UTA会セミナーに参加しよう


 UTA会セミナーにはどなたでも参加できます。ただし、家族の方に参加することを反対されている方はご遠慮ください。また、借金までして参加することは止めてください。

 ☆ 初めてセミナーに参加される方は「意識の流れ」を必ず読み込んで置いてください。



セミナーの中心課題

 意識の転回 「私達人間は、肉ではなく、意識であり、永遠に存在するものである。」

 意識は心、思い、波動、エネルギーである。 意識は現象化する。
 意識は一つ、私はあなたあなたは私である。


実践項目

 1 自分の心を見る。

 2 お母さんの温もりを知る。

 3 自己供養をする。

 4 アルバートを感じ、信じる。

   日々反省と瞑想を重ねる。


点検項目

 1 他力の神々の実像、教祖・宗教的指導者等の実態

 2 人間の本質、自分の実像

 3 人生の目的、生まれてきた意義

 4 死後の世界、転生の実態

 5 アルバートの波動、田池留吉の宇宙

 6 250年後の感動的なアルバートとの出会い

 7 意識の流れ、UTAの世界

 8 四次元への移行


メッセージを読む


メッセージを聞く


 素直で優しく真面目でアルバートへの信を培う道をひたすらに進む友だちになってください。待っています。

 意識の流れを感じ、田池留吉、アルバートと共に歩いていく真実の道しかありません。決意し、勇気を出してこの道をただただ真っ直ぐに歩いていってください。私は一人でも多くの友との大いなる出会いを待ち望んでいます。

 自分は肉だと思い、肉が基準の人生を送る人々、未だに己一番、頑固の一生を通す方々は、無知とエゴと欲の濁流に流され、浮き沈み、ついには淵に沈んでいくことになるでしょう。地獄から出てきて地獄に戻っていく転生を繰り返すことになるのです。

 これからは本物と偽物がはっきりとしてくるでしょう。本当にアルバートを信じているものとそうでないものがはっきりとしてきます。本当の喜び幸せかそうでない喜び幸せか明らかになってきます。

 いよいよセミナーも終わりに近づいてきました。心をしっかり見ていってください。
  「私こそ神だ。私は選ばれしものだ。私は使命あるもの、特別な存在である。」などと思っている人々。他力の神々をしっかりといまだに持っている人々。私は間違っていない、私は正しい、私は素晴らしいとそびえ立っている人々。‥‥無知とエゴと欲そのままの人々。もうそろそろ間違ってきました、喜びですとなってください。待っていますよ。


 あなたは今、意識の流れを感じていますか。すべての意識はその流れの中にあります。あなたは意識の流れを知らないまま死んでしまってもいいのでしようか。私はあなたが真実の世界を知って本当の自分に出会い本当の人生を生きていっていただきたいと願っています。

 あなたにとって一番大切なものは何ですか。あなたは今何を一番大切にしていますか。生命ですか、財産ですか、家族ですか、仕事ですか、それとも国家ですか、地球人類ですか。あなたにとって大切なものは一つしかありません。それはアルバートです。あなたがアルバートとともにあることがすべてです。




核からのメッセージを開きましょう、読みましょう。
核からのメッセージは学びの指針となるでしょう。



核からのメッセージ


 どんな形でこの肉を置いていくか私には定かではありませんが、そのときには肉を持たせてもらって本当にありがとうございましたと心の底から自分自身に言えると私は思っています。それが私には本当に嬉しいです。

 どんなに肉で幸せで喜びでも、そこから心を離せなければそれはみんな苦しみだということであり、喜びと苦しみが裏表でした。本当の喜び、幸せは裏も表もみんな喜びであり幸せでした。そして当然本当の喜びを知れば、肉の喜びも幸せも本当に喜びであり幸せであるということを心は感じています。それは私にはアルバ−トが現実、肉のアルバ−トも意識のアルバ−トも、私には今現実だからそういうことが心で分かるのだと思います。だから私は何も要りません。何も望みません。アルバ−トを思うことが最高の喜びであり幸せです。それ以外のことを心はつかまない、前を流れていくだけです。
 ともにあることが喜びです、幸せです。心からふつふつと沸き起こってくるこの思いは間違いなく私自身の思いです。自分に書いてきたシナリオとはいえ肉を持たせてもらってこのような展開を迎えられることにただただありがとうございますという思いしかありません。生かし許し待ってくれていた私にありがとうしかありません。
 どんな形でこの肉を置いていくか私には定かではありませんが、そのときには肉を持たせてもらって本当にありがとうございましたと心の底から自分自身に言えると私は思っています。それが私には本当に嬉しいです。肉を慈しみ肉を今世のような優しい優しい思いで思える私があったことがたまらなく嬉しいです。言葉では表現できないほどの苦しみの中から生まれてきた私が、言葉では表現できないほどの喜びの私自身と出会えています。私は幸せです。


 己偉しでは到底アルバートは分からないということです。核からのメッセージもまたそうです。自分の基準で文字を追っているだけでは絶対にあなたの心に響いてきません。

 もうお気付きかと思いますが、己偉しでは到底アルバ−トは分からないということです。核からのメッセ−ジもまたそうです。自分の基準で文字を追っているだけでは絶対にあなたの心に響いてきません。
 セミナ−会場では、喜び、嬉しい、ありがとうと涙を流しそれなりに感じておられるかもしれません。確かにそうでしょう、あなたの心の中には溢れるほどの喜びも温もりもある、これは間違いのないことです。どなたも同じ、みんな喜びに帰る意識であるということに違いはありません。しかし現実はというと、まだまだ道遠しの方はたくさんおられます。要は基盤が違うからどんなに熱心に学び喜んでおられても、真実とは絶対に合わないということです。肉の学びでないから、そこのところが大変難しいです。心が敏感な方が意識、波動の世界が分かっているということではありません。
 アルバ−トを呼ぶ心をしっかりと見ていってください。波動はだませません。喜び、喜びといっても己を表す喜びもあります。他力のままで喜びを求めてくる波動もあります。
 私自身、心で感じるということをひとつひとつ経ながら、波動の世界の正確さを確認させてもらっています。姿、形、言葉、態度ではなくそこから流れてくるものを感じていくということを学んでいます。言うまでもなく基準はアルバ−トです。その基準からいくと道遠しの方が多いということです。 ともに学べることは嬉しいですが、波動は正直に伝えてくれます。本当に正直です。


 アルバートと出会うために肉を持ってきた今世の私であることを感じるばかりです。意識の流れの中の私を感じ、私はただただ嬉しいということと、意識の世界の正確さを思うだけです。

 今年の終わりか来年そうそう書店に並ぶ一冊の本、素晴らしい本が出来上がりました。とても嬉しいです。文字を目で追いながら意識の世界を感じることができます。波動です。アルバ−トの波動の中に吸い込まれていく喜びを感じています。まだ見ぬ仲間達との出会いを楽しみにしています。
 肉を使っていただいたことが喜びです。ただただ嬉しいです。その過程より私は喜びを感じさせてもらって何とも言えない私があります。それは核からのメッセ−ジも同様です。私はただただ嬉しいだけです。パソコンに向かうということが嬉しい、キ−を打つということがアルバ−トを思うことだからです。
 私は本当に喜びの時間と空間の中をこのように肉をもらって過ごさせていただいています。アルバ−トと出会うために肉を持ってきた今世の私であることを感じるばかりです。意識の流れの中の私を感じ、私はただただ嬉しいということと、意識の世界の正確さを思うだけです。
 自分は偉いとか、自分は特別とか、そういった次元の話ではなく、全く世界が異なっていることを感じます。皆さんはなぜあの人なのかとずっと思われてきたと思いますし、今もまだそうでしょう。私の方が素晴らしいという思いはそう簡単には供養できません。しかし私は意識の流れの中の私であることを知っています。だから私は私を表すこともなければ、何もない、ただその流れに乗っているだけです。心は軽いです。そして私は嬉しくて幸せだということです。本物を知っている私は何も必要としません。


 アルバートの世界は実在の世界です。アルバートとの出会いをはるかかなたよりずっと待ち続けてきた私達であるということを私は心からお伝えしています。どうぞ、本当のあなたと出会っていってください。

 どうぞ、意識の流れに心を合わせていってください。今世肉をもらってこのように出会えている私達です。肉のご自分ということに留まらずにもっとご自身の心を広げていってください。
 もうすぐ出版予定の本、すごい本だと思います。これは意識の世界、波動の世界を知れば知るほど、そのすごさが心に響いてくると思います。あなた自身が本当に意識の世界をその心で広げていけばいくほど、そのことが感じられると思います。もちろんすべてはあなた自身の心で感じていくことであり、今すぐそのように感じていけるかどうかは定かではありません。平易な言葉で綴られてあります。どうぞ何度も何度も心で読んでいってください。読めば読むほどに何とも言えないものを感じると思います。すなわちあなたの心にきっと響いてくるだろうと私は思っています。きっとときを経てそのことを心で分かる方が多く出てこられるだろうと思います。そういう本に仕上がりました。
 250年後、私は一人でも多くの方と喜びの出会いを持ちたいと思います。今世のそれぞれに残された肉の時間をどうぞ大切に、そして何よりも何よりもアルバ−トを思う、アルバ−トを素直に呼べるあなたに蘇ってください。
 アルバ−トの世界は実在の世界です。アルバ−トとの出会いをはるかかなたよりずっと待ち続けてきた私達であるということを私は心からお伝えしています。どうぞ、本当のあなたと出会っていってください。


 意識の流れは厳然としてあるということを、どうぞ心で知ってください。その流れに逆流するものはみんな淘汰されていきます。どんなに抵抗しても宇宙の法の中に存在しています。それが本当の優しさ、愛であることが分かるこれからの250年、300年だということです。

 来年6月で12年余り、セミナ−とともにあった私の今世の肉の時間、それは自分の心の歴史の中ではほんの僅かな僅かな時間です。でもその時間と空間に本当にありがとう、ありがとうの思いでいっぱいです。私はその体験を振り返りながら大切にそしていとおしくこれからの肉の時間を過ごさせてもらいます。
 3億6千年それ以上費やしても決して分からなかった真実の世界です。しかし今というこのときに出会うためにすべてが必要でありました。長い、長いときを要してだからこそ今があることを感じます。そのことに思いを馳せるとき、私は本当に幸せだと心の底から思います。
 私は宇宙、と暗黒のエネルギ−を広げてきた私ですが、それは大いなる喜びだと心で知りました。暗黒を抱えていることには違いないけれども、私の中は変わりました。だから私は250年後、もう一度喜びで生まれてきます。肉を持つことが私にはただただ喜びであるのです。アルバ−トの波動がもう一度形となって現れてくるそのときに私もまた肉を持ってくる、私はもう最高に幸せです。その筋道が心で感じられる、そのシナリオが出来上がっています。
 意識の流れは厳然としてあるということを、どうぞ心で知ってください。その流れに逆流するものはみんな淘汰されていきます。どんなに抵抗しても宇宙の法の中に存在しています。それが本当の優しさ、愛であることが分かるこれからの250年、300年だということです。


 すべては波動です。波動しかありません。波動だけは絶対だませません。波動は恐いほど正直です。

 すべては波動です。波動しかありません。言葉なんていくらでも語ることもできるし、綴ることもできます。でもその方から流れる波動だけは絶対だませません。皆さん、それをあまりにも軽くとらえておられます。私は分かっている、私は感じていると思われても波動は全く正直にその方の意識の世界を語ります。恐いほど正直です。
 頭で学びをやっている方はたくさんおられます。だから何が間違っているのか、なぜ間違ってきたのか、心で分からないということです。数え切れないほど反省文にしたためて涙を流し、それでも心は変わらないのです。
 この学びと比較対照するものはこの世には存在しないし、比較対照の中ではこの学びは全く分かりません。だから今世どこかの宗教の世界、精神世界の中にあるいは私はチャネラ−というその思いの中に己を埋没させてきた方々は、本当に難しいということです。決して私は大げさに表現しているのでもなければ脅かしているのでもなく、ただ現実をこのように述べているのです。
 すべてをかなぐり捨てて学んでも今世は難しいということです。そこまでご自身の現状を思われていますか。私にはまだまだ甘いという思いが感じられます。申し訳ありませんでしたというその心のすぐ後に己が見え隠れしている、そういうものが私には感じられます。アルバ−トをそして田池留吉の宇宙を感じていくことはそんなに容易いことではありません。基盤はそんなに容易く変わらないということです。


 本当の自分自身に出会ったなら、本当にアルバートの世界を広げていったなら、心は揺るぎないものとなってきます。表面は揺れているようでも、中は盤石です。

 きっと皆さんもこれからの時間の中で、自分が模索してきたものと出会われることだろうと思います。今世はたとえ難しくても、私達が出会う250年後までにそうなられることだろうと思います。そのためには今世の時間を大切になさってください。私はそのようにしか伝えられません。
 本当の自分自身に出会ったなら、本当にアルバ−トの世界を広げていったなら、心は揺るぎないものとなってきます。表面は揺れているようでも、中は磐石です。だからその表面の揺れはすっと消えていくということです。吸収されていくということです。
 自分の人生は自分のために生きる、肉中心でいた頃は本来の意味より大きくずれて、それは単なる我がまま、気まま、自分勝手だったかもしれませんが、その軌道が修正されていった今その思いは正解だったと私は思っています。自分のために生きるということが本当の幸せであり、本当の喜びの人生です。そういうことが心で分かったことが嬉しいです。
 自分を生かしているものは自分自身であったということを心で感じている私は、私にありがとうと素直に言えます。肉を含め愚かでどうしようもなかったけれど、そんな私があったからこそ、私は本当の自分に出会えたということでした。優しくて、優しくてどこまでも優しい私がありました。
 田池留吉に心を合わせる、アルバ−トを心に呼ぶ、それは自然のことでした。何もかも忘れ去って存在し続けてきた過去からの私でした。その歴史が大きく動き大きく変わった、どんなに喜びであるかということを知りました。


 意識の流れの中で肉を持たせてもらったということを心にはっきりと感じられる今、私は何とも言えない喜びの中にいます。ともにありますという存在感、波動として心に伝わり響いてきます。

 意識の流れの中で肉を持たせてもらったということを心にはっきりと感じられる今、私は何とも言えない喜びの中にいます。ともにありますという存在感、波動として心に伝わり響いてきます。
 ここまでたどり着くまでには並大抵のことではなかったということが心で感じられ、遠い過去より探し続けてきたことに出会えた嬉しさ喜びは、私の中で決して消えないものです。本当の私からの呼びかけを心で感じています。本当の私を信じていける喜びの中に私はあります。そうやって私自身これからのときを経ていくのだということでしょう。形の世界は全く色褪せたものに映っています。必要以上にエネルギ−を費やすということはできなくなりました。
 真面目に学びと取り組み、自分と取り組んできました。私が誇れるものと言えばそれだと思います。肉でできることはこなしてきましたけれども、私はやはり自分の思いに素直であり忠実であったということでしょう。自分が決めてきた道筋が自分の中で見えてくるまで必死であった、見ようによっては周りを思いやることはできなかったということかもしれません。周りを気にしていたら大願成就はなし得ない、少し乱暴な表現かもしれませんが、今世に賭けてきた私の思いはそれほどのものだと私は理解しています。そのためだったら何もかも捨てる、その思いでセミナ−に臨んできました。


 この世は濁流です。肉に生きる意識の苦しみはこれからも続いていくことでしょう。肉でないのに肉だと思うその思いこそが苦しみの大本でした。土台が違う、基盤が全く違う、そうそれしかありません。

 この世は濁流です。肉に生きる意識の苦しみはこれからも続いていくことでしょう。肉でないのに肉だと思うその思いこそが苦しみの大本でした。土台が違う、基盤が全く違う、そうそれしかありません。そうなんです、だからこれは本当のことだと頭は理解できるけれども、足踏み状態の方が多くてそこからなかなか飛び出てくることは難しいということでしょう。
 優しさや温もり喜びを感じても、肉をどこかで握っているということだと思います。それは自分自身が存在してきた歴史の深さをまだその心でよく分かっておられないからだと思います。どんなに苦しい中にあったかということの気付きが薄いあるいは弱いのだと思います。他力のエネルギ−の中に埋もれて心が麻痺している状態なのだと思います。他力のエネルギ−を注入していれば、自分の心の麻痺状態は続いて、苦しみの中にあることを感じなくてすむしまた分からない、そんな循環の中にあったのではないでしょうか。
 セミナ−がある間に自分の間違いに気付いてただひたすら修正の道を歩まれることが最も望ましいということですが、それもまた、それぞれが歩んでいかれる道筋ですからどうすることもできません。いずれにせよ、ああ私は間違っていましたと心で分かるそのようなシナリオをみんな用意しています。間違っていた自分が崩れていくことがただただ喜びである、そんなあなたをあなた自身が待っているなんて本当に嬉しいことではないでしょうか。


 他力の世界からどんなにアルバートを求めても真実を求めても、それは所詮他力の渦の中にあることを知ってください。そのためにあなたは心が敏感な肉、すなわちチャネラーとしての肉を選んできただけのことです。

 喜びは変わることなく続いていきます。私は本当の喜びを知っているからです。アルバ−トを知っているからです。アルバ−トとともに生きている私を私は感じているからです。私にとって肉の世界のこと、肉というもの、本当に今世その質を変えました。真っ黒なすさまじいエネルギ−を抱えている私が私は愛しくてたまりません。肉で間違ってきたとかどうとか、そんな次元の懺悔ではありません。自分の存在そのものが全部全部違っていた、そしてその違ってきた自分をただ心から受け入れていくことができる自分に出会ったということが、私には喜びなんです。
 田池留吉に認められる、誰それに認められる、そんなちっぽけな世界で私が諸手を挙げて喜んでいるのではありません。すごい転生のチャンスを自分に与えてきました。意識の真っ只中にあることを真っ直ぐに感じます。肉で肉の次元からは絶対にこの喜びは理解できないと私は思います。
 私とあなたの感じ広げている世界はその根本から違っていることを早く自分の心で知ってください。他力の世界からどんなにアルバ−トを求めても真実を求めても、それは所詮他力の渦の中にあることを知ってください。そのためにあなたは心が敏感な肉、すなわちチャネラ−としての肉を選んできただけのことです。チャネラ−は真っ黒です。本当に自分の心の世界は真っ黒です。どこを向いても真っ黒です。今世これからの時間、そして250年後に至るまでの時間の中でそのことが心で実感するようになっています。私達は修正の道を歩いていくことを自ら決めてきた意識だからです。


 自ら決めてきた道筋を忠実に歩むこと、これ以上の喜びはありません。本当の幸せと喜びを心に感じればこのことがどういうことなのか、あなたの心で分かるはずです。

 自ら決めてきた道筋を忠実に歩むこと、これ以上の喜びはありません。本当の幸せと喜びを心に感じればこのことがどういうことなのか、あなたの心で分かるはずです。肉にはないということが分かるはずです。喜びも幸せも絶対に肉にはないということは明白に分かります。アルバ−トに生きるということはそういうことです。しかし私は肉の喜びも幸せも知っています。肉の喜びと幸せを追い求めている方よりもはるかにまた比べられないほどの肉の喜びと幸せを心で知っています。それは私の中にアルバ−トがある、アルバ−トとともにある私であることを心で感じている、だからこそ肉も喜びであり幸せであるということなのです。つまりアルバ−トに目覚めていない意識は、自分が今幸せで喜びであると思っているその肉の喜びと幸せすらもまた偽物であるということです。
 意識の世界は、本当にすごいと思います。すごいとしか表現できない、今本当にすごい中にある私達であることを伝えます。これが本当に自分自身の予定してきた道筋なのかと恐いほどの思いを感じます。嬉しさ、喜びを通り越す恐いほどの喜びです。
 私ははっきりと心で感じられる、自分の培ってきたエネルギ−の大きさそのすごさが感じられます。アルバ−トに出会った瞬間それを感じます。中が叫んでいます。嬉しい、喜びの雄叫びを上げています。だから真っ黒が嬉しくて、嬉しくてということです。マイナスはプラスでした。大いなる喜びだと心で分かります。


 土台が変わらなければどんなに年月を重ねても、その成果はないに等しいということを、やはりきっちりと知ってほしいと思います。心の転回なくして学びは成立しません。

 肉の時間からすれば20年は長いです。20年、本当によく学んでこられたものだと振り返っていらっしゃるのではないでしょうか。あなた自身、その年月を振り返って今どのような感想を持たれていますか。そこに費やしてきたエネルギ−、使ってきた心、それを見直し自分の歩んできた道筋を辿り客観的に評価していくのも、また必要ではないかと思います。学んできた、しかも長く学んできたという自己満足だけではどうにもなりません。肉の学びであればそれなりの成果は得られるかもしれませんが、土台が変わらなければどんなに年月を重ねても、その成果はないに等しいということを、やはりきっちりと知っておいてほしいと思います。
 この学びは自分が立っている場を確認しそれを変えていくことにありました。そのために様々な試みがあり、またそれぞれに反省と瞑想を繰り返しやってこられたと思います。
 確かに夫婦も親子もそれなりに仲良く前向きに日々を過ごせるようになったという方々は多いでしょう。毎日いがみ合うよりも楽しく明るく暮らしていくことができて、ああ私はそれで満足ですと言われる方も多いと思います。その通りだと思います。しかし土台が違えばいずれそれは現象化してくるということです。そのときにそれぞれの学んでこられた真価が問われることだろうと思います。
 心の転回なくして学びは成立しない、それがはっきりと示されると思います。そのときこそがその方がスタ−トラインに立ったということだと思っています。


 マイナスばかりを流し続けてきた私達でありますが、それをプラスに変換する術を今世このように学ばせてもらっています。これから待ってくれていた宇宙にようやく応えていける私達であることが私にはただただ嬉しいです。

 私自身の心の気付きが嬉しいからいくらでも語ることができます。本当に嬉しいです。はるかはるか遠い過去より存在し続け次元を超えてやってきた自分自身の歴史が大きく動き大きく変わった今というときです。これは心で実感がなければこの喜びは絶対に理解してもらえないでしょう。
 私は間違ってきました。本当に狂い続け苦しみ続けてきた意識です。でも今世このようなチャンスを自分に用意してきたことがたまらなく嬉しいです。ただそれだけです。
 私は自分に対して告げているのです。メッセ−ジは自分に対してのものであると理解しています。そして心から沸いてくる思いは、長かった、本当に長かったね、だけど今本当に嬉しいよ、というものなんです。どんなにこのときを待ちわびてきたことかが心に響いてくるのです。真実の世界、その波動を伝えにきてくれたのが田池留吉でした。来世はそれが正真正銘アルバ−トです。もう私には嬉しくて、嬉しくてということです。
 私達は男性あるいは女性である前にひとりの人間です。意識の私達がこのように肉をもらって、肉の人間としてあるべき姿がやはりあるのだと私は思います。この宇宙に受け入れてもらってきた人間として、これからなしていくべきことがあると思います。マイナスばかりを流し続けてきた私達でありますが、それをプラスに変換する術を今世このように学ばせてもらっています。これから待ってくれていた宇宙にようやく応えていける私達であることが私にはただただ嬉しいです。


 もう分かっている、同じことを何度も何度も繰り返してと思うその心の底には、本当に己偉い自分自身が鎮座していることを知っていってください。

 肉をもらって学ぶことができる時間が残り少なくなってきました。地球上に肉を持ってどれだけのエネルギ−を放出してきたか、本当に私達は長く、長く受け入れてもらってきました。緑なる地球そしてこの宇宙に想像を絶するほどのエネルギ−を垂れ流し、これからもまだ垂れ流していく人類はどうしようもないところまで堕落してしまいました。自ら流してきたものを自らが受けていくこれからの時間と空間、これこそが本当に愛の中に生かされ愛されてきたということの証でしょう。
 ところで、もう分かっている、同じことを何度も何度も繰り返してと思うその心の底には、本当に己偉い自分自身が鎮座していることを知っていってください。その方は何にも分かっておられないということをいつでも証明できます。肉で分かるということと心で分かるということは全く違います。この時期になってもほとんど心で分かっておられない方が本当に多いです。あまりはっきり言ってしまうと、と思いますが、心を転回していくことはそんな容易い作業ではありません。アルバ−トを本当に感じ心にその世界を広げていく方がそんなに何人も出てこられないでしょう。今世は難しいです。だから250年という時間、空間が用意されているのです。そのことを心に留めながら真摯な思いでそれぞれの歩みを進めていくことが大切なことではないでしょうか。


 母には母のそして私には私の決めてきたシナリオがあり、その中でこのようにともに学ばせてもらえることが嬉しいと伝わってきます。肉の優しさでない優しさで母を思えることがやはり私には一番嬉しいことです。

 ようやく探し続けてきたものに出会えた私です。心に充分過ぎるほどの手ごたえがあって、だから何を目にしようと何を耳にしようとも、それは所詮影の世界でしかありません。心に広がっていくのはアルバ−トとともにある私です。その喜びと幸せです。アルバ−トこそ実在の世界、今世その確信を得た私は幸せです。
 肉の世界に肉を持てたことだけが今嬉しいと伝わってきます。その中において肉がどうなっていこうという思いはもう私には何もありません。ただ肉を持っている時間がありがたいということです。自分に与えている肉の時間は大切にしていこうという思いはありますが、肉にしがみつく思いが非常に弱くなったことを感じます。
 自分の肉に思いを向ければありがとうと返ってきます。私は自分の肉が愛しいです。ただただ愛しいです。肉を持って今こうして存在していることが嬉しいです。私は優しくなれました。自分に一番優しくなれました。母に部厚い壁を抱えてきた私の心は今本当に軽くなりました。壁がいつの間にかなくなっていました。
 私に肉をくれた今世の母とともに学べるということは本当に幸せなことだと思います。親子であってもそれぞれに歩む道筋は違います。母には母のそして私には私の決めてきたシナリオがあり、その中でこのようにともに学ばせてもらえることが嬉しいと伝わってきます。肉の優しさでない優しさで母を思えることがやはり私には一番嬉しいことです。


 意識、波動の世界は証明できる世界です。黒か白かしかない世界だから、簡単明瞭です。複雑なものは何もない、ただアルバートを知っているかどうかだけです。

 意識、波動の世界は証明できる世界です。黒か白かしかない世界だから、簡単明瞭です。複雑なものは何もない、ただアルバ−トを知っているかどうかだけです。そしてアルバ−トを本当に知り心に広げている方であれば、心は変わらないということです。他力のエネルギ−がどうとか、そんなものでグラグラはしません。自分の中にどんなにすさまじいエネルギ−を感じようともその根幹は揺れないということです。もともとアマテラスとか諸々の他力の神々など存在しないからです。存在しないものを実在するものと思ってきただけのことです。そのような幻に振り回されて自分自身を見失っている肉の人間はごまんといます。肉を信じるということがどれだけ愚かなことであるか、たくさんの気付き、促しの中をこれから歩んでいく人類の軌跡は本当にすごい愛の中にあると言えると思います。
 堕落してしまったその心を救っていく愛は、蘇ることをただ信じて待ってくれていた本当の自分の姿でありました。そのことを心で知った私は本当に自分自身の間違いに気付かせてもらいました。自分自身が愛の存在であったということに心で気付かせてもらいました。このことを心で知ってどれだけの喜び、幸せであるか、本当は言葉などで語ることなどできません。心で感じてくださいとしか、伝えられないのです。しかしそれも土台が違っていれば、通じ合わないということです。そういう方々が残念ながらまだまだたくさんおられるというのが現実かと思います。


 お勉強はひとりでできるのです。これが大原則です。またすべての回答は自分の心の中にあります。これも大原則です。

 もうそろそろ、何のために生まれてきたのか、あなたの人生の目的は何であるのか、心で答えることができるでしょうか。どうぞ片手間でなく真剣に学びと取り組み、自分と取り組んでいってください。
 いつも申していますが、セミナ−がある間は何とか学んでいるような感じではあっても、来年の6月以降あるいは再来年になりやがて時が経つにつれて、学びから離れ元の状態に戻る方達は多いと思います。学びの目的、動機が違いそして冒頭にあることが自分の心で答えられない方は、肉に埋没するスピ−ドは速いでしょう。
 またそうでなくても自分の心にきちっとしたものがなければ、心は外に向きます。そしてお勉強と称してまたあの人、この人を頼っていくかもしれません。
 お勉強はひとりでできるのです。これが大原則です。そのことをしっかりと心に置いておいてください。だからこそこれまでの年月をあなたはご自分に用意してきたのではないでしょうか。すべての回答は自分の心の中にあります。これも大原則です。要所、要所をピシっと押さえて学んでいなければ、世の中という濁流の中にそして他力という濁流の中に沈んでいってしまいます。
 ここで、前宣伝ではありませんが、セミナ−後のお勉強は12月初旬出版予定の一冊の本、これ一冊あればもう充分ですということを伝えておきます。この本をいつも手元にそしてアルバ−トを思っていればそれでいいと、私は思います。


 出会えるためにすべてを整えて待ってくれていた、その思いを痛いほど感じます。だから私にはありがとうしかありません。

 ヘッドホンをつけてパソコンの前に座る、ふるさとの音楽が流れてくる、核からのメッセ−ジに触れ写真に触れ、そして目を閉じます。
 ありがとうございます。今世このようにしてアルバ−トの世界に触れさせてもらっています。本当にありがとうございます。アルバ−トを思う、最高に嬉しい、幸せです。ともにあることを感じそしてありがとう、ありがとうと心に響いてきます。私は幸せです。本当にありがとう。アルバ−トに出会えたことが嬉しい、ただただ嬉しいです。肉をもらってくることがこんなに幸せなことだったと、その思いが涙とともに突き上がってきます。
 街中の喧騒の中に肉はあります。人の流れも車の流れも目の前を通り過ぎていきます。だけど私の心の世界は本当の喜びを知りました。目の前に広がっている世界をただ眺めているだけです。そして私はその中にありながら、実は本当の流れの中にあることを知っているから、私の心は安らいでいます。アルバ−トを思う喜び、幸せを心に知る私にはその他のことは本当はどうでもいいことです。本当にこれだけでした。アルバ−トを待ってきた私の心の嬉しさと喜び、肉をもらってそんな私と出会えたことがもう私には何よりでした。
 出会えるためにすべてを整えて待ってくれていた、その思いを痛いほど感じます。だから私にはありがとうしかありません。


 アルバートが実在することを知っている私には、肉の私など愚かでも何でもいいんです。ただ肉を持って今こうしてあることが嬉しいだけです。

 アルバ−ト…、悠久のかなたを思います。悠久のかなたの私を思います。今、出会えていることがただただ嬉しいです。本当にはるかはるか遠い過去からあなたに出会うためにずっと存在し続けてきた私であることを感じるたびに、私はもう何とも言えない思いです。心から溢れてくる喜びと幸せの思い、それは間違ってきた私の中に、どこまでも、どこまでも染み渡っていきます。今をありがとう、そう意識達が語ってくれています。
 アルバ−ト…、ああ私は嬉しい、アルバ−トの中にある私を感じます。悠久のかなたへ続いていく幸せを感じます。何も要らないです。250年後に出会って、そしてこの喜び、幸せの中を私達は歩いていくことを知る心には、もう何も要りません。心がすべてを知っているということが、肉にも響いてきます。だからアルバ−トが実在することを知っている私には、肉の私など愚かでも何でもいいんです。ただ肉を持って今こうしてあることが嬉しいだけです。
 それだけに、アルバ−トを知らない肉がどれだけ空虚な思いを抱えているか、決して肉では幸せになれないということも、喜びを知らずに肉の人生を閉じていく無念も、私には分かり過ぎるくらい分かります。しかしそれもまたそれぞれが通っていく道筋なんだと思うとき、信じて待たれている私達は本当に幸せだと思います。
 これから意識の世界の優しさ、大きさ、深さ、そして素晴らしさを存分に味わっていける私達は本当に幸せな存在だと言えるでしょう。


 信じて待ってくれている本当のあなたにどうぞ心を向けていってください。素直に心を向けていってください。そうすればいくらでも喜びに触れていくことができます。

 波動の世界を感じてくれば、私は初めから幸せでしたと、はっきり分かります。そのことが見えずに分からずに、ずっと他力の渦の中に沈み込んでしまっていた愚かな自分を感じてくるはずです。
 信じて待ってくれている本当のあなたにどうぞ心を向けていってください。素直に心を向けていってください。そうすればいくらでも喜びに触れていくことができます。
 思うだけでいい、今思える自分がある、それだけで私は本当に幸せだと感じます。自分が自分を待っていた、信じて待ってくれていた、こんな優しいことはないと思います。優しいです。そして嬉しくてありがたいです。
 母の温もりに包まれている、しっかりと抱かれている、今世狂うことなく今までやってこれたのは、その思いを心にしっかりと持っていたからです。母の温もりの中で、自分のエネルギ−とどんどん向かい合ってきました。母の温もりの中にあるからこそ、それができるのでした。立派な自分が自分を狂わせてきたのでした。それが分からなかった私は本当に愚かでした。しかし狂いに狂った、間違い続けてきたすさまじいエネルギ−が、アルバ−トと出会わせてくれました。
 今世そうです、アルバ−トとの出会いがありました。それを実感し、そしてアルバ−トの実在を心に確信していく時間を頂いています。ああだから私は本当に幸せです。こんなことが現実にあったといつもしみじみ思っています。


 要は土台です。土台が違っていては問題外です。何度も言います。土台を変えていくのは、あくまでもあなたです。決して片手間ではできません。過去をしっかり握っていてはこれもまた難しいでしょう。

 要は土台です。土台が違っていては問題外です。肉はともにあっても本当はともにないということです。簡単明瞭です。そしてまた土台は堅固なものでなければなりません。
 そういうことを学ぶために今世の時間がありました。まず土台が違っていることに気付く、そしてその土台からやり直していくことを始める、それには素直ということが一番大事ですといつも伝えていただきました。
 全く違っていた、全く間違っていた、これがなければ何年学んでも結局は他力の中から抜け出すことができません。学んでいても学んでいないということでしょう。
 自分の土台は何か、これを心で確認することです。正直に自分の思いを見ることです。今更いい格好しても仕方がない、本音を出さないといつまで経っても前へ進みません。
 土台を変えずにアルバ−トなど分かるはずがないことを何度も伝えてきました。そんなに簡単にはアルバ−トの波動と出会えないということが、まだお分かりならないようです。確かにセミナ−会場では、その世界をほんの少し垣間見られることもあるでしょう。しかしそれで分かった、感じたということではありません。それは、あなたの土台が違っていますとお伝えしているだけです。何度も言います、土台を変えていくのは、あくまでもあなたです。決して片手間ではできません。過去をしっかり握っていてはこれもまた難しいでしょう。


 天変地異は必然の現象です。愛に目覚めていく、真実に目覚めていくための愛のエネルギーであることが、アルバートの中ではっきりしています。

 アルバ−トと天変地異は切り離せないものです。アルバ−トの波動、その喜びのエネルギ−が強まってくるにつれて、天変地異の波が押し寄せてきます。力強いエネルギ−が喜びのエネルギ−が、天変地異となってこの宇宙に溢れてきます。
 アルバ−トの波動が宇宙に流れ出していく、宇宙を覆い尽くしていく、その喜びが心に響いてきます。
 天変地異は必然の現象です。愛に目覚めていく、真実に目覚めていくための愛のエネルギ−であることが、アルバ−トの中ではっきりしています。そのようなこれからの時を経ていくことが、心に伝わってきます。
 アルバ−トは愛のエネルギ−、喜びのエネルギ−、250年後にはそのことがはっきりと示されていくことでしょう。私は今世、その世界を垣間見ることができ、ここにこうしてお伝えしています。
 アルバ−トに出会った私の中の宇宙は本当に喜んでいます。肉を持つ人間にその宇宙を知ってください、分かってくださいと、今宇宙に存在する意識達の喜びを私は心で感じています。彼らとともにこれから歩みを進めていくことが私には感じられます。もう嬉しいだけです。地球に留まることなく、私の世界は広がっていきます。この宇宙とともに私は存在しています。アルバ−ト、私達はあなたの中にありました。


 肉の喜びと幸せは意識のそれと一致することを、以前より伝えてきました。それは悠久の過去より存在する自分、そして悠久の未来へ存在していく自分、そのような自分との出会いがなければ、肉の本当の喜びも幸せも分からないということです。

 私は宇宙でしたという思いが、心を広げ喜びを伝えてくれます。自分の中の宇宙に出会うために今世のこの時間をもらってきたことが、心に確実に伝わってきて私は本当に嬉しいです。
 宇宙なんです。私はこの宇宙を思い出すために3億6千年の転生を繰り返してきました。宇宙は狂い続けてきました、苦しみ続けてきました。しかし、こうして今私は私の宇宙と出会い、そしてそれがこんなに喜んでいると感じられて、その喜びはもちろんとても肉では推し量れないものです。
 私は、肉の喜びと幸せは意識のそれと一致するということを、以前より伝えてきました。それは悠久の過去より存在する自分、そして悠久の未来へ存在していく自分、そのような自分との出会いがなければ、肉の本当の喜びも幸せも分からないということです。
 肉で今幸せだ、喜びだと言っているのは、本当にちっぽけな世界のことだと分かってくださればと思います。そのような心の世界からは、到底アルバ−トの世界を感じていくのは不可能だと思っています。肉の枠から自分自身を解き放つことがなければ、私が申し上げている喜びも幸せも、すなわち自分の中の宇宙が喜んでいる、大いなる喜びの中にある宇宙が自分であったというその喜びと幸せが心で分かっていただけないと思っています。


 真実は言葉では伝えられません。そして波動がその方を物語っているのです。肉を信じてきた方には、それが全く分かりません。言葉を重ね言葉で飾り、言葉で己を表し、そして態度でごまかしていく、それが肉の世界です。中身がない、幻の世界です。

 私の喜びは、ともに歩みを進めていくことです。アルバ−トとともにあることが感じられることです。それのみが私の喜びであり幸せです。
 私は特別ではありません。しかし、ただ今世に照準を合わせてきたことを心で知っています。私の今世の時間はアルバ−トに出会うためにあったことをはっきりと感じている、ただそれだけです。だから肉も、そして肉の時間もそのように流れていくことを心で感じています。つまり、アルバ−トに照準を合わせる肉の生き方が私には自然になっているということです。
 意識の流れは厳然としてあるということを、心に感じられるからこそ、その世界はますます私の中で不動のものになっていきます。そしてマイナスの現象がプラスに転じていくということも、心で分かります。それは、形がマイナスであっても、心がマイナスと思えない、そういうことだと思います。マイナスをプラスと思おうとか思わなくてはとか、プラスに転じていこうとか、そうではなく、心が揺れたならそれらを含めてただありがとうが、自分の中に返ってくるような、そんな心の世界が広がっていると私は解釈しています。
 真実は言葉では伝えられません。そして波動がその方を物語っているのです。肉を信じてきた方には、それが全く分かりません。言葉を重ね言葉で飾り、言葉で己を表し、そして態度でごまかしていく、それが肉の世界です。中身がない、幻の世界です。


 意識の流れの中、アルバートとともに歩んでいく、その喜びと幸せを心はすでに大きく大きく受け止めています。その喜びと幸せを感じて広げて深めていくために、今肉を持っています。

 今世の肉は、宗教あるいは精神世界の本を読みあさったこともなければ何もないです。また宇宙について特に興味を持っていたわけでもありません。
 しかし心は知っていました。そして肉の知識とか経験がないからこそ、本当に心が知っているということは、こういうことなんだと、逆に心で分かります。
 心が知っていた、アルバ−トと出会った私は宇宙を知っていました。そしてそのことが私には唯一確かなものでした。だから私は言を左右にしません。確実に心に響き伝わってくることだから、時間が経っても変わりません。アルバ−トとともにある私自身が存在する喜びと幸せは変わりません。
 意識の流れ、アルバ−トとともに、こう表現すればおこがましいようですが、それはまさに私自身であるように思います。ようやくここまでたどり着いたというか、ようやくその姿を現し始めたというか、そんな感じがします。
 意識の流れの中、アルバ−トとともに歩んでいく、その喜びと幸せを心はすでに大きく大きく受け止めています。その喜びと幸せを感じて広げて深めていくために、今肉を持っています。私はただただ嬉しいだけです。本当にありがとう、ありがとう、その思いでいっぱいです。


 苦しい私も、悲しい私も、狂ってきた私も、今はただ嬉しいだけです。そして250年後にはそれがマグマのように一瞬に噴き上がってくるのだから、もう最高に幸せです。

 目を閉じればもちろん、私の中にはアルバ−トの世界が広がっていきます。そして今肉を持っている、そのことも本当に大切にありがたく受け止めています。私は今、田池留吉とともに肉を持たせていただいていることが、嬉しくて嬉しくてたまりません。ともに歩みを進め、ともにある存在として、私は肉としても本当に嬉しいです。本当に出会えたことが最高に嬉しいです。
 それはすべて私の中にアルバ−トが実在することを確信しているからです。ひとつの肉として見るその目に映る風景が、完全に違います。だから今というこの時が幸せで喜びです。言うまでもなく今は永遠に続いていきます。永遠の中の今、田池留吉、アルバ−トともにある私の世界は本当に喜びです。ありがとう、お母さんありがとう、意識達がそう伝えてくれます。苦しかった意識も悲しかった意識も狂ってきた意識もみんな喜びへ温もりへ歩いていけることを知りました。ただただ嬉しいです。幸せだと分かるのにお金も何も要りませんでした。幸せも喜びもこの心に抱えきれないほどあった、優しさと温もりが心から沸いて出てくる、これが私の心の世界、つまりそれが私自身でした。だから嬉しいだけです。苦しい私も、悲しい私も、狂ってきた私も、今はただ嬉しいだけです。そして250年後にはそれがマグマのように一瞬に噴き上がってくるのだから、もう最高に幸せです。


 私達が見ていくものはアルバートだけです。そのために今肉を持っているのです。私達は肉ではない、これだけです。

 肉でどんなに努力しても、どんなに思いをかけても、それらは所詮肉だから崩れていくものはみんな崩れていきます。天変地異は地震や台風などの災害だけではありません。宇宙の法に逆らって存在し続け、そして心に蓄え続けてきた真っ黒なエネルギ−が、心の中から噴き出し突き上がってきます。そのエネルギ−が、自分自身に天変地異を起こしていくのです。それらはすべて真実に帰りたい、心からの叫びです。どんなに狂った状態であっても、今世を境にして吹き荒れてくる叫びです。それは心の中に眠っていた意識達がほんの、ほんの少しでも温もりに喜びに触れたからです。
 しかし肉として見る限り、その噴き出し吹き荒れてくるエネルギ−は、決して愛だとは受け取れません。まさにその中で真実の声を聞いていけるか、それはひとえに自分の中のアルバ−トへの信の大きさ、強さ、深さにかかっていると思います。
 肉は愚かです。揺れ動く肉の心を抱えています。そんなことは分かり切っていることです。しかしその心の奥底にどっしりと揺れ動かないものがあります。何のために生まれてきたのか、なぜ今ここにいるのか、どんなに心が揺れてもそこへ帰ってくるはずです。そういう学びを私達は今世させてもらったのではないでしょうか。
 私達が見ていくものはアルバ−トだけです。そのために今肉を持っているのです。私達は肉ではない、これだけです。


 ちっぽけな世界で、心を落とし心を汚し心を閉じ込めてきた人類が、ようやく自分達の間違いに気付いていける道筋を歩めることが、ただただ嬉しいです。

 あなたにとって一番大切なもの、生命、財産、家族、仕事、国家、地球人類…。ああ、そうです、この地球人類という文字を見たとき、私は嬉しくなりました。
 やはり私の思いは宇宙に広がっていきます。地球に留まることなく宇宙に、アルバ−トの世界は宇宙に今その喜びが溢れ出していることを感じます。宇宙が変わっていく、宇宙を変えていく大いなる喜びのエネルギ−、アルバ−ト、アルバ−トを抜きに何も成立しないことを私の心はしっかりととらえています。
 私達はアルバ−トとともにある、アルバ−トの中に存在していることを心で知っていくこれからの時が、どれだけの喜びであるのか、心に響いてきます。実体のない幻の中で狂い続けてきた意識達の帰っていく道筋、それはそれはとてつもない喜びの中にあります。こうして肉を持ってそのことを今感じていけることが、本当に嬉しいです。
 ちっぽけな世界で、心を落とし心を汚し心を閉じ込めてきた人類が、ようやく自分達の間違いに気付いていける道筋を歩めることが、ただただ嬉しいです。自分達の中に宇宙があった、宇宙の喜びをその心で感じ広げていけるこれからだと思うとき、さあともに、アルバ−トとともに歩いていきましょう、その誘いの何と優しいことでしょうか。温もりに満ち溢れているその世界に、自らを誘っていける私達は、本当に幸せな存在です。


 どんなに形が修復されても、暗黒の世界に沈み込んだ意識達に気付きがなければ、それはまた崩れ去っていくということでしょう。流れが淀めば、そこにひずみが生じ、形にその結果が現れてきます。それはアルバートが流れているということです。

 私は幸せな人生を今歩んでいます。私は本当に今幸せです。本当の幸せとは何か、本当の喜びとは何か、心で知った私は今真っ直ぐにそう告げることができます。ああだから私には何がほしいとか何をしたいとか、本当にそういうのはどうでもいいことなんです。ただこうして今肉を持ってアルバ−トを思えることが嬉しいです。また私の周りには肉で言えばいい方がたくさんおられます。だから肉ももちろん幸せです。
 ところで、アルバ−トの実在を確信することは大変難しいです。しかし本当に真実の世界に触れていけば、アルバ−トだけが存在することがはっきり分かります。そして無知とエゴと欲の渦巻いた世界の実態が浮かび上がってきます。どんなに形が修復されても、暗黒の世界に沈み込んだ意識達に気付きがなければ、それはまた崩れ去っていくということでしょう。流れが淀めば、そこにひずみが生じ、形にその結果が現れてきます。それはアルバ−トが流れているということです。気付きを促しを形で表現されていきます。気付けるまで何度も何度も繰り返し起こってきます。そしてそれは喜びのエネルギ−、決して真っ暗な中に突き落とすエネルギ−ではありません。
 アルバ−トを確信していけば、もうそれは納得、納得です。そして地獄に沈み込んだその奥底がどんなに深いか、ちょっとやそっとのものではないことも分かります。それだけのエネルギ−を肉を持つ人間は、宇宙に放出してきたということでしょう。


 どんな時も変わらない優しさと温もりの中で、自分を生かしていたのは自分自身でした。そしてこれだけが唯一の真実でした。裏切っても見捨てても、信じて待っていてくれていた自分との出会い、こんな幸せなことはありません。

 今世、私はようやく自分の人生に、そして自分というものに責任がとれます。自分の外にずっと求め続けてきた私が、ようやく本当の意味で自分の中を信じていくことができる私に出会えました。ひとつひとつ自分の中で確認して、歩いていくというか生きていくことが、本当に優しいことなんだと知りました。たった一つ本当のものを知ったということは、私のこれからの時間において、肉がある肉がないに係わらず、幸せと喜びの流れから外れるということはもうありません。もちろん、それは心が浄化されて幸せ喜びというのでなく、もっと大きなもっと広いものです。
 あなたはどうでしょうか。あなたはまだ自分の外に、自分を幸せにしてくれるもの、喜びを与えてくれるものがあると思っておられますか。たとえ今そうであっても、この学びは道徳ではありませんから、現実がそうならそれもすべてよしということでしょう。頭で理解したり、心を縛ったりするのではなく、自然に自分の中で気付いていける、そのような計らいの中に自らを誘っているのが、とりもなおさず自分自身だということが感じられて、私はただただ嬉しいなあと思うだけです。自分が自分を誘う、どこまでも許されている、優しいと思います。
 どんな時も変わらない優しさと温もりの中で、自分を生かしていたのは自分自身でした。そしてこれだけが唯一の真実でした。裏切っても見捨てても、信じて待っていてくれていた自分との出会い、こんな幸せなことはありません。


 肉を肉として見る限り、苦しみは続いていきます。やはり波動を感じることなしには肉のままでは苦しみだけです。幻を実在としてとらえる肉の心からは、どんなにアルバートを思っても苦しみでしかありません。

 肉を肉として見る限り、苦しみは続いていきます。やはり波動を感じることなしには肉のままでは苦しみだけです。どんなに一時幸せで喜びでも、それは苦しみです。すべて虚構の世界だからです。幻を実在としてとらえる肉の心からは、どんなにアルバ−トを思っても苦しみでしかありません。もうそんなことは充分過ぎるくらい分かっておられると思いますが、実際はどうなのでしょうか。喜びだ、嬉しいとおっしゃられても、土台が肉であればそれらはすべて、全く次元が異なる世界のお話です。
 アルバ−トの世界を、アルバ−トを感じるというのは本当にすごいことなんです。今世、数多くのセミナ−でたくさんの時間を持たせてもらい、真実の世界を垣間見るチャンスを自らに用意してきた私達ですが、あまりにもそのことを軽くとらえておられるような感じがします。肉の心でない真の心で、その世界を感じ広げていったなら、すごい時間と空間だということがはっきり分かります。そしてこんなちっぽけな肉の世界のことなど、どこかに消え去っていきます。それほど嬉しい、それほど素晴らしい、それほど待ちわびてきた瞬間であったということです。少なくとも私はそうです。自分自身が本当に待ち続けてきた真実の世界に今出会えている、私にはそれだけです。見ているものはそれだけです。
 アルバ−トを思う私の目の前には何もありません。波動の世界が広がっているだけです。肉も肉の世界も何もありません。


 何のために生まれてきたのか、なぜ転生を繰り返してきたのか、その問いかけをどんな時も自分にしていくことが大切です。自分の中に本当の心棒を見出せない方は、もう簡単に他力のエネルギーの渦の中に飲み込まれてしまうでしょう。それがセミナーが終わり、時の経過とともに映し出される近未来の映像だと私は思っています。

 肉のしがらみ、肉の慣習等の中から心がなかなか抜け出せないことは、肉としては理解できます。しかし私の思いからは全く理解できません。結論から言えば、そういう思いを抱えて苦しんでいるということは、全く何も分かっていない、根本が何も変わっていないということです。
 もうお分かりと思いますが、今世は大変難しいです。容易くアルバ−トだ、喜びだ、250年後だとはいかないということを心に置きながら、そしていつも原点からでないと、みんな肉で転び肉に埋もれてしまいます。それでもここにしか真実はありません。だから地獄の奥底を這いずり回ろうとも、帰っていくところはここにしかないということを心で知るこれからの時間なのでしょう。
 何のために生まれてきたのか、なぜ転生を繰り返してきたのか、その問いかけをどんな時も自分にしていくことが大切です。そうすれば、舞い上がることも落ち込むこともなく、淡々と喜びそして幸せの道を、一歩一歩歩いていくことがただただ幸せだとなってくるはずです。
 必ずその問いかけに戻ってそれから方向を定めていくことをしなければ、深い迷路の中を自ら突き進んでいくことになるでしょう。それほど他力のエネルギ−はすさまじいということです。自分の中に本当の心棒を見出せない方は、もう簡単にそのエネルギ−の渦の中に飲み込まれてしまうでしょう。それがセミナ−が終わり、時の経過とともに映し出されてくる近未来の映像だと私は思っています。


 肉で心を縛っていては、心の中の宇宙には出会えません。みんな肉という思いがそれを妨げているのです。自分の中の宇宙と出会うために、そうアルバートと出会うために今ここに肉を持って存在しているのです。

 肉で心を縛っていては、心の中の宇宙には出会えません。みんな肉という思いがそれを妨げているのです。手かせ足かせとなって、重石となって、自分の広がりを自分で閉じ込めてしまっているのです。もちろん肉の枠から飛び出せなければ、今私が語っていることは全く分からないと思います。それは心が肉の次元で留まっているからです。そこからいくら呼べども肉は肉です。そのことが自分の心で分かれば、あなたの心の世界は一気に広がりを見せていくでしょう。しかしいつも言っています通り、肉が土台では感じている世界が全く違います。喜びと言っても全く違います。
 私は心が広がっていくことも、自分の中に宇宙が存在する、すなわち私自身が宇宙であることもこの心ではっきり感じています。UFO達とともにこれからが展開していくこともこの心は感じています。だから私は嬉しいだけです。宇宙ということが心に響いてきます。心が思いが宇宙に向いていきます。肉の私、肉の生活、そういうものは宇宙に向ける思いの中で、自然に整ってきます。整えるために私が今ここに存在しているのではないのです。自分の中の宇宙と出会うために、そうアルバ−トと出会うために今ここに肉を持って存在していることが、宇宙を感じるたびに、そうだ、そうだの大合唱のように聞こえます。
 ご自分を肉の枠から解き放し、早くご自分の宇宙に思いを向けられるようになってください。宇宙は待っています。出会いをひたすら待っています。


 生きていく道筋が心に見える、これからもずっと存在し続ける自分が心に見える、こんな幸せで喜びはありません。

 嬉しいです。ありがとう。大声で叫びたい気持ちです。本当にありがとう。生きていく道筋が心に見える、これからもずっと存在し続ける自分が心に見える、こんな幸せで喜びはありません。肉をもらってその世界に流れてきた私が、今世もまたひとつの肉をもらいました。本当に嬉しいです。ひとつの肉をもらって自分自身の行き先をようやく知りました。
 真っ暗な中を生き続けてきた私の世界がようやく変わり始めた今、地獄でありながら地獄でないと言えると思います。肉を持つ意味を今ようやく自分の中で理解できたことが、本当に嬉しいです。
 もちろん心の世界、真実の波動の世界は肉の頭など何の役にも立ちません。かえって妨げるになることも往々にしてあります。しかし今を振り返り、これからを思うとき、ただ敏感な肉だけでも天真爛漫な肉だけでもだめだと私は思います。周りの状況を見極め、肉としても本当の意味で賢明さを備えていることは必要だと思います。そういう肉を通して、これから起こり来ることが心で分かってくる、真実の世界が見えてくるということだと思います。そしてそのような時代の到来の中で、肉を通し意識としても目覚めていくということでしょう。
 すべてが喜び、その中において肉も肉本来の喜びを伝えていく器としての役割を果たせるには、やはりある程度肉としての能力を兼ね備えていることは必要だと私は思います。肉は喜びを伝える器、その機能を充分に活かせることも肉を持つ喜びだと私は考えています。


 今を大切に、今を生きることが喜びです。自然にそう思えることが幸せです。すべてが250年後の来世へと繋がっていることを心で確認しながら、今という時を過ごすことができるのがただただ嬉しいです。

 今を大切に、今を生きることが喜びです。自然にそう思えることが幸せです。私は今世のこの肉の時間において、来世への準備を滞りなく進めています。すべてが250年後の来世へと繋がっていることを心で確認しながら、今という時を過ごすことができるのがただただ嬉しいです。だから心に肉のしがらみ、肉の慣習、肉の煩わしさ等に代表される肉の世界の苦しみが伝わってきても、ふっとアルバ−トを思えば、それらのものはいつの間にか立ち消えになっています。肉の世界は地獄だから、地獄の映像がそこに映し出されているだけで、そこへ入り込まないし、心はつかみません。目の前を流れている映像を眺めているだけです。
 私の心はただ250年後を見つめています。250年という肉の時間を待って、私達は再び肉を持って出会えることが現実のものとなっている今、自分の心をただその一点に絞って、これからの時を費やしていくだけです。
 私には私の課題があります。今世の予定があります。クリアして肉を終えていくことが私の喜び、幸せです。肉を持たせてもらったことに対する私の心からの喜びと幸せを、自分に返していきたいと思っています。
 今世、肉持てた私は幸せです。本当に幸せな人生を過ごしています。私は今世自分を信じるという中に、本当の幸せと喜びが存在するということを学ばせてもらいました。これからもその信をますます深めていくでしょう。そしてそれは宇宙を変えていくパワ−でもありました。250年後が非常に楽しみです。


 私は自分に誠実に自分に正直でありたいと思うだけです。その思いはとても強いです。誰のための人生か、自分のために生きたい、この思いを抱えて生まれてきました。

 私は自分に誠実に自分に正直でありたいと思うだけです。その思いはとても強いです。誰のための人生か、自分のために生きたい、この思いを抱えて生まれてきました。これこそが自分自身の心の叫びだったと言えるでしょう。
 思いが形となって現象化していくのが、意識の世界です。もし、自分のために生きたいと思う思いが真実より大きくずれていれば、すなわち無知とエゴと欲からその思いを発しているなら、それは間違っているというサインを自分に与えていきます。しかし、本当に真実を求め、ただひたすらにその思いを向けていったならどうでしょうか。ふと気がつけば自分は幸せの中にいる、喜びの中に存在しているということになるのではないでしょうか。
 肉で説明はできません。しかし自分が体験してきたことは、みんな自分にとって必要なことであったと心で理解できると思います。たとえそれが世間の常識云々からは理解できないことであっても、自分自身にとって、そうなったことがあるいはそうであったことが、みんな幸せだ、よかったと心から思えると思います。そして幸せが喜びがふつふつと、ときには大きく大きく湧き出てくることでしょう。
 肉持った喜びと幸せをしみじみその心で感じ広げていく人生が目の前に広がっていくはずです。そこには何があってもいい、何がなくてもいい、ただ存在していることが本当に嬉しい、お母さんありがとうの思いだけが沸き起こってきます。波動の世界に生き続けている現実をはっきりと感じられることでしょう。


 心の中に宇宙がある、私自身が宇宙、そしてその宇宙が喜びに溢れている、この現実を心で知ることは、肉を持つがゆえに難しいことですが、しかし肉を通してこそ知っていけることだと私にははっきりと分かります。

 私はこの肉を通しアルバ−トの世界、アルバ−トと出会っていることがもうたまらなく嬉しいです。嬉しいから、これが本当だよ、本当にアルバ−トは実在するよ、と何度も何度も語りたくなります。握っているもの、とらわれているものをすっと離せば、何でもないことであって、そして離せばたったひとつのものを求めてきたことが、心に痛いほど響いてくるはずなのにと思っています。
 心が伝えてくる喜びには、この肉が喜ぶ喜びなど到底、敵うはずがありません。足元にも寄れません。心が喜びで沸き返っています。宇宙に広がっている私自身が本当に喜びを伝えてくれています。もちろん、それはこの肉があるから出会えた世界、宇宙でした。そして言うまでもなく田池留吉という肉と出会えたからでした。
 心の中に宇宙がある、私自身が宇宙、そしてその宇宙が喜びに溢れている、この現実を心で知ることは、肉を持つがゆえに難しいことですが、しかし肉を通してこそ知っていけることだと私にははっきりと分かります。だから肉を持たなければ、決して意識の目覚めはあり得ないということも明白です。
 どれだけ肉をもらってくるということが素晴らしいことなのか、今世私は肉を持ってそれを知りました。そして真実の世界を垣間見ている私には、今世がこんなのだから、250年後がどれほどのものか、ただただその喜びと幸せが心に響いてくるだけです。


 心に喜びを幸せを感じるのは、やはり長い長い転生を思い出すからです。苦しみだけ真っ黒だけを抱えて存在してきた自分自身に思いを馳せれば、もう本当にありがとう、今をありがとうの思いだけしかありません。

 たったひとつの真実に巡り合えた幸せ、喜び、それは尽きることなく心に蘇ってきます。心の広がりとともに、本当に出会えた、本当にあった、何度も何度も心に沸き起こってくる喜びをかみしめながら、肉の時間を過ごしています。
 心に喜びを幸せを感じるのは、やはり長い長い転生を思い出すからです。苦しみだけ真っ黒だけを抱えて存在してきた自分自身に思いを馳せれば、もう本当にありがとう、今をありがとうの思いだけしかありません。
 心の歴史が変わった瞬間を、今世の私は体験させてもらいました。たくさんの過去を抱え、間違い続けてきた歴史のピリオドを自分に打てる、ようやくその段階まで辿り着いたことを実感しています。
 250年後の来世は、今世以前と全く違います。真っ黒を抱え持っていると言っても、それは質が全く異なっています。すべてが喜びに帰っていくことを、心はすでに知っているからです。出した瞬間、それは一瞬のうちにすごい喜びのエネルギ−に転回していくことが、心はすでに了解しています。今その予行演習の時間をもらっています。アルバ−トに心を向ければ向けるほど、喜びで沸き返る私自身を、今肉を通し垣間見ている状態です。
 私はアルバ−トとともに生きています。これが私の現実です。そのような私と出会えたのは、肉を持ったからです。今度肉を必要とするのは、250年後です。楽しみにしています。


 信じて待ってくれていました。あなたも信じて待ってくれている限りない優しさと温もりを、感じておられることでしょう。たとえ今、他力のエネルギーで満杯であっても、心のどこかにそのことを感じておられるから、今まで続いた学びの年月だったと思います。

 信じて待ってくれていました。あなたも信じて待ってくれている限りない優しさと温もりを、感じておられることでしょう。たとえ今、他力のエネルギ−で満杯であっても、心のどこかにそのことを感じておられるから、今まで続いた学びの年月だったと思います。
 心を落とし何度つまずいても転んでも、あるいは心を離したときがあっても、ここにしか帰っていく場所はない、ここがやっぱり私のふるさとだった、今までそういう体験をされた方は少なくないと思います。信じて待ってくれている、その中にあるからこそ、その思いに触れてまたやり直そうと思うのでしょう。そこには飛躍的な歩みこそありませんが、少しずつ少しずつそうやって自分の中で軌道修正されていく過程を歩むことによって、真実にほんの少しでも近づいていかれるのではないかと思います。
 だからすべてよしなんだと思います。それぞれが真実に向かって歩んでいく過程が、今自分の目の前に広がっているだけです。絶対評価の中に自分を置いてみると、みんなが嬉しい、本当にありがとう、私は幸せです、そのような中に自分を自分で誘っていることが感じられると思います。
 愚かな自分は自分のところにしか帰ることができません。そしてそれが喜びの自分となって巣立っていく時、それは最高に喜びの時ではないでしょうか。そうです、アルバ−トとともに巣立っていく自分自身を喜びで見つめていくことが、最高に幸せだと私は思います。


 どんな時もどんな場合も、最後に決を採るのは自分自身です。自分以外の誰もそれはできません。そういうことをピシッとわきまえているか否かは、とても大切なことだと思います。

 すべてがアルバ−ト一色です。心の底に流れているものはその思いです。もちろん肉の喜びも楽しみもあります。しかし、それはアルバ−トが基盤となってあるだけです。当然、度を越えることもなく、まあ赤信号は止まれ、青信号は進めという程度のものです。アルバ−トが基盤にあれば、そんなことはいとも簡単に自然です。肉に溺れるとか埋もれるとか、あるいは流されるとかにはなりません。
 今世の肉として、その程度まで心を定めておられないと、たくさんの過去からの思いが心に残留していますから、時とともに容易に元へ戻るということでしょう。応援し正当化する思いが心より出てきて、いつの間にかアルバ−トなど遠い存在となってしまう危険性は充分にあると思います。それが肉に生き続けてきた歴史の数々です。その自覚がないというのもまたとても危険な状態だということです。
 どんな時もどんな場合も、最後に決を採るのは自分自身です。自分以外の誰もそれはできません。そういうことをピシッとわきまえているか否かは、とても大切なことだと思います。
 本道を歩くには甘ったれでは無理だという私の持論は、当を得ていると思います。本当の優しさとは何か、本当の優しさを知らないから、最後は自分を見捨てていく、甘ったれとは自分に一番残酷なんだと私は感じています。


 私はこの肉を私だと思っていません。私は思いです。この思いこそが私なんです。そして肉を通し自分の世界を見ています。私には肉というものはそういうものです。そこから感じる思いを淡々と見つめています。

 私はこの肉を私だと思っていません。私は思いです。この思いこそが私なんです。そして肉を通し自分の世界を見ています。私には肉というものはそういうものです。そこから感じる思いを淡々と見つめています。それが私には嬉しいだけです。以前はそのことが苦しみでした。自分を肉として見て周りもすべて肉として見て、そんな中で心を見ようとしてきただけでした。
 私は自分だけを見つめてきましたし、今ももちろんそうです。心を見るということを通して、どれくらい自分の心が軽くなったか、どのくらい自分を解き放つことができたか、それが私のバロメ−タ−でした。なぜなら、そうしていけば幸せも喜びもきっと分かると私自身ずっと思っていたからです。お金や物があっても心が苦しければ、幸せでも喜びでもないということを心は知っていたけれど、ただそれにはどうしていけばいいのか、その手立てが分からなかっただけでした。
 だからこうしてごらんと言われたことを、一生懸命やってきただけです。もちろんすべてが流れの中にあると言えばそれまでですが、私は自分に素直に忠実にそして誠実でした。
 肉として特別なものは何一つ持ち合わせていません。皆さんがつまずいた霊能も私にはありません。しかしたったひとつ、アルバ−トが分かる、アルバ−トとともにある私である、そのひとつが私にはあるということです。だから肉の特別なものは何もいらない、霊能もいらない、ですが私にはみんなあるということになるかと思います。


 セミナー後、ホームページがなくなった後、この本(田池留吉著「意識の流れーアルバートとともにー」)は大いにあなたのお役に立てるだろうと、私は今からお伝えしておきます。そしてまた欲とこの本は絶対に合わないことも、併せてお伝えしておきます。

 もうすぐこの世に出てくる本に思いを向けると、ただただ嬉しい、喜びが広がっていきます。
 どれだけの人の目に触れるか定かではありません。もちろん本がどれだけ売れるかということに私の主眼はありません。ただ、本を手に取った人は最後まで読んでほしい、何度も何度も読み返してほしい、そしてそこから流れるものを感じてほしい、これが私の願いです。本当のところ、この本をこの世に送り出せたということだけで私はもう充分なんです。
 嬉しいです、本当に嬉しいです。この本が250年後に繋ぐ橋渡しとなってくれることを私は感じています。この学びにおいてたくさんの出版物が出されました。しかし、私はこの本はそのどれとも比較できないものだと思っています。
 内容は目新しいものはありません。長年学んでこられた方々には、そうでしょう。ですが、その奥は深いです。どうぞ読みこなしていってください。何度も何度も読み返し、そして真実の世界に一歩でも歩み出していってください。それは波動です。この本から流れる波動の世界にどうぞあなたの心を向けていってください。文字を追いながら追っていない、それはちょうどホ−ムペ−ジと同じです。
 セミナ−後、ホ−ムペ−ジがなくなった後、この本は大いにあなたのお役に立てるだろうと、私は今からお伝えしておきます。そしてまた欲とこの本は絶対に合わないことも、併せてお伝えしておきます。


 どんなに心が敏感であって、意識の世界をどんなに語ろうとも、肉が基盤であれば、感じた喜びは苦しみに変わってしまいます。もともとその喜びは偽物だからです。

 どんなに心が敏感であって、意識の世界をどんなに語ろうとも、肉が基盤であれば、感じた喜びは苦しみに変わってしまいます。もともとその喜びは偽物だからです。だから心が変わるのです。肉を基盤としない、すなわち意識を基盤とするならば、そんなことは絶対あり得ません。それが意識の世界の真実です。肉を基盤とする心では、当然意識の世界、真実の世界は絶対分かりません。心の転回が進めばそのことはいとも簡単に分かることですが、自分は心が敏感で意識の世界に通じているという思いが、そのことを分からなくしてしまっているのです。つまり肉の次元に留まっていることが、分からないのです。
 だからチャネラ−と自負してきた方は、本当に難しいです。すべてをご破算にすることができないからです。自分が感じてきた世界は肉を基盤としてきたということを、その心で自分自身で認めない限り、大変困難だということを伝えてきました。そしてそのことを認めるということが、また大変でしょう。なぜならばみんなそびえ立っているからです。
 では自分自身がチャネラ−だと自覚のない方はどうなのかと言えば、今世この学びに集っている方々はみんなチャネラ−なんです。そういう方しか集ってきません。
 要するに、肉が基盤であれば、感じている世界、広げている世界が全く違います。それは自分の基盤が変わらなければ、何も変わっていないということになるでしょう。


 喜びはパワーです。私は今、心からそう思います。パワーは外から与えられるものではありませんでした。

 喜びはパワ−です。私は今、心からそう思っています。パワ−は外から与えられるものではありませんでした。パワ−を求めてきたことがどんなに無知であったか、そして冷酷なものであったか、それは自分自身が貪欲に求め続けてきたからこそ分かることでした。そしてその結果がどのようなものであったかということは、語るまでもありません。
 本当に心から喜んでいれば、肉で不思議なことも起こり得る、しかしそれは決して不思議でも何でもなく、またそこに不思議なパワ−が働いたということでもありません。喜びは仕事をします。喜びの仕事をします。そういうことだったんです。そしてまた喜んでいけばいい、ただそれだけでした。喜びが喜びを呼び起こす、本当に喜んでいれば、その循環が次第に形を整えていくということでしょう。もちろん、形を整えていくというのは、アルバ−トへアルバ−トへと思いが意識が向けられていくという意味です。本来の流れに乗ろうと意識達が心を整えていくのです。そこには肉で都合のいいことも悪いこともあるでしょう。しかしそれは肉の次元から見ているからであって、意識達の喜びの思いに触れていけば、みんな喜びだと心で感じられます。そのために生まれてきたことも意識達が伝えてくれます。
 中から突き上がってくる思いは、喜びです。すごいエネルギ−で訴えてくる思いは、みんな喜びです。そういうことが、やっと今世ひとつの肉をもらって、心で感じられることがただ嬉しいです。私は喜びだと、喜びのパワ−だと、そう心で知ったのです。


 私は欲も何もない、ただアルバートを分かる方との出会いがあれば、それが私の喜びです。ともにアルバートを喜び合える、これ以上の喜びも幸せも嬉しさもありません。

 私達は、もう十二分に学ばせていただきました。今世肉をもらって、真実の世界を肉を通して知るチャンスに恵まれました。長年学んでこられた方の中で、これ以上何とかという思いが出たなら、それはもう救いようのないほど欲深いのではないでしょうか。至れり尽くせり、そして手取り足取りとはこういうことを言うのでしょう。そのような中でぬくぬくと私達は過ごしてきました。後はそれぞれが巣立っていくだけです。
 セミナ−は事実上終息の時を迎えています。今はもうそういう時期なのです。未だに肉を本物として心をふらつかせている方は論外です。もちろんセミナ−の門戸は大きく平等に開かれています。本を通して集ってくる新しい仲間との出会いのために、今世その扉はまだ大きく開け放たれています。その扉の向こうは、言うまでもなく250年後の世界です。250年後の来世に出会う仲間との出会いを、私は楽しみに待っています。本を通して必ず集ってくれる仲間を待っています。
 私は欲も何もない、ただアルバ−トを分かる方との出会いがあれば、それが私の喜びです。ともにアルバ−トを喜び合える、これ以上の喜びも幸せも嬉しさもありません。喜びの中に幸せの中にあったということを、心で分かり合えるほど嬉しいことはありません。


 それぞれが自分で選んで歩んでいます。間違いなく意識の世界における自分が選んでいます。そしてそこには良いも悪いもありません。その過程において、それぞれが心できっと気付ける時が巡ってくるでしょう。

 それぞれが自分で選んで歩んでいます。間違いなく意識の世界における自分が選んでいます。そしてそこには良いも悪いもありません。その過程において、それぞれが心できっと気付ける時が巡ってくるでしょう。自分を地獄に突き落として突き落として、それでもまだ気付かずに地獄の奥底を這いずり回っても、自分という存在は消え去ることはありません。本当の自分が自分を生かしています。
 私は、今世そのことに気付きました。今私は自分を生かしている本当の自分の存在を心で感じています。だからもう地獄から出て地獄へ帰る従来の循環の中に私はいません。もちろん250年後の来世を待って、次元移行というスケジュ−ルがありますから、莫大なエネルギ−は心に抱え持っています。しかしそれは地獄の奥底という意味ではありません。すべてが一瞬にして喜びへと変わっていくエネルギ−ということです。そして喜びはパワ−、プラスのパワ−として宇宙に仕事をしていくこれからの時間です。
 私はアルバ−トにすべてが「はい」です。「はい」と答える私が嬉しいだけです。アルバ−トとともにある、これからの時間、空間を思うとき、ただただ嬉しい、喜びです。
 肉は色々な方の協力を得て成り立っています。私はだから肉ももちろん幸せです。アルバ−トを基盤とする心にはみんなありがとうしかありません。そしてこれからの時に思いを馳せる意識達の喜びが心に響いてきます。


 消えていく影を影と知りながら過ごす人生と、影をしっかりとつかみながら影を追う人生、幸せ感に大きな隔たりがあります。いえ隔たりどころか決して交じり合わない世界です。

 消えていく影を影と知りながら過ごす人生と、影をしっかりとつかみながら影を追う人生、幸せ感に大きな隔たりがあります。いえ隔たりどころか決して交じり合わない世界です。私は、一人でも多くの方がそのことに心で気付いていってほしいと思っています。
 自分の人生を振り返ったとき、本当に生まれてきてよかったと心から思える、そんな肉の時間が持てるなんて最高に幸せだと思いませんか。誰がいるからとか何があるからとか、そうではなくて誰もいなくても何がなくても、私は生まれてこれたことがただただ嬉しい、ありがとうお母さん、お母さん私は幸せです、その思いの中の自分と対面できる時間、空間、本当にそれだけでいいんです。
 自然から遠くに離れてしまった人類に幾度となく促しがあるでしょう。影を影と知らずに存在し続けてきた人類にとってそれは大変な時代の突入です。ああ、でもすべての意識達がその流れの中に存在している現実を、そのような形で示していけるなんて、宇宙に流れ出す喜びのパワ−のすごさを思います。
 流れ、その流れに逆らえば逆らうほど、それは正確に返ってくることを自らの体験で知っていくことでしょう。あまりにも偉くなり過ぎたそして驕り高ぶってきた私達でした。それでも自ら顧みるチャンスを用意している、すごい計画だと感じています。


 チャネラーの次元の肉などこの世にゴロゴロいます。そんな次元を誇ってきたり崇めてきたりしてきたことが、どれだけ愚かなことであったか、無知とエゴと欲の塊であったという自覚が本当にご自分にあるでしょうか。

 肉で生き肉で死んでいった長い時間の中で、その基盤を変えるのは容易ではありません。そのことは私がここで改めて言うまでもなく、それぞれの心ですでに何度も感じておられると思います。確かに肉は一生懸命かもしれません。しかしじっと心を覗いてみてください。あなたの心は肉の基盤を決して離していません。しっかりと握っておられることを自覚していってください。
 それぞれそれなりに以前よりは変わってこられた方は多いでしょう。私はでも何度も言いますが、チャネラ−と思ってそれなりのことをなされた方、あるいはチャネラ−を心に入れ学んでこられた方、本当にしっかりと自分の使ってきた心を確認しないと、難しいでしょう。端的に言えば、同じ基盤の上で以前よりもどうとかをやっているだけだと思います。
 そういう場からは、アルバ−トとか田池留吉の宇宙とかは分かりません。程遠い世界です。チャネラ−の次元の肉などこの世にゴロゴロいます。そんな次元を誇ってきたり崇めてきたりしてきたことが、どれだけ愚かなことであったか、無知とエゴと欲の塊であったという自覚が本当にご自分にあるでしょうか。
 学びの一過程だったから仕方がなかった、その大義名分を掲げては、自分の愚かさも過ちも気付けないです。都合のいい反省では、結局は基盤を変えるのは難しいということになると思います。


 アルバートは私のすべて、そこから私は出発しています。私の基盤はアルバート、だから幸せ、だから嬉しいです。

 多くの仲間達と出会える250年後が楽しみです。肉を持ってアルバ−トのもとに集える喜びを今私は満喫しています。アルバ−トは私のすべてです。アルバ−トがあるから肉も幸せで喜びです。肉で受ける感動、すなわちその次元の楽しみとか嬉しさ喜びは、アルバ−トとともに存在しています。私は、アルバ−トとともに存在するところからそれらの映像を眺めています。根本にアルバ−トがあるから、映像を映像として受け取っています。それが楽しければそれもよし、また映像が乱れてもチャンネルを切ればいいだけです。
 チャンネルを切れば心に広がっていく本来の世界があります。アルバ−トの世界に思いを馳すれば、全然比較できない喜びと幸せが心に広がっていきます。そしてそれは映像ではなく、紛れもなく私の世界、私自身がそこに存在しています。私が生きている、大きく広がっていく世界、それが私の世界です。それを心で感じているから、肉の感動は確かに薄くなったように思います。ただの映像に過ぎない、そこには実体がありません。まさに影です。その影を楽しみながら、またありがとうの思いを流しながら過ごす肉の時間です。
 肉の幸せも喜びも楽しみもみんなアルバ−トにひとつ、本当の喜びと幸せの中にある私には、それが実感できます。アルバ−トは私のすべて、そこから私は出発しています。私の基盤はアルバ−ト、だから幸せ、だから嬉しいです。


 元気で行動的でそしてそこで出会う様々な出来事を通して、自分の心を見ていくことだけが、アルバートの道ではありません。病床にあっても、身体が不自由でも、本当に自分の中の優しさ、温もり、アルバートの存在を信じていこうとするならば、それらはみんな自分にとってかけがえのないものになってくると思います。

 肉がなければ真実の世界に触れることはできません。そしてまたその肉も体力、気力を要求します。肉体細胞が病んでからでは難しいです。やはり身体が充実していればこそ、気力も高まってくると思います。ここを踏まえて自分の健康管理をきっちりとしていくことも、アルバ−トを知っていく大切な条件でしょう。
 しかし健康管理をどれだけしていても、肉体細胞が病むことはあります。病とともに心を見ていく、自分の使ってきた心、思いを見ていく、そのことを自分で設定しているのだと思います。そういう状態になってこそ気付けることはたくさんあると思います。自分が出してきたエネルギ−をその肉体細胞はしっかりと受けてくれていると思えば、そこにはただただ懺悔とありがとうの思いしか出てこないでしょう。自分の間違いに気付けるとともに、いかに私は優しさの中にあったかということが、その病とともに感じていけるのではないでしょうか。
 元気で行動的でそしてそこで出会う様々な出来事を通して、自分の心を見ていくことだけが、アルバ−トの道ではありません。病床にあっても、身体が不自由でも、本当に自分の中の優しさ、温もり、アルバ−トの存在を信じていこうとするならば、それらはみんな自分にとってかけがえのないものになってくると思います。アルバ−トだけを見つめて存在すること、それが最も大切なことだと私は思います。


 心にふるさとがある、帰りたかったふるさとがある、それがアルバートだった、紛れもないたったひとつの真実に巡り合えるチャンス、それが私には今世でした。

 アルバ−ト…、お母さんの子守唄が聞こえる、そうそれは温もり、優しさ、まさにふるさとです。ふるさと…、ああだからたまらなく嬉しい、懐かしい、心は知っています。ようやく辿り着きました。ようやく思い出しました。私はだから今世、大きな大きなどこにもないたったひとつの宝物を心に持って、この肉を離すことができます。本当に幸せです。心の底から幸せだという思いが沸き起こってきます。
 こんな人生があったんですね。いつも私はそのことをしみじみ思います。心が満たされるとはこういうことなのかと、肉が幸せで喜びとはこういうことなのかと、おびただしい数の私が心で頷き、喜びをかみしめているように思います。
 心にふるさとがある、帰りたかったふるさとがある、それがアルバ−トだった、紛れもないたったひとつの真実に巡り合えるチャンス、それが私には今世でした。そのことをよく知って私はこの肉を持ってきたのでしょう。今世がどんなに大切なときなのか、心に感じてくればくるほど、深く強く響いてきます。
 思いが現象化する、その通りだと思います。アルバ−トに出会いたい、この思いのままに自分の人生は遂行してきました。そのときは肉は分からずとも、着々と事は成されていったのだと思います。自分を振り返るとき、まさに流れというものを感じています。流れの中にあるということを感じずにはいられません。


 自分自身との約束、固い約束、私の心はいつもここに突き当たります。自分を決して裏切りたくない、だから自分にしてきた決意は、ここぞというときにはみんなかなぐり捨てるほどのものです。

 自分自身との約束、固い約束、私の心はいつもここに突き当たります。自分を決して裏切りたくない、だから自分にしてきた決意は、ここぞというときにはみんなかなぐり捨てるほどのものです。この決意の強さは自分自身にしか分かりませんが、心に喜びを感じれば感じるほどに、やはりそうだったと、そしてこの思いが私自身を引っ張ってきたのだと思います。
 私は特別ではありません。肉で頑張っているわけでもありません。肉は愚かだし闇だらけです。心ができているなんて口が裂けても言えません。でも事実私は嬉しいし、幸せな時を過ごしています。肉は何も不自由していません。どこにでもある肉をまとっている私ですが、意識の世界ははっきり違っています。波動を感じながら、波動の中に存在する自分自身を感じながら日々を過ごす、幸せだなあと思います。
 究極はアルバ−トです。アルバ−トを思う私には何もありません。アルバ−トに出会うために生まれてきた決意の強さを感じながら、今その望み通りの人生を自分に与えている喜びとともに私はあります。本当に望み通りの展開です。心から沸き起こる思いは、嬉しい、ありがとう、だけです。
 アルバ−トとともにある私だということだけが動かし難い現実、それだけを見つめて私はこれからも存在し続けていくことでしょう。


 長い長い転生を思えば、肉の世界がどんなに色鮮やかな映像であっても、そんなものは本当に映像に過ぎません。そんなものに心を売り渡して自分を台無しにしたくないというのが私の本音です。

 長い長い転生を思えば、肉の世界がどんなに色鮮やかな映像であっても、そんなものは本当に映像に過ぎません。そんなものに心を売り渡して自分を台無しにしたくないというのが私の本音です。
 どんなに長い時を経て今ここに存在しているのか、それも地獄の奥底を這いずり回って沈み込んできた転生ばかりです。そんな中からようやく今世必死の思いで、母から肉をもらってきたのです。私は私の心は、そのことをよくよく心得ています。何にも引き換えるものなんてない、この世に何があるのか、私の中の思いと引き換えるものなんかこの世に存在するはずがない、私の偽らざる思いです。
 その思いが根底にあるから、私は真っ直ぐです。自分が望んできたものにただ真っ直ぐに突き進むだけです。それは肉では推し量れないほどの思いです。私の基準は誰が何がではない、その私自身の思いです。
 どんなに喜んでいるか、どんなに私は幸せであるか、アルバ−トを本当に心から感じていない方には分かりません。真実の世界、真実の波動の世界を感じれば、出てくる答えはひとつです。ああ私はこれだと心で分かります。どうでもいいようなことは別として、でも、どうして、何で、どうしよう、こうしよう、そんな思いは出てきません。


 喜びは喜びを誘い、気付きを促していきます。アルバートを思い、アルバートとともにある心から流れるエネルギーは仕事をしていきます。嬉しいね、幸せだなあとやっていれば、自然に周りが整ってきます。

 せっかくこのようにして肉を持って、そして出会いがあり、ともに学べるチャンスを用意してきました。私は一人でも多くの方が、自分が生まれてきたことを心から喜べる幸せ、喜びをその心に広げていってほしいと思います。
 ほんの一握りの方々が、真実の世界を知るチャンスに巡り合っています。全部自分で予定してきたことでしょうが、そのことを心から喜んでいきましょう。
 こうなりたい、ああなりたい、こうしてくれ、ああしてくれ、感じさせてくれ、知りたい、分かりたい、もうそのようなもの一切なしにして、ただただ喜びで、そうですね、ただただ喜びで、ともに喜び合っていきませんか。
 私は気負いも頑張りも比較競争も何もない、もちろん要求する思いもありません。真っ直ぐに自分を見つめて、自分の道を進んでいます。それだけでいい、真っ直ぐに突き進んでいけることが幸せで喜びです。
 喜びは喜びを誘い、気付きを促していきます。アルバ−トを思い、アルバ−トとともにある心から流れるエネルギ−は仕事をしていきます。嬉しいね、幸せだなあとやっていれば、自然に周りが整ってきます。こんな嬉しい中に私達は存在していたんだと、一人でも多くの方に心で味わってほしいと思うだけです。私自身幸せだから嬉しいから、ただただそう思うだけです。


 意識、波動の世界は、文字通り心で感じる世界です。そして言葉にならない世界です。しかし、その世界を言葉あるいは態度により巧みに変換されてしまうと、肉が基盤である方はそこにはまっていきます。基盤が肉であるということにも気付かずに、意識、波動の世界に通じていると思ってしまう、最も危険な状態です。

 何もかもあなたの心で感じていくことですが、そしてまた心で感じていく以外にないことですが、基盤が違っていれば、その世界は全く違います。と言ってもどこか別世界に存在しているのでなく、確かにひとつの世界にともにあるのに、基盤が肉だから通じ合わないということです。意識の世界に壁などないけれど、大きな隔たりがあるのを感じます。
 基盤が肉であれば、絶対通じ合わないということ、このことを自分の心で知っていくことこそが最も大切なことです。みんな何がしか通じていると思っている、しかし基盤が変わらない限りそれはその次元のものなんです。
 意識、波動の世界は、文字通り心で感じる世界です。そして言葉にならない世界です。しかし、その世界を言葉あるいは態度により巧みに変換されてしまうと、肉が基盤である方はそこにはまっていきます。基盤が肉であるということにも気付かずに、意識、波動の世界に通じていると思ってしまう、最も危険な状態です。
 喜び、心の広がりと言っても、真実の世界と違う、程遠いということを、自分の心で感じていってくださいというのが、波動の勉強の主眼です。すごい勉強をしているということにもうそろそろ気付いていってください。もちろん気付かれなくてもいいです。しかし、従来のチャネリングとは全く違うということに、いつかはあなたの心で分かるときが来ると私は思っています。


 肉を肉として見る限り、真実の世界は分かりません。私はそのことを今世、この肉を通して知ることができました。嬉しいです。何とも言えず嬉しいです。

 私は、今はもちろん自分の心の世界、意識の世界を現実のものとして受け止めています。それは言うまでもなく心に響いてくるからです。しかしまだそれがおぼつかなかった頃、すなわち田池留吉を肉として見ていた頃がありました。しかし、肉として見ていたその時においても、私は当時を振り返り、私の眼中には田池留吉しかなかったと断言できます。そのこの人と集中する思いが、肉を通しあらゆることを語ってきたのだと思います。口汚く言い放った言葉でしたが、私は決して田池留吉を見下してとか、そういう思いはありませんでした。結局、目をむいて挑みかかったり、首を絞めにかかったり、もちろん言いたい放題の憎まれ口も、自分の中の決死の思いの表れでした。その証拠に私の心は本当に変わりました。
 肉から意識への転回、波動を感じるたびに嬉しさが喜びが幸せ感が大きく心を埋め尽くしていく体験を重ねることにより、様々なことが心で感じられるようになりました。
 一番は、生まれてきたことに対する喜びです。本当の自分の存在を知り、なぜ肉をもらってきたのかを心で知りました。田池留吉を通してアルバ−トの波動に触れ、その世界を深めていく喜びと幸せを味わっています。私は大満足です。自分が望んできた通りに歩みを進めています。
 肉を肉として見る限り、真実の世界は分かりません。私はそのことを今世、この肉を通して知ることができました。嬉しいです。何とも言えず嬉しいです。


 態度や言葉ではありません。明るくふるまっても、にこやかに丁寧な物腰であっても、信じているものが肉であり、握っているものが肉であれば、それはその世界のものです。波動は暗い、重い、冷たいです。

 私はあなた、あなたは私です。ということは、私は私の世界を語っていると同時にそれはあなたの世界でもあると言っているのです。
 そびえ立っている方は、それが許せないのです。認められないのです。何で私でないんだという思いが心の根底にあります。全部肉です。また自分の心に感じられないからもうひとつピンとこない、しっくりこない、それも全部肉です。
 肉基準は、一様にして己がそびえ立っているということです。皆さん、自分がそびえ立っていることがなかなか心で分かりません。そびえ立っていない方などないに等しいと言ってもいいくらいのものです。
 そんな中で、私は何々の意識、誰それの生まれ変わりと浮かれてきただけのことです。それはあまりにも厳し過ぎると言うのであれば、あなた自身その過程を本当に自分の肥やしになさってこられましたか。そういうことを経てどれだけ自分の心が変わられたでしょうか。もし変わりつつあるならば、それは波動にみんな表現されていきます。流れるものが優しく柔らかく軽くなっていくということでしょう。
 態度や言葉ではありません。明るくふるまっても、にこやかに丁寧な物腰であっても、信じているものが肉であり、握っているものが肉であれば、それはその世界のものです。波動は暗い、重い、冷たいです。その波動の違いを、自らの心で感じて知っていくことこそが、極めて重要なことではないでしょうか。


 アルバートもいいけれど、こちらもいい、そんな思いなど微塵も出てきません。それが私の現実です。肉を持っている今の現実です。

 もうそろそろ皆さんの手元に置いてもらえると思います。どうぞ大切にそして読みこなしていってくださることを願っています。粗末に扱われた方も、いずれはここにまた戻ってこられるだろうと私は思います。なぜならばこれが原典だからです。単なる本ではないことを自分の心で分かる時が必ず訪れると私は思っています。
 250年後に向けて準備が着々と整えられている、その喜びが心に感じられます。250年後に繋ぐために今世のこの時間と空間があることを、私の心ははっきりととらえています。肉に踊らされ肉に舞い上がり、また肉に沈み込んでいくことはゆめゆめあってはならない、私のシナリオの中にはもうそういうものはありません。
 なぜ私はいつもそうはっきりと言えるのか、それは自分が探し求め続けてきたものにバチっと出会ったからです。それはそれは長い長い転生の果てでした。心で感じている私には、何度も語るように、待ち続けてきたこの思いと引き換えるものなんて何もないことが手に取るように分かるからです。
 アルバ−トもいいけれど、こちらもいい、そんな思いなど微塵も出てきません。それが私の現実です。肉を持っている今の現実です。何のために今肉があるのかということを私は本当に知っているのです。この喜びが一冊の本になりました。ありがとう、そしてただただ嬉しいです。


 次元移行の流れ、私達はまさにその流れの中にあります。これは空理空論でもなく予言でもありません。その流れは実在です。それは基盤を変えれば分かります。

 次元移行の流れ、私達はまさにその流れの中にあります。これは空理空論でもなく予言でもありません。その流れは実在です。それは基盤を変えれば分かります。その流れの中で、私は今世肉をもらいました。そして肉をもらう、生まれてくることの喜びと尊さを心で知りました。
 私の心に響いてくるのは、来世の喜びと肉を持っている幸せです。周りの出来事から人からそして社会現象から、自分の心に訴えてくるものを感じます。でもそれもまた、今こうして肉を持って見て聞いて触れているから感じられるのです。このように肉を持っているからこそ、私は私と出会えています。それがありがたい、どんな私でも、今出会っていることに、たまらない優しさと嬉しさを感じます。自分自身の優しさと喜びを感じます。
 私はどれだけ幸せな中にあったかを、心に溢れるほど感じています。そしてまたこれからどれだけ喜びの自分自身と出会えるか、全く見当もつかないくらいの喜びだということが分かります。
 私の250年後は、一瞬にしてそして一気にです。今世の肉を通しそれを感じ、知りました。心が叫んでいます。嬉しいって叫んでいます。250年後の来世が叫んでいます。そしてその来世とともに過去からの私がみんな次元移行していく、新たなる旅立ちを今か今かと待っています。


 肉に生きる意識は、本当に信じるとはどういうことか、知りません。信じることの喜びと幸せを知りません。簡単に信じるという言葉を使うけれど、それは心の底に欲の思いがあるからです。

 肉に生きる意識は、本当に信じるとはどういうことか、知りません。信じることの喜びと幸せを知りません。簡単に信じるという言葉を使うけれど、それは心の底に欲の思いがあるからです。満たしてほしい欲があり、そのために私は信じていますと誓うのです。だから要求するものが手に入らなければ、その信じる思いはたちまち変貌していきます。本来の姿を露呈していくのです。それが他力のエネルギ−、他力の心です。そのことにまだ気付かれていない、だから当然、私はそんな欲いっぱいではないと思っておられるかもしれません。
 基盤を変えると、そういうことも明白に感じられます。私にはともに歩んでいこう、歩んでいきたいという思いはもちろん強くあります。だからといって、私はそのような他力のエネルギ−には引きずられません。ただ真っ直ぐに我が道を見つめ、真っ直ぐに突き進むだけです。肉基盤から見れば、独断的、冷酷、エゴに映るかもしれませんが、私の心はそのような外野の声は受け付けないでしょう。
 他力に沈む意識とともにはできません。この一文を見て冷たいと思われるなら仕方がありません。しかし波動を感じていってください。どちらが冷たいのか、あなた自身の心の中を感じていってください。今はそのようにお伝えする以外にはありません。


 自分が特別だと思っている方は、絶対アルバートの道は歩めません。アルバートを低く低く見下げ続けているのです。

 私はただ私だけを見つめています。自分の歩いてきた道、これから歩いていこうとする道、その道筋をしっかりと真っ直ぐに見つめています。
 私の心の中にはっきりと浮かび上がってくるのです。もちろん私の今世以前の転生は真っ黒、地獄の底の底の奥底でした。私はそのことを自分の心の中ではっきりと確認しています。そしてどうして今世肉をもらってきたのか、なぜ田池留吉との出会いがあり今があるのか、私は自分の心で認識しているのです。私の世界には私しかありません。
 自分が特別だと思っている方は、絶対アルバ−トの道は歩めません。アルバ−トを低く低く見下げ続けているのです。私はだからご自分の実態を一日でも早くご自分の心で分かっていかれることが先決だとお伝えしていますが、あまりにも己が偉くて、馬耳東風の感があります。もうご承知のように肉では低姿勢で物腰も柔らかく、この学び一筋のように見える方も、その方の意識の世界に思いを合わせれば、心に響いてくるものはとても重苦しいそしてとても冷たいものです。
 そこのところがまだ学びの日々の浅い方はもちろん、長く学んでこられた方々においてもピンときておられません。
 何度も言いますが、学びはアルバ−トと自分、自分と自分の世界です。何をするのもどんな思いが出てくるのも、それはみんな自分が選んだ結果だということです。自分に厳しくが自分に最高に優しいということがお分かりになられるでしょうか。


 私は本当に自分に一番冷たかったなあと心からしみじみ思えるような今世であってほしいと私は思います。あなたの肉を通して伝わってくる意識達の思いを私は代弁させてもらっておきます。

 本当の喜びと幸せが心で分かるには、真っ黒な自分との出会いがなければなりません。己が偉くそびえ立っていては、真っ黒な自分と出会うことはありません。心で色々感じられていても、本当に優しくなければ自分自身を受け入れてやれないのです。自分を受け入れていくというのは、教えるのでもない、諭すのでもない、ただ受け入れていくということです。抱きしめていくということです。己がそびえ立っていれば、それができないのです。全然優しくない、出会いがあっても全部拒否していきます。頭で受け止め頭で受け入れていっているだけです。真っ黒な自分との出会いがあってこそ、肉をもらって生まれてこれたことがどれだけ喜びかが感じられるのではないでしょうか。地獄の奥底から這い上がってきた、一縷の望みを今世の肉に懸けてきた、その思いがあなたの心に響いてきませんか。本当に肉というものはやっかいなものですね。それだけの思いを心に秘めてみんな生まれてきたのに、今世もまた同じ過ちを繰り返していくのですかと私は何度も何度もお尋ねしています。
 決意の強さの差はあるでしょう。またそれぞれにシナリオは違っています。だから当然足並みは揃いませんが、私は本当に自分に一番冷たかったなあと心からしみじみ思えるような今世であってほしいと私は思います。あなたの肉を通して伝わってくる意識達の思いを私は代弁させてもらっておきます。


 心、意識の世界はそれぞれの気付きでいくらでも広がっていく世界です。逆に言えば気付けないと何も変わらない世界、波動の世界はそのような世界です。

 ともに生きる喜びと幸せ、ともに歩む喜びと幸せ、どうぞどうぞその心で感じていってください。
 肉に覆われた世界には、どのようにしてもこの世界の喜びと幸せを伝えることはできません。あなたの心が肉の世界を離したとき、その時に私達がお伝えしていることが、それこそ手に取るようにお分かりなられることだろうと思います。実感として、これこそが現実として心に伝わってくるその世界の喜びと幸せは、本当に何にも換えられないものだと本当に分かることでしょう。
 これから250年の間が大変楽しみです。今世出会ったあなたも、あなたも、どうぞ私達と出会ったとき、喜びの花開くそんな出会いとなられるように、これからの時間と空間をよろしくお願いしたいと思います。喜びのエネルギ−に変換していけるご自分であることを、心で確信できるこれからの転生になるだろうと思います。
 私はただただ嬉しいです。ともに次元を超えていける意識達が集ってくる来世の時間と空間をただただ喜びで迎えたいと思っています。素晴らしい計画のもとにこのように集わせていただいたことが本当に嬉しいです。他力のエネルギ−に沈んでいくのではなく、そのエネルギ−を抱きしめともに歩めるご自分であることに早く気付いていってください。
 心、意識の世界はそれぞれの気付きでいくらでも広がっていく世界です。逆に言えば気付けないと何も変わらない世界、波動の世界はそのような世界です。


 他力のエネルギーを心に蓄えてきた意識の世界は、とてつもなく己が偉いのです。それは今あなたが思っておられるような程度ではありません。そしてその自分の世界が根底から崩れていかなければ、真実の世界を心に広げることはできません。

 今、肉を持っているその条件は私もあなたも同じです。肉を持っているということには何ら変わりはありません。そして学んでいくチャンスも平等に割り当てられています。そこからどのようにして心の転回をしていくかがそれぞれの問題です。多くの方はそれよりもずっとずっと離れたところでごちゃごちゃしていて、少しも中心に入ってこなかったというのが実情でした。ポイントを外した学び方では、いくら年数をかけても実りはないのです。そういうことが今発売中の本を通して分かってもらえればと思っています。
 他力のエネルギ−を心に蓄えてきた意識の世界は、とてつもなく己が偉いのです。それは今あなたが思っておられるような程度ではありません。そしてその自分の世界が根底から崩れていかなければ、真実の世界を心に広げることはできません。その手立ては天変地異より他にないということは、もうそれぞれが程度の差こそあれ、心に感じられておられるだろうと思います。
 大きな計り知れない愛のエネルギ−が働く中でなされていく出来事、そこのところに思いを向けるとき、自分自身が今肉を持っていることがたまらなく嬉しいし、どうして肉があるのかということと、肉を持ってなすべきことが明確に心で分かります。心の歴史が変わる喜びを私は感じています。


 「心は知っています。すべては自分の心で分かります。自分の心の中に真実があります。私は真実、私は愛です。」私は今世の学習の中で、そのことを自分の心で体験しました。

 タイケトメキチ、肉を持ってくれてありがとうございます。田池留吉という肉を持ってくれて、そして私達も肉をもらって、出会わせていただきました。そのことがただただ嬉しいです。心の奥底から響いてきます。私は肉を持つことの喜びを心に感じています。
 肉を本物とする心では、本当の喜びも幸せも分からないどころか、肉の喜びも幸せすらも実は分かっていないということなんです。肉を本物とする心は、肉を大事にしながら実は粗末に扱っていきます。それは肉をもらってきた喜び、幸せ、嬉しさを知らないからです。だから欲を膨らませ、不平、不満、愚痴を並べ、真っ黒なエネルギ−の垂れ流し状態のままです。
 真っ黒なエネルギ−を宇宙に放出してきた私達が、今肉をもらってその現実を心で感じれば感じるほどに、今がどれだけありがたいか、そして私達はどれだけ幸せな存在であるのか、もう明々白々です。
 「心は知っています。すべては自分の心で分かります。自分の心の中に真実があります。私は真実、私は愛です。」
 私は今世の学習の中で、そのことを自分の心で体験してきました。だからタイケトメキチと私、アルバ−トと私、その基本は決して揺らぐことはありません。真っ直ぐに自分を見つめていく道をただ真っ直ぐに進むだけです。


 真実の世界は、心でしか感じられない世界です。だから当然、形すなわち文字だとか言葉等々では表現できません。波動だけが真実を語る、それが分からなくなってしまった私達でした。

 私は幸せです。ふつふつと心の中から沸いてきます。私は自分がエネルギ−であることを自覚しています。学びに集う前はそのエネルギ−をすべて肉に向けていました。その中で自分の人生というものを考えてきました。間違ってはいたけれど、私は真面目に自分の人生を考えていました。そしてようやく学びに集えた私は、肉に集中してきたエネルギ−のその向け先を、自分の中へ変えていく過程を歩み始めたのでした。肉に向けてきたエネルギ−、肉に消費してきたエネルギ−を、今度は自分の中を見るということにエネルギ−を使うようになったのです。
 だから私には分かるのです。みんな自分が蓄えてきたエネルギ−の大きさ、すなわち自分のエネルギ−をその心で自覚して、その矛先を肉から意識へと変えていけばいいだけなんです。それはそうですが、肉の基盤に留まっていれば、そのことすらも全然分からないようです。分かったように思うことも、基盤が肉であれば、全く何も分かっていない、それが意識、波動の世界だということです。
 それならば、分からないことを分かったようにおっしゃるよりも、生まれてこれて嬉しいです、ありがとうと素直に喜んでおられるほうが、実があってよろしいのではないでしょうか。
 真実の世界は、心でしか感じられない世界です。だから当然、形すなわち文字だとか言葉等々では表現できません。波動だけが真実を語る、それが分からなくなってしまった私達でした。


 人生を真面目に考え、そして学びを真剣にとらえてきた方ならば、学びを通して過ごされてきた時間と空間は、大変感慨深いものとなっておられるだろうと思います。

 人生を真面目に考え、そして学びを真剣にとらえてきた方ならば、学びを通して過ごされてきた時間と空間は、大変感慨深いものとなっておられるだろうと思います。ただし、欲だけで、自分の思いを満たしてほしい欲だけでずっと来られた方、あるいは隙あらば己を表していこうとする思いが強い方、その方々は残念ながらこの学びと全く相容れません。学びの動機とか目的を再三確認するように呼びかけてきましたが、それも自分の心で気付き自分で認められなければ、一堂に会して学べるチャンスはあっても、それを無駄に費やしてこられたということになるでしょう。後に残るものは恨みと呪いです。そのエネルギ−をこれから心で知っていかれるのも、その方々の学びでしょう。私はそう思います。
 ところで、私達にはそれぞれに設定してきたシナリオがあります。みんなそれぞれに苦しみやら悩みやらを抱えてきました。それを今現在もまだ自分の苦しみだけをただ訴えるだけでは、何と自分の学びはお粗末であったのかと思いませんか。肉を通してこれだけの年数学ばせていただいた私達ほど幸せな存在はありません。喜びが分かってくれば自ずとそう思えてくるはずです。


 心に実感があるということは、それが決して消えない現実であり、それしかないということです。あるようなないような、昨日感じたものが今日はひっくり返っている、そんなことは決してないんです。

 救いようがないほど真っ黒だから生まれてきた、お母さんに生んでもらったのではないんですか。ただその真っ黒を皆さんそれぞれが、本当に自分の心で確認できているかどうかは私には分かりません。自分は真っ黒だ、何も分かっていないと口では言っているものの、本当に自分の真っ黒を知っているかどうか、そんな自分を認め受け入れているかどうかは定かではありません。本当にそのような自分を心で受け入れているならば、真っ黒を知っていけばいくほど嬉しくなってくるはずです。決して心を落としたり小さくしたり、人をむやみに崇めたりはしません。
 また波動の世界の真実を感じていけば、己を誇るとか認めさせるとか、分かった分かったと大騒ぎなどできるものではありません。更に自分自身の真っ黒を感じていくからです。それでも嬉しい、たまらなく嬉しい、こんな幸せなことはない、私は本当に幸せだ、私は本当に喜びだ、ありがとう、ありがとう、ただただありがとう、これが本当の私の世界だ、私は現実にここに存在し続けている…、そのような思いが次から次へと湧き出てきます。
 決して頭を回していない、頭などどこにもない、ただ心が感じている世界です。当然そこにはアルバ−トがあって、タイケトメキチの世界が広がっています。心に実感があるということは、それが決して消えない現実であり、それしかないということです。あるようなないような、昨日感じたものが今日はひっくり返っている、そんなことは決してないんです。


 私は言葉を選びません。黒か白です。ともに学んでいこう、ともに歩んでいこう、その思いの底にこの厳しさがあります。その厳しさに私は支えられています。その厳しさが実は大きな大きな温もり、優しさであることを私は本当に知っています。私はアルバートを本当に信じているからです。

 すべては自業自得の世界です。自己選択、自己責任です。頭だけでも真実の世界を知ったなら、これからの自分のあるべき方向が見えてきて然るべきです。
 二足の草鞋では絶対にアルバ−トが分からないと何度も繰り返してきました。本当にそうなんです。自分の都合のいいところだけをつまみ食いしているだけの方は多いです。また誰が何がとどこまでも責任を転嫁している方も多いです。誰が何がではない、自分が、です。自分がどうすればいいのか、自分は何をしたいのか、本当にこの学びをやっていこうと思っているのか、その自分の思いだけです。誰が何がなんてどうでもいい、自分のはっきりとした思いがあって、そしてそこからすべてがその思いに沿ってなされていくだけのことです。
 意志薄弱、そう結局はそうなんです。他力のエネルギ−に振り回されてなんて言うけれど、結局は自分にしっかりとした心棒がないだけのことです。それを言葉巧みに自分に有利なように言葉を並べても、たった一言、アルバ−トへの信がない、自分を信じていない、冷たくて愚かな自分自身であるということです。
 私は言葉を選びません。黒か白です。ともに学んでいこう、ともに歩んでいこう、その思いの底にこの厳しさがあります。その厳しさに私は支えられています。その厳しさが実は大きな大きな温もり、優しさであることを私は本当に知っています。私はアルバ−トを本当に信じているからです。


 私は次元移行をしてまいります。それが自分に予定してきたシナリオです。そのことが今心に確実に伝わってきている現実です。だからこそ、私にとって今世は絶対外せない時間、空間だということでした。

 まだ自分の心にはっきりとした確信がなかったとき、私は何度も何度も自分に問いかけてきたことがありました。それは、自分の今世の人生すべてをこの学びに賭けられるのかということでした。壁に突き当ったり、あるいはさあどっちだと選択を迫られたとき、私は私だけにこの問いかけをしてきました。私は私に聞いてきたのです。なぜならば、私は自分が大事だったからです。自分の人生を無駄にしたくなかったからです。
 今思うと、この思いを私は学びに集う以前よりずっと持ち続けていたのでした。そのときは、自分というものの認識も間違っていたので完全に肉の段階でしたが、今現在はなぜ自分はそう思ってきたのか、心で頷いています。
 この3次元における私の歴史はようよう幕を閉じようとしています。250年後に転生するのはその総仕上げのためです。それで私の3次元は終わりなのです。そして私は次元移行をしてまいります。それが自分に予定してきたシナリオです。そのことが今心に確実に伝わってきている現実です。だからこそ、私にとって今世は絶対外せない時間、空間だということでした。
 すべての意識達は平等に公平に真実に触れるチャンスを予定しています。そしてそのチャンスを活かすのもどうするのも、全部自分が選び決めていくことです。学びに集っているから、自動的に次元移行の流れに乗れるなんてことはありません。それはいくら出会いがあったとしても、3次元に留まる意識もあり得るということを意味します。


 本当に喜び合える、真実の喜びと幸せの中で確かめ合える、それは厚い厚い肉の殻を突き破って初めて触れる真実の世界です。その真実の世界に誘う喜びのエネルギー、天変地異はまさに私達の喜びが起こす愛に間違いがありません。

 次元移行の流れの中で、このように肉を持たせてもらった私は今幸せであり喜びであるとともに、何とも感慨深いものを感じています。次元移行を今現実のものとしてとらえる私には、ああもう何とも例えようもありません。
 肉のちっぽけな世界を飛び出した心に響いてくるのは、壮大な計画です。宇宙の法の中に生かされ続けてきた喜び、それが私達の真実の姿でした。その喜びが大きく花開く3次元最終のときに、再び肉を持って出会えることがただただ嬉しいです。
 肉に生きる意識達には、まだ私達の声は心に届きません。まだもう少し時間が必要でしょう。しかしそれももうしばらくです。やがて自分達が自分達に計画してきたシナリオの中で、ようやく真実に触れていくチャンスがあるのです。そのことが私にはたまらなく嬉しいです。
 本当に喜び合える、真実の喜びと幸せの中で確かめ合える、それは厚い厚い肉の殻を突き破って初めて触れる真実の世界です。その真実の世界に誘う喜びのエネルギ−、天変地異はまさに私達の喜びが起こす愛に間違いがありません。
 宇宙にとどろき渡る喜びのエネルギ−が、肉に生きる意識達に目覚めを促します。天も地もひっくり返りそしてこの宇宙とともに私達は次元移行を果たしてまいります。それが私達が約束してきたこと、はるかかなたより悠久の時を越えて約束してきたこと、もうそれが間近に迫っています。


 メッセージ47を心で読んでください。優しいね、どこまでも優しいよ、ふっと思いを向ければ、限りない優しさと信じて待ってくれている田池留吉の心しか伝わってきません。どんなに苦しみを訴えてもどんなに自分の正しさを語っても、その心が分からなければ、どうすることもできないことを伝えてくれています。

 今まで学んでこられてよかったですか。あなたにとってこの学びは何を意味しますか。
 やがて一堂に会して学んでいくこともなくなり、パソコンでも出会えなくなります。後はそれぞれが自分ひとりで学んでいく方法しか残されていません。メッセ−ジ47を読みながら、そこに書かれてあるような方であれば、本当に大変だなあと思わざるを得ません。後セミナ−は何回ですよ…、後一年ですよ…、何度こう予告してもらったでしょうか。残念なことに全部聞き流しにしておられる、そういう方こそ本当に心で聞いてほしいのにと私は思ってしまいます。
 心で読んでください。優しいね、どこまでも優しいよ、ふっと思いを向ければ、限りない優しさと信じて待ってくれている田池留吉の心しか伝わってきません。どんなに苦しみを訴えてもどんなに自分の正しさを語っても、その心が分からなければ、どうすることもできないことを伝えてくれています。
 これもまたどこかに書かれてありました。アルバ−トを感じられる人はいい、そうでない私達はどうなるのか…ということですが、そう思っている自分の心を覗いてみれば、いくらでもそこから学んでいけると私は言いたいです。そうしていけば、アルバ−トを感じられなくしている張本人は自分だということに簡単に気付いていけます。その気付きが本当に心であったら、嬉しいですよ。だから学びの材料なんてどこにでも転がっています。いくらでも喜びを見出していけると私は思います。


 アルバートを知らない人に心優しき人など存在しません。アルバートを知らない人にいい人はおりません。みんな真っ黒を宇宙に垂れ流し続けている悪人です。

 私は今世、濁流の中で自分の生きていく道を見つけました。明確な回答が自分の心に返ってくるから、これから自分がどうあるべきか私には何の迷いもありません。 もっとも肉のところでは多少の迷いも揺れもあるでしょうが、そんなものは取るに足らないものであり、決して私自身がそのことによって苦しむということはもうありません。
 今はただ出会いをありがとうとお伝えしたいです。形では田池留吉から教えてもらった、伝えてもらったということになるでしょうが、教えてもらってありがとう、伝えてもらってありがとうというより、出会いをありがとう、出会わせてもらって幸せです、ありがとうということだと思います。
 真実に触れた私の世界は本当に喜んでいます。私自身との出会いがあったことを実感する中で、無知とエゴと欲のエネルギ−を垂れ流してきたのが、肉を本物とする心そのものであったことをはっきりと感じます。そしてその流れはもうどうすることもできないこと、人類は堕落の一途を辿っていることも明白です。
 アルバ−トを知らない人に心優しき人など存在しません。アルバ−トを知らない人にいい人はおりません。みんな真っ黒を宇宙に垂れ流し続けている悪人です。これが意識の世界の真実、このことが心で分からなければ、やはり濁流の渦の中にともに飲み込まれていくことになるのでしょう。地獄から出てきて地獄に帰る転生を繰り返していくだけです。


 肉を頂いたことを最大限に活用していきたい、それを今世も来世の私も強く希望するところです。私は肉を持ってくることの意味を知っています。だからこそその大切さとありがたさ、幸せと喜びがこの心に溢れてきます。

 私は今、肉を持っている時間を堪能しています。特別なものは何もないけれど、私の中に確実に広がっている世界を深く感じつつ、今肉を持っている本当の意味を知り、幸せで喜びです。
 私自身の勉強として、田池留吉がその肉を消した後、自分の心に伝わってくるもの、響いてくるもの、それを自分の中で見極めていく作業、その作業を私自身が進めていくこと、それが残されています。肉があることによって、色々な出来事が目から耳から入ってきて心に揺れや波を生じさせていきます。そしてその揺れや波は、心を中に向けることによって、どんどん吸収されていきます。すなわち正真正銘そこには肉はないけれど、田池留吉のそしてアルバ−トの確かなメッセ−ジを心に感じていく時間と空間が用意されています。それを実際、自分ひとりで確かめていく、そのために私は肉をまだ持ち続けることでしょう。
 肉を頂いたことを最大限に活用していきたい、それが今世も来世の私も強く希望するところです。私は肉を持ってくることの意味を知っています。だからこそその大切さとありがたさ、幸せと喜びがこの心に溢れてきます。私は今世も来世も素晴らしいシナリオを書いてきたと思っています。


 私はとにかく自分のために生きたかった、自分の心の世界を本当に救いたかった、今世の私はそれだけでした。だから肉を維持するために心を使っていくことは最小限にしたい、またできるようになっているのだと思っています。

 私と核とはどう違うのか、私だって真剣に学んでいる、むしろ私のほうがチャネラ−という点で優れている、私もアルバ−トを田池留吉を信じています、そのような思いを今まで多くの方は持たれてこられたことでしょうし、いまだにその思いを引きずっておられる方もあることと思います。
 私はそうです、特別ではありません。そして私には比較対照するものもなければその思いも全くありません。ただ私は私を見つめてきただけです。私の思いを遂行しようとその思いだけを中心に据えてきただけです。その自分自身の思いの妨げになるものは、みんな自分の中で整理してきました。切り捨てたり見限ったりではなく、そういうものに心がとらわれたり、振り回されたり、取るに足らないもので自分の思いを見失ったり曇らせたりしてきませんでした。私は自分に正直に素直に真面目に取り組んできました。
 私とあなたと違うところと言えば、そういうところでしょうか。やはり今世に賭けてきた思いの強さの違いということでしょうか。なるほどそういうところから見渡せば、私の環境は整っています。それは私の強い決意のなせる業だと解釈しています。特別とか偉いとかではなく、その思いが現象化しているだけのことです。私はとにかく自分のために生きたかった、自分の心の世界を本当に救いたかった、今世の私はそれだけでした。だから肉を維持するために心を使っていくことは最小限にしたい、またできるようになっているのだと思っています。


 しっかり自分の心を見ていないと、偽物を本物だと思い込んでしまうのです。そこのところが最も難しいことだと思います。しかし、それは自分の心で分かります。本当のあなたは自分に嘘はつけません。

 肉を通して感じられることが喜びです。肉の状態が良い状態であってもそうでなくても、自分の肉を通して様々な思いが感じられる、それが嬉しくはありませんか。心が落ち込んでいけば、そこで自分が見えてくるし、有頂天になっていれば、そんな自分が見えてきます。こんな嬉しいことはないと思います。
 「意識の流れ」を読みこなしてくださいと申しました。上っ面だけを読むのではなく、何度も何度も繰り返し読んでいってくださることをお願いしました。アルバ−トが分かってくれば、申し上げている意味が心でお分かりになると思っています。書かれてある以上に、知識としてはたくさんあなたの頭に詰め込まれているでしょう。そして確かに心に何かを感じておられます。しかし、果たしてそれは…とクェスチョンマ−クがつく方はたくさんあるように感じられます。
 己をなくして初めて感じられる波動の世界です。アルバ−トも田池留吉の宇宙もそう、二足の草鞋では絶対分かりません。そして、他力の神々のエネルギ−のままでは、心に感じている喜びは真実の喜びではありません。しっかり自分の心を見ていないと、偽物を本物だと思い込んでしまうのです。そこのところが最も難しいことだと思います。しかし、それは自分の心で分かります。本当のあなたは自分に嘘はつけません。その本当のあなたの思いに素直になっていってください。すなわち、己を外していってください。


 私は、アルバートが実在すると証明しています。あるようなないようなそんな不確かなあやふやな世界ではないのです。しかし、それぞれが自分の心で感じられなければ絶対に信じられないはずです。また自分の心で感じてくれば、あなた自身すなわちその波動が変わってくるはずです。

 私は、アルバ−トが実在すると証明しています。あるようなないようなそんな不確かなあやふやな世界ではないのです。しかし、こればかりは私がいくら語っても、それぞれが自分の心で感じられなければ絶対に信じられないはずです。また自分の心で感じてくれば、あなた自身すなわちその波動が変わってくるはずです。
 要は波動です。自分に絶対嘘はつけません。自分を絶対騙せません。ごまかすのはできます。しかしその瞬間に心は痛みを感じます。心の世界は全く正直です。その自分自身を侮るのはもうおやめください。
 あなた自身に与えている学びの時間です。その時間をどのように過ごされても、誰も責めもしなければとがめることもないでしょう。どんなに間違った動機で集われ、欲だけの思いを広げられてもまた然りです。それらはみんな自分につけが回ってくるだけです。
 襟を正す、肉的な表現で申し訳ありませんが、学びに対する姿勢はこうあるべきだと思っています。そうしてこそ、本当に自由で開放感のある喜びと幸せ溢れる世界を広げていけるのではないでしょうか。
 あまりにも甘え過ぎ、慣れ過ぎ、言いたい放題の中をセミナ−が通り過ぎていきました。肉持ちともに学べるチャンスは残り少ないです。皆さん、それをどのように感じられているか様々だと思いますが、どうぞご自分のために大切になさっていってください。私はそうお伝えするしかありません。


 肉は愚かだから何度も間違いを繰り返します。でもその度に自分を責めたり心を落としたりするのではなく、あの時に戻ろう、あんなに喜んでいた自分があった、その自分を信じていこうと心を向けていってください。

 限りなく優しい、何とも言えずに優しい、この温もりをこの優しさを忘れていた、忘れ去ってしまっていた、そう心で感じた方は多いと思います。
 セミナ−会場がどんな場であるか、今肉を持って集えていることがどんなに幸せか、きっとあなたの心で感じられたことでしょう。肉の生活が流れる中で、様々な人と出会う中で様々な出来事と出会う中で、セミナ−会場で体験されたことを持続されることは難しいかもしれません。しかし、いつもあの時に感じたものを思い出してほしい、あそこからまた出発してほしい、私は思います。
 肉は愚かだから何度も間違いを繰り返します。でもその度に自分を責めたり心を落としたりするのではなく、あの時に戻ろう、あんなに喜んでいた自分があった、その自分を信じていこうと心を向けていってください。
 私は250年後の出会いをただ楽しみに待っています。みんなとともに喜び合えるその時を喜びで待っています。私にはアルバ−トしか見えません。アルバ−トとともに喜び合えるその世界しか感じられません。この喜びをこの幸せを一人でも多くの方が今世、セミナ−がある間に心の底から感じていってほしいと思います。私には肉の一人一人という感覚はありません。ただアルバ−トとともにある幸せな存在、それが私達であるということを私は伝えたいだけです。
 アルバ−トを思うとたまらなく嬉しい、本当に嬉しい、今回もまたその喜び幸せを存分に味あわせていただきました。


 心を浄化するために、素晴らしい自分に生まれ変わるために、自分は間違っていなかったと確認するために、そのために一生懸命反省を続けてこられ瞑想を続けてこられた、それが本当のところではないでしょうか。

 何のために心を見るのか、その意味すらも全く分からないというか間違っている方がたくさんおられます。心を浄化するために、素晴らしい自分に生まれ変わるために、自分は間違っていなかったと確認するために、そのために一生懸命反省を続けてこられ瞑想を続けてこられた、それが本当のところではないでしょうか。
 全く違います。それは根本に素晴らしい自分、間違っていない自分が鎮座しているからです。真っ黒だ、私は間違っていたと語りつつ、片方では素晴らしい自分、間違っていない自分をしっかりと握りしめておられる現状に一日でも早く気付いていってください。
 できた人、分かった人などおりません。ましてや意識が語ってくる、意識を受けているとそれとなく周りに語っている人など、そうやってただ己を表しているに過ぎないということなんです。もうそんな馬鹿げた人に心を向けていくなんてことはおやめください。
 自分にしっかりとした心棒がない方は、当然心が外に向いています。向いていきます。だからいつも絶えず自分の心の向け先を管理することが大切です。教祖と信者のエネルギ−は巧みです。その思いを掘り下げて見てこられた方ははっきり言って少ないです。それもまたセミナ−後の勉強と言えばそれまでですが、どうぞその危険性をたくさんはらんでいることをお忘れにならないでください。


 どんなに間違った生き方をしてきたか、肉が基盤では到底分かりません。立っている場が変わらなければ、みんな人として当然のことだと思ってしまいます。当たり前のことだと心は通過していきます。

 どんなに間違った生き方をしてきたか、肉が基盤では到底分かりません。立っている場が変わらなければ、みんな人として当然のことだと思ってしまいます。当たり前のことだと心は通過していきます。しかし、ひとたび基盤が変われば一目瞭然なんです。そのことをお伝えしています。簡単なことではありませんが、不可能なことではないと言っています。
 肉が基盤の方は、誰かが何かが幸せにしてくれるのではない、喜びを運んでくれるのではない、このことが分からないんです。自分の欲の思いが見えていません。だから、当然思いに沿わないものが出てくれば、呪いと恨みの世界を広げていきます。
 何のためにセミナ−に集ってくるのか、田池留吉に対してどんな思いを持ってきたか、このことは非常に大切なことです。それをおざなりにしては、自分の学びが根本的に間違っているということに気付けません。気付けないということは、どんなに学んできた、学んでいると主張しようとも、それに対する結果は他力の域を出ないということです。そこのところをはっきりさせないで、ぼやかしたままではどんなにセミナ−に集っても効果なしです。
 私達は肉を持てた幸せな存在です。肉を持つということがどんなに幸せなことなのかを心で感じてくれば、もう何も言えないです。そう心に響いてくるまで、心を見て自分にどんどん問いかけていってください。必ず自分の心で分かります。それが本来の私達だからです。


 消え去るもの、崩れ去るもの、その真っ只中において、あるいはその残骸を見て、何を感じていくか、心を通り過ぎていく思いはどのような思いか、ただそのためだけにエネルギーが働いていきます。そのエネルギーはプラスです。

 犬や猫やその他人間以外の生きとし生けるものはみんな知っているのに、本当に人間は何と堕落してしまったのだろうかと思わざるを得ません。それでも人って素晴らしい、人間とは何て偉大な存在かと信じて疑わない思いは根深いです。真実を知らずに存在しているのは肉の人間だけです。だから自分達が闇を垂れ流している、宇宙を汚しまくっているなどとは思いもしません。その現実を知らないで、私は世のため人のため家族のために尽力しています、私は愛の人、どこまでも滑稽です。
 人間の無知とエゴと欲の姿、そして無力さをこれからはよりいっそうその規模を大きくして、あらわに目の前に示されることでしょう。何も分からなくなってしまった自分達に気付きを促していく、そこに作用するエネルギ−、波動の世界に思いを向けるとき、真の力、真のパワ−、まさに力強い意識の流れを感じます。
 消え去るもの、崩れ去るもの、その真っ只中において、あるいはその残骸を見て、何を感じていくか、心を通り過ぎていく思いはどのような思いか、ただそのためだけにエネルギ−が働いていきます。そのエネルギ−はプラスです。それはマイナスのエネルギ−をみんな包み込んで吸収していく優しさ、温もりです。私はそのように感じています。だから私は、私達は幸せな存在だとしみじみ心で思えます。


 私にとって肉の環境、周りが整ってくるなんて二の次三の次でした。自分の学びが軌道に乗るまでは、そんなものに心を向ける余裕など私にはありませんでした。

 私の今世の人生は幸せな人生です。そして今世、本当の喜びと幸せを知ったことで私の過去も未来もみんな喜びであったことを感じています。自分自身が真実を知らなかった、忘れ去っていただけのことでした。誰も何も私を苦しみに突き落としたものはなかった、心からそう思います。
 恨んで呪って自分を切り裂いてきたけれど、ようやく私はそんな自分を心から抱きしめてやれる本当の自分と出会え、今は狂い続け間違い続けてきた自分の実態を心で受け止めてやれることが嬉しくてたまりません。
 上っ面の薄っぺらな喜びとか幸せではなく、心の底からの叫びです。今世肉を持つにあたって、自分に約束してきたことを果たすことができてただただ嬉しいです。私にとって肉の環境、周りが整ってくるなんて二の次三の次でした。自分の学びが軌道に乗るまでは、そんなものに心を向ける余裕など私にはありませんでした。私は元来器用ではなかったことが、功を奏したとも言えると思います。
 私の学びのスタイルはとてもシンプルでした。それは私と私の対話しかなかったからです。外からの情報は一応受けておくだけでした。心に入れかけてもそこにのめり込んでいくことはなかったです。私には私の思いがあって、それが本当のこととどれだけずれているか、いつもそのチェックをしていたように思います。それを確かめるためのセミナ−であり田池留吉という存在でした。そしてすべてが符合してきた証が、「意識の流れ」でした。どうぞ波動を感じ真実の流れを感じていってくださいというのが私の今の思いです。


 自分が自分に与えてきた時間と空間、そして大きなチャンスだということを、どんな時も心に持ちながら、残りの肉の時間を過ごしてください。

 私はそびえ立っていません。私は私に正直なだけです。そして自分の心で感じていることをただお伝えしているだけです。私には教祖の思いはありません。私の心で感じているものをそのまま感じてくださいと言うのも土台無理な話だし、また反対も然りです。だから比べるとかましてや競争するのは愚の骨頂なんです。
 セミナ−会場に肉を運びそこで何かを感じれば、その思いに従って学んでいけばいいだけです。あるいは本を通して何かを感じれば、その方はきっと自発的にセミナ−に集ってくるだろうし、たとえ来られなくてもそれぞれの意識の世界に何かが起こっていると私は思っています。
 今、セミナ−に集われている方がどの程度自分の心で感じ、気付かれているか私にはあまり関心はありません。喜んでおられればそれでいいし、落ち込んでおられてもまたそれもよしです。しかし、自分に納得する学び方、すなわち生き方を残された肉の時間できる限りしていってほしいという思いはあります。自分が自分に与えてきた時間と空間、そして大きなチャンスだということを、どんな時も心に持ちながら、残りの肉の時間を過ごしてくださいとお伝えします。
 お金が物が地位、名誉が肉のつながりが、あなたに幸せと喜びと希望をもたらしてくれるのではないことを、しっかりと心で分かっていくことが何よりだと私は思っています。


 何が起こっても、みんないいんです。不都合な現象も都合のいい現象もありません。そこからどのくらい心を転回させていけるかです。これはいい現象、これは不都合な現象、そうとらえる自分の心を見ていけばいいんです。それらの現象から何に気付いていけるか、です。

 心、思いが間違っているから、肉に不都合な現象が起こり、真実の世界を感じ始めているから、肉にも都合がいい現象が起こってくる、そう思っておられるのなら、それは全く違っています。何が起こっても、みんないいんです。不都合な現象も都合のいい現象もありません。そこからどのくらい心を転回させていけるかです。これはいい現象、これは不都合な現象、そうとらえる自分の心を見ていけばいいんです。いい、悪いを判断するのではなく、それらの現象から何に気付いていけるか、です。その時、そびえ立っている自分であったなら、みんなマイナスととらえていきます。頭ではプラス、しかし心はマイナスです。だから暗い、真っ暗、そんなご自分に早く気付いていってください。
 心にアルバ−トを感じていれば、アルバ−トがどんな世界かを本当に心で感じてくれば、みんな喜びのはずです。あなたにはまだ肉の時間が残されているのですから、いくらでも自分の心次第で、喜びのご自分と出会えるのではないでしょうか。肉体細胞の優しさに触れていってください。そうすれば、どれだけ自分自身に対して冷たかったか、厳しかったか、心の底から懺悔が沸き起こってきます。人間以外はみんな知っています。人間だけが堕落してしまったのです。


 肉をありがとう、肉を持たせてもらってありがとう、肉の喜びと幸せもまた心から溢れてきます。長い長い転生でした。心から上がってくる万感の思い、何にも換えられない思いです。

 肉の時間はどんどん流れていきます。私は自然に250年後を思っています。今が250年後であることに間違いありませんが、250年という肉の時間を経ることにより、私の心の歴史、肉の歴史に終止符を打てる、喜びの私とともにまた遥かなる旅に出ていけることを、私は本当に嬉しく思っています。
 次元移行の流れを心に感じている私には、ただただその現実がもう嬉しくて幸せでなりません。今世の出会いをありがとうと何度も何度も心から出てきます。田池留吉との出会い、そしてアルバ−トとの出会い、それがもう私の心にははちきれんばかりに喜びと幸せが膨らんでいます。
 肉をありがとう、肉を持たせてもらってありがとう、肉の喜びと幸せもまた心から溢れてきます。長い長い転生でした。心から上がってくる万感の思い、何にも換えられない思いです。今世の父がいて母がいてそして私は生まれてきました。たくさんの私とともに生まれてきました。今その思いが心に突き上がってきます。
 私は心で感じています。だから私は、あなたもそしてあなたも、早く気付いていってくださいとお伝えしています。気付けないようにしているのは、あなた自身であることに気付いていってほしいと思います。


 確かに後一年あります。しかし本当に後一年なんです。この意味を心で感じていってください。あなたの時間は永遠に続いています。しかし今のあなたの心の状態で本当に私達と次元移行できるのか、これから大変厳しい状況が待っています。

 あなたが本当に私に心を向けてくれば、いくらでも私はあなたに語っていることがあなたの心で分かります。核だけが特別ではありません。しかし核とあなたとは全く違います。真実の世界を心に広げている意識とまだ真実から程遠いところで喘ぎ苦しんでいる、悩んでいる、あるいはそれすらも気付けないほど堕落してしまっている今の現状に気付けない意識とでは全然違います。
 肉で集い肉で互いに励まし合って、同じだ同じだと慰め合っている、セミナ−の最後までそのような状態では何ともお粗末な学びではないでしょうか。
 お金と時間と周りの方のご協力そしてご自分の身体を使って、いったい何を学んできたのか、あなたは真剣にご自分に尋ねられているでしょうか。
 真剣に真面目に学びに取り組むことの意味すらもまだ心でお分かりになられていない方は多いと思います。私には感じられます。確かに後一年あります。しかし本当に後一年なんです。この意味を心で感じていってください。あなたの時間は永遠に続いています。しかし今のあなたの心の状態で本当に私達と次元移行できるのか、これから大変厳しい状況が待っています。どうぞ心が沈んでいくことのないように、今世できる限り学んでいってください。



 Aさんの反省 自分の決めてきた道筋を忠実に歩む・・・その文字を見たとき、万感の思いがこみ上げてきました。申し訳ない、私の中の意識達にただただ申し訳ない、その思いでいっぱいになります。肉に生きる、肉で生きるということがもうひとつピンときていない私でした。どんな動機で、そして目的をもってこの学びに繋がり学び続けていたかを見直したとき、土台も何もかもがすべて違っていたずれていたことに気付かされます。いかに自分に甘く、自己弁護だらけの形だけの学びだったか、結果を求めての他力そのものの学びであったかが浮き彫りにされます。土台が歪んだまま、私は正しい、間違っていない、頑張っていると思い続けた姿は滑稽です。自分の中から気付きは与えられていた、すべての意識達が私に訴え続けていた、今改めてそう思います。どれだけ自分に愛されていたか、本当に大きな愛に包まれていた自分を思うとき、ただただそれに応えていく、自分の決めてきた道を忠実に歩むこと、それが私の道だと確信します。あせらずたゆまず淡々と自分だけを見つめて歩んでいく、アルバートと自分、その道を確立していきます。


 Bさんの反省 私も20年近く学んできました。私にとってチャネラーであった時期は、自分の心の闇、凄まじい真っ黒なエネルギーと対面するための何年間でした。自分の心の世界がこんなに真っ黒でこんなに苦しいことに向き合ってこなかった、気付こうとしていなかったそれまでを、少し敏感になって自分の心で実感するためでした。だから自分の心がこんなに凄くて苦しいことに気付いた時は大きな衝撃でしたが、自分の心に向き合ってこなかったことにただただ申し訳なかったという思いが噴き出しました。闇を嫌って闇を認められなかった偉い偉い私に気付き始めた時、私の本当の学びが始まりました。
 でも心のエネルギーというものはちょっとやそっとで転回できるものではありませんでした。何度も何度も失敗しながらそれでも必死になってこの道を歩いていこうとする私がありました。それは肉で努力するとか頑張るとかいうものではなく、心からほとばしるものでした。そんな自分が今愛しくて愛しくてなりません。本当に意識の真っ只中にあったことを感じます。これからも勿論です。そうです、私達は修正の道を歩いていくことを自ら決めてきた意識だからです。ただただありがとうしかありません。しっかりと自分の心に向き合っていきます。


 Cさんの反省 セミナーで、ホームページでどんなに喜びを感じても、時がたてば元の木阿弥、真っ黒な苦しみの世界で浮き沈みを繰り返している私です。それはやはり土台が転回していないからだと思います。
 でも、少しずつ少しずつ、意識を信じ、喜びを信じていこうと思うと、私の心の中から喜びが湧きあがってきます。壮絶な苦しみの中でうめき続けた無数の意識達にとって、私がそうやって少しでも自分の決めてきた道を忠実に歩んでいこうと思うことがどれほどの喜びであるのか、心から伝わってきます。私はこれらの意識に後押しされて、無数の私と共に進んでいけるのだと思います。
 地獄の奥底から壮絶な苦しみを抱えて生まれてきた私です。少しでも真実に触れたい、心に安らぎを伝えたいと決死の覚悟でお母さんに生んでもらいました。それを受け入れてくれた母を思う時、言葉になりません。肉に走り、自分で自分を見限り、絶望のどん底に自分を突き落としてきました。しかし、そんな私を「愛しい」と大きな温もりが湧いてきて包み込んでいきます。真っ黒が愛しくて、真っ黒が嬉しいです。


 Dさんの反省 今世、チャネラーであったことが、どれほどの汚点を残し、そしてさらに真っ黒な暗黒の闇の中に自分を落としこめてしまった結果をうんだとしても、最大の自分に対する愛だったと感じています。己偉しの心を、自分は特別、選ばれたもの、偉大なパワー、エネルギーを持った人を導く者、瞬時に出る心、思い癖、表面に浮かぶあぶくのようなものの下に潜む壮絶なエネルギーに早く気付きなさいという促しを何度も受けていながら、素直に受け入れる心などなく、落ちるところまでまっさかさまに落ちていった現実があります。田池留吉の上に立ち、己こそはと宇宙を支配するエネルギーを出し、それでも自分をよしとするエネルギーを出し続けていたことを思うとき、許され続けていた自分を感じます。こんなに間違っていたんだ、言葉にしようもないくらい間違いだらけだったんだ、それでも許され受け入れられ生かされている現実を感じるとき、もう言葉はありません。私は自分を愛することを知りませんでした。自分に冷たくいつも切り刻んでいました。でも今そんな自分をも包む優しさ、温もり、それがアルバート、そして自分自身だということが伝わってきます。ただただありがとう、間違い続けてきました、そんな思いが吹き上がっています。そして嬉しいです。本当の優しさ、温もり、柔らかな安らぎ、それはアルバートとひとつ、その思いの中にはじめて感じられる思いだったのだと伝わってきます。


 Eさんの反省 自分の苦しみに出会えることが嬉しいなんて分かりませんでした。嬉しいです。自分の苦しみに出会えることがこんなに嬉しいなんて説明が出来ないけれど嬉しい。苦しいから生まれてきました。そして今その苦しみに喜びで出会えていることが嬉しい。



         あなたは、なぜ生まれてきたのですか。
         あなたは、どうして今そこにいるのですか。
         あなたは、本当の自分自身に会いたくありませんか。
         あなたは、このまま死んでいくつもりですか。









 こころの歌   13  ウェルナーの野ばら  訳詞 近藤朔風 作曲 ウェルナー
          14  黄金虫  作詞 野口雨情 作曲 中山晋平
          15  菊の花  作詞 小林愛雄 作曲 井上武士
          16  夕焼小焼  作詞 中村雨紅 作曲 草川 信
          17  叱られて  作詞 清水かつら 作曲 弘田龍太郎
          18  紅葉  作詞 高野辰之 作曲 岡野貞一
          19  どんぐりころころ  作詞 青木存義 作曲 梁田 貞
          20  まっかな秋  作詞 薩摩 忠 作曲 小林秀雄
          21  仲よし小道  作詞 三苫やすし 作曲 河村光陽
          22  赤い帽子白い帽子  作詞 武内俊子 作曲 河村光陽
          23  どこにも秋がある  作詞 サトウハチロー 作曲 湯山 昭
          24  遠足  作詞 佐野保太郎 作曲 信時 潔
          25  学校坂道  作詞・作曲 西口ようこ
          26  かくれんぼ  作詞 林 柳波 作曲 下総皖一
          27  庭の千草  作詞 里見 義 アイルランド民謡
          28  赤い風船とんだ  作詞 今野政一 作曲 湯山 昭
          29  浦島太郎  文部省唱歌
          30  おはなしゆびさん  作詞 香山美子 作曲 湯山 昭
          31  ひらいたひらいた  わらべうた
          32  ずいずいずっころばし  わらべうた
          33  夕方のお母さん  作詞 サトウハチロー 作曲 中田喜直
          34  人を恋うる歌  作詞 与謝野鉄幹 作曲 未詳
          35  村の鍛冶屋  文部省唱歌
          36  ペチカ  作詞 北原白秋 作曲 山田耕筰
          37  白い想い出  作詞・作曲 山崎 唯
          38  よろこびの歌  作詞 岩佐東一郎 作曲 ベートーヴェン


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私は田池留吉(1926年生)です。

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