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UTA会セミナーにはどなたでも参加できます。ただし、家族の方に参加することを反対されている方はご遠慮ください。また、借金までして参加することは止めてください。
セミナーの仲間達の喜びのメッセージ
核からのメッセージ「今世の肉はアルバートに目覚めるために頂いた大切な肉です」の言葉に懺悔の涙が溢れます。本当にそうでした。心に染み入ってきます。肉は苦しみを表わすのではなかった。喜びを表わすためにあるのでした。
そびえ立つ実態を把握しないまま肉で夫の奴隷になどなれる筈ないのに傲慢でした。それが今頃少しの努力と勇気があれば奴隷とまではいかないまでも自然に当たり前の事として少しずつ実践できつつあるんです。
それが嬉しくて楽しくて…諦めていただけに信じられません。高くて分厚い壁が立ちはだかる中で真剣に確実にアルバートへ帰ろうとの強い意志の私が感じられます。
本当に私は冷たかったと、自分自身に対しても家族に対しても。生まれてこの方ずっと私は自分自身を受け入れた事など、一度もなかったかもしれない。私にとって大切なのは、自己を満足させることだった。金や名誉を得る事、肉体的に認められ、ひいでていること、そんな事にしか関心がなかった。そんな中で私は自分自身を切捨て、母を呪い、生まれてこうしていることを呪い続けてきた。一度も満足だと思ったことがない。いつも他人がうらやましかった。とにかく自分以外の人間がうらやましかった。それだけ、私は自分が嫌いだった。気に入らない所だらけのこの肉が嫌いだった。幸せを感じないのは、この肉のせいだと思ってきた。自分が幸せになれないのは、この劣った肉のせいと思って疑わなかった。そして、この肉を恨み、この肉を生み出した母を呪った。己のしてきたことは、こうした事だけだった。己は自分自身を決して認めず、受け入れず、許さず、冷たい思いばかりを投げつけてきた。
私はうれしい。こうした、己の存在に気づき、苦しみの原因がどこにあったか気づけることが、うれしい。自分が冷たく、家族にすごくひどいしうちをしてきたって気づいたことが、うれしい。家族におこる不調和の原因が自分の中にあることに気づけたことが、うれしい。母に感謝できることが、うれしい。母にありがとうと言えることが、うれしい。夫に今まで申し訳なかったと思えることが、うれしい。己が間違っていたと思えることが、うれしい。そして、この学びに出会え、この真実に導かれていることが、うれしい。そして何よりも、もう、肉をかかげ頑張らなくていい、と思えることが、うれしい。肉には何にも力がなかったと、何にもできなかったと、白旗をあげることができて、うれしい。
お母さんに必死の思いで生んでもらったその思いが私の中に有ります。でも結局この肉体を欲とエゴのために使ってきました。この肉に不平不満をぶつけこの肉を使って周りに不平不満を流してきました。それでも今なおこの肉体細胞は私のために働いてくれている。この事実が自分の冷たさ恐ろしさと、それでも必ず気付いてくれるアルバートを伝えてくれると信じて待つ意識たちの存在を教えています。肉体は責任転嫁の道具でない、この私を幸せにするためのものでない、ただ喜びと感謝のために頂いたのです。
肉で心を制御できる人間は素晴らしい、心弱い人間は失者だと思ってきました。肉の器の大きい人間や特別な存在を素晴らしいと思ってきました。肉でそうあるために心を殺していくことが人として立派だと思ってました。でも田池先生に出会いそうではない全く違う自分を知りました。自分の中に喜びが有る懺悔が出るそしてその自分が楽になっていくのです、姿形は同じでも私の心が楽で幸せになるのです。その自分を嬉しいなって喜んでる私がいます。私は間違ってきた。今までの生き方全部逆だった。自分の心を動かぬようにしてきたその冷たさ、心を殺すことで己を維持してきた厳しさ、その自分を見ればアルバートから外れた苦しみを心殺すことで肉の形を保ってた。私の生き方は間違ってた間違ってた、今それしか出てこない。間違っていた申し訳ないごめんなさいそれしか出てこない、そして嬉しくなってくる。間違っていたと叫ぶ心が嬉しいのです。正直に心を曝け出すことの幸せを信じれなかったのはそれほど肉を信じていたからです、アルバートを呼ぶその土台は欲であったからです。
私は幼い頃から、人に怒りをあらわにしてこなかった。怒りが大きければ大きいほど、出してはいけないと思った。どんなに苦しくても心の中に封じこめてきた。だから、母に対して口ごたえしたり逆らったりしたことはなかったし、姉たちと喧嘩した覚えはあまりない。しかし、心の中では、散々母を呪い恨んできたし、姉たちのことは大嫌いだった。夫に対しても、どんなに怒っていて言いたい事があっても、それを本人にぶつけたことはない。私は、そうすることがやさしいのだと思ってきたし、一番自分にとっていい事だと信じてきた。
怒りをあらわにすることが恐怖だった。必死で守ろうとしている肉のかたちを壊すわけにいかなかった。心の中で思っていることなんてどうでもよかった。言いさえしなければ肉の世界はうまくいくと思ってきた。しかし、怒りを表に現さない代わりに、私の心の中では、相手を憎み呪う思いでいっぱいになった。苦しかった、苦しいので、其の挙句、死んでやる、こんな肉なんていらない、と何度も自分自身をきりさいてきた。私は自分で心の中は地獄だということ知っていたからよけい肉にしがみつきこのままでは、私は永遠にこの苦しい心を続け、広げていくだけだった。
今世、真実に初めて触れ、このことに気づけたことがうれしい。母に、この肉に、全てのものに感謝の気持ちでいっぱいになる。
みんな己という思いが塞き止めてきた、本当にそう思います。己が前面に出れば心の世界は全く違う、心に何かを掴んだ瞬間から己を前面に出していく、そびえ立っていることに心は気づかないまま、いつの間にか心は肉に埋没していきます。心が空っぽ、感じている心の世界の違いに気づかされます。こうして間違いに気づいていくのですね。限りないやさしさ、温もりに包まれて、田池留吉、アルバートに包まれて、その中で心の間違いに気づかされます。間違ってはいけないと、その思いに縛られていく心、掴んでいる自分の世界の地獄が見えます。私の中のたくさんの意識達の息も出来ない、身動きすら出来ないがんじがらめの地獄を、叫びを感じます。苦しい叫びがうれしい、阿鼻叫喚の叫びがうれしいです。恐ろしい闇を抱えていながら、全てが愛されている、許されています。その中で心の修正なんですね。
今朝の核からのメッセージで、大きな使命とありました。私はそこで、うっと思いがあがってきました。それがとるにたらない?そうですね、本当にそんなものちっぽけなことだったんですね、私はずっと自分には大きな使命があると思ってきました。それは、寂しい心の裏返しでもあったと今は素直に思えます。人とはちがう、私には特別な、そんなことで自分を安心させ、その寂しい心を癒してきた、満たされない心を満たそうとしてきた、そんな思い。この地球、この宇宙、その私がとらえてきた、地球も宇宙もとてもとてもちっぽけな宇宙だったんだと、今感じています。自分だけの、自分は特別、そんな思いって、本当にちっぽけ、小さな小さな自分の現れだったのだと。この流れは本当にそんなちっぽけなものではなかった、私がつかんできた、私が信じてきた私というものは、本当に小さな小さな私でした。だから、私は幸せではなかった、苦しみしかなかった、外に答えを求め続けてきた、そんな私、そんな私でも、愛しい思いがわいてきて、その思いは優しくて、優しくて、私の全てを包んでゆく、許されていた私を感じる時、やっぱり、私はありがとう、ありがとう、全ての私にありがとう、そんな思いが流れていきます。そんな私があったからこそ、今、こうして、真実にであえている、本当の喜びにであえている、そして、また自分のだしてきたマイナスのエネルギーの大きさを知るのだけれど、それも、うれしい、何だかうれしい、ただありがとう、ありがとう、全てが愛しい、私の中の全てが愛しい、私の全てが愛しい、これが私、これが私、信じられないけれど、確かに流れていく思い、わいてくる思いです。本当にごめんなさい、そして、ありがとうです。
核からのメッセージを読み、喜びを感じていく中で、一瞬「やった!」とか「もっと!」とかという思いがヌクヌクと出てきます。しかし、それを否定し、握りつぶして、「喜び、喜び」とやっているのですが「己」、「壁」を感じ、喜びが素直に広がっていきません。そんな「己」に心を向けると、「己表したい。一番、一番、一番」とたくさん出てきます。宇宙の果てから芋づる式に列をなして果てしなく続いてきます。これが永遠の過去からの私でしょうか。こんなにも時空を超え、次元を超え、永遠の過去から存在してきたのが私なのでしょうか。皆、アルバートを探し求め、列をなして集まってきていると思うと、嬉しくて心が広がっていきます。ブラックが一枚一枚、まるでドミノ倒しのように喜びが広がっていきます。ブラックは嫌で喜びだけが自分と思いたい肉でした。しかしこの肉が核からのメッセージを読み、ただ素直にアルバートに向かっていこうとする時、ブラック一枚一枚に喜びが伝わっていくようです。その喜びは肉の喜びとは違う、本当の自分に出会っていける喜びというのでしょうか。苦しみを恐れてきた肉でした。しかし、苦しむ意識は喜びだと知ってきた今、無限の喜びが自分であったと分かる気がします。そして肉でできることはただただ素直に核からのメッセージに向かうことでした。
私は大きな使命というのを見たとき、心が何かに触れたように大きく反応しました。かつて私も大きな使命を持ってとか、私は素晴らしい魂だと自分の心から出てきて舞い上がりました。学びが進んでいく中で反省もしてきました。でも浅かった、ただ心の奥底に押し込めたままでした。だから事あるごとに私、私がここにいるでしょう、私を認めろ、の思いが首をもたげました。聳え立つ思いを持ったまま、私はアルバートを求め田池留吉に心を向けていたのでした。私は誰よりも真剣に田池留吉に心を向けてきたと思っていました。心に幸せも喜びも感じてきました。でもその幸せも喜びも真剣さも腐った土台の上に積み上げてきたものでした。だから何かあればグラグラ揺れる、それはもろく希薄なものでした。欲と他力、外に向いた心でどんなに取り繕っても田池留吉に、真実の前には通用しませんでした。自業自得、自作自演、散々苦しんできました。この苦しんできた自分こそ一番温もりに帰りたかったんだと心が気付き、帰りたかったーと中から噴き上げてきました。ごめんね、冷たかったね、私は聳え立っていました、素直にそう思えました。これまで私は田池留吉の前に分かった振りして偉そうにして、自分を認めさせようとしてきた大バカものでした。小さな小さな狭い心でした。ただこの肉を表すことにキュウキュウとしてきた自分が見えています。この肉を持つ意味を大きく間違えてきたけれど今はそれさえも嬉しいです。沸き上がってきた意識が叫ぶんです。ああ嬉しい、田池留吉、アルバートありがとう、アルバートごめんなさい、何度も噴き上げてくる懺悔と喜び。こんな時空を超えた自分に出会るなんて・・・、もう言葉もありません。下呂のセミナーで垣間見た意識の世界、温もりの中で素直な自分だけがアルバートに溶け合っていく、ただ素直になればどんな自分も温もりに許されて受け入れられていく、それがアルバートの世界だと実感させてもらいました。核が「素直になって喜んでいけばいくほどしっかりと応えてくれるものがあります。」と、そう伝えてくれる思いが心の奥深く染み込んできます。私はただ素直にこの意識に連なっているたくさんの意識と一緒に学んでいきます。
私はアルバートを信じていませんでした、心にアルバートが全くありませんでした。自分に妥協せず真摯に自分を見つめればわかることです。それを様々な心を使い、ごまかし糊塗してきました。口ではどんな立派なことでも言えます。知識は豊富ですから、言葉を巧みに使って、自分を飾り霧の中に追いやってきました。アルバートですか、アルバートしかない自分ですかと自分に問いかけた時、いかに嘘偽りの多い自分であったかと愕然とします。長い間学んできたけれど、本当に情けない状態の自分だと思います。自分に甘く、他力の心を引きずり、土台の修正ができていない自分だとつくづく感じます。ひとつの課題に向き合ったとき、全く変わっていない自分を感じました。絶望感がありました。でも心の向け先が間違っていたんです。初歩の初歩、相手を変えるのではなくて自分を変えるということを、どれほど真剣に受け止め取り組んできたか、小手先で現状を打開しようとしていた、アルバートを信じるのではなくて、自分の肉を聳え立たせ、肉で何とかしようとしていた、そんな愚かな自分を感じました。アルバートを素直に思い心に呼ぶ、その幸せと喜び安らぎ、でも肉がひとたび表に出ると、その喜びもたちまち心から消え失せ、真っ黒な雲が心を覆い尽くす・・・どちらの人生を歩んでいきたいのか、今思うことはこのままでは死にたくない、せめて250年後に繋ぐ足がかりをしっかりと自分の心に定めて、今世を閉じていきたい、切にそう思います。
心を真摯に見ていけばはっきりと自分の間違いに気づくはずでした。今世その場をいただいているのに、そびえ立っている心でどれだけ反省を進めていっても決して真実に出会えるものではありませんでした。私の反省とは、心を綺麗に美しくしていく、その行程のなかでアルバートを感じたり田池留吉の世界、宇宙を感じたりしていくものだと思ってきました。だから当然綺麗なものはプラスで闇はマイナスと捉えてきました。核の方は心を綺麗に一つひとつ浄化されていると思っていました。そして私は着実にアルバートの道を歩んでいる、田池留吉の愛もしっかりと感じてきていると思っていました。だけど蓋を開けたら闇は闇としてしっかりと存在していました。
私は闇は見たくない、心は反省を通してどんどん浄化していると思っていました。ただ汚いものに蓋をしろの思いで封じ込めていただけでした。私の心は全く変わっていない、最初のスタートのままでした。私は全くこの学びの根本が違っていました。波動の勉強の中でアルバートを感じ田池留吉の波動を感じさせていただいたのは、私の心が綺麗になったのではありません、田池留吉の愛だったのです、そして私の真実からの叫びだったんです。
核からのメッセージは私の間違いをどんどん訂正してくれる、あなたは何も分かっていませんよ、アルバートを信じていませんよ、あなたの闇たちはあなたを待っていますよと。
闇は私の心の歴史です。闇に出会えることは私の心の歴史を紐解いていくことでした。闇に出会えば出会えるほどに私の心の歴史は広がっていきます。今私は闇の存在をそのように捉えています。マイナスと思えていたものがどれほどの喜びか、私は驕っていた自分、間違ってきた自分に出会えている、こんなに幸せなことは他になかったはずです。
私は私の作り出した法を持っていました。その法は決して曲げることも放すこともなく、しっかりと今日まで握り締め持ち続けてきました。たとえ田池留吉であろうとも決して認めず、許さず持ち続けてきました。長い年月作り上げたこの法は間違ってはいません。どんなに田池留吉が否定しようとも私は私の法には間違いはありません。そうやって生きてきました。腐った土壌の上にアルバートを乗せ、田池留吉の世界を乗せてきたんです。そうやって生きてきたんです。だけどもう降参です、どんなに頑張ってみてもこの法は間違いです、間違いだって心が苦しかったって叫んでいます。物を上から落とせば落ちる、こんな簡単なことが分からなかったんです。そびえ立つ心に驕り高ぶる心に真実は届きませんでした。どんなに足しげくセミナーに通っても、心にアルバートを呼べども、真実の世界は私の中に届きませんでした。一瞬感じさせていただいた世界はあってもそこから広げることが出来ない、そして信じるに至りませんでした。私は始めて己を崩すの意味を心で今感じさせていただいています。ただただ泣けてきます、間違っていました、ごめんなさいと、ただただ泣けてきます、意味なく泣けてきます。
日々の現象で心が揺れる時、何とか揺れた心を治めようと必死になってきました。揺れる心、つまり肉を優先する無数の意識が不安と恐怖で大混乱になっている状態でした。「このままでは肉が崩れる。肉が崩れるということは、我々が安住していられず狂った意識が浮き彫りになっていく。だから、何が何でも戦争をしかけてでもどんなことをしてでもいいから形を整えるんだ。」と、肉を優先する心が大挙して大パニックに陥る状態でした。
肉を優先する心には道も何もありませんでした。ただ、目先の肉を整え、肉の安泰さえはかれればよしとし、荒れ狂う真っ黒な自分を抹殺する心でした。己を誇ることで安住しようと、優越感と劣等感で天と地がひっくり返るほど激しく振り回され、自分をないがしろにする道でした。
アルバートの道は違っていました。ただただ一直線の道でした。目の前にすーっと広がり、どこまでもどこまでものびていく一本の清らかな道でした。己のない、素直なさわやかな道でした。この道に争いはありませんでした。だから、肉を整えようと躍起にならずとも、揺れた心が落ち着き静かな喜びが湧いてくる道でした。この道をただひたすら行くと思うと、たとえようのない喜びが湧いてきます。たくさんの真っ黒がこの道を行くことを喜んでいます。「ありがとう、本当の道を行こうとしてくれて本当にありがとう」と真っ黒が泣いて喜んでいます。
核からのメッセージ、ありがとうございます。自己供養は本当に喜びです。喜びですが、肉の強い私です。肉にどんと力が入っていると、自分の無数の闇がどんどん出てきても、ただただもがき苦しみます。そうなれば自分を立て直すのに時間を要します。
しかし、ホームページに向かい、核からのメッセージに向かう時、私の肉はだんだんにゆるんでいきます。肉がゆるんでゆるんでいくと、核からのメッセージが最初は文字にしか見えていなかったのがそのうちエネルギーに変わります。物凄い喜びのエネルギーが放出されている感じがします。そうすると文字が消えて、莫大な思いだけが伝わってきて、私の心もどんどん広がっていく感じがします。私も優しい目を自分に向けて、狂った私と共に歩いていきます。肉の私にできることは、ただ幼子に戻って素直にホームページに向かうことだと思います。その時間が一日のうちで一番嬉しいです。自己供養の時間が嬉しくてたまりません。ありがとうございます。
肉の苦しい現象を通して自分の心から飛び出してくるエネルギー、噴出してきます。全てを自滅させていくエネルギー、まさに抹殺です。宇宙を真っ黒に埋めつくしている、己が先が見えないほどにそびえ立ち、表面は清く正しく美しく、その思いから流れている波動は氷のように冷たい、心から飛び出してきます。怨み、呪いの塊が、地獄の叫びが田池留吉に向けて発していきます。そしてどんな思いも全て、全て温もりに包まれている、地獄の叫びが喜びになっていく、心に溢れてくる懺悔と喜び、自己供養は本当にうれしいです。こんなに暖かい、どうたとえていいのかわからないほどの温もりに包まれて生かされているのに、厚い壁を作って見えなくしているのは自分自身、それに気づくか気づかないかも自分自身、本当に心ひとつなんですね。素直になってください、何とやさしいのかと思います。
私には物差しがあります。この学びの中で作った物差しです。ああしてはいけないこうしてはいけない、こんな思いを持ってはいけない、いつも心は明るく・・・・。沢山沢山作った規則です。私はその物差しで田池留吉を見、核を見てきました。結果その物差しが苦しみとして心に大きく残りました。自分の首を絞めて、がんじがらめになって、ボロボロになって、傷付いて始めて目が覚めました。学んだ時間が長ければ長いほど私の作った物差しは大きくなって太くなっていきました。一つひとつの壁を乗り越えて、心を軽くして行っているはずでした。上を向いて唾を吐けば必ず自分に帰ってくる自業自得の世界でした。まったく田池留吉と反対の方向に行っていました。
私は田池留吉のセミナーを潰しに来ていました、セミナーに賛同して参加している振りをして、心は全くの鬼でした。今世田池留吉を殺しに、尚且つ、田池留吉のセミナーを潰しに、その機会を影から見ていました。ゴール出来ればそれが私の最大の望ですと言葉を発しながら、心の中ではセミナーの最後を今日か明日かと待っている私自身がありました。ごめんなさい、もう恥ずかしいしかありません、どこまでそびえ立っている意識か。それでも、私という人間を全部知っていてただ黙って見守り続けてくれている田池留吉に脱帽です。それでも私はセミナーに出席します、これが私の仕事だからです。
形を整えて整えた形を守ることだけに必死でした。肉を守って守って形が崩れる恐怖を自ら作り出して生きていただけでした。形が整うことが私の喜びでした。それはそびえ立っている自分自身をさらにがんじがらめに縛り続ける道でしかありませんでした。欲とエゴをむき出しにして学んできました。何も変わっていなかった。
死を選んで死んでいった私の心は復讐心でいっぱいでした。自分を守って守って責任転嫁を繰り返し、それが自らをどんどん追いつめて結果は自ら死ぬ事だけを望んで死んでいったたくさんの私が私の心の中で叫んでいました。死ぬことを望み死んでいった自分自身に私は今まで卑怯者と罵り、裏切り者と罵り、消え失せろと罵り、極悪人と罵り、全ての憎しみを真っ黒な真っ黒なエネルギーを流し続けていました。自分で自分を罵る。それが他力の世界の中の私の姿でした。
この私が待っていたんだ。待っていたんだ。自ら死を選んでいった私がたくさんたくさん待っていてくれた、そのことに気がついたらそう思えることが嬉しくて嬉しくて、始めから何も変わっていなかった。そう思えることがまた嬉しくて、真っ黒な私を知れば知るほど嬉しくて、私の周りには死にたいと言う人、死んでいった人にたくさんたくさん出会いました。思い出したくないことばかりでした。でも今は嬉しくなってきます。私の中で待ってくれていた意識達でした。私は自ら死を選んで死んでいった私を罵り続けて生きてきた。だからだからまた今世も死ぬことを選んでいく道しか歩めない。そのことに気がつくために今までの時間が用意されていた。もう何もかもが全て間違っていた。自分を自分で罵って生きることしかできなかった。嬉しいです。
真っ黒な自分に出会えることが嬉しいです。田池先生に初めて出会ったその時から私は何も変わっていない。そこからやり直していきたいと今思います。全てを御破算にしてやり直していきたい。罵り続けた私も死んでいった私も私でした。自己供養、うれしい思いでこの言葉が溢れてきます。やっと私は私を抱きしめられる。仲良くなれる。そう思えてきて嬉しいです。
核からのメッセージからどんどん伝わってきます。エネルギーが伝わってきます。これが波動の世界でしょうか。そして、アルバートが伝わってきます。「田池留吉という過去世を通して」アルバートが伝わってきます。私の心も広がっていくようです。この流れに素直に委ねていきたいです。頭を使っていては何も感じません。素直に核からの呼びかけに委ねていく、そのことだけでよかったのですね。嬉しいです。嬉しい心がどんどん広がっていき、気がついたら目の前にアルバートの道がすーっと爽やかに一直線に伸びているという感じです。ありがとう。
「みんな、アルバ−トだよ、アルバ−トしかないよ」という核からの呼びかけが物凄いエネルギーに感じます。そして、私の中の無数の意識がどんどん反応していきます。たとえようもない温もりに心の中が包まれていきます。肉の私には何もできません。でも、嬉しいです。この流れに素直になっていきます。核からのメッセージ、ありがとう。
核からのメッセージよ、本当にありがとうございます。私の肉を通し、宇宙をさまよい、路頭に迷い続けた無数の意識達がそう伝えてきます。自分を呪って呪って呪い殺したかった私達でした。呪いの念を出し続けた3億6千年でした。そのエネルギーが自分を狂気へと追いつめることになろうとは全く分かりませんでした。だから壮絶な苦しみの中に自分を沈めていったのでした。
今その意識達に核からの真実のメッセージがどんどん伝わっていきます。莫大な喜びのエネルギーが宇宙の果てまで流れていき、たくさんの意識達が私の肉を通して集まってきます。ありがとうございます。肉を頂くということはこんなにも凄いことだったんですね。私もただただ一直線にアルバートの道を行きます。無数の私と共に、ただ一直線にいきます。喜びで喜びで爆発しそうです。この喜びを信じていきます。ありがとう。
「高く高くそびえ立った人類の愚かさが心に強く響いてきます。崩れて崩れて崩れ切るまで人類は未曾有の体験をしていきます。」のメッセージから莫大な喜びのエネルギーが伝わってきます。そのエネルギーを思い、無数の意識達が「ありがとう!ありがとう!ありがとう!」とただただひれ伏し、喜びの叫びをあげています。
肉で見たら悲惨な光景かも知れません。しかし、宇宙でさまよい続けた無数の意識達に真実の愛のエネルギーが流れていき、喜びへと目覚めさせられていくようです。「嬉しい!嬉しい!嬉しい!アルバート!」と数え切れない叫びが聞こえてきます。どれほど暗黒の世界で慟哭の叫びをあげ続けたことかしれない意識達が狂喜乱舞しています。こんな嬉しいことは奇跡としか言いようがありません。千載一遇の時です。心の中でどんどん喜びが意識から意識へと伝わっていきます。どこまでもどこまでも喜びが伝わり、伝わった喜びが大きくなり、そしてさらにその大きな喜びが無限の宇宙へと広がっていきます。ありがとうございます。頭の範疇をはるかに超えた意識の世界の展開がもう間近なんだと本当に思います。
いくらうず高く積み重ねようとも一瞬のうちに崩れ去る形の世界云々、このメッセージを頂き深く私の心に響くものを感じただただ感無量の思いに打ちひしがれています。
形で肉でいくら作っても積み重ねても所詮は崩れ去る人生を繰り返してきました。どんなに形で素晴らしいことをしても、それはやがて風化し忘れ去られることばかりでした。
どんなに業績を上げてもやがてすべて時が経つと共に消え去るものでした。しかし田池留吉、アルバートの喜びは、決して消え去るものではなく、永遠に喜びとして心に残りそれが全宇宙に広がり、形容し難い大きな永遠の喜びを私は今体験しています。
私のこころにアルバートが存在するもの、そのアルバートは無限大に広がり全宇宙に伝わりすべてに喜びをもたらすものと、私は今本当に感じそして信じています。この喜びはもう決して消えるものではありません。
本当に嬉しいです。田池留吉、アルバートは自分でしたと、本当に感じられ思える、思えばその途端に無限大に広がる喜びの空間、この儘250年後に向けて進んでいきたい希望に心は燃えています。
250年後にこの喜びが一堂に集い喜びに沸き立つ光景がまのあたりに浮かび、肉の形の喜び悲嘆に打ち興じたこれまでの自分がとても愛おしいです。
そしてアルバートの喜びの波動は永遠だと本当に思える自分がとても嬉しいです。
見て聞いて触れる肉の世界にまだまだ影響は受けるけれど、私にとっての現実は心で感じる世界です。はっきりとそう思える今が幸せです。心にじわじわと喜びが染み出てきます。
田池留吉の肉は裏切らない、裏切らない肉はこの地球上において田池留吉しかいない、田池留吉に心を向けた時、出てくる思いは自分の心の姿でした。お前なんか大嫌い、私の前から消えうせろ、そんな思いを秘めて田池留吉に心を向ければ、結果はどうなっていったか、信じる心に付随して肉も同じように信じている、今、そう感じます。怖かった、なぜか怖かった、それは自分の心の恐ろしさを見せられていた、自分の心の姿でした。
田池留吉の肉は何もない、空っぽの状態です。だからストレートに田池留吉の波動、アルバートの波動が流れている、私は今、そのことを感じています。もう、うれしい、こうして田池留吉と語り、アルバートの波動を心に感じる今、私は本当の幸せ、心から思えます。いっぱいの闇を抱えて、全てが温もりの中に包まれて、肉を持って心の修正、自己供養です。どんなに凄い、恐ろしいと感じていた闇、ブラックも喜びに変わる存在、ほんのちっぽけな存在です。そのことが心でわかります。うれしいです。他力の神と合体して、ブラックのエネルギーを全開にしてどれだけ破壊、破滅のエネルギーを垂れ流してきたことか、神に仕える身、神の化身として宇宙を真っ黒にしてきた、一つの過去世を語っても、地獄の底で蠢いている実態を心で感じます。今、私は自分に、たくさんの自分に伝えたい、もう苦しまなくていいよ、共に、共にアルバートの道を歩みましょう。私の心から溢れる思い、自分が自分に優しいです。今世、田池留吉にめぐり合い、そしてこんなにも幸せな世界を設定して生まれてきたんですね、おかあさん、私を生んでくれてありがとう。そして田池留吉、ただ、ただ、ありがとう。たくさんの地獄に生きている自分、全てが喜びを伝えてくる、心で感じています。苦しかったね、苦しかったね、壮大な意識の世界、アルバートの世界を私はこれから田池留吉、アルバートと共に歩んでいく、こんな幸せはありません。ありがとう、ありがとう、本当にうれしい、心に伝わる闇の喜びを私は心いっぱい受けとめてアルバートと共にこれから未来に向けて歩んでいきます。
肉の私と、喜んでいる真っ黒な意識の間に分厚い壁を感じます。凄く分厚い肉の壁です。肉どっぷりの時は、壁の向こうは何も感じません。ただ、肉の思いがあるだけです。ホームページを見ても、文字と音楽があるだけです。
しかし、ホームページに素直に向かい始めると、壁の向こうの意識のことがかすかに分かり始めます。分かってもらっただけで壁の向こうの意識は喜び始めます。そして、もっと素直になると核からのメッセージが喜びのエネルギーとして感じられ、その喜びが少し薄くなった肉の壁に開いた穴を通って意識にも伝わり、意識はもっと喜びます。意識から無数の意識へと喜びがどんどん伝わり、その喜びは宇宙へと広がっていく感じがします。と同時に、肉にも意識からの喜びが伝わってきます。肉と意識が一緒になって、喜びが大きくなっていくという感じです。
そして、ただ素直にこの流れに委ねていくだけで、心はいろんなことを感じていきます。肉はただ任せて感じたことをワープロに打っているだけです。しかし、そこに己が入ると、頭が重くなり、胸が苦しくなり、すーっと流れていたものが止まってしまいます。
今まで誰が「私たちは地獄の底の底をなめ尽くした意識なんです」と伝えてくれたでしょうか。田池留吉の指差しと同じ様に核からのメッセージは私の心の奥底に届きます。自分をどれほど素晴らしいと思って来たか、どんなに反省をし田池留吉の世界を感じアルバートを感じてもこの心は崩せませんでした。肉で成して来た栄光を心でしっかりと抱きながら、そびえ立った宇宙を持ちながら、苦しみを隠し持って来た私に「それでもあなたは素晴らしいのでしょうか」と問い掛けてくれる。メッセージの一言一言が心に染み込んできて私の心から答えが出るまで問い掛けてくる。本当に田池留吉、アルバートを信じるならばすべてが変わるはずです。現実何も変わらないのは私の心にアルバートがないという真実でした。人類が築き上げて来た形の世界は一瞬で崩れ去る、崩れ切るまで未曾有の天変地異を味わう、それは私の心も同じでした。目を閉じるとアルバートの目が迫ってきます、優しいけれどこれ以上の厳しい目はありません。いかにそびえ立った心であるか、そびえ立った心の奥に届く思い、懺悔が噴出し地獄の底に激震が走る…肉で積み上げた世界の儚さ空しさがどっと押し寄せ、そんな自分を守り通して来た愚かな自分がしっかりと見えてくる。田池留吉を捨てアルバートを捨てた自分を認めることができず、永遠の地獄をさ迷ってきた、ありとあらゆる地獄を嘗め尽くしそれでもあがき続けてきた哀れな私でした。今、素晴らしくも何ともない、やっとの思いで肉をいただいてきた自分がうれしいと思えます、ありがたいと思えます。責任転嫁の最たるものである他力のエネルギーに自分を委ねて来た…ああもう何と言う私だったか…「すべてはアルバートに帰る意識です」…生かされ愛され許されてという言葉が新鮮な響きをもって心に広がります。
うれしいです。生きていることが嬉しいです。喜びのない私でした。感謝のない私でした。全てが当たり前でした。あたり前の上に欲をさらに膨らませてきただけでした。愚かでした。自分の思い通りにならなければ自分で自分を脅して最後は復讐心で死んでいく、その繰り返しが私の人生でした。復讐心いっぱいで生きていました。復讐心いっぱいで子供を育ててきました。復讐心の土台の上に幸せを築いていました。必死でした。復讐心を隠すのに必死でした。でも今はそんな自分が見えるたびに嬉しくなってきます。そうだっただからこんな生き方しか出来なかった。私の心が真っ黒が見えるたびに嬉しくなってきます。心が変わっていきます。嬉しいです。出会えて幸せでしたと変わっていきます。幼いときから自分で比較競争の世界を膨らませ自作自演の中でのたうち回って生きてきました。セミナーを破壊してやる。早くセミナーが終わればいいその思いも比較競争の小さな小さな中での私が叫んでいた思いでした。その叫びこそアルバートに出会いたいと叫んでいた。セミナーから去ることなど出来ないと叫んでくれていました。求めて求めて生まれてきた私でした。やっと地獄の私にありがとうが言える。抱きしめています。嬉しいです。「ともに歩いていこう、ともに生きていきましょう」私が私に伝えたかった思いです。うれしいです。伝えられることが嬉しいです。生まれて来れたことが嬉しいです。ともに歩いていきます。ともに生きていきます。ありがとうございます。嬉しいです。
欲にまみれて人を羨み、人をねたみ、人を憎む事だけで、人より幸せになろうと人を平気で抹殺しそれでもずっと生かされてきた。そんな自分の思いが日常のちょっとした事を機にぽんぽんと心の中に飛び出してくる。その時どうする事もできなくて苦しみ挙句の果てに抹殺し、まだその上に苦しみの原因を人に責任転化して生きてきた長い歴史、それが今その愚かな自分が語りかけてくれるのを受け止めてやれる優しい私がまるで夢のようで本当に嬉しくて幸せです。
貪欲に愛をむさぼるように求めてきた真っ黒けの私がいとおしくて仕方ありません。ふとそんな自分に出会えた時、以前の自分だったら抑えて隠してしまって飲み込んでいたけどそんな事する必要ない、受け入れられるって本当に嬉しいなあと喜びに変わっていく、それまで重く沈みこんでいた思いでも軽くなって浮かび上がりやがて消えていく、そして心がぱぁっと広がっていく。
そんな体験を繰り返すたび自分が自分を癒してやれる喜びに浸っています。心ひとつで喜び幸せにもなれる。核の方の言われる「それだけの愚かさを重ねてきたから今がありこうして見えてくる心の風景」というのが心に染み入ります。
本当にそうですね。ホームページが終わり、田池留吉の肉がなくなる時が早かれ遅かれ必ず来る、これは動かせない現実、そして自分の心も正直、今、心に田池留吉がなければ、今世失敗、歴然としています。
今、私のすることは田池留吉の世界を心で知っていく、信を強くしていく、それだけです。それは自己供養をしていく流れの中で自然と強くなっていく、確信です。
肉があっても肉に振り回されることはない、心に田池留吉があれば決して決して地獄に埋没していくことはないと確信です。私はこうして田池留吉、アルバートと語ることができます。自分の心の中に実在する田池留吉、アルバートを私は実感しています。それが一番大切だと心は感じています。
心は、意識はいつも一緒、すべて自分が一番気づきやすい状態を設定してきたことを心は知っています。私はうれしい、こうして心を向けて田池留吉、アルバートと語ることができる、それだけで私は何も要らない、今、そう感じます。一瞬の思いではない、心から感じられるからうれしい、田池留吉、アルバート、私は地獄の底の底から生まれてきた、生まれてきたんです。そして全てが温もりに包まれて生かされていた、愛されています。この心が、全てが喜びへと繋がっていくことを知りました。
たくさんの自分、地獄を抱えて私は今、こんなにうれしい世界で田池留吉、アルバートと共に未来に向けて歩んでいる、二百五十年後の自分は、思うだけで喜びが噴出してきます。全てが喜びに変わる時、それが二百五十年後、私は今、その心を感じながら自分の心の自己供養です。醜い、汚い自分に出会うたびにありがとう、地獄の叫び声はいろんな現象を通して聞こえてきます。相手ではなく自分の心、全部自分の心の姿です。ぎょっとする心にはっとして、そうだった、地獄の叫びがうれしい、自己供養のうれしさを心で感じながら日々を過ごす、心の基盤に田池留吉、アルバートがいます。だからうれしい、もううれしくてたまらない、肉がどんなであろうとも心の基盤は決して消えない、田池留吉、アルバートは消えることはない、こんなにうれしい世界、地獄を抱えて喜びの世界に生かされています。
顔が引きつって作った笑顔の人生を続けてきました。悲しく淋しい慟哭を抱えた怨念の人生を延々と続けてきました。腹の底から笑ったことなんてありませんでした。そのことを思うと、心の中から「そうだ、そうだ、その通りだ」と多くの意識が反応してきます。泣きながら反応してきます。そして、「ありがとう、ありがとう、そのことを思ってくれるだけで嬉しい」と喜びを伝えてきます。
核からのメッセージは優しいです。意識に対して優しいです。その優しさが意識の底の底の底まで伝わってきます。そして、意識が動き始めます。暗闇に明かりがぽっと灯ったように意識が温もりに包まれ、喜びが返ってきます。お金がなくて、一人ぼっちで悲しみ続けた意識が温もりに包まれて、束縛から解き放たれていくようです。そうでした。私達は本来、お金がなくても一人ぼっちでも、心の底からお母さん、ありがとうと湧き出てくる存在だったのに、そんなことも分からなくなるほど自分を落とし込めてしまっていました。何と自分を粗末にし続けた私達でしょうか。
本当にありがとうございます。意識が喜ぶということ、言葉では言い表せない喜びです。このために生まれてきた私達でした。
形が崩れてきたときはっきりと自分の心に作り上げてきた世界が浮き彫りにされてきます、崩れていく、それを必死に直そうとすると他力のエネルギーが一瞬にして中から放出されます。責任転嫁が始まります。私は他力なんかじゃない、私は分かっている、この心が頑としてあるから、出てくるのは責めまくる思いだけでした。でも学びをしているからそれでは駄目だと自分では前向きに心を見なくてはとやってきたつもりでした。でもどんなに一生懸命にしようとも、間違った心ですればするほどに形が変わらなければその思いは怒りへと変わり、ますます責任転嫁という渦に入り込んでいくだけでした。私は必死に自分を守ろうとしていた、守るための学びでした、全部肉、肉しか見ていない、肉を整えるために必死でした。
その時は必死でした、今思うと悶々と責任転嫁を繰り返していたあの思いこそが自分の中の他力のエネルギーがどんどんと流れていた瞬間だったと思うのです。そこから何かを気付いていきたいと思っていても、目に見える現実に心は揺れあっという間に自分で自分の渦に入り込んでいってしまう。もう自分しか見えなくなってしまって、気が付けばすべてを支配しようとする自分になってしまっている。現象があって初めて恐ろしい自分というか、今まで私はずっとそうだったということがわかりました。ずっと他力の心を抱えて、支配の心を抱えて、自分の栄達だけを望んで生きてきた自分でした。だから一番恐れたことは崩れていくことでした。自分の間違いに出会うことでした。それを必死に隠そうとする心が私の中の他力の心でした。
私はこんなにも信がない自分、空っぽの自分を認めたくなかった。どんな現象をもらっても聳え立つ自分が変わることができなかった。そんな自分を嫌って殺したくて抹殺したくて、でも分かりたくて感じたくて、めちゃくちゃです。そんな心で学びに参加していました。自分を振り返ったときすべて責任転嫁でした、自分の間違いも過去世の自分が間違ってきたからだと過去世のせいにしていく、自分と思っているものが狂っているから、受け止めることも抱きしめることもできない、最後は自分を責める道しか歩めなかった。結果残ったものは崩れていく自分を呪う心でした。
信じているものが何もない、アルバートがない、今までの答えがハッキリと自分に返ってきています。その現実を知ることが怖かったです。素晴らしいと思ってきた自分は不都合なことが起きればすぐに消え怒りに変わってしまうような自分でした。そんな思いを抱えてずっと生きてきた私の心は何も変わっていなかったです。今まで反省と思ってやってきたけれど、心ではわかっていなかった、形で文章を書き、分かっている内容であればもうその反省はできたものと思ってきました。でも心ではわかっていなかった、だから同じ繰り返しをしてきた、自分流の学び方をずっとしてきたように思います。だからとても心が狭かった。そして正しかったことは何もない、今はそう感じます。
一生懸命に、がむしゃらに、ただ一筋、田池留吉の道を歩み続けていると思ってきました。私が必死に求めてきた道は、田池留吉の進むべき方向と大きくかけ離れたものだったと気づきつつあります。私の道は私自身の造った道でした、どうしようもできない程の曲がりがあります、大きなずれを感じます。何がどれがではなく、全部ずれていたと思います。根本が違うと思います。指し示してくださった道標を足蹴にして、ただひたすら、マイウェーで歩んできました。田池留吉の世界を感じて歩んでいるのではなく、肉が中心です。この肉は、この肉で分かることなんてほんのわずかなもの、ほんの小さな世界なのに、私はその世界が基本で、求めている道でした。どこまでも肉の幸せ、栄耀栄華を望んでの生き方でした。ようやく間違いに気づこうとしている自分が静かです。間違っている、間違がってきたんじゃないだろうかと、ふっと振り返れることがこんなに心を軽くしてくれるのですか。分かった、感じた、嬉しいと、太鼓や鈴を鳴らしながら、自分を振り返らずに独りよがりに進んできた、そんな心が今はこんなに波静かで穏やかです。
核からのメッセージ、「どうぞ自分を包んでやれる優しさ温もりに触れていってください。あなたの心の中の優しさ温もりが全開されるのをあなた自身が待っているのです。」なんと優しい言葉でしょうか、なんと優しい波動でしょうか。私を私自身が包んでやれる、そしてそれを誰よりも誰よりも私自身が待ってくれている。今日まで何度もこの言葉を聞きました、それでも今日の私には特別のように聞こえます。醜い汚い心はいらないと無視し、己の傲慢さだけで突っ走ってきた愚かな私を誰よりも待ち望んでくれている、そして、私は田池留吉の優しさを思わずにはいられません、待って待ち望んでくれている波動を心地良く感じています。ありがとうございます。
己が間違っていると気づくまでに20年の月日が流れました、20年の歳月が必要でした、自分の愚かさを知るまで20年も過ぎてしまいました。それでもよかったです、大きな闇を抱え生かされていることを知りました。地獄の底で喘いでいる自分の姿を教えていただきました。自分を知ることがこんなに嬉しいものなのでしょうか、自暴自棄になって苦しんだ心が愛おしいです。
最近この学びの趣旨を自分の中で今一つつかんでいないことを感じていました。喜ばなきゃ乗り遅れるこんな思いが出ていました。「しかし自分を供養するために生まれてきた」ということを読み、これだったと嬉しくなりました。
日々いろんなことで心が揺れます。その心の揺れた時逃げられない自分の心が苦しかったけど何度も何度も反芻しこれは自分の心だから見ていこうと思えるときが嬉しいです。過去から同じ心を使っている。このことから逃げたくて違う自分を目指してきたけれど、この自分のままでいいということを今世初めて教わりました。ありのままを受け入れる、これは私が両親に望んできたことでした。それが叶わなくて悲しかったこともあったけど私の中の過去世もきっと同じ気持ちだったのだと思います。いい心悪い心と区別していい心の時だけ受け入れてもらえるというのはとても悲しいものでした。
私は間違っていました。アルバートへ向けるということを宇宙やUFOと結びつけて次元の違う世界を知りたいという欲を向けていました。だから心からの喜びが溢れてこなかった。心は正直に教えてくれていました。
自己供養はお母さんの心です。私が自分の過去世を受け入れなかったらどんなにアルバートとやっても寂しさや悲しみはそのままだということに気づきました。自分の心と向かい合っていきます。
何気ない時、心の奥から湧き上がる思い、ありがとう、ありがとう、おかあさん、ありがとう、とろけそうな温もりが心を包んでいる、肉の思いとは全く関係ないこの心を、この波動を信じていけばいい、心が真実を伝えてくれます。自己供養を感じます。心の奥に閉じ込めて決して触れたくない心、消してしまいたい、心の奥に葬り去ってしまった心、二度と触れるなと、地獄の底の底でじっと塊になってしまっている心、その思いのひとつでも表面に出れば発狂してしまう、恐怖で心の奥に閉じ込めてきた過去からの自分、そんな心が心の中にいっぱい埋もれています。こんな思いが、地獄の叫び声が心の底から飛び出してくる、この喜びを言葉で表すことができない。地獄の叫びは、もう、ありがとう、ありがとう、田池留吉、アルバートと一緒に自己供養です。
ひとりひとりを救いゆき発掘するためではなく、ひとつの大きな流れの中のセミナーでした・・・本当に実感です。我が我がという欲の思いで田池先生を見ていたときは分からなかった。でも今、納得です。大きな流れの中でのセミナーと捉えているかどうかで、まったくセミナーに対する姿勢が違ってきます。自己供養はもちろん自分のためではあるけれど、それだけではない、私も流れの中のひとつであると確信します。そしてそれが嬉しくてたまらない・・・心から込み上げてきます。この時を待っていたと言う思いが、込み上げてきます。大らかなゆったりとした私を感じます。
物凄い怒りのエネルギーが突き上げてきます。マグマのように吹き荒れる怒りのエネルギー。いったん暴れ出したら自分でもどうすることもできなかったエネルギーが猛り狂っています。この心に恐怖してきました。権力の座に座ればこの心で世界を席巻し、貧しく力がない地位にいればこの心が出てきて荒れ狂い、止められないのを恐怖してきました。
しかし今、ホームページから伝わる温もりに触れ、この吹き荒れるマグマが大噴火です。「もっと出ろ!もっと出ろ!」と私の心の中で誰かが言います。「もっともっと、大噴火すればいい!大噴火しろ!」大応援団がこの怒りの大爆発を喜んでいます。
そして、このマグマの大噴火なんか比べものにならないくらいの莫大なエネルギーがこの怒りのエネルギーを包みこみ、解放していきます。限りない優しいエネルギーのもと、次から次へと地底の奥深くから喜びと共にマグマが吹きあげてきます。流れ出る溶岩が喜びできらきらと輝いているようです。私の心の中の怒り火山の大爆発です。莫大な喜びのエネルギーと共に私の怒りのエネルギーが噴火していきます。「ありがとう!どんどん噴火しろ!この大爆発よ、ありがとう!」と私の心の中は絶叫しています。怨念でしかなかった怒り大爆発が、喜びと共に大噴火です。ありがとうございます。こんなにも出たかった怒りのエネルギーを押さえて押さえて押さえ込んできて、このちっぽけな肉体の中で窒息死寸前、破裂寸前でした。
しかし、核から伝わってくる温もりの中で、束縛から解放され、喜びと共に大爆発です。あんなにも猛り狂った怒りのエネルギーがまるで母の懐に帰り、大喜びです。ありがとうございます。怒りのエネルギーは真っ黒です。でも、その真っ黒は大きな喜びでもありました。あんなにも苦しんだ怒りのエネルギーがこんなにも大きな喜びでした。
ホームページの前に座ると、ふるさとの音楽が聞こえてきて、ふわーっとしているうちにその温もりに包まれていきます。最初はホームページの字面を追いますが、だんだんに字面が消えて、エネルギーだけが伝わってきます。温かい優しい包み込むような、それでいて無限に広がりゆく広大なエネルギーです。この温もりの中で無数の闇が解放されていきます。
怒りと溺愛の中で翻弄され続け、かたくなに心を閉ざして生きてきました。閉ざした心は怨念として鬱積されてきていました。しかし今、ホームページの温もりに触れ、閉ざし続けた心が解放されていきます。巨大な怨念のエネルギー、しかし比較にならないほど大きな温もりのエネルギーが怨念の固まりを包み込んでいきます。温もりを捨て、淋しい心でこんなにも自分を翻弄し続けた私が愛しくてなりません。そんな私を限りない温もりがどんどん包み込んできます。そして解放され、大きな喜びと共に宇宙へ帰っていくようです。自分が愛しくてなりません。自分を愛しいと思うエネルギーが無限に湧いてきます。苦しみ続けた自分が愛しくて愛しくて、自己供養というものはこんなにも嬉しいものなのでしょうか。心の中が「嬉しい!アルバート!」と絶叫して私にその喜びを伝えてきます。間違い続け、真っ暗な地獄に落ちてしまった私が心の底から愛しいです。
友人の一言、「自分の世界を確立しなさい」と。私はその言葉を今日の今日までしっかりと心に入れていたことを思い出しました。自分の世界を作る、自分の宇宙を広げるんだと。田池留吉でもアルバートの世界でもない、私自身の世界宇宙を作り上げていくことがすなわち頂点に立てることなんだと。愚かな心の奥深くに隠れていた闇を今思い出しています。どこまでも肉の次元です。一度付いた他力の磁石、心癖はそんな簡単に離れられるものではありませんでした。ほんのちょっとの言葉が私の欲の心をくすぐってくれる。どこまでも欲に塗れて生きてきたのか。教祖と崇めた人の言葉は絶対でした、そして信者と成り下がっている私の心には、捨てられたくない、恐怖との戦いが残りました。怖かった怖かったです。だから私は自分自身に叱咤激励しながら付いてきました、田池留吉に付いてきたのではなく、恐怖の心に付いてきました。苦しめてごめんなさい、誰が悪いのでもなく、全部私の心に作ってきた世界です、今は私自身にそう言ってやれるだけです。
この学びを他力信仰の心癖のまま修行していることに気付かされハッとします。世界遺産に登録された大嶺、熊野、高野の山々がテレビに映ればなつかしく堰を切ったようにたくさんの修験者の思いが肉を通し表われ出てきます。
神にならんと悟りを求めてきたたくさんの修験者の私がやっとやっとその思いを語れる時を頂きました。重く沈み込んだ意識は怨念の塊です。それはそのまま今世の私の思いでもあります。怨念が少しずつ解きほぐされていくのが肉にも伝わって肉も少しずつゆっくりゆっくり楽になってきています。
苦しいばっかりだった私の心が確実に変わり始めているのを感じます。肉は苦しみを表わす器、入れ物ではなかったと懺悔する私がいたりします。たくさんの修験者の私とともにアルバートに心向けて参ります。
今、私はたくさんの私自身と出会っています。あまりにも苦しすぎて自分を捨てて、自分をなくしてしまいたい自分。自暴自棄の自分。荒れ狂うのをとめられない自分。どれもこれも全部、私です。私は素晴らしいと己をそびえたたせてきた私の本当の姿は地獄の奥底をはいずり回り、のたうち回る自分です。自分を誇っている暇なんかとてもありませんでした。肉だけが幸せになりたいと、とても思えるような状態ではありませんでした。まさに地獄の奥底で苦しむ意識の総意として肉をもってきたのが肉の私です。私はそんな自分の中に埋もれて、肉も心も真っ暗な中を生き続けてきました。
そんな私自身を静かにながめると、自分を愛しいと思う静かな喜びが湧いてきます。自分で自分を落とし込め、真っ黒にしてきました。天を仰いで、何度慟哭の叫びをあげたことでしょうか。ホームページから伝わってくる温もりに抱かれて、心の奥底の慟哭が込み上げてきます。たくさんの心の中の苦しみが噴出してきます。苦しくて息も吸えなかった私自身が、「私もいる、私もいる」とどんどん噴きあがってきます。苦しかった自分が温もりに触れ、解き放たれていきます。言葉では言い表せない喜びに心が包まれます。自己供養はこの世のどんな金銀財宝をつもうと絶対にかえられない本当の喜びです。目の前に一本の道が開けていきます。どこまでもどこまでも続いている一本の爽やかな道です。私はこの一本の道を、苦しみ続けた私自身と共に歩いていきます。
肉の私がそびえたっているということが初めて心で分かりました。怒涛のごとくあふれ出してきました。波動の勉強に出させて頂いて うれしくて 心から突き上がる思いがあって、だけどその感じた思いを肉の私が蔑ろにしていました。肉の私が私の前に壁を作っていました。そんなことに自分で何か違う、何かおかしい・・と思っていながらもその思いと正面から向き合いませんでした。今、HPを開くと 私の中のたくさんの私達の思いが吹き上がってきました。 感じたはずなのに何かおかしい・・ そびえたっていました。肉の私が壁になり、そびえたっていました。薄々気付いていながら、この時期に、とか感じたはずなのに、という思いがしっかりと前にありました。その思いが自分自身にどれだけ冷たかったか、身が切られそうなほど感じます。
今、初めて 自分の壁を感じました。そびえたってそびえたっている私を感じました。 私の中の沢山の私に、ごめんなさい 申し訳ない、ごめんなさいとあふれてきて、でも うれしくて どうしようもなくうれしくて、肉が途方もなく遠くへ飛んでいって、揺さぶられるように温かくて 沢山の私に ごめんなさいと心からごめんなさいという思いがこみ上げてとまりません。 こんなにもこんなにも私自身に愛されていました。心が広がるということを感じました。
素直になってアルバートに心を向けてまいります。しっかりと私自身と向き合ってまいります。
心から溢れ出る思いがたまらなくうれしい。肉があり、そしてセミナーがあり、田池留吉の波動にすっぽりと包まれる時間、心で体で感じられる、心は知っています。このような場所はどこを探してもどこにも無い、最高の場に集わせてもらい、そして真実を心に伝えてくれている、ブラックパワーを全開にして、地獄の底の底を這いずり回ってきた自分が、今、セミナーに集わせてもらっています。自分が自分を救う道、自己供養の喜びの道を歩ませてもらっている今です。意識の流れ、本当に喜びの道ですね。真っ黒な地獄の自分を自分で救っていく、アルバート、田池留吉と自分、こんな幸せはないです。
核からのメッセージを読みながらその中に自分とぴったり同じ思いの言葉に出会えば、何かしら核と同じ所に立っているような錯覚に陥ってしまい、核と同じ言葉を使う私はアルバートを感じ信じる道を歩いている…と頭を使いながら、やっぱり私って素晴らしくて正しいんだと自画自賛の世界に自分を落ち着かせ私は正しいを膨らませる心癖を使っていることにふと気付かせて頂けることが多くなってきました。大小のショックに心は揺れますが気付けたことが何かしらうれしくて心が弾んできます。
正しさを主張し間違いを認められず譲れなかった私が少しずつ少しずつ己の間違いに一つひとつ気付かせてもらっています。気付いて初めて何て独り善がりな偏った思いで自分を苦しめていたんだろうって思います。自分の間違いに気付けるって本当はこんなにうれしいことでした。間違い続けてきてよかったって思えたらまた少しうれしくなってきます。真っ黒がうれしいと伝えてくれる核のメッセージに少しでもいいから呼応していける私の心に甦っていきたいと心から思います。
素晴らしいあなただから喜びに温もりに出会えるのではありません・・・その通りだと思いました。波動の勉強の場で田池留吉の目を見た時、込み上げてきた思いは、己を表し続けてきました、お母さん、ごめんなさいという懺悔の思い、そして生んでいただいてありがとうございましたの溢れる喜びでした。能登谷さんの波動の勉強で、叫び声が充満する中で伝わってきたのは、アルバート、アルバートとただアルバートを求める一筋の思いでした。これが私たちの真実の心の声だと思いました。
真っ暗闇の奥の奥を勇気をもって見ていったとき、そこにはアルバートを必死に求める思いが喜びが流れていることを感じました。そしてアルバートの中にみんながひとつに繋がっていることを感じさせていただけたセミナーでした。みんな、みんな、ありがとう。意識の世界に本当の私に素直になりたいと心から思いました。
波動の勉強に出させていただきました。田池留吉の目を見たと同時に、頭は吹っ飛び、心の底から叫びだけが突き上げました。何をどう感じたから、どう叫んだではなく、ただただ物凄い叫びが心の奥底から噴き上げ、気がついたら、肉体は暴れ狂っていました。何がどうではありません。ただただ自分がやってきたこと、思ってきたことのすべてが間違いだったと、その嵐のような思いが肉体を突き動かしました。
以前、核からのメッセージに、心で何を感じたから信じようではなく、心から噴き上げること、それ自体が自分にとっての現実だというのがありました。私もそんな感じでした。田池留吉の目を見ると同時に、心の底から嵐のような思いが噴き上げ、全部が間違っていたと暴れ狂った自分が私にとっての現実そのものでした。その暴れ狂った自分が嬉しくて言葉になりません。
死、死を思う時、肉の執着が何と空しいことか、いつも思っていた、肉の愛は所詮消えていくもの、私は空しい、空虚なものだと感じながら、それでもわからないから、何かを掴んでいなければいられなかった、その先に孤独、無限の孤独を感じている私の心は空しいとわかっていても肉の愛に溺れていった、そのいく先は本当に苦しい世界、孤独、本当のことを知りたかった、心が望んでいた、その望みを伝えてくれた、私は今、そのことを思う、そして私の中に本当に苦しんでいる地獄の意識達がいる、現実にいまだその心を、地獄を抱えて地獄に生きている、その意識達に真実を、温もりの世界、アルバートを伝えたい、自分が今、伝えられる最大限のすべてを伝えたい、そのために今、こうして肉を持って存在している、たくさんのお母さんに支えられて、私はこうして今、自分を自分で救う道を与えられている、そのことに心が気づかせてもらえた、己を誇り、己を表す、その心には冷たい、氷のような冷たいエネルギーしか流れていかなかった、申し訳ない、自分に申し訳ないです。気づいた、その時から私は自分を救う道、アルバートの道を自分に伝えていきます。残されている時間、その時間を精一杯、自分のために費やしていきます。ありがとう、何のこだわりもなく、ただ、素直にありがとうと自分に伝えられることが、ようやく、ようやく出来ます。傲慢な心を抱えて苦しんでいた自分とはもうおさらばです。己というそびえ立つ自分も、もうおさらばです。そう自分に言える今、私はやさしい、苦しんでいる自分に出会い、そして本当のことを心で伝えていきます。すべてが意識の流れの中で動いている、気づくこと、それは意識の流れの中では本当に凄いことが起きているんですね。肉ではわかりませんが、心で感じます。ありがとう、ありがとう、すべてが協力してくれています。
ゆったりとした時の中で心の中に思いを向けアルバートを思う時、ありがとう、ありがとう、ただありがとうが溢れてきます。ありがとう、ありがとう、本当にありがとう・・・それだけです。嬉しい、ただただ嬉しい。こんな時を過ごせる今が、ただただありがとうです。間違って間違って間違い続けてきた私が、今こんなにもゆったりと穏やかなひと時を持てることが嬉しい、それだけです。心の中にはまだまだたくさんの真っ黒なエネルギーを抱えています。それでもこんなに幸せな中に今あることが嬉しい。ただただごめんなさい、ありがとう、嬉しいです・・・この思いがぴったりです。お母さん、ありがとう。私は今こんなに幸せです。本当に本当にありがとうございました。お母さんとの約束を必ず果たしていきます。
こころの歌
1 あの町この町
2 かあさんの歌
3 里の秋
4 夏の思い出
5 里の秋
6 七つの子
7 おもいでのアルバム 作詞 増子とし 作曲 本多鐵麿
8 浜辺の歌 作詞 林 古渓 作曲 成田為三
9 幼き頃の思い出 作詞者 不詳 作曲 長谷川良夫
10 通りゃんせ わらべうた 編曲 本居長世
11 丘を越えて 作詞 島田芳文 作曲 古賀政男
12 ちいさい秋みつけた 作詞 サトウハチロー 作曲 中田喜直
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私は田池留吉(1926年生)です。
私とともにアルバートの道を進んでいってください。
ホームページを開いてください。アルバートに心を向けてください。
アルバートがすべてです。波動が真実です。
私はあなた、あなたは私、ひとつです。
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