらに自分の中の愛、真実を知っていく道が永遠と続いていることを知りました。
信じて待ってくれていた母の思いでした。田池留吉の肉を通して、真実の波動の世界を伝えていただいた今世を境にして、自分を本当に知っていける喜びと幸せです。
田池留吉の肉とともに学ばせていただいたかけがえのない事実をしっかりと活用して、250年後の来世の肉とともに生きていく喜びです。
1245) 田池留吉を思える喜びがあります。アルバートと心を向ける喜びがあります。そして、ともにそうできる、そうしようとする仲間がいます。
こんな幸せはありません。肉に塗れ肉に自分を落とし込め苦しみ続けてきた私達だけれど、本当に幸せの中にあったことを自分に伝える絶好のチャンスを用意しています。
ともに歩みましょう。ともに歩みを進めてまいりましょう。そして必ず250年後の出会いを果たしてください。
呼び掛けます。呼び掛けます。ともに行こうと。
「懐かしいね、懐かしいね、そう言えばあの時のあなたじゃない?。」そんな会話があちらからもこちらからも届いて、そして日本という国を思い出すんです。ともに学んだ仲間だと思い出し、あとはもうすごいスピードで自分の軌道の最終修正に取り掛かることでしょう。
だから、今世、ひと踏ん張り、そしてまたひと踏ん張りです。
田池留吉の意識の世界は、一足早く肉を置き、そして私達を待ち受けてくれています。喜びで喜びでともにある喜びと幸せをあなたも、あなたも、そしてあなたもともに心に広げていこう、そんな思いの世界、波動の世界の中にいざなわれていることを、どうぞ、あなたの心で感じ広げていってください。
1246) 何があっても決して揺らがない、変わらない喜びと温もりの波動の世界でした。どんなに時へ経ても絶対に変わらない波動の世界がありました。
気付いていくだけです。その中にあったことにただ気付くだけです。
本当に大馬鹿者でした。全部自分で否定し拒否してきたことに、ようやく今世の肉を通して知ったのです。長い長い時を要しました。それでも心で知り心で分かったのだから、あとはこの世界を自分の中で大切に育んでいくだけです。
田池留吉の心、田池留吉の波動、出会いを本当にありがとうございました。
アルバートを伝えてくれて、間違いを真っ直ぐに伝えてくれて、本当にありがとうございました。
瞑想です。正しい瞑想を重ね、肉を持つ間、肉なき間、そして再び肉をいただく時間、自分が自分に用意したチャンスをありがたく受け止めます。
思うは田池留吉、思うはアルバート、そして思うは母なる宇宙、愛です。
1247) 肉として、肉を本物として、肉を掲げて生きてきた歴史があまりにも長いです。肉を基盤とする人生には、苦しいことや悲しいこと辛いこともたくさんあるかもしれないけれど、なじみがあって親しみがあって居心地がよくて、やはり古巣という感があるのが実際のところではないでしょうか。
意識の世界こそがすべてだ、肉、形は本当の世界でない、影の世界だと言われても、どこか空しくなってくるかもしれません。
それが他力のエネルギーです。あなたの中の他力のエネルギー、染み付いている他力のエネルギーです。
だからこそ、余程しっかりと注意深く、そして真摯に心を見るということが大切なことなんです。
他力の中に引き戻そうとするその力を甘く見ないでください。
自分が蓄えてきた肉を本物とする思い、肉の中に埋没して苦しみを味わってきたのに、いまだにその苦しみの淵から抜け出ることに躊躇している思い、あなたの中はどの程度解消が進んでいますか。しっかり自分と向き合ってまいりましょう。
ひと踏ん張り、そしてまたひと踏ん張りです。
1248) ともに瞑想を。ともに思いましょう。肉を持ち、ともに思える時間を喜んでください。ゆったりとしかし心の針はきちんと合わせて向けていくことは忘れずに。
向けたくないかもしれません。向けられないかもしれません。あるいは肉では向けよう、向きたいと思っていても、なかなか自分の中の他力の城壁は高く、手ごわく立ち塞がっているかもしれません。
しかし、間違ってきたのは紛れもなく肉を本物としてきた自分の意識の世界です。母の温もりに徹底的に抗してきた愚かな自分をどこまで勇気を持って、そして素直に真摯に認めていけるか、受け止めていけるか、そういうことだと思います。
学びを軽く甘く見ている方がまだまだ多いです。反復して学びを進めていくことが物足りないと感じておられるかもしれませんが、それこそがあなたが流している波動、エネルギーのすごさをまだまだ軽く受け流しておられる証拠ではないでしょうか。
年月が経つのは早いです。2018年も半年が過ぎ去ろうとしています。
時間は早く経つ、そしてあなたは確実に年老いていく。体力、気力の充分にある間に、何とか目途をつけてください。
1249) 喜んで喜んでともに学びを進めていきましょう。ただそれだけです。
喜んで喜んでともに思いを向けて、自分達がどんなに幸せの中にあるか、恵まれた中にあるのか、その思いを心の中にどんどん広げ深めていきましょう。
そんな幸せ、喜びの道を一歩、一歩歩んでいくこと、それが喜びの人生です。お金では決して幸せにはなれないことを身に染みて感じておられるでしょう。
現在、経済的に少々不安な方はそうは思えないかもしれませんが、ある程度蓄えがあってという方、もうこれ以上お金など要らないとなっていませんか。お金を持って死んでいけないんです。その他、形あるものはみんなそうです。
私達は思いの世界に生きています。その自分の思いの世界は、本来、肉つまり形の有り無しで左右されないんです。肉の有り無しで左右される思いの世界は、基盤が肉ということだから、全部ブラックです。と言っても、その基盤を変えなければ絶対に分からないですが。
どこがブラックなんだということだと思いますが、ブラックという意味自体がなかなか自分の中で納得しないということだと思います。
1250) 学びの年月の長い人で、30年を超えている人もたくさんおられます。私が学び始めた頃1993年頃は、チャネリングというのが全盛期の頃でした。2000年頃までにチャネリング講習会というのもあって、当時は特にイエスや仏陀の時代に思いを向けてという、いわゆる自分の過去世を通して学んでいくという試みもありました。
それは、過去世を語ることが主流ではなく、あくまで学びの基本、心を見る、母の温もりを心に蘇らせ、自己供養をするためのひとつの学びの手立てに過ぎませんでしたが、チャネリングだとかチャネラーにとらわれていく人が多かったという弊害も否定できませんでした。
学びの道の回り道、寄り道ならまだしも、学びの道を外れていく危険性を含みながらだったということでしょう。その他にも学びの初め頃は色々とあって、本当に田池先生は大変だったと思います。ですが、田池留吉の意識の世界が、学びを中途半端な状態でその肉を置いていくことはあり得ないことでした。きちんと学びの基盤を整えて、そして250年後の最終時期に託すという目途が立ち自身の今世の仕事を終えたから、一旦肉を消したということです。
ということで、すでに学びの基盤は確立していますので、あとはそれぞれがどれだけ真摯に学びと向き合っていくか、つまり自分と向き合っていくかという課題だけが残されています。
250年後、昔、昔日本という国で、ともに学んだことを思い出すということで、これは250年後からすれば過去世です。しかし、この過去世を思い出すということは、一連の過去世から学ぶということとは訳が違います。非常に大切かつ有効です。日本という国を思い出す、つまりは田池留吉を思い出すということで、喜びが爆発するんです。そして、そのまますごいスピードで次元移行へ向かって突き進む、そういうシナリオになっています。
1251) しっかりと心の指針を確立していれば、もう肉に沈み肉に溺れていくということはあり得ません。ただ、真実に目覚めよという意識の流れは確実に仕事をしていますから、私達人間の心の奥底に眠っているブラックのエネルギーを容赦なく露わにしていきます。ですから、無差別的な事件は頻繁に起こってきます。テロという特殊な組織ではなくても、日常の中に非日常的なことが起こってくるんです。
社会不安が渦巻く中においても、決して見失ってはいけない本来の私達人間が生きる道をしっかりと生き抜いていくことです。
それは、自分の中にしっかりと心の針を向けて、自分の中の温もり、愛のエネルギーを信じ切る、信じ切れるように、日々正しい瞑想を重ねていくことに尽きます。
その術を私達は学ばせていただいています。どうぞ、真摯にひたむきに学びましょう。もう自分を裏切ることなく、本当の自分とともに生きていく本当の喜びと幸せを知ってください。
1252) 今あなたがあなたにできること、してあげれること、やってください。
肉のあなたの思いばかりを優先するのではなくて、あなたの中のたくさんのあなたの思いをしっかりと聞いて受け止めて、そしてともに生きていく方向に、自分の舵を切ってください。
それが本来進むべき道です。肉のあなたの役割、仕事をきちんと把握して、そして今世こそ、あなたの転換期にぜひぜひしてください。
幸せ、喜び、温もり、愛、どれもこれも分かるはずはありませんでした。分かったように錯覚をしていただけでした。錯覚です。早く目を覚まして、本物の幸せ、喜び、温もり、愛の波動を知っていきましょう。全部自分の中にあったことを知っていきましょう。
1253) 喜び上手になりましょう。どんな些細なことでもまずはありがとうと受け取ってみましょう。こんなことくらいでという思いは禁物です。
田池先生が最初に私におっしゃったのは、「あんた喜び少ないな。」でした。
何でも当たり前としてきた私には、喜び少ないと言われたことが、殆どよく分かりませんでしたが、学び始めていくと、本当にそのものズバリでした。
10年間ともに暮してきた夫を夫とも思わずに、私は本当に身勝手に気ままに生活してきました。姑の一言に何くその思いで資格取得に燃えたのですが、それが結果学びをスムーズに進めていく大きな手助けになったのでした。田池先生からは、「あんたを見てたら、学びをするようにするように全部うまく事が運んでいくことを感じる。大学受験失敗も結婚も、そして若くして夫が死んだのもお父さんが病気になったのも、ワンちゃんがやってきたのも、全部そうや。それぞれの点を結んでいったら、そう見えてくる。」こんなことをよく言われてきました。
学びをするようにするように、ああそうでした。全部自分が描いたシナリオ通りにみんな環境その他を設定しているんだということでした。
あなたもご自分のこれまでを振り返ってみてください。
喜び上手になりましょう。肉、形の世界はどんなであっても、学びをするために、自分を本当に学んでいくために、今があることを心から知って、喜んで喜んで生きていきましょう。
1254) 今世の時間がいかに大切なのか分かっていただいていますでしょうか。学びに集い心を見るということを学び始めたということは、本当にすごいことなんです。特別だとか偉いとかそういう意味ですごいのではなくて、自分達の意識の世界の実情がすごいということ、それをそれぞれがしっかりと自覚するチャンスを自ら用意したということ、これは本当にすごいことでした。
肉に生きることなんて容易いことでした。肉を持っている間は自分を誤魔化して、一時の喜びや幸せに逃げ込んで、そして死んだあとは自分の現実が容赦なく覆いつくす、その繰り返しを懲りずにやってきました。どんなにしても地獄の奥底で蠢いているに過ぎませんでした。
その流れを変えるということ、本当の意識の世界に目覚めるということは、並大抵ではありません。誤魔化しは一切通用せずに、真っ直ぐに自分と向き合う勇気が要ります。誤魔化して騙して逃げてきた私達にとって、一番難しいことです。
しかしこの道しかありません。自分の中の流れを変える、逆流を見事泳ぎ切って自ら浮上していきましょう。浮上して見えてくる世界があることを知ってください。
1255) 自分を学ぶために、本当の自分を知るために、今があること、今、肉持って様々な環境の中にあって、そして自分が蓄えてきた、作ってきたエネルギーを知ることができること、それが喜びでした。
本当に思い違い、考え違いをして何度転生の機会をいただいてきたのかということでした。悲しみ苦しみ辛さはその自分の思い違い、考え違いを自分に教えてくれていたのに、それが全く分かりませんでした。全くです。全部、全部、自分の外にあると思い続けてきたこと、本当に愚かとしか言いようがありませんでした。
しかし、愛が存在していました。確かに愛のエネルギーがあるから、何度間違いを繰り返したとしても、こうして、今世また自分を学ぶチャンスを用意してきたんです。自分の中の愛に目覚めよと自分にいざないをしてくれました。
正しい瞑想を重ねていけば、そういうことが心に響いてきます。どんなに愛されていたか、どんなに信じて待ち続けてくれていたか、本当の自分の思いは切なる思いとして、私の中に響き渡ります。
肉と意識。間違い続けてきたけれど、今世は待ち望んできた大きな大きな転換期となりました。
1256) 田池留吉を思うことがただ喜び、アルバートと呼べることが最高に幸せ、一人でも多くの学びの友がそういうふうになって、そして喜んで喜んでともに学びを進めていけたらいい、今回のUTAホール志摩セミナーでもその思いを強く感じました。
それぞれの環境、事情があると思います。ですが、学びに集われた今世を本当に大切になさってください。ご自分を大切に、本当の意味で強く賢く生き抜いていきましょう。
肉に逃げ込む、肉で誤魔化していこうとする自分の哀れさを心から感じてください。もう自分を裏切らない人生、そんな転生に今世こそしていきましょう。
体力、気力の続く限り、最大限自分を学んで今の肉を終えて、そして次の転生へと自分を繋いでいくことを大きな目標にして、そして最終的には次元移行を自分の中で必ず達成させるということを自分に誓ってください。UTAホール志摩セミナー、学びの時間をありがとうございました。
1257) 今世は大切な大きな岐路です。自覚のあるなし、あるいは感じている程度の違いはあります。ただ、大切な大きな岐路の今世だということは間違いのないことです。今世、学びに触れたあなたにとってはそういうことです。それが何を意味するのか、このことによって何を知っていただきたいのか、どうぞあなたはあなたに聞いてみてください。
正しい瞑想がすべてであり、だから正しい瞑想ができるようになってくださいと繰り返し発信しています。あなたの頭ではなく、心で知ってください。心に感じたものを頭で分かろうとする、分析しようとする、無駄なことです。本当のことはそうです、心でしか分からないんです。なぜならば、本当の世界は波動の世界だからです。しかも、田池留吉、アルバートの波動の世界だけがたったひとつの真実の世界です。
これが本当だと分かってくるのは、感じてくるのは、あなたの中からです。中からどんどん響いてくるんです。中からどんどん突きあがってくるんです。それってどういうことですか。あなたの中のあなたが激しく切実に訴えていることに心を傾け、耳を傾けてください。
1258) 17日の志摩セミナーを終えて帰阪した翌朝、ドーンと縦に響きました。ニュースで見たら、その揺れは震度4ということでした。私としては初めての体験です。震度6弱というところもあったそうな。
以下、学びの友よりのメールです。
朝の地震で、瞬時に出た思い。恐怖も、もちろんあるけれど、何もできない自分を感じました。何もできないんだ、では私はどうする・・?
手が少し震えているなあ・・ああ、この思いを見るんだ。
「心をみてください」そんな呼びかけのような思い、私の中に芽生えている。それが、あまりにもやさしくて、うれしくて。この実践を、何度も何度も促されてきたこと、それがセミナーでした。タイケトメキチ、田池先生、お母さん・・・形ではなく、自分の中で呼び覚ますこと
私が私に伝えてくることでした。何があってもここに戻って、思いを向けられる。これが幸せなのかな、そう思いました。
メールを読ませてもらい、思いが上がってきます。
ともに学んでまいりましょう。
心の針をどこに向けているかを確認する出来事がこれからそれぞれの身の回りに頻繁に起こってきます。向け先を知っていることがまず大事なことです。向ける方向は、思う方向はただ一点です。
あとどんな状況になろうとも、それらは全部、肉、形の世界のことだから、そこから瞬間的にすばやく心を、思いを離していけばいいということになります。
いつまでも引きずっていく必要はなく、ただ思いの向け先だけをひたすら定めていこうとする、それが何よりも何よりも大切なことです。
実践です。今世の学びの成果を知っていく実践の機会を用意している、何から何まで至れり尽くせりの中で、学びを進めています。
本当に信じているのか、本当に意識の世界を信じているのか、田池留吉、アルバートの意識の世界にひとつだと、本当に信じているのか、実践を通して自ら学びを進めていくということ、真っ直ぐに真っ直ぐにただひたすらに自分の歩いていくべき道を見つめながらの時間、大切にしていきましょう。
1259) 肉は厄介です。肉は複雑です。意識の世界はシンプルです。厳しいけれど、絶対に裏切らないです。肉の優しさは状況が変われば簡単に裏切っていきます。意識の世界の厳しさに裏打ちされた優しさこそが本当の優しさでした。肉基盤ではそういうことが絶対に分かりません。
今世をあなたの転換期にしてくださいというメッセージを、あなたはどの程度自分の中で咀嚼できているか定かではありませんが、今一度真剣に真摯にこのメッセージの重みを受取っていただければと思います。
ワン・ツー・スリーの瞑想で色々とそれぞれに心で試してみてください。
ただ自分のエネルギーを肉体を通して感じていく、それで精一杯というのではなくて、そこから、そこから次の一歩をどう踏み出していくのか、あなたの中は苦しいエネルギーはみんなそれを待っています。舵の切り方を誤らないでください。正しい舵の切り方を、その肉を持って教わってきたのです。
1260) 学びの友がメールをくれました。
今朝の地震があって、天変地異に思いが向きました。地震が起こったときは、瞬間、恐怖の思いが出て、でも、そのあと天変地異に思いを向けたいと思いました。
地球も田池留吉と同じで待ち続けてくれていたということが伝わってきました。言葉にならない思いでした。すごい環境で肉を持たせてもらっていることを感じました。ありがとうございます。これから、しっかりと、たくさんの意識とともに学んでいきたいです。ありがとうございます。
18日の大阪を震源とする6弱の地震によって、色々と思われている方も多いでしょう。活断層云々ではなく日本全国、津々浦々揺れてまいります。アマテラスのお勉強、喜んで進めてまいります。
1261) 何ひとつ不必要なものはありません。どんなことも学びの機会だととらえて、自分の中に心の針を向ける訓練を重ねていきましょう。
心を開いていく、意識の世界の中にどんどん入っていく、そしてそれはただ喜びの思いだけで、ここが大きなポイントでしょう。
ただ喜びだけがあるということ、意識の世界には喜びしかないということ、しっかりとしっかりと学んでいくだけです。
そして、委ねていけるのは、全部を託していけるのは、田池留吉、アルバートの波動の世界、意識の世界しかないということ、それを知る、確認する、確信する、学びのハードルを喜んで喜んで超えていきましょう。
愚かな肉を持って学ぶ難しさと、愚かでも肉を持っているから学べる喜びを感じながら、ひたすらに自分が決めてきた愛に帰る道を歩いていこうとする思いを着実に育んでいきましょう。
1262) 学びの友からのメールです。本当のことを学ぶのに、老いも若きもありません。男も女もありません。みんな死ぬまで元気で喜んで楽しんで学んでいきましょう。今世、待望の肉をいただき、本当のことを知る、間違ってきた自分の生き方を知る、絶好のチャンスを用意してきたんです。しっかりと目を覚ましましょう。
私は今年の二月に八十五歳の誕生日を迎えました。
九十歳までなんて、とても生きないだろうと思っていたのに、九十歳は目の前に迫っていることに驚きました。
このまま死ぬわけにはいかない。私は何一つ確立させていない。
母の温もりも今ひとつ、産んでもらってありがとうも心から思えているか?、その他いろいろの事柄が、みな中途半端なのだ。
遅きに失した、後悔しても始まらない、やるしかないのだ。
出来たりできなかったりの瞑想を、確実に日に三十分すること、夫に出す思いを克明に見ること、の二つを実践することを肝に銘じて、日々を過ごしていました。
軽度認知障害のある夫に出す思いは、今日こそは優しくと思っても、寝るときには、後悔の毎日です。愚かで冷たい私を見せつけられています。
瞑想をしていたら「心を見る」。此のことを教えてもらったことは凄いこと、「心を見てそのエネルギーを知る」。ず~と言い続けてこられた文言だ。これを知ったということは,計り知れないほどの大きな宝を与えられていることか! 意識の転回は覚束ないけれど、今世このことを知ったことは凄いこと、生き方変わるものね。
困ったことに遭遇した時、真剣に心を見ていたら解決策はおのずと湧いてくる、試行錯誤しながらも良い方向に向いていく体験を何度かしました。これは肉の次元のことですが、心を見る楽しさを知りました。
「肉を整えることぐらいは簡単やで」と田池先生は言っておられた。肉体的にも、経済的にも大変な時期がありましたが、それを何とかクリヤーできて安堵してしまいました。
長い長い学びの末、いまだにこのようなところをうろついていますが、来世の転生には「心を見る」ということを絶対につなげたい、と強く強く思った途端、突然怒涛のような喜びが、嬉しさが何度も押し寄せてきました。「産んでもらってありがとう」と叫んでいました。全てのものに感謝、感謝、感謝の念が湧き、涙は頬を伝い続けました。こんなにすごい喜びは衝撃的でした。湧き上がる歓喜、こんな世界があったのですね。やっと一歩が踏み出せそうで嬉しいです。 ありがとうございました。
1263) アマテラス。ともに学ぼう、そしてともに帰ろう、そういざなっていく喜びが響きます。
アマテラス。愛しいアマテラスでした。自分の帰るべきところが分からずに彷徨い続けてきたアマテラス。苦しいことも悲しいことも辛いことも全部飲み込んで、我を見よと虚勢を張ってきた哀れさを、ようやく真正面から受け止めていける機会を得ました。
「あなたの中の喜び、温もり、愛のエネルギーを知っていきなさい。そして信じて信じていきなさい。」ストレートに届いた波動の世界でした。
田池留吉、アルバートと心から心から呼びたかった思いをしっかりと確認して、心から呼んでいく喜びと幸せを味わっていきましょう。
帰っていく方向をしっかりと見定めて、そこに心の針をしっかりと合わせていきましょう。
全部自分自身が選んでいくことです。決めていくことです。強制も何もありません。ただ願わくは意識の流れとともに、意識の流れに沿って、ともに歩みを進めていこうということだけです。
1264) 苦しみはどこからくるのか、悲しみはどこからくるのか、怒りはどこからくるのか、心で分かっていますか。分かってきましたか。
分かってください。そして、思う方向を180度変えていきましょう。
肉から意識へ、肉から意識へ、どんなときもこのことを忘れずに、間違って生きてきたけれど、私は生き直します、本来の私に戻ってまいります、そう自分に言って聞かせてください。
自分の中がひとつになって力強く突き進んでいく喜びと幸せをどんどん感じていってください。
心から心から待ってくれていた、信じて待ってくれていたと、田池留吉の肉を通して、真実の波動の世界からのメッセージを私達は受けてまいりました。
真っ直ぐに本当に真っ直ぐにあなたの中に届いているはずなんです。
受けてください、受けてくださいと真っ直ぐに届く波動のすごさ、素晴らしさです。どんどん、どんどん感じて感じて、そして、必ず帰る、必ず帰るよと約束を果たしてください。約束です。ともに帰りましょう。
1265) どんな自分であってもいいじゃないですか。ただ、今、自分の出す思いを確認できる今が、ただありがたい、そうではありませんか。
ありがたいんです。今だからこそできるんです。心を見てくださいと教えてもらったから、心の針の向け先がいつも外ですよと教えてもらったから、こんなありがたい今はありません。
きちんと自分の生きていく方向を自分の中に確立できることは、すごいことです。自分の中の愛の自分を信じられることは、これほどすごいことはありません。
右往左往して生きてきました。自分の中に本当の中心棒がなかったから、不安で恐怖で、そして底知れない寂しさに翻弄してきた、そんな生き方しかしてこれなかった私達でした。哀れでした。しかし、今は、そんな自分がたまらなく愛しくてとなっていませんか。もう二度と自分を裏切らないという思いで今世を迎えたはずだ、そう思い当たりませんか。
思い出してください。思い出していきましょう。
1266) 喜んで喜んで生きていく、生活をしていく、何でも当たり前で欲を欲とも思わないできた私達には、それは簡単なようで難しいことです。
本当は、ただ今ここに存在していることが、ただ嬉しい、ありがとう、それだけでいいんです。そして、それは自分が肉という形を持ってきている意味を心から感じていなければ、嬉しい、ありがとうも少々、いいえ大きく違っています。
それでも文句を言い、不平不満を言い、暗いエネルギーを垂れ流しているよりも、嬉しいね、ありがとうと思って生活をしていくほうが、はるかに、はるかにいいです。
そういう生活を送りながら、ごめん、真っ暗な真っ黒なエネルギーしか流してこなかった、心からそういう思いが突きあがってくればくるほどに、同時に喜びが何とも言えない喜びが噴き出してくる、そんな学びの時間を持っていけば、ふと気がつくと変わっています。心に感じるものが、同じものを見ていても、同じことを聞いていても、以前とは変わっています。
心の体験です。自分の中の変化を楽しんでいってください。
1267) 思いの世界だけです。あるのは思いの世界だけです。その思いの世界に私達は生きています。あの人、この人の区別なく、ただ思い、エネルギーの世界がそこにあるだけ。
しかし、違う点がただ一点あります。思いの向け先です。何を思うか。何を信じているか。この思いの向け先で住み心地、居心地が全く違います。
形の世界に自分もまた形を持って存在しているときは、いくらでも紛わすことはできても、自分に肉という形がなければ、それは叶わないことです。住み心地、居心地の劣悪さがもろにきます。
まさに天国と地獄の違いです。いいえ、天国と地獄という表現は適当ではありません。そんな次元のものではないと言えるでしょう。
ああ、田池留吉、アルバート。そして愛。そう思いを向けられる喜びと幸せを、本当にどんどんあなたの中で味わってください。
肉、形の世界にあるあなたではなくて、意識、波動、エネルギーとしてのあなたをどんどん知って、そして苦しみから喜びへ自分をいざなっていきましょう。それができる私達でした。
1268) 私達のするべきことはただひとつだけです。そのひとつのことをしっかりとやり遂げて、今世の肉を終えていくだけです。もちろん、やり遂げるといっても、100%ということではありません。それぞれに今世予定してきたところまできちんとするという意味です。
つまりは今世を自分の次の転生に繋いでいく足がかりの手ごたえを自分なりに感じるということでしょうか。
今世は今世の予定があります。それは自分で計画してきたことです。
一番大きな計画は、今世、あなたは学びに集ったということです。
なぜあなたは学びに触れたのですか。決して偶然ではないんです。学びに触れるということがどういうことなのか、まずはそこの基本をきちんと自分の中で押さえていなければ、せっかくのチャンスが本当に無駄になってしまいます。
学びに触れさせた自分の思いを軽く見ないでください。疎かにしないでください。綿密に立ててきた自分の計画、愛、心のふるさとへ帰る自分の計画を決して無駄にしないでください。
1269) 私は大宝ホールで月に一度、「ともに瞑想会」というお勉強会をさせていただいています。学びの友とともに学ぶために大宝ホールを使わせていただいていますが、地域での学びについてのルールを少々無視したところがあります。始めるときの動機が少々不純だったので、地域をまたいでの参加という形になっています。その点につきましては、どうぞご容赦ください。
基本的にはどなたでも参加していただきたいのです。ともに瞑想をするという喜びと幸せを味わっていきたいという思いでいます。
ただ、場所の広さということで、人数は制限されます。その時々に参加者を募集するというのも作業的に無理です。誰かお手伝いしてくれる人でもあれば、それも可能かもしれませんが、それも現実的ではないでしょう。
ということで、どなたでも参加OKということが基本にありますが、顔触れが決まっているというのが現状です。
その「ともに瞑想会」も今年の8月で丸4年になります。私なりにメッセージをその都度発信していくお勉強の場なので、色々とご意見もあろうかとも思いますが、もうしばらくは続けていこうと思っています。
1270) ともにあることを確信できれば、こんな嬉しいことはありません。ともにあることを確信できれば、もう右往左往することなく、どっしりと落ち着いて生きていけます。肉、形はここにあれども思いはここにない、そういう状態で生きていくことは可能です。
思いの向け先だけを確認。意識の世界は正直です。間違った思いは自分の中に苦しみとして響きます。間違っていますよと自分に自分が教えてくれていることを、素直に受け取りましょう。
元々何もなかったんです。あったのは喜びと温もりだけでした。真っ暗な真っ黒なエネルギーを吐き出してきたから、それはきちんと自分の中で元々あった喜びと温もりのエネルギーに変えていかなければなりません。いかなければといっても、肉では何もできません。
肉は、変えていけるように自らをいざなっていることに気付いて、ああそうだった、変えていけるんだと喜んでその作業に勤しみましょう。
待ってくれていた、これからも待ち続けてくれる、そのことを感じ始めたならば、ひたすらに素直にこの道一本です。
1271) すべては自分が決めて選んでいくことです。どう生きていくか、それはもうすでにどなたの中にも伝えていただいています。ただし、心を見ることを知らない人、見ようとしない人は、結局は自分の闇の世界から出ることはありません。
自分で自分を抑え込んで苦しみの中に落としていっているという意識の世界の仕組みを心で分かってこなければ、生き方も存在の仕方も何も変わりません。
影の世界でいくら富や名声を得ても、所詮は闇の中。喜びも幸せもつかの間のものです。そうじゃない、そうじゃないんだ、そんな消えてなくなる喜びや幸せではなくて、確かなずっと変わらない喜びや幸せがあるはずだ、探して探して探し続けてきたのではないでしょうか。
私はそうです。確かなもの、何があってもどんなに時を経てもずっと変わらないものを探し続けてきたから、本当に今世の出会いは、これはこれはという思いでいっぱいでした。
出会いでした。出会いがあったから本当に道を間違えてきたことを知り、本来の軌道に自分を乗せていけたのです。
私達は形の世界の中に生きているのではなくて、思いの世界に生きているんだと、繰り返し自分に確認してください。
1272) 今日から2018年後半スタートです。そして橿原セミナーです。橿原の地でこうしてみんなとともに学ぶ時間を持てることをただ喜んでいきましょう。
田池先生とともに何度も学ばせていただいたところです。琵琶湖セミナーもそうですが、ここ橿原にも思い出がたくさんあります。
二上山を眺めながら巫女の心を温もりの中へ、愛の中へいざなってまいりましょう。
そこのところを引き金にして、どうぞアマテラスの思いをどんどん解き放していく瞑想に取り組んでください。
田池留吉の肉は無けれども、私達の中の田池留吉の世界は永遠に無くなりません。それが私達だからです。
二泊三日、肉の心と身体はリラックスさせて、しかし、意識の世界はしっかりと針を向ける合わせることをやっていきましょう。
これからも、想定内、想定外を問わず、様々な事が起こってきます。意識の世界を揺らす大きなエネルギーが存在します。ともに歩みを、ともに学びを、そういざない続けてくれている田池留吉、アルバートの思いを心で受けてください。
1273) 橿原セミナー、ありがとうございました。家に帰り、UTAブックさんのホームページで好きな言葉を見ました。大和は国のまほろば、私の大好きな言葉でした。次元移行を伝える意識の流れの計画は、日本の国を外すことはあり得ませんでした。アマテラスの国、日本。田池留吉の意識の世界という真実の波動の世界は、日本を目指してきました。そして、アマテラスの意識、私達もまた日本を目指し、そして波動として出会わせていただいたのでした。
私の住む上町台地にももちろん大きな意味があります。離れがたい思いを心に感じ、私は私の中のアマテラスの喜びの雄叫びを、田池留吉の意識の世界の中で噴き上げてまいりました。
アマテラスが真実の波動の世界に触れ、自らの喜びのエネルギーを広げていく、あなたは私、私はあなたですよのメッセージを真っ直ぐに受け止めていく、その道筋をしっかりと見極めたから、田池留吉の肉は一旦その姿を消したのでした。しかし、その肉はなけれども、私達はともに学びを遂行しています。そんな学びの場を今回もいただき、本当にありがとうございました。
1274) 金の力も神の力も全く通用しない。それがこれからさらに益々明らかになっていきます。嬉しいです。どんな苦しい時を生きてきたか。苦しんで苦しんで狂ってきた真っ暗闇の中で、もがけども、もがけども、真っ暗闇の中でした。
そんな自分の中に、やっと、やっとひとつの解答が見えてきました。そこを突破口にして、見事脱出する道がようやく見えてきました。
こんな嬉しいことはないです。目に映る形の世界は見る影もなく大きく様相が変わっているけれど、それでも、それでもあったんです。帰る道があったんです。愛を捨て苦しみの中を彷徨い続けてきた中で、愛へ帰る道を見つけた、これは本当に奇跡と表現しても決して大げさなものではありませんでした。
奇跡ではないよ、田池留吉、アルバートの思いが来ます。ですが、田池留吉、アルバートの意識の世界、波動の世界と出会わせていただいたことが私達にとっては奇跡なんです、そう私の中から一斉に声を上げています。
喜びの雄叫びを250年後に噴き出していく準備を万全に整えて、今世の日本とお別れです。
1275) 田池留吉を思っていればいい、究極はそうです。それさえきちんとできていればということです。
思うは田池留吉です。思うはアルバートです。思うは母なる宇宙です。
肉を持っている限り、肉の思いはあります。しかし、弱めていくことは可能です。それは肉ではできません。田池留吉を思う瞑想を重ねていくことによって、知らずのうち弱まっていくんです。
また、田池留吉を思う瞑想を重ねていくといっても、欲では続かないでしょう。田池留吉を思うことが嬉しいとまずなってください。呼びたくなるんです。何とかしてくれといって呼ぶのではなくて、ただ呼びたくなる、アルバートと叫びたくなる、そのことをそれぞれに体験してください。
嬉しいだけです。嬉しいんです。思うことが呼ぶことが嬉しい。
思いを馳せることが嬉しい。ともにある幸せを、どんどん自分の中で広げ深めていってください。
1276) アマテラス、何が何でもアマテラスの供養に取り組んでください。愛しい、愛しいアマテラス。ともに帰れる喜びをあなたの心に深く深く広く広く感じてください。
田池留吉、アルバート。ともにともに生きていくことをあなたの心にしっかりと蘇らせてください。
私達は帰ります。母なる宇宙へ帰ります。愛を捨てた私達でした。ですが、今世出会わせていただきました。田池留吉の肉を通しアルバートの波動の世界に出会わせていただきました。私の中の確かな現実でした。
ともに行く道しかありません。一本道が真っ直ぐに続いていることを心は感じています。
波動の世界に、田池留吉、アルバートの波動の世界にひとつだと心から伝えてくれた思いに応えていく道だけが喜びの道です。
繰り返します。今世をあなたの転換期に必ずしてください。必ずしてください。自分との約束を果たしてください。
1277) 間違ってきたことを喜んで認めそして受け入れていく、それができる今が嬉しいとなってくる、そうなってくれば、どんなにすごい凄まじいエネルギーを感じようとも、それで自分を落とし込めたり、そのエネルギーを助長したりはしません。自分を見失うこともありません。
きちんと自分と向き合っていくことがどんなに自分にとって優しいことなのかということに尽きます。自分を自分の優しさ、温もりで包んでいく喜びの中にあったことを感じて、ただただ嬉しいでしょう。嬉しくてありがたくてというふうになってくるはずです。
それが私達です。自分の中の優しさ、温もり、喜び、ただそれを信じて信じて生まれ変わっていきましょう。
ありがとう、心から心から自分に伝えていける喜びの道を、ともにともに歩いてまいりましょう。
1278) 大宝ホールで地域合同のスカイプ瞑想会がありました。参加される方の積極的な反応を期待します。とくにこうするという形はありませんので、どんどん手を挙げていただければ、それに沿った形で学んでいけるのではないかと思いました。
たとえば、テーマーを決めてみんな一斉に瞑想をする。そしてその今の瞑想で感じたもの、感じたことを聞いてもらう。私もそこで何らかの思いを言わせてもらう。それらを聞いたうえで、それではまたみんな一斉に瞑想をしましょうというように1時間を使っていくというのもいいかなと思いました。
とにかく大宝ホールにいる方達が主役です。私はともに瞑想をさせていただき、異語を通してときには種水を通して参加させていただければ、充分幸せです。喜びの1時間を共有してまいりましょう。
1279) 目を閉じて思う、ただ思う。田池留吉を思う。出会いを思う。そして、しっかりと自分に問いかけてください。
私は意識の流れを信じているかと。
意識の流れが伝える次元移行をどう感じているかと。
肉が本物だとする思いがまだまだ根深くあるのではないかと。
先日の橿原セミナーで巫女という言葉を出しました。巫女の思いを引きずったまま今世を迎えた私達だったことをあなたはどのように思っておられますか。
以前に卑弥呼に思いを向けてというお勉強を田池留吉の肉があるときにさせていただきました。私はもう嬉しくて嬉しくて、卑弥呼という言葉の響きとともに、心に響いてくる喜びの思いを素直に語らせていただきました。もちろん、卑弥呼の世界はちっぽけでした。ですが、それはそこから大きく心を広げていける喜びのお勉強でした。
私はアマテラスが本当に愛しいんです。アマテラスの光と影を心に広げてきた過去からの思いを、田池留吉の肉と今世の自分の肉を通して、しっかりと学ばせていただきました。
アマテラスの目覚めがあったからこそ、意識の流れは予定通り粛々と遂行し、全宇宙とともに次元を超えていけることを確信しています。
田池留吉、アルバートの波動にひとたび触れたアマテラスの思いは、もう決して後戻りはしないです。
どうぞ、後ろ向きな思いで学ぶことなく、自分の歩みを一歩前に踏み出してみてください。アマテラスの供養をよろしく。
1280) 今世の出会いを本当に大切にしてください。出会いです。田池留吉の肉との出会い、そして学びとの出会い、もちろん、そこからしっかりと学んでいくという大前提がありますが、とにかく、自分自身の今世の計画を心で分かってください。
どんなに緻密に計画してきたか、それはひとえに本当のことを知りたいと、自分の中の思いが切望してきた証しです。
自分の中に蓄えてきた真っ暗な真っ黒なエネルギーをどんどん感じて、そしてその思いが何を叫んでいるか、本当のところ何を叫んでいるか、どうぞ、心で受け止めてください。
母の温もりがそれを可能にします。温もりが溢れてくればくるほどに、真っ暗闇の思いが語るんです。叫ぶんです。帰りたい。帰れるのか。本当に帰れるのかと。
何度も何度も聞いてきます。そのたびにあなたが肉を持っているあなたがしっかりとそれに応えてあげられないようではダメなんです。
ともに帰ろう。しっかりとはっきりと応えてください。それがただひとつの喜びの道だということを、本当に学んでください。
1281) 思うは田池留吉です。どんなときも忘れずにいてください。どんなときもです。生活をする中では、それぞれに様々なことがあります。受け入れがたい事も起こってくるでしょう。受け止めていくことに時間を要する現象もあります。それでも事実を事実として受け止めて受け入れて、そして、思うは田池留吉だけです。
間違って生きてきた自分を認めながら、そんな自分の中に田池留吉の世界、母の世界だけが真実なんだと、真っ直ぐに思っていけるかによって、その後が全く違ってきます。肉から意識へ自分を解き放つ、それしか自分を救う道はありません。
今世、そしてそれから250年に至る時間の中での転生。自分の中の愛、本当の自分に目覚めていく計画を織り込んでいます。当然これからの転生は、今世と比べられないほどの厳しい転生です。
それは必然です。それだけ私達は切望しているんです。自分に本当の自分に目覚めていくことを。
自分に目覚めていくために立てた計画です。自分の中の愛が仕事をしているんです。自分にしっかりと応えていきましょう。
1282) 今世という時に自分を繋いできた重みは、学びに触れた人であるならば、心に感じているはずです。
これまでの転生とは全く違う人生の時間にしてください、今世を自分の転換期にしてください、このメッセージがあなたの心に届いていますか。
メッセージ通りにあなたの今世をお過ごしください。田池留吉、アルバートからのメッセージをしっかりと心で受け取って、ということはその波動を心で受け取って、どうぞ、本当にご自分を大切になさってください。
そして、ともにある喜びを、波動の世界を心に感じ、次元移行の流れに乗って、さらに真実の世界を極めてまいりましょう。
肉、肉で自分を苦しめてきた間違いを心から詫び、自分を見誤り見失ってきた過去の自分とともにしっかりと生きていくことが、自分の未来を変えていくことを知ってください。
過去も未来も今という一点にひとつであると心で知っていけば、目の前が開けてきます。感じる嬉しさを禁じ得ません。
1283) 今学べる素晴らしい環境の中に私達はあります。学びに集わせていただき、それぞれに学んでまいりました。その時間はたっぷりとありました。
とこのように、すでに過去形の文章になっています。そうです。あとはそれをどのように活かしていくかというところです。
よって、今それぞれがそれぞれに持てるものを総動員して、今世の学びをしてください。
とはいえ、肉の心と身体はゆったりとすることをお勧めします。ポイントを外した学び方では、がつがつしても結果は出ません。
真摯に、素直に、ひたむきに、という姿勢が大切です。
学びはいわぱ反復トレーニングです。しかし堂々巡りではありません。中心がぶれずに着実に前進という軌跡を描く、そんな学びの歩みを目指してください。螺旋階段を思い浮かべてみてください。上から見ればぐるぐる回っていますが、横から見れば確実に上がっている、そういう学び方を心掛けていきましょう。
1284) 梅雨明けして本格的に夏です。連日の暑さ、体温以上の猛暑日も続くと予報にあります。暑いことは暑いですが、たっぷりと汗を出したあとの爽快感を味わいながら、思う喜びとともに生活をしていきましょう。
今、今という時を喜んで過ごしてください。気の遠くなるような長い時間を経て、ようやく今世を迎えました。
意識の世界の計らいにより、ようやく今世を迎えたのでした。
真実の波動の世界に触れる幸せと喜びの中に、自らをいざなってきた自分自身の思いをどうぞ、どうぞ大切にしてください。
思うは田池留吉です。思うはアルバートです。そして思うは母なる宇宙です。ともにともに歩みを進めて、そして必ず次元移行達成という計画を完遂してください。
1285) 自分を見失ってきた、見誤ってきた、苦しみ悲しみの元はここです。喜び、幸せ、温もりを追い求めてきたけれど、苦しみ悲しみの元をそのままにしてきたから、それらは儚いものでした。
それでも生まれてくればまた同じことを繰り返していきます。儚く消え去っていくものに思いをかけていく人生を展開していくしかできませんでした。苦しみ悲しみの元はこうだ、元がこうだから、苦しみ悲しみを引きずっていくんだと誰も伝えてくれませんでした。
自分を見失ってきた、見誤ってきたなんて、到底思えませんでした。
そして、今世を迎え学びに集い、自分の肉を通して学んできたということですが、どの程度学んできたのか、学んでいるのか、それはそれぞれ自己採点してください。
肉からの脱却は難しいという現実は確かにありますが、それでも、今、様々な現象から私達に気付きを促し、修正を促しているんだということは、読み取れると思います。しっかりと読み取っていきましょう。そして、本来苦しみ悲しみは何もなかったことに心から知っていきましょう。
1286) 次元移行へと意識の流れは着実に粛々として流れています。色々な現象により形の世界が崩れていきます。崩れていくんです。どんなに守ろうとしても崩れていきます。
心を見るしかありません。しかし、今殆どの人が心を見るということを知らない、分からないというのが現実です。幸いにも学びに触れた私達は、心を見ることを伝えていただきました。どんな心を、どんな思いを垂れ流してきたか。特に祈りのエネルギーがどんな凄まじいエネルギーなのか、それぞれの肉体を通して学んでこられたと思います。祈って救われるのならば私達はとっくの昔に救われています。
肉、形の世界が崩れていけばいくほどに、祈りのエネルギーが満ち溢れてきます。祈る心をしっかりと見ていきましょう。何に向かって祈っているのか。何を思って祈っているのか。その思いの間違いが形となって自分達に示しているんだということ、それぞれがそれぞれの心で知っていくようになっています。
正しい思いの向け先を見失ったまま生きてきたことを嫌というほどに知らされていくでしょう。知らされてということですが、それは決して苦しみではなくて喜びなんだということが心で分かってくれば、それはいい状態だと思います。
1287) 自分に本当のことを伝えていける時間を私達は用意しています。今の自分の肉を通して、そして今の自分の環境の中で、様々な思いが出ます。
学んできたから、苦しみだけを膨らませていくということはもうないと思います。ブラックを感じてもそれがよかったとか、嬉しいありがとうと変わっていく、変わっていけることをそれぞれが体験されていると思います。
もちろん、私達は人としての優しさや思いやり、気配りも発しています。ただし、それはどんな時も変わらないかといえば、そうとは言い切れません。条件、状況、環境が変わってくれば、同じ相手に対して真逆の思いを出す可能性があることを心得ておかなければならないでしょう。
それが肉、形を基盤とした人間の心模様、心の世界です。
そういうことを私達は学んでいるのではありません。自分に本当のことを伝えていけるか否かを学んでいます。伝えていくためには本当のことが何であるのかを心で分からなければなりません。
あなた、学びのポイントを外していませんか。要チェックです。
1288) 愛へ帰ろう。愛へ帰ろう。ただその呼び掛けだけがしっかりと聞こえます。
どんなにこの時を待っていたか。待ってくれていたか。今を外してもうあとはないこともしっかりと心に伝わってきます。
間違い続け狂い続け、自分を奈落の底に突き落としてきた冷たい自分の世界から、そんな自分の世界へ、愛へ帰ろう、愛へ帰ろうと呼び掛けがひっきりなしに上がってきます。
消えてなくなるものばかりに執着してきた己に辟易しながらも、そんな自分だったからこそ、出会いを切望してきた思いを感じることができたのだと思っています。
出会いでした。千載一遇の出会い。その出会いを用意してきた私達ほど幸せな存在はないと私は断言できます。
一方、肉、形の世界では様々な事が起こっています。確かに複雑な世の中で生きにくい世の中です。心に眠る闇、心の歪みが色々なところから露見しています。加えて自然災害の様子にも変化が見られます。身近なところで見てみましても、6月18日の大阪北部を震源とする地震から僅か1か月の間に、西日本豪雨そして連日の猛暑と慌ただしく報道されています。
そのような肉、形の世界の現象からあなたは何を思っていますか。心に上がってくる思いはどんな思いでしょうか。
1289) 巫女の心、巫女の思い。悲しく辛く寂しく、しかし神の声を聞けるあなたは偉い、素晴らしいと自らを奮い立たせるしか生きていく道はありませんでした。そんな巫女の心、巫女の思いを、どうぞ、母の温もりの中へ帰してあげてください。ともに戻っていこうと、今、肉を持っているあなたがあなたに勇気と本当の優しさでもって抱きかかえてあげてください。
そして、もう何も求めなくていい、本当のことは本当の優しさ温もり喜びは自分達の中にあったことを確認してください。
学びの友から以下の反省文がメールで届きました。一読してみてください。
何度生まれても、何度死んでも、転生をどれだけ繰り返しても、私は巫女として生きました。その人生において、幸せだった時は無かったです。全部失敗。真っ黒の上塗りをして、どうしようもない自分を助長してきました。日本でも、他の国でも、常に同じ心を使ってきました。
今世、チャネラーとなり心を少しでも開いたのは、そんな苦しみの自分を救うためでした。何年も何年も過去世の自分の心を聞きました。苦しみと恨みと呪いの中で死んで行った自分。チャネラーとしての自分を大きく前に出して、崇め奉られる事を願い、最期は常に同じでした。
石もて投げられて、死んで行く自分。最期は絶望だけ。己を表し、苦しみだけで死ぬ自分。同じ事を繰り返してきました。真っ黒の宇宙しか知らなかった。真っ黒の壁を自分の周りに作り、決して人を信じず、我さえも信じず、全てを足蹴にして捨てて来ました。そんな自分が、苦しみを語ってきました。どれだけ苦しかったか。死ぬしか無かった自分の過去世。最期はいつも自死しかなかった。人を恨み、憎み、呪って来た自分。そして自分さえ抹殺しなければならなかった心。そんな自分が今世、初めて普通に生きられました。田池留吉と出会い、初めて人を信じていいんだと教えて頂き、自分は肉じゃないと分かった。肉の自分は真っ黒しかない自分。
でも、反省を通して垣間見えた、本当の自分の優しさに驚いたのです。
反省のあと、心を開いて初めて見えた本当の自分は、どこまでも優しい自分でした。その自分こそ田池留吉なんだと心で知りました。「私は愛でした」そう思います。過去世で数えきれないくらいやってきた巫女は、今世を境にもう終わります。今世は方向転換させて頂けたのです。田池留吉に出会えたことは奇跡です。でも、私は強く強く望んで生まれて来ました。
必ず出会うと、真実に出会うと望んで生まれて来たのです。まだまだ先は長いです。でも、この道しか無いことを、知っています。巫女だった過去世は、今応援してくれています。今世も、やっぱり自死を願って来た私だったけど、過去世も応援に回ってくれて共に共にと願ってくれています。
初めて普通の人として生きられた今世、哀しかった過去もみんな変わって来ています。ありがとうございます。これから、私はこの道を共に歩いて行きます。田池留吉、ありがとうございました。巫女として苦しみの中に生きた過去世の私も今、喜んでおります。愛しか無かった、その中で自分が作った闇の中で蠢いてきただけだった。気付かせて下さってありがとうございます。私は愛でした。そう、喜びで叫ぶ過去世と共に、これからも学んで参ります。
1290) 意識、波動の世界に生きている、存在しているんだという喜びを知っていけば、肉、形の世界にとらわれる思いが段々と薄れてきます。弱くなってきます。
それでも肉を持っているから、その肉を通して様々な情報が入ってきて、そこで肉の表面の心は揺れるでしょう。全く揺れないなんて考えられません。そんなのは嘘です。
ただし、その揺れる心の揺れがどの程度なのか、それを深部にまで広げていくのか、それとも、そこで意識の転回をさっさとしていくのか、実践を通していつも学べる環境に私達はあります。それを学びととらえられない人はみんなその肉の流れの中に、濁流に飲み込まれていくでしょう。
こんなすごい学びに触れているなんて、私達は幸せ者です。
肉の終わるその瞬間まで、楽しんで喜んで自分と向き合っていきましょう。
思うは田池留吉、思うはアルバート、そして思うは母なる宇宙です。
1291) 自分がどんなに幸せで恵まれているか、学びを知り母の反省、他力の反省を通して、自分の流してきたエネルギーを心に感じていけばいくほどに、伝わってくるでしょう。そんなことは自然なことです。当たり前なんです。自分の中がどんなに荒れ狂い続けてきたかを感じられる今がどんなにありがたいか、今世ほど幸せな人生はないはずです。
お金じゃないんです。物でもありません。人でもありません。そんなもので幸せになれなかったことを心から知っていける今世でした。
それは、自分の中の宇宙、その凄まじい宇宙のエネルギーを肉体を通して知っていけたからです。なぜ知っていけたのか。温もりの波動に触れたからです。微々たるものでもいいんです。本来の自分の中の温もり、喜びのエネルギーに触れていけるチャンスが今世にはあったんです。
それが今世という時間でした。どうぞ、今の肉体を持っているこの時、そして学びに触れているこの時、本当に大切になさってください。
1292) 本当の喜びを分かち合える、共有できる友が学びの友です。
肉の関係など一切関係なく、ともに今肉を持って、田池留吉、アルバートと心から呼び思える、肉を持ってきた本当の意味を心から知り、今世生まれてきて本当によかった、ありがとう、ありがとうと喜びをただただ喜び合えるそんな学びの友が、一人増え二人増えていくことだけが嬉しいことです。そうしていくことが、宇宙を変えていけるんだと確信しています。
肉の私達には何もできません。ただしっかりと心の針を向けて合わせて、ともにある今を喜んでいこうと、そのことを肉は素直に真摯にやっていこうとすればいいだけです。
ただそれだけですが、それは肉を中心とした生き方をしてきた私達にはとても難しいことです。
肉のことならば慣れ親しんできたことだから事は簡単です。取り繕い誤魔化す術を知らずのうちに心得ています。何とかすれば何とかなる、何ともならなくとも何とかしてみせる、そうして生きてきた時間は膨大です。
そこからいかに方向転換をしていくか、心に感じ響く度合いによって違ってきます。気付いた人から始めてください。ともに進んでまいりましょう。
1293) 私達は帰ります。約束してきた通り、今世の出会いを持たせていただきました。心から待ってくれていたことを知り、間違ってきた自分の歩みをしっかりと抱きしめ、そしてともに行こう、いざ行かんの力強いいざない、呼び掛けに応じていくことが、本当の喜びの道であることを知りました。
世の中、濁流は容赦なく打ち寄せてきます。ですが、濁流、激流に飲み込まれず沈まず、清流、意識の流れに乗っていきましょう。
もう私達の目指す道ははっきりと見えています。その道をどうぞ、あなたも自分の心の目で見てください。しっかり見て、そしてともにある喜びを心で受けてください。
苦しいとき、悲しいとき、辛いとき、どうすればいいのか、今世の肉を通してしっかりと伝えていただきました。そうです。心の中にすべてがあったことをしっかりと思い起こし、ただただひたすらに、母を、田池留吉を思ってください。ともにある喜びを心から心から伝えていただいたことを、あなたもしっかりと心に広げてこれからの時を迎えてください。
1294) UTAホール志摩セミナー、ありがとうございました。参加された方、どうでしたでしょうか。その時、その時にふっと心に上がってきたものを通して、互いに学ばせていただきありがとうございます。
どうぞ、心で感じた波動の世界、波動の世界に生きている私達なんだと、まず信じてください。
セミナーの最後に語らせていただいた通り、肉、形の世界は崩れていきますが、私達の心の世界、意識の世界はどんどん広がっていくことを信じられるようなあなたの学びであってください。
そしてともに歩き、ともに行きましょう。酷暑、猛暑の中、約50名の方々が集い、2日で4時間をともに学ばせていただきました。
互いに体調管理には気を付けて、今世の肉の人生、実り多き人生として、そして250年後の再会へと繋いでいってください。
1295) 淡々とやっていくだけです。淡々とやっていくことが喜びだからです。
本当の喜び、温もりを私達は知っているんです。ただ遠い昔に捨て去ってしまいました。そして捨て去ってしまったことにもなかなか気付けませんでした。今世こうして肉を持って学びに触れ、あなた間違っていますよ、何が間違っているのか、なぜ間違えてきたのか、気付いてください、待っています、いつまでも待っていますと何度も伝えていただきました。
根本的に間違ってきたこと、だからその根本を180度変えていくことを、様々な表現を通して、これまでに学んでまいりました。
自分を信じることさえ、どういうことなのか分からなくなってしまった私達に、信じています、私はあなた、あなたは私、ひとつと堂々と真っすぐに言ってくれました。
ひとつが嫌でした。区別差別、競争、闘いを好んで同列を決して許さなかった心に届いた波動は衝撃的でした。
衝撃的な波動を受けたのが今世だったのでした。間違いなくその波動は届き、そして意識の流れの計画は順調に遂行しています。よって、形の世界は崩れ去っていくことは必至です。
崩れ去っていくこと、崩れ去っていくものに、いつまでも心をとらわれず、どうぞ、本当の自分の世界に自由になってまいりましょう。
1296) どんな思いで今世生まれてきたのかを思えば、私はただただ今の時間が嬉しくてありがたくてということに尽きます。間違い続けてきた自分に本当のことを伝えていける今を自分に用意してきたことを思って幸せです。
心からの望みが叶ったこと、そしてその道は厳しくて険しいけれど、ただ厳しくて険しいのではなくて、それが本当の喜びと温もりなんだと感じられるから、私は、この道をただひたすらに進みます。
思うは田池留吉、思うはアルバート、そして思うは母なる宇宙を合言葉に、私の中の無数の宇宙達とともに喜びで存在していく道、この一本道を進み続けます。
こうして思いを語らせていただくことが喜びです。ともに行こう、いざ行かん、喜びで力強くいざなわれています。ただただこの道を真っ直ぐに突き進んでいくこと、自らに伝わってくるこの思いに、ただただありがとう。
1297) すべてみんな田池留吉の意識の世界が残してくれています。意識の流れの計画を順調に遂行していくために必要なこと、必要なものはすでにもう、田池留吉の意識の世界が布石を打ってくれています。
だから、私達はその意識の流れにしっかりと乗っていけばいいんです。
頭を回す必要もなければ何も要らないんです。一点を見つめてともに生きていく喜びと幸せを感じていけばいいだけです。
すべてはすでに整えられています。田池留吉の意識の世界が肉を持ったという時点で、もうすでに整えられていたんです。田池留吉の肉もまたその意識の世界の計画にしっかりと応じてくれました。
次元移行という意識の流れを遂行していくために必要なものは完全に整えられていると、少なくとも私自身はそのように確信しています。
よって、肉は何不自由なく、また何かあってもいいタイミングで様々なところから協力者が出現してくるということです。それはひとえに、意識の流れを滞りなく遂行させていくためのものです。と、私はそう解釈しています。
1298) いついつに、どこそこでセミナーがありますとお知らせしたら、今だったらとりあえず300名位の方は参加されると思います。大体それくらいの規模でセミナーを進めていけたらいいのではないかと私は思っています。
セミナーは二泊三日であっという間に過ぎ去ってしまうけれど、顔触れが殆ど決まってくるから、互いに密に学びを進めていけるのではないでしょうか。と言ってももちろん、300名に絞るという意味ではありません。
ただ、セミナーがあればセミナーに参加しよう、参加したいとする思いがあって、それが実現できる環境があってという方は、それはそれは幸せな方でしょう。そういう方が300名もいればいいんじゃないですかということです。
そのお一人お一人が、真剣に喜んで田池留吉を思い、アルバートを思い、母なる宇宙を思い、次元移行に思いを馳せていけばいいんです。そんな時間と空間を共有できれば、最高に幸せだと私は思っています。
ともにある喜び、そしてともに行こう、いざ行かんのいざないを心に感じ、ともに波動の世界を学んでいくことが、私達のたったひとつの喜びだと、私の中からは伝わってきます。
1299) 田池留吉を思う、愛を思う、まずそれをしましょう。最優先にそれをしましょう。思うことが目的です。思いの先には何もありません。思うことがすべてです。
肉はあれこれ采配して段取りを整えていけばうまくいくと思っているでしょう。ですが、田池留吉を思うことがなければ、結果的にはうまくいきません。表面上、とりあえずは取り繕うことはできても、また違うところから綻びが見えてきます。
田池留吉を思う、愛を思うということを学んでいない人は別として、私達は学びに触れたのですから、思う思いの向け先がいかに大切であり、それがすべてであるかを、じっくりとしっかりと学んでいきましょう。
思いがすべてであることを知ることです。そして、何を思うか、どこに心の針を向けるか、ここが一番のポイントです。
見て聞いて心が揺れてもいいんです。様々な現象で揺れる心を確認しながら、それでもそれでも田池留吉を選び取ってください。自分の中の愛を信じる方向に心を向けていってください。
1300) 自分の生き方、価値観、それらがすべて全く見当違いだったことを、今世の肉を通してようやく自分に伝えることができました。大きな成果でした。
自分の生きていく方向をしっかりと見定めて、本来の自分の軌道に戻していこうと自らをいざなっているこの愛のエネルギーを、心から感じていける喜びの中にあります。
肉に塗れ、肉こそすべてと生きてきた思いを心にしっかりと認め、そしてそんな自分とともに生き直していけるチャンスを今世いただきました。
田池留吉の意識との出会い、真実の波動を感じさせていただいて、これで歩みを曲げては、もうどうしようもありません。
千載一遇のチャンスでした。自分を蘇らせていってくださいと信じて信じて待ってくれていた思いに触れ、心から泣きました。中から突き上げてくる懺悔の思いがとても心地よかった。肉、形の世界では決して味わえない体験でした。
お金で幸せになれない。神もダメ。神の声を聞いてどんなに狂ってきたか、自分をないがしろにしてきた結果をたくさん、たくさん受けてきました。
それを伝えてくれて、そして、私とあなたはひとつだと言ってくれた思いを裏切ることはもうあってはならないんです。
心して学びましょう。
1301) 人も周りの現象も気象もみんなみんな伝えてくれています。もう時間はないことを。変わっていきなさい、変わっていくんですよ、そう意識の流れをしっかりと心に感じて喜び、喜びの人生を広げていってくださいと。
すべては喜びの中の出来事。何ひとつ不必要なことはありません。
人間の心の狂気が露わになってくるのも、気象状態に異変が生じているのも、みんなみんな喜びの雄叫びなんだと心で分かるまで、荒れ狂っていきます。それが意識の流れの指し示す方向です。
目覚めを促す力強い本当の優しさの波動です。心で受けて受けてしっかりと受けてまいりましょう。
250年後に繋いでいく準備、捗っていますか。
待ってくれている大きくてどこまでも広がっていく喜びの波動の中で、ともに生きていく喜び、ともにある喜びを共有できるよう、今世の準備を怠りなく進めてください。
1302) 台風12号も過ぎ去り、さて次はいかなる現象と出会えますでしょうか。
その時々の心の動きを確認です。もちろん、日々の生活において瞬間飛び出る思い、エネルギー、喜んで受けていきましょう。
心の針の向け先を確認。ずれていればずれていることを確認して、速やかに向け先を確認。ずれているか否かをどう判断するのか。それはそれぞれの心にきちんと伝えてきます。しっかりと伝えてきています。
それを見逃していては、方向が大きくずれているのに、何の手立ても打たないということで、苦しみを積み上げていく結果となってしまいます。
自己判断を誤っていけば、自ら苦しみの中に沈んでいくことは必至です。すべては自分の世界があるだけです。自己確立の大切さを知ってください。
1303) どんなに足掻いても苦しみを膨らませていくだけです。肉で何とか何とか、それは苦しみの一途を辿る道です。
そこから心を離していきましょう。肉で何とかならないことが、これから続出してきます。何とか何とかできるうちはまだまだです。何ともできない事態に遭遇したとき、自分達ができることはいったい何だろうかと、初めて真剣に思っていくでしょう。
思う、心を向ける、心の針を合わせる、そのトレーニングを日々続けてください。何を思うか、何に心を向けるのか、どこに心の針を合わせていけばいいのか、知識で知っています。
それを具体的に日々の時間の中で実践してください。あなたのその肉がなくても、自分に今やっているトレーニングをしっかりと伝えていけるように、闇黒の中に固まっていくことのないように、寂しさ苦しみの痛みを感じながらも、それでも温かい広がりのある世界に自分を解き放していけるように、今、肉を持っている今、しっかりと学んでいきましょう。
1304) 私達は自分の思いの世界に生きていることを、しっかりと心で知ってください。形の中にありながらそれをするには困難ですが、形の中ではなくて、思いの中にあることを知っていけるのは、形として目の前に展開されていく世界があるからです。そこから様々な思いが引き出されてきます。見たくない、触れたくない思いも数多くあるでしょう。
ですが、しっかりと確認していきましょう。確認できる今を大切にしてください。そして、自分は自分の思いの世界に存在しているとはっきりと知ってください。
その思いの世界が喜びなのか苦しみなのか、それだけなんです。そして何をもって喜びと感じるのかです。喜びは不変の喜びでなければなりません。条件、環境等によって左右される喜びは本物の喜びではありません。
ということは、喜びは自分の外に感じるものではなくて、自分の中に元々あったものだということが、自ずと分かってくると思います。
そんな宝物を肥溜めに沈めたままでは、到底幸せになれるはずがないということ、今世の肉、環境、時間を通して確認してください。
1305) 瞑想です。正しい瞑想です。正しい瞑想ができなければ何も分かりません。頭を回す下らないことをしても、それは下らないことだから、下らない結果しか出ません。意識、波動の世界を学んでいるんです。その世界を頭で分かろうとする、解釈しようとする、それがどれだけ己が偉いことなのか、まだまだよく分かっていない人がいます。
頭優先に生きてきた人生が長かったから、それも当然と言えば当然ですが、それではいつまでたっても自分の中が好転しません。
実り多き人生とはかけ離れた人生でしょう。
いいえそんなことはないと思っておられる人があるかもしれませんが、もしあなたがそう思っておられるならば、人生の意味そのものが全くお分かりになっていないということです。
あなたの人生、どんな人生ですか。何を基盤としていますか。ふたつにひとつの答え、しっかりと答えてください。
1306) 猛暑、酷暑の毎日ですが、いかがお過ごしでしょうか。体調管理をして、瞑想をする喜びの時間を持ってください。
瞑想をする時間、思う時間です。身体と心を緩めてそして思うんです。
欲で思うのではなくて、ただ思う。思うことが喜び、そんな時間をたくさん持ってください。
たくさん持てることが幸せなことだと思います。肉に向いていれば、ゆったりと落ち着いてそしてしっかりと思えないです。
どうしても肉のあれこれに思いがいくからです。肉のあれこれを思っていればそれで生活が成り立ちいいということかもしれませんが、ちっともよくはありません。本当の人生を生きていないからです。
ただ息を吸って食して寝て、笑って泣いて怒って、時が来れば死んでいく、それだけの人生なんてどうしようもありません。
生まれてきたこと、生まれてこれたこと、心から心から自分にありがとうと言えるような人生の時をお過ごしください。
1307) 何度間違い続けても、それでもやり直す、生き直すチャンスを用意してきました。帰りたいと叫んでいるからです。どうぞ、素直になりましょう。
帰りたい、帰るんだと切望している思いを心から救い上げてください。
肉のあなたは程々でいいんです。もっと大切な、いいえ何よりも何よりも大切なあなたの思い、本当の自分の中に帰るという思い、その思いに従順であってください。
絞り出すような心の叫びです。これまでの転生では一撃のもとに抑え込んできました。本当の優しさ、本当の喜び、本当の温もりに出会えなかったから、知らなかったから、そうできたんです。そうする以外に生きていく道はありませんでした。
だけど、今世は違うんです。出会えたんです。知ったんです。意識の流れはその姿をはっきりと現して、力強いいざないを仕掛けてくれています。
喜びです。ただただありがとうだけです。間違いの山積みの中に埋もれていた意識に、どこまでも優しくそして厳しくメッセージを送り続けています。心で感じてください。そして喜んで応じていきましょう。
1308) 何が一番大切なのか。田池留吉とともに生きていくことです。田池留吉、アルバートの意識の世界とともに生きていくことです。
心で知ってください。学びに集ってきた友よ、どうぞ、あなたの今世の時間、大切にしてください。田池留吉とともにアルバートとともに生きていく喜びを心から心から感じてください。
ともに行こう、ともに次元を超えていついつまでもともにある喜びを広げていこう、確かなメッセージを残してくれました。
瞑想を重ねてください。自分の中にすべてがあります。信じていけるような自分に蘇ってください。
確かな布石が打たれています。あとはそれぞれ次第です、ともに行くのも行かないのもあなたの選択決断ですというメッセージ通り、意識の世界は粛々と動いています。
250年後の最終に向けて、ともに心を向けてまいりましょう。
1309) 橿原セミナーまで2週間。楽しみにしています。田池先生との思い出がたくさんある場所で、ともに思いを向けそして語る、その波動を受ける。
こんな時間と空間を今回もまた設定してくださいました。お世話いただくスタッフの方達にはありがとうです。
私は幸せです。次元移行へ向けて、250年後に展開していく地球上最終の出来事を堪能して、そしてさらなる意識の世界へと思いを馳せていきます。
宇宙。宇宙を本当に心から思いたかった。だから母なる宇宙に思いを向けられる今が何とも嬉しい限りです。
間違ってきました。宇宙を闇黒に落としてきたけれど、母なる宇宙への道をしっかりと心に感じて、本来の自分に戻っていく、戻っていけることを知った私は、本当に幸せです。
肉の喜び、幸せを貪欲に追い求めてきた過去。そして、もうそれは自分を裏切ることだとはっきりと知った今世。白黒がはっきりとしています。
自ら苦しみの中に突き進んでいった愚かな過去とともに、ただただありがとうと思いを広げていく道があるだけです。
1310) 喜びの道を生きていくんだ、本当の喜びの道を。そう大きな強い決断をして生まれてきたこと、その思いは私を力強く牽引しています。
何もかも予定通りとはいえ、出会いを実現できたことに、本当にありがとうございましたしかありません。
これから起こりくる出来事、想定内、想定外にかかわらず、しっかりと受け止めていく心の準備をしていきましょう。
喜びで受けていくこと、本当に間違い続けてきたけれど、ようやく自分の生きていくたったひとつの方向が見えてきましたとしっかりと言える、思えること、それらはお一人お一人の大きな課題だと思いますが、意識の流れに乗ってともに歩みを進めてください。
次元移行への道、厳しく険しいですけれど、喜びの道です。帰ってきてくださいとの呼び掛け、いざないを自分の心で確認して、確認できた人からどうぞ淡々と歩みを進めてください。
1311) ともに学べる仲間がいるから幸せです。宇宙の覇者を目指し闘い続け闘い抜いてきた意識の世界に衝撃的な出会いを私達は今世持たせていただきました。田池留吉の肉を通して感じ響いた波動の世界。この中に私達すべての意識が生きているという衝撃的な事実を真っ直ぐに伝えていただきました。
「どうぞ、あなたの心を見なさい。」と厳しくもあり優しくいざなわれたことが、本当に幸せなことだと、しみじみ思います。
私はこの道一本、心に感じ響き広げていける喜びとともに次元移行の流れにしっかりと乗っています。肉の私は平々凡々、愚かです。しかし、意識の私の世界をしっかり心に感じているから、私は本当に幸せです。田池留吉、アルバートを思う、一瞬心の針を向ける合わせる喜びを知っています。
肉、形の世界では絶対に味わえなかった喜びと幸せ。それは正しく思うことから始まりました。
改めて確認してください。何度も何度も確認してください。
ともに学べる仲間がいるから幸せだと本当に感じられるのは、自己確立の結果です。自己確立をしてください。あなたの中の愛を信じることです。あなたの外には何もありません。外に向ければ闇です。そこのところが最大の学びの難関です。
1312) 肉から心を離す、難しいトレーニングです。しかし、果敢にそして真摯にトレーニングです。ただし、このトレーニングはいわゆる修行とは全く違います。修行からくる波動は冷たいです。そうではなくて温かい温もり、喜びの中なんですが、それは真実はひとつだという確たる思いがありますから、厳しさを伴ってきます。しかし、その厳しさは何をも寄せ付けない冷たさではなくて、ともにという思いです。
本物を知っていきましょう。もう偽物は通用しません。なぜならば、真実の世界からのメッセージが肉を通して確実に伝わったからです。この事実、決して軽々しく考えないでください。真実の世界が肉を持ったという事実、すごいことです。
肉、形の三次元の意識に真っ直ぐに伝えてくれた波動の世界。意識の世界の計画は一分の狂いもなく遂行されています。
1313) 自分を解き放つ、簡単なようで難しいです。ですが、こだわりだとか掴む心、少しでも弱めていかなければなりません。
苦しいはずです。苦しいことは止めよう、苦しんでいる自分が間違っているんだというフレーズ、思い出してください。
苦しみの上積みをするのではなくて、苦しみから自分を解き放していく生き方をしていきましょう。
ここだけは絶対に譲れない、そういうものを一つ離し、また一つ離し、何もない本当に何もない世界に生きていければ、どんなに幸せであるかということでしょう。
何もない世界ではないんです。あるんです。広がっていく温もり、喜び、本当の自分がそこにちゃんといるではないですか。
その本当の自分とともに生きていく、ひとつになって存在していく喜びと幸せを、今肉を持っている今、心にどんどん感じていきましょう。
それが喜び人生です。そうは思いませんか。
1314) 母の中へ帰る、愛の中へ戻っていくとも表現しています。
最終目的、自分達の心のふるさと、愛へ帰っていく道を今世から一歩進めてください。
そのためにあなたは生まれてきたのでしょう。そのためにあなたは学びに集い、自分の中のエネルギーを確認する時間と空間を用意してきたのでしょう。
自分の切なる思いから目を逸らさずに、真っ直ぐにしっかりと見つめて、そしてもう決して自分を裏切ることのないように今世を終えてください。
なぜ自分は生まれてきたのか、いつもいつもそこへ戻って、そして、今、肉ある今を大切にしてください。
日々世の中騒がしいです。色々とテレビ、新聞、ネット等で情報が入ってきます。まさしく濁流なんだなあと実感してください。その中で、いったい自分は何をするべきなのか、どうぞ、心から真剣に思ってください。
1315) こだわり、掴む心を解き放つということを書きましたが、それは本当に大事なことです。楽に生きていきましょう。何もない、どこまでも広がっていく、喜びと温もりの中にどんどん進んでいこう。
自分に誠実に真摯に生きる、自分が本当に望んできたことをしっかりと心に思い起こし、そしてその思いを大切に大切に育んていく、これこそが喜び人生だと私は確信しています。
思える喜びを知りました。思えば通じる喜びを知りました。拒否し閉ざしてきた意識の世界に真っ直ぐに伝えてくれた波動の世界を、私はどんなことをしても忘れることはできません。
こんなに待ってくれていたのか、本当の自分の思いをしっかりと感じ、ああ間違ってきた、本当に間違ってきた、ごめん、私は私に詫びました。
しかし、如何せん肉がある私は、愚かな自分を日々見ています。そうではありますが、私の意識の世界は決してもう後戻りすることはありません。
前進あるのみ。思える喜び、思えば通じる喜びを知った事実はとてもとても重いものでした。力強い歩みが愚かな肉にも響き、だから肉に沈むということはもうあり得ないことになりました。
1316) ともに心を向ける、田池留吉そしてアルバートと心から呼ぶ、思える、こんな時間と空間に自分をいざなっています。
これは心の中の出来事だから、それぞれがそれぞれの心に響き伝わってきて初めてああそうだと肉が納得するんです。
心に響き伝わってこなければ、どんなにこうだと言葉を重ねられても、それは半信半疑のことだと思います。
だからあなたの心で分かってくださいということです。心に感じ響いてくれば、瞑想が楽しくなるはずです。なぜならば、自分のこれからがはっきりと心に感じられるからです。どんな自分だったかを深く知り、そしてどんな自分のこれからが待っているか、嬉しさが喜びが飛び出してきます。
心の体験を重ねて、そして自分の行き先をはっきりと知って、本当にそうだった、そうだったと喜びの道を歩いてください。
肉からの脱却。自分に計画してきたことです。心から待ち望んできた生き方を、どうぞ、勇気を持って選び取ってください。
1317) いつまでもどこまでも引きずっていくことは止めにしましょう。苦しい思いは出ます。肉を持っている今、苦しい暗い重い思い、そうブラックですね、そのエネルギーを確認できれば、さっさと切り替えていきましょう。切り替えていく術はもうご承知のはずです。
こだわって、掴んで、引きずって、何もいいことはありません。
自分の本当の世界はそんな世界ではないことをしっかりと知って、そして切り替えのスイッチを素早く入れて、どんどん自分の中を転換していきましょう。
私達が見ていく方向は、ただ一つです。思いを向けていく方向はただ一つです。それを知るために、そして、それを自分の中できちんと実践するために、自分に肉という形、環境を用意してきました。
何のために生まれてきたのか、その目的を決して誤ることなく、今世を全うしてください。そうでなければあなたに明るい未来はないと言っても言い過ぎではないことを分かってください。
金の力、神の力、そんなもの一切通用しないことを知るべきです。そして薄っぺらい肉の喜び、温もり、優しさに惑わされることなく、本当の人生を生き抜いていきましょう。
1318) 特にこれがあればいい、特にこれがしたい、そういう思いが確実に弱くなっています。何もなくても幸せというのは、確かに、今整えられた何不自由のない生活だから、そう言えるのかもしれません。
そうかもしれませんが、ただ誰にもどんなことにも邪魔されずに、思える時間と空間がゆったりとあれば、それが何よりの幸せだと思っているのは確かです。
お金で買えない喜びと幸せでした。それは全部自分の中にあったこと、思いを向ける方向を知ったこと、そしてその方向が合ってくればくるほどに、喜びも幸せも広がっていき、その層が厚く深くなっていくこと、色々と自分の中で体験しています。
肉を持って肉を通して学べる今を心から喜んでいます。楽しんでいます。
いざないがあります。呼び掛けに応じていく喜びと幸せの中にあります。
出会えてよかった、本当によかった、三次元最終を目の前にして、本当にそう思います。
帰ります。ようやく帰るべき方向が見え、こんな幸せなことはありません。
田池留吉、アルバート、心から心からありがとう。波動の世界に生きていたことを伝えてくれ信じて待っていてくれていた思いにありがとうです。
1319) 何度生き直しても分からなかった。なぜ苦しみから自分を救い出すことができなかったのかと。
自分の外にその術を求め続けていたからでした。ようやく自分の中に明確な回答を得て、そうだったと、そうでしたと納得です。
誰しも幸せになりたいはずです。不幸せな人生など誰一人望まないはずです。ですが、その幸せ、不幸せの意味を取り違えてきました。
だから、物心両面に恵まれても幸せなどになれるはずもなかったんです。そもそも、幸せな自分がすでにここにいるということなど微塵も思えませんでした。
心を向けるだけでした。その向け先を知ったんです。これほど幸せなことはないでしょう。思えばいいということを知りました。思えばいい、思えば通じていく喜びと温もりの世界でした。
ともにある、ともに生きる、こんな幸せな世界を実感できる今、本当に肉を持ってきた今世にありがとうだけです。
波動の世界でした。波動の世界を感じ広げていく喜びと幸せの中をどんどん進んでいけばいいということでした。
1320) 日々間違いだらけの自分を見ています。間違い、失敗の山積みの転生を抱えての今だから、それは当然のことです。
それでも信じて待ってくれていた、本当に待ってくれていた自分の思いに触れていける今世を持ちました。
どんなに間違い狂い続けても、あなたは愛だと変わらずに伝えてくれた波動と出会いました。
あなたは愛だ、そう本当に私は愛なのか、瞑想を重ねてきました。その結果が形としての本に残されています。
意識の世界は留まることなく限りなく広がっていく世界です。ここまでという限界などありません。その中で私達ができることは、ただひとつです。
正しく思うことです。思うは田池留吉と、どこまで純粋に思い続けていくことができるか、その過程では、形の世界で様々なことが起こってくるでしょう。それでも、それでも思うは田池留吉と心から真摯に選び取っていけるかどうか、大きな大きな局面をそれぞれに用意しています。
1321) 肉に流れるのは簡単です。心を見ることを疎かにすれば、流れている自覚もないまま、肉の中に沈み込んでいく生き方をまたしても選んでいってしまうということでしょう。余程の決意と実践がなければ、学びを自分のものにすることは難しいです。
学びを自分のものにするとは、学びとともに、学び一本で生きていく人生を生き抜くということ、そういうことです。
肉のあれこれを思っていたならば、今世もまた確実に失敗です。
そこにはあなたなりの言い分、考えがあるでしょうが、もう時間はないんですという情報も同時に提供されています。それをどのようにとらえておられるのでしょうか。
それを知りながら、肉に生きる、肉で自分を誤魔化していく、そうは言ってもなあと言い訳がましいことばかりに明け暮れている現状であるならば、どうしようもありません。
すべては自分が選び取っていくことです。そして定石通り、その結果は自分で負ってください。
1322) 自分が出してきたものはみんな自分で回収していかなければなりません。
自分が出してきたもの、出してきた思い、エネルギーです。
学びに集った今世も、学びに集う前の時があります。肉として生きることしか知らなかった時間があります。もちろん、学びに集ってからも、ああこういうことがみんな違っていたんだなあと自分の心で気付くまで、闇のエネルギーの垂れ流し状態は続きます。
回収作業に取りかかるまで、時間がかかります。それでも、心で気付いた人からその作業を始めましょう。
そして少しずつでも、本当の喜び、幸せの道を歩き始めましょう。
まずは自分からです。自分自身が本当に喜び、幸せとはこういうものだと心で分からない限り、状況は何も変わらないということを知ってください。根本的に何も変わっていないことを、形を変え色々なところから自らに示していきます。自らが自らに示していくということ、それも忘れてはいけないことです。愛ゆえに歪みは必ず正されるということでしょう。
1323) 田池留吉、アルバート。ふっと思う幸せ。いつもともにある喜びを感じる幸せ。それ以外に何が要るのかと思います。
何が喜びで何が幸せなのか、全く分からなかったんだと今世から学びました。心の幸せ、喜びということも全く違っていたということも今世から学びました。
ふっと思うと広がっていく世界があります。安心感とともに広がっていく。何もないけれどある。確かにある。この喜びと幸せを伝えてくれた今世は、私にとって本当にかけがえのない時でした。
これからの自分の歩みをしっかりと心に感じ、淡々と味わっていく喜びと幸せの中にあったんだと感じています。
過去間違いを繰り返し、そして今世もまた学びを知る前までは、肉、肉に凝り固まってきました。肉、形を本物として信じる思いを幾重にも巻き付けてきたから、方向転換をすることは容易ではありませんでした。
しかし、予定通り自分の中に風穴を開けそこから吹き込む風を感じてきました。宇宙の風と表現した通り、それに乗っていくことが意識の流れの指し示す方向だと心得ています。
1324) まず自分が幸せになりましょう。幸せとは喜びとは本当にこういうものだったんだと心から分かるまで、まず自分を学んでください。
自分自身が本当に生まれてきたことを心から喜べなくては、そして自分の中の切なる思いに真摯に素直に生きようと思えなくては、また今世も失敗です。今世失敗だということはどういうことなのか、学びに集っているあなたならば、もう自ずとお分かりだと思います。
すべては自分のことです。自分を生かすも殺すも自分次第、どなたも深く肝に銘じて、学びを進めてまいりましょう。
喜びの道をともに歩める仲間が一人増え、二人増える喜びを大きく大きく広げてまいりましょう。
互いに肉は愚かですが、その愚かな肉を持ってこうして学べる今を、ただ単純に喜んでいけばそれでいいのではないでしょうか。
異語を通して通じる世界をどんどん味わってください。異語は波動です。思うは田池留吉を中核に据え、自己確立の喜びの道をあなたもどうぞ。
そのような思いで、今回の橿原セミナーを終えました。
1325) 思う喜びと大切さを学んでください。思う喜びとそしてその大切さです。
肉を本物とする思いの中で、何の疑問も抱かずに生きてきた長い時間があります。その中で、どんなに頑張ってみても、その結果として得たと思った幸せや喜びは泡と消えていくという体験は山ほどあるでしょう。
また、俗世間から断絶して修行と称して、神に、仏に身命を賭する生涯であっても、行き着く先は真っ暗闇だったということも、もうそれぞれの心で感じておられる頃でしょう。
今世の肉を通して学びに繋がっている今、この今を大切に、自分の本当に生きていく方向を見極めてください。見極めていきましょう。
それが喜びなんです。それが本当の幸せの道なんです。
神も仏も何も要らないんです。何の役にも立たない、いいえ役に立たないどころか、それが諸悪の根源です。お金があれば幸せになれるといった話も全部嘘です。
狂い続けてきた中にいました。どうぞ、そのことに早く心から目覚めてください。
1326) 思うは田池留吉です。このことをどのようにとらえているか、私は、思うは田池留吉を実践しているか、それぞれに判定してください。
田池留吉の世界以外の世界は、みんなブラックです。
今更、こんなことをと思われる方もあるでしょうが、田池留吉の世界以外の世界は、みんなブラックだということが、まだまだ心で分かっておられない人が少なくないという現実があります。
二股で学ばれている方達、いずれその決着は自分の中で付けていかなければなりません。
もう少し、具体的な話をすればいいのでしょうが、とにかくどなたも学びの動機をもう一度しっかりと確認してください。
そして、学びに対する姿勢を確認。学びと欲は合わないこと、他力の世界の延長線上に学びをとらえていないか、しっかりと見直してください。
1327) 肉を持っていれば、肉を維持するためにお金は要りますが、自分の生活を見渡して、ある程度お金の目途がついているならば、今世の残りの肉を持つ時間を、できる限りゆったりとお過ごしください。
肉の心、身体をゆったりとさせて、ゆったりと流れる時間の中で、250年後に、三次元最終の時に思い馳せてください。
そうできる時間を少しでも長く持つことが幸せなことだと思います。
目の前の欲の世界は魅力的かもしれませんが、次元移行という意識の流れに思いを向ければ、それは本当にちっぽけなちっぽけな世界でしかありません。くれぐれもそんなちっぽけなものに惑わされないようにしましょう。
今世はこれまでの転生とは違う、今を境に方向を転換していくんだ、その思いをしっかりと持って、あなたの人生を閉じてください。
1328) それぞれに残されている肉の時間、思い残すことのないように自分を大切に過ごしていきましょう。月日はあっという間に過ぎ去っていきます。
ひとつの肉を通して学べる今を心から喜んで、そして本来の自分の生きる道を歩く喜びをしっかりと感じていくようにしましょう。
みんな大切な仲間です。学びの友との出会いを嬉しく思っています。
ともに瞑想、ともに思う、ともに凄まじいエネルギーを確認し合う、そしてともにふるさとの歌を歌う。こんな嬉しい学びの時間と空間を持てる私達は本当に幸せ者です。
どうぞ、250年後に思いを馳せて、日々瞑想を続けてください。
250年後出会って、喜び、喜びの時を共有したい、心からそう思います。
今世、同時期に肉を持ち、学びに集ってきたこと、それぞれの心でしっかりと味わってください。
1329) 瞑想をしていますか。楽しんで喜んで瞑想をしていますか。瞑想をするゆったりとした時間、気持ち、そういうものを確保すること、その方向に可能な限り、自分の生活のリズムを組み立ててください。
自ずとどのような生活をしていけばいいのか分かってくるし、そうだなあと心から思っていると、そのように周りがなってきます。
無理に無理をしてするのではなく、自然に瞑想をしよう、したいとなってくれば、気が付けば思いを向けています。
向けることが、思うことが嬉しいからです。安心だからです。欲でそうするのではなくて、瞑想をしようと思う思いの中には何もありません。
ただ思いたい、思うことが嬉しい、幸せ、そうやりながら日々の生活を流していけば、知らずのうちに心は軽くなっています。
その心とは肉の心ですが、肉の心は軽ければ軽いほどいいです。それで意識の世界に極端な変化が見られるかということはないかもしれませんが、心の手かせ足かせはなるべく外していきましょう。何でも掴んでいれば苦しいはずです。離す、心を離すように努めてください。
1330) 今世の残りの肉の時間、文字通り学び一本に行くように動き始めました。
意識の世界は一足早く学び一本で進んでいますが、ようやく肉のほうもそれに追随する形となりました。
今世は間違いなく私の転換期となりました。その転換期の今世において、もちろん転換するのに必要な節目、節目の時期がありました。今回もその節目に当たります。身体の不具合は、ぬるま湯から出ることを促している、そのきっかけなんだと思っています。
ひとつの節目を迎えるたびに、それは学び一本の道に集中していくという予定のコースだと私は感じています。
田池留吉が打った布石を素直に踏んでいけば、間違いないと心で感じます。
そこに肉の思いを差しはさんでいけば、しっかりと打たれた布石も霞んでいくでしょう。肉の采配で賢く立ち回っても、結局は自らを落としていくということ、これはどなたの場合も例外ではありません。
なぜ生まれてきたのか、そしてなぜ自分は学びに集ったのか、そこから絶対に思いを逸らしてはダメだと私は思っています。
1331) 信じる信を養い、深めていくことに尽きます。肉、形の世界は影の世界であり、意識、波動の世界、もちろんその世界は、田池留吉、アルバートの世界を言いますが、その世界こそがたったひとつの真実の世界だったと、どこまで、どの程度、どのような思いで信じているのかということでしょう。
田池留吉、アルバートを思う思いの先には何もありません。ただ思う、思える、呼べることがただ嬉しい、幸せということです。たったひとつの真実だった、それが自分の中にあった、その自分の中の真実、本当の自分とともに生きていく、ひとつになっていく、そのような思いをどんどん広め深めていくことが、喜び、幸せの道でした。
三次元最終に向けて、滞りなくご準備をなさってください。自分との約束、今世こそ破らずにいてください。
待っていますの思い、呼び掛け、もうすでにあなたの心に届いているはずです。250年後の本番に向けて、最大限の努力をしてください。
1332) 心の中に沸き起こってくる思いをしっかりと見ること、そこから目を逸らさずにしっかりと確認すること、それが一番大事なことです。
しっかりと確認して、そしてあとはその思いとともに田池留吉を思います。
しっかりと抱きかかえ、優しい優しい母の温もりの中を思います。
そうして、自分の中が少しずつでも柔らかく温かく嬉しく幸せ、喜びを、ただこうして存在している幸せ、喜びを感じられればいいということでしょう。
何もなかったんです。あったのは喜びだけでした。温もりだけでした。その中へ帰っていく、戻っていくことをひたすらにやっていけばいいだけでした。
それを阻むものが肉を本物としてきた思いでした。その思いとともに生きてきた長い長い時間。積み重ねてきたブラックの山。
一気に崩していく計画があります。激動の荒波に自分を見失うことなく、その瞬間、心の針を向けて合わせていこう。
どこまでも広がっていく喜びの世界。限りない温もり、優しさに包まれている世界。そんな中に私達はあったんだと感じることが幸せの第一歩ではないでしょうか。
1333) 離していこう、もう離していこう、そして楽になっていこう、本当の喜びと幸せの道を歩いていこう、そう心から自然に思いが上がってくれば、すでに随分心が軽くなっているはずです。軽くなっているから、そのように自然に思えてくるんです。
心の解放。簡単なようで難しいと思います。ここを離せばいいと分かっていても完全に心を離すのは難しいでしょう。離そうと思ってみてもそう簡単にはいかないでしょう。
自然に思えてくるようになるには、やはり日々、心を見るそして瞑想をするということをたゆまずに真摯にやっていくことしかないでしょう。
そこをいい加減にしていては、結局のところ何も変わっていない、根本的なものが何も変わっていないということになるかと思います。
学びの真似事ではなくて、学びを人生の中核に据えて生きていく覚悟でなくては、次元移行など夢のまた夢ではないでしょうか。
1334) 誰が何と言おうと思うと、私の人生、最高に幸せだ、そう胸を張って言い切れる人、この指とまれ。そんな思いが瞑想の中で上がってきました。
そんな人達とともに喜びを共有できることが幸せだと思います。
いつまでもぶつぶつ、ぐらぐらはいただけません。もう時間がないんです。
焦ることはありませんが、どこかでピシッとすることが必要でしょう。
そういう思いを心にしっかりと秘めて、生活をしていくことが大事なのだと思います。
心の針を向けて合わせていったときに、広がっていく世界はどんな世界ですか。田池留吉を思うことが嬉しいですか。ただ嬉しいですか。アルバートを呼ぶ思いはどんな思いでしょうか。
250年後の出会いを確信できていますか。信じたいけれど信じられないという人、さてどうしますか。
1335) 何ひとつ不必要なものはない、真実の道を歩くことを果たすために、肉、形の世界において起こってくることで不必要なものは何ひとつないということを、それぞれの心でしっかりと学んでください。
喜びだけだったんです。喜びだけの意識の世界に様々な本当に様々な思いを作ってきました。作ってきたんです。思いの世界を作ってきました。自分が作ってきたから、その世界は自分で崩していかなければなりません。
そして元々あった喜びの世界だけを、どんどん前面に出して、どんどん喜びを感じていきましょう。
喜びの世界を奥に奥に閉じ込めてきた過ちに心で気付き、なぜそのようなことをしてしまったのか、自分に詫びてください。
懺悔です。本当の自分に懺悔です。そしてもう止めよう、自分を落とし込めていくのは止めにしよう、今世の肉を通してしっかりと自分に誓ってください。私は喜び、私は愛、素直に自らが伝えてくるメッセージを受け取ってください。
1336) 一人ひとりが選択決断そして実行していく道です。愛に帰る道は大変険しいです。厳しいです。しかし、この道は同時に喜びです。そして喜びの道は愛へ帰る道だけです。
肉、形を本物としてきた世界が、あちらからもこちらからも崩れていくことを通して、その世界が違っていることをはっきりと示します。
肉、形の世界が本物の世界であるならば、形を崩す必要がどこにあるのでしょうか。
崩れていく形の世界を見て聞いて体験して、それぞれの心に上がってくる思いを確認して、ああ自分達は何もかも間違えてとらえて生きてきたんだと、一人ひとりがその心で気付いていく時間が必要です。
闇に沈んだままなのか、そこから抜け出して本来の明るい温もりの喜びの世界に戻っていくのか、ふたつにひとつの選択がどなたの目の前にも突き付けられます。自らに突き付けてそして自ら選んでいく道は、愛ゆえの厳しさであり本当の優しさではないでしょうか。1337) 心から心からお母さんを呼び、優しい母の温もりの中へ帰っていくことが、たったひとつの真実でした。その真実が自分の中にありました。自分の中に限りない優しさ、温もりの世界が広がっていくことを感じて、愛の中へ戻っていこうと自らに呼び掛けていく喜びと幸せを感じていけることが、もう何よりも何よりも待たれていました。
間違い続けてきた自分を待ってくれていたのは自分の中の愛でした。愛だからこそ、ずっと待ち続けてくれていたことを伝えにきてくれました。
信じるという次元が全く違うことを知って、本当に今世の出会いがすべてだと強く強く感じます。繰り返し感じ確認することが、ただただ嬉しい、幸せなことです。
心ひとつで存在していく喜びと幸せ。その喜びと幸せを自分の中に確立しない限り、本当の喜びも幸せも分からない、そういうことになります。
1338) 台風21号に思いを向けます。
当然のことながら、台風からは喜びの思いしか来ません。なぜそうなのか、それは学びに触れた人ならばもうお分かりでしょう。心から受けてくださいと台風の思いです。私は何も苦しみをもたらすものではありませんとはっきりと伝えてきます。その通りです。心を色々と動かすのは人間特有のことです。ただ喜びだけの波動をしっかりと受け取って、そして自分達もその中にあるんだとしっかりと知っていくことだけなんです。
目の前に展開していく現象すべてが喜びへといざなう大きな大きな愛のエネルギーです。そのことをそれぞれがしっかりと自分の心で受けていくことがただただ待たれていることです。
ひとつの現象を通して、喜びへ帰る道、愛へ帰る本来の道がしっかりと示されていく中にあります。これこそが愛ゆえのことです。
私達人間はみんながみんな間違えて生きてきたことを、心に感じ始めた人から、その間違いを回収していく方向に歩みを進めていくべきなんです。
ああ、お母さん本当に愚かな道を歩き続けてきました。しかし、自分の切なる思いを感じた今世だからこそ、その方向を180度転回していくんだと確信しています。これから250年、300年の最終時間に向けて、さらなる現象を通して、その思いを一人でも多くの方が育んでいくだろうと思います。台風21号の思いに沿って、少しでも少しでも明るい温かい喜びの方向へ思いを向けていきましょう。
田池留吉です。私のほうに心を向けて日々お過ごしください。私、田池留吉のほうに思いの針を向けて合わせていくことが何よりも何よりも肝要です。しっかりとそして喜んで自分の中の他力のエネルギーを見ていってください。ともに帰る道があなたのただひとつの喜びの道であること、私、田池留吉はただただそのことをお伝えするだけです。
どんなときも私、田池留吉を思うこと。思うは田池留吉です。どうぞ、どうぞ、しっかりと実践をしてください。
1339) 思うは田池留吉です。これをしっかりと心に刻んで、いついかなるときもこのことを忘れないように。
肉の采配など全く役に立たないときがこれから頻繁にそれぞれの周りで起こってきます。委ねていくことを自ら学習していくようになっています。
思うは田池留吉。思っていればそれでいいのかということを言われるかもしれませんが、思うは田池留吉を心から実践していけば、その真意がお分かりになると思います。
決して軽んじることのないように、思うは田池留吉をただひたすらに実践してください。そして、あるのは喜びだけだということを心から心から信じられる自分に蘇っていきましょう。
1340) 台風21号。6月の大阪府北部を震源とした地震に続いて今回の台風21号。大阪市で最大瞬間風速47.4メートルを観測。1時間以上、風が唸っていました。関西空港などあちらこちらに被害の爪痕を残し去っていったと思ったら、北海道6強の地震です。
まだまだ音は小さいですが、しかし確実に聞こえているはずです。瞬間、瞬間、思う、針を合わせるそのトレーニングを重ねてください。
そして、喜んで喜びで今ある喜びを感じていってください。
学びに出会ったこと、自分の中の切なる思いを大切に、今世の肉を通して可能な限り自分を学んでいきましょう。
思うは田池留吉です。それ以外はありません。どうぞ、他力の思いでそうするのではなく、自己確立を進めていく中で、喜びで本当に喜びで思うは田池留吉の実践をしてください。
250年後、必ず出会いましょう。そのためには今世、今のお勉強が大きな鍵です。
1341) ただひたすらに純粋に真実の世界を思っていくことが待たれています。
欲の渦の中で生きてきた私達には、ただひたすら純粋に思うということが、大変難しいです。思いの先には何もありません。自分の欲を満たすために思ってきた心癖はみんな強いと思います。
そうではなく、ただ思う、思える喜びと幸せを感じる、そんな瞑想の時間を重ねていくことが大事なんだと思っています。
何も求めることもなく、ただ今あることが幸せだったということです。
肉として生きている間は、そんな世界とは程遠いところに自分を置いています。田池留吉、アルバートの波動の世界は、そんな世界からは、決して分からない喜びと幸せの世界です。心の体験を重ねていきましょう。全部、自分の中から伝えてきます。その喜びの波動を感じられるようになってください。
1342) ゆっくりとゆったりと流れる自分の中の時間を心から味わえるように、そうすれば、感じるんです、分かってくるんです。どんなに幸せだった自分なのか、もうそれは言葉にはできません。
喜びに蓋をして、いかにも立派に正しく生きてきた自分をしっかりと認め、そしてそんな自分を抱きしめ、元々私達は幸せだったんだ、喜びを知っていたんだと、確認してください。
中へ中へ戻ってください。外へ向く心を、思いの世界を、どうぞ、自分の中へ中へ向けて、そして心の奥底から沸き起こってくる喜びと温もりの世界をしっかりと感じてみてください。
もちろん、同時に抵抗勢力の凄まじいエネルギーを感じます。しかし、その凄まじいエネルギーこそが本物の喜びと温もりの世界を求めていることを心から知ってください。エネルギーを変換していく喜びと幸せをどうぞ、あなたも自分の中で味わってみてください。
1343) 思うことが嬉しい。思えることが嬉しい。何があっても絶対に変わらない思いの向け先を知ったことが嬉しい。そしてそれが実践できる今が嬉しい。
自然にありがとうの思いが湧き出してきます。
ありがとうを忘れて、何でも当たり前でした。不足不満は並べても、ありがとうと心から出ることは殆どありませんでした。
ありがとうが出るのは、自分の思い通りになったときだけでした。
そうではありませんでした。こうして思うことを知りました。思える喜びと幸せを知りました。だから、瞑想は喜びです。
瞑想とは心の針を向けて合わせること。正しい瞑想の純度が上がってくればくるほどに、喜び、温もりの世界もその層が厚く広く深くなってきます。
「愛を思って瞑想しいや」「最後はそんな瞑想になってくる」
2015年、病院で言っていただいた最後のメッセージでした。あれから丸3年の年月が過ぎ去りました。
1344) セミナー会場にあなたのその肉を運んでくる、そして、たくさんの学びの友とともに心を向けようとする、これって最高に幸せなことだと思いませんか。そうです。最高に幸せなんです。私達は本当に幸せ者です。
お世話してくださるスタッフの方達に感謝しながら、それぞれしっかりと自分が決めてきた予定を完遂してください。
そして、愛へ帰る道を自分の中に確立して、本当に喜び、幸せの人生を感じていきましょう。
過去、どんなにしても分からなかった喜びと幸せでした。今世は、田池留吉の肉という確かな道しるべを用意していただきました。
その肉を通して心を向けること、その心の針の向け先がいかに大切なのかを伝えていただきました。こんな幸せなことはありません。今世初めてです。だからこそ今世を自分の転換期にしていけるように、それぞれ肉の終えるその瞬間まで波動の世界を学び続けてください。
1345) 言葉は要りません。肉、形の世界では、意思疎通をするのには言葉が要るでしょう。自分の気持ち、思い、考えをできるだけ正確に伝えるために、人は言葉を選びます。
しかし、意識の世界は違います。針の向け先ひとつで流れる波動が違い、そしてその波動こそが意識の世界を物語っていくんです。言葉は何の役にも立ちません。かえって無用な混乱を引き起こしていきます。
人は嘘をつきます。誤魔化します。言葉で自分を修飾します。波動の世界はそれが全く通用しません。
あなた田池留吉を信じていますかと聞かれて、答えていくのは言葉ではありません。波動です。
波動を学んでください。日々の瞑想の中で学ぶのは波動の世界です。
肉として生きる術に長けても、正しく思うことに長けていなければ、肉があってもなくても地獄です。
1346) あるのは喜びの世界だけです。そうしっかりと思えない心、他力のエネルギーがそれぞれの中にまだまだ根深く残っています。言うまでもなく肉を本物とする心です。
焦ったり、落ち込んだり、諦めたりせずに、真摯に喜んでその現状と向き合っていきましょう。向き合える今が喜びであり、幸せなんです。
喜んで喜んで心を見ていく、自分の作ってきた闇の世界、そのエネルギーを感じていく、そのことに専念してください。
心を見て、作ってきた闇のエネルギーを感じていったならば、それを膨らますのではなくて、エネルギーの質を変えていくことが仕事だと心得てください。質を変えていくのは、あなたの肉ではありません。肉はできません。ただ、心の針の向け先を知って、そちらのほうに向けよう、合わせようとひたすらに真摯にやっていこうとする生き方に徹してください。
1347) 帰っていくところを知らずに分からずに彷徨い、苦しみの底に沈んできたこと、それぞれに自分の心で感じておられると思います。
言いようもない寂しさ、空しさの中で、必死に生きてきた自分の哀れさをもっともっと心で感じてみてください。そして、そんな自分をしっかりと抱きしめてください。
生き直してください。生き直していきましょう。
肉に塗れ、肉に沈み、それでもこうして何度も這い上がってきた思いに触れてみてください。どんなにしても幸せが分からなかった、喜びが分からなかったと心からの叫びを真っ直ぐに受け止めてください。
真っ直ぐに受け止めていける今があります。あなたさえその気になれば、真実の世界への扉は大きく開け放たれている現実が心に響きます。
どんなにこの時を待っていたか、苦しみ続けてきたたくさんの自分とともに、幸せを味わってみてください。
1348) 生きていく方向を示していただきました。真っ直ぐに歩いていきましょう。それがたったひとつの喜びの道です。
心を向けひたすらにその方向へ歩みを続けていくことを約束しました。
自分との固い約束、今世こそようやく果たす目途がつき、あとは意識の流れに全托していけばそれでいいというところまで学んでいきましょう。
全托。全托する喜びを私達は知りませんでした。そんな私達が全托していく喜びが感じられるような計らいの中にあります。
そして、すべてを委ねていける世界は自分の中にあることを知っていきます。偽物の自分ではなくて、本当の自分を知ってください。
肉で生きてきたあまりにも長い時間。真っ暗闇の中で、苦しみに沈んできた過去。今を変えていけば、過去も未来も変わっていく意識の世界の仕組みを心で感じて、今しっかりと自分の歩みを進めてください。
1349) ゆったりと自分を振り返る時間、その作業がどなたにも必要です。
ゆったりと生きていきましょう。たとえ、日々時間に追われている人であっても、必ずどこかに空き時間というのがあるはずです。
身体を休めると同時に、意識の世界も緩めてください。
そんなとき、なぜ自分は生まれてきたのだろう、何をするために今があるのかという思いを自分に向けてみてください。
そして思いましょう。素直に真っ直ぐにただ思いましょう。
思うは田池留吉です。素直に真っ直ぐに思えるかどうか、思うことがただただ喜びとなっているか、それぞれに検証してください。
自分の中に帰っていくんです。戻っていける喜びを確信してください。
外には何もありません。真実は自分の中にあります。自己確立の道をしっかりと打ち立ててください。そして、ともに学べる幸せと喜びを共有しましょう。
1350) 学びの友からのメールです。一読ください。
先日の第12回UTAの輪セミナーの2日目の夜、就寝時横になり目を閉じるとタイケトメキチ、クソッタレ、クソクソクソクソクが中からドンドンドンドン出てきて止まりません。このままだったら狂いそうで不安や恐怖の思いが出て来ました。こんなことは今まで初めてなのでビックリしました。自分なりにお母さんに思いを向けたり共に帰ろうと伝えたりしている間に眠っていました。
家に帰ってからもセミナーでのことが心にありました。今まで自分ではわからないけどごまかしていた自分にもう後は無いと突き付けられたように思いました。しっかりと心を見て下さい。苦しいあなたが待っていますと。自己選択自己責任。自分を救うのは自分でした。もっと自分を信じて下さいと。中から沢山の促しを感じます。自分の心を見ていなかったと思いました。
翌日の朝もまだ引きずっていました。ふと「こだわる心」というのが出てきました。私は小さい世界の中で生きた事を感じました。小さい世界の中で小さいことにこだわって己を小さく小さくして自分で自分を苦しめて苦しい苦しいとやっていました。自業自得の世界の中で生きていました。とても苦しい思いでした。
0才に思いを向けました。喜びだけの自分を感じ何とも言えない喜びを感じました。お母さんを思いました。もっと心を広げて下さいと伝わってきました。
タイケトメキチ、お母さん、0歳の自分に自分なりに心を向けましたフワッと心が柔らかくなって心がスッとしました。
苦しかったけどとっても嬉しい体験でした。
すごいと思いました。自分で出来るんや、私でもやれば出来るんやってすごく自信が出来ました。自分の心で感じるってすごいと思いました。納得でした。簡単ではないかもしれませんがやっていきます。
すごい学びでした。
1351) 心で感じること、心で感じられる喜びと幸せ。あなたはどの程度感じていますか。どんどん自分の中へ思いを向けてください。
あなたの外には何もありません。肉を生かす手立てはいくらでも入手できます。そういうことが生きていくということではないんです。
自分の中がいかに真実の世界に近づき目覚めていくか、それを肉を持って知っていく、学んでいくというのが本当の人生です。
肉を生かすために生まれてきたのではないことを、しっかりと自分に伝え、肉を持っている今というかけがえのない時を大切に、そして喜んで自分と向き合ってください。
250年後の同時期にまたともに肉を持って出会っていこうと、呼び掛けています。ともに次元を超えていく意識の流れの中で、ともに喜びと幸せを味わっていきましょう。
1352) 年齢を重ねている人も比較的まだお若い人も、今世こうして学びと出会った仲間です。それぞれに決めてきた予定のコースがあります。
心を見ることを通して、自分の出してきたブラックのエネルギーを本来の温かい喜びのエネルギーに変えていく生き方をそれぞれに望んできた、切望してきたはずです。
その思いに素直に真摯に向き合って、それぞれの肉の時間を終えてください。
心から待ち続けてくれている思いの世界があります。必ず帰ってきなさい、戻ってくるんですよと待っています。
そんな思いにどうぞ、日々の瞑想で触れてください。微かでも心に届いたと感じたならば、それを大切に育んでください。
もう自分を裏切ることはあってはならないと自分に伝えてくれている思いをしっかりと受け取ってください。
1353) みんなよかった、どんなこともみんなよかった、そのように心で受けていくことはなかなか難しいと思います。
ですが、みんなよかった、どんなこともみんなよかったんです。それは意識の世界からすれば本当のことです。
少しずつでも、みんなよかった、どんなこともみんなよかったと自然に思えたら、心は随分軽くなっているはずです。そして、嬉しい、幸せだなあと自ずと感じてくるでしょう。
何がどうとかではなくて、今思える今が嬉しい、幸せだなあということだと思います。暗い思いが次から次へと出てきても、だから嬉しい、幸せなんです。間違って生きてきた自分を感じられる今が何とも幸せだということが心で感じ始めると、みんなよかった、どんなこともみんなよかったと、段々に思えてくるでしょう。
不必要なことは何もない、そう思って日々瞑想を継続してください。
1354) 突然で申し訳ありませんが、UTAホール大宝での「ともに瞑想会」9月22日を最後にしたいと思います。
2014年8月から始めさせていただき、5年目に入りましたところですが、先ほどNPO法人UTAの輪の事務局よりホール利用のお願いのメールを拝見して、そろそろ潮時かなあと思い決めました。今回のお願いのメールで踏ん切りがつきました。
不純な動機で始めた「ともに瞑想会」ではありますが、それなりの効果はあったように思います。
ただ、最近お声がけした方達には、少々申し訳ない思いでいます。
いずれにせよ、「ともに瞑想会」、ここで一旦終了ということでご理解ください。
1355) 日々、自分の心と向き合う、それだけです。それをおざなりにしては、決していい人生にはなりません。どんなに物心に恵まれても、残念ながら、それでは本当の人生が分からないんです。本当の人生が分からないということは不幸せなことです。
要はなぜ生まれてきたのか、何をするために生まれてきたのか、自分の心でしっかりと分かる、知ることです。
心でしっかりと知って分かっていけば、どう生きていけばいいのか、自ずと分かります。そうしていけば、道が見えてくるんです。
そして、見えてきた道を、これだこれだとさらに着実な歩みを進めていく手立ては、正しい瞑想でしかありません。
正しい瞑想の純度が上がってくればくるほどに、自分がどんなに幸せな存在であるかはっきりとしてきます。幸せな存在だと感じてくればくるほどに、正しい瞑想の純度も上がるというわけです。
心地よい循環を作ってください。
1356) 学びの友との瞑想、「ともに瞑想会」ありがとうございました。学びのいい友がたくさんいて幸せを感じています。
何よりも、喜んで自己供養に取り組んでいきますとか、愛へ帰る道を一歩一歩歩いていきますとか、前向きに学んでいこうという思いがそれぞれの心に育まれているのが嬉しいと思いました。
私は私で、最後に宇宙に向ける瞑想で確かな手ごたえを感じさせていただいてよかったです。
最後に読ませていただいたメッセージを再掲しておきます。
愛へ帰る道。母なる宇宙を心に呼び、喜び、喜びで次元を超えていく、すべて自分が切望してきたことでした。
肉がすべて、肉を本物として生きてきた過ちの人生。真っ暗闇の中へ落ちていくことしかできなかった過去。
過ちの人生、過ちの過去とともに帰っていく道を選んでください。厳しくて険しいけれど、本物の優しさ、温もり、喜びの世界を知っていくには、それしかありません。
思うは田池留吉を日々実践、実践です。肉の時間の終わるその瞬間まで、思うは田池留吉一筋の道を生きていきましょう。
1357) 今の私の身体の状態は、肉の思いとしては想定外です。さっさと動けていた頃からすれば、スロー、スローです。足の運びがスローです。
通りを歩いていると、後ろを歩いている人達が足早に去っていきます。
そんな状態ですが、さて何が困っているのかと思えば、別に何の問題もありません。この今の状態をしっかりと受け入れて、私は私の勉強をしていけばいいんだと思っています。自分が学ぶべきことをしっかりと学んでいけばいいだけなんです。
想定外のこととはいえ、それが意識の私の世界の歩みを阻むものではないことは感じています。
むしろ、この現象は私の歩みを一歩前に出すためのものであり、うまく付き合っていけばそれでいいんだということでした。
本当に何一つ不必要なものはありません。どんなときも、いつも、ただ思うは田池留吉、そしてアルバート、母なる宇宙、次元移行、それだけが確かなことだと伝えてきます。
1358) 前を向いて、喜んで喜んでこの道を真っ直ぐに歩き続けましょう。
決して後退しないでください。心から出る思い、エネルギーがどんなに真っ暗で凄まじくても、それをしっかりと確認することです。そうすることが、そうできる今が喜びなんです。
本当に自分の心で感じてみてください。そして感じた喜びをしっかりと大切に育んでいきましょう。
私達は幸せ者です。本当に幸せ者です。田池留吉の意識の世界を、アルバートの波動の世界を、田池留吉というひとつの肉を通し、そして自分の肉を通し学ばせていただいたからです。
本当に千載一遇の出会いを持たせていただきました。私は瞑想をするたびにこの思いが広がっていきます。
どんなにこの時を待ち望んできたか、私の中の宇宙が一斉に喜びの雄叫びをあげていることも繰り返し感じてきました。
そして、母なる宇宙へ帰る道筋がしっかりとあることも心に感じています。お母さん、お母さん、心から叫ぶ喜びの思いとともに、みんなみんな母なる宇宙へ帰っていこう、そんな意識の世界のうねりの中にあります。
1359) 田池留吉、田池先生が残してくれたという思い、ありがたみを、今色々な方面から感じています。私は幸せ者です。
たくさんの学びの友の思いを受けています。学んでいこう、真実の方向へ歩いていこうとするたくさんの学びの友の思いを受けて、その友とともに瞑想をする時間と空間が用意されていることが何よりの幸せです。
その土台を田池先生は残してくれました。田池先生が残してくれた土台の上で、お互い身体には気をつけて、ともに学んでいけたらそれに勝る幸せはないです。
意識の転回でいうところの土台はもちろん唯一大切なことですが、この田池先生が残してくれた土台の上で学ぶということも絶対に欠かせないことです。
産んでもらったこと、学びと出会ったこと、その喜びと幸せをまず心に広げてみてください。
素直に喜んでいれば、その喜びが喜びをいざなっていきます。ともに学ぶ仲間の輪が広がっていくでしょう。
UTAの輪の中でともに学ぼうの呼びかけがどんなにすごいことなのか、それぞれの心に響き渡っていくと思います。
1360) 肉で、肉として生きるということは、自分を裏切るということです。
それを聞いて、今に至っても、そんな大げさなという思いが出てくるならば、もうそれはあなたの意識の世界がまだまだ地獄の奥底に沈み込んでしまっているという状態だと言ってもいいと思います。
本当に救いようのない状態の中から、こうして這い上がってきた意識。そんな自覚もないまま、またその肉を置いていくということでしょうか。
本当にもったいないです。千載一遇のチャンスという表現を思い起こし、自分を大切に思って生きてください。
自分の中の優しさ、温もりを捨て去ってきたことを心から心から自分に詫びてください。
誰も何もそんなあなたを責めはしません。信じて待っているだけです。
そんな波動の世界を心が受け取っていけば、もう何とも言えない思いになります。肉として生きてきた膨大な時間を作ってきたけれど、それでもそれでも帰っていこう、戻っていこう、愛の中へ、本当の自分の中へ、どんどんその思いを広げていってください。
1361) みんな田池留吉の方向へ向いていこう。素直に真っ直ぐにただひたすら欲も何もなく、喜びで向いていこう。
それしかありません。苦しみ喘いできた私達ではなく、喜びと温もりの中で伸び伸びと存在していた私達に戻れるのはそれしかありません。
お母さんと心の底から呼ぶ喜びです。幸せです。一人でも多くの方が、その喜びと幸せを心から味わっていただきたいと思います。
呼んでいるんです。求めているんです。母の中へ帰ることを心から望んできたこと、何をおいてもそれをしっかりと心に感じてください。
そこがしっかりとしていれば、ぶれないです。それぞれに色々と心が揺れることはあるでしょうが、基本的にはぶれずに、生きていく方向を見失うことはないはずです。
1362) 自分の心を見て、流すエネルギーを感じて、そこから自分の間違いに心で気付いて本来の軌道に戻していこうとする、そのための時間を肉を持って自分に用意してきました。肉を持ったのは、自らの間違いに気付いていくためでした。
何を間違ってきたのか、なぜ間違ってきたのか、きちんと自分の中で答えが出ていますか。
肉を持ってきた本来の目的を、肉を終えるその時まで違えずに遂行していければ、その人生は〇です。
本来の目的を早い段階で思い出して、そしてその目的を遂行していく時間を確保できれば一番いいんですが、そう簡単にはいきません。はっと気付いた時は、もう人生の先が見えているということかもしれません。それでも気付いたその時からやってください。
自分が本当に望んできた人生を生きているか、その都度しっかりと確認して、もう二度と自分を裏切ることがないように。
1363) 台風24号が来ます。セミナー当日、近鉄電車の運行が見合わせということになるかもしれません。
私は、一日早く志摩へ行きます。台風通過とともにセミナーが始まります。
予定通りセミナーを終え、帰阪します。
ゆったりとゆっくりと心を向ける時間が用意されていると思います。
思うは田池留吉、思うはアルバート。実践、実践して、そして本来の自分の軌道に乗ってください。
心の針の向け先をいつも、いつも確認です。喜びだけが真実の世界。肉を持って生きてきた長い時間の中で、それを確立するのは決して容易いことではありません。
1364) 今日、9月30日、セミナー会場にどれだけの友が来ておられるか分かりませんが、ともに瞑想をする時間と空間が予定通りということに感謝します。生きていくということは、色々な情報を得るということです。そしてそれらによって心が外へ向きがちになりますが、それもある程度は避けられません。
しかし、私達は自分が何のために今世肉を持ってきたのか、自分の切望する生き方、存在の仕方はどんな生き方であり存在の仕方であるかを学んでまいりました。その学びの成就をしてください。それぞれの予定のところまでクリアして、肉を持つ時間を終えてまいりましょう。
ゆったりとゆっくりと、しかし、しっかりと真っ直ぐに思いを向けられる心の状態が確保できているかが大きなポイントです。
幸せを満喫してください。生まれてきた喜び、自分に肉を持たせた思いにしっかりと応えて、幸せな人生を満喫していきましょう。
1365) 台風とともに始まったセミナーでしたが、キャンセルの方も少なく予定通りセミナーを終え、帰阪できました。
セミナーの最後に申しましたが、これから様々なことが起こってきて、セミナーに集いたくとも集えない場合も出てくると思います。
どうぞ、一回一回のセミナーの現象の時間を大切にしてください。
自分の軌道修正をするために、肉を持ってきてそして学びに集ってきたこと、そしてその自分の思いを、しっかりと確認してください。
宇宙を変えていくのは波動です。その波動の世界をしっかりと自分の中で学び、母なる宇宙へ帰る自己確立の道をしっかりと打ち立ててください。
ともに帰りたい、ともに帰ります、願望から明確な意思へそして、ともに帰っていますの手ごたえを感じていけるよう、今世自分に用意した学びの時間を大切にしてまいりましょう。
ともに学ぶUTAの輪がどんどん広がっていけば、これに勝る幸せはありません。2018年9月志摩セミナー、ありがとうございました。
1366) UTAの輪の中でともに学ぶ喜びと幸せ、どうぞ、あなたもご自分の心で味わってください。
輪の中心は愛です。中心へ向かってともに歩みを進めてまいりましょう。
その歩みは自己確立の歩みです。自分の心で感じて感じたものを信じていく、自分と自分の中で歩みを続けていく、真にそうなってくれば、自ずと波動の世界が変わっています。
宇宙を変えていくのは、その波動の世界です。波動を学んでまいりましょう。ぶれずにしっかりと自己確立の道を目指してください。
1367) 学びの友が先日の志摩セミナーの体験を伝えてくれました。不思議な体験ととらえておられるようです。私には何の不思議もありません。
確かに私はその瞬間、あなた達を見ました。見るということはどういうことでしょうか。私はエネルギーです。あなたもエネルギーです。そういうことを学んだのではないでしょうか。一読してみてください。
① 種水の現象。向こう側に香世さんが立っているのをこちら側で見たのです。
真正面から立って、こちら側を見ているけれど、種水を向ける訳でもなく、ただ立っている。じっと立っているのを見て、どうしたんだろうと思った瞬間、体は飛んだのです。何が起きたのか全くわからないけれど、香世さんを確認した途端に飛んだのです。気が付いたら香世さんのほうにきたはずなのに、もうその時、香世さんは見当たらなかったから席に戻ったのだけれど、その感覚もない。気が付いたら自分の席に座っていた。
何が起きたのか、全く意識は飛んでいたのでわからない。
横にいた友も同じで、わからないと言う。香世さんを確認したのは覚えているけれど、それ以後がない。気が付いたら席に戻っていた。
香世さんに聞きに行くことはできないし、何?何?何?と同じように飛び出た友に聞いても、皆同じように???だった。その時に出た思いを話した時、皆同じだったのです。戦いのエネルギーでもないし、殺してやるとかくそ!!でもない。喜びかといえば、喜びで嬉しくて飛び出した訳でもない。何にも思いはなく、感じもない。これって一体何が起きたのか。
でも、皆4人とも同じだったのです。肉ではわからないって本当にわからないのだと、その時の思いは何もない。こんなことってあるのだろうかと、話し合ったけれど、結局何が起こったのか、肉はさっぱりわからず終いです。でも、言葉で表現できないけれど、それぞれに心で感じたものは確かにありました。それを大切にしていこうと語り合いました。結局、今までの現象は肉でやっていたに過ぎなかったのではないのだろうかと。
種水を見て、目で確認して、それで反応していく。肉で反応しただけだったのだろうかと。今回の場合、種水を向けられた訳でもない。ただ香世さんが立っているのを、何もしないでつっ立っているのを目で見た訳なのだろうけれど、そうではなかったような気もする。
香世さんの目と合ったと言った方が正しいのかもしれないけれど、それも定かでない。全く説明がつかない。不思議な体験をしたことは確かです。
② 志摩セミナーありがとうございました。種水の現象の時に、私達の真向かいの方向から塩川さんが種水をもった手は下におろしていてこちらをじっと見ておられ、両手の種水の先を見るなり突然吸い込まれるように突進していました。喜びとか苦しみとか何にもないのです。勢いよく走ったって感覚もなく飛んで行った感じでした。席に戻って来ても何があったのかも分からなかったのです。本当に何にもなかったのです。何が起きたのかなって気になりました。
1368) どこにいても何をしていても、思うことを一番大切になさってください。思う思いの向け先をそれぞれが学んでいるはずです。
その思いの向け先の正確さがどの程度なのか、日々の生活の中で、またセミナーの現象の時間の中で確認していくことが最重要課題です。
明確な意思のもとに、しっかりと自分の人生を生きてまいりましょう。
何をするために肉を持ってきたのか、つまり生まれてきたのか、産んでもらったのか、絶対にそこは外せないポイントです。
その上で、肉に生きていくならばそれはそれでいいのです。それがご自分の選択ならば、その選択通りに生きてください。誰も何も止めはしません。ご自分がそれで幸せならばそれでいいではないですか。
と私は思います。私は私の生き方を貫いていきます。これだと思っているこれだに私は私を懸けています。結果、私は幸せです。
1369) 異語について。思いを語るとき、日本語で語るときと異語で語るときがあります。特に使い分けをしているわけではなく、自然とそうなっています。
ただ、日本語は万能ではないと思うし、異語は思いをストレートに語っているという感覚があります。
だから、ここぞというときに出るのは異語です。異語でしか語れない、伝えられないということです。
また、私は、田池留吉、アルバートを思うとき、宇宙を思うとき、異語で語る心地良さを味わっています。心地良いんです。特に宇宙を思うとき、ああ私は宇宙とともに生きているんだと実感しています。異語で通じ合う波動の世界に生きていると感じられることが幸せということでしょう。
私はずっと以前から、ふるさとの歌も異語で歌っていました。犬を抱いているとき、犬と散歩しているとき、異語でふるさとを歌いながらの時間を過ごしていたなあと懐かしく振り返っています。
学びの友と異語を介してのお勉強を以前はよくやられていたと思いますが、今はどうですか。ほんの短い時間でいいんです。またやってみてください。
1370) 先日の東北スカイプ瞑想会でも言いましたが、学びは進化しています。しっかりとした学びの基盤の上で、進化していく学びを楽しんでいきましょう。
あなたの中のアマテラスはどうでしょうか。まだまだ苦しみのたうちまわっていますか。いいえ、それは実は喜びの雄叫びであることを心で感じられるようになってきましたか。
私達は250年、300年の地球時間を経て、再び宇宙を目指して心を向けてまいります。地球上における数限りない転生の結果を次元移行に活かせるようにと、今世学びに集った方一人残らずそのようになればいいという思いがあります。
難しいかもしれませんが、最終時期に向けて最大限の学びを今世からまず始めてください。
学びは進化しています。田池留吉、アルバートの意識の世界を存分に感じてまいりましょう。
1371) 自分の生き方、存在の仕方をきちんと見直していく時間はゆったりとあったほうが幸せでしょう。
今世、自分に用意したひとつの肉であり、今の環境です。肉を生かすために肉があるのではないことは、それぞれもう感じておられると思います。
感じておられると思いますが、肉を持っている時間を本来の目的に十分に費やしていくことが、最も幸せな人生だと言い切れますか。
肉を生かすことに飽きない欲望を膨らませている人達、あるいはまた生きていくことに精一杯の人達の中で、そのように言い切り、それを淡々と実践していくには、やはり自分の中の固い強い決意に触れるということが必要でしょう。
今世こそという思いに触れていけばいくほどに道は見え、そして中心棒の確立ができていくという確かな手ごたえを、あなたも自分の中で感じてみてください。
自分の世界があるだけです。その世界がどんな世界なのか、しっかりとはっきりと知っていくことが肝要です。話はそれからです。
1372) どんなにしても分からなかった世界でした。真実の世界、本当のことは全部自分の中にあったことを学び、私は今世の転生で結果を出しています。
今世の転生が転換期となり、本来の自分の歩むべき方向を定めて存在していける結果を出しています。
田池留吉の意識の世界が肉を持ち、アルバートの波動を伝えてくれた厳然とした事実があります。それを大切に自分の中で育んで成長させていくことを確認しています。
自分との約束です。約束を違えずに、自分を裏切ることのないように、ただひたすら前を向いて生きていけばいいと伝わってきます。
自分の中の田池留吉の意識の世界。いつも心の針の向け先を確認して、管理して、それが私のたったひとつの救いの道でした。
全部自分の中にありました。その確信の度合いを高めていくことが喜びの道だと心は知っています。
1373) 今世もまた肉、肉で生きてきた時間の中で、様々なルートを辿って学びと出会った私達です。
どうぞ、今世の時間、学びに集った今世の時間を決して無駄にすることがないようにお過ごしください。
どんな生き方を選んでいくかそれぞれに係っていますが、次元移行という意識の流れは粛々として流れていることを、様々な現象を通して感じられるあなたであってください。
思うは田池留吉を実践して、喜びの中にあったことを確認、確認する時間をたくさん持っていただけたらと思います。
三次元最終の時間に向けて、心で気付いた方からその準備を万全に整えてまいりましょう。最終転生の時期に再び出会えるよう、自らの歩みを進めてください。
1374) 「卑弥呼、悲哀から目覚めへ」に続き巫女を思うというテーマで近々、UTAブックさんから冊子が出ます。
学びをしている人達に、2018年、今年に募集された原稿をまとめたものですが、それぞれに巫女の時に使ってきた心、思いのまま転生を繰り返してきたことを確認するいい機会にしてください。
別に巫女ということにこだわっているわけではありませんが、今、アマテラスに向ける瞑想を継続している時ですので、どうぞ、巫女の心、あなたが巫女として生きてきたときのあなた自身にも、しっかりと思いを向けて、そして聞いてください。
そうすると、たとえば巫女の思いが生活の随所に見受けられるということで、ああ私達はずっと思いを引きずって今、生活をしているんだということを感じると思います。
肉、形、環境、状況は変わっていても、中は変わらずのままだということを確認すれば、それでは、今の肉、形、環境っていったい何なのかということが現実味を帯びて自分の中に響いてくるのではないでしょうか。
どこからでもいいんです。どうぞ、自分の中を切り崩すきっかけを作ってください。
1375) ようやく秋らしくなってきました。今年の暑さは少々身体に堪えましたが、皆さんお元気に過ごされていますか。
加齢、こんな言葉少し前には気にも留めませんでしたが、今は身近に感じています。ただそれは肉、形の世界のことであって、意識、本来の私達の世界には年齢の壁はありませんので、目を閉じて思いを向ける術を心得ていれば、何も問題はありません。
何も形がない世界。何もない。けれどあるんです。確かに響いてくる世界です。その世界を信じ切っていくことはなかなか難しいことでしょうけれど、信じ切ることが喜びの道だと私は感じています。
田池留吉、アルバートと思うことが、母なる宇宙へ思いを向けることが幸せだと伝わってくる私の思いに沿って、肉は生きていくだけだと思っています。自ずと生活様式は単純化されます。色々なものを望んで求めて生きてきたけれど、どれもこれも違っていたことだけは確かでした。
何ひとつ確かなものに出会えずに、何度人生の幕引きがあったか。それでも幸せな人生だったと自分を誤魔化してきた哀れさを、今世の肉を通して感じてきました。そういう失敗の積み重ねがあり、それが失敗だったと確認できた今世は、やはり全く違っています。
真っ直ぐに続く道を歩いていく確信が自らを導いていく、今世は転換期でした。
1376) 肉、形の世界は複雑です。賢く立ち回っていても、決して本当の意味で賢くはないということが、頭優先の社会に生きている意識には全く分からないというのが現実だと思います。
だから、その揺らがないとしている自分達の足元から崩れ去っていく現象の波が、様々なところから吹き荒れていきます。
総崩れです。それはもう決して止めることはできない流れです。
意識の流れの中にある私達だから、その流れの中で自分を見つめ直す、知っていくしか生きていく方法はありません。
宇宙のもくずとなってまだまだどれだけ苦しみの中に沈んでいくのか、これは決して大げさなことではないんです。
現実のものとしてしっかりとそれぞれの心で受け取ってください。
そのために、そこから何とか脱出するために、決死の覚悟で今世の肉を自分に用意してきたという思い、どれだけの方が心で感じておられるのでしょうか。
1377) 学びの友からメールをいただきました。一読ください。ありがとう。ともに帰る道を真っ直ぐに歩んでまいりましょう。私は幸せ者です。何はなくても幸せ。
第204回「ともに瞑想を」
異語と同時に身体から飛び出してくる感覚。嬉しさとか喜びとかが爆発して中から飛び出してくる。身体では抑えきれない思いがどんどん噴き出してくる。ああ、意識なんだ。凄い凄い波動を心は感じているんだ。肉で色々抑え込んできたと思ってきたけれど、そんなものではない。頭では決して分からない世界、波動の世界が存在する。田池留吉の波動、愛のエネルギーが仕事をするとはこういう事なんだ。何度も何度も体験させて頂いてきたけれど、やっぱり凄い。凄いとしか言いようがない。何を感じるとか、そんなことはもうどうでもよくて、ただただ凄い凄いエネルギーが仕事をしている。その波動を感じて、嬉しい、喜び、お母さん、ありがとうがただただ飛び出してくるのが心地よい。こんな時間と空間が与えられていることほど幸せなものはない。どんなにしても得られなかった喜びと幸せがこの異語を通して心に浸透していく。ああ、嬉しい。幸せだ。本当に凄い凄い時に肉を持たせて頂いたんだなとつくづく感じる。嬉しかった。ただただ嬉しかった。
204のポッドキャストを聞いてともに瞑想しました。
軽やかに軽やかに流れている波動、どこまでもどこまでも流れていく波動。広い広い空間の中を軽やかに広がっていく。そして、最後はふるさとの歌のリズムとともに異語が溢れてくる。優しい波動の中での瞑想でした。
日々、ポッドキャストを聞いて瞑想する中で、最後は必ずふるさとの歌を歌っています。
そんな日々の生活の中で「人と動物のいる風景」の本の目次を見た時に、英語と日本語が並んで書かれているのを見て、とても嬉しかったです。そして、3日前から、瞑想の時、そして、ふるさとの歌を歌う時、自然に異語に変わりました。どうしてなのか分からないけれど、自然にそのまま続けてきました。自分の思いが素直にストレートに流れて消えていきます。そんな中で今日のポッドキャストでした。素直な思いで、日々の実践を続けていける今を喜んでいきます。
波動が仕事をする。至れり尽くせりの中で学ばせていただいています。素直な自分を蘇らせていける愛に帰る道、250年後が待っていてくれる。
異語とともに瞑想を続けます。ありがとうございました。
1378) 総崩れの現象の中であなたは何を思うのでしょうか。何を叫ぶのでしょうか。瞬間思う、田池留吉を思う、お母さんを思う、ありがとうと言える、難しいことかもしれません。難しくしてしまったのは私達です。肉を本物として生きてきたあまりにも長い時間です。しかし、難しいけれど決して不可能ではないことを知っていきましょう。
そうお伝えします。だから、日々の心の管理、針の向け先の確認を怠らずに、どんなことがあっても、言われても、ふうっと丹田呼吸をして喜びの自分の世界に時を置かずに戻っていけるように。
尤も、これは、喜びの世界が本当の自分の世界ですと、私は愛ですという確信が芽生えていなければということが大前提にありますが、日々のトレーニングが大事です。
そのトレーニングを重ねていく日々の中にこそ、今ある喜びが見出せるのはないでしょうか。
1379) 田池留吉、アルバート。心から心からそう呼びたかった。そう叫びたかった。こんなにも求め出会いたかった思いの中に、今肉を持っています。
肉は何のためにあるのか、やっとやっと肉がある喜び、肉を持っている喜びと出会えた今世です。
帰るところが分からずに苦しみ続けてきた自分の意識の世界に、ようやくこの今のひとつの肉を通して伝えることができたこと、確たる喜びを感じています。ここを突破口にして、どんどん次元移行へ向けて流れていく意識の世界です。どんなに苦しみ喘いできたか。宇宙の覇者など存在しなかったんです。
自分を自分で躍らせ、そして自ら苦しみの奥底に進んでいった過去の思いがぎっしりとあります。それでもそれは次から次へと明るい方向へ向かっていける今が確かにあることは揺らがない現実です。
田池留吉の肉がある間、学びの時間をいただきました。まだまだ綱引き状態かと何度か訊ねていただきました。
ようやくそこから抜け出すことができたから、その時期を迎えてあとは250年後にという準備を整えて、田池留吉の肉は目の前から消えました。私はそのように理解しています。
決して踏み外すことのないように心して歩みを進めていこうと、私はいつもそこへ戻っています。
1380) 204回目のポッドキャストが殊の外反応がありました。
異語です。異語を聞いてそれぞれに何かを感じられているようです。異語を聞いてというのは、もう言うまでもなく耳でというよりも心で波動を感じるということです。
宇宙と言えば、人によってはまだまだ漠然とした感覚でしかないかもしれませんが、宇宙を思う瞑想は、実は私達が本当に心から待ち望んできた瞑想と言ってもいいと思います。
宇宙を思いたい。思いっきり宇宙を心に広げたい。宇宙と思うことがこんなにも幸せで嬉しくてすごいことだったと、初めて今世初めて私達は心で知るところとなりました。
過去は宇宙と思えば、闘い、恐怖、冷酷、狂い、そんなブラックのエネルギーしか感じられなかったのではないでしょうか。
実際、今世も田池留吉の肉とともに田池留吉の意識の世界の中で宇宙と思うことは、最初の頃は恐怖以外にはなかったという体験が私にはあります。
それが段々段々変わり始めてきた手ごたえがあって、ようやく、宇宙と思えばただただ嬉しい、ありがとう、ごめん、間違ってきたよ、ありがとうそういう瞑想へとなっていきました。
異語、宇宙語と表現してもいいかもしれませんが、異語でどんどんどんどん語ってみてください。
以下、学びの友よりのメールです。一読ください。
異語は、波動。宇宙の波動を奏でるリズム。何とも言えない波動が心の中に広がって染み込んでいく、こんな感覚は初めてです。
異語から伝わってくる波動が心の中でこだまするよう...。セミナー会場で種水を目にした時と似ています。あなたは愛ですという波動を受けて、田池留吉、ありがとう。と私の心が叫びます。一瞬しか種水を目にしていないのに、その波動が私の中で流れ続けます。異語を耳にしているうちに、その異語が波動となって私の心に響いてきます。
心に感じる波動の世界を心に広げていくのですよ。そんなメッセージが同時に湧いてきます。真実の波動、心に響く波動、思うということは心に広げていくということ。異語も種水も、波動を伝えてくれている。意識の世界が確かに存在する。こうやって肉体を持っていることで、目で見て、耳に聞こえて、心に響いてくる体験をすることができる。何とも言えない嬉しい体験です。
今まで私の中で異語は苦手というか、自分が異語を発するということはあまりしっくりきませんでした。でも異語は波動を伝え合う、呼応し合う、喜びの作業。初めてそう感じられました。これから異語を聞きながら宇宙を思う瞑想をしよう、そう思っています。このような機会をありがとうございました。
1381) 学びをするか止めるか、迷っている人は止めてください。そんな迷いの中で学びを進めていこうとすること自体、自分に失礼です。
自分に失礼、そんなことも分からなくなってしまったという現実です。
そんな地に落ちてしまった意識の世界を引き上げ、救い上げていくには、それ相当の覚悟が必要です。自分に失礼なことばかりをやり続けてきたのだから、それを修正するにはもちろん様々な痛みを伴います。
しかし、修正のチャンスを用意してきたんです。何もかも承知でやり直していこう、本来の自分の生き方に戻していこうと、自ら決死の覚悟でチャンスを用意してきた、その奥深い本当に奥深い思いに触れていかなければ、どんなにしても幸せになれるはずはありません。
お金で神で幸せになれるならば、私達はとっくの昔に幸せになって、転生などしてくる必要もなかったのです。
あなたの中の田池留吉に思いを向けて、あなたの中の母の意識に思いを向けて、しっかりと知ってください。
1382) 心が叫ぶ。心が求める。愛へ帰ろう。私のふるさと愛へ帰ろうと。その叫びをその思いを全部押し込めてきたのも自分でした。肉、形を本物として生きてきた時間の中で、全部全部捨て去ってきました。
「そんなあなたではありませんか。そんなあなたなんですよ。それを私はあなたに知っていただきたいと、このようにして肉という形を持ってあなたの目の前に現れました。はっきりと真っ直ぐに言いました。
あなたは何も知らない。自分の本当の世界を知らずに、全く哀れだ。そんなあなたの心の声をきちんと聞きなさい。それからです。私にどんな思いを向けてこようとも私はあなたのすべてを受け入れています。私に思いをどんどん向けて、あなたの中をきちんと見るんですよ。私はあなたがそれをしっかりとやってくれることを首を長くして待っています。」
そんな思いとともに私は学ばせていただきました。
本当に待っていただきました。道が見え開いていくのを待っていただきました。あとは私達次第です。250年後に出会いを持つ私達です。この出会いをしっかりと活かせるように、今世の肉を持つ時間、真摯に淡々と自分と向き合っていく喜びを広げてまいりましょう。
1383) 幸せも喜びも温もりもみんなみんな違っていました。本物を知らないうちは、肉の幸せ、喜び、温もりがあればそれでよかったんです。しかし、知ってしまいました。次元が全く違うことを知ってしまいました。
肉があれば肉の幸せ、喜び、温もりを求めます。しかし、それには限界があります。条件、環境が変われば変わっていく可能性は否定できません。だからそれらには裏表があります。場合によって簡単にひっくり返るということです。
けれど、本物は違います。決して変わらない幸せ、喜び、温もりでした。
すごいと思いました。肉を持ってそういうことを学ばせていただくことがすごいと思いました。そしてそれは自分達の世界が心から望んで待ってきたことだと思いました。ということは、私達もすごいんです。ただし本物の自分を知っていけばということですが。
知るチャンスを自分に用意してきたこと、これはこれはどんなに感謝してもし尽せないそんな思いでいます。
1384) 生きていれば色々とみんなあります。あっていいんです。あって当たり前です。ただ、それを掴んで苦しんで悩むということが違っているんです。
あるのは喜びの世界だけ。ここをしっかりと信じられる自分に変わっていきましょう。
そうしないと、ひとつ悩みが解決してもまた次、形を変えて問題が発生してきます。それらは何のために起こってくるのかという根本的なところを解決しない限り、事が起こっては苦しみ悩み解決しては喜ぶ、けれど喜んでいたのもつかの間、また次の難儀な事態が沸き起こってくるということでしょう。そして、また苦しみ悩む。この繰り返しの中で人生の幕を閉じていきます。暗い循環の中で、人生の幕が開き、幕を閉じていくことを永遠とやってきたのです。
その循環を明るい流れにしていきましょう。どうすればいいのでしょうか。難儀な事態だと思う思いを変えていくんです。これは難しいことだけれど、その暗い循環から抜け出していくには、それをする必要があります。
つまりは意識の転回です。肉から意識へ基盤を変えていく以外に方法はありません。
人生は喜びです。これをしっかりと自分の中心に据えて、自分の根本を見直してまいりましょう。
1385) 10月のUTAホール志摩セミナーも喜びのうちに無事終了しました。ありがとうございました。一泊二日の4時間ですが、それぞれの心に何か響くものがあったならば幸いです。
学びの友とともに瞑想をする時間を共有して、それぞれに自分の生きていく方向を見つめ直すひとつのきっかけになればいいと思います。
色々な事情で二泊三日のセミナーには行けないけれど、一泊ならばという方もおられるでしょうから、そういう方達には、UTAホール志摩という場所はありがたいのではないでしょうか。またともに学ぶ機会があればぜひUTAホール志摩にお運びください。
本当に学びたい方達といっしょに学んでいきたい、心からそう思っています。間違い続けてきた転生の山積みの中から、それぞれどうぞ這い上がっていきましょう。250年後に思いを馳せ、今世をどうぞあなたの転換期にしてください。そういう思いを乗せて、ディアアマテラス、親愛なるアマテラスの瞬間波動のお勉強を今回もさせていただき、私は嬉しく思っています。
1386) 私は私の決めてきた予定のコースを歩み続け真っ直ぐに自分の思いを遂行していきます。
固い決意のものに生まれてきた今世です。どんなに本当のことが知りたかったか。あれも違う、これも違う、そんな苦しみの転生ばかりの末、ようやく出会いを持ったのです。
何としても今世の出会いをあと一回の最後の転生、250年後に繋いでいくという思いの元にずっと学んできましたし、今もそうです。
そうです。私に残された転生はあと一回です。その一回は本番です。絶対に失敗はできない。だから今世なんです。今世、今世でやるべきことを消化して準備を万端整えて、本番に臨むという計画を自ら立てました。
そういうことを瞑想の中で確認しつつ、今の肉、環境を思っています。
田池留吉の意識の世界が一つの肉を持ってきてくれたこと、それはそれはすごいことでした。
1387) 本来の自分の生き方、存在の仕方をしっかりと思い起こし、その思いとともに生きていけるようになれば、そこから新たな喜びが感じられるでしょう。今までとは全然違う喜びの中にあったこと、それは全部自分の中にあったこと、はっきりと感じると思います。
いつも見ている風景、それは変わらないけれど、自分の中が変わっていくから、見ているようで見ていない、聞いているようで聞いていない、そんな生活ができてくるのではないでしょうか。
肉、形の中に深みにはまらない、掴まない、握らない、こだわらないということが自然になってくると思います。
楽に生きましょう。そうです。自分の中に思いを向けて、どこまでも広がっていく意識、波動の世界にある自分をただ思っていけばいいのです。
1388) 私は私の宇宙の中に生きている、存在しています。みんなそうです。あなたもあなたもみんな自分の宇宙の中に生きているんです、存在しているんです。決して形の中に生きているんではないんです。
宇宙、その宇宙の住み心地がよければいいんです。風通しがよくていつも優しい温かい温もりが感じられて、その中で委ねていける幸せ、喜びを感じられる宇宙であればいいんです。そのように私達は学んできました。学ばせていただきました。
どうぞ、それぞれの心で感じられることを喜んでください。学んできたことをしっかりと育んでいけるかどうか、それはあなた次第です。
もちろん、今世、田池留吉の肉とともに学ぶ時期と合わなかったけれど、今世学び始める方達がいます。確かに田池留吉の肉とともに学べなかったけれど、今世学ぶ計画を立ててきた方達です。それはそれぞれの計画だからそれでいいのです。今世の学びをそれぞれの転生に繋いで、最終時期250年後に集結していけるようにする、その点に関しては、田池留吉の肉とともに学んだ方達と何ら変わることはありません。
どちらにしても、今世学びに触れたこと、決して自ら無駄にしないように心掛けていきましょう。ラストチャンスと心得てください。
1389) 真っ直ぐに自分の中の切なる思いとともに、本当の自分とともに歩みを続けていく、こんな幸せな人生はありませんでした。
すでに道が見え真っ直ぐに続いていることを確認している今世の時間です。それをしていくために今の肉を自分に用意したんだとはっきりと感じられることが、何よりも幸せなことだと思います。
肉の喜び、幸せ、温もりを求め続けてきました。儚く消えていく寂しさ、空しさを何度も味わいながら、求めずにはいられなかった自分の哀れさをしっかりと知り、苦しみの中から何とか抜け出していく術を学ばせていただいたのが今世でした。
もういいと思いました。自分が勝手に握って掴んでこだわって、本当に自作自演の中で苦しみを上積みしてきただけのことだと思いました。
ともにある喜びを真っ直ぐにストレートに伝えてくれた波動の世界を何度も感じさせていただき、学ばせていただきました。
ありがとう。本当にありがとう。もう自分を決して裏切らない、本当の自分の思いをしっかりと抱えてこれからの時を通過してまいります。
1390) 私は何のために自分が今、肉という形を持っているのかを心で分かっています。だから、私は私の思いに素直に真っ直ぐに応えていくことをやります。
私に用意して残っている肉の時間、ただその思いを中心に据えて生活をしていけることを喜んでいます。
もちろん、肉は愚かだし生活をしていれば色々とありますが、しかし、私はふうっと思いを向けて針を合わせる術を心得ています。
もう決して肉のことで深みに自らはまっていきません。いくはずはありません。心に感じる世界は決して揺らぐことがない、そうしっかりと思えるほどのものを感じているからです。
アルバートの波動と出会いたかった。待って待って待ち望んできたことを田池留吉の肉とともにきっちりと学ばせていただきました。
それは私にとって何よりの宝物です。ここをしっかりと抱えながら、私は次元移行へ向けて直進できる幸せを感じています。
1391) これまでの転生そして学びに集う前の今世の時間。それと学びに集い学び始めてから来世の転生を迎える時間。
両者は全く違うものになるはずです。またならなければ意味がありません。
せっかく用意してきた絶好のチャンスです。生き直し自分を本当に見つめ直す絶好のチャンスです。
今世の時間を大切にというメッセージが繰り返し出てきます。
自分に自分が伝えているメッセージを決して無駄にしないようにと、私は私の歩みを進めています。
誰も何もどうもしてくれないんです。投げやりでそう言っているのではなくて、自分の中の愛、愛の自分を信じていく方向に生きていきなさいということを明確に伝えてくる思いを真っ直ぐに受け取っていけばいいということです。
信じて待ってくれていた本当の自分の存在を感じていく人生。こんな人生今までただの一度もなかったことだけはみんなに共通するところです。
さて、そこからどちらの方向に一歩を踏み出すか、今世は大きな岐路です。
1392) 学びの友からの質問です。
1391)読みました。
学びに集い始めてから来世の転生を迎える肉の時間、その間は田池留吉の肉も塩川香世さんの肉も、真実を伝えてくれる肉のない中で、私は一体どんな生き方をしていくんだろうという思いが出てきました。
今世の時間を大切にという自分からのメッセージを決して無駄にしないようにと・・・でも真実を伝えてくれる肉のない間、私はまたまた、地に落ちたままで真っ黒の上塗りをしていくだけなのでしょうか。
今世学んだことはしっかりと自分の中に確立していれば、何度かの転生の中ででも、真実を伝えてくれる二人の肉がない間でも、自分の中の喜び温もりを思い出していけるというのか、感じていくことができるのでしょうか。
私はこのメッセージを読んだ時に、ふと、そんな疑問が出てきたので聞いてみたいと思います。
田池留吉に聞きます。
はい、確かに真実を伝えてくれる肉は、今世から250年の間のそれぞれの転生の中ではございません。ですが、あなたが今世の学びの中でしっかりと自己確立をされたならば、その効果が250年後の転生に反映されるということをお伝えします。
まずは今世の学びをしっかりと自分の中で果たしていくことです。自己確立の道をしっかりとつけるということです。そこにポイントを置いてください。そして、あなたの今世から250年の間、何度かの転生があると言われていましたが、そうです、その転生の間、真っ黒の中で地に落ちたまま、真っ黒の上塗りをされるということです。しかし、250年後、出会いがあります。肉との出会いがあります。何もみんながみんなアメリカの地に転生をしてくるというわけでもなく、その必要もありません。ただ、私達は肉というものを同時期に持たせていただいて発信します。
肉を通して、波動、宇宙、真実の波動の世界を発信するということです。その波動を受けて、あなたの中の今世の自己確立の度合いによりますが、その波動を正しく受け取って、そして次元移行を達成できるというわけです。ですから、すべては今世です。今世がすべてです。今世の学びこそがすべてです。今世、あなたの自己確立に努めてください。
1393) 漫然と学ぶのでなく、漠然とした喜びではなく、しっかりと学んでいきましょう。自分の肉を通して様々な肉の情報が入ってきます。それらを肉を生かすために、肉を高めるために、肉を認めさせるために活用するのではなく、自分の中の地獄を確認するために活用してください。
今世、学びと出会い学び始めたという事実はすごいことなんです。
全部、自分の計画ですが、その計画を予定通り遂行していくことに専念してください。
自分と自分の学びです。誰も救いにきてくれません。地獄の奥底から脱出する目途が立たなければどうすることもできません。
一応、今世の学びによりその目途を立てても、1392のメッセージ通り、250年の間にある何度かの転生では、真っ黒の上塗りをしてしまいます。ですが、今世の学びの出来次第で250年後が見事に変わっていくということです。
それほど、250年後、最終転生の喜びの発信はすごいということです。特に、肉を持たない意識の集団の目覚め、いわゆる闇黒の宇宙の目覚めの勢いはすごいです。
だから、母の温もりをしっかりとして、今世、自分が生まれてきた意味を本当に心で分かりつつある方は、宇宙に向けてどんどん瞑想をしてください。
1394) それぞれみんな本当のことを自分に伝えるために、今、こうして肉を持って学ぶチャンスを用意してきました。
それは自分の計画です。何としても本当のことが知りたい、そして何としても本当のことを自分に伝えたい、そんな思いをそれぞれに抱えて生まれてきたのではないでしょうか。ああそうなんだと聞いてそう思うのではなくて、そのことをあなたの心で感じてみてくださいということです。
しかし、本当に感じていくには瞑想、正しい瞑想ができてこなければなりません。
そうでないと、そんな切なる思いが響いてきても、それをかき消すエネルギーがまだまだ優位にある状態から脱し切れないから、同じところをぐるぐる回っているだけなんです。その状態はぐるぐる回りながら上がっていくというものではなく、ただ回っているだけ。つまりは歩みの一歩を踏み出せていない状態ということです。
一歩踏み出したかと思えば一歩後退。同じところで足踏み状態ならまだいいほうで、場合によっては後退しているかもしれません。
半端な思いで学びに集ってきたのではないことだけは確かなことだと、それぞれの中で自覚を深めてください。
いつまでも苦しいとか分からないとか言っている場合でなく、苦しかったらなぜ苦しいのか、分からないというのはどういうことなのか、真剣に自分と向き合ってください。
1395) 先行き不透明な肉、形の世界です。一寸先は闇。まさにその通りです。今はもう何が起こっても不思議ではありません。想定内、想定外を問わず、様々なところから崩れ去っていく肉、形の世界です。
しかし、先行き不透明なのは、肉、形の世界だけではないのではないでしょうか。
意識の世界、これから存在していく自分自身の状態は、先行き不透明な状態ではないと言い切れますか。
しっかりとした自己確立がなければ言い切ることは難しいでしょう。
自分の本来生きていく方向をしっかりと見定めて、今、肉を持っている今、本物の世界と出会っていきましょう。
偽物ではなく本物です。250年後は遠い先のお話ではないんです。今が250年後だと言ってもにわかに信じることは難しいでしょう。そこまで思えなくていいから、250年、300年に至る地球上での出来事は想像を絶するものだということくらいは、それぞれの心で感じられるようになってください。三次元最終を迎えるということは厳然とした事実だということも。
1396) 何も持たずに生まれてきたのだから、何も持たずに死んでいくのです。
今度こそという思いを抱えて生まれてきたのだから、その思いを確認しながら死んでいくのです。
生れてきて死んでいく、また生まれてきて死んでいく、その繰り返しの中でいったい何を学んできたのでしょうか。学ぶどころか自分を落としていっただけの転生でした。
何度失敗しても、それでも自分の中の愛に目覚めたいとそう思ったから、自分に肉を持たせてきたということでした。そんな思いを自ら踏みつけにして、我一番なりと言い続けてきたことが、本当に哀れでしかありませんでした。
今、ひとつの肉を通して自分の中の宇宙を感じていける時間を用意しています。ずっと喜びと温もりの世界とともにあったことを確認できる時間を自分に用意できたことを幸せに思っています。
ともにある確信を強く深めていく時間の中に生きていけばいいと伝わってきます。伝わってくる思い、波動を大切にしています。
1397) 2019年、元号が変わります。私は、2019年3月に60歳を迎えます。2019年、亥年。私自身、またひとつ意識の流れの中で、転機の年となるように思います。
次元移行を果たしていく意識の流れの中で、肉、形の世界に起こる出来事、現象は何ひとつ不必要なものはないことをしっかりと心に留め置いて、真っ直ぐに歩いていくだけだと思っています。
どんなこともそれを後押ししてくれる現象だととらえ、ただひたすらに自分の決めてきた道を真っ直ぐに歩いていける喜びを感じていく人生の時間となるように、お互い可能な限り学んでまいりましょう。
もうすぐ11月の志摩セミナーです。ともに心を向けていける時間と空間があります。どなたもそれぞれの中に抱えている宇宙とともに、心を向けてまいりましょう。宇宙は愛、愛へ帰る道をともに行きましょう。
1398) 思う喜びと思える喜び。あなたの中でしっかりと育んでいますか。
思う喜びと思える喜びです。そんな喜びとどんどん出会ってそして、自己確立の道を歩んでまいりましょう。
幸せな私達でした。元々幸せな私達でした。そう気付いていく、そう知っていくのにたくさんの転生を経てきました。
失敗の山積みで、宇宙に垂れ流してきた闇のエネルギーを回収していくのは大変ですが、それを成し遂げないことには次元を超えていけないのです。
厳しい意識の世界ですが、超えていこうという呼び掛けがあるということは、決して不可能なことではないと知ってください。
1399) 私達は何度転生を繰り返しても、真実の世界が分かりませんでした。肉基盤が間違いの根っこだったと今世の肉の耳を通して情報を得ても、なかなか心で分かるということは難しいのが現状です。
ですが、肉、形の世界が色々なところから綻びを見せ始め、いったい本当のことって何だろうかと考える人が増えてくるこれからです。
仕事が順調で家族にも恵まれ一応この世的な成功者と評価をいただいても、さあ本当のところはどうでしょうか。
ひとつの目標を掲げて自分を鼓舞し人生を謳歌しているかのように見えても、死ぬまで順風満帆の人生とはいきません。
仮に、自分の思いが全部叶えられた人生であったとしても、死んでしまえば雲散霧消です。
そういうことを本格的に自分の心で知っていくことが、知っていこうとすることが大事なのではないでしょうか。目の前の出来事に一喜一憂して、自分が生まれてきた本当の意味も知らずに、大切な肉を持つ自分の時間がなくなっていくことは絶対に避けたいところです。
今世の転生をしっかりと活かして、本来あるべき道を歩いていきましょう。
世の中は濁流です。肉を持っている以上、その濁流と無縁というわけにはいきません。流れながら流されない生き方をそれぞれが習得して、ごめん、ありがとう、嬉しいの喜びの人生の時間を可能な限り持ってください。
ともに行こう、そんな呼び掛け、いざないのほうにしっかりとあなたの心の針を向けて合わせて次の転生の足掛かりをしっかりとつけてください。
1400) 学びに何を求めているか、いわゆる学びをしている動機をしっかりと確認してください。そしてその動機が間違いだと確認したときは速やかに修正に取り掛かってください。そうしないと学んでいるつもりでも、実は学んでいないということになります。
動機の確認そして修正、これは非常に重要です。学びに何を求めているか。本当に喜びだけで学んでいるのか。しっかりと自分に問うてください。
そのうえで、瞑想を継続して、これだ、この道しかないと自分の中ではっきりと感じたならば、もう真っ直ぐにその感じたものをより深くより強くより広く、自分の中で育むようになさってください。
真っ直ぐです。寄り道をしないでただひたすらに真っ直ぐに自分の決めてきた道筋を力強く歩んでいくことに専念です。
もう時間は残されていません。まだまだあると何となく思っているかもしれませんが、本来の軌道に自分を乗せていく難しさを思えば、そんな悠長なことは言ってられないのが現実だと思います。
1401) 11月志摩セミナー、ありがとうございました。間違ってきた私達ですけれど、こうしてやり直せるチャンスに恵まれていることに感謝です。
私は今、少々歩きづらい状態なのですが、色々な方のお世話をいただきながら、今回のセミナーも無事終了できてほっとしています。
今世、学びに集うことができた私達です。田池留吉の肉を通して懇切丁寧に学ばせていただいたことに、ただただありがとうしかありません。
その思いを真っ直ぐに自分の中に広げ育んで、そして愛、自分達のふるさと愛へ帰る道を一歩進めてください。
宇宙と思えば、ただただ嬉しい、ありがとう、ありがとう、私はあなたの宇宙へ帰ります、そんな思いが溢れてくる喜びの中へ、どうぞ、ご自分をいざなっていきましょう。
ともに波動の世界を学べる今、心から嬉しいです。
1402) 何よりも大切なこと、何よりも何よりも大切なもの、どうぞ、それぞれの心の中に、意識の中にしっかりと確立してください。
肉、形の中で無難にまたは器用に生活をしても、もうお分かりのように行先真っ暗です。地獄の奥底に沈む転生からの脱却を真剣にしてください。
広々と開けた温かい温もり、喜びの中へ帰っていく、戻っていくチャンスの時をしっかりと活かして、ともに母なる宇宙を目指していきましょう。
250年後の最終転生に合わせて、どんどん正しい瞑想を重ねてください。
アルバートの波動と出会いたかった私達なんです。心から心からそう切望してきたこと、あなたも自分の心で味わってみてください。
もう嬉しいだけです。ありがたいだけです。アルバート、心から心からそう呼べる幸せを何度も何度も堪能してください。
1403) 宇宙を思う瞑想をしていますか。宇宙を思えば、あなたの心の中にどんな思いが伝わってきますか、それぞれの中に響き伝わってくる波動があるでしょう。そこからまた一歩自分の歩みを進めてください。次元移行は宇宙とともにです。どうぞ、日々の瞑想を楽しんでください。
学びの友からのメールです。一読してください。
宇宙を思う瞑想の中で。田池留吉を思い、宇宙を思う。
異語がどんどん溢れてくる。肉の思いが薄れて、軽やかに爽やかに、温もりの中で自由に羽ばたいている。明るい中に自由です。
田池留吉を思い、宇宙を思えば、異語が溢れてくる。
悲しい思い、寂しい思い、恐怖の思い、怒り、憎しみ、呪い、恨み、私は正しい、立派、特別、全てが肉の自分を握っている。そんな握り続けてきた自分のことを今、気付かせてくれます。敵も味方も、プラスもマイナスも、特別と思う存在も全部偽物の私が作り出した世界だった。
偽物の私が肉で抱えているもの、握っているもの、掴んでいるものを、どんどん少なくしていくだけです。身軽になれる喜びを大切にしていきます。偽物の私は、無知でエゴで欲深かっただけでした。そんな自分が宇宙を思い異語を語れば語るほどはっきりと見えてくる。何もいらなかった。明るい波動か、暗い波動か、自分から流れる波動がはっきりと分かればいいだけだった。自分から流れる波動を感じていけることが、どれだけ大切かを自分が自分に教えてくれていた。間違ってきた自分を知る恐怖から、間違い続けてきた自分を認めて受け入れていける自分に変っていける喜びを、感じています。ともに帰ろう。ともに帰りたい。その思いは同じでした。一つです。
田池留吉を思い、宇宙を思う。異語で語れる一人の時間を大切にして、瞑想を続けます。幸せです。
1404) 2018年も2か月を切りました。NPO法人UTAの輪からいただいたカレンダーをふと見れば、愛、心のふるさとへ帰ろう。とあります。
ともに帰る道をそれぞれの心の中に見つけ、喜びの人生としていきましょう。
どんなに苦しみを重ねてきても、喜びの人生に自らをいざなう計画のもとにあります。これこそ、私達が愛でしたという確たるものです。
母の思いを決してもう無駄にすることなく、自分に優しくそしてしっかりと正しい生き方を可能な限り学び取って、今の肉の時間を終えていきましょう。
私達は自分の中に戻っていくしかないんです。外へ求めても何も得られなかったということを、はっきりと知ってください。
母に抱かれていた安らぎの時間に帰っていくことがすべてでした。
荒れ狂う自分の中の闇の世界も、そうしてくれと切に思っています。
そうできる術を伝えていただいた私達ですから、あとはその喜びと幸せの仕事をしていけばいいだけです。自分の中が崩れていく喜びを存分に感じ、本物の喜びと温もりの世界を広げてまいりましょう。
1405) 肉は本当に愚かだと思います。愚かだから、恵まれた中にいても恵まれているということについて鈍感になります。ついつい当たり前として受け取ってしまいます。当たり前でなく、意識の世界を最大限学ぶために私の意識の世界が用意したものだから、今世の学びの最終段階として、ゆったりと過ごす計らいを、愚かな肉も喜んで受けていこうと思います。
ここ2、3日、家の近くの公園に何年かぶりに行っています。優しい秋の日だまりの中で木々も紅葉していました。
そう言えば、愛犬が死んでから、私は家の近くをこうして散策することをしてこなかったと思いました。
散歩と言えば、少々足を延ばしたところにある大阪城公園ばかりを思っていましたが、こんなに近くに手頃な散歩コースがあるのが、今の私には助かりです。前は自転車で動いていましたが、歩きを主とした生活もいいものだと思っています。
これからさらに私の肉の時間はゆったりと流れると思います。ゆったりと流れる時間の中で、思うは田池留吉、そして思うはアルバート、宇宙と今世の肉ある時間を楽しんでいこうという計らいです。
もうお金を稼ぐ必要もないし、あとは残りの今世の肉を持つ時間、250年後の来世の私とともに学びます。
1406) 瞑想、瞑想といっても、暮らしていく中で、するべきことをおざなりでいいということではありません。
きちんとするべきことはして、つまり生活のリズムをそれぞれ整えて、身体も心もリラックスして瞑想をしましょうということです。
肉的に忙しくて身体も心も疲れた状態で瞑想なんてできるわけはありません。
瞑想をする時間の長短云々の話ではなく、きちんとした瞑想ができる環境が整っているかが問題です。
それが生きていく中で最も重要です。何のために今、肉を持っているのかというところに戻ればそれはそうです。
ひと財産築くため、家族を形成するため、肉の己を高みに置くため、そんなことで生まれてきたのではないことをしっかりと自分の中で確認してください。
肉を持つ時間は限られています。限られた中で、さらに学びをしていく時間は限られています。そこのところもしっかりと確認してください。
1407) 意識の世界は分かっていけば、非常に簡単です。プラスもマイナスもない、みんなプラスだからです。
こっちかあっちか迷うことも悩むこともないんです。ただ一本の道が真っ直ぐに続き、その道を歩んでいけば必ず広がっていく温もり、喜び、安らぎの世界があることを自分の心は知っているから、もうひたすら真っ直ぐです。
母の意識が伝え続けていた世界が確かに私の世界でした、私でしたとなってきます。
田池留吉の肉は、そのことを私達に伝え続けてくれました。ありがとうしかないです。
思うは田池留吉。肉の終わるその瞬間まで思うは田池留吉一筋の道を生きていきましょうということです。
メッセージ通り、あなたもあなたの歩みを確認して、ともに喜び、幸せの元々あった世界へ戻ってまいりましょう。
愛を捨て狂い続けてきたことを自分に心から詫び、そして生き直してください。
1408) 幸せを知っていきましょう。本物の幸せと喜びをその心で知っていきましょう。何も要らなかったんです。思える心を持っていました。もちろんこの心というのは、死んでも、つまり肉体が無くなってもある意識の世界です。その意識の世界こそが私達の本当の住処でした。形あるものばかりを信じ追い求めてきた私達に、形のない世界がすべてだということはなかなか浸透していくことは難しいです。
しかし、信じ追い求めてきた形ある世界が悉く崩れ去っていく現実を目の前にしたとき、私達はいったいどこに心を向けていけばいいのかということに直面します。
神と祈りを捧げても、その神の世界が哀れにも醜く無残な状態であることを知っていくでしょう。
神聖な神の世界など存在ません。慈悲深い仏の世界など存在しません。
深い闇の眠りから自ら目を覚ます激動の時を迎えます。当然、痛みを伴います。痛みのまま終わるのか、痛みが喜びへと変わっていくのか、まさに激動、激震の時がやってきます。
1409) 何はなくとも、母なる宇宙へ帰る、愛、心のふるさとへ帰る道をひたすら歩いていくこと、そう決めてきた自分の中の思いをしっかりと思い起こしていきましょう。
決めてきたんです。自分自身が決めてきたこと、誓ってきたこと、約束してきたこと、今世こそ本当に思い出して、本当の自分に復活してまいりましょう。
何はなくとも幸せ。この道、この道と出会ったから。そして、今、着実な歩みを進めているから。はっきりと自分に言えますか。
みんなみんなともに帰ろう。ともに帰ることを切望していることを、あなたの心で感じてみてください。それはそれは幸せな時空に自らをいざなっていきます。そして、切望が現実となってくると、さらに幸せの深みが増してきます。何はなくとも幸せです。
1410) その気になりさえすれば、いくらでもやり直し、生き直しができる今です。本当のことはこうだと伝えていただいたのだから、あとは自分次第です。本気になって自分の人生と取り組んでいく真の勇気が必要です。
肉に埋没してそれなりに生きていくことなんて容易いことです。
しかし、それは自分の世界から目を背けて、自分を裏切っていく行為です。その思いは途轍もなく冷酷です。肉の中に馴染んでしまったならば、それさえももう全く分らなくなっていきます。
そこから、どう切り抜けていくか、やはり、そこには母の温もりのパワーが必要です。
そこをしっかりと確認していれば、自分の未来は明るいです。本当の意味で明るいです。未来が明るいということは、過去も明るい、明るい方向にいざなっているということです。だから、やり直し、生き直しができる今を何よりも大切にしていきましょう。
1411) 田池留吉、そしてアルバートと心から呼べる今があることに、喜びと幸せを感じていますか。
ともに行きましょう。ともに歩いていきましょう。ともに生きていきましょう。みんなそれぞれに環境の違いがあります。環境を始めとして肉はそれぞれ自分を知るために、自ら用意してきたものです。自分の愚かさを知るために用意してきた肉です。そこをしっかりと確認して、もう自らの思いを裏切ることなく、どうぞ、幸せを知っていきましょう。
私達は帰ります。帰れることを心で知って、その道をともに生きていく喜びを広げてください。
田池留吉、そしてアルバート。母なる宇宙へ帰る道しかないことを、一人でも多くの方が心で分かっていけば、こんなすごいことはありません。
1412) どんなに間違ってきても、生き直しができることが最高に幸せなことだと思います。生き直し、それはもちろん、基盤の問題です。肉から意識へ生きる基盤を変えていく、それが生き直しということです。
肉の中で肉として生き直すということではありません。そんな空しいことをいくらやっても、空しさだけが膨らんでいくだけです。
肉は手ごたえがあるかもしれません。しかし、その手ごたえの中身は何もありません。空洞です。そんなことも分からずにずっと生き続けてきた自分が哀れとしか思えませんでした。
あなたはどうですか。自らの思いを、切実な叫びを心で受け止めて、そしてしっかりと喜んで生き直していきませんか。
母の意識が伝えてくれた通り、その通りに生き直していきましょう。
1413) それぞれ自分に用意した時間、肉の時間です。その中でどう生きていくか、何を選んでいくか、何に思いを馳せていくか、それはそれぞれの選択です。
私はこう生きます、これを選びます、ここに思いを馳せていきますと、自分に宣言したならば、その通りにやってください。
そして、その結果を踏まえて、自分なりに生きていけばいいと思います。
その良し悪しを判定するのは自分です。そのような中に私達は存在しているということを知っていきましょう。
愛の中にあります。愛の中にあるから、間違い、過ちは必ず正されます。
それが意識の世界です。その意識の世界に真っ直ぐに生きていくことが、もうお分かりと思いますが、たったひとつの喜びの道です。
いずれ、どなたにもこのことが心で分かる、感じられる時がやってきます。
今世、学びに触れた幸せ者の私達としては、「私達は間違い続けてきた」これだけは、今世の肉を通して知るようにしてください。
1414) 「あなた、田池留吉を信じていますか。」その問いかけがどなたにもこれからさらに厳しく迫ってきます。
「はい」真っ直ぐにそう言えるならば、文句なしに幸せなはずです。
どのような状況にあろうとも、ふうっと思いを向けられる喜びと幸せの中にあることを確信しているからです。
思いを向けられる喜びと幸せです。それ以外に何もありません。
どこに心を向けるか、向けられるか。一瞬のことです。それだけです。
瞬間どこに思いを向けるかです。それですべてが決まります。それはもちろん、平時のことではありません。何もない時ではありません。
1415) 私にはたくさんの学びの友がいます。と言っても、ぴったりと心が一致というわけではありませんが、とにかく、間違い続けてきた自分の歩みを何とか正しい軌道に乗せていこうと、もがきながらも学んでいこうとする思いが感じられるから、やはり私にとっては学びの友だと思います。
こう言うと、偉そうに何様だという思いを持つ人もあるやもしれませんが、まだまだもがきながらという人、案外多いです。
それでも、10年、20年、30年と学びをしてきたからこそ感じる意識の世界の喜びです。それは絶対に忘れられないでしょう。
その思いを、どうぞ、次の転生、その次の転生に繋いで、その思いをしっかりと抱えて、そして250年後の最終転生にすうっと真っ直ぐに噴き上げてください。
ともに行こう、いざ行かん、力強い発信に集結して次元移行の偉業を成し遂げてまいりましょう。
今世の出会い、心から心から大切に自分の中で育んで、見事大輪の花を咲かせていきましょう。
1416) 肉を持って肉の中に生きていれば色々とあります。大変だ、どうしようと深刻に思い悩む時があるかもしれません。
しかし、ちょっと待ってください。その中にそのまま入りこむのではなく、やはり思いの向け先を転換していく努力が必要です。
やりきれない中からふうっと心が軽くなる瞬間を何度も何度も体験していきましょう。
何度も暗い思いが覆いかぶさってくるかもしれません。それでもその思いの中に沈むのではなくて、何度覆いかぶさってきても、それと同じようにその思いをふうっと嬉しい方向に向けていけたならばそれでいいのです。
その練習を今、させてもらっています。自らの思いでした。うまくいかなくても、何度も試みていきましょう。どんなに愚かでもただ信じて待ってくれている存在を感じて、日々練習を積んでいきましょう。
1417) 肉の喜び、幸せ、色々とあります。欲を満たすということで、人それぞれ肉の楽しみ方があります。
私は、その中でも何もしないで、何も考えないで、ただ思いの世界に漂っている時間、そんな時間が肉を持っている間に堪能できる環境であることが、一番幸せではないかと思います。
何もしないで、何も考えないで、ただ思いの世界に漂っているということは、自分のふるさとに思いを馳せてその中にあることを感じているということに繋がっていると思うからです。
肉は確かにここにあるんだけれど、もうそんなことはどうでもよくて、限りなく自分の思いの世界を感じていく安らぎです。
闘いのエネルギーに疲れ切った中ではなくて、温もりと優しさ、安らぎの中で漂っている、そしてただ漂っているのではなくて、そうすることで確実にプラスの仕事をしている、そういうことが感じられる時間を、肉を持っている今、何度も何度も持てることほど幸せなことはないと私は思っています。
1418) 一番大切なものは何か。一番大切で自分が一番望んできたことはどんなことか。学んでいるから正解は知っています。しかし、肉として肉の中で生きてきた時間は膨大です。その中で作ってきた思いの世界があります。その世界を根本から崩そうとなると、本当に本気で真剣にならなければ、そう簡単に正解通りにはいきません。
肉という思い、形を本物とする思い、どんなに自分の中にこびりついているか、確認、確認です。
心が敏感になってくればくるほどに、自分の生きている基盤をしっかりと確認することが大切です。
ともに行こうといういざないは、肉が基盤では通用しません。
肉の基盤のともに行こうというのは分かりやすいんです。がっちり手に手を取って進んでいこうというイメージは出来やすいです。
しかし、意識が基盤のともに行こうはどうでしょうか。
形はないんです。波動の世界を信じ切るという難しさは当然にあると思いますが、どうぞ、心に響き伝わってくる方向にあなた自身をしっかりと合わせてください。
1419) いかに生きていくべきか、何を思うべきか。一日が始まり、 一日が終わるその中で、きちんと向き合う時間を持ってください。
私達は遥か遥か昔に、この地球上に降り立ちました。今のような肉という形を自分に用意して、自分の世界を知っていこうと計画を立てました。
肉という形を持って生きていく中で、様々な肉との出会いがあり、出来事がありました。
本当はそれらはみんな自分の世界、意識の世界がどんな世界になり果てたかを知るためのものでしたが、私達は、肉の活用を間違い続けてきたのでした。
いつの間にか、肉という形が自分だと思い込み、信じ込み、その肉に纏わること、纏わるものだけを重視してきました。自分から流れるエネルギー、すなわち自分の実態を知ることなどどこへやらの転生を山積みしてきました。
その結果、私達はどうなったか、それは学びに触れた人であるならば、自分の死後の世界を知っていくことでお分かりだと思います。
肉を持っている今、肉を持ちながら死後の自分を知り、その死後の自分から教わってくださいということは、学びの中で何度も伝えていただきました。
自分を生かすも殺すも自分次第だということ、よくよく肝に銘じて、それぞれに残された肉を持つ時間、どうぞ大切にしてください。
1420) 田池先生が亡くなられて、まもなく丸三年の年月が経ちます。肉の思いとしては手探り状態でセミナーをやってまいりました。もちろん、田池留吉の意識の世界から、あなたの肉を通して、私はセミナーをやり続けますというメッセージをいただきながら、だからこそ、肉の私はセミナー会場にこの肉を運んでいれば、意識、波動の世界が仕事をするということを体験してきました。
三年、やってきましたが、今ここにきて、己の学びに対する甘さを痛感しています。もちろん、私の意識の世界は学び一本、この道をただひたすら真っ直ぐにということに何ら変わりはありませんが、今つくづく肉の愚かさを感じています。甘かった。決して片手間でやっている学びでなかったけれど、田池先生の死去とともに形も、文字通り学び一本にするべきだったと振り返ります。
私が私に用意してきた計画を思うと、まだまだ肉のほうが意識の世界の歩みに追い付いていない現実をまざまざ感じさせられます。肉体細胞はそのことを伝えてくれていました。肉体細胞は本当に適切に伝えてくれています。
時間を持て、心を見よ、肉の心を広げよ、あなたが自分に課した計画のハードルは高い、そう伝えてくれています。
全身全霊を傾けて伝えてくれた田池先生の思いが、田池留吉の意識の世界から伝わってきます。一本やで。真っ直ぐにな。あんたのおかれている位置は急斜面やで。生前言っていただいた言葉を思い出します。
そして、波動は限りなく優しい、強くて広い。何の思いもなく、ただともにある喜びを伝えてきます。
学びは片手間ではできないことを、私は自分の肝に命じて、最終転生に向けてしっかりと学ぶ所存です。
1421) 目に見えない波動の世界を学んでいる私達にとって、心の針の向け先を合致させることが最大の難点です。向けている、合っていると思っても、まだまだズレが大きいというのが現実だと思います。
波動は常時流れています。ですが、プラスの波動をプラスのまま受け取る難しさがあります。学び始めた私達だから、何とかプラスの波動をプラスのまま受け取ることができたとしても、まだまだ次の瞬間、もうマイナスに変わってしまうという厳しい現実があります。
プラスの波動をマイナスの波動にしてしまった私達でした。基盤が肉ということはそういうことです。
基盤が肉であれば、プラスの波動をプラスのまま受けて流していくことはできません。プラスを全部マイナスに変えてしまって、そのマイナスのエネルギーで自ら苦しみの中に落ちていったという意識の世界の仕組みを心で感じてくれば、何よりもしなければならないのは、基盤の変換だということに行き着きます。
どんなに何を感じても基盤が肉であれば、ダメなんです。
それが本物の意識の世界の厳しさです。
1422) 肉から意識へ基盤を変えていくことが唯一待たれていることです。基盤を変える、そのために250年の間に転生を用意します。それが私達が自分に課した喜びの選択です。
何としても帰りたい、帰ろう、その思いの実現に向けて、日々を過ごしましょう。
肉の喜びと幸せは儚いものです。実感あるそれらだと思うその思いの底の底のもうひとつ底を感じ、どんどん自分の思いを明るい元あったところへ返していきましょう。
自分を解き放つ喜びと幸せこそ、何にも代えられないものだと知ってください。それには何も必要としません。全部自分の中にあります。愛、心のふるさとへ帰ろうといざなってくれている本当の自分の存在に気付き、その世界に沿って生きていくことだけをやっていけばいいんです。
肉は何のためにあるのか。何のための今なのか。
繰り返し自分に問いかける必要があります。
1423) この世界だ。この波動の世界だ。ここを感じ知っていれば百人力だ。もう間違いなし。
どんどんそれぞれの心の中にこの思いを打ち立ててください。
しっかりと心の針を向けて合わせて、田池留吉、アルバートを呼んでください。しっかりと思うだけです。何もなくただしっかりと思うだけ。
待ち続け待ち望んできた思いの実現に向けて、生きてください。
肉を生かす生き方ではない本来の生き方を、一日でも早く自分の中に確立してください。
心が叫ぶその叫びを真正面から受け止めて、そしてともに帰っていきましょう。
1424) ともに学べる今を喜んでいく以外に何もありません。肉を本物としてきた私達にとって、学びは確かに難しいです。みんなそれぞれに思い方、考え方、感じ方、言い分、様々にあるでしょう。
それらはみんな肉を基盤としたものだということを留め置いて、その中で、いかに自分を学んでいくかというところに、学びの難しさがあります。
それでも喜びだけです。喜んで喜んで、今、学びをしていきましょう。
肉を持って学べる今があることを喜んでいきましょう。
真摯に瞑想をしてください。そうすれば分かってきます。今世、なぜ自分達は学びに触れたのかということが分かってきます。もうどうしようもなかったからです。そして、どうしようもない自分達だったからこそ、帰りたい、帰ろうという強い思いを秘めて生まれてきたんだということでした。
瞑想をしていけば、その思いに触れていきます。大切にしてください。
帰りたい、帰ろうという思いを大切に、自分の歩みを進めてください。
1425) 今世、私達は真実を学ぶために肉を自分に用意しました。間違い続けてきた自分達にラストチャンスと言っても言い過ぎではない今世、今という時間です。
さて、あなたにはそのご自覚がどの程度ありますでしょうか。
喜んで、喜んで学びをしていきましょうと呼び掛けています。みんな間違ってきたんです。誰一人正しく生きてきた人などいません。
それでもこうして本来の自分の軌道に自分を乗せていくために、肉という形を持ってきたのだから、それは喜び以外にはありません。
田池先生の元で、田池留吉の意識の世界、真実の波動の世界を学んできた私達でした。必ず、250年後の出会いを持ってください。
250年後の呼び掛けに反応して、自分の中の喜びを爆発させてください。
そして、ともに次元を超えてまいりましょう。
1426) 今世の予習を経て、いよいよ250年後の本番を迎えます。
それぞれにその間、厳しい転生を予定されていると思いますが、必ず、必ず、250年後に合流していただきたいと思います。
今回のセミナーでは、アルバート、ニュージャージーという言葉を発し、波動を学ばせていただきました。
セミナーの二日目の午後、最後のほうで、宇宙に向ける瞑想から私の肉は、異語を発しながら、皆さんの間を回りました。
トントンと背中をノックして、そして、次から次へと皆さんの間を潜り抜けていきました。異語がドンドン出るんです。異語とともに私の身体はスルリ、スルリと動いていました。
楽しかったです。ふるさとの歌を歌いました。とても楽しかったです。
ありがとうございました。250年後の転生を感じられた友も多いかもしれません。
思いを馳せる喜び、馳せられる喜びを、どうぞ、ともにともに繰り返し、繰り返し味わっていきませんか。
思いは250年後。待ってくれている宇宙の波動とともに学んでいきましょう。
1427) 確かな幸せと喜びを手にしています。思えば通じる幸せと喜びです。
宇宙を思うとき、そして、意識の流れを思うとき、例えようもない嬉しさです。待って待って待ち望んできたことが、本当に現実のものとして心で感じられるからです。
出会えてよかった。本当によかった。間違い続け狂い続けてきたけれど、その間違いも狂いもみんなよかったんです。
失敗の転生の山積みの中で、それでもこうして目を閉じて思うことができる幸せな時間と空間を自分に用意してきました。
それを喜んでいきましょう。喜んで、そしてありがとうの思いで、自らの過ちを確認していきましょう。確認して、ピシっとした思いで、真っ直ぐに前を向いて、喜びの道、母なる宇宙へ帰る道を突き進んでいきましょう。
ともに、ともに帰れるように、中心棒を育ててください。
1428) セミナー、嬉しかった、楽しかったと学びの友からのメールを読ませていただくと、私も嬉しくなります。
今世、こうして互いに肉を持って波動の世界を学んでいける私達は、本当に幸せだとしみじみ思います。
セミナーの時間と空間を大切に、セミナーを楽しんで喜んでいきましょう。
ともに帰る喜びをしっかりと自分の中に広げて、そして日々の生活をなさってください。肉は何のためにあるのかというところを間違えてきた私達ですが、肉があればこそ学べるんだということを、ようやく感じ始めてきました。今の肉を最大限活用して、本当に喜びと幸せの人生としてまいりましょう。
それには、軸足がぶれていないかいつも点検して、自分の進むべき方向をしっかりと確認していくことが必要です。日々、気持ちを新たに学んでいきましょう。
1429) 私は本当に恵まれているんです。まず、学びに集うタイミングがよかったです。そして、学びをする環境は学びに集ってからもずっと整っていました。学びをするにあたり抵抗勢力はありませんでした。ずっと自分の思うままにセミナーに参加してきました。学びに集えてから整った環境の中で学び続けてきました。
生活ももちろん整っていました。職場を含め、私の周りにいる人達は本当にいわゆるいい人達ばかりです。私は、そんなぬるま湯の中で学んできたと言ってもいいかもしれません。しかし、それもまた私が私に用意してきたものなのでしょう。
そして、私が私に用意してきたものの最たるものは、学び始めてある程度の年数が経って、つまり予定通りの時期に、いよいよ田池留吉の肉、田池先生と最も近い距離で学ばせていただいたことです。直接指導を受けてきたと言ってもいいと思います。
それは肉からすれば完全に不公平なことだと認めます。しかし、意識の世界からすれば、必要なことだったと私は理解しています。
今の私があるのは、もちろん私自身の強い決意の結果ですが、それを一押し、二押し、それ以上にしてくださったからだということは確かなことです。出会いを心から喜んでいただいた思いをストレートに受けてきました。
そして、それはそのまま私の意識の世界の真っ暗闇を物語っています。
今世を外して私の未来はない、そういうことだと思います。
1430) 肉がある限り、ともに学べる喜びを堪能してください。肉がある限りです。肉がなくともと言いたいところですが、それは決して不可能なことではないけれど大変難しいことです。だから、せめて肉がある今、今の肉を通して自分を知っていくことに専念してください。
そして、今の段階での最終目標である次元移行を達成する方向に、それぞれの歩みを進めていただけたらと思います。
意識の流れは次元移行を伝えます。今の次元を超えていくという流れです。
粛々としてなされていくことを、それぞれの心で感じ、今世、自分に肉を用意した思いにどんどん触れていってください。
ありがとうの思いしかないと思います。どんなに宇宙を汚してきたか、地獄の奥底の底の底を這いずり回ってきた思いを心から感じてくれば、今世、計画通りに学びに繋がったことが愛だったと分かります。
ありがとう、心からありがとうと自分に伝えてください。
1431) すべてはあなたの心の中の出来事です。瞑想をして心に響いてくる世界はどんな世界ですか。
私達は帰ります。帰れることを知りました。長く、長く彷徨い続けてきたけれど、そして沈んできたけれど、そこから浮上して自分達のふるさとへ帰れる道筋を知っていくチャンス到来の時となりました。
それが今世でした。今世、田池留吉の意識の世界との出会いというすごい計らいのもとに、自らをいざなったということでした。
ただただありがとうしかないんです。ありがとう、ありがとう、心からありがとう。この思いの中で、自分の作ってきた宇宙を確認して、そして、本来の元々の宇宙へ帰っていける喜びの中へどんどん進んでいけばいいだけです。
喜びの道を示してくれました。全身全霊で伝えてくれました。その思いを決して無駄にすることなく、ありがたく喜んで喜んで全託していきましょう。すべてを委ねていけるかどうか、大きな分かれ道です。
1432) 思いを向けていけば分かります。どんなに幸せな自分だったかが。それをみんな肉の思いで打ち消してきただけのことでした。そうです。どんなに幸せだったか。元々あった喜びの中へ帰ればよかったんです。
それが自分自身でした。肉を見ていれば、形を基準に思いを広げていけば、到底分からない真実の世界でした。
心の中にみんなあった。その心の世界をどんどん広げていけばよかったんです。決して裏切ることのない意識の世界でした。もう二度と自分を落とし込めることのないように、この波動の世界を真っ直ぐに生きていくだけだと伝わってきます。
ありがとう。心からありがとう。私はあなたの中へ帰ります。あなたは、本当の私でした。田池留吉の肉を通して伝えてくれた波動の世界をしっかりと大切に育てて、そして、ともにある喜びの世界を広げていくだけです。
1433) 心の針の向け先が特定できなければ、本当の安らぎとか幸せ、喜びは決して分からないということになります。
どこへ思いを向けていけばいいのか、そして向け先は知っていても果たして真っ直ぐに向けていけるかどうか、そういう課題のもとに、今しっかりと学ぶべき時間を用意しています。
それが自分にとってどんなにありがたいことなのか、それ自体が愛だったと心で感じ始めてくるともうしめたものです。
自分を愛しくそして、今ここにこうしてあることを喜んでいきましょう。
どんなに出会いを望んできたか。本当の自分の中へ帰りたかったという思いを素直に感じていきましょう。
帰ろう、ふるさとへ。帰ろう、私達の宇宙へ。
そう呼び掛けます。発信します。今世の学習へ経て、250年後の本番へ、あなたの歩みを。ともに、ともに歩んでまいりましょう。
1434) 明確な目的のもとに、肉を持っている時間を過ごしていくこと、この喜びと幸せは今世が初めてでした。
生きていく目的を間違えて、だから結果的には本当の世界を知ることなく、真っ暗闇の転生を繰り返してきました。
今世、明確な目的のもとに、肉を持って学びに集ってきたたくさんの学びの友がいます。肉を持てば愚かな肉の部分が突出する人生を歩んでしまうけれど、今世ばかりはそうではありませんでした。
母を思い、田池留吉を思う瞑想を重ねて、ようやく自分の計画してきたことを確認し、確信し、そして今世という時間と空間の大切さを痛感している現在ではないでしょうか。
真っ暗闇の転生から、ようやく微かな明るい兆しを感じ始めている友も少なくはないと思います。
ようやく出口が見えてきたという感覚。そうです。長い長いトンネルももう終わりに来ています。
意識の流れを私達に示してくれたという事実を、どうぞ取りこぼしのないように、ともに学んでまいりましょう。
1435) どこまでも己偉く、どこまでも素直でない自分があったこと、あること、今の肉を通してしっかりと学んでいきましょう。
そうです。肉として肉で生きるということは、そういうことでした。
肉の中にあればそういうことも、ああいうこともみんな何の引っ掛かりもなく過ごしてしまいます。
ですが、意識の世界からすれば、肉、形を信じる心、肉、形しか信じられない心から流れる波動、エネルギーこそが、宇宙を汚し、自らを破滅させていくものだということです。
全く違う次元のことを、肉を持ちながら心で分かっていく難しさです。
何度も同じ失敗を重ねても、なかなかそこから抜け出せないでいるのは、その難しさを証明しています。
ただ、もう時期は到来しています。次元移行を伝える意識の流れがはっきりと現象化していく時期到来です。
喜んで、喜んで自らの過ちを認め、そして意識の流れの中にひとつに溶け込んでまいりましょう。それ以外に喜びへ帰る道はないことを知っていきましょう。
1436) 肉の世界は、不平等、不公平であっても、意識の世界はそうではありません。どんな人もすべてみんながみんな、自分の中に愛、温もり、喜び、本当の自分の世界を抱えています。その中に生き続けているということを、心で知った人は、文字通り喜び、幸せです。
そして、それ以外の人は、残念ながら、喜び、幸せの人生とは程遠いです。
どんなに今の肉を通して煌びやかな輝きを見たとしても、それは幻想に過ぎません。幻想、虚構の世界を実体あるものとしてとらえてしまう自分の心の世界が何とも哀しいではありませんか。
私はそう思います。それよりも、もっと現実的に自分の世界を思いましょう。端的に言えば、肉なくとも永遠にある自分の世界、自分自身を、もっと、もっと知っていくことが、今、肉を持っている今、何よりも求められているということです。
現実から目を背けずに、真向かいになって自分を知っていくことが、本当の優しさ、そして本当の強さです。本当の優しさ、強さが欠如していれば、本当の世界と出会うはずはないことを知ってください。
1437) 出てくる文言は大体同じです。真実は単純だからです。言葉にすれば同じことの繰り返しでしょう。表現の仕方は色々と変わりますが、中身は同じです。
この同じことをただ繰り返すということが、何だかつまらない、もっと他に目新しいことはないのかという思いを出す人がいます。
同様に、セミナーの現象にしてもそうです。こんなこと何度やっても大して変わりはないのではないかと、どこか軽く軽く受け止めている人もいます。
ですが、そういう人の意識の世界に私は伝えます。
あなたご自分の今の現実を心で知ってくださいと。そんなにあなたは偉いのですか。あなたは田池留吉の世界を本当に感じていますか。あなたが感じている波動は本物ですか。
そんなに簡単に自身の意識の世界が様変わりするはずはないのです。
それほど肉というものに凝り固まってきたという現実をしっかりと確認しましょう。
どちらにしましても、今世の学習、そんなに甘く考えないほうがいいですよ。
1438) 私もあなたも同じです。私もあなたも道を間違えてきました。道を見失ってきました。これまで、私達はみんな間違った生き方しかできなかったんです。
ただ、私は今世学びに触れ、学んでいこうとしています。
あなたは今世学びに触れていません。学びたくても学べない状態です。
私達にはその違いがあります。今世に限って言えば、この違いはとてもとても大きな違いですが、私達にはこれから250年、300年の猶予があります。その中で真実に触れるチャンスは、私にもあなたにもどなたにも公平にあります。
そのチャンスを見事活かして、本来の私達の進むべき方向、生きていく方向をしっかりと見極めてまいりましょう。
雄大な意識の流れの計画をそれぞれの心で感じ入り、私達は肉ではなかったということをはっきりと心で知っていきましょう。
1439) 全部自分が流してきた思いの結果だということを、それぞれの今から心で学び知っていくことが大切です。
思いの結果が形となって示されていること、それを自分の中でしっかりと真摯に確認しましょう。
どれがどの思いがと特定できなくても、今世生まれてきて学びに集ってから心を見始めるまでに出してきた思いがあります。それは過去の転生から引きずってきた思いに間違いありません。
だから、今、肉を持って学ぶ時間の中で、しっかりと自分の間違いを確認するために、様々な現象、色々な人の出会いがあります。すべては自分が広げてきた意識の世界、自分の中の宇宙を知っていくためです。
そう思っていけば、肉では大変だと思うことも、本当はそんなに大変なことではなく、何か知らないけれど嬉しいなあ、ありがとうの思いが広がっていくのではないでしょうか。
そうしながら、肉の時間を過ごしていくことが、実生活の中で学びを進めていくということに繋がっていくと思います。
もちろん、目を閉じてふうっと思えば、ただただ広がっていく優しさ、温もり、安らぎの世界、波動を感じる確かな今があること、ここが揺らがない現実だということは言うまでもありません。
1440) 形ある世界、肉の世界においては、二刀流がもてはやされているご時世ですが、形なき世界、意識の世界においては、二刀流は全く通用しません。
意識を信じていますか、波動の世界はどうですかということに対して、二刀流ということはあり得ないことです。
肉か意識かふたつにひとつの選択が眼前に差し迫っているのです。
やがて、どなたにもその決断をする時がやってきます。それは一瞬のことです。一瞬で自らの行先が決まるということ、それが意識の世界の仕組みです。意識の流れが顕在化している今、さらに意識の世界からのいざないは厳しく優しく力強くということでしょう。
それが私達の計画してきたことなんです。自らの過ちに気付き、そして本当の自分の世界に戻っていこう、帰っていこうと計画してきたことです。
愛、愛の自分を確立せんがために地球という星に降り立った私達でした。
1441) 自分を見つめること、自分の思いを知っていくこと、それが何よりも大切なことです。そしてそのためには、ゆったりとした時間が必要です。
慌ただしい中でそれはできません。自分の出してきたエネルギーの凄さは感じるかもしれません。いいえ、日常忙しければ忙しいほどに、その凄いエネルギーで肉を突き動かしていることを知ります。ただ、肉に傾いているときは、そのエネルギーに酔いしれる、どこかで満足しているあなたがあるかもしれません。
ただ、状況が変わって自分に時間の余裕ができてくると、そこのところが微妙に自分の中で変わってくると思います。
ゆったりと静かに何も思うことなく、ただゆったりと静かに過ごす時間を持っていると心に響き伝わってくる世界が確かにあることを感じてくると思います。
肉が忙しくしているときには、知り得ない喜びと幸せと言ってもいいかもしれません。何をどんなに手中に収めようとも、この喜びと幸せに勝るものはなし、持てる人がそう変わればその言葉に力があると思います。
1442) 自分との約束。自分に決意してきたこと。愚かな肉を牽引していく思いです。思いを向ければ向けていくほどに、そこのところが絶対に揺らがないと感じます。
なぜ私は今ここにあるのか。この肉を持って、そしてこの環境の中で、何を自分に伝えたかったのか。
繰り返し上がってくる問いかけに対して、常に返す答えはひとつでした。
自分に本当のことが伝えたかった。本当の自分の世界に帰りたい、帰ろうとしてきた思いが繰り返し心に寄せてきます。
それはまさしく私にとって揺らがない現実です。だからこそ、闇黒の真っ暗闇の中で、今世、確かな出会いを持ち、手ごたえを感じてきたんだと思います。ありがとう。私は私に伝えます。宇宙を汚し切ってきたけれど、それでも、私は私のふるさと母なる宇宙へ帰れることを知っています。
1443) そこまで言って大丈夫なのかということを今日は少々語りたいと思います。それは私の肉と何らかの経緯(いきさつ)があって、たびたびの接触がある状態の方達は、おそらくそれぞれの意識のお勉強についてプラスの方向にいくだろうということです。私の肉は愚かですが、話をしたりすることで波動が流れます。それが仕事をするということです。その仕事が決してマイナスに働かないということは明らかです。
どうですか。ここまで言って大丈夫なのかというお話ではありませんか。
とはいえ、他力の思い丸出しでこられてもその効果は出ません。何らかの必要があって私と接触してくる方々には、私はその方々に思いを向けます。話の内容は差しさわりのないありきたりでいいんです。思いを向けるというきっかけになるということが、意識の世界でプラスの仕事をしていると私ははっきりと言えるのです。
これはある意味大胆で危険な発言かもしれません。ですが、私には誰それを何とかしようとかいう思いは全くありませんし、私が一番で私の傘下に入りなさいという思いもさらさらありません。ただともに歩いていきませんか、ともに行きませんかという思いを、真っ直ぐに純粋に感じてくれる方であるならば、それなりの効果はあるでしょうということを、お伝えしているだけです。波動を学んでいます。波動の世界を学んでいることを忘れないでください。
1444) 12月UTAホール志摩セミナー、無事終えて帰阪しました。一泊二日にも関わらず遠くから参加された友を思うと、志摩ホールでともに瞑想をすることが嬉しいと思います。
学びは波動であり、私達は波動を学んでいます、波動が分かるあなたになってくださいというメッセージで締めくくりました。
ともに学ばせていただける時間と空間を用意してくださってありがとうございました。
ホールの現象で心に響いてきたものを大切に、どうぞ、日々正しい瞑想を重ねていってください。心で感じ心で分かっていく学びです。ともに同じ方向を向いて生きていきましょう。
1445) 今、肉を持っている今、もがきながらもしっかりと自分の思いの世界、宇宙を学んでまいりましょう。
私達みんながみんな間違い続けてきたことを繰り返しお伝えしています。誰一人例外はありません。肉を本物としてきた思いを変えることなく、正しい本来の生き方はできない、つまりは絶対に本物の喜びと幸せは分からないということを、それぞれの心にしっかりと刻んで、肉を持っている今、愚かな自分の世界と喜んで喜んで出会ってください。
そしてその愚かな世界をひたすら本当の自分の世界、温もりと喜び溢れる世界へ変えていこうと真摯に学んでまいりましょう。
嬉しいではないですか。幸せなことでしょう。自分を喜びの世界にいざなっていけるチャンスが目の前に広がっているのです。このチャンスを逃さないでください。ともに帰りましょう。愛、心のふるさと母なる宇宙へともに帰ってまいりましょう。
1446) 12月のUTAホール志摩セミナーに参加された方のメールです。一読ください。みんなそれぞれ家庭等に事情があると思いますが、可能な限り喜んで喜んで学んでまいりましょう。
UTAホール志摩セミナーありがとうございました。 夫の介護もさることながら、どうしてもセミナーに参加したい思いの中、欲ではないか、何度も自分に問いかけながらもUTAホール志摩セミナーに参加申し込みをさせていただ きました。 今年最後のセミナーにも参加することができ嬉しかったです。 ありがとうございました。
セミナーに参加し現象の中で田池留吉の世界に心の針を 向け、苦しい自分を、嬉しい自分を感じるとき、この喜び波動の中でこそ自分を知ることができる、自分を学ぶことができるんだと。 セミナーに参加できる喜びを、参加することの大切さを。 思いました。
デイアー アマテラス
私の中から 何かが飛び出してきます。
嬉しい、嬉しい ただただ嬉しい、私はアマテラス、 アマテラス 、アマテラスが嬉しい-。アマテラスが嬉しいとアマテラスを冷たく,遠くに、そんな私の中から私はアマテラス、 アマテラスが嬉しいと。そんな思いが伝わってきました。
なんだかとても嬉しかった。
学びは波動です、私達は波動を学んでいます。波動の分かるあなたになってください。優しくて厳しい塩川さんのメッセージが心に響きます。 ありがとうございます。長い年月学ばせていただきながら塩川さんおっしゃるような本当の学びをしてこれなかった私かもしれないけれど、今私は心から思っています。 この学びに出会えてよかった。本当によかった、学びを続けていられる今が嬉しいと。 真実の波動を感じられる私に、努力してまいります。 ありがとうございました。
1447) ホームページの宇宙を思って瞑想をしましょうという文言と、次の愛へ帰る道。云々の文章の文字の大きさを数日前に変えました。文字のポイントを大きくしました。
12月のUTAホール志摩セミナーでもお伝えしましたが、愛へ帰る道。云々の文章をホームページを開くたびに目に触れさせてください。
そして、宇宙を思って瞑想をしてください。
宇宙を思って瞑想です。12月のUTAホール志摩セミナーにおいても、そうして異語を発して波動のお勉強をさせていただきました。
嬉しいです。宇宙を思えることが、宇宙を呼ぶことがただただ、ただただ嬉しいです。
ともに帰りたかったあの宇宙へ思いを馳せ、肉終わるその瞬間まで宇宙を思い続けましょう。
1448) 心を見るために生まれてきました。自分の本当の世界を心で知っていくために生まれてきました。肉を持つということはそういうことでした。それ以外の目的はありませんでした。
それが分からなかった。肉を持てば、肉を自分だとしてその自分をいかに生かそうかとそういう思いばかりを膨らませてきました。
その思いは全部ブラックだということも、今世初めて知り得たことでした。なぜブラックなのか。
それがたとえ、人の情けであっても、人の優しさ、温かさであっても、なぜそれらが実はブラックなのか。なかなかそういうところが受けていけないと思います。
それらは、暗い思い、間違った思いとは言えないのではということかもしれませんが、それはやはり基盤が肉であればそういうことになるのです。
基盤の問題です。そこのところをしっかりと変換していこうとしない限り、学びの本質に触れることはないと思います。
それが学びの大変さ、厳しさではないでしょうか。形あるものが崩れていく中で、本当に人として生きていくということはどういうことなのか、真っ直ぐに問われていきます。
1449) ともに学べる喜びをいついつまでも、可能な限り味わい楽しんでいきましょう。どんなにしても分からなかった本当のことでした。何をしても何を手に入れても決して本当の喜びと幸せが分かりませんでした。
違う、違う、心が叫んでいました。叫べども分からなかった。闇のまた闇の中でもがき苦しんできた過去の転生。
解き放つ喜びと安堵感に今世の肉を通してようやく出会えました。
温もりの中にあったのに、温もりを拒否して否定してきた愚かな自分の世界を知って、初めて全部自分の中の出来事でしたと納得でした。
思うは田池留吉一筋に生きる道しかないことを心で知った今世に、本当にありがとうしかありません。
250年、300年に至る激動、激震の時を迎え喜びの雄叫びを上げましょう。
1450) 今を受け入れることが肝心です。嬉しいことや喜びはもちろんですが、困ったことも悩みもみんなみんな今を喜びで受け入れる、ここがすんなりとできてくれば、心は非常に軽いです。形としてはどんなに大変なことも、それを見て感じる心の世界に嬉しい変化を見るからです。
嬉しい、そう本当に素直に真っ直ぐに思える心の世界に私はいるんだと、自分の中で分かってきたならば、見ても見ていない、聞いても聞いていない、その状態がどんなに軽やかな世界なのかと心で分かってくるでしょう。
そしてその先にあるのは、ありがとうでした。ありがとう、心からありがとう、お母さん、田池留吉、ありがとう、自然に心から溢れ出る思いです。
それが本当の私達の世界でした。その世界に肉を持って触れていける今がどんなに幸せなのかということを、一人でも多くの方が知っていかれたらいいなあと思います。
1451) 時折、思い出したように、学びについてメールをくれる友がいます。それぞれに色々とある中で、それでも学びをしてきて今本当に嬉しい、幸せだという思いを感じさせていただいて、私も嬉しいです。
いつまでも暗い顔をして、暗い思い、己偉い思いを宇宙に垂れ流しているのではなくて、本当に間違ってきたけれど、それもこれもみんな全部喜びへ愛へ帰れるんだと自分に一生懸命伝えているそのことが、ただただ嬉しいと思います。
ありがとう、ごめん、この思いが心の底から湧き出てくる瞑想、正しい瞑想を繰り返し、繰り返し継続していきましょう。
肉を持っている今だからこそできることです。今の肉を大切に、今という時を大切に、そして思いは次元移行へ。1452) 2019年、元号も変わりアマテラスがさらに動き出します。ともに心をしっかりと田池留吉の世界に向けてまいりましょう。学びの友からポッドキャストで瞑想をしてのメールです。一読ください。
207のポッドキャストの朗読とともに瞑想しました。
戌年もあと一日。改めて一年を振り返れば、本当に幸せな一年だったと思いが溢れてきます。
戌年から亥年へと変っていく流れの中でともに学ばせていただきました。2019年亥年は、自分の過去と未来とともに学ぶ、セミナーの時間と空間をいただける。その事を思えば、厳しさの中に力強い決意が溢れてきます。
過去、現在、未来が一つになって、必ずともに帰りますの思いで新しい一歩を踏み出していく、踏み出していける喜びを信じて歩き続けます。
田池留吉一筋の道を、肉の時間の終わるその瞬間まで。
思うは、田池留吉です。嬉しいです。ありがとうございました。
1453) 何の欲得もなく、ただひたすらに真っ直ぐに思うという難しさを感じながらも、それをしようとしている今、できる今、それが嬉しいと思いませんか。
心ひとつ、思いの世界に生き続けているという現実をしっかりと心に刻みながら、肉、形の中にある今を大切にしましょう。
思いを向ければ必ず応えてくれるそんな状態の中で、あとはそれぞれがそのことをどの程度信じていけるかということでしょう。
もう道は真っ直ぐに続いています。指し示す方向もそれぞれの心に届けられているはずです。
意識の流れは目に見えません。あなたの心で感じる流れです。流れは目に見えないけれど、確かに仕事をしているという証拠に、肉、形の世界があちらからもこちらからも破綻していっています。
やがて時がくれば、音をなして総崩れの現象を体験していきます。総崩れです。跡形もなく崩れ去っていく中で、何を思うか、何に心を向けていけるか、それだけが問われます。本物の世界に生きていける自分達でありましょう。
1454) ともに生きる喜びと幸せをあなたもどうぞ。あなたの心でどんどん感じていけばいいだけです。
「私達はともにあります。」あなたの中の田池留吉の意識の世界から、すなわち、私達の心のふるさと愛の世界から、絶えずそのメッセージが届いているんです。
どうぞ、心をしっかりと正しい方向に向けられるよう、日々精進してください。私達は帰りますと自分に約束してきたことを思い出して、その約束通りの今世の人生にしてください。
そして、その思いを必ず、必ず、250年後に繋ぎ、そして300年に至る次元移行をともに成してまいりましょう。
肉、形の中にあって心を正しい方向に向けていく難しさ、厳しさはもうご承知の通りです。それでも、それでも向けていこうとなさってください。
1455) 明けて亥年です。私は今、少々身体が不自由ですが、時間はたっぷりとゆったりとあります。思う喜び、思える喜びを持つ時間を自分に用意しました。
肉のことは淡々と済ませ、あとやはり自分が一番切望してきたことに時間その他を費やしていけることに嬉しさを感じます。
心の中に宇宙を広げ、そして来世、250年後の来世になすべき喜びを思います。
今がすべてだということを、さらにしっかりと心に感じ広げていくこと、田池留吉、アルバートとともに生きていく喜びの道を一歩、一歩、歩んでいける喜びと幸せをかみしめて今世の肉を終えていこうという思いで、しっかりと前を向いています。
心からありがとうの思いを広げ、そして私は私の決めてきた予定のコースを喜んで完遂していきます。
1456) 年の初めに皆さん、何を心に思いましたか。これからの自分のするべきこと、進んでいく方向をしっかりと定め、しっかりとした足取りで自分の人生を歩んでいこうと思えましたか。
ただ何となく年が明け、雑煮を食し、また日常に戻っていくということでしょうか。
若くて身体も元気でという時は、それでもいいかもしれませんが、そんな時はそう長くは続きません。時間の経つのは早いです。体力、気力のある間に、自己確立をお勧めします。
どうぞ、どなたも今世学びに触れた意味を心でしっかりと味わってください。何となく偶然に学びに集ってきた訳では決してありません。経済的その他自分の肉の人生の目途が殆ど立っている方は、早急に自分の行くべき方向をしっかりと感じ、死に向かって一日、一日消化していることを現実として考えてください。
もう時間は残されていません。300年に至る次元移行の波は、容赦なく地球に降り注いでまいります。
1457) 今世に照準を合わせてきたこと、それは全部自分で決めてきたことでした。それをこの今の肉を持ちながら完遂していくことだけを思います。
田池留吉の意識の世界との出会いがあり、心に響き伝わってくる波動の世界を何度も学んでまいりました。田池留吉の意識がその肉を持っていたときの学びを、自分の中でいかに持続していくか、レベルを落とさずにと、心掛けています。いいえほんの少しでもレベル向上を目指して、今世の閉めに向けて、淡々と学んでいくことが、何よりも大事なことだと自分に伝えています。
田池先生が亡くなられて丸三年経過して、ようやく文字通り形も学び一本の状態になりました。
もうすでに250年後の来世に照準を合わせ、今世の肉は学びをしています。意識の流れからのメッセージを心にしっかりと広げ、次元移行に思いを馳せていくだけです。
1458) 肉のことについて思い煩うものをどんどん少なくしてください。肉の中にいれば、ある程度肉の流れに沿う必要がありますが、それも文字通りある程度です。程々です。肉のことは所詮どんなことも大したことはないのです。大したことがないものを大したことだと思い込んでしまった心癖がそれぞれにあると思います。
しかし、学びに触れた私達だから、その闇から少しでも抜け出す努力はしっかりと続けていくべきでしょう。
なぜ生まれてきたのか。何をするために生まれてきたのか。人生の目的は何だったのか。いつもそこへ戻っていつもそこから出発していかなくては、闇のまた闇から自分を救い出すことはできないことを、それぞれの心で知っていかなければならないでしょう。
もう宇宙のもくずになり果てることだけは絶対に避けたいところです。
1459) 心ひとつで生まれてきたのだから、心ひとつで死んでいく、自然です。
心ひとつで死んでいくにはどうすればいいのか。さあ真剣に考えましょう。そして、自分の中で答えを出してください。出した答えに従って、肉の時間を過ごしましょう。
死に向かって生きている今であることをしっかりと確認してください。肉を外した後の自分の世界、それが現実のものになっていますか。
思いを背けず目を逸らさずに、しっかりと自分の行く先を見つめて、そして瞑想をしましょう。どんな思いで瞑想をしようとしているのか、瞑想をしている時、どんな思いが突き上がってくるのか、厳しく自己評価をしていきましょう。
意識の世界は絶対に誤魔化せない世界です。
1+1=2の世界が意識の世界です。
1460) 守るもの、守りたいものをたくさん抱えている人ほど不幸せな人です。それがあるから人生楽しい、人生有意義なんだ、そんな思いはもうさっさと捨ててください。
そして、そんなものに逃げずに、真っ直ぐにただ真っ直ぐに自分の狂ってきた思いの世界だけをしっかりと追及していきましょう。
影を掴んで影に踊って、自分のこれからを台無しにする人生の時間を重ねていくのは、もう止めにしませんか。
せっかく本当の自分の世界を知るべく、切望して肉体を用意してきたのに、その自分の思いをまたもや裏切っていくのは本当に忍びないことだと思います。
世間に染まらずに、無難に生きることは止めて、自分との約束をしっかりと果たしてください。それが自分に対する優しさです。愛へ帰る厳しさとともに本当の優しさを感じていきましょう。
1461) 思いを吐き出すことが大切です。言葉にしなければ相手に分からないという考えは捨ててください。学んでいる方には当然のことですが、言葉にしてもしなくても思った瞬間、エネルギーを発しているということを忘れずに。そしてその思いの吐き出し方に工夫をしてください。むやみやたらとすれば、肉の中でトラブります。それは避けてください。
とすると、やはり学びの場での現象に参加して、自分のエネルギーをしっかりと確認して、それを正しい方向へ向けていくことが欠かせません。
肉を持ってそれができる今をただ喜んで、そして、本物の自分の世界とどんどん出会っていきましょう。
そのためにこうして肉を持ち、環境を整えてきたんですから、幸せだった自分を知っていかなくては、全部それらが無駄になってしまいます。
肉の自分は偽物なんだ、私の本質を知っていこう、感じていこう、そう素直に真摯になって、今の肉を持つ時間を自分のために生き抜いてください。
1462) 何をするでもないボォーとする時間を持つ生活はいいもんだと思っています。身体も心もリラックスして、ゆったりとした時間を過ごす中で、色々と新たに見えてくることもあるだろうし、もちろん感じていく世界も広がっていくだろうと漠然と思っています。
今世、学びに触れた私達は思うことの大切さを知りました。何に心を向けていけばいいのかを知りました。
思うことの大切さと思える喜びを知った私達は、本当に幸せだと思います。
肉を生かす人生ではなくて、意識の転回を図っていく、つまりは本当の人生を生きていこうと生まれてきたんだと感じていけること自体が、もう幸せの第一歩だと私は思っています。
本当に長い、長い時間を経てきました。気の遠くなるような時間を経て、ようやく、ようやくというところまで漕ぎつけたことを素直に喜んでいます。
1463) 幸せを感じるのに何も要らなかった。何も要りませんでした。思えば呼べば通じる喜びと温もりの世界にありました。
それで十二分です。それ以外に何が必要なのでしょうか。物に溢れています。お金を出せば欲しいものは手に入ります。必要なものはもちろん買いますが、必要でないものまで買ってきたこれまででした。
無駄に生きてきたけれど、それも許しの中にあることを思い、残りの肉の時間をありがたく大切に過ごしていこうと思います。
シンプルに生きていくというのが私の目指すところです。ひとつ捨て、ふたつ捨て、それは形の世界もそうですが、思いの世界をそのようにしましょうということです。そうして生きていくことがベストだと私は思っています。
思いの世界を整理するというのは、思いを断ち切るというのではなくて、目指す一点により集中して生きていく、そんな生き方をしていこうということです。
宇宙へ母なる宇宙へ帰りたかった、この思いをただひたすら大切に育んで、そして、望み通りの道を一歩、一歩歩んでいくことが、喜びの道だと心得ています。
1464) 間違いだらけの生き方しかしてこなかったけれど、ここにこうして今肉体を持ってあるということは、そんな自分に生き方の修正をしなさいと促しているんだと、ようやく今世にして初めてそう学習することができました。
ああ、本当に間違って生きてきた。間違った人生を山積みにして、そのたびに真っ黒なエネルギーを吐き出してきたこと、宇宙を汚しまくってきたこと、思いを向ければ向けるほどに、そんな自分の生き方が鮮明に感じられます。
それでも、生き方の修正の機会をこうして今世もまた用意してきたのだから、自分の中の本当の自分の思いはすごいと思いました。
愛へ帰る、本当の自分の世界に帰る、ただそのことだけを伝え続けてくれた本当の自分の思いにしっかりと確実に応えていこうとただそう思います。
1465) 田池先生が亡くなられて丸三年が過ぎ、どうでしょうか、皆さん、もう学びをするしかない、自分のことは自分でという思いが、段々と強くなってきているのではないでしょうか。
自分のこれまでの学びに対する姿勢の甘さを感じて、それでも自分の中からの叫びに応えるしかない、学びをやるしかないという学びの友からのメールもボツボツ届き始め、いい傾向だなあと思っています。
そうです。やるしかないんです。道はすでに指し示されています。それぞれの心に届いています。それを何としても、今世の肉を通して、現実のものとして活かしていく以外に、自分達に残された道はなしです。
どうぞ、気を引き締めて、自分の人生と真向かいになる本当の勇気を奮い起こしてください。
肉を置いていくとき、少しの後悔もないように。
1466) 何を選びどう生きていくか、それはそれぞれの自由かもしれません。ただ、その結果はどなたも潔く自分で受けていく覚悟は必要です。誰のせいでもない、ましてや世間など関係ありません。全部、自分が流してきた思いの世界の出来事です。
やはり、どんなことがあっても、いついかなるときも、私達は喜びの中に生きているんだ、喜びだけがある世界に生きているんだということを忘れてはならないでしょう。
そこへ戻っていく、そうだったんだと自分の中で分かっていく、感じていく、そうなっていけば、自ずと、心の世界は、自分の世界は広がっていっているはずです。そこには確かに苦しみや悲しみ、何とも言えない暗くて重い思いがあるかもしれないけれど、それとは真逆の世界にあることを実感するから、そんな暗くて重い思いは本当に小さな、小さな世界のことだったんだと感じます。
ありがとう、ごめん、ただただそう言えることが、嬉しくて幸せとなってくるでしょう。
1467) 誤魔化して取り繕って生きてきた過去の転生があまりにも多いから、今世、学びに触れて、学びの本質を成就するには、本当に純粋な思いしか通用しないことについて、ある意味大変さを感じ難しさも感じますが、それでも純粋に、ただひたすらにというところに心が惹かれます。
意識の世界において、ただひたすら真っ直ぐに、純粋に、真摯に、素直に、真実を追求していくということは、肉、形の世界からは、絶対に感じ得ない喜びと幸せを広げていけるということなんだと、私は知っています。
だから惹かれるんです。求めて求めてきた私の切なる思いによって、引き寄せられます。
肉、形の世界は裏表のある世界です。喜びも幸せもみんなひも付きです。
状況が変わり時間が経てば、色あせていくであろう喜びも幸せも、もうたくさんです。どんなに時を経ても、どんなに状況が変わっても、意識の世界にはそれがないことを知った今、限りなく純粋な思いで学んでいくべきだと思っています。
1468) 肉として、肉で生きている状態からは、決して学びで言うところのことは心から受け取れないことは確かです。
真逆に生きているから、価値のないものを価値があると信じて疑っていないから、その立場からは、学びの一部分はなるほどと思ってみても、それはほんの一部分に過ぎなく、肉として、肉で生きている状態とそうでない状態とでは、やはり、生き方、生きていく方向は全く相異なるでしょう。
生き方、生きていく方向が相異なるということは、両者の接点は永久的に訪れませんということですが、あなたは、両者は決して見えることがない、本当にそう思っていますか。
肉では互いに交流があっても、基本的に住む世界、見ている世界、感じている世界が違うという現実があります。
それを踏まえた上で、生活をしていく必要があるでしょう。自分がこれだとこの学びだと思っている、やっていこうと思っているならば、その辺のところ上手に調整して、淡々と自分の生き方、生きていく方向に集中していけばいいのではないでしょうか。
その信、中心棒がどの程度自分の中で育まれているか、そこが一番のポイントです。
1469) 心を軽くしましょう。背負っているものをひとつ離し、ふたつ離していきましょう。たくさんのものを抱えたまま、重い背中のままでは、真っ直ぐに軽やかに歩むことはできません。背中の荷物を降ろし、そしてもっと自由に軽やかに生きていける喜びを味わってみませんか。
心ひとつで生まれてきたんです。だから、心ひとつで死んでいきましょう。
できることならば、生まれてきた心をほんの少しでも明るく開いて、そして温もりの中へ自分の心を自分を戻していこうと、肉を持っている今、学べたならば、最高に幸せな人生の時間となるでしょう。
できるんです。なぜならば、私達はそう自分に約束して学びに集ってきたからです。今世の私達、今世、学びに集ってきた人はみんな、そう自分に固い約束をしてきたことに間違いはありません。
ただし、過去からの思いの重圧から自分を解き放つことが難しいというのも現実だから、そう計画通りにはなかなかうまくいかないかもしれませんが、それでも、日々正しい瞑想をして、そんな自分の中の思いに触れていってください。それぞれに起こってくる現象はみんなそれを待っています。
1470) 何をするべきなのか、どう生きていけばいいのか、暗中模索の中で苦しみ悩み憂えてきた過去からの転生でした。
幸せと喜びを感じても一瞬で消え去っていく儚いものだったことは確かにそうでした。肉、形の上で築いたものは、全くその通りでした。
形を実感あるものとしてとらえてきた心の世界が、何とも哀れで仕方がありませんでした。
ですが、それもこれもみんなみんな今世、今という時にそうだった、間違ってきた、何も分からずに知らずに生きてきたことを証明しているとはっきりと知ったから、これは大変幸せなことだと思います。
今のこの肉体がなければ、永久的に闇のまた闇の中だったことを思えば、こうして、自分に完璧なチャンスを用意してきたことに、ただただ感謝しかありません。
狂い続けてきたけれど、ようやく宇宙へ本当の宇宙へ帰れることを知った心に、もう何も迷いはありません。
「ただこの道をひたすらに」瞑想をしていつも心に響いてくるメッセージです。
1471) 大変な時期を迎えていきますが、今、自分のその肉を通して学んでいる意識の世界のことに、肉ではなく自分達は意識、エネルギーなんだということに、可能な限り心を向けてください。
肉で、肉としてどんなに形が整えられても、自分の中、心、思いがどんな状態であるのかをしっかりと知ることがなければ、永遠に喜びなど分かりません。元々幸せだったということに心から分かるということはありません。そして、いつも自分の外に、外に喜びを幸せを求め続けていく人生から自分を解き放つことはできないでしょう。
しかし、いつまでもそんな人生が繰り返されるということではありません。
地球という星は、もうやがて住めなくなる時がやってきます。そうなれば、文字通り宇宙のもくずとなって、さあどのくらい真っ暗闇の中で寂しく冷たく重苦しく固まっていくのでしょうか。
それもこれもみんなみんな、それぞれの心に響いてくることだと思います。
自分の心に響き伝わってきたならば、今、その肉を持っている時間がどんなに貴重な時であるのか、分かると思います。どうぞ、今を大切にしていきましょう。
1472) 自分の生き方、存在の仕方が真正面から問われる、そういうことになっていきます。
何に価値を置くか、何を思って、どう生きていけばいいのか、どう死んでいけばいいのか、それぞれにそれぞれが答えを求めるでしょう。
肉に塗れ、肉に沈み、闇のまた闇の中に落ちていくのも、全部自分の選択です。肉、形を信じる心に、そこに活路を見出そうとする心に、どうぞ、真剣に真向かいになってください。
自分に肉を持たせた思いに出会っていますか。どんな思いでそうしたのか、心に響いていますか。ほんの僅かでも心に響いているならば、どうぞ、その微かな思い、微かな叫びに蓋をせずに、さらにその思いをその叫びを聞くようにしてください。
優しさです。母の温もりの中へ帰ろうとする自分の思いに素直になってください。
1473) 時間に追われることなく、好きな時に瞑想ができる今をただ喜んでいます。
幸い、私にはまだ母がいてくれています。その肉を通して自分の中のエネルギーを確認することができます。そして、これもまた幸いなことに、その肉の母も学びに触れています。
私はどこまでも恵まれています。今、少々身体が不自由なので丁度いいです。これが10年前と同じくらい元気だったら、時間はたっぷりとあるんだから、あちらへ行き、こちらをのぞきという生活パターンになってしまうところでした。
本当にうまくできているものです。肉でするべきことは毎日、淡々と済ませ、あとは、ゆったりとのんびりと瞑想三昧です。
250年、300年に思いを馳せ、そして田池留吉、アルバートの意識、波動の中に生き続ける自分というものを、たっぷりと感じさせていただきます。
想定内、想定外に関わらず、様々なことが起こってくるこれからですが、自己確立ができていさえすれば、何の憂いもありません。
1474) 持たざる人も悩み多きかもしれませんが、余りある財産を持っている人も悩み深き人になるでしょう。財産処分の苦しみ、悩み、これは持たざる人には分からないと思いますが、それは自分を苦しみの底に突き落とす大きな要因となることは確かです。
自分の生活が何とか回っていっていれば、それ以上のものは何も要らないということです。中途半端に持っていれば、そこに心が囚われて学びどころではなくなります。
そんなことのないように、物の身辺整理はもちろんですが、財産の処分も適時やっておく必要があると思います。
特に、年齢を重ねていけば、体力も気力も失せ、頭の回転も緩くなっていきます。そんなどうでもいいようなことで、自分の学びの足を自分で引っ張らないように、互いに気を付けたいものです。
1475) 自分が自分に用意した肉を持つ時間。精一杯、可能な限り、自分を変えていく、自分の意識の世界を少しでも温かい安らぎの方向へ、本物の自分の世界へ近づけていく、そんな時間にしましょう。
本物志向でいきましょう。偽物は偽物です。どんなに華やかで煌びやかで活気に満ちていても、それはほんの表面です。薄皮一枚です。
中は、ドロドロ、真っ暗闇、腐敗の匂いに満ち満ちています。
肉を本物とする思いはそうです。そういうことです。そこのところがなかなか、自分の中でしっくりとこないというだけで、それはもうその真っ暗闇の腐った中に覆われ尽くしているからです。
そこからほんの僅かでも、針の穴程度の隙間から、本物を感じてくれば、これまでの自分の生き方に必ず疑問を抱きます。心がざわつきます。これでいいのか、このままでいいのか、そんな小さな問いかけを今まで無視し続けてきたのでないでしょうか。
今こそ、その問いかけにしっかりと応えていくべき時なのです。それが今世、今という時です。あなたはそう思いませんか。私は繰り返し、繰り返し、自分の中の秘めたる思いと出会ってきました。
だから、私は私の決めてきた予定のコースを真っ直ぐに歩んでいきます。
1476) こっちですよと正しい道を指し示してくれました。その道しるべとなった肉は今現在はありません。あとは、指し示された方向に、それぞれが自分の心の針を向けて合わせていくことだけです。
その結果はそれぞれのものです。針の向け方、合わせ方はそれぞれの心の中にすでにあることも伝えていただきました。
何度も母のお腹の中でその波動を感じてきたこと、それをしっかりと思い出して、そこへ戻っていきなさいということでした。
そして、その一応の集大成は250年、300年後ということになります。
次元移行の流れにしっかりと乗って、自らの意識の世界をさらに愛の中心へ進めていこうとする大事な段階を迎えます。
今世をあなたの転換期にしてくださいというメッセージをそれぞれの心の中で温めていただいて、何度かの転生を経て、必ず250年後集結しましょう。
1477) これからです。これからが学びをしている私達には正念場です。田池先生が亡くなられた後、どのように学んでいくかです。特に、長く学びに繋がっている方達は、二方向に分かれていきます。次のメール、一読ください。
はじめてメールさせて頂きます。本当に30年も学ばせて頂き、動機が間違い、真っ暗闇の中に沈んで、何も分からない状態が、ふるさとの歌の文にあるようにやっと やっと ほんの僅かでも、針の穴程度の隙間から瞑想してたら、嬉しくて嬉しくて ただ言葉にならない喜びが、、、、。
今世 真剣に真摯にこの道を真っ直ぐに、歩いて行こうと心から思い メールさせて頂きました。ありがとうございます。生んでもらった事、すべてにありがとうしか、ありません。
1478) 生活の一部分として学びがあるのではなく、学びをするために今ここにこうしてあることを忘れてはならないでしょう。
そうしたならば、自ずと取捨選択が定まってきます。最優先するものは何かが明白です。だから、その選択が誤っていれば、必ずそれは自分の心に響いてきます。学びに触れたからです。学びを知ったからです。心で知ったとまではいかないまでも、とにかく学びに触れた肉を通して、たくさんの意識達が動き始め、叫びの声を大きくしていきます。色々な形を通して愚かな肉に訴えかけてきます。何度も何度も。
それは、形を見ればマイナスかもしれませんが、決してマイナスではないことは、学びに触れたなら感じていくと思います。
中の思いが動き始め、声を大きくして訴えかけようとしていることに対して、耳を塞ぎ、心を閉ざしていくことが、まさしくマイナスのことだと感じてくると思います。
苦しみもがき悩んでも、しっかりと自分のその苦しみを受けていこうとする優しさ、勇気、それこそが大きな喜びのパワーとなって宇宙を駆け巡っていくことを知りましょう。
1479) 机上の学びではなく、実践を通して自分の心で学び取っていく、知っていくことが肝心です。どんなことがあっても、いついかなる時も、思うは田池留吉一本で生きていこうとしているのか、その見極めはそれぞれがしていかなければならないし、その試金石はいくつも用意していると思います。
本当にただひたすらに真実を求めていこうと、本来の自分の姿、あり方に自分を戻していこうと真摯に思い続けているか、絶えずその検証は必要だと思います。
いい加減な思いでは、次元移行という意識の流れに沿っていけないことは明白です。
愛に帰る道は遠く険しい、これは事実です。そしてまた、遠くて険しい道だけど、どんなことも喜びなんだということを忘れなければ、信じて実践、行ずれば必ず到達することも事実です。
1480) 何でも当たり前の生活でした。当たり前、それって普通と気にも留めずに生活してきたことがたくさんありました、あります。
例えば、歩くということに対してもそうでした。身体を動かすということ自体が当たり前という思いの中にずっとあったことを、今つくづく感じています。何気なく、何の思いもなく身体を動かしていたんだと今更ながら気付く私は、本当に幼稚、傲慢でした。
こんな幼稚で傲慢な私に、本当に懇切丁寧に意識の世界のこと、本当の波動の世界のこと、伝えていただいたことが、今何ともありがたいです。
訳も分からず、抵抗、反発しながらも、田池先生の指し示す方向に食らいついていった学びの時間があったことが、今の私をしっかりと牽引しています。
食らいつく、まさにそうでした。何度否定し拒否しても、寄せては返す波のように繰り返し伝えていただいた波動の世界に、私は、自分の今世に賭けてきた思いを確認させていただきました。
「私はあなた、あなたは私、ひとつ」この波動、エネルギーのすごさを私は、私の意識の世界は決して消し去る、忘れ去ることはできません。
ありがとう。愚劣で稚拙な意識の世界に、「待っていました」と伝えてくれた波動をありがとうございました。
1481) 予定通り学びに集うことができ、そして予定通り学びを進めていけた幸せをかみしめています。宇宙を汚しまくってきた私が私に用意してきた喜び、幸せの道に自分をいざなっていっていることに、ただただありがとうしかありません。
恵まれた中で学びを進めていけたこと、いけること、これほどの幸せはないと私は思っています。
なぜ自分は生まれてきたのか、何をするために生まれてきたのか、繰り返し、繰り返し、いつも、いつもそこへ戻っていきましょう。
生れてきた意味を違えずに、自分の切なる思い、心からほとばしる叫び、しっかりとしっかりと聞いていきましょう。感じていきましょう。
肉、形の中には本当の幸せはありません。本当の喜びはありません。250年、300年に至る時間の中で徹底的に学んでまいりましょう。
1482) 毎日、同じことを繰り返していく中に、今は嬉しさを感じます。肉のことを淡々として、規則正しい生活のリズムを刻み、そして思う時間をゆったりと持つ、幸せだと思います。
何が起きるか分からない、何が起きてもおかしくない時を迎えていますが、そんな中において、日々穏やかに自分のペースで生きていけることが、何よりも、何よりも幸せなことだとしみじみ感じています。
必要なものは目の前に現れ、必要でないものは消えていく、全部、自分の意識の世界の計画だと、私は感じています。
その意識の流れにしっかりと沿い、そして意識の流れの中にある自分を感じていく喜びと幸せの道を歩いていくだけです。
次元移行という意識の流れに乗って存在していくことだけが、たったひとつの喜びの道だと伝わってきます。この波動の世界からのメッセージをしっかりと感じていこうと、私は私にいつも伝えています。
1483) 田池先生と20年余りともに学ばせていただいたことを決して無駄にしない、それが自分を大切にそして自分に誠実に生きていく喜びの道だと、私は心得ています。
そうだ、そうだ、この道だと自分の心で感じ分かって、ともに学ぶ友は確かにいます。それとは反対にいつまでも他力の看板を背負って、学びの本質に触れることを躊躇している人もいます。
色々な人がいます。あの人、この人と心を外に向けていけば、知らずのうちに自分の学びの方向がずれていく危険性はまだまだあるでしょう。そういう心癖でずっと生き続けてきたことをしっかりと認識してください。
絶えず、自分の心の針の向け先の確認をしていくことは絶対に欠かせません。
それでも、人は群れれば、肉基盤の闇の中にたちまち沈んでいきます。
そういうことをしっかりと認識しながらも、真摯に学びの道、正しい方向を目指して一歩、着実な一歩を進めてください。
死ねば一人の世界です。死ななくても一人の世界なのですが、死ねばそれがはっきりとするだけです。それが意識の世界の厳しさであり真実です。
何に心を向けられるか、合わせていけるか、肉を持つ今、訓練に訓練を重ねてまいりましょう。
1484) 私は、訓練とかトレーニングという言葉をしばしば使いますが、これも巫女の時の名残でしょう。ただ、もちろん、巫女の時と今とでは違います。
同じ訓練というのでも、辛く厳しく寂しさに堪えて不安と恐怖の中というのと、喜びに向かって、喜びでというのとは違います。
今世を迎えて、ようやく喜びでしかも本物に向かって心を向けていけるという作業ができるようになりました。
それを訓練と表現するならば訓練でしょう。
心の針の向け先を、自分の外から中へ、その訓練を重ねていきましょうというものです。
自分の中に何があるのか知らずでは、そして自分の中にあるものを信じられなくては、中へ向けることはしないし、できません。
私達は、心を外に向け続ける限り、本当のことは何も分からないということを学んでまいりました。自分の中のドロドロをまずしっかりと確認して、そして、自分に絶望するけれど、決してそこに留まらずに、そのまた奥の奥の奥に本当の自分があることを感じていく、そこに触れていく訓練を続けていきましょう。
1485) あなたに残された肉の時間、あとどのくらいでしょうか。元気溌剌の方には現実味がないでしょうが、ある程度年齢を重ねていけば、自分の残りの肉の時間を思うことが多くなります。私の場合で言えば、250年後の来世と合わせても、地球上で転生してきた過去からの時間からすれば、もうほんの微々たる時間です。嬉しい思いとともに気の引き締まる思いを感じながら、日々過ごしています。あなたはどうですか。
学びの友からのメールです。一読ください。
暗闇の中で思える事とは
昨日、中学校の同級生から電話がありました。数年に一度会える友が十人程度いるのですが、一人欠け二人欠けていく話に、私もそれだけの年令になったのかと寂しい思いです。当時、品行方正でなかった私を迎え入れてくれた友を思うと涙が溢れます。
確実に死に向かっていく残り少ない肉体時間を思う時、今私は何と幸せな場所に居るのかと、つくづく、生まれて今日までの陳腐な生き方しかしてこなかった自分に、こうして振り返る時間を頂いていることに幸せを感じます。
私はまだ死んだ後の世界をしっかりと見ていません、だからこんな質問をするのですが。
250年後の転生(私の中ではあると決めています)の時間まで、闇の中で苦しみの中で、愛に気付く瞬間があるのでしょうか。
「今のあなたの質問の意図は何でしょうか、そうあって欲しいとか、この学びをしているのだから少々の優しさがあっても良いのではないでしょうかと、捉えますが。それと同時に、肉でしょ。」
「想像を絶する天変地異が目の前に来ます、その時あなたは何を思うのでしょうか、今のあなたからは助けてくれ!の響きしか聞こえません。どうぞどうぞ真摯な姿勢で、もっともっとあなたの心の状態を知ってください。愚問です、あなたは意識の世界を美化しすぎです。そんなに簡単に分かる世界ではありません、と同時に底が浅いです。」
精進します、ありがとうございました。
1486) 駆け引き、欲得で動いてきた人生ばかりだったのではないでしょうか。過去の転生、そんな転生ばかりだったのではないでしょうか。
神の声を聞いてきた、身も心も捧げ忠誠を誓ってきた、仏様のように慈悲深く生きていくことを願ってきた等々、たとえ駆け引きや欲得に満ち溢れた俗世間とは一線を画して生きてきた転生であっても、それらは上辺だけの綺麗ごとであって、駆け引き、欲得、自我が欲に塗れた中に沈んできた転生に違いはありません。
なぜならば、神も仏も実在しないからです。実在しない世界を真っ暗闇の世界を喜びと幸せに満ち満ちた世界だと信じて疑ってこなかった、だからこそ、人を救い人を導いていこうとすることがいいこと、すごいことだと思ってきたんです。
これほど傲慢で無知なことはないのに、それが全く分からなかったということです。
そんな過ちを性懲りもなく繰り返してきたのが私達です。私達の心の歴史に山積みされています。
さて、それではそれを知った今世、そこからどのように対処していくのか、いっているのか、結果を出しましょう。
1487) 思うは田池留吉。思うは田池留吉一筋。これ以外に幸せの自分を知っていく方法はありません。喜びの自分を心から感じて知っていく道はありません。
ここが本当に自分の中でそうだと分かったならば、今世生まれてきて本当によかった、ありがとうと必ず、必ずなっていきます。
生れてこれてよかった、ありがとう、心から思いが沸き起こってくる喜びと幸せ、これに勝るものは何もありません。どんなにお金を積んでもお金と引き換えにできるものではありません。
そんなこと百も承知かもしれませんが、それを頭ではなくて心から、心から感じてみてください。
田池留吉、アルバートと呼ぶことが、思うことがどんなに幸せなことなのか、宇宙を思うことが、意識の流れの中にある自分を知っていくことが、どんなに幸せなことなのか、何度も、何度も、繰り返し、繰り返し、深く、深く感じる瞑想をしていきましょう。
瞑想です。正しい瞑想を重ねていける喜びを満喫していきましょう。
1488) 真実の世界は単純な世界でした。難しい言葉を連ねて分かる世界ではありませんでした。母の温もりの中で安らいでいたあの感覚を思い起こせばいいんです。ただ、肉で生きている間は、それが本当の喜びの道だなんて到底分かりません。そこをないがしろにしているから、うまくいっているかのように見えても、それは一時のことで、必ず躓きがあります。その躓きの修復は、形の世界から何とかできるものではないけれども、何とかできると思ってしまいます。そこが大きな落とし穴でした。このことに気づくのに、私達は長い時間を要しました。今世、学びに出会ってようやく、そうだったんだと繰り返し伝えていただきました。
形ある世界は、不公平、不平等、持つ者、持たざる者、出来る人、出来ない人、千差万別です。常に頂点を目指し競争して勝者が笑う、この図式は時代が移り変わろうとも同じです。肉を持つものすべてが間違ってきたのに、私は正しい、間違っていないと互いに主張するから、そこにはいつも闘いのエネルギーがまん延していきます。完膚なきまでに叩きのめすことを繰り返しやってきたのです。
闘いを好んで常に覇者でなければならない、そうして自分を落とし込めてきたことにもなかなか気付けなかったというのが現実のところだったのではないでしょうか。
全部ご破算にして、生き直していくことが求められます。全部をご破算にするということが難しいけれど、生き直すということは、全く違う基盤でということが条件だから、全部をご破算です。全部をご破算にするために、250年、300年の猶予期間が用意されているということです。それは自ずと大変厳しい転生となります。喜んで飛び込んでいきましょう。
1489) 「私達は宇宙からやってきました。」特別に目新しい文言ではありませんが、今回の志摩セミナーで、私達は宇宙からやってきた意識ですという言葉が心に響いたというメールを何通かいただきました。
母の温もりを心にしっかり感じていると思われたならば、どんどん宇宙に向ける瞑想をしてください。していきましょう。
宇宙です。宇宙を思う瞑想です。私達のふるさと、母なる宇宙へ帰る道筋をしっかりと心に見てください。
宇宙は制覇する世界ではありませんでした。宇宙は私達のふるさとです。母の中へ、温もりの宇宙へ帰っていく、喜びの宇宙へ帰っていく、ともに、ともに、そんな思いをどんどん広げていけるように、日々、正しい瞑想を心掛けてください。
異語で通じ合える世界、波動の世界をともに感じてまいりましょう。
異語は宇宙のリズム。その中にひとつになって溶け込んでいく喜びと幸せにどんどん出会ってまいりましょう。
1490) 自分が一番切望してきたことを淡々と成していける喜びと幸せ、自分との約束を果たしていける喜びと幸せを感じながら、今の肉を終えていけることに感謝です。
今世の閉めに向けて着実な歩みを、気を引き締めて進めていこうと決意を新たにしています。
私にはもう選択肢がありません。たったひとつ選択したことを真っ直ぐに自分の思い通りに遂行していく途上にあります。
田池留吉の意識の世界が指し示す方向に心の針を向けて合わせて、そしてともにある喜びを実感していける生き方が、ようやく自分の中で現実のものとなった今世でした。
出会えたからこそそれが現実のものとして私の中で広がっています。
今世の出会いこそがすべてだと、このことに尽きます。
1491) 本当の生きる喜び、生きる幸せ、生きる意味を伝えてくれました。中の思いに心を向けることを学ばせていただきました。
「思いは中へ。喜びも幸せも温もりもみんなみんな自分の中にあることを知っていきなさい。信じていきなさい。」
そうしてポーンと背中を押してくれた、優しい優しい思いで背中を押して、ともに行こうといざなってくれた、そんな意識の世界、そんな波動の中にずっと生き続けていたことを、私は今世の肉を通して、ようやく気付けました。
なぜ今の肉を持ってきたのか、なぜ今の環境を整えてきたのか、溢れるほどの思いが突き上がってきます。
自分にありがとう、苦しかった自分にありがとうと伝えて肉を終えていける今世にしましょう。
お母さん、たくさんのお母さんの思いを心に持たせていただきました。お母さん、ありがとう。心からありがとう。そんな思いをしっかりと広げて、そして再び、肉を持てる喜びを感じながら、今世の肉を閉じていきましょう。
1492) 宇宙に向ける瞑想。宇宙を思って瞑想。
素直に、素直に、喜びでしてみてください。きっとあなたの心に響いてきます。私達は宇宙からやってきた意識です。宇宙は私達のふるさとです。
あの宇宙へ帰りましょう。
遠くに忘れ去った宇宙の波動、リズムをどうぞ、あなたの心で思い出してください。
闘いのエネルギーで闇黒に塗りつぶしてしまった私達ですが、今世、真実の波動の世界からひとつの肉を通して、宇宙の波動をしっかりと伝えていただきました。正しい瞑想をして、その波動の中に生き続けていることを感じられるようになれば、何も案ずることはありません。
今世、その肉を閉じるその瞬間まで、どうぞ、宇宙を思い、愛を思い、瞑想をしていきましょう。帰るべきところをきちんと知ってください。
戻っておいでのいざないに、勇気を出して、素直に応えてまいりましょう。
1493) 宇宙へ帰りたい。宇宙へ帰るんだ。そんな思いを抱えて肉を自分に用意してきたことを、ようやく、今世知りました。
肉を持てば肉というものに心がとらわれ、自らの計画を無駄にしてしまった、そんな転生の中で、今世こそはという強い、強い決意のもと、こうして今の肉を用意して、田池留吉の意識の世界と出会うことを果たしました。同時期に肉を持つ、大きな大きな計画でした。その計画通りに、肉を通して学ばせていただいた今世でした。
「この道を真っ直ぐに」田池留吉の意識の世界からのメッセージをしっかりと遂行していくだけです。
もう二度と自分を裏切ることのないように、心の針の向け先の管理に専念です。
1494) 今を喜ぶことが基本的なことなんだとしみじみ感じます。今を喜ぶ、肉的に良いことも悪いことも、意識の世界からはみんな良いことだったと心から知っていく学びの時間を用意していることが、やはりありがたいと思います。
肉は馬鹿です、愚かです。肉的に良いことは喜んですんなりと受け止めていけるけれど、そうでないことを同じように受け止めていけるかどうか、肉を持って学んでいける時間を残していることが、幸せなことだと思います。
根源的な寂しさがどこから来るのか、しっかりと今、肉を持っている今、互いに学んでまいりましょう。心の向け先を知った私達は、本当に幸せ者です。
田池留吉を思う、アルバートを思う、宇宙と呼んでみる、学びのチャンスを自らに用意してきたことが、何よりも何よりも幸せ、嬉しい、ありがとうです。言葉にできない、言葉では表現できない幸せ、嬉しさを学ばせていただきました。様々なことが起こってくるこれからに、ここをしっかりと押さえて、いつもここに戻っていけばいい。
思うは田池留吉一筋しかない、このメッセージしか出てきません。
1495) 肉を持っている今、本当は何をすべきなのか、何をしたいのか、心で感じ心で分かっている人は幸せです。そんな本当の幸せと喜びを感じる機会に恵まれた私達です。私達は本当に幸せ者なんです。
肉を持っている今、何をすべきなのか、自分は本当に何をしたいのか。
それが分からないから、きっとみんな暗中模索の中、とりあえずこうして生きていこうと自分を誤魔化してしまうのだと思います。誤魔化しているつもりはなくても結果的にはそうなってしまいます。
色々な出来事があって、様々な人がいて、様々な考え、価値基準の中で、何が本当のことなのかなんて、答えが見つかるはずはないのに、見つけようとして、もがきながら苦しみながら悩みながらどんどん時間が過ぎ去って、気が付けば、体力も気力も衰えているという現実が待っているというところが大方ではないでしょうか。
それが世の中一般で、まあまあ我が人生よく生きてきたもんだと振り返りながら、いい加減なところで手締めして終わりというところかもしれません。
意識の転回なしに、いい人生なんてあり得ないことに気付けないことが、一番残念なことでした。そんな転生の山積み。どこにも安らぎはありませんでした。
1496) 学びに瞑想は欠かせません。ただの瞑想ではありません。正しい瞑想です。
学びは頭で理解できるものではありません。自分の心で分かってまいりましょう。心で分かるということは、どんなに今の自分が幸せだったかはっきりと分かってくるということです。
幸せなんです。幸せも喜びもみんなみんな自分の中にあったんだとしみじみ感じ、ただただ田池留吉を思うことが、どんなに幸せなのか、どなたの心にも響き伝わってきます。
そんな学びの機会に恵まれた今、本当にかけがえのない今という時を大切にしてまいりましょう。
このたび、今世、同時期に学びに触れた仲間として呼び掛けさせていただきます。ともに瞑想をしてみませんかということで、リアルタイムで少々その機会を設けてみました。
ライブ配信する日時は、ホームページ上でお知らせします。
まずは試験的ではありますが、2月6日の午前11時を予定しています。10時55分頃にUTAブックさんのホームページより、URLをご確認ください。
1497) 私達の心が憶えています。しっかりと心の針を合わせて向けていけば、伝わってくる波動の世界です。ただし、その世界は欲とは絶対に合わない世界です。
ただひたすら素直に、真摯に、純粋に思っていこうとしているか、自分に聞いてください。
自分と自分の学びです。本物の自分と偽物の自分があります。あるのはそれだけです。苦しみに沈んでいくのも自分だし、素直になって、本物の自分を蘇らせていくのも自分です。
苦しみに沈んでいくのはもう結構と思っても、偽物の自分とともに生きている限り、行き着く先は苦しみの世界です。
自分で選んでおいて、なぜ苦しいのかが分からなかった私達でした。
そんな私達が、今世の肉を通して、偽物の自分とともに生きていくことは容易いけれど、本物の自分と生きていくことは難しいことを学ばせていただきました。
難しいけれど学びに触れた以上、本物の自分とともに生きていく道を、しっかりと選び取っていきましょう。心が憶えている、今世こそその心を裏切らない自分となっていきましょう。
1498) UTAブックさんのご協力により、ライブ配信をさせていただきました。ポッドキャストを試みながら、これがリアルタイムでできればいいかもと、私自身少し前から思っていました。そこへUTブックさんからの申し出があったのでよかったと思っています。
UTAブックさんのほうにも私のほうにもメールが届いていて、反応は上々でした。
時間にすれば短いですけれど、これを機にともに瞑想をする時間を共有していきましょう。意識の世界には、時間、空間はありません。思えば通じる、そんな世界に私達は生きているということ、それぞれの心で感じられることが喜び、幸せの道です。
ともにある喜びをどうぞ、あなたの心にしっかりと広げて、250年後に思いを馳せてください。
1499) 超えられないものは設定していない、どんな大変なことであっても、それらはみんな自分が自分に設定してきたものです。それは何のためか。
もうお分かりのように、自分の軌道を本来あるべき軌道に戻すためです。
自分の本当の姿を見失ってしまった自分に、本当の自分に帰っていこうとする決死の思い、それが、様々な現象を自分の前に出して、自らを正しい方向へと促しているのです。
心の奥の奥の奥のもっと奥底から本当の自分の思いが伝わってくると思います。「帰ってきなさい。あなたは愛です。」毅然とした思いでしっかりと伝えてくれる本当の自分自身のいざない、呼び掛けに真っ直ぐに応じてまいりましょう。
喜びの道を一歩ずつ。その一歩を前に踏み出すことをしっかりとやっていきましょう。
1500) 田池先生のもと、私達は学んでまいりました。この事実をしっかりとそれぞれの中でかみしめてください。
生半可な思いで学びに集ったのではないんです。生半可な思いならば、もうとっくの昔に学びを去っているはずです。現に一度、あるいは数回学びに来て、音沙汰もなく姿を消していった人達がいます。
尤もその方達がどうのこうの、今学びに繋がっている人達がどうのこうのという次元の話ではありません。
学びに集っていても、依然として他力的にぶら下がった状態の人もいるでしょうし、そういうことは論外なんです。
ただ、田池先生のもと、学びを進めてきたということをどう思っているのか、その事実を自分のこれからにいかに活かしていこうとしているのか、それが何よりも何よりも大切なことです。
生半可な思いで学びに集ってきたのではないことを瞑想の中で確認して、どうぞ、自分の中の切なる思いとしっかりと真向かいになって、今世の学びを大切になさってください。
1501) 先日、UTAブックさんがライブ配信の設定をするのに家に来られた際、アメリカへ行くのはどうですかと聞かれました。ちょっぴり心が動いたけれど、今の私の身体の状態ではとても無理だと思いました。以前のように普通に足が動いてくれていれば、今、時間はたっぷりとあるからアメリカへもう一度行ってみたいなあと思います。昔、昔セミナーで行ったときには、まだ250年後の来世の私に確たるものはなかったけれど、帰りの飛行機の中でなぜか涙が止まらなかったことを思い出します。
あと一度の転生の場所、アメリカ、ニュージャージー。心は知っていました。今なら分かります。なぜアメリカのセミナーのあの帰りの飛行機の中で涙が止まらなかったのか。
昨日、田池先生が残していってくれたUTAホール志摩でお勉強した夜、部屋で瞑想をしていたら、アメリカの思いが唐突に出てきて、アルバートを思い、異語で語っていました。懐かしい、懐かしい、喜びの出会いを用意していることにただただ感謝です。
アルバートと出会いたかった、この思いを、田池留吉の肉を通してストレートに感じさせていただいた今世でした。意識の流れはアルバートとともに、ああ本当にその通りでした。250年後の私とともに今学ばせていただいている、アルバートの肉とともに学べることを嬉しく思います。
1502) 今、志摩の地に月に一度は行っています。UTAホール志摩は田池先生が残してくれたものです。
「しっかりとアマテラスを学んでください。そしてあなたの中の闇黒の宇宙とともに帰ってきなさい、待っています。250年後、必ず集結してともに次元を超えてまいりましょう。」
そんなメッセージを心に刻み、これからの時を経てまいります。
そういう経緯から、志摩の地は大変いいところです。ただ、私の中では、今私が居住している上町台地にもまだまだ心の比重は高いです。
大阪に生まれ育ち、大阪から発信する意味を強く感じています。大阪は田池留吉が肉をいただいたところであり、学びの発祥の地です。大阪から奈良飛鳥へ通じる場所に、何度も肉体を運びました。二上山を眺めながらの時間をたくさん持ちました。喜びに帰ることを知ったアマテラスとともに、日々淡々と過ごせる今を嬉しく思います。
アマテラス。心から心からありがとう。アマテラスの目覚めを待ち続けてくれていた田池留吉の意識の世界との出会いを持たせていただきました。
1503) 来月3月の琵琶湖セミナーの参加者名簿の第一弾が届きました。またこうして、ともに学べる機会をいただくことが嬉しいなあと名簿を眺めています。
私達、幸せですね。色々な環境の中にあって、それぞれに事情も違いますが、間違い続けてきた転生を積み重ねてきたことは共通しています。そんな私達に、ようやく自分を浮上させる絶好のチャンスが巡ってきています。
間違い続けてきたけれど、ようやく何を間違えてきたのかを、心にはっきりと知る学びに集えたことを喜んでいきましょう。
真っ暗闇の中で、やっと、やっとです。長い長いトンネルのずっと先のまだまだ先の先に、ようやく薄らぼんやりと見える灯りかもしれません。
薄らぼんやりでも灯っていることが確認できればいいのではないでしょうか。
その方向に心を向けていけば、今は薄らぼんやりでも、明るさを増してくると分かっていくことが喜びではありませんか。
本当に自分の未来は明るいのかと、まだまだ真っ暗闇の中でもがいている人もいるでしょうけれど、長い長いトンネルの出口が見えているということは確かです。くっきりと灯る灯りです。ぐっと近づいてまいりましょう。
1504) 学びの友からのメールです。一読ください。このようなメールが私にはとても嬉しいです。なかなか学びに触れていても、学びの本質から自ら遠ざかってしまう心癖が私達にはとても強いです。ですが、様々な現象を通して、学びに触れている今を喜んでいけるのもまた私達の喜びです。
互いに今世、今という時を大切にしてまいりましょう。
おはようございます。初メールをさせて頂きました。メールは難しいですが、今日は嬉しかったので思い切って送らせて頂きました。
以前に学びの友から、自分の思いを素直にメールを送ることもいいですよ、と教えて頂きました。がその時は病気のせいかも知れなかったのですがパソコンの前にも座れなかったんです。今日はとっても嬉しくてどうしても、メールをしたくなり思い切って送らせて頂きました。先日志摩セミナーの五日前に慢性硬膜下血腫と言う病気になり、即入院、即手術になりました。その時いろんな勉強をさせて頂きました。今まで当たり前のことが出来なくなり、セミナーにも行けて当たり前、元気なことも当たり前と思っていましたが間違っていたこと。そして、田池先生が仕事も60歳になったらやめなさいって言ってくれていたけど、言い訳ばかりして欲と金とで過ごしてきました。この突然の病気の現象で気づかせて頂き、嬉しくなりました。私にとってはこれが一番の喜びでした。こんなことが無かったら、まだまだ、自分の間違いに気づく事も無かったと思います。
この学びに繋がっていないと、まったくわかりませんでした。病院で何もせずに今頃セミナーではこんな事をしてるのかなこの場所での瞑想とあのセミナー会場での瞑想の違い、そして、こんなに家で仕事をせず、ゆっくり勉強が出来ることが嬉しいのかとつくづく思いました。
塩川さんがホームページで言っておられていた事はこれだったんだと思いました。今までは朝から晩までせかせかと気の休まる間もなく肉の思いで、本当の自分の思いなどそっちのけで来た私でした。本当に懺悔です。今年はしっかりと心を見て真実の道に向かって進みたいと思っています。それでないと懇切丁寧にこれでもかこれでもかと、真実の道を教えて頂いたのに申し訳なく思います。又先生の後を私達に分かりやすく、学びを続けて頂ける事も本当ありがとうしかありません。
ただただ、感謝です。私は学校もでていないので文章も上手く書けていませんがお許しください。
1505) 特に何が欲しい、何がしたい、どこかへ行きたい、そういう思いは弱くなっています。ただ一人、好きな時に部屋で思いを向けられる今、最高に幸せだと思います。もちろん、学びの友と瞑想をする時間と空間を共有できることもまた最高に幸せなことです。
間違い続けてきたのに、宇宙を闇黒のエネルギーで塗りつぶしてきたのに、こんな恵まれた環境を用意してきたこと、何とも言えない思いでいっぱいです。田池留吉の意識の世界を、その肉とともに学ばせていただき、優しいけれど厳しい意識の世界を伝えていただきました。
学んでいこうという友がたくさんいて、ともに帰っていこうといういざない、呼び掛けを互いに確認できる今を私は喜んでいます。
他力のエネルギーを幾重にも巻き付け自ら苦しみの奥底に沈んできた私達ですが、それでもそれでも、信じて待ってくれている本当の自分の存在を感じられる今が、ただただ、ただただ嬉しいことですね。
今の肉体があればこそです。思う喜びと思える喜びをしっかりと心に広げて、今世の出会いを心から喜んでいきましょう。
1506) 学びの本質に触れてください。素直になって、委ねていく幸せと喜びを広げてまいりましょう。全託です。全部を託す、託せる安心感、安らぎを感じること、それは、肉、形の世界では不可能です。肉、形の世界は影の世界であり、欲が渦巻いた世界だからです。
全部を託するということは、そこに何の思いもありません。欲の思いは一切なく、ただただ委ねていく、委ねていける幸せ、喜び、安らぎの世界は、たったひとつだけです。
田池留吉の意識の世界、波動の中にある自分でしたと心で知る以外にありません。
全託できる喜びと幸せ。すべてを委ねていく喜びと幸せ。
喜びも幸せも決してひも付きではありませんでした。見返り、引き換え、裏表、そんなものは一切なかったんです。
あまりにも肉基盤で生きてきた時間が長いから、にわかには分からない、信じられないということだったけれど、確かに、確かにありました。
無条件です。本当の喜び、本当の幸せの世界は、無条件でした。
次回ライブ配信予定日、2月15日午前11時。
1507) 瞑想をする時間を確保してください。日々の生活で見て、聞いたとき、瞬間出る思い、エネルギーを確認して、そして瞬間、田池留吉を思う、そういう作業はもうすでにどなたも身についていると思います。
瞑想をする時間を確保するというのは、瞬間瞑想ではなく、5分、10分、20分、それ以上の時間、ゆったりとしっかりと心を向けられる環境にあるかということです。
肉のことで思うことがあれこれあれば、ゆったりと瞑想ができないし、身体が疲れていては、しっかりと瞑想ができない。
それは当たり前のことです。その悪循環の中にある人は、自分の生活を見直し改善して、自分なりに学びと向き合うようになさってください。
学びと向き合うということは、偽物の自分が本物の自分と向き合うということだから、そこには色々な抵抗勢力が発生します。
それにこれまでと同じく飲み込まれていくか、それとも抵抗勢力を包んでいく喜びに目覚めていくか、ふたつにひとつの選択を自らがして、今世こそ、自分の本当の人生を生きてまいりましょう。
1508) 肉として、肉の中で生きていくため、こうしたらいい、ああしたらいい、こうすれば効率的、便利、賢いというノウハウには明るくても、さて、自分の行く末はどうでしょうか。自分の行く先に明るい兆しを感じておられますか。
見栄を張っても仕方がないことです。空しいことです。実際のところを精査判断して、今、肉体を持っている今、本当の意味で自分のために生きていくことをやってまいりましょう。
死後の自分から学ぶことは多々あると思います。
死後の自分も、今、肉体を持っている自分も、何ら変わるところはないと心で学んでおられますか。ただ、肉体を持っている今は、苦しみを誤魔化す方法はいくらでもありますが。
今、肉という形を持っているから生きているということは実感できますが、そこからもう一歩踏み出して、では、この肉体を離したあとはどうなのかということを、それぞれに学んでいく必要があるかと思います。
犬や猫など人間以外の生き物には、その必要がありません。彼らは自分を肉としてとらえていないからです。生死の問題を抱えているのは、私達人間だけです。意識の世界の変革にしっかりと向き合っていきましょう。
1509) ここまでというものはありません。意識の世界、波動の世界には限りがありません。喜びを感じたから、温もりを感じたから、私は愛ですと中からはっきりと伝えてきたから、けれど、それは何も特別なことではありません。そこに留まることなく、どんどんどんどん、肉を離すその瞬間まで、そしていつもいつも、田池留吉を思い、アルバートを思い、意識の流れに沿っていくように、心の針の管理をしてまいりましょう。
あるのは喜びだけです。喜び以外は全部、全部間違っています。
肉の中にあれば、そう断言できないでしょう。事情、状況等から判断して、言い分、言い訳、理由付けが出てくるのが普通です。私達の中には、自分の思いを正当化していきたいという思いが根付いているのだと思います。
それらは肉、形の世界ではある程度、容認されることはあっても、意識の世界ではそうはいかないんです。
喜び以外は全部ブラックです。それは厳しいと言えば厳しいことかもしれませんが、厳しいのではなくて、それが本当は自然のことだったんですね。
厳しいと思ってしまうところに、私達がずっと肉、形の世界に生きてきた哀しみがあります。
ですが、その哀しみもまた喜びへ変わっていけることを知りましょう。
思うは田池留吉一筋で生きていく道をしっかりと選び取ってください。
1510) 思うは田池留吉一筋。これ以外に喜びに目覚める、本当の自分に出会う道はなしと断言しています。
田池留吉を思うということが、どんなに大切ですごいことなのか、まだまだあなたは軽く、軽くとらえていませんか。
確かにこの学びだという思いが、あなたの心に上がってくるというのは実際だと思いますが、それでも、そこから真実の方向へ歩みを一歩踏み出すということは難しいというのもまた実際のところではないでしょうか。
肉というものはやっかいなものです。肉がなければ、本当の世界を、その波動の世界を学ぶことは不可能ですけれど、肉があるから学び一本に自分を絞っていく難しさがあります。
そこのところを、しっかりとそれぞれに瞑想をする時間を用意して、自分に聞いて、そしてさらに聞いていくことを繰り返してください。
なぜ自分は生まれてきたのか、何をするために今ここにあるのか、何度も何度も問い続けていくことが必要でしょう。そんなもの、もうとっくに自分の中で答えが出ている、それはそうかもしれません。
それでは今、自分に聞いてください。本当に田池留吉を信じているかと。
波動の世界は正直です。嘘はつけません。誤魔化せません。自信がありますか。
1511) 私は皆さんが今、どんな生活の流れの中で学びを進めているのか、あまり知りません。だからついつい、自分のことを語ることになります。
私の生活はいたってシンプルです。お金を稼ぐ必要がない私は、そういう意味では気楽な年齢になりました。
心を向ける、思いを向ける、ゆったりとした時間があります。これから先、色々な出来事が起こってくると思いますが、ぶれずに宇宙を呼ぶ瞑想をする時間はいただけると思います。
宇宙に帰るということで、今世の時間を約束してきたのだから、その約束を遂行できることが最高に幸せな人生と言えます。
あとは、肉の生活はそれなりに整っているし、これからもそれなりに整っていくだろうということです。
ようやく自分の生まれてきた意味の深さを心で知った今世だから、そしてもうあとはないと知った今世だから、自分に残された肉を持つ時間、しっかりと納得して使い切ろうと思います。
今世、アマテラスの国、日本に生まれてこれたことを、心から、心から喜んでいます。
1512) UTAブックさんが、死について寄せられた原稿を冊子に纏めるというのを見て、今世学びに触れた仲間として、一言言いたいと思いました。
何としても自分が生まれてきた意味、死んでいく意味を今世こそ間違えずに自分に伝えていきましょう。
学びに触れた、繋がったこんな絶好のチャンスを決して無駄にしないでという思いを強く感じます。
それぞれに、環境、事情が違い、その中で学ぶということについて、それぞれに色々と思いがあるでしょうが、自分の心の叫びを、色々な形で知らされていることは私達みんなに共通しています。それを受け止めていけるような肉になりましょう。自分の叫びです。自分以外に受け止めてあげることはできないことを知っていきましょう。
肉がどんなに周りに認められても、中の自分を置いてきぼりでは、どこまでいっても空虚な風が自分の中を吹き荒れます。
学びに触れ、田池留吉、お母さんを思う瞑想を続けている人ならば、それは心でお分かりだと思います。
もう自分を誤魔化さずに、しっかりと自分を受け止めていきましょう。心から、心から自分にありがとうと伝えられる喜びと幸せを感じてまいりましょう。
ライブ配信予定日、2月20日午後2時。
1513) 死後の自分の状態を知ることは大変大切なことです。
肉を持ちながら、今、自分の状態はどんな状態なのか、死んだ自分から伝わってくる思いの世界を感じていくことにより、はっきりとしてきます。
日々の生活の中で、瞬間飛び出るエネルギーを感じて、それを反転していくことは、もちろん、大切な大切な仕事ですが、それをさらにそうだと感じていくには、肉、形もない、何もない中で、全く誤魔化しがきかない中で、自分はどうなっているのか、それをはっきりと知っていくことが必要です。
他の誰でもない自分なんです。その現実から目を背けて、田池留吉だ、アルバートだ、250年後だ、次元移行だと言っても、どこか嘘っぽいと思いませんか。
現実把握です。しっかりと自分の今を把握しましょう。肉を自分に持たせている今だからこそ、そのお勉強ができるのではないでしょうか。
肉のことばかりに思いを分散していては、もう自分の行きつく先は決まっています。地獄の奥底の底の底のもっと奥底から這い上がってきた意識だということを、それぞれの心で感じていくことが肝要です。
1514) まずは思いの向け先を確認です。今まで、何を思い、どこに心を向けて生きてきたかを、しっかりと確認して、その向け先はみんな間違っていたことが心で感じられるようになっていくことが大切です。
生れてきて死んでいく中で、何を得たのか、何をなしたのか。
なるほど、たくさんのものを得て、色々としてきたことでしょう。ただ、そんな転生の中で、幸せや喜びは続いていましたか。答えはいいえですね。
一時の幸せ、喜び、吹けば飛ぶような幸せ、喜びを得るために、どんな凄まじいエネルギーを垂れ流してきたか。自分を裏切り続けてきた哀しみ、辛さ、悔しさを抱えて、幸せ、喜びと言っても本当に空しいものでした。
今世こそは、堂々と高らかに幸せです、喜びですと言い切って、心に何もない開け放たれた世界を体験しましょう。
心に何もない。ただあるのは喜び、温もりとともにあった自分達でした。ごめん、ありがとうと伝え合う意識の世界です。
私達のふるさとは、まだまだ遥か彼方だけれど、必ず、必ず帰るという自分との約束がありました。思い出し、約束を果たしていきましょう。
1515) もう真っ直ぐに自分のあるべき方向に向いて生きていきましょう。
肉、形ある世界は違っていることを、様々な現象を通して伝えます。はっきりときちんと伝えます。
それが愛です。愛しかないことを、自らが自らに伝えてくるんです。肉、形の世界が崩れ去っていく中で、何を思い、何に心を向けていくか、それぞれに示されていきます。
真っ直ぐに喜んで喜んで自分達の間違いを認め受け止めていきましょう。
どんなにしても、帰るべきところはたったひとつです。
ふるさと、帰りたくて帰りたくてどうしても帰りたい思いが、今世、ひとつの肉を用意して、学びに繋がったことを知ってください。
心から知ってください。そうすれば、今が、今世自分に用意してきたこと、環境その他すべてがあるひとつの方向を、確実にとらえていることが心で感じられます。もう真っ直ぐに歩いてきなさいと、自らが指し示している方向へ、一歩、一歩、喜びとともに歩みを進めてまいりましょう。
1516) 若いって素晴らしいと思います。今日大宝で50歳未満の方達とともに瞑想をする時間を持たせていただきました。
その年齢は、仕事や子育等で何かと忙しい時ではありますが、どうぞ、学びに繋がった意味を、忙しい日々の生活の中でもしっかりと自分の中で確認して、体力、気力の充実している時に、自己確立の道を育んでいってください。
学びは修行ではないので、肉のあれこれで、これをしたらいけない、あれはだめということはありません。肉も楽しみながら、だけどそこにどっぷりはまり込まずに、いつも一歩引いて自分を見るという姿勢は保持してください。
若いがゆえに学びをしていくことについての難しさはあるのは確かですが、若いからこそ自分の生き方をきちんと正しい方向に追及していけるのも確かです。
意識の世界には年齢云々はございませんが、肉を持って学んでいるというところから、体力、気力のある年齢層というのは、かけがえのない時間だと自身の体験から言えます。十二分に学ばせていただいたからそう実感しています。
1517) 今を喜ぶということはそんなに簡単なことではないかもしれませんが、それでも喜びしかないことを学んでいける今は、やはり喜びです。
自分が切望してきた通りの展開の中で、自分との約束を果たしていこうとしていると、はっきりと心で感じられれば、あとはその自分が切望してきたことの成就に向けて、真摯に素直に喜んで生きていくだけなんだと思います。
愚かな肉を用意して、愚かな自分の世界をはっきりと示していく、本当にそこには愛があるだけなんだと、正しい瞑想を重ねて知っていきましょう。
嬉しい、ありがとう、素直に心が伝えてくる喜びをしっかりと受け止めて、そして真っ暗闇の自分から抜け出していきましょう。
真っ暗闇の自分を作り引き寄せている愚かな自分でしたと気付いていくことが唯一の喜び、幸せの道です。
1518) 自分の瞬間出すエネルギーを確認していくチャンスは、日々の中でたくさんあるはずです。心穏やかに生活をしていると思っていても、さてそれはどうでしょうか。心から飛び出す凄まじい勢いのエネルギーを確認できる今が、私達にとっては喜ばしいことなんです。
みんながみんな道を間違えて生きてきたから、どんなに凄いエネルギーを感じようとも、それで落ち込む必要など全くありません。
何十年も学んできたのにと思うから、ああ学びは難しいとか、いくらやってもとか、そういう思いが出てくるかもしれませんが、それこそがどれだけ己が偉いかということです。間違い続けて生きてきた時間を思ってください。だから、そんな思いに怯むことなく、どんどん自分の凄まじいエネルギーに出会えることを、ただただ喜んでいきましょう。
真っ暗闇を瞬間反転させていく喜びにはまっていけば、楽しみの日々が送れます。もっと来い、どーんと来い、自分の中の愛が全部吸収してくれる喜び、心地よさを味わってください。そうして、どんどん自分を吸収して、大きく広く温かく優しい自分になっていきましょう。
1519) 今、何も特に思い煩うことなくゆったりとする時間があるからかもしれません。また好きな時に瞑想ができる今があるからかもしれません。
何ということもない時にふっと嬉しいなあという思いが、しばしば感じられて大変幸せです。何もないのに嬉しい。心の中がはしゃいでいるという感覚です。およそ肉からは想像がつきません。余計に肉の愚かさが際立って我ながら苦笑しています。そんな日々が飛ぶように過ぎ去っていきます。
日々、瞑想を重ね、心の向け先を知るということは大変幸せなことだとしみじみ感じています。肉、形の世界はいずれ消え去っていく影の世界なんだと、心で知っていけばいくほどに、消えることのない世界に自分達は生きているんだと深く感じられるから、肉、形の世界にしがみつき、とらわれる思いも小さくなっていくはずです。
「ああここ、ここを思っていけばいいんだ。そうすれば自ずと広がっていく優しさ、温かさを感じられる。ああこういうことだったんだ。喜びとか幸せは全部自分の中にあったんだ。」
と、繰り返し自分の中で確認でき、私は幸せです。学びに繋がったことにただただ感謝です。
1520) みんな幸せになりましょう。いいえ、元々幸せな自分達だったことを知ってきましょう。心から、心から知っていきましょう。
言うまでもないことですが、世の中は狂っています。不幸せな人間が溢れています。幸せそうに暮らしていても、肉という薄皮の下は真っ暗闇、それが私達人間の現実です。
なぜ毎日、毎日、悲しい辛い、欲まみれの事件ばかり起こってくるのでしょうか。
私達人間の心の醜さ、馬鹿さを示している事件ばかりです。こんなにも地に落ちてしまったのか、肉という形を本物として生きていくということは、本当の自分を捨て去るということは、こういうことなのか。実に分かりやすく表現してくれています。
心の奥底に眠る真っ暗闇のエネルギーが、条件、環境が整えば飛び出してくる、そういうことでしょう。
真っ暗闇のエネルギーを真っ暗闇のまま放置せず、本当の優しさ、温もり、喜びのエネルギーに戻していくことを、学びに触れたあなたからまず始めていきましょう。それが、元々幸せだった自分に出会っていくたったひとつの方法です。
ライブ配信予定日、2月28日午後2時。
1521) 自分に肉を用意してきた喜びを、しっかりと心で味わってください。肉を用意して、学びに繋がって、どんなに幸せなことでしょうか。
肉を持つこと、生まれてくること、その切実なる思いが心にしっかりと響いてくれば、肉を用意して学びに繋がったことが、どんなに幸せなことなのかお分かりだと思います。そこのところを、どなたも感じてください。
そして、自分の出すエネルギーを確認して、そのエネルギーがどんなに凄まじい勢いで自らを破壊してきたか、とっくりと学んで今世を終えてください。
生きる目的を間違えてきたと、はっきりと自分に言えますか。数限りない転生のチャンスがあったけれど、過去、何ひとつ本当のことを自分に伝えることができなかったと感じていますか。頭でっかちになっていませんか。この学びは何を学ぶのですか。
宗教という既成概念から外れてください。学びは宗教ではないことを、今一度自分の中で本当に分かっているのか、それぞれに起こる現象を通して確認してください。
他力信仰の延長線上に学びをとらえていると、自分の心が伝えてきたら、そのメッセージを真摯に受け止めてください。
1522) 心はどこを向いていますか。いつも確認です。暮らす中で心から色々な思いを吐き出し、瞬間出すエネルギーの凄さを感じながら、心の向け先の管理を怠らないように。
肉塗れの中では、どんなに正しいと主張したところで、自分の中に伝わってくるのは間違いなく苦しみのエネルギーです。
心の向け先が違っています、間違っていますと伝えてくるのです。
意識の世界は正直です。自分に絶対嘘はつけません。苦しいものは苦しいと自らに伝えてくる意識の世界です。
そんな真っ直ぐな決して曲げることのできない誤魔化せない意識の世界、真実の波動の世界に自分達はあったのです。そこから飛び出し捨て去り、苦しみの中に自ら落ちていったことを、心で知っていく、心で知っていける今世の学びです。
学びに繋がったからには、その自分の切なる思い、元あった喜び、温もりの中へ帰ろうの思いに真摯に向き合ってください。今世こそ自分に責任を持ってください。
1523) 忙しい日々を過ごされている方もあるでしょう。そういう方達は、時間に追われて、瞑想をする時間も心の余裕もないかもしれません。
様々な事情、環境があります。その中でそれらを調整して学びに繋がった成果を上げていくのは、それぞれに係っています。
学びたいけれど自分の思うようにはいかないと、もがいている時間はこれまでに、みんなそれなりに体験していることだと思います。
ですが、なるべく早く生活の流れを改善して、しっかりと学びに触れた自分の計画を遂行できるように、それぞれ努めてまいりましょう。
そうでなくては、せっかく今、肉を持っている意味がまったくうやむやになってしまい、過去の転生の二の舞になることは必至です。
今世、あなたの転換期にしてくださいとのメッセージを、心で受けてみてください。
このメッセージは、どなたの心にも届いているはずです。その波動を受けて、あなたの中からどんな思いが出てくるのか、試してください。そして、それを自分の学びの参考になさってください。
1524) 私達は、同時期に肉を持って学びに繋がった仲間です。夫婦、親子、兄弟姉妹、親友等の関係に関わらず、私達はそういう仲間です。
同時期に肉を持ち、そして学びに繋がった、これ以上の喜び、幸せはないと思います
あなたはどう思われているか知りませんが、私は、今世を千載一遇のチャンスだと認識してきました。それは同時に、自身の意識の世界が救いようのない状態だったということを証明していると感じてきました。
だからこそ、今世、真実の世界から肉を持つのと同時期に肉を用意して、学びに集い、手取り足取り学ばせていただいたんです。
救いようのない真っ暗闇の意識だったからこそです。私達はそういう意識の集団だと私は感じています。知っています。
地獄の底の底の奥底から這い上がってきた真っ暗闇を抱えた意識だということを、どなたも心で感じてください。そして、そんな私達ですが、自分のふるさとへ帰りたい、帰ろうという思いが強いから、今世、学びに繋がったと分かってください。
1525) 生きる本当の目的を明確に知り、そしてそれを心で感じ分かっていく過程の中で、本当に幸せな自分と出会えるはずです。
肉を持っているから、肉の流れに少しだけ流れて、大切な肉という形を保持しながら、しかし、世の中という濁流には決して流れていかない確たる思いで、自分の歩みを前に一歩進めてください。
生きる本当の目的を心で明確にとらえている人とそうでない人とでは、当然の如く、生きていく方向、見つめていく方向が全く違ってきます。
瞑想、正しい瞑想を継続して、本来の自分の軌道に乗っていきましょう。
色々と心を揺らす現象が、人を通して出来事を通して関わってくると思いますが、揺れた心の針をしっかりと自分の中の本当の自分に、愛に合わせていく、合わせようとしていく、そんな生き方を躊躇なく選び取ってください。
必ず心に響き伝わってきます。「ありがとう、ありがとう」と。
自分が自分に伝え来るその思いをしっかりと受け止めて、必ず帰っていくことを伝えてください。そうすれば、また返ってきます。
「ありがとう、そうですよ、そうですよ、もう私を裏切らないでください」と。
1526) 温かく優しく広々と広がっていく中で、何もかも全部託していく心の安らぎを、少しでも感じてみてください。
私達は何を求めてきたのでしょうか。そしてその結果はどうでしたでしょうか。もう自分を落としていくことを止めて、本当の自分に素直に真摯に向き合っていきましょう。闘いのエネルギーで自滅してきた過去を、今、肉を持っている今、しっかりと心で学び、凄まじいエネルギーで覆い尽くされた自分を救いあげていきましょう。
心で学ぶということを忘れないように。学びを頭で分かろうとすれば、色々と疑問が出てきます。意識、意識と言って肉のことはどうでもいいのかとか、とにかく頭を回す人は、学びはできません。自分から瞬間出るエネルギーの確認をおざなりにしているから、意識の世界を肉の基盤からとらえようとしている己偉しのエネルギーに気付けないのです。
上手に語れなくてもいいんです。ただ自分は、田池留吉の世界を、本当の自分の世界を信じようとしているのか、今世こそは、自分から流れ出す波動、エネルギーの質を少しでも明るい方向にと思っているのか、いつも真摯な思いで、自分に問いかけてください。
1527) どんなことでも、ポイントということがあります。この学びについても、もちろんそうです。ポイントを外した学び方、ずれた、ぶれた学び方では、自分の中を変えていくことはできません。
それでは、ポイントを外した学び方、ずれた、ぶれた学び方とは、どういうことをいうのでしょうか。
一言で言えば、素直でない人はそういう学び方になってしまいます。
耳を通して学びの色々なことは聞いているのですが、なんせ素直でないから、それを自分の中に入れていくときに、己の思いを混ぜ込んで、思い込み、つまりは自己流で学んでいってしまうのです。
なるほど、心は敏感かもしれません。肉を通して様々なことを感じるし、肉という形でそれを表現できるかもしれません。
ですが、それがどうだというのでしょうか。自分の中が相変わらずの状態では、そんなことを何度感じようとも空しいだけではありませんか。
それよりも、心を空っぽにして、もっともっと素直になっていくことだけに集中していけばいいと思うのですが。
私達は、過去、神とか仏とか、見えない世界に通じて人を導き救っていくことを良しとしてきた思いが山積みされています。
大極悪人の過去、自分の中で振り返ってみてください。1528) 落ち着いてゆっくりとゆったりと、そういう生活環境の中で、自分を感じていくことが大切なことだと思います。
とは言っても、経済を含む生活基盤がある程度整っていなければ、これは難しいことでしょう。
とにかく、煩雑で雑然とした生活の中では、動く心、出すエネルギーを確認できても、しっかりとゆったりとそのエネルギーと向き合うことはできません。自分の出すエネルギーを愛おしく包み込んで、温もり、優しさの中に吸収していく喜びを味わうという、今肉を持って感じる醍醐味は味わえないでしょう。
となれば、本当の人生の喜びとか幸せとは縁遠い時間が過ぎ去っていくだけで、物や金や人に自分を紛らわせていくしかありません。 それって幸せとは言えません。どんなにお金があっても、物が溢れていても、良き人と巡り合っても、幸せとは言い難い人生ではありませんか。
自分を誤魔化して生きる、そんな哀しいことは止めにしましょう。
1529) 何よりも何よりも自分の思いを叶えること、そのために肉がある、今という時がある、学びに集えてよかった、本当によかった、そんな思いをいつも感じています。瞑想の中で、自分の切なる思いと触れることが本当に嬉しいです。
ある程度の目途が付くまで、私はなりふり構わず学んでまいりました。
田池先生にも深く深くお手伝いいただき、田池留吉の意識の世界にある私達であることを感じさせていただきました。
あとは、「この道一本、真っ直ぐにな。」田池先生からの深いお言葉をしっかりと胸に刻み、田池留吉、アルバートとともにの波動の世界を味わっていくことだけです。
私の人生、本当にアルバートとともに、今世、そして250年後の来世、もう何とも言えない幸せです。
1530) 気持ちのいい朝の陽ざしを浴びて、さあ今日も一日始まる、嬉しいことです。貴重な肉を持つ時間です。どんな凄まじいエネルギーが噴き上げてきても、それは喜び以外の何ものでもないと感じていきましょう。
どんなことも喜びで受けていける私達だったんです。苦しい、辛い、嫌だ、逃げ出したい、見たくない、そういう思いを少しでも弱めて、しっかりと自分の現状を今、知っていけることがありがたいことなんだと、自然に思えてきたならば、心は軽くなっているはずです。
帰ろうとひとつの肉を用意してきた自分の思い、決意、心意気、全部ありがとうと受け止めて、そして元あったところへ帰ってまいりましょう。
それがたったひとつの喜びの道、幸せの道だということは、間違いのない事実です。
肉にのみ生きる生き方が、どんなに自分をないがしろに落とし込めていくか、もう目を覚ましましょう。そして、本当の自分に素直に真っ直ぐに生き直していきましょう。本当の自分が自分を待ってくれていると知ることが喜びです。
1531) 帰りたい、帰ろう、母なる宇宙へ。私達のふるさと、母なる宇宙へ。
この思いを引っ下げて、私達は今世、田池留吉の意識の元に集いました。
荒れ狂った意識の世界を抱えて、それでもあの母の温もりの中へ帰りたいという思いを強く持って、そうして学びに集えたんです。
千載一遇のチャンスを自らの思いで実現可能にするか否かはあなた次第です。肉を持っている今、それを自分に指し示しています。
真摯に素直にただこの道一本に生きる時をそれぞれに刻んでいきましょう。
それぞれに肉を持てば色々とあります。けれど、それは母なる宇宙へ帰りたい、帰ろうという狂った中で絞り出した思いの表れです。
私はそう感じています。あなたはどうでしょうか。私は自分の決めてきた予定のコース、愛、母なる宇宙へ帰る道筋をしっかりと歩んでいくと確信しています。愚かな肉ですが、瞑想をして思いを向ければ、それは歴然としています。
どうぞ、あなたの歩みをしっかり確認して、ともに行こう、ともに帰ろうの呼び掛け、いざないに、あなたの心の針を向けて合わせてください。
あなたの中にどんどん響き伝わってくる、田池留吉、アルバートの波動の世界に、全部を託してまいりましょう。喜びと幸せの道、しっかりと今世の肉を通して知っていってください。
1532) UTAホール志摩セミナーも無事終了、帰阪してほっとしています。
今回は、夫婦、親子、兄弟姉妹、それぞれファミリーで参加のセミナーでした。一泊でのセミナーですが、それぞれによかったのではないでしょうか。学びは基本的には、お一人、お一人ですが、今世こうして互いに培ってきたエネルギーをつぶさに感じさせていただける近しい環境は、とても喜ばしいことだと思います。
それぞれに、喜びの中で心のたけを語り合ってください。ともに同じ方向を目指し、そして、ともに生きていこうとする過程の中で、こうして今世、縁あって学びに出会った仲間です。
どうぞ、肉としての繋がりに留まるのではなく、もっと広い世界から、感じ合ってください。
ともに帰りましょう。そうです。ともにあのふるさと、母なる宇宙へ帰りましょう。そんな思いで、最後のふるさとの歌をともに歌わせていただきました。ありがとうございました。
1533) セミナーはやっぱりいいです。何とも言えないものを感じます。ともに行こうの呼び掛けに、いざないに、一堂に会し、肉を持っている、持っていないに関わらず、思いを向けていける喜び、幸せを感じさせていただいています。
体調万全でなくても、それでも、こうして学びの友とともに学ばせていただけるありがたさ、喜び、幸せを感じます。
誰がというわけではありません。みんなひとつ。みんな地獄の底の底のもっと奥底から這い上がってきた、帰りたいから、本当の自分に帰りたいから、何としてでも帰りたいから、そんな思いを秘めて、今世の肉をいただいたことに違いはありません。
私はそういうふうに感じています。だから、ともに学んでいこう、ともに次元を超えていこう、250年後に必ず再会して、集結していこう、そんな思いが心から噴き上がってきます。
宇宙に思いを向けて、どんどんそんな思いを伝え合ってください。
田池留吉、アルバートと呼ぶことがどんなに喜び、幸せなことであるか、心で感じ入ってください。
1534) ようやく、ようやく、やっと、やっと、この言葉が繰り返し出てきます。思いを語るならば、ようやくだね、やっとだね、長かったね、そんなところです。
もう決して後戻りはしない、もう決して自分を裏切らない、本当の自分とともに生きていく、それが私の喜び、幸せの道なんだ、ようやく、やっと、そう自分に言い切ることができる今世を迎えました。
嬉しいです。本当に嬉しいです。愚かな肉だけれど、自分を嫌ってきたけれど、どのように生きていけば分からなかったけれど、一本の道が真っ直ぐに心に見えてきた今世というこの時だから、もう心に迷いはありません。
ともに帰る喜びの道を、どうぞ、あなたもそしてあなたも、一人でも多くの方が、その道を歩いていこうと自分の心で見極めていただけたならばと思います。そうなってくると、もう肉のあれこれは本当に程々でいいということが分かって、すうっと心が広がっていくと思います。
心で分かる、心でしか分からない、だけど、厳然としてある意識の流れをしっかりと感じていきましょう。
1535) それぞれに自分に用意した学びの時間です。なぜ自分は学びに触れたのかを漠然ととらえるのではなく、瞑想の中で、自分に問いかけて心の中からその答えを引き出してください。
今世のこのチャンスを逃すということは、どういうことなのかも、あなたの心から回答が得られます。
そうして、何事も自分に聞いてください。自分に聞いて大丈夫なのかという思いが出てきたならば、あなたの信はその程度のものだということです。
自分に問いかけ、自分から答えを出し、それに沿って生きていけばいいのではないでしょうか。
自分から答えを出し、それに沿って生きていく道、仮にその道が違っていても、曲がっていても、自分で出したものだから、誰にも何にも責任はありません。全部自分の責任のもと、全部自分で選択して、その結果どうなっていくのか、そう思うとすべてが公平であり、平等です。それが意識の世界です。簡単明瞭、非常にシンプル。意識の世界は嘘はつきません。誤魔化しはありません。肉の世界とは違うんです。嘘もなく誤魔化しもなく、真っ直ぐ、すごい世界です。
1536) 小さく日本の国に限定してみても、あちらこちらで頻繁に地表の揺れがあります。地震を含む自然災害の波が、じわじわこの日本の国にやってきます。
一旦事が起こると、生きても地獄、死んでも地獄の展開になっていくでしょう。それほどの頻度、規模で私達に指し示してくれる天変地異のエネルギーです。
250年に至る地球上に起こってくる天変地異は、まさに想像を絶する規模のものとなっていく、これは、意識の流れを感じている方達には、その通りだということがお分かりだと思います。そんな中で、肉を持つ私達に何が必要なのでしょうか。
生きても地獄、死んでも地獄を突破するには、そうです、心の針の向け先を知っているか否かに係っています。
何も持たない、何も持てない、ただひとつ自分の心の中に真実があることを知っている意識だけが、すうっと自分を救いゆく、そういうことになるかと思います。そして、肉を持たずに意識と意識の世界の流れの中で、ともにあることを感じていくということだと思います。
これはとてもとても肉の次元から推し量れるものではありません。
どうぞ、心で感じることを始めてみてください。
1537) 嘘もなく誤魔化しもない世界に生きている、言うなれば、その世界が本当の私達だということを伝えていただいたんです。あとは、それを自分の中で解き明かしていくだけです。証明していくだけです。
嬉しいではありませんか。信じていますよという確たるメッセージをいただき、そしてこうして今、肉という形を持って、自分の作ってきた思いの世界、エネルギーを感じていける、こんなありがたいことはありません。
肉というちっぽけな中に閉じこもっていては、そういうことは全く別世界のお話であり、とてもとてもまともに受けていけないでしょう。
やはり肉だと、形ある実感ある世界から自分を解き放していくことはできません。肉にしがみついているだけなのに、そういう現実を誤魔化すために、あれこれと尤もらしい言い訳をいくつもいくつも用意して、自分を正当化していく生き方しかできないということになります。
それでもそこには微かな喜びと幸せは確かに感じられるかもしれません。だから、そんな今にも消え入りそうな喜びと幸せのために、生きていくことがどんなに空しい生き方なのか、もうそれぞれに体験済みなのに、そこからなかなか抜け出せないでいるのかもしれません。
私達が目指すものは、そんなちっぽけな安っぽい喜び、幸せの世界ではありません。しかし、自分の中の広さを感じない限り、それは分からないでしょう。
1538) 目を閉じて心に広がり感じる世界が自分なんだ、この中に自分は生き続けているんだ、瞑想を重ねていくと、自ずとそう感じてきます。
では、目を開けて肉を動かしている私はいったい何なんだ、何のために私は肉という形を持っているのか、自然な疑問です。
そして、その問いかけに対する答えは、また瞑想の中で自分に教えてくれます。心を外に向けて生きていくのか、それとも中に向けて生きていくのか、全く違う生き方だったことを心は伝えてきます。
そして、再び目を閉じて、田池留吉を思います。意識の流れを思います。
心の底から突き上がってくるエネルギーがあります。
苦しいエネルギーではありません。どんなにこの時を待っていたか、自分の中から喜びが突き上げてくるのです。
それは、決して一過性の薄っぺらな思いではなく、この思いに素直に真っ直ぐに応えていこうと、ただただ心に感じる思いです。
心から切望してきたことを、今、肉を持っている今、心にしっかりと感じたならば、今が250年後、250年、300年は遠い未来のお話ではないことが感じられます。
ただし、これらのことはみんな、みんな、それぞれの心でしか分からないことです。本当にそうなのか、あなたも自分の心で学んでください。
1539) それぞれの選択により、生きていく方向が決まっていきます。どこに心の針を向けて生きていくのか、そのことによって、進む方向が違ってきます。
それは、肉としては同じことをして、大して変わりのない生活であっても、その実、全く違う世界を見ているということになるでしょう。
形ある中で、決して幸せになれないことを心で知った方は、すでに本当の幸せの道を歩いているはずです。
金、神、物、人等の形ある世界から、自分を解き放していくことが、本当の人生なんだ、自分の本質、愛に目覚めていくことが、本当の喜びの人生なんだ、そのことを知りたくて、知りたくて、そして、今、こうして肉を持って学ぶチャンスを自ら用意してきたんだ、田池留吉を思い、意識の流れに思いを馳せたとき、伝わってくる波動が心に響いてくればくるほどに、さらに、さらに、自分を幸せにいざなっていけると確信してください。
1540) 琵琶湖グランドホテルには、田池先生との思い出がたくさんありまして、そこでともに学べることがやはり嬉しいです。
参加された友が、セミナー、ありがとうございました、嬉しかったですと笑顔で帰っていかれたり、セミナー、嬉しかったというメールを送っていただいたりして、私には何より嬉しいことであり、励みにもなります。
心に伝わってくる思いのままに、セミナーをさせていただいています。私は幸せ者です。よかった、嬉しい、ありがとうと、今ともに学べる喜びを共有できることが幸せです。
田池先生が心血を注いで伝えてくださった道を、焦らずに素直になって真摯な思いで、着実に歩んでいくことだけに思いを傾けていきましょう。
思うは田池留吉一筋の人生を選び取ってください。
1541) すべては自分の心の中の出来事です。良いも悪いも何もなかったこと、ただあるのは、本当のことが知りたい、本当の自分に帰っていこうとする切なる思いだけです。
自分はいったいどんな存在だったのか、区別差別、不公平、不平等の世界はなぜあるのか、なくならないのか、その中で、優越感と劣等感を互いに感じ合って、それでいったい私達は何を産み出してきたのか、その他、生きていく中で、様々な壁にぶち当たり、そのたびに自分を見失い、心の空しさを抱えたままだったのではないでしょうか。
全部、違っていたんです。何が違っていたのか、何を取り違えてきたのか、それがなかなか、なかなか分からなかったんです、今でも何も分からず、ただ己を前に出して生きている人達が殆どです。
自分を見失い、踏みにじり、どこに喜びと幸せがあるものですか。
まず、自分の愚かさ、根本的に間違ってきたことを心で知っていきましょう。そして、そこからではどのように生きていけばいいのか、母の反省と他力の反省を通して、自分の流してきたエネルギーの凄まじさから、気付いていきましょう。
1542) 「大事なことは、必要なことは異語で伝えている。」そう田池先生から言われたことを、ふと思いました。
当時、それはすうっと私の中に入っていきました。その通りです。セミナーで、異語で語る大切さと喜びと心地よさを感じさせていただいています。
異語で語るということは、私には喜びであり自然です。
ふるさとの歌を日本語で歌うのも嬉しいけれど、異語でリズムを取っている時のほうが自然で例えようもなく嬉しいというのが本音です。
昔、愛犬がいるときは、抱いているとき、散歩しているとき、異語でふるさとを歌っていました。
私は異語を発する喜びを知っています。だからここぞという時は異語です。
異語のエネルギーはすごいことを確認しています。
「口を動かしてください。異語を語ってください。」と、口を閉じている方にお伝えしています。どうぞ、素直にやってみてください。
異語で語るという喜び、心地よさを一人でも多くの方に味わっていただきたいと思うからです。頭を動かさずに、自分の思いを語る、語れるというのも異語ならではだと思います。
1543) 私は社交性という面において劣っています。人と関わり合っていくことが、どちらかと言えば苦手です。一人でいるほうが好きなほうです。
そんな私が、今、セミナーを通してたくさんの人との接触を持たせていただいています。ある意味、不思議な展開ですが、ともに学んでいきましょう、せっかくこうして学びに触れているのだから、ともに学ぶ喜びを味わっていきましょう、そんな思いが肉を動かしているのだと思います。
もちろん、あなたの肉を使って私はセミナーをしますというメッセージ通り、セミナーをしている私は私であって私でないことは、重々承知しています。愚かな肉ながらも、そのメッセージを素直に喜んで受け止めて、心のままにセミナーをさせていただいていることが、本当にありがたいと感じています。
上も下もなく、私達はともに学んでいく仲間なんだと、UTAの輪に思いを向けて、輪の中心、愛の波動を感じていってください。
次元移行を伝えてくれる意識の流れに沿って生きていく喜びを共有してまいりましょう。
私達は本当に幸せ者です。なぜならば、苦しみ喘いできた自分を安らぎの中へ、温もりの中へ、返していける術を学んでいるからです。
その術とは何か。それぞれの心で答えを出してください。
1544) 学びの友からのメールです。よかったなあと思いました。一読ください。
久しぶりのセミナー参加でした。主人は約2年ぶり、私も1年と3か月ほど通えない日々の中、なぜ、セミナーに通えない状況になってしまったのか、自分の心と向き合い、セミナーに出会う前、出会ってからの反省を繰り返す日々でした。娘の協力もあり、今回参加できて、とても嬉しかったです。主人も私もそれぞれ反省してきた結果を戴けた嬉しい嬉しいセミナーでした。塩川さんに触れて戴いた水をオーリングした時感じた瞬間で飛んだ世界が心に残っています。あれから、瞑想が変わりました。嬉しくて嬉しくて、家に帰ってからも「UTAの輪の中でともに学ぼう」のホームページを見ても感じる嬉しい意識の世界の波動、ああ、これだったんだ、私が知りたかったのは、これ、ここでしか感じられない波動の世界。セミナーはどんどん進化していっているのを感じ、意識の転回をしていくのにセミナー参加はかかせないと実感しました。今度はいつ行けるかは、未定ですが、瞑想するのが嬉しい、こんな幸せがあったんだ。この感じたことを次へと繋げていけれるように、日々、瞑想していきます。
犬と留守番をしてくれた娘に「寂しくなかった」と聞くと、「少し寂しかった」と言っていましたが、「またセミナーに行ってもいいかな」と聞くと、「いいよ」と軽い返事が返ってきました。
主人と二人で参加できた喜びのセミナー、次へと繋げていきます。嬉しさいっぱいの思いでありがとうございました。
1545) 21日の春分の日に、UTAブックさんが新しいソフトを私のパソコンに入れてくださいました。そして翌日、何組かの学びの友のご協力を得て、動作確認をさせていただきました。
なかなかいいようです。これを活用すると、一度に多くのご自宅と繋がって、短時間に一斉に瞑想も可能です。
活用するかどうかはまだ検討中ですが、とりあえず、4月にUTAブックさんが渡米なさるので、アメリカの方達との瞑想で使わせていただきます。
アメリカの方達はその広さから、一か所に集まるということに少々難がありまして、このソフトを活用すればそれも解消できると思います。
田池先生の元で学んでこられて今、60代、70代、80代の方達が多くおられます。その世代の方でパソコン操作ができるならば、そういう世代の方達をピックアップさせていただこうかなあとも思っています。まだ未定ですけれど。
1546) 「今世をあなたの転換期にしてください。」
このメッセージをしっかりとそれぞれの心でかみしめて、そして、心で実行に移してください。
今世こそ、今世こそと何度、肉体をいただいてきたことか。
今度こそは、今度こそはと心に誓った思いを実現するべく肉体をいただいてきたのに、全部全部ダメでした。全部全部失敗でした。
けれど今世は違うんです。過去の転生とは決定的に違う一点があります。
だから、それを千載一遇のチャンスと表現しました。
気負うことなしに、焦らずに、淡々として、その喜びを味わえる時間としましょう。
何のために生まれてきたのか、何をするために生まれてきたのか、すでにその答えはあなたの心ではじき出されています。
世の中の流れは間違いなく濁流です。その中でどんなに偉業を残しても、本当の自分に出会ない人生、本当の自分の思いに心を傾けない人生は、空しいだけです。
それが分かりますか。どんなに煌びやかで華やかな時を刻んでみても、何のために生まれてきたのか、何をするために生まれてきたのか知らずでは、真っ暗闇の中に存在しているんです。その現実を心で知りましょう。
1547) 毎日、楽しく暮らしておられますか。時間に追われている方もそうでない方も、決して自分を見失うことなく、本当の人生を全うしていきましょう。
自分に用意した環境の中で、自分のあり方を見直し、そして、ふうっと、田池留吉を思うことを実践してください。
形も何もなく、ただ思うということは難しいことかもしれませんが、私達は確かにエネルギーの中にあります。エネルギーである自分が、どんなエネルギーと響き合うのかが問題なわけです。
五官を通して得られる情報により、心の中から突き上がってくる思い、エネルギーを確認しましょう。日々の実践の中で、苦しみを垂れ流すことから、喜びを広げていく生き方を、きちんと学んでいきましょう。
汚してきた宇宙にごめんなさい、そしてありがとうの思いを伝えていける今であることが、本当にありがたいですね。
肉として肉に生きてきた暗い重みは相当なものだけれど、喜びと温もりの中で溶かして、自分を軽やかに解き放していく喜びと幸せを感じていく人生が最高の人生です。そうすることが本当の人生です。その人生を全うしていきましょうと呼び掛けています。ただ息をして活動していくのが、人生を生きるということではありません。
1548) 寒い日もあるけれど、段々春めいてきました。近くの公園の早咲きの桜が見頃です。時間的に余裕がある生活は贅沢な生活です。一定の生活のリズムの中で、意識の世界は宇宙を思う瞑想を継続。宇宙のリズムの中に、喜びであったことを心に感じる今が本当にありがたいです。
幸せを感じるのに本当に何も要りませんでした。日々の暮らしは程よく整っているし、自分の中の凄まじいエネルギーは、同居の母の肉を通して確認させていただいています。そして、そのエネルギーを瞬間の瞑想で喜びへ返していく作業をしています。
肉あればこそです。そして、部屋で一人思いを向ければ、もうそこには田池留吉、アルバートと呼ぶ喜びと幸せを堪能できます。
その繰り返しを、この肉の終わるその瞬間までできれば、もう何も言うことはありません。心の中の愛、私のふるさと愛を思う瞑想、宇宙を思う瞑想とともに、私は私を喜びで見ていきます。
1549) 気付き、自分で気付くということ、それが一番大切なことです。自分の心で、心から気付いていくことがなければ、どんな適切なアドバイスも右から左です。ただ耳を通過しているだけで、心は、意識の世界は受け取っていないことを知りましょう。
色々な出来事から瞑想を重ね、そして、自分の心で気付いていく、そういう学び方を習得しなければ、どんなに学びの時間が長くても、結局のところ、何も自分の中は殆ど変わっていないという現実があります。
思いを逸らさずに、自分を誤魔化さずに、人それぞれ、生きていれば色々あるなんていう言葉で変に納得しないでいただきたいと思います。
凄まじいエネルギーを蓄えてきたことを、本当に今、心から喜んでいるかどうか、そういう自分の間違った狂った生き方をしてきたからこそ、今という時に、本当のことを自分に伝える決死の覚悟をしてきたということ、どの程度、心で感じ心で分かっているのか、しっかりと精査してください。こんな恵まれた環境の下で学びを進めていけることは今世をおいてもうないと、知ってください。
1550) 何らかの縁あって、夫婦、親子、その他近しい肉の繋がりを用意しました。
すべては自分の蓄えてきた真っ黒で真っ暗なエネルギーを知っていくためです。そして根本的に間違って生きてきたことを確認して、そこから正しい方向に自分の心の針の舵を切っていくことが、私達が生まれてきた本来の目的です。
肉持たずして、そういうことをしていくのは不可能です。ということを、私達は本当はみんな知っているはずなんです。肉持たずして不可能なであることも、肉持つがゆえに困難なことも、みんな知っています。数限りない失敗の転生がそれを物語っています。
相当の覚悟で今世の今という時を迎えたということを、それぞれがそれぞれの心の中で知り得たら、自ずと自分の向いていく方向、生きていく道が感じられると思います。喜びの中にあることを知る喜びに触れ、自分に用意してきた肉、環境を思いましょう。
1551) 幸せな日々ですか。田池留吉、アルバートを思い、意識の流れに沿って生きていると実感できていますか。
肉、形の世界はいずれ消えてなくなる世界です。真っ暗闇の中で、幸せを喜びを探してみても、それはもうお分かりのことと思いますが、空しさ、寂しさが残るだけです。
それよりも、本当のことを知っていきましょう。私達は永遠に生き続ける生命(いのち)なんだと心で分かって、真剣に自分の行く先を思っていきましょう。
この先も真っ暗闇の中に固まった状態のまま存在するのか、それとも、意識を転回して、限りなく広がっていく世界に自分を解き放していくのか、その方向、生きる方向を選択していくのは自分です。
ただし、それには意識の転回というハードルがあります。このハードルを越えて、真実の世界に羽ばたいていきませんかと、あなたの中に意識の流れからのメッセージが届けられているはずです。
真剣に自分の行く末を思って、日々の時間を大切になさってください。
正しい瞑想を重ね、本当のことを選び取っていくと決断してください。
1552) 真に幸せな喜びの人生の時間を刻んでいきましょう。
一度きりの人生ではありません。生まれて死んでの繰り返しの中で、まとう肉、形は変わっても、生まれてくる時代、場所は変わっても、私達の中身は同じです。肉から意識への転回がないということに変わりがなければ、どこに生まれても、どんな時に生まれても、どんな肉という形を持っても、真の幸せな喜びの転生とはなり得ない、苦しみの垂れ流しをして、その生涯を終えていくということになります。
ようやく、そのことを心で分かり得るチャンスが到来したのです。
なぜ苦しみの奥底から抜け出せないでいるのか、真っ直ぐに伝えていただきました。
金、神で喜びの人生を送ることができると信じて疑わなかった意識に、届いた衝撃の波動の世界。
信じて待っている真の波動の世界にしっかりと向き合って、そして、自分の中の喜び、温もりを信じていくと決めた人生は、真の幸せな喜びの人生となるに違いありません。
1553) 何をするでもないぼぉーとする時間は確かに必要であり、いいことだと実感しています。肉が活動的であれば、生きているという実感があって有意義な日々を過ごせるであろうと私はずっと思ってきました。
だけど、そこからいったい何を産み出してきたのだろうかと、今、思います。肉として肉で生きていた頃は、それでよかったのかもしれないけれど、今となっては、そうは言えません。
産み出すどころか、相も変わらずに、闇を垂れ流してきたんだと分かります。見る観点が違えば、こうも違うんだということでした。
一番大切なことは、思う思いの向け先をしっかりと知っていくことでした。
思う思いの向け先を正しい方向に向けて合わせていくことは難しいけれど、それでもそうしていこうと学ぶ機会に恵まれているということが、何よりも幸せなことだと思います。
一歩を前に踏み出せれば、それをただ喜んでいけばいいだけです。
田池留吉と思う、アルバートと思う、意識の流れを思う、幸せな人生です。
1554) まだ先のこと、2020年のことです。2020年UTAホール志摩での一泊二日のセミナー、4回あります。UTAホール大宝での一日2時間のセミナー、3回あります。
それぞれ参加していただく条件を決めました。内訳は、志摩は一回は同居の学びの友、夫婦親子等々です。二回は仕事、子育て、介護等で二泊三日のセミナー参加が難しい方、あと一回はこれまで一度も志摩ホールのセミナーに参加されていない方です。ただし4回とも、原則ふるさと苑の枠はありません。また、大宝は二回は、50歳未満の方、一回は50代の方です。
いずれ抽選の日時などはNPO法人UTAの輪のホームページに掲載されます。
来年のことなので、予定は未定ですが、一応ご報告まで。
1555) 田池留吉って何だ、アルバートって何だ、意識の流れってどういうこと、学びに触れてからも、自分の中にそういう疑問があると感じたならば、学びの基本から始めてください。
田池留吉、アルバートの存在を信じ、意識の流れがあることを信じていると自分の中で確認できるまで、むやみやたらと瞑想をしないことです。
学びの動機が違っているからです。瞑想をして一定の効果が出ることはないです。だから、いつまでも肉か意識かの中でうろうろして、自分の進むべき方向が定まらないのです。
学びと欲は合いません。自分の欲を満たすために学びがあるわけではありません。学びをしたから苦しくなった、どうすればいいのか迷ってしまって、これならばいっそ何も知らなければよかったと、案外そういう思いを抱えながら、惰性で学びに触れている人も多いのではないでしょうか。
純粋に真剣に学んでいこうとする人の数は少なくても、私には特に何も影響がありません。特に困る、悩むこともないし、それこそ意識の流れの流れには全く関係がありません。
ただ、ともに行こう、同じ方向を向いて生きていきませんかという呼び掛け、いざないを続けていくだけです。素直に応じるか否かはそれぞれの決断です。
1556) あなたが今、犬や猫などと暮らしているならば、どうぞ、彼らから全托するという自然を教えてもらってください。
彼らは、自分を形あるものだと認識していません。ただ委ねていく、すべてを任せていくことが自然になっています。
もちろん、人間とともに生活をしているわけですから、少々自然から遠くなっている部分もあります。ですが、基本的には、すべてを任せている自然の中にあります。
そこから流れ来る波動をしっかりと感じてください。それが、あなたの中の本当の自分の存在と合致する波動です。
ただ可愛い、可愛いと溺愛するのではなく、今、ともにある喜びを感じ取ってください。
意識の流れに「はい」と応じていくことが、私達人間には難しい現実があります。肉でいいことは「はい」と言えるけれども、そうでないものはなかなか素直に受け入れられない他力の世界を自ら作ってしまいました。
けれど、今世、学び始めたのだから、もうそろそろ自ら作ってきた他力の世界を崩していきましょう。そしてもっと軽くすべてを任せていける温かい安らぎの世界へと自分を解き放してまいりましょう。
心がつかみ、心を縛っているものを離していく、それは自分でする以外にありません。そうやっていける私達なんだと学ばせていただいているのではないでしょうか。
1557) 幸せだなあって思います。目を閉じて、すうっと思いを向けられる今があるからです。思うことが嬉しい。思えることが嬉しい。
幸せも喜びも全部自分の中にあって、その幸せと喜びを間違ってきた自分に伝えてやればいいということを知りました。自分が自分に本当のことを伝えられることが嬉しい。自分の中の喜びと温もり、すなわち自分の中の田池留吉を思うことが嬉しい。思えることが嬉しい。そんな時間をいただいています。
私は、50代前半頃から身体に少しずつ変調があり、現在に至っています。今60歳を迎え、元気溌剌とは言い難いですが、それに応じた環境設定の中で、ゆっくりとゆったりと日々を過ごせることを喜んでいます。
皆さんも、家庭に、仕事に、自分の肉体細胞に様々な現象があると思います。また、昨日令和という新元号が発表されました。平成から令和へと元号が変わり、時は流れていきますが、新元号に込められた思い通りに日本の国が歩んでいけるかどうかは、学んでいる皆さんならば、もうお分かりだと思います。
私達がするべきことは、身の周りに起こる現象、世の中の流れから、しっかりと自分達の間違いを確認していくことです。自分の心の針の舵を正しい方向に切っていけるように、肉体時計を刻んでまいりましょう。1558) ZOOMミーティングの参加はどうでしたでしょうか。私も9時30分過ぎ頃に参加させていただきました。
画像も綺麗でよかったと思います。ただ何人かの方は、お部屋の照明が暗くて、誰なのか分かりませんでした。お顔を隠しての方もおられたようです。
音声をミュートにするとか、パソコン等の操作に不慣れな方は戸惑うかもしれませんが、それも最初だけで、一応手順を覚えて慣れてください。
UTAブックさんのホームページによると、ともに瞑想をする企画も考えておられるようですが、私としましては、まずはアメリカの方達との瞑想に活用させていただいてから検討したいと思っています。
とりあえず、双方向ではないライブ配信を、4月4日(木)の午後2時に予定しています。お時間の都合がつく方は、ぜひともに瞑想をしていただければ嬉しいです。1559) いつの時代も必死で生きてきた、そんな感じです。しかし、それは同時にすべての転生が暗闇の中でもだえ苦しんできた動かぬ証拠だということです。肉は肉としては、一生懸命、必死で報われないかもしれないことも承知で生き抜いてきた、だから私は立派に人生を全うした、そう思って死んでいったたくさんの私がいます。
それらすべてに、違っていたんだ、間違っていたんだ、何も分からずに、ただ己を前に出して生きてきただけのことだった、だから、幸せなんてなれなかった、喜びとは程遠い中なのに、それを認めることが怖くて仕方がなかっただけのことだった、上辺は幸せそうに振舞っていても、そうじゃないことはみんな自分が知っていた、だから苦しかった、そんな自分が嫌だった、呪い殺そうとしてきた、振りほどいても振りほどいてもまつわり付いてくるその手が、思いがうっとうしくて、自らを何度たたき殺してきたことか、そんな過去の私の思いが、今、喜びの中でようやく日の目を見ることができて、私はとても嬉しいです。温かい中へ喜びの中へ、安らぎの中へ、自分をいざなっていける優しさを感じて、私は幸せを感じています。
苦しくて狂ってきたどうしようもない心の歴史が山ほどあるから、今、正しく思える方向を知った今が、本当にありがたいです。
1560) お金を稼ぐことから解放された私の日常に立ちはだかる強者(つわもの)がいます。なかなか手ごわいアマテラスです。
闘いのエネルギーをつぶさに感じられて、私はとても楽しいです。
母とは最期までこういう闘いを繰り広げていくのだろうと思います。
闘いといっても、陰湿な相手を叩きのめす闘いではありません。
こうして互いにアマテラスの世界を抱え持って、今世、親子の縁を結ばせていただいたことが、私にとってありがたいと思います。
自分の中からほとばしる闘いのエネルギーを、ふっと帰していける喜びと楽しさを感じます。
近しい関係だから、容赦なくまたストレートに学ばせていただく今の時間、苦しいどころか、私にはとてもありがたくて楽しい時間です。
私はアマテラスのエネルギーが大好きなんです。以前は違っていました。アマテラスを前面に出していただけでした。しかし、アマテラスの心のひだに触れ、アマテラスが本当に好きになったんです。
皆さんも、アマテラスを心から愛してください。ワン・ツー・アマテラスの現象、ますます磨きがかかるでしょう。楽しみです。
1561) 私は特別ではありません。私も今肉を持っています。愚かな私を自分の肉を通して見ています。学んでいます。
ただ、私は私の今世は違うことだけははっきりと知っています。
私の中の確信、本当の自分との出会い、愛に目覚める道を知るという確信があって、それを深めていく今世だということを、私ははっきりと知っています。
私は田池留吉を信じています。田池留吉、アルバートの波動との出会いがありました。その出会いはまさに衝撃的なものでした。
それ以降、右へ行ったり左を向いたり、後ろを向いたりしません。
ただ真っ直ぐに続き伸びる愛へ帰る道を見ています。
250年後の来世の私が今の私とともに、過去の私をすべて引導してくれています。そこには大きく両手を広げ待ってくれている母の、アルバートの広くて広いどこまでも広がっていく温かで力強い波動の世界があるだけです。
さあ行こう、力強く喜びのいざないに呼応していく時に向けて、今、しっかりと学んでいこうではありませんか。
1562) 約1か月ぶりのライブ配信でしたが、開始が遅れて申し訳ありませんでした。今回も自分の死後に向ける瞑想をしていただきました。死後の自分の状態を知るということがとても大切です。とりもなおさずそれが自分達の現実だからです。
自分に肉という形を用意して、自分の現実をしっかりと知っていくことを自分に約束してきたんです。肉の中に埋もれ肉で紛れ、もう自分のするべきことを見誤らないようにしていきましょう。
生活の中ではすること、するべきこと、したいこと、色々とあると思います。ですが、それは本当に程々にしましょう。修行でもなく道徳でもない学びですが、肉のことでとらわれて、掴んで、拘って、苦しみを膨らませていくのだけは、止めにしましょう。
肉は楽しんでいいんです。肉の喜びと幸せを味わいながら、本来のするべきことをきちんとして、自分の生きていく方向をきっちりと定めていくことが要求されます。本当の自己確立の道とはどんな道なのか、肉ある間に、どなたもしっかりと学んでください。
1563) 大切な肉ある時間です。どうぞ、本当の自分の思いに沿って、どなたもその大切な肉ある時間を喜んで使っていきましょう。
自分の中の切なる思いは、本当の自分に戻っていこうとしています。
「戻りたい、帰りたい、私のふるさとへ、母の待つあの喜びと温もりの世界へ。」
言葉を連ねればこんな心の心からの叫びです。その叫びに肉を持てば、耳を塞ぎ心を閉ざして生きてまいりました。それが私達の今までの数限りない転生でした。
そんな本当の自分の思いに声に耳を塞ぎ、心を閉ざした状態では、どんなに何をしても、何を手に入れても、決して幸せにはなれない、幸せとはどういうことなのか、喜びとはどういうことなのか、分かるはずもありませんでした。ただ己の欲のままに突っ走って、そして肉を離した瞬間、地獄の奥底に沈み込んでいる自分があるだけだという現実があったのです。
もう止めよう。もう止めよう。自分が可哀そうです。愚かな自分を抱きかかえ、そして、もう帰ってまいりましょう。喜びの自分へ、温もりの自分へ、自分を戻していきましょう。ともにある喜びの中で、心から喜びを味わっていきましょう。
1564) 2019年も、年の後半よりお水を使って、それぞれの反転力を確認する作業が実施されます。特定の人達にOリングの硬さを数字で評価されることに対して、何か引っ掛かりがあるといったことを、私はこれまでに聞き知っています。
そんな中で、今年も作業を淡々と実施します。気の進まない人はあえて参加されなくていいと思います。ただ、Oリングのお手伝いをしてくれる人達は、それなりにそれ相当の練習を積んでいます。Oリングの練習を積むということは、どういうことだと思いますか。
Oリングの硬さを数字で評価するという作業は、確かに難しいし、微妙な部分があることは否定しません。
そもそも、評価をする必要があるのかということだと思いますが、まあそう四角四面に考えずに、あの反転という一瞬を、セミナー会場で体験してみてください。反転は一瞬です。
そして、そこで高い判定数値が出れば、どうぞ、私の反転、一瞬の反転をあなたの肉体を通して知っていただければと思っています。
1565) 昨日に引き続き、今年後半から始まるお水を使っての反転力の確認作業について、もう少し語らせていただきます。
反転力を数値で評価するという作業をしてくださる学びの友が新たに増えます。形としては、評価する人、される人ということですが、それは形の上だけのことです。
この確認作業は、評価される人だけのお勉強ではありません。それどころか、実はそれ以上に評価する人のお勉強だと言ってもいいのかもしれません。互いに自分の学びに繋げてください。
この反転力の確認作業を通して、それぞれ色々な思いが錯綜します。
反転力を数値で評価するというところだけにポイントを置くのではなくて、そのことを通して、それぞれに自分の心に上がってくる思いを見るということのほうが何倍も何十倍も大切だということを、お互いに心に留め置いて、セミナー後のこの作業を楽しんでまいりましょう。
その中で、8とか9とかの数値が出れば、楽しみが倍増します。
1566) 主として岐阜県にお住いの方達とのスカイプ瞑想会が昨日ありました。広い部屋でゆったりと現象ができる環境があるんだと思いました。
人数が少ないので、集まる回数が多くなると、癒着という恐れがあるということは否定できませんが、みんな学びの仲間なんです。そこには、上下がありません。それぞれが心に愛を広げていける、愛の中にある幸せな生き続ける生命(いのち)です。
自分の心の針を外に向けるのではなく、中に向けることを絶対に忘れずに、どうぞ、学びの環境を活用してください。
そこに集まる人達が交代で、学びを進行する役を受け持って、互いに学びの質を上げていこうと試みてください。
くれぐれもみんなでやっていく基本姿勢、自分の中の思いを憚ることなく吐き出して、みんなで学んでいこうという雰囲気を大切に育ててください。
1567) ともに学ぶ仲間がいる、幸せなことではないですか。一切の利害関係なくただ、田池留吉を思い、アルバートを思い、意識の流れに思いを馳せる、そんな時間と空間を共有しようと、様々なルートから学びに繋がってきた仲間です。意識の世界には上下はありません。一切ありません。
ただ、どの程度純粋に真摯に素直に、田池留吉を思い、アルバートを思い、意識の流れに思いを馳せているか、それによって、大きな開きがあることは確かです。
発する言葉が同じでも、波動は違います。心の針の向け先、角度、それを確認できるのが、今、肉を持っている今です。
アルバートの波動と出会いたかった、心からそう叫んできた自分自身との出会いを田池留吉の肉は叶えてくれました。反発して抵抗して馬鹿にしてきたけれど、あの波動との出会いは私に有無を言わせませんでした。何もありませんでした。心で感じ心で受け止めたから、だから信じていけるのです。本当によかった、幸せ者だと思います。
そのうえ、ともに学ぶ仲間がいる、本当に幸せ者です。全部、田池留吉の意識の世界が布石を打ってくれたものです。それを辿っていくことが、自分を真実の世界へといざなっていくのです。
1568) ゆったりと流れる時間の中で、目を閉じて自分の中の宇宙のリズムを感じていくことは幸せなことです。喜びです。
どんなに間違った暗い真っ暗なエネルギーを垂れ流してきても、それを喜びの中へ、温もりの中へ吸収していけることを感じるからです。
帰ってきなさいという確かな呼び掛けに素直にそうただ素直に応じていけばいいということでした。それが意識の流れが伝えてくれているメッセージでした。
それを己というものを前面に出して、みんな自分で握り潰し踏みつけにしてきたんです。どんなに愚かな自分達であるか、肉という形を本物として、肉という形を信じてその中で、自分を見失ってきた愚かな人生に、自らピリオドを打つことが待たれています。
肉に引きずられ、肉に埋没していくその行き先は、もう先刻ご承知です。
自分の現実から目を逸らさず背けず、勇気を出して意識の流れに沿った生き方を選び取っていきましょう。選び取っていくべきだということを、どなたもご自分の心で確認なさってください。
正しい瞑想が出来てくれば、その確認も容易です。ただし、愚かな肉を持っているので、心の針の向け先の管理を怠っては意味がありません。
次回ライブ配信予定日は、4月10日(水)午後2時です。
1569) 今年後半から始まるお水を使っての反転力確認作業に、新たに協力していただく方達が正式に決まりました。
このことをきっかけにして、それぞれご自身の学びの姿勢をしっかりと確認していただければと期待します。
ともに学ぶ私達です。老いも若きも男も女もありません。ただ今、こうしてともに肉を持ち学べるチャンスを自ら用意してきたことを真摯に受け止め、喜んで喜んで前向きに学んでいきましょう。
どんな思いが出てきても、それはいいんです。それを野放しにせずに、しっかりと確認して、自分の生きていく方向、歩んでいく方向をきちんと田池留吉の意識の世界が指し示す方向に合わせていこうと、その肉のすべてを活用していけばいいと思います。
みんなそれぞれに250年後の来世が待ち侘びています。そのことはそれぞれがそれぞれの心の中で知っていくことができます。もちろん、そこに行き着くまでには、大変な転生が待ち受けていますから、今世、しっかりと自己確立をやる必要があるのです。
1570) 一定の生活のリズムを刻みながら、刻々と過ぎ去っていく時の流れの中で、確かな喜びと幸せを感じていける今でしょうか。
生活のリズムはなるべく一定にしてください。その安定したリズムの中に肉体を漂わせ、そして思うんです、遥か遥か彼方からの自分を。
ようやくここまで辿り着いたこと、心から喜んでいきましょう。苦しくて辛くて悲しくて重くて冷たくて真っ暗闇の中から、ようやく見え始めた一筋の灯り、一本の道です。
出会いを心から喜んでくれた波動の世界でした。心から待っていましたとそう、しっかりと力強く伝えてくれた波動の世界でした。
素直になって、そしてすべてを託する喜びと安心感を広げていける瞑想に取り掛かってください。
何も恐れることはありません。心を開いていくだけです。凄まじいむごたらしいエネルギーは、本当の自分に帰っていくことを切望しています。母の温もりの中にこそ、たったひとつの救いがあったのです。自分を救っていくことをしっかりとやっていきましょう。
1571) ライブ配信、リアルタイムで瞑想をしてくださる学びの友からのメール、ありがとうございます。短い時間ですが、ともにふっと思いを向けられる今がやはりありがたいと思います。
当分の間、ライブ配信の時間の瞑想は、主として自分の死後に思いを向ける瞑想とします。
曜日は土、日も考えましたが、平日の午後2時の予定でいます。
お時間の都合がつく方は、ぜひリアルタイムでライブ配信に参加してみてください。UTAブックさんが時を移さずにホームページにアップしてくれますので、後でそれを活用なさってもいいと思いますが、もし時間の都合がつくならば、ぜひ同じ時間にあなたの心の針のチャンネルを合わせていただければと思います。
1572) 昨日のライブ配信でお伝えしたメッセージです。今一度、学びに対する自分の姿勢を確認ください。
何も持たない、持てない、ただあるのは、思いの世界だけです。
その思いの世界が実は自分なんだということを、心で知る心で分かっていく学びです。肉として一人の人間として、どんなに満ち足り裕福であっても、自分の思いの世界、すなわち自分自身がどんな状態であるのかを知らずでは、生まれてきた意味が殆どありません。
なぜ、自分に肉という形を用意したのか、思いの世界にある自分をしっかりと学ぶためです。学んで間違い狂い続けてきた自分の世界から本来の明るい世界へ温もりと喜びの世界へ帰っていくために、全部自分で計画してきたことでした。
その自分の思いをいつ、どんなタイミングで心に感じていけるか、そのタイミングをいつまでもどこまでも逸すれば、もはや地獄の奥底の底のずっとずっと奥底から自らを浮き上がらせる術はなしです。打つ手なしです。
こういうことを、どうぞ、今の学びの時間の中で、正しい瞑想を通して、自分の心で分かるようになってください。
今世、肉を持つ必要がない世界から肉を持ったという確かな事実がありました。それはいったい何を意味するのか、決して軽いものではありません。
1573) 大変厳しいけれど、大変優しい。真実はそういうものだと思います。
いい加減なあやふやな肉の中に慣れ親しんできた私達です。その思いで、その目線で意識の世界を理解しようとすることが、どんなに傲慢なことなのかということだと思いますが、それもどの程度心で分かっているかは、甚だ疑問です。
意識の世界の法則は、1+1=2、1+2=3、というように、はっきりとしています。限りなく2に近い、限りなく3に近いということはあり得ないことです。
だから信じられるのです。だからすべてを委ねていける安心感が広がっていくのです。
私達は、これまで信じても委ねても、結局それは違っていたのです。信じること、委ねることがどういうことなのか、何を信じようとしてきたのか、何に委ねていこうとしたのか、そう思いを馳せれば、その先には、欲の思いがあったのではないでしょうか。
真実の世界には欲は一切通用しないということ、厳しく優しい目で自分の心を見ていく必要があります。
1574) 自分の生きていく方向、進む方向が定まっていますか。しっかりと定めて安らぎの喜びの人生にしましょう。自分の中に戻っていく幸せを感じてください。自分の中に本当の安らぎの場があったのでした。目を閉じてそして思いをすうっと向けていけば、そう確認できると思います。できるはずです。たったひとつの喜びの道をしっかりと自分の中に確立していける今世だということを知っていきましょう。
どうぞ、正しい瞑想を継続してください。正しい瞑想を続けていく中にこそ、生まれてこれた喜びを味わえることでしょう。
生まれてこれたこと、産んでもらったこと、自分の地獄を知っていけばいくほどに、本当にすごいことなんだと痛感できます。
何を思っているか、何を思っていけるかで、喜びを広げていくのか、苦しみの中から抜け出せないでいるかが決まってきます。
手に入れたものがどんなに多くあっても、正しい方向を思えなければ、安らぎの喜びの人生とは程遠い人生に終わってしまうことは、学んでいる方ならばご存知だと思います。本当の安らぎの人生、喜びの人生を味わえるチャンスをお見逃しなく。
1575) 平成の時代ももう後僅かです。元号が令和に変わっていくけれども、そうして時が流れていくけれども、私達の心の世界、意識の世界はどうでしょうか。
濁流の世の中の流れに浮き沈みの人生というところは、なかなか変えられそうにもありません。
意識を変えていく、意識の転回を図っていく、なかなか本当の意味で浸透するに至っていません。ただ、意識の流れは粛々として流れているから、遠からず、形の世界の総崩れという現象はやってきます。
いつも心の針の向け先の確認を怠らず、一瞬に合わせていける訓練を練習を積み重ねていってください。
肉のことは程々に。何が最重要課題なのかということに焦点を合わせて、ぶれずにしっかりと自分の切なる思いを果たしていきましょう。
それぞれがそれぞれに約束してきたこととは何だったのか、それを思い出して必ず成し遂げてください。
何のために生まれてきたのか、何のための人生なのか、自分に問い続けていくことが大切です。すでに答えを出しているかもしれませんが、肉を持っている以上、細心の注意を払って自分の学びの歩みを進めていきましょう。あなたには心に隙間がありませんか。その隙間に巧みに入り込んでくるのが肉という厄介な世界です。心の針の向け先の管理をしっかりとしていきましょう。
1576) UTAホール志摩セミナー、ありがとうございました。今回も瞬間波動の勉強の時間をいただき、私は嬉しかったです。
さて、今回のセミナーでも感じたとおり、本当の喜びと幸せの人生とは、自分の中の真っ黒なエネルギーと出会っていくことから始まります。
お金では幸せになれません。神も同じです。そんなまやかしの人生ではなくて、自分の中の真っ黒な凄まじいエネルギーと対面し、そのエネルギーすなわち自分の思いがどんな思いなのか、心の底の底から絞り出し、ほとばしる思いに触れていったとき、どんなに嬉しいか、どんなに喜びなのか、これこそ我が人生なりと叫ぶ体験をしてみてください。
お金や神や物や人などで絶対に味わえない喜びと幸せです。
全然違う、全く違う、肉を持ってきた本当の意味が全く違っていたことが頷けると思います。
自分の中にしっかりとしたはっきりとした生きていく道が見えてくることが、もう幸せでたまらない、そうなってきます。
生きていく方向を定めて、その方向に歩んでいけば、間違いなく喜び、幸せの道なんだと心で確信できれば、こんなに幸せなことはないでしょう。
すべてはあなたの心の中の出来事です。何を取捨選択していくか、そしてその結果は全部自分のものだということを心にしっかりと留め置いてください。
他力の道は破滅自滅の道です。
1577) 心を見てください。真剣に自分の心を見てください。そしてもうひとつ、真剣に自分の学びの姿勢を問いただしてください。
セミナーに参加しているから、学んでいるとは限りません。どんな思いでセミナーに参加しようとしているのか、セミナー会場の現象の場で感じたものをこれからの自分の生き方に本当に活用していこうと心から思っているのか、それともただ惰性でセミナーがあるから行く、ただそれだけのことなのか、確認精査してください。
そうしないと学びに費やしているエネルギーに対しての効果は殆ど見受けられません。はっきりとしたしっかりとした意思表示のもとで、自分のこれからの生きていく方向を見定めてください。
250年に至る何度かの転生で自分を見失ってしまう恐れを抱えている人達がまだまだ数多くいます。
学びは宗教、他力信仰ではないということを、頭の理解ではなく心から分かっていただきたいと思います。
1578) 日々の生活を楽しくゆったりと過ごせるのは、本当のことを心で知っているからです。生まれてきた意味をしっかりと心で分かり、本当の自分の指し示す方向を向いて、本当の自分が伝える意識の流れに沿って歩いていく道が見えているからこそ、肉もまた楽しからずやというところです。
本当のことを知らなければ、肉の楽しみ喜びは空しさだけを残していきます。いいえ、それどころか、相も変わらず闇を垂れ流し、宇宙を汚しまくっていく始末です。 そんな全く次元が違う愚かな生き方しかしてこなかったことを、一日も早く自分の心で分かっていくことが要求されています。 あなたが本当に幸せを感じるには、喜びの世界へ温もりの世界へ戻っていくには、こちらですよ、こちらしかありませんよ、そちらは違いますよ、繰り返し、繰り返し伝え続けてくるでしょう。 当然、現象は厳しいものになってきます。しかし、それはただ厳しいというだけではもちろんありません。その根底にあるのは喜びと温もり、愛のエネルギーだからです。他力の心のままではそれが感じられないだけです。現象を呪って恨んで、そして自滅していったこれまでの道を、あなたはこれからもまだ歩き続けますかということなんです。
今世をあなたの転換期にしてくださいという意味を心で受けてください。
1579) UTAブックさんが明日、アメリカへ行かれるそうな。 思えば、昔、昔アメリカでセミナーがあって私も何回か参加させていただいて、それが終了したから、もうアメリカへは行くことはないと思ってきました。
UTAブックさんがアメリカへ行かれるのは今回が初めてではないし、以前に行かれることを聞いても、特に何も思いませんでしたが、今回はなぜかアメリカに行ってみたいなあと思いました。 身体の調子云々があるから、その思いは現実とはなりませんが、アメリカセミナーに参加させていただいた頃が妙に懐かしく思い出されます。
来世、250年後に肉を持つニュージャージの地に、今世の肉を運びたいという肉の思いが出ます。
そんなことをしなくても思いは、意識の世界はすでに250年後の来世とともにあるのにと思います。
そんなこんなの思いを抱えて、次の日曜日、21日には海外在住の方達とZOOMを使ってともに瞑想をする時間を持ちます。
短い時間ではありますが、ともに心を向けられることを喜んでいます。
1580) 日々の中で、一瞬流すエネルギーがどんな凄まじい勢いで飛び出てきても、次の瞬間、向け先をふっと変えていけることを知っているから、何とも言えず嬉しいし幸せです。そして、もう少し長く時間を取って落ち着いて瞑想の時間を持てる日常であることも幸せな時だと思います。
心を向ける向け先を知っている、思える喜びと安心感を広げている、これまでの転生とは全然違う肉を持つ時間です。
そのうえ、私達には、250年後の来世が待っているということも学ばせていただいた強みがあります。
間違い続けてきた過去の転生、そしてこれからの転生は過去の転生以上に大変厳しい転生になることは違いないことですが、生き続けてきたたくさんの自分とともに、250年後の転生の確かな手ごたえを感じたならば、こんな幸せはないと思います。
さて、あなたは力強い意識の流れに沿って存在していこうという思いが、日々の瞑想の中で深く強くなっていますか。
心に呼ぶアルバートへの思い、アルバートを求め続けてきた自分の中のたくさんの自分達。瞑想でどんどん、どんどん感じていってください。
1581) 苦しい現象、辛い現実、受け入れがたいこと、みんなそれぞれ色々とあるでしょう。
それを通して自分の心を見るということは、なかなか難しいと思います。暗い、真っ暗な思い、見たくない思いを確認することを喜びでできないというのが本音ではないでしょうか。
それでも、しっかりと自分の今を、自分の現状を知ることから始めなければなりません。
今、ライブ配信のとき、死後の自分を思う瞑想をやっていますが、その死後の自分は何を語っていますか。苦しいとようやく伝えてくるのではないでしょうか。そして、今だよ、今、肉を持っている今、感じていきたい、本当は喜びの中に温もりの中に生きていることをしっかりと知っていきたい、と切々と語ってくるのではないでしょうか。
そして、切々と語る中で、欲に塗れ、無知だったことを知り、本当の自分を裏切り続けてきたのは私でしたと心から知っていくことが、こんなにも嬉しいことだったと、何か一筋の灯りを感じているかもしれません。
苦しいとき、辛いとき、悲しいとき、その心を見ることは難しいことかもしれませんが、そんなときほど、心の針を田池留吉の意識の世界に向けてしっかりと自分の思いを語る、心を語ることが、自分を救っていくんだと知りましょう。思いを語り、心を語ることによって、自らの愚かさに気付いていってください。
1582) 悠々自適の日々です。悠々自適と言いましても、俗世間から離れて暮らしているわけではなく、街中の雑踏の中に身を置いています。一歩外に出れば、人は忙しそうに通りを歩き、大通りは車の行列、24時間営業のコンビニ、フィットネスクラブと夜も灯りが消えることはない環境です。
ただ、私は、私の中ではゆったりとゆっくりと流れる時の中で思いを馳せる喜びを感じられる今だという意味で、悠々自適の日々と表現しました。
生活をしていれば、色々と現象はありますが、ふうっと思いを向けられるから幸せだと思います。
思う喜び、思える喜びを知った今世です。決してお金では買えない喜びと幸せ、安心感が広がっていく中で、何はなくとも幸せということが本当にあるんだとしみじみ感じます。
加齢とともに身体的不調、体力、気力の衰えは避けられないけれど、心の針の向け先の管理は怠らず、今の人生の閉めをきっちりとしていこうと、この頃よく思います。
肉を離すとき、持って帰れるものを大切に肉を持つ時間を過ごします。
1583) 伸び伸びとゆったりと静かに喜んで今という時に心を向けて、そして自分の切望してきた通りの道を歩んでいるか、検証してください。
喜びです。嬉しいと心から沸き起こってくる、突き上がってくる瞑想の時を持っていますか。
こんな幸せな時間に自分をいざなっているんだ、嬉しくてありがたくて、ただただ幸せを感じます。
田池留吉と思う、田池留吉と呼んでみる、そして遥か遥か彼方の自分を思ってみる、幸せなことではないですか。
どんなにこの時を待ち侘びてきたことか、自分の中から切実と伝えてくる自分達の思いに触れていけば、今、肉を持っている今がどんなにすごいことなのか、はっきりと感じてくるはずです。
それが私達意識の世界の真実です。意識の世界に生き続ける自分達だったことを、一人でも多くの方が、肉を持っている今、その喜びに出会っていけばと思います。肉のことは程々に。本当の人生を生きていきましょう。
1584) 先程、ZOOMミーティングを使って、海外在住の方達とともに瞑想をする時間を持たせていただきました。通信は非常に安定していてスムーズでよかったと思います。
僅かの時間でしたが、ポイントを押さえ凝縮した時間だったと思いますが、
UTAブックさん、現地に出向いていただき、お世話いただきありがとうございました。ハドソン川の川辺散策、いいですね。
250年後の私には、ハドソン川が大きな転換場所となります。出会いがあって、そして250年前の日本の国、田池留吉という人物が走馬灯のように蘇ってきます。
今とは全く違う環境ですが、それでも心の中のエネルギーが喜びとともに爆発していく瞬間を用意していることにただただ感謝です。
1585) 桜の時期も終わり、花びらが風に乗って散っていきます。変わって木々の緑が目に鮮やか、近くの公園には鯉のぼりも泳いでいます。
季節の移ろいは早いです。日本では10連休ももうまもなく。平成から令和へ。ただし人々の心の中の歩みはまだまだです。
相も変わらず、目の前の出来事に一喜一憂。そして、金、金、金の地獄から自分達の心を解き放していくには道遠しです。相当の事が起こってこなければ、目を覚ませない現実です。
その中で、こうして肉を持たせていただいて、自らに目覚めよう、真実の世界に目覚めていこうと決心してきた私達です。
どうぞ、その思いをぜひ実現できるように、今世の肉を持つ時間を大切にしてください。そして、三次元最終時に必ず意識の流れの呼び掛けに心から応じていけるように、ただひたすらに思うは田池留吉の道一本に心定めていきましょう。
1586) 選択肢、生きていく選択肢をまだいくつも抱えていますか。
肉を維持するのにある程度のものを要しますが、それは文字通りある程度です。度を過ぎれば、もうそこには地獄の世界が大きく口を開けて待っているだけです。自らその中に入り込み、そして苦しいだの、辛いだの、悲しい、寂しい等々、自分勝手な思いを垂れ流してきた、それがこれまでの数々の転生でした。本当に自分勝手に生きて、自分勝手に苦しみ悩み嘆いてきただけのことでした。
本当の喜び人生を生きるには、その自分勝手な己という壁を自ら崩していく以外にないでしょう。自ら崩していく以外にない、その通りです。
様々な現象を通して、本当の自分が偽物の自分を正しい方向に引導していっていると気付いていけば、道は自ずと見えてきます。喜びに帰る道、愛へ帰る一本道が見えてきます。
「思うは田池留吉一筋に生きていくことです。選択肢はありません。」
瞑想してください。正しい瞑想をしてください。そうすれば、どなたの心にも伝わってくる上記メッセージです。
安心安全喜び幸せの人生はこれ以外にありません。
1587) 堂々巡りは止めましょう。自分なりに正しい瞑想をして、心に引っかかることに対して自分の中から回答が出てくれば、それに従って生きていけばいいんです。その選択が間違っているかどうかは、また自分の中に伝わってきます。その伝わってくる波動の世界があなたが今住んでいる世界です。
それをどう思えるか、どう評価できるか、絶対的評価の元で学びをしていくことが要求されます。
死後の世界を思う瞑想でお分かりのように、思いの世界、意識の世界には、自分しか存在しません。喜び、温もりとともに生きていくのか、苦しみの奥底に沈んだままであるのか、二者択一するのは自分であり、心の針を向けていくのも自分です。
自己確立の厳しさを学んでください。厳しいけれどそれがたったひとつの真実であり、愛なんだと心で知っていくべきです。
まやかしは通用しません。田池留吉、アルバートの意識の世界にはまやかしは絶対に通用しません。
次回ライブ配信予定日、4月26日(金)午後2時です。
1588) 学びの友からのメールです。一読ください。
ずっと相対評価の中で生きてきたから 絶対評価が難しい。人と比べて、いつも周りを意識してきた。たくさんいると思ってきたから。でも本当の世界は誰もいない。
死後の瞑想は、それを実感できる時間。ふっと出てくる心の引っかかりを見逃し握ってそのまま地獄に住むか、そこですっと離して、田池留吉の方に針を向け、ともに帰ろうと自分の中でやっていけるか。ただひたすらそれを自分の中でやり続けていくことが、自分を救う道と、確信しながら、淡々とやっていく。心が喜ぶ。すうっと心が開けてきて、やっぱりこの方向だと思える瞬間が嬉しい。そして自分で、評価しながら、誰に聞くこともなく誰に誇ることもなく、ただ自分の世界で自分との対話を楽しむ。そこに充実感、楽しみ、喜びを感じつつ、どんな出来事にも怯まない自信ができてくるのだと感じています。
自分しかない自分を信じてやっていくしかない。できる様になっていると自分に言い聞かせながら。学びに集った強い思いを信じて前へ進むしかないとやっていきます。
毎日の瞑想で、死んだ後も特別ではないと段々思えるようになってきた。でも、本当に生半可な思いでは、肉離して自分のエネルギーが覆い被さってくるとき、その中で、すうっとそこから心を離し、田池留吉を思えるか、呼べるか・・・まだまだというのも現実。だから肉持っている最後の時まで、田池留吉に心合わせる訓練を怠りなく、「思うは田池留吉、一筋。」その思いが強く響いてきます。エゴ丸出しで生きてきた自分だったけど、死んだ後があるんだと、死んだ自分を受け入れる優しさが自分にもあることが嬉しい。苦しんできた自分のために、今世は違うんだと意識の変革を起こし、250年後を見据えながら、待ってくれている未来の自分の思いを感じながら、喜んで楽しみながら、自分の学びを自己確立していく為の大切な時間を使っていきます。
1589) 学びに繋がっている人達みんなそれぞれ、様々な環境の中で、様々な事情を抱えています。環境も事情も違うけれど、それぞれに用意したそれらの中で、今世ようやく学び始めたことが嬉しくて、幸せでという思いは共通していると思います。
そうです、私達はようやく学び始めたんです。自分達の選択してきたことが肉基盤の上だったから、どんなにしても本当のことが分からなかったと。
まず、頭の理解から入っていきます。そしてそれを段々と自分の心に、意識の世界に移行していくことを学んでいきます。
学べる今という時を心から喜んでください。どんな自分の世界を感じても、今それをしっかりと学べるんだと喜んでいけばいいんです。
肉から意識へ軸足を変えていく難しさを感じながらも、日々瞑想、正しい瞑想を継続していくこと、継続していけることが嬉しいと自然に思えるようになると思います。
心を開いてどんどん自分の中の思いと出会っていきましょう。
出会って、出会って、これでもか、これでもかと次から次へと出てくるエネルギーの凄さをしっかりと確認して、そして喜んでたったひとつのふるさとへ帰ることだけを自分の中に伝えてあげてください。
1590) 生活のリズムがそれぞれにあるでしょう。それは心地良いものですか。それとも乱れていますか。生活のリズムはなるべく一定にされることをお勧めします。心地良いリズムの中に肉を置くためには、自分がなぜ生まれてきたのか、何をするために今があるのかを心で知っていく必要があります。肉を持って肉の中にある今だけれど、心に響くリズムは宇宙のリズムと呼応している、そんな時間を持つというのが瞑想の時間です。
人生、肉の人生ではなくて、本当の人生を生きる喜び、幸せにようやく巡り合っているという確信が強く深くなっていけば、それはもう目を閉じて思いを向けることがどんなに素晴らしいことなのか、どんなにありがたいことなのか、心に響いてきます。
だからこそ、自分がなぜ生まれてきたのか、何をするために今があるかが、より一層鮮明に心に届き、肉の人生と本当の人生の違いがはっきりと分かるのです。本当の人生をこれまで一度も生きてこなかったことが分かるのです。
1591) 学びの友からのメールです。一読ください。
ライブ瞑想を有難うございます。
死後の自分を思って瞑想しています。自分は自分をずっと嫌ってきました。苦しい自分を、腹立つ自分を、怒りに震える自分を必死に正当化しながらも、その自分をずっと嫌い続け、その自分を抹殺したくて、宇宙なくなれ、自分なくなれと念じ続けてきました。
今、死後の自分を思うとき、そんな自分が苦しいので無くなりたい。ただその思いばかりが出て来ます。
そして来世生まれて来る時も、この腹立つ心を持って生まれて来るのか。
そしてその自分を嫌い続け、その自分に死ねと、無くなれと叫び続けて行くのか。こうして自分が自分を嫌い続ける限り、自分は本当に幸せには成れない。喜びにも、安らぎにも成れない。それがよく解ります。
今の自分の思いが変わって行かない限り、自分は本当に幸せには成れない。喜びにも、安らぎにも成れない。それがよく解ります。
そしてそんな自分に共に行こうと伝える事の大切さと困難さを痛感します。しかし、そんな自分の中にも素直で優しい、真っ直ぐで爽やかな自分も感じます。共に行こう。その自分の思いを自分の中で伝え合って行きます。 有難うございます。
1592) 特に何もない時に学んでください。特に何もない時に肉に傾いていれば、肝心な時に自分を見失います。事が起こって、さあ心を見よう、瞑想をしようと思ってみても、それは肉です。欲だらけの中で真っ直ぐに純粋に真摯にと勢い込んでも、欲の中から自分を解き放つことは難しいです。肉という欲の渦の中に自分の切なる思いは、かき消されていくでしょう。
肉という思い、やっかいです。決して軽いものではありません。なんやかんやと言い訳、理屈を並べて結局は己という肉の牙城を崩すに至らないというところでしょうか。
それでも、それでも、これからの転生で繰り返し起こってくる未曽有の出来事です。必ず帰ってきなさいという心からのメッセージのなせる業です。
波動の世界に生きていますよ、ともにこの波動の中にあることを知ってくださいと強く強く伝え来る意識の流れです。
ああ、間違ってきましたとすべてを託していく喜びと出会っていく計らいの中にあることをお伝えします。
1593) 今年初めての10連休明けるとまもなく志摩セミナーがあります。昨日は、UTAホール大宝で、50歳未満の方達とともに瞑想をする時間を持たせていただきました。
こうして、2019年も早や3分の一か月が過ぎようとしています。その間の予定されたセミナー、みんな無事終了です。本当にあっという間です。
私はセミナー開催に体調その他を調整することをまず念頭に置き、あとの日々の生活はゆったりとゆっくりと流れる時間の中で過ごしています。
泣いても笑ってももうあと僅かな三次元の時間です。地球という星に数限りない転生の機会を持たせていただき、いよいよ三次元最終段階のお勉強というところまで漕ぎつけました。
昨日のUTAホール大宝でのお勉強を終え、帰宅してふとセミナーを振り返ったとき、こんな思いが心に上がってきました。
250年後の来世のことをほんの少し語ったからかもしれませんが、どうぞ、あなたも250年後のあなたが心待ちしていることを心から感じられて、そしてしっかりと三次元最終のお勉強へと自分を繋いでいってください。心をひとつにして意識の流れに乗っていきましょう。真の学びの友の輪を広げてまいりましょう。
1594) こうして今互いに肉という形を持って学びに繋がっているという関係、それは確かです。しかしそれはそれ以上でもそれ以下の関係でもありません。今、学びに繋がっているという事実を事実として、互いにサラリと自分を学んでいく時間と空間にしましょう。
人間の心の奥底にあるのは真っ黒な真っ暗な欲の渦です。本当のことを見捨てた見失った心の世界が作り出してきた欲の世界、それはもうどうしようもないところまで膨らんでいます。肉、形を本物とする思いがどんなにこの宇宙を汚しまくってきたのかを自らに示し、そしてその張本人である自分達が懺悔に懺悔を重ねていく体験が待っています。
それでもふっと頭をもたげてくる世界、我を見よ、我は正しいという世界は、なかなか崩れ去っていくことは難しいというのが悲しき現実かもしれません。
しかし、怯まず臆せず自分の世界と向き合いましょう。自分の世界と向き合う思いだけは、自分の中から消し去ってはならないでしょう。
強い固い決心で今世の肉、環境を用意してきた思いをいつも原点にという姿勢で学んでいくことが大切なことです。
1595) 学びの友からのメールです。一読ください。
250年後に至るまでの転生、何度かあるであろうその転生に思いを向けて瞑想したとき、私の中から突きあがる思いは、真実を求めて求めて求めて、その求めてやまない思いがもう破裂寸前にまで膨れ上がって、ただただ声にならない声で叫んでいる状態です。どんなに求めても答えがない。どんなに泣き叫んで求めて探しても、決して見つかることのない絶望の転生を何度も繰り返すのでしょう。だから、だからこそ、250年後のアルバートとの出会いを、私は決して、決して、逃すことはありません。絶対に、絶対に、真実と出会えるチャンスをあきらめません。その思いは今世の思いとはまったく度合いが違うのだと思います。今世とは比較できないほどの思いを持って、250年後に私は学びにつながります。その来世の強い思いが、今世の、今のこのぼんくらな肉の私を動かしていくこれからなんだと思います。真実に出会うことのないその幾度かの転生が、私には絶対不可欠なんだと感じました。その転生があってこその250年後なんだと。そしてその250年後があっての今なんだと。そんな思いを感じさせていただきました。愛おしい思いです。ありがとうございました。
1596) この道、田池留吉の意識の世界が指し示す道を真っ直ぐに、ひたすら真っ直ぐに突き進むと決意して生まれ、そしてそれを確かなものとしている今があります。
この今だけを真っ直ぐに見つめて存在していくことが、幸せと喜びの人生だと言えます。
その他のことは、少々不都合なことがあっても、大勢に影響はありません。
次元移行へと流れていく意識の流れを、しっかりと自分の中で味わいながら、これからの時が流れていくでしょう。
出会いを持ちました。予定通り確かな出会いの中で、心に響き伝わってくる波動の世界だけを信じて、そして大切に育んでいくことに専念です。そのためにすべてを用意してきました。
昭和の時代、戦後高度経済成長時代、その時代の猪突猛進の亥年に肉を持たせていただきました。昭和、平成、令和と元号が変わっていく中で、アマテラスの国日本を思いながら、私に残された肉の時間、環境を最大限活用して、250年後の来世とともに瞑想を楽しんでいます。
1597) 世の中には私達が知り得ない、また想像もつかない悲惨な事が起こっているという現実があると思います。
ただ、それらに共通するのは闘いのエネルギーです。闘い、究極的には我らの信じる神と神の闘いです。そしていつの世も、結局は闘いのエネルギーの中で、それをもろに受けるのは社会的弱者です。
闘いのエネルギーを心に蓄えたまま、平和を唱えている本当に愚かで滑稽な人間の生きざまがどんどん露わになっています。
ブラックのエネルギーで自らを操り、自滅破滅の道へ一直線という構図です。それを全部自分達自身が回収することなしには、人間は永遠に救われないということでしょう。
人間、肉を本物としてきた思いを宇宙に垂れ流してきた愚か者です。
その一方で、それぞれの心の奥底の慟哭が解き放たれる時が待たれている幸せ者です。そんな私達です。私達は自分達の本質、愛に目覚めていかなければなりません。
1598) すべては自分の心の中の出来事です。今、肉を持っているあなたが自分の心を見る、瞬間流すエネルギーを確認する、そして、心を田池留吉、アルバートの意識の世界に向けて合わせようとする、何の欲もなく、ただそうすることが、そうできることが嬉しい、ありがとうとなってくる、そういう手順通りに自分の中で学んでいますか。
誰も何もあなたを救ってくれません。自分を救い上げるのは自分だと、しっかりと分かっていきましょう。
肉、形を本物とする思いから自分を解き放していく、すなわち、意識の転回を成していくことが絶対条件です。
それなくして、次元移行は果たせません。当たり前のことです。次元移行を伝える意識の流れに乗る、愛へ帰る道にはその選択肢しかありません。
あと300年の猶予の中、決断の時が迫っています。300年、あっという間です。それはこれまでの転生の時間からお分かりだと思います。それで自分の行き先が決まっていくと言っても決して言い過ぎではありません。
1599) 今、元気な人もそうでない人も、喜んで喜んで今を思いましょう。
元気な人だけがスムーズに喜んで田池留吉を思えるかというと、そういうものではありません。元気ということは、肉に向くことも元気ということだからです。そこが思うは田池留吉一筋に生きる難しさです。また、今は元気でもこの先、ずっと元気だという保証はないのだから、元気な時にこそ、つまり何もない時にこそ、しっかりと学びを進めていくべきです。
ところで、生れてから死ぬまで順風満帆の人生であればと思いますが、なかなかそうはいきません。
みんな学びに集うきっかけがそれぞれにあったはずです。きっかけは色々とあるでしょうが、言わば人生における躓きを本当の意味で活かしていくには、そのきっかけから学びに繋がったことがすごいことだと、心で知っていくことが大切です。
学びに繋がったことが特別なことなのではなくて、よくぞよくぞ繋がってくれたと心から喜んでいけば、必ず道は見えてきます。
そして、はっきりと自分の進むべき道が見えてくる、感じてくると、それは相乗的に喜びを広げていく方向に作用していきます。意識の世界はすごいと納得、納得していきます。肉は何ほどのものでもないと分かります。
1600) 学びの歩みは一進一退ではダメです。一歩進んだかと思えば、また後戻りしている、それはおそらく一歩進んでいなかったのでしょう。
一歩進むということは、一歩前に足を踏み出すということです。踏み出した足はもう後へ戻らないということが、一歩進むということになるかと思います。
そもそも、後へ戻るということはおかしなことです。波動を感じたから一歩前に歩み出そうとしたのでしょう。それがまた何らかのことで後ずさりするというと、あなたが感じた波動の世界とはいったいどんな世界だったのでしょうか。
本当に田池留吉、アルバート、温かい優しい温もりの世界に触れたならば、もう何があっても歩みは前へ前へしか行きません。と私の体験上、そう語ります。
意識の世界の心の体験は、肉の世界のそれとは全く次元が違うことが歴然としています。
意識の世界の心の体験をどうぞしっかりと重ねてください。死ねば頭を含む肉体はありません。まだ肉体があると思っている肉の思いが消えた途端、奈落の底に真っ逆さまということがないように、互いにしっかりと学んでまいりましょう。
1601) いい加減な気持ちで学んでいる人はいないと思いますが、それはどうだか分かりません。いい加減な気持ちというのはどんな気持ちでしょうか。
決していい加減には学んでいない、真面目に真剣に学んでいこうとしているということかもしれませんが、いい加減かどうかは、それぞれが岐路に立ったとき自ずと出てきます。
その時、肉を離せない現実、肉を掴んでいる現実をはっきりと知ることになるかもしれません。決していい加減な気持ちで学んではいないと思ってきたが、甘かった、やはりいい加減だったと思い知るかもしれません。
しかし、その現実を前にして落ち込んでいる場合ではありません。
肉を離せないとなると、肉を掴んでいるとなると、そう知った時から総力を傾けて自分の心をしっかりと見ていく必要があります。自分に問いただすことが必要です。強い気持ちが必要でしょう。
自分が自分にした固い決意、約束を実現していくために、最後の最後まで諦めずにやっていくしかありません。
誠心誠意自分を生きる、そんな生き方を学んできたのではないでしょうか。
1602) 学びの友からのメールです。一読ください。
昨日のskype瞑想会を見させてもらって、みんなが自分の心を見て、自分の心と向き合って、すごい形相をしながら、自分と向き合う姿が、本当に光輝いて見えた。これが田池先生が残してくれた道なんやなあって思った。己を表し、我を見よの世界ではなく、ともに帰ろう、ともに帰ろう、ともに帰っていこう、そういう仲間なんだと、愛の道なんやなあ。本当に本当に素晴らしい世界に、今、居合わせてもらってるんやなあって、心に響いてきた。肉のつまらないことに捕らわれていないで、この幸せをもっともっと喜んでいける自分になっていきたいと思いました。誰、彼じゃないんですね。みんなひとつ、みんなひとつ、よく分からないけれど、そういう思いが自分の中に伝わってきて、嬉しいです。本当に本当に学びの友は素晴らしい仲間なんですね。ありがとうございました。
いつもこういうお世話をしていただいている、UTAブックさんにも、本当にありがとうございます。
1603) 10日間の長いGWも今日で終わりです。私は毎日が日曜日ということになりましたので、明日から仕事かという一種憂鬱な束縛から解放されて気楽です。
退位、即位の行事を経て平成から令和へと時代が変われども、アマテラスの国日本の行く末はもう決まっています。
それぞれの心の中のアマテラスの供養をどうぞしっかりとしてまいりましょう。日本の国に肉を持たせていただいて、そして250年、300年に至る意識の流れを心でしっかりと知っていく道筋に自らをいざなっていることを、大いに喜んでください。
アマテラスとともに次元を超えていく宇宙の喜びのエネルギーに、闇黒の宇宙が挙って呼応していくこれからです。
まだまだ闇黒の宇宙の勢力は強いけれど、どうぞ、ともに本来の宇宙へ帰る道、喜びの温もりの宇宙へ帰る道をしっかりと確認していきましょう。
肉を持って今世学びに集わせていただいたこと、心から心から感謝です。
1604) みんなで歩んでいく道です。今世、私達の目の前に正しい道しるべを用意していただきました。私達と同じ次元の肉という形で示していただきました。今はその肉はないけれど、私達の心の中にはしっかりとその道しるべがあるではないですか。それをどなたも自分の心を見て、そして日々正しい瞑想を継続して、心で感じ知ってください。
私達は、自分の心を見て、そして日々正しい瞑想を継続していく以外に、本当の喜びと幸せの自分に出会う術はありません。
今世、その足跡を自分の中に確立して、そして次の転生、さらに次の転生へと自分を繋ぎ、250年後の最終時期に再会を果たしてください。
それは単なる再会ではありません。心の中の凄まじいエネルギーを噴き上げる喜びの再会となるに違いありません。
ともに次元を超えていくというはっきりとした思いを、互いの目の中に、心の中に確認し合い、文字通りひとつになって更なる意識の世界へと旅立っていくという大いなる計画にあなたも参加してください。
もちろん、欲では参加できません。意識の転回を速やかにして、ただひたすらに真摯に素直に自分の軌道を元に戻すという思いが必要です。
1605) 自分の来し方を思い、行く末を思い、今どんな気持ちでしょうか。
あなたの行く末はしっかりとはっきりと開けていますか。希望を持てる今ですか。
しっかりと自分を学んでそして今の肉の人生を終えていきましょう。
心よりずっと待ち続けてくれている本当の自分の思いに沿って、その思いだけを心に広げて生きていきましょう。
本当の自分を裏切り続けてきたけれど、もう今世こそその方向を180度変えて、自分に素直に素直に生きていきましょう。
金、神、もうたくさんです。それで幸せになれなかったことは、心で証明済みです。ただし、学びをしていくためには肉が必要であり、その肉の維持には、ある程度のお金が必要です。そこのところを間違えずに、そしてお金はある程度必要ですが、神、仏の世界は全く必要でないことをしっかりと心で知って、ただひたすらに愛、本当の自分に帰る道を歩いていく心意気を持ってください。
1606) 時には苦しみながら、そして時には落ち込みながら、それでも今世こうして生まれてきて学びに繋がって学んでこれたことを嬉しく思い、これからも焦らずに、真摯に学んでいきますという学びの友からのメールをちらほら頂いています。
素直に嬉しいと思います。その背景には、それぞれの環境、事情のもとで学び、今こうしてあることを喜んで、そして250年、300年に思いを馳せようとしている、そんな学びの友がたくさんいることを感じ、厳しく険しい愛に帰る道だけれど、ともに学んでまいりましょうという思いに満たされていきます。
どう生きていけばいいのか分からなかったし、思うということの大切さも分かりませんでした。心の向け先にすべてがあったなんて、今世初めて知り得たことでした。何もかも初めて尽くしだったけれど、確かな道しるべを得た心に届く波動だけを信じて生きていける、その確信が幸せ、喜びを広げていくと思っています。
1607) 苦しい学びではありません。難しい学びかもしれませんが、250年に至る道筋が心に見えてきたならば、もうそれはそれは嬉しい、嬉しい学びです。なぜならば、この道が自分自身のずっと待ち望んできた道だと心で知るからです。
ふるさとの歌にもあるように、やっと、やっと出会えた真実の道なんです。
学びを苦しいところで留めておくにはあまりにももったいないです。
確かに自分の凄まじいエネルギーに翻弄されてまだ行く先が見えていない人にとっては、学びは苦しいだけかもしれません。
ですが、そうでない人にとっては、よくぞよくぞという思いが心を埋め尽くして、こんなに幸せな自分達があったんだと心で知るでしょう。
すべてはそれぞれの意識の世界の出来事です。過去と同じ風景を見ても、同じ状況下に身を置いても、心に響いてくるものは違っています。それが学びの確たる成果だと言えると思います。
肉に自分を誤魔化さずに、真っ直ぐに自分の世界を感じていく喜びは、今世の肉を持って学びに集い、真剣に学び始めた賜物だと私は思っています。
ただただ嬉しい。自分の思いが叶えられてただただ嬉しいです。
1608) 何が大切で、何がどうでもいいことなのか、取捨選択を誤ることのないようにする、これは当たり前のことですが、当たり前のことがとても難しいです。本当はどうでもいいことなのに、どうでもいいとは思えない、ついつい引きずってしまう心癖が根深く残っているからです。
間違った生き方をしてきたという自覚、どの程度ありますか。
生き方の根本を変えることを、全力を傾けてやっていく必要があります。
道遠しとため息をつかずに、道遠しを喜んで学んでいきましょう。
道遠しと感じているだけでも幸せなことです。自分が生き続ける生命(いのち)だとも知らずに、つかの間の喜び、幸せにうつつを抜かし、実は地獄の奥底の底の底から抜け出せないでいる現実を知らないことが、どんなに不幸せなことか、もうお分かりだと思います。
肉を持って真実の波動の世界を学ぶチャンスに恵まれたということがどういうことなのか、さらに心で知ってまいりましょう。
1609) もう後がない。今世を逃しては私にはもう後がない。この思いは学びに繋がって心が敏感になっていけばいくほどに私の中に強く響いてくる思いでした。この思いがあったからこそ、田池留吉の肉がある間に、確実な歩みを自分の中に確立することが最重要課題でした。最優先するべきことはこのことでした。
それが私の望み、そしてそれが意識の流れの中の確かな計画だと言えると私は思ってきました。
すべては計らいの中にありました。どんなに愚かな意識の世界だったか、それでもすべては意識の世界の計らい、それを感じるから、やはり意識の世界の正確さ、緻密さに脱帽です。
肉の私は何ということもない平々凡々です。平々凡々の肉だからよかったです。田池留吉の意識の世界が肉を持つ同時期に肉を持ち学ばせていただいた肉ということでよかったんです。目的は達成されました。
私は、来世の250年後の最終転生を思うとき、言いようもない喜びが突き上がってきます。肌の色は真っ黒でない黒人女性に姿は変えていますが、心の目はアルバートの目と出会う、そんな瞬間の出会いを用意していることを私の心は知っています。
心が知っているから、何の迷いもなく250年後の来世の喜びが今世を含む数限りない過去の私を牽引していると感じるんです。
1610) 今、学べることを喜んでいこう。素直になって本気で自分を見ていきましょう。思いの世界に生きている私達です。自分の目を通し、耳を通し、様々な情報が得られます。いつも心穏やかに過ごしていくことは難しいです。
大きな揺れ、小さな揺れ、ざわつき、そして一瞬にして突き上がってくるエネルギーの凄まじさ、目の前の出来事、肉、そして自分の肉体細胞は、それを伝えてくれます。
様々な現象を通して自分を見る、自分の意識の世界、住んでいる世界を確認する、そして、揺れた心、ざわついた心をしっかりと自分の中の温もりの中に帰していく、それは肉を持っている今だからこそできることです。
そうして、学べる今を喜んでいきましょう。
間違い続け狂い続けてきた転生の数々。ようやく今世、自分の歩み、生き方の方向を正しい方向に向けていけるチャンスを用意しました。
まだまだ正しい方向に心の針を向けてきちんと合わせるということは難しいでしょうけれど、それでもやっていくしかありません。やっていきましょう。強い気持ちで本当の喜びと幸せの世界に帰ってまいりましょう。
1611) 「この道を真っ直ぐに。」心に響き伝わってくる思いを繰り返し確認できる幸せがあります。目を閉じると広がっていく世界、感じる波動の世界です。だから目を閉じて静かに思う、ゆったりとした中でゆったりと思う、そんな今があることに心からありがとうです。
自分を落とすだけ落としてきたけれど、こうして這い上がってきて、最後と言えるチャンスを自分に用意してきたこと、それを私は自分の心で何度も感じてきましたので、愛へ帰る私の道は不動です。
今世の肉を通して学び感じさせていただいた波動の世界です。「この道を真っ直ぐに。」という約束が鮮明に浮かび上がってきます。
千載一遇のチャンスを逃さずに、約束通り、予定通り、250年後の出会いから始まる計画を遂行してまいります。
温かくどこまでも広い懐の中に抱かれていく喜びとともに生きていく幸せ、喜びを伝えていただきました。
1612) 5月の志摩セミナーも無事終了し、思いは6月の琵琶湖セミナーです。ともに学べる時間と空間がありがたいです。自らの肉をセミナー会場に運び、そして、自分を学ぶ、波動の世界を学ぶ、これはどんなにお金を積んでも手に入れられない幸せと喜びです。
肉体を離しても持って帰れるものを大切に、今、肉体を持っている今、しっかりと学ぶべきです。学べる環境にあり、それを最大限活用できれば、もう何も言うことはありません。
苦しみ狂い長い長い間彷徨い続けてきた私達です。もちろん、その状態がすべて解消されている訳ではありませんが、ようやく苦しみの奥底の底の底から浮かび上がってきた状態をキープできるに至っている現実は確かにあります。自らの意識の世界を本来の状態に戻していく術を学ばせていただきました。あなたの学びは進化していますか。
幸せとはどういうことなのか、喜びとはどんな世界なのか、全部自分の心が知っていました。その自分の心を信じそして大切に育んでいくことだけに専念していきましょう。
帰りたい、帰ろう、帰ります、段々に思いを強くしてください。一進一退の歩みではなく、前へ前へ一歩、一歩、着実な一歩を出してください。
他力は自滅の道。自らを破滅破壊していく、つまり自滅の道。目覚めてまいりましょう。
1613) セミナーはいいなあ、やっぱりいい。学びの友のメールを読ませていただき、それぞれがそれぞれの歩みをしっかりとしていこうという思いが伝わってきます。ともに学べる私達は本当に幸せ者だと実感です。
上も下もなく、ともに愛へ向かって、自分達の帰るふるさと、愛へ思いを向けていこうとする動きが、徐々に育っているように思います。
他力のエネルギーにがんじがらめの意識の世界が、温もりへ喜びへようやく解けていく流れの中にあります。厳しく険しい道だけれど、しっかりと前を向いて、そして帰っていこうと力強い呼び掛け、いざないに、どなたも心でしっかりと応じてください。
自己確立こそ喜びと幸せの道です。田池留吉の意識の世界が、その肉を持って指し示してくれた方向にきちんとしっかりと心の針を向けて、そしてともにある喜びを心に広げていけるようになってください。
今世の学びの時間と空間の中で、その確信を強め、そして三次元最終時期、250年、300年にそれぞれの心を繋いでいってください。
必ず250年後の意識と意識の出会いを果たしてください。
1614) 季節は初夏から真夏へ日ごとに身体に堪えていきますが、それぞれご自分の体調管理をなさって、今世の予定通りの学びの遂行に全力を注いでください。
切望して、切望して、今世ひとつの肉をいただいてきました。本当のことを知りたかったからです。自分に伝えたかったからです。
温かく優しくて広くて安らぎの波動の世界に生き続けていることを思い出したかったからです。
素直になりましょう。もう偽りの自分の思いを弱めていきましょう。そして、本当に帰れるところ、戻れるところがあったことをしっかりと知っていきましょう。
待ってくれていました。愚かな自分は自分を見捨て裏切り続けてきたけれど、本当の自分はそんな自分を心から待ってくれていました。それを伝えていただきました。母のお腹の中で伝え続けてくれていた事実を、ひとつの肉を通して学ばせていただいた今世でした。
もう自分を見捨てることなく、裏切ることなく、たったひとつの真実の世界へ、私達のふるさとへ帰る道をしっかりと生きてまいりましょう。
1615) 学びを進めていく原動力になるのは母の温もりです。どんなに凄まじいエネルギーを感じようとも、温もりの中へ返していける確たる思いがあれば、そのエネルギーに翻弄されて道を見失うことは絶対にあり得ないことです。
心が不安定な人は、まず何よりも母の反省です。今世自分に肉体をくれた母親に対して使ってきた心、思いをしっかりと見てください。
母親に対しては思いがストレートに出ます。真っ黒な思いがストレートに出ます。それが自然です。ストレートに自分の闇の部分を教えてくれる存在が母親だからです。かえって母親を美化し崇めている人は危険です。そんな立派な母親など存在しません。肉というのは互いに愚かなんです。
その愚かな母を通して愚かな自分から瞬間出るブラックのエネルギーを学ばせてもらえるということだから、ありがたいです。
母親の欠点を責めて指摘したときに発する凄まじいエネルギーを確認すれば、あとやることは、そのエネルギーの反転です。自分の中の温もりへ戻していかない限り、自分の心は軽くならないし、平安はやってこないです。
母の反省を通し、そしてゼロ歳の瞑想を通して母の温もりが自分の中に確立できれば、他力の反省が捗ります。粘り強くその作業を進めていく原動力になっているのは、言うまでもなく母の温もりです。
両輪がうまく動き出すと、凄まじいエネルギーが出てくればくるほどに温もりは広がっていき、温もりが広がっていけばいくほどに、瞬間出るエネルギーの凄まじさを感じるという相乗効果をもたらします。なぜ、相乗効果なのか。それはその凄まじいエネルギーが喜びのエネルギーだと分かるからです。そうしていくと正しい瞑想の純度が上がってきて、次元移行を伝える意識の流れをはっきりと感じてくるということになります。今世がいかに大切な時間なのかがはっきりと分かります。
千載一遇のチャンス、肝に銘じてください。
1616) 学びの友からのメールです。一読ください。
ただただ、心の中の喜びを確認していくだけ。それを、セミナーで、家で続けていくだけ。これでお終い。出来上がりというゴールはないのですね。
「せっかち」「欲張り」「心配性」というレッテルを幾つも付けている私の肉の思いでは・・・「はい!貴方は出来ました!良かったね!」と言ってもらいたいのです。誰に言って貰いたいのか?亡くなった先生?塩川さん?皆に?そんな愚かな事は有り得ないと確信している自分もしっかりあるのに、認めてほしいという自分がしぶとくいます。
でも、何かが変わったのです。いつ、どこで、何が変わったのか私には分からないので表現出来ません。
この一年、身体の不調が続き、ただ肉体を治すのに必死だった筈の私でした。タイケトメキチ、お母さんに心向けても欲で向いていた私でした。
でも、何かが変わったのです。私の中では「認めろ!己一番!」はしぶといです。ドカンとあります。けれど、何か、私がその闇を思う時、今までと違います。頭では分からないことなのですね。心が嬉しければ全て良し。指標が見つかった様な感覚です。でも、又、どこかで「いつまで続くか!」という冷ややかな、そして心配する思いも出てきます。
先生がよく言ってくださっていた・・・ふんどし担ぎからその上その上と、沢山の闇が私も私もと出てきます。闇の私が溢れるように出てきます。本当に切ないです。受け入れていける優しさと温もりが私の中にあると信じて、瞑想していきます。タイケトメキチ、アルバート、お母さんを思います。
1617) 肩の力を抜いて、肉はリラックスしてください。学びに対する姿勢は真剣ですが、心と身体はゆったりとです。
瞑想をする習慣をつけるということは何よりも大切なことですが、私のお勧めはその他にぼぉーとする時間を持つということです。何をするでもない、ぼぉーとするんです。生活をしていく中においてすることは、いわゆる用事、雑事はそれぞれに色々とあると思いますが、それもある程度のところで線を引いてみませんか。
いつまでも独楽鼠のように身体を動かすのではなくて、何もしない、ぼぉーとする贅沢な時間を持ってみましょう。
ただし、若い人達は、生活資金を稼がなくてはいけませんので、しっかりと働いて、がっちりと稼いでください。
50歳を超えて60歳を目途に経済的にも時間的にも余裕を持てるようであれば、それもある意味学びをする環境が整っているということになるでしょう。体力、気力の充実ということについては、若い時には及びませんが、何もしない、ぼぉーとする贅沢な時間があるというのもいいものです。何もしない、ぼぉーとしていると言っても、ふっと思いを馳せるということを知っていますので、結局は瞑想三昧の日々ということでしょうか。
1618) 60歳を超えても、様々な理由付けをして、学び一本に絞って生きていくことをしていない人もいます。
自分なりに大義名分はあるのでしょうけれど、後悔しないように再考してみてください。
意識の転回はそんなに容易いものではありません。そして、意識の転回が起こってこない限り、愛へ帰る道は見えてこないです。
心は色々と感じるでしょうけれど、生きていく基盤が変わっていく感じ方でないと、一進一退の歩みではないでしょうか。
前へ半歩、一歩です。前に踏み出した足は後ろへは戻らない、そんな歩みを心掛けていきましょう。
今世に懸けてきた思いをしっかりと自分の中に思い起こすことが待たれています。正しい瞑想を通して、いかに大切な今世であるか知ってください。
1619) ひとつの現象を通して、自分の生き方、選択が間違っていた、頭では肉ではどうしようもないことがある、そう心で知ったから学び始めました。
それまで母に幾度となく学びに誘われていたけれど、どうしても素直に聞くことができませんでした。
学び始めても長く鈍感だったけれど、それは肉の壁がぶ厚かっただけで、私の中は知っていたんだ、学びに集えたことに、ようやく肉の重い腰を上げてくれたと喜んでいたと思います。
初めての宿泊のセミナーに行く新幹線の中から、富士の山が綺麗に気高く聳え立っているのを確認して、アマテラスの意識が田池留吉の意識の世界に宣戦布告するために、セミナー会場へ行ったと、あとあとの学びを通じて分かりました。
田池留吉の意識の世界に徹底的に逆らって、闘いのエネルギーを出させていただきました。しかし、田池留吉の意識の世界は、闘いのエネルギーで向かってくるのではなくて、全部見事に吸収されていく不思議な何とも言えない体験を重ねました。
なにくそ、悔しい、腹立つ、首を絞め、死にさらせ、目障りだとどんなに思いを吐き出しても、全部吸収されていきました。そして、あろうことか、私はあなた、あなたは私、ひとつですよ、私はあなたを愛しています、そんな思いが伝わってくることが、とてもとても信じられないことでした。
信じられない、信じたくない、だけど信じたい、本当なのか、自問自答の中で、たくさんの学びのチャンスをいただきました。
しっかりとはっきりと響き伝わってくる喜びと温もりの波動の中で、私は、ようやく、自分の今世に懸けてきた決意が本物だったと知ったのでした。
田池留吉の意識の世界をその肉を通して、十二分に学ばせていただいた事実は、私の中の宝物です。今世、ようやく自分の思い通りの生き方ができると確信ができました。あとは250年、300年に至る次元移行の計画を予定通り自分の中で遂行していくだけです。そのために、今があることを感じています。
1620) 本当のことを自分の心で知る、その術、学びの手順を教えていただきましたので、あとはそれぞれが学びを素直に真摯に進めていくだけです。
肉に塗れるのも自分の選択だし、困難な意識の転回に真正面から向き合う生き方も自分の選択です。
強制もなければ何もありません。あるのは自分の世界だけです。肉、形は色々とあり、その中においては千差万別、人それぞれでいいと思いがちですが、そこは言うまでもなく影の世界で実体はなく、千差万別の闇、ブラックがあるだけで、それがいいということにはなりません。ただ、自分が肉、形を本物とする思いの中にあれば、その世界は確かに実感があります。しかしそれだけです。確かな実感があると思っている自分の世界があるだけです。その世界がどんな世界なのかは別問題であり、それは言わずと知れたことでしょう。
肉から意識への脱却を図る、たったひとつの大きな課題をみんな自分に突きつけて、何を選び取っていくか自ら決めていくようになっています。
1621) 肉を持てる今が嬉しい、そうです、単純に肉を持って思いを向けられる今があることが嬉しいです。
色々なこと、本当の世界を知っていくために、色々なことを整えてきた今世だったと心に繰り返し上がってきます。
ひとつの肉を用意して、こんなに幸せな人生の時間を持ったことはありません。あと一度の転生は、環境劣悪だけれど、意識の流れの計画を滞りなく遂行していくには申し分ありません。
予習はすでに済ませているという設定のもと、もうまもなく本番の幕が開きます。
田池留吉の意識の世界は、アルバートという肉を通して再び、私達の前に明確にしっかりと提示されていきます。
真実の波動の世界は、用意万端整えてその時が来るのを今か今かと待ってくれています。
あとは、それにしっかりと応じられるように、それぞれが心で学んでいけばいいのです。
いざ行かんの呼び掛け、いざないを意識の世界でしっかりと受けて、そして歩みをともにしていきましょう。
肉の時間は刻々と過ぎ去っていきます。2019年明けたと思ったら、もう半ば近くになりました。梅雨を迎え、梅雨が明け、真夏、秋の訪れ、初冬、そしてまた一年が暮れていきます。自己確立の進捗度は如何。
1622) すべて田池先生、田池留吉の意識の世界が布石を打ってくれています。残してくれた足跡、学びの道筋です。それは具体的にはセミナー開催を意味します。ともに学ぶ時間と空間が必要です。セミナーはワン・ツー・スリーの現象中心です。それぞれがそれぞれの心で波動を学びます。また、異語、種水を通して波動を学びます。学びを滞りなく予定通り進めていけるように、適材適所ということが感じられます。誰がとか何がとかそういうのではなく、みんなで学んでいこうとする思いの表れが適材適所という形となって学びの時間と空間が提供されています。そこで己を前に出せば、必ずトラブってきます。肉の力、頭で学びの環境は整えられません。
みんな意識の流れの計らいです。肉、それぞれはその計らいを喜んで受けていけばいいだけです。ただ、喜んで受けていくということが、愚かな肉には難しいんです。肉は、肉の思いはどこまでも愚かです。
肉ですることは、ただひとつしかありません。自分の心を見て、そして正しい瞑想が少しでもできるように努めることです。
こんなこと何度やってもという思いがちらりとでも感じたならば、その背景には他力の神々が鎮座する闇黒の世界がドーンとあることは間違いなし、確かなことです。
学びを軽んじないでください。学びを軽んじるということは、自分を軽んじるということです。それでは本当の自分の世界とは絶対に出会えないということになります。肉を本物とする思いが行く手を阻むのです。行く手を阻んでいるのは、愚かな自分だとしっかりとご自覚ください。
1623) 単純に、シンプルに生きていこう、そして学んでいこう。
はい、いいえを明確に。学びを進めていくについて、これはとても大切なことです。能書きは要りません。心の問いかけに、はい、あるいは、いいえを一番に答えてください。
ダラダラ語っているうちに焦点がぼやけます。言い訳とか言い分とかあると思いますが、学びは単純かつ明確でなければなりません。
1+1=2、1+2=3の世界です。肉基盤からすれば何とも味気ない、面白みがないというふうに感じるかもしれませんが、とんでもありません。
1+1=2、1+2=3の世界だから、信じられるのです。絶対に揺らがない、何があろうとも、どんなに時を経ても決して色褪せない、変わることのない真実の世界の法則です。それが意識の世界です。
肉基盤からは推し量れない世界です。そこから推し量り、言い分を通そうとする思いを心でしっかりと見て反省に繋いでいかなければならないでしょう。
学びは今世が最初です。まだまだ学び始めた段階です。しかし、本物だから、学びの道筋にしっかりと素直に沿っていけば、どなたもみんなみんな感じ分かっていくのです。全部自分の中は知っていたということになります。本当の自分というものはたったひとつだからです。
1624) 今、私は足が少々不自由なので、とんとこと外に出向いていく気持ちは弱いです。これで丁度なのかもしれません。さっさと思う存分気ままに動けていたら、時間、金、利便さをいいことにして、毎日外に出歩いているかもしれません。当然、思いは外に、外に、肉も楽しまなくては、楽しんでいいよという自分勝手な言い分を盾にしてしまうかもしれません。
何かで、どこかで自らストップをかけて、そして、外に向きがちな心を、中へ、中へという時間と空間に自らをいざなっているということを感じれば、やはり肉は愚かだけど、自分の中の意識は必死なんだと思わざるを得ません。
お金を出せばある程度色々なものが手に入ります。しかし、どんなにお金を積んでも手に入れられないものがあります。
波動です。真実の波動の世界は、母の反省と他力の反省を通して、自分の中の本当の自分と出会う術を知らなければ、そして意識の転回が捗ってこなければ、心で分かる、心で知るということにはなってきません。
心で分かる、心で知るということになってこなければ、今の肉体を離せば、すなわち死んでしまえば、真っ暗闇の奥底に真っ逆さまです。
そこには、何かで、どこかで自らをストップしてくれるような優しさ、温もり、喜びはありません。ただ落ちていく、そして固まっていくだけです。そんな体験を何度もしてきた私達だからこそ、今、肉体を持っている今、そして学びに触れている今がどんなにありがたいかが分かるのではないでしょうか。瞑想、正しい瞑想を継続してください。
1625) 託する、委ねる、ただそうする、そうできる転生ではありませんでした。これまでの転生みんな、託する、委ねる喜びと幸せ、安らぎを知らなかった転生でした。
何に託していけばいいのか、何に委ねていけばいいのか、託するとは、委ねるとはどういうことなのか、分からないことばかりでした。そして、託すること、委ねること、それもみんな全部、それができない哀しさの中にありました。損得、駆け引きの中に生きてきた哀しい心の中でした。
それでは決して幸せにはなれなくて当たり前でした。
心を全開にしていける波動の世界。そんな波動の世界があなたの中にある、それがあなた自身だとはっきりと伝えてくれた、そんな学びの時間と空間に自らをいざなってきた私達です。
今世ほど大切なすごい転生はないと言えるでしょう。だから、今世を転換期にして、これからの転生に繋いでいきましょう。
世の中の流れは濁流です。濁流の渦の中に飲み込まれないように、しっかりと心を見て、そして生き直していきましょう。本当の意味で自分を大切に生きていく、もう本当の自分を裏切らない、そんな人生を歩いてください。ただ、肉塗れの心では難しいことです。生き方の根本が違うからです。
1626) 繰り返しになります。大事なことだから、そしてここを違えば、ここが心で分からなければ、生きていく方向が全く違ってくることは明らかだからです。
それは、なぜ自分は生まれてきたのかということが、本当に心で感じ分かっているかということです。頭ではなくて心でです。今世の時間がどんな時間なのか、自分にとってどんな時間なのか、しっかりと心で分かっていますかといつも自分に問いかけてください。
他力の中に、欲の中に塗れてきた意識の世界です。その自覚はどの程度ありますか。
面白おかしく適当に生きていくのは容易いことだけど、学びに触れ心に感じ始めた今世は、これまでとは少々いいえ、随分事情が違っているはずです。自分との約束を違えて生きていくと心が疼きます。ざわつきます。
そうじゃないでしょう、違っているねと伝えてくる本当の自分からのメッセージを聞く耳、心を育成しつつあるからです。
形ある中に自分を置いて、この形の世界から本当に学ぶべきことがあると心で知り得たならば、目を閉じるだけでいいんです。目を閉じて思いを向けていく時間の中で、何とも言いようのない喜びと幸せが心に広がっていきます。
何も要らない。正しい思いの向け先が分かれば、それでよかったんです。
心の針の向け先をいつもチェックするようにしてください。
次回ライブ配信予定日は、5月30日(木)、午後2時です。
1627) 決死の覚悟、決して大げさではないと思います。決死の覚悟で今世生まれてきた、肉をいただいた、用意した、正しい瞑想の純度が上がってくると、それがどういうことなのか、はっきりと心で分かります。
何をおいても今世なんです。学びに触れた方達は今世を逃せば、次元移行という意識の流れに乗っていくことは難しいというのが実際のところだと思います。
それが決死の覚悟ということだと思います。自分がいかに愚かであり、他力のエネルギーに自らをがんじがらめにしてきた愚劣さに、本当に心で気付き知っていきたいと思ったのです。そして、自分を苦しみの奥底から救っていこうという決死の覚悟で、学びに繋がるという計画を立てました。
どうでしょうか。あなたの心に問いかけて、自分から返ってくる思いはどんな思いでしょうか。
もしこの通りならば、では今、あなたの学びの進捗度はどうでしょうか。自分の予定してきたことをクリアしていますか。クリアしていると答えが出たら、それはそれでいい、自己評価のもと、しっかりと自分の歩みを進めていってください。
そうでなければ、しっかりと厳しくそして優しく自分のこれからを見定めていくような生き方の軌道修正をしてください。
1628) 今世は、学びに触れている私達にとっては、大変大切なかけがえのない転生です。これは確かなことです。学びに触れたことは、決して偶然でも何となくでもなく、自分自身で強く望んできたことであり、決死の覚悟という表現も使いましたが、全部自分で計画してきたことでした。
それにもかかわらず、途中で学びから離れるということを選択する人達も確かにいます。
それらは全部、今の肉の都合です。肉を優先して、そして自分の中の切なる思いにまた蓋をしてしまう心癖から自分を解き放つことができない哀しい状態を引きずっていると言ってもいいと思います。
けれど、私は基本は去る者追わずと思っています。その基本姿勢で、全部自己選択、自己責任だと思っています。
ただ、呼び掛け、いざないはどんな時も絶えずなされているということだけはどなたも知っていただきたいと思っています。
そのことに気が付かない、無視する、軽く受け流す、本当に肉は愚かだと思います。互いに愚かな肉ですけれど、もう意識の流れは着実に動き出しています。だから、ともに同じ方向を向いて、ともに歩いていきましょう、喜びと幸せを共有できる喜びを味わっていきましょうと、宇宙の仲間達とともに、次元移行という意識の流れをしっかりと果たしていこうと、私はただただそう思うだけです。1629) ライブ配信、もう少し頻度を多くしてやっていけばいいだろうなあとは思いますが、定期的にというと少々堅苦しいので、ふっと思いが上がってきたときにお声掛けさせていただくということでお許しください。
毎回、200名以上の方がリアルタイムでアクセスしていただいているようです。数云々ではなくて、私はその中の一人でも今日の瞑想よかったと思ってくださるのならば、それでいいと思っています。
なぜならば、一人の肉の背景には夥しいほどの意識の世界、宇宙達があるからです。ひとつの肉を通してたくさんの宇宙達が思いを向けていける計らいの中にあることが嬉しい、幸せだと思います。
肉は何ほどもありません。死後の自分の世界を感じる、知る瞑想を大切になさってください。それがそれぞれの現実の世界です。
肉体を離すということは、もちろん頭もないんです。頭で理解していることと、実際の自分自身の意識の世界との隔たり、どうでしょうか。
厳しくしっかりと自己評価をして自分の学びを進めてみてください。
1630) 私とあなた、肉も環境も抱えている課題、問題も違います。ただ、私とあなたは、今世学びに繋がりました。学びに触れて学ぶという時間と空間の中にあります。そこは共通しています。
私達を繋いでいるのは、この事実、現実です。そこを軸にして学びの輪の中で繋がっていきましょう。それ以外で繋がりを求めても、結果は芳しくないでしょう。
学びを自分の中でどのようにとらえ、いかに学びに沿った生き方をしていくかは、それぞれの課題ですが、肉を同時期に持って同時期に学びに繋がった友として、できればともに同じ方向を向いて、幸せと喜びの世界をともに味わっていけたら、互いにとって喜ばしいことではないでしょうか。こんな素晴らしい繋がりは、肉、形の世界では決して成立しないでしょう。
思う思いの向け先を限りなくゼロに合わせていこうとするときに、自分の中に広がっていく波動の世界があります。その波動を感じ合う仲間が宇宙に広がっていけば、当然の如く肉、形の世界が崩れていくという現象が起こってきますが、同時にそれは更なる波動の広がり、伝達を意味し、宇宙が挙って次元移行の意識の流れの中で目覚めていくということになっていきます。
1631) 何をするために生まれてきたのか、これまでの転生と今世との違いを自分の中で、はっきりとくっきりと線引きをすることが大切です。
今世を自分の転換期にするということは、ある決断をして、それを実行しなければならないということになりませんか。
決断、そして実行です。世の中の流れ、価値基準などどうでもいいんです。
形の上では、ある程度世の中に縛られることがあっても、それによってこれまでと同じように自分の心を売る、ないがしろにしてはならないんです。
不器用な生き方でもいい、損得勘定など抜きにして、自分と自分の愚かさと真向かいになって生きていく生き方を真摯に選び取っていくことが大事です。それはけれど、本当のことは何か、何をするためにここにあるのかが、自分の心で分かってこなければできないことです。
肉は金と欲に走る傾向にあります。欲の垂れ流しをしてきたにもかかわらず、まだまだそのことに心から気付けていない私達なのではないでしょうか。
1632) これからさらに心を揺さぶる大変な時間を用意していますが、どうぞ、自分の中に確立している信を、その大変な時間を活かして大きく成長させていきましょう。
地獄の奥底に逆戻りするのではなく、明るい温もりの世界へ自らの一歩を踏み出していきましょう、踏み出していってください。
どんなにしても出会えなかった、分からなかった本当のこと。
心から心から待ち望んできたことが、今それぞれの手が届くところに見えています。心の目でその事実をしっかりととらえ、ともに愛へ本当の自分へ帰る道を真っ直ぐに、ひたすら真っ直ぐに進んでいきましょう。
愛、愛を思えば宇宙。宇宙は愛でした。私達の宇宙は愛でした。
喜びと温もりに満ち満ちていたあの宇宙へ帰りたいという心から叫ぶ思いに、それぞれがそれぞれの心でしっかりと応えていくべきです。
私達は応えていけます。私達の中にある喜びと温もりのエネルギーをしっかりと確認できるこれからなんです。
形の世界の総崩れで、自らを見失うことなく、喜んで喜んでありがとうと心で受けていける私達に蘇ってまいりましょう。
1633) 心、定まっていますか。生きていく中で色々なことが起こってきますが、その中で一喜一憂せずに、しっかりと自分の生きていく方向を確認しながら、歩みを着実な歩みを前に進めてください。
見て聞いて心が揺れる状況は、肉を持てばみんなに平等に公平に配分されています。お分かりのように、そこから肉塗れの自分をどうしていくかが問題です。
形の上での解決策は、模索すればそれなりにあると思いますが、肉塗れの自分から自分を解き放していく術は、そう簡単なものではありません。
今世、学ばせていただいた私達です。このチャンスを無駄にすることなく、自分が本当に生きたかった道を勇気を持って喜んで進んでいきましょう。
自分が一番望んできたことは何だったのか、静かにゆったりとそして真摯に自分に問いかけていける時間と空間を用意してください。
雑事に自分を紛らわすことなく、しっかりと自分と向き合うことをしてください。
1634) 私は特別ではありません。私を特別だと思っている方は自分をないがしろにしているから、あなたの学びの歩みは滞っているはずです。
そうかと言って、私はあなたに下に見られることもありません。そうなさっている方も、自身の学びの歩みは滞っています。私を嫌っている方、疎ましいと思っている方も然りです。
ではどうすればいいのか。あなたはあなただけを見ていればいいんです。自分の心の針の向け先の管理をしっかりとやっていけばいいだけです。
自分の中に確たる道しるべがあると本当に心から思えたならば、私という肉の存在もまたあなたの中で違ってくると思います。
学びは、何を学ぶのか。波動です。波動の世界を学びます。波動が正しく受け取れて、そしてその波動の中に生き続けている自分達だったことが、心から分かってくれば、こういうことは敢えて言わなくても、万事心で了解済みということになるでしょう。
学びは進化しています。もうすでにそれぞれの心に委ねられています。
どのように舵取りをしていくか、それもまたそれぞれの心に伝えられています。正しい瞑想の純度を上げてください。自分の心で感じ分かっていくことです。今世肉を持ち学ばせていただくチャンスを自ら用意してきたことにすべてがあったと心から気付いていってください。
1635) 自分の来し方を思い、行く末を思う、どうでしょうか。明るい方向に自分のいざないを感じますか。それとも過去と変わりなく、いいえ、さらに暗い方向に自らを落としていく現実でしょうか。
肉を持っている間に、しっかりと自分を学んで、ということは自分の垂れ流してきたエネルギーを確認、回収を進めていきましょう。
その作業をしない限り、喜びと幸せの愛に帰る道は見えてきません。
どんなに優しさを感じ、どんなに嬉しいと感じても、肉基盤の上に立っているならば、その優しさも嬉しさ喜びも本物ではありません。
肉を持っている間、それでも何とか自分を誤魔化していけるけれども、心は知っているから、学びに触れ、心を見始めた私達に、その心の叫びが響いてくるんです。心の底から本当に嬉しいありがとうと言えない、本当に自分を偽って誤魔化して生きていくことは哀しいことだと、はっきりと感じます。
そんなことをしっかりと確認しながら、自分を偽ることなく誤魔化すことなく、正真正銘私は幸せですと言える自分に復活していく道を、選び取ってください。勇気が要ります。本当の勇気が要ります。強い心でないとそれを実践継続していくことはできません。
あなたの心で問うてみてください。
1636) 田池留吉の意識の世界が肉を持ち、その肉を通して、田池留吉の意識の世界をつぶさに学ばせていただいた、感じさせていただいた、この事実の重みをあなたの心にしっかりと感じて、そして本来歩んでいく方向に、自分の心の針を向けて合わせてください。
しっかりと向けて合わせてください。欲は一切通用しません。真摯な思い、ただひたすら真っ直ぐに、喜んで喜んで真っ黒に作り上げてきた自分の宇宙の崩壊をしてまいりましょう。
崩しても崩してもまだまだです。ですが、その方向に明るい兆しは感じられるはずです。
もう決して狂うことない、不安も恐怖も闘いも何もない、ただそこに広がっていく安らぎ、温もりを感じ、その中に生き続けてきた自分達でしたと、はっきりと知っていくことが、たったひとつの自分を救い上げる道です。
帰ろう、帰りましょう。私達のふるさとへ。愛、心のふるさとです。待ってくれています。本当の自分が待ってくれています。
1637) たったひとつの喜びと幸せの道を、一歩、一歩喜びながら歩いていくこと、これほどすごいことはないです。
何がすごいって、肉、肉で生きてきて、それが当たり前で普通で、その中で喜びとか幸せ、温もりを貪欲に求めてきた私達に、こんなチャンスが目の前にぶら下がっている今世だから、すごいとしか言いようがありません。
みすみすそれを無駄にしていくどうかは、あなたの問題ですが、本当にすごい宝物を散りばめた学びに触れているんです。
それをそれぞれが自分の心で感じていったならば、うーんすごいということになってきます。
どんなにありがたいか、それすらももう私達の心にはしっかりと届かなくなっていたことを併せて思っていくと、ますます幸せな超恵まれた私達だと分かってくるでしょう。
お金、生活をしていくのにある程度目途がつけば、もういいじゃないですか。それよりも、肉体がない自分、死後の自分から今伝えてもらっている現実をしっかりと心で受け止めて、その現実を少しでも、明るく軽く爽やかにしていく方向に、思いを、エネルギーを傾けていきましょう。
1638) ともに心を向けていこう。明日から琵琶湖セミナーです。参加予定の方もそうでない方も、どうぞ、ともに心を向けていきましょう。
どんな思いで日々、暮らしていますか。
生きていくのがやっと、精一杯かもしれません。尽きることのない欲の渦に辟易しているかもしれません。やっぱり、肉だ、肉だという思いが後から後から出てくるかもしれません。
形の上では幸せ、しかしその一方で思いがとらわれていくのが苦しい、この執着の思いを見ていかなければと思うけれど、とりあえずはと先延ばしにしようとしている、甘いなあと感じるけれども、どうしようもないと思っているかもしれません。
日々、色々な思いを抱えて生活をされていると思います。ただ、しかし、私達は道を間違えてきた、道を見失ってきたということは、どなたもどんなときも心に留め置いてください。
道を間違えてきたから、道を見失ってきたから、本当の喜びも幸せも知らなかったんだと、どの程度自覚があるでしょうか。
間違えてきたのは自分、見失ってきたのは自分。
それを素直に真っ直ぐに認めて、本来の軌道に自分を乗せていこうと、今世、学び始めていきましょう。
1639) ゆったりと静かにゆっくりと流れる時間の中に身を置いています。
あなたはいつも何に思いが向きがちですか。
仕事の段取り、家族のこと、自分の身体のこと、お金と時間があって元気ならば、どこへ行こうか、何を食べようか、何を買おうか等々。
目を開けて活動する中で、目は耳は心は忙しく動きます。それが私達の日常です。
そこで、目を閉じて瞑想をする時間を持つようにする、そういう習慣をつけるということなんですが、どうでしょうか、功を奏していますか。
心を外に向けて生きてきた時間が余りにも長いので、その癖を修正することは容易いことではないけれど、中へ向けていく喜びと幸せを実感できれば、段々に分かってきます。
自分の外には本当のことはないことが。
心の針を中へ中へ向けていくことが、自分の幸せなんだと。
もっと言えば、思うは田池留吉一筋で生きていくことだけが喜びと幸せの道に繋がっているということです。
ただ、それは形がないから、自分の心の体験がないと、全く信じることができません。しかし、心で感じる人がいるということ、それも数人ではないということも事実です。
そこであなたの場合はどうでしょうか。心の体験をなさってください。
1640) 厳しくて難しい学びだけど、ともに田池留吉を思い、母を思い、宇宙を思い、心を向けようとする時間と空間を持たせていただいて嬉しいし、ありがたいです。
形の世界で、物や心にどんなに恵まれていても、心に響く波動の世界には太刀打ちできません。いいえ、比べることのできないことです。喜びとか幸せの質が違います。
田池留吉を思う、アルバートを思う、意識の流れを思う、思えることがどんなにすごいことなのか、ああ私達は本当に幸せ者です。
どんどん自分の中の凄まじいエネルギーと出会っていきましょう。
狂ってきた凄まじいエネルギーは、みんな喜び、温もりへ返していける、そんな喜びと幸せの中にあったことを、はっきりと自分の心で確認してください。尽きることのないブラックのエネルギーは、尽きることのない喜び、温もりのエネルギーでした。元々ブラックのエネルギーなどなかったんです。元々あったのは喜び、温もりのエネルギーだけでした。
それをブラックにしてしまったのは、喜びと温もりを捨て去った私達です。
そんな私達が、喜びと温もりの中へ帰っていこうと一念発起して、この世に出てまいりました。厳しくて難しい学びだけど、元あった本当の世界へ帰っていく思いを確認して、日々をお過ごしください。
1641) 学びの友からたくさんのメールをいただいています。みんなセミナー嬉しかった、ありがとうと喜びを伝えてくれています。
ともに学ぶ時間と空間を大切に、そして、日々それぞれ正しい瞑想を心掛けて、それぞれ自分の計画、予定してきた愛に帰る道の遂行に努めてまいりましょう。
250年後の再会を果たしてくださいとお伝えしています。意識と意識の喜びの出会いを持ちましょう。
今世、アマテラスの国、日本より学びは発信されました。小さな島国日本です。250年後には海の底に消えていますが、アマテラスの目覚めにより、宇宙が大きく変わっていく仕事の場を設けていただいたことを嬉しく思います。アマテラスの思いが国を形成し、そしてアマテラスの思いの成長とともに国が崩壊していくのです。
次元移行という意識の流れを心で真っ直ぐにとらえ、自分達の真実を心で明らかにしていきましょう。
帰るところ、帰るべきところがあったんです。心で感じて感じて、さらに奥深く進んでいこう。形ある世界に真実はありません。
1642) 半端な思いで学びをしていませんか。真っ直ぐに学びと向き合えているあなたでしょうか。そして、今、あなたはあなたの環境その他を通して、学びに触れている今を心から喜んでいますか。
あなたは特別ではありません。真っ黒だから、どうしようもない状態だから、今世、学びに触れているんです。先日の琵琶湖セミナーの最終日に、セミナー資料から読ませていただいた中に、決死の覚悟という文言がありました。決死の覚悟で、自分を救いあげていこうとして、今世の肉、環境を用意して、学びの時間と空間を自分に用意しました。それは今語った状態だからです。今世を逃しては難しいということを、今一度、どなたも心に留め置いて、それぞれの責任のもと、生きていく道を選択してください。
決死の覚悟をしてきた自分は、あれとこれを平行に進めていくことなどできないということを知っているんです。心は知っています。中は知っています。知らないのは肉のあなただけです。肉のあなたは色々と言い訳、尤もらしい理由を並べ、正当化します。しかし、中から決死の覚悟という思いが伝わってきているならば、それに忠実に肉は沿っていく方向に取捨選択が必要です。
肉の仕事は中の思いを、切なる思いを最大限活かしていくことにあります。
肉を活かすために肉があるのではありません。
1643) もう迷うことはないと思います。心は揺れるかもしれませんが、その揺れが大揺れのまま自分を見失うことはないと思います。
揺れがどこからきているのか、この揺れをどうすればいいのか、その対処の方法はどこにあるのか、その問いかけに対する答えは、それぞれの心で出てくるでしょう。あとはその出てきた回答に対して、どの程度の角度で向き合うことができるかだけです。
どの程度の角度、真正面からしっかりと向き合えるか、その角度が段々に大きくなって、結局は自分の心の針の向け先がとんでもない方向に向いていくのか、そういうことでしょう。
それを左右していくのは、それぞれの心の中に巣くう他力のエネルギーの程度であり、それと並行して感じている母の温もりの厚み、深さ、広さの程度だと言えると思います。
心の針の向け先の正しい方向を知って、その方向に針を向けて合わせていく以外に、本当の自分の生きる道が見えることはありません。
互いに肉は愚かですが、本当の自分の生きる方向がしっかりと定まっていくように、学んでまいりましょう。
1644) これからさらに、想定内、想定外の出来事が起こってくる中で、心は揺れてももう自分を見失うことなく、道を間違えることなく、真っ直ぐに前を見て生きていきましょう。
信じる信が問われるこれからです。何を選び取っていくかでしょう。
田池留吉を選び取ってください。次元移行を伝える意識の流れに心を委ねてください。肉は何ほどのものでもありません。肉でできることなど微々たるものです。意識の世界にある自分というものをしっかりと心に感じ、必ず自分の中で次元移行を果たしてまいりましょう。
心の針の向け先を絶えず確認、管理して、どんなに間違い続けてきても、帰ってきなさいという呼び掛け、いざないがなされてきたことを、心から心から知っていただきたいと思います。
帰るところはひとつです。もう帰らねばなりません。帰りましょう。ひとつになって帰ってまいりましょう。
1645) 学びに触れている私達ほど幸せ者はありません。あなたもそう思うでしょう。なぜならば、ふうっと目を閉じて思えることを知っているからです。
思える方向を心に知っているからです。これはすごいことです。
田池留吉とかアルバートとか次元移行とか意識の流れという言葉を知っているだけでも幸せなんです。
他力的に欲ですがりつくのではなく、ただ思うとする、思える、そうすることがこんなにも心を広げてくれる、思いの向け先を段々に絞っていけばいくほどに、嬉しさ、喜びが増してくるのです。
思うことはパワーです。正しく思う、真っ直ぐにただ真っ直ぐに思う、学びに触れさせていただいて、思うこと、思えることの大切さと喜びを知りました。
形の世界では到底分からないことでした。ひとたび知っていけば、感じていけば、消すに消せない、消えない喜びと温もりの世界です。
形の世界の喜びとか幸せとは全く違います。喜びと幸せの裏に、不安とか恐怖その他のブラックの思いがあるのとは全く違います。
何もない。ただ喜びだけ。ただ温もりだけ。そんな世界に存在しているあなたですよと伝えてくれたんです。受け取りました。受け止めました。
信じる信を深めていくことが、さらにひとつに溶け込んでいくことだと承知しています。
次回ライブ配信予定日は、6月18日(火)、午後2時です。
1646) 私もあなたもともに学びます。田池先生の肉を通して、真実の波動の世界を学ばせていただいた私達に残されていることは、道しるべが指し示した方向を真っ直ぐに見ていくことです。その方向だけを見ていくことです。
もうやるしかありません。きちんと心に残してくれた確かな足跡を、しっかりと歩いていきましょう。
「待っています。必ず出会ってください。」
どなたの心にもそう響いてくるはずです。ただただ待ってくれている思いに、それぞれの心でしっかりと応えていってください。
思えば響く波動の世界を心に感じ、本当の喜びと温もりの道を進んでいきましょう。そして、250年後の意識と意識の出会いを果たし、心の奥底からアルバート殺してやる、アルバート愛していますのエネルギーを噴き上げてまいりましょう。
ただただ嬉しい。その舞台設定はすでに整っています。三次元最終のお勉強です。喜んで喜んで受けていこう。
1647) 学びの友、UTAブックさんが色々と企画を出してくれます。
死ぬまで瞑想、死ぬまで勉強、70歳以上の学びの友が対象ですが、いい企画だと思います。
こんなことをしますと前もって連絡がありました。いい企画だと返事しました。ただ私は傍観者であり、後日アップされたものを観させていただいて、私なりに感じるところがあれば、何らかの形でともにお勉強させていただきたいと思っています。
私もそうですが、加齢とともに身体に不調が出てきます。もちろん加齢だけではなく、自分の出してきた思いの結果が例えば、肉体細胞を通して現れてくるということで、そこで後ろ向きにならずに、肉体細胞とともに学べる喜びをしっかりと味わっていきましょう。
元気溌剌で学びをぐいぐい進めていけた時期はそれはそれでよかったんです。その昔を懐かしみつつ、ようし、死ぬまで瞑想だ、死ぬまで勉強だと自らを鼓舞して、思うは田池留吉一筋の喜びの人生を生き抜いていきましょう。
1648) 思いは250年後。そして次元移行を伝える意識の流れの中にある自分をはっきりとしっかりと感じることです。
その思いを大切に、その思いとともに、今、肉を持っている今、肉を通してしっかりと学んでいきましょう。
思うは田池留吉一筋の道を、どなたも心に確立して、250年、300年に至る次元移行への道を遂行してください。
肉、形の世界が崩れ去っていく中で、何を思うのか、何に心を向けられるのか。大変厳しいけれど、しかしたったひとつの真実の波動の中に溶け込んでいく喜びの道がどなたの心にも開いています。
その道を歩んでいくのかどうかは、それぞれの心が選び取っていくことです。
はい、いいえを明確に、喜んで喜んで本来あるべき自分の姿、世界を復活させていきませんか。
肉に埋没していては、絶対に明るい喜びの道は見えてきません。真っ暗な真っ黒な長いトンネルを抜け出していくことを始めてください。
本当の自分が先導してくれていることを素直に真摯にそして勇気を持って受けてください。
1649) 今世、学びに触れた方達は、これから250年、300年の間に何度かの転生があります。必ず肉という形を持ちます。
生れたくない思いを遥かに超えて、肉をくださいと今まで以上に切望してきます。
その思いが、今回のライブ配信の来世、肉を持つ思いに触れる瞑想から感じ取れましたか。
どなたもボロボロの心の状態の中で、三次元最終の時を迎える計画を立てていることを心で知ってください。
私は、先にホームページに載せた通り、アルバート殺してやる、アルバート愛していますの凄まじいエネルギーを噴射します。
そして全宇宙とともに次元移行を達成していく意識の流れの中にある喜びをしっかりと確認して、さらに愛に向かって意識の世界を進んでいきます。それを私は、田池先生の肉がある間に、その意識の世界を学び確認しています。心で受け取ったから、あとは愚かな肉の思いをしっかりと見て、自分の計画を頓挫しないように、思いを向けていくだけです。
身体には少々不具合がありますが、心で受け止めたものを遂行していくことには支障がございません。
1650) 大切なこと、一番大切なことを大切にしてください。決死の覚悟で生まれてきたことをどなたもお忘れなく。
自分で計画してきたことを、心を見ることにより、正しい瞑想をすることにより、自分で分かっていくことが肝心でしょう。
肉塗れの中ではそれは困難です。学びが難しいというのは、肉があるからです。肉があるから、肉と一体化している思いがあるからです。
それを剥がし取っていくことができるかどうかです。上塗りは簡単です。磨いて磨いて艶を出して、形を整えて、そうすること、そうできることが幸せ、喜びの道、生きている証だとしてきたんですから、剥がし取っていくことはどれだけ難しく、エネルギー必要とするかは実感されていると思います。
肉の道を極めるのではなく、肉の道を消していくのです。消し去ろうとしても消せないけれど、自分の中から薄く薄くしていくように、心を見ていきましょう。
何も持たない、何も持てない、ただ思いの世界があるだけ。
この事実を肉ある今、心で確認してください。
1651) 色々な形で、学びの友が積極的にともに学んでいこうと動き出される最近を嬉しく思います。私は我関せずというところがありますので、積極的には情報収集はしていませんが、何かの折にそういう動きを感じさせていただいて、何かいいなあと思っています。
それぞれの動きには水先案内人がいるでしょうが、あくまでも水先案内人に徹してください。
ともに学んでいこうという思い、姿勢は絶対に忘れてはいけないでしょう。
みんな間違ってきたのです。みんな狂い続けてきたのです。正しく生きてきた人など存在しません。
みんな真っ黒だけを宇宙に垂れ流してきたということ、そして、その回収はそれぞれがやっていく必要があるということ、そこをぶれずにともに学んでいきましょう。
誰が上、誰が下、そうではなくて、愛へ愛へ帰れる道があることを知って、その道を自分の足で歩いていく喜びと幸せを、どなたも心に感じ広げていけるような、そんな今世の学びの結果にしていこうと呼び掛けます。
1652) 瞑想、正しい瞑想をしてください。正しい瞑想をしていけば、自ずとはっきりとしてきます。肉に逃げずに、肉で誤魔化さずに、しっかりと自分の歩いていく道を知ってそしてその道をひたすら真っ直ぐに歩いていくことだけが、自分の幸せ、喜びなんだということが、心にはっきりと響き伝わってくるのです。
自分が自分に伝えてくる思いを真摯に受け止めていけることが幸せであり、嬉しいことだと分かります。
心からありがとうです。自分にありがとうです。真っ黒にしてしまったけれど、けれど、喜びと温もりの中に帰っていけることを伝え続けてくれている自分に心からありがとうしかないでしょう。
知りたかったんです。本当に知りたかったんです。帰るところを探し続けてきたんです。どなたも正しい瞑想を継続して、自分に問うてみてください。そのように返ってくるはずです。その思い、その切なる思いの波動を心に受けて、愚かな肉を通して、その思いを実現できる今をただただ喜んでください。
1653) 心も身体も余裕を持って学びと向き合ってください。気張らなくていいんです。リラックスして、伸び伸びと瞑想を続けてください。
瞑想を習慣づけるのは大事なことですが、しなければならないと構えることはよくありません。学びは修行ではありません。楽しく学んでください。
もちろん、楽しく学ぶとはいい加減な思いで、軽い思いで学ぶということではありません。
素直に真っ直ぐに自分のエネルギーを感じていく、つまり自分に自分が辟易するのではなくて、自分を楽しんでいきましょう。
こんな凄まじいエネルギーを瞬時に噴き出してしまうんだから、幸せになんかなれるはずはない、喜びなど温もりなど分かるはずもない、自分で心から納得できることを喜んでください。
そして、それでも自分の底の底の奥底には喜びと温もりのエネルギーがあることを信じなさいと伝えてくれている本当の自分に対して最敬礼です。
そうやって、自分と自分の中で楽しんでください。
ふるさとの歌を口ずさみながら、涙してください。帰ろう、帰ろうの大合唱に心で応えていきましょう。
1654) 学びの本番は250年後です。今世はその予習段階です。とは言え、今世の学びがいかに大切であるか、それぞれの心でお分かりだと思います。
今世をいい加減にして、250年後に飛べません。今世の学びの結果を受けて、これからの転生が展開されていきます。
誰が決めたわけでもなく、みんな自分で計画してきたことだということを、どうぞ、日々の瞑想を通して確認してください。
自分が出したものは自分に返ってきて、そして、そのことにより、心を見て、瞑想をして、さらに自分の生きていく方向、選び取っていくものを決定していくだけのことです。
今世、私達は初めて真なる学びに触れさせていただきました。今世を境にして180度自分を変えていきましょうというメッセージのもと、自分の本来生きていく方向、本来選び取っていくものを確認、確認しているのが、田池先生没後のセミナーの学びの時間です。
それぞれの心で受け止めていくしかありません。心で受け止めた波動の世界を信じてそして育んでいく、私もあなたもともにやり続けてまいりましょう。そして、それぞれ肉を置いていく時期が来れば、250年後の再会を必ず果たしていこうの合言葉で、肉はお別れしていけばいいんです。
肉が無くなったからと言って、存在が無くなったことではないということについて、心の理解を深めていきましょう。
1655) 学びに触れた喜びをしっかりと心に感じていますか。
学びを通して自分の生きていく方向が定まったことを確認して、そしてそれを心からあなたの喜びとしてください。
道を指し示してくれたこと、こんなにすごくてありがたいことはありません。厳しくて険しい道だけれど、たったひとつの真実に繋がっていく道です。
ともに帰っていこう、ともに行こうといついかなる時も呼び掛けていただいています。その意識の世界に心の針を向けて合わせて、波動を感じ広げてください。素直に真っ直ぐにそうしていけば、どなたの心にも響き伝わってきます。
それぞれの心の体験を重ねて、波動の中に生き続けている自分をしっかりと知っていきましょう。喜びと温もりの中に溶け込んでいく幸せ、安らぎは、瞑想、正しい瞑想を通してしか出会えません。
肉に傾く心、肉だと言ってのける心、その思いの世界を丹念に見ていき、そして本当の優しさと温もりの中へ、その心を戻していきましょう。
心から待っていますと力強い呼び掛け、いざないを心でしっかりと受け止めてください。
1656) ともに歩む、自分の中とともに歩む、そして肉体細胞の思いを感じながら、ともに歩む、簡単なようで難しいことかもしれません。
みんな自分で決めていくこと、行く先の舵を切っていくのは自分だということ、つまりは全部自分次第だということです。
手を引いてこっちですよと形で示されたならば、話は簡単ですが、何もかもあなた次第だ、自己選択、自己責任だというのは、縛りもなく強制もなく自由ですが、他力の中にどっぷりでは、何とも冷たく突き放された感覚があるのではないでしょうか。
そう思う心をそれぞれに見ていけばいいけれど、見ないようにする、見えなくしているというのも他力の中に落ち込んでしまっている証です。
それほど他力の思いにとらわれている状態だということなんですが、その認識が甘いのではないでしょうか。
自分勝手にしておいて、その結果はあなたのものだというところは抜きにしている、私も悪かったけれど、あなたもそしてこれも悪いんじゃないかと責任を転嫁する心癖が、あなたの心に残っていませんか。
他力のエネルギーのしぶとさを確認しましょう。
1657) 7月の橿原セミナーの受付が早々と終了して、参加者名簿が届きました。
いつもこの位早い段階でセミナー参加が決まればと思いますが、そう都合よくいかないです。
7月の橿原セミナーまで1か月ほどあります。橿原も琵琶湖と同様に、田池先生との思い出がたくさんある場所です。諸般の事情が許されるのならば、セミナーの場として残しておきたいと思っています。
ホテルの窓から二上山を眺め、そしてセミナー会場に肉体を運ぶ、それがやはり嬉しいです。
あなたの中の巫女の思い、喜びへ温もりへ帰っていますでしょうか。
心に沁みついている巫女当時の思いを、出来るだけ聞いてそして受け止めていってください。
そして、巫女を思ってする瞑想が、とてもとても愛しいと思えるようになっていきましょう。心をズタズタに切り裂いてきたけれど、それを救い上げていける安堵感とようやく出会っている、そんな瞑想を繰り返して、そして、7月、橿原の地にてともに心を向けてまいりましょう。
次回ライブ配信予定日は、6月27日(木)、午後2時です。
1658) 自分の世界に生きている、自分の思いの世界に生きているということを、どなたも心で知ってください。確認してください。
その世界がどんな世界なのか、自らに肉という形を用意して自らに見させています。周りの出来事、人、それによって自分の世界に上がってくる思いを、つまり自分をしっかりとはっきりと知っていくこと、それが肉という形を持っている、つまり生まれてきた訳です。このことをはっきりと知るべきです。肉という意味を取り違えてきたことを、心ではっきりと知って、本当の人生の時を刻んでいきましょう。
肉体というものは年とともに疲弊していきます。もちろん、それ以外にも肉体細胞を傷つけて肉体細胞が疲弊、死滅していく出来事が起こってくる場合があります。今の世の中、健康的に命を長らえさせることが幸せ人生というふうになっていますが、それは違っています。違うとはっきりと言えますか。
学びに触れた人達は、自分の本質、本当の自分の姿を知らずでは、到底幸せ人生にはなってこないことを知っています。そして、本当の幸せ喜び人生を歩いていくためには、今何をすべきなのかを知っています。それだけでももう幸せなことです。だから、その本当にするべきことを、肉を持っている今真摯に淡々とやっていくことです。
その結果、ふと気が付けば本当に幸せな自分がここにあることを、心が教えてくれます。心を見て、正しい瞑想が継続できる私達でありましょう。
1659) 学びの友からのメールです。一読ください。
私は間違ってきました。学び始めて30年余り、ずっと間違ってきました。それ以前も含めればどれ程!? というくらい間違ってきました。ものすごくものすごく間違ってきました。
そんな私が、学べる環境を維持するためにと、必死でお金を確保しようとしてきました。その思いがとても重荷だったと気付きました。欲でした。まったくの欲でした。本当に浅はかでした。
そうではなかった。例えセミナーに行ける回数が極端に減る、ゆったりとした環境を確保することが出来ない、そういう環境が整わなくなっても、喜んで自分の間違ってきた結果を受け入れていく、そういうことでした。自分でやろう、自分でやろうとしてきた愚かさを感じました。それこそ肉の思いでした。
ただひたすら自分を見つめていくこと。自分の間違いに気付いていけること、そしてそんな自分を受け入れていけること、そして意識の世界を信じていけること、田池留吉とひとつ、そんな自分だと信じる信を強め深めていけること、そういうことを喜んで喜んで日々歩いていけばいい、重荷だった思い、少し軽くなっていけそうです。
ありがとうございます。喜び、すべては喜び、明るく、喜んで日々を暮らしていける、それが意識の世界でした。そして、自分が学んでいくのに必要なもの必要な環境は、必ず必ず整っていく、それが意識の世界、本当の私の世界でした。それは安らぎと、喜びの世界です。
気付かせていただきました。ありがとうございます。
1660) 自分自身を含む身の回りで起こってくる現象に不必要なものはありません。現象だから肉的には不都合なことでしょう。不都合なことかもしれないけれど、そして、不都合なことだからありがとうと受け止めるにはなかなかですが、そこは肉の心を広げていくことをしなければなりません。
そうしたとき、ある時思えるんです。これがあったからこうなって、ああなって、結果的にはよかったんだと。
もっと具体的に例を出して言えば分かりやすいと思いますが、私はそう思っています。
ただ、肉の心を広げていくこと、これは難しいですね。意識の世界は本当にすごいから、ぱっと思えばそれで通じていくんです。ですが、肉はそう簡単にはいきません。その辺り、私も自分自身の学びとして課題を残しています。もう少し、愚かな肉を携えて愚かな肉のことを学ぶ予定です。
250年後の来世の私は歯がゆく感じているでしょう。何やってるの、そう思いながらも、私を全力で応援してくれています。なぜならば、今の肉を離して、肉のない状態で自分を学んでから最終の肉を自分に用意するという一連の流れを意識の私はすでに知っているからです。
その流れをすでに知っている意識が、肉という形を持つ、それが250年後の来世の私です。
その来世の私からのメッセージ。
「今の肉の環境は、恵まれ過ぎている。何をごちゃごちゃやってるの。さっさと受けていけば何の問題もないじゃない。」と軽くあしらわれています。その通りです。皆さんも今世の環境の比ではないですよ。これからの転生の状況は。だから精一杯今世学んでまいりましょう。そして今世の結果を必ず250年後に繋いでいくという心意気でいてください。
1661) ライブ配信、どうでしたでしょうか。楽しめましたか。
死後の自分と250年後の来世の自分を思ったときに私の心に上がってきた思いです。
私は、今世死ぬまでお金に困りません。60歳になる前に仕事を辞めました。自分の計画通りですが、実は50歳でと思っていましたから、10年も余計に働きました。
あとは死ぬまで元気に、死ぬまで瞑想を楽しんで、この世とお別れしていこうと思っています。
250年後を思うと嬉しい、楽しいんです。今世に比べると格段に厳しい環境ですが、それでも私はアルバートと出会うことを知っていますから、心の中からアルバート死ねのエネルギーを噴き上げる250年後が待ち遠しいです。
今世も、この肉を通して田池死にさらせのエネルギーを存分に学ばせていただきました。身に余る光栄です。
田池留吉、アルバートの意識の世界に、波動の世界にあることを、心から伝えてくれた今世の学びに加え、最終の肉を通して再び学ばせていただくことに感謝しかありません。
しっかり打たれた布石を大切に、歩みを進めてまいります。
1662) どなたもこれより、自分の250年に至る転生に思いを向けて瞑想をする時間を持ってください。
死んだ自分から伝わってくる思いとともに、これから肉をいただく自分の思いにもしっかりと触れてみてください。
繰り返し、そういう瞑想をしていくと、今、今肉を持っている今という時がどんなに自分にとって大切な時であり、かけがえのない時なのか分かってきます。
これまでの転生と同じ価値基準で今世の転生を終えていくことはあってはならないと、あなたの心にその思いが響いてきますか。
ゆったりと心を向けていく中に、その凛とした思いを感じていきましょう。
あってはならないと心を縛るのではなくて、真っ直ぐに本当の自分の思いを通していく強さに目覚めていきましょう。
学びに触れたことをどう思っていますか。本当にすごいことなんだと心で分かっていますか。
死ぬまで瞑想、いいじゃないですか。今世の肉を通して、しっかりと自分を学んでまいりましょう。そして、死んでからも瞑想ならなおさらいいですけれど、これは甚だ難しいです。
1663) 物質的に何不自由のない生活であっても、心が不自由であれば決して幸せであるとは言えないでしょう。
では、心が不自由であるとはどういう状態をいうのでしょうか。
不自由、自由でない。ただ単に自由でないというのではなく、自分の心の世界、意識の世界は本当に自由なんだろうかと振り返ってみてください。
本来、私達は自由に羽ばたく意識の世界にあったのに、自ら狭いちっぽけな中に押し込めていったのはなぜなんでしょうか。
自らを押し込めていったという思いはないかもしれません。そして、その世界が狭いちっぽけな世界とは分かっていなかったかもしれません。今も分かっていないかもしれません。
しかし、肉、形を本物とする思いの世界は、狭いちっぽけな暗い真っ暗な世界です。たとえ、物に溢れ人の優しさ、温もりを受けても、肉、形を本物とする思いの世界にいては、本当のことは何ひとつ分からない、知らない状態だということだから、本当の幸せ、喜びの人生にはなり得ません。大事なことは、そのことに、いつ心で気付けるかということだと思います。
何事も自分の心で気付くということが大切です。頭で知るのではなくて、心で気付いていきましょう。気付いていけるように学びましょう。
1664) 体力、気力のある間に学んでください。学ぼうとする肉の思いはあっても、ある程度の体力、気力がなければ、その肉の思いを叶えることはできません。哀しいことですが、如何せん肉を持っている以上、それはどうしようもないことです。肉を持って学ぶという条件だから、肉の状態をできる限り学びに適う状態にしていくのも大きなポイントです。
年齢を重ねていくことは避けることができないし、加齢がもたらす様々な肉的変化を受けながら学んでいくということになってきます。
だから、できればまだまだ体力、気力の充分にある時期に、自分の学びの道を確立する、つまり自己確立を目指してください。
私自身の経験からそうお伝えしたいと思います。自己確立さえきちんと出来ているとするならば、あとは、ぼちぼちまさに自分のペースで学びの歩みを進めていけるのです。
もちろん、日々の生活の中では色々とあるでしょうが、基本的にはそれは些細なことでしかないと、中から伝えてきます。そして、本来自分が切望してきたことを淡々と遂行していく喜びと幸せを、日々の瞑想の中で感じていける喜びを伝えてきます。
1665) 私は出来る限り一定のリズムの中で生活をするようにしています。
肉でできることはその程度のものです。一定の生活のリズムを刻みながら、思う喜び、思える喜びの時間を大切にしています。
時間はそんなに長くはありません。だけど回数は多いです。ふうっと思う中に私は喜びを感じるからです。
250年後、300年後に焦点を合わせてこれからの時を通過していく、肉を持っていても持っていなくても、250年後、300年後の意識の流れは粛々と遂行されていくことを感じ、肉は本当に愚かだと思います。
ただ、今世を境にして意識の世界を変えていける事実もまた肉を通して学ばせていただけるということだから、愚かな肉は愚かなりに喜んでいます。
それは意識の世界の喜びとは雲泥の差ですが、今世の肉はゆったりと静かに過ごす時間の中にあるということで、それも喜ばしいことです。
肉でできることがたくさんあり、そうすることが喜び、幸せな人生にしていくんだという思いが粉々になっていくことは喜ばしいことなんだと、初めて思える今世でした。
1666) 学びに触れる時期はそれぞれ違います。殆どは、20年、30年と長く学んでおられますが、そうでない人もいます。大事なのは、それぞれ学び始めてから、どれだけ学びの基本に沿って学んできたか、学んでいるかでしょう。
学びの中心部分をしっかりと伝えるという仕事を終えたから、田池留吉の意識の世界は、一旦肉という形を消しました。
肉を持ってする仕事の終了とともに、今世の肉を捨て、あとは250年後を待つのみということです。
今世初めて伝えてくれた真の波動の世界にしっかりと呼応していく喜びと幸せを学ばせていただいた事実があります。
「私達の本当の姿は目に見えません。波動、エネルギーとして永遠に存在しています。肉、形を本物とする思いから、意識、波動を本物とする思いに180度転回していってください。すなわち意識の転回を速やかに遂行して、本当の人生を生きてください。」
意識の流れからのメッセージは確実に現象化してまいります。
天変地異という形で、肉、形の世界が総崩れしていく中で、何を思っていけるか、何に心の針を向けて合わせていけるか、一人ひとりの課題となってきます。250年後の本番に向けて動く意識の世界を感じてください。
1667) 肉は馬鹿だから、色々なことで、それは些細なことであっても、そして些細なことかもしれないけれど、色々なことで、とにかく、へこみやすいです。
へこむというのは、落ち込んだり威張ったり、言ってみれば晴れ晴れとしない心持という状態です。
そこから思いを切り替えていこうとするんだけれど、引きずってしまうことが往々にしてあるのが実情かもしれません。
心の針の向け先を確認して、正しい方向に向けていこうと思うけれど、なかなかすっといかないでしょう。
長い転生の間に沁みついた心癖です。文字通り沁みついていますから、それを薄くして消していくには相当の思い、根気が必要です。
ですが、大丈夫です。心の中に母の温もりがあることを知った私達です。
根気よく自分の作ってしまった心癖と向き合いましょう。
そして、今度こそ自分を見捨てることなく、本当の自分に帰れる道を選んでいきましょう。根気も勇気も要ります。しかし、その道だけが自分の喜びの道だと私達の心は知っています。肉は影。実体はありません。
1668) 自分に決めてきた愛へ帰る道をしっかりと歩いていくこと、いつもそのことを心に留め置いて肉の時間を流していけばいいと思っています。
学びをして、自分の価値基準を変えていかない限り、どうしようもないことを実感してきました。価値基準を変える、つまり自分の基盤を変えるということです。
そこをしっかりと遂行していかないと話にならないということでしょう。
肉、形を本物としてきた大バカ者の自分をしっかりと確認して、そんな大バカ者の自分だから何度もチャンスを用意してきたことも、しっかりと確認して、そのうえで、今、こうして学べる千載一遇のチャンスを自分に用意しているありがたさを感じてください。
心の針を外に向けて生き続けてきたことを心で知っていきましょう。
自分の外に喜びを温もりを真実を探し続けてきたという自覚をしっかりとして、自分の人生を生き直していく覚悟で、これからの転生を迎えてください。
今世学んだことを心で繋ぎ、必ず250年後の意識の出会いを果たしていこうの思いで、どなたも今世を終えてください。
一人ひとりの問題です。
1669) UTAブックさん主催の「死ぬまで瞑想会」、第一回目無事終了ということです。どうぞ、参加資格のある方、これからも自分の学びとして、この機会をご活用ください。どんな企画もご自分の学びの歩みを進めるということを基本にしていけばいいのではないでしょうか。
ということで、今ふうっと心に上がってきた思いは、セミナー参加される方達の中で、50代、60代の方達とともに瞑想をする時間を、セミナーの中で持つ機会を増やそうかなあということです。
もちろん、50歳未満の方達も視野に入れてというのは変わらない思いです。
学びをするのに年齢は関係がありませんが、しかし、体力、気力のまだあるうちにということも見逃せません。
そういう意味で、50代、60代、そろそろ身体的にも衰えが見え始める時期に差し掛かります。
セミナーで、そういう機会があれば積極的にご参加ください。
1670) 今世、学びに集っているのは決して偶然でもなく、そして、何となくでもありません。それぞれにその自覚がどの程度あるか知りませんが、少なくとも私は、自分の綿密な計画、今世に懸けてきた思いのもとで、自分の学びを進めてきましたし、今もそう、そしてこれからもそうです。
田池先生とともに学ばせていただいた貴重な時間があります。私の宝物です。確かにたくさんたくさん学ばせていただきました。学ぶチャンスを持たせていただきました。精一杯応えたつもりでいましたが、先生没後時間の経過とともに、甘かったという反省しきりです。
ですが、ともに学ばせていただいた貴重な時間は確かなものであり、自分の計画とはいえ、千載一遇の出会いを果たしたという事実を大切に、計画の頓挫なきよう、正しい瞑想をしっかりとやっていくという思いでいます。
250年後の出会いを伝えていただき、田池留吉の意識の世界からは、今世肉を持ってする仕事を終了しましたというメッセージをいただきました。
だから、あとは私次第です。今の肉を通して学び、次元移行の意識の流れの計画を真っ直ぐに遂行していくことのみです。厳しいけれど、それが私が私に約束してきたことなのだと感じます。
1671) 2019年も後半の6か月を切りました。時間が飛ぶように過ぎ去っていく中で、日々淡々とご自分の学びを進めておられると思います。
今の目に見える自分だけが自分ではないと、どなたも心ではっきりと知っていけるように、日々学んでください。
何のために今という時があるのか、いつもいつも絶えずそこに戻って、本当に生きていくとはどういうことなのか、日々の生活の中で思いを馳せる時間を確保していきましょう。
ということは、瞑想をする時間をしっかりと確保してくださいということになります。
日々の生活で楽しみや喜びを味わいながらも、ただそれだけでは何とも味気ない空虚な人生だということは、もう学びに触れている方ならばどなたも、自分の心で納得されているでしょう。
本当の喜び人生を歩いていく、広げていく、今世はそれが可能だとお伝えしています。尤もそれはそれぞれ次第ですが、心の向け先ひとつで、自分の過去も未来も変わっていける不思議とありがたさを、どうぞ、今世のその肉を通して学んでいくようになさってください。
そして、合言葉、250年後の出会いを果たすを味わってください。
1672) 田池留吉と思えることが幸せです。頼るとか何とかという思いではなく、ただ田池留吉と思える、呼べる今世ほど幸せな転生はありません。
初めて、生まれてきてよかったと思えるんです。肉を用意してきた自分にありがとうが真っ直ぐに言えるんです。
こんな幸せな転生はないです。環境その他色々とあり心がまだまだ揺れると思いますが、それでもそれでも学びに触れた私達は幸せ者です。
この喜びと幸せを、必ずそれぞれ自分の次の転生に繋いでいってください。
そして、250年後に必ず再会を果たしましょう。
もうその思いだけで、これからの学びを進めていきましょう。みんながみんな間違ってきた、狂い続けてきたんです。今もなお、肉を本物とする思いの狭間にいるでしょう。
しかし、それも意識の流れが顕在化するこれからの時を経て、大きく変わっていかなければなりません。いいえ、いくようになっています。
肉を本物とする思いをいかに転回していくか、正念場です。
1673) 何を選び取っていくか、それはそれぞれの課題です。
平時では、田池留吉、アルバート、この道だと思っていても、さてそれが本物かどうかは、これからの時間、転生で見極めるということになります。
心の闇、くそを吐き出して吐き出して、それでも次から次へと出てくるくそのエネルギーに尻尾を巻いて退散するのか、それとも、真っ直ぐに勇気を持って淡々と優しく受け止めていくのか、それは本当にそれぞれが選び取っていくことです。
道はすでに示されています。正しい道しるべはどなたの心の中にもあります。気付くか気付かないか、気付けるか気付けないか、本当に学んできたのか学んでいるのか、その真価が問われていくこれからだと思います。
何が自分の基盤になってきたか、なっているか、これからそれぞれに幾度かの呼び掛けを自分にします。
本当の自分に帰りたい、帰っていこう、帰っていきますの思いが、自らに呼び掛けを起こしていきます。
なぜだか分かりますか。分かりますよね。
そこを信じて信じて自分の切なる思いを現実のものにしていきましょう。
1674) 私は瞑想がただただ嬉しいです。瞑想とは心を向けていくことです。心を向けていけば、私の中に広がっていく田池留吉、アルバートの世界です。
「待っていました。待ち続けてきました。ともに学んでくれてありがとう。出会ってくれてありがとう。」私の中に伝わってくるメッセージです。
私はこの波動に出会いたかったんです。今世の肉を通して、その私の思いが現実のものとなりました。
肉は何ほどのものでもありません。ですが、意識の世界、意識の私は本当にすごいんだなあと感じています。
長い長い転生の結果、ようやく出会った波動の世界でした。
私の中は、すでに250年後の最終時期に焦点を合わせて動き出しています。ふうっと250年後と思うだけで、その実感があって、だから、言葉にはできない喜びがあります。ともに歩いていく意識だとはっきりと心に伝わってくる思いを私は信じています。出会いたくて、出会いたくて、本当に今世、その思いだけで生まれてきたんだと肉に伝わってきます。
たったひとつの真実にようやく出会えた今世。ふるさとの歌詞通り、実感できている今があります。思う喜びと思える喜びがすべてでした。
1675) 間違い続け狂い続けてきても、こうしてやり直す、生き直すチャンスを今世もまた自分に用意してきたことを思うと、本当にすごいことなんだ、意識の世界はすごいんだ、本当の自分に帰ろうとする思いはどこまでもすごいんだと思わざるを得ません。
肉から意識への転回はそう簡単なことではありませんが、日々、瞑想をする時間をきちんと確保して、やり直そう、生き直していこうとして生まれてきた自分の思いに触れ続けてください。
中は叫んでいます。本当の自分と出会いたいと叫んでいます。その叫びはなかなか真っ直ぐに素直に思いを語ることはないかもしれないけれど、母の温もりに触れていけば、必ず真っ直ぐに素直に語ってきます。
帰りたいけれど帰るところが分からなかった、どうしていいか分からなかった、まずはその思いをしっかりと受け止めていくところから始めてください。
そうしていくうちに、段々と帰るところがあったんだ、本当に帰れるんだね、そんな思いが心に伝わってきます。あちらからもこちらからも。
中がそのような状態になれば、あとはその思いにしっかりと応えていけばいいだけです。しかし、その時肉がぼんくらでは、せっかくのチャンスを自ら逃してしまいます。くれぐれもそうならないように。
次回ライブ配信予定日は、7月10日(水)、午後2時です。
1676) 学びは自分の心で学んでいく、自分の心でしか分からない、これはその通りです。だから、瞑想なんです。単なる瞑想ではなくて正しい瞑想をそれぞれが学び取っていかなければなりません。
それとともに、心で感じたものをはっきりと表現することも大切なことだと思います。はっきりと表現するということだから、言葉で語るということになります。
立派なことを、優等生の思いを語るのではなくて、自分のその時感じたものを一言でもいいからはっきりと言えるようにしましょう。
だらだらと語るのではなく、一言でいいんです。
よかった、嬉しかった、ありがとう、幸せでした、あるいは苦しかった、どうしていいか分からない、怖い、不安だ、くそばかりが出る、色々とあると思います。
絶対評価のもとで、自分を学ぶ時間を自ら用意しているんだから、それを最大限活用して、本当の自分との出会いを果たし、さらなる意識の世界へ進んでいくべきです。
肉、形の世界を本物だとしてきた数々の転生の歴史。もうそこから自分を軽やかに解き放していく時がきています。
意識の流れの流れとともに生き続けていける自分達でありましょう。
1677) ともに学んでいこうという空気、雰囲気があなたの身近にあれば、それを互いに進化させていってください。ともに学んでいこうと心から喜んで呼び掛け合ってください。
もちろん、自分の中にというのは言うまでもないことですが、こうして今互いに肉を持ち、自分を学ぶというチャンスを用意しているんだから、本来の生きる意味、道筋を確認し合いながら、そして合言葉通り、250年後の再会を果たし、ともに次元を超えてください。
こんなチャンスはこれから250年の間にそうそうあるものではありません。互いに自分を繋いでいく、繋いでいけるように、互いから心を、自分の発してきたエネルギーを見させていただきましょう。
実際に田池先生とともに学んでこられた方は幸せ者です。確かに、そこには時間の長短、肉との関わり合いの違いはありますが、文句なしに幸せ者です。そして、残念ながら、先生とともに学べなかった方もおられると思いますが、今、学びに触れているということは確かなことですから、学びの友とともにしっかりと歩んでいく方向に、自分の生きていく舵を切ってください。
250年後が本番です。本番に心を向けていけるように自分を学んでいきましょう。
1678) セミナー会場で、あるいはインターネットを活用し、ともに学ぶ環境にあることを喜んでいます。特にセミナー会場に出向きともに瞑想をする顔ぶれがほぼ定着していることは、いいことだと思います。
私は、学びの中心核、そこから波及する輪が安定した状態で、今世の学びを終了できればそれで上出来だと思っています。
本番の250年後に向けてその予習段階である今世の学びの時間を、大切になさってください。
今世、心に伝えていただいた波動の世界を、本番に見事大輪の花を咲かせることができるように、真っ直ぐに思うことをやっていきましょう。
学びは自分の心で感じていくということですから、自分の中にたとえば250年後ということが具体的に響いてこなければ、次元移行など荒唐無稽のお話としてしか受け取れないと思います。
しかし、感じる方にはそうではありません。たとえばアルバートと思いを向ければ、自然に中が反応します。出会いたかった、本当に出会いたかった、そんな思いが心の底から噴き上がってくる体験を重ねていくでしょう。
説明などできません。ですが、噴き上がってくる思いは確かにあるんですから、そういうことを瞑想の中で繰り返し体験して、そして、肉の自分と意識の自分の違いをはっきりと知って、本物を選び取っていくという学びの時間になっていくと思います。
そこで確認です。今世の転生は違うんです。その違いはすでにそれぞれの中で明確になっていますか。自己評価して、そこからそれぞれに学びを進めてください。
1679) 学びを生活の中心に置いていこうとしたとき、NPO法人UTAの輪から配布されているカレンダーをきちんと活用してください。
そこにはセミナーの予定が記入されています。受付開始日、受付終了日をきちんと確認して、参加する予定のセミナーの入金日もまたそこに各自記入する習慣をつけてください。
入金したつもりでいて遠いところからセミナー会場にやってきて、その時あなたの名前がありませんと言われて初めて、自分のうっかりミスに気づかされるといったことがあるように聞いています。
たとえばこのように、誰しも思い込み、うっかり、ぼんやりはあると思いますが、ある程度の自助努力でその回数は減らせるのではないでしょうか。
年だから、色々とあって忙しかったから、それも分かりますが、自分の側からすればそうでも、やはり各自注意確認することが必要だと思います。
肉を持って肉の中で学んでいるのだから、守るべきところはきちんと守ってそして確認を怠らず、お互いにできるだけ気持ちよく関わっていきましょう。下らないことでスタッフの手を煩わせずに、学びに集中できるセミナー参加でありたいものです。
1680) 学びに触れるということは、偶然でもなく何となくでもなく、自分の計画してきたことです。環境、事情色々とあってその中で学びを推し進めていくのは容易いことではありませんが、自分の計画してきたことだということを知ってください。
今世はこれまでの転生とは訳が違うという自覚のもとで、はっきりとした生きる方向性を確認していきましょう。
今世を転換期に。これまでの暗くて真っ暗な苦しい転生を、何とか今世を境にして変えていこうとそれぞれがそれぞれに計画してきたことは確かです。
ただ、このことは自分の心で感じてそして知っていく必要があります。
いいえ、このことだけではなくて、学びについてはどれもこれも、それぞれの心で感じ知っていくことが必要です。
心が知っているから、自分の中に響き伝わってくるんです。それを肉で拒否し否定し打ち消してしまうのか、それとも、ああそうだったんだ、やっぱりそうだったんだと思いを向けていくかということでしょう。
同時期に学ばせていただいていることを嬉しく思い、互いに声を掛け合い、思いを同じ方向に向けていきましょう。そういう仲間があなたの周りにいれば、それはそれは幸せなことではないでしょうか。
仲間です。上も下もありません。
1681) 本気で真剣に自分の人生を思ってください。何のために生まれてきたのか、そこにいつも戻ってください。
生きるということを間違えてきました。いい人生だったと死んでいった転生もあったでしょう。
しかし、自分の本当の姿を見失ったままでは、いい人生などあり得ませんでした。ということを死後の自分から学んでください。
どんなにお金があっても、どんなに頭が良くても、どんなに家柄が良くても、どんなに頑強な肉体を持っていても、自分を見失ったままでは、真っ暗闇の中から抜け出すことはできなかったんです。
神に祈りを捧げても忠誠を誓っても、真っ暗闇の中から抜け出すことができなかったと、たくさんの死んだ自分が伝えてきていると思います。
肉という形を自分に用意して、本当に何をしたかったのか、何を知りたかったのか、自分に問いかけを続けてください。
形を本物だとしてきた心、思いの世界を崩していくことは、決して容易いことではありません。
しかし、本気になってこの学びで伝えていただいたことと向き合っていきましょう。残された時間は300年。転生は数回。しかもこれまでにない厳しい転生です。今世、本気で学んでください。
1682) 昨日、7月UTAホール志摩セミナーを終えて帰阪しました。
セミナー最後に伝えたメッセージです。その時も言いましたが、言葉は平易かもしれませんが、このメッセージは大変、大切なメッセージです。
どなたも本気で真剣に自分を学んでいきましょう。
同じことを言ったりしたりしても、それぞれの心の世界は違います。もっと端的に言えば、その人が本当に自分の基盤を、生き方の方向を変えていこうと心から思っているのかどうなのか、他力の心のまま学びに繋がっているだけなのかどうなのか、ということです。
形を見れば、セミナー参加、現象参加、同じかもしれません。ただし、今語ったように、その人が、自分の中をどれだけ正しい方向に解き放していこうとしているか、あるいは旧態依然のままで、惰性でセミナー参加、現象参加をしているのか、それは、これからの250年、300年の間にきちんと結果を出してきます。全部自分が選び取っていった結果です。誰に何に原因があるわけではありません。
厳しいんです。意識の世界は正確なんです。素直なんです。肉の世界、そして、偽物の意識の世界とは次元が違います。優しさ、温もり、喜びは単なる優しさ、温もり、喜びではありません。
愛へ帰るということは、大変なことです。裏切り続けてきた意識にとって、相当な決意、思いで向き合っていかなければならないことです。お遊びではありません。なれ合い、じゃれ合い、心を見ないままでは、愛へ帰る道を歩いていくことなどできません。
1683) もうすぐ橿原セミナーです。田池先生との思い出がたくさん詰まっている場所でともに学べることを思うと嬉しいです。
あなたの中のアマテラス、順調に成長なさっていますか。自らの姿、愛に目覚めていく道筋をともに歩いていこうという喜びが心に伝わってきますか。
アマテラス、アマテラス、ありがとう。ともに帰れる喜びをともに大きく広げてまいりましょう。
巫女の心を奥深く刻み続け、それでもこうして愛へ帰っていくことを促されていると、今世の肉を通して学ばせていただきました。
巫女、卑弥呼当時の思いをずっとずっと引きずったまま転生を繰り返してきて、ようやく、宇宙を思い瞑想をする中で、本当に宇宙を真っ黒に汚してきた愚かさを知らされました。しかし、それがあったからこそ、ともに愛へ帰る意識だと心から伝わってくる波動の中にあることをしっかりと知ったのでした。
アマテラスを始めとして宇宙に思いを向ける瞑想をしっかりとしてまいりましょう。過去、未来、今という時にともにあることを知ってください。
1684) 250年後に至る転生を思い、瞑想をしていますか。それぞれに1回、2回、・・・回と転生を計画していると思います。
数が少ないからどう、多いからどうという判断は止めてください。
要は本番の250年後にしっかりと繋ぎ、そして三次元最終時期に意識の出会いを持ち、ともに次元を超えていくという意識の流れに乗っていければそれでいいのです。
私は250年後の来世に向けると、もう何もありません。ただただ嬉しいんです。心の中の凄まじいエネルギーがアルバートに向けて一直線に噴き出していくのを、来世の肉を通して体験させていただきます。
それは、250年前、日本の国に肉を持たせていただいた私を筆頭に、過去から生き続けてきたたくさんの私に他なりません。
アルバートに出会いたかったと、心の奥底から怒涛のようにエネルギーを噴き上げていく様を、今、宇宙を思う瞑想で感じています。
宇宙、宇宙に帰りたかった。捨ててきた、飛び出してきた宇宙です。
帰りたくとも帰ることが叶わなかった思いを心から吐き出し、そして、本当に帰れるんだと喜びに湧く心の体験を、今世に引き続き、再びさせていただきます。
もうただただ嬉しいだけです。250年後の本番の舞台設定はすでに終了。あとはそこに肉を持ってくるだけです。
1685) 学びの動機を確認すること、そして学びの動機はみんなが間違っていますから、その修正を速やかに進めること、これは学びの成果を出すうえで大変大切なことです。
学びに対して熱心というのは形ではありません。
他力、すなわち欲の思いで学びをしても、殆ど効果は出てこないでしょう。
学びに触れた喜びは何となく感じているかもしれませんが、それはやはり表面上のことでしょう。根本的に間違いを正さなければ、殆ど何も変わりはないという現実をしっかりと認識する必要があります。
そういう意味で、学びは難しいということだと思います。
いかに純粋にひたむきに学びと向き合えるか、つまりは自分と、愚かな狂い続けてきた自分と向き合えるかということに尽きます。
何度も何度も次から次へと出てきます。愚かな自分が出てきます。
それを本当に心からありがとうと受け止めていける自分は幸せだと思えるのは、その作業を自分の中で淡々と進めていくことにより、味わえるものです。実践です。自分の中で実践です。学びの動機の修正の度合い、そして母の温もりを感じている度合いが左右します。
1686) 自分に用意した学びの環境を最大限に活用して、喜んで喜んで自分を次の転生に繋いでいきましょう。
一足飛びにはいきません。まずは今世です。今世の今という時間です。ここにすべてが集約されています。今世、学びに触れた意識にとってはまさにその通りです。どんな思いで自分に肉という形を用意したか、そしてどんな思いで学びに繋がったか、どうぞ、どなたも自分の心で感じ知っていってください。今世、田池留吉の肉と出会い、学びと出会いながら、学びをしない、つまりいつまでも他力の看板を背負っているとは、どういうことなのでしょうか。ましてや、学びを捨てていく、学びから離れていくことは大罪です。とんでもないことです。
ただ、それぞれの肉は愚かだし、肉の中に埋もれてしまっている状態だから、そういうことをそんなに大変なことだとは思えないんです。
全部、今のたったひとつの肉を最優先、最重視しているだけの愚かな自分だということに気付くべきです。
今の肉だけがあなたではありません。もちろん、いつの時代の肉であっても、その肉だけが自分ではなかったということを、はっきりと知るべきです。愛に背いてきた心のままでは地獄の奥底から抜け出ることは不可能です。これは紛れもない事実ですが、どこまで心で感じておられるか、それが問題です。
1687) 日々起こる事件、事故、そして気象の変化、身の回りの現象、自分の肉体細胞等、様々なところから間違い続けてきた私達へ、それを端的に伝えるメッセージが発信されてきます。それをどのように受け取っていくかの問題です。
生きていく基盤を変えなさいというストレートなメッセージをストレートに受けていくには余りにも幼稚で愚かな私達になり果ててしまいました。ですが、私達人間は自分達を素晴らしいと思っています。形を見れば、それなりに整っています。生活空間は豊かになり快適になり、様々な分野で偉業も達成されているでしょう。
そして、それと比例して社会の暗部、人間の心の奥底の底の底の闇もまた表面化してきます。当然です。間違って生きてきた証を自らが自らに指し示していくようになっています。
愛しかないからです。その愛が私達には全く分かりませんでした。目を覚ましなさいと愛である自分達が偽物の自分達に真っ直ぐに伝える様を、私達人間はじっくりと体験しなければならないでしょう。
心の底から噴き上がってくる真実に抵抗してきた闇のエネルギーを、しっかりと受け止めて、そしてそのエネルギーの変換に心を傾けていくようになっていくこれからです。闇が突き上がって噴き上がって、そしてそれが喜びへ帰る号砲になっていくのです。
速やかに意識の転回をしてまいりましょう。
1688) ホテルの部屋の窓から二上山を眺めながら、楽しい橿原セミナーも終了です。8月が待ち遠しいです。ありがとうございました。
私の住む大阪は、7月25日の天神祭りで本格的に夏の幕開けとなります。
大阪の猛暑、私自身、身体に堪える年齢となりましたが、肉を通して可能な限り自分の培ってきた世界を学んで、そして最終転生へという計画を進めてまいります。
肉を通して肉では推し量れない世界、波動の世界を学ばせていただいている喜びと幸せを大切にこの道を歩いていきますと、今回の橿原セミナーでも、そう確認しながら家路に着きました。
生きていく道がはっきりと見えている、感じている喜びと幸せは何にも代えることはできません。
ともに宇宙を思える喜びと幸せ、死ぬまで元気で味わい尽くしてまいりましょう。
ともに、ともに歩む仲間だと250年後の再会を楽しみに、今世、それぞれの時間をお過ごしください。
1689) 意識の転回。繰り返します。すべてはそこに係っています。肉基盤では、どんなに言葉を連ねようとも、真実の世界は分かりません。
確かに学びをしていけば心に響いてくる体験を重ねることになります。ただ、その体験を本当に活かしていくには、同時に意識の転回、肉から意識へ自分の基盤を変えていく必要があります。
変えていく必要があるといっても、では実際どうすればいいのか、どうなっていくことが必要なのかということになってきます。
そこで基本に戻ってください。学びの基本は何でしょうか。
正しい瞑想ができるということです。正しい瞑想ができていくのには、何をしなければならないのか、こうして、いつも学びの原点に立ち返ることです。
なかなかこれはできません。瞑想さえしていればそれでいいのではありません。もちろん瞑想をすることは絶対に必要なことです。そして、それによって結果を出すことが必要なんです。
ああ心に響いてきた、感じてきた、私は田池留吉、アルバートとともに生きていると、自己評価のもとに学びを進める以外にありませんが、それはきちんと自己責任が伴ってくるということをお忘れなく。自分の放った言葉、特に学びについては、言いっぱなしではいけません。
1690) 今年も種水判定が昨日の橿原セミナーから始まりました。
この種水判定には色々と皆さん思いがあるようです。みんな程度の差こそあれ、巫女当時の思いを引きずっているから、それはそれで仕方がないかと思います。ただ、苦しい思いの中で判定を受けるのはすっきりとしないし、辛いでしょう。また、判定をされるということ自体に疑問をお持ちの方もおられると思います。
私は、種水判定というものを次のように思っています。
反転力を数値化するのが種水判定なので、その時自分に出された評価は受けます。そして、自分の想定よりも下の評価が出れば、それから私は、反転、そしてオーリングの一連の作業をしっかりとトレーニングします。
皆さんは、反転、そしてオーリングを日常化しておられますか。それを確認してください。そして、自分の反転力を数値化されたとき、自分の心に瞬間出る思いを確認しましたか。
種水判定は自分を学ぶ時間です。瞬間思う、瞬間合わせる、念じるのではなく思うんです。楽しい時間だと思いますが、どうですか。
色々と思いがある人は、オーリングをする人、それを開く人のペアを組んで、反転、そしてオーリングのトレーニングを重ねて、きちんと私達にも判定ができます、いかがなものでしょうかと申し出てください。判定者にも刺激があっていいかと思います。広く仲良くしっかりと学びたいものです。
1691) 段々と段々と、少しずつ少しずつ、シンプルな生き方へ。
物にしろ、思いにしろ、あれもこれも、あれもこれも繋ぎ止めておきたい、抱え込み、囲い込み、そんな生き方をしてきたと思います。
手を離す、思いを離すことをしてこなかった。切り捨ててきたのは、自分に不都合なことだけ。
肉に生きるとはそういうことでした。心ひとつで生きていける確かな世界など知る由もありませんでした。目の前に展開する世界に心を向け、心を奪われ、その結果疲れ果てて、自らを捨てていったのでした。それでも形ある世界は実感があるから、肉を持てばその繰り返しを性懲りもなくやってしまいました。
性懲りもなく同じ過ちをし続けてしまった過去と同じではダメなんです。
何としてでも帰りたい、帰ろう、帰りますの心の叫びに応えていけるあなたであってください。いいえ、今世のあなたは本気になれば、応えていけるんです。だから、どうぞ、自分の心の叫びをしっかりと受け止めてください。受け止めていけるようにすべてを計画して学びに繋がりました。
学びを軽んじることなく、自分を軽んじることなく、愛へ、たったひとつの心のふるさと愛へ帰っていく道を歩んでください。
1692) 私達は生きています。波動としてエネルギーとして生き続けています。
そのことを心で本当に知っていくには、どうしても目に見える形の世界の崩壊が必要です。それは何も災害等の天変地異ということだけではありません。
あなたには自分が手を離せない何か、思いを切り離せない何かがありませんか。
それは、あなたにとっては本当に大切なもの、単なる物ではなくて、あなたの生きていく術、支えとなるもの、価値基準、考え等々です。
形の世界の崩壊とは、これまで良しとしてきたそれらのものが、一切通用しないことを、自分の心で知っていくということでもあります。
いわゆる意識の転回です。肉基盤では、何をどのように感じようとも、意識基盤の世界とは違います。
総崩れ、何もない、何も持てない、何も持たない、だけど、私は今ここにこうしてあるということをどう思っていけばいいのか、とにかく、そんな場面、状況がそれぞれのこれからの転生の中に用意されています。
離すということ、転回するということを速やかにすることなしには、暗闇の真っ暗闇の中から自ら抜け出すことはできないということです。
1693) ともに歩める喜びを心に感じ広げ、本当の自分との約束をしっかりと果たしていけるような今世としてください。
今世のこの時間があって、今のこのひとつの肉を持って、そして自分の周りの人達を含む様々な環境の中で、今、どんな思いでいますか。
ある人は、何もかも捨てて、そこから抜け出していきたい、切り捨てていきたいとする思いが渦巻いているかもしれません。
ある人は、肉としては居心地がよくて、楽なだけに、なかなかそのぬるま湯から出て、自分の中を一本に絞っていく踏ん切りがつかないと思っているかもしれません。
どちらにしても、そのままの状態であれば、苦しい人生に違いありません。
田池留吉一本に心の針を向けて合わせて生きていく人生以外は、どんな人生も苦しみの真っ暗闇の人生でしかありません。
そこのところ、きちんとはっきりと自分の中で線引きができなければ、所詮は、他力信仰の延長線上にまだまだある自分だとご自覚ください。
何のために生まれてきたのか。いつもどんな時も自分に繰り返し問いかけてください。繰り返し問いかけても、肉に流れていく、肉の中に埋もれていく、まだまだそんな私達だという現実を確認しましょう。
1694) 今日27日の土曜日、非公開ではありますが、UTAブックさんの企画で、ZOOMを使ってともに瞑想をさせていただきました。
学びに触れたのだけれども、それぞれの事情で今はセミナーに参加できない人達と僅か30分の時間でしたが、お一人おひとり少しでもお話ができて私はよかったと思っています。
今回をきっかけにして、何か学びについてそれぞれに弾みが出ればいいなあと感じました。
今世、学びに触れた喜びと幸せを心にしっかりと育て、本来歩むべき道を歩いていきましょうという思いでした。
1695) 自分に用意してきた今世。もちろん、今世だけではなくこれまでの数限りない転生もまた全く同じです。ただ、今世は、自分に用意したひとつの肉を通して初めて真実の波動の世界を学ぶ計画の中にありました。
それぞれに日々の瞑想の中で、それはすでに確認済みのことだと思います。
心の針を自分の中に向ける時間を絶えず持つ生活を実践してください。
生きる目的が分からずに、周りの状況に翻弄され自分を見失い、そして周りをその中に巻き込む人達で溢れています。
世の中にはそういう人が溢れているんです。自分はまともに生きているとそれぞれに思っておられるかもしれませんが、それはあまりにも現実を知らない哀しいことだと思います。
本当の自分を捨て去り忘れ去り、地獄の奥底の底のずっと奥底で苦しみ喘いでいる現実もまた忘れ去り、肉を持っているひと時を本当に無駄に過ごしている、いいえ、相も変わらずに闇を垂れ流し、真っ暗闇を広げて、その中に自らを落としていっているということを知らずに気付かずに、また今世も閉じていくのでしょう。
そんな中で、心を見ることを知った私達です。微々たる歩みかもしれませんが、自分のこれから生きていく方向をしっかりと確認できる今があることは何よりの幸せです。
1696) 一日少なくとも一回、パソコンの前に座って、UTAの輪の中でともに学ぼうのホームページを開く、スマホ等でもいい、とにかく一日一回は、必ずこのホームページにアクセスしてください。その習慣をつけてください。そして瞑想です。目を閉じて思いを向ける時間を生活の中で確保してください。特別なことではありません。当たり前のことです。
自分を学ぶためにこの世に形を持ってきたんです。どうしても、何としても、本当のことが、本当の自分と出会いたかったから、自分に肉を用意したんです。そして、念願通り学びに繋がっています。
自分の中で、これらのことを明確にして、生きていく道を確定しましょう。
今世を転換期に。そして250年後に自分を繋ぐ。
明確な意思の元に、限りある肉の時間を使ってまいりましょう。
1697) みんな色々な事情を抱えています。様々な環境を設定しています。しかし、今世学びに触れたあなた、どうぞ、自分を大切にそしてともに歩める仲間がいることを喜んでください。
学びをやっていこう、お母さんを思い、田池留吉を思い、アルバートを思い、250年後に思いを馳せていこう、心にしっかりとその思いを確立して、そして、自分の人生をやり直してまいりましょう。
何のために生まれてきたのかというところに、いつもいつも戻って、しっかりと自分の流してきた思いの世界を確認してください。
自分の本当の姿を見失ったままでは、決して幸せな人生ではないんです。偽物の自分しか知らなければ、本当に哀しいではないですか。
どんなに世間的に評価を得て、結果金と物に溢れた中に生きても、心は叫んでいます。帰りたい、帰るところが分からない、苦しい、悲しい、寂しいと悲痛な声を上げている、思いを発していることを感じていける優しい、優しいご自分に変わってまいりましょう。
1698) 8月の橿原セミナーも、キャンセル者と追加参加希望者との入れ替えの作業も終わり最終参加者名簿をいただきました。
酷暑、猛暑のさなかですが、元気に喜んでセミナーを楽しんでいきましょう。
生きる道が全く分からなかった私達に、懇切丁寧に伝えていただいた今世でした。もちろん、学びに出会いながら学びを去った人達もおられます。
そのことについては大変残念なことだと思いますが、それはそれで致し方のないことだとも思います。
自分で自分の舵を切っていく以外になく、そしてその結果もまた自分で受けていくしかないというのが、意識の世界でははっきりとしています。
母の反省と他力の反省をしっかりとして、自分の中の本当の自分、愛に出会っていくことがたったひとつの救いの道なんだと、本当に心で分かるまで、苦しみの世界は解消されないと知っていくこれからの時間が用意されています。
愛に目覚めなさいのメッセージを存分に受けてまいりましょう。喜びで受けてまいりましょう。ありがとうの思いが満ち溢れていくはずです。
1699) 帰っていこう、母なる宇宙へ。
「帰りたい、帰りたい、だけど帰るところが分からない、どうしてこんなに苦しい、どうしてこんなに悲しい、どうしてこんなに寂しい、心に渦巻く思いにずっとずっと蓋をして、心の奥に奥に閉じ込めてしまいました。出てくるなと押し込んでも、出して出してと叫び続けています。耳を塞ぎ、心を閉じ、苦しさも悲しさも寂しさも、悔しさ、怒りもみんなみんな自分だと思えませんでした。確かに色々な思いは自分の中から出てくるのに、それそのものが、それ自体が自分自身だとはなかなか受け止めていくことはできませんでした。ましてや、自分が間違った生き方をしてきたなんて思いもしないことでした。」
大体この通りだと思います。殆どの方は当たらずとも遠からずのこのような思いの中で、学びをしてこられたのではないかと思います。
学んでいくうちに、ようやく何を自分は間違えてきたのか、心に見え始めてきたというところでしょうか。
それでもこれから起こりくる様々な現象の中で、しっかりと自分を見失わずに心の舵を切っていくことは生易しいことではありません。
学び始めた私達です。これからが正念場です。今世はまだ学びの仲間がいたりしていいけれど、これからの転生、どうぞ覚悟を決めて臨んでください。今世の学びをしっかりと根付かせ、必ず250年後の再会を果たしてください。意識での出会いです。
1700) 本当の優しさとは何か、本当の喜び、幸せとは何か、何も知らずに己という肉を掲げて生きてきたこれまでの転生でした。
私はそう確信しています。あなたはどうですか。
私自身そう思っているから、今世こそ生き直そうと、固い決意をしてこの世に出てまいりました。
その思いはほぼ今世、予定通りの歩みを進めています。肉のことはもういいんです。それよりもしっかりとさらにしっかりと自分の歩みを見定めていくことに思いを傾けています。
250年後の来世の私の思いは本当に力強くこれまでの私を支えてくれています。すべてはそこに集約されていることを日々の瞑想の中で感じる私の中には、田池留吉、アルバートの波動の世界がすべての宇宙に呼び掛けていることも感じられます。
宇宙が動く。すごいことだと思います。私は意識だという純度を上げて、上げて、そしてともに生きていこうと思いの針を向けてまいりましょう。
1701) 肉との出会いから始まりました。まず肉と肉が見える(まみえる)ことによって、意識の流れを伝えていただく準備が整いました。
同じ時期に肉を持たせていただき、そして肉の目を通し、耳を通し、まずはしっかりと学ばせていただきました。
自分の中から突き上がってくるエネルギーに身体が激しく動くことに不思議を感じ、心地よさを感じ、しかし、その一方で、腸が煮えくり返る悔しい思いも味わい尽くしてきました。
流れる涙と汗と、口から飛び出す罵詈雑言。出せば出すほどに心の底から熱い思いが沸いてくる体験も重ねました。
これらの貴重な学びの時間を自分に用意したことを、今はただただ嬉しく感謝しかありません。
そして、再びこのような体験が自分を待ってくれていると思うと、本当に幸せ者だと痛感します。
ともにある喜び。その信を着実に育てて、そして、250年後の再会です。
1702) 思う喜び、思える喜びを味わっていますか。思いの向け先はこちらですよと学習の機会をいただいています。それが今世の私達です。
生きていれば楽しいことも嬉しいことも、反対の悲しいことや、辛いこと、その他色々とあります。その中で、心を見て自分の生き方が間違ってきたと心で気付いていこうということなんですが、自分の心で気付くということが何とも難しいものなんです。
いいえ、本当は薄々感じているんですが、感じていてもなかなかそれをしっかりと認めて受け入れていくことが難しいということではないでしょうか。
学びに触れても、やはり私達は肉で誤魔化す、肉で紛わすことをしてしまいます。なかなか芯の部分に行き着かずに、そのずっと手前で、歩みが留まっている人達がまだまだ多いです。
それでもそれぞれの肉がある間、可能な限り自分を学ぶことに徹していきましょう。こうして同時期に肉を持って学ばせていただく機会に恵まれたのです。素直になって、心を開いて喜んで自分を知っていきましょう。
1703) それぞれに自分に用意した肉、肉を持つ時間、環境があります。それをどのように何を目的として活用していくか、それはすなわちそれぞれの生き方に直結していきます。
今持っている肉のために、どの程度時間とエネルギーを注いでいくか、それは価値基準の問題ですが、その割合によって、全く生き方に違いが出てきます。
それはそれぞれが選んでいく生き方であり、何を選び取っていくかは基本的には自由です。ただ、その自由が果たして自分にとって本当に自由なのかということは、それぞれのこれからにおいて必ず結果を出してきます。
自分が出す結果です。その結果は自分で受けていかなければなりません。
しっかりと受けていったならば、そこからまた新たな道が見えてきます。
正しいものを自分が選び取っていくまで苦しみは続きますが、本当の自分はいつまでも待っています。自分の中の愛はすごい、本当の自分はすごいということです。
1704) 本来の生きる目的を伝えていただきました。生きる方向を示してくれました。嬉しかったです。本当に嬉しかったです。ともに行こう、私とあなたはひとつだと力強く伝えてくれた波動の中にひとつに溶け合ってこれから存在していける、私のすべてとともに生きていける、そんな道筋をしっかりと指し示してくれたことに感謝しかありません。
あとは、今の肉を持つ時間、その指示通りにしっかりと心の針を向けて合わせていくことをやっていけばいいということになります。
何が本当のことか、自分の何が苦しくて、何が間違ってきたのか、全く分からずに、ただ我欲のまま生きてきた自分が哀れでなりませんでした。
しかし、今世を迎え、ようやくそんな自分に本当の優しさとか、温もりとか、喜びの思いを伝えることができることが、もう幸せです。
ともに歩む仲間もちらほら出てきています。
中には、ライブ配信を重宝していただいて繰り返し瞑想をしてくれている友もいます。
互いに間違ってきた生き方をしてきたけれど、こうして、これから250年、300年に向けて、ともに歩んでいこうと思いを向けられる喜びを味わえるのだから、私達は本当に幸せ者です。
1705) 心ひとつで生きていく、肉、形の世界を本物としてきた私達にはとてもとても難しいことです。本来の自分の姿を見失ってきた過ちを、これからそれぞれが受けていかなければなりません。
形を修復することにのみ心を傾けるのではなく、もっと根本的な部分に自分自身が触れていくことが必要です。心の揺さぶりは心の叫びです。何を訴えているのか、何を聞いてほしいのか、自分の心の中に思いをしっかりと向けて、そして、ああ本当に間違ってきたんだと心から自分に詫びていけるあなたに生まれ変わってまいりましょう。
肉、形を本物とする意識は自分を見捨てています。自分を見捨ててどこへ行こうとしているのか、瞑想を繰り返し実践して心に聞いてください。
自分の舵を切っていくのは、あなたの中の愛です。その愛である自分を見失ったままでは、船は進みません。進まないどころか、そのまま沈没して朽ち果てていくしかありません。
朽ち果てて消えてなくなるのではないんです。朽ち果てた状態がずっと続いていく、苦しみの奥底で苦しみが続いていく、形を変えて。
それをしっかりと心で知るために、今世様々なルートから学びに繋がりました。
1706) 愛へ帰る道を見失うことなく、しっかりとただ一点を思い、日々生活をしていきましょう。
間違ってきた思いが、放ってきたブラックのエネルギーが、自分に返ってくるたびに、ああ間違ってきた、だけど生き直していこうという自分からのメッセージなんだと、嬉しく思えるような自分に生まれ変わっていけたならば、どんなに幸せなことでしょうか。
帰るところがあった、帰れるんだ、そんな思いがふつふつと沸き起こってくる喜びを感じて、一歩歩みを前に進めていきましょう。
死んでも死なない、永遠に生き続けているのが私達でした。思いの世界にあることを、肉を持っている今、心で確認です。
1707) 心から離していくことです。心が掴んでいるものを離していくこと、それを心掛けていきましょう。さらっと肉の中で生きていければと思います。
もちろん、肉を持って肉の中にいる以上、肉の世界の法則、掟というものがあります。最低限のところはそれに従う必要があるでしょうけれど、それは淡々とこなしていくようにならなければなりません。
肉の中に流れながら流されない生き方を身につけましょう。それは一見難しいように思えるけれど、今、自分に肉を用意している意味を心で知っていれば、自然にそういう生き方になってきます。
日々、正しい瞑想を繰り返して、自分の生きていく方向をしっかりと定めてください。
器用な方は、適当に人生を楽しみながら、この学びもできると思っておられるかもしれませんが、それは頭の計算ではないでしょうか。
不器用なほうがいいんです。世間には少々疎くても本来の生き方を知ってそれを淡々と実践している人のほうが、世慣れた人よりも幸せだと思います。死んでも死なない、この現実を心でしっかりと知りましょう。
1708) 学びの友からのメールです。一読ください。
UTAの輪の中でともに学ぼう。宇宙を思って瞑想をしましょう。何も変わらない、この学びをしている人にとっては、当たり前のように過ぎていく言葉です。その言葉が、私の中で大きくなって、別の意味を持ち始め、しっかりとした足取りで足を進めている私を感じます。肉体細胞は愛。その愛が分からなくて、分からなくて、私の肉を庇ってきましたが、そうではないと、そうではないと、肉の現象をいただきながら、身体は痛み、不自由になっても、そのことの意味をやっと心がとらえていけるようになって、肉では想像もできない意識の世界を、愚かな肉を通し感じさせていただけること、それだけが嬉しいです。
近くにいる学びの友、妹とともに学べることが幸せだと思いました。相手の言動で心が揺れます。その揺れをしっかりと受け入れるまで、私の心の苦しみは続きます。その繰り返しをさせていただけること、そして、そこから必ず自分の間違いに気付いていけること、それだけが喜びでしたと私は私から教わってきました。その私を信じる度合い、信が、程遠い所を彷徨ってきた私の中で芽生え始めています。そうはっきりと私は私に伝えてきました。ありがとう、お母さんありがとう。私はこの思いを知りたかったのです。この思いの中にすでに私はいたという証明をこれから自分の中で進めていく私の決意、それが私の思い、それが今世田池留吉の肉との出会いから始まった唯一私の愛への覚醒への道です。
死後の自分が語ってくることは、死んだら何も思えないということ、死んだら固まっていくしかないということ、その私に何を語ればいいのか、心から出てくる思いは、温かいお母さんの温もり、死んだ私を思い、その私を私の中へいざなっていく、田池留吉と思い、母を思い、それを肉体細胞が動いている限りやり続けていけることが私の喜びですと、私は私に語ります。そんな自分を感じて嬉しいです。喜びを感じれば感じるほど今私はどんなところにいるのかが心に響いてきます。程遠い、本当に遠い遠い遠いところまで落ちてきた私を感じて、その私とともに帰れるんだという思いが、私をまた前へ前へ牽引していく、その循環が嬉しいです。
1709) たっぷりの時間があります。心の向け先を知りました。思えばいい、思えば通じる喜び、安心感、ともにある幸せ、肉があってもなくても、思えばいい、思えば通じる世界、心から突き上がってくる喜びと幸せは確かな世界です。
田池留吉という肉があるときは、目に見える道しるべがあって、そういう学びの段階でした。
今は、その肉がなけれども、確かに心にあると実感できる時間と空間を自分に用意しています。そんな学びの段階を経て、そして、そして、250年後の本番に向けて、自分の心の針の向け先をしっかりと管理して、定めてということになっています。
それが私が私に用意した計画です。母なる宇宙へ帰っていこうと決意してきた今世の時を経て、意識の世界の羽ばたきを必ず遂行です。
約束を思い出し、たったひとつ、やっとやっと出会った真実の道を喜びで突き進んでいこうと意識の流れにしっかりと乗っていきましょう。
1710) どこまでも果てしなく広がっていく意識の世界、その中に生き続けてきたとはっきりと心で知れば、もうあとはその世界に心の針を向けていればそれでよかったんです。
その方向が全く分からなかったこれまでの転生の数々でした。思えば通じる本当の喜びと幸せ、安心感を心に育て、広げていくことが喜びと幸せの道でした。
250年後の再会を経て、意識の流れの中にあることをしっかりと感じ、そして遂行して、さらなる意識の中核へ進んでいくように計画されています。
肉から意識への転回を速やかにして、その速度を増して、ずっとずっと広がっていく意識の世界へ歩んでいく喜び、幸せを、今世の肉を通して学び始めたということ、これは本当にすごいとしか言えません。
すべては自分達の望んできたことでありました。母なる宇宙へ、私達のふるさと、愛、母なる宇宙へ帰ろうと固い固い決意をしてきた私達の思いを、それぞれの中で必ず現実のものとしてください。
1711) 三次元最終時期に合わせて、意識の世界の準備が着々と進んでいることを感じますか。瞑想の中で、そちらのほうに心を向けてみてください。
三次元最終時期、もう喜びしかありません。待って待って待ち望んできた宇宙へ帰れるという現実が心に広がっていくとき、何とも言えない喜びが感じられます。
肉ではない自分を知っていくことは、自らの存在意義をすべて崩すということになるけれど、崩れていってこそ見えてくる世界があります。
三次元に留まる思いを一気に崩していく出来事を経て、文字通り心ひとつで生きていく喜びと幸せを確かなものにしましょう。
そのために、こうして今世私達は田池留吉という意識の世界、波動の世界を学ばせていただく機会を自らに用意しました。
自ら切望してきたことです。肉から意識への転回を滞りなく進めて、本来の自分達の軌道にしっかりと乗ってまいりましょう。
ともに、ともに行こう。私とあなたはひとつ。
1712) 猛暑、酷暑の中、そして帰省ラッシュと重なる中、UTAホール志摩に約60名の学びの友が集いました。ともに瞑想をする時間と空間をいただきありがとうございました。
みんな嬉しそうにホールを後にされたように感じ、いつものように、皆さんが帰られた後、私も静かにホールを去りました。
今度、ホールを訪れるのは一か月後。このパターンがこの先も続くかと思いますが、どんな形にせよ、ともに学べる時間と空間が気持ちよく用意されていることを幸せに思っています。
異語、宇宙語を語らせていただける喜びを味あわせてもらえるのも幸せです。
そして、1週間後には橿原でセミナーです。またともに学べることを喜んで喜んで橿原に思いを向けていきたいと思っています。
ありがとうこざいました。
1713) あなたの心を決めてください。この道を本当に歩いていくのかどうなのか、中途半端な思いは通用しません。
本当にともに学ぶ仲間がたとえ10人でも私はいいんです。300人いれば御の字です。こうして今肉を持ち、心を向けていこうと心底から思える仲間が300人いれば上等です。
300人であって300人でないことは明白です。ひとつの肉の背景にどれだけの宇宙達が連なっているか、宇宙を思う瞑想を重ねていけば、それはもうそれぞれの心に響いてくるはずです。
この地球上での数限りない転生があって、ようやく、ようやく巡ってきたという感覚でいます。
意識の流れがさらに顕在化していくこれからを経て、私達は私達のふるさと、母なる宇宙へ帰ります。ようやく巡ってきたこの時にしっかりと心で応えてまいりましょう。
母なる宇宙。どんなにどんなに帰りたかったか。心から噴き上がってくる思いにしっかりと応えてまいりましょう。
1714) 思うは田池留吉です。思うは田池留吉一筋で生きていく喜びを心に広げていますか。しっかりとした足取りで自分の人生を歩んでください。
何が本当なのか、何を知りたかったのか、心の叫びをしっかりと聞いていきましょう。
三次元最終時期に心を向けてみてくださいとお伝えしました。
もう意識の世界はそういう段階です。いつまでも肉の中に留まっていては、せっかくの今世の自分の計画が頓挫してしまいます。
焦る必要は一切ありませんが、また焦ったところでどうしようもありませんが、今世学びに触れた自分を真剣に思ってください。今世学びに触れた自分の思いと本気になって真正面から向き合っていくことが待たれています。
真に心の強い人でないと学びを遂行していくことはできません。欲で学んでも仕方がないことです。思うは田池留吉、ただこれ一点。自分の心で確認です。
1715) 世の中の流れとは全く違う流れを自分の中に確立して、そしてその自分の中の流れ、すなわち意識の流れに沿って過去未来とともに存在していける喜びと幸せを感じてください。
どこを向いていけばいいのか、どちらの方向へ進んでいけばいいのか、何が本当のことなのか分からずに、本当に長い長い間、苦しみの中に沈みもがき喘いできました。
当たり前のことですが、肉を持っている以上心は揺れます。しかし、その軌道修正をどうすればいいのか、喜んで楽しんでありがとうと伝えながら、自分の中に戻っていける術を知れば、もうあとはそれを淡々と繰り返して、日々の生活を送っていけばいいということです。
間違ってきたけれど、狂ってきたけれど、ようやく自分の帰る道筋を心に知った今世の肉にありがとうしかありません。
宇宙をどんどん心に呼び寄せ、そしてともに帰れる喜びを味わっていく時間を用意しています。
250年後の来世の私とともに過去の私が歩みをともにできる、こんな嬉しい巡り合わせはありません。今世の出会いを本当にありがとうございます。
1716) 「はい」、「いいえ」をはっきりと明確に。とくに学びについては自分の思をはっきりと打ち出してください。
よく耳にします。私なんか・・・。そう思う自分の心を見ればいいんです。
どんなに自分に冷たいか、肉を前面に出し聳え立ちの自分をしっかりと確認して、そして、そこから本来の自分の進むべき道、生きていく方向を自分の中で見極めていかなければ、どこまでもいつまでも他力のエネルギーの中から自分を解き放つことはできません。絶対にできません。ということは、本当の喜びも幸せも程遠いところで苦しみが続いていくということになるでしょう。
肉で、肉としてどんなに喜びと幸せを感じても、自分が肉というところからの喜びと幸せは偽物なんです。今、目に見えている形ある一人の人間だけが自分ではないと心で分からなければ、どんなに頭を誇ったところで無知な状態です。
そういうことも私達は分からずに、たったひとつの肉のためにどれだけの思いを使ってきたか、自分の首を自分で絞めて殺してきた冷酷な自分になってしまっていた、心から心から自分に詫びていくべきです。そして、そんなどうしようもない愚かな自分から、本来の温かい喜びの自分へと、しっかりと生き直していく道を選んでまいりましょう。
大変です。厳しいです。険しいです。しかし、その道しかありません。
1717) UTAブックさんの企画の「死ぬまで瞑想会」、それぞれに活用なさってください。なかなかいいと思います。
リアルタイムで勉強できなくても、すぐにアップされるので充分です。
私も、今回、午前中時間が空いたので学ばせていただきました。
少々意味不明かもしれませんが、塩川香世というひとつの肉が自室のパソコンの前で学ばせていただける喜びと幸せを味わえました。
いい瞑想ができました。ゆったりと心を広げていける時間と空間をいただき、ありがとうございました。
みんなで作っていく瞑想会ということなので、どうぞ、ご参加の皆さん、忌憚なく思いを語り、学びの輪を広げてください。学ばせていただきありがとう。
1718) 明確な目的を持ち、日々の生活を淡々とこなしていける、幸せな人生ではないでしょうか。明確な目的、それは言わずと知れたことです。
その目的に沿って、目的を一点に据えて、自分を思う、すなわち宇宙を思う瞑想、愛を思う瞑想を繰り返し、繰り返しやっていきましょう。
台風が来ます。地震が起きます。無差別的な殺人事件が多発します。信号待ち、道路横断中に車という凶器が突っ込んできます。生まれてきた本当の意味を知らずに我欲に任せて薬物中毒で自らの身体も心も蝕んでいきます。
災害等の天変地異はもちろんですが、様々なところから私達自らに自らがそういう形で警笛を鳴らし続けます。決して他人事ではありません。無視をしても、いつの日にか、それらの警笛と向き合わざるを得ないでしょう。
大変な時を経ていきます。自分達の心に作り続けてきた肉、形の世界を本物とする他力のエネルギーの徹底的な崩壊が現象化していきます。
愛のなせる業です。本物の愛のエネルギーの到来があるからです。
形が崩壊していくことを喜べない心を、しっかりとそれぞれ真正面から向き合っていくようになっています。
喜びで超えていったとき、そこに広がっていく波動の世界をさらに学んでいけるのでしょう。
1719) 肉のことは色々と思い悩むこともあり、選択肢も多々あります。しかし、意識の世界、本当の意識の世界にはそんなもの一切ありません。
ただ一点。向け先、選び先はただ一点です。
何はさておいても、自分のこれから生きる方向が正しい方向にしっかりと定まっているのかどうなのか、それを今世の肉がある間に確認すべきでしょう。
それは決して生半可な思いでは遂行できません。今世、自分に肉を用意してきた思いに触れていけば分かります。どんなに強い決意で今世の時を望んできたのか、正しい瞑想を重ねていけばはっきりと心に響いてきます。
その思いだけが自分を支えているんです。心の底から絞り出すような切なる思いをしっかりと叶えていこう、そのためにどうすればいいのか、自分の前途は明るいかと、本当の自分との約束を違えることなく、今という時を生きていきましょう。
私達は肉の世界に生きているのではなく、思いの世界に生きているのだということに着目です。
1720) 日々、瞑想です。正しい瞑想の純度を上げて、楽しんで喜んで今という時を生きましょう。
心の針の向け先をいつも確認。肉を持てば、見て聞いて瞬間心から飛び出すエネルギーを学べます。すごいことではないですか。肉を持たなければ、そして、心を見る、心の向け先を知っていなくては、そんな幸運に巡り合えません。
100%正しいとは言えないけれど、私はそんなに悪い人間ではない、みんなそう思って生きています。そんな中で、目を疑うような信じられない極悪非道な行為で人を傷つける事件などが起こってくると、当然自分達の住む世界とは違う異様な人間が起こしたものだと決め込んでいきます。
そうではないんです。みんな自分の心の底の底の奥底の真っ黒なエネルギーに気付いていないだけなんです。
ある日突然起きる、考えられないことが起きる、そうではありません。それらの狂ったエネルギーは、条件、環境さえ整ってくれば、いつでも飛び出してきます。
それをどのように自分達の中で受け止めていけるのか、それらが自分達の作ってきた他力の世界の出来事だと、しっかりと受け止めて認めていくことがなければ、ただ自滅の道を行くだけです。
目を覆いたくなるような、耳を塞ぎたくなるような現象が目の前に展開していきます。心の向け先を知らなければ、そこから自分を救い出すことは到底不可能、そんな時をこれから迎えていきます。
私達は、まだまだ他人事としてとらえ、悠長に構えていると思います。
1721) 橿原セミナー、ありがとうございました。
セミナー最終日の最後、「いつまでもあると思うな肉の時間」、どなたも肝に銘じて学びに全力を注いでください。
今世の時間を大切になさってください。学びに触れることを計画してきた自分の中の思いをしっかりと受け止めて、日々肉としてやるべきことを淡々とこなし、そしてその自分の思いを実現する方向に歩みを進めてまいりましょう。
どうでもいいことに心をとらわれずに、肉から意識への転回を速やかに進めて、本来の軌道に自分を乗せていく喜びと幸せを味わってください。
自ら作り続けてきた他力のエネルギーの中から自分を解き放していく、明確な目的意識のもとに、日々正しい瞑想を継続してください。
1722) セミナーに参加できる自分を喜んでいってください。また、今はセミナーに参加できなくても、学びに触れたということですから、それをまず喜んでいってください。全部自分の予定してきたことです。それらは心の底から自分のふるさとへ帰りたい、帰ろうとする思いの表れであると確信を持ってください。
肉でどんなに頑張り、その結果を出したところで、本当のことが分からずではどうしようもありません。本当にどうしようもないんです。肉の世界は影の世界に過ぎないからです。
真っ暗な中からようやくの思いで這い上がってきた思いを、いつの瞑想のときも思い起こして、自分に呼び掛け呼び掛け、本当の自分との出会いを果たしていきましょう。
今世の時間はかけがえのない時間です。自分の中の他力のエネルギーに埋没することなく、ただひたすら愛へ帰る道を突き進んでいきましょう。
心で分かる学び、心でしか分からない学びです。体力、気力の続く限り、喜んで喜んで学んでいきましょう。
1723) あなたの人生です。自分に用意した肉、環境、時間です。何のために、そしてどのように使っていくかはあなた次第です。
これまでの転生で、私達はこんな人生生きたくなかったと叫んできたと思います。ようやく、そうしたのは全部自分の吐き出したものが結実したものだったと、心で気付き始めている今世なのではないでしょうか。
どう生きたかったのか、何を求めてきたのか、素直に真っ直ぐに自分に聞いて、何を間違えてきたのかをはっきりと知って、ただ欲のままに生きてきたこれまでの自分だったと分かっていくことから始めてみましょう。
欲のままに生きてきたというのは、肉基盤では少々納得できないところもあるでしょう。決して欲だけではなかったと言いたいところですが、肉基盤ということは、そういうことなんです。
基盤が違えば全く違う世界です。肉を持って学ぶ難しさがそこにあります。
基盤を変えていく難しさを何度も体験しながら、しかしこの道、この道だという思いもまた同時に感じておられると思います。
それが本当の自分からのメッセージだと信じて、自分に用意した肉、環境、時間の中で自分を転回していくことに取り組んでいきましょう。
1724) 自分なりに精一杯、自分を学んで今世を閉じていこうという思いでいます。
学びに触れ学び始めた人達は殆ど、肉の思いとしてはこの学びをやっていこうという気持ちだと思います。だからこそ、何十年と学びから離れずにきたのではないでしょうか。
学びの難しさ、心癖の修正に辟易しながらも、やはりこれだ、この学びだというところに結局は行き着く、そんな現実を体験されているでしょう。
自分なりに精一杯、自分を学んで今世を閉じていこうという思いは、殆どどなたにも共感していただけると思っています。
それぞれ自分に用意してきた環境の中で、自分に問いかけ、問いかけ、母なる宇宙へ、愛へ帰る道を一歩前に踏み出していこうとする自分自身の思いに向き合っていきましょう。
目を開け生活の流れの中では肉に埋没している現実は否定できませんが、それでもどんなに忙しくても、瞬間、瞬間ふっと田池留吉を、アルバートを思えるんです。それを心掛けて実践して、そして、一日のうち時間は短くても静かにゆったりとして思う習慣をつけることです。
何のために生まれてきたのか、そこにいつも戻って自分の歩みの軌跡を振り返り、母の温もりの中に戻っていく、喜びの自分の世界と出会っていく喜びと幸せを今世、確立してください。
1725) 間違い続けてきてもやり直し、生き直すチャンスを自らに用意しました。
真っ暗闇の中からこのチャンスを切望してきた思いを、瞑想の中で感じることが喜びであり幸せだと思います。
何を思えばいいのかということを知って、その方向に心の針を向けて合わせていこうとする今、もうそれだけで何はなくとも幸せでした。
幸せ、喜び、温もりを外に求め続けてきたことが苦しみの原因となっていた、こんな簡単で単純なことにどうして気付けなかったのか、当然と言えば当然ですが、無知ということは本当に恐ろしく哀しいものだと感じます。
田池留吉を思える今、アルバートと呼べる今、そんな今という時があります。心に溢れてくる帰りたい、帰ろう、帰りますの思いをしっかりと抱えて、そして、ただ真っ直ぐに思っていくだけでよかったんだとそうそれでよかったんだと心の中で思えることが、それが幸せだと思います。
久々のライブ配信予定日は、8月27日(火)、午後2時です。
1726) 肉というひとつの形を自分に用意してもらったから、だから、自分の間違いに、凄まじいエネルギーを垂れ流してきてそのまま真っ暗闇の中に沈み込んでしまった愚かな自分に出会えているんです。
ただ、哀しいかな肉を持てばそんなことはどこかに吹っ飛んでしまって、肉という形ある自分を自分だと認識して、そして、性懲りもなく真っ暗なエネルギーをまき散らしていく人生を生きてしまいます。
どこかでその過ちにストップをかけなければと、様々な気付きの場面を設定するけれど、肉は偉いからそれを何とか克服しようとする方向にのみエネルギーを消費してしまい、結果、真っ暗な真っ黒なエネルギーをまき散らし、苦しみの上積みをしていくことは、どこまでも変わることはありませんでした。
思いの方向を変えることを、さらに自分の基盤を変えることを、ようやく今世の肉を通して、学び始めました。
長い時間、気の遠くなるような長い時間、間違い続けてきたので、思いの方向を変える、基盤を変えるということは至難の業ですが、今世を境に変わっていきましょうというメッセージは確かに受け取りました。
波動として受け取ったことは決して忘れられない事実です。
方向を変える、基盤を変えるということをどなたもきちんとやり遂げてまいりましょう。
1727) 遅々として進まない歩みかもしれません。それでもいつも基本に戻って真摯に学んでいきましょう。
基本、それは私達はなぜ生まれてきたのか、何をするために今という時があるのかということです。
間違い続けて生きてきたと言われても、自分の心でそうだと分かってこなければ、やはり自分を正当化してしまいます。肉とはそういうものです。
肉という目に見える形あるものが自分ではないと、まだまだ自分に言い聞かせている段階ではないでしょうか。
それでもいいではないですか。事あるごとに、そう自分に言い聞かせ、そしてふうっと目を閉じて思う日常でありましょう。
ゆめゆめ肉にのみ流されていくことなく、立ち止まって自分の中に思いを向ける習慣の中で、思う喜び、思える喜びの世界をしっかりと確立してください。
田池留吉と思えることが嬉しい、アルバートと呼べることが嬉しい、ただただ嬉しい、そんな時間をできるだけたくさん持ってください。それが豊かな実りある人生の時間です。
そうして、思いは宇宙です。宇宙に思いを馳せる、異語でどんどん宇宙を語る、そんな喜びと幸せ、温もりを心に広げてまいりましょう。1728) 全部整えて帰ってくれました。田池先生を思う今、そうしみじみ感じています。本当の世界、本当の波動の世界を学ぶ学びについては、もう言うまでもないことですが、それをしっかりと確実に遂行するにあたり実に細かく整えてくれていて、色々な面から本当に千里眼の田池先生だったと驚嘆しています。
また、こんなすごい出会いを今世の肉は用意してきたんだと、自分自身にも何とも言えない喜びを味わっています。
宇宙を闇黒の宇宙一色にしてしまった最低の低の意識に落ちてしまったけれど、いいえ、それだからこそ千載一遇の出会いを持たせていただいたんだとはっきりと感じています。
宇宙に帰りたい、帰るんだ、その固い固い思いを引っ提げてきたことを、田池留吉の目、千里眼は見逃さなかったことに感謝しかありません。
嬉しい、出会いをありがとう、そんな思いがこだまする中にある喜びを感じられる今があります。それはそれは幸せ者です。
1729) 人と話します。人の話を聞いて自分も語って、色々な話題が飛び交います。聞いているようで聞いていない自分を感じながら、言葉が流れていきます。
それは退屈な時間ではないし、どうでもいいとも思っていないけれど、ただ何となく時間が過ぎ去っていく、そんな中に肉は漂っているんだと感じます。
そう言えば、田池先生から「目を開けながら瞑想しいや」と言ってもらったことを思い出します。それは肉はそこにあるけれど、心は、意識はということだと思います。
いつも心を見る、中に思いを向ける、特に自分が語った言葉に乗せる思いを確認する習慣をつける、ということはいつも田池留吉を思っているのです。その中で、肉は語らい、食し、楽しいひと時を過ごす。あるいは自分の瞬間出すエネルギーの凄まじさを確認し、学びの奥深さを痛感する。
肉はそこにあるけれど、心ここにあらずを肉を持って学びなさいと伝えてくれていたのだと思います。
思う喜び、思える喜びを超える喜びはなしと心に伝わってきます。
1730) 自分を学ぶために生まれてきて学びに繋がったということは、どういうことだと思いますか。その前に、自分を学ぶために生まれてきたと明確な目的を確認していますか。
何となく学びに触れているわけではないことを知ってください。
自分の明確な意思決定のもとに学びに繋がっていると、はっきりと心で感じられたならば、それを信じてその思いをしっかりと育んでいくべきです。
そうしていくことが喜びだと心は自ずと伝えてくるでしょう。
真っ暗闇の中から這い上がってきた自分に、本当の温もりと安らぎを伝えていけるチャンスが今という時です。
心のふるさと、愛へ帰ることをどんなに切望してきたか、母なる宇宙へ帰りたいとどんなに切望してきたか、真っ暗闇の中でもだえ苦しんでいる自分の叫びをしっかりと受け止められるように学びの一歩を進めてください。
ともに帰ろうといざない続けている波動の世界をしっかりと心に感じ、広げ、ひとつに溶け合う喜びと幸せを味わっていきましょう。
1731) 肝心要の世界が自分の中で確立しているかどうなのか、まずは自己診断をして、自己判断をして、そこから自ら出した答えに沿って生きていってください。自ずと取捨選択する道が定まっていくでしょう。
それでも肉に流れていく傾向があります。学びも肉も上手くバランスを取ってという考えは根深く心に残っているのではないでしょうか。
それはあまりにも浅はかです。バランスなんて取れません。肉は上手く渡り合っているつもりでも、それは意識の世界を軽く軽く見ているということだと私は思っています。
どんなに間違い続けてきた歴史が深いか。それを今世の学び始めから250年後の本番に向けて修正するという計画なのだから、それはそれはこれからの転生に自分を繋いでいく厳しさ、険しさは際立っていると感じています。
今世は千載一遇のチャンスという表現を心に叩き込んでください。
そんなことはない、次の転生もその次の転生もチャンスだ、そして何より250年後の本番があるではないかと思われているかもしれません。なるほどそうかもしれません。これからの転生はあなたにとってチャンスです。そして、どなたにも公平に250年後の本番に自分を用意しています。
しかし、それもこれも、今世学びに触れた意識にとっては、今世の学び如何によっては、事情が違ってくるということも決して見逃せないことなのではないでしょうか。本当にそうなのかどうなのか、それはあなたの中に聞いてみてください。
1732) 綿密に計画を立てそれを実行に移すという強くて固い決意、思いを抱えて今世生まれてきました。その思いはいつの瞑想の時も心に響き伝わってくる私自身の思いです。
田池留吉という温もりの世界に徹底抗戦してきたけれど、ようやくその温もりの世界から、真実の波動を受け取れる意識の世界が自分の世界だったことを学ばせていただきました。
徹底的に逆らって、くそ田池、死にさらせの思いを心の奥底の底から何度も何度も吐き出したからこそ、それを大きく包み込みただただ吸収してくれている温もりと出会えたのでした。それが辿り着いた自分の世界だったことを知り、心から懺悔でした。
心の体験は私の宝物です。皆さんもそうだと思います。どんなに真っ黒を垂れ流してきたか、どんなに宇宙を蹴散らしてきたか、感じて感じてください。感じていけばいくほどに、どんなに幸せ者の自分達だったかがはっきりと分かります。
幸せです。嬉しいです。心からありがとうです。母なる宇宙へ、愛へ帰りますという自分の思いをしっかりと確認してください。
確認すれば、その思いを愚かな肉に惑わされずに大切に育んでください。
1733) 肉が忙し過ぎるというのは、学んでいくあなたにとって決していい環境ではないでしょう。働き盛り、子育て真っ最中という年代は仕方がないとしても、そろそろ人生折り返しの年齢を迎える頃には、本気になって、自分の生きていく方向を見定めていこうという思いを自ら強くしないと、なかなかでしょう。肉を持つ時間が長いと肉の連鎖が諸々と生じてきます。そこから自分の学び一本に推し進めていくためには、やはり決断が要ります。
ご承知の通り、自分の基盤を変えていくには、それ相当のエネルギーが必要ですし、そんなに簡単なことではありません。
加えて体力、気力はもちろん年齢とともに低下していきます。
限られた肉を持つ時間です。何にエネルギーと時間を割いていくかということです。中途半端に学んでいませんか。中途半端な学び方は自分を苦しめるだけです。
結果を出しましょう。本当に自分が望んできた生き方を知り、250年後に向けての足掛かりを何としてでも今世、あなたの心に残してください。
1734) 私は特に何も必要としません。ゆったりとした静かな時間と空間の中で、思いを馳せる喜びと幸せを知っているからです。
元気溌剌とは言えないけれど、自分に用意した環境の中で、静かに自分を見る今が私には大変ありがたいです。
生きる目的を違えてきたこれまでの転生の数々。当然、本物とは本当の喜び、幸せの世界とはかけ離れた中にいました。
そこで何とか、何とか身も心も頭も使ってきたけれど、結果は地獄の奥底の底の底から自らを救い出すことはできなかったということでした。
真っ黒だけを垂れ流し、闘いのエネルギーを充満させてきた宇宙。
そんな宇宙にも、ようやく明るい兆しが見え始め、そこから一気に広がっていく喜びと温もり、安らぎの宇宙へ突き進んでいくという道筋を心に知りました。その意識の流れをしっかりと感じ、思いは次元移行です。
もちろん、すんなりとはいきません。肉を持てば大変です。
ただ意識の世界はストレート、真っ直ぐに突き進んでいくと伝えてきます。
はいと応えていくだけです。意識の流れのスピードを感じます。もうそういう段階なんだと感じます。肉とは何だろうかと思わざるを得ません。
1735) 何を求めてきたか、何を探してきたか、そして、どの方向に心を向けていけばいいのか、みんな自分の中に答えがあるから、その答えを紐解いていけるように学びなさいと伝えていただきました。
手順は母の反省、他力の反省、学びの動機の修正というふうな感じで、学びを進めてこられたと思います。
これらは互いに相乗効果をもたらします。まず母の反省、母を思う瞑想、ゼロ歳の瞑想を通して母の温もりを自分の中に確立していけば、他力の反省が捗ります。他力の反省が進んでいけば、動機の修正は自ずと進んでいくし、そうなっていけば、さらに温もりの世界が確立していきます。
そして、最後の詰めは瞑想、正しい瞑想の実践です。
瞑想を抜きにしては何も分かりません。瞑想とは目を閉じて思う、何を思うか、どの方向に心の針を向けて合わせていくか、いわゆる正しい瞑想を言います。
肉を持って正しい瞑想を励行していく難しさと喜びが同居する中で、その比重が自分の中でどのように変わっていますかということだと思います。
正しい瞑想を通して、宇宙を感じていく喜びを味わっていける肉を持つ時間。そんな人生、これまでの人生に一度もありませんでした。
1736) 出会いを喜んでください。喜んでいきましょう。たったひとつのふるさと、自分達のたったひとつのふるさとは、愛です。母なる宇宙です。
到底頭では分かりません。ですが、どなたの心にも響き伝わってくるんです。私達はひとつだからです。肉はバラバラ。一人、一人です。
そこからは真実の世界は何も見えてきません。その中で、私達は散々苦しんできました。己、己を掲げて自滅してきました。忘れましたか。どうぞ、しっかりと思い起こしてください。
そんな最低の低、ていたらくの自分達だった、自分達だ、まずそこからです。それを心で知れば知るほどに気付いていきます。愛に、本当の自分に引導されていることに。
それは初めからそうでした。初めから幸せだった、何もなくとも幸せだった、それが私達だった、そう気付くか気付けないか、その違いだけでした。
その違いは天と地ですが、ようやく、今世を境にして転換していく流れとなりました。いざないを素直にしっかりと真っ直ぐに受け取ってください。
私達は帰ります。愛へ、母なる宇宙へ帰ります。250年、300年かけてそのいざない、呼び掛けは怒涛の如くなされていきます。
1737) 田池留吉を思う、アルバートと呼ぶ、思える、呼べる、どんなに幸せなことなのか、どんなに喜びなのか。これはそれぞれがそれぞれの心で、体験実感しないと、到底分かるものではありません。
どんなにアルバートと出会いたかったか、田池留吉の肉を通してアルバートの波動の世界を学ばせていただいた私達は、どんなに幸せ者なのでしょうか。
私ははっきりとそう知っています。感じています。宇宙へ帰りたかったんです。ずっと苦しみの奥底に彷徨い沈み喘ぎながら、それでも待っていたんだと思います。だから何度も何度もチャンスを用意しました。だけど、そのチャンスを活かすことは叶いませんでした。
呼びました。求めました。ようやく、その思いが実現の方向へ動き始めたのだと思います。真実の世界から肉という形を持って、その形を通して学ぶという方向へ。
もうすごいと思いました。アルバートと出会った衝撃は、私の中を貫通しました。決して大げさな表現ではありません。それほどアルバートを待っていた、出会いたかったということだったんです。
だから、250年後のあと一回の転生はすごい展開になります。同時期に肉を持たせていただいて、エネルギーが出会いを持たせていただいて、そしてひとつになって次元を超えていく、壮大な計画に身震いします。
1738) 嬉しい。嬉しい。思いをキーで打ち込みます。それが嬉しい。田池留吉、アルバートとひとつの思いが嬉しい。
ただただ嬉しい。何も要らない。こうして出会いを持たせていただいている今があることに、ただただ嬉しさ、喜び、幸せを感じます。
瞑想をすると仲間が響き合ってきます。宇宙の仲間達です。ともにある喜びの中へ、ひとつになって進んでいける喜びだけです。
宇宙を思う瞑想。こうして私達はひとつだと互いに伝え合っていけるんです。形の世界は自ずと崩れていきます。
崩れていくことにどんな思いが飛び出していくか、そんなことには関係なく、形の世界の崩壊は続いていくでしょう。
何もない、だけどある。ここに、ここのところに行き当たるまで、肉という人間は、自分を肉だという思いから自分を救い出すことは不可能です。「そこから飛び出してきなさい、あなたの住んでいるところはそこではないんですよ。」絶えず、絶えず、そのいざない、呼び掛けは続いていきます。
「目を覚ましなさい。」愛というエネルギーが心の奥底から揺さぶりをかけ続けます。
1739) 心のふるさと、母なる宇宙へ。すべてはその思いの表れでした。苦しみ続けてきたけれど、ようやく、ようやく今世の肉を通して、自分の生きていくべき方向が定まりました。
あとは、肉を持っている間は肉の中で流れていくだけです。流されるのではなく、自分の中の流れに流れながら肉は肉の中に流れていくのです。
もちろん、自分の中の流れと肉の流れは違います。逆流を感じます。
ですが、自分の中の流れ、意識の流れに乗っている自分自身を感じる心には、何よりも力強い思いが存在します。ひとつだという思いです。この流れの中にひとつに溶け合って存在していくことだけが、喜びと幸せの道だと心に知っているから、ただひたすらに真っ直ぐです。
私達は肉ではありません。自分の中の自分へ、愛の自分へ蘇っていくことだけが、私達に残されたたったひとつの喜びの道です。
1740) 心ここにあらず。最近特にそんな思いが心に上がってきます。肉のことについて、強く心惹かれるものは何もなし。肉については、日々やるべきことを淡々と済ませていけば、もうそれで充分。
特にどこかへ行きたいわけでもなく、何か美味しいものを食べたいわけでもなく、購買意欲も生活必需品以外については随分弱まったという感じ。
と言ってさあこれから瞑想をしましょうと意気込んでいるわけでもなし。
瞑想をしましょうとしなくても、ふうっと思いを馳せる術を心得ているのかなあと思う。そんな中にいることがやはり心地いいから、肉は取り立てて何もしなくても、幸せ安らぎを感じます。
逆に段取りを整えて心と身体、頭を使う日常は何て哀しい日常なんだというふうに感じてきます。肉100%の時は、それが心地よかったけれど、こうして自分を学ばせていただく時間に恵まれている今は違います。
自分の本来の行き先を今、肉を持っている今、はっきりと確認できることが何よりも幸せです。私はともに帰ります。元あった私のところへ、喜びで帰ります。アルバートの波動が私の中を貫通した衝撃で目が覚めたのでした。それが今世の結果です。
1741) 自分の切なる思いを絶対に今世こそ実現する。固い決意のもと肉を用意してきたんです。私もあなたも同じです。ただその自覚があるかどうか、どの程度の自覚なのか、それはみんな違います。
自覚して、予定通り、計画通りに歩んでいると確信があれば幸いです。
全部用意してきました。それらを活用して意識の流れの中、次元移行を果たしていくという確たる思いを確認し、育んでいくことを学んでいます。
宇宙。宇宙へ帰る。心からの願いでした。この地球上に降り立った瞬間から、私達はその思いを秘めていたのでした。
それを心で感じ始めていくと、ただただ嬉しいだけです。なぜならば、ようやくその秘めたる思いが実現の方向へ進んでいると心で知るからです。
生きていく方向が定まり、思う方向が定まり、帰るべきところがあったことを知った、それは喜び以外のなにものでもありません。
あなたの心が知っています。どうぞ、正しい瞑想を始めてみてください。純度が上がってくると、どなたの心にも響いてくることです。
アルバート、そうアルバートを呼んでいるあなたの心が、あなた自身が心の奥底から突き上がってくるでしょう。1742) 肉という狭い小さな中で自分が苦しみ続けていく愚かさに、一日でも早く心で気付いてください。
肉の中にいれば、どうしても目に見えて耳に聞こえるものに対して心が向きます。だから、肉を持ちながら、五官を閉じる瞑想の時間を確保することが必要となってきます。
その瞑想の時間を充分に活用してください。活用できる環境を整えてください。若いときは少々身体が疲れていても、気力が落ちることは殆どありません。自分の中の凄まじいエネルギーを受け止めていける体力、気力のあるうちに、自分の学びをしっかりとやってください。
そして、今世、肉のある間に様々な現象を体験して、それでも学びをひたすらに真っ直ぐに進めていけるかどうか、自分の心で学んでください。
肉、形の世界は悉く崩壊してまいります。崩壊し尽くしていく中で、それぞれがそれぞれの心を見て心に突き上がってくるエネルギーを、喜び、温もり、真なる波動の世界へと返していく喜びを味わいましょう。
肉、形を見ていては、自分を見失います。肉、形の世界を通して自分の世界を見る、感じる、自分の中の愛へ戻っていく、その道筋をきちんと確立してください。
1743) もう時間はありません。感じておられると思いますが、1年あっという間に過ぎ去っていきます。あなたは学びに触れて何年経ちますか。その結果、今どうですか。あなた幸せですか。向いていく方向、大丈夫ですか。
死後の自分から、そして再び肉を持ってくる自分から、今のあなたへ何を伝えてくれていますか。
それぞれにあと何回かの転生があると思います。厳しい転生です。その転生を経て、必ず250年後の再会、意識の再会を果たしてください。
安穏と暮らしていける転生ではないですが、その心の体験は、250年後の呼び掛けにしっかりと反応してくれるでしょう。
250年前、ここ日本の国でともに学んだことを思い出し、最終転生の残りの肉を持つ時間、意識と意識の出会いを大いに喜んで楽しんでまいりましょう。疲弊しきった心の奥底から噴き上がってくるエネルギーは、宇宙、母なる宇宙を目指します。喜びで喜びでただただ母なる宇宙、自分達のふるさとへ帰れることを伝え合ってきます。
1744) これまでと同じ轍を踏むことのないように、今世の肉を持って学ぶ時間を大切になさってください。自分のために大切になさってください。
それぞれの心の中に作ってきた闇黒の宇宙が本来の温もりの宇宙へ変わっていけることを信じてください。信を深めていくこと、喜びで信を深めていくこと、ただそれだけです。
「宇宙へ帰りたかった。宇宙へ帰ります。」心の叫びをしっかりと受け止めて、肉という壁を崩してください。
全部自分が堰き止めていることを心で知っていけば、ただただ嬉しいだけです。その堰き止めている思いを緩め弱めていけばいくほどに、心に喜びが幸せが安らぎが広がっていきます。
宇宙をさらに思える喜びと幸せの中にあることを感じ、どんどんその中に入っていきます。よかった、よかった、嬉しい、嬉しい、ただただそう響き伝わってくる思いの中で、肉という形を持っている今にありがとうだけです。この形ある私は私であって私でないんだ、その思いを大きく育てていってください。
1745) 何のために生まれてきたのか、やはりいつもそこに戻ってください。そこからいつも始めてください。
本当のこと、真実の波動の世界を心で知っていくためには、今の私達には肉が必要です。肉を通して自分の蓄えてきた闇黒のエネルギー、すなわち自分自身を知っていくという学びの段階です。
色々な出来事に遭遇します。色々な人との出会いがあります。日々の生活を通して、自分が生まれてきた本当の意味を心で知っていく時間。それが自分が自分に用意した肉を持つ時間、すなわちいわゆる人生と呼ばれる時間です。
人生の目的を大きく逸脱してきた私達のこれまでの転生だったと、あなたはどの程度、自分の心で分かっておられますか。
今世を自分の転換期にするということは、意識の転回に取りかかるということです。
学びは宗教ではないんです。自分の存在意義を見極めていく、つまり本当の自分を取り戻していくため、私達は生まれてくることをお忘れなく。
1746) 形の世界の総崩れ。これは意識の転回に必至の出来事です。形の世界が総崩れしていく、自分達のここは絶対に離せないというものが自分達の目の前から消え去っていく、そんな現実を目の前にして茫然自失の状態に自らを落としていく過程の中で、もう後がない状態の中で、ふわっと心に浮き上がってくるものがある、それは一体何なのでしょう。
肉、形を本物とする中では、そういう状態になれば自ら落ちていくしかありませんが、本当に学んでこられたかどうかの結果がそこで出てきます。
ポーンと飛び出ていく瞬間です。そこからが意識の世界のお勉強の始まり、始まりです。
その予習を今世、私達はさせていただいています。意識の流れに同化していくというフレーズが出てきます。頭では分かりません。説明などできません。ですが、そうしていくんだなあと心に感じます。本当の自分に帰る、愛に帰るとはそういうことだと感じます。
今の私達がすることは、思うは田池留吉、田池留吉一筋に生きていく、ゆったりと喜んで生きていく、それしかありません。
1747) 本気になって学びと取り組む、つまりは自分と取り組む、そんな思いを心に自ら感じてこなければ、学びを完遂することは難しいでしょう。
私達みんな過去より他力の道を歩いてきました。他力の道、欲の道です。
神の世界を求め仏の世界に帰依することとはどういうことなのか、全く、全く何も分からずにきた私達でした。真っ暗闇のドロドロの波動を垂れ流したまま、数限りない転生の機会を持たせていただいて今世に至っています。
このことをどう思っていますか。どういうことなのか、まだ心で分かりませんか。心で感じることができませんか。どんなに愚かな私達なのかということを心にしっかりとはっきりと感じることからすべてが始まるのではないでしょうか。
今世、私は心酔した宗教はないと言わないでください。肉のあなたには記憶はないかもしれませんが、あなたの心の中、意識の世界にずっしりと重なり合わさっている神、仏への思いを抱えて、今のその肉を自分に用意した事実は絶対に動かせません。
知っていきましょう。認めていきましょう。そうしないと、いつまで経っても何も変わりません。ただ心が少々敏感になっただけです。その敏感な心で、自分を本当に救い出していくことができますか。愛という本当の自分に目覚めていく道はそんなに生易しい道ではありません。
本当の自分の存在を信じず、信じられずでは、まだまだ真っ暗闇の中。それが偽らざる自分達の現実です。
1748) 闇に沈むのは簡単、というかまだまだ闇に沈んだ状態だというのが現実でしょう。厳しい査定で学びと取り組んでいきましょう。
肉から意識への転回の進捗度を試すチャンスがそれぞれに用意されています。まずはそういう時間がこれからの肉を持つ時間だということを確認です。
これからは肉を持って肉の人生を生きていくのではないということ、まず今世はそこを正していきましょう。生きる目的です。肉を持つ意味をはっきりと自覚できているかどうかです。
生きていく方向、見定めていく方向を確認、さらに確認してください。
皆さん、それぞれに学びの仲間達とともにお勉強する時間を持っておられるようです。その時間を有効に活用して、自分の学びを前に進めてください。学びはここまでというものではありません。
まだまだ、まだまだに違いないけれど、必ず、必ずという思いを持ち続けてください。諦めて投げ出せば、もうそこで自ら幕を引いていくことになります。そんな哀しい幕引きとは今世を限りに決別してください。
1749) 肉が必要だったんです。どうしても今世生まれたかった。それまでの転生以上に肉がほしいと申し出ました。何としても肉を持ち、そして出会うんだという思いを固く持ってきました。
強い非常に強い決意を感じる、そう田池先生からも言ってもらいました。出会うべくして出会った出会いを心から私は喜んでいます。
全部意識の流れの中の出来事です。その流れに逆らい続けてきたのがこれまでの転生でした。
幸せなど分かるはずはありませんでした。喜びとは程遠い世界に沈み込んできた自分の世界でした。
あなたも同じです。どんな環境でもいい、肉を持たせてくださいと願い出たことが心に響いてくれば、これからの厳しい転生も必ず乗り切れることを知ってください。
闇に沈むだけの転生はもう卒業です。まだまだ真っ暗闇の中かもしれないけれど、しかし、遠くに遠くに薄らぼんやりと灯っている灯りがあることを信じて、そして自分の中のその灯りを自ら消し去らないように、生きていきましょう。
1750) ともに行こうと呼び掛けています。ともに意識の流れからのメッセージに従って次元を超えてまいりましょうと、ただその思いでいます。
この次元を超えて、そして遥かなる宇宙を目指して、ともにともに生きていこうと、私達は今世という時に肉を自らに用意し、そして念願だった真実の波動の世界を学ぶチャンスに恵まれました。
田池留吉という一人の肉の人間を通し、その波動の世界を学ばせていただいた事実を、それぞれの心でしっかりとかみしめてください。
すごいことでした。そして今、その肉がない今ですが、心に響き伝わってくる波動をしっかりと受けて、自分達の心の向け先を合わせられるように精進してまいりましょう。
ああ、もうすぐです。三次元最終の学びの時間を経て、そしてともに生きていく喜びの流れの中に溶け込んでいきましょう。
道を大きく踏み外し自ら苦しんできたけれど、それもみんなようやく自分のこれからの糧にできることを心で確信して、今の肉を終えてください。
1751) みんな中がドロドロのまま転生を繰り返してきました。そんな意識が自らのドロドロをしっかりと確認しようと、今世、肉を用意し学びに集う計画を立ててきました。しっかりと確認しようとしつつ、同時に自らの過ちを認める口惜しさ、恐怖が、もちろんあったから、なかなかすんなりとは心で受けていくことはできない学びでした。肉は学ぼうとしても、中が徹底抗戦の構え、それをを崩すということが難しかった。
ああ、こいつがそれを私達に促していくやつなんだ。肉はぼんくらでも中は知っていました。
私は、自分の中に蓄えてきた凄まじいブラックのエネルギーが、肉を突き破っていくだけでは大変な状態になるということを、中が素早く察知し、早く分かりたいとする肉の思いに、母の温もりを確立するまではと、自らに歯止めをかけていたことを知ったとき、ありがたいと思うと同時に、今世は本当に大切な時なんだと実感してきました。そしてまた、限りがある肉を通しての学びの時間だから、その時間内に今世は今世の予定を滞りなく終了させる計らいがあると感じてきました。そう田池留吉の意識の世界は語ってくれていました。肉をともにして学ばせていただいたことに感謝しかありません。
意識の流れに委ねていくだけなんだ、肉は何ほどのものでもない、そう思います。
1752) 自分の中の落ちた意識、自分を確認して、そして瞑想。それが幸せだと感じられるのは、自分のこれから先を心で知っているからです。
肉に生きてきたこれまでの時間はなかったことにはできないけれど、しかし、やり直し、生き直しができることを学ばせていただきました。
本来の自分の軌道に自分を乗せて、これからを生きていくと思えば、どこを向いていけばいいのかと、真っ暗闇の中を苦しみ続けてきた苦しみ、哀しみからようやく自分を解き放していける安堵感が自分を支えていると分かるから、幸せだと思います。
思いの世界に生きていた自分だったと本当に心から分かっていけば、その思いの世界が少しでも住み心地のいいところにしたいと思うはずです。どうすればそうなるのかと、色々と学ばせていただいているのが今世です。
健康で長生きしても、自分の本来生きていくべき方向を知らなければ、そしてそれに確信が持てなければ、空しい人生だとはっきりと感じます。
1753) 学びは誰彼の境なく積極的に勧めるというものではないと私は思っています。ましてや強制するものではありません。
肉一筋、肉一色で生きてきた意識にとって、肉から意識へ自分の基盤を変えていくことは生易しいものではありません。
相当の覚悟と決意が必要です。そして、それは自分で決めていくことです。
濁流の世の中の流れの中で、いかに自分の本意を極めていくか、あなたにはその自信がありますか。確信がありますか。
肉の中では人と人との繋がり、関わりがあります。そのなかで愛しく近しいとしている人達と生きていく方向が完全に違っているということであっても、あなたは、自分の信じた生き方を貫いていくことができますか。
肉は愛しく近しくても、生きていく方向、見ていく方向が違うということであれば、住む世界が違っているということです。その現実をはっきりと認識して生活をしてください。
自分に用意してきた肉を持つ時間、人生の時を大切にしていきましょう。肉に生きる生き方は苦しみです。しかし、それはそれぞれの心で気付いていく必要があります。心で気付いたならば、軌道修正に取り組むはずです。どんなに自分を粗末に、みんなを粗末に扱ってきたかを知るからです。
1754) みんな愛に、本当の自分に帰ることを切望しています。気付いているかいないかだけのことです。
心で気付いた方から軌道修正を始めればいいんです。自分の生きていく方向はこっちだと明確に心に響いてくれば、ただひたすらにその方向に心の針を向けて合わせていく作業を淡々とやっていくだけです。
自ずと幸せを感じます。喜び、嬉しさ、安らぎを感じます。
もちろん、自分の中に蓄えてきた凄まじいエネルギーも感じます。
しかし、もうそれによって、自分を苦しみの底に沈めていくことはないという確信もまた芽生えているから、どんどんその凄まじいエネルギーを吸収していけるんです。
一点は絶対に揺らがない。ぶれずにただ一点をしっかりと見て生きていくことが自然になってきます。
今世、肉を持って学びに繋がるという自分の計画が何を意味するのか、どんなにすごいことなのか、自分の心で分かってきたならば、ただただ嬉しいだけです。その嬉しさは何があっても揺らぐことはない、そういうものです。喜んでいるのに、いたのに、何かのきっかけでそれが崩れていく、それは喜びが違っていたのです。意識の世界ははっきりとしています。
1755) 「出会いをありがとうございます。」目を閉じて思いを向けると、そんな思いがいつも上がってきます。
今度こそはという思いとともに喜びで生まれてきたのに、喜びでは死ねなかった苦しい心の歴史が山積みです。
本当のことを知らずに真っ暗闇の中へ帰っていった数々の自分。
真っ暗闇の中に沈み込んでいくしかなかった転生だったけれど、今度こそはという思いが、今世ようやく実現の方向に動き出しました。
それもこれも、千載一遇の出会いを持たせていただいたからこそです。
自分の心に感じ響き伝わってくるということがなければ、250年後、300年後、次元移行と言われても、雲をつかむようなお話でしょう。
しかし、どんなに肉の中に生きようとしても、肉、形の世界は悉く崩れ去っていく総崩れの時を体験していけば、それも何度もそういう体験をすれば、何かが違っているのではないかというところに行き当たると思います。
「意識の流れは厳然としてある。そして粛々として仕事をしている。」
さらに目に見える形を通して証明されていきます。1756) 肉の世界は複雑怪奇であっても、自分の住む意識の世界、思いの世界は出来るだけシンプルにしましょう。 出来るだけシンプルには、控えめな表現です。限りなくシンプルにを、心掛けてください。
意識の世界には選択肢などなく、ただ一点を目指して生きていくだけです。一点以外は、全部ブラックです。
あなたの中の田池留吉の世界に心の針を向けて合わせていって、心に広がっていく波動の世界、意識の世界を感じていれば、肉の心、表面的な部分は揺れることはあっても、修正は容易いです。一時揺れても、すうっとまた心の針のぶれを正していくはずです。
揺れっぱなし、ぶれっぱなしなどあり得ません。そのトレーニングを重ねていく時間が、今世の肉を持って学ぶ時間です。
中心棒の確立、自己確立、どの程度捗っていますか。 それぞれに自ら用意してきた教材を通して、しっかりと学ばせていただきましょう。
1757) 欲に塗れ、金に塗れ、神、仏の世界があると信じ、宇宙のパワーを追い求め、自分を見失ってきた結果を、これまでに嫌というほどに味わってきました。誰一人例外はありません。そんな自分の実態を知っていこうと勇気を振り絞って生まれてきたんです。学びに触れているんです。そこのところ、はっきりと心で知ってください。
今世、どんなに肉塗れの中で肉一色で生きてきたとしても、ひとたび学びに触れたその瞬間から、心から離すことなどできなかったのではないでしょうか。遅々として進まない学びかもしれませんが、これしかない、この学びだと心から突き上がってくること、しきりでしょう。
くそ田池と叫びながら何とも言えない喜び、嬉しさ、幸せを味わってきましたよね。
心の体験、大切になさってください。そして、田池先生とともに学ばせていただいた方は、とんでもない大きな宝物を自分に持たせたと心から喜んでください。その喜びの思いで、今世の肉ある限り喜んで自分を学んでいきましょう。そして、次の転生に自分を繋いでください。
「いざ行かん」250年後の出会いから力強い発信があります。心のど真ん中でしっかりと受け止めて、そして、そして、ともにともに帰りましょう。
1758) 心の体験を重ねてください。学びの場であるセミナーは、それぞれがそれぞれの心で感じ体験して、そして、そこから自分の歩みを前に進めていくということに重点を置いています。
もうひとつの学びの場は、それぞれの日常生活の中です。様々な出来事、人との関わりを通して、瞬時に自分の中に感じるエネルギーを確認して、そしてそのエネルギーの質の変換をする作業を淡々としていく、それが私達の日常の時間です。
お金儲け、人助け、世間からの評価を求める、家族の形成等々、それらは肉を持ってする本来の仕事ではありません。
はっきりとしてください。自分の中をはっきりとさせて、学びをするのかそれとも、肉一色のこれまでと同じ生き方をするのか、それぞれの心で選択してください。
あなたが自分の決断をするんです。自分の人生、自分の生きる道です。
その道がどんな道なのか、とっくりとこれからの時間をかけて自分に伝えてくれるでしょう。
自分が思いの世界に生きているということを、色々な形を通して自分に知らしめます。それが愛のパワー、愛ゆえの自分からのメッセージです。1759) 心から叫んでいる自分自身をしっかりと受け止めて、そしてもう帰りましょう。散々自分を苦しめてきました。奈落の底で苦しみ喘いできた時間は長いです。長い、長過ぎました。自分は肉だとする真っ暗な中から抜け出して、明るくて温かい安らぎの空間に自らをいざなってください。
心の叫び、それは色々な事を通し、現象という形で自分に自分が伝えます。
その時、自分の心を見るということを知らなければ、つまり、心の針の向け先が自分の外ではなくて、中に向けるということを実践していなければ、今、自分に起こっている様々な事に対して、形の中で最善の処理をするという方向にのみ行きます。
もちろん、ある程度の対策は必要でしょうけれど、それで終わり、万全というのは違っています。
学びに触れた私達には、現象というのは心を見る、自分を見るチャンスなんです。肉として色々な苦痛、困難を伴う現象かもしれませんが、それ以上に意識の世界、心は悲痛な状態だということです。
思いを向けるその向け先が全部外だったことに、まず気付きましょう。
形の修復は副として、主は思う思いの向け先はどこなのかをしっかりと確認です。
1760) 私の中では明確な線引きがあります。できています。それは田池先生の肉がある間の学び、肉がなくなってからの学び。
その肉がある間に学ばせていただいた段階は、予定通り無事終了という認識でいます。それを土台に今自分の肉がある間の学びの段階に取り組んでいます。そして、その後、肉がない間の段階、再び肉を持って出会い、三次元最終段階の仕上げという計画です。
今世、同時期に肉を持たせていただき、ドンピシャの学びをさせていただきました。的に的中したという感覚です。
それを経て、あとは私の心掛けひとつです。三次元最終のお勉強を見事クリアして、そして、さらに意識の世界を学んでいく旅路は限りなく続いていく、そう思いを馳せれば、本当に幸せだと思います。
闇黒の宇宙に成り下がってきた意識の世界に巡ってきた千載一遇のチャンス。そのご自覚のもとに、それぞれの歩みをしっかりと前に一歩出していきましょう。
「ともに帰る、いざ行かん。」深く心に刻んでください。
1761) 自分が自分に用意した肉を持つ時間。本当の自分が偽物の自分に用意した肉を持つ時間。さて、あなたはどのようにその持ち時間を過ごしていますか。
偽物の自分の思いを少しでも本当の自分の思いに変えて、自分の中の壁を取っ払い隔たりをなくし、少しでも住み心地の良い、風通しの良い、安住の地を広げていけるような、そんな時間となれば幸せの道、喜びの道は自ずと見えています。
壁を作り閉鎖的なじめじめとした中にいたと分かるには、開けた明るい爽やかな空間を感じることが必要でしょう。
そんな空気、風を心に感じ始めれば、いかに閉鎖的な重苦しい中で固まるしかなかったかを心で知り、そんな自分にどんどん届けたくなります。
頭も五官も何も要らない。ただ目を閉じて思う思いの方向が定まってくれば、意識の世界が自ずと仕事をします。
1762) 田池留吉、アルバート、そして宇宙を思うことがどんなに喜びで幸せか、それは心で感じるということがなければ、到底分からないことです。分からないから信じられない、信じようとしない、そして結局は肉に逃げ帰っていくことになります。
もうそういうことは止めにしませんかとお伝えしています。
肉に逃げ帰る、何て失礼な、私は決してそんなつもりはない、私は私の人生これで大満足なんだということかもしれませんが、それは肉の世界しか知らないから、そんなことが言えるんだと思います。
本当に心で田池留吉、アルバート、どこまでも広がっていく温かな喜びを感じたならば、決してそんなことは言えないし、思えないはずなんですが、それは、それぞれがそれぞれの心で感じなければ仕方がありません。
自分の心で感じ感じたものを信じ、そこから自分の生きていく方向を自分で決定していってくださいということになります。
意識の流れは厳然として存在しているし、粛々として仕事をしていることは動かせない事実だから、それがやがて形となって、それぞれに公平に平等に割り当てられていくでしょう。
そこから心が何を受け取っていくか、どう自分が流れていくのか、決定権はそれぞれにあります。
1763) UTAブックさんのホームページに掲載されていますが、10月17日、9時15分から15分程度、ともに瞑想をしていただく方を待っています。
基本的には短い原稿を送付された方達の中からということになりますが、物事には例外がありますので、そこはご了承ください。
基本は、UTAブックさん主催の「死ぬまで瞑想会」と考えています。
原稿送付という条件、その原稿送付がメール送付という条件、色々と条件がありますが、そういうことに関係なくあなたどうですかとお声掛けさせていただく場合があるかもしれません。
連絡させていただいてご都合よろしければ、ともに瞑想をしましょう。1764) 一番大切な、いいえたったひとつの大切な大切なことを心で感じ知り得る、こんな幸せな転生は初めて、本当に幸せだと思います。
存在しない神、仏を追い求め、宇宙のパワーもまた然りでした。苦しい、苦しい転生の数々。自分を落とすことしかできなかった転生の数々。這い上がってきました。奈落の底の底から這い上がってきて、ようやく心に灯した灯りです。
心が叫びます。心の底から奥底から叫びます。「やっと、やっと、やっとだ。」
嬉しくてありがたくて、本当にこれは現実なんだと、長い時間を経てここに行き当たったことを実感しています。
もちろん、本当の自分へ愛へ帰る道はようやく始まったばかりです。しかし、ようやく巡り合えたことに何はさておいても喜びです。
ブラックのエネルギーだけを量産し垂れ流してきたことを、しっかりと心で反省し、それでもこうして生き直すことを待たれていると思えば、大きな大きな励みとなります。
1765) 宇宙を思う瞑想。果てしなくどこまでも広がっていく意識の世界に心を向けて合わせる。思いを馳せる、馳せられる今の幸せをどなたも心に深く感じてまいりましょう。
私達は、肉、形というちっぽけな世界の中に生きているのではありません。
そうかといって、肉を持って学ぶ時間を用意している今、やはり肉の法則にはある程度沿って生活をするということは必要です。
最低限度、肉の掟を守り、無用なトラブルは避け、自分に肉を用意してきた本当の意味を心からしっかりと味わい、本当に喜び喜びの人生の時を迎えていきましょう。
もう苦しみの奥底に沈み込んでいくだけの転生は終わりにしましょう。
ふわっと浮き上がって、そして遥かなる宇宙、温かい温もりの喜び、安らぎの宇宙を目指してそこへ自分を帰していきましょう。
ありがとう、本当にありがとうございましたと心から自分に伝えて、さらなる進化を果たしていくことが喜びです。
1766) 肉基盤と意識基盤は全く違います。瞑想をして感じる世界にその違いははっきりと表れます。
と言っても、意識の世界は目に見えない、形はない、色も匂いも何もない、ただそれぞれの心で感じ広げていく世界です。
だから、自分の心で感じそして感じたものを信じていく学びの姿勢が問われます。波動の世界を信じる信の強さがどの程度のものなのかということです。そしてその信が強く深くなってくれば、どうでしょうか、肉のことに思い、エネルギーを傾けていく生き方、考え方は自ずと弱まっているでしょう。
二足の草鞋では絶対に意識の世界、真実の波動の世界を進んでいくことはできません。肉はできると思っているんです。できません。そんなに意識の転回、真実の波動の世界を学んでいくことは簡単なことではありません。
肉、肉の中に生きてきた意識、私達にとって、それが現実です。
しかし、今世です。今世を転換期にということで、意識の流れがいよいよはっきりと顕在化してくるのです。そういうことを、瞑想の中で、自分の心に響いてくればいいと思います。あとはそれぞれの選択です。そしてその結果はもちろんそれぞれのものです。
ふるさと、たったひとつの自分達のふるさと、愛へ帰る道をともに歩いていきませんか。
1767) またひとつ、セミナーという学びの時間、空間を体験させていただきました。250年後の本番に向けて、どなたも自分を必ず繋いでください。
次元移行という意識の流れを心にしっかりと感じ、それぞれ、今の環境の中で、喜んで喜んで自分を学んでいきましょう。
あなたの中のたくさんの宇宙、闇黒に沈み込んできたたくさんの宇宙達が、250年後を待っている、心から待ち望んでいることを、今の肉を通して心に響いてきていますか。
異語が飛び出てきます。ともに帰ろうの思いで呼びかけています。
苦しい真っ暗な転生を繰り返し、宇宙に闇を振りまいてきたのはみんな同じです。しかし、今世を境にして変わっていけることを学ばせていただきました。伝えていただいた真実の波動の世界を心に育み、真っ直ぐに、田池留吉、アルバート、母なる宇宙を思う瞑想を楽しみます。
田池留吉の肉とともに学んだ大変貴重な時間と空間。
出会いたかったアルバートの波動の世界でした。心を貫通した衝撃は、そのまま250年後の来世の私に届き、まだ肉持たない来世の私が引導してくれています。
1768) 何を選び何を本当に自分の中心に据えて生きていこうとしているのか、どうぞ、肉を持って学びに触れている間に、自分にしっかりと問いかけていってください。
肉に生きる、今の目に見える形ある肉を自分だとして物事を推し量り、右へ左へと交わして生きていく生き方、そんな空しくて儚い生き方から、自分を取り戻していく一歩を踏み出していきましょう。
「どんな肉でもいい、どんな環境でもいい、とにかく私に肉をください。私をこの世に出してください。そして、真実の波動の世界を学ぶチャンスをください。」
そう切望してきた自分自身の思いに触れてみてください。そんな瞑想ができてくれば、心の奥底からの自分の叫びにしっかりと応えていこうという思いになります。自分を救い出したい、自分のこれからをしっかりと明るい方向へ向けていこう、そんな思いが次から次へと溢れ出てきます。
これは理屈ではありません。頭、肉の自分には到底理解できないことです。そして、肉はやはり愚かだから、肉の方向へ進んでいこうとします。ですが、一度感じた心の疼き、心のもやもやは、どうしても、どうしても、何としてもという思いに変わっていくでしょう。
温もりの中へ、喜びの世界へ自分を帰していこう、素直にしっかりと自分に宣言して、そして、その道を一歩進めていきましょう。
1769) 自分を学ぶために、そして、自分を地獄の奥底から救い上げたい、本当の自分の世界へ帰っていこう、そういう思いで、自分に肉という形を持たせたということです。瞑想を重ねその思いをしっかりと確認してください。
確認出来ていますか。正しい瞑想をしていくことが自分を救いゆくたったひとつの術であることを、今一度、いいえ何度も何度も確認してください。
肉に流れる、肉に流される、今までそうして生きてきたから、それは容易いことだし、心地よいかもしれません。
しかし、私は学びに触れた意識には、それは肉に逃げ帰ることだと思っています。自分に背を向けて自分を裏切っていく哀しい哀しいことだと感じます。
今世こそはという思いを、本当に今世こそ少しは現実のものとなさってください。
肉に生きても誰も責めはしません。ただ、本当の自分を裏切り続けても、どんなに自分を見限っても、愛の中にあるということは確かなことです。愛の中にある、愛が自分なのに、愛に反逆するエネルギーを噴き出していては、そこに大きな歪が生じていくのは自然なことです。それを、色々な形を通して自分にメッセージを送っている、というのが意識の世界の仕組みです。
「自分の中の愛をまたしても捨て去っていくのか。」これからも何度もそれぞれの心に問うてきます。
1770) 自分に用意した時間です。こんなありがたいことはありません。肉を用意して、自分の培ってきたエネルギーをつぶさに感じ取れる、そしてそのエネルギーの本来帰るべきところも感じている、こんな環境の中に自分を置いているなんて、本当に私達は幸せ者です。
何を選び取っていくかを自己選択し、その結果を自ら受けていけばいいんです。いたって公平で平等なことです。
正しい心の向け先も伝えていただきました。実践するかどうか、できるかどうかの問題ではありません。
意識の流れからのメッセージは確かに受け取ったのです。そういう学びの段階です。「確かに伝えました。」「はい、確かに受け取りました。」そういうやり取りがあっての今の学びです。
この道真っ直ぐに、思うは田池留吉一筋の道を淡々と歩いていくことが、自分の中で、粛々と意識の流れを遂行していくことになります。
その確信のもと、学びの輪が成長しています。学びの輪の中心、愛に向けて心をひとつにして、それぞれの予定を完遂してください。
1771) それぞれに今世、学びに触れ学び始め、学びの時間を経過してきました。その中で、何を選び何に重きを置いて自分に残された肉を持つ時間を費やしていくかは、それぞれの問題です。
互いに肉を持って学ぶ時間と空間を共有している学びの友が身近にいることについては、確かにいいことだと思います。
ただ、どういう状況にあろうとも、見るのは自分の心です。自分の心の針の向け先の管理を怠らずに、自分と自分の中で学びを進めてください。
すなわち、自己確立がどの程度捗っているのかということを、いつも心に留め置いてください。
肉体を離せば、つまり死ねば自分の世界が広がっているだけということが、はっきりとします。
それを肉を持っている今、自分の中ではっきりと認識できているかどうなのかを学んでいきましょう。
死は現実です。遠いお話ではありません。いつまでもあると思うな肉の時間ということを忘れずに、肉を持って何をしたかったのか、何をするべきなのか、心して学んでください。
1772) 意識の流れの顕在化。それは形の世界を崩していくことです。その勢いはスピードを増していきます。そこに働くエネルギーの大きさも私達が未体験のものになっていくでしょう。
すべては気付き、促し、警告です。そのエネルギーがプラスのエネルギーであることに気付いていかない限り、自分を落としていきます。自らを落としていくんです。なぜならば愛とは逆流の流れを自分の中に引き起こしていくことに気付いていないからです。
自分の中の愛。確かに確かに存在する愛のエネルギー。本当の自分。その自分に目覚めていきなさいという本当の自分からのメッセージ、それをどのタイミングで真っ直ぐに受け取っていけるか、ただそれだけです。
肉の人生云々の問題ではありません。本当に心が敏感であれば、肉からの脱却をする時期がすでに到来していることを受信し、その方向にどんどん自分を進めているはずです。
肉としてしか生きられない愚かさ、哀れさを、色々な形を通して、これからさらにさらに私達に教えてくれます1773) 嬉しいお話を聞かせていただきました。今学びに触れておられる方達のお子さん、若い世代ですね、そういう方達が近い将来セミナー参加ということになるかもしれません。 親御さんが無理に引っ張ってくるのではなくて、あくまでも本人達の意思でセミナー参加ということになれば、それは嬉しいです。
学びの道筋、250年後に至る道筋はすでに出来上がっていますが、学び発信の日本の国において、次世代へ引き継ぐということは嬉しい限りです。
もちろん、将来的に例え引き継ぎがあっても、その方向性は微妙にずれていくということは否めないけれど、とにかく学びの灯が消え去ることがないようにと思います。
とにかく、今世学びに触れる計画のある意識は、肉の老若男女に関わらず、その計画通りに遂行できれば万々歳です。いいえ、肉、形からは決して推し量れない意識の世界の計画に狂いはないので、学ぶ意識は学ぶということになるでしょう。1774) 自分の本当の姿を見失い愚かに生き続けてきた私達です。どんなに苦しい中を生きてきたか。しかし、それはみんな自分の愚かさを自らに示していただけのことでした。
それが分からずに、分かる術もなく、今の今まで転生を繰り返してきました。地球という星を汚しに汚して、そして自分の中の宇宙もまた闇黒の中に沈めてしまいました。そんな長い長い時間を経て、ようやく、ようやく出会いがあったのです。千載一遇のチャンスの出会いです。
出会いをどんなに待ち望んできたか、そしてその出会いをどんなに喜んでくれたか、学びに触れた意識ならば、もうすでに自分の心で感じ味わっていることだと思います。
肉を持って学ぶという難しさをはるかに超えて、肉を持って学ばせていただける喜び、幸せがそれぞれの心に広がっていると思います。
帰ります。帰りたいのではなく、帰るんです。私達は帰れるんです。その道筋を、どうぞ、それぞれご自分の心の中に確立してください。そして、250年後の出会いを果たしていきましょう。
1775) 長く学ばれてきた学びの友の現状が耳に入ってきます。
大変厳しいです。大変厳しい現状、それはそれぞれの責任のもとで、自分の中で受けていくしかありませんが、私の心に上がってきている思いを、この際はっきりと申します。
学びの時間の長い人達。田池先生が命がけで伝えてくれた学びです。
真実の波動の世界を田池留吉というひとつの肉を通して学ばせていただきました。もちろん田池先生も約50年のブラックの時間を持っておられました。もちろん学びの中心部分は揺らがないものですが、ともに学ばせていただいた時間の中では色々とありました。
つまり、第一の危機、第二の危機等の中で、いわゆる学びの雑音部分が大きくなっていた時期があったようにお聞きしています。
中でも、第一の危機と言われるものに関与されてきた方達、たくさんおられるようですが、その方達の反省がまだまだおざなりになっているという現実が、今、それぞれに形となって表れている時期です。これもまた意識の流れの顕在化というところに起因していると思います。とにかく、歪み、正しくないものは修正を絶対に促されます。
第一の危機に私は関係ないとそっぽ向いておられる方もあるように思います。
それぞれの問題です。闇に心を落としたままでは、真実の波動の世界とひとつに溶け込むことは不可能です。
みんな、心して学んでいきましょう。学びはそんなに容易いものではありません。これから250年に向けて、さらに厳しい転生が用意されているということを、どの程度心で感じておられるのか分かりませんが、今という時、今世の学びをまずはしっかりとしてください。
1776) 肉から意識へ、私達に示された課題です。難しいけれど、そのハードルを飛び越えていくしかありません。飛び越えていって初めて見えてくる真実の世界です。
肉を基盤として蓄えてきたエネルギー、思いの世界を自分の中で解き放していくことにすべてがかかっています。
喜んで前向きに学んでいきましょう。間違い続けてきたのはみんな同じです。ただ、そこからどのように自分を真に正しい方向にいざなっていくかは、それぞれ次第です。今世に懸けてきた思いの強さを心に感じていけばいくほどに、もう後がないと心で知っていきます。
それは自分を追い詰めていくというのではなくて、ただただ本当に恵まれた幸せ者の自分達だと心に知っていくということです。後がない私達に用意してきたチャンスです。
だからこそ、ここで問題となるのは、学びに触れ学びを始めた今世に、田池留吉という意識の世界に真っ向から反逆のエネルギーで立ち向かっていったという事実です。その事実は決して見逃すことができない重要なことです。
たとえ、それが学びの過程だからであっても、仕方がなかったということでうやむやにはできません。
私は部外者だとしている方達も決して少なくはないと思います。本人が部外者だと思っているならば、当然反省は滞っています。その辺り、お心当たりのある方は、今一度精査してください。1777) 本当の意味で賢い人になりましょう。頭がどんなに切れても、頭の回転かよくても、世間に通用する心得があっても、そんなものはほんのつかの間のものです。そんな儚い喜びや幸せはもういいんです。と私は思います。
一時の喜び、幸せでもいいですか。肉はなるほど心地良いかもしれません。色々なことに恵まれ、肉の思い通りに生きていければ、万々歳の人生だと本心から思っておられる人が圧倒的でしょう。
しかし、私達は肉という形を持っていないから、肉の喜びとか幸せをどんなに重ねようとも、私達の深部には届きません。
一瞬のうちに消え去っていく儚いものを追い求め、結果、呪いや恨みや、不安、恐怖、空しさ等の底なしの真っ暗闇へ自分を落としていった数々の転生を心にどっさりと抱えて、今世、大切なひとつの肉を自分に用意してきたという事実を、決して軽く受けてはなりません。
今世です。今世をあなたの転換期にしてくださいというメッセージを繰り返します。
私は、私達は帰ります。もうすでに250年後、300年後を射程距離に、母なる宇宙を目指していく喜びの中にあります。
どうぞ、ご自分の歩みを確かなものに。そして必ず、必ず、次元移行をともにしてまいりましょう。
1778) 先にも語りましたが、学びの灯は消え去ることなく、世代を超えて引継ぎが行われていくことに期待しますが、残念ながら、その方向は段々にずれていくという現実は確かにあります。
それでも、これから意識の顕在化がもたらす様々な現象を見て聞いて、体験しながら、心を田池留吉の指し示す方向に向けていこう、それしかないという声、思いは途切れることはないでしょう。
他力的にそういう声、思いが上がってくるのではなくて、学びに触れていく新たな意識達が、自分達の心の中から自ずと突き上がってくる声、思いをしっかりと心で受け止めていく方向に、それぞれがそれぞれの歩みを進めていかれるということになると思います。
自分の心で感じた波動の世界を信じ、そこから自分の歩みを進めていくという、すべてが自分の心の中で、自分と自分の中で学んでいく難しさはあるものの、しっかりと自己確立の道が見え始めたならば、こんな喜びで幸せなことはないと、しみじみ思う肉の時間となるでしょう。
そうして、自分に用意した肉持つ時間を過ごし、心を次の転生、その次の転生へと繋いでいければいいんです。
今世をあなたの転換期にという言葉をしっかりと心に刻んで、250年後の出会いに臨んでください。
1779) 宇宙を思って瞑想をしていますか。自分の中に母の温もりが確立しているとはっきりと感じておられる方は、どうぞ、宇宙に思いを向けてください。
闇黒の宇宙。まだまだ真っ暗闇に閉ざした中で苦しみ続けている闇黒の宇宙に、帰るところがあることをしっかりと伝えてください。もう帰ろうと心から伝えてください。
ただし、くれぐれも確認です。自分の中に母の温もりが確立しているということを確認です。不確実な方は、むやみやたらと宇宙に向ける瞑想をしないことです。
おそらくそういう方は、宇宙に向ける瞑想をすることに対して、不安とか恐怖の思いを感じておられると思います。
違うんです。宇宙は喜びです。どんなに闇黒の凄まじいエネルギーを噴き上げていても、それは喜びの雄叫びに必ず変わっていけると確信していれば、宇宙は喜び、その通りです。
闇黒の宇宙から喜びの宇宙にどんどん目覚めていく時期はすでに到来しています。意識の流れの顕在化です。形を本物とするブラックの世界は、そう遠くない時間の中で、総崩れです。粛々と意識の流れが流れている大きな証を、しっかりとそれぞれの心で喜んで受けていってください。
久々のライブ配信です。10月21日(月)午後2時に予定しています。
1780) あなたが幸せならばそれでいいんです。幸せ、あなたの思う幸せとは何ですか。物に溢れ金に満たされ人との繋がりがあってというそんなちっぽけなものではないことは分かっておられると思います。
どんなに肉が満たされようとも、それでは心の空洞を埋めることはできません。本のどこかに書いたように、真実を知らずに生きている人間は心に空洞を抱えています。それを埋めようと四苦八苦しているんです。肉を基盤としていては埋められないと知らずに必死にしているから、四苦八苦の人生となります。人生の目標を定めそれに向かってチャレンジ、あるいは夢を追う人生、聞こえはいいかもしれませんが、所詮四苦八苦の人生です。
あなたの心の空洞、今、どんな状態ですか。ふつふつと湧いてくる喜び、幸せで満たされていますか。それともまだ空洞のままですか。
心に空いた穴。空しくて苦しくて寂しくて、底知れぬ不安、恐怖、あるいは怒りのエネルギーが渦巻いているのではないですか。
真っ直ぐに自分と向き合う勇気、喜びに出会える人生にしていきましょう。
何かを手に入れなくても、もうすでに本来は満たされているのです。愛に満たされているんです。それを空洞と感じてしまっている愚かな偽物の自分が現存していることに心で気付いていけるようなそれぞれに蘇ってまいりましょう。
1781) 帰りたい、帰ろう、みんなどんな人もそんな心の叫びを抱えて肉をもらいます。ただその声、思いは、肉を持ち時間が経つにつれて自分の中に隠れていきます。その声、思いを引っ張り出してくれる現象は、人生の時間の中で数々あるけれど、所詮肉というものは愚かだから、そんなことではなかなか出会えません。
やはり、今世の学びに触れた意識のように、その愚かな肉を通して、何度も何度も繰り返し伝えていただかないと、肉に埋もれた中から、自分の切なる思いを拾い上げていくことは、殆ど不可能だと言えるでしょう。
ほんの一握りの人達かもしれません、今世学びに触れたのは。
そのほんの一握り人達も、自分の作ってきた他力の世界を自分の中で崩していくことは難しいという現実を目の前にして、本当にこの道、この道真っ直ぐに一本と生きていくと意識の世界を変えていっている人は数少ないです。
その今世の学びを踏まえて、これからそれぞれに大変厳しい転生が幾度か用意されています。果たして、250年後の本番に心を繋いでいけるかどうか不確実性のところもありますが、そういう個々の事情は意識の流れの前には微々たるものです。悠然と粛々として流れる意識の流れです。
そういう中で同時期に肉を用意し、ともに学ばせていただいていることを喜んで、どうぞ、自分の中の切なる思いをしっかりと現実のものとしていきましょう。
肉なき自分の世界を今、肉ある今、しっかりとはっきりと感じていけることを喜んでください。
1782) 「私は帰ります。」「どこへ。」「私のふるさと、母なる宇宙へ。」はっきりと自分の中で確認できていますか。
「帰りたい、帰ろうではないんです。帰ります。帰る道がすでに見えています。その道に沿って生きていくことが、たったひとつの喜びです。」自分に宣言できますか。
これらのことを自分の中で確認でき、宣言できているかどうか、学びの歩みのポイントです。
未だに肉のあれこれで悩み苦しみ、そんな中で学びをしていこうとしている現状であるのかどうなのか、精査が必要です。
本当の意味で敏感になりましょう。心の中に真っ直ぐに届く田池留吉、アルバート、母なる宇宙の波動の世界に生きていることを感じられる、そんな敏感な心を蘇らせていきましょう。
闇に、自分の作ってきた闇の世界に自らを落としていく苦しみ、辛さ、哀しみ、空しさ、哀れさ、どうぞ、今の肉を通してじっくり学んで、そして、心を次元移行へと繋いでいけるようなそれぞれに自分を成長させていってください。
1783) 学びの友からのメールです。少々長いですが一読ください。この学びで、あなたは一体何を信じていますか。学びに触れながら、田池留吉の意識の世界に反逆するエネルギーに同調する、それはどんなに愚劣なことなのか、心で分かりますか。
こんにちは。先日のホームページ1775の第一の危機、第二の危機の反省をというメッセージを読み、メールを送らせていただいています。
私は第一の危機、第二の危機を体験しました。私の歳で実際にこの危機を体験したのは私くらいではないかと思います。第一の危機は直接の体験、第二の危機は間接的な体験でした。
私にはしっかりこの二つの危機の当事者という思いがあります。折に触れ、反省を繰り返してきましたが、9月の本セミナーから、やはりまだまだ第一の危機、第二の危機の反省ができていない、自分の中にしっかりと根付く他力の反省をしなければという思いが強く強く湧き上がり、反省を始めたところに、1775のメッセージを通じて促しがありました。正直、これまで何度か反省を試みたものの、何が間違っていたのか、なぜ自分が第一の危機、第二の危機に向いていったのか、が明確にわかりませんでした。
田池留吉への反逆、逆賊、抵抗勢力等々、何度もセミナーで聞きました。反省もしました。でもわかっているようでいて、全くわかっていませんでした。欲一杯だったから、パワーが欲しかったから。早く何かを感じられる自分になりたかったから。力を得て、誰からも一目置かれる、認められる素晴らしい自分になりたかったから。田池先生の教えてくれる内容より、チャネラーならチャネリングしてくれて具体的でわかりやすいから。色々理由はありました。でも決定的な何かが欠けていました。
先日、心を見ていてふっと波動がわからなかったと思いました。自分がどこに向けていたのか、自分が向けた先にあるもの、その世界がどんな世界なのかが全くわかっていませんでした。だから、チャネリングの本当の意味もわかりませんでした。第一の危機、第二の危機を先導していたチャネラーの方たちがどんなエネルギー、波動を流していたか。自分が掴んでいった波動、エネルギーとはどんなものか。そして自分が流していた波動はどんなものか。そういうところがわかっていませんでした。
今日、母と妹と共に勉強する機会があり、自分のテーマとして1,2,3で第一の危機、第二の危機に向けてみました。凄まじかった。凄まじいとしか言いようがありませんでした。第一の危機に向けたときは瞑想中、ひたすら田池を殺せと叫んでいました。田池を殺せ、その思いしかなかった。
田池留吉を殺しにいく思い、その思い一色でした。槍を持ち、銃を持ち、ありとあらゆる武器を持ち、大群で押し寄せて田池留吉を殺しにかかるような、凄まじいエネルギーが心の底から吹き上がってきました。
第二の危機も同じようなエネルギーでした。咆哮、咆哮、咆哮。田池留吉を殺す思い、全てを破壊し、殺戮するエネルギー愛に真っ向から刃向かい、温もりを叩き潰すエネルギー。
言葉にできない程、それはそれは凄いエネルギーでした。そのエネルギーを体感して、やっと自分が向けてきた先、第一の危機、第二の危機という世界がどんなものかわかりました。波動の問題でした。頭での反省ではダメでした。第一の危機、第二の危機に向けた後、田池留吉に向けました。
波動がわかりましたか、とあなたが向けてきた世界がどんなものかわかりましたか、とこのエネルギーを握ったままで、愛に帰ることはできません、
母なる宇宙に帰ることはできませんと、はっきり伝わってきました。
納得です。愛とは相反するエネルギーです。田池留吉を真っ向から否定するエネルギーを抱えたままで田池留吉を真っ直ぐに呼ぶことなんてできません。心の針を合わせることなどできません。次元移行など、とてもとても、です。厳しい。瞑想を通じて大変厳しい自分の現実を確認しました。
しかし、それでもその凄まじいエネルギーとともに、瞑想と反省を重ねるしかありません。私の現実はとても厳しいのに、瞑想した後、なぜかとても清々しく、今までわからなかったものがすとんと落ちたような感じです。
今回、瞑想を通して確認できてよかったです。
(この感想を送ろうと読み返して誤字を確認していたら、心の底に蠢く、田池留吉を信じていない思い、侮る思い、見下げている思い等々がちらちら見えてきましたので引き続き、瞑想と反省を続けます)。反省の促し、ありがとうございました。
1784) 「ブラックのエネルギーがあるから、次元移行を伝える意識の流れは達成される。私の世界がいくら真実であっても、それだけでは難しい。すべては私の世界とブラックのエネルギーとが成していくことだ。」
一言一句そのままではないけれど、そういう意味のことを伝えてもらいました。だから出会いをどんなに喜んでいただいたか、待っていました、待っていたよ、そんな思いを感じさせていただきました。
意識の流れ。宇宙が変わっていく意識の流れなんだと、本当に心から喜びました。出会いを本当にありがとうございましたと、そんな波動の中でともに学ばせていただいた幸せ、喜びは、私を引導しています。
肉の愚かさに辟易することも多いですが、ふうっと思いを向ければ、道がしっかりと見えその道を歩いていることを感じるにつけ、肉の愚かさにただただありがとうです。
自分のこれからが見えている、感じている、それはただただ嬉しい限りです。今世の肉を持つ時間、250年後の肉を持つ時間、それはもうほんの僅かですが、楽しんでいきます。
1785) 宇宙に思いを向ける瞑想、楽しんで喜んでその肉のある限り継続してください。意識の世界は限りがありません。つまり、私達の世界はどこまでも続くどこまでも広がっていく世界です。
ちっぽけな限りのある肉、形の中に自分を押し込めていく苦しさは、もう本当に終わりにしましょう。
自分を解き放していきましょう。肉の中では無理です。限界があります。温かい安らぎの中に、何の縛りもなくゆったりと自分を解き放していけるのは、瞑想の中で、自分の世界をどんどん感じていくことに尽きます。
宇宙。私達のふるさと、母なる宇宙。長き時を経て、今世、ようやく自分の中に現実のものとして見えてきた道筋です。
アルバートの波動と出会いたかった心の叫びを、今世の肉を通して、ようやく表面に出せたこと、出会わせていただいたこと、嬉しく思います。
幸せです。アルバート、どんなにどんなにこの心の中に呼んできたことか。
田池留吉というひとつの肉が出会わせてくれました。出会いを本当にありがとう。1786) アルバートの波動と出会ったこと、アルバートと心の底から奥底から喜びで、喜びで呼べること、250年後の予習を今世の肉はさせていただきました。
言うまでもなく、250年後の出会いは凄まじいものです。アルバートの目から発する波動の世界を、私の肉の目は真っ直ぐに受けます。
そのために、250年後の時を経て、同時期に肉を持つわけですから、それはそれは一瞬の出会いにより始まると言っても決して大げさではない出会いです。
「私がまずあんたの波動をキャッチする。」そうはっきりと田池留吉の肉は言いました。当時、「ほんとかな。ちゃんと私を見つけてくださいね。」そう私は返答したと思います。
お見事、この通りの展開になれば拍手喝采です。
とにかく、これから地球上は大変な時間を迎え、様変わりした地球上で、今一度出会いを持たせていただけることは嬉しい限りです。
心の奥底の底の底から喜びのブラックの雄叫びを噴き上げてまいります。
もう思うだけでただただ嬉しいです。本当にありがとう。ともに次元を超えていく喜びを感じています。
1787) 長い、長い、気の遠くなるような長い時間の中で、自分を落としに落としてきたけれど、けれど、そんな地に落ちた意識も今世、千載一遇の出会いを用意して、ようやくです。
ようやく夜明けを迎えたという感じです。肉、形の世界の総崩れは、文字通り、肉基盤で見れば、悲劇としてしか受け取れないけれど、意識を基盤とすれば、それは願ってもない喜びの、喜びの出来事だと言えるでしょう。本当の自分達は永遠に生き続ける生命だと、心で感じ始めたならば、もう言葉も何もありません。この道真っ直ぐに突き進むことのみが、自分達の幸せ、喜びの道だとはっきりと感じます。
肉、肉で生きてきた私達です。今世、学び始めるという自分の計画を計画通りに進めていくことはなかなか難しいです。
学び始めるというのは、肉からの脱却をひとつひとつ済ませていく過程にあって、そしてそれは意識の転回を意味しますが、そういう過程に自らの立ち位置があってということです。形の上で学び始めるというのとは違います。それらの実践を伴ってこそ、ようやく学び始めるということになるでしょう。肉からの脱却、意識の転回という実践です。
よって、どんなに意識を受けて、それを言葉に変換できても、つまりチャネリングができても、基盤が肉ならば、従来の宗教の世界と何ら変わりはないということになります。
1788) 私は、田池留吉の意識の世界の証し人です。それは確かなことです。それは自分が作ってきた闇黒の宇宙を心に感じ始めたことから始まりました。闇黒の宇宙を心で感じていけばいくほどに、そこからすうっと道が開いていったのです。一斉に叫ぶ声、思いはアルバートでした。目指すは一点だけでした。
あなたもすでに田池留吉の意識の世界の証し人だと思いますが、学びに繋がったからには、一人でも多くの方に、無数に存在する闇黒の宇宙に優しい思いを向けていただけたらと思います。
私は最初、それはどのくらい前か、20年くらい前か、学びに集いようやく自分の中のエネルギーが肉に届き始めた頃、宇宙を思うことは恐怖でした。
しかし、当時、UFOという感じがする、思いを向けてみたいと、田池先生にFAXしたのを憶えています。
その時の先生の返事は、今は時期尚早だということでした。それでも先生は、タイミングを見計らって、宇宙を思うことを学習させてくれました。
最初、恐怖、狂う恐怖というか、何か分からない恐怖の渦だったけれど、やがて、宇宙を思うことが嬉しくて、懐かしくてというふうに変わっていきました。ああ、私は遥か遥か彼方から、この地球にやってきたという感覚の中にありました。帰りたい、そう思いました。帰るために私はこうして学んでいるんだとも思いました。
宇宙と私達は切り離せない、そんなことを強く感じながら今に至っています。異語を発する時がやはり嬉しい、異語で語り合えることが嬉しいです。
1789) 地に足をつけて、着実に自分の学びの歩みを進めていくことが大切です。
生れてきた本当の意味を心で知り、喜びの中で自分の蓄えてきたエネルギーを感じ、そのエネルギー、自分自身が本来の自分に戻っていける今を喜んでいけること、これが最高に幸せな人生です。
肉、肉で生きてきた砂を噛むような虚しい人生、寂しい人生だけにはもうしたくない、中が叫びます。
今の肉だけが私ではない、私は私の時間は途切れることなくずっと続いていたんだ、これからもずっと続いていくんだ、しっかりとはっきりとこの思いを抱えて、みんなみんな学んでいきましょう。
ようやく、やっと、やっと巡り合えたという喜び、その実感をどうぞ、あなたもあなたの心で深く、深く味わってください。
宇宙、懐かしいあの宇宙へともに、ともに帰ろう。
1790) 出会うべくして出会ったことを確信していますか。偶然に、何となく、幸運にも、それらの表現は、田池留吉の意識の世界との出会いに関しては、どれも不適切です。私達は出会うべくして出会ったんです。そういう自覚があなたの中にありますか。自覚して確信になって、その確信が喜びを大きく広げていきます。
私の今世の肉は何ということもない、平々凡々の肉です。だからよかったんです。中途半端に肉の能力、特技等々を持って生まれてきたら、それを伸ばすというか、そこに固執するというか、それで人生を生きていくというか、そんな本当のルートから大きく道を外れた生き方をやはり選んでいくでしょう。向上心を持ち高めることをよしとしてきました。固執してきたと言ってもいいかもしれません。それは私一人だけではないと思います。それが人間、私達がこれまで生きてきた道筋において、何の疑問も抱かなかったことだと思っています。
違う、そうではなかったと、これまで正しいと思って生きてきた様々な生き方のどこがどう違っていたのかということを、今世の肉を通してはっきりと知るべきです。知って、自分の生きていく方向を真に正しい方向に変えていくことです。ただそれだけが待たれています。自分に待たれています。本当の自分に待たれています。愛である自分からのメッセージを聞いてください。そして素直に真っ直ぐに受けてください。
1791) どうしようもない地に落ちた意識だから、だから、今世の肉を通して、田池留吉を呼べる、アルバートを思えることが、ただただそれだけがただただ嬉しいです。
ブラックに沈んできた意識の世界に、手を差し伸べてくれて、それをようやっとしっかりととらえようという方向に自分の舵を切っていく計らいの中にありました。
何も持たずに、何も持てずに、しかし、出会いがありました。本当に出会いがありました。思う喜び、思える喜びの中に自分をいざなえる、そんな時間と空間を自分に用意してきたことに、ただただ感謝です。
アルバート、アルバート、心から呼びたかった。思いの丈をぶつけられる喜びを用意しました。250年後の肉を通し、真っ黒を噴き出します。
すべては次元を超えていく原動力です。それをはっきりと知ったから、肉のことなど本当に程々でいい。程々で十二分に幸せです。それよりも何よりも大切な大切な出会いを持たせていただいて、本当にありがとうしかありません。
ライブ配信予定日、10月31日(木)、午後2時です。
1792) 心の針を向ける、合わせる、このトレーニングに励みましょう。
日々、穏やかに生活をしているようでも、瞬間出すエネルギーを確認する機会は、皆さん多々あるでしょう。心中、決して穏やかでないことを確認です。確認して、ふっと思う、その繰り返しを訓練していますか。
そのうえで、それぞれの生活の中で、静かにゆったりと思う瞑想の時間を持つようにしましょう。
思うこと、思えること、それ自体がすでに喜びです。思う思いの向け先を伝えていただいた、何よりの何よりの幸せです。
信じる、信じられる喜びが仕事をすることを知っていますか。心で感じていますか。思うだけでいいんです。宇宙を思い、愛を思い、本当に心の向け先が合ってくれば、大きな喜びの仕事をしています。
言葉など要りません。ただ思うことです。そうやって、時が来るのを待てばいい。もちろん、大波、小波、肉を持てば様々ありますが、中心棒はぐらつかない、そういうことです。
そして、いよいよ250年後の時期到来となります。心から噴き上がってくるエネルギーとして出会える瞬間を、どうぞ、どなたも見逃さないでください。
今世、あなたはあなたの学びを進め、着実な一歩を歩んでください。
自分の中の愛、愛である自分を信じる信を強くしていってください。
1793) お互いに肉は愚かです。ただ、真の正しい方向へ自分をいざなっていくか否かの違いにより、互いに愚かな肉を携えてきたけれど、愚かな肉は愚かでなくなります。確かにこれは難しいです。今世瞑想を重ね、自分が肉を持ってきた意味を心で感じていくことが必要です。
生れてきた決意を、どこまで心で深く強く感じているかでしょう。ドロドロの中から肉を持ってきたことが明確に心で分かるまで、本当に心に響いてくるまで、肉に引きずられる時間となります。意識だといっても、肉優先の時間を費やしていくでしょう。
それでもいいんです。もがきながら、自分を褒めてください。自分を現す方向にいくのではなくて、自分の中で苦しんできた自分をしっかりと認めていきましょう。
誰からも何からも救いの手は届きません。届くのは真っ暗な自分の中からです。中がもう本当に求めていることを、本当の自分に戻っていきたいと求めていることを、真摯に受け止めて喜んで喜んで真っ暗な自分と生きていきましょう。
学びの友、肉あるなしに関わらず、ともに同じ方向を向いて生きていっているという実感、手ごたえがあれば、その喜びに勝る喜びはありません。1794) 想定内、想定外を問わず、色々な出来事が起こってきます。それぞれに自分の心を揺さぶる現象が用意されています。
心は揺れるでしょう。大揺れに揺れる場合も多々あるでしょう。大変な時を迎えるわけですから、心が揺れないなんてことは考えられないことです。それでも、そんな中でも、心に感じた波動の世界を信じて、田池留吉、アルバートと思える、呼べる幸せと喜びへ自分を戻してください。
幸せも喜びも外に求めてきたことを心から知って、そうではなかった、自分の中へ戻っていこうと、自らの舵を切ってください。
もうすでに意識の流れは大いなる仕事をしています。みんな、みんな宇宙の友みんな、その意識の流れの中でともに行こうと喜び合える瞬間を、今か今かと待っています。
心で感じてください。宇宙を思う瞑想の中で、あなたの心に響いてきているはずなんです。もうすでにそういう時期を迎えています。
だから、真実の世界から、田池留吉というひとつの肉を持ってきてくれて、そして、今はその肉がない状態なんです。
ひとつの幕が下りました。最終の幕開けまで、幕間の学びを、しっかりと進めてまいりましょう。喜びで進めてまいりましょう。
1795) 私には選択肢がありません。意識の私の世界はもちろんもう言うまでもありません。そして、肉の私の世界にも選択肢がないんです。
まだまだ意識と肉の乖離という課題を抱えていますが、根本のところではもう肉は引いています。肉では決して推し量れない意識の世界を心に感じているから、日々の生活においても、非常にシンプルです。あれやこれやと触手を伸ばさない、伸ばす気がない、もう今の生活で十二分に満たされています。
田池留吉の意識の世界が打った布石の通りに学んでいくだけです。次元移行へ至る250年、300年の準備はすでに万端整えられています。
その波動の世界に触れ、そして波動の世界をしっかりとした足取りで進んでいく喜びと幸せを感じていきましょう。感じていけるそれぞれに蘇ってまいりましょう。
心の針を向けて合わせていけば、自ずと仕事をしていきます。思う思いの向け先の正確さと信の深さがすべてです。
これまでの転生の延長線上に今世を置かないでください。全く違う軌道を歩いていく第一歩に今世をしてください。
今世を自身の転換期に。繰り返します。今世は自身の転換期という位置づけを確かなものにしてください。
1796) 自分のこれからが見えている、心に感じられる、その喜びをあなたも、そしてあなたも味わっていますか。
もう言葉はありません。悪の限りを尽くしてきた意識にとって、こんな幸せ、喜びの道がずっと示されていたことを感じれば、もう何も言葉ありません。
真っ直ぐに続いていく愛へ帰る道。その道を今世の肉を通して、どうぞ、どうぞ、心で感じ始めてください、いつまでも肉、肉、肉の真っ暗な中に自分を沈めるのではなく、そこからふわっと、そしてしっかりと浮かび上がっていきましょう。
そういうチャンスが目の前にぶら下がっているんです。自分次第です。いつ、どこで、自分の生きていく方向を180度変えていくかです。
もちろん、学びに触れた人はみんなそうしたいと思っているはずです。これまでと同じ生き方ではダメだと感じていると思います。
それを、現実のものとするんです。強い、強い決意のもとで肉をいただいたこと、そして学びと出会わせていただいたこと、しっかりと自分の中で味わってください。
1797) 歩みをともにする喜びを心に広げていきましょう。心を向ける喜びと幸せを今世の肉を通して知りました。その喜びと幸せを、どんどん自分の中に広げていってください。
どんなにそれを待っているか。すんなりと受け取れない現実を目の当たりにしながらも、心の奥底から聞こえてくる本音をしっかりと受け取っていけばいいんです。もう苦しむのは止めよう、元あった安らぎの温かい温もりの中へ帰っていこう、しっかりと力強く伝えてください。
伝えていけるだけのものを自分の中で育んでください。一歩歩みを前に進めていく勇気は、喜びのエネルギーの中で育っていきます。喜びが自分の中に無尽蔵にあることを、無尽蔵にあるブラックから教えてもらったらいいんです。
それは嬉しいだけです。自分を見捨て切り裂いてきた自分自身に、ようやく、ようやく温かい安らぎの思いを向けられる機会に恵まれました。
温もりに背き、苦しみ抜いてきたけれど、全部自分で選び取っていっただけのことでした。
今ももちろんそうです。何を選ぶか、どう生きていくか、全部自分にかかっています。愛ゆえのこと、それが「自分は愛でした」の確たる証しです。
1798) ともに心を向ける喜びをあなたもどうぞ、しっかりと自分の中に育んでいってください。肉を持って今何をするべきなのか、心に問いかければ、もうすでに答えは出ているはずです。
肉に生きろと出てきても、あなたはそれが決して本心ではないことを知っています。それが抵抗勢力だとすでに、あなたの心は関知しているということです。
だから安心してどんどんその思いを受け止めていけばいいだけです。
肉は傀儡であってはならないんです。
「もう分かっているよ。あなたの思いを私はもうずっとずっと前から知っているよ。私達は愚かだから、その気付きを素直に受け止めていくことができなかったんだ。もう素直になろう。帰りたいんだろう。あそこは私達のふるさとだからね。あの温もりの中へ、喜びの中へ、いっしょに帰ろう。ようやく、そう伝えることができて嬉しいよ。だからあなたもこの嬉しさ、喜びを素直に受け止めて伝えてあげて。たくさんのたくさんの友が待っているんだ。それをいっしょにしていこう。そうすれば、遥か彼方と思っているふるさとはそうでもなかったことが分かってくると思うんだ。」こうして、あなたの中で呼び掛けてください。自分達がしてもらったように、どうぞ、どうぞ、心で伝え合ってください。
1799) 肉を持つ時間を自分に用意した、その喜びと幸せ、かけがえのない現実を、限りある肉持つ時間の中で味わって味わっていくだけです。
そして、250年後の肉にバトンタッチして、その肉を使って、宇宙とともに次元移行を果たす、壮大な意識の流れの中の計画を、私は着実に遂行していくことに徹していきます。
待ってくれている、喜びで待ってくれている、一足早く生まれてきて一足早く肉を置いていって、そして予定通りにという合図を発してくれます。
ありがとう、ありがとうしかありません。あなたの喜びは私の喜び、あなたの苦しみは私の苦しみ、そう伝えてくれました。ひとつだとしっかりと力強く伝えてくれた波動だけを信じて、私は私の勉強を推し進めていくだけです。
肉のあるなしに関わらず、たくさんの友がいる。真っ暗闇の中で苦しみ喘いできた友がいる。だから私達はもう私達のふるさとへ帰ろうとただただ呼び掛け合うことができます。それが嬉しくて幸せです。
1800) 250年後が待ち遠しいです。今が250年後、250年後は今、意識の世界はそうなんですけれど、けれど、やはり地球上の肉の時間を経て、互いに肉という形を用意して、そしてそこから発信していく喜びと幸せを味わい尽くしていこうというのが意識の流れの計画の一端です。
様変わりに変わっている地球という星にありがとうの思いを込めて、そして私達はさらなる世界へ旅立っていきます。
苦しい転生もすべてにありがとうの思いを伝えて、そして私達が目指す先、それはさらなる愛の世界です。限りなく限りなく広がっていく喜びと温もりの中へ、ともに行こうという合図で一斉に飛び立っていきます。
ただただただただ嬉しいです。三次元最終のお勉強をしっかりと遂行していくために、こうして、今、肉を持って学ばせていただいている私達です。今世をありがとう、本当にありがとう、肉に塗れてきた愚かな自分にただただただただその思いを伝え続けていくこれからの時間です。
どんなに形の世界が崩れ去っていっても、たったひとつの世界に私達は生きていることを、心にしっかりとはっきりと感じていく学びをしていきましょう。1801) 何でもそうです。物事にはポイントというものがあります。枝葉のところでごちゃごちゃやっていても効率は上がりません。ごちゃごちゃするのもまた楽しからずやという方もおられると思いますが、学びについては、特に結果を出していくことが必要です。
いったい私達は何を学んでいるのか、学びのポイントはいったい何なのか、それをまずは明確にして、着実な足取りでそれぞれの学びを進めていくことが大切だと私は思います。
年月はあっという間に過ぎ去っていきます。2019年も残すところ50日余りです。それだけみんな体力も気力も減退していきます。若いうちの1年は何ということもありませんが、年齢を重ねていくと、1年、いいえ1か月の間に、どんどん肉の体力、気力は減退していきます。それに連れて自分の中の凄まじいエネルギーも減退、薄く弱くなっていけばいいけれど、なかなかそうはうまくいきません。凄まじいエネルギーは燃え盛るまま、その処置に肉はついていけない、それが現実ではないでしょうか。
それを踏まえて、やはり、いったい自分は何のために生まれてきたのか、学びはいったい何を伝えてくれているのか、いつもいつもそこに戻って、喜びながら学びましょう。厳しく厳しく自分を見ていく姿勢、生きる姿勢を失ってはいけないのではないでしょうか。
1802) 満を持して今世に臨んできたと心で感じられる、それが本当の意味で敏感な心と言えると思います。
どんなに何を感じても、根本の変革がなければ空しい結果となります。根本の変革、基盤を変える、意識の転回です。
そして、その上で、自分の行く先を確定して、その方向にしっかりと歩みを進めている今かどうかということだけが問われます。
満を持して今世に臨んできた、どの程度心で感じていますか。250年後が本番であることは確かですが、今世、学びに触れた意識にとって、今世の学びはその予習の時間をいただいているということなので、それをおざなりにして、次の転生、その次の転生へと自分を繋いでいくことは至難の業です。
肉を通して学ばせていただいた幸せにも関わらず、予習の時間をおざなりにするということは、一体どういうことなんでしょうか。その辺のところ、事の重大さに気付いていない人もまだまだ少なくないかと思います。
今世、学びに繋がっていない意識のほうが、あるいはひょっとしてということがあるかもしれません。
意識の流れの計画は壮大です。すべての意識を目覚めへといざなっていく大いなる流れです。頭脳を誇ってきた人間の哀れさ、愚かさをあらわにしていきます。それは自らの行先を決める正念場と言えるでしょう。
1803) あなたは今世の閉めに向けて学びを遂行していますか。今世をどのように閉めていくか、それぞれに大きな課題です。老いも若きも関係ありません。年齢に関係なく、今元気であるかどうか関係なく、みんな死に向かっていることは確かです。肉を持っている以上、肉を置く時が来ます。
今世、心で学んだことを自分の次の転生へと繋ぐことを念頭に置いて学んでください。250年後の最終時期まで、真実を肉を持って伝えることはありませんが、三次元最終のお勉強まで自分の中を整えていくことは、今世の学び方次第で可能です。
250年後の舞台設定はすでに整えられています。そこに予定通りに駒を進めていけるかどうかはそれぞれに係っています。舞台設定はすでに整えられていますから、駒不足の懸念はありません。意識の流れは計画通りに、予定通りに遂行されます。それを確認でき見届けたから、田池留吉という肉を使っての仕事は終了、一幕が下りたという段階だと前に語らせていただきました。
出会うべくして出会った今世の出会いでした。それをはっきりと心に知る意識の世界だけを見ていけばいいのだと伝わってきます。
1804) 私は本当の喜び、幸せを知っています。あなたはどうですか。そう断言できますか。断言できることが喜び、嬉しい、ありがとうのエネルギーをどんどん宇宙へ流していきます。愛へ帰るエネルギーです。
それ以外、肉に塗れ、肉の中でどうのこうのと生きている間、ましてやそれをよしとしている間は、どんなに肉、形が整えられているように見えても、砂上の楼閣に過ぎません。儚く消えていく影を影とも思わないで生き続けていく愚かさは、やがてそれぞれの心にそれぞれがしっかりと伝えていきます。
愛しかないからです。本物の愛のエネルギーを存分に知っていくこれからだということです。それはもうすでにお伝えしている通り、形の世界の総崩れという現象です。地球上のどこへ逃げても、地下深く潜っても、その愛のエネルギーを避けることはできません。それよりも、道が示されているんだから、その意識の流れに沿って自分を生かしていきましょう。それ以外は、破滅の道まっしぐらです。
全部自分が選んでいくことです。喜び、永遠の生命か破滅、宇宙のもくずか、ふたつにひとつです。
1805) 楽しく喜んで学びの時間を持つことが幸せなことです。ですが、同時に愛へ帰る道は厳しく険しいことをしっかりと感じていくことが大切です。
中途半端な思い方では、とてもとても難しいです。まずは自分の中の切なる思い、心から絞り出す叫びをしっかりと知っていくことに尽きます。
肉を用意して本当に何をしたかったのか、心からの叫びを聞いてください。
肉に生きろ、お前は肉だという思いも同時に感じると思います。それでもそう叫びながらその思いが泣き叫んでいる、寂しい、苦しい、助けてくれ、どうにかしてくれと訴えている、そういうことでしょう。
肉に生きろ、肉の喜びと幸せでいいなんて本心から言うわけはないんです。
暗く真っ暗な冷たい狭い狭い中でじっと生き続けてきた思いを、どうぞ、温かい温もりの中へどこまでも広がっていく明るいところへ連れていってあげてください。
本当の優しさです。本当の温もりです。それは人としての優しさ、温もりとは比べることができないものです。本当の優しさ、本当の温もり、そして本当の喜び、心で感じて感じて味わっていきましょう。
肉を持てた今だからこそ、それが現実のものとなるんです。肉を持っている今、本当の幸せを知ってください。
1806) 自分の本質を知っていく学びです。無知とエゴと欲で凝り固まってきた自分を本来の自分に返していこうとする学びです。
肉、形を本物とするところでは、無知とエゴと欲で凝固まってきたということも現実のものではありませんでした。
目を覚まさなければなりません。強い衝撃を自らに用意して自らを覚醒させるという手段を選んでいます。それが地球人類の選択です。
それは愛のエネルギーに触れた意識の存在があるからです。
帰ろう、帰ろう、意識の世界へ呼び掛けが続きます。いざないが続きます。どんなに愚劣であっても、自分達のふるさと、愛へ帰れることをいついつまでも伝え続けていくでしょう。
愛を、愛に、愛へ、そんな波動が地球という星を包んでいきます。地球という星は、もちろん、愛の中にある意識、エネルギーですが、その呼び掛け、いざないに素直に喜んで呼応していきます。喜びで喜びでエネルギーを受け入れていきます。そして、母なる宇宙よ、ありがとう、そんな思いを繰り返し繰り返し伝えてきます。
1807) 今日、12月から復活する「ともに瞑想会」の会場を見てきました。不都合が出るか実際にやってみないと分かりませんが、許容人数100名全部椅子席でという方向で行う予定です。その会場の隣室も50名~60名位ならば十分の広さがありました。
自分の家から近いという利便さもあって、将来的に継続して、そこを活用させていただくかもしれません。
以前、有馬かどこかで、会場をふたつに分けてのセミナーがあったということをふと思い出し、ここも会場を二つ借りてやればいいかもという突拍子もない思いが上がってきました。
とにかく、私にはなじみがある場所なので、そこに学びの友が来てくれて、肉あるなしに関わらず、思いを向ける時間と空間を持たせていただくことに嬉しさを感じています。
1808) 肉では色々とあるでしょう。またいつも元気でというわけにはいかないかもしれません。その中においても、やはり思うは田池留吉一筋の道です。田池留吉、もちろん人の名前ではありません。たったひとつの真実の波動の世界です。自分自身です。田池留吉は自分自身です。それが本当に心で分かったならば、もう何も言うことはないでしょう。思う喜び、思える喜びです。
苦しい、苦しい、何とも言えない転生を潜り抜けてきました。幸せも喜びもほんの一瞬で消え去っていった砂を噛むような苦しい転生の積み重ねの中、ようやく出会った出会い、出会うべくして出会った出会いでした。
だから思えばありがとうしかないんです。信じて待ち続けてくれていた温もりの世界でした。
一度感じた波動の世界は、とてもとても揺るぎのないもの。波動を感じるとはそういうことでした。それほどの衝撃を私の意識の世界は受け取りました。もう前を向いて歩んでいくだけだと感じてきました。
だからと言って肉は聖人君子にはなり得ません。肉は愚かでいいんです。本当の自分を知っていれば、肉は愚かだと流していけます。苦しまない、落ち込まないです。肉のことは所詮どうでもいいことで、学ぶように仕向けていることだけを感じられれば、それで充分です。
肉は平々凡々で十二分、何をするために生まれてきたのか、心にしっかりと知る肉であれば、それが最高に幸せな時間を自分に提供しています。
1809) 「ともに瞑想会」について、少し語らせてください。
すでに語ってきましたが、「ともに瞑想会」を始める動機は不純でした。
田池先生から5年ほど前にセミナーをやりやというお言葉をいただいてから、その準備段階として、予行演習として、大宝ホールを使わせていただきました。当時、何らかの事情で私の近くにいた人達からお誘いして、学び始めてからお世話になったと私が勝手に思っている人達に、あとはその時々の成り行き、気分で来ませんかとお声掛けして、4年ほどともに瞑想をする時間をいただきました。
そして、2019年12月にその「ともに瞑想会」が復活します。思いがけない運びとなりましたが、私は嬉しくこのお勉強する機会をいただきます。
不純な動機で始めたけれど、その4年は私にとっていい時間だったと振り返っています。そしてこれから始まる時間もまた、私を育ててくれると感じます。
互いに愚かな転生を繰り返し、苦しみ抜いてきたけれど、こうして今肉を持ってその愚かな自分を思っていく時間と空間の中にいざなわれている幸せを、ともに味わっていこうという思いでいます。
二泊三日のセミナーにも、大宝ホールや志摩ホールを活用させていただくセミナーにも恵まれているうえに、さらに「ともに瞑想会」の復活です。
何かワクワクします。
1810) 学びの友からのメールの中に、次の一文がありました。
「これからも変らずにどこまでも流れていく、流れに素直に乗ってともに帰ります。」
流れに素直に乗って・・・、意識の世界の大いなる計画、その流れに素直に乗って生きていく、これしか喜びと幸せの道はないということを、それぞれの心に刻んでいきましょう。
肉に生きてきました。肉、形を本物として、頭を誇ってきた私達人間の愚かさが、これからさらに次から次へと様々なところから噴き出してまいります。言わずと知れたことです。私達人間の生き方がすべて間違っているからです。間違っているものはいずれ、修正されていきます。
それは苦しみ、悲しみ、恐怖、怒りではなく、それこそが本当の優しさであり温もりであり喜びなんだと心から知っていくようになっています。
大変です。大変ですけれど、愛に目覚める、本当の自分に帰っていく道を喜んで喜んで歩いていきましょう。
ともに同じ方向を向いて、ともにある喜びと幸せを心に広げてまいりましょう。1811) お金で繋がっている関係ほどみじめで哀れで哀しいことはありません。同様に実体のない神、仏、何とかのパワーを求める生き方もそうです。
そのような転生、もう嫌というほど重ねてきました。そんな私達ですが、本当の喜びと温もり、幸せを心で知る、分かるチャンスに恵まれています。心の針の向け先を変えていけば、どんどん感じられる、広がっていく世界があります。それを阻止しているのは、そうその通り、自分に他なりません。阻止している思いを外していけばいいんです。難しいけれど、それぞれが自分ですることです。自分というのはもちろん肉の自分ということではありません。肉は何もできません。何もできないということが心で分かればいいんです。頑張る必要もなければ、気張る必要もなし。
心を見ることに徹しましょう。心を見るということは、心の針を自分の中に向けるということです。心の針を外に向けては心を見ることはできません。外に向いていては、自分の中の苦しみの原因が分からないからです。本当の自分とずれた思いを出せば、必ず自分の中から教えてくれます。苦しい、間違っている、その他色々な表現で、ずれていることを自分が自分に伝えてきます。
肉という形を自分に持たせて、自分の間違いを自分に教えている、そういうことだったと、今世初めて学ばせていただきました。
1812) 今日、学びの友との談笑の中で、確認しておく必要があると思ったことがあります。以下の文章は、NPO法人UTAの輪の会報第一号に掲載された私の原稿です。
私はこれからもこの思いで、学びの友と学んでいく所存です。セミナーにしても、ZOOM瞑想会にしても、学びの場というのは、NPO法人UTAの輪からも、UTAブックさんからも独立しています。どこにも属さない、ただあるのは、真実の波動の世界をともに学んでいこうとする思いだけです。あってはならないことですが、万が一、不具合が生じて従来通りの学びの場が提供されなくても、私は何らかの方法でともに学ぼうと発信し続けます。学びの場は形ではなくて、それぞれの心の中にあることを発信し続けます。それに呼応する意識達が集えば、そこに新たに目に見える形が出現します。そして、みんなで真実の波動の世界を学んでいけばいいのです。
(参考まで)
NPO法人UTAの輪の会報第一号を出すにあたり、原稿を依頼されました。さて、何を書こうかとしばらく思案していましたが、丁度いい機会なので、NPO法人UTAの輪とセミナーについて、私の思いをここで記したいと思います。
皆さんもご承知の通り、セミナーというのは、昨年2015年12月に亡くなられた田池留吉氏が、三十年余りに渡ってまさに心血を注ぎ、私達に「意識の転回をしてください」ということを伝え続けてくれたセミナーを指します。私は、その田池留吉氏の思いを波動としてしっかりと受け止め、皆さんとともに、真実の波動の世界、意識の世界をただひたすらに真っ直ぐに学んでいこうという思いでいます。
名称こそ、NPO法人UTAの輪のセミナーということですが、セミナーがNPO法人の傘下にあるわけではないし、セミナーは独立しています。そこには何の縛りもありません。あるのは、真実の波動の世界をともに学んでいこうという思いだけです。ただ、たくさんの人達がともに学んでいこうと集ってくるわけですから、学びに支障がないように、セミナーを運営していただくいわゆる組織が必要となってきます。会場の設定等様々なところで動いていただくスタッフの皆さん(学びの友)がおられるから、私達は、二泊三日、楽しみながら喜びの時間と空間を共有できるのです。
そこのところを正しくご理解いただき、皆さんのご協力をお願いしたいと思います。田池先生の「みんな仲良うにな」という思いを心にしっかりと刻み、これからもともに真実の波動の世界をともに学んでいきましょう。
1813) 思う喜び、思える喜びです。どうぞ、あなたもそしてあなたも、この喜びをしっかりと自分のものにしてください。
思う喜び、思える喜びが自分の中で確立していけば、どこにいても、何をしていても、どうなっても、大丈夫です。
文字通り心ひとつで生きていけることを感じます。実際は肉を持っている以上、その肉を維持する必要がありますから、それはそれなりに肉の環境を整えるに越したことはありません。ただ、そのことにずうっと思いを傾け、エネルギーを注入していく生き方というのはいただけません。
肉のみで生きている時間の中では、それはそれで仕方がありません。地獄の道まっしぐらに生きていくことを自ら選び取っていくんですから、その結果を自ら受けて、そしてそこからまた生き直し、やり直していけばいいだけです。250年、300年に至る意識の流れの計画を逃せば、生き直し、やり直していくには気の遠くなるような時間を必要としますが、意識の流れに逆流していくことを選んだ結果を結果としてしっかりと受けていく、これもまた愛の中にあるという証しです。
1814) 自由に伸び伸びと喜んで喜んで学んでいきましょう。肉、形の世界には色々と制約があります。窮屈です。
自分を落とすだけ落としてきた現実をしっかりと真正面からとらえ、それでも今こうして肉を用意してきた自分の中の切なる思いに、今世こそはきちんと応えてください。応えていけるような学び方をしていきましょう。
もう自分を落とすのは止めにして、自分を大切に大切に育ててください。
肉に塗れ肉に沈み、自分を切り裂いてきた思いを心に感じ、自分に詫びてください。ごめんなさい、そしてありがとうです。
自分にごめんなさい、ありがとうを伝えることができる人生、みんなこんな人生、初めてです。
人として本当の人生を生きる。自分は肉、形ではないと心から知ることによって、人として本当の人生を生きていくことができます。
ひとつの肉を通して限りなく広がっていく自分の世界を知っていける今。それが今世でした。実証済みだからあえて過去形にしました。
今世を自分の転換期にというメッセージを繰り返し伝えます。
1815) 限りある肉を持つ時間です。意識の私達はどこまでも、どこまでも永遠に存在していますが、肉は形あるものですから、いつまでもというわけにはいきません。自分に肉という形を用意してきたこれまでだったんだ、それはなぜだったのかと、心で感じ始めると、肉を持っている今、生き方が少しずつ変わってくるでしょう。
あれもして、これもして、こんなこともあんなこともと、頭と身体をフル回転させていくことが、実りある人生の時を約束すると、何の疑問も抱かずに生きてきた私達ではなかったでしょうか。少なくとも私はそうでした。
私は、今世、学びに触れる前は、自分のための人生を生きたい、誰かのため、何かのために生きる人生なんて人生ではないと思っていました。
もちろん、この場合の自分とは、目に見える形ある自分だと思っていましたから、全くとんでもない思い違い、考え違いを過去からずうっとしてきたんだと学びに触れ学び始めて納得でした。小さな世界で小さく生きてきた自分でした。
持てる者は持たざる者よりも絶対に幸せ者だと信じて疑わなかった私に、250年後の私は、私は何も持っていないけれど、こんなに幸せだよと言っているんです。まだ肉を持っていない250年後の私。けれど、すでに過去の自分にそう伝えています。意識の世界の不思議です。1816) 生れてきた本当の意味、肉を自分に用意してきたという事実、それらが心で分かれば、こんなに幸せな自分はなかったとしみじみ思えます。
間違い続けてきたこととは思ってもみませんでした。だから私のどこがどう間違ってきたかなんてとてもとても理解に苦しむことでした。
田池先生に喜び少ないと、初対面で言われたけれど、その意味を心で分かるには時間がかかりました。何でも当たり前だった私には、この人何言っているんだくらいにしかとらえられなかったです。そんなお粗末な自分の世界だったと、懐かしく振り返っています。
それでも、自分の予定通り、計画通り、出会いを果たし、心の中、意識の世界の変革を遂行させていくルートにきちんと自分を乗せることができた今世には、本当につくづくありがたいと思います。ありがとう、意識の流れを知って本当にありがとう、そんな思いの中に生きています。
肉、形の総崩れ。心から自分に詫びていく、懺悔していく喜びの時間と空間がこれから用意されていると思うと、ただただ嬉しい、ありがとうです。
1817) 12月28日開催予定の「ともに瞑想会」の参加予定者が決定しました。
会場の許容人数の関係上、希望者全員参加というわけにはいきませんが、次回は、2020年1月13日に予定していますので、その方達を優先するということでご容赦ください。
思いがけなく「ともに瞑想会」の復活の運びとなり、スタッフの方達に感謝します。私は何もせずに、自身の身体を運べばいいだけです。ともに学べる機会をいただき本当にありがとうございます。
今回、会場が大阪市内で大阪メトロ(地下鉄)の最寄り駅から近いということで、できるだけ電車をご利用ください。
初回ですから、何かと混乱するかもしれませんが、できるだけスムーズに行動して、学びに集中していきましょう。私は今から楽しみにしています。
1818) 学びの友がいる。肉の有り無しに関わらず、私には学びの友がいる。それを心に感じられる自分自身が一番幸せだと思います。
熾烈な闘いのエネルギーだけをまき散らしてきた。宇宙の覇者の座から滑り落ちることのないようにと、宇宙時代を経てこの地球にやってきました。
どこまでいっても真っ暗、真っ暗だった。しかし、その真っ暗が心地良かった。真っ暗を飲み込んで飲み込んで、それでさらに自分を大きくしようとしてきたし、できると思ってきた本当に愚劣としか言いようがない自分でした。
その宇宙時代に思いを馳せることが恐怖から喜びへと変わっていたとき、ああ本当に今肉を持たせていただいている今が、どんなに嬉しかったか、ありがたかったかを幾度も感じさせていただきました。
だから宇宙に思いを向ける瞑想をしてくださいとお伝えしています。
母の温もりが自分の中にしっかりとあると感じたならば、どうぞ、宇宙と思いを向けてください。
宇宙の覇者を争う世界は本当にちっぽけな世界でした。田池留吉、アルバートの波動がそう教えてくれました。そんな小さな存在ではないこと、あなたはあなたを知らないと教えてくれました。
「あなたは私、私はあなた、ひとつ」を知っていく道をさらにさらに歩いていきましょう。
1819) ともにある喜びをあなたもどうぞ心に広げていってください。
幸せですよ。本当に幸せです。待ち望んできた、心から待って待ってきた思いが現実のものとして心に響き伝わってくるんですから、これほど幸せ、嬉しいことはありません。
どうぞ、瞑想をしてください。正しい瞑想ができるようになってください。
頭、肉の習慣、慣習、知識等々、それらを全部取っ払って心を空っぽにして、ただただ田池留吉の意識の世界に全託してください。委ねていけない色々な思いが出てきたならば、それは間違いなく他力のエネルギーで自分を縛っているということだから、その思いを全部、全部吐き出し、認めてください。
どんなに優秀な肉であっても、自分の本質を見失ったという自覚がなければ、ぼんくらです。そこのところ、どうぞ正しく理解できるようになってください。
本当に地に落ちてきた意識、それが自分達だったと心から知っていきましょう。それは苦しみではありません。そこから喜びの道が段々と見えてくるんです。地に落ちた狂った意識だから、今世、学ばなければならない、学ぶように自らを誘導している、その自らの思いに触れて、触れて、触れ尽くしてください。心からありがとうと自分に言える喜び、幸せ、嬉しさを味わっていきましょう。
1820) 思うは田池留吉一筋の道。喜びの合言葉です。一人ひとり様々な環境の中にありますが、それぞれに自分を学べる幸せな人生の時間を過ごされていると思います。
自分の中に意識の流れを見てください、感じてください。そんな瞑想の時間をたくさん、たくさん持ってください。肉を持った醍醐味を味わっていきましょう。肉を持つ喜びと幸せです。肉の喜び幸せもまた本物としましょう。
自分の中へ帰っていく喜びです。肉という形を持って、肉という形のない自分の世界を知る、本当にすごい学びです。
なぜ自分に肉を持たせたのか、学びに触れ正しい瞑想を継続していけば、自ずとどなたの心にも響き伝わってきます。生きる意味を間違えてきたことがはっきりと分かります。心に感じる自分の間違いを素直に認め受け入れていきましょう。
肉に生きる人生は苦しみの人生です。私達は無限、肉は有限。有限の中では、苦しみの人生という意味もまた軽くとらえてしまいます。自分を裏切る、自分に抵抗するということがどんなに愚劣なことなのか、全く分からないでしょう。
1821) お互い愚かな肉を持って学びを進めていこうとする喜びの中にあります。それぞれ自分の心の針を正しい方向に向けて合わせてする、いわゆる正しい瞑想をしていけば、肉を持っている今がどんなに自分にとって幸せ、喜びか、その喜びと幸せのエネルギーが宇宙を変えていく仕事をすると、どなたも心で分かります。
愚かな肉同士が、その肉を通して波動を学んでいく過程にある私達です。瞑想は基本的にはそれぞれお一人おひとりの作業ですが、学びの友とともに瞑想をする機会があれば、それもまたよしということでしょう。
ただ、そこで注意すべきことは、人が集まれば、色々とトラブルが発生する場合があるということです。
できるだけスムーズに学びに集中しようと各自心掛けてください。そのためには、その場その時の守るべき約束事があります。自分のちょっとしたうっかり、怠慢に気を付けていきましょう。
宿泊を伴うセミナーもそうです。大宝や志摩ホールを利用する場合もそうです。各地域で学びの友とのお勉強会もそうです。そこには必ずお世話していただく学びの友の存在があります。どんな場合もお世話は大変です。どうぞ、学びに集中できるように、守るべき約束事は守り、互いに気を付けるべきところは気を付けて、ともに学べる時間と空間を喜んで共有してまいりましょう。
1822) 肉の愚かさを並べ立てても仕方がないことです。切りがないからです。けれど、その愚かな肉を持っているからこそ、自分の心の叫び、心からの叫び、私は切なる思いと語らせていただいていますが、その思いを知っていくことができるんです。
求めてきました。探してきました。だから、自分を落としても落としてもそれでも、こうして、地獄の奥底の底のまだまだずっと底の底から這い上がってきたんです。ようやっと、ようやっと、念願だった出会いを果たせました。しっかりと心に感じ広げ育んでいく喜びと幸せの中にあります。
道が見えている、たった一本真っ直ぐに伸びていく道です。今世の肉は道しるべをいただきました。本当に嬉しかったです。道しるべが本物の道しるべが私の目の前にありました。その道しるべに沿ってというより、食らいついて学ばせていただきました。
ただただ嬉しい喜びの時間と空間の中で、私の中はどんなに喜んでいたことか。宇宙が宇宙が本当に闇黒の宇宙が帰れることを知ったから、もう私は何も望むことはありません。
ただ今世の肉を持って学ぶ時間を最大限活かして、そしてともに学んでいる250年後の私、宇宙とともに生きていきます。
1823) それぞれ自分の今世の閉めに向けて、時間を過ごしていきましょう。限りある肉の時間です。私達の時間は限りなく続いていきますが、肉の世界は違います。今世の肉を通して学ぶべきことは学び、肉という周辺の諸々は段々にシンプルにしていきましょう。
心ひとつで、思いを向けるということで、自分はどの方向に生きていくのかが決まるんです。肉、形の中にあっては、そのことが一切分かりません。心が大切だということはみんな否定しないと思いますが、心がどの程度、いいえ思うということがすべてなんだということなんて、肉、形の世界では到底納得できないでしょう。基準、基盤が違えばそうなんです。目に見えること、目に見えるものによって、生き方、思い方が違ってきて、それも千差万別でいいんだと理解しています。
真実の波動の世界は、千差万別の生き方、思い方があっていいという世界ではありません。真実はたったひとつです。たったひとつの真実の世界を心で分かる道しか喜びの道はありませんが、それだけに大変厳しい険しいです。肉に生きてきた私達には、大変厳しい険しい道だけれど、もう方向転換をしていく時期が来ています。自分の中に目覚めを呼び起こしていきましょう。1824) 心に届けてくれた波動の世界。心に届いた波動の世界。幸せな人生です。
学びに触れた人達、みんなそう感じておられるでしょう。と私は思っています。それぞれ日々の生活では色々とあるでしょう。ですが、やはり、私達、学びに触れた私達には、思う喜びと思える喜びという力強い味方があります。どんなに間違ってきても、どんなに苦しい中を生きてきたとしても、今こうして思えるんだ、田池留吉を、お母さんを、温もりの自分を思えるんだ、それはそれは本当にすごいことです。そう実感されていると思います。私は実感しています。
どうぞ、目を閉じて思いをしっかりと向けていきましょう。心の奥底から沸き起こってくる心の叫びをしっかりと受け止めていきましょう。
帰りたい、帰りたい、温もりの中へ、母の中へ、ただただその思いだけで何度も何度も生まれてきたんだと、しっかりと心に感じてください。そして今世を境に自分の生きていく方向を変えていきましょう。自分の中の愛をただひたすら信じていく方向に自分を向けていってください。
1825) 瞑想は喜びです。瞑想はただ嬉しいだけです。アルバートと呼べることが現実となっている今、本当に嬉しい、幸せです。
アルバートと出会いたかった。アルバートの波動と出会いたかった。実現できたこと、ただただ幸せです。肉の喜びと幸せ、ほんの薄っぺらなものでした。
アルバートの波動が私の中を貫通した衝撃を受け、私の中の宇宙はすごいことになっていました。帰ろう、帰ります、その叫び、歓喜の叫びはエネルギーとして確実に喜びの仕事をしていくとすでに心は受け取っています。250年後、再び肉を持って出会い、ともに仕事ができることを私はただただ嬉しく思っています。
田池留吉、アルバートと呼べる、思える喜びと幸せです。
波動を伝えてくれました。波動を受け取りました。繰り返し今再現できることを通し、ともに生きている証しを瞑想の中で感じています。
だから瞑想は喜び。瞑想はただ嬉しいだけです。
1826) 「ともに瞑想会」の復活にあたり、動いてくださる学びの友に感謝です。
年明け早々の1月13日開催予定の瞑想会は、セミナーホールの他に音楽室も借りてということになっているようです。当日の通信状態によって状況は変わると思いますが、ぶっつけ本番で二部屋同時進行を試みます。近場の人でご都合がつく方は、参加申し込みをしてください。150人前後の方が当日に集まるとしたら、その交通整理が大変ですが、お互い気持ちよく学んでまいりましょう。
目指すは、田池留吉、アルバートの世界。ともに行きましょう、ともに生きていきましょうと、たくさんの宇宙達とともに思いを向けられる時間と空間を共有できることに、ただただ喜びを感じます。
肉は愚か。愚かな肉を携えて、真実の波動の世界を極めていく厳しさとともに喜びを感じてまいりましょう。
待っているんです。あなたの中の闇黒の宇宙が待っています。伝えてください。私達は帰れることを。あのふるさと、母なる宇宙へ帰れることをしっかりと、しっかりと肉を持っているあなたがあなたに伝えてください。
1827) 嬉しいですよね。自分の中へ帰れることを知った心に、間違い続けてきた自分が次から次へと顔を出します。肉に塗れ肉に溺れてきたなれの果てを、心で感じられることが、それが喜びなんです。
愛の中にあるからこそ、どんどん出てくるんです。それが心で分かるという学びに、今世の肉を通して触れさせていただいているんです。
こんな幸せなことはありません。愛を心の中の愛をしっかりと確認してください、さらにさらに深めていくんですよと、それぞれに現象が用意されています。
地球上におけるこれまでの転生の時間からすると、あと残された時間はごくごく僅かとなりました。今世、最終のお勉強に向けて予習をできる限りやっていきましょう。もちろん、それは自分と自分の学びです。本物の自分と偽物の自分の中で学んでいける喜びを味わってください。
250年後の最終のお勉強に向けての布石はすでに打たれています。舞台設定はすでに整えられていますので、あとは、喜んで喜んでその幕開けを待てばいいんです。それには、それなりの準備を滞りなく進めていくことが必要ですが、それを淡々とやっていけばそれでいいことです。
同時期に肉を持たせていただき、学びに触れたそれぞれの予定、計画を喜んでいってください。
1828) それぞれが自分で決めてきた真実への道のルートがあります。真っ暗闇の中から這い上がってきたという事実は共通しています。ただし、本当にその真っ暗闇から抜け出していけるかどうかは、それぞれが決めていきます。
すべてに公平、平等に自分を変えていく機会を自分に用意しています。その機会を活かしていけるかどうかは、やはり、なぜ自分は生まれてきたのか、何をするために今があるのかを心の底から分かってくるということに係っていると思います。
心から切望してきたことに、どれだけ真摯に真正面から応えていけるか、結局は生まれてきた本当の意味が心で分からなければということに尽きます。千載一遇の学びが従来の他力信仰の延長線上にあるなんて、本当にとんでもないことです、
どうぞ、学びの動機をしっかりと見つめ直し、自分の切なる思いと真正面から向き合ってください。
誰彼の問題ではありません。あなたの問題です。あなたが真実の波動に目覚めていけば、それだけ宇宙が変わっていくということをお忘れなく。宇宙が変わっていけば、どんなにすごいことなのか、これからの時を経て知っていくことになります。
1829) 学びに上も下もありません。学びはいわゆるピラミッドではありません。頂点など存在しません。ただ、UTAの輪、輪があります。輪の中心は愛です。その輪には軌道があります。その輪を仮に上から見れば、どこまでも限りなく広がっています。仮に横から見れば、上下なく水平です。
また、UTAの輪の中心から近い輪の軌道、遠い輪の軌道があります。
仮にと言いました。形の世界から表現すれば、上とか横とかになりますが、意識の世界、波動の世界だから、もちろん上とか横の感覚はありません。
輪の中心から遠い軌道でもいいんです。同心円上の軌道であるかどうかが問題です。中心から伸びる輪の軌道から外れることのないようにとだけお伝えします。
その前に中心から伸びる輪の軌道に乗っているかどうかをきちんと検証していくことが学びの歩みです。
そして、言うまでもなく、みんな輪の中心に向かって学びの歩みを進めていきましょうということです。
UTAの輪の軌道から外れて、真実の道を行く、真実の世界に帰っていくことは絶対にありません。
1830) 頑張らなくても気張らなくても、淡々と学んでいけばいい。ただし、自己流は効果なしで、やはりそこに素直さというか、真摯さというか、真っ直ぐというか、そういうことは絶対条件でしょう。
素直ということひとつを取ってみても、なかなか難しいです。表面上は素直に見えても、中に岩盤があるはずです。特に私達は地に落ちてきた意識なんです。地に落ちてきた意識というのは、言い方を変えれば、神、仏、宇宙のパワーの存在をいかにも知ったように感じたように語り、伝え、人を導くことをよしとした、人の心を救うことを崇高なものとした生き方をしてきた、そんな転生が数え切れないほどあるということです。
巫女として生きてきた転生かそれを如実に物語っています。
その心癖を引きずったまま、今、それぞれが生活をしていると言っても決して言い過ぎではないとお伝えしています。
巫女、それも卑弥呼になりたくて、頑張ってきたんです。気張ってきたんです。どんな転生でもそうでした。頂点を目指して生きていくことが素晴らしい、それを自分の生きる糧、存在意義としてとらえてきた心を、どなたもみんなしっかりと見て確認して、それがどんなにおぞましい波動を垂れ流してきたかを愛である自分に詫びてください。
愛である自分が待ってくれています。全部を託していける広がり、温もり、安らぎ、そんな世界の中にただあることを感じられる瞑想をしてみてください。
1831) 生き方は単純でいい、シンプルが一番です。複雑怪奇は御免です。学びについて、はい、いいえの意思表示も明確に。何を考えているのか、思っているのか、思慮深いということかもしれませんが、学びについて下らない頭でこねくり回しても、中は全く納得しないでしょう。そんな暇があるなら、私達の思いを聞いてというところだと思います。
ひとつの肉、形を自分だとしてきた愚かさを、日々の中でどんどん感じていきましょう。肉がどんなに満たされても、中の数知れない自分は満たされない、だから肉はどんどん暴走してしまう、中の凄まじいエネルギーに肉は操られていく、そういうことだったんです。
自分の中に思いを向けるということが、どんなに優しいことなのか、外に思いを向けて生きてきた肉の人間には、到底分からないことでした。
自分しか存在しない、自分は自分の世界でのみ生きているんだ、ここをしっかりと学んでいきましょう。
住む世界が違うという表現がありますが、同じものを見て聞いても、心の針の向け先で格段の違いがあることを知りましょう。格段の違い、いいえ、次元が違うということです。肉の次元から意識の次元を推し量ることは絶対に不可能です。それが分からずに、頭でっかちの人間が殆どです。そのエネルギーが自らを破壊していくことなど想像もできないでしょう。あとは、現実だと思っている形の世界の総崩れという現象を待つしかありません。1832) 日本列島、揺れています。今の揺れなど大したことはありません。断層の有無も関係なし。日本列島、至る所で揺れる、亀裂が入り、そして、あとは海の底というシナリオです。もちろん、日本列島だけではありません。底で繋がっていますから、あちらで揺れれば、こちらも揺れる、沈むところもあれば、浮き上がってくるところもある、とにかく、世界地図は大きな変わりようです。
その中で、三次元最終のお勉強が始まります。肉を持つ意識、持たない意識、宇宙総出で、意識の流れを遂行していきます。
全く頭の理解は必要なしです。ただ、それぞれの心に届く波動が伝えてくれています。しっかりと心を向けてください、愛である自分にしっかりと心を向けて、そしてともに生きていきましょう、そんな呼び掛け、いざない、それぞれの心に届いていきます。いいえ、もうすでに届いているんです。一足早く受け取るという計画もあるし、まだまだだという計画もあるでしょう。そんなことは些細なことです。それぞれの計画、予定を着実に遂行していけば何も問題はありません。喜んで喜んで心をひとつにして、ともに今世の学びをまずは進めてまいりましょう。
1833) 自分が肉を持って生活をしている場所が仮に沈んでいっても、自分の心、意識の世界は沈み込むことのないように、日々、学んでいきましょう。
もう真っ暗闇の中へ沈み込んでいく生き方は、今世を限りに方向を転換してください。濁流の中から顔を出し、息をつき、そして意識の流れにしっかりと乗っていく生き方、存在の仕方を学び取っていきましょう。
自分に用意したチャンスを活かし、本当の喜びと幸せの道を確立してください。肉、形の中に真実はありません。肉、形を持たない私達とって、いったい何が本当のことなのか、どんなに探し求めても行き当たらなかった数々の転生から学び、自分を本当の自分を取り戻していきましょう。
苦しい転生でした。辛い哀しい転生でした。それでも自分に何度もチャンスを用意してきたその心、その思いをしっかりと受け取っていける人間に蘇っていくことで、数知れない真っ暗な転生もまた明るい方向へ出ていけるのです。長い真っ暗なトンネルの出口をそれぞれの心で見つけてください。
1834) 今日からセミナーです。また嬉しい学びの時間と空間を共有できます。ただただ幸せだと思います。どんなにしても分からなかったことが、ようやく今世の肉を通して明らかになるというシナリオをそれぞれ自分に用意しています。あの人、この人、肉は色々とあるけれど、本当のことが知りたくて、本当の自分と出会いたくて、こうして今、肉を持って学びに繋がっているという幸せを味わってください。見るのは自分の心です。自分の流すエネルギー、瞬間的に噴き出していく凄まじいエネルギーを確認してください。確認して、そして、そのエネルギーを反転です。その作業を死ぬまで淡々と喜んでしてまいりましょう。
肉を自分に持たせた真の意味を心にしっかりと感じておられると思います。何をするために生まれてきたのか、これまでの転生があったのか、心で本当に分かってくると、こんな恵まれた幸せな存在はないということが自ずと心に響いてきます。それでも肉は愚かだから、間違いを繰り返していくけれど、その中でやはり中の自分の思いに素直に生きていこうと思える日がどなたにも必ずやってきます。それはそう遠くないでしょう。
意識の流れは粛々として仕事を遂行しているからです。厳然としてあるその流れに全託する喜びと幸せをどなたも心で味わい尽くしてください。1835) ふるさとへ帰る、母なる宇宙へ帰る、その道筋をしっかりと心に見極めた今、どんなに間違った世界を広げてきたかを感じられることがただただ喜びです。苦しい、苦しい、なにくそ、なにくそと自分が作った闇と独り相撲をしてきた愚かな自分をしっかりと感じ受け止め、そしてそんな自分に生きていく正しい方向を伝えることができる、こんな幸せな時をいただいている私達です。
幸せ者です。自分が垂れ流してきた闇の大きさ、深さを思えば、こんな私を私は待ってくれていたということが、もうそれがすでに喜びでした。
瞑想をしましょう。ただひたすら田池留吉、アルバートを思う瞑想をしていきましょう。言葉など要らない。思えば通じる世界に元々あったことを心に感じれば、もうこんな喜びと幸せはありません。
「ありがとう、ありがとう、本当に出会いをありがとう、出会っていただいてありがとう。」私達のほうから流す思いなのに、田池留吉の意識の世界は、そう伝えてくれました。それはそれはすごいことでした。
1836) またひとつ、セミナー、学びの友とともに学ぶ時間と空間を通過しました。あなたの肉を通して私はセミナーをしますという田池留吉の意識の世界からのメッセージを、セミナーを最初に進行させていただくようになった2015年3月に受信し、とりわけ田池先生の肉がなくなった後には、肉は愚かですから、幾度もそれを確認しながらやっています。意識の私の世界は、一度受信すれば、それで「はい」なんですが、何せ肉は下らないから、ついつい、幾度も聞いてしまいます。
おしなべて、肉の程度はその程度です。お粗末です。そんなお粗末な肉を携えてのお勉強ということだから、やはり細心の注意を払って、どなたも、それぞれ自分の学びの歩みを進めていくことが何よりも大切だと感じます。
せっかくの自分の計画を、下らない肉の思いで自ら頓挫しないように、今世の予定は今世で無事終了とお互いいきましょう。
1837) 私は恵まれています。物質的に何の不自由もなく、そして私の周りにいる学びの友にも恵まれています。学びの環境は申し分なく整えられています。
あとは私の心次第です。次元移行に至る歩みを着実に進んでいけるか、私の心次第です。すでに打たれている布石通りに歩んでいけばいいことで、何の問題もなく難しいことはないけれど、心の針の向け先の管理を怠らずに、という自分からのメッセージを肝に銘じています。
250年後の出会い、そして発信という仕事を計画通りに遂行していくために、細心の注意を払うということを、日々の瞑想の中で確認しています。
万が一、道を外せば、私にはもう永遠に自分を浮き上がらせることはないでしょう。それほど急傾斜の学びの途上です。厳しい、険しいけれど、それだけに喜びもまた計り知れないものがあります。
愚かな肉を携えての学びの時間です。慎重に慎重に、そしていい意味で気を引き締めて学ぶことが何よりも大切だと伝えてもらっています。1838) 喜んで楽しんで、今、自分を学べる時を過ごしていきましょう。どんなむごたらしい自分の世界であってもいいんです。それをはっきりと心に感じられることが喜びです。そしてそのむごたらしいおぞましい自分の世界に、待っていてくれているからもう帰ろう、素直になってもう帰ろう、あそこへ帰ろう、優しい優しい思いで伝えていけるなら、こんな幸せで喜びの時はないでしょう。
どんなに真っ暗闇の中に、冷たく閉ざされた中に自分を閉じ込めてきたかということを、死後の自分を思う瞑想の中で、今まず確認してください。
そして閉塞感、重圧感のある自分の世界にほんの少しでも、隙間を灯りを見出してください。温もりの中に生きていた、そこは開け放たれている、少しでもいいから、そんな世界が本当の自分の世界なんだと、今世心で知ったならば、本当に幸せだと思います。
今世、予定通りアマテラスの国日本に肉を持ちました。大和は、国のまほろば・・・という歌が好きで、学びに集う前から、二上山を眺めながら山の辺の道を幾度も歩いていたということは、こういうことだったんだと納得です。そして、予定通り、田池留吉、アルバートの波動の世界との出会いを果たし、次元移行という意識の流れを確認させていただきました。
日本の国から始まった学びは、アメリカの地で三次元の集大成を迎えます。
ニュージャージー、ハドソン川、黒人、貧困、そしてアルバート、これが私の250年後の来世のキーワードです。皆さんもそれぞれにあると思います。ようやく、ここまで漕ぎつけたんだ、日本の国へ向けて、そしてアメリカに向けて、さらには地球に向けてありがとうしかありません。
1839) 意識の流れを思うともう嬉しくてありがたくて、本当に何と幸せなことかと思います。こうして、今肉を持って宇宙を思える、宇宙に思いを馳せる時間がある、それはそれはすごいことでした。
帰りたい、何度そう願ってきたことでしょうか。ようやくそれが現実のものとして自分の中に響いてくる幸せと喜びを感じて、肉がどんなに愚かであっても、肉があればこそ感じられることだったと感慨深いものがあります。
アルバートの波動と出会いたかったという心の叫びは、宇宙を呼びたかった、宇宙に心を向けたかった、闇黒の宇宙を作り続けてきた心に、温もりを喜びを安らぎを伝えたかった、その切なる思いでした。今世の肉を通して、それを実現できたことが私の愛へ帰る第一歩でした。
田池留吉というひとつの肉を通して、そして私の肉を通して私はアルバートの波動と出会えました。宇宙を思うことがただただ、ただただ嬉しいです。アルバートと発することがただただ、ただただ嬉しいです。
1840) 今世、学びに触れた人達、一人でも多くの方と250年後の最終時期に出会いたい、そして、ともに喜びを共有したい、そう思います。
250年、300年に至る時間にはどなたも厳しい転生が用意されています。本当の自分に出会うために自分自身が用意しています。厳しい転生を経て、だからこそ、心に響き伝わってくる懐かしい、懐かしい思いがある瞬間一気に噴き出してくるのです。
私は知っている、知っている、ここを私は知っている、会いたかった、会いたかった、心から一斉に叫び出す不思議で嬉しい驚きの出会いです。
ともに帰ろう、ともに行こう、もうそこには誰彼はありません。ただ心と心が呼応し合う喜びの渦の中にあることを感じます。
こうお伝えしても、信じる、信じない、信じられる、信じられないと、学びに触れていてもまだまだ色々とあると思います。要は自分の中に響いてこなければということになります。
ただ、250年後、そして次元移行という意識の流れは決して絵空事ではないことだけは、学びに触れた以上、そうだろうなあという程度であっても、分かっていただけたら、そしてその方向に今世の生き方を少しでも修正していこうと実践を始められたらいいなあと思っています。
1841) 全く予定通りとはいえ、今世学びに繋がったことを本当に嬉しく思います。次元移行という意識の流れを心に感じて、本当に宇宙に母なる宇宙へ帰れるんだという喜びと幸せを知りました。
くそ田池をどれだけその肉に向かって吐き出したか、噴き上げてくる死にさらせ、目障りだのエネルギー、すごいすごい体験でした。身体全体で自分の流してきたエネルギーを色々な形で体験させていただいたあの現象の時間が私にはすべてでした。そこに田池留吉の意識の世界を伝えてくれる肉が目の前にあったからこそ、思いっきり吐き出すことができました。
あの体験をもう一度、もう一度味わえる来世、本当にありがたい幸せ者です。そこから今世の学習がありますから、一気に発信します。
すごい時間と空間を用意している自分に鳥肌が立ちます。
1842) 学び一本に自分の肉を持つ時間、つまり人生をそこに集中させる、ある程度の年齢になれば、そういう方向に自分を進めていきましょう。
まだまだ若い、体力気力まだまだある、それはそうかもしれません。そのまだまだ若い、体力気力まだまだある余裕の時に、本気になって自分の本当の意味での行く末を真剣に思ってください。
肉の維持にある程度のお金は必要ですが、それ以上にお金に向ける思いがあるならば、その思いを弱めていきましょう。金に縛られる人生、最低最悪です。お金では幸せにはなれないと思いつつ、金、金行進曲、殆どの人が流しています。ここにある財産は私の物、それはそうでしょうが、その思いを弱め、軽くしていければいいと思いませんか。
お金にしろ、その他のことにしろ、何でもそうだと思いますが、持っていてもそこに執着がなければ、心は軽い。持てなくて心が重いのと、持っていて心が重いのと、両方ありますが、どちらにしても心を軽くする方向に生きていきましょう。持てる、持てない、持っている、持っていないは形の世界のお話です。形の世界に生きていない私達が元々持っているものだけを信じて大切にしていきましょう。尤も、形の世界に生きていると信じて疑わない人にとっては、このことはチンプンカンプンです。分からないものは分からない、当然です。生きていく方向は全部自分で決めていきます。そして、すべてにおいて公平、平等だから、自分で決めた生き方の結果は自分で受けていきます。
1843) UTAブックさんのホームページの中、あずけーる、読者投稿のコーナーに、Aさん、Bさん、Cさん、Dさん、Eさん、Gさんのそれぞれの反省文が掲載されています。読んでいただいていますか。
お声掛けをして作業を始めていただきました。誰彼の思いの世界でなく、あなたの意識の世界です。参考にしてください。
また、お声掛けをした方達にプレッシャーをかけるつもりではないのですが、この機会にさらにご自分の心の奥底を文字という形にしてみてください。長文は要りません。瞑想をして心に感じる波動の世界を文字にしてみてください。お声掛けしたのは、決して思いつきや偶然ではありません。
更新されるのを楽しみにしています。
1844) この世にはいい人など存在しません。肉的には確かにいい人はいるでしょう。けれど、心、意識の世界は真っ暗闇です。肉を持ってくるということはそういうことです。例外はただの一人もありません。
真っ暗闇の意識が肉を持って、真っ暗闇の自分を知っていく、知って真っ暗闇の自分に本当のことを伝えていく、今世学びに繋がった人達は、その喜びを自分の心で納得されていると思います。
自分の真っ暗闇を心で知ることがどんなにすごいことなのか、それを温もりへ喜びへ反転していけると知ることがどんなにすごいことなのか、学びの醍醐味です。学びを進めていくと真っ暗闇の質の変換が起きるんです。これもまたそれぞれ心で感じておられると思いますが、次元移行を達成するエネルギーは半端ではありません。
宇宙を汚しまくってきたエネルギーが宇宙へ母なる宇宙へ帰ろうとしているんです。それは半端なエネルギーで完遂できるものではありません。あなたは、宇宙を汚しまくってきたエネルギーが、次元移行を達成する原動力になると本当に感じていますか。
肉を満たす、肉を現す、肉を認めさせる等々、そんな肉の次元のちっぽけな世界に留まらず、宇宙に思いを馳せてください。
そうすれば、これから肉を持つ時間はそんなに多くを必要としないことが分かります。
肉、形を持って自分の流してきたエネルギーの凄まじさを心で知り、そのエネルギーの質の変換を遂行してただ一点を目指す、それが三次元最終のお勉強です。250年、300年に至る時間、ともに学びましょう。1845) どんなに愚劣な自分がここにあっても、今ここにあることが嬉しい。ここにあることが幸せです。思えるからです。ふうっと思いを馳せることを知っているからです。肉、形の世界には何もありませんでした。求めてきたものは全部自分を裏切りました。自分を自分で裏切り続けてきたことを、今の肉を持って感じ始めた今世の学びでした。こんな幸せで喜びはありません。
帰れる、帰れる、やっとやっと帰れる道に出会った、その道を今私は歩いている。ときには揺れながらも、それでも歩みは確実に前へ、前へという力強い思いが本当に嬉しいです。
念願でした。心から切望してきたことでした。宇宙へ、母なる宇宙へ帰りたい、帰ろう、帰ります、帰れるんだ、この思いだけを引っ提げて、私は250年後に再び肉を自分に用意しています。
嬉しい。本当に嬉しい。地球よ、あなたにはお世話になりました。むごたらしいエネルギーを幾度も幾度も受け止めていただき、ようやく私は私に目覚めることができた今世の時間でした。
心からありがとう。私は帰ります。宇宙とともに母なる宇宙へ帰ります。1846) 難しいことなんて何もありません。むしろ、肉の世界は複雑怪奇でややこしくて難しい。非常に重たい。幸せと喜びを感じるのに、こんな重たい中を生きてきたのかと思います。それもつかの間の幸せと喜びで、永遠に続くものではなかったと、何度転生を繰り返しても、本当の幸せと喜びを知らずだから、そういうことが心の底から分かりませんでした。
その数々の転生を経て、今世は自分の心を見るという学びに触れました。一生懸命生きてきたと思っても、所詮は消えてなくなる幸せと喜びの世界だったと、自分の心で本当に分かっていけば、本来の進むべき道が見えてくるはずです。
重い肉、重い肉の思いを脱ぎ捨て、軽やかに軽やかに生きていく術を学ばせていただいています。
愛へ帰る、本当の自分に戻っていく、ようやく明確な目的を持って、これからの時を刻んでいける喜びの中にある私達です。
自分の中の真実をしっかりと学んでいきましょう。目指すはただ一点です。
1847) 学びの友からのメールです。一読ください。
心を縛る心癖
以前田池先生から頂いたメッセージを思い出した。
「ゆったりとしたあなたを思い、そのあなたに向けて、どんどん思いを語っていってください...‥、感じよう、そうするのではなく、ただゆったりと瞑想を続けていくこと、......」
ゆったりとした自分を思った。
まったく心を縛ることなくただ思いを広げた。何にもなく気持ちがよかった。
広い中に自分を委ねさせていく...、何にもない、こんな世界があったんだ。
今まで何をしてきたんやろうと思った。
こんな世界があったのに、何をあくせくやってきたんやろうか!? と思った。
ふっと思いが上がってきた。
「サイトパス」???
なんのこと? って、自分に聞いてみた。
「次元の違う世界...」このような感覚の思いが来た。
ふ~ん、...、この程度にしとこと思った。
まあ、これがどうのこうのというのはちょっと置いといて、自分に聞けばいいという実践を詰めたことが嬉しかった。自分の中はいつも語ってきてくれるんやなって、今まで少しも信じてなかった。でも、肉の思いの色々を外していけばこんなに簡単に自分と語っていくことが出来るんやなって思った。今まで反対やったと思った。頑張り、力み、分かりたい...いっぱいの肉の思いで自分を遮ってたんやな、反対、反対、反対やったって。
嬉しかったなあ、心を縛らずに瞑想をしてみた。何が語ってきてもよし、どんな瞑想になってもよし、そんなこともこんなことも何にも思わないで瞑想をする。言われた方向にただ思いを向けてみようとする。それだけ。後はお任せ。
ああ、心がとても楽なんです。何にもないので、心が楽。そして思いがストレートに伝わってくる。それをただ言葉や異語で語る。何にも伝わってこなくてもよし。ただ思いをそこから逸らさないようにしようとした。
巫女の時の自分の思いが伝わる。距離がなく、本当に今ともに存在しているという思いがした。ああ本当に今も生きてる。嬉しかった。一つだった。私たちは一つ、ともに存在していた。距離なんてなかった。ああこれが意識の世界なんだと思った。思いを向け、思いを語り、それだけでよかった。愛の中でそれが出来ることを喜んでいけばよいだけだった。
1848) 250年後の来世のキーワード、ニュージャージー、ハドソン川、黒人、貧困、そしてアルバート。反響が大きいと感じています。
日本からアメリカの地へ、学びの集大成に向けて意識の世界は、すでに動いています。舞台設定はもうすでに整えられており、時が来るのを待っているという感じです。
多宗教、多民族の国、区別差別が著しい国。そこで、社会の底辺から真実の波動の世界の発信というシナリオが待っています。真実の波動の世界から、再度肉を持って伝えにきてくれる、三次元最終のお勉強です。
シナリオ通り、今世の学習の結果を見事花咲かせ、そして新たなステージへと進んでいきます。
地球という星に別れを告げ、壮大な意識の流れの旅立ちです。このことは、自分の心に感じ響いてこなければ、到底信じられないことかもしれませんが、決して絵空事ではないとだけお伝えしたいと思います。
1849) 本当のことを心で知って生きていく人生と、そうでない人生、一人の人間としてそれぞれ同じように時間と空間を共有しているかのように見えても、実際は全く違います。学びに触れた私達には、それぞれの実体験を通して、そのことを心で知るチャンスが今あります。今のチャンスをしっかりと活かして、本当の人生を生き抜いていきましょう。心の針を自分の中に向けていくことを知らなければ、いつまでも無知なまま苦しみの奥底に沈んだままの状態です。
外に向く心を中に向ける。これを実践していくことが、唯一自分を明るい方向へいざなっていく方法です。
自分の中の本当の自分を知る。どんなに苦しみの中にあっても、本当の自分はずっとずっと私を支えてくれていた、待ってくれていた、そして今もただただ優しい思いで凛とした思いで、温もりへ喜びへ帰ってきなさいと迎え入れてくれている、心で知りましょう。心を中へ向けて、本当の自分の存在を知って、信じて信じて生きていきましょう。
1850) ゆるりとゆったりとした中に身を任せ、思う喜びと思える喜びを味わう、特に何をするでもなく、ただその喜びの時を重ねていく、幸せな人生の終わり方だと思います。
何も持たずに心ひとつで生まれてきたから、何も持たずに心ひとつで死んでいきましょう。
心ひとつで死んでいける準備を淡々としていきましょう。心の底から突き上がってくるありがとうの思いに触れていってください。
もうそれがすべてです。こんなにも待たれていた、こんなにも愛されていた、そしてこれからも待ってくれている、愛してくれている、決して見限りはしない、決して裏切りはしない、確たる思いを感じて感じていきましょう。
田池留吉と思うことが、アルバートと呼ぶことが、どんなに嬉しかったか、宇宙と思いを馳せる今がどんなに幸せか、あなたの心で感じ味わい尽くしてください。
1851) 形ある中に、私達は肉というひとつの形を持って生活をしています。
肉、形の世界は、区別差別の世界です。その中で、公平、平等を求めても叶いません。元々区別差別の中で自分を知るという設定だからです。区別差別を無くそう、それはできません。みんな平等、みんな公平、形ある世界では、そんなことがあるはずはありません。
では、そんな苦しい中に、なぜ自分達は生まれてきたのかということかもしれませんが、肉を持って初めて、自分の苦しみに出会えるのです。苦しみと表現していますが、本当の自分を忘れ捨て去った私達には、生活をしていく中で心に上がってくる思いはすべて苦しみでした。
辛い、悲しい、寂しい、不安、恐怖、妬み、執着、闘い、責め裁き等々、いわゆるマイナスのエネルギーだけが苦しみではありません。本当の自分を忘れ捨て去ったことが、苦しみの中に自分を沈めていったことを知りましょう。例え、今嬉しい、幸せ、ありがとうという満ち足りた生活があっても、思うは田池留吉一筋の道を自分の中に見出せなければ、それらの思いは、一瞬にして苦しみの真っ暗闇に埋没してしまいます。
肉を持たずでは、そういうこともああいうことも全くに分からず、真っ暗闇の奥底に沈んだ状態から、自分を浮き上がらせることは不可能です。
だから、肉というものを切望してきました。真っ暗闇から自分を救い出していきたい、心からそう願ってきました。それが私達です。
今更、くどくどとこんなことを書かなくてもいいのですが、それぞれ、今心を見るという瞑想を通して、自分の中の切なる思いにしっかりと触れて、自らの基盤を変えていく以外にないことを確認してください。
1852) 時来たれりをゆっくりと待つ。思うは田池留吉一筋の道を着実に喜んで歩みを進め、時来たれば、一気に心から喜びの雄叫びを放つ。
ということで、田池留吉の意識の世界がすでに打った布石通り生きていけば、それでよし。
想定内、想定外の出来事、全部引っくるめて、意識の流れが誰の目にも明らかになる時が到来します。形を見れば、阿鼻叫喚の構図です。
そこから何かが間違ってきたと気付いていく人もあれば、心を落とし真っ暗闇に沈んでいく人もあります。ふたつにひとつです。厳しい分かれ道が待ち構えているけれど、肉、形を本物とする思いから意識を本物とする思いに転回していくために、どなたも避けては通れない道です。一足早く、300年の猶予期間があると伝えていただいた私達です。信じる、信じないは別として、すでに賽は投げられたということです。心して今世を学び、終えてください、終えていきましょう。
1853) 学びの友からのメールです。一読ください。
毎日のホームページ本当にありがとうございます。すべての答えがそこにあります。肉で忙しかった時は流し読みが多く、目を通しても「ハイハイ、なんか今日も意識ベースの似たようなことが載っていた」と、読んだことで「今日の学びのノルマを一つ達成した」と片付けてしまっていました。本当にお粗末でした。今、少々ゆったりとした時間を持てるようになり、落ち着いて読み進める時間を持ってみると、すべての答えがそこに載っていると感じられます。肉でも意識ででもです。あとはそれをどこまで実践できるかどうか。自分次第です。
目を開けていると肉の濁流に自ら飛び込み、被害者の悲鳴をあげています。心の針を自分の中に向ける。すぐに忘れます。忘れてしまいます。簡単なようで本当に難しい。でもだからやっていきます。そのために生まれてきました。お母さんから肉をいただきました。今の肉、肉の時間があります。
夫と過ごす休みの日、穏やかでゆったりとした時間のはずだけど、何か心の疼きを感じ思いを中に向けてみました。のたうち回ってました。出してくれ、出してくれ、ここから出してくれ。自分自身を小さな箱の中に織の中に閉じ込めてました。被害者どころか、とんだ加害者です。
先日の瞑想会で『自分の中の岩盤に思いを向ける瞑想』がありました。何が出てくるのだろうと思ってやってみたら半狂乱の叫びでした。そして驚いたのは岩盤の下にも岩盤があるということ。そして肉に戻ったらその岩盤をまた塗り固めようとしている自分がいたのです。それも丁寧に丁寧に。「おいおい、何をやっているんだよ。」「えっ?穴が開いたから塞がないと」一瞬そんなやりとりがありました。岩盤を塗り固めようする自分にはまったく悪気がないのです。それどころか良かれと思ってやっている。ヤバい、ヤバい。良かれのエネルギーはプラスじゃない。マイナスのエネルギー。肉の母が今世体を張って伝えてくれた、最大のキーポイント。再確認です。
良かれと思ってやっていたんです。卑弥呼という頂点を目指すのも、真っ黒をな自分を押し隠すために岩盤を塗り固めるのも。肉が基盤だったから間違ったことをしているつもりなんて一つもない。良きこと、素晴らしきこと、生きていくためには必要なことだと思って全精力を注ぎこんで一生懸命にやっていました。結果苦しいと悲鳴をあげていました。被害者の悲鳴をあげていました。でも私は被害者ではありませんでした。私は加害者でした。
以前からこうして反省文を打っていると被害者と加害者という構図、単語がよく出てきます。私の心の中は裁判所だったのかもしれません。それで秩序を保っていたように思います。さしづめ学んでいる私は裁判官といったところでしょうか。苦しんできた過去からの叫びという意識の被害者、良かれと思って間違いを犯してきた肉の加害者を、学びという法でジャッチしていた。判決を下していた。上から目線で温もりなどありませんでした。正しいか正しくないか。それは基準を意識にしても同じでした。田池留吉を基準にして正しいか正しくないか。自分の中をジャッチしていました。判決を判断を下していました。判決は「田池留吉に向けるしかない。反転をするしかない」。答えは合っているけど冷たかった。
先日のzoom青年会の最後の瞑想かなんかで、250年後アルバートとともに学んでいる自分に思いを向ける瞑想みたいのがあって、「待ってますよ」という思いが伝わってきて号泣しました。待ってくれている。
愚かでどうしようもない、やっているつもりで全然出来てない勘違いばかりの学びをしている自分だけど、待ってくれている。やっていこう。やっていきます。嬉しい力強い思いになれました。
「時は来たれりをゆっくりと待つ」から始まり「すでに賽は投げられたということです。心して今世を学び、終えてください。終えてきましょう。」の今日のホームページ。肉の理不尽なことも(←まだ根に持ってる)すべてひっくるめて、腹を据えて覚悟を決めて学んでいく必要性を感じました。そして肉の事はほどほどに。今までの私にとっての命懸けは奔走することでした。これからは命懸けでゆったりとしてまいります。今できつつあるゆったりとした時間を無駄にすることなく大切に学んでまいります。
ありがとうございました。
1854) 「ともに瞑想会」、肩に力を入れてよしやろうという思いはありませんが、何かやはり嬉しいです。慣れ親しんだ場所ということもあると思います。
大阪、上町台地、ふうっと思いを向ければ私には何とも言えない思いが感じられます。肉的な表現で申し訳ありませんが、ただ単にそれだけではないように思えます。
それはさておき、学びの友と学べる時間と空間がありがたいです。そのような時間と空間を設定いただき、感謝です。ともに田池留吉を思える、アルバートを思える、そして宇宙に思いを馳せることができる、幸せな時間と空間です。
誰がというわけではありません。みんなとともに帰ろう、待っている、宇宙、私達の友が待っている、だからあなたもあなたも心を向けてみよう、そんな思いです。肉を見れば、それぞれに環境、事情があります。言い分もあります。しかし、それは真実の波動の世界の前には本当にちっぽけなものです。なかなか一気に自分の世界から飛び出すことは難しいかもしれませんが、私達の目指すところはたったひとつです。
愛へ帰ろう。ふるさと、母なる宇宙へ帰ろう、その呼び掛けに、いざないに真摯に喜びで応えていきましょう。
1855) アメリカに在住の方達と少々瞑想をする時間を持たせていただきました。距離的、経済的その他の理由で日本でのセミナー参加は難しいけれど、お互い定期的にZOOMを使って瞑想をされているということなので、ぜひ継続してください。私もまた参加させていただきます。現地でともに瞑想をということになればいいんですけれど、今のところその予定はありません。確かに、三次元最終のお勉強の地は、アメリカ、ニュージャージーということですが、だからと言って何が何でもアメリカへ行かなければという思いは、正直私の中で弱いです。
一番の理由は、そんなことをしなくても、意識の世界、250年後の私はアメリカにすでに先行している感覚があり、思うだけでいいという思いがあるからです。すでに田池留吉の肉とともにアメリカセミナーを体験し、その時点で意識の世界の交信はなされていると思っているからです。
まず意識の世界からはそのような理由で、それが私のアメリカ行きの思いを弱めているベースとなっています。
そこに、肉の思いとして、足の不具合から身体の動きが緩慢だという現状が乗っかっています。
今現時点では、このような思いでいますが、身体の動きがもう少し改善されれば分かりません。やはり行きたい、ハドソン川のほとりを散策したい、そんな思いに駆られます。ハドソン川を実際に見て、空気を感じて、今世の肉とともに来世の私が瞑想をする、肉の思いですが、そんな時間と空間を持てるならそれもまた嬉しいです。もちろん、なくても思いの世界は250年後も同居していますから、無理はしません。1856) みんなとともに、たったひとつの方向を目指して生きていける、そんな嬉しい楽しい喜びの中にいます。もちろんそこに至るまで、それぞれに厳しい険しい道のりがあります。心を外に向けていては脱落していきます。自らを苦しみの奥底に落としていく危険性はまだまだ多々あります。
ですが、喜びも計り知れない。いいえ、これからの300年はすごいすごい展開になっていきます。どうぞ、意識の流れにしっかりと乗って、250年後に標準を合わせて、ともにともに生きていける喜びを確実なものとしてください。
間違い続けてきた、狂い続けてきた、今もその間違いを狂いをやり続けている私達ですが、それでもこうして自分に目覚める、真実の波動の中にある自分達だったと知る、そんな絶好のチャンスを自ら用意しました。
ただただ、ただただ嬉しいです。狂いに狂い、間違い続けてきた、苦しみの奥底の底のまだまだずっと奥底から這い上がってきた意識にとって、本当に今世は千載一遇のチャンスでした。千載一遇のチャンスです。もう二度と、私の前には現れない、そんな思いで、今までも学んできましたし、これからもその心意気で学んでいきます。
道がようやく見え、確定している喜びと幸せ、何にも変えられません。
1857) 自分にとって何が一番大切なのか、それぞれの時間の中で起こってくる色々な現象から自分に問いかけてくるでしょう。
現象を収拾させることだけにエネルギーを消費することは程々にして、あとは自分の中に思いを向ける時間を持ちましょう。
今、心を見るという学びに触れている私達には、それが何よりも大切であり、そうすることによってしか自分は救われない、自分に明るい兆しは見えてこないことが、ひしひしと伝わってくるでしょう。
何のために生まれてきたのか。何をするために今があるのか、この肉があるのか。世の中の流れ、その濁流を見事泳ぎ切ることが決して喜び、幸せの人生ではないと、今世、しっかりと自分に言い聞かせてください。
今世を自分の転換期にして、長い長い真っ暗闇のトンネルをもう抜け出していきましょう。肉を本物として生きていく人生では、真っ暗闇のトンネルの出口は見出せません。死んで終わりではないことを、肉を持っている今、心で知ってください。知っていけることによって、道は開けていきます。
1858) 今日、第一回の「ともに瞑想会」が無事終了しました。UTAブックさんそして多くの方のご協力に感謝です。ともに学ぶ友がいる、最高に幸せだと思いました。もちろん、私達には肉を持たないたくさんのたくさんの宇宙の友がいます。みんな心をひとつにして、あのふるさと、懐かしい懐かしいあそこへ帰ろう、待ってくれている、待ってくれていると、互いに思いを交わす喜びを感じてみてください。
どんなにすさまじいおぞましいエネルギーを吐き出しても大丈夫。田池留吉、アルバートの波動の中だから、何の不安も恐怖もありません。心を開いて思いの丈を語ってください。ただし、出しっぱなしではいけません。どんどん自分の中の温もり、喜びで吸収してあげてください。喜んで喜んで出して、そして喜んで喜んで吸収していくんです。
ともに瞑想できることが嬉しいです。ともに田池留吉、アルバートを思えることが嬉しいです。母なる宇宙を思い、帰る道を心にしっかりと見てください。「ともに瞑想会」、ありがとうございました。
1859) 男も女もそして年齢に関係はありません。ただ自分の生まれてきた意味、訳を心で知り、本当の自分が指し示す方向に心の針を向けて合わせて、間違ってきたたくさんの自分とともに生きていくことが喜びだと知っているか、心で分かっているか、それだけです。
金で幸せになれません。神は言うまでもありません。散々苦い体験、苦しい体験を重ねてきたはずです。結果、心に残ったものは何ですか。
呪いと恨みを募らせ、どうしようもない空しくて寂しくて重苦しい中に自分を閉じ込めてきたんです。
どんなにしてもここから抜け出すことはできない絶望感が何度自分を襲ったでしょうか。肉にかまけている間は、そういうことも全く感じられないけれど、肉体を離せば、それはもろに自分に覆いかぶさってきます。
お母さんなんて、田池留吉なんてとてもとても呼べる、思える状態ではありません。厳しい現実を今、肉を持っている今、心に感じ、肉を本物として生きてきたはるかはるか聳え立ってきた自分と真向かいになってください。
それがたったひとつの愛です。愛だからこそ、むごたらしい自分の世界と向き合うんですよという本当の自分からのメッセージを、自分に発しているんです。ありがたくありがたく受け止められる人間に蘇っていきましょう。
1860) 数日前の瞑想で、唐突に「私は核です。」と上がってきました。
田池留吉の意識が肉を持っている時に、そう伝えていただきました。当時も今もそうですが、それがどういう意味であるのか、私は頭でごちゃごちゃ考えていません。そんなことをしてもどうなるものではないし、いいえかえってそれは自分に対して、意識の世界に対して愚劣な行為だと感じてきました。
ですが、核だと伝えていただいたのは事実です。この事実をしっかりと受け止めていこうと思うだけです。
さて、それはそれとして、私もあなたも真っ黒、真っ黒です。温もりに徹底抗戦してきました。三次元にやってきたのはいいけれど、全く何も変わらずに今の今まで転生を繰り返してきました。
今、私は今世の閉めに向けて、自らの瞬間に出る凄まじいエネルギーを確認させていただいています。肉の母は私の協力者です。年老いた母です。肉的には何とも申し訳ありませんが、瞬間出るエネルギーが痛快です。たまらない快感です。それで暗くなることはありません。こうして私はすべてを闇の中に突き落としてきた、切り捨ててきたことを確認しています。そして突き落とし、切り捨てたのは相手ではなく自分だったことも確認しています。ありがたいことに、母も自ら作ってきたアマテラスの世界が強固です。少々火花を散らしても、腕に止まった蚊をパチッと叩いて、あとは何食わぬ顔をして、次の会話をしているという感じなので、助かっています。私とのやり取りで、母の心に起こった大波小波は母のものです。私も同様です。何だ、それは母の反省が不十分なだけじゃないかということかもしれませんが、私自身そう思っていません。私は母の温もり、自分の中の温もり、喜びの世界を知っています。だから、確認作業をしっかりとして、そして現状把握をしっかりとして、エネルギーの質の変換を進めていく作業に支障はありません。
250年後の本番を残すのみということなので、今世の閉めに向けてのお勉強は私にとって非常に大切な学びの時間です。エネルギーの質の変換にひたすら努め、時来たれば一気に噴き出していく喜びのシナリオが待っています。
意識の流れが伝える次元移行を遂行するためには、大きな大きなエネルギーが必要です。真っ黒、真っ黒でいいんです。ですが、そのエネルギーの質の変換をどうぞ、あなたもしっかりとやってください。
どんなに真っ黒であっても、愛へ帰る、本当のことを知る、その思いが桁外れに強いから、こうして田池留吉の意識の世界を学ぶ機会を自ら用意してきたという確認をそれぞれの心でしっかりとできるような学び方をしてください。
2019年、令和元年、亥年も今日で終了です。明けて2020年、令和2年、子年。時間は飛ぶように過ぎ去っていきます。
1861) 学びに触れて思う喜びと思える喜びを心で知ったから、それぞれの心に係っているとはいえ、やはりともに学んでいこう、ともに歩みをと呼び掛けます。他力の道を歩き続け、真っ黒を垂れ流してきたのはみんな同じです。
ただ、そこからどういうふうに自分の世界を転回していくか、正しい方向に、愛へ帰る道へ舵を切っていくか、その決意はいかほどかということです。
それぞれに肉、肉の環境、様々です。全部自分で選んできたこと、こういうシナリオで私は私を本当の私を知るために学んでいきますと決意してきたこと、それも固い固い決意であったこと、それぞれに心に思い起こしてください。
思い出そう約束と、ふるさとの歌通りに自分の駒を進めてください。
喜びで進めてください。そして、必ず、必ず、今世の学びを次の転生に、その次の転生に繋いでいって、本番の250年後の出会いを果たしてください。
1862) 2020年、年明け早々、学びの友とともに瞑想をする時間空間を用意していただき、感謝です。
久々にノートを広げペンを持ち、思いを書きました。
「あなた、今、幸せですか。」それにまず答えて、そこからなぜそう思うのか、つぶやいてくださいという時間を持ちました。
昨年の暮れには、「ともに瞑想会」の復活もあり、こういうことをきっかけにして、気持ち新たに学びを真剣に進めていこうと思える友もあるように聞いています。
肉は程々に楽しみ、しかし、思いは一本です。自分で決めてきた愛へ帰る道をしっかりと見つけてください。
ともに同じ方向を目指して突き進んでいく喜びと幸せの中で、肉も繋がりを持てたら、最高に幸せな人生です。思うは田池留吉一筋を知らずに、どんなに肉の繋がりを深めても、所詮空しい人生です。
激動の転生が待っています。今世、学べることを心から喜んで、精一杯自分を学んでまいりましょう。
1863) 思うは田池留吉です。思うは田池留吉一筋の生き方を自分は本当にしているか、確認、確認の日々をお過ごしください。
肉を持てば、やがてその肉を置いていく時がやってきます。その時まで、その瞬間まで、田池留吉を思う、自分が生まれてきた意味を心から知る、自分に肉を持たせた思いにありがとう、繰り返しそこへ戻っていきましょう。
肉のことは程々に。肉の喜びと幸せが本物の喜びと幸せになるように。
1864) 寝ても覚めても田池留吉一筋の道。それでもまだまだ不十分でしょう。それほど肉に塗れてきた私達です。肉、形を本物として生きてきた気の遠くなるような時間です。それを心に抱え肉から意識へ自分を転回していくのは、そんなに容易いことではありません。ここをしっかりと留め置いてください。それを踏まえて、少しでもほんの少しでも自分の歩みに、これからの時間に、明るい兆しが心に感じられたら、素直にただ素直に喜んでいきましょう。
たとえ、道遠し、道半ばであっても、愛へ帰る道、田池留吉一筋の道を生き抜いていく心意気で今世の学びを終えてください。他力の道を歩いてきた私達です。本当の自分を裏切る、捨てる中に生きてきた私達です。今世を疎かにしては、自分のこれからはないというところまで、しっかりと自分の中を確認してください。
厳しく、しかし、ゆったりと喜んで自分を知っていける時間をお過ごしください。「今世を自分の転換期にします。」自分との約束果たしてください。
1865) 今日からまた世の中は動き出します。東奔西走、泣き笑いのうちに、あっという間に時間が過ぎ去り年齢を重ねていきます。
自分はいったい何をするために生まれてきたのか、自分とはいったいどんな存在なのか、歩みをしばし留めて振り返る、思い起こす余裕もなければ、その術を知らない、そんな時をずっと過去から刻んできたんだなあと思います。目の前の出来事に一喜一憂して、それで店じまいだったのでしょう。
思いの向け先ひとつですべてが変わってくる意識の世界のすごさを、今の肉を通して学ぶという機会に恵まれました。
心から、心の奥底の底の底から突き上がり湧き起ってくる思いに触れ、確認して、それをしっかりと育んでいく時間を、今、肉を持っている今、自分に用意してきました。
今度こそ、今度こそという思いにようやく応えていける手ごたえを感じながら、思いを向ける瞑想の時間を大切にしています。心の針の向け先の確認、どなたも自己管理に努めてまいりましょう。
1866) 自分に用意してきた肉、環境、時間です。形ある中で、自分もまた形を持っているというその本当の意味、訳を心で知るということは、大変難しいことでした。180度違ったところから何もかも見直すことがなければ、何度転生を繰り返しても、同じところをぐるぐる回っているだけに過ぎないと知りました。千差万別の人生があってよし、どう生きていくか、人それぞれ価値基準が違うから、喜びも幸せの基準も違って当たり前、そんな転生の中で生き続けてきたことを思うと、本当に哀れで本当の自分に申し訳なく思います。
視点を変える、自分の中の基盤を変える、それ以外に偽物の自分から自分を解き放す術はありません。それが分からなかった。どこまでいっても苦しみを引きずったまま、苦しみの中で、喜びを幸せを温もりを探し求めてきたと言っても決して言い過ぎではないと思います。
今世を転換期にしましょう。必ずしましょう。苦しみの奥底から少しでも浮き上がってくる道筋を自分の中に見つけてください。
1867) ともに歩いていく、ともに生きていく喜びと幸せを確かなものとしてください。肉の自分を自分だとしていては、そんな喜びと幸せは絶対に分かりません。自分の中の苦しみ、慟哭、心で知ってそれが自分だったと、たくさんの自分がまだまだ闇の奥深くにいることを感じていけば、そこに温もりを安らぎを伝えていくことがもう何にも変えることができない喜びと幸せだと分かります。自分なんだから。自分を自分で救い上げていく、その楽しみ、ありがたさを今世の肉を通して学んできたんです。学ばせていただいたんです。こんな嬉しいことはありません。こんな幸せはありません。
ある程度年齢を重ねている人は、何をするでもない、ゆったりとゆったりと時を過ごすということが幸せなんだと思える人生にしていきましょう。肉は特段何もしなくても、ゆったりとした中で心の針を向けて合わせていくだけで、充分、いいえ十二分なんだなあと実感しているならば、あなたの人生幸せなはずです。
思う喜び、思える喜び、何にも優る宝物でした。
1868) 学んでいるならば、決断すれば真っ直ぐに突き進む、ただそれだけです。そういう生き方をしていきましょう。少なくとも学びについてはそうです。一度決断すれば断行です。もちろん、他力の中を生き続けてきた私達ですから、そう一筋縄ではいきません。その心を溶かし、ともに生きていこうと思いを向けていけるのは、自分の中に温もりがあるからです。怯むことなく、恐れることなく、ただ真っ直ぐに自分の中の真実、愛に向かっていこうと、自分に力強い呼び掛け、いざないをしてください。
道は自ずと開けていきます。肉を生かす道ではありません。肉を生かす道ではないけれど、中がこの道、ここだ、ここだと信が深まっていけば、同じことを肉が体験しても、楽に生きていけるから、結果として、肉も幸せということになります。形を見れば大変だ、厳しいということも、自分の行く先を確定できている心強さは、そういうものをちっぽけなものとしてしかとらえません。所詮は肉のこと。そんなことよりも、比べることができない大切なものを心はとらえたという充実感で、何とも言えない幸せ、喜びが感じられます。
1869) 今、肉を持っているから、その肉を通して色々なことを見て聞いて瞬間出るエネルギーを学ぶことができます。瞬間出るエネルギーを確認して、そのエネルギーとともに瞑想をする時間をしっかりと持つ、そういう日常を繰り返していける今がありがたいということです。
清く正しく美しくなんて全くのでたらめです。そんな人などこの世に存在しません。みんな凄まじいおぞましいエネルギーを垂れ流してきたんです。
真っ黒、真っ暗を吐き出して吐き出してきたことを、今、肉を持っている今、しっかりとはっきりと心で知ってください。
そうすれば、それでもこうして肉を自分に用意してきたことがどんなにすごいことなのか、これこそ愛の中にある自分達だからなんだと、自ずと心に響いてきます。
それが自分の中で分からない、感じられない限り、自分の行く先は依然として真っ暗闇の中だということは明白です。
愛を捨てた、愛である自分を捨てたことがどういうことなのか、私達は心で知らなければなりません。
1870) 学びを進めていくひとつの好条件に、若いということがあります。意識の世界には年齢など何も関係しませんが、肉を持って学ぶという設定の中においては、若いというのはやはりひとつの大きな条件です。
ただ、若いということは、仕事にせよ家族形成にせよ、色々と忙しい時期です。けれど、若さということを大きな味方につけて、自分が生まれてきた本当の意味を心で知って、人生を生き直していける可能性をしっかりと活用できるという時期でもあるから、比較的に若い時に学びに出会って学んでいこうと思ったならば、それぞれに工夫しながら、学びを中心に据えた生き方を選び取っていけたらと思います。若さゆえ学びをしていくのは難しいというのはありますが、若いから学べる部分も多々あります。
できるならば、人生半ば、50歳前後には、本当の意味での自己確立の道が見えているような今世であればと思います。
自身の体験により語らせていただいていることで他意はありませんが、言い得て妙だとは思っています。
私には私の、あなたにはあなたの、それぞれに愛へ帰る計画があります。その計画を遂行していくことにお互い努めてまいりましょう。
1871) 学びの友からのメールです。一読ください。
私、本当に肉の世界で、そして『完璧』というアマテラスの世界で、生きてきました。その中身は、戦い、戦い、戦い、冷たい、冷たい、本当に冷たい中で生きてきました。そしてそれを素晴らしいと信じてきたんです。卑弥呼にあこがれ、卑弥呼を目指し、私は決して誰にも負けない完璧を求めて生きてきたんです。これを崩していける今世でした。これを崩していくための肉でした。形が崩れていくこと。肉が崩れていくこと。こんな嬉しいことはないと今日の瞑想で心から思いました。苦しいことさえ分からなかった私が、ゼロ歳の自分を通して教えてもらっていました。戻っていく場所を間違え、歩いて行く方向を完全に見失い、真っ逆さまに生きてきた自分を教えてもらっています。真っ逆さまに生きてきたこと。その世界は本当に真っ暗な苦しい世界であったこと。それをすべて許されて今があること。今世私は本当に自分が許されて許されて生きていたことを知りました。ゼロ歳に帰っていこう、ゼロ歳の自分に戻ろう、もうそれしかありません。そのことを自分に伝えていくことしかなかったです。
1872) 正しいものなんて何もありませんでした。何もありませんでした。ここはここだけは、これだけはと頼みの綱がそれぞれにあるのではないでしょうか。ですが、ひとつ離しふたつ離していく方向に自分を進めていきましょう。完全に離していくことは難しくても緩めていく、弱めていくことは可能でしょう。とらわれなく、こだわりなく、自分を解き放していく生き方、そんな生き方が徐々に出来ていけば、楽に生きていくことが幸せなんだ、喜びなんだと感じてきます。
正しいものなんて何もなかったと心で気付いていく難しさと同じくらい、私達は元々幸せでしたと心で分かっていくことも難しいです。
幸せも喜びも温もりも形で示されてこそ実感を伴うという中に生き続けてきたから、心で感じ感じたものを信じていくことも実際は難しいのではないでしょうか。
本当に肉に生きてきた心に、波動、意識の世界だけが真実を物語るということがしっかりと浸透していくには、まだまだ時間がかかりそうです。と言っても猶予期限は300年です。まさに天変地異という展開は半端なものではありません。文字通り天変地異です。地軸が傾くんです。想像を遥かに超えた現象と言えるでしょう。
1873) ともに学んでいこうと、ともに同じ方向を向いてしっかりと学んでいこうとする輪が広がっていけばいいし、固くなっていけばいいと思います。
今、肉を持って学ぶということを共有しているのだから、それは形の上からも心丈夫だと思います。そういう中において、肉は互いに喜んで学び、そして、それぞれがそれぞれの中で自己確立を目指していけば、さらに喜びが大きく広がっていく、輪が広がっていく固くなっていくということです。
そこには誰彼の垣根はありません。意識と意識の交信の中で、愛へ帰ろうの呼び掛け、いざないの波動を受け取り、流していくんです。
それを宇宙の目覚めと私は感じています。まずはアマテラスの目覚めがあって、そして、そこから闇黒の宇宙の目覚めが起きていく、それはすなわち現象界では、未曽有の天変地異をもたらすものとなっていきます。
宇宙、母なる宇宙へともに帰ろうの呼び掛け、いざない。
意識の流れが、さらに顕在化してきます。UTAの輪の中で、それをしっかりと喜びで受けてまいりましょう。
1874) 「ともに瞑想会」、ありがとうございました。開催にあたり多くの方にお世話していただいて感謝です。
場所は大阪、上町台地。北は大阪城、難波宮跡あたりから、南は住吉大社くらいまで南北に延びる台地。この場所でともに瞑想ができる喜びを感じます。不都合がなければ何とか継続していきたいと思っています。
今回、最後にみんなでふるさとを歌ってと思っていましたが、もう一部屋の音楽室の方達のことを思うと、少々無理があると感じたので止めました。
その辺りのことが、ひとつ課題として残りました。
例えば、最後にセミナーホールの移動式の椅子席を収納させて、場所を広くして、そこへ音楽室の方達に来てもらって、みんなで一斉に瞑想をして、ふるさとを歌って終了とか、そういうふうにできればいいなあとか、椅子席の収納が施設側でしかできないならばそれはダメかとか、肉は下らないことを思ってしまいます。
なにはともあれ、学びの友と学べる時間と空間を共有できることが嬉しいです。またチャンスがあれば「ともに瞑想会」にご参集ください。
1875) 宇宙。大きな課題でした。今の肉を通してようやく、その大きな課題に向けて自分を進めていける確信を持てたこと、それは真実の波動との出会いがあったからでした。計画してきたこと、望んで望んで心から望んできたことが、現実のものとして自分の中に響き伝わってくる喜びと幸せ、ありがたさです。これは言葉を尽くしても言葉を重ねても、尽くしきれない表現できない感覚です。
ああ、本当に宇宙を思える今がやってきたんだと、思いを向けていけばそう繰り返し、繰り返し伝わってきます。
ともに思いを向けよう、ともに思いを馳せていこう。肉、形の中には何もなかった。何もなかったのに、偽物の自分が作り出してきた世界で自分を苦しみの奥底に突き落としてきたんです。そんな自分を本来の自分に返していきましょう。温もりの喜びの安らぎの世界へ帰っていきましょう。
真っ暗闇の中から這い上がってきた意識、それが私達です。ようやっと這い上がってきたから、今世を足掛かりにして、必ず、自分達のふるさと、母なる宇宙へ帰る道をしっかりと歩いていきましょう。
1876) 12、3年前に母と同居を始め、1年前に仕事を辞め母と接する時間が長くなりました。
いい反省の機会をもらった。素直に嬉しいと思う。よかったと思う。間違って狂って生き続けてきたから、それをしっかりと今世の肉を通して学べることがありがたい。愛である自分に帰っていこうと固く決意して今世生まれてきた事実は、私の中で絶対に揺らがない。いい意味での岩盤だ。
だからこそ、今世の肉を持つ時間、本当に真っ直ぐに自分の大闇と向き合っていこうと思える。私の肉はそのためにあることを心から感じる。
生ぬるい学びではダメだと自ら言っている。私は私に課したハードルがある。それを超えていきなさいと、250年後の来世の私が伝える。
250年後の私。今、私は過去の私とともに250年後の来世の私ととともに生きていることを感じている。
肉でない私。おぞましい凄まじいエネルギーを蓄えてきた私。そのエネルギーを見事転換して、意識の流れを達成していく計画。計画は外せない。
田池留吉、アルバート。私の中にある真実の私。
捨てない。裏切らない。私は真実の私とともに生きていく覚悟で、今世の肉を用意した。その決意をいつも心に思い起こし、自分の決めてきた予定をしっかりとこなしていこう。揺らがない不動の心。いい意味での岩盤を私は知っている、心に感じている。信じていこう。平坦な道ではない。厳しく険しい道。それでも私は突き進んでいく。それほどの決意を秘めて、私は生まれてきた。その確認を今、いいえこれから何度も何度もしていくだろう。
1877) 2月の「ともに瞑想会」にも、たくさんの方が申込みしてくれました。ありがとうございます。収容人数の関係で全員とはいきませんが、またともに瞑想をする機会をいただいて嬉しいです。
子育て、介護等で宿泊を伴うセミナーに参加できない方達に参加枠を優先しています。お住いの近辺で定期的にしっかりとした学びの場が用意されている方達は、どうぞそちらをまずは活用してください。
それでもやっぱりあの上町台地でという方は、どうぞ来てください。
私はここがこの場所が好きなんです。ここで学びの友と思いを向けていく時間と空間を用意していただけることが嬉しい、ただそれだけです。
あと、収容人数全部を使って、例えば、50歳未満の方どうですかとか、50代の方等、年代別に集まっていただくのもいいかなあと、今思っています。とにかく、「ともに瞑想会」継続していきたいと考えています。1878) 漆黒の闇が広がっていることを感じていますか。それでも臆せずに真実の自分と出会っていく道を行きましょう。見限らず、肉を持っている最後の瞬間まで、自分の決めてきたことを果たしていこうと真摯に学んでいきましょう。
喜び、温もりの中にあったことを伝えていただきました。喜びも温もりも幸せも外へ外へ求めてきた結果を私達は受けてきました。
愛へ帰るということは、自分の中へ帰るということでした。自分の中の愛を捨てたから、帰るところが分からなくて、彷徨い苦しみ続けてきたけれど、捨てても愛へ帰ることができると知ったんです。
帰ろう、帰っておいで、ようやくそんな思いが行き交う今を迎えています。
心を向けてください。欲の思いで向けるのではなくて、ただ向けてください。そうすれば、どなたの心にも響き伝わってくるはずです。
それを大切に大切に自分の中で育んでいけばいいのです。もっととかさらにとか思わなくても、待っているたくさんの漆黒の闇、自分がどんどん訴えてきます。帰りたい、帰れるのか、本当に帰れるのかと。
今世の肉がどんなに大切な肉であるか、今がどんな時なのか、それぞれの心でしっかりと感じてください。
1879) 「ともに瞑想会」、参加希望の方全員参加していただくことがベストですが、現実はなかなかそうはいきません。昨日、クレオ大阪中央の会場近くの物件をあたりましたが、音漏れが壁となってダメでした。
UTAブックさんのほうでは、参加ご希望に100%添えないというのは申し訳ないと思っておられるようですが、私は「ともに瞑想会」が継続できればそれでいいと思うだけで、あとのことはあまり考えていません。
ただ、UTAブックさんのホームページにも書かれている通り、末永く「ともに瞑想会」を開催するにあたっては、たくさんの学びの友のご協力が要ります。その点につきましては、どうぞよろしくお願いします。
みんなで学べる場を設けて、みんなで学んでいこうという思いが、私には嬉しいです。ともに学ぶ喜びと幸せをそれぞれの心に感じて、ありがとうと笑顔で集まってきて、ありがとうと笑顔で別れて、また機会があればともに瞑想をしようと集まってくる、そういう時間が継続できれば、それでいいじゃないと思っています。
それは、地域でともに学ぶ場があるという方達は、同じように感じておられることだと思います。「ともに瞑想会」もそのうちのひとつだという位置付けでいいのではないでしょうか。
1880) 学びを進めていてどうでしょうか。自分の物の見方、とらえ方、価値基準変わってきたと感じておられますか。それともその変化をまだまだ実感できませんか。
なぜ自分は生まれてきたのか、何をするために生まれてきたのというところから始まって、自分にとって仕事とは何か、家族とは何か、これからどう生きていけばいいのか、色々と思いを見ていってください。
具体的な答えを自分の中で出してください。自分の中をはっきりとすることです。中途半端は一番困ります。今は肉に埋没していてもいいではないですか。そのうち、自らに警鐘を鳴らし続けます。愛だからです。愛しかないからです。間違いは必ず正されます。間違いを間違いだと分かるまで時間がかかるかもしれません。痛みを伴いながらも、正しい方向に自らをいざなっていく愛の力が自分の中にあることを知らしめていきます。
自ら地獄に突き落としてきた過去とは違うんだ、この痛みはそういう痛みなんだと心で感じられるようになっていけば、万々歳です。
過去と決別しなければ、新たな一歩は踏み出せません。過去と決別すると言っても、切り捨てるのではありません。ともに方向を変える、そういうことです。
1881) 自分の中に思いを向ける。宇宙にはたったひとつの自分の世界が存在することを感じ、ああ、ここだこの世界だったんだと思えるようになっていけば、もうそれだけでいいと分かってきます。
形ある中で、肉という形を持って自分がどんなに賢く泳ぎ回っても、それで心が満たされることはあり得ませんでした。一時の充足は次の瞬間、暗い真っ暗闇の中へ吸い込まれていきます。そんなことをずっと繰り返して繰り返して生き続けてきたことを知りましょう。
今だからこそ、自分の過ちに気付いていけるのです。ただ、気付いていこうという思いはあっても、なかなか素直にすんなりと他力の思いを離していくことは難しいのが実際です。何が他力なのか、それすら分かっていないかもしれません。何が他力か、全部他力でした。本当の自分を捨て去り忘れ去ったから他力の中にずっとあったということを、しっかりと知るべきではないでしょうか。そして、それがどういうことなのか、それはそれぞれの心で学んでいくしかありません。学んでいくために300年が用意されています。ラストチャンスです。
1882) 300年なんて本当にあっという間です。学びをしてどのくらい年月が流れていますか。あっという間に20年、30年、40年ではないでしょうか。
その結果、今、あなたはどんな世界を感じていますか。確かに、喜びも温もりも幸せも肉でないところで感じておられるかもしれません。それではもう一歩踏み込んでそれは不動のものとなっていますか。その肉体を離して自分ひとりの中で、どうなっていくのかはっきりと感じておられますか。手取り足取り肉を通して学ばせていただいた私達です。そのような中で、あっという間に20年、30年、40年経ちました。その結果はどうなのか、それを思うと、300年というのは、どうでしょうか、決して長い時間ではないと思います。
焦っても仕方がないけれど、真剣に自分の行く末を思ってみてください。
1883) 今世、始まったばかりの学びです。真実の波動の世界を知っていく学びです。それは今世始まりました。そしてあと300年です。地球時間で言うと、この間に自分にしっかりと結果を出さなければなりません。
今世は適当に、その次がある、そのまた次のチャンスがあると思っているならば、それはとてもとても甘いです。今世、自分の計画通りに学べない人に、250年の間にある転生でそれをクリアできるとは思えないし、ましてや250年後の最終時期に辻褄を合わせることなど不可能に近いと私は感じます。
それぞれに日々の生活を送りながら瞑想をする時間を持って、自分の中に伝わってくるものがあるでしょう。私に伝わってくるのは、今語ったような内容が殆どで厳しいものです。
厳しいからいいと思っています。それほど間違って生き続けてきたことをしっかりと自分に伝えてくれる波動の世界がありがたいです。
私達みんな自分の中に愛を持っている、だから愛である自分を信じて信じていくことだけだ、自分で自分の背を押してきたんだと感じてくれば、厳しいと思えるメッセージは、しっかりと現実を伝えてくれているから限りなく優しいと私は、そう感じています。
肉と二足の草鞋は肉。はっきりとしています。
1884) ただ真っ直ぐに自分の決めてきた道、約束してきた道を突き進んでいく喜びと幸せを感じていますか。自分が決めてきたんです。自分と約束してきたんです。ふるさとの歌詞に思い出してくださいとあります。思い出せましたか。
瞑想をしましょう。正しい瞑想をしましょう。まずゆったりとした時間が要ります。肉体的な疲労を重ねていれば、瞑想などできません。
最低限度、それらの条件を満たし、瞑想ができる環境を生活の中で確保すること、肉としてできることです。
ただし、闇雲に瞑想をしないように。正しい瞑想と言っています。正しい瞑想には、母の温もりを自分の中にしっかりと感じているという確信が必要です。そうでなければ、瞑想をして思いを向けていけばいくほどに、苦しくなるだけです。気持ちが不安定になります。寝られない、食べられない、結果病院、薬のお世話になるというパターンです。
母の温もりが自分の中に確立していて、なぜ自分は生まれてきたのか、何をするために今ここにいるのかが、しっかりと心で分かっているならば、どんなに凄まじいエネルギー、おぞましいエネルギーを心に感じようとも、瞬間噴き出すそのようなエネルギーの塊だと分かることが、もう嬉しくて嬉しくてありがたくて、だからこそ、私は今、肉を持って学ばせていただいているんだということが納得できて、今世を外せば私のこれからはないということも感じてきます。
ただ、ただ田池留吉、アルバートと呼べる、思えることがどんなに幸せか、どんなに喜びか、そんなことは自ずと自分の中が伝えてきます。
そのようにして、正しい瞑想を可能な限り継続していくことが、本当の喜び人生です。思うは田池留吉一筋の道。その道しかないことを、どなたの心にも伝えてきます。
1885) どんなに苦しくてもいい、もがきながら苦しみながら、それでも私はここに今肉を持って学びの時間と空間の中にあるんだと思うならば、苦しみながらも、もがきながらも、嬉しい、ありがとうの思いが、涙とともに出てくるはずです。
何もない、ただすべてを委ねてそれで幸せだった時をどなたも体験しています。何度も何度も。肉を持ってくるたびに、そんな中に自分をいざなっていました。
たとえ、肉をくれた人がどんなに愚かであっても、またそこからどんなに大変な事情、環境の中に自分を置いたとしても、何もなく、ただすべてを委ねて幸せだった時が確かにあった、心は自分の意識はしっかりと憶えています。
そこへ戻っていきましょうということなんです。頭ではなく、肉の力でもなく、自分を喜びと幸せ安らぎの世界へいざなっていくのは、あの温もりの世界、自分の中の愛だけです。何も要らない。本物は全部自分の中にあることを、日々、正しい瞑想を継続して、心にしっかりと確信してください。
1886) 数え切れない真っ暗な転生を重ねてきて、三次元最終時期をもう間近に迎える段階となっています。肉としてどんな人生を描いていくかということだけに心を砕くことは、私としてはもう卒業です。どんな人生であっても、間違いだらけの人生に喜びも幸せも何もなかったことを学習しました。
意識の世界では、あと一回の肉を持つ時間だから、しっかりと自分の計画、意識の流れを遂行していくという計画を果たす、もうそこに焦点が絞られています。そこへ向けて、今世のこの肉もしっかりと照準を合わせていくことに何の迷いもありません。
意識の流れにひとつに溶け込んで生きていく喜びと幸せこそが、全宇宙が待ち望んできたことだったと、思いを向けていくとしっかりと感じられます。
肉を生かす私ではなく、意識の私を生かす私であれと心から伝わってきます。自分を導いていくその波動だけを信じて、ともに生きていく喜びと幸せを広げていけばいいと、教えてくれています。
1887) 思うは田池留吉です。これしかないんです。どんな理屈、思いを語ろうとも、「あなた、田池留吉の世界を知っていますか、信じていますか。」のメッセージにどのような返答ができるかだけです。口先ではなく、心の底かの思いを語れますか。
語れるのなら、「本当にその通りです。私が全部間違っていました。」という返答しかありません。
思うは田池留吉一筋の道。この道をただひたすらに真っ直ぐに喜んで喜んで歩いていける人生、これがたったひとつの喜び幸せの人生です。
その通りだとあなたの心で頷いているならば、それをただ決行していくだけです。
たった一本の道を突き進むという揺らがない思い。喜びで次元を超えていきましょう。そしてさらなる進化を遂げていきましょう。まだまだ遥か遥か遠いです。しかし、見えているんです。感じられるんです。この道を歩いていけばいい、この世界にひとつに溶け込んでいけばいいと。
肉から意識へ自分を転回していきましょう。全く次元が違っていました。
今世の出会いを本当に大切にしてください。
1888) ようやくここまで辿り着いた、率直な私自身の思いです。長かった。本当に長かったです。けれど、今世、ようやく私の中の思いが実現の方向にしっかりと動き出したことを感じるにつけ、本当に感慨深いです。ありがとう。ようやく、ようやく、私は私の中へ帰ることができます。待ってくれていた、何も変わらずに帰ってくるのを待ち侘びて、待ち続けてくれていた思いでした。その思いと出会わせていたただきました。田池留吉の意識が肉を持ってくれたからです。そして同時期に私も肉を待たせていただいて、約束通り肉との出会いをまず果たせたからです。そして学ばせていただきました。学ぶきっかけを用意して、周りがみんなお膳立てをしてくれた、本当にこれで学びの成果を出すことができなければ、私は本当に大馬鹿者です。何もかも整えられた中で、存分に予定通り学びを進め、あとは250年後の本番にすべてを任せていきましょうという約束で、肉とのお別れをさせていただきました。「色々あって決して平坦な道ではないけれど、この道をただ真っ直ぐにな。」「はい、分かりました。」
約束です。喜びの約束です。250年後、肉での再会からドーンと突き進んでいくその喜びの足音、もう私の中には響き渡っています。
約束です。250年後、再会を果たして、そしてともに歩みを、ともに次元を超えていく意識の流れの中を生きていきましょう。
1889) 肉の繋がりがあってもなくても、ともに思うは田池留吉一筋の道を歩いていこう、肉はよたよたしながらも、ともに自分達のふるさと、愛、母なる宇宙へ帰る道をともに歩いていこう、そんな仲間の輪が広がっていけば、こんな幸せなことはありません。
もう何も要りません。自分の思い描いた通りの道を生きている、歩いているという実感が肉にあれば、肉のことで少々の揺れがあっても、すうっとそこへ自分を戻していけるんです。
本当に幸せです。思うは田池留吉。思うはアルバート。呼びたくて呼びたくて、出会いたくて出会いたくて、それがようやっと、ようやっと、今世の肉を通して実現できたこと、ただただ、ただただ嬉しい。ありがとうです。
すべてが整えられています。用意万端整えて、あとは三次元最終のお勉強へと思いを馳せていけることが幸せです。
ともに学びましょう。ともに思いを向けていきましょう。嬉しいですね、本当に嬉しい。幸せですね、本当に幸せです。ありがとう、ありがとう、そう言って、肉は一旦お別れして、そして250年後の再会へとまいりましょう。
1890) 自分に用意してきた肉、環境、その他本当の自分に帰る道を確立するために用意してきたもの、それらを今世こそしっかりとその目的に沿って最大限に活用して、予定通り、望み通り、250年後の三次元最終のお勉強に備えましょう。
次元を超えてやってきた私達です。再び次元を超えて、自らの愛の世界をしっかりと広げていく学びを計画しているはずです。肉、欲ではなく、自分の中の切なる思いに沿って、その計画をそれぞれに進めてください。
三次元のお勉強、大変、大変難しかったです。まだまだ道遠し、道半ば、そういう表現が適切だと思います。
しかし、意識の流れの計画では、それもあと僅かです。それぞれに自分の中で結果を出して、その出した結果を自ら受けていくという意識の世界は、何も変わりはありません。
全部自分で選んでいくことです。その中で自分は何を本当に望んできたのか、今世、明確に自分に伝えています。今という時、今世の肉を通して、意識の世界の岐路に差し掛かっていることを感じてください。
1891) 自分の決めてきた予定通りの道を歩いている今か、それぞれに検証が必要です。自己判断のもと、これからの生きていく方向がきちんと定まっていれば、それでいいです。検証もせずに、自己判断もおぼつかなくて、自分の行く方向に靄がかかっている状態ならば、自分はなぜ何をするために生まれてきてここにこうしているのか、真剣に自分に問うてください。
分からないという答えで自分から逃げすに、自分の今を目を逸らさずに見てください。感じてみてください。自分の中の切なる思い、心からの叫び、呻きに心を傾けられる自分に蘇ってください。ひとつの肉を以てそれを自分だとしてしまう哀しみ、愚かさを、しっかりと心に感じていける今世にしていきましょう。
必ず、これからの転生を繋いで250年後の出会いを果たすという強い意志のもと、今世の肉を持つ時間を大切に、大切にしてください。
1892) かけがえのない時間、空間、そして肉、環境です。本当の自分と出会うために、すべて自分で用意してきた今です。
やっと、今世、そのことを明確に自分に伝えられる運びとなったこと、喜んでいきましょう。愚かにも、自分を深い深い闇の中に落とし込めてきた私達です。それでも自分を救っていける、本当の意味で救っていける手立てを伝えていただきました。
本当に幸せ者です。私達は本当に幸せ者です。何も要らないではありませんか。もうすべて大切なことは自分の中にあることを感じておられるでしょう。外へ外へ向けてきた心を自分の中に向けて生きていく喜び、幸せを心から感じていきましょう。安らぎの道を歩いていきましょう。みんなみんな全部自分の中の出来事でした。だから、思いの向け先を変えれば、もうそこは全く違う世界になるということです。意識の世界のすごさ、ありがたさを心に感じて、自分をどんどん解き放していく喜びを味わう時間を重ねてください。
1893) 学びをしていけば形が整ってくるということを、自分はどのようにとらえているか、それもまた自分の中の他力のエネルギーを確認するのにいい問いかけだと思います。
肉で何もなければ、確かに気分よく学びをしていこうと前向きになるでしょう。けれど、肉で何もないことはないんです。表面に出てきているか、水面下かということで、いずれは形を通して自分の心に自分が伝えてきます。
肉で何かがあるからいいんです。学びをしていれば、そこで自分なりに立ち止まって色々と思いを馳せていくでしょう。学びをしていない人は、心を外に向けるだけです。そこが違います。心を外に向けていくのと、中へ向けていく大切さ、喜びを知っているのとでは、同じような現象があっても、そこから思い描く世界が違ってくということです。
それを本当に喜んでいけるかどうか、やはり肉、形で言うところのプラスだけをプラスとして捉えたいとしているのか、そこに他力のエネルギーが見え隠れてしています。
思うは田池留吉一筋の道。それだけが喜びの道ですが、極めて難しいということも、それぞれの時間の中でしっかりと学び取ってください。
1894) 本当のことを知ってその道をしっかりと生きていこうとしているのか、それとも、まだまだ肉、形ある世界に思いの比重を傾けている、いいえ、やはり形あるものから抜け出せないでいるのか、見た目は同じようであっても、全く違う世界に別れていきます。
思い、意識の世界は目に見えません。目に見え実感できるものだけを信じてきた長い時間があります。肉という魔物の世界。そこから自分を解き放していく難しさをまだまだしっかりと自分の心で体験しなければならないでしょう。
そんなに意識の転回は容易いものではありません。けれど、不可能ではありません。だからこそ、田池留吉の意識の世界が肉を持ってきたし、私達もまた相当の決意で生まれてきたのです。
肉の喜び、幸せ、楽しみは本当に程々にして、全く違う生き方をしていきましょう。本当の意味で自分を大切にする生き方を今世始めましょう。1895) あなたにはあなたの、私には私の愛へ帰る予定のコースがあります。ともに今世、肉をもらって学びに集わせていただきました。どうぞ、自分の予定のコースを遂行してください。みんな本当のことが知りたかったはずです。
「何が本当のことか分からないけれど、どこかに真実は絶対にある。」
この自分の思いを私は、ようやく現実のものとして今世とらえることができました。確かにありました。真実はありました。ここをしっかりと心に抱えて私はこれから生きていけばいいんだと思える学びをしてまいりました。
肉は愚か。本当にバカです。愚かで下らないし、何の取柄もありません。だからよかったんです。今世の肉に秀でたところがひとつでもあれば、学び一本に生きていくことは難しかったでしょう。肉に何の取柄もないのと同じく、私は大して敏感ではありません。ただ、私は、宇宙を思うとき、本当にアルバートを求めてきた自分をしっかりと感じています。これが私の望んできたことだったんだということを知っています。 私の愛へ帰る道は、これまで闇黒の宇宙を作り続けてきた超極悪ですから、厳しいです。まだまだ甘い、甘いと自分から叱咤されています。
それでも行先は見えています。次元移行へ至る道筋が感じられる心とともにある喜びと幸せは本物だと言えるから、急斜面の道もまた楽しからずやです。
自分の切望してきた道を絶対に見失わないと心に秘めて存在していくだけです。1896) 真実に目覚めていこう、本当の自分に帰っていこう、そう思いを決めた意識とともに歩みを進めていく、私の中はそうです。
他力はもういいです。欲で学びをしても、自分の思いを本当の自分の思いを叶えることはできません。自分のふるさとへ帰りたい、帰っていこうとする切なる思い、心の奥底から絞り出すような思いで今世を迎え、学びに集ってきたことを、心でしっかりと知ってください。 誰のためでもない、自分のために生きていきましょう。それが結局は本当の幸せになっていくのです。
肉ではできません。肉は影だからです。影は影です。実体がありません。あるとしてきた大きな思い違い、間違いに気付き、愚かにもずっと自分を粗末にしてきたことを自分に詫びてください。
詫びれば詫びるほどに嬉しくなってきます。ようやく、やっと、やっと私というものを知っていこうとしているんだね、信じてください、信じてください、待っています、いつまでも待っています、そんな思いが繰り返し返ってくるだけです。本当の喜び、幸せは、本当の自分の世界へ帰ることです。今世、その一歩を歩み出しましょう。
1897) 2020年4月以降の「ともに瞑想会」についてです。
現在、大阪会場として利用しているセミナーホールに参加ご希望の方はすべて原則として抽選となります。よって、「ともに瞑想会」の元メンバーというのは、3月で無くなります。また、介護等の優先枠の条件も大幅に縮小します。
なるべく特別枠を設けずにやっていこうと思います。また、自分のお住いの近くに学びの場が定期的に設けられている方は、どうぞ、そちらのほうをまず優先してください。そのうえで、余力のある方でともに学ぼうと思われる方は参加してみてください。許容人数の関係から、抽選ということになるかもしれませんが、私としましては、できるだけ抽選をせずにいければそれに越したことはないと思っています。
数よりも学び一本に生きていこうという思いを共有したいというのが本音です。
1898) 心を向ける、向けられる喜びをどんどん感じていますか。瞑想をする時間を生活の中で確保してくださいとお伝えしています。そういう生活習慣の中に身を置くということは、学びをしていくについて絶対に必要なことです。そして、瞑想をするのが当たり前ということになっていけば、あと何をしていても、ふっと瞬間思うというのも当たり前となってきます。
友と歓談していても、テレビを前にしていても、スマホを片手に持っていても、例え仕事、家事等で忙しくしていても、ふうっと思える瞬間は絶対にあります。そういう瞬間を大切にそして楽しんでください。
何を思うか、思えばいいのか、心で分かってきたならば、元々自分は幸せだったんだと自ずと分かります。
肉に生きて、あれもこれもと触手を伸ばし、ああでなければこうでなければと自分勝手に苦しみの中へ落ちていった私達だったと言えると思います。肉の自分を高め、肉の世界を極めていけばいいという生き方は、決して自分が望んできた生き方ではなかったと言えるのではないでしょうか。
帰りたかった。もう帰っていこう。自分の中でその思いをしっかりと聞いてください。
1899) あなたの周りの人達、世の中の人達が何を語り、どんな思いで日々生活をしようとも、あなたの心の向け先は自分の中です。自分の中の自分、本当の自分をしっかりと知って、そしてその本当の自分と向き合う時間を過ごしましょう。
本当の自分と向き合うということは、偽物の自分と向き合う、偽物の自分をどんどん本当の自分に吸収させていくということです。
それが自分と自分の中で生きていく醍醐味です。これこそが肉を持ってするたったひとつの仕事です。
その喜びと幸せ、そこからくる充実感、これは形ある世界からは決して出会えないものです。
どんなにお金を持っていても、形の世界での立派な看板を背負っていても、絶対に喜び人生とはならないことを、今世こそしっかりと心で知っていく、そんな今世としてください。
それでなければ、今世生まれてきた意味がありません。今世をそのように位置付けてください。そして、心から望んできた本当の自分との出会いを心で果たしていくというこれからの転生を大いに楽しんでいきましょう。
1900) 肉から意識への転回。250年、300年の時間を必要とするでしょう。激動の時間。肉の思いをきっちりと転回していく喜びの時間でもあります。
それがなければ、次元を超えていくことはできません。三次元から自分を解き放つことができないということで、もはや今のように肉を持つ環境もなく、肉を持つことさえできないところで、暗闇の奥底に自分を沈めていくしかないということになります。
宇宙のもくずと表現しています。しっかりと現実を心でとらえていきましょう。何も恐れるとはありません。ただ、自分の帰るべきところを心で知って、その方向に自分を合わせていけばいいだけです。
素直に喜んで温もりの世界へ、愛である自分を目指してともに帰ろうの呼び掛け、いざないに応じてください。
1901) 真剣に、真摯に、素直に、ただひたすらに、という表現しか出てきません。愛、心のふるさと愛へ帰る道は険しくて厳しくて、けれど喜びです。いいえ、喜びだけなんです。険しい、厳しいと感じるのは、それだけ私達が本来の軌道から遠くに外れたところにあるということでした。
もう帰らなければなりません。心がそう叫んでいます。これからの時間の中で、さらにその叫びは大きく強くなっていくでしょう。
それが私達の本当に望んできたことだからです。意識である私達は意識の流れの中にひとつになって存在していくことが自然なんです。自然に逆らっては何も見えてきません。真っ暗闇の中に自ら沈んでいくだけです。
はっきりとしています。意識の世界ははっきりとしています。目を覚ましましょう。肉、形の世界から自分を解き放していく勇気は喜びです。喜びの世界へ飛び込んでいく喜び。その喜びこそが私達のあるべき世界でした。
1902) 今世、始まったばかりだと伝えました。愛、心のふるさとへ帰る道筋を今世の肉を通して、初めて示されたのでした。
難しいはずです。気の遠くなるような間違いだらけの道を歩いてきたのだから、方向転換をしていきましょうと伝えていただいても、なかなかすんなりとはできないというのが現実のお話です。
それでも、それでも、瞑想をして田池留吉を思い、アルバートを思い、来し方を思えば、もうどれだけ間違ってきた自分だったかということは、どなたの心にも響いてきているはずです。
間違ってきたけれど、帰るべきところがあったということが心で感じられて、ただただ何とも言えない喜びと安らぎを感じているということも事実だと思います。
やっていこう。みんなみんな間違ってきたのは同じです。真っ暗闇の奥底からようやっと這い上がってきたのも同じです。同じならば、みんなみんな本当の意味で、素直になって喜んで、愛へ帰る道、自分のふるさとへ帰る道を歩いていきましょう。決めるのはあなたです。決断をしてください。心の中にすべてがあったから、見ていくのはその自分の心だけだということを知っていきましょう。
1903) 次の反省文を一読ください。
徹底的に膿を出す。心の底から膿を吐き出す。決して綺麗ごとでは済まされない。今、肉を持っている今だからこそ、自分の闇の世界と対峙できる。千載一遇のチャンスだ。私はこれを望んできた。地獄の奥底の底の底のまだまだずっと奥底から這い上がってきた。自分をしっかりと見ていけと自らそう背中を押した。どんな環境でもどんな肉でもよいと言った。
生ぬるい中で学びを進めてきたことを知った。私は本当に地に落ちた意識だと、さらに自ら自覚を持って学ばなければならない。それが目の前の肉を通して自分に伝えているメッセージだ。
ありがとうと言えるか。本当に生まれてきてよかったと心からそう思えるか。生ぬるい中で学んできたのではないかと自分に問う。
もっと真摯に素直に喜びで自分を見ていく。
肉を持たせてくれたからこそ、産んでもらったからこそ、自分を知っていけるのではないか。自分の地獄を苦しんできた真っ黒けのけの自分を見つめていけるのではないか。
心を吐露する喜び。心から吐き出す安心感。決して自分を責めずに落ち込まずに、ただ前を向いて自分で決めてきた予定のコースを淡々と歩く。
それが喜びなんだと思う。私は私であればいいと思う。肉は互いに愚か。愚かな肉を通して、愚か過ぎる自分を知る。
嬉しいではないか。ありがとうと言える。そう、相手に闘いを挑むのではなく、ただ淡々と自分から出る思いを見ていこう。それが肉を持つ私のたったひとつのできることだ。私は意識の私の存在を知っている、信じている。意識の世界に存在している私だけをただ真っ直ぐに見ていけばいい。それをしっかりとやりなさいと自らに告げる。すごいと思う。
肉の言動を見て聞いて、そしてそこから色々と対処方法を模索するのではなく、ただ自分が今どんな心の状態なのかをしっかりと確認すればそれでいい。あとは自分の中の田池留吉、本当の自分がしっかりと仕事をする。
そういう意識の世界をあなたは自分の中に知っているかと問いかけます。1904) 苦しみながらもがきながら、自分の中で必死になって答えを見つけ出していく、あっちにぶつかりこっちにぶつかり、絶望を幾度も味わいながら、それでも自分の中の思いに応えていこうとする、粘り強くそれを遂行していこうと転んでは立ち上がる、あなたもそんな学びの過程を経てきましたか。私は、そういうことを繰り返してきました。徹底的に抵抗しました。死んでもお前の言うことなど信じない、腸が煮えたぎるそんな思いで、温もりに闘いを挑んできました。
それでも、それでも、びくともしなかった。ただ、待っていますと伝えてくるだけだった。信じられなかった。信じられなかった。何だこれは。そんな思いが駆け巡った挙句、心の底の底の奥底から突き上がってくる申し訳ありませんでしたという思いに、私はびっくりしたのでした。
そんな学びの時間をいただいたから、もう四の五の言っている暇などないと私は思っています。自分の行く末をきっちりと見定めていきましょう。それにはどうすればいいのか、それぞれに答えは出ているはずです。
1905) どんな自分でも許されてきました。受け入れてもらってきました。けれど、愚かな肉は許さない、受け入れない、認めないと叫び続けてきました。
その苦しみ辛さ、心で感じていますか。苦しことでした。辛いことでした。哀しいことでした。愚かなことを繰り返し繰り返しやってきたんだということ、自分の中でしっかりと知っていきましょう。
誰一人例外はありません。真っ黒だから、どうしようもないから、肉を自分に持たせてくるんです。苦しみから自分を救い上げたいと心からそう望んで生まれてきます。何でそれを綺麗さっぱり忘れ去ってしまうのか、本当にそこのところを学びに繋がった今世こそ、しっかりと自分に問いかけて、そしてはっきりとした答えを出していくべきでしょう。もうその時期はすでに来ています。
学びを進めていけば、いつまでも真っ黒を垂れ流し状態がどういうことなのか、心で感じるでしょう。その結果を自ら受けてきたけれど、もうその軌道を変えていこうと決断が待たれています。
ともに行こうという呼び掛け、いざないをしっかりと受けてください。
1906) 頭がいいと思っている人は、頭が納得しない限り、学びの中で伝えていただいていることは半信半疑だと思います。半信半疑というのは、半分信じて半分疑っているということでしょうが、学びについては全部疑っているということになります。
頭では分からない、肉では分からないと何度聞かされても、心で感じる本当の喜びとか幸せに巡り合っていないから、どうしても、頭、肉が先行します。納得、納得というのは頭が納得ということです。
胸落ちという言葉を知っていますか。目から鱗という言葉はどうですか。
頭で納得が先行する人は、瞑想で、または現象参加で例えばそういう体験があれば少しは、学びの本質に触れていこうと素直に思えるかもしれません。ただ、実際のところ、頭でっかちの人は、瞑想で現象参加でそういうことを体験するのは難しいでしょう。むしろ、日常でということのほうが確率は高いかもしれません。
一方、敏感がいいということでもないと思います。敏感なだけに難しいという場合もあります。正しく敏感であれということです。敏感イコール意識を受ける、受けられるということではありません。敏感で意識を受けても、つまり色々と感じられても、正しく敏感でなければ、過去と同じ轍を踏む可能性は高いです。似て非なる学び方になるということです。
過去において、神の声を聞いてきた私達です。その過去を引きずらずに、互いに自己管理に努め、細心の注意を払って学んでまいりましょう。
1907) ただ一点を思い、その一点とともに肉を流していく生き方を始めましょう。今世が初めてだから大変難しいけれど、やっと何をするために自分は生まれてきたのかということを心で知ったならば、そういう生き方に自ずとなっていきます。自分に肉を持たせたということ、その思いに触れてみてください。全く違った観点から生まれてくるということを思っていけるようになっていきましょう。そこを変えていかなければ、これまでの転生と何ら変わることのない転生です。あっという間に年月が流れ、年老いて肉体細胞の機能も低下してまた真っ暗闇の奥底に沈んでいく経路をたどっていくでしょう。
心で自分の声を聞いてください。なぜ自分は今ここにこうして肉を持っているのかと。肉がどんなに恵まれ喜び幸せの時間を持っても、どうでしょうか、自分の中の切なる思いを叶えられなかったならば、どんな思いでその肉を離していくかということです。その思いを心で感じられるあなたに今、変わっていってください。宇宙が、たくさんの宇宙の友が待っています。あなたが変わっていけば、たくさんの宇宙が変わっていきます。ともに生きていきましょう。
1908) 一回でも多くともに瞑想をする時間と空間を共有したいという思いで、2月志摩セミナーも終了しました。セミナーの時間と空間を本当に大切にしていこうと思います。
田池留吉の意識の世界が伝えてくれていることを、真摯に素直に真っ直ぐに自分の中で遂行していこうという決意をどなたも固めてください。固く固く約束してきたこと、自分の中でしっかりとはっきりと知って、そして肉を持っている今というときを、それぞれに大切になさってください。
肉に生きる生き方ではなく、自分の中の切なる思いを、どんなにおぞましくむごたらしくても、自分の心の叫びを、しっかりと受け止めてそして、本来の軌道に戻していく生き方を真っ直ぐに選び取ってください。
待たれています。どんなに裏切り続けても、どんなに背を向けても、ただ信じて待ってくれている本当の自分との出会いを果たしてください。
1909) 学びに触れさせていただいたこと、繋がったこと、これが何よりも何よりも幸せなことでした。自分が計画してきたことですが、本当に見事に的中したありがたさを感じずにはいられません。
宇宙へ帰りたい、帰ろう、帰ります、やっと心の中の思い、叫びが現実のものとなってきた流れを感じ、喜びで思える時間にありがとうしかありません。
思う喜び、思える喜びを味わい、肉の時間を終えていく今世にしていきましょう。今世を転換期にして、生きていく方向を変えてください。
学びに触れさせていただいたこと、繋がったこと、その幸せを心にしっかりと感じ、自分を大切に大切にしてください。そして、肉から意識へ自分を転回していきましょう。それは思うは田池留吉一筋の道を生きていこうということです。たったひとつの喜びの道、幸せの道です。それぞれの心で感じてください。感じていける自分に復活してください。1910) 愚かな自分を知っていくことが嬉しい、そういうふうに心が広がっていますか。道理が通っていて、物分かりがよくて、何でも器用にこなして日常生活卒なく送っていても、そして、この世的にはいわゆるいい人であっても、心の中に蓄えてきたエネルギーはみんな凄まじいということを知っておきましょう。
愛を捨てた、本当の自分を捨てた、捨てて真っ暗闇の自分を作り上げてきた歴史がどなたの心の中にもどっさりとあります。
だから、環境、条件が揃ってくれば、それらの真っ暗闇のエネルギーが一気に噴き上がります。収拾がつかない、歯止めが利かない状態が続きます。頭を駆使した対処、対策は根本的な解決にはならないことは、学びをしている人ならばもうお分かりだと思います。
それぞれの心の中に、安心して思いを吐露する環境を育て、そして、その中で愚かな自分を抱きしめていこうとしない限り、真っ暗闇の深遠な闇の世界から自分を解き放つことはできません。
心の針をしっかりと合わせていこう、向けていこう。
今、その向け先をそれぞれがしっかりと学ぶという千載一遇のチャンスをいただいています。肉から意識へ自分を転回です。自分との約束、果たしていきましょう。
1911) 「宇宙を呼びたかった。宇宙を思いたかった。」どうでしょうか、あなたの心にこの思いが響いてきていますか。闇黒の宇宙を作り続けてきたけれど、私達は今の肉を通して、温もりの宇宙、喜びの宇宙の思いに触れさせていただいたのです。だから、帰りたい、帰りたいと、どんどんどんどん心の中にその思いを訴えてきます。宇宙の友はあなた自身です。あなたがあなたに訴えているんです。それを心で感じてくれば、ともにともに帰ろうということがどういうことなのか、どんなに嬉しい呼び掛けなのか、心で分かります。
肉は何もできません。ただ自分の心の叫びをしっかりと聞いてあげてください。肉のあなたが肉のことで忙し過ぎては、それもままなりません。
色々と事情があると思いますが、できるだけゆったりとした中に肉を置いて、そして自分の中の宇宙を呼ぶことをやってみてください。
ただし、欲の思いは禁物です。これは宇宙を思う瞑想に限りません。欲で学びをしないでください。帰りたい、帰ろう、帰りますの思いが、自然と心から突き上がってきたら、そこからしっかりと自分が本当に帰るべき方向を目指して学びをしてください。
1912) 今世をラストチャンスととらえてください。今世の学びを通して自分の心に感じたものを足掛かりにして、それぞれにこれからの転生を迎えます。
何度かあります。それらの転生を経て、必ず自分を250年後に繋ぐという確信を持って、今の肉を置いていってください。
それが今世、ラストチャンスだと言っている意味です。今世、自分の中に足掛かりをつけることなしに、250年後の出会いは難しいと思ってください。
厳しいと思うならば、どうぞ、正しい瞑想をしてこのことが厳しいことなのかどうなのか、自分の心で確認してください。
あなたの中の本当の自分、田池留吉の世界はどう語ってくるのか、それを参考にして、自身の生きる方向を定めていってください。
次元移行という意識の流れは粛々と仕事をしているというのは確かなことです。これもまたそれぞれの心で確認できればと思います。
1913) ともに行こう、ともに生きていこう、そんな力強い呼び掛け、いざないに心で応えていける喜びと幸せを存分に味わっていきましょう。今の肉を通してどんどん伝わり響いてくる波動、エネルギーの世界があります。
目を閉じてしっかりと自分の心の針を向けて合わせて、そしてその波動、エネルギーを受け止めてください。もちろん、それはあなたの外からくるものではありません。あなたの中からどんどん湧き起り噴き上がってくる喜びのエネルギーです。
そのエネルギーはあなたの中の間違った真っ暗闇のエネルギーをしっかりと伝えてくれます。帰ろう、帰ってきなさいと自分が自分に伝えている様を、しっかりと心で感じそして、伝わってくる波動の世界、エネルギーを楽しんでいきましょう。よかった、嬉しい、ありがとう、そんな思いで、自分の中の宇宙、自分自身が本当に喜んでいることを感じてください。苦しみではなかった。真っ暗闇の中にいたけれど、まだまだ真っ暗闇だけど、それがたまらなく嬉しいということでしょう。なぜならば、帰るべきところを知ったからです。みんなとともに宇宙の友とともに帰れる喜びと幸せにようやく巡り合った感触があるからではないでしょうか。
1914) よかった、嬉しかったです、そう笑顔で言って帰っていかれるのが嬉しいです。色々と学びの友のご協力をいただくから、「ともに瞑想会」が開催できます。全部お膳立てをしていただいて、本当にありがとうございます。
基本的には、土、日、祝日に会場予約をするということですが、抽選なので、月によっては平日になる場合があります。
また、「ともに瞑想会」=大阪という感じが肉の私にありますので、その辺のところもご理解ください。もちろん、意識の世界では、そういうことは一切ございません。どこにいようが、思えば通じる世界です。ただ、肉が不器用で、あっちもこっちもと気を配ることができず申し訳ないなあという思いがあります。
色々とありますが、「ともに瞑想会」に思いを向けてみてください。ともに成長していきましょう。いい会場です。100名来てくだされば私は大満足です。その方達がよかった、嬉しいと笑顔で帰っていかれたら、それでいいんです。そんな時間と空間を共有できれば、最高に幸せです。あとは何も要りません。肉としてでもそう思います。意識の世界は言うまでもありません。「ともに瞑想会」に参加させていただきありがとうございます。
1915) 肉を持って生活をしていく中には、それこそ色々とあります。形の上で、肉の思いとして、これはいいこれはだめと振り分けて、自分の思い通りになっていけばそれでよかった、嬉しい、幸せだと単純に生きてきたのが私達だと思います。
学びをしてきたから、形も整ってきたんだと、思っていますか。確かにそれはあるかもしれません。学びに出会わなかったなら、私は今頃どうなっていたか分からないと、学びに触れたことを喜んでという反省文もたくさん目にするし、話も聞きます。
いつまでも暗い心のままでいるよりも、少しでも喜んで前向きに学んでいくことは何よりも大切です。
ただ、自分に対する信、たったひとつの真実とともに生きていこうとする信を、これからそれぞれに何度も何度も問いかけてくるでしょう。心の揺さぶりを自らにしていきます。学びをした成果として、段々肉のほうも整ってきますという言葉を掴んで、他力の土壌のまま私は学んでいますと思い込んでいるのではないか、さらに厳しく自分に問いかけてください。
自分の中の本当の自分、真実の世界に目覚めていくということで、今世、肉を用意し学びに触れさせていただいたという事実を心で味わっていきましょう。思うは田池留吉一筋の道。これ以外に自分を救い出す道はありません。
1916) 母なる宇宙へ帰る、温もりの喜びの中にひとつに溶け合っていく喜びと幸せ、それを私達は切望してきました。本当なんです。宇宙に思いを向けてみてください。どんなに帰りたいと叫んでいるか。帰ろう、帰れるんだと伝えていけば、本当に帰れるのか、本当なのかと何度も何度も聞いてきます。
本当に帰るところがあるのか、あったのか、そんな思いが響き伝わってくる様を心で感じていけば、もう何とも言えない思いです。
そうだよ、そうだよと私達が帰るところは、私達のふるさとはあったんだ、帰ってきなさいと伝えてくる温もりの中に、喜びの中に、みんなみんな飛び込んでいこう、そうやってどんなに真っ黒な宇宙でも、必ず帰っていけることを、繰り返し繰り返し思ってください。
もう嬉しいだけです。肉を用意して、アルバートの波動を伝えていただいた意識は、最高に幸せです。アルバート、心から待ち望んできた出会いが、本当に現実のものとして心に広がっていく、そんな時間と空間を持たせていただいたことに、感謝しかありません。
1917) 愚か過ぎる肉はもうどうでもいいというのではないけれど、周りと無用なトラブルさえ引き起こさなければ、ある程度許されていると思っています。愚か過ぎる肉だとしっかりと自覚していれば、もう自分のすることはたったひとつなんだと思えてきます。
たったひとつ、それはそれは難しいことだけど、自分の中がそう切望してきたから、これは何としてでも果たしていこうという思いは、決して揺らがないでしょう。心に感じさせていただいた波動、思い、ここから自分を逸らせるわけはありません。心に寄せては引く波のように響き伝わってくる波動の世界です。ああ、私は私達はこの中に生きている、いざなわれている、はっきりと感じられます。
呼び掛け、いざない、心の中に強く強く伝わってくる今ではないでしょうか。みんな真っ暗闇の底の底の奥底のまだまだずっと奥底から這い上がってきた意識だったということを自覚して、それでもこうして喜びの中に、温もりの中に帰っておいでと呼び掛けてもらっている、いざないを受けている、自分で自分に指し示していることを本当に心から分かれば、愚か過ぎる肉にもまたありがとうしかないと思います。
1918) 肉からの脱却。難しいことだけど、そうできる道筋を伝えてもらい、学ばせていただいてきました。宇宙を思う、宇宙を呼ぶ瞑想が私には最高に幸せな瞑想です。宇宙を呼びたかった。宇宙に思いを向けて、帰りたいと本当に心の底から叫んでいる自分と何度も何度も出会わせていただきました。
田池留吉の肉があったからこそ、私は自分の中に宇宙を思える喜びと幸せを味わってきました。母なる宇宙と心から出てきて、本当に嬉しかった当時を思い起こします。
250年後の集大成に向けて、今世の肉は可能な限り心を合わせていきます。
肉を持たずに存在する時間を経て、再び、この世に肉を持たせていただく環境を整えています。アルバートと心から叫べる私が嬉しい。ただただ嬉しい。帰ろうと心から呼び掛け、そして、私達はさらに意識の世界を歩んでまいります。
1919) 2月の志摩セミナーの終了するときに、一回でも多くともに瞑想をする時間と空間を共有したいと思うという思いを語らせていただきました。
くしくも、3月のUTAホール志摩セミナーは中止になり、今月半ばの琵琶湖セミナーも、状況次第ではというところです。
一堂に会し、ともに学べる喜びを一回でも多く味わっていこうという思いで、私はセミナーに集っています。これから、今回のように、そういうことが難しくなっていく事態は起こってくるでしょう。
もちろん、そういう場合であっても、ネットでという手段もあります。ですが、そのネットさえうまく機能できない事態も起こってくるでしょう。
色々な場合を想定して、しっかりと本腰を入れて、自分と自分の学びをしていきましょう。
真実は自分の中にあります。田池留吉の世界、本当のあなたがあなたにいつもいつも、伝えてくれています。その安心感、幸福感、しっかりと自分の中で成長させていってください。心の針が外に向いていては、学んでいるとは言えません。常に針は中に。
すでに、自分に対する信を問いかける局面にあることをご自覚ください。
1920) 心からありがとう。そう言って思って瞑想をしていける喜びと幸せ、あなたは今、満喫していますか。肉でどんなに満たされようとも、心の中は荒み荒れ狂っている、寂しさの中で狂っている、そんな自分の世界を、今、肉を持っている今、しっかりととらえていきましょう。
そうしていくことが、どんなに喜びであるか、幸せであるか、あなたはもう感じていることでしょう。目を逸らさずに、思いを逸らさず、自分の中をしっかりと見て、その自分と向き合っていく勇気が必要です。自分の中に、自分のふるさと、愛へ、母なる宇宙へ帰りたいとする思いを真正面からとらえていけば、肉を持って、今、自分の中を感じていけることが本当に喜びだと、何にも代えがたい幸せだということが歴然としています。
それでも、肉を持っているから、どうしても肉のほうに思いを向けて誤魔化し、蓋をしようとしていく心癖、どなたにも根深く、根強くあると思います。
それでもです。ともに生きていこう、ともに帰ろうの呼び掛け、いざないをしっかりと受けてください。受けていきましょう。私達の帰るところはひとつ、そうはっきりと知ってください。知って信じられるあなたに復活してください。
1921) 何も特別に望まない。何も特別に欲するものもない。ただ、これからの自分の行く末をしっかりと見定めていく喜びと幸せ、充実感、そこだけに思いを集中していこうとすることに、中がそうだそうだと一斉に叫ぶ。
意識の世界に生きていることを、今世の肉を通して学ぶチャンスを得ました。なぜ苦しみ続けてきたのか、何を間違えてきたのか、真っ直ぐに自分に問いかけていく学びに触れました。
肉、形を基盤とするところからは何も見えないことを、徹底的に伝えていただきました。自分を肉から意識へ180度転回していく難しさはあるものの、帰ってきなさいという本当の自分からのメッセージをもう決して反故にはできないでしょう。
それしか自分を救い出す手立てがないことは、もうすでにそれぞれの心で感じておられると思います。
本物の優しさ、温もり、喜びの世界へもう帰っていこうという思い、決意をそれぞれがそれぞれの心でしっかりと確かめていける今です。
形の世界が崩れていくからこそいいんです。これだけは、ここだけはは、全く通用しない流れに突入しています。これからさらに、意識の流れの本領発揮という時間を迎えていくと思います。
1922) 離していこう。しがみつく、死守する、その思いをしっかりと見ていきましょう。文字通り身軽になっていきましょう。
散々自分を落とし込め、苦しめてきたことを心から知り、そんな自分に詫びていってください。自分に懺悔です。本当の自分に懺悔です。懺悔は喜びです。間違ってきましたと心から知っていけば、どんどん喜びが幸せが広がっていきます。その体験を何度も何度もしてください。ここまで、これでいいということにはいきません。それほど、間違い続けてきた私達だからです。それでもただ待っていてくれていたと心で感じます。信じて待ってくれていた、こんなこと肉、形の世界では絶対に味わえないです。
裏切り続てきたんです。切り捨て、見限り、足蹴にしてきたんです。
それなのに、ただ信じて待ってくれていたんです。形ある世界で、誰が何がそんなことをしてくれますか。
やられたらやり返せを合言葉に闘い抜いてきた心に、本物の優しさ、温もり、喜びを伝えていきましょう。根気よく抵抗勢力に伝えていきましょう。
1923) 肩の力を抜いて瞑想をしましょう。ゆったりとゆるりとただ思うことをやってください。幸せでしょう。嬉しいでしょう。ふうっと思える喜びの中にあります。心の中から響いてきませんか。思う喜び、思える喜び、心の針を向ける喜び、合わせていこうと思える喜び、たくさん、たくさん、何度も何度も味わってください。
肉を持てたからこそ、学ぶチャンスに恵まれたからこそできる体験です。
みんな真っ黒けのけ。みんな愚か。みんな自分を知らずに生き続けてきました。
けれど、その生き方の軌道を変えることはできます。変えていきましょうとの呼び掛けをいただきました。肉から意識へ軌道を変える、基盤を変える、喜びで喜びでそのことを成していきましょう。
1924) 環境、条件が整い揃えば瞬時に飛び出すエネルギー。殺戮のエネルギー。決して他人事ではありません。
闘って闘って闘いの中でずっと生きてきた意識の世界。その意識の世界を根底から覆す難しさがあります。180度転回していく難しさです。けれど、喜びだけだった、喜びが自分達の本当の姿でしたと分かっていく流れがあります。
私は愛でしたと心から知っていく道です。愛。愛が分からなかったから、愛を間違え続けてきたから、闘いの中に自らを沈めるしかありませんでした。
闇黒の宇宙。私達が垂れ流してきたエネルギーの塊があります。それが私達でした。そして、私達は、今世の肉を通して学びに繋がりました。闇黒の宇宙を際限なく広げてきた中で、喜びの世界があなたの世界ですとメッセージを受け取りました。
「喜びへ帰ろう。温もりへ帰っていこう。」形の世界が総崩れの中で、ただその呼び掛け、いざないだけが、響き伝わってきます。
三次元最終時、UTAとともに次元を超えてまいりましょう。1925) 4月から始まる予定の「ともに瞑想会」の参加ご希望の方達の名簿、途中経過ですが、その報告を受けました。すうっと名前掲載のページを見るだけで私は嬉しいです。ありがとうございます。
1926) 見逃せない心、思いの世界。しっかりと肉を持っている今、自分の中で確認してください。思いを逸らさず、蓋をせずに、きちんと自分と向き合う勇気を持ちましょう。
みんな真っ黒けのけ。みんな愚か。それでもその真っ黒、愚かを互いの肉を通して見ていく喜びがあります。真っ黒な自分、愚かな、愚か過ぎる自分、どうしようもない自分をしっかりと確認していきましょう。
落ち込む必要はありません。ただ嬉しいだけです。ただ幸せなだけです。宇宙一大バカ者が宇宙一幸せだったと心で感じてください。お金で神で幸せになれるなら、とっくの昔になっています。今頃、愛の人、愛の人で溢れています。もちろん、肉を持つ必要などありません。なぜ形がない私達に肉があるのか、その根本に地球人類みんな触れていかなければなりません。まずは今世の肉を通して学びに触れた意識からです。特別意識は捨ててください。真っ暗闇の地獄の奥底から這い上がってきた意識だとご自覚ください。そして、そこから、波動の世界に生きている、真実の波動の世界に生きている、それこそが自分達の本当の世界、そのことに心で知っていく心で分かっていく道筋を一歩進めていきましょう。
1927) アルバートの波動との出会い。揺るぎのない事実、現実。もうそれがすべてでした。心から呼びたかった、出会いたかった、その思いが一気に噴き出し、闇黒の宇宙の世界が動き始めました。
ただ嬉しかった。狂い続け、苦しみの奥底の底の底を這いずり回ってきたけれど、自分の中の真実を垣間見たから、自分に詫びることしかありませんでした。我の宇宙は素晴らしい、よく言えたものでした。
肉を持ってアルバートの波動を伝えにきてくれた、次元を超えていきましょう、ともにあるんですよ、ひとつですと伝えにきてくれた、はっきりと知ったから幸せです。
なぜ生まれてきたのか、何をするために今があるのか、やはりここが一番大切なポイントです。ここが分かれ道でしょう。それぞれの心から導き出して、それを自分の中心に据えていってください。自己確立をしてくださいと、繰り返しメッセージを出しています。
自分と自分の中で学ぶ、正しい方向に舵を切って、喜び喜びの本道を突き進む、速やかにその体制を整えていきましょう。
コロナウイルスも応援してくれています。じっくりとゆったりと自分と真向かいになる時間と空間を楽しんでください。喜んでいきましょう。
1928) 自分に対する信、思うは田池留吉一筋で生きていくのかどうなのかが問われます。自分と自分があるだけだということをお忘れなく。
肉と肉がツーカーと分かり合っていると思っても、それは所詮肉の世界のこと。意識の世界ではどうでしょうか。
ゆったりと自分の世界を楽しんでください。おどろおどろしい世界でしょう。そんな世界を立派だ、我を見よと威張り散らしてきた滑稽な自分だったと分かっていきましょう。本当は苦しい、哀しい、辛い、寂しいと叫びたかったけれど、それを許さない自分があったと分かりますか。
もういいんです。叫びましょう。解き放していきましょう。自分の中で、自分の中の温もりの中で、しっかりとさらけ出してください。
何も求めなくてもすでに満たされていました。それが分からなかった、信じられなかったから、地獄の苦しみから自分を救い上げることができなかったと、今世学ばせていただいたのではないでしょうか。
みんな、みんな帰れるところがあった、温もりの世界へ喜びの世界へ、元々あった中にもう帰っていこうと、自分に伝えていきましょう。
1929) 今、コロナウイルスという意識の世界からのメッセージで、それぞれにみんなゆったりと瞑想をする時間があります。セミナーもいいけれど、そして学びの友と瞑想をする時間もいいけれど、文字通り一人ゆったりと自分と自分の世界を思う時間も同様に、いいえそれ以上にいいものです。
自分の学びに対する姿勢、生き方、これからの自分、色々と思いを馳せる時間としましょう。
4月以降もどうなるか不透明な状況かもしれません。ですが、自分に対する信、自己確立の道がきちんとあれば、何も案ずることはありません。
自分と自分の学びです。田池留吉、アルバート、母なる宇宙の波動の世界に生きている自分達だと心で知れば、本当に何も案ずることはありません。
呼べばいいんです。思えばいいんです。喜びも温もりも幸せも全部全部自分の中にあった、今の肉を持っている間にしっかりと学んでいきましょう。
1930) 心の針を自分の中に向ける、思いをしっかりと見ていく、そのためには、ある程度ゆったりとした時間とある程度の体力気力が必要となってきます。
肉に流れていくのは本当に容易いです。それをずっとしてきたから、そこに馴染んできたから、本当に容易いことです。
中心棒の確立、自己確立をお急ぎください。あとどの程度肉を持つ時間があるか、それを念頭に、ただ自分との約束を今世こそ反故にしないという思いで、日々の生活を送っていきましょう。
自分に今用意されている、用意している中で、どうぞ、しっかりと瞑想をしていきましょう。思いを向ける、向けられる喜びと幸せを味わって、そして、自分を大切に、今という時を大切に、肉を持つ本当の意味を心から感じてください。
1931) 私達は本当に幸せ者です。宇宙一幸せ者と言っても決して言い過ぎではありません。なぜならば、田池留吉という真実の波動の世界を学ぶチャンスに出会ったからです。このことが、まだいまいちピンとこない人は、自分達がどんなに間違ってきたか、いいえ間違ってきたことさえもまだまだ心から分かっていないかもしれません。いいえきっとそのはずです。
肉を自分だとすること、これって本当に間違いだった、狂ってきたとどの程度心で感じていますか。
自分を捨てたんです。本当の自分を捨て去ったんです。足蹴にしてきたから苦しみの奥底に沈んだのも当たり前だったけれど、こんな苦しい人生と、あいつがこいつが、これがあれがといつもいつも責任転嫁していった愚か者、卑怯者が私達人間と呼ばれる生き物でした。
もう、生きる方向を変えていきましょう。180度転回していきましょう。
自分の心の奥底から突き上がってくる叫び、悲鳴に心を傾けてください。
もちろん、肉で生きろ、肉がお前だという思いも当然の如く、怒涛のように来ます。ですが、ですが、その真意をしっかりと組んであげてください。
組んであげられる私達なんです。信じていきましょう。
1932) 肉で生きていく時間は、さらに先行き不透明な時間となってきます。肉の安全、安心を求め、心は右往左往します。当然です。そんな転生を繰り返してきました。
肉を捨てろ、肉の思いを捨てろと言われも、肉を持っている以上難しいです。ただ弱めていく、緩めていくことは可能です。それも修行的な思いではなくて、自然にそうなっていくんです。なぜならば、自分の心に響き伝わってくる波動の世界があるからです。その波動の中にずっと生かされていた、存在していた自分達だったと心で感じ始めてくると、もういい、もう自分を苦しみの中へ落としていくのは止めにしよう、ごめんね、自分を知らずに生きてきましたと、自然にそんな思いが湧いて出てきます。それはどこから、それは自分の中からです。そう思えてくるんです。肉、肉と肉にしがみついてきた自分の哀れさ、愚かさを感じるから、今世こそ自分を本当に温もりの中へ喜びの中へいざなっていこうと心の中から突き上がってきます。
そういう時間をしっかりと持って、今世を転換期に本道、愛へ帰る道、本当の自分の世界へ帰っていく道を歩き出してください。ともにともにということを心に、一歩歩みを踏み出していきましょう。
1933) 学びは本物の自分と偽物の自分との学びです。まずは本物の自分と偽物の自分があることに気付いていく必要があります。肉、形を本物として生きてきた自分は紛れもなく、偽物の自分です。その偽物の自分の思うこと、言うことに沿って日々の生活を送っているというのが、この世の常識です。その常識の中で、肉、形の世界は影の世界だとは決して思えないです。
目に見え耳に聞こえ手に取れる実感があります。到底影なんて思えるものではありません。けれど影です。
心の目を覚ましていきましょう。そして、覚ました目を通して、自分の生き方、存在の仕方を自分に問いかけていく方向に学んでいきましょう。
生れてきたことにどんな思いを持っているか、本気になって真剣に自分に問いかけてください。
ライブ配信予定日、3月14日(土) 午後2時
1934) 日々、瞑想をしていますか。正しい瞑想の純度は上がっていますか。
すべて自己診断です。自分で判断してその結果を自分で受けて、そしてまた自分の中を歩いていく、限りなくどこまでも。
自分の生き方、あり方、しっかりと精査して喜びの人生としましょう。
苦しみの中に自ら落ちていくことを止めるだけです。難しいことだけれど、喜びを幸せを求めて自らを苦しみの中に沈めてきた事実、現実をはっきりと知ることです。
誰のせいでもない、何のせいでもない。自分を本物の自分を見失い捨て去ったからでした。だから元あったところへ戻っていけばいいだけです。帰るところはここだよと伝えてくれている思いに、素直に沿って生きていけばいいだけです。ただし、肉を本物とする抵抗勢力のすごさを心得てください。半端なことでは元あったところへ戻れないし、本物の自分の思いに素直に沿って生きていくことはできません。
日々、どんな思いで瞑想をしていますか。正しい瞑想とはどんな瞑想か心で分かっていますか。
1935) 何が本当のことなのか、色々なところで形の世界が崩れていくことによって、それぞれみんな何かを考え始めると思います。
何かおかしい、何かがおかしい、どう生きていけばいいのか、もしかしたら、何かとんでもない間違いをしてきたのだろうか、さらにさらに形の世界が崩れていくことによって、祈りを救いを求める思いも増幅するけれど、その一方で、何かがおかしいと感じ始めると思います。
何かがおかしい、そうおかしいんです。狂った心、意識の世界が形として表れているというところまで、地球人類が行き着くには、まだまだ時間と総崩れという現象が必要ですが、それはきちんと成してきます。
意識の流れがあるからです。意識の流れ、その流れに沿って、その中に溶け込んでいくことしかないと心で分かるまで、どんどんどんどんさらにさらに形の世界は崩れていきます。必然のことです。間違った世界は正される、ただそれだけのことです。
それだけのことですが、肉を本物とするところからは、それは到底分からないことです。つまりは肉から意識へ自分を転回していって初めてその通りだとなってくるのです。
1936) 同じ映像を見ても、同じ音声を聞いても、感じ方は違います。映像、音声、それらは形の世界のことです。それを心が意識がどのように受け取り、そこから何に心を、意識を向けていくか、それによって住む世界が違ってきます。時間空間は同じかもしれませんが、向いている先が違えば生きていく方向が違うということになってきます。
肉、形の世界を取っ払って、そしてただ自分の今ある世界に思いを向けていくことを、日常の中で繰り返し学んでまいりましょう。
肉を持ちながら、目をしっかりと開け、耳をしっかりと開き、そこから感じる世界をまず自分の中で確認していくことが大切です。
その世界に流される、沈むのではなく、確認したものを自分の中の喜びと温もりへ返していく、そうすることが肉を持っている意味であり、そうできることが自分の喜びである、そんな時間を重ねていきましょう。
そして、目を閉じます。思います。呼びます。田池留吉、アルバート、本当の自分、愛、心のふるさと、母なる宇宙と思いを向けていきます。
限りなく広がっていく喜びと温もりの世界にある自分だったことの確認作業、肉を持ちする瞑想の醍醐味です。
1937) 自分がなぜ生まれてきたのか、本当は何をするために生まれてきたのか、それを心で知る、分かるということ、そこのところが分かれ道になります。そこのところが違えば、たとえ、夫婦、親子その他近しい関係であっても、生きていく方向、歩いていく方向は違います。今世、縁あって近しい間柄になったのだから、できれば、生きていく方向、歩いていく方向が同じであればと思います。
それはさておき、学びに触れた私達です。自分自身が、まずしっかりと学びましょう。
なぜ生まれてきたのか、何をするために生まれてきたのかを、いつも問いかけて心の針の向け先をいつも確認しましょう。確認できる今が幸せです。
どんなに間違ってきても、自分の中で間違ってきたことに気付いていければ、自分の生きていく方向、軌道を修正できます。軌道修正に取りかかってください。
1938) 思う喜び、思える喜び。私はやはりこれに尽きると感じています。何を思うか、思えるか、そして思ったらどうなるのか、どんな世界が広がっていくのかを学ばせていただいています。学びに触れ30年近くになりますが、本当によかったと思っています。
幸せってこうだったんだ、私は喜び、温もりの中にあったんだ、私は私を知らずに、いいえ信じられずにずっと生きてきたんだと、学ぶ時間をいただきました。
出会いをありがとう、瞑想をすればいつも応えてくれます。そう伝えてくれます。これって何だ、すごいなあともうそれが嬉しくてありがたくてという瞑想の時間を重ねています。
次元を超えて、私は私のふるさとへ、愛の自分へ帰っていく道を突き進んでいきますと確認できる今が嬉しいです。
ともにある喜びと幸せ。ともに生きていける喜びと幸せ。
愚かな肉を携えて、いいえ携えることができたから、今世に出会いがあったと確信しています。
1939) 私は私との約束を果たす、ただそれだけです。苦しみの奥底からようやっと這い上がり、自分を信じていこう、これが最後、必ず自分との約束を果たす、そう自分に誓ってきたから、学びに繋がったのです。
夫を殺してきたなという田池留吉の意識の世界からの一言に、私の確たる決意が表れていました。
喜び少ない、夫を殺した、短いフレーズだけで充分でした。
それならばお前、お前が言うところの真実とやらを私に示せ、そう決死の思いで学び始めてから30年近くの年月が流れました。
田池留吉の意識が肉を持っている間に、ほぼ予定通り今世の学びを進め、あとは自分の心の針の向け先をいつも確認して、肉は愚かだから細心の注意を払って、三次元最終のお勉強へと進むことだけを思っています。
選択肢はひとつ。肉での希望、要望はなし。ただ意識の流れに忠実に自分を乗せていく、極めてシンプルな生き方があるのみです。
1940) 何を思って死ねるのか。どんな状況で肉を置いていく時が来ようとも、死ぬ瞬間、心の針を合わせていけると確信していますか。
肉ではできません。肉でそうしようと思っていても、その時、肉体的に苦痛を伴っているかもしれません。意識が朦朧としている中かもしれません。
心の針を合わせていける確信とはいったいどういうことを言うのでしょうか。
肉では決して推し量れない意識の世界です。ただ、肉でできることはいつも思うことを忘れないようにするということだけかもしれません。
日々、色々とある中で、どんなに忙しくまた心が乱れても、それでもふうっと思える瞬間があります。平時ではもちろんのこと、いつも思うは田池留吉の姿勢で肉を持つ時間を過ごすということになるかと思います。
形の世界を死守することはできません。影は死守できません。初めから何もなかったんです。総崩れというけれど、元々何もなかった世界へ戻していくだけです。何もない。だけどあります。ともにある喜びと幸せは永遠に無くなりません。
1941) コロナウイルスで世の中は忙しいけれど、見て聞いて流れていく時間の中に自分を埋没させることなく、今ある喜びを心でしっかりと受け止めていきましょう。肉に思いを向ければ心ここにあらず、これからもそういう現象が目の前に展開していくと思います。
中心棒はありますか。中心棒はぐらついていませんか。肉を救う、肉の心を救うのではなく、もっと根本的な救いの手を自分に差し伸べていきましょう。
そうすることが、そうできることが、ただただ嬉しい、ありがとう、幸せ、嬉しい涙とともに心からありがとうの思いが満たされていく、宇宙が喜んでいる、宇宙とともにあった自分達だったということを、それぞれの心の中で、意識の中で味わってください。
肉の喜び、幸せも本来の喜びと幸せにしていってください。肉あればこそ、真実の波動の世界に触れる、その中に生き続けてきた自分達だったと知ることができる、こんな喜び、幸せの人生はありませんでした。
1942) 肉で肉として生きていく苦しさ、空しさ等々、今世の肉を通してしっかりと学んでいきましょう。そうやって過去繰り返し、繰り返し自分を苦しめてきました。もうその苦しみから自分を解き放していきませんか。
肉、肉、肉、もういいではありませんか。間違ってきたことを心でしっかりと感じ分かってきたならば、そこから一刻も早く自分を本来の自分の軌道に戻すことを始めてください。
心で気付いた方から始めてください。宇宙が変わっていく喜びを自分の中で味わい、味わい尽くし、今世の肉の時間を終えていくとしましょう。
はっきりとしっかりと自分のするべきことを知り、歩いていく方向、生きていく方向をきちんと定めていけるように、肉を持つ時間、大切に有効に使ってください。肉、つまり偽物の自分を生かすために肉を使うのではなく、本物の自分を信じていけるように、肉を肉の時間を使っていきましょう。
1943) ともにある喜びと幸せ、心で感じてください。田池留吉、アルバートとともに、本当の自分とともに、いつもいつもあることを、ただそれだけをしっかりと自分の中心に据えてください。
他力的な思いではなく、ただそう思えることが嬉しい、心からありがとうの思いが噴き上がってくる、幸せだ、嬉しい、ありがとう、そんな心を向ける時間をたくさん、たくさん持つようにしましょう。
一回の時間は短くても、日々ふうっと思う、思える時間を増やしてください。
「私はあなたの中にいます。ずっとずっと初めからあなたの中にいます。私はあなたです。あなたは私です。ひとつです。」
この思いとともにいつもいつも生きていきましょう。
肉、形の世界は、さらに混迷の度を増してきます。だからと言って、自分の中に逃げ込むのでなく、その様子をしっかりと心で受け止めていきましょう。そうしてこそ、自分の中の中心棒のありがたみがさらに深みを増してきます。きっぱりと自分の行く方向が見えてくることに、ただただよかった、嬉しい、ありがとうだけだと思います。
1944) 学びの友からのメールです。一読ください。
ある現象に心が引っかかっている時、ふっと、私は目に見える現象を一生懸命塗り替えようと苦心惨憺してきたんだなあと思った。映し出された影を一生懸命に消そう、変えよう、自分の想うとおりに塗り替えようとしてきた。元はこちらなのに...と。この今まで何百回と聞かされてきたこのことが、ストンと自分の心の中に納まった。
なんと愚かな自分かと思った。本当に、無知とはこういうものかと、あっけにとられるぐらいの感覚やった。映像を変えようとする他力の思いと、自分の心を見つめていこうとする本道とは、まったく相いれない、全く違う道だと思った。全く違う学びということにようやく気付き始めた今日この頃、今まで学んでいると思っていた学びは、まったく学べていなかったのです。でもしかし、この間違いに気付いていくための私の道のりだったのでしょう、だから間違ってきた自分にもありがとうの思いでいます。よかった、これからやね、厳しいけど、やっていかなな。
ただ思う、ただ心を向けてみる、肉では説明ができへんけど、この効用というのか、ここに大きなポイントがあるように思えてくる。ありがとうございました。
1945) 一人静かにゆったりと今を思うことに尽きます。それが唯一の幸せ、喜びの時間だと感じます。今、自分というものが肉という形を持ってここにある意味を深く味わう時間と空間は、大変大切なものだと思います。
目を開け言葉を発し、肉、形の中でどんなに思いを馳せても、それはやはり、肉、肉の世界のこと。それよりも、目を閉じるんです。目を閉じるだけでいいとは言えませんが、まずは、ゆったりとする、身も心もゆったりとできる環境をほんの少しでも作るということを、肉としての努力目標にしてください。
肉でできることはそれくらいしかありません。心を見ることはもちろん最重要なことだけれど、それもまた肉基盤では、やはり自分が正しいというところから見てしまうということになっているかもしれません。すべてをご破算にして、心を見る難しさがあります。
他力の中に生き続けてきた私達にとって、どれだけそれを意識へ、本当の世界へ転回していくのが難しいことなのか痛感されているところだと思います。それでも、それぞれの心でしっかりと学ぶ姿勢を継続しましょう。継続できるか否か、それはそれぞれの心に感じた、感じている波動の世界が左右するでしょう。忘れられない、ここへ戻ろう、そういうことだと思います。
1946) 4月志摩セミナー開催、微妙です。今の状況からしておそらく中止の方向にいくのではないかと思います。その先の予定も未定です。
いいではありませんか。肉、形の世界のことは不確実、不安定です。今更というわけではありませんが、コロナウイルスの現象がそれを証明してくれています。けれど、私達が住んでいる意識の世界はそうではありません。確実、安定です。
自分の中に帰る、戻る、その喜びと幸せさえ確立していれば、それを淡々と進めていけばいいだけです。自己確立の重要性、自己確立の喜び、きちんと自分の中で確認していけるよう学びをして、今世の肉を置いていきましょう。
1947) 今世、始まったばかりの真実へ帰る道。そうです、愛を知っていく、本当の自分を知っていく学びは今世始まりました。その今世始まった学びも、田池留吉という意識の世界が肉を置いた時点で、場面が変わりました。
250年に至る三次元最終段階へと学びの歩みを進めていく準備は滞りなく整えられたから、田池留吉という意識の世界は肉を一旦置いたのでした。もう少し、その肉とともにお勉強をという思いはありましたが、意識の世界からは、その必要なしということだったのでしょう。
あとは、それぞれの心の中で、田池留吉の意識の世界との交信をして、真実へ帰る道を進めていく段階です。
ともにある喜びと幸せ。初めからともにあったという確信。あなたの中の宇宙とともに私の元に帰ってきなさいと、いつもいつも呼び掛けてくれている波動の存在。
肉を持てた喜びと幸せ。肉を持つことの意味。日々、苦しみもがきながらも、正しい瞑想の中で、しっかりと感じてそして、自分に本当のことを伝えていきましょう。
ライブ配信予定日、3月28日(土)午後2時
1948) 自分と自分の中での学びです。自分の生きていく方向をきちんと正しい方向に定めていけるように、すべて自分が用意して整えてきた肉の、形の世界でした。それが分かりませんでした。全く分りませんでした。今世の肉を通して学ぶということがあったから、ようやくそうだったんだという、本当にお粗末な自分の世界でした。
肉、肉の世の中の流れの中で、自分の中に意識の世界を呼び覚まし、そしてその流れに乗って存在していくという中心棒の確立が何としても必要です。それがなければ、形としては学んでいるだけで、自分の中は殆ど何も変わってはいない、それが現実だと思います。
肉ではない、肉、形の世界は影だ、そう自分に言い聞かせても、自分の根本が変わらなければ、それは空しい言葉の響きだけを残していきます。
だけど、切なる思い、叫びがあります。だから、未曽有の天変地異が必然的に起こってきます。地軸が動く、想像の範疇は超えていますが、どういうことなのか、あなたの意識の世界はすでにご承知です。1949) 何が起きてもおかしくない局面にすでに突入していることを、しっかりと心で感じてください。肉、肉で何とかする、何とかできるという思いは捨てていきましょう。何もできない、ただ呆然と立ち尽くすだけ、そういう場面にこれからそれぞれが立ち会っていくでしょう。
そのとき、そのとき、心に何を思うのでしょうか。どこに心を向けられるでしょうか。すべてをご破算にしてということがなければ、そしてポーンと飛び出していくことがなければ、自分の世界は、何も変わりはしないということです。
そのチャンスを自ら用意しています。飛び出していこうと固く思っているからです。飛び出して、そして、自分の軌道を変えていくという決意に触れてください。しっかりと正しい瞑想を重ね、その決意を確認して、そして本来の自分の元に帰っていきましょう。
千載一遇のチャンス。これを軽く受け止めることなく、心から自分を大切に、そして宇宙を、帰るべき宇宙を深く深く思って生きていきましょう。
1950) 元あったところへ帰るだけです。その思いを今世の肉を通して確認させていただきました。元あったところを捨ててきたけれど、飛び出してきたけれど、何もいいことはありませんでした。捨てて飛び出て、もっと素晴らしい世界を手に入れようとしてきた、何とも幼稚で愚劣な中にどっぷりと生き続けてきたんです。
形がないのに、形を持てばそれを自分だとしてしまう、何でこんな愚かな自分達になり果ててしまったのか、ようやく今世、そのことに触れる、学ぶチャンスを用意しました。
もう限界だったのでしょう。あまりにも苦しく切なくやり切れない中でもがき苦しんできた自分に最後のチャンスを用意したのでしょう。
それが今世だと私は思っています。後はありません。剣が峰と表現してきました。何はさておき、学ぶべき時にできる限り学んできました。旬を逃さない。そうしてきたと自負しています。その結果を踏まえて、これから250年に至る道を歩いていくということになっています。
心で受け止め、受け止めた心が生きる方向を定めていく、意識の流れに乗って、元あったところへ帰っていく、それだけが本道、喜びの道だと私は知っています。
1951) 昨日のライブ配信、僅か2分ほどで遮断されました。色々と規制があって、ネットの世界も大変です。ですが、その2分の中で、今回語りたいことを語らせていただきました。あとは、それぞれが自己確立の道を着実に進めていけばいいだけだという学びの段階になったということです。
1週間後の土曜日に、違う方法でネットを通してまたともにお勉強できることを心待ちしています。
できれば、セミナー会場でともに瞑想をというスタイルをと思っていますが、それもこれもまた意識の世界の計らいに沿っていくだけです。私達は日々正しい瞑想をしっかりと遂行していくだけです。
1952) 楽しいです。嬉しいです。肉では色々とあっても、そして身体の調子がいまひとつでも、ふうっと思える喜びと幸せの中に私は生きていると感じられることが、楽しい、嬉しいです。
宇宙、宇宙を思い瞑想です。宇宙を呼びたかった、宇宙に思いを馳せたかった。なぜならば、私は宇宙からやってきたから、宇宙は私のふるさとだから、そんな思いが、私の中に響き伝わってきます。
それが私の瞑想の時間です。異語が止めどもなく出てきます。涙とともに異語が出る、爽快です。
時間にすればそんなに長くはない。ただアルバートと呼べる私が嬉しい、何とも心地良いです。肉という形を纏っている私は、私の世界に心を向けられる今がありがたくて幸せです。肉の安全、安定を思う思いももちろん出てきます。だけど、私は今感じている波動の中にある、この波動とともにあることを私は知っている、感じている、そこは絶対に揺らがないです。
心に感じているものを大切に、大切にというメッセージを発します。
1953) 守ろうと思えば思うほど、苦しみの中に埋没していきます。そんな転生を数限りなく体験してきたはずです。もう止めましょう。守ろう、その手を、その思いを離していきましょう。離していく方向に自分を進めてください。
そうしないと、自ら闇の真っ暗闇の中に落ちていくだけです。そのことはもうすでに心でお分かりだと思いますが、分かっているけれど止められないと自分を誤魔化してきたんです。
守るべきものなんてないんです。自分の心を、本当の自分を、愛を捨てた私達に一体何を守って、どう生きていくのか、聞いてみてください。
馬鹿だ、大馬鹿だ、だけどもう帰ろう、本当の自分のところへ帰ろう、素直になろう、本当の喜び、本当の温もり、本当の安らぎの中へ帰ろうと伝えてくるはずです。
そんな自分の中の切なる思い、必死の思い、必死の叫びに応えていってください。それが優しさです。温もりです。喜びです。ともに生きていこう、ともに歩いていこう、今も、今もあなたの中から呼び掛けてくれている思い、波動にしっかりと応えていきましょう。
1954) 肉ある今を喜んでそして、真剣に素直に自分を思ってください。自分を思うんです。自分のこれからを、意識の流れの中にあり、その流れに沿って生きているかを真剣に思ってみてください。
肉を持っている時間、どれだけ真剣に生きているのでしょうか。肉を中心に据えて、やはり肉というものに心を残している現実が浮き彫りになっていませんか。そう感じて学びをしているからと後ろめたい思いもあるけれど、正直それに違和感もなく、肉の幸せ、安定をやはり望んでいるという実情ではないでしょうか。実情は実情でいいんです。学んでいますという姿勢を押し出していくよりも、現状把握をしっかりとして、そしてそこから、さて自分はどうしていくべきか、ということを自分なりに真剣に学んでいきましょう。
今、世の中はコロナウイルスで揺れています。心にある不安、恐怖を炙り出し、先行きの見えないこれからを伝えてくれています。
完全に間違って生きてきた人類に、これからも矢継ぎ早に警鐘が鳴らされます。肉基盤の思いからすれば、現象はみんな警鐘です。ですが、思いを向けるということを学んでいるならば、そこから伝わってくる波動を感じてください。波動を読み取ってください。そして、思いの向け先はひとつだと、自分の心で感じ広げていってください。ともにある喜びの波動がなせる業です。
1955) 意識の流れはスピードを上げています。意識の流れの仕事は着実に粛々と、ということには変わりはありませんが、そのスピードは250年に至る三次元最終時期を目指し、喜びで喜びで加速していきます。ボーっと生きてんじゃねえーよということではありませんが、気を引き締めて、しかしゆったりと喜びの思いで、今を過ごしていきましょう。
なぜ生まれてきたのか、何をするために生まれてきたのか、もう心で分かっていますね。それをただ淡々と実行してください。心の針の向け先をいつも確認して、ともにある喜びの世界をどんどん自分の中に広げていきましょう。出会えるんです。思いを向ければ、いつも、いつでもともに生きています、ともにあります、私はあなた、あなたは私、ひとつです、そんな波動の中にあることを感じるでしょう。
喜びではないですか。こんな喜びで幸せな時間と空間に自らをいざなっている、今世、この計画を立ててきたことに、真っ暗な自分に感謝しかありません。間違い続け狂い続け、おぞましいエネルギーの塊の自分に感謝です。ありがとう、その思いを宇宙に広げていきましょう。
1956) Zoomウェビナー、どうでしたか。4日の14時、楽しみにしています。何も考えていません。ただ学びの友、宇宙の友とともに思いを向ける時間、空間を楽しんでいくだけです。
田池留吉の学びに触れさせていただきました。その思いを大切に、喜んで今の肉を終えていきます。まだまだこれから、250年に至る喜びの時間、空間が待っています。
必ずや、次元移行の呼び掛けに応えていきましょう。
肉は私達の本当の姿ではありません。ただひたすらに田池留吉、アルバートの波動の世界とひとつになる道を生きてまいりましょう。険しいです。厳しいです。しかし、この道しかありません。証し人になってください。
1957) 何が間違いだったのか、今もなぜ間違い続けているのか、心で気付き始めた方から、修正です。気付いた方からやり始めればいいんです。誰のためでもない、それが私達が本当に望んできたことでした。愛へ帰る、心のふるさと、愛、母なる宇宙へ帰る、実行してください。
繰り返します。あなたの頭など何の役にも立ちません。意識の世界のあなたを知っていくのに、あなたの頭を使わないでください。
それは自分を愚弄する行為です。その思いの底に眠るエネルギーを感じられたならば、もう何もありません。どんなに愚劣な自分だったかが、手に取るように分かるからです。
意識の流れを自分の中に呼び起こし、そしてその流れの中でしっかりと自分の行く末を感じてください。
もう待ったなしです。私は、私達は帰ります。私のふるさと、愛へ、母なる宇宙へ帰ります。そのために今の肉があり、田池留吉、アルバートの意識、波動の世界との出会いがありました。
あなたは手ごたえを感じていますか。今世肉を用意して、学んできた手ごたえを感じていますか。自分に伝えることができていますか。250年後の出会い、必ず果たしてください。自分の中で確認をしてください。
1958) 淡々と自分が決めてきた道を歩んでいく、生きていく喜びと幸せを心でかみしめていきましょう。
今世をあなたの転換期にというメッセージ、味わっていますか。
これまでの転生と同じでは、自分を苦しみの中から救い出すことはできません。肉として生き、肉として死んでいく転生。散々苦渋を舐めてきました。たったひとつの帰るところを心に確かめ、自分を大切にしていきましょう。
肉を持つ最後の最後まで、思うは田池留吉の道です。
ともにある喜びと幸せがしっかりと信じられるように、ただひたすらに真っ直ぐに自分の心と、真っ黒な自分と真向かいになっていこうとしてください。
1959) 肉を持っている今、今を本当に大切にしましょう。自分を大切にする、自分の思い、切なる思いを大切にして、そして、その切なる思いを、今世を境にして実現する方向へ舵を切っていきましょう。
なぜ生まれてきたのか、このことが自分の中で本当に分かるということが、待たれています。
肉、肉の中で、肉、形を本物とする中で、どんなに努力しても、生命と財産を守るためにあらゆる手段を尽くしても、ダメなんです。
ダメだということを、これからの時間、僅か250年、300年かけて自らに知らしめる、そんな意識の流れの計画が遂行されていきます。
これは止められません。ただ流れの中でどのように自分の思いを変えていくか、つまりは本当の自分に目覚めていくか、それだけです。
あとは、何もありません。300年の猶予期間があります。それを逃したら、肉を持てない環境の中で、どのように存在していくのか、それぞれの心で知っていってください。
厳しいようだけれど、しかしあるのは喜びだけです。本当の自分達の世界へ戻っていこう、帰ろうという呼び掛け、いざないの思いに、その波動の世界に触れてみたら分かります。どんなに待ってくれているか、信じて信じて待ってくれている思いを、どうぞ、あなたも本当にその心で感じ深く味わってください。
1960) 弥生三月も、コロナウイルスであっという間に過ぎ去っていきました。家の近くの公園の桜等々、人間以外の世界は淡々と喜びで時の移ろいの中にあります。
私達人間だけです、目の前の出来事に右往左往して、大切な時間を無駄にしていくのは。その中で、自分達が生まれてきた本当の意味を心で学ぶ機会に恵まれた方達は、その喜びと幸せを存分に心で味わっていける時間としていきましょう。
思うは田池留吉一筋の道を歩いてください。肉を持てば色々とあります。心は様々なエネルギーを感じ、発します。けれど、その中に埋没することなく、感じ発したエネルギーを思い、そしてさらにそのエネルギーとともに、思うは田池留吉、アルバートです。
肉を持つ今だからこそ、そのお勉強ができるんです。自分にとって本当に何が一番大切なことなのか、繰り返し繰り返し学んでください。何度も何度もです。これでいいということはありません。
肉のある限り、本当の自分の思いに精一杯応えていきましょう。そして切なる思いをぜひ実現する方向へ。それが私達の喜び、幸せの道です。この道をともにともに歩いていきましょう。
1961) ぶれずに学びを進めてください。学びとは、セミナーに参加することではありません。スカイプやZoomのネットを駆使していくことではありません。どんな思いで学びを進めているか、本当に瞑想をしているのか、どんな思いで瞑想をしているのか、田池留吉、アルバートを思っているのか、宇宙を思っているのか、いくらでも自分に問いかけて、自分と自分の中で学んでいくことができます。
何もなくていいんです。自分の中にすべてがあるんですから。肉という形だけを見れば、同じでしょう。しかし、心の向け先、針の向け先を知らなければ、肉のみ。肉の中で苦しみが続いていきます。形としては同じように見えても、たとえば、コロナウイルスで大変な状態であっても、そういう状態になるのに猶予期間があります。その間に、心の針の向け先を知っているか否か、向ける度合いがどの程度なのかということが判定できます。
あとは肉の中にある肉という形は、その中に流れていくだけです。肉から離れた意識の行き先が違ってくるということになります。
肉は肉の法則に従っていかざるを得ません。ただ私達が学んでいるのは、私達人間は、意識、波動、エネルギーだということであって、肉の法則とは無縁です。思う喜び、思える喜びを自分のものにしてください。
1962) ゆったりと真っ直ぐに自分の行く末を思う、そして、思いを馳せられる今を思いましょう。何もなくても何があってもただ嬉しい、ありがとう、そんな中に生き続けていたんだ、じっくりと心で感じていきましょう。
肉に走っている間は、そんな喜びと幸せとは縁遠いです。そして、いつの間にか年齢を重ねてしまいます。けれど、その間に、何度か自分の人生とはいったい何だろうかと思うチャンスがどなたにもあったはずです。
そのチャンスを本当の意味で活かすことなく、死を迎える、肉という形を置いていく時がやってくる、それが殆どの方でしょう。
それではダメだということを、私達は学んでいます。
本当の人生を生きる、生まれてきた本当の意味を心で知る、分かる、その分かったことに沿って肉を使っていく、これまでの転生とは全く違う転生としましょうと学んでいます。
学びに触れたこと、どのように思っていますか。自分をどのように思っていますか。自分の人生、肉を持っている今どのように思っていますか。
肉を置いていくまでに自分の中でしっかりと心を決めてください。
1963) 肉という形を持ってきた私達は、いずれその肉という形を置いていく時がやってきます。それが何時なのか、どういうふうにそうなっていくのかは、この際問題ではありません。それよりも、肉を持っている今、心の針の向け先を確認して、その方向に自分を委ねていってください。委ねていける喜びと幸せ、安心感を心に広げていってください。
切望してきたんです。そう自分の中が伝えてくるはずです。本当の自分の世界へもう戻っていこう、帰ろう、どんどんどんどん伝わってきているはずです。
今世、肉を用意してきた、そして、田池留吉の意識の世界を学ぼうと準備してきた、その思いを深く、深く大切に受け取ってください。
「ともに生きていこう。ともに歩いていこう。」24時間365日、メッセージは流れています。
ともに瞑想をしてください。田池留吉、アルバートは見えません。けれど存在しています。波動を受け取ってください。優しい、優しい、そして温かい力強い呼び掛け、いざないに心からありがとうの思いで応えていってください。
1964) 遥か遥か彼方、私達のふるさと母なる宇宙を目指して、ともに歩いていきましょう。宇宙へ帰りたかった。飛び出してきたけれど、帰りたくて帰りたくて、だけどその思いを足蹴にしてきたのは自分自身でした。
ということを、心で知ってください。そして、自分に懺悔です。本当の自分に懺悔です。苦しい中でも辛い中でも、寂しくて寂しくて狂うしかなかった時でも、いつもいつもともにありました。信じられなかっただけです。こんなに苦しいのに、こんなに辛いのに、こんなに寂しいのに、何でその時、私を救ってくれなかった、救いの手を差し伸べてくれなかったと、恨み辛み、呪いの思いだけを膨らませてきただけでした。
救ってくれていたんです、手を差し伸べてくれていたんです。
その思いを蹴散らし、撥ね付けてきたのは自分自身でした。己というものを間違ってきたからです。我一番の宇宙の中で狂うしかなかった心に、何も伝わるものはありませんでした。温もりよりもパワーだ、そうやって聳え立っていった哀しい哀しい時間の山です。
その山が崩れて崩れて総崩れにならなければということです。
自ら積み上げてきた山は、自ら崩していく、いけるんです。それが、自分が愛であるという確かな証しです。
Zoomウェビナー配信予定日、4月11日(土)午後2時
1965) 緊急事態宣言もあって、世の中コロナ、コロナで騒がしいです。繁華街の人波は少ないようだけれど、近所の公園には元気よく遊ぶ子供達、家族がいて、犬の散歩をしている人達、花を愛でる人達もいて、コンビニ、飲食店、昼前の街角のお弁当売り、何ら普段と変わらない光景です。
在宅勤務を含むテレワークというのは、仕事を離れた私には無縁ですが、コロナの影響により、どんどん社会に変化が起きているのは確かです。
ただし、私達の心、意識の世界の変革にはまだまだ道遠しというところでしょう。巣ごもりで、時間はあるけれど、はてさて何をするのか、色々なやりたいことはあっても、どれもこれも飽きてしまいます。ネット中毒、心は外へ外へ、コロナウイルスで肉体細胞は病むとともに、意識の世界はさらに病んでいきます。
そう思えば、学びに触れている人達は本当に幸せです。何もなくても思うことができる、思える喜びを知っている、自分の本当に生まれてきた意味を、肉というものがどんな役割を果たすのか学んでいるんです。
ともに瞑想をしようと言える学びの友がいる、それこそネットを活用してください。ネットが不得手でも、電話があります。顔を見れなくても声を聞ければ安心という肉の思いを確認しながらも、どうぞ、学びを心から遠ざけないでください。1966) 思うは田池留吉。田池留吉一筋の道。それしかありません。形の世界が崩れていく様を見て聞いて感じて、体験して、戻っていく方向をしっかりと自分の中で確かめてください。
それができるそのような学びの時間を私達は用意してきました。宗教ではないんです。救うのは自分の心です。自分です。肉を本物として疑ってこなかった、信じてきたその思いの世界を根底から崩していかない限り、自分の心は、自分は救われません。
真の喜び、真の幸せ、真の温もり、真の安らぎの世界へ、そんな自分の本当の世界へ一歩、一歩を踏み出していきましょう。
「今世を転換期に。そして次元移行を必ず果たす。」
合言葉を心に刻んで、肉を持つ時間を大切に、大切にしていきましょう。
1967) まだまだ気付きの道は遠し、けれど、意識の世界はその方向にしっかりと向いています。根底から形の世界が崩れ去っていく時を、私達人類が目の当たりにするのは、もうそんなに遠くではありません。そして、それぞれの意識の世界が、意識の流れの計画に乗り遅れている、それが現実だということは、はっきりとしています。
形の世界だけを追っていく、求めていく愚劣な自分達だと、どの時点で心で知っていくか、それには250年、300年という時間はあまりにも短いでしょう。ということは、必然的に凄い現象、想像を遥かに超える現象が待っているということになります。
みんな私達が計画していることです。私達は本当に自分のふるさとへ帰りたいという切なる思いを抱えて、この地球上で何度も転生をしてきたということ、それを今世、学びに触れた意識は先駆的に自分の中で確認しているに過ぎません。集大成は250年後の三次元最終時期です。
分からない、信じられない、学びに触れながらもそういう思いを出している方達が残念ながらまだまだいます。その現実を踏まえつつも、それは大したことではないとメッセージが来ます。
意識の流れは着実に粛々と流れている、ともにいざ行かん、そんなメッセージが来ます。ともにある喜びと幸せ、ともにある今を心は伝えてきます。
あとはそれぞれの選択に任せなさいということでしょう。
1968) 今を喜びの時間とするかどうなのか、それは心の中の状態がどんな状態であるのかで決まります。苦しくてもいいんです。寂しくても哀しくてもいいんです。そんな自分の叫びをどのように受け止めているのか、ともに生きていこう、ともに歩いていこうとしているのか、それとも、そこから逃げよう、見ないで何かで誤魔化して心の針を外に向けていくばかりなのか、そういうことです。
しっかりと自分と向き合って、そして、その中で素直に本当の自分を思う、思える、間違ってきたたくさんの自分とともに思える、そんな時間と空間に自らいざなっている、そんな瞑想の時間が可能な限り持てたら、最高に幸せな人生と言えるのではないでしょうか。
肉のみの人生、肉の傍ら学びをしているという人生、どちらも哀しいほど救われません。
喜びの自分の世界、温もりの自分の世界、安らいでいて全托していこうと思える世界を感じ広げられる今であるかどうか、精査してください。
1969) 学びの友からのメールです。一読ください。
香世さんにメールを出さしてもらった後に瞑想をしました。瞑想がいつもと少し違っていたように感じました。思いがとても素直な感じがしました。何かのアクションをした後は少しの時間でも瞑想をするのがいいと思いました。ありがとうございました。
瞑想
お母さん、お母さん、お母さん、ずっと寂しかったです、お母さん。寂しい心を抱えて生まれてきました。寂しい思いとともに生まれてきました。お母さん、私は寂しかったです。この思いを見つめるために生まれてきました。お母さん、私を生んでくれてありがとうございます。この寂しい思いとともに生きてきました。寂しい思いを抱えて...、寂しい私に語ります。寂しい私に心を向けます。寂しかったね。寂しさに狂ってきたよね。私は寂しかった。寂しい私に語ります。もう帰っていこうね。帰っていこうね。寂しい私とともに帰ります。お母さん、お母さん、ああ、生んでくれてありがとう。私は、思いでした。思いが生きています。思いなんです。
ともに田池留吉に思いを向けていきましょう。田池留吉、アルバート、異語…………
思ってみるだけでいいんですよ。田池留吉と、思ってみるだけでいいんですよ。田池留吉を思ってみてください。田池留吉に心を合わせてください。田池留吉を心に広げてみてください。
心に忘れていた思いでした。心から消し去ってしまっていた思いでした。田池留吉を思うということは、本当の自分を思い出すことでした。忘れ去り消し去ってきた自分を思い出していくことでした。田池留吉は応えてくれていました。ここにいますと、田池留吉はいつもいつも心の中で応えてくれていました。その田池留吉の存在を信じ、その田池留吉に心を向け合わせていくことだけでした。合わせていくことだけでよかったんです。それが心を見るということでした。それが本当の自分に帰っていくということでした。
私たちは肉ではありません。私たちは意識、永遠に存在する意識でした。心を変えていきましょう。意識の転回です。心を本当の自分、田池留吉に向けていきましょう。
1970) セミナーが開催できない間、みんな時間があると思います。学びに対する姿勢、自分の生き方を振り返って、少しずつでも修正していきましょう。
今世というかけがえのない時間、心に刻みそして250年後の集大成に向けて、しっかりと自分を見ていきましょう。
250年後は、三次元の一応の集大成です。もちろん、意識の世界においては、それも通過点に過ぎません。けれど、そこをきちんと自分の中で学習して、そして次の段階へ進んでいくということです。
限りなく果てしなく続いている意識の世界。その世界は限りない温もりと優しさ、喜び、安らぎに包まれています。そこを飛び出して、我の宇宙を作り続けてきたということ、今世の学習を通して、しっかりと心で分かっていきましょう。心で分かれば自ずと修正が始まります。
肉を自分だとする思い、形ある世界で何とか生きていこうとする思い、根底から崩れ去っていきます。それでもしがみつき、徹底抗戦していく可能性はまだまだ多分に残されています。手を離し、思いを離していかない限り、ともに生きていくことは不可能。本物の優しさに裏打ちされた厳しいメッセージをいかに受け止められるか、それぞれの心に係っています。
1971) 「あなたはどの方向に心を向けて生きていきますか。あなたは本当に学びをしてきたと言えますか。」
学びに触れた私達は、それぞれがその肉を置いていくまで、つまり今世の肉を通して、さらにどんどんどんどん学びに対する信を自分に問いかけていく場面を設定しているはずです。
それはみんなそれぞれ自分が望んできたことだということをお忘れなく。
本当のことが知りたかった。自分のあるべき本当の状態をぜひとも知りたかった。その思いを強く強く抱いて生まれてきたこと、だからこそ学びに繋がったこと、すでに瞑想の中で確認されていることだと思います。
肉から意識へ自分を転回していく難しさを実感しながらも、心の奥底から突き上がってくる帰りたい、帰ろう、帰りますの叫びもまた現実のものだと感じているはずです。
田池留吉を思う、思える、アルバート呼ぶ、呼べる、これがどんなにすごいことであり、喜びであり幸せなことなのか、それぞれの心で感じていける今世なんです。幸せ者です。本当に幸せ者です。真っ暗闇の中からようやっと這い上がり、そして自分の生きていく方向を伝えてもらった、どんなにすごいことなのか、瞑想の中で何度も何度も味わってください。
1972) 思いの向け先を変えていかない限り、苦しみは続きます。自分の中の苦しみは続きます。自分の中が苦しいことさえも分からずに、肉、肉、目の前の出来事に翻弄されていく人生を送っていく人が殆どです。
限りある時間だから、一度切りの人生だから、それを大義名分にして、肉のみの人生を生きていく、そういう転生から卒業しましょうということです。人生は捨てたものではない、苦しいこと辛いこと哀しいこともあるかもしれないけれど、生きているって素晴らしいんだというところから、何か人生を達観するかのように見えても、自分の本当の姿、本来の自分の世界を知らない限り、それは言葉の上滑りに過ぎません。
自分の中の苦しみ辛さをしっかりと感じながら、それでも信じて待ってくれている本当の自分の中へもう戻ろう、帰っていこうと思う、その思いの向け先をしっかりと確認する今であってください。
散々自分を苦しめてきたから、それは自分で受けていかなければならないけれど、学びに出会った意識は、おそらく嬉しい、ありがとうで受けていけると思います。そうであっていただきたいと思います。
苦しんで間違って狂ってきたのはみんな同じ。そして、思いの向け先ひとつでそれがガラリと変わっていく不思議、驚きを喜びの中で味わえる私達でありましょう。
1973) 私達人類にとって何が一番大切なことなのか、これからさらに厳しく繰り返し問われる事態になってきます。
生命、財産、そんなものではないことを徹底的に自らに知らしめる、そういう流れの中にあります。ご承知の通り、意識の流れが仕事をします。
私達は肉、形ではないことを心で分かっていく道筋が用意されています。
肉、形の世界は影の世界だというメッセージが、繰り返し繰り返し、しかも強烈に届けられます。
真実の波動の世界から肉という形を持ってきた事実はそういうことでした。そして目覚めがありました。それに呼応する意識の世界の動きは確実に仕事をしてまいります。肉は押しなべて愚か。心の針の向け先をしっかりと特定できるように、肉を持っている今、それぞれが学んでいきましょう。
真実の波動の世界から肉を持ってきて、肉を通して学ばせていただいて、そしてその肉が一旦消えたということを、心でしっかりと受け止めてください。心の針の向け先を特定する学びの過程で、ああもう三次元最終時期は遠くないと心で感じられるはずです。
1974) 来世の肉、250年後の肉は今と比べることができないほどの劣悪な環境なのに、何とも言えない喜びを伝えてきます。
250年後が待ち遠しい。心から叫ぶ私がいます。思うことが喜びです。思えることが喜びです。何にも代えられない喜びです。こんな喜びの世界を学ばせていただいた今世でした。
三次元最終のお勉強をしっかりと心で遂行して、そして、ともに帰る道を真っ直ぐに歩いていくことだけを思います。
心に伝えてくれた波動の世界、決して忘れることはできません。
今朝の「死ぬまで瞑想会」最後のほうで参加させていただきました。母なる宇宙へ向けての瞑想のあと、田池先生のふるさとのリズムを聴きました。久々の田池先生の肉声でした。心が踊りました。あの僅かな時間だけでもすごいお勉強でした。一瞬にしてセミナー会場、そしてともに帰る宇宙の喜びの中にありました。私達は本当に幸せ者です。
1975) 肉は無けれども、ともに生きている、歩いている、そう確信できることが嬉しいです。ともに、田池留吉、アルバートの意識の世界とともに、その中に溶け込んでいく喜びと幸せ。今世ひとつの肉を用意したからこそ、感じていける喜びと幸せでした。
暗く苦しい肉の思いをできるだけ軽く軽くしていきなさい、そう自分に伝えてくれている思いに、今世こそしっかりと応えていきましょう。
温もりの中に、喜びの中に、限りなく果てしなく広がっていく自分の中に、安らぎの中に帰っていきましょう。
250年、300年の三次元最終のお勉強を経て、そして、さらに自分の世界の進化を進めていく約束を、田池留吉の意識の世界としました。肉を持ち、肉を通してそう伝えてくれた意識の世界にしっかりと照準を合わせて、そして、喜びの一本道を歩いていくこと、それが自分に対する最大の信、それが愛でした。
1976) 目を閉じて静かに思う、何を思うのか、そう自分自身です。自分の中の本当の自分の世界を思うんです。そこには何がありますか。何もありません。ただ嬉しいんです。ありがとう、優しい温もりの中に、安らぎの中にある自分を感じ幸せでしょう。嬉しいでしょう。涙が知らずのうちに出てくるでしょう。そして何か語りたいですね。どうぞ、異語で自分の中の思いを語ってみてください。何を語っているのかなんて頭を動かさなくていいんです。ただ口から出るがままに、そして自分の中を感じてください。
嬉しい、嬉しい、ありがとう、お母さん、ありがとう、幸せです、嬉しいです、ありがとう、ありがとう、そんな思いが溢れてきていると思います。
嬉しい、楽しい瞑想の時間を持ってください。もちろん、中の岩盤が喚きます。何とも言えない凄いエネルギー、凄まじいエネルギーの坩堝を感じます。それでも、それでもふうっと思いを向けてみてください。
今感じた優しさ、温もり、広がりの思いに触れていこうと思いを向けてみてください。そうして、自分と自分の中でどんどん歩みを続けてください。肉のある間に、しっかりと自分のこれからの行く末を知ってください。
1977) ともにある喜びと安心感、それは肉、形の世界のそれとは次元が違います。肉、形の世界のそれは、不安と恐怖の表裏一体です。事情、情勢が変われば変わっていきます。だから維持しようと執着の真っ暗闇のエネルギーを膨らませます。
本物のともにある喜びはそういうものとは全く違います。消えない、変化しない、元々あるものだから、何にも左右されないのです。限りなく広がっていく意識の世界にただあるのは喜びと温もり、それはどこまでもどこまでも続いていきます。
損得、駆け引きで身体と頭、心を忙しく動かしてきた私達です。肉として、肉で生きるということはそういうことです。けれど、その世界も総崩れしていく時期に来ています。どんなに頑張り英知を結集しようとも崩れていくものは崩れていきます。歯止めは効きません。一時持ち直したかのように見えても、それは文字通り一時のことです。砂上の楼閣は崩れ去っていくしかありません。何時、砂上の楼閣だと気付いていくのかということだけです。肉、形の世界は堅固な世界ではありません。意識の世界からのひと吹きであっという間に崩れていきます。ともに崩れていく中で、自分の意識の世界もともに崩れることのないように、深い闇の中に沈み込んでしまうことのないように、今を大切に生きてまいりましょう。
1978) 次元移行を果たすこと、自分との約束、自分の中の宇宙との約束、それをきちんと果たして、そしてともに生きている、ともにある喜びの中で、さらなる意識の世界を進んでいくこと、今世、ひとつの肉を自分に用意してそれを知り確かめ信を深めていく計画を立ててきたことに、本当にありがとうしかありません。
狂ってきました。真っ暗闇のエネルギーを噴き出し、凄まじいエネルギーで宇宙を塗りつぶしてきた意識。それでも私はあなた、あなたは私、ひとつだと信じて待ってくれていた波動の世界に出会えました。千載一遇のチャンスを手にし、自分の本当の世界へ帰っていける、戻っていけると知り、その道を歩いていけばいいということを本当に心で分かる人生が、喜び人生です。
思いを変えていきましょう。180度転回して、本来あるべき自分の世界をしっかりと確認していきましょう。
今世を転換期に、そして250年後の三次元最終時期を視野に自分の生き方の修正を果たしていかなければなりません。もちろん、そこには義務、強制という思いはなく、果たしていくようになっているという喜びがあるだけです。その喜びをともに受け取ってまいりましょう。
1979) たくさんの私が噴き出します。中は快感です。瞬間飛び出るエネルギー、たくさんの私。学びをしてきたからこそ味わえる喜びと幸せです。肉を見れば愚かです。けれどそれよりも強烈に飛び出るエネルギーに快感です。肉的、道徳的には全くダメですが、そのエネルギーを噴き出す貴重な機会をもらい、そしてそのエネルギーとともに思いを向ける勉強の時を持っている、これはお金やそんなものでは太刀打ちできない幸せです。
今世と250年後の残り少ない肉を持つ時間を、私は自分なりに可能な限り蓄えてきたエネルギーを確認しようとしているということを、つぶさに感じ、やはり意識の世界の計画のすごさを感じずにはいられません。
本物の喜びと幸せ、温もりを知っている、そして今世自分が生まれてきた意味を知っている、意識の流れを知っている、そういう条件が整っているからこそ、瞬時に飛び出るエネルギーに戸惑うことなく、溺れることなく、本道を突き進む糧にできると確信です。
凄まじいエネルギーの坩堝。大いに結構。だからこそ次元移行の大仕事を果たしていくことができるんです。心穏やかに小さく収まっているのはナンセンス。凄まじいエネルギーの坩堝に快感を覚えてください。
1980) 学びをするにあたって、基本的には何をしてはいけない、こうしなければならないというものはありません。ただし、すべてが自己選択、自己責任です。
たとえば、UTAブックさんが推奨するZoomを活用して学びの友と瞑想をする機会がこれまで以上に増えてくると思います。これはUTAブックさんが把握しているグループ以外ということです。
そこに参加する人はその心を見て、しっかりと自分の学びの歩みの方向性を確認することが肝要です。瞑想をすればいいというものでもないし、学びに対する基本の姿勢、動機等々しっかりと自分の中で見直したうえで、これからの自分の学びのあり方を見ていってください。Zoomを使って少人数のお勉強もいいですが、その場合、進行は持ち回りが望ましいと思います。
何か難しい、辛気臭いことをと思われるならば、それもまた自己責任の元で進めてください。
私は、学びは基本的には自分ひとりだと思っています。事実、私は自分ひとりで瞑想をして、心に響き伝わってくる自分の世界と対話できる喜びと幸せを感じています。それで十二分に幸せなんです。過去、未来、今、すべてがひとつになって、母なる宇宙へ帰る道を歩いているという確信、揺らがない確信、ぶれない歩み、それをいつも瞑想の中で確認しています。ともにある喜びと幸せ、安心感、安らぎは心に培ってきた凄まじいエネルギーをしっかりと包んでくれています。これ以上のことは何もありません。
ということで、Zoomを使ってのお勉強の前に、自分と自分のお勉強が捗っているかを確認することをお勧めします。
1981) 思いを向ける、思う、これだけです。何を思い、思う向け先が正しく確定されているか、しっかりと自分の中で確認できていれば、肉にまつわる色々なことに、確かに一時心は揺らされますが、瞬間で、あるいは短時間で元の軌道に自分を戻していけるということです。
どうでしょうか。そのトレーニングをして段々にそのコツをつかんできたとすれば、それは自分の大きな強い味方になるのではないでしょうか。
肉を持って見て聞いて実際に自分のことになってくれば、平常心ではいらない、それは自然なことだと思います。心は揺れます。大揺れ、小揺れ、さざなみ、違いはあっても肉は肉の心は揺れ動くものです。さあ、それからです。そこからあと道は分かれていきます。
今までと同じように肉に沈み、肉に溺れ、肉に惑わされていくか、それとも・・・ということです。
しっかりと今世の肉を活用して学びをしていきましょう。自分のため、自分の宇宙のためです。自分のため、自分の宇宙のためということは、みんなのため、みんなの宇宙のためということになります。
肉の次元ではなく、意識の世界に次元を合わせて読み取ってください。
1982) 自分を救うために、自分の心を救うために生まれてくる私達でした。ただ、どうしたら自分を救えるのか、自分の心を救えるのか、全く分からなかった私達でもありました。
自分を救う、自分の心を救うとはどういうことなのか、学びに繋がった人達は、それを学ばせていただきました。
私もそのうちのひとりです。結果、私は、自分の中の本当の自分、愛である自分に目覚めること以外に、自分を救っていくことはできないと知りました。自分が何者であるか、どういう存在であるのか、心で知る分かることができなければ、やはり自分の外に救いを求める他力のエネルギーと決別できないことを学ばせていただきました。
何のために生まれてきたのか、形がない自分に今ひとつの肉を持たせているのはなぜなのか、形の世界が崩れていくからこそ、本気になって真剣に真摯に自分に問いかけていけるのだと思います。愛、ああこれが自分達が愛である確たる証しなのだと感じます。
自分の中へ、本当の自分の中へ帰りたかった、帰ろうと叫ぶ思いが、これからさらに、肉が本物だとする思いを崩していきます。心の叫び、しっかりと受け止めていきましょう。
1983) 形の世界が崩れていくことがいいんです。手放したくない、ここだけは、これだけはとしがみつく思い、私は正しいという思いが苦しいことだと分かっているけれど、離そうにも離れない思いです。けれど、私達は痛みを伴いながら手を離し、思いを離していく、変えていく方向に自分を進めていきます。本当の自分に目覚めるということは、そういうことです。
肉を本物とする思いに長く長く慣れ親しんできた私達だから、それを180度転回するということ、肉、形の世界は影の世界、実体がない世界だと心で分かることは、本当に難解です。
それをこれから250年、300年の間に遂行していこうとするのだから、当然そこには想像を絶する現象の波が押し寄せます。そして、そこにはそれにも増して、いいえそれとは比べることができない規模の愛のエネルギーの存在があります。
その愛の中ですべてがなされていくことです。心を全開にして、ともに喜びを分かち合いましょう。私達は愛、愛のエネルギー。宇宙にその喜びが爆発していきます。私達は宇宙です。私達のふるさとへ帰りましょう。
1984) 肉を持っている以上、今の肉を通して入ってくる情報は共有しています。雑多な情報を取捨選択してそれぞれに生活をしていっていると思います。
肉はそうです。何も変わりはありません。けれど、意識の世界は違います。どこに思いを向けるか、向ける先はどこなのか、それはそれぞれに任せられています。同じ風景の中のひとコマであっても、同じところに住んでいるわけではありません。
それが意識の世界を肉を持って学ぼうとしているか、肉は肉のままでいるのかの違いです。
外の世界は同じであっても、中の世界は違うということを知っていきましょう。私達はそのどちらの存在であるのか、しっかりと見極めていってください。心の針は中へ中へ。自分の中へどんどん進めていきましょう。
そしてともにある喜びと幸せ、本物の喜びと幸せを感じてください。安らぎ、安心感、何にも代えられない喜びと幸せです。
肉を持った自分にありがとう、そう伝えることができる心の状態がどんなに幸せなのか、自分の心で味わってください。
1985) 日々勉強です。日々母を通して、私は自分のエネルギーを確認しています。年齢を重ねていけば、身体も頭もその機能は低下していく、それは肉として当たり前のことです。それをどのように受け止めていくのか、いけるのか、肉のお勉強をしなさいという田池先生からの最後の伝言でした。
愚かしい肉の私がここにあると同時に、繰り返し自分のお勉強をさせていただいてありがとうの私もここにいます。
愚かしい肉の私が、まだまだ私の世界に追いつけないところに私のお勉強が残されているという現状です。と、こんなふうに、私は私を見ています。肉を用意して、私は私を観察しています。そして、その愚かしい肉は瞑想をします。短時間です。心の針の向け先を確認。そしてその世界の喜びと幸せを感じ、意識の流れの中にある自分を感じ、だからこそ、愚かしい肉は肉の中に沈み惑わされることはありません。
瞬間凄まじいエネルギーを噴射。喜びで噴射。噴射させてくれる肉があることに感謝です。そして、噴射と言っても、自分の中の喜び、温もりの世界に吸収させていく術を知っているから、これまでの転生とは違います。宇宙を汚すだけ汚してきた転生とは違い、エネルギーを確認すれば、即、回収という軌道の中にある違いをはっきりと感じています。あとは愚かしい肉が幾分かでも優しい肉に変わっていけばということです。肉の母には感謝です。ひとつの肉を通して広がるお母さんという意識の世界には言うまでもありません。
1986) 今、肉を持って色々と見て聞いて、様々な思いが交錯してくる今、本当にありがたいです。自分を知る、自分がよしとしてきた世界から飛び出るエネルギーの凄まじさを知る、ああこうして生きてきたんだ、存在してきたんだ、このエネルギーの中で自ら狂ってきたんだ、はっきりと分かる今がすごいです。
それでも、優しいあなたを私は信じていますと返ってきます。本当の自分がずっとこうして支えてくれていたんだ、だから、どんなに間違い狂い続けても、真実の波動の世界を知り得るチャンスを自ら用意してきたということはもう十分に分かっています。
私は幸せ者です。どんなに宇宙を汚してきたか、闇黒の宇宙に塗り替えてきた罪は大罪です。そんな超極悪人がようやく辿り着いた奇跡の道です。この道を真っ直ぐにただひたすらに真っ直ぐに、それしか私には残されていないと思えることが、何とも言えず嬉しいです。
今は世の中が巣ごもり状態だけど、私は2年前の年末に仕事を辞めた時点でほぼ巣ごもり状態です。今、巣ごもりが何か異常な状態であるかのように伝えられていますが、外へ外へと出向いていくことが人生の喜び、楽しみであり、そういう生活ができることが豊かな幸せな人生だとなってしまった、その状態のほうが異常であり救いがたいのではないでしょうか。
世の中おかしいから、狂っているから、おかしいよ、狂っているよというコロナを通しての意識の世界からのメッセージを私達は受けています。
1987) 何が本当のことなのか、本当のこと、この世のどこかにある真実を知りたい、そんな思いを抱えて生まれてきて、そして今のひとつの肉を通して、田池留吉の意識の世界、アルバートの波動の世界と出会わせていただきました。私の思いは叶ったんです。その確かな事実を日々しっかりと確認して、何度も何度もそこへ戻り、私自身が決めてきた予定の道筋を歩いています。
それさえしっかりと自分の中で押さえていれば、私の人生何も言うことはありません。
肉の楽しみも喜びも程々に味わっています。ただ、それらは単独では何とも味気ないものだということを知っています。基本に、根底に今言った自分が自分に目覚めていく予定のコースを予定通り歩いているという確信があるから、肉の楽しみも喜びも空しいものだけれど、それもまたよしということなんです。
何のために私は今世生まれてきたのだろうか、自分の中で問い返したとき、しっかりとしたはっきりとした回答が返ってこない人生は、いかがなものでしょうか。どんなにお金を持っていようが、物に溢れ人に囲まれていても、心は空しい切ない、そんな人生は本当に今世を境に終了させていきましょう。
1988) 本当に望んできたこと、思いを真っ直ぐに自分に聞いていくことが待たれています。肉に流れていくことは非常に簡単なことです。みんなで渡れば大丈夫、怖くない、そんなことありません。大丈夫ではありません。ともに落ちていく道から自らを解き放つことです。勇気が要ります。踏ん切りをつけなければなりません。だらだらと肉に沿って生きていても、それは決して自分の明るい放たれた未来には繋がらないということを、直視しましょう。
それぞれが自分の行き先を決めていきます。誰が強制するものでもないし、強制されてうまくいくはずもありません。ただ、正しい瞑想を重ねていけば、もう自ずと自分の中に答えは出てきているはずです。その思いを引き出すために、その思いと出会うために、どれほどの困難があったかということも、心に知っているはずです。
そんな自分のために、180度生き方の方向を変えていきましょう。
中は諸手を挙げて喜んでいるはずです。本当の喜びを知ってください。苦しんできた狂ってきた自分とともに、元来の喜びの自分の世界へ帰っていける喜び、幸せ、今の肉を通して確認していきましょう。本物の喜び人生としてください。
Zoomウェビナー配信予定日、5月2日(土)午後2時。
1989) 心で気付いた方から始めてください。私達がみんな間違って生きてきたことに気付いた方から始めてください。
宇宙、母なる宇宙へ帰る私達だったことをあなたの心で思い出してください。私達は帰ります。その道筋はきちんと見えています。あなたもあなたの心の中にそれをしっかりと見定めて、これからの転生を通過していってください。そして、合言葉、250年後の再会を必ず果たしてまいりましょう。
250年後、三次元最終のお勉強を経て、私達の切望してきた宇宙へ帰る道をさらにしっかりと見極めていきましょう。
喜びです。250年後の喜びの爆発を、私達の意識の世界は体感、実感できるんです。間違って狂い続けてきた私達だけれど、そんな喜びの時間と空間を自らに用意しています。全宇宙とともに、田池留吉、アルバートの母なる宇宙、真の愛の世界へ一歩踏み出す喜びをぜひともに味わってまいりましょう。待ち遠しいです。ですが、計画を万全に遂行するために、まだまだ飛び越えていかなければならない現象が盛りだくさん。喜びで喜びで、自らを見失うことなく、喜びで受け止めていきましょう。
1990) 250年後に照準を合わせて今を生きている、学びを進めている、あるいは250年後云々はまだ自分の中で定かでないから信じられないでいる、だから信じようと思うがそれは欲にしか過ぎないと返ってくる、色々だと思います。
ただ、形の世界は様々なところから崩れていくということは、誰の目にも明らかです。それらを最小限に食い止めようと、これもまた様々な手段が講じられていきます。けれど崩れていくんです。じりじりと時には一気に追い込まれていくという場面も想定されます。
肉という形の世界は影の世界だと、心底から納得するまで現象の波はやってきます。手放すしかないんです。ポーンと飛び出るしかないんです。
愛のエネルギーは揺さぶりをかけてきます。心の向け先が分からなければ、それが本当の優しさ、温もり、喜びだとは絶対に分かりません。
これまでと何ら変わることなく、呪い、恨み、苦しみの奥底に自分を沈めていくでしょう。思いの向け先を180度変えていきましょう。意識の流れに思いを向けて、ともに行こうの呼び掛けに応じてください。
1991) 田池留吉の意識の世界が肉を持ち、そして一旦その姿を消したということがどういうことなのか、しっかりときちんとそれぞれの心で受け止めていけるよう、日々、正しい瞑想を通して学んでください。
今世始まった学びは、すでに本格的な段階に入っています。もちろん、田池留吉の肉とともに学ばせていただいた時間と空間は何よりも、何よりも貴重な本当に喜びの時間と空間でした。そしてそこからです。そこから自分をいかに進めていくかは、それぞれに係っているということをそれぞれの心に留め置いて、ともに生きていく方向にしっかりと自分の心の針を向けて合わせてください。
ともにある喜び、ともに行こうという力強い呼び掛け、いざないを、繰り返し、繰り返し心に広げ、着実な歩みをしていきましょう。
真っ暗闇の奥底の底のまだまだずっと奥底から這い上がってきた意識。
そんな認識をあなたは持っていますか。どうぞ、今世の千載一遇のチャンス、喜んで喜んで自分に活かしてください。1992) 学びの友からのメールです。一読ください。そして、あなたも宇宙を思う喜びの瞑想を始めてみてください。
19回、ライブ配信とともに瞑想。
異語を語れることが嬉しいです。
異語を語れば語るほど、喜びとともに本当の勇気が湧いてくる。言葉は少しでいいと本当の勇気は教えてくれている。
相手の顔色を見て、態度を見て、嫌われないように相手に合わせて自分から発してきた言葉、その態度、行動は、恐怖の私、寂しい私がしていたことだった。肉を守る、肉を認められたい、腰は低くても中の思いは我に従えでしかなかった。
宇宙を思い、自分の思いを異語で語ります。喜びとともに勇気が湧いてきます。何もいらなかった。誰もいらなかった。異語の世界が教えてくれている。頭脳、知識、経験、話す相手もいらない。言葉は必要最低限でよかったことを気付かせてくれる。話をする友達がいない、それは寂しいと思う思いもありました。でも、宇宙を思い、異語を語れば軽やかに爽やかに語り合える。そこには肉はない。体が動かなくても、年老いても、一人でも、母なる宇宙を思い、異語で語ればいいことに気が付いた。そして、異語を語れば語るほど、肉でつかんでいた人、物がはっきりと見えてきて、自分が肉で握って、一人で拘り続けていたことを気付かせてくれる。
自分が一番自分を知らなかったことを気付かせてくれる。
異語の世界は本当に自由と本当の勇気を自分の中から蘇らせる。嬉しいです。楽しいです。
ゼロ歳の私は母の腕の中で母の目を見て異語を語っていた。母は笑顔で頷いているだけ、そこは異語の世界と同じ、何の壁もない。振り返れば、我が子もみんな私の目を見て何か音を出していた。異語を語っていたんです。その瞬間は私も笑顔で答えていた。互いに、ありがとうの思いだけだった。そんな思いが蘇り、愛しい愛おしい思いが溢れてきます。
異語の世界には形がない。どんどん解放されていく。肉の世界は本当に小さなこだわりの世界でしかなかったことを気付かせてくれています。
異語は宇宙のリズム、嬉しくて楽しくて、どんどん広がっていく異語の世界、宇宙のリズムと溶け合って、ただただ嬉しい宇宙を思う瞑想です。
1993) 学びに繋がった方達は、意識の流れという言葉を聞きました。自分の心で分かり感じているかどうかは別として、確かに耳を通過しました。
この事実、大変重要です。重要というよりはありがたいということでしょう。肉は肉の心は素通りかもしれませんが、中の意識は大騒ぎしていると言ったらどうでしょうか、分かりますか。
心で分かるように、心でそうだと頷けるように、それぞれの学びを進めていったならばと思います。
すごいです。宇宙に異変が起こり、しかもそれは喜びへ喜びへと変わっていくことを指し示している、もがきにもがき苦しみ喘いできた宇宙に、ようやく明るい兆しが見え始めた今世でした。
すごいと思います。ありがとうしかありません。出会いたく出会いたくて、ようやくようやくその思いが確かなものとなった今、ただただ、ただただ、ありがとうです。
意識の流れの中にあることをしっかりと知り、そしてその流れの中にひとつに溶け込んでいけるように、あなたの心を進めてください。
1994) 自分を学ぶために肉を持ったから、その学びを予定通り遂行していくために、世の中の法則にある程度従い、肉の維持をしていく必要があります。
けれどある程度であり、それは程々です。限度を超え、程度を超えていけば、自分に肉を持たせた意味を全く活かすことができません。
何のために生まれてきたのかという真の意味を無視、否定していく愚かな転生から抜け出すことはできません。
それは本当に哀しいことです。切ないことです。自分を見捨てることなく、裏切ることなく、真っ直ぐに本来の自分の世界を目指して強い思いで生きていきませんか。
コロナ旋風で外出自粛を余儀なくされ、経済活動の停滞から生活の破綻等、色々と大変です。新しい生活様式とやらも提言されているようですが、何とも先行きの見えない事態はこれからも続いていくでしょう。
現象はまだまだこれからです。そして、解決策はただひとつです。
「今、目に見えている姿、形のある自分だけが自分ではないことを、心から知ることです。自分に目覚めていきましょう。
苦しみの奥底から這い上がってきた意識である自分を救い出してまいりましょう。」
というメッセージの方向に心を向けていくことがただただ待たれているだけです。
1995) 真っ直ぐに自分の本来生きていく方向を知っている、そして、その方向に歩みを実際に進めている、そんな人生が、唯一喜び幸せな人生です。
肉として肉で生きていく人生、何度繰り返しても飽き足らずに今世まで来ました。心癖はしぶとく、なかなか肉から自分を解き放つことは難しいけれど、それでも、それでも自分を解き放つことなしに、喜びの本当の自分の世界とは出会えません。
たったひとつの真実の世界、波動の世界を求めて求めて、数限りない転生を潜り抜けてきた、そんな私達にようやく届いた一筋の灯りでした。
その灯りを目指して、今、宇宙、全宇宙は集結する方向に活発に動いています。
応えていってください。自分の心の中で応えていってください。大きな喜びの波が打ち寄せてきます。波乗りをしてそして、ともに次元を超えてまいりましょう。時はすでに来たれりです。あとは最後の詰めの段階。心の中のアルバートの呼び掛け、いざないに、ゴーサインを待っています。
もちろん、その準備は怠りなく、一気にラストスパートをかけていきます。
1996) 私は、私達は帰ります。田池留吉、アルバート、母なる宇宙の待つあのふるさとへ、私は、私達は帰ります。
今世の時を境にして心の向け先を180度転回して、そして、我が行く道を目指して歩んでいく喜びと幸せを伝えてくれました。心にしっかりと育て、そしてともにある喜びと幸せの中へ帰ってきなさいというメッセージ通り、忠実に真っ直ぐに生きていきましょう。
たとえ濁流、激流を泳ぎ切っても、何もいいことはありませんでした。心に空いた穴を埋めることはできませんでした。何度も体験してきました。ああ、ここには私の求めるものは何もなかったと、初めて今世の肉を通して心で知るに至りました。
田池留吉、アルバート、そう呼べる、思える幸せと喜び、安らぎ、この中に私は自分を生かしたかったと、はっきりと心で知り、250年後の最終時期に照準を合わせて今を生きる喜び、大切さを瞑想の中で感じます。
肉は色々とあります。体調も決していいとは言えません。けれど、自分が切望してきた世界を波動を心で知ったからには、もう何も要らないです。
アルバート、本当に本当に出会いたかった波動の世界でした。
1997) コロナのおかげで、学びの友はそれぞれに自宅学習をされています。ゆったりとした時間の中で瞑想を楽しんでおられるようです。
学びの友からのメールが私の目に届くのはそんなに数多くはないけれど、とても楽しみに読ませていただいています。
変わっていこう、みんなとともに宇宙へ帰っていこう、田池留吉、アルバート、母なる宇宙へという思いが、それぞれの心の中に芽生え始めているのを感じさせていただいて、私も勇気百倍です。
もちろん、手に手を取ってという肉の思いではなくて、本当に自分に目覚めていこう、あの宇宙へ、愛の宇宙へ帰ろうという思いが、徐々に広がっていって、そしてそれが250年後の最終の学びへと繋がっていくんだと思えば、もう嬉しくて嬉しくて、本当に田池先生ありがとうございました、みんな仲良く学びやという思いを大切に、大切に、心からありがとうを伝えています。
私の中の田池留吉の意識の世界、波動はいつもいつもともにある喜びと幸せをただ真っ直ぐに伝えてくれている、もうこれ以上の喜びはありません。
みんな、本当に次元を超えて宇宙へ帰ろう、そんな思いが溢れ出てきます。
1998) 手放すこと、思いを離すこと、難しいことです。ここだけは、これだけは、誰しもそういう部分を多かれ少なかれ持たれていると思います。
何も持たずに何も持てずに生まれてきたのに、死んでいくときは、心にはもちろん、目に見える形の中においても、たくさんたくさん抱えています。あたかもそれが生きてきた証拠であるかのように、誇らしげに満足げに思っている、本当に愚かな私達になってしまいました。
けれど、それを一転して、本来の自分の生き方、あり方に変えていける、それが今世という時です。
軌道修正に入ってください。肉で、肉として生きていくことがどれだけ愚かなことであるかを学んだならば、自分の軌道を変えてください。
金で神で幸せになれないことは、あなたの心の中に繰り返し上がってくる思いだと思います。けれど、金なんです。神なんです。心にこびりついてしまった思いを手放し、離す、それは何時なんでしょうか。刻々と期限は迫っています。
1999) 学びの友からのメールです。一読ください。
朝、嬉しい嬉しい叫びで目が覚めた。
だから今がある。だから今なのだ。
この思いが突き上げてくる。偶然は何一つとしてなかった。肉で見てマイナスと捉えることしかできなかった。そのマイナスと捉えていたその全てが、あったからこそ、だから今がある。だから今なのだ。すべてが愛でした。愛から出て愛に帰れる道を教えていただきました。全てが自作自演、自業自得の世界です。と伝えていただけたこと、厳しいけれど、その厳しさの中に真実が待っていてくれました。
田池留吉、アルバート、母なる宇宙から流れる波動は、生きとし生きる全てに平等に流れていた。初めから同じでした。
肉の基盤は、全て無知とエゴと欲の世界でした。その基準は、本当に小さな狭い世界に自らを閉じ込めて生きることしかできなくなりました。
5月7日の「死ぬまで瞑想」大自然の中から流れる異語の波動、エネルギと一つに溶け合って、ともに私達の心のふるさと母なる宇宙へ帰れる喜び、ともにともに帰ろう。どんどん解放されて、肉の自分は消えていました。私達は一つ、みんな一つ、爽やかで楽しいです。
毎日、歌ってきたふるさとの歌、宇宙のリズムとともにありました。宇宙のリズムがいつもいつも全てに流れていた。その宇宙のリズムに委ねていける自分でありたいと心から思う。田池留吉の肉が残してくれた宇宙のリズムと溶け合っていく今がある。
だから今がある。だから今なのだ。繰り返す思いです。
UTAブックさん、ありがとうございました。ともに学んでいける喜びを広げていきます。
塩川香世さん、異語とともに生きる、異語とともに生きて、異語とともに死んでいける自己確立の道を命がけで歩いて行きます。私の死後の世界を異語の世界に、厳しい現実を抱えている私達の意識の世界に活力を。あの大自然の中から流れてくる異語が温かくやさしく,力強く、本当の勇気が湧いてくる。私の中からも、ともにともにこの道をと、ただただこの思いだけが溢れてきます。嬉しいです。
ありがとうございました。
2000) 見ていくのは自分の心です。意識の世界です。何を思い何に重きを置いているか、本当に生まれてきてよかったと実感できている今であるか等々、心に問いかけるものはいくらでもあるはずです。
肉、形の中に生きているのではないと確信するまで、どうぞ、自分に問いかけ続けてください。それでも形あるところから心を離していくことは至難の業です。それでもいいんです。もがきながらも間違い続けてきた自分を知っていくことがどんなに嬉しいことなのか、心は自分の心は伝えてくれます。
出会いを喜んでくれた事実をしっかりと心に抱え、私は愛へ帰る道をただ真っ直ぐに進んでいます。もちろん、愚かな肉には違いありません。これまでの流してきた思いの世界の間違いを、今、自分の身体を通して自分に伝えています。身体的には少々きついですが、私の思い、意識の世界はただただ田池留吉をアルバートを、そして次元移行を伝える意識の流れにしっかりと乗っています。だから、私の未来は明るいです。真っ暗闇の過去とともに明るい未来を今、心に感じています。
今が過去であり未来である意識の世界を、しっかりと心に感じ広げていきましょう。
☆あなたの愛のグッズ、オーリング硬いですか。時々点検してください。オーリング、正しくできますか。
☆愛の水、愛の水素水を飲んで、愛のリングに心を向けて、死ぬまで元気で楽しい嬉しい喜びの瞑想を継続していきましょう。
☆「私は愛である」、心の底の底の底、さらにその奥底のエネルギー、宇宙に点在する意識達、すべてが、この波動を待ち侘びていました。あなたはこのことが心で分かりますか。しっかりと心で感じられるあなたに蘇ってください。
☆宇宙を呼んでください。宇宙にどんどん思いを向けていきましょう。私達の帰る心のふるさと、宇宙の波動を心に呼び覚ましましょう。
☆今世を自らの大きな転換期にしてください。動かなかった心の針をほんの少しでも愛の方向へ向けてください。
☆愛へ帰る道は、それぞれの心の中にあります。その道と出会い、一歩、一歩歩んでいく喜びと幸せを広げてください。
☆自分の人生です。自分があるだけです。幸せ、喜びを広げていくのも自分。真っ暗な中に沈み込んでいくのも自分。正しい羅針盤がなければ、沈み込んでいるのも分かりません。いったいどこまで落ちてきたのでしょうか。そして、これからも落ち続けていくのでしょうか。
☆自己確立を目指してください。本当の自分の波動を感じられるようになってください。そうすれば安心立命です。それ以外は、狂いの道です。
☆あなたは自分を信じていますか。信じていると答えた人は、自分の何を信じていますか。あなたの流す波動があなたの答えです。あなたの外と中、一致していますか。
☆あなた、本当にこのまま死んでいっていいのでしょうか。心の叫びを拾い上げてください。そして伝えてください。ごめん。間違っていたと。
☆外へ向く習性のある心を内に、内に。エネルギーは内にじっと留めておくのではなく、確認すれば温もりの中へ解き放つ。それが心を内に、内にの作業です。
☆思う大切さ。ゆったりとして静かに思うこと、そして一瞬、瞬間的に思うこと、両者とも、学びそして会得していきましょう。その際、肝心なのは何かということ。もうお分かりですね。
☆今を喜んでいきましょう。どんなにすごい時間なのか、あなたの中は知っています。知らないのは肉を自分だと思っているあなただけです。
☆肉体細胞の思いを感じながら、ということは、本当の自分の思いを感じながら瞑想をする、瞑想ができる。そして、日々を過ごしていく。幸せな人生です。
☆愛へ帰る喜び、愛を思う喜び、しっかりとあなたの心に響いていますか。母の温もりはどうでしょうか。
☆250年後の出会いを簡単に思わないでください。今世、学びに触れた人達みんなと出会えればと思いますが、それはどうでしょうか。あなた、死後のあなたに聞いてみてください。そして、本当に自分に優しく、自分を大切にしてください。
ともに次元を超えていこう
愛はこっちだよと、いつも、いつもあなたの心の中で伝えている私(田池留吉)と出会ってください。出会えば変わります。必ず変わります。私(田池留吉)は愛。そして、私(田池留吉)はあなただから。
優しく母に抱かれてゆったりと幸せだった、すべてを託していたあなたは現存します。あなたは本当は優しいんです。本当の優しさも温もりも喜びも、みんなあなたの中にあります。ただ、外に求めたときから、あなたの苦しみは始まりました。
私はあなたの心の中にいます。ずっと、ずっと初めからいます。これからも、ずっと、ずっといます。ともにいます。私に心を向けてください。心を向けて広がっていきますか。ただただ嬉しい、ありがとうの思いが突き上がってきますか。いつも、いつも思えることが喜び、幸せだと分かっていますか。
素直になりましょう。そして、心をどんどん広げていきましょう。肉の心は狭いです。しかし、私達本来の心、本来の私達は限りなく広い。限りなく広がっていく温もりの中にあります。そこには何もない。だけどあるんです。それがひとつの世界です。
愛へ、心のふるさと、愛へ帰る道をともにともに進んでいこう。果てしなく長かったけれど、そしてこれからも果てしなく続いていくけれど、苦しみから喜びへ変わっていく今だと呼び掛けています。
田池留吉を思うことが嬉しくて嬉しくてたまらない。心の底からアルバートと呼んでいる。アルバートを呼ぶ意識達の思いをはっきりと心に感じる。瞑想の醍醐味です。
私達は最高に幸せだよ。お母さん、ありがとう。田池留吉と出会わせてくれてありがとう。気の遠くなるような時間ずっと、あなたに背を向けてきても、あなたは愛だと伝え続けてくれていました。あなたの思いをしっかりと受け止めました。もう二度とその波動を忘れることはありません。私達は、あなたの中に帰っていくだけです。
宇宙に向けて瞑想をすれば、ただただ異語とともに喜びが湧き起こります。ああ、待ってくれていたんだと。宇宙の友がたくさん、たくさんいます。ともに帰ろうと伝え合いましょう。そのためにこうして、今、肉を持っています。宇宙の波動を感じて、感じて、喜びと温もりの世界を共有していきましょう。
愛のエネルギーが深まれば深まるほど、明と暗が、はっきりくっきりします。これから益々はっきりくっきりしてきます。喜びは喜びをいざない、苦しみは苦しみの中に落ちていきます。どちらも自作自演です。それが意識の世界。限りなく広くて優しくて温かい世界です。そしてそれは本物だから厳しいのです。
宇宙は愛。愛のエネルギー。愛のエネルギーは私達。私達は愛。私達は宇宙。ひとつです。あなたの中で真実への扉を開いてください。
瞑想は喜びです。間違いなく喜びです。喜びでしかありません。温もりです。愛です。喜び、温もり、愛の波動をどんどん吸収してください。吸収して、そして、あなたの中で、喜び、温もり、愛の波動をどんどん循環させてください。淀みをそのままにしないでください。
生まれてきた意味を本当に心から知ってください。あなたの人生とはいったい何でしょうか。消えて無くなるものばかりを拾い上げている人生ではないでしょうか。
本当の優しさを知っていきましょう。本当の温もり、本当の喜びに出会ってください。それは私達の中にあります。それは私達なんです。愛の水道水の種水を思ってごらん。あなたの中の田池留吉は、そう語ってきませんか。
愛の種水は、あなたの外にありますか。それともあなたの中にありますか。
肉を持った意識達はみんな、真っ暗闇からの脱出を希っています。しかし、どうすればいいのかその手立てが分からずじまいです。今日も一人、そんな意識の世界を抱え持った方の思いを聞かせていただきました。今世、学びに触れたあなた、あなたの現実はどうでしょうか。
思うことがすべてでした。思えることがすべてでした。真実の波動はあなたの心の中に届いています。出会っていきましょう。どんどん出会っていきましょう。生まれてきて本当によかったと実感。そんなあなたを次の転生に繋いでください。
どうぞ、ともに歩みを進めませんか。愛の波動の中に存在していた私達だったと、心から、心から知っていきましょう。
ただ一点、田池留吉を思う。肉のある限り自分に徹底してください。それでも、肉を離せば大変難しいです。死後の自分をしっかりと感じてみてください。
千載一遇の出会い。そして千載一遇のチャンス。心に響き渡ってくる喜びの雄叫びを、あなたの心で感じられるあなたに蘇ってください。
「帰っておいで母なる宇宙へ。」「はい、帰ります。みんなといっしょに。」真っ直ぐに言えるあなたは幸せなはずです。
種水のレベルが確実に上がり、それを持続する方法は、自己供養を進めることです。では、自己供養を進めるには何が必要でしょうか。
ワン、ワン。ニャー、ニャー。彼らはこれで通じるのです。喜びと通じているのです。教えてくれています。愛の波動を。ありがとう。
愛を思い、愛の水道水、愛の水素水を飲み干そう。ごくごく飲もう。汗をしっかりとかき、また、愛を思い、愛の水道水、愛の水素水を飲み干そう。喜んでごくごく飲もう。そして、正しい瞑想を。
そうです。意識の流れはすこぶる順調です。次元移行へ向けて宇宙が始動した今世でした。今というこの時に、肉という形を持ってきたことに、ただただ感謝です。千載一遇の出会いを心から味わっていきましょう。
あなたの心にノックしています。どうぞ、しっかりと心を向けてください。愛に目覚めよの促しを喜んで受けてください。現象はみんな喜びです。喜びの波動をあなたに伝えてくれるのです。あなたがあなたに伝えてくれるのです。それはあなたが愛だからです。
田池留吉、ああ、私達は、この波動をずっと、ずっと、ずっと、ずっと前から知っていました。あなたの中はそう伝えてきませんか。
体力、気力がまだある間に、どんどん喜びと出会おう。そして、自分に、ごめんなさい、ありがとうと心から言える自分に生まれ変わりましょう。心は無限大に広がっていきます。
かけがえのない大切な時間です。素直に真っ直ぐに自分を愛していこう。そして、お母さんに伝えてください。信じて待っていてくれてありがとう、私は必ず帰りますと。
あなたは、心一つで存在している喜びと出会えていますか。周りはみんな影です。影をいつまで握っているのでしょうか。どうぞ、今、死後の自分と出会ってみてください。そして、本当の喜びと幸せは何か知っていきましょう。
肉体細胞の思いをいつも感じながら瞑想を継続してください。肉体細胞は最後の最後まで喜びでつきあってくれます。本当の仕事をしっかりとしていきなさいと伝えてくれています。本当の自分に気付かなければ、生きても地獄。死んでも地獄。これ本当のことです。そして、私達人間は本当はみんなそのことを知っています。
田池先生、ありがとう、ありがとうございました。真っ直ぐにこの道を。その思いに応えていくだけです。ともにある喜びを伝えてくれました。伝え続けてくれています。
どうぞ、UTAの輪の中心、愛へ心をしっかりと向けていきましょう。向けていける喜びと幸せを共有しませんか。♪ともに、ともに帰ろう・・・。 ♪愛へ帰る喜び、愛を思う喜び・・・。
いつもいつもどんなときも、私、田池留吉を思っていてください。そして、私、田池留吉の世界を本当に知ってください。喜びがあなたです。本当のあなたへ帰っていきましょう。田池留吉を思う瞑想、喜んでなさっていますか。田池留吉はあなた方の心のふるさと、愛です。心で分かっていますか。
愛へ帰る道は険しいけれど喜びの道です。さあ、みんな、私、田池留吉のもとに帰ってきてください。待っています。
愛へ帰ろう、宇宙へ帰ろう、母なる宇宙へ。母なる宇宙は私達のたったひとつのふるさとです。
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意識の流れ
-田池留吉の磁場を思い瞑想をしよう-田池留吉からのメッセージ
1) 私は田池留吉です。どうぞ、残された肉の時間、それぞれに精一杯、喜んでご自分の心を見ていってください。私も自分の心を見ています。今という時、大切な、大切な時間です。私が何を伝えに来たのか、どうぞ、それぞれ、ご自分の心に問いかけてみてください。真実はあなたの中にあります。決して外にありません。あなたの中に愛が溢れています。温もりが溢れています。私はいつも、いつもともに行こうと呼び掛けています。
「私は愛。あなたも愛。ひとつ。」このメッセージをしっかりと受け止めてください。UTAの輪は波動です。その波動の中で、しっかりと学びを進めていってください。
2) いよいよ、私の肉の時間も残り少なくなりました。しかし、私は死ぬまで元気に自分の仕事を全うしていきます。ほぼ私がなすべき仕事は終えて、最後の詰めの段階を迎えています。他力の世界を心から離せない人達、もういいんです。と言いましても、私が切り捨てる、置き去りにするということではありません。他力のエネルギーから自分を解き放すことができない冷酷で己偉い自分が、自分を切り捨て、見捨てていくということを知ってください。ここにきて、もう無駄な時間、無駄なエネルギーは使いたくありません。この道を真っ直ぐに突き進んでいくことだけを考えています。
3) 皆さん、私が、今病室にて綴ったものに、目を通してみてください。私は田池留吉です。私は波動です。愛のエネルギーです。私はあなたです。あなたの中で、いつもこのように語っています。しっかりと私の波動と通じ合えるようになってください。私を無視して、私とは全く違う波動、エネルギーを流していることに、ご自分の心で気付いてください。一日も早く気付いてください。そして、素直に自らの過ちを認められるようなあなたに生まれ変わってください。私に認めろと詰め寄らなくても、あなたから愛のエネルギーが流れ出してくれば、私はあなたを認めていきます。どうぞ、日々しっかりと心を見てください。自分の中の愛のエネルギーに目覚めていってください。
4) 肉は愚かです。愚かな肉は争いを好みます。自分の主張を掲げて、どこまでも己というものを掲げていくのです。それが自分を操っているブラックのエネルギーであることに、なかなか、なかなか気付けません。そんな状態の中では、決して種水のレベル、非常に硬いという段階まで到達しません。
どうぞ、田池留吉の波動の世界、母なる宇宙の波動を、ご自分の心で本当に感じられるようになってください。当然、そうなってくれば、種水のレベルは非常に硬いです。瞬間的な作業、思うだけでいいということになってくるでしょう。もちろん、瞑想をすれば波動はどんどん伝わり響いてきて、ただただ幸せを感じるのです。
5) 私に残された肉の時間、有効に使っていこうと思っています。私は次元移行を伝えにやってきました。意識の流れというものを伝えさせていただきました。意識の転回をしてくださいと。あなたの中の愛のエネルギーに目覚めてくださいと。私達とともに、ともに次元を超えてまいりましょうと。
肉という形を持って、数限りない転生をしてきたあなた方には、とても難しいことだったと思います。しかし、私の仕事は、順調に捗っています。証し人も出ています。
どうぞ、今一度、ご確認を。波動は決して騙せません。誤魔化せません。波動こそがすべてです。
6) 私、田池留吉に心を向けられる喜びを、しっかりとそしてどんどんあなたの心で感じてください。私を呼んでください。しっかりと呼んでください。私はいつも、あなたの中で応えています。私は愛です。あなたも愛です。私達はひとつです。すべては愛でした。すべては喜びでした。それをすっかりと忘れ去ったから、肉を持った人間達の苦悩は深まるばかりでした。どんなにしても、幸せになれるはずはありませんでした。これから益々、世の中は混沌としていきます。しかし、私のほうに心を向けていれば、そして、私と合っていれば、あなたは何も憂うることはありません。あなたの心に広がっていく愛の世界をどんどん感じていってください。
7) 宇宙の法、田池留吉の世界の法の厳しさと優しさを心で分かってください。どんどん自分自身を愛へ愛へと進めてください。あるのは喜びだけです。温もりだけです。私達はひとつです。ともに行こうという呼び掛けに心から、心から素直に喜んで応えていってください。宇宙の友が待っています。どうぞ、あなたの心で感じられるようになってください。
8) 私、田池留吉の波動を、どうぞ、あなたの心で感じてみてください。私、田池留吉の波動を、遮っているのはあなた自身です。それは、あなたがまだまだ他力のエネルギーにがんじがらめの状態だからです。それをしっかりと、あなたが肉を持っている間に確認してください。私は、死後の自分を語れと申しました。死後の自分、つまり自分の今をしっかりと把握することが、とても大切なことです。殆どの方と言っていいほど、死んでから学ぶことは難しいです。心の針を向ける、田池留吉、お母さんを呼べる状態かどうか、今、しっかりと見極めて、自分をどうか大切になさってください。
9) 私は、今の環境の中で、自分を嬉しく見つめています。これまでのこと、これからのこと、私には、喜びで、喜びで自分の中に浮かんできます。
これまでたくさんの人達のお世話をいただいてきました。苦しくて暗いどん詰まりの時もありましたが、それもすべて私の中で喜びとして受け容れています。それは、私は私の仕事をするために、生まれてきたことを、知っているからです。喜びで私は仕事をしてまいりました。これからも、喜びで仕事をしてまいります。
すべての意識達に、ともに歩みを進めていこうと呼び掛け続けます。
私に心を向けてくださいと伝えさせていただいています。そうです。私に心を向けることがすべてです。あなたの心の針を私に向けて合わせていけばいくほどに、それがどんなに喜びであるのか、そして、それがあなたが本当に切望してきたことだったと、あなたの心で分かるのです。いいでしょうか。あなたの心で分かる、ここがとても大切なことです。あなたの頭では決して推し量れないのが、私がお伝えしている波動の世界です。波動、エネルギーはあなたの目には見えません。しかし、真実の波動、愛のエネルギーは、現存します。それは、あなたの心で感じる以外にないのです。
あなたは今、その肉体を持って存在しています。目に見えて、耳に聞こえて触れることができる世界だけがすべてだと生きてきた人達にとって、その肉体を離す、つまり、自分の死を考えることはやはり恐怖でしょう。しかし、生まれてきた人は、いずれ遅かれ早かれ、死を迎えます。突然死か、長患いか、それは人それぞれでしょうが、死を迎えることに違いはありません。死んでどうなるのか、殆どと言っていいほどみんなその部分が明らかではありません。しかし、みんな本当は死んでどうなるのか知っているのです。何度も死んだ体験がありますから。なのに、明らかでないというのは、その死んだ世界が、言葉では言えないものだからです。表現するとするならば、暗くて冷たくて寂しくて重い中に凝り固まってしまうということなんです。それがどういうふうなのか、その肉体を持っている間には、綺麗さっぱり忘れ去ってしまいます。考えたくもない、触れたくもない部分ということでしょう。
そんな死の体験を、今こそ、肉体を持っている今こそ、本当に活かしていただきたいと思っています。もう二度と、あの苦しいところで固まったままの状態はごめんだと、ではそうならないためには、どうすればいいのか、私は、それを学んでくださいと申し上げています。
肉体を持っている今という時間に、どうぞ、自分をしっかりと見つめていってください。心の世界、思いの世界に住んでいることをしっかりと認識してください。
心を見てくださいということがどれほどの優しさ、愛、温もりであるのか、あなたの心で感じてください。
私は、あなたの心の中にいつも、いつもいます。どうぞ、私に心の針を向けて、合わせていくことだけが、本当に自分を救うことだと、一人でも多くの方に心から知っていただきたいと思います。私の波動を心で感じて、そしてその感じたものをストレートに流してくださることをお伝えしております。
日々、正しい瞑想を心掛けて、いつも私とともにある喜びの世界を感じて、感じて、あなたはあなたの予定通りのコースを歩んでください。
それが私達の約束でした。心から、心からありがとうの思いで、あなたに、今お伝えしています。
10) 私は田池留吉の意識です。この肉体細胞とともにあることを喜んでいます。私のこれからをしっかりと見つめています。この意識の流れの中にある私の仕事、私がこの肉体を持ってこの世に出てきたことを振り返り、私は本当に嬉しく思っています。
出会いがありました。大変難しいことを伝えたと思いますが、心で分かる人との出会いがありました。意識の世界をしっかりと見つめていこうとする思い、その思いは、とてもとても大きなエネルギーです。
苦しい転生を繰り返してきた意識達に、私は、今こそ自分の心を見つめてくださいと、しっかりとはっきりと道しるべを示してきました。この道しるべの指す方向に、心を向けることがすべてです。
あなた方の中に作ってきたブラックのエネルギー、他力の世界をどんどん崩していきなさい。崩して、崩して、間違ってきた自分を受け容れていけばいくほどに、喜びも温もりも優しさも、愛の世界が大きく、大きく自分の心に伝わってくる体験をしてくださいと伝えてきました。
私の指し示す方向に心を向けることがすべてです。肉を持つ意識達の難しさを、これまでたくさん感じてきましたが、私は私の仕事をやり遂げます。この世に出てきた田池留吉の肉体の最後の仕事です。
苦しい転生はもういいんです。あなた方は愛です、優しさ、温もりですと、私は伝え続けます。私の中へ帰ってきなさい。心の世界をどんどん広げていきなさい。どうぞ、どうぞ、この喜びの波動を心に受け止められるようになってください。私からのメッセージを波動として伝えます。
苦しい転生もすべては良かったんです。そのように私は伝え続けます。何も何もマイナスはありませんでした。すべてはプラス、プラス、喜びの世界です。心を見つめていくことがすべて。心を見ることが喜びです。
私はあなた、あなたは私、ひとつという世界を、心の中にどんどん広げていきましょう。私のように、私のように。そう、同じです。私はあなた、あなたは私、私達はひとつ。心の中から伝え続けます。波動の世界を伝え続けていきます。私の波動を受けていけるようになっていってください。すべての意識達にそのようにお伝えしています。
11) 私達は肉ではありません。私達はエネルギーとして存在しています。目に見えません。しかし、私達の心はいつも、いつも叫んでいます。愛に目覚めよと。愛に目覚めよという思いの中で、「私達はどれだけこの思いと出会いたかったか。」あなたの心に届いているでしょうか。
私はあなたに伝えています。心から、心から私を呼んでくださいと。 本当に心から呼んでいけば、私はあなたの中にすうっと、すうっと入っていくんです。あなたが他力のエネルギーを心に秘めたままでは、私はストレートにお伝えすることができません。心の中に歪曲して伝わってくる波動では、宇宙を変えることはできないと伝えています。 己の偉い心を見つめてくださいとも伝えてきました。甘過ぎるとも伝えてきました。どうぞ、メッセージをしっかりと心で受け止めてください。 心の中の田池留吉、アルバート。あなたの中の本当のあなた。その波動をしっかりとしっかりと心で見分けていけるようなあなたになってください。 愛を信じる方向に進んでいくあなたを私達は待っています。心の中からあなたに伝え続けます。どんなに、どんなに、事が起ころうが、あなたの中は愛。あなたは愛。変わらず愛。愛しかない。この世には愛しかない。私達はそのことをお伝えします。
12) 何よりも、何よりも、私を思うことを大切にしてください。田池留吉を思い、愛を思い、母の温もりを思い、次元移行を思い、瞑想をする時間を大切にしてください。
あなたにとって、私を思うことがすべてです。私はあなたの中でいつもそのように応えています。あなたにメッセージを送ります。波動を伝えています。田池留吉の世界を心にどんどん広げていくことがあなたの喜び。
ベッドに横たわっている姿は私の仮の姿です。私の本当の姿ではありません。私は意識、波動、エネルギー。愛のエネルギーです。心の中にそのように伝えています。私のほうに心を向けることがあなたの喜び。そのよう伝えています。私達はいつもいっしょ。ともに歩める喜びを心に感じ広げていけることがあなたの喜びです。私を呼びなさい。私に心を向けなさい。あなたの中はすべて、すべて真実の世界へといざなわれていることを知っています。真実はあなたの心の中にあります。愛はあなたの心の中にあります。あなたの口を通して私はそのように、繰り返し、繰り返し伝え続けるでしょう。それが真実だからです。
この日本の国で、ともに肉を持ち学ばせていただいたこと、私は本当に喜んでいます。たくさんの苦しみ、悲しみ、悔しさ、怒り、やるせない思い、空しさ、たくさんの思いを抱えてきた意識達とともに私は、愛へ進んでいこう、愛あるあなたに目覚めていこう、温もりの世界へ一歩踏み出していこうと伝え続けました。これからも伝え続けます。
「あなたの本当の姿は、愛です。愛を、愛を信じていってください。あなたの本当の姿は愛です。愛あるあなたを信じていってください。」
私に思いを向けたとき、どなたの心の中にも、私はこのメッセージを伝え続けます。私に思いを向けられるかどうかの違いだけです。私に思いを向け、私に心の針を合わせていけばいくほど、愛のエネルギーがあなたの中へ感じられます。愛のエネルギーは、すべての意識達に中にあります。
「愛を、愛を、愛を求めてきたあなた達でした。そして今、愛に目覚めていく今なんです。これから250年という時間の中で、厳しい転生が待っていますが、どうぞ、この優しさ温もりを心に呼び起こせるあなたとなってください。」
私はあなたの中からいつも、そのようなメッセージを送っています。形を本物とする思い、形にこそ真実があるとする思い、すべてすべてブラック。この世に真実を説いた者はおりませんでした。真実に目覚めた者はおりませんでした。田池留吉の肉が、この世に誕生して初めて真実に触れたのです。その事実をしっかりと感じていきなさい。そして、心に感じた波動、エネルギーをあなたの中で、さらにさらに深め、広げていくのです。宇宙はあなたとともにあります。宇宙の目覚めを誰よりも、誰よりも待っているのはあなた自身です。
苦しい転生。その中でようやく明かりが灯り始めた今世の出来事をしっかりと喜んで、喜んで心で受けてください。
たくさんの意識達を心に受けています。優しさ、温もりに飢えた、愛に飢えた闇黒の世界です。しかし、心の中の愛がその闇黒の世界を変えていけるんです。愛はパワーです。喜びはパワーです。私、田池留吉、アルバートのほうに心を向けてください。
13) 田池留吉の世界をあなたの心がどんどん感じていく喜び、それが私の喜び。私の喜びはあなたの喜び。あなたの喜びは私の喜び。ともに喜びを通じ合える、喜んでいけることを喜んでまいりましょう。
私の肉にありがとうと私は伝えています。田池留吉の意識の世界から、私は私の肉体細胞の思いにありがとうと伝えています。肉体細胞は愛でした。私の肉は愚かでした。しかし、私の世界を私は知っています。肉体細胞の喜びとともに私は私の世界へ帰ります。
私の世界から、これからもあなたを通して、メッセージを送ります。波動を流し続けます。あなたのするべきことは、私にただひたすら心を向けていくだけです。田池留吉に心の針を合わせ、私の中へどんどん突き進んでください。
私は田池留吉の意識。心からありがとう。出会いをありがとう。私の心の中へどんどん突き進んでください。田池留吉からのメッセージ、田池留吉の世界からのメッセージ、どんどん送り続けます。
私は250年後を見つめながら意識の世界からエネルギーを流し続けます。肉の次元の中で私を見ていた方達は、到底この学びについていけないでしょう。肉は肉の群れの中で、さらに奥底へ落ちてまいります。
明暗がはっきりくっきりしていくのです。どうぞ、それもすべて自己選択、自己責任です。心の針の向け先をしっかりとなさってください。
私は田池留吉。心の中の喜び、温もり、愛の世界。あなたの中にあることを伝え続けます。
14) すべてよし。すべてプラス。すべて愛。肉がどんな状態であっても私は伝えます。すべてが喜び。すべては愛。愛しか存在しない。この世には愛しか存在しない。私は伝え続けます。愛へ帰ることがすべてでした。
愛しかない世界があったんです。肉、形を本物とする思い、その闇の中から、どうぞ、どうぞ、一人でも多くの方、抜け出してください。
あなたの心の世界、意識の世界に灯りを灯してください。本当の優しさ、本当の温もり、愛ある自分に目覚めてください。私はこのように、絶えず伝え続けます。
すべては喜び。すべては愛。愛しか存在しない。この世には愛しか存在しない。この世には何もない。愛、愛、愛があるだけ。
私達のすべてが愛。愛があるから私達は存在している。この事実をしっかりと心で感じられるあなたに蘇ってください。
15) 愛を思う瞑想を続けましょう。田池留吉をただひたすら思える瞑想を続けましょう。私、田池留吉の世界を心に広げていけばいくほどに、あなたの存在も、またあなた自身心で分かってきます。素晴らしい、素晴らしい存在でした。
私達は愛の中でひとつなのだということを、あなたの心で一日も早く、少しでも多くの人が自分に目覚めていただきたい。私はその思いでいっぱいです。私、田池留吉の世界はただただ愛を伝えます。もちろん、250年後、アルバートとして私はこの日本で伝えた通りに、いいえ、それ以上に私は愛を伝える存在です。私は250年後、アルバートとしての肉を持ちます。「心の中の愛をしっかりと広げていきましょう。」そのように、私は全宇宙に呼び掛けてまいります。
心で分かり、心で感じ、心で共鳴し、心で共有していく仲間達が集ってきます。ともに歩みを進めていく仲間です。私はとても幸せです。この日本の国に肉を持ち、学びをしてきたこと、そして素晴らしい仲間と出会えたこと、私の思いは本当に喜び一色です。ともに歩めることを、あなたもそして、あなたもどうぞ、心から心から喜んでいってください。
「私達の中にあるのは愛。心のふるさと、愛へ帰りましょう。」あなたの中に絶えず、絶えず、メッセージを送り続けています。
私は、波動です。愛を流す波動です。波動の中に喜びを、温もりを、広がりを、幸せを、本当にひとつになって、心から心から田池留吉、アルバート、愛ある世界を思ってみてください。
これから、UTAの輪を通して、私はさらに愛を伝えてまいります。心の中の愛に目覚めていけるように、あなたもしっかりとUTAの輪の中で心を向けていくことをなさっていってください。私達の行く先はひとつ。愛の世界です。行く先と言ってもそれはあなたの外にあるのではありません。あなたの中から、私が伝えていることを、どうぞ、心でしっかりと感じていってください。
16) どうぞ、私を思う瞑想を楽しんでください。いつも、私と出会っている喜びと幸せを、心から心から味わってください。そうすればいいだけ。おわかりでしょうか。
17) 肉が自分だとする思いがどれだけちっぽけな思いなのか、どれだけちっぽけな世界なのか、それぞれの心の中にしっかりと感じていくことが待たれています。私達の本当の姿は波動、エネルギーなんです。私達は宇宙なんです。ともに、ともに帰っていくあの素晴らしい世界、それが私達の本当の姿です。愛は私達。私達の中に愛があったことを、私は肉を通して伝えました。今世、肉を通して伝えました。私の肉はないけれど、たくさんのたくさんの意識達に伝え続けていきます。これからも、どんどん伝え続けていきます。宇宙がどんどん、どんどん変わっていきます。私達の思いを、すべてすべて宇宙は知っています。心の中にしっかりと宇宙を呼びなさい。母なる宇宙、その優しさ、温もり、広がり、とてもとても頭では決して理解できない世界、波動の世界をそれぞれの心に感じていきなさい。心の中に私を呼び、私とともに歩んでいく喜びと幸せをどんどん心に感じていってください。私はあなたの中に、いつもそのように伝えています。心の中の田池留吉、アルバート。そして愛のエネルギー。あなたです。本当のあなたです。あなたがあなたに伝えていることを、どうぞ、それぞれの心の中で知ってください。私を素直に呼んでいけるかどうか、それはそれぞれに、係っています。たくさんの間違いを積み重ねてきた人類の心の中で、ようやく巡り合ったこの真実の波動の世界を今世、少しでも多くの人に、一人でも多くの方に伝えていきたいということで、私は三次元に肉体を持ってきました。そして、今は肉体がない中で、私は田池留吉の世界から伝えています。心の中に私を呼びなさい。田池留吉にしっかりと心の針を向け合わせて、あなたの中に広がっていく喜びの波動をしっかりと、しっかりと感じて、そして、今世を終えていくのです。あなた方の中にはたくさんのエネルギーが詰まっています。他力のエネルギーです。他力のエネルギー。肉を自分だとするちっぽけな世界、真っ黒にくすんで、淀んできた世界です。あなた方は自分を自分で見捨ててしまったのです。冷たい自分になり下がってしまったことを、しっかりと心で感じて、しかし、そこから必ず蘇ってください。優しい中にあった、温もりの中にあった、肉では決して到達できないこの世界の優しさ、本当の温もりをどうぞ、どうぞ、あなたの心で感じていってください。
私は田池留吉。中にある田池留吉。あなたの中にある田池留吉。今、ああ、私はこの思いを伝えます。18) 愛が私達でした。
前を向いて愛に向かって、一歩、一歩前進しましょう。私達の中には喜び、温もりがたくさんたくさんあります。溢れるほどに、尽きることなく温もりと喜びのエネルギーを抱えてきた私達です。そのエネルギーをしっかりと感じていけるこれからなんです。しっかりと、心を田池留吉、アルバートに向けて存在していってください。肉は愚かです。肉を通して感じるエネルギー、そのエネルギーをこの愛のエネルギーの中に解き放していってください。そのエネルギーの中に埋没するのではなく、愛のエネルギーの中に解き放していくのです。ともに帰ろう、愛へ帰ろう。すべてはひとつ。愛の中にひとつということを、あなたの心を通して伝えていくのです。宇宙が待っていることを伝えなさい。愛は私達でした。愛を求めてきた私達。その愛を求めてきた私達の心が、あなたの心にもあります。 次元を超えていくのはすべての意識達です。この三次元にやってきた意識達だけではございません。すべての意識達が挙って、次元を超えていける今という時を共有している喜びを伝えていきましょう。 私、田池留吉に心の針を向けて合わせていけばいくほどに、あなたの心に響いてくる波動の世界があります。波動を感じて、波動を伝えて、あなたがさらなる一歩を進められることを、私達は待ち望んでいます。ありがとうございます。ありがとうございます。
ひとつ、ともにともに
田池留吉(病室にて)
1) 田池留吉、アルバートのメッセージを受けている方、本当に田池留吉、アルバートからのメッセージか、厳しい検証をしてください。種水のレベルが9以上(すごく硬い)でなければ、受信できませんとお伝えしておきます。
2) 喜び、優しさ、温もり等々の波動を感じられるのは、種水のレベルが9及び8(すごく硬い)の人達だけです。常に心を内に向けて検証してください。
6(硬い)以下の人達は難しいと思います。水道水をいわゆる愛の水道水に変えられるのは、4、5、6の段階の人達でもできると思いますが、レベルの高い6のを作られて活用するように。レベルの高い愛の水素水は、レベル7以上の水道水を使って。なお、8以上のレベルの種水のミニボトルを使って作り、飲用するように。
少々、厳しくはっきりと伝えておきます。みなさん、甘い、甘い。レベルアップに努めてください。
3) 種水のミニボトルのレベルの一応の認定については、栗生啓子さんと久保明子さんに頼んでおきます。セミナー会場かクボハウスで認定を受けてください。11月以降のレベルアップの参加者は、9、8、7の方々とします。
4) みなさん方にお聞きします。田池留吉、アルバートをどの程度知っておられますか。殆どの方はあまり知らないで学びを進めていこうとしていませんか。それでは、前へ進むのは、なかなか難しいと思います。正しい瞑想の1をしっかりとやってください。
5) 種水のミニボトルの認定方法
①持参のミニボトルをオーリングする
②それをコップに入れた水道水に転写。その水を飲んでみる。
③6以下の方は、まず、田池留吉を思い、続いて、ミニボトルに向けて、「私は愛です。あなたも愛です。ひとつ。」と。続いて、そのミニボトルをオーリングする。
その結果を現在の認定値とする。
6) 心はいつも外へ向くようになってしまっています。地獄から出て地獄へ帰っていく転生を繰り返してきたからです。
何故でしょう。あなたの心、思いは、いつも、神、仏、金、権力に向いていませんか。あなたが信じた教祖はどうでしょうか。このようなことではダメです。いつまで続けるのでしょうか。今世も失敗、地獄ですか。心の向け先はたった一つです。それ以外は間違いです。私は愛、あなたも愛、ひとつですよ。
7) コロコロ変わる喜びとか優しさは本物ではありません。肉が基盤になっているからです。喜びを外に求めているからです。心の外の世界は偽。内の世界が真。
外のことは程々でいいのです。信じて素直に意識の転回を進めていきましょう。
8) 口は出すが金や物は出さない人。金や物は出すが、口をしきりに出してくる人。トラブルメーカーになっていませんか。
金や物や形はやがて無くなるもの。程々に。意識があって、金や物や形です。意識が現象化します。現象にとらわれていては、真実は見えてきません。
しかし、現象を拒否したり、無視しては、何も見えてきません。すべてを受け容れ、使っている思い、使ってきた思いを見るように。心の針がどこを向いていたか確認するようにしましょう。
9) 「ごめん、ありがとう」の思いは、相手を受け容れる心に通じていきます。明るい心、喜びの心、優しい心、温もりのある心に通じていきます。すべては愛。愛でないものは、ひとつとしてありません。肉体細胞に向けて実践、確認してみてください。
10) 田池留吉を思うことから一日が始まるように心掛けましょう。このことは頭脳で分かりません。心でしか分かりません。とにかく、実践の連続。確認できるように努めましょう。
11) できないこと、できていないことを、あたかもできているように言う人々に要注意。ないものをあるように言う人もです。例えば、神、仏を。
12) ベッタよし。トップよし。ベッタばっかり、トップばっかりの人を見かけたことありますか。
私はトップの経験、ベッタの経験、両方あります。今、よかったと思っています。人生、しんどくありません。優越感も劣等感も段々となくなってきました。
選民意識、特別意識を持っている人、決して賢くありません。しんどいと思います。神様、仏様の好きな人も同じです。幸せが分かりません。
しんどい、しんどい人生、もう止めにしませんか。誇り、喜び、嘘でしょう。
13) あなた、善人ですか。悪人ですか。誰がそのように言っているのです。あなたは、現在紛れもなく悪魔です。鬼です。いわゆる愛が欠乏しているのです。心の中に愛が溢れているのに、どうしてですか。その訳に一刻も早く気付いてください。それを治せるのはあなただけです。一番大事なことを忘れていませんか。愛が流れ行かないように、堰き止めているのですよ、あなたは。あなたは愛。すべてが愛。ひとつです。
14) 田池留吉の意識の世界の法は大変厳しいです。そして、大変優しいです。この世界こそ、安心、平和、喜びの世界です。
厳しいのは嫌ですか。受け容れていってください。受け容れていけば、厳しさは優しさに変わっていきます。
15) 決して他人を殺してはいけません。自分自身を殺してもいけません。大人達は、子供達に語り継ぎ、教え続けてほしいと思っています。なぜ、肉体生命を今世いただけたのか、みなさん方は、明々白々ですね。でも現実はどうでしょうか。平和、戦争反対、みんな仲良くと言いながら、相も変わらず、人と人は争い続けています。それが現状です。どうしてでしょうか。もう大変難しくなってしまっているでしょうが、みなさん方だけでも、正しいプラス情報、そして波動、愛のエネルギーを流し続けていきませんか。老いも若きも、ともにともに、学びをどんどん進めていってください。仕事、私と同じ仕事を成し遂げていきましょう。
天変地異と死を正しく受け止めてまいりましょう。不安と恐怖はダメ。受け容れていきましょう。
16) 今日もほたる(犬)の目を見ています。小鳥のさえずりを聞いています。花が微笑んでいます。そして、父と母、学校の先生、友人と隣人を偲んでいます。「ごめん、ありがとう」と。
特に、父と母、H先生、T先生、H先生、M校長先生を毎日のように思っています。受けた情とか恩を大事にしています。楽しいです。ありがたいです。私は、これからも、ともに、ともに仕事をしっかりと遂行していきます。みなさん方もどうぞ。少々、肉の臭いがしますが、ごめん。
17) 肉に閉じこもっている人々、意識の世界へ一刻も早く、どうぞ。人を見下している人、自分は清く正しく美しいと思っている人、自分を偉いと思い上がっている人、未だに神、仏、金、権力と思っている人、どうしようもありません。田池留吉の世界、母なる宇宙にあなたの思いを向けてください。答えは簡単にあなたの心から届けられます。人を馬鹿にするな。喧嘩するな。泣くな。悲しむな。何も怖いことも、淋しいこともない。幻想。錯覚。生きる基盤、間違っていませんか。
18) 独りぼっちの老人を、みんなで大切にしましょう。ビジネスはダメ。ともに愛のエネルギーの中で生きていきましょう。
愛の水道水、愛の水素水を飲んで、正しい瞑想を続けながら、健康寿命を少しでも伸ばし、死ぬまで元気で自分の仕事を成し遂げられるよう、ともに生きていきましょう。
19) 命を懸けて、私、田池留吉(意識)にあなたの思いを向けてみませんか。私、田池留吉(肉)は何も求めません。命懸けで仕事をしてきました。肉は愚かですけれど。
甘い思い、他力の思いでは、何も前へ進めません。田池留吉の思いに素直になろうともしない母親が我が子に、「もっと素直になりなさい。お母さんの言うことを聞きなさい。」と言っているのをよく耳にします。これでは、子供が素直になれませんよ。こんな人、たくさん、たくさんいます。家庭が崩れ始めます。自分の間違った思いは、金や神では治すことは難しい。ふるさとの替え歌を歌ってみましょう。お母さんの温もり。心の針の向け先。正しい瞑想をもっともっと大切に。
20) ただ今入院、手術治療中。病名、胸部大動脈瘤切迫破裂疑い。腹部大動脈瘤。毎日気持ちよく過ごしています。みなさんにご心配かけてすみません。面会謝絶でお願いします。
21) 人生は喜び、プラス、愛。マイナスは受け容れる。反転、供養などで。マイナスはもともと存在しない。闇も悪魔も鬼も、もともと存在しない。あなたは愛です。私も愛です。ひとつ。信じて、信じて生きていける幸せ、喜び、温もり、優しさを、さらにさらに喜んで生きていきましょう。
癌も引きこもりも離婚もマイナスではありません。あなたがそう思っている間違った思いを流しているだけです。愛のエネルギー、あなた自身を信じて強く生きていきましょう。
22) 心の向け先を正しくして、正しい瞑想を。自己供養。自分が作ってきた闇、悪魔、鬼、肉を基盤とした肉の思いに向けて、「私は愛です。あなたも愛です。ひとつ。」「ともに、ともに、心のふるさと愛に帰ろう。」とあなたの愛を流してください。そのようにすれば、あなたからあなたの愛が、母なる宇宙、愛から流れていくのです。暗闇は喜びに変わっていくのです。マイナスの思いは、プラスの思いに変わっていきます。ああ、本当だ、すべてのものが愛だ、喜びだ、温もりだ、優しいと信じられるようになってきます。正しい瞑想は楽しい。積み重ねていこうとなってきます。あとは、ごめん、ありがとう、喜び、幸せとなってきます。信じて、信じて行じてください。待っています。待ち続けています。さあ、ともに、ともにですよ。
23) 言葉に真実はありません。金は大事なもの、肉体生命を保つために。ただそれだけのものです。物や形に真実はありません。ただ、自分の心の向け先を内に、愛に向けさせるものと心得てください。真実は、心の外にありません。心の中にあります。自己供養は愛です。喜びです。温もり、優しさです。断じて行っていけば、次元移行が現実のものとなってくるでしょう。決して単なる夢ではありません。このことに気付き、なしていくために、あなたは、お母さんの温もりに産んでもらったのです。
24) 種水のレベルアップ(硬い以上)。そして、転写、転写で楽しい毎日をどうぞ。そして、反転もどんどんやっていきましょう。
25) もうひとつ。愛のリングのレベルアップも。種水と両方を使って、健康で有効な瞑想を楽しんでください。
26) 私の病名を見て怯みましたか。一瞬、学びから離れようと思いましたか。あなたの心をしっかりと見てください。一番大事なことは何だと思ってきましたか。自己選択、自己責任ですよ。他力の心、他力を離せない自分の心を確認してください。私は愛です。よろしく。
27) あなたは、世の為、人の為に役立つ仕事をするために生まれてきたのですか。それとも、金、名声、夢などの為ですか。では、あなたは、死んだらどうなると思っていますか。世の為、人の為に役立つ仕事って何でしょうか
28) 人生色々、肉を基盤とすれば、そうでしょうが、意識を基盤、意識の転回が進んでくれば、人生は一つ。愛、喜び、温もりとなってきます。私は愛、あなたも愛、ひとつとなってきます。意識も色々あるように思っている人は、やはり、肉を基盤とした、いわゆる肉の思いが色々あるから、そのように思えるのです。みんなひとつ。愛でないものは存在しません。どうでしょうか。
29) 高学歴、高収入、そして、高級車に乗っておれば、幸せになれると、あなたは思っていますか。あなたが死んでしまえば、高学歴も、高収入も、高級車も無くなるんです。心の外に、いくら幸せを求めても、真の幸せを知ることはあり得ません。では、どうすればいいのでしょうか。もうお分かりですね。心の針の向け先を正しくしていきましょう。
30) 恐怖心や不安感、ありませんか。学びを進めるのに大変よくありません。私は、恐怖心や不安感を溢れて学びを伝える思いは全くありません。しかし、他力の心の強い人はどうでしょうか。そこで、水と瞑想です。正しくしっかりやってください。もちろん、母親の温もりが必要不可欠です。見下げる思い、軽視する思いはありませんか。己偉い心、あるかないか、しっかりと心を見つめてください。特別意識、選民意識も。
31) よいとこどり、自分、肉の自分にとって都合のよいものだけを取り入れる人、色々の教えのよいと思っているものを取り入れて学んでいる人、案外、たくさんいます。では、私が伝えてきたものはどうでしょうか。やっばり、肉が基盤、己が偉い。学びはなかなか進んでいかないのでは。
よいとこどり、色々の教えを集めて作り上げた教えは、如何なものでしょうか。はっきり、しっかりしましょう。
32) 愛の水道水は自然の恵み。愛の水素水は母親の温もり。どんな時もいっしょ。信じて、ともにともに真っ直ぐに、心のふるさとへ帰っていきましょう。信じる者は救われる、神をではないですよ。
とにかく、レベルアップ、レベルアップ。アップ、アップ。フレー、フレー。時と場合、生活環境などによっては、愛の水道水だけでいいですよ。水道水はどこにでもあるから。
33) 死後の世界、いわゆる色はないけれど、真っ暗闇・漆黒か、空(くう)・真っ青・光。あなたはいずれでしょうか。西方浄土とか極楽とか天上界といったものはどうでしょうか。死後の苦しみ、寂しさ、冷たさ、恐怖、不安とかいったものは、誰も何とかしてくれません。自分を救うのは自分。ただ愛だけが。
34) 種水のレベルについて。10を超えるもの。10。9.5。9。8。7。6。5以下。以上が判定値。レベルアップに参加していただく方は、6以上の方だけ。ただし、スタッフや登録してセミナーに参加し始めてから3年以内で、レベルアップが期待できる方は参加いただきます。
35) このたび、私の入院・手術・加療について、過労と警告。喜んで受け容れています。今日の秋の青空のような心境です。ごめん、ありがとう。安心。全託。
36) できるだけ自分のことは自分でするように。私の母の口癖でした。種水のレベルアップは自分達で。判定もレベルアップも。
現時点で6以上あると思う方だけ、栗生啓子さん、久保明子さんに申し出て判定してもらうようにしてください。5以上でない方は申し込まないように。
37) 身寄りのない独りぼっちの後期高齢者、おじいちゃん、おばあちゃんの下の世話をビジネスでなく、無償でお世話させていただこうと思っている人、応募に応えてください。その時はお願いします。
38) 陰険な戦い、いじめ、いじわる。俗に言う根性悪。肉の思いの戦いは止めましょう。身体にも心にも悪いから止めてください。
39) 60歳過ぎ頃から、現実は厳しい環境にあると思いますが、心の針を一点に合わせ、次元移行に向かって、一歩、一歩前進していただきたいと思っています。怒ったり、偉ぶったり、人を見下げたり、不平不満いっぱいで、ぶつぶつの毎日、止めにしていきましょう。病も不仲も自分の心を見るチャンス。心を内に向け、自分が使っている、使ってきた肉の思いをしっかりと見ていきましょう。
40) 種水のレベルアップについて
1) 9月を迎えて、段階5と6の方が増え始める。
2) 11月に入ると、段階5と6の方がさらに増え始め、段階7の方も出てくる。
3) 12月のUTAの輪のセミナーを迎えて、段階5と6と7の方がさらに増え始める。
4) 後は楽しみ。今年中に、段階8の方が出ればと。
41) 星のお話について
UTAの輪S0 塩川香世、自転公転。 S0の周りを自転公転する星群、S1、S2、S3・・・。 S1、S2、S3・・・の周りを自転公転する星群。
S0からS1、S2、S3・・・と調和のとれた星群が、ここ20年以内に出来たらと夢。期待しています。肉のお話ですが。肉と意識は表裏一体と心得ています。更なる進化を夢見ている今日この頃です。
42)8月28日、再入院しました。種水のミニボトルの判定作業が8月29日から始まります。申込み条件(種水のレベルが5以上)がありますが、自分の力で5以上になるようになって、どしどし申込んでください。念のために、5以上でない方は、何もこの学びは分かっていないことになります。
43) 真実、この道を貫け。愛はあなたの心の中に今もある。「私は愛。あなたも愛。ひとつ。」を信じて、信じて一歩前進を。
44) 種水のレベルの判定について
レベルアップに回数を積んでください。レベルの判定は、栗生啓子さん、久保明子さんに任せてください。奥さんとしたらどうであったとか、学びをしていないが関心のある友達としたら硬かったとか言っている人がありますが、あまり参考にならない場合がありますから、要注意。
45) 反転力を高めるように努めてください。自分の心の針がどの程度田池留吉に向いているか、田池留吉の世界が分かっているか、自分が愛だとどの程度信じているか、参考になると思います。どうぞ、アップ、アップと高めていってください。「私は愛です。」と思ってやり続けてください。
46) ゆっくりしいやと言いたいところですが、千載一遇のチャンス。チャンスをものにしてほしいと思っています。種水のレベルが上がってくると、現象のとらえ方が変わってきます。受け容れられるようになってきます。ものの見方、考え方、感じ方が変わってくるということが分かってきます。
47) あなたの心の針はどこに向いているか。田池留吉ですか。愛ですか。それとも・・・。良いことをすれば良い結果が、悪いことをすれば悪い結果が出てくると思っている人が多いですが、さて、良いこととは何だと思っていますか。そして、悪いこととは。
このことは少し違っています。あなたが使っている思いが正しいかどうかです。では、使っている思いが正しいとはどういうことでしょうか。結局は波動ですね。波動はあなたの心の状態をはっきりと表示していきます。
48) この学びについて振り返ってみましょう。
1)動機は。誰かの紹介で、UTAブックの本を読んで、いずれにしても、何を目指して仲間入りしてきましたか。今もまだ他力でやっていませんか。
2)田池留吉をどう思っていますか。教祖、先生、それとも・・・。
3)あなたは愛ですと伝えていますが、信じていますか。では、愛をどのように理解していますか。愛の存在をどのように確認していますか。
49) 愛の水道水、愛の水素水を毎日飲んでいますか。各水に対して、どのような思いで飲んでいますか。
50) 種水を常に身につけていますか。種水のレベル判定は如何ですか。レベルアップに努めていますか。現在は6以上ですか。
51) 種水のレベルアップを常にともにやっている友達はいますか。それとも独りぼっちですか。友達とともに成長していくようにしましょう。
52) お母さんを大事にしていますか。お母さんを喜ばせるようなレベルアップの勉強をしていきましょう。お母さんとともに愛に帰る生活を楽しんでいきましょう。お父さんも、夫も、妻も忘れないように。そして、友達も。お互いに心の中にある喜びを大きく育てていくような学びをしていきましょう。
53) 常にレベルアップを。説法はいいんです。真実を、愛を伝えていきましょう。笑顔を忘れた老人に、独りぼっちの老人に「あなたは愛ですよ。みんなひとつですよ。」と伝えていきましょう。愛を引き出し育てていくように。そして、笑顔を取り戻すように。ともに、ともに真実の道を進む喜びを。
年寄りの最大のプレゼントは愛です。喜びです。温もりです。最後までともに、正しい瞑想を心掛けていきましょう。
54) ひとつとして愛を流していないものはありません。すべて愛。愛の波動を伝えています。だから、すべてのもの、人、現象から気付いてください。あなたの心の中に愛が今も眠っていることを。暗い思いはもういいんです。明るい心、本来の心の復活で、一歩一歩愛を確認、信じて最後まで生きていきましょう。人と楽しんで楽しんで、ありがとうで終わりにしましょう。
55) 万象万物はひとつ。愛です。ともに愛へ帰りましょう。あなたの人生も私の人生も、究極は同じです。同じが嫌ですか。でも同じです。苦しむのは止めにしましょう。人生は喜びです。温もりです。安らぎです。戦うのは人生ではありません。ともに、連れもって愛に帰る道が本道です。ひとつです。
56) 私は優しい人間になりたい。あなたの心の針は田池留吉にしっかりと向いていますか。あなたは、ある日突然、冷たい人間になりませんか。冷酷、無慈悲。
私は強い人間になりたい。あなたは、常に田池留吉を思い、ひとつになっていますか。あなたは、ある日突然、ポキっと折れたりしませんか。挫折、失意、自殺。
本当の優しさ、強さとは、もう分かっていますね。
57) 適当な言葉が見つかりません。肉の思いのない思いを純粋と申しておきます。純粋な方しか、田池留吉に自分の心の針を合わせることは難しいです。ただ単に、田池先生は大好き、偉大な方だと思っている、どこまでもついていきますというだけでは純粋と言えません。
自分の心の中に、少しでも神、仏、教祖を掴んでいる人は不純。田池留吉を知ることは、不可能に近いです。もちろん、聖者とか賢者とかも同じです。全く次元が違います。ホームページやセミナーや反省やメッセージとおっしゃっても、純粋でなければ、心の針は田池留吉に合いません。種水のレベルで言えば、10超ということになります。しかし、10超でもという思いもあります。しかしです。田池留吉は、あなたの心の中にも、私の心の中にも厳然として存在していると思っています。
田池留吉を見捨て去った、忘れ去った肉の思いでは、今世は、田池留吉を知ることは、とても難しいことだと思います。
私は、純粋に近い状態の時に、自分に伝わってくる思いには、ハイと従ってきました。決断と断行と全託できました。それが今日の私に私を変えてきました。だから、私は、私を、田池留吉を信じて、信じて今日まできました。来世は、250年後は、アルバートという肉体をいただき、純粋な多くの人々との出会いを得て、次元移行を完遂してまいる思いです。アルバート、田池留吉の世界をもっと、もっと分かっていくと思っています。
皆さん方も、一応、250年後の出会いと次元移行を目指して、日夜精進していきませんか。大変厳しいですが、喜び、喜びの道です。
58) 第1回目の手術が終わって、1週間が経ちました。その間に、色々のことを学ぶことができました。肉眼で。脳で。
みんな何も分かっていないことも。分からない今も、段々暗く独りぼっちで冷たく重苦しい世界で固まっていることも分からず、救いを求めています。現在、肉体を持っている人々も、もうとっくに離れてしまっている人々も、ただただ帰るところが分からず彷徨っています。
もう肉のことはどうでもよいのではないですか。高学歴、高収入、高級車、身を立て名を上げることも、どうでもよいのではないですか。自分の死に真向かいになって、どう生きるべきか。誠実に真剣に自分の生を見つめ直していきましょう。
59) イエスも仏陀も小さい、小さい。空海も親鸞、日蓮、法然といった歴史上に名を残している名僧、高僧と言われている人もみんな、小さい、小さい。
本来の姿はみんな、もっと、もっと大きい。愛、ひとつです。さあ、みんな離して、もっと、もっと大きくなっていきましょう。
60) 自分の心の針が田池留吉に向いているか。心の針が合っているか。迷ったときは、田池留吉を心からしっかりと呼び続けるようにしましょう。継続と積み重ねが大事です。あなたの心の何かが変わってきます。そのことを少しでも喜んでいくようにしましょう。あなたの心の中にある喜びが段々と大きくなってきますでしょう。
心のふるさとに帰っていきましょう。愛へ帰る喜び、愛を思う喜びを、今世、実感していきましょう。
それにしても、現在のあなたは甘過ぎませんか。偉過ぎませんか。意識の転回にこれ努めていきませんか。首を長く長くして待っています。決断と断行でいきましょう。
61) 心が外へ向いている時は、肉のことばかり。心を内へ向けるように心掛けましょう。だから、正しい瞑想。一にも、二にもと励んでください。頭脳では、真実は見えてきません。頭は程々に。心で感じて、己を知る日々を過ごすようにしましょう。。単純、明快、矛盾のない生活を。
62) 今世の学びの成果を来世の学びに繋げていってください。そして、300年後の次元移行に繋いでいってください。それまでに超大変な体験をなさると思いますが、心の針の向け先をしっかりとさせて、一歩一歩前へ前へ学んでいってください。人生とはそういうものです。あなたは意識です。愛です。よろしいでしょうか。
63) 愛の世界は人間の頭脳では、とてもとても計り知れないもの。まさに無限大、永遠、形はなし。何もない。しかし、すべてをと思えます。私は、これからもずっと信じて信じて、皆さん方とともに、ともに進んでいきたいと思っています。10超の段階でもという世界です。未来永劫に、永遠の今に正直に、存在していきたいと思っています。
64) 人間は、まだまだ甘い。まだまだ偉過ぎます。だから、肉の次元の幸せを、自分を誤魔化し、誤魔化しながら追い求めているのではないでしょうか。儚いことです。朝露の如し。真実の道へ軌道修正して、正道をひたすらに進んでいきませんか。自分を信じて生きていきましょう。自分をですよ。神や仏や金ではありませんよ。
65) あなたは、いや人間達は自分を小さくとらえています。意識です。肉ではありません。無限、永遠の存在。神、仏やといったものは小さい、小さい。
ホームページを読んでいますか。本を読んでいますか。正しい瞑想を実践していますか。この学びを自分の都合のよいように考えてやっていませんか。
種水の判定を必ず受けてください。独りよがりは禁物。私も判定に参加して、皆さんの努力に応えていきたいと思っています。勇気を出して、判定会に。有馬、橿原のセミナーでいっしょに学んでいきましょう。
66) 死後の世界、影も形もありません。もちろん、極楽、地獄といった空間、場所があるわけではありません。あるのは、自分の思いの世界だけ。ところで、死後、あなたにとって一番大事なことは何ですか。それは、田池留吉に自分の心の針を合わせ、田池留吉を思い続け、呼び続けることです。あとは?。
ところで、自分の肉の思いは明るいですか。暗いですか。それはどうしてでしょうか。素直で優しく喜んで、毎日を生きていきましょう。それには?。
67) 自己供養。自己を供養するとは、どういうことでしょうか。まず、死後の自分の世界を知ることです。その世界は、明るいか、暗いかをはっきりとさせることが大事です。では、暗い、冷たい、寂しい、重い世界はどんな世界、思いの世界でしょうか。肉の思い、肉を本物とする思いは暗いです。苦界です。
では、明るい世界、思いの世界とは、どんな世界、思いの世界でしょうか。自分が使ってきた、使っている思いをしっかり検証してください。でないと、正しい自己供養はできません。まず、自分の死後の世界を間違いなく知ることが、学びを進めていくうえで、大変重要なことです。
68) 学びに参加されている方で田池留吉はすごいと言う方は少なくありません。私自身もそう思っています。信じています。しかし、あなたもです。ひとつとも言っています。問題は内容です。その内容如何によっては、大変な違い、光と闇ほどの違いがあります。よく自分の心、思いを見てください。心の針は田池留吉に本当に向いているでしょうか。闇の田池留吉の声を聞いているのではないでしょうか。波動に偽りはありません。あなたの種水の判定はいかがでしようか。
69) これからは、Sさんを中心にした輪が進化していきます。もちろん、Xさん、Yさん、Zさん、Pさん、Qさん、Rさん・・・の輪もできてくるでしょう。
そして、Sさんの輪に同化して、たとえば、Sさん、Xさん、Yさん・・・などが中心となって輪がさらに進化していくでしょう。
全く別の輪を大きくしていくもの、消えてなくなるもの、離れていくもの、色々の輪ができてくるでしょうが、しっかりと何が本物かを見極めていかないと、大変困ったことになるでしょう。常に自分の心の針が本当の田池留吉に向いているかどうか検証しながら、学びを進めていきましょう。
70) 己の頭脳や環境を誇る人は、意識の転回の内容をうまく説明ができても、本当に理解できているかというと、なかなか難しいようです。
己を肉とする思いや、五官でしか理解できないものしか分からないようです。一にも二にも正しい瞑想でしか、真実に到達する道はありません。そうです。1です。1ができているかどうかです。素直に真っ直ぐに心の向け先を管理してください。
意識の流れ
UTAブック
NPO法人UTAの輪