身体が病む、心が病む、それは、できれば自分を含めて、私の周りでは起こってほしくない出来事でした。
人間は、加齢とともに弱っていき、死を迎えることは理解できても、若くして難病に侵される、あるいは若くして死を迎えることは、私の中で受け入れ難いことでした。
また、精神的に不安定だとか、そういうややこしくて、理解に苦しむ心の病が、なぜ私達人間に発症するのだろうかと、これもまた暗いマイナスのイメージを私の中から払拭することは困難でした。
それが、何と、私はその受け入れ難い現象が自分の周りに起こり、前々から母より話だけは聞いていた「心を見るという学び」に集う結果となったのでした。それが約二十年前でした。
寝耳に水の出来事は、何かの促しだと思いました。それまでの自分の生き方の方向が間違っていたことを、端的に自分に示したとしか言えないと思いました。驚きと戸惑いはありましたが、私は自分を正しい方向に向かわせたと、その当時の早い時期に感じ、自分なりに真面目に学んできました。
病気ということに対して、マイナスのイメージしかなかった私は、目に見えて触れることができる形のある世界しか考えられなかったし、それがすべてだとしてきたのです。それが私の現実だと思ってきました。
そんな中で、「死んで花実が咲くものか」と嘯いてきたのです。自分の人生を考えても、有限の中でしか考えられなかったのです。
そんな自分の考え、思いのすべてが間違ってきたことを、私は学びを進めていく中で知っていきました。