UTA会セミナー風景



セミナー参加者の心の模様

 下呂セミナーで真のチャネラーと偽りのチャネラーの違いを見せられました。波動が違いました。

 HPの自分を許していこうを読みました。拝み屋という言葉が心に入ってきました。私もチャネラーとしての自分、自分の若さを誇っていました。取り巻きを作りたい、みんなにちやほやされたい、そして何よりも私は「間違っていました」その言葉が心から出てきませんでした。頭では思うのです。反省文にもたびたび書くのです。でも何かしっくりこない、本当は自分が間違っているということを悔しくて悔しくて仕方のない思いで眺めている私がいるんです。チャネリングをしていた時の自分を思い出すと、何か神が自分に降りてきて、私自身に対して生きる指針を示しているような感じがしていました。その時は私は神になりきっていました。私の頭ではない心の奥から出てくる言葉の数々、これこそまさに神の言葉、お告げなんだと思っていました。チャネリングをすれば、道を示してもらえる、私はまっすぐな道を歩むことができる、反省も進む、そんな思いでいました。まさに拝み屋、私は自分に神が乗り移り、私は神の言葉を説いている、そう思っていました。下呂セミナーで真のチャネラーと偽のチャネラーの違いを見せられました。波動が違いました。言葉ではなく波動でした。私の心から流れていたのは情欲でした。欲しいものをどんなことをしても手に入れようとする人の心の情欲でした。寂しい心の隙間に私はこの思いを一杯一杯溜め込みました。情欲が生きる力の源でした。欲によって全て動いてきました。人の心も欲で操ってきました。それが私がずっと流してきた波動でした。この思いを見るために今世こうして肉を持ちました。今までずっと逃げてきました。心の中に田池留吉の波動を少しでも感じた今、ようやく自分の心の中の情欲の思いを出していける、そう思います。


 UTAセミナーに参加できるということが、どれほど幸せなことなのか、少しもわかっていなかった。

 UTAセミナーに参加できるということが、どれほど幸せなことなのか、少しもわかっていなかった。心新たに真剣に取り組んでいるつもりでも、やはりその心の基盤が変わらない限り、今までの延長にすぎなかったと思っています。この肉が参加するのではなく、意識たちがどれほど楽しみにアルバートの波動に包まれ、アルバートと共に歩むことを心待ちにしているのか、私の心の宇宙のすべての意識、UFOたちもどれほどセミナーの輪の中で、みなと心をひとつにして喜びの輪を広げていくことを楽しみにしているのか、そのどきどきするような待ち望む思いが伝わってきます。UTAセミナーは意識たちの集い、アルバートへ帰っていこうと願う意識たちの集いだった、そう感じています。そのためにこの肉を運ぶことがとてもうれしいです。


 夫と話をしているうちに嬉しい思いと一緒に笑いがこみ上げてきて止まりません。

 なぜか可笑しくて笑いが次から次に湧き出てきて、返事が出来なくなって笑っている自分がいます。
 下呂セミナーで笑う現象がありました。今その時の事を思い出しています。あの時は何も分からず、人の笑い転げる姿を見て私も一緒に笑っていました。下呂セミナーが終わってからその事を忘れていたのですが、今、夫と話しているうちに、自分の中から思わず笑いが湧き出てきて止まらなくなりました。
 田池先生が言っていた「頭隠して尻隠さず」の自分の姿がこれだったのかと思えてきて、またまた思わず笑いがこみ上げてきます。
 夫が何か言えば可笑しくなって、自分が何か言えば可笑しくなって。気が付けば夫婦二人が笑いが止まらなくなっている。
自分をしらないから出来たことだけど、それにしても可笑しい自分だったなーと思って、また思わず笑いが飛び出てくる。
 今までどれほど真面目に、自分の思いが正しいと人にも夫にも子供にも言ってきたことかしれない。それが全部自分に自分が言っていたことだったなんて本当にこっけいです。外に心を向けて恐怖、不安、怒り、破壊あらゆる闇の思いをエネルギーに変えて流し続けて知らん顔をしていた自分は責められて当然なのに夫も一緒に笑っているんです。そして今までならそんな自分が許せないはずなのに、認めたくないはずなのに、どうしてかそんな間違い続けた自分がこっけいに見えてきて笑っているのです。
 夫も一緒になって笑っているのです。いつもならお互いに「それだけはお前には言われたくない。お前には言わせる物か」と無視したり怒り狂っていたのに、今はそんな自分たちが狂っていたねと二人で笑っているのです。狂っていた自分が本当にこっけいに思えてくるんです。そんな自分たちの姿を思い出して、可笑しくて可笑しくてお腹を抱えて二人で笑い転げているんです。お互いに馬鹿だったねと笑い転げているんです。本当に笑うことしか出来ないほど自分がこっけいに思えてくるんです。そして笑いながら喜んでいるんです。
 怒りでしか苦しい自分の思いを表せなかった私でした。そんな自分が今はとても愛おしいです。そしてそんな自分と一緒に今笑い転げています。
 今日のホームページを見てから、下呂セミナーでの笑いの現象が私達夫婦の中にも始まったように感じてきてうれしいです。


 下呂セミナーで感じたアルバートの波動にはびっくりしました。私の想像していたもの以上のエネルギー、スゴサだったからです。私は、これまでに、たくさんの神を求めてきました。そして、想像してきました。静かで、荘厳なもの。全く、ちがいました。本当に、全てを一瞬に包んでいってしまう、全ての生命力の躍動、強さと優しさでした。慈悲とか、救ってあげましょう、助けてあげましょうとか、そんな安っぽいちっぽけなエネルギーでもありませんでした。
 田池留吉の肉があればこそ、感じられた波動だと思います。田池留吉の肉ある間、しっかりと、その波動を学んでゆきたいと思います。そして、その肉がなくなっても、自己確立ができてることを目指してゆきます。天変地異を動かしてゆくのも、この躍動、喜び、なんだと感じます。


 今回のセミナーで喜びをいっぱい感じながらも、心の中に何か引っ掛かるものがありました。

 今回のセミナーで喜びをいっぱい感じながらも、心の中に何か引っ掛かるものがありました。意識はどんどん先へ先へ進んでいくけれど、まだまだ肉を掴んでいる私があります。意識と肉のギャップに苛立ち焦っていたようです。でも先生のお話で、これから気が遠なるほどの時間空間を要する私達であることを思ったとき.気持ちが楽になりました。落ちて上がってまた落ちて上がってを繰り返しながら、一歩一歩本当の自分に帰っていく私達でした。
 何万分の一かもしれないけれど、この心で感じたあの途方もなく明るい田池留吉の宇宙が、確かに私の心の中にも存在している。あの明るさの中に言葉では表せない全てが含まれていることも感じました。その私が本当の私です。ゆったりと心を見ていきます。


 今回のセミナーで、改めて自分の中のパワーを求める心のすごさ、念仏や念力パワーを過去にものすごく使ってきたことに気づかされました。

 ホームページを見て瞑想しました。今回のセミナーで感じたことをいろいろ思い出しながら、自分の中の本当の宇宙は田池留吉の宇宙だったんだなあって思いました。田池留吉の宇宙に帰るために、過去世も来世も今世も今という一点に肉を持って生きている、そう感じました。肉の田池先生は、田池留吉の宇宙へ帰る入り口のように感じました。
 田池留吉の宇宙は、あたたかくてやさしいお母さんのぬくもり、その波動を伝えてくれているのが肉の田池留吉と思いました。
 今回のセミナーで、改めて自分の中のパワーを求める心のすごさ、念仏や念力パワーを過去にものすごく使ってきたことに気づかされました。その心は、自分だけがすばらしく幸せになりたい心、そしてすべてを思いのままに支配したい心でした。
 自分は特別、人よりも抜きん出て一番でなければ気が済まない心でした。この心で、宇宙に向けてパワーを求めてきたことに気づきました。だから私の宇宙は、こんなにも真っ暗で冷たく寂しくて厳しかった、自分で自分におびえてきた、そう気づきました。そして、自分は特別な存在でなければならないとする心の奥には、いたたまれないような寂しい心がありました。肉の寂しさとは少し違う、本当にどうしたらいいかわからないほどの、どうしようもない寂しさでした。この寂しさから自分を救うために私は生まれてきました。それは、田池留吉の宇宙に帰ることでした。
 私もやっとアルバ一トの波動、お母さんのぬくもりを、少しずつ心で感じられるようになってきました。ありがとう、うれしいの思いで一杯です。アルバートヘの信を深めるとともに、自分を救っていきたいと、素直に思えるようになりました。


 セミナーで何度か田池留吉の宇宙へ心を向けていくうちに、気負い、力みが薄れ、ゆったりとした気持ちが広がってきました。

 セミナーで何度か田池留吉の宇宙へ心を向けていくうちに、気負い、力みが薄れ、ゆったりとした気持ちが広がってきました。温かな温もり、ふわりとした優しさに包まれて、あせることもいらない、ありのままがいい、そんな気持ちになりました。心で感じていかなくてはとか、何かを伝えていかなくてはという思いももういらないと思いました。田池留吉の波動の中につつまれているだけで幸せでした。目の前に田池留吉の肉が存在していると感じるだけで幸せでした。心の中に確かにアルバートの存在を感じました。今自分がどこにいるのか、時間も空間も関係なく多くの意識たちと共に悠久の時を経て大きなひとつの意識の中に存在する自分を感じました。すべてが許されていた、生かされていた、愛されていた、そしてすべてがいとしい。嬉しい気持ちが広がります。少しずつ少しずつ、田池留吉の宇宙を心に広げていきます。きっぱりといらないものははずしていきます。


 嬉しい思いが心の中から吹き上がってくる。

 嬉しい思いが心の中から吹き上がってくる。田池留吉と思うだけで何でこんなに嬉しいのか分からない。とにかく心が弾んでどこまでもその弾んだ思いが飛んで行くような感じです。静かな中にみなぎっていく喜び...「私は田池留吉と共にある、アルバートと共にある」...今私の心に大きく広がる思いです。田池留吉に心を合わせる、アルバートに心を合わせる、それがこんなに大きな喜びでした。今までとは違う感覚で、田池留吉を自分の心の中にしっかりと感じるのです。
 目を閉じて心を田池留吉に合わせてみる、すぐ側に田池留吉がいる、なんとも言えない眼差しを感じまた目を閉じる。そんな繰り返しを心の中で何度も何度もしています。幸せです。
 肉で一生懸命生きてきたつもりでも、私は本当の意味で生きてはいなかった、そうしみじみ思うのです。今までが一体何だったのだろう、この波動を心に感じながら生きて行くことの喜びがすべての価値観を変えて行く。
 瞑想の中で感じさせていただいたあの広がり、温もり、田池留吉、アルバートと共にどこまでも存在する私なんだと感じたことが、今また大きな喜びとなって蘇ってきます。
 己を誇り現し大きな態度で生きてきたことが恥ずかしくてたまらないけれど、そんな自分を振り返るたびにまた田池留吉、アルバートを感じ、さらなる喜びに繋がっていきます。この思いをしっかりと心に抱いてアルバートへの道を歩いて行きます。


 ただアルバートの波動を田池留吉の波動を信じていこうと思います。

 まだアルバートの波動とか、田池留吉の宇宙とか、自分の心で感じ、確信するところまではいっていません。しかし、私の心の中にアルバートの波動が田池留吉の波動があるんだということを信じていこうと思いました。外には無いんだと自分の心の中にあるから、それを思い出していこうと思いました。
 何かを感じたいとか、掴みたいとかそれが全部パワーに繋がっていたんだと思いました。だから、その思いが出てきたら、ただ自分の心の中にあるアルバートを思っていこう。それだけでいいんだとセミナーから帰ってきて感じています。自分の心で田池留吉を思うとアルバートを思うと穏やかになっていきます。そして時々嬉しくってたまらなくなります。
 核に対する思いも、セミナー前と少し変りました。ありがとう。そして、愛しくなりました。
 自分の思いが間違っていたんだなあと思いました。自分でも不思議です。他力の思いもこびりついていますが、ありのままの自分の心を見ていくところからはじめたいと思いました。
 ただアルバートの波動を田池留吉の波動を信じていこうと思います。本当に幸せです。ありがとうございました。


 白い道を歩いてまいります。

 田池留吉の宇宙に向けた時の現象で生まれて初めて、すっぽりと包まれている温もりを体と共に知りました。これがあれば、すべてが整う、嘘ではないと実感しました。
 今朝は、アルバートの明るい道が浮かびました。とまどっている自分がいるのです。
でも、道は、どこまでも続く真っ直ぐな、白い一本の道しかないのです。涙がドッーと 、溢れてきました。私も、一緒に歩いてまいります。
 ホームページの中に、私は同じと感ずることが増えています。波動が伝わってまいります。ありがとうが増えました。ありがとうございます。


 セミナー、ありがとうございました。
 今回のセミナーで先生が言ってくださった「古傷」についてですが、まさに私のことだと思いました。肉の私にとっては一番隠しておきたいことでしたが、意識の私にとっては一番言っていただいてうれしいことでした。
 2日目、瞑想の後、田池先生の前にひざまずいて謝りたいと思いました。アルバートに向ける瞑想のとき、自分の今までやってきた間違いの数々、それをどれほどの思いで許し受け入れ続けてくださってきたか、肉の田池先生に申し訳なかったという思いばかりの羅列が出てきました。許し続けてくださってきたこと、すごいことだと思いました。心から、申し訳ないと思いました。肉で、どんなにひざまずいても足りないと思いました。ただ私がこれから、どれだけアルバートに向いていけるか、それが先生に謝ることだと思いました。
 3日目、心の中から叫びのような思いが出ました。「私は先生に人生を変えていただきました。最悪の人生を最高の人生へ変えていただいたことありがとうございました。そして今、また変えていただこうとしています。大間違いを平気で隠し通そうとしている私に、みんなさらけ出して確認して受け入れていくことをしなさいと、波動で伝えてくださっています。ありがとうございます。」それをお伝えしたいと思いました。
 中村君の現象は、チャネラーを心へ入れた間違い、向く先がチャネラーになっているのだと思いました。そしてそのときふと思い出しました。彼が私の意識をずっと昔にきれいにファイルをしてくれていたこと。私は全然気に留めていなくて、彼とは話したこともないのですが、でもなぜか、その情景がはっきりと出てきました。原因は私にあった。己偉い私をチャネラーとして彼はきっと心に入れたのかも知れないと思いました。
 申し訳ないです。このセミナーの皆さんに申し訳ないです。でも、今回は皆さん優しかったです。古傷の元凶のような私にも優しく接してくれる人が多くおられました。自分に対しても申し訳ないことをしてきたのだと思います。肉で覆って己を前に出し、本当の自分がどんどん見えないようになり、苦しみだけを膨らませ続けてきたこと、申し訳ないと思いました。もう、私には、この学びしかないです。どうしようもない肉の自分が瞑想のたびに見えました。でも、嬉しいのです。どうしようもない自分が、愛しいと思えました。アホで、いつもみんなに迷惑ばかりかけて、先生にも申し訳ないことばかりです。でも、こんな私でも喜んでいけること、嬉しいです。
 先生、ありがとうございます。(0226)


 今回のセミナー、とても勉強になりました。
 特に2日目の現象、全てが本当に自分のことだと思いました。古傷の反省をしていかなければ、と思いました。アルバートといいながら、心は違う方向を向いていました。今まで誰かの現象をみても、それを心から自分の勉強だと受け取ることをしてきませんでした。でも、今回本当にあれは自分の姿だと感じました。本当にその人の勉強じゃない、セミナーに参加している全員の教材でした。
 意識は本当にひとつでした。今まで頭ではわたしの勉強でもある、と思っていたけどそれはうわべだけの思いでした。だから、早く終われ、と思うこともありました。わたしもという思いもありました。今回初めてじぶんのものとして受け止めることが出来てその一つ一つの現象に本当に感動しました。どんどん自分の闇もみえてきて、でもそれがたまらなく嬉しかったです。セミナーってすごい!参加させてもらえることが嬉しくて嬉しくて仕方なかったです。
 これからまた反省していきたいです。(0226)


 自分の心が、身体が、「あなたは間違っていますよ」とやさしく教えてくる。
セミナー会場の現象で、ずっとうれしかった。本当の自分がちゃんと伝えてくれている。苦しみはやさしさでした。
 白い道か黒い道か、僕は目の前に2本の道があってどちらかを選ぶと思っていました。間違っていました。
 今、白い道も心を向ける先が違えばすぐに真っ黒になる。でも間違いに気付いて修正すればまた白い道になる。その繰り返しの中で、少しずつアルバートに、田池留吉の宇宙に近づいていきます。
 何よりもまず田池留吉、アルバートに心を向けることから始めていきます。自分が何のために生きているのか、何を基準にしていけばいいのか、少しずつわかりかけてきた気がします。(0226)


 自分の心で確信した道を一歩一歩歩いている、そのことが今回のセミナ−でもまた確認できて嬉しいです。肉を通し語る言葉も流れる波動もすべて田池留吉、アルバ−トの世界の中で田池留吉、アルバ−トとひとつになっている、このことを心で感じられる機会を何度か頂きました。
 私は本当に幸せだと思いました。心で確信しているから私には己を表さなくてもいい、気張る必要もなければ比較することもない、ただこの心に感じ心から沸き起こる喜びに素直に委ねていくだけでいい、しっかりとした足取りでこの道を歩いている自分自身に出会え、私はただただ嬉しいです。
 肉と意識の世界がひとつになって心に響いてくる波動の世界は素晴らしい、すごいとしか表現できません。
 私には田池留吉の肉を崇めたり特別視したりする思いはありませんが、波動の世界を深く感じていくほどに田池留吉の肉が今ここにあるということが本当にありがたいです。出会ったことを本当に嬉しく思っています。ともに歩いていくこれからの未来が心で感じられるから本当に嬉しいです。ただこの喜びを肉で表すにはある程度で制限される、だからその窮屈さも感じています。肉、肉の目を弱めて心の目で見てくれたらいいなあと思います。私はただ嬉しい、肉を見て肉を見ていない、出会えている今、本当に嬉しいです。(0226)


 白い道を歩んでいくのは、選んでいくのは、勇気が必要です。白い道では、甘えも妥協も賄賂も通用しないからです。波動だけが存在する厳しい道です。私は、本当にこの道を歩んでゆけるのだろうかって、思います。この道を本当に、選んでゆけるのだろうかと思います。これまでの様な、欲でもなく、自分を誇示し、認められるための道具にするのでもなく、自分の思いどおりに利用しようとするパワーとしてでもなく。けれど、私の中から、思いが響いてきます。これが私の本道だったと、思いが響いてきます。
 田池先生は、最初の頃と変わらずにやさしかった。田池留吉の波動、私は、この波動がうれしくて、本当にうれしくて、一番大好きだったと思います。
 ごめんなさいと、ありがとう、その思いの中で、これから、私の歩むべき道がみえてきます。私の全てを許してくれていた、かわらずに私の中で、いつもいつも待っていてくれた。
 心の中から、故郷のリズムが響いてきます。それは、かわることのないリズム、波動でした。私が帰りたかった場所でした。懐かしい懐かしい故郷でした。
 偽者の私をつかむのではなく、本物の私を信じてゆこうと思います。それが、私との、本当の私との約束だと、思いました。(0226)


 ホームページに載っていた今回のセミナーの体験を読みながら、私もこの学びに集いながら何度も田池留吉を捨ててきたことを思い出しました。その心は、いつもいつも、私がこんなに一生懸命やっているのに、先生は私を救ってくれない、認めてくれないという思いでした。この思いが心にわいてくると、急に先生が信じられなくなり、心が暗くなってひとりぼっちになり、先生が冷たくて遠い遠い存在に感じられるのでした。そしてその時の私は絶対に正しいのでした。この心が田池留吉を捨てる心なんだと、瞑想しながら思いました。
 私は正しいのになぜいつもこんなに苦しむのだと、心は叫んでいました。いつも正しい私にとって、自分の心の間違いに気づくことは苦しみでしかなく、厳しくて難しいことでした。でも、田池先生の波動は、そんな私の心をやさしく包み込んでくれているのを、セミナーで感じます。先生のやさしい波動は、みんなを包み込んでくれている、差別も区別もなくどんな人も包み込んでくれているのを感じます。
 今回のセミナーの一日目他力の反省の中で、先生が出した念仏の言葉が、とてもあたたかく私の心に響きました。念仏をあげてきたすさまじい他力の心が本当に許されているのを感じました。心の目で見る田池先生の目が、私たち一人一人を、みんなみんなを信じて待ち続けてくれているのを、心で感じます。それは、肉の私がどんなにだだをこねて否定しても、変えられない真実でした。それを心で感じるとき、間違ってきましたと、懺悔の思いとともに心が素直になっていくのを感じ、うれしくなります。私は私の前に続くこの道を、一歩一歩進んでいきます。(0226)


 意識の世界は嘘もごまかしもない世界でした。
 私はなんにも分かっていませんでした、心底そう思いました。これまで少しは感じてきていると思っていたけれど、そんな簡単に分かる世界ではないことを痛感しました。どれ程傲慢で己が偉い心を持っていたかを思い知らされました。心ががたがたと震える思いでした。骨身にこたえました。
 初めて先生とお会いしたとき私は「ただの人」と言ってしまいました。そのことを思い出したとき、この心をずっと今日まで使い続けてきたかを知りました。これまでの何億年という私の心の歴史の中は他力の神々にどっぷり漬かったままの心で、その思いを抱えたままで、田池先生を比較し見ていたことに気が付きました。
 どんなに私は心を見ていなかったかを思います。どんなにこのセミナーの場を己を表すことだけに利用してきたかを思います。次々とこれまでの時間を振り返っています。
 「分かってきました」と使った言葉を本当に恥ずかしく思います。本当に厳しいセミナーでした。だけど心の奥底で良かったのかもしれないと思っています。(0226)


 今回のセミナーはもう言葉ではなんとも表現しがたいものでした。いつも心のどこかにおりのように、心のかげりのように感じていた古傷。今までしてきた反省は頭の反省、肉の反省だったことを思います。古い傷に思いを向けると、そこには壮絶な思いがありました。身の置き所がないほど、申し訳ないという思いもありながら、でも反面、好感度など吹っ飛んでしまうような、田池をたおせ、殺せ、ぶっ飛ばせ、生かしては置けぬという思いも存在するのです。その思いは苦しく重く自分をも切り刻むような波動でした。この思いを心に抱えたまま、とてもアルバートへの道など歩めるものではない、心で初めて実感しました。大嘘つきなんてそんな単純なものではない、どれほどの間違いをおかしてきたのか、自分自身をだまし、ないがしろにしてきたか、あまりにも簡単に自分に都合よくとらえていたと思います。今世、田池留吉に出会いながら背を向け裏切った自分、意識の流れに逆らい続けた自分、その心をしっかりと見ていきます。(0226)


 田池先生の肉を侮ってきた、私は肉の田池留吉を見下げてきた。古傷を思い、心をたどり、今までどれほど自分が先生の肉を侮ってきたか。私はチャネラーを高きにおいて、先生を見下していました。素晴らしくなりたかった私、パワーを求め、パワーを得るためにチャネラーに心を向け、利用して来ました。全て自分がパワーを得るため、素晴らしい自分となるためでした。
 肉を誇り、肉を表し、己を高きにおいてきました。そのためにこのセミナーを、チャネラーを利用しました。そのためにセミナーに集いました。
 パワーが欲しくてエルランティ田池に心を向けました。何度もエルランティ田池と心で渾身の思いを込めて祈っていました。要らなくなると簡単にチャネラーを捨てました。間違っていると聞いたら、あっけなく捨てて、切り捨ててきました。利用するだけ利用して、要らなくなったらはい、さようならでした。
 自分に都合よき言葉だけを取り入れ、都合の良いようにこのセミナーの言葉を、田池留吉の言葉を使いました。全て己を表すためでした。
 チャネラーを信奉し、崇め、奉った理由は、肉の私にはっきりと示唆してくれるからでした。田池先生の言葉は曖昧で、わかりにくく、抽象的だと思ったからです。だから、色、動物、天使の名前、錚々(そうそう)たる神や仏の名前は肉が全ての私には入ってきやすく、すんなりと受け入れられました。田池先生の話より、チャネラーの話のほうがわかりやすい。肉で入る言葉を信じて、自分の都合の良いものを取り入れてきました。波動がわからなかったから、肉でつかめるものを、肉の私が満足できるものを選びました。その結果が大きな古傷でした。
 自分では、先生の肉をこんなに侮っているとは思いませんでした。こんなに大きな裏切りだとも思っていませんでした。この事に気付いたとき、余りのことに体が震えました。手も足も震えて止まりませんでした。
 核だけではない。このセミナーに対しても、田池先生に対しても、アルバートに対しても、私はヘドロを吐き続けていました。憎しみと呪い、破壊と殺戮のエネルギーをぶつけ続けていました。こんな思いで自分は喜びの輪の中にいました。
 自分対他人、常にその思いが意識の根底にありました。私の基準はいつも肉の私で、肉の私対誰々でした。その思いで常に戦い、争い、比較、競争してきました。一人で常に戦争でした。
 こんな思いのまま、私は古傷にもろくろく気付かず、自分はもうできたなんて、大きな顔をしてきました。他力の現象はいつも他人事でした。心を見ても見えない、わからないからといい加減にして来ました。今回、やっとその恐ろしさに気付くことができました。ゼロからの出発どころか、マイナスからの出発でした。
 肉の田池留吉への好感度を考えたとき、なぜ自分の心は肉の田池先生に対し、こんなに冷めているのかと思いました。それには深い理由があることを知りました。
 喜びがはちきれんばかりの現象が繰り広げられる中、私には手放しの喜びは広がりませんでした。当たり前でした。古傷を持ったままそれを隠して、喜びを広げることはできない、自分の中の本当の喜びは広がらない。それを嫌という程痛感しました。アルバートに向いていないのだから、アルバートの波動を感じていないのだから、当然でした。自業自得でした。
 それでも、なぜか私の心は穏やかで、落ち着いていました。喜びの大きな歓声の中、私はただ静かに自分の古傷に向かい合う時間を何度か頂き、そして古傷の存在に気付けた事が大きな喜びだったことを感じました。
 大きな大きな古傷を私は背負っています。膿んで化膿して、どうしようもなく悪臭を放つ古傷です。でも、やっとこの古傷と向かい合うことができそうです。この古傷と共に、私は出直したいと思います。(0227)


 UTA会セミナーに初めて参加させていただきました。一日目の「心の古傷」は、私のために話していただいていると思いました。少しはその反省をしているとタカをくくっておりました。心を観て驚きました。何も観ていないも同然でした。いえ何も観ていませんでした。ただただ、田池先生に申し訳なく思っています。
 田池先生ごめんなさい先生を裏切り足蹴にしチャネラーよりも低く見ていた自分の心を知って驚きました。田池先生の事好きだと思っていると思い込んでおりましたが、とんでもありませんでした。まったく自分の心を知りませんでした。
 裏切りました事は認めておりましたが、先生の事を非難したり、中傷したり、不満を言ったりチャネラーより低く見たりしているのは他人事の様に思ってきました。それは私が使ってきた思いでございます。他人ではございません。
 古傷の話本当にありがとうございます。そして今どんなに私は田池留吉に愛され許されているか、本当の自分に導かれておりますことわかり、本当にうれしいです。
 田池留吉の宇宙に向ける現象で宇宙は私のふるさと、感じました波動は懐かしく今までにも知っている嬉しいうれしいものでした。初めてのU丁A会セミナーでこれほどの勉強をさせていただきまして本当にありがとうございます。(0227)


 私は、なぜ、チャネラーに憧れたんだろうかって思います。なぜ、その力がほしかったのだろうかって思いました。そう思っていると、とても、苦しくなりました。そちらに向けて異語をすると、すごい思いがでてきました。夫も子供も自分のまわりを全て、自分の思うがままに操りたい、いうことをきかせたい、思いどおりに支配したい、思いどおりでないものは、全てを破壊してやりたい、ねじふせてやりたい、そんな思いでした。自然の流れが右であれば、その私は必死に、流れをせきとめて、無理矢理に力づくでその流れを左に反対にかえようとしていました。
 家族のため、みんなのため、世のため、人のため、世界の宇宙の平和のためと口ではいいながら、それは、きれいごとで、心の中は、流れてゆく思い、波動は、すさまじい思いでした。自分、自分、全てが自分中心の思いで、自分こそが神、万能なる神、ごう慢きわまりない思いでした。この思いを隠しながら、私はきれい、りっぱ、できてる、悟りを開いた、教えてあげましょう、救ってあげましょうと、私は、どれだけ、この思いを、過去から流し続けてきたことかと思います。
 本当にばかなことばかりをやってきました。愚かなことばかりをくり返してきた私でした。正反対のことばかりをやってきました。それだけに、今世の、田池留吉との出会いが、どんな意味をもっていたのか、その出会いの重みを心に感じます。私は、やっと、田池留吉に出会えました。そうやっとです。その喜びが心から響いてきます。私のこの心の宇宙の全てを開いて、田池留吉の前にさらけだしてゆける、解放してゆける、その時をやっと頂いています。(0227)


 塩川さんが前に出てチャネリングしている姿を見ても不思議と妬み羨み嫉妬する心が出てきませんでした。下呂セミナーの時塩川さんに凄い思いが出ていました。今回その思いが出てこないのが本当に嬉しかったです。また田池先生の、「塩川さんの姿はあなた方の姿でもあります」が、心に響いてきてとっても嬉しかったです。心のどこかで「田池先生は特別」の思いがありました。でも塩川さんの肉は私達と同じ、その塩川さんがこんなにも心の転回がなされたのだから、真剣に取り組んでいったら私にも変われるチャンスがあると希望が持てました。今私の心の中で塩川さんが道標になっています。ああなりたいと言う欲の思いでなく、素直に心を修正していきたいと言う思いが膨らんでいます。
 今まで何回もセミナーに参加していますが、今回のように人と比ベる事もなくこんなにも心が軽いセミナーは始めてでした。心を暗くし重くし小さくし、喜びを消していたのは自分自身だったと痛感でした。これからも心が明るいか暗いか、軽いか重たいか、喜んでいるかそうでないかを常に確認しながら歩いていきます。一歩いっぽ着実な一歩を歩いていきたいと思います。これが私の白い道だと信じて歩いていきます。ありがとうございました。(0227)


 1日目セミナーの夜の最後の時間、先生がずっとふるさとを歌ってくださっていました。今、その音声ファイルを聞きながら、自分はなんて傲慢だろうかと思いました。誰が、こんなことをしてくれるでしょうか。肉では何の得にもならないのに、上手でもない歌を淡々と、一生懸命に歌っている先生の波動が、まっすぐに伝わってくるのです。「朴訥でもいい、まっすぐに、素直に、誠実に、アルバートに向かってきてください。アルバートを信じてください。この学びは嘘やまやかしではありません。あなたが生まれてきた目的であり、肉を持った証なのです。あなた自身を信じてください。私はあなた、あなたは私です。」そんな先生の心がどんどん伝わってきて、嬉しくて胸がいっぱいになるのです。
 どれだけ先生を苦しめてきたか、陥れてきたか、さんざんな目に遭わせてきた私にも、気づきなさいと待ってくれている先生の心がそのまま伝わってきました。愚かと言うだけでは足りない今までの私の心でした。田池留吉を見下げて、己がとやってきたことは破壊だけでした。さんざん邪魔をして、「私を認めろ。私は間違ってない」そう叫んできました。私を認めてくれない田池留吉は要らないと思ってきました。
 大間違いでした。やっと今、そんな自分を認めていけます。ふるさとを聞いていたら、もう何も要らないと心から思えました。心だけでいいと思いました。素直にまっすぐにアルバートに向いていけたら、もう何も要りません。比較と競争で明け暮れた世界は、闘いだけでした。ずっと苦しかったです。誰でもなく、そんな世界を作っていったのは私でした。(0227)


 自分の意識がどんなにドロドロの肥溜めに浸りきってるのかも分からずに、己を誇り現す事にエネルギーを傾けてきました。其の思いが行為がどれほどアルバートの世界を破壊し続けてきたか、他力とは、無知とは恐ろしきものだと今振り返りながらつくづく思います。ただただ狂ってました。それも重症に・・・今回のセミナーでご指摘うけた古傷の反省は、泣いたぐらいではすみません。
 心を覗けばどれほどアルバートを抹殺しながら生きてきたかがわかります。私はいったい何をしに生まれてきたんでしょう!!心の片隅に神に帰りたいとの思いを感じながらも現実の私がやってきた事はアルバートを消し去る事ばかりです。本当の自分を抹殺する事ばかりです。そして本当の自分の存在すらも気づかずに心を他力の神に売り渡してきていました。何度許されても何度受け入れられても其のたびにアルバートを裏切り他力に心を売り渡した意識でした。
 今回のセミナーで15年以上学んでいる人!!とはっきりと指摘うけて、やっとやっと自分の古傷と真向かいにならせて貰っています。まだ始めたばかりですが、どうして自分の肉体が必要だったのか、どうして田池留吉の肉が必要だったのか!!今はじめて心の深部でその意味を感じさせてもらえたような気がします。
 私は何にも分かっていませんでした。肉の範囲を何一つ超えてはいませんでした。セミナーに参加できるようになり少しは反省できたのでは・・・・思い上がりも甚だしい傲慢な心でした。今汚くただれきって悪臭を放ってた古傷に触れて見て、これまでの私の反省懺悔など何の糞の足しにもなってはいなかった!!今そんな心境です。
 そしてまた嬉しい。 まだまだ傷の欠片にも達してないかもしれませんが、やっとやっと自分が本当に反省懺悔すべき意識の世界が見えてきたのです。其の世界は田池留吉を求める振りをして、田池留吉アルバートを完全に抹殺した真っ暗闇の他力の世界でした。田池留吉との出会いを頂きながら、田池留吉アルバートを完全に消し去り、代わりに他力の破壊のエネルギーを繰り広げた事でした。
 肉はなんともお粗末至極です。そんな古傷の存在すら気づかず、認めず、大きな顔で田池留吉アルバートと叫びながら自分も人も騙し続けてきたのです。これ以上の罪があるでしょうか!!こんな腐りきった土台の上で、いくら田池留吉アルバートを求めても、それは己の無知から出る欲心以外の何物でもないことがやっとやっと心に響いてきました。ただただ懺悔しかありません。
 これがラストチャンスですよ!!優しく厳しくホームページから、心の中から、精一杯の声が届けられていました。もう逃げません。私も白い道へと繋げたいから!!其の前に心に繰り広げた古傷を認め受け入れていきます。
 先生ありがとうございました。真実を学べる事がどんなに幸せで喜びか今実感してます。(0227)


 自分がアルバートだと思ったものが間違っていたと思っても、どれが本当のアルバートか、わからないことが不安でした。でも、塩川さんを通して、田池留吉の宇宙を感じさせてもらったとき、心がばあっと広がり、全く違ったということだけがわかりました。その心を感じたとき、アルバートと自分の間に、この人は暖かいとか、アルバートを信じているだろうと思う人を入れてきたことが愚かなことだったと思えました。いろいろな宗教を入れてきたことが愚かなことだと思えました。
 アルバートの波動をさえぎるものが、心の中にいっぱいあります。大きな闇のエネルギーを回収できないのではないかという恐怖で、なかなか闇を受け入れる心がなかったのですが、何か闇を受け入れるということを安心してできるというか、嬉しくなりました。貴重な体験をさせてもらって嬉しいです。ありがとうございました。(0227)


 田池先生がご指摘くださった古傷を耳にした途端心が疼き始めました。疼いて痛くて苦しくて・・・もう居ても立ってもおれませんでした。
 ピラミッドの頂点にチャネラーを据え、田池先生を、その座をチャネラーに奪われた気の毒で哀れな人と見下し馬鹿にしてきた諸々の思いに対し、それがなんで悪い、あの頃は本当のことを知らなかったから仕方なかったんよと、どこどこまでも強がり嘯き何が何でも肉を正当化しようとしている思いを抱え持ったままであることに気づかせていただきました。そこには一片の反省の意もないのです。これには自分でもびっくり仰天しました。
 いかにこれまでの反省が、波動を度外視し、通り一遍の頭だけの反省でしかなかったかを改めて認識することが出来ました。本当に心見るとは波動の確認をすることでした。波動でしか真実は分らないのでした。
 田池先生、私は間違っていました。波動よりも姿形に真実があるとの思いに固執しすぎました。素直ではありませんでした。私は波動でした。波動が本当の私だと今少し少し信じられます。
 田池先生が肉持って今ここに存在していてくださることがどれほどのことか・・・あの頃田池先生を哀れな人と見下し侮った心が今恐ろしくてなりません。そんな自分が許せなくて悲しくて申し訳なくて・・・でもそんな私に田池先生は「塩川さんはあなたですよ」とおっしゃってくださいました。こんな私なのに田池先生の波動はどこどこまでもやさしく、ふんわりしたやわらかい波動にくるまれている私を感じさせていただきながら、ゆるされていることを実感しました。本当に感動感動のうれしいうれしいセミナーでした。
 古傷がとてもいとしいです。疼いてくれてありがとうでした。
 塩川さんありがとう。
 田池先生、こんな私を待って待ってくださって・・・本当に本当にごめんなさい。ありがとうございました。(0228)


 人間は意識であると、伝えていただきながら、肉を選択しつづけた、それも自分の欲のために己を表すために、その時は気づかなかったことが今心の中でその姿を現しはじめています。どれほどのことをしてきたのか、実際のところ心ではピンときていなかったのです。何もわからなかった時だもの、仕方ないじゃない、そんな思いがどれほど間違っていたか、私にはわかりませんでした。チャネラーを支配していた意識と私が求めていたもの、欲で求めていたものががっちり同通した、少しおかしいおかしいと思いながらも、波動よりも肉を信じた、田池留吉は意識の世界、波動の世界を伝えるために肉を持った、出会いながら、それに真っ向から刃向かったのです。欲を満たすほうが先だ、知識、霊道が欲しいと。波動の世界を侮ったのです。田池留吉が肉を持ったその目的を最初からつぶしにかかった、意識ではありません、肉です、その肉を満たすため人は存在するのです。そこにTSという大きな存在を感じます。姿、形で、表に現れる形で判断した。肉を満たすためにはパワーが必要です。パワーを持った特別な存在です。その世界に憧れていたのです。あのSという人に出会わなかったらと何度思ったかわかりません。でもそれも間違いでした。すべて自分の心でした。心の中にあるものを見せられただけです。肉でしてきたことよりも私は自分の心の中に存在したもの、田池留吉に真っ向から刃向かっていったその思いを、意識の世界、意識の流れにどれほどの反旗を翻してきたか、やっと心で感じ始めたところです。どれほど切実な思いをもって今世肉を持たせていただいたか、それを私は全部ふみにじろうとしていたのです。自分自身に対しても、本当に申し訳ない思いでいっぱいです。(0228)


 HP『私はチャネラーではありません、本当にその通りです。』を読んで出た思いを送ります。
 信じきる、委ねきることができない思いの部分。信じてはいる、委ねてはいる...でも...。この「でも」の部分。信じきる事のできない部分、委ねきる事のできない部分。この部分...。肉を信じる思い。肉を正当化する心。アルバート以外の存在をアリとしてしまう思い、心....。この心が足を引っ張るということに気がついた。足をひっぱり肉に引っ張る。意識の世界、田池留吉の宇宙、白い道一直線へと自分自身を行かせない、行かせようとしないエネルギー...。
 私は今まで核を無条件で大好きだと思っていました。先生のHPの最初のページも今まではひたすら嬉しいの思いで読んでいたんです。だから自分は一筆啓上の01をクリアしていると思っていました。でも『私はチャネラーではありません、本当にその通りです。』の文、特に「私はそんなちっぽけな存在ではありません。」を目で追った瞬間この思いが表面化されました。ねじ伏せる思い、足を引っ張る思い、引き釣り下ろそうとするエネルギーが香世さんに対してバッと出たのを自分の中から感じました。チャネラーとして誇ってきた思いがちっぽけ呼ばわりされて怒りとなって出てきたんだと思います。でも香世さんは引き釣り下ろされません。なぜならまったく異質だからです。ねじ伏せるエネルギーを発すれば発するほど、自分自身がそのエネルギーでねじ伏せられていくのがわかりました。そしてだからこのエネルギーは間違っている。反省して戻していくために存在しているというのもわかります。ここまでは委ねるけどここからは....などといった勝手な線引きはできません。やるなら全部です。それには今の私には勇気がいるけどそれをしていかなかったら何のために生きているのかっていうことになります。だからできるできないは別としてやっていかなくては、やっていこうと思います。香世さんありがとう。そしてこの思いは肉の塩川香世さんにではなく田池留吉に向いていきます。
 2日目の座っている香世さんの後ろに先生が立った現象が思い出されます。ありがとう、ありがとう。ありがとう、ありがとう。香世さんに向かってありがとうの思いが溢れ出ます。でも肉の香世さんの存在はありません。溢れ出る自分の思いを大きく受け止めてくれるエネルギーを感じます。ここまでありがとう言わせてくれる言わせきってくれるのってすごいなと思います。受け止められるその世界は際限がありません。広いです。私は香世さんにありがとうと言っているのに、そこに広がるのは....田池留吉の宇宙....これがそうなのでしょうか。まだよくわかりませんが温かくて広くてやさしいです。でもそれは私が今までやさしいと感じてきたものとはちょっと違います。すべてを受け入れてはいても肉の甘えは決してかみ合わない、そんな感じです。自分がやさしさを間違ってきた分だけそれが厳しくも感じられますが、また嬉しくも感じられます。これだ、というのがわかるからです。これがずっとずっと長い間心の底で探し求めてきたものだと心が言うからです。この世界に心を合わせていきます。この思い、この出会いを大切にしていきたいです。ありがとうございました。(0301)


 今回ほど、夫婦の調和の素晴らしさを感じたことはありません。
 どこの夫婦も10年20年と経過すると憎しみ呪い破壊のエネルギーを心のなかに秘め表面上形だけはいかにもおしどり夫婦であるかのように演じ心のなかでは地獄そのもの・・笑うことも忘れるほど攻撃戦争状態です。どうして、こうなったのかとこれまで夫に対して使ってきた思いの数々をさらけだし反省し少しはよくなったと思っていたのですが昨年12月お電話で田池先生から「皆と仲良くね」と最後の一言が心に引っかかり、何故?仲良くしているのに・・・どうして?と心を見つめながら時間を過ごしておりました。
 二三日して過去の夫の暴言暴力が思い出され、絶対許さん!許すものか呪い殺してやると心のなかに隠れていた闇が関を切ったように噴出すると言葉に出して言えないので夫にプンプンと当り散らす。急な異変に夫は唖然としそんな私を何にも言わないで眺めていました。自分でも制止がきかない、以前のとは違う現象に戸惑いながら心の動きを見て一週間・・夕飯の仕度をしながら心を見ていると、あっ!私は呪いの地獄から生まれてきた、私の地獄は呪い一色・・だから肉を生んで頂いた・・その事に気づくために・・真実に出会うために・・棒立ちになって地獄の心を見つめておりました。
 セミナーで感じた心のなかの地獄はほんの戸口で本当の地獄は言葉では表現できないどろどろとした世界が広がっておりました。だから・・だから・・肉を生んで頂きました。お父さん、お母さんに無理してでも生んで貰いました。タイケトメキチに出会うために生まれてきましたと格好よく言っておりますがそんなものではない、私は地獄から抜け出したいために生まれてきました。地獄の苦しみから解放されるために今世の肉を選びました。環境を希望しました。
 自分の地獄を見つめて供養してくださいとおっしゃる田池先生の言葉だけを聞いてやっているようなつもりでしたが全く違うおぞましい心の世界は自分が作り出した真っ黒な闇、偽の自分、本当の自分はと心をみつめると本当の自分も偽者の波動を自分だと信じるかぎり本当の自分の波動に気づかない、タイケトメキチ、アルバートの本当の波動を知らない、お母さんの温もり優しい波動にも気づかないで生涯を終え元の木阿弥になります。
 しかし、今世ほど幸せな心に浸ることはこれまで一度もございませんでした。心のなかの宇宙を実感真実に目覚めるとはこういうことですか。我は光愛法道と冷たい波動を放ち祈ったのが何十億年も前にも思われます。
 私たちは多くの意識とともに目覚めております。
初めての暖かい波動のなかでつぎつぎと本当の自分の波動に腰をぬかすような驚きと喜びで心のなかは嬉しいパニック状態のようです。私たちはこの瞬間を何度夢みたことでしょう。本当の自分に帰れるこの瞬間の喜びあふれる波動はまさに遠い遠い昔に心の隅に追いやり一度も心開くことはなかった波動でした。この喜びの波動を求めて今日までさまよいつづけましたのが嘘のように感じます。
 これからはタイケトメキチの宇宙、アルバートの心のなかで心を見つめ行く所存でございます。嬉しい、ありがとうございます。
 セミナーでの心の体験に戻りますが今回のセミナー初日の夜、床に10時30分に入ったのに眠れない丹田呼吸リラックスして寝ようとするがますます心も頭もさえるが目を閉じて眠ろうとすると夫にはじめて出会ったときの心の状態が鮮明にあらわれる。
 夫に出会った瞬間、鳥肌がたつような冷たい戦慄が走った。生まれて初めて冷たい人間にであったような感じがしてその原因を確かめたいと興味をもってしまったのが墓穴を掘ってしまったのだと事あるごとに思い肉の思いは後悔の念を膨らませ自他ともに責め裁いておりました。
 しかし、今回真実はどうかと心のなかを見ると鳥肌がたつような冷たい戦慄は相手ではなく私の夫に対する心のなかの思いが波動となって表れていた。こんなことにも気づかないで30年以上夫を苦しめ、自分の心を痛めつけていたとは思いもよりませんでした・・・。
 土下座して謝っても謝り切れない・・・夫婦がともに地獄をつくり地獄の底でのた打ち回っていた原因が自分の心からだしている波動だなんて・・想像もつきませんでした。当時出していた真っ黒な波動が今そのことに気づかせてくれます。30年以上にわたりその波動は心のなかで無制限に戦闘意識へと闇は広がり今にも殺戮をやり兼ねないような破壊エネルギーとなり心のなかに収納されていた・・いつ爆発しても不思議ではない状態に不安恐怖が渦巻いておりました。
 以前、田池先生が夫婦の不調和が世界の戦争をひきおこすと言われたことを思い出し今ごろになって気づくのが遅いのですが夫婦の調和がどんなに大切か身をもって知らなければならないと思いしりました。いままでなおざりにしてきたことが次々と出てくるのが終わったとき、気がつくと二日目の3時になろうとしておりました。それにもかかわらず二日目の朝、肉心は大変爽快でセミナーでの夫婦の現象はそれを立証するかのように心に響きわたり幸せそうなカップルがさらに勇気づけてくれました。地獄のなかの夫婦が喜びに転回する・・・これ以上の幸せはない・・・タイケトメキチの宇宙はすべてを蘇らせもとにかえらせるエネルギーでした。(0306)


 とてもとても嬉しいセミナーでした。自分の間違いに、根本から間違っていたことに気づかせていただきました。塩川さんのチャネリングは言葉ではありませんでした。波動が、田池留吉とひとつアルバートとひとつ、その波動が温かく温かく優しく心に響いてきました。塩川さんの喜びが心いっぱいに伝わってきました。チャネリングという言葉では表現できない、もう何か別の次元を感じさせていただきました。私の心の中に田池留吉に対してそして塩川さんに対して壁のようなものをつくりあげていた、そしてそれが何であったのか今ようやく気づき始めました。本当に申し訳ない、ごめんなさいという思いでいっぱいです。私は間違っていました、間違っていました、今心からその思いが噴出してきます。セミナーの場に存在させていただいていることが、今このように生かされていることそれ事態が、もう喜びです。ありがとうございます。(0319)


 今回、「あなたを心にいれていました」と数人の方から言われました。私がどんな波動を流していたのか改めて心を見ています。
 「私は、すばらしいチャネラーです。そんじょそこらのチャネラーとは違います。知性も教養もあります。もちろん心の勉強をし資格もあります。私は声も美しい、言葉もわかりやすい、これほどのチャネラーがいますか、私を認めなさい、私のもとによってきなさい、それがあなたにとってとてもプラスなんです。私の言っていることは正しいでしょ。間違っていると思うならそれはあなたが間違っているせいです」当時の思いに心を向けると、ひっくり返りそうな苦しい波動です。私は霊道者になりたくて第一の危機で大きな古傷をつくりました。でもその反省もないまま、その土台の上にチャネラーになってさらに傷を積み上げてきました。真っ黒な闇をすさまじいエネルギーを流し続けてきた、まさしく張本人です。共に学んできた皆さんに本当に申し訳なく思っています。どれほど田池留吉の前に立ちはだかっていたのか、闇のエネルギーのほうに学びの友を引っ張っていこうとしていたのか、意識の流れに逆らいつづけていたのか、心では何もわかっていなかった、とてつもない大きな間違いをしでかしてしまった、その恐ろしさが今ずしんと心に響いてきます。田池留吉に出会って、田池留吉を捨てた、それがどんなに重いことなのか、今心で感じはじめています。(0319)


 塩川さんのチャネリングがぐいぐいと心に入ってきます。肉で心を縛り続けた自分がみんなのチャネリングを通し感じられ、まだまだ心の転回が甘い、心の見方がいい加減、自分にどれほど都合よく物事を見てきたか...これから私が見て行かねばならない課題を突きつけられたように思いました。でも意識の世界がこんなにも素晴らしい世界だということを、すべては田池留吉、アルバートの波動の中で行われているのだということを、本当にしっかりと感じさせていただきました。意識を本物と信じられることがこれほども心の世界を変えて行くのかと、自分の心を見ていてはっきりと分かります。心の脱皮、そんな感覚をセミナーの間ずっと感じていました。肉と意識の間を行ったり来たりする状態から本当に意識が先行する世界に心がひっくり返った、そんな感覚でした。だから塩川さんのチャネリングがどれほど喜びの世界に心をおいてなされているか、どれほど暖かい波動の中で行われているか、ただただ聞いている私の心は感動しかありませんでした。そしてともに学ばせていただいている喜びをしっかりとかみ締めていました。もっともっと心を見て行きます。肉をいただいたということがさらに大きな喜びとなって心に帰ってきます。今日が出発の日、新たな自分に向かって一歩を踏み出します。
 田池留吉の歌う「故郷」が心の奥深くまで染み込んで行く。胸が張り裂けそうなくらいの思いが出てきて、どんなにこの心を落とし込めて来たか、宇宙を真っ暗に塗りつぶして来たか、もうこの場に居られない自分だと泣き喚きながら懺悔する。それなのに心はどんどん歌に吸い寄せられるように田池留吉に向かって行く。包み込んで包み込んで、どんなに待ち続けてもらったかを痛いくらい感じる。もっと近くに来なさい、さあもっと近くに来るんです...そう言ってすっぽりと包み込まれる...懺悔がこんなにも喜びだった、素直に田池留吉に近づけば近づくほど自分の心の闇が写し出されるのに、もう嬉しくて嬉しくてどうしようもない。今私の心の宇宙にどんどん喜びが広がって行くのをしっかりと感じています。今まで感じていた宇宙とは違いもっと大きく深い宇宙です。深い深い闇の宇宙を感じれば感じるほど心は田池留吉、アルバートを求めて行きます。懺悔と喜び、この繰り返しがこの心の宇宙を喜びに変えて行く。そしてはるか過去、宇宙の果てで捨て去ったと信じてきたアルバートと、本当はずっとともに存在してきたという真実を、ようやく喜びで感じられるようになりました。(0319)


 私が以前させてもらっていたチャネリングは、心の底には「肉の私がやっている」という思いがありました。だから私にはうまく出来ない、もうチャネリングはしたくないと、傲慢にも拒絶の思いを持っていました。でも今ホームページを読んで、本当のチャネリングとは、田池留古、アルバートの波動に委ねていく喜びの中でさせていただくものだと分かりました。すべてが、みんなが一つになってなされている大きな大きな喜びの現象でした。私は間違っていました。申し訳ありませんでした。本当に今回の波動の勉強、どれもこれもみんな喜びでした。ありがとうございました。(0319)


 チャネリングしてもらった後、塩川さんの後ろに立つ田池留吉の目を肉の目で見たとたんアルバートが見えました。もう私の中で何が起こったのか言葉では言い表せない何かが電流のように走ったかと思うと次の瞬間、塩川さんの声が耳から入り、もうすごいすごい、全身が震えるような喜びの波動の中にはいっていました。もうまさに田池留吉もアルバートも塩川さんも私もみんなひとつそんな感じでした。
 本当の喜びの世界をこの心ではっきりと感じさせてもらいこれからの私の進む道筋をしっかり決めていく糧になっていくと思います。この波動をしっかり感じさせてもらえたこの体験は今の私にとっては本当に大きな大きな喜びであり最高の幸せです。
 田池先生、塩川さん、本当にありがとうございます。この体験を大切に大切に肉から意識への転回に繋げていきます。そして250年後に必ず繋いでいきます。もうただひたすらアルバートの喜びの道をしっかりとした足取りで一歩ずつ歩んでいきたいという思いでいっぱいです。嬉しいです。ありがとうございました。(0320)


 田池留吉の目の奥にどこまでもやさしく許してくれている思いを感じました。ずっとずっと田池先生を肉で掴んでいました。怖くて怖くて目が見れませんでした。私は勇気を振り絞りその目を見ました。何もなかった何もなかったのです。驚きと喜びが一気に吹き上がりました。
 この肉がどんなに愚かな肉に成り果てても、それでも許しつづけ待ちつづけてくれているのを感じ、私の心は「肉を見ていた私が間違っていました」と懺悔になっていきます。田池留吉は波動でした。そして、それを感じている私もまた肉ではありませんでした。
 田池留吉に心を向けると、真っ黒になった私の心が穏やかになっていきます。許されているのを知っている…、いつも包んでくれているやさしい温もりを感じて、この肉の私も「もう自分を責めなくてよかったんだ」と思える時間空間を頂きます。
 頭であれこれ模索しているときは、必ずどこかで自分を責めています。だからどんなに理屈をつけて分かった振りしていても苦しかったんだと思いました。私はただ田池留吉に心を合わせていくだけでよかったんだと思います。瞑想して、田池留吉アルバートの波動、本当の自分の思いに出会っていくだけでよかったんだと、そして、自己供養もその波動の中でしかできないことを強く感じました。アルバート田池留吉に心を向け、その波動をこの心に広げていけるそんな自分を日々培っていきたいと思います。セミナーは意識たちが武者震いするほど最高にうれしい場所なんだという気がします。頭を使い肉で遮ってきて申し訳ありませんでした。(0320)


 田池先生、私は自分の古傷から、多くのことを学びました。自分の過去世からの癖を一気に出してもらいました。私はいつもどの過去世でも同じ心癖で苦しんできて、それでもそれをやめられなかったのですが、今世は違いました。「間違っていますよ」と、きちんと伝えてくれる人がいました。田池留吉です。
 何があっても己が偉くて崩すことができず、誰の言うことも聞かず、ただ自分の殻に閉じこもって苦しみながらも、誇りにまみれて死んでいった私のたくさんの過去世達が、変わってきています。絶対に変わらない、変わりたくない、私はこんな自分でいいんだと頑固に思っていた過去世と同じ心癖の私でした。プライドが死よりも大切でした。守るべきほどのものは何もないのに、死んでも形を守り通したかったです。
 「素晴らしい己を守り通す」「誰にも何も言わせない」「全部を敵に回しても私は自分を変えたくない」これが私の過去世と現在の心癖です。この思いを通すためには他力の教祖か、パワーをしっかりと持っていないとダメでした。だから私は常にパワーを求めて、他人にない力で人を圧倒して誰にも何も言わせない場所に自分を置きたかったのです。
 この学びでのチャネラーは絶好の場でした。自分が正しいとチャネラーという衣を借りてすべて通せました。他力の神は私のような者が作り上げたのだと思います。実際は小心で、ビクビクしていて、人の目や心を気にしているのに、大胆不敵な表情を作り上げ、怖いものはないとうそぶき、己を尊大に見せ、形を整えたいと願う。
 ずっとやってきたのです。形が整えば全部うまくごまかせる。そう信じていた私は、今回のセミナーで塩川さんが出してくれる闇の意識は全部自分だと感じました。波動はごまかせませんでした。どんなに形を整えて、私は間違ってないという顔を作り上げていても、全部を崩してもらえます。肉では最悪最低の苦しみでも、意識の世界ではやっと自分のそんな心癖から自由になる最大にチャンスをいただけるのです。過去世からいつの時代も、必死で守り通してきた心癖がしっかり見せられるのです。出されている闇は、前に座っている人だけじゃなく、全部私でした。身が縮む思いで聞いていても、終わったらすがすがしいのです。そして、どーんと重かった自分を支配する意識も軽くなっていることがわかりました。皆で気づいていくことが、どんなにすごいことか、よくわかるのです。
 UTA会セミナーはすごい場でした。馴れ合いや傷のなめ合い、ごまかし合い、見て見ぬ振り、いい人ぶって偽善で受け入れていくつき合い。全部やってきましたが、塩川さんの波動の勉強を通して、そんな義理と人情、形の整え合い、肉の施し合いは何も要らないと痛感しました。真実が一番の愛でした。そしてそれを認め合っていく、確認し合っていく、受け入れ合っていくことが大きな愛でした。
 田池先生、ありがとうございます。崩していき、「素晴らしい肉の自分」という牢獄から自由になっていきます。嬉しいです。(0320)


 自分にとって霊道とは、自分の苦しい心を救うためのものではなく、己を表す、誇示する、人の心を読む、探る、そして支配するためのもの、だから一番、二番と優劣をつけたり、競争したり人の上に立とうとしたり、引き摺り下ろそうとしたり、間違った苦しい心ばかりを使う、根本から間違っていたとしか言いようのないお粗末愚劣なものでした。今その間違いがはっきりとわかりました。塩川さんのチャネリングを聞いて、己のない、ただアルバートの波動の中で喜びで行われるチャネリング。チャネリングをする人も、される人も、そして周りで聞いている人も、みなが喜びいっぱいに包まれる、田池留吉、アルバートの波動の中に包まれていくのを感じるとき、もうなんとも言いようがありません。ただただ、自分の間違いが申し訳なく、またすべてにありがとう、田池先生、塩川さんありがとう、ただそれだけです。(0320)


 塩川さんのチャネリングは頭での反省と意識での反省というものの違いがとてもわかりやすいものでした。本当に意識の世界は喜び以外は全部闇、単純明快、闇をしっかり確認して認めるということが本当に苦しんでいる自分にとってどれ程の愛なのか喜びなのかその事を伝えてくれました。チャネリングしてもらった人がその優しさを心から感じるものでした。
 アルバートの波動を感じることがすべてアルバートの波動を感じたら闇が喜びへと変わる、だから闇が出てきたら嬉しい、愛しいのだと心から思いました。アルバートの波動にすべてを委ね、ただ伝わってくる思いを言葉に変換する、全く肉の思いを介入させないチャネリングのすばらしさは会場中感動感動でした。聞いている人もそれぞれが自分の闇としてみんな一つになって学んでいけるとても温かいものでした。アルバートの波動の世界の中でのみ反省、自己供養ができるという事を教えてもらいました。
 アルバートの世界のすごさすばらしさを感じさせてもらうにつれて本当に肉の己を振りかざすことの愚かさを感じさせてもらいます。アルバートの愛がどんどん流れ出している事を自分の身をもって感じさせてもらえるすごい場に集わせてもらっている事が喜びです。ありがとうございました。(0321)


 ホームページを開けるとまたあのセミナーの感動がよみがえってきます。田池留吉と塩川さんがひとつになってアルバートの波動を伝えてくれる、すべてを優しく温かく包み込みどこまでもどこまでも果てしなく広がる田池留吉の宇宙を感じさせていただいた、その感動が心いっぱいに広がり嬉しくて涙がでてきます。私も含めて昔のチャネラーは、闇を暴く、糾弾する、そんな感覚でした。人を引き摺り下ろし打ちのめす波動を持っていました。でも塩川さんのチャネリングは、アルバートの波動でその闇を暖かくつつみ、確認していくことを促してくれる、供養していくことを促してくれる優しい温かなものでした。だからホームページを開けるとその温もり優しさがまた心によみがえってきてとても幸せな気持ちになります。セミナーで学ばせていただいていることそれだけで嬉しい。己をあらわす思いも人の上に立ちたい、先を進みたいという思いも、まったくの肉の思いだったとつくづく感じています。みなと共に学べてよかった、未来へ向けて共に歩んでいきたい、それが最高に幸せです。(0321)


 塩川香世さんから出る言葉が心の中に染み込むように伝わってくる。どんどん素直になって、心のふるえが涙となって溢れ、言葉も聞こえなくなりました。
 バーンと弾け飛びました。私から流れている波動の確認でもあり、自分が田池留吉、塩川香世さんに出し続けた波動が自分に帰ってきた波動でもあったと思います。電気のようなショックで体が痺れ何にも分からなくなりました。そんな自分の波動の中で田池留吉の異語がほんの少し聞こえました。そちらに思いが向いた瞬間、自分の波動から解放されていくのを感じました。肩から荷が下りたように力が抜けました。お母さんを思い出しました。お母さんへの思いが強くなりました。苦しかった思いが心の奥の奥から飛び出てきました。
 田池留吉の異語から流れる波動は、とてもとても穏やかでやさしかった。今も目を閉じると塩川香世さんと田池留吉が一つになって私の目の前に感じます。私の目の前に道がはっきりと見えます。今回のチャネリングでその一歩を踏み出せるように思いました。せっかく見えたこの道を、しっかりと一歩一歩自分の足で確かめながら踏みしめて歩いていきたいと思いました。
 私の中で膨らませ続けた使命の思いは、人の肉の世話をしてきただけのことでした。小さな小さな肉の世界でギブアンドテイクの心で自分で自分を振り回してきただけでした。そしてこの心を使い続けた結果は、怒りと空しさしか私の心の中に残っていませんでした。こんなにも小さくて狭い世界で私は競い合い己を誇ってきた。滑稽なほど小さな小さな世界です。そんな自分に気が付いて更に周りを見渡せば、何をするときも使命の心でやっている自分が見えてきました。本当にこれから変わっていける。そう思えてきてうれしいです。(0321)


 霊道者にあこがれ、素晴らしいチャネラーになりたいという欲望がありました。肉の思いをいれずに正確なチャネリングがしたい、本道を歩めるチャネラーになりたい、言葉はそうでも、結局は一番になりたいという肉の次元の競争でした。
 人に見下されることが我慢できない私は、頂点に立つことで、人を見下す側になりたかった。
 学校の勉強みたいにがんばって反省すれば、この学びがわかる、一番になることがわかることだと、錯覚をしつづけていました。でも、あのセミナーの波動の勉強で、己を表すことがこれほどの闇か、アルバートを求めることと真反対の肉を基準とした心か、というがわかりました。
 形で教祖を表さなかった分、どれほど凄いことをしてきたのかということがまだよくわかっていません。ただ、どんなに凄い闇を出しても、田池留吉に許され、アルバートに帰っていきましょうというその愛の大きさを感じました。肉から意識への転換がどれほど大切かを感じ、意識を信じて行きたいという思いになりました。(0322)


 私は今までなんで自分が間違っていることに気が付かなかったのかと思います。
 先生の講話を沢山聞きました、セミナー資料もありました、ホームページも読みました、だけど、今日まで自分が間違っていることに気が付かなかったです。
 今回のセミナーでほんの僅かほんの僅かかもしれませんが、田池留吉、アルバートの波動に触れたとき、その波動はなにものも比べるものがありませんでした。肉の地位、名誉、財産等々、比べるものに値するものなにもありませんでした。流れている波動と優しさだけでした。私はなにを一生懸命に頑張ってきたのかと、その違いを教えていただきました。私はなにをしたいと思っていたのか、なにをそんなに肉、肉を大事にして生きていたのか、自分が不思議です。それほどにアルバート、田池留吉の世界は凄かったです。(0325)


 音声ファイルの中での塩川さんのアルバートに向けた思いを聞かせてもらうとあのセミナー会場で肉の田池留吉の目を肉の目で見た時の事が蘇ってきます。
 その目の中にしっかりアルバートを見た瞬間私の中から何億年も抱えてきた怒り憎しみ、アルバートを殺したいという恐ろしい凄まじいエネルギーが突きあがってきてその思いをぶつけさせてもらいました。もう肉でしているのではないアルバートの喜びの波動を感じた自分がすべてをさらけ出して「どこまでもあなたについていきます、この目を絶対忘れません。」と心で叫び声をあげていました。一瞬ですがその出来事の凄さに肉では計り知れない意識の世界の凄さ、委ねていくという事がどのようなことであるかをすこし知ったように思いました。何が起こったのかわからなかったけどそのはっきりとした心の叫びだけは今も心にしっかりと残っています。今もその思いを確かめています。
 来世の自分、肉のアルバートといつも共に生きていると思えば嬉しく今こうしてアルバートの波動を感じさせてもらえている事が嬉しくてなりません。闇をぶつけさせてもらったらその奥にあった喜びのエネルギーが噴出しその喜びが四次元移行を果たしていくという事がより現実的に捉えられるようになりました。本当にすべてこの私の心にかかっているのだアルバートと私だけの世界、みんなひとつ、肉と意識はひとつを信じていきます。



          



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アルバートの波動を信じていこう