UTA会セミナーに参加しよう


 UTA会セミナーにはどなたでも参加できます。ただし、家族の方に参加することを反対されている方はご遠慮ください。また、借金までして参加することは止めてください。



セミナーの中心課題

 意識の転回 「私達人間は、肉ではなく、意識であり、永遠に存在するものである。」

 意識は心、思い、波動、エネルギーである。 意識は現象化する。
 意識は一つ、私はあなたあなたは私である。


実践項目

 1 自分の心を見る。

 2 お母さんの温もりを知る。

 3 自己供養をする。

 4 アルバートを感じ、信じる。

   日々反省と瞑想を重ねる。


点検項目

 1 他力の神々の実像、教祖・宗教的指導者等の実態

 2 人間の本質、自分の実像

 3 人生の目的、生まれてきた意義

 4 死後の世界、転生の実態

 5 アルバートの波動、田池留吉の宇宙

 6 250年後の感動的なアルバートとの出会い

 7 意識の流れ、UTAの世界

 8 四次元への移行


メッセージを読む


メッセージを聞く


 素直で優しく真面目でアルバートへの信を培う道をひたすらに進む友だちになってください。待っています。

 意識の流れを感じ、田池留吉、アルバートと共に歩いていく真実の道しかありません。決意し、勇気を出してこの道をただただ真っ直ぐに歩いていってください。私は一人でも多くの友との大いなる出会いを待ち望んでいます。

 自分は肉だと思い、肉が基準の人生を送る人々、未だに己一番、頑固の一生を通す方々は、無知とエゴと欲の濁流に流され、浮き沈み、ついには淵に沈んでいくことになるでしょう。地獄から出てきて地獄に戻っていく転生を繰り返すことになるのです。

 これからは本物と偽物がはっきりとしてくるでしょう。本当にアルバートを信じているものとそうでないものがはっきりとしてきます。本当の喜び幸せかそうでない喜び幸せか明らかになってきます。




核からのメッセージを開きましょう、読みましょう。
核からのメッセージは学びの指針となるでしょう。



核からのメッセージ


 波動の世界に私達はひとつ、それは唯一絶対の真実です。

 田池留吉、ありがとう、本当にありがとう、田池留吉がそこに肉持ってくれたからこそ私は喜びの宇宙と出会えました。本当に嬉しいです、あなたにはただただありがとう、ありがとう、その言葉しかありません。田池留吉の宇宙に心を馳せる私は喜びそのもの、宇宙はひとつ、その喜びに出会えた今世の肉、最高に幸せです。そしてまたそれらのことを心で感じ始めてくれる仲間がひとりふたりと増えていくことが私にはたまらなく嬉しいです。これからアルバ−トを心から信じる方達から喜びのエネルギ−が宇宙へどんどん流れていく、ああ私はその様を今心で感じています。どんどんどんどん宇宙が変わっていく、喜びのエネルギ−が宇宙にどこまでもどこまでも広がっていく、私の心が今とらえているこれからです。もう喜びしかありません。本当にありがとう、ありがとうございます。
 波動の世界に私達はひとつ、それは唯一絶対の真実です。意識の流れが田池留吉という肉を持たせてきました。真実を知るのに田池留吉という肉が必要であった、それは田池留吉の肉には代替がないことを物語っています。そしてこのことは私自身にもあてはまります。私はそのことを通し肉と意識がひとつの世界が本当の世界であることを学んできました。肉を通し真実を心で知り肉を通し真実を心で伝える、今世も来世もそのプロセスを経て、私はよりいっそう波動の世界の奥深くに進んでまいります。肉も唯一絶対のものであることを感じることこそが、真の喜びと幸せだと私は確信しています。


 私はあなた、あなたは私、この波動の世界に生きる自分自身にどうぞあなたも出会っていってください。

 今この時期になってこんな当たり前のこと言いたくはありませんが、田池留吉は波動です。私は波動です。みなさんも同様です。その波動を感じていくのがこの学びの原点、すべてです。田池留吉を波動としてとらえ私を波動としてとらえたならば、自分自身の間違いがはっきりと浮かび上がってくるはずです。そしてあなたの中の意識達、すなわち肉のあなた以外はみんなみんなどれほどアルバ−トを田池留吉の宇宙を待ち続けてきたかということが切実に心に響いてくるはずです。そこには喜びしかありません。どんなに過去苦しみの連続であろうとも今ここに出会えたことを心で知ればもう喜びしかない、お母さんに生んでもらったことにありがとうしかないはずです。いつまでも苦しみを引きずってご自分のチャンスをふいにするような愚かなことはやめていきましょう。
 あなたはご自分が崖っぷちに立っていることをどれだけ自覚なさっていますか。私は今世が最後のチャンスだと伝えてきました。このチャンスに何らかの足がかりを得られなければ地獄の淵から浮かび上がってくることはほとんど不可能に近い、地獄から出て地獄へ帰る中から自分を解き放つことは困難を極めます。これまさに現実です。
 私は喜びの中にいる私と出会えました。だから私自身とともに生きていくことが私の生きる道です。今、過去とともに喜びの未来、喜びの私に向かって確実な一歩を歩める喜び、幸せの中にあります。私はあなた、あなたは私、この波動の世界に生きる自分自身にどうぞあなたも出会っていってください。


 ただひたすら真っ直ぐに自分の道を歩いていく、これからもこの姿勢、思いは決して変わることはありません。本物を感じ本物を見極める心、それが今世の私の道具でした。最高の道具を私は用意してきました。

 私自身、人の意識が取れるわけでもなければ過去世をスラスラと語れるわけでもない、今世私はそんな道具を持ってきませんでした。しかし私の心にある思い、それは非常に深くて強いものでした。それだけが肉を突き動かしてきたということです。セミナ−が流れていく中で目新しいことに心は揺れることはあってもそれは長続きはしなかった、自分の心にある思いとどこかズレを感じていたのかもしれません。それが私からチャネラ−という存在を離していったのでしょう。それからは私は私自身の心に求めていった、しかし肉をまとい肉の思いを積み重ねてきた中において、そう簡単に自分の思いと合致するものには出会えませんでした。しかし私は何かを求めている、だからセミナ−にも田池留吉にもそして私自身にも誠実に真面目に一生懸命向き合ってきました。
 私が歩いてきた道は予定通り筋書き通りと言えばそれまでですが、私自身としては本当に自分の思いをストレ−トに受けていける自分の成長というものを満を持して待っていたということです。自ら潰したくなかった、私が心に温めてきた思いはそんな軽いものではありませんでした。
 私は特別ではないけれど、今世に賭けてきた私の思いは並大抵のものではありません。だから私が今出している結果は私は当然だと受け止めています。周りの雑音なんて心は素通りです。ただひたすら真っ直ぐに自分の道を歩いていく、これからもこの姿勢、思いは決して変わることはありません。本物を感じ本物を見極める心、それが今世の私の道具でした。最高の道具を私は用意してきました。


 肉の喜びと幸せも世間が基準でなく私自身が基準であったことを、ようやく今世の肉を通し立証できました。なぜならば私は法だから、そしてこの法は宇宙にひとつしかない、どれだけ時を経ても決して変わることがない法というのは私自身でした。

 セミナ−と田池留吉とホ−ムペ−ジ、目の前に用意された素晴らしいチャンス、両手を広げて待ってくれている母でした。その中で私は本当の自分を徐々に取り戻し、新たな世界へと旅立つ準備を着々と整えてきましたし、これからもそうです。その旅立ちに必要な肉、その環境、すべてが滞りなく用意されている、その中で私は存分にただただ自分と向き合えばいいだけです。後は時間が流れやがてそのときがまた巡ってくる、厳然と流れる法の中にあることが感じられます。
 意識の流れに乗り、その流れのままに肉も生きていくことの喜びと幸せ、心がとらえていった波動の世界の素晴らしさはそのことを痛切に伝えてくれました。肉の喜びと幸せも世間が基準でなく私自身が基準であったことを、ようやく今世の肉を通し立証できました。そうですね、なぜならば私は法だから、そしてこの法は宇宙にひとつしかない、どれだけ時を経ても決して変わることがない法というのは私自身でした。私はそれを本当の意味で心で感じ知ることができた、これは人類の歴史の中での大偉業だと思っています。
 そしてさらに深い波動の世界、真実を極めていくこれからのときを思えば、本当にどれほどの喜びの中に生かされ続けているのかということを今はまだほんの一部分を垣間見た状態です。言葉の世界がいかにもどかしいか、決して言葉では伝えられない喜びと幸せの世界ですが、しかし厳然としてあることだけは伝えたい、私はいつもそう思っています。


 他力信仰では私達は救われない、他力から心を離していかなければ決して救われない、このことに本当に気付いていってください。

 他力信仰では私達は救われない、他力から心を離していかなければ決して救われない、このことに本当に気付いていってください。
 依然として変わらぬ他力の心のままで田池留吉にこの学びに繋がっていても、セミナ−が終わって取り残されるのは結局他力の強い方と己一番の方です。私達は今世ともに学んできましたから私はそんなふうにはなってほしくないです。しかし心の世界はそれぞれが気付いてそこからが出発ですから、私にはどうすることもできません。現実はこうですよとしか伝えられない、そして素直になれない自分を真剣に見ていくしかありません。
 今肉を持って心を見ていく過程にある私は、そんな悟った人とかできた人とかそういうものではありません。しかし本物を感じ本物を知った、本当の自分と出会った私の心は不動ですということは伝えています。波動の世界にある自分というものを確実にとらえている、そしてそれが私自身であることも知っている、だから私の心は不動なんです。私はアルバ−トとひとつ、田池留吉の宇宙が私の宇宙である、そういうことも私は言葉を媒体として伝えていますが、その言葉通り私は心で実感しています。そしてそれが波動として流れていることはセミナ−会場でそしてこのホ−ムペ−ジですでに実証済みです。
 低次元の幸せを求めたり、低次元で一番を競ったりする学びでないことに一日も早く心で気付き、速やかにそこから脱却していってください。


 自分から逃げる、自分をごまかす、偽る、目をそむける、冷たくて卑怯です。どんなに立派な大義名分があろうとも心から流れているものは凍りつくような冷たさと真っ黒な重いエネルギー、だから自分が幸せになるはずがありません。

 肉持っている私はもちろん五官を通し肉の心に思いが過ぎる、ロボットじゃない生身の人間だからそんなこと当たり前です。しかしそんなことで私は自分を見失ったりしない、そしてそれを苦しみとしてとらえていない、私の中ではすべてが喜びなんです。それは私は本当の私自身を心で知っているからです。だから私は自分自身の中でまだクリアできていない部分にも目をそむけません。そこから逃げない、何かでごまかしたりしない、真っ直ぐに自分と向き合っています。それが本当の優しさです。自分に対する愛です。本物を知ったからこそこのことが心で分かります。
 自分から逃げる、自分をごまかす、偽る、目をそむける、冷たくて卑怯です。どんなに立派な大義名分があろうとも心から流れているものは凍りつくような冷たさと真っ黒な重いエネルギ−、だから自分が幸せになるはずがありません。
 セミナ−に集っていても学んでいない方素直になれない方、たくさんいます。みんな自分と真向かいになれないものを握っているからです。その実態を見ようとしない、またそんな自分を認められないほど己がそびえ立っている、要するに一番自分に対して冷たいんです。
 私は意識の世界と通じていると密かに豪語するならば、どうぞその通じている世界に心を向けてみてください。そこにアルバ−トがありますか、田池留吉の宇宙はありますか。波動の世界は正直です。波動はだませません。あなたの心に伝わってくるものは喜びですか、それとも苦しみですか。どうぞその世界を真っ直ぐに見つめていってください。


 セミナーに集ってくる人を切り捨てるとか見捨てるとかいうのでもなければ、セミナーが特定の人たちだけのものでは決してないということ、ここのところを波動の世界が分かってくれば簡単に分かるのですが、肉でとらえてしまうと不平等、不公平、そして他力の思いがどんどん膨れ上がってくることでしょう。

 目を瞬間見る、あるいは異語を瞬間聞く、それでたちまちアルバ−トの世界、田池留吉の世界、田池留吉の宇宙に瞬間移動する、そんなお勉強がしたいです。そんな波動のお勉強がしたいです。そのためには波動が心で分かる仲間達が増えていってセミナ−が進化していかなければなりません。嬉しいことにそういう方向にセミナ−が進んでいくようです。もっともっと中身の濃いお勉強がしたいというのが私の本心です。もう説明も何も本当は要らない、ただ向かい合って座って、目を見る、そこから感じ取ってほしい、喜びの世界、波動の世界をどんどん感じ取ってほしい、私はそんな仲間を待っています。ともにアルバ−トの世界に広がっていく私達を感じていこう、田池留吉の宇宙その波動の世界をどんどんどんどん広げていこう、ということです。
 波動を感じてください。私と競おうとしても所詮無駄なことです。そんな思いと私は相容れないからです。私が見ているのはそんな狭いちっぽけな世界ではないことを波動を感じることで分かっていってください。
 セミナ−に集ってくる人を切り捨てるとか見捨てるとかいうのでもなければ、セミナ−が特定の人達だけのものでは決してないということ、ここのところを波動の世界が分かってくれば簡単に分かるのですが、肉でとらえてしまうと不平等、不公平、そして他力の思いがどんどん膨れ上がってくることでしょう。そうなれば残念は残念ですが、私はそれも仕方がないことだと思っています。ただ真っ直ぐに進む方々とさらなる喜びを広げていく、私の心からの思いです。


 ある特定の人達だけが感じられる世界ではありません。アルバートも田池留吉の宇宙もみんなみんなその心ではっきりと感じられるんです。

 ある特定の人達だけが感じられる世界ではありません。アルバ−トも田池留吉の宇宙もみんなみんなその心ではっきりと感じられるんです。あなた自身がそれを信じていないだけです。波動を感じていけば分かること、その前に肉のあなたが前面に出てくるから苦しいだけです。どうぞただただ素直になってもう一度もう一度この学びで伝えられてきたことを心に思い返していってください。
 私達はともに歩む仲間です。それを信じるか信じないかはそれぞれの心が決めていくことです。そしてその結果が目の前に現れていくだけのことです。どうぞ言葉を言葉としてだけとらえないでください。言葉をつかみそこから自分の心を小さく閉じ込めないでください。私の心に伝わってきます。セミナ−に集う仲間達の思いが伝わってきます。切ないほど伝わってきます。どうぞ今世田池留吉と出会われセミナ−に集われたこのチャンスを肉の思いで無駄にすることだけはしないでください。どれだけの思いを込めて今世肉をもらってきたか、みんなみんなどの方も同じです。私はそんな自分自身を心に強く強く感じてきました。
 私自身、アルバ−トを田池留吉の宇宙を感じてその心に実感して本当の私に出会えた、宇宙が喜んでいることをしっかりとはっきりと感じてくればくるほど、地獄の奥底に沈みこんできた私をまた一方でしっかりと抱えながら歩いているということです。私はだからどんなに喜びの中にあっても舞い上がって我を忘れることはない、いつも静かに見守っている私がいる、それが私の心の世界です。


 宇宙には肉持てず苦しみの中に沈んでいる意識達が無数に存在します。その中で私達はひとつの肉をもらってこのようなチャンスに巡り会えました。ひとつの肉に込めてきた意識達の思い、それは真実に出会うために決死の覚悟で生まれてきたということです。

 広い広い無限大に広がる空間、何もない、あるのは温もり、温もりだけです。心が一瞬にして広がり、果てしない空間の中にあるのは温もり、そしてだからこそこの心に感じられる響いてくるもの、それは無数の意識達の存在です。どんなに真っ黒でもどんなに苦しくても信じて信じて信じて歩いていこう、ともにともに歩いていこう、その思いが溢れ出てきます。何とも言えない思いが伝わってきます。
 いまだ暗黒の世界で喘いでいる意識達の存在を私は感じられる、温もりの中その思いが切々と感じられる、コンタクトしてくる意識達を包んでやれるのは母の優しい優しい温もりだけです。温もりを待っていた温もりを求めていた宇宙に存在する無数の意識達を私は見捨てることはできません。懐にすべてを抱きかかえてやりたいです。
 宇宙には肉持てず苦しみの中に沈んでいる意識達が無数に存在します。その中で私達はひとつの肉をもらってこのようなチャンスに巡り合えました。ひとつの肉に込めてきた意識達の思い、それは真実に出会うために決死の覚悟で生まれてきたということです。肉をもらうということは大変なことであり、大変な喜びです。そのことを本当に知ってください。
 無限大に広がる私の中には母の温もりだけが存在していました。私の中の宇宙が広がれば広がっていくほどにまた苦しみに喘ぐ意識達を感じます。温もりの中へ誘う、優しさが心に充満する喜び、そこに流れる思いはただありがとう、ありがとうだけです。ありがとうの思いが母の温もりの中へ包まれていく喜び幸せの中にある私です。


 アルバートの肉が今現実にあるのと同様に私の来世の肉もまた今現実です。来世の私が今世の私とともに喜びを伝えている、そしてすべての私とともに歩いていっている、そんな中に私は今います。

 アルバ−トの肉が今現実にあるのと同様に私の来世の肉もまた今現実です。来世の私が今世の私とともに喜びを伝えている、そしてすべての私とともに歩いていっている、そんな中に私は今います。今250年後の来世に生きていることを心に感じている私は本当にアルバ−トとひとつです。アルバ−トを思いアルバ−トとともにある喜びはとてもとても言葉では言い尽くせない、語れないです。そして私の来世は数年前に感じたものと確実に変わっています。もちろん厳しい環境の中に肉を持つことには違いないけれど、来世の私の心は数年前に比べ雲泥の差です。私の中で来世の供養が進んでいることを感じます。
 今世は時間がかかりました。田池、殺してやるが喜びに変わっていくまでにある程度時間がかかりました。しかし私の中ではアルバ−ト、殺してやるがすでにもう喜びとなっていっていることを感じます。だから来世その言葉、その思いを発することがもう喜びであり、瞬間に喜び、喜びの思いが溢れ出し飛び出してくる、宇宙に喜びが駆け巡ることを来世の私は伝えてくれます。来世の私すなわち宇宙の喜びを今心に感じられる、本当にアルバ−トを呼ぶ思いは強烈です。そう私はアルバ−トの目の中に田池留吉を思い出す、これが来世の目覚めの瞬間です。今世田池留吉の目の中にアルバ−トを見たように喜びが爆発する瞬間です。
 私は喜びです、私の心は喜びです。来世の私から流れる喜びの思い、アルバ−トとひとつの世界に生きる来世の喜びが心に響きます。もう嬉しいしかない、アルバ−ト、こうやって私達は次元を超えていくんですね。


 肉は愚かなもの、その肉をまとった私達は心に田池留吉の宇宙を持つもの、それが本当の私達の姿です。

 心が広がっていく、一瞬のうちに広がってそれでももっともっと広がっていく、それはぐぐっ、ぐぐっと広がっていくような感じ、もっともっと広げていきなさい、もっともっと広いんですよ、そんな思いの中で両方の翼をぴったりと合わせて、そのどこまでも広がっていく世界にともに羽ばたいているような感じ、私が私の心が今とらえている田池留吉の世界です。その世界は本当に広い、本当に果てることのない空間を感じます。
 そんな波動の世界を今ともに広げていけるなんて本当に幸せの極みです。波動の世界の奥深くに入っていけばいくほど、宇宙に君臨してきたと思ってきたその宇宙が何とちっぽけなものだったか、自分の本当の世界を知らずに自分を語ってきた愚かさを感じます。
 波動の世界の現実感、それは未知なる世界との出会いすなわち私自身との出会いです。波動は流れている、淀むことなく流れている、だからいつも気持ちを新たにして素晴らしい世界とひとつまたひとつと出会える自分自身に成長させていきましょう。肉とは愚かなもの、その肉をまとった私達は心に田池留吉の宇宙を持つもの、それが本当の私達の姿です。
 ともに心を広げていきましょう、今田池留吉が肉を通し私達にそう呼びかけてくれています。ぴったりと翼を合わせ、ぴったりと心を合わせともに旅立っていくことを心に感じられることが最高に幸せです。そしてこの喜び、この幸せは波動として宇宙に流れ宇宙に充満していく、その愛をどうぞ心で受け止め感応していってください。


 アルバートは私にとって日常生活なんです。特別なものではありません。アルバートとともに生きるということは私のすべてです。田池留吉の宇宙を心に感じていけばそれはもう充分に分かることです。

 そう私は凄いパワ−、エネルギ−の持ち主です。私はだからいい子ぶりっ子もしなければすべてがアルバ−ト一直線です。その直線から外れるものがあれば私の心は見向きもしません。肉でいい人ではありません。お世辞も言えなければ頑張っていこうなどと嘘めいたことは言えません。私の心は正直だからです。しかし私の心は私の波動は優しいです。本当の優しさを伝えていると断言できます。なぜならば真実を知っているからです。本当の私を知っているからです。肉的な表面的な優しさなど私は気味が悪い、アルバ−トを知らないアルバ−トを感じていない人はただの肉の塊です。私にはそこに何の価値も見出せない、私の心はそうはっきりと伝えてきます。でも私は肉の常識は心得ています。肉はきちんとしています。肉は真面目です。言うまでもなく私の中にアルバ−トがあるからです。アルバ−トは私にとって日常生活なんです。特別なものではありません。アルバ−トとともに生きるということは私のすべてです。田池留吉の宇宙を心に感じていけばそれはもう充分に分かることです。
 私は何度も言ってきました、今世に賭けてきた思いの強さ、深さ、これは本当に凄いということです。田池留吉一直線に学んできた私の思い、それはもう本当に凄いです。言うならば私は本当に闇の帝王であった、宇宙に君臨してきたエネルギ−、パワ−が今世田池留吉と出会うために肉を持ってきた、そして来世アルバ−トと出会うためにまた肉を持ってくる、このことにすべてが表れています。目指す相手はただひとり、田池留吉でありアルバ−トだということです。


 私は今世にすべてを賭けてきた、意識の流れ、宇宙の法が田池留吉という肉を持たせるその時期に合わせて私自身も肉を持ちました。

 待っていた、待っていたんだ、待っていたよ、心のあちらからもこちらからもそんな叫び声が聞こえます。心の底から絞るような声もあれば、喘ぎ喘ぎの声もあります。だけどどれにも共通な思いは待っていたという力強い思い、喜びです。
 分かりますか、本当に心で私は喜びでしたとそう心で感じられる喜び、喜びが私自身であったと知った喜び、これが私の中の天変地異です。まさに天変地異、莫大なマイナスのエネルギ−がグワっとプラスに転じていった、だからこれから宇宙的規模の天変地異が起きてくると伝えています。
 半端じゃない、培ってきた思いは半端じゃないんです。だから私は今世にすべてを賭けてきた、意識の流れ、宇宙の法が田池留吉という肉を持たせるその時期に合わせて私自身も肉を持ったということです。私の中の思いはそのような思いでありそのような意識の背景を抱え私は今ここに存在しています。心の世界の奥深くに踏み入れば、そういうことが確実に心に伝わってきて、私自身の姿もはっきりと現れてきます。だから田池留吉の世界に映し出される自分の姿、それがたまらなく嬉しいです。ブラックがブラックでないと本当に分かったとき、それが目覚めです。ブラックをブラックだと誇っていてはまだまだ真実から遠いところにあることを知ってください。ましてや私はいい人間、私はできた人、私は悟った人、もうそんなことやめて本道一直線の道をともに歩いてまいりましょう。


 肉を通し真っ直ぐに伝わってくる世界、肉を持ちながら肉がない世界に私は存在する、あなたは私、私はあなた、ぴったりとひとつになることの幸せと喜びの中に私は今存在しています。

 セミナ−を重ねるごとにまた一歩自分を成長させていきます。喜びの世界は確実に私の中で大きくなり深くなっていきます。私は本当に幸せです。本当に幸せ者です。
 波動のお勉強を通し私の思いが真っ直ぐにあなたの心に届いていますでしょうか。セミナ−を通しそして波動のお勉強を通し私自身さらに成長してまいります。私はアルバ−トの世界、そして田池留吉の世界をこの心により大きく深く広げてまいります。セミナ−はさらに喜びの度合いが増してくることでしょう。
 待って待って待ち望んできたことが今現実に目の前に広がっています。こんな時間と空間を自分に用意してきたことがただもうありがたくて幸せです。肉を通し真っ直ぐに伝わってくる世界、肉を持ちながら肉がない世界に私は存在する、あなたは私、私はあなた、ぴったりとひとつになることの幸せと喜びの中に私は今存在しています。どんなに真っ黒でもどんなに愚かでもすべてが愛しい、愛しいです。私に響いてくるのはお母さんの温もりの中に帰りたい、帰りたいという切なる思い、切なる叫びです。
 私は心の底から自分を信じて信じて信じています。アルバ−トそして田池留吉とひとつ、250年後の来世に必ず繋いでいく意識です。すべてがその流れの中にあり、流れの中の今であることを心で感じています。私は私の思いをあなたが抱えてきた抱えている宇宙、その意識達に伝え続けます。それが私のチャネリング、私はただ波動を伝えます。その波動の世界を心で体験してみてください。


 本物の波動を感じるために生まれてきた私達、だから今ともに学んでいる幸せ、喜びを存分に感じていってください。

 心で体験される方がゾクゾク出てこられることが本当に嬉しいです。心は無限大です。波動の世界は無限大、そんな己の肉を表している暇はありません。どんどんどんどん波動を感じていってください。
 本物の波動を感じるために生まれてきた私達、だから今ともに学んでいる幸せ、喜びを存分に感じていってください。
 私達が用意してきたセミナ−の時間と空間です。ともに喜びを広げていきましょう。私はあなたとひとつになってともに波動の世界の素晴らしさを広げていける喜びを存分に味わっています。これに優る喜びはありません。ひとつ肉が気付けばそれに連なるたくさんの意識達の喜びが伝わってくる、そうだよ、そうだよ、そうなんだ、私達はアルバ−トを待ってきたんだ、私達に伝えてください、私達もともに帰りたい、そんな思いがどんどん伝わってきて、私はもうたまらなくなります。たまらなく嬉しい瞬間です。肉のあなたがどんなに堅固な壁を作っていても優しい優しい意識達の思いを感じています。解き放たれることを待つ意識達の思い、みんなみんな広い広い世界にそして母の温もりの中にあるということを伝えられるのは今肉持っているあなただけです。
 肉を持ちながら肉を見ながら肉を見ていない、肉はあるけれど肉はない、そういうことが心で感じられたなら本当に幸せだと思いませんか。まさに波動の世界に存在する私達であること、そんな私達であったことを心に蘇らせていくこれからです。果てしないときが私達を待ってくれています。


 宇宙が変わっていく、大いなる喜びです。今世の出会い、そして250年後の出会い、本当に嬉しいです。

 私は今世心を温もりに広げていきました。温もりの中にある私であったと感じたこの宇宙には、もう抱えきれないほどの意識達が存在しています。心を広げてもっともっと心を広げて懐に抱きしめてやりたいです。これをなしていくことが肉持ってきた意味だと仕事だと痛切に感じます。意識達の存在が心に感じられる、確かに感じられる、本当に愛しい、愛しいです。
 田池留吉の宇宙を思うとき、田池留吉の宇宙に心を馳せるとき、私の心からは喜びが溢れ出てきます。肉で押さえ切れない喜び、それは宇宙が変わっていくことの喜びです。
 田池留吉、素晴らしい出会いをありがとう、本当にありがとう、私は自分が広げてきた暗黒の宇宙を思うとき、もう本当に今言葉になりません。何もかも今というこのときに照準を合わせてきたことがもう嬉しくて嬉しくてなりません。宇宙は喜びでした。私は喜びでした。そう伝えてやれることがただただ嬉しい、そしてありがとうだけです。
 私は宇宙を心に感じています。だから喜びなんです。宇宙が目覚めるということがどういうことなのか、喜びのエネルギ−が宇宙を包み込み、そして変わっていく喜びを私の心ははっきりととらえています。
 宇宙が変わっていく、大いなる喜びです。今世の出会い、そして250年後の出会い、本当に嬉しいです。田池留吉そしてアルバ−ト、私は嬉しい、私は宇宙、今その喜びを伝えます。この喜びが宇宙に仕事をなしてまいります。


 肉を持つことの意味と喜び幸せを私は知ってほしいと思いました。心に、溢れる喜び温もりを持ち無限大に広がる宇宙を持つ、それが本当の私であることを私は自分自身に伝えたくて伝えたくて今世こうして肉をもらってきました。

 肉は無力です。波動の世界を広げている私には肉の私などどこにもありません。しかし私はこの肉がとても愛しいです。肉にはありがとう、ただただありがとうの思いだけです。以前には私と肉の私の間には相当のギャップがあり、私の思いがストレ−トに届かずに、肉は肉を持った苦しみだけを訴えてきました。しかしそれももう今は昔のお話で私と肉とはぴったりとひとつです。私の思いが肉に響き肉が素直に受け止めてくれた、そしてどんどんどんどん私の思いを広げてくれています。肉という器を使って喜びの思いを喜びのエネルギ−私自身を流してくれています。
 肉を持つことの意味と喜び幸せを私は知ってほしいと思いました。心に、溢れる喜び温もりを持ち無限大に広がる宇宙を持つ、それが本当の私であることを私は自分自身に伝えたくて伝えたくて今世こうして肉をもらってきました。私のラストチャンスでした。お母さんにはもうありがとうしかありません。
 そんな大切な時間と空間、誰のためでもない自分のために生きていきたいと心より望んできた私は、どんな場面においても自分を静かに見つめています。肉でない私がひとつの肉をもらって真実に目覚める道を自ら選び実現できた、そしてその道を驀進中ということは本当に凄いことだと感じています。だからマグマのように噴き出してくるエネルギ−はみんなみんな喜びです。苦しみでもなければ自らを落とす地獄の世界でもない、私にはもうすべてが喜び、喜びです。本当にありがとう、ただただありがとうしかありません。


 いつも両手を広げて待ってくれている私自身に真っ直ぐに飛び込んでいけばいい、田池留吉、アルバートその波動の世界、私自身にただ真っ直ぐに歩んでいくだけです。その存在がただただ嬉しくてありがとう、もうそれしかありません。

 私が今どれだけの幸せの中にあるのか、心にビンビンと響く、またあるときは静かに静かに染み渡るように広がっていく、まさに至福のときを迎えています。
 本当に私は幸せ者です。来世、再び肉を持ちアルバ−トの世界に出会う舞台背景はすでに整っている、思えば幸せ、思うことが喜びです。いつもいつもひとつを感じいつもいつもその存在を感じる、肉の思いがかすめても私の中は全く変わらない、変わらない喜びを伝えてくれる、田池留吉の宇宙とともに生きている、アルバ−トとともに生きている、この幸せはこの喜びは尽きることはありません。
 肉を持つことがこんなに幸せでこんなに喜びだったんです。肉を持つ苦しみ悲しみ様々な思いを引っさげて250年後にまた肉を持ってくることが何とも言えない喜びです。肉は苦難の道を選びました。言うまでもなく喜びの私と出会うためです。一気に出会うためです。その瞬間凄いエネルギ−が駆け巡る、今世のこの時間はその準備を万全に整えるために用意されています。肉が一旦消えてそしてまた肉が現れるまでの間スム−スに自分の中が流れていくために、これからの肉の時間は私にとってさらに大切なものとなってくるでしょう。もちろん私には不安もなければ何もない、喜びがあるだけです。いつも両手を広げて待ってくれている私自身に真っ直ぐに飛び込んでいけばいい、田池留吉、アルバ−トその波動の世界、私自身にただ真っ直ぐに歩んでいくだけです。その存在がただただ嬉しくてありがとう、もうそれしかありません。


 心で感じることがすべてです。感じたもの以外は信じられません。心は正直です。本当の自分は正直です。

 心で感じることがすべてです。感じたもの以外は信じられません。心は正直です。本当の自分は正直です。黒のものを白だとは伝えてこない、黒のものを白だと語るのは肉だけです。本当の自分に正直になってする作業が心を見ることだと思います。だから正直でない反省はどんなにしてもどこまでいっても心を見ていないということです。それならいくら時間をかけても何ら変わることはない、すなわちそびえ立つ己の中でどんなに立派な反省をしようとも依然黒の世界の中にいるということです。その打開策は、波動を感じていくことです。それしか方法はありません。自分の過ちに心で気付くのは波動を感じたときです。そびえ立つ己が崩れるときは波動を感じたときです。それでもアマテラスその他他力の神々を苦しみとしてではなく喜びとして感じていくことは難しいのが現状ではないでしょうか。
 ゴムひもの原理はあります。セミナ−で波動のお勉強でその瞬間は体験できるかもしれません。でもそれは磁石ではありません。持続するかさらに一歩進めるかそれとも心を落としていくかそれぞれの心次第です。心に感じたものは消えない、それを信じているかどうかです。その信が肉の生活の中で問われていくこれからになっていくでしょう。そのときそのときの雰囲気に酔うことなく、いつも現実を把握しながら着実な一歩を歩むことが大切だと私は思います。決して一足飛びに歩める道ではありません。


 私がアルバートの波動、田池留吉の宇宙、と言って感じ心で広げている世界とあなたがアルバートだとか田池留吉の宇宙だとか言って感じている世界とはまだまだ大きな開きがあります。

 私がアルバ−トの波動、田池留吉の宇宙、と言って感じ心で広げている世界とあなたがアルバ−トだとか田池留吉の宇宙だとか言って感じている世界とはまだまだ大きな開きがあります。これは私が偉いとか素晴らしいとかを強調しているのではないことは分かってください。私は地に足をつけた学び方をしてくださいとお伝えしたいだけです。アルバ−トを感じた、田池留吉の宇宙を感じた、嬉しい、喜びと言って舞い上がりそんなご自分の心を見ていないあなたではないでしょうか。
 例えばゴムひもの原理であなたが私と同じ世界を感じたとしましょう。でも少し時間が経っていったとき同じ世界を感じたあなたがなぜ心を落とすのでしょうか。心に他力の神々が占領してくるのでしょうか。私と同じ世界を感じたならそんなことはあり得ません。どんな場面が目の前に展開されたとしてもそれは喜びに変わっていくはずです。すべてが喜びの中にあって、どんなことも嬉しいただただ嬉しいとなってくるはずです。
 意識、波動の世界は留まることなく流れています。そしてその世界は無限大です。私の意識は私は宇宙空間を飛んでいる、どこまでも果てしなく広がっていく宇宙に私はともに羽ばたいています。何もない、誰もいない、でも私達は存在する、ともにある、もうそれは素晴らしいとか何とか表現できる世界ではない、これが私、私自身が広がっていく、こんな私と今出会えているからもう喜びしかありません。嬉しいを通り越した嬉しさの中にある私です。


 ひとつの仕事をなすために田池留吉という肉をもらってきましたという田池留吉の思いが私の心に響いてきます。

 ひとつの仕事をなすために田池留吉という肉をもらってきましたという田池留吉の思いが私の心に響いてきます。その喜び、ありがとう、ありがとう、ただただありがとうの思いが私の心に響きます。よくぞ出会ってくれた、ようこそ出会ってくれました、そのような思いが伝わってきて私はもう嬉しくて嬉しくてなりません。誰よりも誰よりもアルバ−トの波動をそして誰よりも誰よりも田池留吉の宇宙を待ち望んできました。待って待って待ち続けてきた、それが私、核という存在です。ひとつの仕事をなすために…、その思いがもうありがたくて、今このときに肉を持って出会えている喜びと幸せは何にも例えられません。
 私はただただ嬉しいだけです。だから無限大に広がる波動の深部に触れれば触れるほどアルバ−トの世界、田池留吉の世界はそんなちっぽけなものではないことを本当に知ってほしいと思っています。表現は自然に厳しくなるかもしれません。しかし流れるものは喜びのエネルギ−です。そして喜びの世界、波動の世界はこんなものではないこともまた私の心は知っています。喜びは尽きることはありません。どこまでいっても喜び、喜びです。
 250年後の近未来、再び肉を持って出会えるのが本当に待ち遠しいです。素晴らしい計画の中ですべてが順調に推移していることを感じています。そう何もかも順調です。流れの中でそれぞれの肉あるいは肉の思いがいかにちっぽけかを知っていってほしい、ただそう思います。


 肉を持って真実を知る難しさなど初めから承知していました。それを承知でみんな今世肉をもらってきたのではないのですか。それは肉がなかったら到底感じられない波動の世界だということを心はよく知っていたからです。

 肉を持って真実を知る難しさなど初めから承知していました。それを承知でみんな今世肉をもらってきたのではないのですか。それは肉がなかったら到底感じられない波動の世界だということを心はよく知っていたからです。そう、その通りです。肉を持っているからこそこの波動の世界に出会えた私は、過去ずっとずっと心に抱いてきた「私は肉です」という思いすらも今はとても愛しい、そして嬉しいです。よく、よく、今世生まれてきてくれた、ただただありがとう、ありがとう、今私が私に返してやれる思いです。肉が愛しい、だから生まれてくることも生んだ母も、忌み嫌い呪って抹殺して自分を切り刻んできたたくさんの私とともに、また来世生まれてくることが私にはたまらなく嬉しいんです。苦しみの中にあった自分と出会いそしてそのひとつひとつに私の思いを伝えることができることがもうたまらなく嬉しいです。
 私は以前から真っ直ぐに前だけを見つめて歩いていきますという確固たる自分自身の思いを心に感じていました。その思いまたひときわ強くなったように思います。私の心は私の目はもうただ前だけを見つめている、私の道だけを見つめています。核からのメッセ−ジ、ますますその方向に進んでいきます。ますますその凄さを伝えていくことでしょう。心は広げています、しかしそこへ入ってくるかどうかはそれぞれの心次第です。


 重苦しい中にある自分自身を救うのは自分しかないということを心で分かるまで地獄は続いていきます。生きながらにして地獄の中にある現実のご自分をしっかりと見つめてください。

 私には心があります。アルバ−トを感じることができる心があります。田池留吉の世界を感じている心があります。もう何もいらない、この心さえあれば何もいらないです。肉を肉で受け入れることなどできないけれど、肉を通し伝わってくる意識達、どんな思いもどんな思いもただただ愛しくてこの心に抱きしめてやりたいです。優しい優しい母の温もりが心に広がっていきます。
 そしてまた来世肉持つ喜び、来世の私の喜びが溢れ出てきます。守るものはありません。失うものもありません。肉は何も持てない来世、肉のどん底からああ私にはこの心があった、こんな素晴らしい世界を持っている心があった、そのことをしっかりと確認していくのが250年後の私の来世です。アルバ−ト…、本当に嬉しい、嬉しいです。今まさにアルバ−トを感じ来世を感じ私自身の世界を感じている、心から突き上がってくる思いは田池留吉、ありがとう、本当にありがとう、ただただ嬉しい…、嬉しい…、そればかりです。
 ともに歩きともに生きている、その実感の中に自らを預けられる喜びと幸せ、それは他力のエネルギ−の呪縛から自分自身を解き放さなければ決して感じることができないものです。重苦しい中にある自分自身を救うのは自分しかないということを心で分かるまで地獄は続いていきます。生きながらにして地獄の中にある現実のご自分をしっかりと見つめてください。そのことから逃げていては、本当の幸せにも喜びにも出会えないことを知ってください。


 肉のどん底で環境を母を社会を呪い恨むことを突破口として私の中のブラックが噴き出してくる来世、アルバートを殺してやる、お前を殺してやる、そう叫ぶ私の心の中に喜びが一気に溢れ出すシナリオは本当に見事です。

 心にしっかりと母の温もりを感じている、その母の思いが私を支えています。だからどんなに大きなエネルギ−を感じようとも心は動じません。また母の温もりが私を支えているのと同じように、喜び、喜びの私の源は心の底からマグマのように噴き出してくるエネルギ−です。今か今かと心の中で来世を待つエネルギ−です。今世、田池留吉殺してやると生まれてきたエネルギ−よりももっともっと大きなエネルギ−がアルバ−トに出会う来世を心待ちしています。
 宇宙を暗黒に染めてやる、その私達の計画は田池留吉という肉を持った意識に阻止された、その思いがまだまだ心に供養されずに残っています。そのエネルギ−に突き動かされて今世の私は大きな大きな一歩を歩みました。そして今このエネルギ−を心で確認できたことでまたさらに大きな一歩を踏み出したことを感じます。
 喜びです。私の中でブラックはブラックでなくて喜びだとはっきりと感じているからこそまた大きなエネルギ−と出会える、出会えてさらに喜びが大きくなり心棒が太くて強くなる、だから私には地獄であって地獄でない世界が展開されていくことが分かります。喜びの中で喜びに出会えることがただただ嬉しいです。
 肉のどん底で環境を母を社会を呪い恨むことを突破口として私の中のブラックが噴き出してくる来世、アルバ−トを殺してやる、お前を殺してやる、そう叫ぶ私の心の中に喜びが一気に溢れ出すシナリオは本当に見事です。今世のシナリオも凄かったけれどそれ以上のものを自分に用意してきたことが今はただただ嬉しいです。


 喜び、喜びの私の源それは地獄の中の私、とてつもなく大きなブラックのエネルギーです。しかし私は地獄であって地獄でない世界を今感じています。

 喜び、喜びの私の源それは地獄の中の私、とてつもなく大きなブラックのエネルギ−です。 しかし私は地獄であって地獄でない世界を今感じています。
 肉で覆い尽くされてしまった心に怒涛のように押し寄せてきたたくさんの過去からの私、セミナ−はそんな私と出会えた貴重な時間と空間であり、地獄に沈み込んだ心にようやく届いた日の光、忘れようにも忘れられない衝撃でした。心から噴きあがってくる懺悔と喜びでした。皆さんもまた同じ体験をしてこられたと私は思っています。そんな世界を心で感じていわゆる従来の世間並みのチャネラ−にこだわっていることが私には不思議でなりません。
 肉にとらわれていては苦しくて当たり前、しかし抱えてきた抱えている世界はそんなちっぽけな世界ではない、そんな肉の苦しみでもう私はだめだとか言っている場合ではないことをもっとあなたの現実を知らなくてはどうにもなりません。いまだにアマテラスその他他力の神々を心に宿し素晴らしいものと崇め奉っていては、本当のブラックも本当の喜びも分からずに地獄の中をさまよい続けていくことになるでしょう。
 アマテラス等々、ちっぽけな世界です。そんな世界を心に抱きそこからアルバ−トを田池留吉の宇宙を感じてもそれは小さな小さな世界でしかありません。それをこんなに感じた、分かった、としていては所詮井の中の蛙に過ぎないことをもっと心を見て心で感じていってください。チャネラ−という道具を効率よく活用してください。核に意識の核心に近づいてくださることを待っています。


 今まさに私の目の前に真っ直ぐに続く道、250年後に続く道をしっかりととらえています。心を繋いでいくことをアルバートと約束した私がはっきりと感じられます。

 私は今までに何度か250年後に繋いでいきますとか繋いでいく私であるとか、そういうことを感じてきました。それが今まさに私の目の前に真っ直ぐに続く道、250年後に続く道をしっかりととらえています。心を繋いでいくことをアルバ−トと約束した私がはっきりと感じられます。もう間違いない、私とあなたの道が今ここにしっかりと繋がったことを感じます。
 すべては来世にあります。もう道は繋がった、これからのときはそのシナリオを滞りなく進めていくことだけが私の仕事です。喜び、喜びでこの道をまっしぐらに進んでいきます。
 肉のアルバ−トは今現実です。今世の私を含めすべての私がアルバ−トの目の中に吸い込まれていくその瞬間、素晴らしい瞬間を今心で感じられる、それはとてもとても言葉では語れない瞬間です。すべての私がその目の中に苦しみをぶつけていったその瞬間にそれが喜びへと転じていく、そうそれは一瞬の出来事です。そして歓喜、歓喜のエネルギ−がほとばしる中、心は静かな静かな喜びに満たされていきます。ああ今という一点に過去も現在も未来もあることを心で感じることができる、その瞬間のシナリオがアルバ−トにそして来世の私に組み込まれていることがただただ喜びです。
 田池留吉が伝えようとした真実の波動の世界、愚かな肉を持ちしかしながら肉を持ったからこそ心で感じ心で証明できた今世でした。今世の結果をみんな来世に託していけることが嬉しい、嬉しいです。


 アルバートを感じそして感じたものを信じていく信を深めていくことがすべてです。意識、波動の世界は無限大です。何度感じようともこれでいいということはない、どこまでもどこまでも果てしなく続き果てしなく広がっていく世界です。

 頭での解釈はもう結構です。そんなもの何の役にも立ちません。真実の世界は頭で感じるものではなく心で感じるということです。講釈を垂れ言葉に酔いさて何が分かったかというと、何にも分かっていない、何にも変わっていない、やっぱり肉基準の世界を抜け出せていないという現実が目の前にド−ンとあるだけです。
 真実を心で知るということは本当はそんなに容易いものではありません。自分が喜びのエネルギ−であると心で分かるということを簡単に考えておられませんか。あまり現実的なことを伝えると学びの意欲というものがそがれるようですが、それでも私は肉持って学ぶことの難しさと厳しさを踏まえつつ自分に誠実に学びと取り組み、そして必ず今世の心を250年後に繋いでほしいという思いからあえて言わせてもらいます。
 アルバ−トを感じそして感じたものを信じていく信を深めていくことがすべてです。しかし失礼ではありますが、あなたが感じているアルバ−トの世界、田池留吉の宇宙は本当に小さな小さな世界です。意識、波動の世界は無限大です。何度感じようともこれでいいということはない、どこまでもどこまでも果てしなく続き果てしなく広がっていく世界です。だからできたとか分かったとかそんなものはありません。ただ喜びが広がっていく、その世界にともに生かされている喜びだけを感じていけばいい、それ以外はすべてがブラックの世界です。しかしそのブラックもまた実は喜びであった、私が心で知り得た真実、だから私は嬉しいしかありません。


 ただ我が道を行くのみです。学びと肉の人生にズレもなければ隔たりもない、肉の人生などあってないようのものです。肉の人生を生きているようで私はアルバートに生きています。

 尻尾をちぎれるくらいに振って喜びをどう表していいか分からない、飛びついて飛び跳ねてもう気も狂わんばかりの喜び、ワンちゃんの世界を連想してくれたらいい、本当にアルバ−トって凄いです。例えばそんな感じ、アルバ−トを感じているときもう嬉しくて嬉しくて本当に軽い、心が軽い、ゴムまりのように弾んで弾んでまた羽のように軽くて羽ばたいている、アルバ−ト、嬉しい、嬉しい、嬉しいってそしてありがとう、ありがとう、ありがとうって叫んでいます。
 こんな心になれない心をいっぱい詰め込んできた、それが肉持つ人間、アルバ−トを知らない人間、みんな間違い、すべてが間違い、何もかも間違い、間違いだらけの中で立派な人間、素晴らしい人がうようよしています。それが肉の社会、本当に狂っています。みんなが狂っているからどうしようもない、後はときが来るのを待つだけです。
 だから私はあえて肉は何も言いません。人を救い人を導く思いなど毛頭ないし、ただ我が道を行くのみです。学びと肉の人生にズレがある、隔たりがあると感じるならばまだまだでしょうね。私はズレもなければ隔たりもない、肉の人生などあってないからです。肉の人生を生きているようで私はアルバ−トに生きています。私にとってアルバ−トとはそんな世界です。アルバ−トそして田池留吉の宇宙、その波動に出会うために生まれてきたのですから。


 肉は大したものは持ち合わせていないけれど、肉でできることも大したものはないと本当に思っています。肉に対する欲の心は小さいです。

 肉は大したものは持ち合わせていないけれど、肉でできることも大したものはないと本当に思っています。肉に対する欲の心は小さいです。肉には何も望みません。何も望まないけれど私は十二分に肉も幸せです。衣食住に満ち足りて、物質的にも精神的にも肉を幸せな環境に置いてやれる今というとき、本当にありがたく思っています。こんな安らいだときの中で自分に思いを馳せることができる、思えば嬉しい、思えば幸せ、本当に今何も望むものはありません。
 そうですね、今はただ今世生まれてきたことが嬉しい、出会えたことが嬉しい、こんな幸せな時間を自分に用意してきたことが嬉しい、本当にそんな嬉しさばかりです。心の中にありがとう…、ありがとう…、の思いが広がります。ありがとう、私が私に伝えてくれている、とても優しい優しい思いです。そしてそこから悠久のときを感じます。歩いてきたこと歩いていくこと、そのすべてが嬉しいです。
 心の喜び、幸せは日に日に薄らいだり消えていくものではないですね。思えばその瞬間に戻れる、一瞬にして心に蘇ってくる、何とも言えない幸せ感の中に包まれる、そんな心の世界を自分の中に広げていけることがもう幸せです。その存在が嬉しい、その存在が喜び、こんな思いを感じられることが喜びであり幸せです。


 自分を救うのは自分の中の優しさ、愛だということが他力の中では絶対に分かるはずがありません。そういう方々にとってこの学びは非常に難しい、それが現実です。心で感じている世界が全然違います。

 現状に甘んじることもなく驕ることもなく私は淡々と流れています。流れていくことが嬉しいです。行くあてもなく浮き草のように漂いやがて淀んでいく流れではなく、ゆったりと悠久のときを流れていく流れの中にあります。その流れはすべてのものを誘いながら温もりの中へ溶かしていきます。見事にことが成就していきます。来世に繋ぐという目処がたち後はただそのときが来るのを待つだけです。ともに学ばせてもらえて最高に幸せです。ありがとうしかありません。
 肉の中にあって我が信じる道を行くということは肉の未熟さから難しいことだと思ってきました。だけど今世の現象も過去からのものもみんなひとつの方向を指していたのに気付いたときから私の心は決まったようでした。もう肉が未熟だからとか難しいは言っておられません。未熟なのは私自身でありました。今その私が肉にありがとうとそう言えるまでに成長を遂げたことが嬉しいです。
 事を荒立てることなく騒ぎ立てることなく淡々としかし着実に確たる一歩を歩んでいくことは簡単なようで難しいのではないでしょうか。いつもどこかに評価を求め成果を期待する他力の心癖のままあまりにも長く長く存在し続けてきました。他力のエネルギ−の中では自分を救えるのは自分しかないということは分からない、だから自分を救うために他力のエネルギ−を使っていきます。自分を救うのは自分の中の優しさ、愛だということが他力の中では絶対に分かるはずがありません。そういう方々にとってこの学びは非常に難しい、それが現実です。心で感じている世界が全然違います。


 アルバートを感じている、田池留吉の宇宙を感じている、そしてその世界が大きくなっている、それらは紛れもない事実です。しかし私は決してそういうことで有頂天にならない、肉は舞い上がらない、私自身立派だとも思っていない、それは自分自身が存在し続けてきた世界を本当に心で知ってきた、知っているからです。

 何度も何度も自分を裏切ってきた、何度も何度も自分を地獄に突き落としてきた、私はその苦しみをもう気の遠くなるほどたくさん味わってきました。心が敏感になり真実の世界を知っていけばいくほどそんな自分と出会ってきた、だから心から出る思いは懺悔と喜びしかありませんでした。
 自分を自分で殺してきた、この思いを本当にあなたは今世その心で感じてきましたか。自分を抹殺してきた、母に対する思いが心から噴き出て荒れ狂っているエネルギ−の中にいた自分と真向かいになれたとき、肉持てたこと、生まれてこれたことがどれだけの愛であったか、そして学びに集えたことがどれほどの喜びであったか、もう私の心にはビンビン響いてきました。
 アルバ−トを感じている、田池留吉の宇宙を感じている、そしてその世界が大きくなっている、それらは紛れもない事実です。しかし私は決してそういうことで有頂天にならない、肉は舞い上がらない、私自身立派だとも思っていない、それは自分自身が存在し続けてきた世界を本当に心で知ってきた、知っているからです。
 アルバ−トを田池留吉の宇宙を求めてきた私の思いというものは、どんな肉の思いにも潰されるような柔なものではない、簡単にひっくり返るような脆弱で軟弱なものではありません。この思いに引き換えるものなんてこの世に存在しない、自分が生きるか死ぬかの覚悟で生まれてきたということです。だから今真実に目覚め道が定まったということがどれだけの喜びであるか、その波動、喜びのエネルギ−、パワ−、あなた方の心の奥深くに届いていると私は思っています。


 私はアルバートを信じています。私はアルバートがすべてです。私の中にはアルバート以外のものは何もありません。

 喜びの文章なんて何年も学んでいたら誰でも綴れる、でも「1」感じたものを「1」表現しているかと言ったら案外そうではないかもしれません。その表現には脚色がしてあることも多々あると思います。反対に感じたものをうまく文章にできずともその「1」感じたものを感じたまま素直に喜んでおられる方もあると思います。後者の方が学びの進み具合は早い、要は自分が嬉しかったらそれでいいということです。
 心で感じたものを過不足なく言葉に置き換えることは難しいし無理だと思っています。だから私は自分自身が心で感じているものが100%伝わっているとは思っていないけれど、波動を感じていってくだされば頷けると思います。
 「私はアルバ−トを信じています。私はアルバ−トがすべてです。私の中にはアルバ−ト以外のものは何もありません。」
 この二行を読まれてそしてふと心を向けられたときそのときにあなたの心に感じられるものがあると思います。私はそれを感じてあなた自身の学びを進めていってくださいとお伝えします。
 意識の世界はごまかせないんです。同じ言葉、同じ表現があってもそこから来る波動はだませないんです。
 私は自分の心の中からその二行の思いがはっきりと伝わってきます。果たしてあなたはセミナ−会場でその二行を宣言できますでしょうか。


 核のメッセージの2行から伝わってくるものを言葉で表現することはとても難しいです。できません。とにかく凄いとしか言いようがありません。自分をあらゆる角度から眺めてもまだまだとてもとてもこの2行を心から宣言することはできない状況、歴然とした心の現実があることを感じます。でもはっきりとめざす方向を示してくれた、そうなんだ、究極はこの心の状況を自分に培っていくことなんだと、何かとても嬉しくなりました。どれほどの時間がかかるかわかりません、今世は無理かも知れません、でもきっとこの2行はいつまでも私の心に残り、指針となるでしょう。私の心にはアルバート以外のものがまだまだたくさん存在します。それをひとつひとつ見つめて、温め愛しみ、アルバートへ帰していく、その作業を一歩ずつ進めていきます。ありがとう、本当にありがとうございます。

 何があるから幸せで何がないから不幸せ、そうではない、そうではなかったと心から思えるから本当に嬉しいです。

 何があるから幸せで何がないから不幸せ、そうではない、そうではなかったと心から思えるから本当に嬉しいです。
 思うことが幸せで思えることが嬉しくて、本当にありがとう、ありがとうと心から沸いてきます。温もりを捨てた心、捨てたと思ってきた心に温もりがあった、変わらぬ温もりが今こんこんと湧き出る、そしてアルバ−トへの思いが止め処もない優しさの中に私を誘っていきます。
 アルバ−ト、私のすべて、私が命をかけて出会いたかったアルバ−トです。私はアマテラスが愛しい、宇宙に存在する意識達が愛しい、みんなみんなアルバ−トだと私は感じています。波動として存在する私が今肉をもらってこのような喜び、幸せの世界を広げていけることがただただ嬉しくて、お母さんありがとうございます、本当にありがとうございます、その思いでいっぱいです。
 今、私の思いはやはり宇宙です。宇宙に思いを向けずにはいられない、宇宙抜きには自分自身を語れません。この思いはこれから250年、300年かけて熱く熱く語らせていただけるようで私は自分が書いてきたシナリオを嬉しく、はい嬉しく眺めています。アルバ−トに出会った今世、そしてさらにその出会いをアップグレ−ドする来世、アルバ−ト待ち遠しいです。アルバ−トそして田池留吉の宇宙、私の中で喜びが大きく膨らみます。この世界を感じている私、もう何がなくてももちろん幸せです。


 今世よりももっと素晴らしい来世があります。今世の喜び、幸せとは比べられないほどの喜び、幸せが待っています。

 今世よりももっと素晴らしい来世があります。今世の喜び、幸せとは比べられないほどの喜び、幸せが待っています。もう私にはそれらが心の中に痛いほど感じられます。だから私はわくわくしながら今その準備を万全に整えています。3次元の時間と空間に感謝しながら来世に向けてそしてそれからずっとずっと続く未来へ向けての準備を整えています。肉の人生、肉の時間はすべてそのことに繋がっていくだけであり、私の中では肉をどう生かしていくかなんていうものはなく、3次元最終の大事業が目前に控えていることだけがクロ−ズアップされています。
 今世はもうこれでほぼ大丈夫だろうという時点で、私はこういう形で出現してきました。ある日突然ではなく満を持して現れました。周りが驚いても騒いでも私には全く予定通りでした。今世との違いは来世はその間の時間が非常に短いということです。準備することが要らないから出会った瞬間でしょうね。そして今世と来世のスケ−ルは違うものの中身は同じ、嬉しい、喜びには変わりはないです。ともに歩める喜び、幸せを心で感じながら肉の時間と空間を共有していることが嬉しくて幸せで、ひとつが嬉しい、ぐっと濃縮された喜び、幸せの中に肉も意識も存在しているということです。
 私の中では何がどうでこれがこうなってということはなく、アルバ−トがある、田池留吉の宇宙がある、もう幸せ、嬉しい、喜び、それしかないんです。田池留吉、ありがとう、嬉しい、アルバ−ト、嬉しい、ありがとうしかありません。こんな分かりやすいものはないと思いますが、素直ってそんなに難しいのかなとも思っています。


 嬉しい、ありがとう、本当に嬉しいときその嬉しさを素直に無邪気に伝えられるのは、夫は妻、妻は夫、そして子供は両親でしょうね。そういうパートナーがこの世に今存在しているって嬉しいことですね。

 嬉しい、ありがとう、本当に嬉しいときその嬉しさを素直に無邪気に伝えられるのは、夫は妻、妻は夫、そして子供は両親でしょうね。そういうパ−トナ−がこの世に今存在しているって嬉しいことですね。肉持って互いに喜びを分かち合える、夫婦として親子として肉持って出会わせてもらったことを心から喜び合える、そんな夫婦であり親子であれば、たとえ一杯のお茶であってもそれが楽しくて嬉しいと私は思います。
 お金や血の繋がりでなく、夫婦、親子を本当に繋ぐものはアルバ−トです。互いの心にアルバ−トを感じ合う、だから自然に相手の肉に対して優しさが溢れ出します。執着や支配のエネルギ−で相手の心を向けさせなくても、嬉しい、優しい、ありがとうの思いが心を寄り添わせます。
 アルバ−トを感じていけば分かるはずです。肉に対して優しいというのは、決して肉の段階では留まりません。だから本当に肉にも優しいんです。アルバ−トを知らない人の優しさは肉で優しく見えても実は肉にも冷たいということです。
 今世私の肉持つパ−トナ−は母だけになりました。その母とアルバ−トの道を歩める私は幸せです。今世の父にも夫にも今はただありがとうございましたと伝えられることが幸せです。すべて喜びに変わっていった今世です。
 そして今、私にはもう間近に聞こえます。私の本当のパ−トナ−、唯一のパ−トナ−、アルバ−トの嬉しい嬉しい思いが心に響いてきます。250年後の来世そして宇宙、その足音がもうそこまでやって来ています。


 これから250年の間にどれだけこの地球環境を含めて宇宙が変貌を遂げるか、人類に対しての警告であるとともにそれは大きな大きな愛、宇宙の優しさ、法の厳しさが天変地異としてメッセージを送り続けます。

 宇宙に目覚めたアルバ−トの意識、私はアルバ−トであったと宇宙の中で暗黒の宇宙の中で目覚めを頂きました。宇宙を変えていくパワ−、しかしまだその本当の凄さは田池留吉しか分かっていないことを私はお伝えします。地球上に何十億の人間が存在しどれだけの頭脳を働かせ英知を集めようともそんなものはこのパワ−の前にはなす術がないことに遠からず人類はつぶさにその現実を見ていくことでしょう。これから250年の間にどれだけこの地球環境を含めて宇宙が変貌を遂げるか、人類に対しての警告であるとともにそれは大きな大きな愛、宇宙の優しさ、法の厳しさが天変地異としてメッセ−ジを送り続けます。
 次元を超えてやってきた私達、その私達がまた次元を超えてさらなる世界へと意識の中枢を目指す旅を続けます。私は今世このように肉をもらいその流れの中で真実の波動に触れ、過去から未来へと続く自分という存在をこの心に深く知りました。今世肉持てたこと、来世再び肉を持てること、悠久の流れの中に思いを馳せる私はもう感に堪えません。
 ただただ嬉しいです。心に響く思いはありがとう、ありがとう、の思いだけです。肉をまとい心に詰め込んで苦しんできた思いは数々あった、肉を本物として生きてきた長い歴史を経て今このように自分自身の歴史が転回期を迎えられたことが本当に嬉しいです。ともに生きてきた自分自身に思いを向けともに宇宙を歩み続けます。来世の肉持つ時間と空間が優しくそして喜びの中で私達を迎え入れてくれるでしょう。


 度重なる天変地異により国土は荒れこの地球は見る影もなく変わり果てている、しかし心に響くものは喜び、喜び、さあともに帰ろう、ともに帰りましょう、私達とともに、その思いの中に温もりの中にすべての意識達が誘われていく、ありがとう、ありがとう、ありがとう、これこそがまさしく現実、実在する世界でした。

 すべてが愛でした。私は自身が感じ信じる世界、真実の波動の世界を宇宙に存在するすべての意識達に伝えてまいります。心に確実に伝わってくる真実の世界を私はこの心から宇宙に向けてその波動を流し続けます。これがこれからの私、250年後に肉持つまでの私です。そして250年後肉を頂き今度は肉を通し、肉を使い、より強くより深く波動の世界を広げてまいります。
 ともに喜びを分かち合い、ともに喜びを信じ合い、ともに喜びを喜び合う、そんな仲間達の輪が大きく広く広がっていきます。意識と意識の交流の中ではみんなが仲間、みんなが愛しい愛しい仲間達です。私とあなたの区別はない、性別を超え国境を越えすべてがひとつ、それが真実の世界、波動の世界に存在し続けるのが私達の本当の姿であることを、私はこの心から余すところなく全世界に全宇宙に流していきます。その様が心に今映し出されていく、幸せ、喜びの中をともに歩める私達です。
 度重なる天変地異により国土は荒れこの地球は見る影もなく変わり果てている、しかし心に響くものは喜び、喜び、さあともに帰ろう、ともに帰りましょう、私達とともに、その思いの中に温もりの中にすべての意識達が誘われていく、ありがとう、ありがとう、ありがとう、これこそがまさしく現実、実在する世界でした。


 セミナーという時間と空間を用意してきた私達の今世、これがどれだけの喜びであったかということはこれからの250年後に出会うまでのあなた方の心にしっかりと刻まれていくことでしょう。自分を大切にするという意味が心に蘇ってくる250年後ではないでしょうか。

 あなたの言い分、意見、考え、どんなに主張されようと真実の世界には全く通用しません。なぜか、もうお分かりですね。私はアマテラスに支配されている、他力の神々の呪縛から抜けられない、そんなたわ言を言うのもやめてください。あなたは真面目かもしれません。でも私からすれば単なるたわ言にしか聞こえません。真剣に本当に命懸けで他力の反省を進めてこられたなら、今世セミナ−が開かれてきた時間は充分であったと私は思っています。母の温もりをその心で感じてこられたでしょう。それも何度も何度も味わってきたではないですか。それでもアマテラスが苦しみでしょうか。他力の神々がいつまであなたの心を占領しているのでしょうか。何を学んできたのかと自身の心の中から伝わってきて当然です。それでも待ち続けてくれているあなた自身にあなたは支えられています。
 まずは一歩を歩み出してください。半歩でもいいです。着実な一歩です。一歩進んで二歩下がって同じところを行きつ戻りつするのではなく、一歩歩んだら次のまた一歩を歩む、そんな学び方をしてきたかどうか要チェックですね。
 学びは人生です。自分自身です。そのように自分の中で位置づけてきたかどうかそれも要チェックです。その結果が今目の前に展開しているだけのこと、非常に分かりやすいです。
 セミナ−という時間と空間を用意してきた私達の今世、これがどれだけの喜びであったかということはこれからの250年後に出会うまでのあなた方の心にしっかりと刻まれていくことでしょう。自分を大切にするという意味が心に蘇ってくる250年後ではないでしょうか。


 あなたのシナリオ、あなた自身のアルバートへの道を示すシナリオを大切にまっとうしてください。

 私が今このように語らせて頂いているもの、それはみんな私の心を通じて伝わってくる思いです。決して頭を通じてくるものではないんです。私の頭は何も働いていません。言葉は選んでいるかもしれません。それは思いを飾るとか肉の私を表すとかではなく、どう表現すれば私の心に伝わってきている思いをしっくり伝えられるかということからです。本当はそんな配慮は要らないかもしれませんが、肉はまだその点で愚かです。
 とにかく私は私の思いは狭い範囲、低次元には留まっていません。だから私の思いをそのまま分かってくださっているとは思いません。曲解もあり反発、特別視もあるでしょう。しかし私自身とても幸せです。このようにお伝えできることがとても幸せです。250年後に出会うまでひとりひとり心を必ず繋いでいってください、そして必ず喜びで喜びの中でともに学んだことを思い出してください、という思いが込められています。
 これからどなたも厳しい転生の中をくぐり抜けていかれることでしょう。みんな自分で書いたシナリオがあります。何度かの転生を経て250年後に再びアルバ−トに出会あうシナリオをそれぞれが書いてきました。喜び、喜びで書いてきたということを心で本当に心で受け止めていってください。
 あなたのシナリオ、あなた自身のアルバ−トへの道を示すシナリオを大切にまっとうしてください。


 今はただ嬉しいだけです。セミナーという場に集える自分自身であったこと、こんな時間と空間を自分自身に与えてきたことがただただ嬉しい本当に幸せだと感じています。

 あなたはなぜ足繁くセミナ−に集い続けてきたのですか。あなたはなぜ反省、瞑想をやってきたのですか。
 〜のために、〜でありたいから、最初はそういう目標を掲げてきたし、目的意識を持つことは優等生として当然で、漫然と学んでいるのではないと思ってきました。大きな間違い、己があまりにも偉過ぎました。
 もちろん今は違います。今はただ嬉しいだけです。セミナ−という場に集える自分自身であったこと、こんな時間と空間を自分自身に与えてきたことがただただ嬉しいし本当に幸せだと感じています。それはそうでしょう、ここ11年の間に2泊3日のセミナ−、びっしりと集わせてもらった、ということはそれだけの時間を自分に自分だけに集中してきたということです。その間に存分に自分のエネルギ−と出会わせてもらった、どこにそんな場があるでしょうか、どこにもない、自分と出会える場を持てた、ああ本当に何と幸せな私だろうと思います。懺悔と喜びの涙、涙でした。涙と汗の中を何度も何度も喜びの体験を重ねてきました。
 セミナ−に心血を注ぎ、セミナ−をこよなく愛してきた田池留吉にはありがとう、本当にありがとうございますしかありません。セミナ−という場であなたと出会えたことが最高の喜びであり最高の幸せです。来世の予行演習にしてはあまりにも嬉し過ぎるけれど、またそれにより心に秘めたる思いをひとしお強く感じます。私はありがとう、ありがとうしかありません。嬉しい、ありがとう、喜び、私の心はいつもそこへ戻っていきます。


 まずは一歩です。アルバートへの道を一歩踏み出しそして歩き始め歩み続ける、これは本当に難しいことなんです。

 心を変えるということは難しいです。私の中から伝わってくる思いは意識の世界の厳しさです。少々の現象では心を変えること心を180度転回することは難しい、そこまで肉持つ人間は堕落してしまったという現実を伝えてきます。真実に触れれば触れるほど喜びが増すとともに厳しさも心で感じられます。
 まずは一歩です。アルバ−トへの道を一歩踏み出しそして歩き始め歩み続ける、これは本当に難しいことなんです。感じたものを信じていく、それはその通りです。しかし心は正直です。どこか違っていたりズレが生じていれば必ずそのことを伝えてきます。そのときいかに柔軟に素直に受け入れていけるかでまたそれからの道が分かれてきます。
 私のベ−スにあるのは溢れる喜びと温もりそして核としての自覚です。喜びと厳しさです。待っている意識達がいる、宇宙には待っている意識達がいます。その意識達の思いを私はひしひしと感じています。これから250年後に出会う意識達の思い、私はこの心に抱きかかえながら存在し続けます。
 砂上の楼閣になどなり得ない、今世の肉に思いを込めてきた私自身の確たる思い、今宇宙へ向けて発信されています。だから250年後が待ち遠しい、厳しいけれど喜びの中を突き進む原動力を私は心に脈々と感じている、そしてそれが私であることを実感しています。


 田池留吉、そしてアルバートと呼ぶとき思いを向けるとき、私の心の中に広がる喜びは、未来へ向けて心がどんどんどんどん解き放たれる喜び、無限のかなたに広がっていく宇宙空間を旅する喜びです。

 田池留吉、そしてアルバ−トと呼ぶとき思いを向けるとき、私の心の中に広がる喜びは、未来へ向けて心がどんどんどんどん解き放たれる喜び、無限のかなたに広がっていく宇宙空間を旅する喜びです。
 私は意識の流れに流れていくだけです。来世の思いもそれからのことも心に確実に響いてくる、だから流れていくだけでいい、もうそれだけで幸せで喜びの私だということです。何も望むことは要らない、私にとって必要なものはすでに用意されていることが心に感じられます。過不足なく用意してきた自分のシナリオを私は喜びで眺めています。
 波動の世界に羽ばたく私にとってもちろんこの肉もその喜びと幸せに不可欠なものです。肉を頂く喜びと幸せを私の心は今世も来世も充分に十二分に味わいます。来世の肉の環境はどん底、肉の心もどん底、それでもそれでも私は再び一瞬にして蘇ってきます。それを私は心で確信している、そのシナリオを忠実に演じていきます。それが私の喜び、そしてそれが次元移行の強烈なパワ−となっていくことを私は確信しています。


 アルバートがすべて、決して大げさな表現ではない、本当に私はアルバートがすべて、アルバートを待って待って本当に出会いたかったアルバートです。

 今なら分かる、神、神の子、エルランティ田池、私には実のところどこかぴったりこなかった、それは私の心がまだ鈍感だったからとも言えますが、そうではなかったことが今なら分かります。アルバ−トの顕在化とともにやはりそうであったと確認しています。私はアルバ−トを待っていたんです。
 私自身を目覚めさせたアルバ−トの波動、アルバ−トの世界、私にはやはりアルバ−トでした。アルバ−トだけを私は待っていた、その瞬間を待っていた、そのことを痛感します。
 アルバ−トがすべて、決して大げさな表現ではない、本当に私はアルバ−トがすべて、アルバ−トを待って待って本当に出会いたかったアルバ−トです。アルバ−トに出会うために生まれてきた今世、私のすべてを賭けて再びアルバ−トと出会っていく来世、私の喜びはその肉を通し宇宙の果てまで突き抜けていきます。心に秘めたるパワ−、来世アルバ−トにより見事に開花していきます。
 その肉その意識その世界、すべてが私の中でひとつ、アルバ−トは私の心の中に実在する、心に響くアルバ−トへの思いは、アルバ−トに出会う喜び、アルバ−トとともに生きる喜びで満杯です。宇宙に存在する意識達がアルバ−ト目指し喜び勇んで集い来る、喜び喜びで集い来る様を私の心ははっきりととらえています。みんなみんな私の仲間、おいで、おいで、愛しき仲間達、私達はともにともにアルバ−トとともに歩いてまいりましょう、私はその歓喜の中にいる、歓喜の渦の中にいる私を今感じている、アルバ−ト、嬉しいただただ嬉しい、アルバ−ト、私はあなたとともに存在しています。


 「なぜ生まれてきたのか、なぜそこに存在しているのか、本当の私と出会ってください。あなたは私と出会うために生まれてきたんですよ。」何度も何度もこの思いを聞き確認してきました。

 肉に生き肉に死んでいったたくさんの意識達が、今そのあなたの肉を通して何かを考え何かに気付き始めています。一行の文章、たった一文字、たった一言、そこに心が揺さぶられる何かを感じている、嬉しいですね、こんな計らいの中にあることが嬉しいです。私は嬉しくて嬉しくて泣けてきます。
 何度自分を裏切り何度地獄に突き落とし殺しまくっても、私は自分を生かすエネルギ−の中にあった、この現実を心で知った私はもう何も言えなかった、私を生かすエネルギ−は私自身であった、天と地がひっくり返りました。
 「お母さんなぜ私を生んだ」慟哭の中を生き続けてきたたくさんの私を心に抱え今世肉をもらってきました。相当の決意があったからこそ今の喜びがあると思っています。本当の自分自身の声を聞き、思いを聞き、ひたすら真っ直ぐに進んでいく喜びの中に私はいます。
 「なぜ生まれてきたのか、なぜそこに存在しているのか、本当の私と出会ってください。あなたは私と出会うために生まれてきたんですよ」何度も何度もこの思いを聞き確認してきました。「あああなたの声が心の底から聞こえてきます。ありがとう、ありがとう、信じて待ってくれていたんですね。今私はあなたの優しい優しい温もりを感じています。あなたが私を信じてくれていたように私もあなたを信じていきます。信じる喜びと幸せを私はこれからたくさんたくさん味わっていきます」喜びの中で私とあなたを繋ぐパイプは段々に太く強くなっていきました。私のアルバ−トへの道は今や不動のもの、何も言葉はない、ただありがとうしかありません。


 心から飛び出てくる呪いと怨念の数々、それがあなたがあなたに書いてきたシナリオです。これからのシナリオは特に厳しいです。なぜならば今世田池留吉と出会うシナリオを書いてきたからです。

 心から飛び出てくる呪いと怨念の数々、それがあなたがあなたに書いてきたシナリオです。これからのシナリオは特に厳しいです。なぜならば今世田池留吉と出会うシナリオを書いてきたからです。もう自分をごまかせない、だませない、逃げることもできません。果たして地獄の奥底から蘇ってくるのはいつなのか、信じて待ってもらっている自分に気付いていけるのか、すべてあなた次第です。でも分かっていることはシナリオにいいも悪いもなく、レベルが高いも低いもありません。そのシナリオはあなたが250年後に心を繋いでいくために必要不可欠のものだということです。そのシナリオをまっとうすることがアルバ−トへの道です。しかしその軌道に乗るには一筋縄ではいきません。だから何度かの転生を経てとお伝えしています。それを踏まえて今世の時間大切にしていってください。
 3次元最終のときに再び肉を持って出会えることを私は待ち望んでいます。今世の学習、今世の心の体験の数々、それは250年後に見事に花開いていきます。意識の世界に狂いはない、それをあなた自身の心で体験されていくこれからです。それぞれが自分の心で気付いていけることが愛であり、その流れの中に自らを誘っていける私達です。愛が自分に伝えてくれる、自分を誘ってくれる、その優しさ温もり、それに出会うためのこれからです。
 今まさに次元移行の流れの中にあります。これからの250年、300年まさに喜び、喜びのときを迎えます。心に広げてきた真実の世界、私達はひとつになって喜びを伝え続けます。


 まだ見ぬ仲間、250年後に出会う私の多くの仲間達が待っていることを心は感じています。アルバートの波動を伝えたい、心の底からの思いを実現してまいります。

 私は今世初めて肉を頂く意味を心から知りました。お母さん、あなたには心からお礼申し上げます。私の今の心情、この心からの思いは例えようもない喜びです。今世私はアマテラスの国日本にこのように生を受けました。私はここからこの国から出発です。お母さん本当にありがとうございます。私は必ずあなたの心を250年後に繋いでいきます、その道がこのように今繋がっていることを心で感じています。
 アルバ−トの波動を本当に感じ真っ直ぐ喜びに繋いでいくことは難しいことです。少し感じれば己の肉を表す、己の肉に心を向ける方向にいかれるというのが悲しいですがそれが現実です。250年後に心を繋いでいってください、私はそう表現していますが、これはとても大変なことだということを今現在あなた自身、心で分かっておられますか。
 私は喜びです、そして私は250年後アルバ−トと出会って…といくら言われてもそれは頭で組み立てられたことかもしれません。自分のこれからのシナリオから脱落していくことだってあり得ます。今世学んだからみんながみんなアルバ−トと出会って次元移行を果たすというわけでもありません。学びの本流は確かに250年後に引き継がれていきますが、その本流から大きく軌道をはずされる方も出てくるでしょう。
 私はそういう現実を感じている一方で、まだ見ぬ仲間、250年後に出会う私の多くの仲間達が待っていることを心は感じています。アルバ−トの波動を伝えたい、心の底からの思いを実現してまいります。今世真実に触れさせて頂いたこと喜びです。


 学びは意識の世界は厳しいんです。感じた、分かった、どれだけ感じて分かっているのでしょうかと私はお聞きします。私は非常に現実的です。自分自身の学びに対する姿勢は最初からお遊びではありませんでした。

 学びは意識の世界は厳しいんです。感じた、分かった、どれだけ感じて分かっているのでしょうかと私はお聞きします。私は非常に現実的です。自分自身の学びに対する姿勢は最初からお遊びではありませんでした。この肉を表していくこの肉を認めさせる、学びに集ったときからそんな低次元でとらえていませんでした。確かに最初は田池留吉という肉を見て本当にこの人に私を託していけるのか、この学びに私を賭けていけるのか、そういう段階でした。しかし私はそれは私自身が真実を求めていた、真実は何か分からないけれどそれは必ずどこかにある、そういう思いをずっと持っていたからです。学びに集ったときチャネラ−になることがその条件ならという思いもありました。しかしチャネリングを聞いている私の心は次第にチャネラ−というものを離していきました。私の求めているものはそういうものではないと感じ始め、そして田池留吉というものを私の思いはさらに真正面からとらえ始めました。それからの私は田池留吉しか心に入らなかった、その私の心にそれこそ肉から波動の世界が響いてきました。心からどんどんどんどん闇が出てきてもそれは私には喜びを伝えてくれていることだと心で知っていきました。大闇でも落ちることはなかった、私はただただ嬉しかった、嬉しくて嬉しくて、この肉とのギャップに悩みながらもこれこそ私が求めてやまなかった道であることを心はとらえて離しませんでした。
 私はそういう足跡を辿ってきました。みんなそれぞれに違います。上がって落ちて上がって落ちてもそれが上昇気流となるような学び方をしてくださいと私はお伝えします。


 今世肉を持たなかったら永遠に地獄の奥底に沈んだままであったでしょう。ぎりぎりの状態で肉持ってきた私の思いこそが真実に出会わせた、出会ったら最後もうただひたすら真っ直ぐに歩むだけ、そう歩んでいくだけです。

 生まれてくることを忌み嫌ってきた私、どんな立派な肉であっても肉はもういらない、永遠に地獄であっても肉なんかいらなかった、生んだ母を自分を呪い殺してきた大闇は自分を永遠に抹殺しようとしてきた、自分を自分で救うというチャンスを自ら潰していこうとするものでした。
 そんな私であることを心で抱えながらそれでもこうして今世肉を望みました。もう一度、私にはまさにラストチャンスでした。この肉に込めてきた私の思いは並々ならぬものがあります。どんなにしても私は真実に出会いたかった、肉を持ってきた私の思いはただそれだけでした。その思いが肉を突き動かしてきました。もちろんその思いは世間で言う喜びと幸せとは食い違っていた、そぐわなかった、だから肉は壁にぶち当たっていきました。
 それがこの学びに触れ目の前の壁がす−っと取れていき、真実が現れ始めました。肉持つことの喜びと幸せ、母に生んで頂くということがどれだけの愛であったか、母にそして自分自身に対してもう懺悔、懺悔しかありませんでした。私は今世肉を肉の私を初めて愛しいと思いました。肉の私にありがとう、生まれてこれたこと、生んでもらったことが本当に嬉しくて、私は大闇ではなく喜びであったとこの肉を通し自分自身に伝えられることがどれだけ嬉しかったか、本当に嬉しくて嬉しくてただただありがとうしかありませんでした。
 今世肉を持たなかったら永遠に地獄の奥底に沈んだままであったでしょう。ぎりぎりの状態で肉持ってきた私の思いこそが真実に出会わせた、出会ったら最後もうただひたすら真っ直ぐに歩むだけ、そう歩んでいくだけです。


 地獄の底の底の奥底を味わってきた私には本当に今世が剣が峰でした。肉からは想像できないけれどそれが私の現実、その現実を背負って私は今世肉をもらってきた、そしてもう一度250年後に生まれてくるということです。

 真実に触れる、本当の自分の思いが心に伝わってくるほどに私はもう納得、納得でした。ありとあらゆるエネルギ−を飲み込んできた自分自身であった、そしてその心はもう極限状態であったと痛感しています。確かに今田池留吉と出会っているあなた方もきっとそのような過程を経てこられたと思います。しかし今心で感じられているような程度ではない、その自覚というか気付きがまだまだ薄いと私は感じさせて頂いています。メッセ−ジを通して私が伝えたいことをあなたの心で本当に感じてくださるには何というかまだまだ距離があるという感想を持たせてもらっています。それは神、仏をパワ−を求め続けた心のままで今世もまたその間違いを繰り返してこられたという事実、そのうえ学んでいる今もまだその心をしっかりと抱えて存在しておられる、間違いに気付いたならばどうしてやめていけないのかという現実、今世肉をもらってきた私とあなたとの思いの強弱、決意の強弱がここにはっきりと表れています。と言ってもそれぞれが歩む道でありそれぞれが書いてきたシナリオがあります。その現実を直視してくださいと伝えています。比べる、競争する、決してそんな余裕など残されていないことをもっと心で知ってほしいと私は思うだけです。
 私は過去においてすべてをやり尽くしてきました。あなたが今味わっている地獄などすでに味わってきました。だから地獄の底の底の奥底を味わってきた私には本当に今世が剣が峰でした。肉からは想像できないけれどそれが私の現実、その現実を背負って私は今世肉をもらってきた、そしてもう一度250年後に生まれてくるということです。


 まず250年後に本当に心を繋いでいける今現在のあなたであるかどうか自分で検分してみてください。その大切な時間を今自分に与えているということにもっと心を向けていってください。

 今私にこんな時間が与えられている、こんな幸せなこんな喜びの時間を私は持っている、不思議ではないけれど肉からはやはり不思議という言葉が出てきます。喜びが、あるときは激しく、あるときは静かに沸き起こってくる、心の底から沸き起こってくる、私全部が喜んでいるんだとの実感です。ともに道を歩けるということ、ともに同じ方向を見つめ生きていけるということ、肉の次元ではとてもとてもこんな幸せと喜びは味わえないし、分かるはずもありません。すべてが何もかもがひとつであることの喜びと幸せを私の心は広げています。
 またひとつ厳しいことを言わせてもらいます。今世田池留吉と出会えたから、学びに集っているから、だからもう自分の250年後の来世と次元移行の道筋は決まっている、途中に何度かの転生があってもそのコ−スは決まっている、そう思い込み決めつけておられる方がいるやもしれません。しかし今世学びに触れたけれど途中の転生の間に心を離していく方もあれば、今世学びに集っていなくても250年後にアルバ−トの波動に触れそれで心の転回をされていく方もあります。私は250年後にアルバ−トと出会ってと想像を膨らませておられるのは自由ですが、肉との出会いは別として、本当の出会いはそんなにあっちでもこっちでも出会う必要はないんです。宇宙を変えていく出会いはひとつでいいんです。だからそんなことに思いを巡らすよりもまず250年後に本当に心を繋いでいける今現在のあなたであるかどうか自分で検分してみてください。その大切な時間を今自分に与えているということにもっと心を向けていってください。


 私の思いはまさに今宇宙に向けて発信しています。愛しき仲間達、250年後に出会う私の多くの仲間達、まだ見ぬ仲間達にも私はこの心から喜びを伝え続けています。

 パワ−は優しさです。パワ−は温もりです。その優しさと温もりが宇宙を変えていきます。宇宙を変えていけるのは優しさと温もりだけです。
 私の心に確実に伝わってくる思い、私はこの思いとともに存在しています。喜びの波動の中でただただ喜んでいくだけです。その喜びから発せられるパワ−、エネルギ−が仕事をしていきます。今地球上で起こっている出来事はその走りに過ぎません。しかし確実にそういう時代に突入したことを感じます。喜びの波動が心に広がっていく、私は嬉しいしかありません、ありがとうしかありません。
 暗黒の宇宙が母なる宇宙へと変わっていく、変えていく真のパワ−の持ち主は自分自身でありました。これから250年かけて私自身の全容が明らかになっていきます。そして250年後の出会いにより私は爆発的な喜びの瞬間を迎えます。その意識の流れを心に感じている私にはアルバ−トがあるのみです。今世肉を頂き、田池留吉とともにその波動の世界を広げていけることが私の喜びであり幸せです。また来世ともに肉を持ちアルバ−トの世界を今度は爆発的に広げていけることが本当に嬉しいです。
 私の思いはまさに今宇宙に向けて発信しています。愛しき仲間達、250年後に出会う私の多くの仲間達、まだ見ぬ仲間達にも私はこの心から喜びを伝え続けています。それが私の喜び、ともにアルバ−トの道をという思いを私は流し続けます。


 優しさと温もりの世界はパワーの世界、真のパワーは優しさと温もり、はっきりと心に伝わってきます。

 私は嬉しくて嬉しくてたまりません。心の底から嬉しいって叫んでいます。アルバ−トとともにある私はもう喜びです。250年後、肉持つ私は喜びです。250年後を思えばもうたまりません。私がアルバ−トと思うとき、私がアルバ−トと心から呼ぶとき、私の心からはすごいパワ−が流れていくのが分かります。私はパワ−そのものです。アルバ−トと一体となった私はパワ−そのものです。このパワ−、このエネルギ−が宇宙に仕事をしていくことが私の喜びです。私は自分が今感じ広げているこの波動の世界を伝えたい、伝えることが私の喜び、心からその思いが起こってきます。
 アマテラスもルシフォ−も小さかった、我こそ宇宙と君臨してきた意識達は今や私の中では小さな存在になっています。支配と破壊のエネルギ−はアルバ−トの波動に触れアルバ−トの波動の中で真実に目覚めていきました。もう嬉しいだけです。これからどれだけ大きなすさまじいエネルギ−と出会っても、みんなアルバ−トの世界に包まれて喜びに大いなる喜びのエネルギ−に変わっていけることを知りました。
 そして今田池留吉の世界の大きさに驚嘆しています。田池留吉は大きい、どこまでもどこまでも果てしなく広がっていく宇宙空間の中でただただ喜びです。お母さん、ありがとう、お母さん、ありがとう、その思いが沸き起こってくる、その思いが響き渡ります。ああこれが私の世界なんだ、優しさと温もりの世界はパワ−の世界、真のパワ−は優しさと温もり、はっきりと心に伝わってきます。


 私は宇宙に存在するエネルギー、喜びのエネルギーでした。確実に自分自身をそうとらえ感じることができることが嬉しい、そして喜びです。

 私は宇宙に存在するエネルギ−、喜びのエネルギ−でした。確実に自分自身をそうとらえ感じることができることが嬉しい、そして喜びです。
 今世田池留吉と出会うまで私はずっとパワ−を求めてまいりました。パワ−が欲しかった、そして求めて得られたパワ−はまさしくブラックでした。アマテラスをルシフォ−を私は大きく大きくとらえてきました。田池留吉、本当に申し訳ありません。私は長く長く自分を知りませんでした。今世田池留吉に出会いようやく自分自身の大きさを心で知る過程にあります。
 私は喜びです。私は大きかった、アマテラスもルシフォ−も本当に小さな存在でした。クド−ラに至ってはもう話にもならないものでした。パワ−は私自身でした。真のパワ−は私の中にありました。それはこの心の中に包んでやれる優しさと温もりです。私はそんなパワ−の持ち主でした。ずっとずっと待ち続けてくれていたことにただただありがとうしかありません。みんなひとつ、私とひとつ、私の中から伝わってくる思い、優しい優しい母の温もりです。
 本当の自分自身に出会う、本当の自分自身を心で知る、その道を確実に歩いています。それが今世の私のシナリオでした。他力の神々を握って我は神なり我は宇宙なりとやり続けてきた私は愚かでありましたが、だからこそ今世このような喜びの私と出会えたのでした。ブラックが真のパワ−に目覚めたことにただただありがとう、嬉しいしかありません。さらに目覚めを用意している250年後が待ち遠しいです。


 「私は本物を知っている、本道を歩いています。私は幸せです、私は喜びです。」私は自分にそう言えるんです。人に嘘はつけても自分に嘘をつけないその自分に対してはっきりとそう言えます。

 私はただただ嬉しいだけなんです。なぜならば私はあなた、あなたは私、私達はひとつ、このことを言葉として知識として私を通り過ぎているのでなく、この心が本当に感じているからです。心で感じている世界の喜びと幸せには揺るぎがない、もう私は嬉しくて嬉しくてだからこんな肉の私を表したり認めさせたりする必要がない、肉の飾りつけも要りません。
 「私は本物を知っている、本道を歩いています。私は幸せです、私は喜びです。」私は自分にそう言えるんです。人に嘘はつけても自分に嘘をつけないその自分に対してはっきりとそう言えます。もちろんこの心から流れ出す波動の世界はそれをはっきりと物語ってくれています。
 アルバ−トの波動と出会いその世界をどんどん広げていくことは皆さんが思っておられるような簡単なことではないことを、またここで伝えさせてもらいます。アマテラス、他力の神々と一体の方は絶対にアルバ−トの世界は分かりません。一時感じられるかもしれませんが、それは本当に一時でその方にはアルバ−トの心は分からないんです。それを感じたからと得意になっているというのはどういうことなのか、本当にお粗末な世界に自分がいることをもっと心で知っていってください。そびえ立つ心のままでは難しい、本当の喜びと幸せは絶対に分かりません。
 しかし心を250年後に繋いでくださいということをお伝えする以外はありません。「繋いでいける学び方をしていってください。そして必ず私達は出会い喜びをともにしてまいりましょう。」これが私の心からの思いだからです。


 私の歩いてきた道、歩いていく道、みんなみんな愛しいです。このように今世私はアルバートへの道を確信させてもらいました。すべては私が予定してきたことです。

 私の歩いてきた道、歩いていく道、みんなみんな愛しいです。このように今世私はアルバ−トへの道を確信させてもらいました。すべては私が予定してきたことです。ありがとう、ありがとう、本当にありがとう、私は私にそう伝えています。自分を切り捨て切り刻み冷たく突き放してきた私は、今世自分が用意してきたものを振り返れば振り返るほどただただありがとうしかありません。
 私は自分の中に溢れる優しさと尽きることのない温もりがあることを知りました。私はあなた、あなたは私、私達はひとつ、母の温もりと安らぎの中でずっと生かされてきたことを心で知った私はもう懺悔しかありませんでした。お母さんが私の中で生きていました。本当にお母さんと出会った、私の心はもう地に落ちることはありません。
 心を向ければアルバ−トが待っています。アルバ−トがずっとずっと待ってくれています。そして250年後ともに肉を持ち喜びの道をともに生きていけることを伝えてくれます。私達は喜びです。私達はひとつです。私にはアルバ−トの思いがアルバ−トの声が聞こえています。アルバ−トの波動の中にみんな集ってくる喜びを私はもう間近に感じています。
 苦しんできたのはみんないっしょ、でも今私達は出会え、ともに喜び合えるから嬉しいね。本当に嬉しい、お母さん、ありがとう。喜びと喜びの中でこんな思いが飛び交う250年後です。私はアルバ−トを伝え続けます。250年後に出会う仲間達みんなにアルバ−トを伝え続けてまいります。


 250年後の来世はそれこそ一気に、です。苦しみから一気に喜びへと転回していく来世だからこそ今世の時間は非常に大切な時間だということを私は知っています。

 今世の私は聖書を読んだこともなければ難しい仏典経典の類はもちろん哲学書など目に触れたこともありません。そんな私がこの学びと出会え、真実に出会えたことを思うにつけ今世肉持って生まれてきた意味の深さをしみじみ感じます。誰一人例外はないけれど、真実に出会うためだけに肉持ってきたことが私には痛いほどよく分かるんです。今というときがどんなに自分自身にとって大切か、どれだけの優しさか、本当に実感しています。
 肉から心を離していく難しさを皆さんの心は訴えておられますが、250年後をしっかり見つめていくならば、自ずとそうなっていくことだと私は伝えています。離そう、離そうとするのでなく自然に自分の心から離れていく、逆にそんなところにこだわりしがみついている自分の愚かさがはっきりと見えてくると思います。
 私は250年後をしっかりと見つめています。心に250年後の手ごたえを感じている私にはこれからの肉の時間をどのように過ごしていけばいいのか承知しています。そこには迷いはありません。揺れもありません。まさに喜びに続く道を真っ直ぐに進むのみです。愚かな肉を持っていると言えばそうですが、しかし私には肉を持って心を見ていく時間はもう今世しかないことを知っています。だから愚かな肉に心を埋没させることは絶対あり得ないのです。
 250年後の来世はそれこそ一気に、です。苦しみから一気に喜びへと転回していく来世だからこそ今世の時間は非常に大切な時間だということを私は知っています。


 田池留吉をアルバートを求めてきた私の思いの中には欲などありませんでした。ただ求めてまいりました。

 私は淡々と流れています。しかし私の思いは力強いです。へなちょこではありません。へなちょこにはこれからなしていく仕事は荷が重過ぎます。凄まじいエネルギ−を飲み込み飲み干し培ってきたブラックパワ−が大きかったからこそ今の私が存在しています。私のアルバ−トを求めてきた思いというものはそれはそれは強いです。田池留吉をアルバ−トを求めてきた私の思いの中には欲などありませんでした。ただ求めてまいりました。強い思いを持って求めてきました。心から求めてきた思いの強さというものは私の右に出るものはいないと言ってもいいでしょう。
 だから今どれほど嬉しいか、どれほど幸せな私であるか、まだまだ皆さんにはお分かりにはならないでしょう。すべてをかなぐり捨てて私は今世望んできたことを再三伝えてまいりました。うがった目で私を見ておられる方は到底真実には巡り合えないでしょう。そんな心のままで私の感じて広げている世界を感じていくことは無理難題なことなのです。出発が違う、心意気が違います。そして私は私なりの課題をクリアしてここまで進んでまいりました。
 真実に出会わずしてこのまま死にたくないではなく、死ねないのです。あなたにはそんな強い思い、心から湧き出てくる強い思いが今感じられますか。どうせ私は今世は無理、適当なところで手を打ってなんて思っておられませんか。そんなことではとても250年後に繋いでいけません。今世どころか…、だから本当にあと一年、真剣にやってみてください。


 アルバートを思うことは命懸けです。アルバートの波動、アルバートの世界はすごいです。ただ嬉しいとかただ喜びとかそんなものをはるかに超えた世界です。

 アルバ−トを思うことは命懸けです。アルバ−トの波動、アルバ−トの世界はすごいです。ただ嬉しいとかただ喜びとかそんなものをはるかに超えた世界です。心で培ってきたエネルギ−は大きい、言うならば真実を知らなかったゆえのブラックはとてつもなく膨らみ続けてきたものです。その大きなすさまじいエネルギ−がアルバ−トと出会う、アルバ−トの中に溶け込んでいく、アルバ−トと一体となって放つエネルギ−はもちろん喜びのエネルギ−です。そしてそのパワ−は本当にすごいです。すごいだけにひとつ間違えば発狂します。心を闇に落とせば間違いなく奈落の底へまっしぐらです。アルバ−トを信じる信が薄いからではなく、アルバ−トを本当に信じているからこそ、そのことが分かります。まさしく命懸けです。
 私はそんな中を難なく通過してきたのかと今更ながら振り返っています。それほどのエネルギ−を蓄えてきたことを心で確認しながら一歩一歩歩める計らいの中にありました。本当にすごい計らいの中にあることをしみじみ思います。そしてここまで大過なく無事に進んでくることができた自分自身の優しさを感じています。
 母の温もりこそが私を狂わせることなくアルバ−トと出会わせてくれたのです。今世私は狂うこともなく、自分を見失うこともなく、ここにこうして存在しています。私の中の愛をいっぱい感じています。ただただありがとうしかありません。


 今私は本物の自分と出会ったから肉の私の愚かさもとても愛しいです。肉は愚かだと切り捨て切り離すのでなく、私の喜びはこの肉とともにありましたと言えることが嬉しいです。

 喜びは尽きることはありません。真っ直ぐにアルバ−トに届く心、そしてアルバ−トの思いが真っ直ぐに聞こえてくる、本当に夢みたい、だけどこれは現実なんですね。アルバ−ト、嬉しい、本当にありがとう、ありがとうございます。しっかりと繋がった250年後への道、もうこれでいいんです。後はこの道をただひたすら歩んでいくだけです。真の喜びと幸せに裏打ちされた道、淡々と歩みを進めていくだけです。
 来世を思うとき私はもう飛び上がるほど嬉しいです。もうこれまでと思うところまで心を落としていくことは分かっているのに、私の心は本当に嬉しいです。
 「私は肉じゃなかった、そう私は喜びだった、私はアルバ−ト、あなたとひとつ、私達はひとつだった」この思いが心に響き渡り、心が広がって広がって喜びのエネルギ−と化していきます。宇宙の果てまでもそのエネルギ−は駆け巡ります。250年後を実感している喜びが、つかんできた思いはちっぽけなものだったと伝えてくれました。肉の私はそのことを信じていっただけのことでした。結果その通りでした。
 今私は本物の自分と出会ったから肉の私の愚かさもとても愛しいです。肉は愚かだと切り捨て切り離すのでなく、私の喜びはこの肉とともにありましたと言えることが嬉しいです。何とも言えない優しさです。肉持つ苦しみから肉持てた喜びへと変わっていったことが相乗効果となり確信に確信を重ねています。夢物語ではなく現実、こんな幸せなことはありません。


 大きい、広いと感じてきたものがさらに大きな世界を感じていくことにより小さかったと分かる、意識、波動の世界はすごいです。無限大そして奥深さを実感します。

 アマテラスもルシフォ−も宇宙を支配し宇宙に君臨するエネルギ−でした。我こそ宇宙なりとブラックパワ−を流し続けてきた意識です。私達がこの日本の国に今世転生しそして田池留吉と出会ったのも、まずこのアマテラスが目覚めていく流れの中にあったからです。予定通りアマテラスの宇宙は小さかった、私達アマテラスもアルバ−トへ帰る温もりでしたと目覚めていく今世でした。そしてエネルギ−の強弱、大小からすれば格段の差のルシフォ−でした。そしてルシフォ−もまた今世そのチャンスを得て私は温もりでしたと懺悔のコ−スを辿り、ようやくルシフォ−もアルバ−トと呼べる喜び、アルバ−トと出会えた喜びを心で感じ入っています。
 これが私の中の宇宙の大いなる変化です。そしてそれはどなたの心の中にも起こり来る流れなんです。なぜならば意識はひとつ、すべてがひとつの世界が意識、波動の世界だからです。しかしそのとき本当に自分の心にアルバ−トを信じる信がなければ、すなわち本当の自分を信じていなければそのエネルギ−に自ら飲み込まれていくことになります。それがこれからの250年、300年だと私はここでお伝えしておきます。
 そしてこのように心の体験を重ねていけば、ただただ心で感じられることはそれまで感じていたアルバ−トの世界は小さかったということです。大きい、広いと感じてきたものがさらに大きな世界を感じていくことにより小さかったと分かる、意識、波動の世界はすごいです。無限大そして奥深さを実感します。


 アルバートへの道一直線、どうですかご自分に宣言なさったその思いに嘘偽りはありませんか。今もその思いはあなたの中で燦然と輝いていますか。燃えさしであったり立ち消えになったりしていませんか。

 アルバ−トへの道一直線、どうですかご自分に宣言なさったその思いに嘘偽りはありませんか。今もその思いはあなたの中で燦然と輝いていますか。燃えさしであったり立ち消えになったりしていませんか。
 真実の道を歩いていくには大変なエネルギ−が必要です。他力の神々をつかんでいるへなちょこにはとてもこの道を完走することはできません。我は神なりと威勢がよくてもその実態はへなちょこです。そのエネルギ−は大したものでない、ちっぽけなものなんです。しかし本当の自分を知らないから苦しみ喘ぎながらも恐怖と背中合わせです。だからそこから自分自身を解き放すことができない、くっついているのは自分自身なのに離れてくれと冷たい思いを流し続けていることにも気付けない状態です。
 このように言っている私自身も今世までは本当の自分を知らなかった愚かな私でした。しかし自分がつかんできた世界は本当にちっぽけなものでしたと私ははっきり分かりました。今世そのことに心で気付けた、心で分かりました。自分が生まれてきた意味も今世の重要さも確実に心はとらえています。当然何を基準に私はこれから存在していけばいいのかということも見えています。
 どう生きてどう死んでいけばいいのか、私はこういうことを前々からふっと思ってきました。私の中でその答えが明確になったことが嬉しい、自分自身に回答を出すことができて嬉しいです。だから私は幸せです、私は喜びです。お母さん、ありがとうと心から言える私です。


 できるならば今世ともに学んだ人、一人残らず250年後に出会いたいです。出会ってそしてともに喜び合いたいです。

 できるならば今世ともに学んだ人、一人残らず250年後に出会いたいです。出会ってそしてともに喜び合いたいです。よかったね、本当によかったね、嬉しいね、嬉しいだけだよね、私の思いはそうです、それだけなんです。もう何もいらない、喜びで250年後に生まれてくる私があるから、もうそれだけでいいんです。
 真っ暗な闇の中で一筋の温もりに触れた今世、心は離しませんでした。心の奥底からの叫びをしっかりと聞いた私は信じていくのはこの一筋の温もりだということを知っていきました。心から湧き上がる懺悔は喜びでした。やがて温もりは一筋が二筋になりそして心にどっと押し寄せてくるものになりました。
 自分を捨て去り切り捨て忌み嫌ってきたけれど、この温もりだけは否定できなかった、なぜか、それが私自身だったから、それを順々に心で分かっていく過程を歩ませてもらったこと、それは自分に対する極上の優しさだと私は思っています。自分を慈しみ愛してくれてきた自分自身にありがとうの言葉しかありません。存在が嬉しい、今ここにこうしてあることが嬉しいそして幸せ、そんな世界を感じています。
 自分自身を永遠に抹殺しようとしてきたエネルギ−は、本当にありがとう、ありがとう、お母さんありがとうございましたと、心から沸き起こり溢れてくる喜びのエネルギ−へと変わっていきました。その思い、そのエネルギ−が宇宙にこだまする、その中での出会いを私は喜びで待ち続けます。


 田池留吉を思います。アルバートを思います。もう私の心の中に浮かんでくるのはありがとうだけです。私は波動の世界に存在している、優しさと温もり、心に広がるこの世界こそが現実の世界です。

 田池留吉を思います。アルバ−トを思います。もう私の心の中に浮かんでくるのはありがとうだけです。私は波動の世界に存在している、優しさと温もり、心に広がるこの世界こそが現実の世界です。ようやく今世私はこの波動の世界と出会えた、私のすべてを賭けてきた今世です。喜びとか幸せをはるかに越えたものを感じます。自分自身を復活できた喜び、本当に私は何も望みません。こうして出会えてともにあることを感じられる、ありがとう、本当にありがとうございます。
 今世、ひとつの仕事をするために田池留吉という肉を持ってくれました。そしてセミナ−を通し真実を伝えてくれました。田池留吉の仕事は完遂しましたという喜びは私の心の中に確実に広がる喜びと重なり合います。出会いそして目覚め、たったひとつの真実を求めて肉をもらってきたこと、それだけが心に響いてきます。出会いがすべてでした。
 お母さん、私は喜びです。お母さん、ありがとうございます。何度も何度もそしてこの思いだけが心に広がっていく、すべての宇宙とともに存在している私がありました。
 今世のセミナ−、喜びで閉じていけることが本当に嬉しいです。来世に繋ぐセミナ−、心を全開にしてこの喜びをともに味わってまいります。


 極め付きはこの思い、この波動です。「私はあなた、あなたは私、私達はひとつです。」私はその波動を心で知っています。

 田池留吉の喜びが心に伝わります。
 ありがとう、ありがとう。私は本当に幸せです。今私は最高に幸せです。私は命を懸けてセミナ−を開いてまいりました。その中で私は誠心誠意心を込めて真実をお伝えしてきました。そして私自身もまた皆さんからたくさんのことを学ばせてもらい今日このように成長させて頂きました。私は待つことが愛であるということを心から知っていきました。だから私は信じて待ち続けてきましたし、これからもまた待ち続けていきます。喜びで待ち続けます。
 田池留吉そしてアルバ−トを思う私の心に響きます。
 信じて待っていてくれていたその思いが心に響きます。本当に嬉しい、本当にありがとう、自分自身を信じる喜びと安らぎを私はあなたから伝えてもらいました。セミナ−の中で私は何度も否定してきました。私は優しくない、私は温もりなんかいらない、その心をあなたにすべてぶつけていった、だけどその度に返ってくるものは優しさと温もり、そして私はあなたを信じています、信じて待っていますという思いだけでした。本当に嬉しかったです。みんな託すことができるということがこんなに幸せであり喜びでした。そして極め付きはこの思い、この波動です。「私はあなた、あなたは私、私達はひとつです。」私はその波動を心で知っています。そう私達はひとつです。これから250年を経てそしてそれからも私達はひとつ、ともに歩いてまいります。


 心にはっきりと伝わってくる思いがあります。それは私はアルバートを待っていた、本当に待ち続けてきた、そしてアルバートを本当に信じているということです。田池留吉の世界に心を向ければそれがはっきりと分かる、その波動は私にアルバートの世界を伝えてくれました。

 肉持てたこと、お母さんに生んでもらったこと、無条件です、無条件に嬉しいです。信じて信じて待ってくれていた母の思いは例えようもありません。だから私にはお母さん、ありがとうございます、本当にありがとうしかありません。お母さん、私はこうしてアルバ−トと出会えました。アルバ−トを待ち続けてきた本当に待ち続けてきた私でした。アルバ−トに出会えた喜びは尽きることもなく私の心に広がっていきます。
 お母さん、私は250年後にもう一度この喜びを再現していきます。来世に繋いだ心の中でその喜びはもっと大きくもっと強く爆発していきます。250年後、私に肉をくださる母の思いをもう私は感じています。喜びで喜びで生んでくださる母の思いを信じられるからこそ私は母への思いを一気に噴き出していけるのです。来世信じて待ってくれているあなたがいることを私の心が知っていくのに時間はかかりません。だからこそ私は今世このようなシナリオを書いてきました。すべては250年後の来世に繋いでいくためです。
 心にはっきりと伝わってくる思いがあります。それは私はアルバ−トを待っていた、本当に待ち続けてきた、そしてアルバ−トを本当に信じているということです。田池留吉の世界に心を向ければそれがはっきりと分かる、その波動は私にアルバ−トの世界を伝えてくれました。
 田池留吉、本当にありがとうございます。私にはすべてがひとつです。ひとつが喜び、ひとつが幸せの世界を肉を持って知り得たことにありがとうしかありません。


 学び一本に心を決められていますか。肉をつかみながらアルバートの世界は絶対分かりません。

 学び一本に心を決められていますか。
 肉をつかみながらアルバ−トの世界は絶対分かりません。温もりを感じている、感じられた、アルバ−トを感じることができた、それはそうかもしれません。そういうチャンスは学びに集っていればあるでしょう。でもアルバ−トとともに生きる、アルバ−トがすべてであるということを本当に心で分かるには、肉をつかんでいては実現不可能なことです。ということは、たとえ何度温もりを感じ喜びだ、アルバ−トだと言ってもほんの上滑りのところで喜んでいる、この学びをやっている、アルバ−ト一直線とやっているに過ぎないということです。
 本当に波動の世界を感じていけば、肉にはこだわりがなくなる、どうでもいい薄っぺらなものになってくるはずです。どうでもいいからとおざなりにするのでもないけれど、肉の世界における自分の存在に価値を見出せなくなります。そして自分の肉を肉の世界にある肉でなくアルバ−トを知っている肉として見るから、肉も愛しく肉の喜びと幸せは全く異質なものになってきます。本当の肉の喜びと幸せは肉持てたことをただ喜べる心がかもし出す思いです。だからそれは意識の世界の喜びと幸せに一致してくる、ひとつに溶け合っていく、肉と意識はひとつであるという図式が成立します。
 私自身今世がどれほど大切なときであるかを心で分かっています。すべてを賭けてまいりますと私は生まれてきたその思いが大いなる喜びとして心に響いています。だから心を繋いでいく仕事は限りない喜びと幸せです。


 宇宙に向けてセミナーが開かれている、このことを私は心ではっきりと感じています。だからもうたまらない、たまらなく嬉しいです。

 私は下呂セミナ−が待ち遠しいです。また皆さんとともに喜びを感じ合える、アルバ−トの世界を広げていけるセミナ−がもう少しでやって来ます。私は喜びで喜びで集います。私の中はもうワクワクしています。肉を持ってこうしてともに学ばせてもらえるなんて私達は最高に幸せ者です。本当に嬉しい幸せな時間と空間を用意してきました。
 すべてに平等、すべてに公平、そこにあるのは喜びだけです。喜びの波動の中でみんなひとつになって心を向けていくことができる、セミナ−会場はそんな場です。そんな中に数え切れない意識達が心を向けてきます。すさまじいエネルギ−を抱えながらそれでも限りない喜びと優しさ溢れる温もりを求めて意識達がやってきます。みんなその心で受け止めてあげてください。嬉しい、おいで、おいで、みんないっしょにおいで、アルバ−トといっしょに行こう、優しい優しい温もりの中でともに喜び合っていきましょう。
 私はアルバ−トを伝えていける喜びの中にあります。アルバ−トとともにある私達ですと私は喜びで伝えていけることが本当に嬉しいです。宇宙に向けてセミナ−が開かれている、このことを私は心ではっきりと感じています。だからもうたまらない、たまらなく嬉しいです。
 アルバ−トとひとつ、アルバ−トとともに、下呂セミナ−はまたひとつの素晴らしい区切りとなるセミナ−になることだろうと私は心待ちしています。


 私は私自身の決めてきた道筋を歩いていくだけです。シナリオを全うして自分自身を絶対に裏切らない、母との約束を違えません。それが自分に対する限りない優しさだからです。そして宇宙を変えていく喜びのパワーが私自身だからです。

 こうして田池留吉との出会いがあって目覚めがあってという今世ですが、その波動の世界を知っていくほどに私というものが見事にそこに映し出されていくのが感じられます。なぜ肉をもらい田池留吉と出会ったのか、そのことがもう喜びとなってド−ンと心に響いてきます。マイナスがプラスへと転じた今世は非常に大きな第一歩です。宇宙を変えていく道筋が見えたということは大いなる喜びなのです。
 すべてが喜びです。心に培ってきた大きなエネルギ−、しかし大きいからこそ次元移行という大事業がなせるのです。そのためには心を必ず繋いでいくこと、その思いは私が今世選んできた環境その他随所に現れています。肉はできるだけ荷物を背負い込まない、ただいわゆるひとつの仕事をなしていくことだけに集中していけるシナリオを書いてきたということが、肉として振り返ったときよく分かります。これでよかった、本当によかった、意識の流れということに思いを向けるとき、私はその流れそのものだということを感じます。だから流れのままに肉も流れていくことが私の幸せ、喜びであるということも感じられるのです。
 私は私自身の決めてきた道筋を歩いていくだけです。シナリオを全うして自分自身を絶対に裏切らない、母との約束を違えません。それが自分に対する限りない優しさだからです。そして宇宙を変えていく喜びのパワ−が私自身だからです。


 肉を媒介として苦しみを包み、肉を媒介として喜びを溢れ出す、それが肉持つ意味でした。肉は私にとって大切な器、そして私にとって最上の器です。

 波動の世界を広げている私が今感じていることは、私は最上級の肉を選んできたということです。肉を持つという意味がはっきり分かった今、肉を高め肉に箔をつけ肉に飾りをつけることが人生の目的であり、それが喜びと幸せに繋がっていくという価値基準は私の中では全くなくなりました。
 しかし肉は波動の世界を媒介するために必要不可欠なものです。唯一そのために肉が必要だった、肉があるからこそ真実の世界に触れることができたことを今世私は学ばせてもらいました。肉に覆い尽くされ真実から遠くに離れてしまった心に、その肉というものを通し真実を伝えてもらったことが、私の中の肉という概念を完全に覆す結果となりました。肉としての喜びと幸せを追求するために肉は存在するのであって、それに反するようであれば肉は苦しみでしかないととらえることが完全に間違いでした。肉はただそこにあるというだけで喜びでした。それが普通となればもう上等でした。
 肉を媒介として苦しみを包み、肉を媒介として喜びを溢れ出す、それが肉持つ意味でした。肉は私にとって大切な器、そして私にとって最上の器です。
 私の目はそして心は肉をそのように見つめています。真実を知る心に映し出される肉と肉の世界、180度違っています。楽です、心が軽いです。そして心の底から沸いてくる喜びと幸せがある、そう私にはこの喜びと幸せがあります。


 教祖と信者の心を引きずったままでは真実の波動の世界は分かるはずがありません。田池留吉もアルバートも教祖ではありません。そんな低次元のものではないのです。

 セミナ−は来年の6月で終わります。これからの一年は素直に真面目にやってこられた方とそうでない方との差がはっきりとしてくることと思います。未だにホ−ムペ−ジを素直に見ることができないようでは本当に道遠しです。どれほど己が偉くそびえ立っているのかも分からないほどに成り果ててしまったのですね。それでもそうやってそこに存在しているというのはどういうことなのでしょうか。一日も早く心を見てそういうご自分に心から懺悔なさってくださいとしか申し上げられません。
 また私を救ってください、私に何か気付きを与えてください、どうしていけばいいのか私に教えてください、こういう思いをまだ心に抱えながらセミナ−に集っているなら、全く無駄な努力をなさっています。無駄な時間とお金と体力を使って周りの方々に不自由をかけてと肉的に考えても何のメリットもありません。どうしてそんな不合理なことをやり続けているのか、しっかり心に根の張った他力の思いを見ておられない証拠です。今のままでは呪いと恨みだけが残っていく結果となることは火を見るよりも明らかです。
 教祖と信者の心を引きずったままでは真実の波動の世界は分かるはずがありません。田池留吉もアルバ−トも教祖ではありません。そんな低次元のものではないのです。
 私も自分自身がただ嬉しい、喜び、幸せであるだけです。そこに導くとか救うとかいう思いはありません。本当に喜びで喜びをお伝えするということの喜びの中に私は存在しているということです。


 本当の自分を知らないまま肉捨てていく人間がほとんどという現実の中で、私達はこうして出会えているではないですか。私はそのことを思うと私達はどれほど幸せであるかと思わざるを得ません。

 私は本当に幸せです。皆さんもどうぞ幸せになってください。幸せなご自分、喜びのご自分と出会っていってください。今世それが叶う大きな大きなチャンスを自ら作ってきたのに、また自ら潰していくなんてと私は思ってしまいます。己という看板をはずしていけば、そこに幸せが喜びが待っているのに、その看板がなかなかはずせないんですね。
 本当の自分を知らないまま肉捨てていく人間がほとんどという現実の中で、私達はこうして出会えているではないですか。私はそのことを思うと私達はどれほど幸せであるかと思わざるを得ません。
 この世に浮かれているのはほんのいっとき、後はまっ逆さまに地獄へ落ちていくことが明らかな人を目の前にして、何を語ることがあるのでしょうか。本当は何も語れません。挨拶程度の会話をして、この世の型どおりの会話をして、それで時を過ごしていくだけです。何も知らないときならいざ知らず今となってはしかしそれもただ空しいだけです。
 せめて夫婦、親子間でそんな空しいときを過ごすことのないように、心で分かった方から心で分かった分だけを素直にお伝えすればいいのではないでしょうか。喜びは波動となって流れていきます。それは確かにそうです。でもその喜びを肉を使って表現していくことも大切なことです。心で感じた喜び、嬉しさを素直に表していかれたらどうでしょうか。
 私なら、そうしています。そうしたくなる、私は喜びだから、私は幸せだからです。もし母が学んでいなかったら、私は何が何でも母にこの喜びと幸せを伝えていることでしょう。


 いちいち過去世を聞かなくても凄い、もうどうしようもない状態なんです。だから私達の思いが田池留吉という肉を持たせ私達もまたときを同じくして肉を持ってきたということです。それはもうそろそろどの方もその心で感じられていることでしょう。

 私達の過去世、過去広げてきたエネルギ−の世界は凄いんです、すさまじいんです。みんな凄いエネルギ−を引っさげています。いちいち過去世を聞かなくても凄い、もうどうしようもない状態なんです。だから私達の思いが田池留吉という肉を持たせ私達もまたときを同じくして肉を持ってきたということです。それはもうそろそろどの方もその心で感じられていることでしょう。
 そういうことを前提にして心を見るという作業をしていかなければ、またしても自分が培ってきたエネルギ−に振り回され、そしてそのエネルギ−を増長する結果となってしまいます。それがチャネラ−と呼ばれてきた方々の今現在における実態なのではないでしょうか。何度も言います、私は今世その道を選んできませんでした。その中から抜け出るというか飛び出るというのは並大抵のことでは困難だということを知っていたからです。
 必ず250年後に心を繋ぎそして大事業をなしていくという意識の流れの中で自分自身が書いたシナリオはそんなに生ぬるいものではありませんでした。それだけの覚悟というか決意を持って生まれてきた私には今世落ちてそこからまた這い上がってくるということはあり得ないことでした。一度の失敗も許されない、本当に今世意識の世界に目覚めていくということは容易なことではないということを心に叩き込んで生まれてきたんだと今ははっきりとそう感じています。
 田池留吉の目は節穴ではなかったことを感じます。喜びとともにそう感じている私がいます。


 1+1=2という厳しさは実に優しいです。1+1=2だからこそすべてを託していける、何もかも信じられるのです。1+1=2の世界に生きる喜びと幸せをあなたの心でぜひ味わってください。

 肉は愚かです、しかし肉は私を裏切りません。今世の肉は決して私を裏切らない、なぜならば肉を持ってきたことの喜びを知ったからです。肉を持ってきたことの本当の意味を知りその喜びを知った肉は、私を裏切らない、自分の仕事も自分という存在も当然これからの道もみんなはっきりと心で感じているから、私達はともに歩んでいくということです。
 肉と意識がひとつだからこそ、これからの仕事をなしていけるのです。真実の世界がそのことを伝えにきてくれました。
 今世肉をもらいセミナ−という時間と空間をそれぞれが自分に用意してきたということはみんな同じ条件でした。そして自分が自分に与えたものを自分で消化していくこともみんな同じです。それが心で分からない限りこれからの道はまだ深い霧の中だということです。
 希望的観測はもういいです。結果を出していってください。意識の世界はすべてにおいて平等かつ正確です。そして1+1=2という厳しさは実に優しいです。1+1=2だからこそすべてを託していける、何もかも信じられるのです。1+1=2の世界に生きる喜びと幸せをあなたの心もぜひ味わってください。
 1+1=2でもあれば1+1≠2でもある、そんな矛盾だらけの世界から心を離せない分、あなたの中で消化不良となっています。早期発見、早期治療が最善の方策ですが、それが難しい現実です。せめてこれ以上事態が悪化しないような環境作りが大切です。肉と意識の合作作業を速やかに進められて、消化不良の解消にまずは努めていってください。


 己の欲だけで己という看板を掲げてのセミナー一筋は、私のセミナー一筋の思いと全然違います。熱心という形に込められている思いをどうぞあなたの心で見ていってください。

 今世のセミナ−は後一年です。ということは今世の学びは後一年ということです。その間にあなたの心で感じあなたの心が分かったところでストップです。その後に心の気付きを持たれる方もそれで飛躍的にご自分の意識の世界が進むということはあり得ません。焦る必要はないけれど、それからあなたが肉を捨てそしてまた肉を持ってきてもそのときは真実を伝える肉が存在しないということを思えば、今世の学びがいかに大切かお分かり頂けると思います。
 あなたの今現在の心の状態がどうであるのか、客観的に見極めていってください。250年後までに何度の転生があるか知りませんが、今世心にしっかりと真実という心棒を持つということがあなたの本当の幸せ、喜びに繋がっていくことを後一年のセミナ−の間に何としても知っていってください。そういう思いになってくるとあだおろそかにセミナ−の時間を過ごすことはできないでしょう。どんなことも決して他人事ではない、そこで繰り広げられていることはみんな自分の世界のことなんです。そういう思いであなたはセミナ−と接してこられましたか。長い方で20年という年月をセミナ−に費やされました。それだけの時間を自分に用意してあなたはどれだけ自分を見てこられましたか。自分の目を通して自分を見るよりも、他人の目を通し自分を評価してきた時間があまりにも長過ぎたという反省はあなたの中でありましたか。
 己の欲だけで己という看板を掲げてのセミナ−一筋は、私のセミナ−一筋の思いと全然違います。熱心という形に込められている思いをどうぞあなたの心で見ていってください。


 私は文句なしに嬉しいです。本当に嬉しいです。250年後の来世に心を繋いでいるからです。しっかりとはっきりとその250年後の喜びが見えているからです。

 私は文句なしに嬉しいです。本当に嬉しいです。250年後の来世に心を繋いでいるからです。しっかりとはっきりとその250年後の喜びが見えているからです。私には喜びしか見えません。喜びしかないんです。
 来世の肉は苦難の中にあります。もうそれは十二分に承知です。しかし私の心はそんなものはちっとも苦難だと思っていない、ただただアルバ−トとともに私は今生きている、そしてこの喜びを250年後に繋ぎ爆発的な歓喜の中に私はいることを心で感じています。
 本当にありがとう、田池留吉と出会わせて頂いて本当に嬉しいです。私はアルバ−トあなたとともに生きている、生きていく、こんな喜びの私が今ここにいます。
 今世こんな素晴らしいセミナ−を持たせてもらいました。そこには250年後に喜びで集える仲間達もたくさんいます。それはそれで嬉しいことです。しかし私の思いは今世の仲間達だけには留まっていません。250年後の私達との出会いによって心を瞬間に開いていかれる仲間、今私はそんな仲間達のことを思っています。
 凄い展開になっていくでしょう。目と目の出会いによりその喜びは一瞬のうちにメディアを通じて全世界に流れていきます。全世界ということは全宇宙です。宇宙の彼方から喜び集ってくる多くの仲間達を私達はこの心に迎えていけるのです。本当に待ち遠しい、待ち遠しい250年後です。その舞台をみんな整えて私達は出会うのです。アルバ−ト、本当に嬉しい、アルバ−ト、ありがとう。


 私が、私は喜びです、私はアルバートとひとつですと言っているのは、私は立派、私はできているということではないんです。

 何重にも折り重なりそれが横に広がり、行けども行けども真っ暗闇の中を私は生き続けてきました。自分の心を見た最初この膨大な闇の世界が本当に喜びへと変わるのかとさえ思いました。でも違っていた、本当にひとつ変わればどんどんどんどん変わっていくことを私の心は証明していきました。
 心が変わるということは、心が浄化されてけがれのない心になったとかを言うのではありません。そんな自分に生まれ変わったなんて私自身全然思っていません。だから私は非常に楽です。私が、私は喜びです、私はアルバ−トとひとつですと言っているのは、私は立派、私はできているということではないんです。その膨大な闇の中に生き続けてきた自分というものをしっかりと見つめてそれが本当に愛しいと、私にはそれが闇であって闇でなくなったということなんです。もう闇は喜びしか伝えてこない、膨大な闇の渦の中にある私にはそれらがみんな喜びだということです。だから私の中のすべての闇とともにアルバ−トに出会える250年後の来世がどれだけ喜びであるのか、本当に自分を愛しいという思いが心から沸き起こってこない限り、この喜びは分からないと思います。とにかく嬉しい、本当に嬉しいです。
 人に認められて嬉しいとか、そんな類の嬉しさなんかどうでもいい、心から突き上がり沸き起こってくる喜びと嬉しさを知っているから、それがとりもなおさず私自身であるから、本当にそんなの嬉しさでも何でもありません。
 もう私は私にありがとうしかありません。250年後に生まれてくる私にありがとうしかないんです。


 己を前に出している人に温もりの根源は感じられません。私達は今世肉を持ってその温もりの根源を心で感じていく計画を立ててきたのですよ。その計画を頓挫させているのは誰でもない自分自身です。

 まもなく今年前半の区切りのセミナ−が始まります。今回を入れて後10回です。未だに苦しみのた打ち回っておられる方もどうぞ喜んで集ってください。何か矛盾することを言っていますが、あなたにどんな苦しみの背景があろうとも事実あなたはセミナ−会場にその肉を運べるではないですか。それだけでは駄目なんですか。本当にここいらでもう肉という看板を降ろしてみられたらどうでしょうか。
 大変楽ですよ、こんな楽なことはない、そして分かります。自分が広げてきた世界がどんなに小さな世界であったか、そんな中で必死になって自分を大きく見せようしてきただけのことであったことが分かります。そんな愚かで馬鹿みたいな自分だけどまだ一縷の望みがあったからこうしてセミナ−に繋がってこれたのではないでしょうか。
 己を前に出している人に温もりの根源は感じられません。私達は今世肉を持ってその温もりの根源を心で感じていく計画を立ててきたのですよ。その計画を頓挫させているのは誰でもない自分自身です。みんな条件は同じです。いや同じでない、そう思うことがすでに大きく計画の軌道よりずれていることをどれだけ自覚なさってきたか私には分かりませんが、大変厳しい状況にあると私は思います。
 己が偉くて立派だと皆さんそれぞれに思われていますが、そんな偉くて立派な私達では決してないということだけを伝えさせてもらいます。いつまでもそんな亡霊を引きずっていては地獄の奥底から這い上がってくるということは甚だ難しいと私は思います。


 意識の世界は自分と自分の世界です。いかに自分に誠実に真向かいになることができるかです。自分を大切に、これほど優しい言葉、思いはありません。

 波動だけが真実を語ります。波動がすべてです。私は何も要りません。真実の世界を感じている心それが私、だから何も要らない、この心があれば何もなくても生きていける、本当に肉は真実を知るためにのみ持つということを実感します。心の中に厳然として存在する波動の世界、それはすごいとしか言えません。
 何はさておき、心の体験です。まず自分自身が体験しないことには絶対分からないです。そして体験されたものはどうぞご自分の中で大切にしていってください。それは説明などできないはず、あなたが体験されたことはあなたしか分からないことです。そしてそれはあなたのものであるから、ただそのことを大切にしていけばいいだけのことです。
 これまで山あり谷ありの学びであっても、これからの一年はどうぞご自分の今世の学びの締めくくりのつもりでセミナ−に臨んでいかれたらと思います。私はいつも今世の締めくくりをきちんとしたいということを心の隅に置きながら学ばせてもらってきました。中途半端な学び方はやめてください。自分に納得し自分に結果を出していく、これからの一年は特にそのような一年であってほしいと思います。
 言い古された言葉ですが、意識の世界は自分と自分の世界です。いかに自分に誠実に真向かいになることができるかです。自分を大切に、これほど優しい言葉、思いはありません。今世そのような波動の世界と出会えたことを心から喜んでいってください。今世ともに学んだ人達、250年後もまた必ず会いたいと私は思っています。


 素直さがなければあなたの心の世界は開いていけません。肉のあなたがどんなに熱心に真面目に場合によっては無理をしてセミナーに集ってきても、あなた自身に素直さが欠けていれば、それは全く無駄骨、無駄足なんです。

 波動でしか真実を伝えられないことを今回のセミナ−でも学んで頂けたと思っています。
 私は波動です。私はアルバ−トを信じアルバ−トとともにあることが喜びなんです。その喜びが波動となってあなたの心の奥深くを揺さぶっていると私は思います。その心の変化、あなた自身の心でどうぞ素直に感じていってください。そう何度も繰り返します、素直さがなければあなたの心の世界は開いていけません。肉のあなたがどんなに熱心に真面目に場合によっては無理をしてセミナ−に集ってきても、あなた自身に素直さが欠けていれば、それは全く無駄骨、無駄足なんです。そのことに一日も早く気付いていってください。
 私は一人でも多くの方が250年後に心を繋いでいかれることを願っています。だから私は曖昧なことは言いません。その人にとって必要な部分を真っ直ぐにお伝えします。そのことによって心で気付かれ昨日までどんなに間違っていようとも今日ただいまから変わっていけばいい、そうその通りです。あなたが本物の波動の世界をほんの少しでもその心で感じたなら、それだけであなたの心は変わっていけるはずです。それが意識の世界なんです。その意識の世界に素直になるということが本当の素直ということです。
 そういうチャンスを活かされて、今世どうぞあなた自身の方向転回の一歩をまず歩んでいってください。それがなければ私達が250年後にともに喜びを広げていけることは難しいということをこれからの一年間で学んでいってください。


 肉を持つ意味、生まれてきた訳、自分の存在、心で分かれば分かるほどにただただ嬉しい、ありがとうしかありません。

 私には250年後に至る道筋が見えています。自分の進むべき道が見えているんです。だから私には何が必要であるとか、これがなくてはならないとか、肉の世界には何もありません。こだわらないというかしかし肉が必要な時間の中では、肉を維持していくのに困らないようになっています。その中で肉も楽しんで喜んで過ごしていったらいい、何も望むものはない、心にアルバ−トがある、ともに250年後を生き未来に生きている、こんな幸せなことはありません。
 探し続けてきた真実、それは本当の自分との出会いでした。心の奥底から湧き出てくる喜びは、もう何も語らなくてもすべてに納得でした。心に響き渡る優しい母の温もりは本当に優しく優しく私自身を包んでくれている、今世その波動と出会わせて頂いたことが最高に幸せです。
 私はいつもそこに戻ることができる、今一瞬肉であっても次の瞬間、その嬉しさが喜びが心に蘇ってきます。肉を持っている状態で心の切り替えを瞬間的に行っていける、肉はここにありながら心は意識は…、私はその楽しみを見つけました。
 肉を持つ意味、生まれてきた訳、自分の存在、心で分かれば分かるほどにただただ嬉しい、ありがとうしかありません。私はこの肉を十二分に使い自分自身の心の世界をさらに広げていきます。すべてが喜び、存在そのものが喜び、それが真実の波動の世界、心を広げてまいります。


 喜びのエネルギーが宇宙に溢れ出していく、宇宙は喜びの爆発を続けます。すべてが喜び、そして真実に目覚めるチャンスに出会っていくのです。

 田池留吉、本当にありがとうございます。本当にありがとうございます。私は今自分の中の宇宙がどれほどの喜びであるのか、心に広げてきた宇宙がそっくりそのまま入れ替わったようなそんな感じがするほど私の中の宇宙は変わりました。田池留吉の宇宙をその世界を心に感じることができ、私の中の宇宙は本当に喜んでいます。
 広い、広い、果てしなく広がっていく田池留吉の宇宙、その波動の世界に存在している私でした。私はこれからこの宇宙とともに歩みを進めていけるのかと思えばもうたまらなく嬉しいです。母に生んでもらったことが最高に幸せの私でした。宇宙に確実に伝わっていくこの波動、アルバ−ト、本当に嬉しい、私は宇宙、そして宇宙は喜び、ああ私はこの心に抱えきれないほどの優しさと温もりに包まれています。宇宙に存在するすべての意識達に向けてその喜びが流れ出していきます。アルバ−ト、すべての意識達とともに私達はあなたのもとに帰ってまいります。
 私達は喜びです。宇宙は喜びです。今心にはっきりと感じられる、宇宙の喜びが心に広がっていきます。その喜びが天変地異を起こしていきます。喜びのエネルギ−が宇宙に溢れ出していく、宇宙は喜びの爆発を続けます。すべてが喜び、そして真実に目覚めるチャンスに出会っていくのです。
 どうぞ今世セミナ−に集われている方々、あなたなりの反省瞑想があったかもしれませんが、心を空にして波動のお勉強を通して真実の世界を垣間見ていってください。そうしてこそそれまでの積み重ねが活きていくことを知ってください。


 ともに喜びを広げていきましょう。ともにアルバートへの道を歩いていきましょう。どんなに苦しくてもどんなに間違ってきても私達にはこの喜びの道がありました。私達の心にありました。

 ともに喜びを広げていきましょう。ともにアルバ−トへの道を歩いていきましょう。どんなに苦しくてもどんなに間違ってきても私達にはこの喜びの道がありました。私達の心にありました。私はそのことに本当に心で気付いていってほしいと思っています。そしてそれから今世の肉を捨てていってくださいと私はお伝えします。
 苦しい、恨んでやる、呪ってやる、お前なんか消え失せろ、くそったれ、思いを吐き出すのは結構です。でもそこから本当に心を見ていってください。そう叫んでいるあなたの心に心を向けていってください。自分に甘えずにしっかりと心を向けていってください。肉持っている今だけです。垂れ流し状態のあなた自身に心を向けていけるのは今だけです。肉を離した瞬間から田池留吉をアルバ−トを心で呼べる方が今現在どのくらいおられるのでしょうか。現実はそんなに甘いものではないということを知ってください。
 今世多くを望まないでください。今世は心の気付きの一歩を踏み出せたならそれでいいんです。第一歩もまだまだであるのにさらにその先を進んでいこうとすることほど己偉しはありません。
 私には誰彼の区別はありませんし、何もありません。真っ直ぐにアルバ−トだけを見つめてアルバ−トとともに生きていく、その道をともに歩んでいけることが私の喜びです。どうぞともに喜びの道を歩いていきましょう、私はいつもそのように語っています。心の気付きの第一歩をまず踏み出していってください。


 お母さんに生んでもらったこと、すなわち肉をもらって生まれてきたこと、そのことがどんなに喜びであるのか、心を見て地獄の自分を見てその叫びを聞いてきた私にはそれはもう心でしっかりと感じてきました。

 お母さんに生んでもらったこと、すなわち肉をもらって生まれてきたこと、そのことがどんなに喜びであるのか、心を見て地獄の自分を見てその叫びを聞いてきた私にはそれはもう心でしっかりと感じてきました。生んだ母を呪い生まれてきた自分を忌み嫌ってきた地獄が私の前に数珠なりに続いていました。どれもこれもみんな地獄のうめき声を上げていました。これが私なのか、しかし今世の自分自身を振り返ればそれは自分の心で納得でした。
 地獄から出てくるチャンスは今世しかない、自分自身の学びの過程でそのような思い、決意の程を知っていくほどにやがて私は真っ直ぐに核心をついていくようになりました。決して後へは引かない、私には今世このときしかないのだからとそれだけ、欲得の思いはなく周りの雑音は素通りでした。しかし思えば自己中心であったかもしれません。それもみんな許されていた、不思議なほどに肉的にも私は順調に学んでこれました。
 今、私は自分の意識の世界、波動の世界にある自分自身を心にはっきりととらえています。肉をつかんできた自分自身の思いをしっかりと抱きかかえながら、これから進むべき方向を真っ直ぐに自分に指し示しています。
 お母さんに生んでもらったことを心の底から喜んでいる来世の私がいます。再び生まれてきたことに絶望する地獄を覗きますが、それも時間にすればほんの僅かです。心に喜びのエネルギ−が蘇ってくる、私がアルバ−トを思い出すときです。肉持つ私は喜びでした、幸せでした、お母さんありがとう、喜びが噴き出してくる来世の私を今思っています。


 心で感じられなければ絶対信じられないです。自分の心で証明できなければ信じられません。それが真実の世界だということが今の私にはよく分かります。

 ともに次元移行を果たせる喜びが心に響いてきます。アルバ−トは現実、アルバ−トは実在、250年後の来世も次元移行も私には現実です。
 肉の現象と相まってここ3年の自分自身の成長は本当に目まぐるしいです。3年間という凝縮された時間の中に私は意識の流れというものを感じています。
 自分自身を振り返れば、必要なことは必要なときに自分の中から伝えてくれるということが分かります。自分の中にすべての回答がある、それが本当の自分自身なんだということを実感しています。だから今肉で分からないこともまた気付けていないことも中の意識はすでに了解済みだということです。ただ肉は素直になりさえすれば、素直な自分が自然に肉を通して表れてくるということでした。
 心で分かれば簡単なことです。しかしその肉の壁をはずすというか、何が間違ってきたのか、どこがずれているのかということを心で本当に気付いていくことは難しいことだと思います。
 心で感じられなければ絶対信じられないです。自分の心で証明できなければ信じられません。それが真実の世界だということが今の私にはよく分かります。そして心で感じてください、心で分かっていってくださいと伝えてくれてきた田池留吉の思いがただただ優しくて嬉しいです。地に落ちた意識を本当に信じてくれていた温もりに出会ったということが私には本当に嬉しいです。


 母の反省を最初耳にしたとき、私にはできないと拒否する思いを第一発、出したのを今でも憶えています。あのときのあの感覚こそ、私が間違って間違って存在し続けてきた所以であり私自身との出会いでした。

 何はなくても嬉しい、こんな境地になれるなんて肉の私は自分自身にやはり驚きです。意識の世界の喜びが肉の私にもしっかりと浸透しているのでしょうね。田池先生から肉も随分変わったと思うよと言われても、私自身もうひとつピンと来ていませんでした。でもその何はなくても嬉しいと肉で思えることひとつを取り上げても、そうだなと思っています。初対面であなたは喜びが少ないと言われたほど欲ぼけだった私が、よくここまでという思いは確かに私にはあります。そう思うとき私は私にありがとうの思いが出てきます。ああ私は私に優しくなったなあとしみじみ思っています。
 肉で努力すれば、肉で何とかすれば何とかなるという思いを今世の私はずっと持っていました。しかし肉で何ともならない事態に直面して初めて己の愚かさ、無力さを感じました。大きなエポックを自分に投げかけ今世の私自身の学びがようやくスタ−ト、しました。母の反省を最初耳にしたとき、私にはできないと拒否する思いを第一発、出したのを今でも憶えています。あのときのあの感覚こそ、私が間違って間違って存在し続けてきた所以であり私自身との出会いでした。
 固く閉ざしてきた自分の心を開いていくのは大変でしたが、様々な試みの中ようやく緩みはじめてきた心に風穴が開きそこから一筋の温もりを感じ、やがてそれが怒涛のように押し寄せてくるほどに感じられる今、私は自分の心の世界をはっきりととらえています。
 学びこそ我が人生です。セミナ−とともに成長させて頂き、私は本当に幸せ者です。死ぬまでセミナ−、死んでからもセミナ−、そして250年後の再会、最高に嬉しいです。


 ただ真っ直ぐにアルバートの道を生きていくこと、それが私の喜びです。私の心にはアルバートとしかありません。そのような自分と出会えたことが嬉しいです。アルバートの前に私は己というものがありません。ただ喜びと幸せがあるだけです。

 ただ真っ直ぐにアルバ−トの道を生きていくこと、それが私の喜びです。目を閉じても閉じていなくても私の心にはアルバ−トしかありません。そのような自分と出会えたことが嬉しいです。
 私は決して特別な存在ではありません。アルバ−トを信じる信が強い、アルバ−トの実在を確信している、それだけです。だからアルバ−トの前に私は己というものがありません。ただ喜びと幸せがあるだけです。それはまだ己を崩し切っていない、しっかりと他力の神々を握っている心がアルバ−トを呼ぶのとはわけが違います。その差が大きな壁になって、従って私の感じている波動の世界とたぶん皆さんが感じておられるそれとは大きな開きがあると思います。だから真実の世界をほんの少し垣間見れば、それで己を表していく羽目に陥るか、すぐにまた元の木阿弥に戻ってしまうか、その程度で終わってしまうのです。
 私がともにアルバ−トの道を歩いていきましょう、ともに喜びを広げていきましょうと呼びかけているのは、すべてを心から離してくださいと申し上げていることなのです。大変厳しい道です。厳しいけれど優しい、これこそが本当の優しさ、温もりであることをどうぞあなたの心で分かっていってください。
 私は本当に幸せです。なぜならばこうしてアルバ−トと出会っているから、そしてその道が見えているからです。喜び少ない私もこのように変われました、私はその可能性を示した証人です。


 私は途轍もなく大きなエネルギーです。その私自身が一気に飛び出てくる来世は本当に凄いと思います。一瞬にして意識の転回がなされ、そのとき放出されるエネルギーは宇宙にとどろき渡ることでしょう。

 アルバ−トに出会うために生まれてきた今世の私です。真実の波動の世界と出会うために生まれてきた今世の私です。頭でそう言えるのではなく心で言える、それが今現在の私の状態です。このことに嘘偽りはありません。私はいつでもそのことを証明できます。心で語っている私の思いは喜びです。
 すべては250年後の来世です。私の心はそこにしっかりと照準を合わせています。すべては250年後に繋いでいくための今世の筋書き、私の中で見事に符合していました。だからとても嬉しい、嘆き悩み苦しんできたことも真実を知り得たからこそみんなみんな喜びだと分かりました。闇は闇でなかったということを知りました。そして莫大なエネルギ−を心に抱え私は250年後を喜びで待っています。
 意識の転回の道をひたすら突き進んでいくエネルギ−、それが本当の自分の姿、本当の自分の世界です。そのエネルギ−は無尽蔵に沸いてきます。私の中から伝えてくれる意識達の喜びが私の原動力です。嬉しいだけです。本当の自分に生かされて存在していることがただただ嬉しいです。
 私は途轍もなく大きなエネルギ−です。その私自身が一気に飛び出てくる来世は本当に凄いと思います。一瞬にして意識の転回がなされ、そのとき放出されるエネルギ−は宇宙にとどろき渡ることでしょう。3次元の総仕上げをして次元移行していく私達の喜びのエネルギ−が全宇宙を覆い尽くしていくことでしょう。


 本当にあなたがアルバートを信じ、自分の中に真のパワーがあることをその心で知っていかれたなら、どうぞその思いをあなたの肉体細胞の不都合な部分に向けてみてください。

 本当にあなたがアルバ−トを信じ、自分の中に真のパワ−があることをその心で知っていかれたなら、どうぞその思いをあなたの肉体細胞の不都合な部分に向けてみてください。
 マイナスのパワ−を心に広げながら治してください、救ってください、楽にしてくださいでは解消してきませんでした。しかしプラスのエネルギ−がそこに働けば、どんなふうになっていくか、もしかしたらこれからあなた自身が体験なさるかもしれません。
 言うまでもなくここは病気を治すところではありません。病を得てそこから自分の間違いに気付いていくことが主眼でありますが、そういう体験を経ることにより、ああ自分を癒すパワ−は自分の中にあるんだということに心で気付かれたなら、また違った意味でお勉強ができるかと私は思います。もちろん他力、他力、欲では到底無理ですが、自分自身の肉の身体をもってそういう体験をされることによって真実の世界を垣間見られ、反省に繋いでいかれることもひとつの方法だと思っています。
 田池留吉の世界、アルバ−トの世界、ほんの少しでもしかししっかりとその心に感じていってくださいというのが私の思いであり、あなたの病気を治すあるいは身体的不都合を取り除くことが目的ではありません。そういうものを癒すパワ−があなたの中にあるということ、本当にあなたが真実の世界を信じていったなら肉ではびっくりするようなことも起こり得るということを知ってほしい、そしてそこから何かを学んでいってほしいと私は思います。


 自分の肉体細胞に思いを向けたとき、自分の間違いに気付かせてくれるのは心から溢れてくる優しさと温もりです。

 私達は今世だけでも長い年月肉体を酷使してきました。己の欲と無知とエゴの思いを肉体細胞は今までもろに受けてくれてきました。自分の肉体細胞に思いを向けたとき、自分の間違いに気付かせてくれるのは心から溢れてくる優しさと温もりです。
 今現在どこか身体的不都合がある方は絶好のチャンスなんです。他力の思いを膨らませてしまうとそこから何も発展も進歩もしませんが、そうでなく心を見て心を離し本当に自分が肉を頂いた喜びと幸せを心で分かっていく道を歩こうとなされるなら、いくらでも心は広がっていきます。肉の命を長らえることが幸せなら、病気になった人はみんな不幸せです。しかも死に直面するような病ならなおのことです。でもその方が病を得ることによりまた身体的不都合を抱えた状態になって、自分の肉体細胞に真剣に思いを向けていったとき、いかに肉の自分中心に生き続けてきたことか自分に冷たくそびえ立った心で存在し続けてきたことかが心で本当に分かったなら、その方は幸せなはずです。おそらくこの学びを少しでも真面目になさった方ならば、それは痛いほど自分の心に響いてくることでしょう。優しさと温もりの中に生かされ続けてきた自分自身であるのに、その優しさも温もりも全部自分がマイナスのエネルギ−に変えてしまった心の歴史を知って、本当に懺悔の思いが沸いてくることでしょう。
 そういうところまでアルバ−トを信じていく学びをしていってください。そうでなければただの肉の学びに終わってしまい、これまでと何も変わっていないということです。


 肉をもらって生まれてきてそしてたくさんの自分にありがとうと言えることが幸せですよね。優しい母の温もりで自分自身を包んでやれるなんて最高に幸せです。

 肉をもらって生まれてきてそしてたくさんの自分にありがとうと言えることが幸せですよね。優しい母の温もりで自分自身を包んでやれるなんて最高に幸せです。私はその喜びを心で知っています。今世の学びの中で闇は闇でなく喜びであったことを心で知った私の喜びは紛れもなく本物の喜びです。だから私は喜びでまた肉をもらってくる来世がたまらないほど嬉しいし、それは今もうすでに現実です。
 肉の時間で言えば今世は今世に違いありませんが、私にとっては今世も来世も変わりはありません。しかし今世の学習がありますから、来世は本当に速いです。周りの舞台背景をみんな整えてその中で闇というかその大きなエネルギ−が一気に噴き出してくる、ああ本当に苦しみのどん底から喜びへと一気に転回していく体験が待っていると思うだけで、本当に嬉しいです。
 アルバ−トへ見事に蘇っていく、その瞬間のためにこれからの時間があるだけです。だから私は心に培ってきた自分の間違い、間違ってきた自分というものを淡々と見つめていくことができます。すべてはアルバ−トへ帰ることを知っている、この心の中から喜びと幸せが噴き出してくる自分を知っているから私はその真っ黒な自分と出会えることがただただ嬉しいだけです。来世のために今世のこの時間を用意してきた私であることを心から嬉しく思っています。


 今世の肉はアルバートに目覚めるために頂いた大切な肉です。私にはその自覚があります。

 今世の肉はアルバ−トに目覚めるために頂いた大切な肉です。私にはその自覚があります。アルバ−トを感じていくために肉が必要であったことはもう充分過ぎるほど分かっています。そして望み通りに肉をもらってアルバ−トの世界をどんどん広げているのだから、こんな幸せなことはありません。
 私が今世田池留吉と出会い今現在のこのような状態になっているのはすべて予定されてきたことです。だから田池留吉と出会わなかったら私はどうなっていただろうか、また肉、肉の中に埋没しただろうか、という思いは私にはありません。必ず出会えるようになっていたからです。そのための今世の現象を私は用意してきました。
 私達は出会うべくして出会ったということですが、私がそのように思っている中に、私は特別であるとか私は選ばれた意識であるとか、だからこうして出会えてこういうふうになっているという思いはないんです。もっと言うならばそういうことをはるかに超越しているということでしょうね。
 セミナ−はこれまでに段々に進化し、今最終段階の仕上げに入っています。そう波動のお勉強を通して私達は今世最終の学びの時間と空間を頂いています。どうぞその時間と空間を大切にしていってください。ここを逃しては250年後に繋いでいくチャンスは再び巡ってこないということを知ってください。


 メッセージから感じた核の世界、真実の世界


 喜びがこの心から宇宙に向けて吹きぬけていく、心にみなぎる思いはもう止め処もなく溢れ、喜びの渦となって広がっていく。もうすごいパワーです、肉の殻など飛び散ってありません、あるのはただただ喜びだけです。私は自分が何を求めて生きて来たのか、今世だけではなく永遠の過去から何を求めて来たのか、やっとこの心で知りました。私を生かすエネルギーに気づいた時、そのエネルギーはまさしく私の意思そのものだと感じました。そしてその意思はアルバートであったと今しっかりと感じています。その意思は意識の流れとなって脈々と私の心の中に生き続けていました。ほんとうに私の宇宙が喜んでいる、それが実感できます。そしてその喜びを私の中のすべての自分と共有できるうれしさはもう言葉では現せません。自分のための人生、ほんとうの人生を歩ける喜び、自分が切望した道がこの心に広がる喜び、もう数え切れない喜びに満ちた私です。
 ああ、宇宙に思いを向けるとき、やがてこの宇宙に喜びが轟き渡り、想像も出来ない天変地異が宇宙を変えることがもう手に取るように感じられます。喜びが宇宙を変えていく、天変地異はアルバート…肉では決して感じられない喜びです。それが意識の流れ、すべては四次元への過程、そんなことがごく自然に心に広がっていく。「私はあなた、あなたは私、意識はすべてひとつ」この言葉が持つ意味が私の中で深く深くなって行きます。田池留吉の肉を思うとき、私のこの肉もかけがえのない肉だと思います。宇宙にたったひとつの肉です、でもその肉はまたすべての意識の器でもありました。ともに肉を持ちともに歩む喜び、今を大事に生きていきます。


 のびやかに穏やかにどこまでも広がる私があります。田池留吉の宇宙に、アルバートとともに生かされる私でした。この心をまっすぐに向けてまいります、ただただアルバート一直線に向けてまいります。これから私はこの肉を田池留吉、アルバートをあかす証かし人として使ってまいります。この心に溢れる思いを喜びをこの肉通して伝えてまいります。私は田池留吉、アルバートとひとつ、意識の世界の素晴らしさをそして私が求めて来たこの宇宙がほんとうの世界であることをこの肉を使い証明してまいります。心に宿る真実への熱い思い、田池留吉を愛しアルバートを愛する私自身を現してまいります。ああ、これほどの喜びがあるでしょうか、肉の私と意識の私がひとつになって自分が望んで来た仕事を成してまいります。
 お母さん、ありがとうございます、私は自分のほんとうの道を歩いていきます、あなたが繋いでくれた思いを胸に、喜びの道を歩いてまいります。肉の田池留吉に今私は宇宙のすべてを感じます、壮大な意識の流れそのもののが肉を持った、そしてその肉はまた過去と未来のすべてを伝えてくれていました。田池留吉の肉と同じく私もまたこの肉を持って自らのすべてを知って行くでしょう。そしてその心は来世に繋がれ、私はもっと深く大きく自分の存在を意識の世界の中に打ち出して行くことを感じています。私は今世ほんとうに生まれ変わりました、大サターンに成り果てた私がこんな変貌を遂げたのです。私は今までの私ではありません、苦しみはすべて喜びに変わり行く確信を持ちました。どんなにすさまじいエネルギーの持ち主でもお母さんの懐の中で包まれていたことを知れば、優しい自分に変われることを私はこの肉を通して知りました。その喜びはもうすごいとしか言いようがありません。まだまだ私がこの心で知っていかなければならないことが山積みです、これから心を見ることがほんとうにうれしくまた楽しいと言うことを感じています。新たな自分と出会うチャンスが目白押し、それが今の私です。


 田池留吉、アルバートとともに歩く肉の人生がどれほど幸せか、この心に響く喜びの足音がそれを告げてくれる。まさに意識の流れに乗って肉の時間を送れる醍醐味を伝えてくる。私はこの肉を田池留吉、アルバートの世界をあかす証人となるために使っていきます、そう声高らかに語る私がいます。苦しみにまみれ泣き喚いて来た過去の私ではありません。田池留吉、アルバートとともに私は存在しますという喜びに満ちた心が私の前に次々に伝える世界に、私は何の疑いも不安もなく、ただただ嬉しいですの思いだけです。
 天変地異に心を向けてくださいという思いに素直に従うと、もう何と言う喜び、何と言う優しさでしょうか…「人類よ、目覚めなさい」その声とともに全宇宙からの愛のシャワーが降り注ぎ、形は破壊ですがその中身はもうとろける優しさです。そんな意識の世界がはっきりと見えます。人類が未だかつて経験したことがない規模の天変地異、ああ私たちはどれほど愛されているのでしょうか、私の心はもう喜び喜びです。私は肉持ってこの天変地異を体験するようです。今世の最期、私は肉のこの目でアルバートの存在と愛をしっかりと確認します。全宇宙あげて喜びに沸きかえるその様を、ああ、どれほどの喜びで見れることでしょうか。意識の世界が肉の世界でしっかりと確認できる最大のチャンス、私は今世の締めくくりを天変地異に求めます。私は意識、田池留吉とアルバートとひとつ、3億6千年の肉が成して来たすべてが喜びに変わる瞬間、もう感涙にむせび泣きながら今世の私と来世の自分がしっかりと抱き合っています。すごい喜びとともに自分が辿る道を伝えてくる、意識の流れの中にこの肉を使える喜び、もうすべてが感激です。この心から伝わってくる喜びに肉もただただうれしい、そして意識の自分に従う喜びを深く深く感じています。


 アルバート、アルバート、アルバート…何度も何度も私は呼んでいます、心から心から呼んでいます。もう張り裂けそうです、この喜び、この思い、ああ私はアルバートをこんなにも愛しています、私のすべてです。肉で押さえようにも押さえられない心の叫び、ただただまっすぐにアルバートに向けられていく。肉と意識がひとつになって田池留吉、アルバートとともに歩くことの喜びをもう痛いほど感じています。肉と意識はまったくひとつ、何の境目もありません、ほんとうにひとつです。肉で送る生活は今までの私と何ら変わることはありません、しかしその中身がまったく変わってしまいました。それをしっかりと心で確認できるのがまたうれしいのです。肉の価値観なんてもうこれっぽっちもありません。腐った頭が考えることはほんとうに小さなことでした。何もいりません、すべてあります、何も望みません、もうほんとうにいらないのです。心の充足感はすごいです。真実を知れば知るほど自分に厳しくなる、つまり優しくなるということです。そうならざるを得ないというか自然とそうなって行くのが私たちではないかと感じます。それが喜びだからです。心に隠したものを持ちながら真実の道は決して歩けない、そんなことあり得ない、私はそう感じています。私の肉は裏表がありませんでした、だから誤解されることも多かったです、でもそんな肉の性格がありがたかったです。何事に対しても真剣、そして間違ったと分かったら止める勇気、肉でもそんな私がありました。そんな肉を私は選んで来たのだということでした。これからもその姿勢は変わりません、私は自分に正直に生きていきます、アルバートとともにということはそういうことだと信じています。


 私が感じていた田池留吉の世界はほんの入り口にすぎませんでした。ああ、もうすごい衝撃です、身体の震えが今でも止まらない感じです。今まで私が見ていた宇宙とはまったく規模が違う、とてつもなく広い、そんな言葉が適当ではないけれどそんな言葉しか見当たりません。肉の言葉で言い表わせない世界です。私の知らない新しい宇宙が突如現れ広がった、肉も何もかも吹っ飛んでその大きな宇宙に飛びこむ瞬間、ああ私のすべてがはっきりと浮かんできます。宇宙から来た私の歴史、そしてこれからの私、一瞬でそんなことが心に轟き渡ります。もう心が驚き驚きです。真実を知れば知るほど驚愕の連続です。それと同時にいかに田池留吉を小さく捉えていたか、ただただ懺悔懺悔しかありません。私は自分をも侮り田池留吉をも侮っていた…田池留吉の肉をまだまだしっかりと握りながらそれでも許されて意識の世界を感じさせていただいているのだと、そびえ立った自分の偉さ甘さをつくづく感じています。この心から語る私自身は肉の私の想像以上の存在でした。この思いをただの嬉しいという表現で現せません、それ以上です。私は一体今どんな場所にいさせてもらっているのか、その真価も分からない私だと申し訳ない思いでいっぱいです。田池留吉、あなたはほんとうにどんな方なんですか、もう私が心で捉えられるような存在ではありません、はるかはるか大きな存在でした。私はほんとうに幸せ者です、肉持ってこんな世界を感じさせていただくとは、これ以上の幸せはありません。そしてこの喜びを心でともに感じて分かち合える友がいて「よかったね、うれしい…田池留吉ありがとうございます」と喜んでくれることが私の喜びを倍増してくれます。幸せです、ありがとうございます。


 意識の瞬間移動、肉持って次元を超える、なんという学びでしょうか、こんなすごい勉強だとはまったく想像もしていませんでした。ただ座って目と目を合わせるだけで波動の世界をともに感じ広げられる、異語を発した瞬間意識の世界に突入する喜びを共有できる、もう思うだけで興奮です。意識の世界のすごさがはっきりと写し出される、まさにUTA会セミナーの真髄がこれから発揮される、そう思うともうはやくはやくと肉をせかされます。言葉なんか必要ない、意識と意識、波動と波動の世界、これが私たちのほんとうの世界、ああ、ほんとうに嬉しいです。私の前には無限の学びがあるのですね、田池留吉の世界のすごさをまたまた感じる私です。チャネラーを誇り肉の己を現しそれで満足していたお粗末な次元からは想像もできません。もう肉の次元では何も分からないということです。肉の頭の及ぶ範囲ではもはやありません。肉の田池留吉が命がけで進めてくれたセミナーがこんなに花開いていくのですね。ただただ信じて学びを継続していく熱意が実る今世ではないでしょうか。もちろんすべて自分が選び自分が決めて行く世界です、結果は自分のもの、それが平等それが愛、私はそう思います。今はこのすごい学びの中に集わせていただいた喜びを大きく育てていきたいです。しっかりと感じた世界を心に広げて行こう、自分が自分に示す道をしっかりと歩きたい、そこには必ず田池留吉がいてアルバートがいる、そして仲間がいる、それが喜びです。


 私は命、エネルギー、田池留吉の宇宙に生かされる命、心に響き渡る思いです。この命が私のすべてを生かし続けてきた、そうしっかりと感じます。懐かしい、懐かしい、ああ懐かしい思いでいっぱいです。私は自分が求めて来た以上の世界に今心を向けさせていただいているのだと、そう思えてなりません。もう嬉しいというよりただただありがとうございますしかありません。肉あればこそこの世界を感じられる、肉なかったなら私は永久にこの素晴らしい世界に出会うことはできなかったでしょう。田池留吉、あなたの肉が私の前にいてくれる、ああ、それがすごいことでした。この喜びに代わるものはありません。肉の田池留吉に出会うことで私は自分を生かし続ける宇宙に出会いました。はるか過去にこの心から捨て去った自分の宇宙を今この心に再び広げることができます。ああ、心から懺悔の渦が舞いあがってきます、そしてもう身をよじって愚かな自分を詫びています。それはまた途方もなく大きな喜びでもありました。田池留吉がアルバートが両手を広げ私の帰ってくるのをずっと待っていてくれた、ああ申しわけありませんと言う思いとありがとうございますと言う思いが一緒になって、心から溢れていきます。喜んで顔を輝かせてまるで小さな子供のように私は田池留吉のアルバートの胸に飛び込んでいきます。これから私はずっと一緒にいます、離れません、この思いを忘れません、嬉しいです、ほんとうに嬉しいです。


 今世、私は肉の田池留吉に出会うことで真実の自分への道を示していただきました。初めてお会いしたその時から私は自分のすべてを田池留吉の前に曝け出しぶつかっていきました。そのエネルギーはほんとうに凄まじいものでした。20年かけて、いいえ、ほんとうは私の3億6千年、そしてもっとはるか宇宙のすべてをかけて逆らい戦い殺し続けて来たのです。そのすべてが喜びに変わる今、田池留吉という肉は私にとって掛け替えのない大事な大事な肉でした。田池留吉の心から私の心にまっすぐに伝わる思いが真黒な塊の宇宙を溶かし、そして私のほんとうの宇宙へと心を向けさせてくれました。その喜びは来世に繋がれ、私は再び凄まじい思いを肉のアルバートにぶつけて行くでしょう。私はこの心をすべて全開し持てるエネルギーのありったけを曝け出していきます。アルバート、私はあなたを責め裁き切り刻み、足蹴にし、そして殺しにかかります。自分を呪うその思いをすべてあなたにぶつけていきます。肉持った苦しみの原因をすべてあなたに責任転嫁し、私は苦しみにのた打ちながらあなたを殺すことで自分を救おうとします。それでもいいですか、こんな私でもいいですか、あなたに私はこの心と肉のすべてを委ねます。私のすべてを受け止めてくれるのはアルバートただ一人、そして私はあなたのその目の中にすべてを一瞬で分かっていくでしょう。肉は苦しみの中でもがき喘ぎ、狂う一歩手前まで行きます。錯乱状態の中でやっと私は真実をこの心で知ることになります。ああ、その喜びを思うときもう何もありません。自分で選び自分で描く来世の姿、肉で考えるともう足がすくみます。もう一歩も前に出せません、でもそれが意識の流れ、私の意識が描くシナリオ、肉はただ従うだけだと何度も何度も心から伝えてくる。私は3次元の最後をしっかりと生きていきます、アルバートとともに肉も送れることもうこれ以上の喜びはありません。そして私たちを待っている4次元へと移行していく、ともにともにどこまでも意識の世界は果てしなく無限に広がって行く…今ようやくこのことを現実として心に受け容れることができます。ありがとうございます。


 ゆったりと包み込まれる心地良さ、お母さんのお腹の中で手足を思う存分伸ばしこの心を思いきり開放する喜び、もう何とこの思いを表現すればいいのでしょうか。田池留吉の世界は意識の世界はもちろん、肉の世界をもすっぽりと包み込み、柔らかな暖かい空間がどこまでも広がっている。どこからともなく子守唄が聞こえてくる…「ゆりかごの歌をカナリヤが歌うよ、ねんねこねんねこねんねこよ…」私の宇宙に存在する意識たちがお母さんを呼んでいる、温もりを求め安らぎを求め一斉に心を向けてくる。意識のすべてを慈しみ抱きかかえ、生きとし生ける者を生かし続ける命の源、それが田池留吉の世界、今私の心の隅々までその優しさが染み渡ってきます。庭に咲く花たちが喜びを歌い木々の芽吹きが命の新鮮さを伝える、もうこの目に入るすべてが愛しいです。母なる思い、それはまた核から強烈に伝わってきます。すべての意識を愛し包み込み慈しむ波動、ああ心が溶けていきます。大きく大きくすべてを包む喜び、ともに存在することをこんなにも喜んでくれる、みんなひとつ、その思いがしっかりと私の心を動かします。壮大な意識の流れがこの宇宙を貫き、肉はその流れに沿って生かされる真実はこの胸に痛いほど響いてきます。私の肉も意識もすべてがひとつとなって田池留吉の世界に存在する、それがもうたまらないほど嬉しいです。今はお母さんの思いの中でゆったりと自分を感じていたい、愛され愛され愛され続けた自分を感じていたい、ああ、幸せです。


 静かに静かに広がっていく、どこまでもどこまでも、ぐんぐんと広がって行く。田池留吉の世界、この広がりの中に私は大きく大きく心を広げて行く、何もない、何もないけれど私はしっかりと存在する、田池留吉とともに存在する…これほど静かで暖かい静寂があったでしょうか、心のすみずみまで静まりかえってただただともに存在することを確かめている。ふと「お母さん…」と呼ぶ声が自分の中から聞こえてくる、でもその声も田池留吉の世界に溶けこんでいく。宇宙大に広がるという感覚がもっと拡大されて、まったく新しい世界が広がるように感じます。この小さな肉のどこにそんな大きな世界があったのか、ほんとうに私は自分のことをまったく知らなかったと思っています。そして田池留吉とともにアルバートとともに存在する私と言うものを、今現実のものとしてはっきりと心で認識できます。これが私でした、田池留吉の宇宙に、アルバートの世界に私はこの広がりとしてともに存在しておりました。ああ、そんな自分をどれほど冒涜し続けて来たか、この宇宙を感じれば己の成して来たことがいったい何だったか、もうはっきりと分かります。そして肉持った田池留吉が私たちに何を伝えてくれているのか、ああ、もうどう言ってこの思いを現したらいいのでしょうか、懺悔でしょうか喜びでしょうか…ともに心を広げていきましょう、その声に私は応えていきます。ありがとう、ごめんなさい、うれしいです、この思いの極みに今私は立っています。


 今世、私は母となる喜びをいただきました。子供をお腹に宿し新しい命を慈しむ思い、生まれてくる子供に注がれる思い、それは今思い返すと私自身が肉の母からもそして意識の母からも、もう溢れるほどいただいて来た思いでした。ありがとうございます、ありがとうございます、お母さんありがとう…そして私の心からも母の思いが溢れてきます。愛しい、愛しい、すべてが愛しい…私の宇宙に存在するすべて、ともに今肉持っている仲間、この目に触れるすべての命、ああほんとうに心から抱きしめて抱きしめて心から抱きしめています。私の心からもうどんどん流れて行く感じです。私がお母さんそのものの思いをこの心から溢れさせている、柔らかくて暖かくてとろけて行く感触、愛しくてどうしようもない思い、この肉の毛穴のひとつひとつからその思いが滲み出して行くような感じです。私はこの感覚を肉の田池留吉の目に何度も何度も見てきました。その目と同じ目を私もしているのだと感じています。お母さんの目、田池留吉の目、そしてアルバートの目、まったく同じです、そして私も同じでした。


         あなたは、なぜ生まれてきたのですか。
         あなたは、どうして今そこにいるのですか。
         あなたは、本当の自分自身に会いたくありませんか。
         あなたは、このまま死んでいくつもりですか。


                         「アルバートへの道を歩き始めた仲間達の喜びの声」へ

 「セミナーに参加している仲間達の心の風景」へ








 「あなたは外に求めた神や仏、パワーによって救われましたか」へ


 セミナーの仲間達の喜びのメッセージ

 アルバート、ありがとう、田池留吉、ありがとう、おかあさん、ありがとう、どうしていいかわからないほどの温もりに包まれて存在している、そんな波動に引き寄せられて、地獄の叫び、無限なる孤独を抱えて、そうです、あまりにも恐ろしい波動を垂れ流してきた意識達の叫びが、懺悔となって喜びに溢れていく、ブラックパワーをフル回転して地獄でのたうち回っていた私、今、愛されている、愛されています。懺悔がもう言葉になりません。真っ黒であればあるほどに喜びは何倍にも広がっていきます。もう、自分が愛しくてなりません。真っ黒な自分が、闇の王者であっても私はうれしい、全ての闇が喜びを伝えてくれる、喜びの存在、それが信じられる、こんなうれしい、幸せなことはありません。ただ、もうありがとうです。


 波動のお勉強、わが心として私の心に強く強く響いてきました。本当に不思議なくらいわが心として迫ってきました。嬉しかった、ただただ嬉しかった。自分の間違いに気付けたことが嬉しい、気付けることが喜びでした。きれいになるための学びではなかった、汚い自分、醜い自分を認め受け入れていく学びでした。形ばかり取り繕ってきました。今までの人生間違ってきた、本当に間違ってきたと心の中から湧き上がりました。闇は尽きることなくありました。その闇をまるごと包み込みながら来世へ繋いでいく、それが人生それが喜びでした。アルバートを素直に流していける喜びの器になりたいと思いました。


 尽きることのない闇を抱えて、闇と共にこれからアルバートの道を歩んでいきます。こんなうれしいことはありません。決して裏切りのないアルバートの世界、自分の心を覗けば、許されるはずもないおぞましい闇の存在、それでもたとえようのない温もりに包まれて、許されています。愛されています。その中で闇が、闇の歓喜が、言葉にならない懺悔が伝わってきます。喜びがあふれ出てきます。闇が闇でない、喜びを伝えてくれる存在、自分にアルバートを伝えていける今、肉があるからこそですね。ほんの一歩を踏み入れたアルバートの世界、田池留吉の世界です。それがこんなにもうれしい、未来に心を向ければ心がはじけ飛びそうなほどうれしくなります。


 核からのメッセージを読ませていただき、いつも感じることは真摯に自分と向かい合ってきた。そのことに尽きると思います。切り捨てたり、蔑ろにしたりせず、いつも真っ直ぐに向かい合い、ともに歩んで行こうと伝えてくれる優しさに溢れています。ふっと田池留吉の思いと同じことに気付きます。道がずれる事もなく、真っ直ぐに歩んでこれたのは、いつも意識達の思いを聞いて、そしてその思いに素直であろうとしたからだと感じます。自分で自分を切り捨ててしまう。田池留吉を蔑ろにしてしまう。何度も何度も道を外し、自分勝手な思いで突き進んできた自分を振り返ると、その真摯な思いが一番かけていることに気付かされます。それでも待ってもらっている。それでも許されて今がある。だから真っ黒で真っ暗な宇宙に生きていた私とともに歩んでいこうと思います。真っ直ぐに心に入ってきました。嬉しかったです。お前に何が分かる。この苦しみの何が分かる。そう泣き叫ぶ声が聞こえていました。もうそこから出てきなさい。そう言われているようでした。ありがとう。嬉しいです。ともに歩んでいきましょう。私に伝えていきたいです。


 田池留吉を思う、素直に思えることがこんなにもうれしい、お母さんの懐に包まれているようです。田池留吉に、アルバートに心を合わせる、その中で自分が掴んでいる、肉の反省で終えてしまっている未消化のままの心が見えてきます。出てきます。己を崩すということは大変厳しい道、本当にそう感じます。今までならば何とかしなくてはと、己が前に出て、そびえ立ち、他力の心を膨らませてきた、その間違いがはっきりと心で感じられます。抱えきれない闇のひとつひとつに、共にアルバートの道を歩もうね、蹴散らかすような冷たい思いを向けてきました、それがやさしい思いに変わっている、そんな自分が本当にうれしい。己を崩していくことが本当の優しさ、全てを承知で待っていてくれている、心で感じています。だから自分をごまかすことなく、あるがままの自分を見ていけます。


 心から溢れてきます。ごめんね、ごめんね、本当にごめんね、何に対してなのか、全てに対して懺悔がこみ上げてきます。アルバート、田池留吉は私の心の中に溢れんばかりの波動、温もりで包んでくれています。私はそれが心で信じられる、そうです。私は田池留吉と共に存在していました。はっきりと断言できます。意識の転回をしていく、田池留吉と共に、温もりに包まれて私はアルバートと共に、この波動の世界で抱えきれない闇と共に心の修正をしていくんですね。心から溢れる喜びは心の隅々まで浸透していきます。核からのメッセージはその世界を心に伝えてくれていました。そしてこれからも伝え続けてくれます。


 下呂セミナーで波動の勉強、ありがとうございました。自分ではどうなってるのか訳が分からない内に終わってしまいました。核や田池留吉の目を見て転がっているのは分かる。自分でも止められないほどに身体が転がっていくのは分かる。ただ肉は転がっているけれど、私の心は飛んでいる感覚、大きく広い空間を飛んでいました。心が空っぽ、思いがないという感じで、初めての体験でした。
 今まで頭、肉でやってきた私に、心で感じたものを信じていきなさいと力強く後押しされた気がします。今までの私の心の世界はちっぽけな狭いものでした。その狭い中で感じた分かったとやっていた私は本当にお粗末でした。アルバートの世界は頭では分かりえない世界、肉では測りえない世界でした。でも、心にしっかりとあるものでした。
 この心を信じて、自分自身で自分を変えていこう、自分の心を受け止めていこう、アルバートへの道を自分の足でしっかりと歩いていこう。そんな強い思いが溢れてきました。この体験を無駄にすることなく半歩でも真実の道を進んでいこうと思います。大きなチャンスをいただき本当にありがとうございました。


 最近ずっと情欲の思いが出ていました。女郎もそこの客もそこの主もみんな自分です。阿片窟にいた女郎の自分と自暴自棄の男の自分がだぶり、朦朧としていました。
 きのうの夜はお母さんを思い、一旦は落ち着きました。しかし今朝髪を切りに行き、そこで思いが盛り上がってきて発狂しそうになってしまいました。どうなってしまうのかと思ったらそこで血の気が失せてきて異常を察した方がゴミ箱を持ってきてくれてそこにもどしてしまいました。体がいうことをきかなくなってただの肉の塊になり、赤子のように周りの方に体を委ねるしかありませんでした。でも心が軽くなったのも感じました。思いが溢れてきたのだと思いました。情欲は本当に苦しいです。
 すべてにおいて情欲が入り込んでいるといっても過言ではないくらいです。どうにもならない思いを抱えて何度も転生してきたのに情欲を見ることをしてきませんでした。それは己の恥部をさらすようでとても耐えられないことと思ってきました。でもそれでは己の壁を崩せないことがやっとわかってきました。情欲のために自分のことをさんざんいじめてきました。どうにかしたいという己の欲望のために生かされているということにまったく目を向けてこなかった。寂しいから相手を求め今度はその相手に勝つことを求め安らぎが得られないことに腹を立て次は相手を憎むことにエネルギーを注ぎました。愛と憎しみが同居するようなそんな苦しい思い方しかできなかった。
 最後には疲れ果てぼろぼろになってきた。もうこんな繰り返しは嫌です。今世こそ生まれわっていきたい、その思いだけでした。田池留吉に出会えたこれだけでよかった。肉でどうこうしようとしてきた傲慢さを感じました。もうめちゃくちゃな自分だったからこの学びに繋がった。ただこの学びに集えたことがうれしい。田池留吉に出会えたよ、お母さん。これだけが本物だった。あとは反省といって己を表してきたにすぎなかった。地べたからのこんな私がアルバートの波動を教わっている。それがどんなに幸せなことなのかを思います。
 素直になっていきます。肉体細胞、私を支え続けてくれてありがとうございます。


 田池留吉、アルバート、私の心の中に実在しています。限りない温もりに包まれて、抱えきれない闇と共に今、こうして生かされています。心に入れてきた闇の実態を伝えてきます。ブラックのエネルギーの凄さを、地獄を、それを包み込んでいる広い、広い世界、アルバートの世界が心に広がっています。その中で恐ろしいと感じていたブラックはほんのちっぽけな存在でした。そして今、闇は喜びを伝えてくれています。心で実感、体験しています。本当にアルバートの実在を心で信じられた、その時からが本当の自己供養が始まっている、今までは準備段階、今、そのように感じています。心から溢れる喜び、そして二百五十年後の、未来に心を向ければ、この喜びを表す言葉がありません。お母さん、生んでくれてありがとう、田池留吉、アルバート、ありがとう、私たちはひとつです。

 本当に大きな間違いをしてきました、肉を持つ目的を間違ってきたということです、己を表すために肉を持つということは苦しみでした、ずっとこの苦しみの中に肉を得て母を恨む事しかしてこなかった、何故生んだのか私は頼んだ覚えはないと、もう根っこから違いました、肉は喜びを表すため、本当の自分に出会うために存在するもの・・・そうかそうだったのかと思えたとき一息つけたように思えました。
 欲と己を表すためにどれくらいこの身体を酷使してきたか、悲鳴を上げている細胞を無視して傲慢な心は感謝するどころか存在も認めていないほど蹴散らかしてきた、肉だけの心は本当に冷たかった、今少しずつ肉体細胞がいとおしく思えるようになりました、何時どんな時でも優しさを伝えてくれていました。


 肉体細胞の不都合な部分にあなたの思いを向けてください。このメッセージを読んだとき一瞬他力の思いでいっぱいになりました。でも他力の思いだと思えたことが私には嬉しかったんです。
 30代の前半に難病と診断されてから入退院の繰り返し。病を機にこの学びを知り真剣にセミナーに集ってみようと心に決めてからあれだけ入退院の繰り返しだったのがぴたっとなくなり、今ではセミナー会場に毎回肉体細胞を運べるようになりました。それだけで肉体細胞がいかにこの時を待っていたかということが痛いほど感じられます。難病という大きな病を与えなければ心を見ていくことをしなかった頑固な心がほんの少しですがゆるんでいこうとしていることが感じられ嬉しくて嬉しくてなりません。


 はじめに戻る



私は田池留吉(1926年生)です。

私とともにアルバートの道を進んでいってください。
ホームページを開いてください。アルバートに心を向けてください。
アルバートがすべてです。波動が真実です。
私はあなた、あなたは私、ひとつです。




★目次に戻る★