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 UTA会セミナーにはどなたでも参加できます。ただし、家族の方に参加することを反対されている方はご遠慮ください。また、借金までして参加することは止めてください。


セミナーの中心課題

 意識の転回 「私達人間は、肉ではなく、意識であり、永遠に存在するものである。」

 意識は心、思い、波動、エネルギーである。 意識は現象化する。
 意識は一つ、私はあなたあなたは私である。


実践項目

 1 自分の心を見る。

 2 お母さんの温もりを知る。

 3 自己供養をする。

 4 アルバートを感じ、信じる。

   日々反省と瞑想を重ねる。


点検項目

 1 他力の神々の実像、教祖・宗教的指導者等の実態

 2 人間の本質、自分の実像

 3 人生の目的、生まれてきた意義

 4 死後の世界、転生の実態

 5 アルバートの波動、田池留吉の宇宙

 6 250年後の感動的なアルバートとの出会い

 7 意識の流れ、UTAの世界

 8 四次元への移行


メッセージを読む


メッセージを聞く


心 の 歌 T

                     


 素直で優しく真面目でアルバートへの信を培う道をひたすらに進む友だちになってください。待っています。

 意識の流れを感じ、田池留吉、アルバートと共に歩いていく真実の道しかありません。決意し、勇気を出してこの道をただただ真っ直ぐに歩いていってください。私は一人でも多くの友との大いなる出会いを待ち望んでいます。

 自分は肉だと思い、肉が基準の人生を送る人々、未だに己一番、頑固の一生を通す方々は、無知とエゴと欲の濁流に流され、浮き沈み、ついには淵に沈んでいくことになるでしょう。地獄から出てきて地獄に戻っていく転生を繰り返すことになるのです。

 これからは本物と偽物がはっきりとしてくるでしょう。本当にアルバートを信じているものとそうでないものがはっきりとしてきます。本当の喜び幸せかそうでない喜び幸せか明らかになってきます。





核からのメッセージを開きましょう、読みましょう。
核からのメッセージは学びの指針となるでしょう。



核からのメッセージ



 私にはこの道、アルバートの道しか見えない、この道しかあり得ません。ともに歩める幸せを喜びをかみしめています。過去からの私が今未来とともに喜びをともにしている、それが私自身であると私は感じています。

 ただただありがとうの一語です。「出会いをありがとう」です。出会わせてもらったことが嬉しいです。心に培ってきたエネルギ−は大きいです。しかしそれは喜びへと帰っていけることを知りました。本当に心で知りました。だから私は幸せなんです。喜びです。
 何度も何度も語っても嬉しいからまた語ります。この出会いは最高です。肉を持って出会わせて頂いたことが最高に嬉しいです。私はあなた、あなたは私のその思いをしっかりと私は今感じています。伝わってくる思いに心を向ければ、それはアルバ−トです。アルバ−トの世界にともにある喜びを感じます。日常の中においてもいつも私の心の中にアルバ−トを感じています。田池留吉、あなたが伝えてくれた通りです。私はそのことを自分の中に広げていくことができます。だから嬉しいです。ありがとう、ありがとう、田池留吉を思えばありがとうの言葉と思いしか出てきません。
 「田池、殺してやる」の思いを引っさげてこの地球にやって来た私です。そのエネルギ−は、すごいです。しかし語ってきたように私はそれが喜びへと帰っていけることを知りました。すなわち私は喜びであることを知りました。だから私にはこの道、アルバ−トの道しか見えない、この道しかあり得ません。ともに歩める幸せを喜びをかみしめています。過去からの私が今未来とともに喜びをともにしている、それが私自身であると私は感じています。


 私はともにまた肉を持ちともに歩める喜びと幸せを喜び合いたい、そしてともに道を歩めることだけを私は心待ちしています。

 田池留吉、アルバ−ト、田池留吉、アルバ−ト、私にとってそれはひとつの世界です。もう何度も何度もこの心で体験してきました。その肉もその意識もひとつの世界、そう私達はひとつであることを私ははっきりと感じています。
 私にはアルバ−トの肉も来世の私の肉ももうすでに存在している、そういう感覚を私の心は何の不思議もなく持っています。すなわち肉と意識はひとつであることが心で感じられます。こんなことはとても肉の頭では理解できませんね。でも私の心は納得しています。だからとても嬉しいです。
 250年後の来世が現実であることは以前から何度となく語らせて頂いています。その根拠は自分自身の心の体験です。私と同じ体験をその心に持っている人も少なからずあると思います。しかしそういう体験があっても、本当にアルバ−トが分かっていなければ必ず間違った方向に心を膨らませていく落とし穴があります。やはり肉の段階、肉基準のアルバ−トの世界にはまり込んでいってしまいます。
 また残念ながらまだその体験がないという方でも、これは分かりません。ある日突然あるきっかけを通し、ご自分の心で体験できるかもしれません。非常に楽しみですね。どちらにしても、あなた自身の体験を信じていくというか大切に育んでくださいということです。
 私は250年後の再会を心待ちしています。ともにまた肉を持ちともに歩める喜びと幸せを喜び合いたい、そして肉の繋がりなんか吹っ飛んでいくような喜びの中、ともに道を歩めることだけを私は心待ちしています。


 父が亡くなって3年の年月が過ぎ去ろうとしています。自分なりに試行錯誤を重ねながら学びを続けてきたものがその現象により一気に場を固めたというか、ひとつの大きなステップを踏んだのは確かです。

 父が亡くなって3年の年月が過ぎ去ろうとしています。自分なりに試行錯誤を重ねながら学びを続けてきたものがその現象により一気に場を固めたというか、ひとつの大きなステップを踏んだのは確かです。もちろんそこに至るまでに様々なチャンス、心の体験等々私の中ではその準備を整えていました。それを一気に進めていったのが、まさにその現象だったと思います。
 今に至る3年の年月は、ただひたすら確信の道を歩いてきたと言っても過言ではありません。もちろんこれからもそうです、その確信の道を歩き続けるというのは変わりありません。そしてやがて訪れる肉との別れをステップにしてまた自分の心を見続けていくというお勉強が待っています。
 肉持った以上その肉を離すときが必ず訪れます。自分の周りの親しい肉との別れ、そしてこの肉との別れ、それを自分の中でしっかりと受け止めていくということが肉持つものとしての最後の仕上げだと考えています。
 今世の学びを振り返ったとき、私のテ−マは愛と死だと言えると思います。過去世達は愛が分からなかった、寂しさの極限の中、呪いと恨み、憎悪の思いを膨らませ、死に恐怖し生れてくることを望まなかった、そんな地獄の奥底に落ちた自分の心を私は本当に救いたかったです。名前などどうでもよかった、何をしたかなどどうでもよかった、私には悲しくて苦しい思いだけが心に響いていました。その心に何とも言えない優しさと温もり安らぎの思いが染み渡ってきたとき、ここに私に答えてくれるものがあると感じました。私にはそれで充分でした。私は真面目に学んできました。目新しさとか上っ面の興味、そんな軽い気持ちはありませんでした。
 私自身の現在に至る軌跡は何を物語っているのか、それは本当に強い決意、心に秘めたる誓いです。チャネラ−でないチャネラ−という肉を選び、学びに集中できる環境を選び、最高の出会いを持たせて頂きました。
 心に広がる無限の宇宙を感じる今、私は本当に幸せです。私はひとつの結果を出しました。自分に答えを出しています。肉持つ時間の中でこんな幸せなことはありません。こんな嬉しいことはありません。お母さん、ありがとう、大声で叫びたいそんな気持ちです。


 皆さん己が偉いです。だから核からのメッセージもご自分の世界の中から見ておられます。ストレートに皆さんの心に届いていない悲しい現実を私は感じています。だけど私は伝え続けるだけです。これが真実だからです。

 私は第一の危機を知りません。しかし長く学びに集われている方の中にそれに係わった方、心を向けていった方、たくさんおられるのではないかと思います。そのときの心を本当に見てこられましたか。その反省を抜きにしては一歩も進めないことをあなた自身どれだけ心で感じておられるでしょうか。それは自分に対する反逆です。自分を否定することです。ただ単に田池留吉に背を向けた自分が間違っていた、申し訳ございませんということでは済まされません。本当に今世その間違い誤りに心で気付けない限り、あなたの未来はありませんというほどのものです。そんな心でアルバ−トの世界は分かるはずがない、そういうご自分の心の世界であることに本当に気付かれているのでしょうか。また第一の危機に係わっていないと言われる方の中にもそれに類する経験があるのではないでしょうか。それを隠したまま真実の世界を感じていきたいと思っても、それは不可能なことです。
 また肉の喜びと幸せだけを求めている方はもちろんそれプラス、アルバ−トの世界を求めている欲深い方、何度セミナ−に集われてもあなたが望む結果は期待できません。しっかりと心を見てください。二兎は追えないことをあなたの心で再確認していってください。
 私は真実の波動の世界を心で知りました。だから本当のことしか言えません。当然厳しいです。でもこれが自然なんです。皆さん己が偉いです。だから核からのメッセ−ジもご自分の世界の中から見ておられます。ストレ−トに皆さんの心に届いていない悲しい現実を私は感じています。だけど私は伝え続けるだけです。これが真実だからです。
 あなたは田池留吉からのメッセ−ジを読まれましたか。口調は優しくてもそこに流れているものは厳しいです。それが意識の世界の真実です。本物を追求する心でないと本物は感じられません。そこのところをあなたの心でしっかりと確認していってください。


 今世もそのチャネリングというかそういうものを使い人の心を自分の方に向けさせた方は、余程の反省を自分の中でしていかなければこの道を歩むのは難しいです。

 今世もそのチャネリングというかそういうものを使い人の心を自分の方に向けさせた方は、余程の反省を自分の中でしていかなければこの道を歩むのは難しいです。みんな過去においてそんな過ちを嫌というほど繰り返してきました。それをまた今世もやってしまった方は、自分をそのところから解き放していくのは並大抵のことではありません。何はさておいても命懸けでやっていかないと間に合わないということです。心は何ら変わっていない、それほど心を変えていく、心の転回は難しいということです。それが現実です。それをどうとらえておられるか知りませんが、非常に甘い考えでおられるのではないかと思います。
 霊道を開くという表現が適切であるかどうか分かりませんがそれがどういうことなのか、己を表していく道具に使っていくということがどういうことなのか、今世もまた懲りずにやってしまったことに対してどんな思いを今持っているのか、もっと徹底的に反省に繋いでいく方向にあって然るべきだと私は思っています。
 チャネリングというものはそんな大したものではありません。肉のチャネリングならそうです。しかし真実を知った土壌とそうでないところから発せられるものとは違うということだけは知っておいてください。私達の過去はみんなそれで失敗してきたんです。その過ちを今世もまた繰り返してどうなるのでしょうか。私はぜひそういう点をもっとシビアに見つめていってほしいと思います。


 私は田池留吉という印籠を掲げて物申しているのではありません。田池留吉に認められて好き勝手に語っているのではありません。そこのところ肉基準では到底分からないと思いますが、それも仕方がないことです。

 私は田池留吉という印籠を掲げて物申しているのではありません。田池留吉に認められて好き勝手に語っているのではありません。そこのところ肉基準では到底分からないと思いますが、それも仕方がないことです。しかしいくら熱心にアルバ−トだ、喜びだ、次元移行だ、と学ばれてもその成果は薄いことだけは分かってほしいと思います。
 先に一応チャネラ−と自他ともに認められてこられた方にメッセ−ジを語らせてもらいました。それはそのチャネラ−を心に入れてきた方も全く同様です。セミナ−に集ってからチャネラ−を心に入れてこられた方、ご自分の中でその反省は進めてこられましたか。もちろん私も学びに集った最初はチャネラ−という存在に注目し心に入れた時期もありました。そして自分もという思いを膨らませていきました。しかし私は段々にセミナ−に参加しそこで言われたことを自分なりに咀嚼し出してから、その間違いというかそれは横道にそれていくことだと感じ始めました。もともと心に感じ響くものだけを信じていこうという思いがありましたし、私は人の言動にあまりとらわれないというところがありました。だからチャネリングを受けた回数も非常に少ないです。それよりもやはり私にはどうしても田池留吉という存在そのものしか目に入らなかったということが、私にとって幸いしたことだということでしょう。
 とにかく教祖と信者というかそういう繋がりを自分の中で断ち切っていく決断がない限り、真実の道は歩めないことをもっと自分の心で知っていってほしいと思います。


 私は自分に素直です。私はこの道アルバートの道を歩いていきますという自分に素直です。自分の本当の思いに素直です。

 意識の流れという言葉が何度となくホ−ムペ−ジに出てきます。その流れは厳然としてあります、そしてその流れの中に存在している私達ですとも表現してきました。この意味を本当にお分かりでない、どこまでいっても己を前に出してくる方はここの意味が全く分かっておられないことを語らせてもらいます。
 意識の流れに抵抗して真実が分かるのなら、どうぞそのことをあなた自身が証明してくださいと申し上げます。どんなに抵抗なさっても結構です。認められない、受け入れられないなら堂々と渡り合っても結構だと思います。渡り合うというのは穏やかではありませんが、私はそんな気持ちです。
 私とあなたとどこが違うのか、それはあなたが素直でないということです。私は自分に素直です。私はこの道アルバ−トの道を歩いていきますという自分に素直です。自分の本当の思いに素直です。あなたはその心にいっぱいぶら下げてなおかつアルバ−トの世界を知っていきたいという欲の心を膨らませています。私には何もありません。私は自分の中にアルバ−トが存在することを知っているから何も求めなくてももう幸せなんです。予定通り望み通りの道を歩いている自分にとても嬉しいです。だから私には人としての幸せとか女あるいは男としての幸せとかもうそんなことはどうでもいいんです。ですが私は充分幸せを喜びを感じています。私の中にアルバ−トがあった、未来が見えている、そんな自分の世界を感じられることが本当の喜びそして幸せだと私は伝えておきます。


 私は今世が今というときがどんなときであるのかということを本当に心で感じています。肉の歴史を含めた長い長い心の歴史の中でようやくその転機のチャンスを自ら作ってきました。

 私は今世が今というときがどんなときであるのかということを本当に心で感じています。肉の歴史を含めた長い長い心の歴史の中でようやくその転機のチャンスを自ら作ってきました。今世田池留吉と出会えたから、セミナ−に集っているから自分の意識の世界はその転機を迎えているなんて思っている方はもういらっしゃらないでしょうね。
 あなた自身が心を見て心で気付いていかなければ何も始まりません。その気付きのチャンスにどうぞ素直であってください。たとえば波動のお勉強もそうです。それはひとつのチャンスにしか過ぎません。それをどのように活かしていくのか、あなた自身の心がまだまだ不安定であれはそれがプラスにもなりマイナスにもなっていきます。そういうことを踏まえておいてください。そしてあなた自身が安定してくれば、それはプラス、プラスの結果をまたあなたの心に返してくることでしょう。それはただ単にひとつの肉としてのあなたにとってプラスというのではありません。宇宙が変わっていくエネルギ−が増してくるということです。私はそれがたまらなく嬉しいです。私には個人、個人という思いはありません。ただ私達の宇宙を感じ、その喜びをともに喜び合いたいだけです。それには肉にしがみつく心では分からない世界だと言っています。アルバ−トは宇宙です。だからその波動の世界を本当に心で知っていくことは叶いません。


 自分が心に広げてきた世界が偽物だと気付いたなら、なりふり構わずにUターンです。私なら、そうします。Uターンするなら、今です。

 自分が心に広げてきた世界が偽物だと気付いたなら、なりふり構わずにUタ−ンです。私なら、そうします。偽物を偽物だと知るチャンスを自分に与えたことにありがとう、出直して今度こそ本物を知る道を歩いていこうと呼びかけてくれた自分自身にありがとうしかないではないですか。
 Uタ−ンするなら、今です。まだセミナ−があり田池留吉の肉がある今です。ここをはずせば250年後に繋いでいくということが本当に難しいことをその心で感じておられない方はまだまだ多いです。それほど己がそびえ立っている、それすら気付かれていないようです。
 築いてきたと思ったものが根こそぎ崩れ去ろうが、どんなに醜い自分をさらけ出そうが、それが間違いだと誤りだと自分に伝えてくれるものがあったなら、私ならそのことに対して真向かいになっていきます。ただひたすら真向かいになっていきます。己のメンツなどどうでもいい、それこそなりふり構わずにすべてをかなぐり捨てて、どこがどう間違ってきたのか、どうしていけばいいのか、私なら必死でそれを自分の中に求めていくことでしょう。もう二度とこんなチャンスはないことを私の心は知っているからです。生まれては死んで死んでは生まれて、この繰り返しの中を真実を知るために心を繋いできました。最後のチャンスに賭けてきた思いは、私もあなたも同じです。私はそう言えると思います。
 そびえ立つ己はもういい、揺らぐことのないアルバ−トへの信、それをあなたの中で確立する道を今世一歩歩み出してください。


 己を主張し己を守り戦々恐々としてきた心はとても苦しかったです。主張しなくても守らなくても私はここにありました。パワーを求めなくても私自身がパワーそのもの、私はそんな私と出会いました。

 私は自分で言うのも何だか少しおかしいですが、学びに集っている方みんながとても愛しいです。みんな我が子のように感じます。肉の心ではとてもとても私自身こんな思いを理解できる訳がありません。苦手な人とか好みとか肉は馬鹿ですから、意識の私のようにすべてを受け入れることにはまだまだ抵抗があります。しかしふっと心を向ければとても愛しい、誰かれの区別はない、みんないっしょに行こうというとても嬉しい思いになります。反省文を読ませてもらったとき感じた私の思いです。
 私は出来上がったものではありません。私だって同じです。そして自分の中をもっともっと掘り下げていきたい、いかなければと思っています。そうです、しっかりと心を合わせ自分の中をもっともっと見ていきましょう。決して奇麗事では済まされないその心を見ていきましょう。
 田池留吉と真向かいになればすさまじい自分のエネルギ−を感じます。しかしそれは喜び、喜びのエネルギ−、このパワ−が宇宙を変えていくことが私には感じられます。私達はすごい集団です。パワ−を求めなくてもすごいパワ−の持ち主です。それはやがてあなたの心でも分かるときがやってくるでしょう。それにはそびえ立つ己を崩していくことです。みんな遮っていることを知ってください。
 己を主張し己を守り戦々恐々としてきた心はとても苦しかったです。主張しなくても守らなくても私はここにありました。パワ−を求めなくても私自身がパワ−そのもの、私はそんな私と出会いました。肉最優先の私は確かに変わりました。続けとは言いません、でも参考になると思っています。


 ともに生きていく、ともに歩いていく、ともに存在している、肉の世界ではなく波動の世界の中でその思いを感じていることがどれだけ幸せであるかが心に伝わってきます。

 ともに生きていく、ともに歩いていく、ともに存在している、肉の世界ではなく波動の世界の中でその思いを感じていることがどれだけ幸せであるかが心に伝わってきます。そのような心の状態で周りを見れば、肉が成した、肉が得たと思う時点でみんな間違っていると分かります。どれほどそびえ立っているかが一目瞭然です。肉で成せることも肉で得ることも何一つありません。すべては必要だからその肉に設定しているだけのことです。結果に着目するのではなく、そこへ行き着くまでのエネルギ−を感じていくためのものに過ぎないが、肉基準の心ではそのことはなかなか分かりません。頭では分かっていても心を離すことは難しいです。
 250年、300年かけて転回が行われるにしても土壌を入れ替え種を蒔き水をやっておかなければ、芽は出てきません。いくら種を蒔いて水をやっても土壌が腐っていれば芽は育ちません。その土壌を入れ替える作業を丹念にやってくださいというのが今世のこの時間です。
 セミナ−12回のうちに本当にそのことを心の底から感じていってください。だらだらと時間をかけて分かるものではありません。分かるのならもうとっくに分かっています。それほど心を入れ替える、心を転回していくことは難しいということを知ってただひたすらにその作業を進めていってください。


 どんなに私は素晴らしい、正しい、間違っていないと主張しようともあなたの心がアルバートに向いていなければ、あなた自身が砂上の楼閣、いつ崩れ去ってもおかしくありません。

 アルバ−トを心に知らなければ、肉が何をしてもどんなに奮闘努力してもみんな崩れていく、砂上の楼閣という言葉がありましたがまさにその通りです。それは社会現象を見れば分かります。ベ−スになるものがないから当たり前と言えば当たり前ですが、己偉い人間はもうそれすらも分からなくなりました。だからせめて今世学びに集えた方々は、そういうことを自分の心で本当に分かっていってほしいと思います。
 肉を持った人間はみんな同じです。みんな同じ苦しみ、地獄の中に生き続けてきました。だけどそこから自分の心を見て自分の中でそんな自分を包み込んでいこうとするすなわちアルバ−トを信じていこうとするのか、それとも依然としてアルバ−トから心を離したままであるのか、それだけの違いです。
 道は真っ二つに別れていきます。本当にアルバ−トを信じる意識達とこの学びは進んでいきます。いつまでも肉中心、他力の方はついて来れないでしょう。厳しいようですが、それが意識の世界の現実です。
 アルバ−トを知る、アルバ−トが心にある、それが基本です。その基本がなければ絶対分からない世界です。どんなに私は素晴らしい、正しい、間違っていないと主張しようともあなたの心がアルバ−トに向いていなければ、あなた自身が砂上の楼閣、いつ崩れ去ってもおかしくはありません。だからそんなもの早く崩して、しっかりと心でアルバ−トを呼べるあなたに蘇っていってください。


 私達の大きな過ちは、他力のエネルギー、他力の神々と一体だと信じていることです。確かに今現在まだまだそういう状態の方は多いです。しかし本当はそうではなく私達はアルバート、アルバートとひとつ、アルバートと一体なんです。

 私は満を持して今に至っています。私自身そのように思っています。肉で見ればある時点からすっと出てきたように映りますが決してそうではありません。自分自身を潰したくない、潰してはいけない、その準備を心の中で着々と整えてきました。学びに集うタイミングも心が敏感になるタイミングもすべてその一環です。だから今世私は狂わずに済みました。心の向け先を外せば簡単に狂ってしまうほどのエネルギ−を抱えているから、様々な計らいを自分自身に設定してきました。それは言い換えるなら本当に今世に賭けてきた思いの強さの現われです。肉はそういうことは知らずにやってきましたが、本当の私の思いはそういうところです。
 私達の大きな過ちは、他力のエネルギ−、他力の神々と一体だと信じていることです。確かに今現在まだまだそういう状態の方は多いです。しかし本当はそうではなく私達はアルバ−ト、アルバ−トとひとつ、アルバ−トと一体なんです。それを心で分かることが心を転回していくということです。自分が作り出した他力のエネルギ−その世界、欲のために利用し利用価値がなくなれば捨て去ろうとするその心、それがどれだけ冷たい思いなのか、自分を利用し自分を捨てていく、本当に愚かしいことだと思います。
 他力のエネルギ−を求めてきた自分の心にもっと優しい思いを向けてください。諭そう、捨て去ろう、離れてくれ、ではありません。ともに帰ろう、優しい母の温もりの中へ自分を誘っていってください。


 待っています。ともに歩める喜びをともに歩める幸せをともにともにできることをあなたの中の宇宙が待っています。

 全部自分で決めてきたことですが、本当に嬉しい限りです。田池留吉の宇宙を心に感じ広げていけることが最高に幸せです。たちまちのうちに心が広がっていくのが分かる、本当に素晴らしい世界です。すごいパワ−、私はパワ−そのもの、私は喜びそのもの、言葉をいくら並べてもこれを表現することはとてもとても無理だけど、その世界その波動の世界を感じていけることはただただ喜びです。
 この喜びのパワ−が宇宙を覆い尽くしていきます。肉の人間が夢を託している宇宙なんて本当にちっぽけです。私達はもっともっと大きな宇宙を心に持っている、その宇宙が喜び、喜びのエネルギ−を流し始めたことがどんなにすごいことなのか、この心にみなぎるパワ−を感じます。
 大いなる喜びです。想像も絶する宇宙規模的変化すなわち天変地異、宇宙が変わっていくことが喜びです。こんな嬉しいことはありません。待ち続けてきたこと、ようやくようやくその流れをしっかりと心で感じられる私は喜びです。
 田池留吉、ありがとう。アルバ−ト、ありがとう。この波動に出会えた私は最高に幸せです。今世目覚めを頂いたことが最高に嬉しいです。ともに喜びを広げるもの、ともに歩みを進めるもの、私はそのような私を今心で感じています。
 待っています、ともに歩める喜びをともに歩める幸せをともにともにできることをあなたの中の宇宙が待っています。


 真の友、アルバートの道をともに歩む仲間というのは、もっと深いところでしっかりと繋がっている、なぜならばそれぞれが心にきっちりと心棒を持ち、しっかりと自分の道が見えているからです。それが本当の仲間だと私は思っています。

 肉の馴れ合いではともに歩めない、今一度伝えておきます。どんなに親しくても、本当にアルバ−トへ向かっていこうとする思いがなければ、それは仲間ではありません。この学びで言うところの仲間ではありません。その点は大変シビアです。肉の友かもしれません。肉で慣れ親しんでいる間柄かもしれません。しかしそれはその程度で所詮その域を超えません。肉の学びならともに語り合い意気投合のうちにそれなりに形作られていきます。しかしアルバ−トの道はそういうことはない、それぞれの心の問題です。
 みんなそれぞれに今世厳しい環境を設定してこの世に出てこられたはずです。だからこそ田池留吉と出会え学びに集えています。いかにしてそこから突破口を見出すか、みんな悪戦苦闘してきました。もう本当に自分に優しくそして素直になっていきましょうと私は呼びかけています。
 肉で親しいから、お付き合いが長いから、これは全然通用しません。肉は確かにあなたのその思い私も分かるよ、互いに苦しんできたね、みんないっしょだね、だからいっしょに学んでいきましょうと、その心情は肉では理解できる、でもそこからどれだけ本道を歩いていけるのかということについては、ちょっと話が違ってきます。
 肉の思いに流されないでください。真の友、アルバ−トの道をともに歩む仲間というのは、もっと深いところでしっかりと繋がっている、なぜならばそれぞれが心にきっちりと心棒を持ち、しっかりと自分の歩く道が見えているからです。それが本当の仲間だと私は思っています。


 私は田池留吉の宇宙、その波動の世界の中で本当に喜びをともに味わいたいです。しかし肉を掲げてそびえ立つ心ではそんな世界は感じることはできないし、肉の田池留吉に心を止めていてもまた同様、早くそんな中から飛び出してきてほしいと思っています。

 田池留吉の宇宙を心に感じれば、自分の中に広げてきた暗黒の宇宙が浮き彫りにされてくる、宇宙に広げてきた真っ黒なエネルギ−つまり自分自身をはっきり感じることができます。しかしそこには以前感じていた田池留吉を否定する思いも拒否する思いも悔しさ怒り我一番の思いもない、ただただ喜び、暗黒の宇宙が喜び、宇宙がひとつ、私達が出会えたことが本当に嬉しいです。
 私は田池留吉の宇宙、その波動の世界の中で本当に喜びをともに味わいたいです。しかし肉を掲げてそびえ立つ心ではそんな世界は感じることはできないし、肉の田池留吉に心を止めていてもまた同様、早くそんな中から飛び出してきてほしいと思っています。
 私は幸せです。本当に幸せです。波動の世界を感じ心に広げられることが本当に幸せです。私はこの波動の世界を心に感じ広げていくために肉をもらってきました、生まれてきましたと自分にはっきり言えます。そう言える私は幸せでしょう、そう思いませんか。あなたはどうですか、私は幸せですと言えますか。いつまで苦しみの自分を握っているのでしょうか。そこからもう心を離してはどうでしょうか。意識の転回を進めていくのはあなたです。セミナ−が田池留吉がしてくれるのではありません。
 今世ともに学びを進めてきました。繰り返し促しを与えられてきました。12回を残してそれも終わりです。後はアルバ−トを思い田池留吉の宇宙その世界を心に広げていく瞑想のときを堪能していきたいと私は思っています。


 宇宙が変わっていく、私の中の宇宙がどんどん変わっていく様を心で感じています。自分の中の宇宙と出会えている私は幸せです。流れの中の私に今出会えています。過去から未来からすべてがひとつになって今の私にこうして出会えている、こんな幸せなことはありません。

 お母さん、ありがとう。本当にありがとう。これしかないですね。波動の世界に存在する自分を感じるとき、生んでもらって本当にありがとうございます、嬉しいですお母さん、その思いが心に充満していきます。
 宇宙が変わっていく、私の中の宇宙がどんどん変わっていく様を心で感じています。自分の中の宇宙と出会えている私は幸せです。流れの中の私に今出会えています。過去から未来からすべてがひとつになって今の私にこうして出会えている、こんな幸せなことはありません。
 五官を通し心は揺れても私は本当の喜びと幸せを知っています。次の瞬間アルバ−トを思っている私がいます。田池留吉の宇宙を思ったら心がたちまちのうちに広がっていく私があることを肉は知っています。だから肉の心は揺れても私は不動です。アルバ−トを思えば嬉しい、田池留吉の宇宙を思えばたまらなく嬉しい、そしてその世界にあるのが私だとはっきりと感じています。心で実証済みだから後戻りすることはもちろんただ真っ直ぐです。もうそんな時間は残されていないことは心が一番知っています。
 アルバ−トは私の中で揺るぎない世界です。もちろん田池留吉の宇宙に心を馳せれば例えようもない喜びを感じます。どうぞ12回のセミナ−のうちに心で確信する学びを広げていってください。それがあなたの今世の仕事です。250年後に繋いでいく心をしっかりと育てていってください。


 今現在、田池留吉の肉に認められたいという思いがあるか自分の中を見てみました。全くないとは言えませんが私はその思いが薄いです。それは私には田池留吉そのものがアルバートだからです。

 今現在、田池留吉の肉に認められたいという思いがあるか自分の中を見てみました。全くないとは言えませんが私はその思いが薄いです。それは私には田池留吉そのものがアルバ−トだからです。肉眼は確かに田池留吉という肉を見ていますが、私がとらえている世界はそうではありません。アルバ−トの世界です。認められたいとか認めてくれとか思わなくても、みんな認めてくれていてみんな受け入れてくれていることを感じています。
 私の意識の世界は今世大きく動きました。今世肉を持ってともに出会わせて頂いたことを本当に嬉しく思っています。田池留吉の肉に様々な思いを出してきました。そして私の過去からの思いをその肉を含めて田池留吉の世界はみんな受け止めてくれました。本当に嬉しかったです。私は最高の出会いを持たせてもらっています。ともにあること、ともに生きていける喜びを満喫しています。
 アルバ−トを感じ田池留吉の宇宙を感じる、アルバ−トに出会え田池留吉の宇宙に出会えている、私は幸せです。心からありがとうしかありません。誰よりも何よりも大切なのは心から湧き上がるこの思いです。繋いでくれました。信じて待ってくれていた私にもう何も言葉はありません。ありがとう、本当にありがとうです。
 流れの中にある意識、それが肉を持ったということを私は心に感じています。肉は気張ることも思い煩うこともない、そういうふうに思えるようになった今現在です。


 私は宇宙そのもだという実感があります。その宇宙が喜んでいる、250年後の出会いもそして300年かけて宇宙がすごく変貌を遂げることもみんなみんな伝えてくれています。ともに次元移行できる喜びを伝えてくれています。

 私に繋がる意識達、その宇宙に存在する意識達の喜びが心に響いてきます。洗脳されていると表現がありました。そんなちっぽけな世界ではありません。心に感じ心に広げている世界、宇宙は無限大です。私は宇宙そのものだという実感があります。その宇宙が喜んでいる、250年後の出会いもそして300年かけて宇宙がすごい変貌を遂げることもみんなみんな伝えてくれています。ともに次元移行できる喜びを伝えてくれています。
 本当にすごい学びです。すごいセミナ−、今世その時間を頂いています。自分の中の宇宙、その波動の世界にこのようにして出会えることが本当に嬉しいです。
 滞りなく遂行している、次元移行の流れは淀みなく流れていることを感じます。その中に今世の肉の時間があり再び肉を持つ来世があるということです。だから肉は何のためにあるのか、何をなしていくのか、私は心でとらえています。嬉しいです。文句なしに嬉しいです。今世もそして250年後もまた肉をともにしながら喜びをともにできることが嬉しいです。
 アルバ−トそして田池留吉の宇宙に心を通じていく、すなわち心の転回をどうぞひたすら進めていってください。それがなければ私が語っていることはみんな絵空事のように感じます。洗脳、思い込み、空想…、いえ実在です。アルバ−トも田池留吉の宇宙も実在するということを心でしっかりと感じていってください。あなたの心で実証していってください。


 肉を見て肉を感じている心の世界からは何も見えてこない、これが私達が今世知ったあるいは知ろうとしている真実です。積み重ねてきた心の歴史の中でその転回をしていくのは至難の業です。

 「お母さん、私田池留吉と出会えたよ、お母さん嬉しい、嬉しい」私の思いに母は心で答えてくれています。「よかったね、よかったね、本当によかったね」私の中の母は本当に喜びを私に伝えてくれています。
 これが肉持つ人間の本当の心だと私は思っています。母の思いを遠くに忘れ去った人間は人間ではなくなった、どんなにその頭脳を誇り己をそびえ立たせても心を失くした人類は愚かとしか言いようがありません。
 肉を見て肉を感じている心の世界からは何も見えてこない、これが私達が今世知ったあるいは知ろうとしている真実です。積み重ねてきた心の歴史の中でその転回をしていくのは至難の業です。目に見えない世界を感じてもそれが実は肉基準であることになかなか気付けない、あるいは認められないからです。それほど己がそびえ立っているということです。己をしっかりと持ったままではアルバ−トは分からない、真実は分からないと繰り返し伝えられています。
 真摯にそのメッセ−ジを受けていってください。受けるか受けないかは自由ですが、結果は12回セミナ−後にはっきりしてくるでしょう。
 どうぞあなたの心の中に優しい思いを向けていってください。意識達の思いを聞いてあげてください。必死に心を繋いでくれた意識達すなわちご自分の思いを聞いていってください。もう時間は残されていません。まだあると思っているそのあなたの心をしっかりと見ていってください。


 ホームページとともに私は成長させて頂いています。ホームページの歴史は私の歴史です。本当に嬉しい限りです。

 ホ−ムペ−ジとともに私は成長させて頂いています。ホ−ムペ−ジの歴史は私の歴史です。本当に嬉しい限りです。
 アルバ−トと出会え田池留吉の宇宙を感じられる心、そんな心に成長しました。我一番、宇宙を支配するエネルギ−を膨らませてきた心に素直な本当に素直な心を目覚めさせることができた、今世の私の収穫です。私のこれから、もちろん喜び、喜びです。肉の時間において起こってくる事柄も私はきっと喜びで自分の中に迎え入れることができると思います。
 アルバ−トを思い田池留吉の宇宙をその世界を思う時間の中で私自身の歴史がまた新しいペ−ジを開いていくことでしょう。それが250年後の来世です。アルバ−トという肉とともにアルバ−トの世界を広げていく、喜びの波動が世界中を宇宙を駆け巡っていく、私にとってそれはもう現実の世界です。そして250年後はもうすぐそこです。
 ともに歩みを進めていきましょう。今世出会えた意識達、ともに歩みを進めていきましょう。私は今そのように呼びかけ続けています。そのような機会を持たせて頂いています。きっと250年後に繋いでいってください。そしてともに次元移行を果たしていきましょう。宇宙の仲間達とともにみんな次元移行を果たしていこう、その思いがこれから宇宙に仕事をしていきます。喜びのエネルギ−が宇宙に仕事をしてまいります。


 肉の喜びと幸せもまたアルバートを知らなければ田池留吉の宇宙を心に感じていなければ、嘘の世界です。すなわち根本がなければみんな偽物の世界です。

 肉は押しなべて愚かです。愚かな肉を立派に見せかけるのはとても苦しいです。肉は自然体が一番いい、だからと言って無秩序に肉を動かしていいということではありません。アルバ−トを心に感じている肉は、その肉の世界においても秩序正しいです。それが自然だからです。無理に形に押し込めたり形を整えたりするのではなく、自然な流れの中にその肉を置いている、だから心も楽なはずです。
 心を楽にしてしかし真実をしっかり見据えて生きていくということが本道を歩くということ、いい加減な生半可な思いは私にはありません。私は真面目です。真面目でないととてもこの道は歩めません。道徳的に真面目ということではなく自分に真面目ということです。己がそびえ立っているから田池留吉を馬鹿にしている、そしてそれは自分に不真面目だということだと思います。
 肉の喜びと幸せもまたアルバ−トを知らなければ田池留吉の宇宙を心に感じていなければ、嘘の世界です。すなわち根本がなければみんな偽物の世界です。何一つとして本物はない、肉は実感があるから形を見て喜び、幸せと思ってしまうかもしれませんが、決してそうではないということはあなたの心が一番よく知っていると思います。肉の喜びも幸せも本物志向でいってください。それには本道を歩く以外にはありません。


 唯一本当のこととは一体何か、そしてそれを心で感じ確信の道を一歩一歩歩み出した今、肉に与えてきた時間を許される限り自分のために費やしていこうという思いが私には強いです。

 唯一本当のこととは一体何か、そしてそれを心で感じ確信の道を一歩一歩歩み出した今、肉に与えてきた時間を許される限り自分のために費やしていこうという思いが私には強いです。自分のためにというのはエゴではなく、自分に人に地球に宇宙に最も優しい思いだと私は思っています。そして自分のために費やしていける時間と空間を用意できるということは最高に幸せだと思っています。
 自分の心を救いゆくものは外になかった、そのことを心で知った私は今世の肉の時間の中で瞑想を通しまたこれから色々と気付けることだろうと思います。エネルギ−を中に中に向けていく、それにはやはりゆったりとした時間、瞑想の時間が必要だと感じています。
 肉の時間を存分に楽しみながら慈しみながらのこれからだろうという気がします。250年後の来世が待っています。しっかりと心を繋いでいくための今世の私自身の時間を大切にしていこうと思います。
 一本の道筋が引かれています。一歩一歩着実な一歩を歩んでいく幸せと喜びの中にある私自身を感じます。ただこの道を我が信じる道を真っ直ぐに歩んでいくこと、ともに歩む仲間達を心に感じながら歩んでいくこと、それが私の本当に望んできたことです。それが実現の運びとなったことが私には本当に嬉しいです。


 アルバートを思う、アルバートを思える私は幸せです。私はすべてを受け入れてもらっていました。アルバートの中にある自分を感じ私は満たされています。そのことに気付けたことが私を救いゆくものです。

 自分のことは自分で、自分の始末は自分でつける、こんな簡単で当たり前のことが人間にはできませんでした。人間以外の生き物はみんなそうしています。みんな受け入れています。自然とひとつです。人間だけが攻撃し合いそのエネルギ−で自滅していくコ−スを歩んできました。
 ようやくその過ち、間違いに心で気付けるチャンスを頂きました。気付いた人から素直になっていけばいいだけです。人類の歴史の夜明け、まだまだ夜明け前だけど今世その兆しを感じさせてもらえることが嬉しいです。
 たくさんの暗い真っ暗なエネルギ−を流し続けこの地球も宇宙も汚してきた私達ですが、こうしてともに歩みましょうと伝えてくれる流れの中にあることを知って私は本当に幸せです。
 待ち続けてくれていた本当の自分、その世界に心を合わせて真っ直ぐに歩む喜びと幸せ、味わってかみしめてこれからのときを過ごしていこう、いくだけだと心より思います。
 自分の外にはなかった、何もなかった、これが私に伝えてやれるメッセ−ジです。外へ向けてきたエネルギ−で自分を殺してきたことを私は私に詫びてきました。今優しい自分自身に出会えていることが本当に嬉しいです。
 アルバ−トを思う、アルバ−トを思える私は幸せです。私はすべてを受け入れてもらっていました。アルバ−トの中にある自分を感じ私は満たされています。そのことに気付けたことが私を救いゆくものでした。


 みんな平等に公平に気付けるチャンスはあるはずです。その転機を逸するというか、結局はふいにしてしまうというのはやはり己が偉すぎるのではないかと思います。

 反省、瞑想、闇出し、ある程度心が柔らかくなり心がこなれてきた状態のときに一匹の犬との出会いがありました。そして父の死という現象を通しぐっとまた道を進めてこれたと思っています。反省も瞑想も一応こなしてきたという感覚がありますが、やってきましたという思いはありません。それよりもその肉でこなしてきた積み重ねを素直に活かしてきたということだと思います。みんな平等に公平に気付けるチャンスはあるはずです。その転機を逸するというか、結局はふいにしてしまうというのはやはり己が偉すぎるのではないかと思います。
 私は目の前に現れた一匹の犬を見てつくづく肉の人間の愚かさを感じました。肉は何とお粗末だったかということをそこから流れるものを通し感じさせてもらいました。優しい目、素直、全託、そして喜び、私の中にあるものをどんどんどんどん引き出してくれました。すごいと思いました。言葉はいらない世界だと本当に実感しました。波動がすべてだと波動が周りを変えていくんだと私はそのとき実地で学ばせてもらいました。
 どんなこともその現象を通して自分の中の思いが噴き出してくる、それにはプラスもマイナスもない、みんな喜びとして受けていける、喜びへと変わっていく大きなチャンスなんだ、それを本当に心で感じていくための反省であり瞑想でなかったならば、私は反省、瞑想やってきましたと大手を振っては言えないと私は思っています。崩すも崩さないも積み重ねてきたものは何もなかったということです。


 意識の流れの中にある私、その流れに乗っている私であることには間違いのないことです。だから肉の時間もそのように流れていく、必要なものは現れ必要でないものは消えていく、そういうことを段々とこの愚かな肉も分かるようになりました。だから肉で悪戦苦闘することは愚かだし苦しいだけだという結論です。

 もし今あなたがセミナ−に集いお金と時間を無駄に費やしてしまったと悔やんでいるとしたら、それは本当に考え違いです。どうしてそのように思うのか、セミナ−であなたが望むものを手に入れていないからですか。もしあなたが希望するような状態であれば、心は満足しているのでしょうか。あなたが望んできたものは一体何ですか。誰もが認めるあなたでしょうか。
 私は今私達が自分に与えているこの時間と空間がどういうものであるのか、何にも代えられないものであることを頭でなく心で知っています。もちろん私も今肉を持っているので、これからの肉の生活のことを思います。でも心は違うんです。私はもっともっと先の私を見ている、感じているということだと思います。今を生きているというのは、今の人生を生きているというのではないことを私は感じています。
 意識の流れの中にある私、その流れに乗っている私であることには間違いのないことです。だから肉の時間もそのように流れていく、必要なものは現れ必要でないものは消えていく、そういうことを段々とこの愚かな肉も分かるようになりました。だから肉で悪戦苦闘することは愚かだし苦しいだけだという結論です。
 心を楽にしてゆったりとしてともに学んできたことを喜びとしていきましょう。私は250年後の出会いを楽しみにしています。喜びが爆発的に噴き出してくる出会いを楽しみに楽しんで心を見ています。だから何とも言えない幸せと嬉しさを感じています。


 どれだけ抵抗しても意識の流れは厳然としてあり、その流れの中にあるのが本来の私達の姿だということに速やかに気付き、そして気付いたならば速やかにUターンすべきだと思います。

 肉は愚かだし何ということもない普通です。私は自分の肉をそのように評価しています。特に何に秀でているわけでもない、だけど生活していくのに何の不自由さも感じていないし毎日一定のリズムの中で肉の時間は流れています。私は肉はそれでいいと思っています。自分に必要なことは形となって現れるだろうし、必要でないものは消えていくだろう、だから形でこうでなければならないという思いは今はほとんどありません。肉持っているこれが私だとするならば、それは私も肉を高め肉を磨き肉の喜びと幸せを手にするために今も日々悪戦苦闘する毎日を過ごしていることでしょう。しかし私は自分の姿、自分の存在を心で知り始め真実に触れた、言うならばアルバ−トとともに田池留吉とともに存在するのが私なんだと心で確信しています。これが目覚め、私の中ではっきりと応えてくれる私自身を感じています。
 肉に明け暮れている間に自分がどんどん見えなくなる、もともと見えていないけれどもさらに真っ暗な底へと沈んでいく現実をまだ心で知らないから、みんな好き勝手な思いを出します。それでもいつかは気付けるときがくる、今世セミナ−に集えた方はできるならば今世気付いてほしいというのが私の思いです。どれだけ抵抗しても意識の流れは厳然としてあり、その流れの中にあるのが本来の私達の姿だということに速やかに気付き、そして気付いたならば速やかにUタ−ンすべきだということを付け加えておきます。


 私には250年後の来世が現実です。そして私は今もそしてこれからもずっとアルバートの側にいる、その肉もその意識の世界もずっといっしょ、そんな来世が私には見えています。

 セミナ−に集い1年ほどしてアメリカセミナ−に参加しました。そこで初めて前に呼ばれてチャネリングを受けました。古いビデオを見て当時を思い起こしたとき、私はあのとき心に感じたものがあったと振り返っています。懐かしい、私はこの思いを知っている、そんなことをあのとき感じさせて頂いたことを思い出しました。今なら分かります、あれがアルバ−トでした。そしてアメリカ、ニュ−ヨ−クの地は私が来世生まれてくるところです。あのとき私が涙していたのはそのことを心は知っていたからだと思っています。
 私には250年後の来世が現実です。そして私は今もそしてこれからもずっとアルバ−トの側にいる、その肉もその意識の世界もずっといっしょ、そんな来世が私には見えています。この喜びと幸せ、250年後はまだずっと先だなんて言わないでください。250年後を見つめながら今世の肉の時間を過ごしていきませんか。来世のあなたが今世のあなたにその喜びをその幸せをきっと伝えてくれることでしょう。もちろん過去のあなたはいつもいつも伝えてくれている、みんなといっしょに生きていくことの喜びと幸せを心で感じられると思います。それがこの学びで伝えてもらったこと、本当の喜びと幸せは自分を許し自分を受け入れともに歩いていくことです。田池留吉が待ってくれている、アルバ−トが待ってくれている、こんなに嬉しくて幸せなことはありません。素直になってその思いにすべてを委ねていきましょう。私達は喜びです。


 真実の世界を感じていくのに本当は何も難しいことはない、ただ素直になればいい、己の殻を破りただ素直に心を向けていけばいい、そうすれば心にどんどん響いてきます。

 心で感じられなければ何も分かりません。心で感じるということは、心から噴き出てくる思いを体験するということです。思いが心から噴き出てくる、沸き上がってくる、それは自分の中で動かし難い事実です。そして何が心から噴き出てくるか、それは何もかも間違いだった、全部全部間違ってきました、お母さん嬉しい、お母さんありがとう、お母さん…お母さん…という思いです。そういうことを体験するということ、まずそこからが出発です。
 そしてそのような世界を体験していけば、どれだけ自分がそびえ立っているかということもはっきりと分かってくる、何も言えない何も弁解の余地がない、みんな自分が間違ってきたんだから、そしてそれでもそんな自分が今こうしてお母さんの思いを心で聞くことができる、自分がどれだけ幸せでどれだけ喜びか、私ははっきり感じていけると思います。
 そうでなければ、どれだけ田池留吉をアルバ−トを求めようがその前に己が立ち塞がっているから全く通じないんです。それなのに通じていると思っているからなお始末が悪い、他力の心のままで己が描いてきたちっぽけな世界の中でふんぞり返っているだけです。
 真実の世界を感じていくのに本当は何も難しいことはない、ただ素直になればいい、己の殻を破りただ素直に心を向けていけばいい、そうすれば心にどんどん響いてきます。田池留吉の思いがアルバ−トの思いがひとつに重なって伝わってくる、私達はひとつ、その思いがしっかりと感じられる、そうです間違いありません。


 すねたりひがんだり落ち込んだり、先を争ってどうなるものでもありません。どうぞともに生きていくともに歩んでいく幸せと喜びを心で満喫していってください。今世出会えたことを喜びとしていきましょう。

 心で感じている思いを言葉で言い表すことはできません。もちろん嬉しいとか幸せとか喜びとか様々な表現はできます。何が幸せで何が喜びか、やはり出会えた、出会えた、出会えていることの喜びです。本当に今出会えているということ、それは心の中から止め処もなく沸き起こってくる喜びです。そしてそれは、遠い遠いはるか遠いところから言うならば心の奥の奥の奥から響いてくる思いです。何かそういうことが感じられてたまらなく嬉しい、何とも嬉しい、本当に嬉しいです。今はアルバ−トって呼んでいます。でももうそういう呼び名はどうでもいいような、ただただ嬉しい、たまらなく嬉しい、何とも言えない嬉しさです。
 宇宙ということも何億光年はるかかなたということも、いわゆる肉的にとらえるのではなく、自分自身が宇宙そして何億光年はるかかなたより存在しているものだということを本当に心で分かってほしいなあと私は思います。ここを感じればもう楽しくて嬉しくて、どうしてこんなに肉にこだわりしがみついてきたのだろうかと思える、きっとあなたも心が開けてどんどん軽くなっていくだろうと思います。
 幸せを感じていきましょう、喜びを感じていきましょう。すねたりひがんだり落ち込んだり、先を争ってどうなるものでもありません。どうぞともに生きていくともに歩んでいく幸せと喜びを心で満喫していってください。今世出会えたことを喜びとしていきましょう。


 私は言葉なんかいらない、本当に心の底の底から喜び合いたい、私達はやっとやっと出会えたよ、嬉しいな、嬉しいね、ただただ出会えたことをそしてこれからもずっとずっといっしょだということをともに喜び合いたいだけです。

 私は言葉なんかいらない、本当に心の底の底から喜び合いたい、私達はやっとやっと出会えたよ、嬉しいな、嬉しいね、ただただ出会えたことをそしてこれからもずっとずっといっしょだということをともに喜び合いたいだけです。不純な喜びはいいです、純粋にアルバ−トとともに歩いていくという思いの中でともに歩みを進めていきたいです。
 肉でどんなに言葉を重ねても思いが伝わってこないということもあります。波動は正直です。波動はだませません。私の心の中にあるのはただひとつ、アルバ−トです。そのアルバ−トの世界をともに喜び合いたい、肉持って今出会えていることはもちろん、本当に今宇宙の中で私達は出会えたことを喜び合える仲間が現れてくれたらと思っています。本物のチャネリングとは、ここを感じられなければと思います。本物のチャネラ−なら…と思います。
 私は自分の心で感じている世界を虚飾したり大げさに表現したりしていません。でもそれは本物であることはお伝えしています。田池留吉という肉に引っかかっていては何も分からないのと同じように私の肉を心に止めていてはあなたが苦しいだけです。早くそこから心を離していってください。肉と肉を比べてもどうにもならない、どうにもならないことは頭で分かっているけれど…と言っておられる方、いつまでご自分に甘いんでしょうか。そんなところでグズグズしている時間なんてありません。もう己という看板を降ろしてともに歩いていきませんか。


 私は私自身をすごいと思っています。これが肉の正直な感想です。でも私はすごいということを誇る思いはありません。

 私は私自身をすごいと思っています。これが肉の正直な感想です。でも私はすごいということを誇る思いはありません。そのすごいということを私は心で感じているから、こんなちっぽけな肉を誇ったりどうとかすることがいかに馬鹿げているかということをまた逆に感じています。ただ意識の世界はすごいなあと私自身感心しているというところが本当のところです。肉って所詮そんな程度です。
 周りを見渡せば先行き不透明な将来に不安を抱えながら毎日を過ごされている方がほとんどです。目の前の日常に時間を追われながら心忙しくしているかあるいは時間を持て余し無為に過ごしているか、そのどちらかにしてもみんな何らかの不安と恐怖を心に抱え毎日が闘いの日々です。
 そのような肉の世界に今私も肉を持っています。そしてその中で自分の意識の世界その宇宙を心に感じ広げていける運びとなりました。これがどういうことであるのか、先行き不透明どころか私をはっきり感じている自分自身がどれほど幸せで喜びであるかは、ともに心を広げ心で感じられなければ絶対分かりません。肉の世界に止まっていては絶対分からないことだけを強調しておきます。
 「偽りの人生とはさようなら」私は心で感じています。だから「はい」と大きく頷けます。喜びです、ありがとう、です。偽りの人生から本物の人生そして喜び、喜びの人生、喜び、喜びの宇宙それが私でした。本当に嬉しいです、宇宙を心に感じている私は今最高に幸せです。そして私の行き先を思えば最高に幸せです。


 波動の世界は素晴らしい、この一言に尽きます。そしてその世界を感じていくのは自分の心です。感じなくしているのはあなたの心です。素直になってどんどんどんどん心を合わせていけばどなたでも感じ広げていける、そして波動の世界すなわち自分というものは果てしなく広がっていく存在であることを実感します。

 波動の世界は素晴らしい、この一言に尽きます。そしてその世界を感じていくのは自分の心です。感じなくしているのはあなたの心です。素直になってどんどんどんどん心を合わせていけばどなたでも感じ広げていける、そして波動の世界すなわち自分というものは果てしなく広がっていく存在であることを実感します。ぐうの音も出ないという表現は適切でないけれど、そんな感じです。そこには喜びしかありません。ありがとうの思いしかありません。ただただ嬉しいだけです。
 未だに肉でどうとかこうとか言っておられる方、私はチャネラ−だ私は感じていると己をそびえ立たせている方、私は何とも言えません。その方々は田池留吉の肉は知っているが、その本当の存在を知らないと言えると思います。ということは真実の世界から遠くにかけ離れているということです。なのに肉は熱心に学ばれている、そしてさもアルバ−トの波動を真実の世界を感じともに進んでいっているような気分でおられる、どうぞそうであるかないかご自分の心をしっかりと見ていってください。
 そのひとつの目安がホ−ムペ−ジです。これを素直に受けていけるあなたであるかどうかです。学びは意識の流れはホ−ムペ−ジとともにです。絶対にこの流れに逆らっては真実は見えてこないことを私は伝えています。田池留吉を私をというのではなく、ただ流れはこうですよと私はホ−ムペ−ジを通してお伝えしているだけです。そこのところを間違えないようにともに学んでいきましょう。


 困難なことは充分承知でそれでも地獄の奥底に沈み込んだ自分自身を救っていきたいと生まれてきました。濁流を自分の中でせき止め必ず帰っていこうと強い決意のもとに肉を持ってきたことを自分の中で思い起こしてください。

 誰もがみんな幸せになりたいはずです。幸せを望んで願ってきた、望んで願って求めています。その幸せ感という価値基準はみんなそれぞれ違うかもしれませんが、とにかく幸せになるために一生懸命です。幸せを求める、幸せを願う、人として当然のことが実は全く間違っている、このことに私達は本当に心で気付いていかなければなりません。
 他力信仰は人間の欲が作り上げた世界、不安定な世の中の世情はさらにそれを煽り立てます。ブラックパワ−は欲のエネルギ−を吸い込み、火に油を注ぐように燃え盛る、すべて人類が宇宙へ垂れ流している真っ黒なエネルギ−です。それが宇宙を汚し続けてきました。本当に無知で愚かとしか言えません。
 そんな中で私達はようやく今世肉をもらい、こうして真実に触れるチャンスを自ら設定してきました。困難なことは充分承知でそれでも地獄の奥底に沈み込んだ自分自身を救っていきたいと生まれてきました。濁流を自分の中でせき止め必ず帰っていこうと強い決意のもとに肉を持ってきたことを自分の中で思い起こしてください。
 心に真剣に聞けば分かるはずです。仮に一生懸命そして真面目に人生を生きたとしても、肉のみの人生、それは根無し草です。本当に頼りないはかないものです。私はそれをしっかりと感じられるからそんな肉の人生に私を賭けることなどできません。私はアルバ−ト、この波動の世界に心を向け心を合わせていくだけです。それが私の人生、本当の人生、喜びの人生、私は実感しています。


 本当の世界を知ったなら、何も言えないはずです。正論なんてないんです。己もなければ何もないです。すべてがひとつであることを心で実感しなければそれはすなわち己がそびえ立っているということです。

 心のふるさと、タイケトメキチ。私の心のふるさと、タイケトメキチです。この意識の世界この波動の世界に心を合わせていくだけです。心から溢れてきます。懐かしい思いとともに私のふるさと、お母さんが溢れてきます。
 漢字の田池留吉もカタカナのタイケトメキチも私には区別はない、なぜならば私は肉の田池留吉を見ているようで見ていないからです。ふっと心を向ければ私にはアルバ−トの世界です。250年後のアルバ−トの世界を含めてすべてがアルバ−トの中にある私を感じているからです。だから田池留吉もタイケトメキチも私には喜びです。思いが爆発します。ただただ嬉しい、本当に嬉しいです。
 本当の世界を知ったなら、何も言えないはずです。正論なんてないんです。己もなければ何もないです。すべてがひとつであることを心で実感しなければそれはすなわち己がそびえ立っているということです。ひとつです。本来ひとつであるのに、そこにごちゃごちゃ思いが入ってくるというのはそこに何らかのズレがあるからです。
 ずれているあるいは距離感がある、それを心で感じていってください。素直になってそのズレを距離を少しでも縮めていってください。それは肉ではできません。素直に幼子に帰るということです。そびえ立つ己なんて必要ないんです。真実を心で分かっていくのに己は要りません。賢い偉いと思っている己がみんな分からなくしてしまっている、それだけです。そしてそのことに心で気付けばいいだけなんです。簡単なことです。


 本当に嬉しいですね、肉も意識もひとつになってともに歩いていける、250年後のアルバートが私には感じられます。

 本当に嬉しいですね、肉も意識もひとつになってともに歩いていける、250年後のアルバ−トが私には感じられます。今の肉を通して来世の肉を感じていける、肉がチェンジするだけのこと、今心に感じている思いはずっと変わることなく繋がっていくことを確認できます。私はアルバ−トといっしょ、このことが本当に嬉しいです。その嬉しさ喜びがさらにその思いに拍車をかけよりいっそう現実味を帯びて私の心に感じられます。思いがひとつになって歩いているというような感じです。
 お母さん、私は幸せの道を真っ直ぐに歩いていきます、そうお母さんの思いに応えていける私はとても幸せです。来世の私を思うとき、もう何とも言えないです。全部の私がまたひとつの肉をもらって心の世界、波動の世界を感じ広げていけます。それが250年後にしっかりと用意されています。お母さんのお腹を通って喜びの声を上げそしてアルバ−トとの出会いを持たせてもらいます。心から溢れる喜びを爆発させてアルバ−トとともに歩いていける生きていける、これが私が私に伝えてくれる思いです。
 肉の世界は制限がある、人間が作ってしまった制限がある、だけど私がアルバ−トを思うときその宇宙に存在する私自身を感じるとき、私はなにものにも縛られない本当に自由で喜びの世界が広がっていきます。アルバ−トとともにその世界を共有できる喜びと幸せを感じています。


 喜びしかありません。どれだけ間違いを繰り返し続けてきても私達には気付いていける道筋が用意されているのですから…。それが流れです。

 肉は苦しみではありませんでした。肉も喜びでした。私は今世肉をもらってそして田池留吉と出会いそのことを学ばせてもらいました。もちろん私の意識の世界は喜び、喜びです。ともにアルバ−トの道を歩いていくことを確信しています。しかしその肉もまた私には喜びです。
 だから出会いがただただ嬉しいです。肉のみの肉でなく真実を知る肉だから分かる、その喜びをその幸せを心にともに感じ広げていけます。その思いが肉を持っただけのことでした。私達は自分の中の喜びを知るために肉をもらってくるのでした。それが本来のあるべき姿だと私は今世の肉を通し伝えてもらいました。私が私に伝えてくれています。優しさが伝わってきます。
 みんな幼子の心に戻ればいいだけです。人類は頭でっかちになって高く高くそびえ立ちました。人類の愚かさはこれからも様々な現象を通して露呈されていくことでしょう。すなわち愚かでしたと心で気付いていけるように整えられてきます。形の世界はことごとく消え去りなす術もない茫然自失の中で、しかしようやく気付いていけるんです。すべてが消えても決して消えないものがあることに気付いていけるんです。
 喜びしかありません。どれだけ間違いを繰り返し続けてきても私達には気付いていける道筋が用意されているのですから…。それが流れです。意識の流れに素直になっていきましょう。私はその流れの中でこのように出会いをもたせてもらったことがただただ嬉しい、そして本当に幸せです。


 比較競争の世界にはもうさようならですね。そのコースを離れてアルバートの道を歩き始めませんか。重い荷物をひとつひとつはずして足取りも軽く歩いていきましょう。

 田池留吉を思うときアルバ−トを思うとき、私には私の心には何もありません。母の胸に抱かれている幼子の心に一体何があるんでしょうか。何もない、ただお母さんの懐の中で幸せを喜びを感じているだけです。
 そんな世界を感じていける、心の中に広げていけるということが肉としても最高に幸せです。そう思える私自身、本当に変わった、様変わりに変わったと言えます。私は現実的でした。温もりとか安らぎなんかで幸せになれるはずがない、喜びなんか感じられるはずがない、そんな絵に描いた餅ではなくもっと現実的なものを求めてきました。しかしそれは真実を知らなかった本当に愚かな思いでした。
 私は波動を感じています。アルバ−トを感じています。その道をともに歩いていることを感じています。この幸せこの喜びは肉では得られないものでした。いえそれが私自身でした。心から溢れてくる喜びと幸せが私でした。アルバ−トを感じながら肉を生かしていく、本当に私は幸せです。穏やかに時間は過ぎていき、ときに心が揺れることはあってもまたもとの幼子の思いでアルバ−トに帰っていける、それが私の日常の時間です。
 比較競争の世界にはもうさようならですね。そのコ−スを離れてアルバ−トの道を歩き始めませんか。重い荷物をひとつひとつはずして足取りも軽く歩いていきましょう。仲間達があなたを待っています。その声があなたにはまだ届きませんか。


 私を生かしてくれているエネルギーがありました。私は私を生かしているエネルギーの存在に心で気付きました。だから私の喜びとか幸せは本物だと私は感じています。

 私を生かしてくれているエネルギ−がありました。私は私を生かしているエネルギ−の存在に心で気付きました。だから私の喜びとか幸せは本物だと私は感じています。私はそのことをほんの少し早く知りました。私を生かしてくれているもの、私は生き続ける存在であることを心で感じ始めたのが今世のこのときだと思います。過去においてそういうことを思っていたかもしれません。しかしそれはそう思うことで救われたいとかどこかに無理強いをしていたような気がします。しかし今は自然です。自然にそう心で思える、心に感じられる、だからそれがたまらなく嬉しい、喜び、幸せだということです。
 日々アルバ−トを思いアルバ−トとともにあることを感じながら肉の時間が流れていく、そのような時間を持っている私達ほど幸せな人間はいないと思います。私は私を生かしてくれているエネルギ−にありがとうしかありません。どんな思いを垂れ流してきたか、自分を生かすためだったらどんな思いも使ってきました。そして沈み込んでいった地獄の奥底からようやく明るい方向へと自らを誘っていける道筋を私は歩き始めています。私を生かしてくれているエネルギ−をもう見失うことなくかき消すことなくこれからもしっかりとした足取りで、自分に許されている肉の時間を過ごしていきたいと思っています。いつも心にアルバ−トを感じアルバ−トとともに歩くわが人生、私はただ真っ直ぐに見つめていくだけです。


 私達は喜び、喜びの中に生かされている、喜びがすべてです。この波動の世界、喜びのエネルギーを心に感じています。その喜びのエネルギー、波動の世界をアルバートと私達は呼んでいます。

 私達は喜び、喜びの中に生かされている、喜びがすべてです。この波動の世界、喜びのエネルギ−を心に感じています。その喜びのエネルギ−、波動の世界をアルバ−トと私達は呼んでいます。そう、アルバ−トです。アルバ−トの中にすべての意識達が生かされている、それが私達です。
 私は田池留吉が愛しくてなりません。肉でありません、私が愛しいと感じているのはこの世界、田池留吉の世界です。今肉を持って互いに感じさせて頂いていることが喜びです。そしてそれは250年後の私達の姿でもあります。私はそのことを心にしっかりとはっきりと感じています。嬉しいです。またともに肉を持ち喜びを広げていけることがただただ喜びです。
 流れ、この流れを私は信じています。言うまでもなく心で感じているからです。だから心に響いてこない方は肉の田池留吉を見て肉の私を見て周りの肉を見てそしてご自分の肉を見てそんなところでうろうろしているだけです。そんなところからいくら眺めても決して私達がお伝えしたい世界とは通じない、それは感じている世界が違うから当然なんです。だからと言って私達が偉いとかではなく、まだあなた自身が真実に目覚めておられないだけで、肉の次元からは私達とあなたは何ら変わることはありません。むしろその次元ではあなたの方が優位にあると言えると思います。
 しかしそんなものをいくら前面に出されても、私達はそれに対してお答えすることは何もないということです。それが冷たい、薄情だと言われても私達には返す言葉はありません。


 母を捨てたのは私達です。そして母のもとに帰りたいと願ってきたのもまた私達です。田池留吉の世界はそのことを私達に伝えてくれました。

 母を捨てたのは私達です。そして母のもとに帰りたいと願ってきたのもまた私達です。田池留吉の世界はそのことを私達に伝えてくれました。私が感じたかったのはこの波動、この世界です。ようやくようやくその道筋を心に見出せた私の喜び、その喜びはどんなにすごいかということはこれからそれぞれがそれぞれの計画の中で知っていくことでしょう。
 意識の世界は肉でどうこうできる世界ではないことをもっともっと心で感じていかなければなりません。あまりにも己が強い、己が偉すぎたということを本当に気付いていかなればなりません。その思いが全部遮ってきた、だから気付けるチャンス、心で感じていけるチャンスは多々あったのにということです。
 素直になれば何も難しいことはない、どんどん心に響いてくる世界です。素直になって根本的な誤りに気付いたならその過去はみんな肥やしになっていきます。そしてその肥やしが喜びとなって自分に帰ってくる、だから肥やしがたまらなく嬉しい、嬉しいからさらに喜びが大きくなっていく、その循環の中にすっぽりと納まれば後はもう簡単です。
 意識、波動の世界は正直で正確です。本来の循環からはずれていけば、あなたの心に広がっていくのは苦しみだけです。苦しんでいるあなたが間違っている、意識の流れに逆らっているから苦しい、素直になってこのことをしっかりと心でかみしめてともに帰ってまいりましょう。


 真実を語るのは波動だけです。

 誰でもが感じられる世界、心を素直に開いていけば誰でもが感じられる世界、それが本当の世界です。なぜならば私達はお母さんのお腹を通って生まれてきたからです。心に数限りなく存在している母の思い、それは溢れるほどの温もりと安らぎです。その中に抱かれ包まれている私達でした。素直になればなるほどそのことが響いてくるはずです。だから苦しみの自分とはさようならできます。厳しい修行を積まなくてもパワ−を下さいと仰ぎ見なくても、私は温もりだ、私は喜びだ、私は幸せだ、こんなこと簡単に分かります。
 苦しみの自分を自分だと思っていては自分を包んでいくことはできません。自分に訴えてくる意識達に一体何を伝えることができるのでしょうか。振り回されるか増幅していくか、いずれにしてもどんどん苦しみの淵に沈んでいく結果となっていきます。温もりで喜びで幸せな自分が本当の自分であることを知らなければ、すなわちアルバ−トを感じ信じていなければ当然そうなっていきます。
 この学びは簡単です。アルバ−トを信じているかそうでないか、それだけです。心が敏感であれば意識の世界を何か感じることはできます。しかしアルバ−トを感じアルバ−トの波動をどんどん広げていっているということとそれとは全く違います。そしていつもお伝えしているように真実は言葉ではすなわち肉では伝えることは不可能、真実を語るのは波動だけです。


 弾けるような喜びの中をともに進んでいきましょう。肉では色々とあるでしょう、しかし私達は喜びです。みんなみんな喜びの中にあることを心で本当に味わっていきましょう。

 弾けるような喜びの中をともに進んでいきましょう。肉では色々とあるでしょう、しかし私達は喜びです。みんなみんな喜びの中にあることを心で本当に味わっていきましょう。アルバ−トを思えば嬉しいでしょう、思うだけで嬉しい、ともに生きともに存在していることが心で感じてくれば、これほど幸せなことはありません。私達は永遠なんです。喜びを広げていける仲間なんです。その目覚めをその気付きをこんなに待たれています。
 どうぞあなたも今世その肉をお母さんからもらったことをただただ喜んでください。それだけでいいんです。お母さんはそのことにあなたが気付いてくれたならそれだけで喜んでくれます。お母さんの思いはそうです。あなたの中のたくさんの母の思いに支えられて、あなたは今日このときまでこられたことを思い出してください。ただただありがとう、お母さんありがとう、本当にありがとうございます、お母さん嬉しいです、幸せです、こんな思いが次から次へと心から沸き起こってくる、それがアルバ−トの世界、アルバ−トの波動の中にある本当の私達の姿です。だからアルバ−トがない世界はもう分かるでしょう、真っ暗な世界です。どれだけ表面上整えられても取り繕っても決して幸せでない、これははっきりしています。
 アルバ−トがすべて、このことが心でしっかりとそしてはっきりと分かるように心で学んでいってください。弾けるような喜びをともに味わっていきたい、私の思いはただそれだけです。


 言うまでもなく、ホームページは波動です。至るところからアルバートが流れています。波動を見て波動を聞いてください。

 言うまでもなく、ホ−ムペ−ジは波動です。至るところからアルバ−トが流れています。波動を見て波動を聞いてください。私はとても嬉しいです。そして嬉しいだけでなく心の底から突き上がってくる思いはやはりアルバ−ト、アルバ−トとともにある私だと感じられることです。今こうしてホ−ムペ−ジが用意されていることがありがたいです。直通の世界を感じられるようになっている、こんなに嬉しいことはありません。
 私達は今情報社会にこうして肉を持っています。情報が氾濫している中、すなわち濁流の中を肉を維持しながら本道を進んでいくということを促されています。人里を離れた山奥で自給自足ではあるまいし、生活の利便さもある程度活用しながらの毎日です。しかしその中でしっかりとした心棒を持っていなければ、濁流に飲み込まれていくのに時間はかかりません。それがこれからの分かれ道、セミナ−がなくなって田池留吉の肉がなくなってのこれからの分かれ道です。
 そういうことを充分踏まえながらどうぞこれからの年月を過ごしていってください。心に積み重ねてきた他力の思いはそう簡単にはぬぐい切れません。アルバ−トを感じそしてまた自分の心をしっかり見る、丹念に繰り返していくことが心を来世に繋いでいくことだと思っています。来世に繋いでいくことを念頭に置いて私は私の道を歩いていくだけです。


 すべては自分の心にかかっている、こんな公平で分かりやすいものはありません。

 意識、波動の世界、田池留吉が伝えてくれているその世界を否定して拒否していくのは自由です。分からない、信じられないと頑張るのも自由です。ここでは何も強制されないし縛るものもありません。また去る者追わず来る者拒まずで、大変あっさりしています。その中で私達はただ真っ直ぐに進んでいくだけです。そして素直な方はどんどん感じていくだろうし、その反対はまたどんどん落ちていきます。すべては自分の心にかかっている、こんな公平で分かりやすいものはありません。
 真剣に道を求める方ならどなたでも分かります。アルバ−トが分かります。分からないのは自分の心が不純だからです。間違った動機、目的そして欲深い己高しの心を野放しにしてきたからです。私は今の時期になってまだ分からないとか信じられないとか平気で語れるということが反対に分かりません。どうしてそんなことがそんな思いが出てくるのか理解に苦しみます。
 誰もが真剣に真面目に肉をもらってきました。肉をもらえるチャンス、そして真実に巡り合えるチャンス、これらが重なっているのが今世のこのときだということをもっとご自分の心で受け止めていってください。
 アルバ−トとともにその一途な思いだけあればいい、そうであれば自然に心に響き心で分かってくるようになっている、肉のあなたが出る幕などどこにもありません。


 学びは250年後に繋がれていきますが、今世は今世で締めくくりがあります。心に感じ広げているアルバート、田池留吉の世界をなおいっそう揺るぎないものとする締めくくりに向けて、私自身しっかりと心を向けてまいります。

 あなたも私も今肉を持っています。そうですね、これは間違いありませんね。そしてそれぞれの環境の中でその心癖ゆえの苦しみも多々あったはずです。その苦しみの度合いというものは人によりまた感じ方受け取り方により違ってきますが、そういうことを問題にするのではなく、あなたも私も苦しんできた、そのことには違いありません。
 そしてここからが問題です。その苦しみ等々すなわち喜び以外の思いをどう自分の中で受け止め処理してきたかです。それは学んできた年月には必ずしも比例しません。長く学んだからそれだけ処理してきた度合いも大きいことにはなりません。ましてやチャネラ−だからその作業がより効率よく進んでいくということにはなりません。しかし本来はそうであるはずなんです。だから学びに集っているほとんどがチャネラ−という肉を選んできたんです。それが肉の段階で止まってしまって本来の役目を果たせなかった方がたくさんおられるというのが現状です。
 私はそういう道を歩きませんでした。それだけ私は決意が固かったというか、必死であった、そして心に秘めてきた思いはすごいということだろうと思っています。この点が違うと言えば違います。でも私は特別でも何でもない、ただ自分の心に素直であった、自分に素直であったということです。
 学びは250年後に繋がれていきますが、今世は今世で締めくくりがあります。心に感じ広げているアルバ−ト、田池留吉の世界をなおいっそう揺るぎないものとする締めくくりに向けて、私自身しっかりと心を向けてまいります。


 肉と意識の境目がない、私は現実に目の前に存在する田池留吉の肉を通しそのことを心でしっかりと感じていくだろうと思います。田池留吉は肉を超えていつも心の中に存在するものであることを、私の心はさらにはっきりととらえていくことでしょう。

 私が今現在感じている世界、アルバ−トの世界そして田池留吉の波動その世界、その中において私は言葉では語れない幸せと喜びを広げてきました。もう充分過ぎるほどのものです。そして今世の締めくくりとしてさらに波動の世界を垣間見る、そのような予定のコ−スを私は辿っていきます。喜び、喜びの世界へ私とともに進んでいきましょう、私にはアルバ−トのそして田池留吉の声が聞こえてきます。はい、私はともに歩むもの、心をひとつにしてすべてがひとつの世界の中でともに歩みを進めてまいります。
 肉と意識の境目がない、私は現実に目の前に存在する田池留吉の肉を通しそのことを心でしっかりと感じていくだろうと思います。田池留吉は肉を超えていつも心の中に存在するものであることを、私の心はさらにはっきりととらえていくことでしょう。それからが私自身の本当のお勉強であることを私は感じています。セミナ−があり田池留吉の肉があって学びを進めていけるのは当たり前、簡単です。後それをどのように自分の中で大切に育んでいくかがこの学びの分かれ道だと考えています。
 自己確立の道、確かな手ごたえとともにその道を歩き、やがてこの肉とのピリオドをつける、肉もきっと幸せ喜びの中、ともに生きていけることと思っています。


 メッセージを聞く、10番を聞いてどういう思いをもたれましたか。頭で理解されている通り、この学びは比較競争の世界ではありません。

 メッセ−ジを聞く、10番を聞いてどういう思いを持たれましたか。頭で理解されている通り、この学びは比較競争の世界ではありません。学びの進み具合を争うということは学びの原点からずっと遠くにかけ離れているということです。そういうことを言っているのではなく、本当は学びに集った人誰一人脱落することなく完走してほしいということです。確かにそのゴ−ルインの時間制限はあります。それがセミナ−、後12回ということです。でも真面目に真剣に素直に心を開いていけばどなたもゴ−ルインできるということをここで付け加えておきます。それ以外は難しいです。どんなに肉を誇りチャネラ−を誇ろうとも素直でなければ難しいです。そこのところを心でしっかりと分かっていってください。
 先頭集団、確かに直線コ−スに入っているのとそうでないのとでは、距離は開いています。あえて否定はしません。でも問題は自ら脱落することなく決められた刻限までにゴ−ルインするということです。そこに焦点を合わせて、それぞれの道をただひたすら進んでいってください。
 私は250年後、ともに出会いましょうそう言って学びの友と笑顔でさようならしていきたいです。みんなまたアルバ−トのもとに集いましょう、そう笑顔で確かめ合いたいです。そのために後、12回のセミナ−、心残すことなくともに学んでまいりましょう。


 肉と意識の境目がない、すなわち肉も意識もなくすべてがひとつの世界を今肉を持って感じ確認していけるということ、これは最高の幸せ、最高の喜びですね。

 肉と意識の境目がない、すなわち肉も意識もなくすべてがひとつの世界を今肉を持って感じ確認していけるということ、これは最高の幸せ、最高の喜びですね。そこには本当の肉の喜びと幸せが広がっていきます。本当に肉を愛するということはどういうことであるのか、それはアルバ−トの波動その世界でのみしか通じ合えない、分かり合えないです。肉も意識もひとつの世界、それが本当の一心同体です。その喜びと幸せは計り知れないものです。これはアルバ−トを本当に信じているから、その共有できる世界にともにあることを感じられるんです。肉の次元での一心同体など何と取るに足らない薄っぺらなものであるか、アルバ−トを知らなければ肉の喜び幸せさえも本当のそれではないことを心で知れば、もうそんなものを手に入れるために躍起になりません。そんなばかげたことはしない、できない、それよりもアルバ−トを求める本当の自分とともに歩みを合わせていくような肉になっていくことでしょう。
 それが本当に人生を生きる、人として生きていくことだと思います。それが分かりませんでした。だから苦しみ悲しみ嘆き呪いと恨み憎み様々な人間模様を広げてきただけのことでした。そんなものは人生ではありませんでした。本当の私は喜び、幸せです。ひとつに溶け合う自分に出会える、今世のこのときです。ありがとうそして幸せです。


 表面だけの薄っぺらな喜びと幸せを追い求めてきた転生でした。今波動の世界に存在する私というものを感じていくほどにそう、3億6千年貪欲に求めてきたものは薄っぺらな色褪せたものでした。

 表面だけの薄っぺらな喜びと幸せを追い求めてきた転生でした。今波動の世界に存在する私というものを感じていくほどにそう、3億6千年貪欲に求めてきたものは薄っぺらな色褪せたものでした。そのために心を落とし心を汚してきた、心を犠牲にしてきたことがはっきりと感じられます。
 なぜ肉をもらってくるのか、なぜ生まれてくるのか、肉は苦しみ、心の中に山のように積み重ねられた思いはそのような思いばかりでした。しかし私は今世の肉を通し波動の世界を知っていきました。真実に触れていきました。本当の私は喜び、喜びであるという真実、そして肉と意識は密接いえ本当はひとつであるという真実です。
 肉も喜びなんだ、ぴったりひとつであれば肉がすなわち意識なんだ、そして肉があっても肉がない、肉は影なんだ、そういうことが現実に肉を持ちながら心で感じ心で分かっていける道筋を歩いていく流れの中に私は今あります。どんなに幸せなことなのか、喜び幸せがひとつになって心に響いてきます。心から溢れてくる喜びは3億6千年の転生を喜びへと誘っていきます。肉を持つことの喜び、持たせてもらったことの幸せ、心でさらに感じていけることでしょう。思いを向ければ、ありがとう、ありがとう、ただただありがとうの思いばかりです。


 現象と言えば、普通肉で不都合の現象を連想しますね。そしてその現象はある日突然やって来るものではありません。寝耳に水の出来事なんてありません。原因があるからそこに条件が整えばそれが形となって現れるだけのことです。

 現象と言えば、普通肉で不都合の現象を連想しますね。そしてその現象はある日突然やって来るものではありません。寝耳に水の出来事なんてありません。原因があるからそこに条件が整えばそれが形となって現れるだけのことです。最初驚きと戸惑いあるいは心の揺れはあるでしょうが、少し時間が経てばそれも落ち着いてきて心を中に向けようとするエネルギ−が働くと私は思っています。そして心を見ることを真面目に学んできた方ならば、心をどこへ合わせていけばいいのか、それは体得していることでしょう。学んでこられた方とそうでない方との違い、アルバ−トを感じ信じている方とそうでない方との違いがここではっきり現れてきます。またそこで他力でアルバ−トを求めてきたかそうでないかもはっきり感じられます。
 生死に係わるまたはそれに準ずる現象が起こって初めて真剣にこの学びと取り組まれる方があるかもしれません、あるでしょう。その場合本当に生まれ変わったつもりで学んでいかなければ難しいです。自分が出してきた思いの結果が今こうなっているんだと素直に受け止めて、そこから自分の心の立て直しをただひたすらやっていく、そんな一途さというか真摯な思いは不可欠です。しかしやはり現象を喜びの転機と受け取っていける心は、常日頃からの積み重ねがなければなかなか難しいと私は思います。肉の渦の中に飲み込まれて生きてきたからです。それでもやはり心を見て心を合わせていく、アルバ−トを素直に呼んでいく、それしかありません。


 意識の流れをせき止めたり変えることは絶対できない、これが大原則です。波動の世界を深くそして強く感じていけば、そのことは歴然としています。

 私は私というものを肉の次元で言うところのいわゆる特別であるとは思っていません。もちろん意識の世界において優劣があるはずがありません。しかし私はアルバ−トに目覚めるために今世肉を持ったということをしっかりと自覚しています。意識の流れが今世のこの肉を持たせたと表現すればいいのかもしれません。だから比較競争はもうやめていきましょう、そんなことをしても無駄ですよということを知っていってほしいという思いがあります。そう無駄なんです、肉でどうしたって意識の流れには逆らえないんです。なぜならば私達はその流れの中に存在しているからです。肉で言えばそんな効率の悪いことせずにもっと楽に素直にやっていけばいいのではないでしょうかということです。
 意識の流れをせき止めたり変えることは絶対できない、これが大原則です。波動の世界を深くそして強く感じていけば、そのことは歴然としています。肉の私がどうとか言っているのではないことが、あなたも波動の世界にもっと素直になっていけばお分かり頂けるのではないかと思います。
 私は今世のこのときに照準を合わせてきました。それは何度も心で感じているところです。今世田池留吉という肉を通し波動の世界を広げていくということは私自身が予定してきたことでした。アルバ−トに出会うために今を用意してきたことを感じている私です。特別でも何でもないけれどそういうことをはっきりと自覚できている私から流れるものがあるということを知ってください。


 田池留吉が指し示す方向に素直に真面目に真剣に心を向けてきたか、アルバートを本当に信じているか、白と黒の結果がもうはっきりと出始めています。これからさらにそれはシビアになってくることでしょう。

 田池留吉が指し示す方向に素直に真面目に真剣に心を向けてきたか、アルバ−トを本当に信じているか、白と黒の結果がもうはっきりと出始めています。これからさらにそれはシビアになってくることでしょう。みなさんそれぞれが選んできた結果が形となって現れてくるということです。意識の世界はごまかせないです。流れに逆らって幸せ、喜びの人生が展開されるはずがありません。また他力が強い方はその喜びと幸せを手に入れるために田池留吉の言うことを信じていこうとかアルバ−トを思っていこうとされています。全然違いますが、その間違いにまだ気付けていない方も多いです。どれだけ欲深いか、真実から遠くにかけ離れているか、やがて肉の現象を通して自ら促しを受けますが、果たしてそれを真摯に受け止めていけるかどうかはその人次第ですが、己が高ければ難しいです。
 心をしっかり見ないと、欲の思いと恐怖心から田池留吉をアルバ−トを呼んでいるようでは従来の他力信仰と何ら変わるところはありません。後に残る思いは恨みと呪いです。田池留吉は私を見捨てた、その思いがどんどん自分を地獄へと落としていくんです。そうではなかったと気付いた瞬間からありがとう、ありがとう、嬉しいとなってくるんですが、さあそれはどうでしょうか、それもなかなか難しいことだと思います。
 とにかく自分が選んできたものは自分に帰ってくるということ、意識の世界にはこの宇宙には自分しか存在していないということです。


 田池留吉、アルバート、その肉を超える肉はなし、そう宣言できる私です。

 私は、私とアルバ−ト、私と田池留吉、その世界その喜びの世界を実感しています。私は今世田池留吉という肉に出会わせて頂きました。出会わせて頂いて今私がはっきり思うことは、肉の次元からもその肉を超える肉はこれから先私の目の前に現れてこない、もちろんアルバ−トを除いてはということです。これをどのようにとらえてもらっても私は構わないけれど、私には大切な肉です。私に多大な影響をもたらしてくれた肉です。
 なぜならば肉と意識がひとつであるということを私に伝えてくれたからです。そのことが心にひしひしと伝わってきます。アルバ−トを心の底から本当に信じている肉であれば、そこに存在してくれているだけで嬉しい、肉を遥かに超えた繋がりを感じる喜びと幸せは、肉のみで生きている肉には到底分からない世界です。
 今世私は予定とはいえ、その世界を心で感じ広げています。もちろん宇宙に向けたときの私の意識の世界、UFOとの係わり、その波動の世界は心に強く大きく響いてきます。宇宙を感じるときはもうたまらなく嬉しいし、どこまでもどこまでも広がっていく宇宙が私の宇宙だという実感もあります。
 そのことと同時に私は肉持てた幸せと喜びを田池留吉の肉を通し伝えてもらったことが何とも言えないほど嬉しいです。田池留吉、アルバ−ト、その肉を超える肉はなし、そう宣言できる私です。


 宇宙へ喜びのエネルギーが流れていく、宇宙とともに喜び、喜びの中を進んでいけることがただただ嬉しいです。宇宙は喜びでした。

 何度も何度も伝えたい、ともに歩めることが幸せです、ともに生きていけることが喜びです。アルバ−トを知った私は喜びです。アルバ−トと出会った私は喜びです。これに優るものはありません。そして今世と来世の肉の時間、同じように苦しみから喜び、幸せへと展開していく私自身の肉を持つ時間がもう嬉しくてたまりません。
 意識、波動の世界にひとつ、ひとつに溶け合ってともに感じ合えるこれからに思いを馳せるとき、3億6千年に本当にありがとうございましたという思いでいっぱいになります。
 この地球という星に転生の機会を頂いたことが私の心の歴史の中で喜びへと変わっていける第一歩を今世歩ませてもらいました。地球に宇宙に真っ黒なエネルギ−を流し続けてきましたが、すべてに待ってもらいました。本当にありがとう、ありがとうの思いだけです。
 これから地球は様変わりしていきます。人類の出す真っ黒なエネルギ−に息も絶え絶えの中、しかしすべてが愛の中にあることを自ら示してくれます。本当にありがとう、ありがとうしかありません。
 宇宙へ喜びのエネルギ−が流れていく、宇宙とともに喜び、喜びの中を進んでいけることがただただ嬉しいです。ありがとう田池留吉、ありがとうアルバ−ト、宇宙は喜びでした。


 田池留吉の目、アルバートの目、私は大好きです。本当に優しいです。その目から思いが伝わってくる、この心にどんどん響いてくる、優しい、優しいとろけるほどの優しさです。

 田池留吉の目、アルバ−トの目、私は大好きです、本当に優しいです。その目から思いが伝わってくる、この心にどんどん響いてくる、優しい、優しいとろけるほどの優しさです。私はあなたの目の中に吸い込まれていく、いつもいつもあなたの目を感じている、優しい優しい目を感じています。アルバ−ト、アルバ−ト、私はどれだけ幸せか、お母さんありがとう、ありがとう、すべてを委ねていける私はこんなに幸せです、喜びです。田池留吉の目、アルバ−トの目を見る私は赤子です。ただただ嬉しい、委ねられることがただただ嬉しいです。
 田池留吉の目を恐怖していた私です。みんな見透かされている、どこまでも追及してくる、目を真っ直ぐに見れなかった、見れない自分に自分が怒っていました、悔しくて悔しくて仕方がなかった、そんな心を思い出します。
 でも今は本当に嬉しいです。真っ直ぐに見れる、目と目で語り思いが伝わってくる、それは喜びそれは幸せ、ともに生きともに存在できる喜び、幸せです。
 目がすべてを物語ってくれている、私とあなたはひとつですよ、ああ250年後に出会う目もこの目でした。嬉しいです、お母さんありがとう、心から嬉しい思いが沸き起こってきます。田池留吉のアルバ−トの目と出会える私は幸せです。心が一瞬にして開いていく250年後です。私はあなたととともにこれからもずっといっしょに生きてまいります。


 本当の自分に素直に正直に生きるということは、アルバートを知ってそしてアルバートがすべてであると断言できるということです。

 アルバ−トの波動を感じていない方、アルバ−トの世界を信じていない方、あるいは感じていてもほんの僅かでありその信が弱い方、そのような人にはアルバ−トがすべてだと言っても何か大げさに非現実的に聞こえることでしょう。嬉しいとか幸せとか喜びとか一応は感じて分かるけれども、けれどもです、やはり現実と言えば、今目の前に見えているこの日常生活、その中の自分というふうになってしまいます。私は違うんです、私はアルバ−トがすべて、そこから派生して肉の生活が成り立っています。だから私は適当に稼ぎ適当に肉も楽しんでいます。でも私はそんなものにこだわりを持っていない、それよりも私の中にアルバ−トを感じていけることが喜びであり幸せである日々を過ごしています。田池留吉の肉を見ればアルバ−ト、思えばアルバ−ト、本当に私は嬉しいんです。私は幸せです、喜びです。アルバ−トを感じている私にとって、肉の喜び幸せなど自然に整ってくることを感じます。
 だから私には分かります。どれだけ外から見て肉が整っていても、その方がアルバ−トを知らなければその方にとってそれは幸せでも喜びでも何でもないということです。物、形で幸せになれないことを私達は自分の心で証明しているけれども、結局は素直でないから認められないだけです。
 本当の自分に素直に正直に生きるということは、アルバ−トを知ってそしてアルバ−トがすべてであると断言できるということです。


 闇の帝王、そう今世田池留吉と出会っている私達は闇の帝王に違いありません。みんな己一番の大きなすさまじいエネルギーを蓄え流し続けてきました。

 闇の帝王、そう今世田池留吉と出会っている私達は闇の帝王に違いありません。みんな己一番の大きなすさまじいエネルギ−を蓄え流し続けてきました。しかし、今世私達は田池留吉と出会えました。闇の帝王を返上するチャンスを自ら与えました。いかなるパワ−をもってしても母の温もりの前には通じないことを心で学ぶチャンスです。闇の帝王を広げるのではなく優しく優しく包んでいく喜びと幸せ、そしてアルバ−トとともに歩いていける喜び幸せを実感できるそんな場、セミナ−という時間空間を持たせて頂きました。
 私自身を語れば、それはそれは大きなパワ−を秘めてきました。過去においてまさに闇の帝王、宇宙を支配し牛耳るエネルギ−そのものでありました。しかし今世目覚めがあった、すなわち私は闇の帝王ではなく私は喜びであるという目覚め、私は田池留吉とともにアルバ−トとともに歩くものであるという目覚め、だからそれが核たる所以なんです。
 今世の学びはもう幕を閉じようとしています。核が核としての自覚を持ち真実一直線に歩む足取りが確かだからです。後は250年後の来世に繋いでいくのみです。もうそういう時期であることを、各々しっかりと自覚なさってそれぞれのアルバ−トへの道を一歩進めていってください。250年後の来世の出会いをただただ待つ、喜び喜びの爆発をともに味わってまいりましょう。


 どんなことも誰がではなく、何でではなく、全部自分が選び自分で決定してきたことばかりです。そのことを素直に受け取れるところから本当の学びは始まっていくと私は思っています。

 白には白の人生が、黒には黒の人生が、その通りですが他力の心そのままの方がこの言葉を目にしたとき耳にしたときやはり他力の色濃く受け取られていくだろうと思います。学んでいこうとする動機目的が自分の中で見直されない限り、本当にこの道を歩いていくのは難しいです。そこのところが最大のポイントだと思います。だから形でいくら熱心でもそれは違うということです。
 やり直しもきくし、Uタ−ンもできる、それはあなたが素直であればということです。欲の心でそして己をしっかりと持ったままではとてもとてもです。そしてまたどうせ私はだめなんだと自ら放棄していく心も根本は同じです。どちらも己が高くそびえ立っている心です。本当の自分を知らずに偽物の自分をつかまえている、しかもそれは正しい立派とやっているから何とも言えません。
 長い方で20年余りという年月を学びに費やされました。本当に学んできたかどうかは別としてそれだけの時間を自ら与えたということです。自分の人生その決定権はいつも自分にあります。どんなことも誰がではなく、何でではなく、全部自分が選び自分で決定してきたことばかりです。そのことを素直に受け取れるところから本当の学びは始まっていくと私は思っています。


 田池留吉を通しアルバートと出会っている私、それは永遠の過去とともに永遠の未来を感じている幸せ、喜びと表現する以外にはないです。やはり過去から未来へと続く道が心に見えているということが何にも代えられない喜びです。

 20年近く続いてきたセミナ−、そのときそのときの表情がありました。途中参加の私ですがそれでも様々な試みの中を学ばせてもらいました。本当にそうですね、あの手この手で私達は伝えてもらっていました。でも今はもうそれも要らなくなった、後はそれぞれの心に任せていくだけとなりました。2泊3日のセミナ−12回、後は心で感じていくだけです。
 私は「こんな幸せな私と出会ったことがありません」という感想を今現在持っています。本当に幸せなんです。田池留吉を通しアルバ−トと出会っている私、それは永遠の過去とともに永遠の未来を感じている幸せ、喜びと表現する以外にはないです。やはり過去から未来へと続く道が心に見えているということが何にも代えられない喜びです。ともに生きともに存在する喜びと幸せをこうして心に感じられる私は本当に幸せ者です。
 もちろん肉の心は揺れます。愚かな肉ですからある程度仕方がない、でも今地球上にどのくらいの人間が生まれて死んでいっているか知りませんが、このように出会わせて頂いたことが私はただただ嬉しいです。ありがとう、ありがとう、ただただありがとう、母にすべての意識達にただただありがとうの思いが込み上がってきます。アルバ−トとの出会いが私のすべてでした。田池留吉すなわちアルバ−ト、すべてに「はい」の人生を私はあなたとともに歩いてまいります。


 社会というルールの中で無理することなく肉を維持していくことができる、そうしながら社会と調和してしかし本道をしっかりととらえながらの時間を頂いているということは幸せ、喜び以外のなにものでもないと思っています。

 今肉持っているこのときに、多くの心の体験があってだからここまで本道を歩いてこれたと思いますが、肉の次元での価値基準ももともと私は一風変わっていたのではないかと振り返っています。そこへ何度も何度も心の体験があってやはりそうであったという確信を深めていくことができたと思っています。
 もちろん意識の現象化したものが肉ですから、そういう肉というか肉の基準を持っていて意識のそれとすんなりと融合していったという感じがあります。だから肉と意識の違和感を抱きながらも、反発はなかった肉もどこかで納得していてむしろ肉の心が楽になりました。
 社会というル−ルの中で無理することなく肉を維持していくことができる、そうしながら社会と調和してしかし本道をしっかりととらえながらの時間を頂いているということは幸せ、喜び以外のなにものでもないと思っています。
 生まれそして新たに家族を形成し社会の中でその一員として生活をしていく、そうすることで寂しさを埋めることができたならそれに私は迎合していったことでしょう。そうではないということを今世の肉もまた確認できたからそれで充分です。後は確信の道を伸び伸びと自由に進んでいくだけです。選んできた、心に抱いてきたことに間違いはなかった、私は今世やっと自分の人生を生きられるという思いでいます。


 アルバートを感じる心には己がありません。そびえ立つものなんて何もない、だからそびえ立つ世界においてアルバートを感じ広げていくことはあり得ないんです。己をしっかり持ったままのアルバートの世界なんて存在しません。

 先頭も最後尾もない、みんながひとつです。素直であるかそうでないかだけです。私には私が先頭でみんなを引っ張っていくという思いなどありません。でも私は嬉しい、私は幸せ、本当に喜びですということをただ伝えたいだけです。それは心に感じているからです。私は本当にアルバ−トを信じています。アルバ−トを本当に感じています。アルバ−トを思う思いは本物です。アルバ−トの波動を感じているから、それは私の心の底から沸き起こってくることだから、アルバ−トを呼ぶ私は喜びそのものです。
 アルバ−トを感じる心には己がありません。そびえ立つものなんて何もない、だからそびえ立つ世界においてアルバ−トを感じ広げていくことはあり得ないんです。己をしっかり持ったままのアルバ−トの世界なんて存在しません。アルバ−トでないアルバ−トの世界をアルバ−トだと思い込んでいるだけです。そのチェックをどうぞ素直な心でしてみてください。それがセミナ−の時間と空間です。そのためのセミナ−です。欲で肉で来られてもご希望には添えないです。
 そして波動の世界を本当に感じていけば分かる、言葉なんかいらない、出す言葉があるならありがとう、ありがとう、お母さんありがとう、嬉しい…そんな言葉だけです。
 明るく軽く自由で爽やかで清清しい波動の世界を、アルバ−トに出会えた喜びをともに感じていきましょう。お母さんありがとうございましたと生んでもらったことを心の底から喜べることが最高に幸せだと、その心で実感していってください。


 もうそろそろ波動のお勉強の凄さを本当にその心で感じていってください。

 心の底からお母さん…、お母さん…、ありがとう…、嬉しい…、思いが込み上がってきてもう何ともたまらない喜び、嬉しさ、その幸せをその喜びをどうぞあなたもその心で体験してください。もう何の説明もいらない、肉だ意識だそんなことももうどうでもいい、幸せなんだから喜びなんだからそしてみんな間違ってきたことも何もかも、みんなみんなその心で分かるということです。
 もうそろそろ波動のお勉強の凄さを本当にその心で感じていってください。何度も言います、前に出られた方だけのお勉強ではありません。私達は凄い学びというか凄い世界を垣間見るチャンスを自ら設定しています。過去培ってきたブラックパワ−の張本人である私達がようやく今世その計画のもとに肉を持ちこのように本物を知る流れの中に自らを誘っています。
 肉ではありません、あなたのそんなちっぽけな肉などに私は伝えていない、しかし私は私の仲間に伝えています。だから核からのメッセ−ジはあなたの心を大きく揺さぶります。あなたの心にある日突然信じられない衝撃を与えます。当然です、私は私の仲間達に伝えているのだから。
 しかしまだその時期到来のない方もたくさんいます。それでもどうぞそんなあなたも私達はひとつ、私達は仲間なんだ、その意識の流れに乗ってともに進んでいけるあなたに蘇ってください。
 あなたが素直であるかどうか、これからもそれのみがキ−ポイントです。


 意識のあなたはみんな素直です。頑固で強情で冷たいのは肉のあなただけです。私はそのことを前に座らせて頂いてつくづく感じています。

 喜びは肉で抑えることはできません。心から弾けるようにそして次から次へどんどんどんどんその肉を通し喜びのエネルギ−が噴き出してくる、止めようもないこの喜びを互いに喜び合える仲間を私は待っています。
 本当に心に何もない、何もない、ただ嬉しい、嬉しい、心と心とが呼び合ってそして私達はこの喜びの中にあったことを確認できる幸せを今このときに持てる、私はもう何も要らないです。あなたがいて私がいてそしてともに歩めるこれからがあって、私はそんなことを本当に心で感じています。だから嬉しい、幸せ、長い長い転生を経てようやく私は巡り合えた、心の中にアルバ−トを本当の自分を呼べる、私は一人でも多くの方がこんな心の体験をされる日がやって来るのを待っています。
 ともに喜び合いたい、ともに歩みたい、ともにアルバ−トを広げていきたいです。意識のあなたはみんな素直です。頑固で強情で冷たいのは肉のあなただけです。私はそのことを前に座らせて頂いてつくづく感じています。すっとその肉を取ればすっと感じられる世界がある、そしてどんどんやっていけばああこれが私なんだ、この喜んで幸せで嬉しいのが私なんだと信じられる、私はそのことをただただ信じているだけです。肉は何も変わりはしない、特別なところは何一つない、だからよかった、だから本当の世界を感じ広げていくことができた、私は自分を振り返ってそう思っています。
 はっきり道が見えている肉とそうでない肉、当然そこから発せられる言葉も波動も違ってきます


 私は宇宙そのもの、宇宙が喜んでいる、そう私の中の宇宙は喜んでいます。田池留吉そしてアルバート、宇宙が本当に喜んでいます。

 私は宇宙そのもの、宇宙が喜んでいる、そう私の中の宇宙は喜んでいます。田池留吉そしてアルバ−ト、宇宙が本当に喜んでいます。今このような時間空間を持っていることが本当に嬉しいです。肉も意識もひとつ、まったくひとつ、田池留吉の肉もアルバ−トの肉もそしてその宇宙もみんなみんなひとつ、今が未来であって未来が今、そんなことが感じられる今どれだけ幸せであるか、田池留吉を思うときアルバ−トを思うときただただありがとうしかありません。波動の世界をともに喜び合える喜びと幸せを満喫できる、私は私の宇宙と出会えた、それがたまらなく嬉しいです。
 夫であって夫でない、妻であって妻でない、親子、兄弟姉妹等々みんなそう、肉の繋がりなんか微々たるもの、私が今感じている世界はそんな世界です。しかしアルバ−トをその宇宙に存在する私というものを感じるとき、また今世このように肉をもらい来世また肉を頂いてくることが本当に嬉しいです。肉を持って確かめ合える幸せと喜び、これは肉の次元に止まっている方には到底理解できないです。これが本当の肉の喜びと幸せ、肉持って知る本当の喜びと幸せ、私は今世の肉を通してその確信を得ました。
 そして250年後の出会いがあります。特に目と目の出会いはその瞬間に250年前に戻る、もうお分かりでしょう。そうやって喜びが爆発する、そのエネルギ−はたちまち全世界にそして全宇宙に流れていく、肉をそして意識を呼び起こす起爆剤、それが目と目の出会い、待ち遠しい出会いです。


 地位、名誉、財産等々、この世のものをいくつ持っていてもそしてどんな業績を残そうとも、真実に疎ければみんな同じ、真っ暗な世界にただひとりいるだけです。

 地位、名誉、財産等々、この世のものをいくつ持っていてもそしてどんな業績を残そうとも、真実に疎ければみんな同じ、真っ暗な世界にただひとりいるだけです。この世の評価など幻、もしその方を語るとするならば、重く沈み込んだ世界の住み人としか表現できません。
 何のための人生か、必ず振り返るチャンスはある、そんなとき今世学びに触れた人とそうでない人とは雲泥の差です。学びに集っても肉基準の心からなかなか抜け出せない方も、知識はいっぱい持っているのだから、そのチャンスに出会ったときそこで初めて自分は何て幸せなんだろうかとつくづく分かると思います。
 真実の見えていない分からない烏合の衆の中で、どんなに拍手喝采を浴びてもみんなみんな真っ暗、そのことが肉を持っている時間に心で分かってくれば、自ずとその生き方は変わってきます。本当の自分を語れることがどれだけ幸せで喜びであるか、肉の時間と空間を自分に与えてきたことがどれだけの愛であるか、真実を伝えてくれた本当の自分に出会いました。
 本当の自分と出会うということが天変地異です。それぞれの中に天変地異を起こすこれからが用意されています。私は嬉しくてなりません。真実に目覚めるように設定されているそのことが嬉しくてなりません。


 喜びはますます大きくなっていきます。喜びのエネルギーはますますそのスピードを増していきます。喜びが喜びを起こす、喜びのエネルギーが宇宙へと流れ出した今、本当にともにひとつの世界を感じていきましょう。

 喜びはますます大きくなっていきます。喜びのエネルギ−はますますそのスピ−ドを増していきます。喜びが喜びを起こす、喜びのエネルギ−が宇宙へと流れ出した今、本当にともにひとつの世界を感じていきましょう。
 もう肉でどうこうなんか要らない、みんな喜びを感じ合える心をお母さんから頂いています。素直に素直にそのことを喜んでいきましょう。
 アルバ−ト、私達はアルバ−トといっしょ、いつもいつもアルバ−トといっしょ、それが心で感じてきたなら本当に嬉しいです。日々アルバ−トを思い田池留吉の宇宙に心を馳せる、今がどんなときなのかその心で堪能していくことでしょう。先のメッセ−ジでもお伝えした通り、真実に疎ければどんなに栄光の中歩き続けてきても、我が人生万歳とはならない、最後は哀れな結末です。みんな真実を忘却のかなたに捨て去ったから人類の悲劇はずっと続いていきます。
 しかし今目覚めを頂いた意識、その流れがこれから宇宙に天変地異を起こしてまいります。私はそのことをはっきりと自覚できる、それが私の喜びだからです。アルバ−トとともに田池留吉の宇宙とともに歩むこれから、どうぞ心をひとつにして4次元へ進んでいきましょう。
 この喜び、このメッセ−ジを私は伝えたくて伝えたくて、波動のお勉強に座らせて頂いています。ともに4次元への熱き思い、これから真っ直ぐに真っ直ぐにあなたの心に届いていくことでしょう。


 肉の小さな殻を突き破ってあるいはそんな他力の神々のエネルギーなどにもう翻弄されることなく、しっかりとあなた自身の心でこの喜びの波動を感じていってください。アルバートはいつまでも待っています、待ち続けています。

 欣喜雀躍、私はこの言葉を知りませんでした。辞書を開いてなるほどなるほど、その通りです。喜びは肉で抑えることなどできない、喜びのエネルギ−はそのまま肉を通して伝わっていく、私の喜びはアルバ−トに出会えた喜び、250年後がまさに今の喜び、そしてそして宇宙が喜んでいるということ、もう田池留吉の肉を目の前にする私は肉の田池留吉も肉の私もどこかへ吹っ飛んでいきます。嬉しくて嬉しくてこんな幸せが本当にあったのかと思うほどの喜びです。とにかく嬉しい、理屈ではない、何とも嬉しいです。
 だから感じてくださいと何度も何度も伝えています。肉の小さな殻を突き破ってあるいはそんな他力の神々のエネルギ−などにもう翻弄されることなく、しっかりとあなた自身の心でこの喜びの波動を感じていってください。アルバ−トはいつまでも待っています、待ち続けています。
 待ってもらいました。アルバ−トに出会えた私の喜びをどう表現すればいいのか見当もつきません。ただ言えることはこれからのセミナ−会場は今以上に凄いということです。私には田池留吉そのものがアルバ−トでそして250年後であってということ、それを心で感じ分かってくれる人達が増えてきた、今まで肉で見ていた人達が心で感じてくれるようになってきた、だから私は伸び伸びとこの喜びを素直により以上に表していけると思っています。
 自分でもどうなるか分からないほど嬉しいです。ただただアルバ−トとひとつ、それがたまらなく嬉しいです。


 意識の流れを感じる私は、もう何も言葉はありません。ただこの流れに乗っていくだけです。流れの真っ只中で喜びを感じている私は、そう理屈も何もないただただ嬉しいだけです。

 意識の流れを感じる私は、もう何も言葉はありません。ただこの流れに乗っていくだけです。流れの真っ只中で喜びを感じている私は、そう理屈も何もないただただ嬉しいだけです。肉の時間、今世と来世のあと僅かとなりましたが私は私の心はもうそれを喜びとしてとらえています。だから肉の心も定まっています。
 3次元に留まるのもともに次元移行を果たすのも、それぞれが選んでいくこと、しかし私は私自身ははっきりと自分の進むべき道を見つめている、このことがどれだけのものなのかどんなに凄いことなのか、私は自分の心で感じています。
 幸せです。本当に幸せです。永遠に続く道をともに歩いていけることが幸せです。心で感じられることが幸せです。だからもう肉はその幸せ喜びに委ねていくだけです。肉の人生をうまくこなしていこう、上手に生きていこう、そんな思いはさらさらないです。なぜならば私の肉もまた幸せだからです、喜びだからです。肉にも響いてきます、私自身が響いてきます。本当にありがとう、ありがとう、そして嬉しい幸せです。
 私の来世は3次元最終のときです。だから自分が書いたシナリオは厳しいです。しかし絶望の淵から蘇ってくる来世の私自身にしっかりとこの意識の流れが伝わってくることでしょう。そのための今世の私が今ここにいることを私は深く感じています。ともに4次元へその思いそのエネルギ−が私を大きく動かしていきます。


 意識の流れの中にひとつに溶け合って私は私の中の宇宙とともに歩んでまいります。宇宙は喜び、私は喜び、そして意識の流れとひとつが私です。

 広いです、意識の世界は広い、止め処もなく広がっていくのが宇宙です。心に感じれば感じるほど、私は逆にこのちっぽけな肉を頂いてきたことがただただ嬉しいです。肉を通し私は今宇宙を感じています。意識の流れをすなわち私自身を感じています。肉を通し感じられることが本当に嬉しいです。
 肉は喜びだけを表現する器、私は本当にその通りだと思います。心に響き心から沸き起こってくる思いを、そのままストレ−トに表現できる喜び、肉を持てたからこそ感じられる喜びです。肉と意識がひとつになって喜びが何倍にも何倍にも倍増していく、この宇宙に喜びのエネルギ−が溢れていく、流れの中に存在している自分というものをはっきりと自覚できる喜びは本当に凄いとしか表現できません。目覚めればひとりひとりが凄い存在ですとだけお伝えしておきます。
 意識の流れは厳然としてあり、それは滞りなく遂行しています。私自身、私の中の宇宙に呼びかけます。ともにともに喜びに目覚めてまいりましょう、それがこれからの250年、300年です。流れの中にひとつに溶け合って私はともに歩んでまいります。宇宙は喜び、私は喜び、そして意識の流れとひとつが私です。


 何にも代えられない時間と空間を自分に用意してきました。

 何にも代えられない時間と空間を自分に用意してきました。今のこの時間と空間、肉を持っている今このとき何にも代えられないという思いです。しかし失いたくないと肉にしがみついているのではなく、ただただ肉を今持っていること、それが嬉しいです。それはアルバ−トと出会えたからです。田池留吉の宇宙を心に感じ広げていくことができるからです。
 肉をくれた母の思いを今度こそ裏切らずにしっかりと心で受け止めていけたこと、肉持つことの素晴らしさと喜び、優しい思いの中に自分を包んでいける温もり、そんなことを思っているとああ私は本当に幸せだとしみじみ感じます。本当の自分自身に待ってもらっていたんだと思え何とも嬉しいです。
 田池留吉の肉は確かにある、そして私の肉も確かにある、しかし私達はそんなものをはるかに超えた喜びと幸せの中にあります。私は実感しています。だからもちろんそのことは肉にも表れるだろうし、また肉を通し表現できるということもまた嬉しいです。最高に幸せです。
 そしてやがて田池留吉の肉が目の前から消える、私はまたそこで学ばせてもらいます。肉と意識の関係がさらにはっきりとしてくるでしょう。田池留吉と語りアルバ−トと語り私は自分の中で対話していきます。その嬉しさというか手ごたえを感じます。私とアルバ−ト、文字通りその中で私は自身の道を歩いていく、そして250年後を待ちます。ただただ喜びで待ち喜びで出会い、だから私達はずっといっしょです。


 田池留吉は確かに真実を伝えてくれました。真実の世界を波動を通し心に伝えてくれました。別々の流れだと思っていたものが、実はひとつであったことを私は心で知りました。

 田池留吉は確かに真実を伝えてくれました。真実の世界を波動を通し心に伝えてくれました。別々の流れだと思っていたものが、実はひとつであったことを私は心で知りました。だから私は本当に嬉しいし、こんな幸せを感じられこんな喜びを感じられることが、もうたまりません。
 そしてアルバ−トの世界は愛の世界、本当の愛の世界です。転生を繰り返し愛を求めてきた、すべてが肉の愛でした。
 今肉持って肉の愛でない愛の世界を心に感じられる、心に響いてくる、肉を持ちながらすべてがひとつであることを感じるということは、これほど幸せで喜びで衝撃的なものはありません。肉の愛は所詮、自分可愛さのエゴと欲と無知でまみれた薄っぺらな薄汚いものでした。どんなに優しい言葉も態度も中身はそれでした。本物を知らないもの同士だから、互いに見つめているのはそれぞれの世界だけでした。決してひとつの世界にひとつになれることはありません。
 アルバ−トの世界を知った、それもさらにより本物の世界を深めていけば、もう肉の愛など求めやしない、アルバ−トとひとつがどんなに幸せで喜びであるか、本当に求めてきたものはこの波動の世界だったと今世確信させてもらったことが、私には喜びです。我が人生、今世にしてようやく合格です。


 誰のための人生、何のための人生、真っ直ぐに声を大にして自分に言ってやれることが本当に嬉しいです。

 好みじゃない、老いぼれ、お前の化けの皮をはがしてやる…、散々言ってきました。今は何とも懐かしい限りです。そうやって学ばせてもらいました。お前を殺してやると叫んでもなかなか目を合わすことができなかった中で、その思いが頂点に達したときお前と一対一の勝負だ、真剣勝負…そんな思いで田池留吉の目を真正面にとらえその目に挑みかかったこともあった、絞め殺したいそんな思いが両の手をその首にかけたこともあった、色々な場面が思い起こされます。そしてどんなに抗い続けても私の心は田池留吉をとらえて離さない不思議さを何度も体験してきました。どんなときも田池留吉から返ってくるものは温もりと優しさ、とろけるほどの温もりと優しさだけでした。ひとつ思いを吐き出せばよかったよかったと心から喜んでくれる母そのものでした。
 父の現象と同時並行的に始まったFさんの反省を初めとするホ−ムペ−ジによって私の成長はありました。もちろんセミナ−会場における時間と空間の中で、意識の世界の不思議と心から噴きあがってくる懺悔を何度も積み重ねることによって自分を真っ直ぐにとらえることができました。肉の時間の流れる中において今世たくさんの気付きと促しがあったことがただただ感謝です。誰のための人生、何のための人生、真っ直ぐに声を大にして自分に言ってやれることが本当に嬉しいです。田池留吉の肉がそこにいてくれたから、素直な私が素直に現れてくれました。本当にありがとう、今はただただありがとうしかありません。待っていてくれて本当にありがとうございます。


 私は心からアルバートを感じアルバートを信じアルバートとともに歩く仲間、田池留吉の宇宙を本当にその心で感じ合える仲間と今世この肉を持っているときに喜びをともにしたい、そして250年後の来世、4次元へとその思いを心で熱く語りたい、今の私の心境です。

 肉を通し私の宇宙が田池留吉に挑みかかっていきました。何度も何度も挑みかかっていきました。誰がお前を認めるか、お前の宇宙など誰が認めるか、私の宇宙の方が素晴らしい、そんな思いが心を貫いてそのエネルギ−が田池留吉に向かっていきました。3億6千年をはるかに凌ぐブラックパワ−が大集合して、今目の前にいる田池留吉を殺せとすさまじいエネルギ−が噴き出していった闇出しの現象でした。
 口は悪態をつき、身体はセミナ−会場を転げまわり、それでも心に沸き起こってくるのは喜び、例えようもない温もりの中を懺悔の思いが吹き上がってくる、声にならない叫び声が涙とともにこの肉から解き放たれる、その爽快感は体験した方でなければ分かりません。
 そんな体験を何度も経て、今私は田池留吉を思うとき私の心の中には喜びが大きく膨らんでいきます。そうです、田池留吉の宇宙は私の宇宙でした。私の宇宙は田池留吉の宇宙でした。ふたつはひとつでした。私は喜び、喜びの宇宙が私でした。そのことが心で感じられる、私の中の宇宙は本当に喜んでいます。
 だから私は心からアルバ−トを感じアルバ−トを信じアルバ−トとともに歩く仲間、田池留吉の宇宙を本当にその心で感じ合える仲間と今世この肉を持っているときに喜びをともにしたい、そして250年後の来世、4次元へとその思いを心で熱く語りたい、今の私の心境です。


 肉でとらえていた田池留吉を私の心はいつしか、その世界その波動としてとらえ、田池留吉の肉は小さく小さくなっていった、そして私の間違いがはっきりと浮かび上がってきました。

 心が苦しかった、何をしても何を得ても私の心は苦しかった、しっくり収まらない私を抱えて私は田池留吉との出会いを持たせてもらいました。私は一回一回のセミナ−で言われることを自分なりに咀嚼し真面目にセミナ−と向かい合ってきました。そしていよいよ時期が熟した、それがほぼ4年前、今はもう私の足取りは確かです。なぜならば私は田池留吉、アルバ−トと出会うために肉を持ってきたことを確信できているからです。私の思い、肉を含めて意識の世界、その心棒は絶対変わることはありません。
 肉でとらえていた田池留吉を私の心はいつしか、その世界その波動としてとらえ、田池留吉の肉は小さく小さくなっていった、そして私の間違いがはっきりと浮かび上がってきました。自分なりに咀嚼していった学びの過程がそれでした。
 田池留吉を肉として見る限りそして私を肉としてとらえる限り、自分の間違いに気付けない、真実は見えてこないことを伝え続けています。どんなに自分流に学んでも、その壁は越えることはできない、すなわち肉の壁が前に立ち塞がっていることに早く気付いてくださいとしか申し上げられません。泣いても笑っても今世の学びはあと僅かです。セミナ−をどのように思われているか各自それぞれですが、少なくとも私にとってこれが最後のチャンスでした。最後のチャンスを自分に与えてきたその思いを今の私ははっきり自覚しています。私はただそれだけです。だからこの道をひたすらに進むだけ、そしてそのことが心で分かる仲間が出てくれば私はただただ嬉しいだけです。


 今世ようやく田池留吉、本当の自分に出会えた私です。私の心の旅は今世ようやく出発です。

 今世ようやく田池留吉、本当の自分に出会えた私です。私の心の旅は今世ようやく出発です。どれだけの喜びか、そして長い長い間、田池留吉を忘れ去ってきたことが深く心より響いてきます。本当に申し訳ありませんでした、私は喜びでした、この思いが沸き起こってきます。波動の世界に存在する私自身、喜びの私自身を実感する今このときです。
 田池留吉に出会えたということを心で感じている、本当の自分と出会えたということをその心で感じている私にははっきりと分かるんです。田池留吉を馬鹿にし、ずっとずっと下に見ているということがどういうことなのか、今世田池留吉と出会いながら田池留吉を裏切ったということはどういうことなのか、ちょっとやそっとの反省では覚束ないということです。事実喜びの波動、アルバ−トを感じたとしてもそれが目覚めに至らない現実をもっと直視してください。目覚めるということはそんなに甘いものではありません。そんなに容易いものではありません。
 己という殻を打ち破り、何もかもかなぐり捨てて素直になる、何も持たない何もない裸になる、委ねる、託するということはそういうことです。田池留吉、アルバ−トを信じるということはそういうことです。そしてそれは絶対肉ではできない、肉は何もできない頭なんて何の役にも立ちません。
 どこまでそびえ立っているのか、波動の世界に存在する私自身を感じそして本物を感じれば感じるほど私はそうお伝えせざるを得ません。どうぞ素直になっていってください。それがあなたの突破口です。


 田池留吉の宇宙を心で感じ真のパワーを感じました。真のパワーは温もり、私はその中に生かされ続けてきた意識、それが私でした。宇宙を支配するのが私ではなく宇宙に生かされているのが私、そしてその宇宙が本当の私でした。

 私の宇宙はブラックでした。暗黒でした。今世ようやくそのことが心で分かりそして心で認められた、宇宙を支配してきたエネルギ−がそのままこの星で転生を繰り返しブラックの上にブラックを重ね塗り固めてきました。暗黒の世界、それが私の宇宙でした。
 もちろん心で分かるまで私は闘い続けました。しかしその闘いは闘いのエネルギ−を増幅するものではありませんでした。今か今かと待ち続けようやくその大きなチャンスが目の前にやって来たことを私の中はいち早く気付いていたからです。 だから闘いそのものが喜びでした。私の宇宙、すべての宇宙が喜んでいる、闘いを挑むほどに喜びのエネルギ−が大きくなっていく、待っていた待っていた、ようやく出会えた、そんな思いが怒涛のように寄せてくるのを何度も何度も感じてきました。肉持てたことが喜びです。今世肉を持たなければ私は私の宇宙は永遠に地獄の底に沈み込んだままであったはずです。肉持てたからこそ気付くことができた、まさにその通りです。お母さんごめんなさい…そして本当にありがとうございます。
 3億6千年を含む私の宇宙が本当に変わっていくときが今世このときでした。私の心はそれをとらえることができた、だから私はただただ嬉しい、ただただ喜びです。
 田池留吉の宇宙を心で感じ真のパワ−を感じました。真のパワ−は温もり、私はその中に生かされ続けてきた意識、それが私でした。宇宙を支配するのが私ではなく宇宙に生かされているのが私、そしてその宇宙が本当の私でした。


 どんなときも自分が自分をじっと見ている、そんな目で自分を見てやれることが優しさだと私は思っています。そんな優しい目で自分を見つめ250年後に淡々と心を繋いでいく、それが私の今世の仕事です。

 誰しも認めてほしい、認められたいという思いはあると思います。特に田池留吉に認められたいという思いはみんな少なからず抱えてきた、抱えていると思います。他の人はおいても田池留吉にだけは認められたいと思ってきた方もあったことでしょう。でもそれも真実その波動の世界を感じてこられたなら自然解消していきます。そう望み通りに私はちゃんと認められていました。田池留吉に認められていました。それは私はひとつの世界を知ったからです。田池留吉は私、私は田池留吉、この真実を心で知ったからです。アルバ−トとひとつ、その世界を知った私は認めてと言わなくても認めてもらっています。
 もうひとつ、自分の評価は自分でつけるべきです。田池留吉を含め人に評価を求めれば方向がずれていきます。
 私は肉を含めた自分というものを客観視することが大切なことだという思いを持っています。すなわち一歩引いて自分を見つめるということ、気も狂わんばかりの嬉しさ喜びの中でも私はそんな自分を静かに見ている自分を感じています。
 どんなときも自分が自分をじっと見ている、そんな目で自分を見てやれることが優しさだと私は思っています。そんな優しい目で自分を見つめ250年後に淡々と心を繋いでいく、それが私の今世の仕事です。自分を自分で認め自分を評価する、着実な一歩を私はこれからも歩み続けます。


 ともに喜び、喜びの中をともに進めることを心の底から喜び合いたい、果てしない過去からやってきて果てしない未来へと続いていくその一点が今、今がすべてであることを心で感じ合いたいです。それが私の仲間、本当の仲間達です。

 私はセミナ−会場に集っている人達がみんなみんな愛しいです。目を閉じて田池留吉を思い心を向けるとき、すべてが私の仲間達、みんなみんなおいで出ておいで、そんな思いがこの心から溢れ出てきます。私達はひとつ、温もりの中にひとつである私達であることを私はずっとお伝えしています。
 誤解されるかもしれません。いい気になるなと反発があるかもしれません。でも私はあえてここで宣言したいです。どうぞ私の方に心を向けていってください。核に心を向けていってください。田池留吉を思いアルバ−トを思うそして核を思う、すべてがひとつの世界にあることが心で感じられると思います。そしてその意識の流れを心で感じてこられると思います。宇宙はひとつ、私達はひとつ、喜びがその心に大きく広がっていくことでしょう。拒否し反発し認めることができない心はその世界が広がっていくだけです。はっきりとそのことが言える、流れは厳然としてあるからです。
 今私のその呼びかけに素直に心を向け呼びかけに応えてくれる仲間達が出てくれたことを私はとても嬉しく思っています。私達は本当の仲間です。本当に手に手を取ってともに喜びの道を突き進みたい、私はそんな思いでいっぱいです。それ以外の思いはありません。だからそれ以外の思いとは合わないんです。ともに喜び、喜びの中をともに進めることを心の底から喜び合いたい、果てしない過去からやってきて果てしない未来へと続いていくその一点が今、今がすべてであることを心で感じ合いたいです。それが私の仲間、本当の仲間達です。


 肉にとらわれていては本当のあなた、すなわちその宇宙が分かりません。そして本当の宇宙が分かってくるほどに、ただただ肉を持たせてもらったことそれだけが嬉しい、喜び、そしてありがとうしかないあなたに蘇っていくことでしょう。

 私は嬉しくて嬉しくてなりません。私達は宇宙からやって来た仲間、そう仲間なんです。みんなみんな私の仲間達です。今というこのときに私達はようやく出会えている、田池留吉の宇宙にようやく出会えていることを私は伝えたいんです。田池留吉の宇宙にようやく出会えた喜びを私は伝えていきたい、その肉に繋がってくる宇宙の仲間達に私は伝えていきたいです。
 ご承知の通りアルバ−ト、田池留吉の宇宙を知らなかった今世以前の私は真っ黒な宇宙を抱えて存在していました。宇宙を我が物にしようとする真っ黒なエネルギ−を垂れ流してきました。しかし私は今世、真実の波動の世界を知り、田池留吉の宇宙を心で感じ核という存在であることを自覚するほどに自分というものを知っていきました。また私がこの肉を表していこうものならたちまちのうちに自分のエネルギ−の中に自滅していくことも知っています。それほどの大きなエネルギ−、だから今に至る手順が必要でした。そして今、かつてはマイナスであったものがプラスへと変わっていく喜びの中に私はあります。
 私はそういう存在です。そしてこれは皆さんもご同様であることを私は伝えたいんです。どうぞ肉から心を離して心を大きく大きく田池留吉の宇宙へと向けていってください。肉にとらわれていては本当のあなた、すなわちその宇宙が分かりません。そして本当の宇宙が分かってくるほどに、ただただ肉を持たせてもらったことそれだけが嬉しい、喜び、そしてありがとうしかないあなたに蘇っていくことでしょう。


 「核の方に心を向けてください」は、私は喜びで語っています。嘘か本当かどうぞ波動を感じていってください。真っ直ぐに伝えたい、そしてその中でともに喜びを感じ合いたい、私はそれだけです。

 私は繰り返し伝えています。私達はみんな間違ってきたんです。誰一人間違っていない人はいない、みんな間違ってきた、みんな地獄の奥底から生まれてきたんだということを伝えています。誰一人例外なく真っ黒だったということ、その中でもチャネラ−と自負している人、自他ともに認める人、そんな人達はそれこそ真っ黒けのけだということです。そんな自分であることに気付くために今世チャネラ−の肉を選んできただけのことです。何のためにチャネリングがあるのか、それは己のすさまじいエネルギ−を知りそして最終的には喜びの自分を知るためです。それなのにそこへ行き着くまでに己を表しさらに闇を大きくしてしまいました。せっかくのチャンスをみんな自ら踏み潰していった、それだけのことです。そのそれだけのことを早く自分の心で認めていってください。
 私は田池留吉、アルバ−トに帰ることができる自分自身であったことを心で証明できました。だから素直になってほしい、素直になって波動を感じていってほしい、本当のチャネリングはこうですよと私はいつでも証明できます。私には導く思いも競う思いもない、真実を知っている、喜びを知っている私自身は幸せだから、本当にアルバ−トを感じアルバ−トを信じて幸せだからです。
 「核の方に心を向けてください」は、私は喜びで語っています。嘘か本当かどうぞ波動を感じていってください。真っ直ぐに伝えたい、そしてその中でともに喜びを感じ合いたい、私はそれだけです。


 自分自身のためにすべてを費やしてまいります。それが私自身に与えてきた優しさだと思っています。肉も意識も幸せ喜び、自分とアルバート、自分と自分の世界を堪能していきます。

 心で感じ心を開き始めた仲間達が増えてきたことを本当に嬉しく思っています。この流れの中そしてこの勢いの中を私達はともに喜びを広げていけることと思います。そして喜び、喜びのうちにセミナ−は幕を閉じていくことでしょう。もちろんその流れに乗れない人達もあります。しかしそれはどうしようもありません。自ら選ぶ道ですから選んだものを自ら受けていくその法の中にあることにまたそれで気付かれたなら、それでいいことだと私は思っています。
 ところで今世このようなセミナ−という場が与えられた私達にとってこれから何が一番大切なことだとあなたは思われますか。私は心を繋いでいくことが最も大切なことだと思っています。セミナ−後そして田池留吉の肉が消えた後、セミナ−を通して心で感じたものを、それからの肉の時間の中で大切に育んでいけるかすなわち心を繋いでいけるか、これがまた分岐点だと私は思っています。
 私はそのことをしっかりと自分の視野に入れてこれからのセミナ−をこなし肉の時間を過ごしていきます。もちろん私の心は意識の世界は文字通り不動です。心を繋いでいくことに0.000…%の狂いもないことははっきりしています。しかし生身の肉を持っているということを踏まえて、肉としてもより着実な一歩、慎重な一歩を歩んでいくことでしょう。私にとって大切な時間と空間です。自分自身のためにすべてを費やしてまいります。それが私自身に与えてきた優しさだと思っています。肉も意識も幸せ喜び、自分とアルバ−ト、自分と自分の世界を堪能していきます。


 自分にありがとうと言える私は本当に幸せ者です。どこまでもどこまでも広がっていく宇宙、喜びの中の私は宇宙そのものでした。私は宇宙、そして田池留吉もアルバートもまた同様でした。

 長かった道のり、3億6千年それ以上の道のりを思うにつけ、ありがとうありがとうすべての私にありがとう、お母さんありがとうございます、その思いが心から溢れてきます。今世肉を持った私を識別するためにひとつの名前を頂きました。しかし私はこの心の中に宇宙を持ちし者、私は宇宙そのものでした。ようやくその私にこうして出会えた今世、どれだけの喜びであるか、私の心からその思いが噴き出てきます。いまだ自分自身を知らないときに、ただひとり 田池留吉だけが私を知っていました。信じて待っていますの言葉、思いを私に真っ直ぐに伝えてくれました。私はあなた、あなたは私、そう私はいつもあなたの中にありました。ひとつだと絶えず伝え続けてくれていた波動、その世界が田池留吉の世界、田池留吉の宇宙でした。セミナ−という肉の時間と空間の中で意識の流れの中に存在する自分を知っていくほどに喜びは大きく深く不動のものになりました。自ら設定してきたこととはいえ私は自分自身に本当にありがとうございましたしかありません。待ち望んできた意識達、そのエネルギ−が今世こういう形で自らを誘っていきました。宇宙が喜んでいる、ありがとう、ありがとうを伝えてくれています。自分にありがとうと言える私は本当に幸せ者です。
 今その宇宙を心に感じます。どこまでもどこまでも広がっていく宇宙、喜びの中の私は宇宙そのものでした。肉を識別するための名前、しかし私には名前などない、私は宇宙、そして田池留吉もアルバ−トもまた同様でした。


 宇宙を変えていくパワー、それが私達の本当の姿です。そのことに目覚めるために私達は今世このようなチャンスを作ってきました。私達はブラックではなく、真のパワーの持ち主であることを自らその心で証明するために肉を持ってきたということです。

 一堂に会し今世このようにともに学ばせて頂いている私達は本当に幸せです。真っ暗闇の中を生き続けてきた私達にとってこんな幸せなときを自分自身に用意してきた、もうそれを思うだけで私は本当に幸せで、何もいらない、何も言葉はありません。
 私が心で知った田池留吉の世界はほんの少しです。しかしそのほんの少しがこれほどの喜びであるのかと思うほどのものです。そしてその喜びを心で感じられる仲間達が増えていけばまたセミナ−が進化していきます。私はそれがたまらなく嬉しいです。なぜならば私達はまた一歩前進できるからです。今世ともに学ばせてもらえるその中で、さらに喜びが喜びを促しもっともっと大きく田池留吉の世界を心でとらえることができる私達だろうと私は思っています。
 宇宙を変えていくパワ−、それが私達の本当の姿です。そのことに目覚めるために私達は今世このようなチャンスを作ってきました。私達はブラックではなく、真のパワ−の持ち主であることを自らその心で証明するために肉を持ってきたということです。どうぞ正しくご自分を認識なさってください。
 250年後の本番が待っています。今か今かと待っています。どうぞどの方もどの方もその準備に邁進していってください。喜びの宇宙が待ち続けていることをあなたの心で感じていってください。私は喜びです。宇宙は喜びです。喜びのエネルギ−が宇宙に広がっていく、私は喜びでその様を感じてまいります。


 一回一回のセミナーを大切にしてください、心からそうお伝えします。こうして肉持って出会えたことを本当に喜びとしていきましょう。私には出会いがすべてでした。

 一回一回のセミナ−を大切にしてください、心からそうお伝えします。こうして肉持って出会えたことを本当に喜びとしていきましょう。私には出会いがすべてでした。
 今というときがどんなときなのか、悠久のかなた、はるか遠い私にたどり着いた私は、そのことが痛いほど心に響いてきます。だから今セミナ−に集わせてもらっていることがどんなに凄いことなのか、どれほどの喜びであるのか、私の心は如実にとらえることができます。
 肉は平凡です。しかし私の思い、意識の私、その存在、そのエネルギ−は凄いです。悠久のかなたから次元を超えてやって来た私、その私に今世ようやく巡り合えた、心の記憶を呼び覚ますことができました。母との約束です。それを果たさんがための今世、今というこのときだと自分にはっきりと伝えてきます。すべてを捨てて今世に賭けてきた私自身の思いがそこにありました。それはそれは深くて強い思いです。その思いが今世の肉の形を選び環境を選んできた、みんなみんな私の思いが現象化していきました。その深くて強い思いを心に感じている私は肉の世界のことなど本当に取るに足らないものだということを、波動を通して伝えてきました。
 その私の思いというか私の世界を心で感じて分かってくれる本当の仲間に出会えたことがまた嬉しいです。ストレ−トに響き合う心と心、ともに喜びを分かち合える仲間達、今世の学びの締めくくりに向けてただひたすら真っ直ぐに進んでまいりましょう。


 喜びのエネルギーが宇宙へ流れ出す喜びを心に感じさらに喜びのエネルギーが溢れ出す、まさに喜びの循環の中に存在していることを感じます。

 喜びが弾けるように私の心から出てきます。喜びが宇宙に弾けるように広がっていく、私の中の宇宙がまた広がっていくときです。足を踏み入れたことのない世界、それはいつも新鮮な驚きをこの心に広げてくれます。驚き、驚きの連続、新しい宇宙との出会い、それは喜びです。喜びが本当に弾けるようにこの心からどんどんどんどん出ていくようなそんな気がします。
 心を田池留吉、アルバ−ト、本当の自分に向ければ向けていくほどに自分の中の宇宙がまた広がっていく、そしてそれは喜び以外のなにものでもない、喜びのエネルギ−が宇宙へ流れ出す喜びを心に感じさらに喜びのエネルギ−が溢れ出す、まさに喜びの循環の中に存在していることを感じます。
 これからの250年、300年この循環の中に自ら誘う計画が私達にはあります。だから宇宙規模的天変地異が起こってきます。喜びのエネルギ−が喜びを誘う天変地異です。私は嬉しくてたまりません。
 私の中の宇宙は残らずみんな諸手を挙げて喜ぶ250年後の来世です。250年後の来世、私はこの宇宙達とともにアルバ−トのもとに集います。宇宙が私の中から一瞬のうちに飛び出してくる、その喜び、喜びの体験を私はまた再現することができる、今よりもっと大きくもっと熱く…、本当に待ち遠しい限りです。だからその喜びを今感じ合いたい、どうぞ私の思いを心で分かっていってください。


 真っ直ぐに言えます。本当の自分に出会わない限り、心の中に作ってきた他力の神々の呪縛から自分を解き放つことはできません。

 私は自分というものを心で感じています。本当の私というものを心でとらえることができた今世でした。だから真っ直ぐに言えます。本当の自分に出会わない限り、心の中に作ってきた他力の神々の呪縛から自分を解き放つことはできません。本当のあなたに出会えなければ、あなたの中のアマテラスその他他力の神々は永遠に救われません。あなたはアマテラスその他諸々の神々を大きくとらえているだけ、それはあなたがあなたを知らないからです。自分を知らなければ自己供養などできません、他力の渦の中に飲み込まれてしまう、それが意識の世界の現実です。そして黒は黒、白は白の結果がすでに出始めていますが、そこからがまた出発です。黒はいつまでも黒でなく、気付いた瞬間から白へと変わっていける自分であることに気付き、ただただ喜んでいけばいいだけです。
 宇宙、私は宇宙、そのことを心で感じている私は教祖だとかチャネラ−だとかそんな類のものではありません。全く異質なもの、私はそんなちっぽけな存在ではないし、そんな欲の渦巻いたエネルギ−の中では、きちんと正しく私を分かるはずもありません。田池留吉もアルバ−トも核もみんなそうです。波動だから、波動を感じられなければ正しく理解することは不可能だということを何度も伝えてきたつもりです。
 心と心が通じ合い、ともによかった、よかった、嬉しい、嬉しいと、心から心の底から真っ直ぐに語り合える、肉を持ちながら肉でないそのような絆を深めていきたい、私はそう思っています。


 今世、心を繋いでいくことがどれだけ大切なことであるか、あなたがあなたの宇宙をその心で感じ始めたとき初めて分かってきます。まさにセミナーは宇宙に向けて発信されていることがその心で感じられたなら、自分というものがどういう存在であるのか、今世肉持って出会えた私達はどれほど喜びであるのかも、全部全部その心で分かってきます。

 私の素晴らしき仲間達、どうぞ私が辿った道を一歩一歩歩んでいってください。己偉い心を抱えてきた私達です、どうぞその心を見つめながら慎重にその一歩を今世歩まれることを私は切に願っています。
 私はこの心の中にすべての意識達を抱きかかえることができる喜びの中にあります。ああ宇宙に君臨してきた私、その私自身を今思うとき本当にありがとう、ありがとう、田池留吉の宇宙よ、ありがとう、その思いがこの心からほとばしるように出てきます。よかったね、よかったね、本当によかったね、私達は出会えたよ、本当に出会えたよ、そんな嬉しい喜びの思いが溢れ出てきます。
 そうです、私達は必ず帰ることを約束してきました。その母との約束をこれからたくさんの仲間達がその心で思い起こしていくことでしょう。それは地球上だけの私達でなかった遠い遠い思いでした。宇宙が待っている、私達の宇宙が待っている、それがこれからの300年という時間の中ではっきりとその形を現してきます。
 今世、心を繋いでいくことがどれだけ大切なことであるか、あなたがあなたの宇宙をその心で感じ始めたとき初めて分かってきます。まさにセミナ−は宇宙に向けて発信されていることがその心で感じられたなら、自分というものがどういう存在であるのか、今世肉持って出会えた私達はどれほど喜びであるのかも、全部全部その心で分かってきます。私はこれからもそのことだけを伝え続けます。宇宙へそう次元を超えてともに帰ってまいりましょう。


 今世私達に残されたセミナーの時間と空間を本当に大切にしていこうと私はさらに喜びの中、あなた方の意識に呼びかけます。こうして肉を持って出会わせていただいたこと、私は最高に幸せです。

 私には次は誰が真実に目覚めるのか、そんな思いは全くありません。極端に言えば誰でもいい、誰でも素直に田池留吉、アルバ−トそして核に心を向けて素直にその心を開いてくださればきっとその心に真実が伝わっていくことを私は確信しているからです。
 今私はホ−ムペ−ジを開くたびに嬉しいです。確実に私達の思いに応えてくれる仲間達の喜びが伝わってくるからです。私達はともに歩むもの、ともに未来へと進んでいくものです。そのことをどうぞどうぞ一人でも多くの方がその心で感じられるようになってください。
 誰がではありません。私の中にはそんな思いは一切ありません。私はだめだと自分自身を落ち込ませ切り捨てていくのはあなた自身です。みんなみんな同じ、私はただそのことを伝えたい、また伝えるためにこうして今世肉をもらい皆さんと出会わせていただきました。ただただ嬉しいです。本当にありがとうございます、ありがとう、ありがとうだけです。
 今世私達に残されたセミナ−の時間と空間を本当に大切にしていこうと私はさらに喜びの中、あなた方の意識に呼びかけます。こうして肉を持って出会わせていただいたこと、私は最高に幸せです。


 田池留吉、アルバートの世界を核は証明してきました。そしてその核をまた正しく把握できる方が増えてきてくれて私は本当に嬉しいです。

 田池留吉、アルバ−トの世界を核は証明してきました。そしてその核をまた正しく把握できる方が増えてきてくれて私は本当に嬉しいです。意識の流れに逆らうことなどできないことを愚かな肉はもう気付かなければなりません。肉の壁を取っ払うことでいくらでもご自身の心の世界が開けてくることを私達の仲間が証明してくれています。そうです、その通りです。何も難しいことはないけれどまた一番難しいことである所以がそこにあります。
 250年後私は再び肉を持ちますが、今世以上に素晴らしいアルバートとの出会いと目覚めが私のシナリオになっています。そんな来世の私がもうすでにここにいることを私は感じています。ものすごく嬉しいです。私が今感じている世界は、私にとっては現実の世界です。
 「私はあなた、あなたは私、意識はひとつ」それが来世のアルバ−トと私の世界です。私はそんな世界を感じている、そして信じている。そして私とアルバートの目と目が出会った瞬間凄い喜びのエネルギーが世界を宇宙を駆け巡るという喜びを今実感しています。私はもう本当に幸せで喜びです。私はこのことをまた250年後必ず証明してまいります。また常にみなさんとともにある来世を感じ信じている私は最高に幸せです。


 アルバートを感じる、凄い衝撃が身体を突き抜けていく、この体験こそ私自身に目覚めた瞬間だったと4年前を振り返り私はそのように思っています。

 アルバ−トを感じる、凄い衝撃が身体を突き抜けていく、この体験こそ私自身に目覚めた瞬間だったと4年前を振り返り私はそのように思っています。一気に私の中に噴きあがってきたアルバ−トへの思い、あのとき私はそんな自分自身をはっきりと認識でき、ああ私はアルバ−トを本当に求めてきたんだということを肉でも確認しました。衝撃とともに心に広がった喜びはとても貴重な体験でした。信じる信じないの範疇をはるかに超えアルバ−トが突き抜けていく思いを意識達はそれこそ誠実に受けていました。肉の私などどこにもなかった、それほどの衝撃でした。それからは肉の思いを感じてもともにアルバ−トがあった、だから喜びでした。目の前の田池留吉の肉も何もかもすべてがアルバ−トでした。250年後の来世が今だということがはっきりと感じられ、私はもうそれが嬉しくて嬉しくて、不思議なくらいに喜びが噴き出てきていました。私の中の宇宙がみんなみんな喜んでいるということが、それから何度となくその喜びを体験する中で心で分かってきたことでした。田池留吉の肉眼の中にアルバ−トの目を見た、私自身の肉眼を通しアルバ−トの目と出会った私の思いは、揺らぐこともなければ変わることもない、それほどの確信を自分の中で温めてきた時間と空間、今、よりいっそう磐石の思いを心に伝えてくれます。
 アルバ−トを心の底から信じる人とこれからも肉の時間を過ごしていきたいと心より思っています。その信を喜び合うことが私の喜びです。私にはアルバ−トがすべて、私がアルバ−トを思う思い、肉は恐いくらい一途です。


 アルバートを感じアルバートを信じていくのはあくまでもあなた自身の問題です。素直に心を開いていくのはあなたです。

 ともに歩もう、喜び幸せの中をともに歩いていこう、私は確かにそう呼びかけています。そして私達はともに喜びを広げゆく仲間であることも伝えています。ただこの呼びかけ、本当に伝えたい思いが、他力の方々己偉しの方々には真っ直ぐに届かないことが私には残念でなりません。心が大きく広がりアルバ−トを田池留吉の宇宙を実感している私は本当に喜んでいます。上から言っているのでもなければ、私の方に心を向けよと教祖の思いで言っているのでもないことをもっと素直になって感じてくださればと思います。
 そして嬉しい、喜びの波動を感じていけばいくほど私の呼びかけは厳しいことも分かってくると思います。私の思いの中には妥協はありません。馴れ合いなどありません。肩を抱き合って励まし合ってともに歩いていこうという優しさや甘ったるいものはありません。だから欲で向かってこられても私はそれに応えることはできません。意識の私はもちろんのこと肉でもそんな嘘っぽいことはできません。その場しのぎのいい加減な言葉も出ない、ましてや慰めや励ましの言葉も出ません。波動の世界を感じてくればくるほど肉もそのようになってくる、と私は思っています。
 アルバ−トを感じアルバ−トを信じていくのはあくまでもあなた自身の問題です。素直に心を開いていくのはあなたです。それが自分の心で分かるまでそして素直なあなたが顔を出すまで、あなたの苦しみは確実に続いていくことでしょうということだけを私はお伝えします。そして素直なあなたがずっとずっとあなたを待っていることもお伝えします。


 メッセージから感じた核の世界、真実の世界


 今日の核からのメッセージを深い思いで読ませていただきました。私は自分の心から吹きあがる喜びが自分なんだとはっきりと心で知った時から、この心が大きく飛躍したのを感じています。そしてその思いが今日のメッセージで核心に触れられたように思いました。肉の私と意識の私の歴然とした差、もう肉はどんなに頑張ってもこの意識の私にはかなわない、もうこの流れに肉を任せよう、そう決心しました。今世の私に与えられた名前は本当にただ単に私を識別するだけの名前でした。自分の本当の姿を知り始めた私にはもう肉にまつわるものは小さくなってきます。肉の田池留吉を肉ではなく宇宙と感じる時、私も肉ではなく宇宙でした。今この心に写る田池留吉の肉の姿はもう宇宙そのものに感じられます。そしてその思いはやはり香世さんにも同じ様に感じるのです。私たちは田池留吉の宇宙とともにあり、アルバートとともに生きる意識、そしてその思いは「私はあなた、あなたは私」に集約されていきます。私は宇宙…その言葉の重みが心に染み入ってきます。もっともっと肉の思いが消えて行った時、真実私は田池留吉の宇宙にアルバートに溶けこんでいくのだということを確信しています。そこには肉的な名前や識別番号もなにもなく、ただただ喜びと安らぎに満ちた宇宙があるだけだということも感じられます。そしてすべての意識がひとつになっていくのだということを感じています。
 肉の段階からひとつひとつ歩んできました。そんな過程を肉持った田池留吉は私達と歩みを同じくしてくれたのでした。肉持たねば到底分からなかった世界、田池留吉の宇宙を感じられるまで成長させていただいたこと、もう何と言って感謝したらいいか分かりません。そしてお母さんにただただありがとうしかない私です。


 私は宇宙を暗黒にしました、すさまじいエネルギーで充満した宇宙でした。でも今この宇宙を喜びに変えることができる、そう思うだけでもう嬉しくて嬉しくてたまりません。私はブラックじゃなかった、私の心は本当のパワーに満ちています、枯れることのない泉のごとく、溢れるほど湧きいずる喜びの泉でした。自分で真っ黒にしたのです、その宇宙を自分で元に戻せる、こんな嬉しいことがあるでしょうか。これが愛、これが法、これが道、そしてこれが私でした。ああ、どんなに信じて待ち続けてくれたか、そう思うだけでもう心は田池留吉の下に飛んでいきます。今世がどれほど大きな意味を持っているか、意識の流れを垣間見れば一目瞭然です。真っ黒な自分を知れば知るほど田池留吉の宇宙をアルバートを感じる、そして必ずアルバートに帰る私達でしたと叫ぶ自分自身を知りました。私は宇宙に散らばった仲間に呼びかけます、一緒に帰ろう、ふるさとに帰ろう、アルバートが待っている…この心に一筋のまっすぐな道ができました、四次元に向けて、アルバートに向けてまっすぐに伸びる道です。悠久の時空を辿り250年後が総仕上げの時です。肉持っての最後の時間と空間です。私は今この心に芽生え始めた喜びを必ず来世に繋げ、そしてともに四次元への移行を果たします。それが私の心のシナリオ、それに必要な肉をただただいただけることを喜ぶだけです。私の心には果てしなく広がる宇宙があります、何もない、ないけれど暖かく柔らかく、何もかもがその中でひとつに溶け合う世界、そしてその宇宙がますます広がって行くのを感じています。その宇宙がこれから私が辿る世界なのだと感じています。ああ、もうわくわくです、これからが本当にわくわくです。


 今まで学んできたことが一挙に花開く感じです。山あり谷ありの20年と言う時間と空間が愛しくてたまりません。私達の学びは核を抜いては決して進めない、一人の目覚めがみんなの目覚め、宇宙の目覚めです。そしてこれは来世も同じです。これほど己一番でそびえ立っていた私が、香世さんにはまったく羨ましい思いやら負けたくない思いは持ちませんでした。不思議でした。でもそれは不思議でも何でもない、意識の流れそのものを感じていたからです。核からのメッセージは私の心の指針、そしてバロメーターでした。いつも真実を喜びを流し続けてくれる発信基地でした。田池留吉、アルバートと核がひとつになって伝えてくれる波動、それに触れる喜びを私はこの心で育んできました、そしてそれがたとえようもなく嬉しかったです。今はまだ分からない、でもきっと分かる時がくる、そうこの心が求めてきました。打てば響く、こんな心の繋がりがある、「ねえ、アルバートって素晴らしいね、分かるでしょう」そう語ってくれるともう私の心は核の見ている世界、感じている宇宙を見ます、そして「ありがとう、ありがとう、本当に素晴らしいね」と応えることができる…ああ、ほんとうにありがとうしかありません。肉の繋がりはなにもありません、ただともにセミナーに集う仲間です。でも心の繋がりは深い、ほんとうに深いです。心と心が反応し合う喜び、喜びが倍増します。これが私たちのほんとうの姿だと思うのです。核がどれほど田池留吉を愛しアルバートを愛しているか、その思いを感じさせていただいて私の心にも同じようにアルバートを心底求め愛しているという思いがあることを知りました。強い強い思い、心から吹き上げる喜び、愛して愛してやまない思い、その思いはまた私に新たなる前進を促してくれます。ありがとう、そしてこれからもよろしく、ともに歩いていきます、ともに心を分かち合っていきます、ありがとう…そんな思いが湧き上がってきます。


 私たちはすごい勉強をしているのです。ほんとうにすごい学びです。私たちが感じている世界は真実の世界、これが私たちが生かされているほんとうの世界です。私はそのことを感じるたびにまた自分という存在がすごいということをこの心で知ってきました。いわゆる宗教の神、教祖、チャネラーとはまったく次元の違う世界です。そんな小さな世界ではありません。これが真実の世界なんです。肉で分かり、肉で競い、肉で現せる世界ではありません。核からのメッセージで何度も何度も伝えてもらった通り、ほんとうの自分に出会わない限り決して他力の世界から自分を救い出すことは出来ない、それが私たちを生かす世界の法であり愛です。確かにアマテラスやルシフォーやもっと大きな闇の巣窟の私でした。でもそれはすべて田池留吉の宇宙、アルバートに包まれて喜びに変わる意識でした。小さな小さな世界を大きな世界だと感じてきた私だったと知った時、私の世界は変わりました。セミナーも後11回を残すまでとなった今、真剣勝負という表現は適切ではないかもしれませんが、私はそんな気迫でこれからの時間と空間を喜んでいきます。
 もう嬉しいと言う言葉しかないのです、だから何度でも言います、嬉しいです、毎日が感動、毎日が新鮮、毎日が喜びです。求めても求めても心に届かなかった世界が今私の心に広がっている、この現実にもう感動しかありません。真実の道を歩き、真実の世界を感じ、真実の自分を信じる…心にしっかりと感じているのだからすごい実感です。もう目を丸くして新たな自分と出会える喜びに心が沸き立つ思いです。許された時間をしっかりと学んでいこう、自分自身と向き合える喜びが私を包んでいきます。


 この心が超スピードで変わっていくのを自分自身が一番驚いています。心を素直に田池留吉にアルバートに向けるだけで私の前にどんどん広がる世界があります。まるで自動ドアの前に立っているような感じです。肉でいくら開けようとしても決して開けられなかった世界がもう勝手に開いていくようです。肉の思いがどんどん薄れそれに比例して心が広がっていきます。肉の私はもうただそんな変化を喜ぶだけです。すべてはこの心にありました、探さなくてもこの心が覚えていました。今改めて核からのメッセージがいかに心の糧になり支えになっていたか、私の心がそれをひとつひとつしっかりと確認していたことを感じています。核の足跡を辿り、私は懸命に歩いてきました。ありがとうの思いで後を歩いてきました。でも今この心を見ると、肉の形は後先があるけれど心はひとつ、核が伝える世界が私たちの宇宙なんだ、そこに帰る私たちですという思いが膨らみます。これが意識の世界、これが真実の世界です。核からのメッセージを読むたびに、何でこれほども信が強いのか、学ぶ姿勢が私とは違う、私は及び腰でこわごわ歩いている、そう感じてきましたが、今自分の心から自分でも信じられないくらい強い自信が湧き上がってくるのが嬉しくてたまりません。もう誰が何と言っても私はこの心がつかんだ世界を捨てることはありません。田池留吉にアルバートに向ける思いにまったく欲はありません。田池留吉の宇宙を思いアルバートを思うだけで私は幸せです。田池留吉の宇宙、アルバート、核、そして私がひとつになって行く様をなんと表現したらいいかわかりません。そこには肉の私はなく、ただただ次元を超えて存在して来た私の喜びだけがあります。私は自分の宇宙に帰ります、この心に造ったすべての宇宙とともに、心を分かち合える喜びを伝え合いながら帰ります。すべてが喜びでしたと母に伝えられる自信ができました。


 田池留吉が私に誠実を示してくれたように、私は自分自身に誠実に接してきただろうか…そう思うともうたまらない懺悔が吹きあがります。ああ、ほんとうに冷たい私でした。「苦しい自分なんか見たくもない、出てくるな、消え失せろ」そう言って私はどれほど自分を殺し続けてきたか、もうただただ「ごめんなさい、ごめんなさい」しかありません。優しさも暖かさもこの心から流れたことはただの一度もなかった、己偉い自分さえよかったら良い、肉を守ることが一番大事、そんな愚かな私でした。己を肉と信じ生きて来た3億6千年は今もこの心に存在しています。田池留吉の宇宙、アルバートを感じさせていただいて、ようやく今世自己供養が始まりました。ほんとうに今世がスタートです。この冷たかった心にこんなに優しい自分が生き続けていた、それはもう驚愕に等しい喜びでした。すごい剣幕で「お前など出てくるな、素晴らしい私の沽券にかかわる」と、この心から闇を締め出し閉じ込めました。そんな私が自分をしっかりと抱しめる喜びを感じられるようになったのです。「ごめんなさい、出てきてもいいんだよ、隠れていなくていいんだよ、ごめんね」恐る恐る出てくる闇が愛しくて愛しくて、もうこれ以上抱しめられないくらい強く抱しめています。肉を頂いた喜びを私は思いっきり自分に伝えます。地獄の底にうずくまり動けなかった私がいます、息をするのも絶え絶えで声を出すことすら出来ない私がいます、ああ、もうそんな苦しい自分がすべて愛しいです。田池留吉の宇宙にアルバートに心を向けるとほんとうに幸せでどこまでも広がる世界を感じます。でも私の心にはまだまだ心を向けてもらえなかった私が無数に存在しているのも真実です。私はこの自分とともに帰ります、肉持ってこの自分の思いを感じ取りそして包み込む作業を喜んで続けます。その時私はまた大きく田池留吉の思いを知り、そしてアルバートとともにあることをしっかりと分かると思います。自己供養、それは自分が自分にできる最大で最上のプレゼント、このために今がある、嬉しいです、自分の存在が嬉しいです。


 肉の私はほんとうに愚かです。この心で起こっている大きな変化に喘ぎ喘ぎ付いて行くだけ、そして肉の思いを出してはまた心を戻すことに必死です。薄らぼんやりは肉だけでした、私の心に存在するすべての意識は諸手を挙げて歓喜の声をあげていました。私が肉の思いにとらわれると間髪を挟まず叱咤激励の声が聞こえてきます。肉がうろうろすると「しっかり心を田池留吉に向けろ、アルバートを思え」と応援が入ります。私は自分一人ではない、もうすべての私とともに学んでいる…そう何度も感じてきましたが、今はこの心に伝えてくる思いが嬉しくてたまりません。意識は素直そのものです、肉が強情をはり逆らっているだけで、ほんとうに無駄な抵抗にすぎません。無駄だけではなく自分自身のほんとうの願いを阻止しているのですから、まさに愚かです。田池留吉の宇宙もアルバートの世界も、もうすでに私たちの前にはっきりとその姿を示してくれている。そのことを核は証明してくれました。後は私たちがほんとうに素直になってその前に立つだけ、それだけで心は開いていく、こんなに恵まれた場所に今間違いなく私たちはいるのです。セミナーとはそんな場所です。
 去年の暮れの下呂セミナーの最後、田池留吉から「ありがとう」と何度か言葉が流れました。その時の私の衝撃は凄まじかったです。「ありがとう」の中身、それは田池留吉の真実の姿を証明してくれたことに対しての言葉だとはっきり感じました。そして田池留吉から「ありがとう」と言ってもらえるのは本当はセミナーに集った皆であるはずなのに今は核一人なんだとそう感じ、もうたまりませんでした。自分の真実の姿も垣間見ました、見たから余計たまりませんでした。申しわけありません、申しわけありません、そしてただただ喜びも吹き上がりました。田池留吉とともに歩むとはこういうことだと私は心にしっかりと刻みました。私たちも一人一人田池留吉をアルバートを証明する道を歩いている、今声を大にしてそう叫びたい。私はこの心でしっかりと核の伝えてくれたことを証明していきます。それが私の喜びです。


 波動を誤魔化すことはできません、心にアルバートを持っているかいないか、いくら肉が取り繕っても流れる波動が正直にすべてを告げています。意識の世界の正確さは一分の誤差もないのです。それは自分の心を見ればすべてが明らかです。自分に素直に正直に向き合えばはっきりと分かるはずです。核からのメッセージはすべて実現して行く、白は白黒は黒、これからもっとはっきりとその姿を現してくる、喜びが大きくなればなるほどもっと鮮明に見えてくる、それが意識の世界だと感じています。あやふやな世界ではありません、だから厳しいのです、そしてそれが愛です。アルバートを心に持った肉はただの肉ではありません。自分というものを知り、アルバートの道をしっかりと歩む喜びに包まれた肉です。そしてその思いを波動で流しながら自分とアルバートの世界を確立して行くのです。そんな世界に肉の甘い付き合いは必要でしょうか、妥協は許されるでしょうか。私たちに開かれた真実の世界への誘いを自ら拒否し、己偉し他力の思いにどっぷりた浸かったままで、私もともに歩きますといくら言っても、ほんとうに一人よがりの愚かにすぎません。確かに肉的にみると冷たいように見えるかもしれません、でもそれは冷たいのではなくこれが本当に優しいと言うことなんだと自分の心で感じられなければ、もう前途は厳しいと言うことだと思います。HPの流れは急速に速まり、喜び喜びのメッセージを読むたびに何と素晴らしい学びだろうと感嘆しています。しかしその喜びの流れに乗るも乗らないのもすべて自分が決めることです。いくら知識で分かっても、いくら心で感じても、素直な心でお母さんを呼べなかったら結局は何も心では分からないと言うことではないでしょうか。核は田池留吉、アルバートとまったくひとつです、そして益々その世界を大きく広げて行く様を私はもう驚嘆と喜びで見ています。他力を向けて教祖扱いするなど私には考えられません。そんな次元の低い学びではない、私たちは宇宙へ広がる真実の道を学んでいるのです。肉からでも自覚をしていきましょう、核を低く見ることはご自分を侮りまったく違う世界を見ているということなんです。もったいない、ほんとうにもったいないです。後11回しかないセミナー、もうすべてを投げ捨てて学びましょう。


 ほんとうの自分に目覚め行く喜びが心の奥深くから広がっていく。私はアルバートとともにあるものです、その思いが心の隅々にまで広がっていく。純粋で無垢な私があります。ただただアルバートを心から愛し求め、心を委ねる安らかさを感じています。何度も何度も心に伝えてくる喜びにもう何も言えません。
 今世ようやくスタートが切れました。私の本当の人生はこれからです。ありがとう、田池留吉、そしてお母さん、今私ははっきりと心で確認できる確かな自分に出会いました、その自分は田池留吉、アルバートとともにある自分でした。肉のあり方、肉の使い方、そしてこの心から吹き上がる喜び、もうすべてが嬉しいです。自分の肉も意識もすっかり生まれ変わった感じです。これからの私が歩む道をしっかりと心で分かる、意識の流れに沿って肉も意識も生きていく、その喜びがもうこの心一杯に広がっていきます。ああ嬉しい、嬉しいです。何とも言えないくらい嬉しいです。田池留吉の宇宙、アルバートの胸に抱かれて私はこの心を大きく広げてまいります。私が生かされる世界にすべてを委ねてまいります。
 今世のスタートは四次元へのスタート…肉の田池留吉に肉のアルバートを見る時、私は確実に未来に生きている、そしてともに四次元への道を歩んでいるとそう感じるのです。今私が感じている思いを到底言葉で現せません、もう深い深い思いです。緩やかな波動の中で抱かれてまどろむ赤子のごとく、私の心は幸せです。



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