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 UTA会セミナーにはどなたでも参加できます。ただし、家族の方に参加することを反対されている方はご遠慮ください。また、借金までして参加することは止めてください。



セミナーの中心課題

 意識の転回 「私達人間は、肉ではなく、意識であり、永遠に存在するものである。」

 意識は心、思い、波動、エネルギーである。 意識は現象化する。
 意識は一つ、私はあなたあなたは私である。


実践項目

 1 自分の心を見る。

 2 お母さんの温もりを知る。

 3 自己供養をする。

 4 アルバートを感じ、信じる。

   日々反省と瞑想を重ねる。


点検項目

 1 他力の神々の実像、教祖・宗教的指導者等の実態

 2 人間の本質、自分の実像

 3 人生の目的、生まれてきた意義

 4 死後の世界、転生の実態

 5 アルバートの波動、田池留吉の宇宙

 6 250年後の感動的なアルバートとの出会い

 7 意識の流れ、UTAの世界

 8 四次元への移行


メッセージを読む


メッセージを聞く


 素直で優しく真面目でアルバートへの信を培う道をひたすらに進む友だちになってください。待っています。

 意識の流れを感じ、田池留吉、アルバートと共に歩いていく真実の道しかありません。決意し、勇気を出してこの道をただただ真っ直ぐに歩いていってください。私は一人でも多くの友との大いなる出会いを待ち望んでいます。

 自分は肉だと思い、肉が基準の人生を送る人々、未だに己一番、頑固の一生を通す方々は、無知とエゴと欲の濁流に流され、浮き沈み、ついには淵に沈んでいくことになるでしょう。地獄から出てきて地獄に戻っていく転生を繰り返すことになるのです。

 これからは本物と偽物がはっきりとしてくるでしょう。本当にアルバートを信じているものとそうでないものがはっきりとしてきます。本当の喜び幸せかそうでない喜び幸せか明らかになってきます。

 いよいよセミナーも終わりに近づいてきました。心をしっかり見ていってください。
   「私こそ神だ。私は選ばれしものだ。私は使命あるもの、特別な存在である。」などと思っている人々。他力の神々をしっかりといまだに持っている人々。私は間違っていない、私は正しい、私は素晴らしいとそびえ立っている人々。‥‥無知とエゴと欲そのままの人々。もうそろそろ間違ってきました、喜びですとなってください。待っていますよ。


 あなたは今、意識の流れを感じていますか。すべての意識はその流れの中にあります。あなたは意識の流れを知らないまま死んでしまってもいいのでしようか。私はあなたが真実の世界を知って本当の自分に出会い本当の人生を生きていっていただきたいと願っています。




核からのメッセージを開きましょう、読みましょう。
核からのメッセージは学びの指針となるでしょう。



核からのメッセージ


 自分を自分で包んでいく作業はアルバートを感じアルバートを信じていなければできません。そのために生まれてきた私達です。

 あれから身体的不都合な部分に思いを向けられましたでしょうか。あなたの心から出る思いとその肉体細胞から伝わってくる思いが一致していましたか。そのズレがきっとあなたのその身体に不都合を起こしているのでしょうね。私はそう思います。肉体細胞から伝わってくる思いは優しさだけです。温もりだけです。いくらでも自分の間違いに気付いていけます。どんなに傲慢に生きてきたか、間違って肉というものを使ってきたその思いに気付いていけるのです。
 肉に生きる心はとても冷たいです。私はようやく今世そのことに気付かせて頂きました。何が間違っているとかどこが間違っているとかそうではなく、すべてが間違ってきた自分でしたということにようやく辿りつけました。
 非常に嬉しいです。間違ってきた自分に出会うたびに心が優しくなれる、本当に自分にありがとうが言えます。そしたらまた心から返ってくる思いがあります。ありがとう、ありがとう、限りない優しさの中でそのような思いが伝わってきます。喜びと幸せの中に包まれている自分自身であることを心から感じます。
 自分を自分で包んでいく作業はアルバ−トを感じアルバ−トを信じていなければできません。そのために生まれてきた私達です。アルバ−トと出会えることがどれだけ幸せなことなのかあなたの肉体細胞を通してどんどん心で感じていってください。


 誰も何も苦しめているものはない、勝手に穴蔵にはまり込んで苦しいだの助けてくれだの何でこうなるんだとか叫んでいるだけのことなんだということが、意識の世界が分かってくるとよく分かります。

 意識の世界、心の世界というものには隔たりも仕切りも何もない、だからみんなが感じていける世界です。なのに幸せ喜びを心に広げている人もあれば、未だに暗くて狭い中でもがき苦しんでいる人もいる、本当にその人の心次第ですね。
 誰も何も苦しめているものはない、勝手に穴蔵にはまり込んで苦しいだの助けてくれだの何でこうなるんだとか叫んでいるだけのことなんだということが、意識の世界が分かってくるとよく分かります。決して住む世界が違うのではなく、同じところにいながら通じ合えない、意識の世界とはそういう世界です。
 すべては自分次第です。まだ今はみんな喜びとしてとらえていけなくても、それでもせめてグチグチ、ブツブツ、メソメソはもうやめていきましょう。
 アルバ−トの実在がまだおぼろげであれば、肉からでも努力していってください。どこかひとつ何か喜びを見出し自分がはまっている穴蔵からの脱出を心掛けていってください。
 悪循環を断ち切るだけの勇気と決断は必要です。優柔不断、甘ちゃんではアルバ−トの道は歩んでいけません。
 優しいとか受け入れてもらっているとかを自分勝手に解釈しているだけ、それこそ同じところにいながら全く通じ合えない世界にいるということです。あなたが心を変えていけば、ちゃんとそこにアルバ−トがあるということがまだ心で分かっていないのではないかと私は思います。


 心が広がっていくとは、自分の間違いに気付き自分の存在そのものが嬉しいという思いがどんどんどんどん湧き出てくること、本当に許されてきた自分自身であったと心で感じていくことです。

 心が広がっていくとは、自分の間違いに気付き自分の存在そのものが嬉しいという思いがどんどんどんどん湧き出てくること、本当に許されてきた自分自身であったと心で感じていくことです。もちろん心が広がっていって未知なる自分との出会いがあり自分の中には無限大の宇宙があることを実感されることも事実その通りですが、それよりも自分は生かされてきた、自分は許されてきたことを心の底から感じたとき、本当に心は喜びと幸せの中を果てしなく広がっていきます。そのような本当の自分自身に支えられ私はあった、自分を生かすエネルギ−の中にあったということを心で感じてくれば、自分の愚かさもはっきりと見えてくるし、肉というものに対しての思い方が全然違ってきます。
 波動のお勉強では、肉で説明できないような体験をされるからいいんです。肉で分からないからいいんです。説明も要らない解釈も要らない、ただ波動の世界を心で感じられたらそれでいいんです。感じたものを頭で理解しようとかそういうことをごちゃごちゃやっているうちに、せっかく感じたものが薄れていくというか遠のいていくかもしれません。しかしまたそれもそれぞれのお勉強でしょう。そうやって残り少ないセミナ−をどうぞご自分の250年後に繋いでいく時間、空間として充分活用していってください。
 私達は喜びです、私達は最高に幸せ者です、そうやって今世の学びの幕を皆さんとともに閉じていきたいと私は思っています。よろしくお願いいたします。


 アルバートに目覚めるために頂いた大切な肉であるとともにアルバートを伝えるための大切な器です。肉を通してアルバートが流れていく幸せ喜びを感じています。

 アルバ−トに目覚めるために頂いた大切な肉であるとともにアルバ−トを伝えるための大切な器です。肉を通してアルバ−トが流れていく幸せ喜びを感じています。喜びが幸せが流れていく、心を開け放していったときそれは自然に流れていくものでした。
 みんな己という思いが塞き止めてきた、そればかりか放出してきたのはブラックのエネルギ−ばかり、そんな私達に今こんなときが与えられること自体がもうすごいことだと私達の歩いてきた過去を振り返り私はそのように思います。その中でもとりわけ私は何と幸せ者だろうかとつくづく思っています。こればかりはこの世の金銀財宝をいくら積まれようとも敵いませんね。もちろんそれとは次元が違うから比較対照にはならないけれど、例えればよく分かると思います。私が感じている世界はそうですよ、そんなちっぽけなものではありません。自分というもの、自分という存在がはっきり感じられる、これからどのように存在していくのか、心で感じられる私にはもうすべてを任せていくだけでいいんです。それで幸せ喜びの道が開いていくことを心は知っています。だから肉ではあくせくしません。この心の中の世界、真実の世界にある自分自身とともに生きていく私にはそれが自然体です。何も分からない、さ迷い続けている意識でなくなったことは確かです。その意識の世界が現象化するのが肉、形の世界、だから今世の肉の時間も来世のそれも今までとは全く違います。たとえ地獄の自分と出会っても幸せ喜びの世界がそこにあることを私ははっきりと心で感じています。


 道を求めている方ならば、セミナーに集ってきます。何らかの経路を辿って必ず集えるようになっています。それは今世とは限りません。未だその時期に到達していなければ私達と出会うことは叶いません。

 道を求めている方ならば、セミナ−に集ってきます。何らかの経路を辿って必ず集えるようになっています。それは今世とは限りません。未だその時期に到達していなければ私達と出会うことは叶いません。しかしそれはそれぞれに目覚める時期が違うだけのことであり、いつ出会いいつ目覚めていくのかもうすでにそれぞれのプログラムに組み込まれていることでしょう。それはその通りだと思います。そのときその流れに素直になれるかどうかはまた別問題でしょうが、みんな平等に公平に真実の扉は開かれているということです。
 だから意識の世界、波動の世界は信じられるのではないですか。みんなに平等でみんなに公平、そして一分一厘の狂いもなく正確です。素直になって喜んでいけばいくほどしっかりと応えてくれるものがあります。
 アルバ−トの前には己はないと言ってきましたが、アルバ−トの優しさアルバ−トの大きさアルバ−トの温もりを本当に心で感じ、自分はアルバ−トとひとつであることを感じているならば、それは間違いのないことです。そしてそれは自然にまた自分の心から流れていきます。だからあなたにとって今一番身近な人が必ず変わってくるはずです。それがひとつのバロメ−タ−でしょうね。変わらないということはあなたのアルバ−トへの信が薄い、あなた自身がアルバ−トを本当にちっぽけにとらえている、すなわちあまりにも己が偉いという証拠です。それは動かせない事実、そしてそれが波動の世界の真実であると私は言えると思います。


 心から出てくる思いはやはりありがとうしかありません。こんな心を使ったあんな思いを出してきたという記憶はあります。だけどそんな自分自身であったからこそ今というときがあるということが切実に感じられます。

 心から出てくる思いはやはりありがとうしかありません。こんな心を使ったあんな思いを出してきたという記憶はあります。だけどそんな自分自身であったからこそ今というときがあるということが切実に感じられます。
 真っ黒だから生まれてきました、生んでもらったということが心で分かる今、こんな幸せで喜びはありませんという私の思いが今の私をしっかりと支えています。アルバ−トに触れアルバ−トを広げアルバ−トとともにある幸せを感じている自分自身を確認しています。だから今目を開けて心は動いているけれど、心がそこへ入り込んでいかない、一応見て聞いているけれどそれで終わっているような状態です。
 今私は安定飛行を続けています。アルバ−トを待っている意識達の存在をしっかりと心の中に感じながらアルバ−トを広げていく伝えていく喜びを自分の中で感じています。この喜び幸せを私はずっと心に持ち続けそしてその集大成である250年後の来世を迎えるということでしょう。
 すごいシナリオを自分に書いてきたものだと思っています。250年後に繋ぐ私のシナリオ、喜びの大爆発が今か今かと待ち続けています。そのための準備を滞りなく終えていくことが今世の仕事、ありがとうの思いをかみしめながら私は進めてまいります。


 私が伝えたいこと、伝えようとしていること、心で感じていること、そっくりそのままとはいきませんが、ほぼ同じ方向に思いを向けてくださるなら私のメッセージはストレートにあなたの心に響いてくるはずです。

 目を閉じていわゆる瞑想状態になっているとき心に上がってくる思いをいざ言葉にしようとしてもなかなかまとまらないときがあります。心から伝えたい思いが沸いてくるけれど、それは言葉で表現できない感覚であり、だからやはり波動を感じてください、心を向けていってくださいとしか言えないのです。
 私が伝えたいこと、伝えようとしていること、心で感じていること、そっくりそのままとはいきませんが、ほぼ同じ方向に思いを向けてくださるなら私のメッセ−ジはストレ−トにあなたの心に響いてくるはずです。
 私は過去においてすべてを飲み干してきたエネルギ−です。どれだけ真っ黒を流してきたかを心はよく知っています。だから今肉を持ってこのように真実に出会えたことを思うと本当に許されていることを実感しています。そこのところが私のベ−スにきちんとあります。そしてそこから言葉を発している、すなわち波動が流れていると思っています。
 もちろん宇宙が目覚めていく流れの中においてこのことは予定通り計画通りの筋書きであることは間違いないことであり、そこからすれば至極当然のことですが、真っ黒の地獄を知っている私は、天使だとか大きな使命がある意識が存在するなんてあり得ないと思ってきました。そんなの比べるに値しないほど自分は大きな存在でした。宇宙の目覚めとはそういうことを言っているのだと段々に感じ、これからますます感じていくことだろうと思っています。


 肉の生活においても生半可な方は意識の世界においても生半可なんです。生半可なことしか分からないんです。肉も意識もみんな連動しています。

 肉持ってこのようにセミナ−に集えていることがどんなことなのか本当にまだ心でお分かりになられていないと私は思っています。そんなに生半可な思いで真実が分かるのなら誰も苦労はしません。自分の心から何一つ離すことなくたくさんのものを握り締めてそして私に本当のことを伝えてくれ、アルバ−トを感じさせてくれ、こんなに欲ぼけなことはないと私は思います。
 肉の生活においても生半可な方は意識の世界においても生半可なんです。生半可なことしか分からないんです。肉も意識もみんな連動しています。もう身辺を整理してもよさそうな年齢を迎えている方がどうしていつまでも肉のことにこだわっているのか私は理解に苦しみます。さっさと整理すべきものは片付けて、今世田池留吉と出会え、セミナ−に集えている自分を本当に喜んでいきましょう。それが肉のあなたがあなたにしてやれる最高の優しさではないでしょうか。世間の常識、世間並みを前に掲げていつまでのらりくらりをやっているのかと思います。もう本当に時間は残されていません。と言いたくなるのもやはりセミナ−に集っている人みんなそれぞれに必ず心を繋いでいってほしいという思いが私の中に強くあるからだと思います。だからこういう表現になってくるのだと思います。
 確かに私達はひとつの意識体です。そして意識はひとつです。だからと言ってともに連れもって行くということにはならないことをどうぞあなたの心で分かっていってください。


 まだあなたはあなた自身の地獄の底の底の奥底を見ておられません。地獄の自分を本当にまだ心で知らないのです。地獄の底の底の奥底から生まれてきましたと私が言っている意味があなたのその心にはまだ届いていないのかもしれませんね。

 まだあなたはあなた自身の地獄の底の底の奥底を見ておられません。地獄の自分を本当にまだ心で知らないのです。地獄の底の底の奥底から生まれてきましたと私が言っている意味があなたのその心にはまだ届いていないのかもしれませんね。
 そのあなたの地獄を覗くのがこれからの250年でしょう。だからその間に何度かの転生をなさっていくのだと思います。しっかりとあなたの地獄を見て250年後に出会いましょう。そのためには今世のこのときが本当に大切な時間、空間なんです。私はそのことを心で感じているからこそこのようにメッセ−ジを伝えさせてもらっています。
 もう本当にお遊びの学び、表面だけの学びはやめていってください。いつまでも己偉しをやっていては本当にあなたが地獄の奥底から浮上していくのは困難なことです。我こそ一番なりのあなたがズラリと雁首を並べて待っています。
 己を崩して崩していくこれからが待ち受けています。だけど地獄の自分が分かってアルバ−トが分かってきたなら、本当に今自分がどんな場に集わせてもらっているか、心にはっきりと感じてくることでしょう。
 私はただ単に喜び、喜びと浮かれているのではないんです。私が250年後にアルバ−トに出会うということはどんなにすごいことなのか、私自身の心で感じています。その辺のところが失礼ですがまだお分かりでないように私には思われます。肉はただの肉です。しかし…とだけ今は言っておきます。


 お母さん、本当にありがとうございました。やはりただひとつ、出てくる思い、言葉はこれしかありません。

 田池、ぶっ殺してやる、そうです私の愛しき思いです。もう私は嬉しくて嬉しくてなりません。真っ黒が嬉しくて嬉しくて、意識の転回、心の転回とはこのことなんだと私の中は実感です。嬉しさがこみ上げてきます。
 私は千載一遇のチャンスをものにしました。だから肉の人生なんて私にはお茶の子さいさいだという感じです。もうそこで悩んだり苦しんだりはしないでしょう。心揺れてもみんなアルバ−トへ帰していけることを知ったからです。そして私の行く先は決まっている、だから今世、残された時間その流れに沿うように沿うように肉の世界は展開していくことが心で感じられます。
 そして250年後です。これまでは何も分からなかったから、肉は苦しむだけのものでした。ですが250年後は今世の学習のもとに肉を持ってくるわけですから、今まで以上に肉のどん底を味わってもそれがみんな喜びへと転じていくことを心は知っています。今世と同様いえ比較にならないほど、アルバ−ト、ぶっ殺してやるを思う存分放出することができます。噴き出した瞬間からすべてが喜びへと変わっていく、肉も意識もすべてがひとつになって喜びへと変わっていく、心から溢れ出す喜びが全宇宙に流れていく、こんな素晴らしいシナリオを持って私は250年後に生まれてくるのです。
 お母さん、本当にありがとうございました、やはりただひとつ、出てくる思い、言葉はこれしかありません。


 意識、波動の世界は全く正直なんです。雰囲気、馴れ合い、肉は一切通用しません。ただ喜び、アルバートを思う、アルバートを呼ぶ喜びが心に広がっていくだけです。

 アルバ−トを感じること、それはセミナ−に集っていれば可能かも知れません。あなたが素直であれば波動のお勉強でアルバ−トの世界をほんの少し垣間見る、今まで感じたことのない世界、あるいは今まで感じていたよりももっと広い波動の世界を感じる、それは可能でしょう。だけどそれでアルバ−トをあなた自身が信じている、アルバ−トへの道を一歩一歩歩いているということにはならないんです。そうしていくのはあくまでもその後のあなたです。
 あなたはアルバ−トを信じていない、あなたの中にはアルバ−トがない、そうはっきりと肉で言われるまでたぶん大方の人はそのご自分の現実を正しく認識されていないと思います。私は少しかもしれないけれどもアルバ−トを信じている、私の中にアルバ−トを信じる信が芽生えつつある、そのようにみんな自分を評価したい、していると思います。長く学んでセミナ−にもオ−ル出席で知識は充分、なんかそういうことでアルバ−トの道を進んでいると思いがちですが、決してそうではありません。本当にアルバ−トを信じる信が芽生えつつあるなら逆にそうでなかった自分に心で気付く、そびえ立っている自分が心で感じられるんです。ああ私にはアルバ−トがなかった、アルバ−トの道をまだ歩んでいなかった、そういうことが心で分かってくるはずです。
 私は非常に現実的です。と言うか意識、波動の世界は全く正直なんです。雰囲気、馴れ合い、肉は一切通用しません。ただ喜び、アルバ−トを思う、アルバ−トを呼ぶ喜びが心に広がっていくだけです。


 心を田池留吉にアルバートに向ければ向けるほど真っ黒が飛び出してきます。それは心を他力の神々に向けながら真っ黒を飛び出しているのとは全く違います。なぜならば私の根本は喜びであることが分かっているからです。

 私はあなたと何ら変わるところはありません。意識の私と意識のあなたはみんなひとつの世界です。ひとつです。しかし私は心を田池留吉にアルバ−トに素直に向けることが今、できます。今、肉を持っているときにできるということが肝心なことです。今できなくていつあなたはできると言うのでしょうか。今世を外して地獄の奥底から浮上していくことは困難だと申してきました。今世心を繋ぐ足がかりをつけなくては大変困難だと伝えてきました。その真意がどのくらいあなたに伝わっているのか分かりませんが、今世が剣が峰、それでなければあなたの250年後はありません。
 私の中には田池留吉の宇宙もアルバ−トの世界もあります。そしてそれがひとつであることも感じています。私ははっきり言って今そういう状態です。私とあなたは何ら変わるところはないけれど、この違いは歴然としています。
 心を田池留吉にアルバ−トに向ければ向けるほど真っ黒が飛び出てきます。それは心を他力の神々に向けながら真っ黒を飛び出しているのとは全く違います。なぜならば私の根本は喜びであることが分かっているからです。喜びで真っ黒すなわち喜びを迎え入れているのです。だから私は幸せです、私は喜びですと言えるんです。田池留吉の世界、アルバ−トの波動の中に私は生かされている、包まれている、そんな自分を感じながら心を広げていけます。どんなに真っ黒でもどんなに汚くてもだから嬉しい、本当に嬉しいです。待って待って待ち続けてきた意識達を心に迎えることができる喜び、幸せ、これが本当の喜びと幸せです。


 肉を優先する心では絶対アルバートの道は歩けない、そして他力の神々を握っている心でも同様です。そういう土壌からいくらアルバートの世界を垣間見ようとしても、その前には厚い壁が立ちはだかっています。

 学びは命懸け、セミナ−は真剣勝負、今に始まったことではありません。核からのメッセ−ジは厳しいでしょうか。しかし修飾をしたところで真実は曲げられません。だから私は単刀直入に切り出します。あなたもその心で真実の世界を知ってごらんなさい。きっと私と同じ表現になってくることでしょう。それほど意識、波動の世界は黒と白がはっきりしているんです。チャネリングができる、できない、そんなの関係がないです。もともとチャネリングとは言葉を伝えるものではなく波動を伝えるものです。それならば今までのチャネリングは本来のチャネリングでないと言うことでしょう。そんなものをいつまでも引きずっていてはあなたの歩みは遅遅として進まないですよ。全部ご破算です。
 また肉を優先する心では絶対アルバ−トの道は歩けない、そして他力の神々を握っている心でも同様です。そういう土壌からいくらアルバ−トの世界を垣間見ようとしても、その前には厚い壁が立ちはだかっています。セミナ−会場において一瞬その壁がなくなるときがあるかもしれません。しかしそれはほんの一瞬であって根本が変わらなければまた厚い壁の向こうです。そちら側からすればそうです。だけどその壁のこちら側からそちらを眺めればその壁はほんの薄皮一枚という程度のような感じがします。意識の世界はそんな世界だと思います。私は今そんなふうに感じています。そして真っ黒が嬉しい、苦しいのではなく嬉しい、だから私は狂うことなく日々を過ごせていると思っています。


 今はまだセミナーがあり田池留吉の肉もありますから、どうにかこうにか繋がっているような感じですが、それがなくなればプツリと切れてしまい、さあその後はあなたの心はどのようになっていくのでしょうか。他力のエネルギーの中でまた狂っていくのでしょうか。

 250年後の来世に心を繋ぐ意識の目覚めを得たことにより、今世の田池留吉の仕事はほぼ終了したと言ってもいいと思います。実際のところそうでしょう。このセミナ−はひとりひとりを救済するために開かれてきたのではありません。そこのところをどうぞお間違えのないようにしてください。
 大きな意識の流れの中で見たとき、今世セミナ−がなしてきたものはすごいとしか表現できません。本当にすごい足跡を私達の心に残してくれました。後はそれぞれが自分の心で感じ得たものをどれだけ大切に育み、自分の中を供養していくかに係っています。
 どこまでも肉でとらえていくならば、心に沸き起こってくる思いは他力のエネルギ−ばかりです。その呪縛から自分を解き放していくのは他ならぬ自分ですが、その中にがんじがらめの状態ではなかなかです。他力の心癖を甘くとらえないでください。
 今はまだセミナ−があり田池留吉の肉もありますから、どうにかこうにか繋がれているような感じですが、それがなくなればプツリと切れてしまい、さあその後あなたの心はどのようになっていくのでしょうか。他力のエネルギ−の中でまた狂っていくのでしょうか。
 みんな狂う要素はその心にまだまだ抱えています。決して他人事ではありません。特に未だ自己供養が進んでいない方はその危険度は非常に高いです。自分を救うのはあなたの中のアルバ−ト、母の温もりその波動だけです。残り少ないセミナ−、どうぞ大切にしていってください。


 自己供養は喜びです。そして自己供養はアルバートを知らなければ不可能です。アルバートを知るということは己を知るということです。

 自己供養は喜びです。そして自己供養はアルバ−トを知らなければ不可能です。アルバ−トを知るということは己を知るということです。自分を知っていけばいくほどアルバ−トが分かります。なぜならば自分の本質はアルバ−トだからです。
 私はこのことを今世心で知り得ました。だから私の中は喜びです。真っ黒をしっかりと抱えていると言えども私は喜びなんです。真っ黒を引っさげて250年後に出会えるのが楽しみで待ち遠しくて心の中は踊っています。アルバ−トに出会えた喜びに沸きかえっています。この喜びが心からどんどんどんどん流れそして250年後に一挙に噴き出すことが心の中から伝わってきます。
 私は肉をつかんでいません。こだわりが薄いというか、ちっぽけなものに感じています。それよりも心が広がっていく、私が広がっていく、このことこそが現実であり、大事業を前にしての今世であるということが心に感じられるのです。
 嬉しいです、本当に嬉しいです。田池留吉、アルバ−トとともに歩く意識であることを心は何度も確認しています。今世生まれてきた意味が心で分かり、母に生んでもらったことを心から喜べる私に出会えたことが最高に嬉しいです。そして腐った目をして生まれてきた私が本当に清清しい優しい目になりました。この目を通し私はさらに私自身を見てまいります。優しい目を自分自身に向けて自己供養の喜びの道を歩いてまいります。


 確かにアルバートの世界を感じた、田池留吉の宇宙を感じていると自分は思っていても、その片方でしっかりと握っているものがあるということは、その感じたと思っている世界は果たしてということになってきます。

 アルバ−トを感じるということは、もちろんただ単に嬉しいとか喜びとかだけではありません。真実を感じていけば肉の世界のことなんか吹っ飛んでいきます。それは握るに値しないものなんだとはっきりと分かります。優しいなあ、嬉しいなあ、何か心から泣けてくる、何故だか分からないけれどこんな世界があるのか、それはそれでいいですけれど、実際その程度の感じ方であれば喜びとか嬉しいとかをセミナ−会場でやっていても、やっぱり根本は肉だから日常に戻ればなかなかそれぞれのこだわりとか握っているものから心を離していくのは難しいだろうと思います。離そうとか離していかなければは全部肉です。そこからひとつハ−ドルをポンと飛び越さないと視界が開けてこないでしょう。心の転回はおぼつかないと思います。それでもこの道しかありません。どうぞハ−ドルを飛び越えていってください。そのための現象があなたを待っています。
 ところで確かにアルバ−トの世界を感じた、田池留吉の宇宙を感じていると自分は思っていても、その片方でしっかりと握っているものがあるということは、その感じたと思っている世界は果たしてということになってきます。本当に波動の世界を感じてくれば自分のこれから先の道が見えてきます。当然肉のことは本当にほどほどでいいという思いになってきます。それよりももっと大切な、いえ比較などできないほどの展開がもう目の前に待っていると思えば、その準備に喜んで喜んで心を傾けていくことでしょう。
 アルバ−トを感じている、波動の世界を感じていると言うならば、当然そうなってくると私は思っています。


 心の転回は難しいです。過去から引きずってきた心癖のままでは本物が分からないです。どれだけ意識の世界に通じていると自負しようとも、それは手前勝手な解釈であることが往々にしてあります。それが私達の過去からの歴史、ずっと同じ轍を踏んできた歴史です。

 すでに伝えられている通り私は250年後、アルバ−トの目と劇的な一瞬の出会いがあります。その出会いが事の始まりとなります。来世の爆発的な喜びの幕開けとなります。どうぞあなたもそのときその流れに乗っていけるように今世布石を打ってください。それがあなたの今世の仕事、肉を持ってきた意味です。その他には何もありません。
 もう自分を見極めていかなければなりません。必要以上に自分を大きくとらえることなく、また小さくとらえることもない、ただ意識の流れの中にあるということだけはしっかりと心で分かっていってください。
 心の転回は難しいです。過去から引きずってきた心癖のままでは本物が分からないです。どれだけ意識の世界に通じていると自負しようとも、それは手前勝手な解釈であることが往々にしてあります。それが私達の過去からの歴史、ずっと同じ轍を踏んできた歴史です。それでは埒があきません。
 自己流の学び方では真実に触れることはありません。私は意識の流れをしっかりと見つめながら我が道を行っています。だから田池留吉という肉のとらえ方ひとつをとってみても皆さんとは少し違っていると思います。おもねることもない崇めることもない、ただ喜びの存在です。それは同じ方向を見つめ存在しているという喜びと幸せを感じさせてくれる媒体、それ以外のものは私の上をすっと通り過ぎていく、それが私がとらえている田池留吉の肉です。


 みんな連れもって行こう、私がそう呼びかけているのは肉ではありません。肉の思いから発していません。肉のあなたに呼びかけているのではないから、肉はベタベタしません。

 みんな連れもって行こう、私がそう呼びかけているのは肉ではありません。肉の思いから発していません。肉のあなたに呼びかけているのではないから、肉はベタベタしません。心をひとつにしてともに同じ道を歩いて行こう、肉で語り合いいくら結束を固めても所詮それは肉だからもろいものです。私は違うんです。肉はただの肉、突出するところもないし威勢のいい掛け声もない何もないです。他力の方からすれば私は頼りないでしょうね。別に何を言うわけでもないし、当たり障りのない言葉しか返しません。ですが私はしっかりと物申しております。私が心で感じている波動の世界は現実の世界、そして心で確信している世界を波動を通して私は語っています。
 心が広がっていく、私が広がっていくという感覚が心で分かる、すなわち心で感じている、またアルバ−トの世界がどんな世界なのかということも心ははっきりととらえています。だから私は誇張なくしかししっかりと語ることができる、もちろんそれは波動として語っているということです。
 250年後のアルバ−トが田池留吉という過去世を通して私にはもうビンビン感じられる、今世と来世がひとつになって喜びと幸せが響いてくる、決して夢物語ではなく現実も現実まさに現実、ああだから私は幸せです、本当に嬉しいです。この思いで私は呼びかけています。みんな、アルバ−トだよ、アルバ−トしかないよ、そう呼びかけています。


 自分の中で学びが遅々として進まない理由はそれぞれあると思いますが、そのひとつにセミナー参加の目的と動機の間違いがあります。洗い直しが必要です。そして中断された方はそのときの心を見ることが第一です。

 今世ようやく自分の心を蘇らせることができた、本当の自分の声が心に届き信じていける自分を取り戻した、だからこそこれからの道がもう真っ直ぐに開けただその道を進んでいけばいいというところまで到達できました。それはもう自分を路頭に迷わすことはない、行き先がしっかりと定まりその方向に進んでいけば目的地に到着ということです。
 ところで自分の中で学びが遅遅として進まない理由はそれぞれにあると思いますが、そのひとつにセミナ−参加の目的と動機の間違いがあります。洗い直しが必要です。そして中断された方はそのときの心を見ることが第一です。去る者追わず来る者拒まずですが、中断あるいはそれに類した行為をされた方は一口に言えば今世もそのときすでに田池留吉を捨てたということです。それを簡単に考えておられるのです。とことん反省しなければだめですよ。そのときの心をおざなりにしていてはいくらセミナ−に集ってきても根本が変わりません。いつも言っていますようにセミナ−に来ていれば嬉しいとか喜びとかは感じるんです。でもそれは本当に一過性のものです。しっかりと己を握りながらやっているだけです。それは心を繋ぐということには程遠いものです。
 今、例を挙げました。要はそうやってご自分の来し方を本当に見てこられたかどうかです。喜び、喜び、アルバ−ト、いくらそんなことをやっていても喜びにはならない、根本は変わらずということに気付くことがまず第一です。そしてそこからが本当の出発だと思います。


 いくらうず高く積み上げようとも一瞬のうちに崩れ去っていく、それが人類が築いてきた形の世界です。頭の範疇をはるかに超えた意識の世界がもうそこに間近に展開されていきます。これこそが現実の世界であることをその目をその耳をそしてその肉体を通して人類はつぶさに知っていくことでしょう。

 いくらうず高く積み上げようとも一瞬のうちに崩れ去っていく、それが人類が築いてきた形の世界です。アルバ−トの目を見る私の心に高く高くそびえ立った人類の愚かさが心に強く響いてきます。崩れて崩れて崩れ切るまで人類は未曾有の体験をしていきます。宇宙へ流れていく喜びのエネルギ−はすごい勢いで全宇宙を覆い尽くしていくことでしょう。それは地球を含め宇宙が大爆発を繰り返していくということになりましょう。まさに宇宙を変えるパワ−、愛のエネルギ−が惜しみなく宇宙の隅々にまで流れ出し溢れ出していくという展開です。
 宇宙に存在する意識達が私の目を通しアルバ−トの目と出会う、250年後私はその瞬間心の記憶が蘇ってきます。たちまちのうちに心が開き意識達が一斉に心から飛び出すのと同時に今世を思い出します。もうそうなれば止まることを知らない喜びのエネルギ−が肉を突き動かしていきます。肉と意識がぴったりとひとつになって喜びのエネルギ−が宇宙を駆け巡ります。この喜びのエネルギ−の前にはもう何も存在しない、ただ喜びがそこにあるだけです。
 頭の範疇をはるかに超えた意識の世界がもうそこに間近に展開されていきます。これこそが現実の世界であることをその目をその耳をそしてその肉体を通して人類はつぶさに知っていくことでしょう。


 なぜ生まれてきたのか、人生の目的は、自分とは一体何なのか、肉を通してようやく真実に巡り合えた私は宇宙一幸せです。

 私は宇宙一幸せ者です。今許されてその宇宙一幸せを味わっています。心からありがとうです。私をずっと待ち続け迎え入れてくれた私に心からありがとうです。私は嬉しいだけです。真っ黒だけを垂れ流してきた宇宙が今世このときを境にしてどんどんどんどん変わっていっている、その事実を知りました。
 どんなにブラックでもいい、もうそれはみんな喜びに帰れることを知っている意識達は私の中からアルバ−ト目指して喜び勇んで飛び出していきます。止め処もない喜びの中で確実に変わっていく宇宙の喜びが心に響き渡ります。そうなればなるほど宇宙はどんどんどんどん広がり喜びのエネルギ−を放出していきます。宇宙に向けて仕事をしていきます。私は嬉しくてなりません。今世一つの肉体を頂きました。このことが私には本当に嬉しくて、肉をもらってこうして存在している私に本当にありがとうの思いが出てきます。
 なぜ生まれてきたのか、人生の目的は、自分とは一体何なのか、肉を通してようやく真実に巡り合えた私は宇宙一幸せです。宇宙が待ち続けてくれている、私が待ち続けてくれている、その私に向かってさらなる歩みを続けていくだけです。ともに歩いて行こう、ともに生きていきましょう、その波動その存在だけが私にとっての唯一絶対の真実です。


 ホームページは私の心の歴史、心の足跡です。田池留吉、アルバートとともに歩んできた心の足跡がそこに記されています。こういう形で学びが進んでいるということは250年後を彷彿させます。

 ホ−ムペ−ジは私の心の歴史、心の足跡です。田池留吉、アルバ−トとともに歩んできた心の足跡がそこに記されています。こういう形で学びが進んでいるということは250年後を彷彿させます。来世はもっとメディアの世界が進んでいるでしょうから、またそのようなメディアを通じて皆さんと出会えるのを私は楽しみにしています。
 ところで意識、波動の世界を感じ広げていく喜び、幸せは言うまでもありませんが、肉も信じられる、信じられる肉に出会ったことが私の歩みの速度を速めたと私自身思っています。田池留吉は絶対裏切らない肉だということを、最初は遠巻きに眺めながらそして一歩近づき二歩近づき、心で確かめる道を歩んできました。肉と意識はひとつが本当の世界であることを私は自分の心の中で実証していきました。だから私は田池留吉を裏切ることも捨てることもないし、当然自分自身を裏切ることはもうありません。私達はひとつであることを確信したからです。
 大きかった抵抗勢力も今ではその質を変え来世再び肉を持って出会えることがただただ喜びとなりました。愚かな肉を持ち再び肉の思いに沈んでいくけれども、あるときそれがぱっと消える、目の前の風景が一転します。すなわち心の転回、出会いが心の転回の瞬間です。そして中から出てくるは出てくるは、喜び、喜び、歓喜の渦の中でそれこそもう狂いそうなくらいに喜びが噴き出してきます。その大いなるエネルギ−を引き出すための肉を肉の環境を用意した、メディアの世界もそうですがすべては手はず通り整えられています。


 すべてはアルバートのもとにひとつです。すべての意識達はアルバートに帰る意識です。

 すべてはアルバ−トのもとにひとつです。すべての意識達はアルバ−トに帰る意識です。私がこの学びに触れたとき、私達は神から出でて神に帰る意識であるという文言がありました。今、私はその意味がよく分かります。心で感じられます。私達はアルバ−トへ帰る意識、そうです心で頷けます。
 心で確信した思いは波動となって流れていきます。私の中でアルバ−トは実在です。だから未だ地獄に沈み込んでいようが宇宙の果てをさ迷い続けていようとも私には信じられるのです。みんないつかはアルバ−トへ帰る意識である、それがどれだけの時間を要しようともそうなんだと信じられるのです。
 私の中に伝えたいという思いがあります。真実を伝えたいという思いがあります。諭すとか導くとかいうのではなく、その人なりにそれぞれ何かを感じていってほしい、その人の意識の世界にほんの僅かでも波紋を起こしたい、呼びかけを届けたい、という思いがあります。もっともその人が欲でなく真剣に真面目に道を求めているということが大前提ですが、そんな人であると感じれば、私は何らかの行動を起こすかもしれません。こんな思いになるのは、私自身真実の世界に触れ、アルバ−トを確信しているからだろうと思います。250年後に繰り広げられる喜びの流れの中で、多くの仲間達と出会えることをただひたすら待っている私の思いの表れであると思っています。


 結局最後に残るものは自分の心だけです。心にアルバートがあるかないか、ただその一点だけです。自己供養が喜びである、それが本当のユートピア実現への道です。

 アルバ−トの世界は物語に出てくるような桃源郷ではありません。そもそも綺麗ごとを並べたユ−トピアなど実在しないのです。私はそんな空理空論を伝えているのではありません。まず全部自分を崩して、本当に地獄の奥底を這いずり回ってきた意識、地獄を嘗め尽くしてきた意識であると心で自覚できない限り、本当のユ−トピアは分からないと言っているのです。そびえ立つ宇宙を持ちながら分かるはずがありません。
 地獄の奥底から肉をもらって地獄の世界へ形を持ってきた私達です。地獄を見ながらそこから浮上するための時間を用意してきたのです。肉の時間はそういう時間です。それをそこに埋没してさらなる地獄へ沈み込んで行っては人生失敗です。たぶん私は学びに集う前より肉では分からないけれどその自覚はあったのでしょう。今世は非常に大事、強い決意のもとに肉を持ってきた私自身の思いを私は感じていたということだと思います。私を託せる何かを待っていたということです。それに出会えたから私の今世は万々歳です。
 本当の意味で強い人間でないと真実の道は歩めないです。つまり甘ちゃんではいつまでも地獄をさ迷い続けるのです。そのことを分かってほしい、他力の強い方は臆病で甘ちゃんです。自分を信じられないから他力の心が膨らむ、その循環をやはりどこかで断ち切る勇気を培ってほしいと思います。
 結局最後に残るものは自分の心だけです。心にアルバ−トがあるかないか、ただその一点だけです。自己供養が喜びである、それが本当のユ−トピア実現への道です。


 他力の心で結びついた宗教の世界も男女の世界もみんな嘘だらけの世界でした。3億6千年かけてようやくそのことに気付けました。そしてそんな世界を貪欲に求めてきた己の愚かさがあったからこそ、今世の私に出会えたのでした。

 自分を自分で包んでいく、受け入れていく、優しい思いを向ける、自己供養を今世私達は初めて教えてもらいました。自分を供養する、本当に何て優しい響きなのでしょうか。優しいです。ただただ優しいです。その手立てを教えてもらった私達は本当に幸せです。
 貪欲に幸せを喜びを求め続けてきた過去からの私に、自分の心ひとつで幸せも喜びも蘇ってくること、心が喜びと幸せに満たされていくことを伝えていける、本当に幸せの中に存在していることを感じます。
 他力の心で結びついた宗教の世界も男女の世界もみんな嘘だらけの世界でした。3億6千年かけてようやくそのことに気付けました。そしてそんな世界を貪欲に求めてきた己の愚かさがあったからこそ、今世の私に出会えたのでした。それを心で知った今、私は自分の歩んできた道を決してただ愚かだったとは思えません。それだけの愚かさを重ねてきたから今があり見えてくる心の風景だと思っています。もちろんそれも心に本当のものを感じているからそのように思えるのであって、その愚かさが重く沈んでいくのでなく、軽く浮かび上がってそしてやがて消えていく、それに連れて心がぱぁ−と広がっていく感覚を私は学習してきました。もう今は外に求めようという思いはありません。ただ中へ中へ心を向ける喜びを私は心で知りました。いくらでも幸せと喜びを伝えてくれます。それが私の中のアルバ−トです。


 自分の心は自分しか救えない、どんなに苦しみをぶつけても返ってくるものは苦しみでしかない、苦しみはその心で受け止め喜びへと変わっていくまで苦しみとして心に残留します。そしてそれができるのはアルバートを信じている心だけです。

 各々が学ぶべきものはもうすでにそれぞれの手元に残されています。形のあるものないもの、今あなたの目の前にあるものがあなたの学びの材料、それですべてです。みんな与えられてそれで後はそれをどのように活かしていくか、もう求めて得られるものは何もありません。
 今世、多くを望まないことですね。一歩、その一歩を踏み出せたなら上出来でしょう。本当にそんなに容易い道ではない、アルバ−トを本当に信じともに歩いていくということは皆さんが考えておられるような簡単なことではありません、と私の意識の世界はやはりそのように伝えてきます。
 この先、ホ−ムペ−ジが更新されている間はまだいいでしょう。しかしそれもやがては終わります。それからのことを視野に入れながら、どうぞご自身の学びを真剣に続けていってください。
 自分の心は自分しか救えない、どんなに苦しみをぶつけても返ってくるものは苦しみでしかない、苦しみはその心で受け止め喜びへと変わっていくまで苦しみとして心に残留します。そしてそれができるのはアルバ−トを信じている心だけです。アルバ−トを信じられない心は苦しみを跳ね返していくのです。分厚い壁にその声は届かない、氷のような冷たい中で凍えている心に温もりは届きません。その実態をどうぞあなたの心で一日も早く知っていってください。
 私は必死です。私は今世必死に自分の心と向かい合ってきました。決して私は特別な存在ではありません。ただ私にはもう今世しか残されていないその思いが非常に強いだけです。それはどなたも同じではないでしょうか。


 自分の中に心を向けていけば分かるはずです。本当に私はアルバートを求めアルバートの道を歩いていこうと思っているのかということは自分自身の心が正直に答えているはずです。

 自分の中に心を向けていけば分かるはずです。本当に私はアルバ−トを求めアルバ−トの道を歩いていこうと思っているのかということは自分自身の心が正直に答えているはずです。そんな人が今のこのとき苦しいことだけを訴えるはずがありません。自分の周りが整っていても整っていなくても、そこから何かに気付いていこうと愚かな肉でも前向きになっていくでしょう。少しでも真実の方向に向きかけたなら、肉もそのようになってきます。
 私はそれでいいと思います。その人その人の道があり決して比較できるものではありません。みんな同じように足並みは揃えられない、これってごく自然なことだと思います。だから私は私でアルバ−トの道があって、あなたもそうですよという思いで私は語っています。私はひとつのサンプルです。私と全く同じ道は歩めません。それぞれが抱えている意識の背景が違うからです。それを比較対照して自分自身の道を見失うことほど愚かなことはありません。
 私は肉の性格上もそうですが、我が道を行くということに何の違和感もないんです。だからあまり人のことは気にならない、自分自身がこれだと思っていることは人の言葉、態度でどうなるものでもありません。そういう気性を持って生まれてきたのも決して偶然ではないのでしょうね。とにかく私は非常に楽です。何をしなくてはならないとか何もなく、ただこの道、心で感じているこの道を行くだけです。


 肉のあなたは本当に偉いんですよ。これだけ感じたと言ってどれだけ感じているのでしょうか。本当に意識達の思いを聞いておられますか。優しい思いで迎えておられますか。そして心で感じたものはすぐに戻るようなものでなく、決して逆戻りのない確かなものでしょうか。

 私の基準は自分の意識の世界です。過去からの私を知ってそしてこれからの私を感じて、もう肉の私だけが私であるなどとふざけたことは言えません。今は本当の自分の思いを中心に定め、肉の有り様、あり方を思っています。心から心の底からアルバ−トを呼ぶ私の思いを感じる今、愚かな肉を持っていてももう今世は肉に埋没することはありません。心癖をしっかりと確認しながらいつもあの目を思えばいい、そうすることがアルバ−トへ心を向けること、意識達にアルバ−トを伝えるということ、私の中にはその道筋がはっきりとついています。
 どの方もどの方も250年後に必ず出会ってください。出会っていきましょう。アルバ−トのもとに集う意識達の約束を叶えてやってください。そのためにまず今世のあなたの中にほんの少しでもいい変革を起こしていってください。肉のあなたは本当に偉いんですよ。これだけ感じたと言ってどれだけ感じているのでしょうか。本当に意識達の思いを聞いておられますか。優しい思いで迎えておられますか。そして心で感じたものはすぐに元に戻るようなものでなく、決して逆戻りのない確かなものでしょうか。
 自分を裏切ってきた心の悲しみ、やるせなさは間違った幸せと喜びを求めれば求めるほど心に蓄積していきました。そんな自分からの脱却を私はようやく試みることができました。それがなければ何もかもが夢のまた夢で終わってしまう、決して自分自身の現実とはなってこないだろうと私は思います。


 肉で楽しいことも嬉しいことも、心の中にアルバートがあって初めてそれが楽しみとなり嬉しさとなってくるんです。心にアルバートの実在を確信してこそ肉も喜び幸せなんです。

 肉で楽しいことも嬉しいことも、心の中にアルバ−トがあって初めてそれが楽しみとなり嬉しさとなってくるんです。心にアルバ−トの実在を確信してこそ肉も喜び幸せなんです。もうお分かりだと思いますが、そうなんですよ。アルバ−トがないアルバ−トを信じていない心では肉も芯から喜べないですよ、幸せだとしみじみ思えないです。そしてそんな人は腹の底から笑えないです、そう思いませんか。顔が引きつって作った笑顔は何て悲しいのでしょうか。笑顔とは裏腹な心の世界をそのまま抱えて、だけど顔は微笑んでいるなんて本当に奇妙です。
 いくら表面を取り繕ってもその人から流れてくるものがその人の今を物語っています。幸せでないのに幸せを装う人生とはもうさようならしましょう。そして心の底から屈託なく笑える自分に蘇りましょう。
 お金がなくてもいい一人ぼっちでもいい、ああ私は幸せだ、生まれてこれてよかった、嬉しい、お母さんありがとう、そんな思いが次から次へと心から湧き出てくるのが本当の私達です。みんな忘れ去ってしまって外に求めたのが苦しみの始まりでした。友達にしても偽物の友達を何人持っていても仕方がないです。一事が万事みんなそうです。ただひとつだけ本物を持っていればそれでいいのではないのでしょうか。イミテ−ションで飾られた人生は卒業です。


 肉での決意、決断、意識の流れにそぐわないものを肉から切り離す勇気、これはとても大切なことだと思います。

 肉での決意、決断、意識の流れにそぐわないものを肉から切り離す勇気、これはとても大切なことだと思います。もちろん肉だけではできません。本当の自分自身の思いを心に感じて、意識としての決意、今世に賭けてきた思いを心に確認しなければ、いつまでも肉でズルズルと引きずるものがあります。それを応援するのがこの世の肉のしきたり、肉の常識、肉の慣習です。私は自分の思いを率直に申し上げているだけです。学びから外に向けては何も言いません。言ったって分かる人などいない、でもセミナ−に集っている人なら私の言おうとしていることは心で分かってもらえると思うから、このように語らせてもらっています。
 250年後に心を繋ぐということを心に定めてあなたの今世の残りの肉の時間を費やしていってください。その心意気でやっていっても今世は難しいことは重々承知です。でも私はこれしかお伝えできません。しかし今世ある程度やった人とそうでない人は完全に違ってきます。私はそのことを言っています。250年後に約束通り意識の流れに乗ってともに参りましょうとお伝えしています。
 250年後に出会いたい、今世セミナ−をともにした人はみんな250年後に出会いたい、そしてともに歩みを進めていきたい、でもこれは私の思いであってそれを実現可能にするのはどこまでもあなた自身の問題ですが、素直さと強い意志が前提条件だと思います。


 セミナーもようやく来世に繋ぐということが達成できセミナー自体の役目も事実上終了です。同時に田池留吉の仕事もほぼ終了です。後はただそれぞれがそれぞれの道を淡々と歩んでいくことだけが残されています。

 田池先生がセミナ−の講話の時間に同じことを何度も何度も繰り返し伝えてくれてきたその思いが今心で本当によく分かります。話の時間にすれば一分もかからない、それをあちらからこちらから色々なことを引き合いに出されてよくもまあ気長に語ってくれました。20年、それは3億6千年からすれば僅かの年月ですが、肉の人生からすれば長いです。20年、古い人はそれ以上の年月同じことを聞いてきました。それでどれだけあなたは心で学んでこられましたか。田池留吉の中には喜びしかないから20年セミナ−が続いたのでしょう。その思いと信じる信の強さを私はしみじみ感じています。私はセミナ−を通し田池留吉という人物に出会わせて頂き、その世界に出会わせて頂きました。私の心には待ってくれていた思いが今ストレ−トに響いてきます。幸せです。
 様々な局面を迎え試行錯誤の中をセミナ−は成長していき今に至っています。みんな必要であってみんな肥やしでした。そしてそのときは混沌としていたかのように見えていたセミナ−もようやく来世に繋ぐということが達成できセミナ−自体の役目も事実上終了です。同時に田池留吉の仕事もほぼ終了です。後はただそれぞれがそれぞれの道を淡々と歩んでいくことだけが残されています。そのためのお手伝いが後何回かのセミナ−であり、ホ−ムペ−ジでしょう。ひとりひとりを救いゆき発掘するためではなく、ひとつの大きな流れの中のセミナ−でした。どうぞこの流れに乗ってください。乗れない人はますます遅れていきます。そしてここを取り違えれば他力信仰そのものになってしまいます。


 自分から逃げない、自分から目を背けない、自分を切り捨てない、今世このことを心で学ぶために地獄の奥底から生まれてきたんです。それが千載一遇のチャンスだと申してきました。アルバートに出会うということはそういうことです。

 自分を供養するために生まれてきたことをどうぞもう一度その心で確認なさってください。あなたの肉の時間はそのために自分が用意してきたものです。
 あなたは何のために田池留吉にアルバ−トに心を向けようとなされていますか。素晴らしい自分になるためですか。また田池留吉の宇宙を感じアルバ−トの世界を知っていくことが本当の幸せと喜びへの道だと、そのために一生懸命セミナ−に集いホ−ムペ−ジを開いておられるのですか。
 どちらもポイントから大きくずれていますよね。自分、これは地獄の奥底に沈んでいる自分ですが、その自分と向き合えなければいくらセミナ−に来ようとホ−ムペ−ジを見ようと自分の世界は全く変わりません。そんな心でいくら田池留吉をアルバ−トを呼んでも本当の喜びも幸せも分からないということを何度も伝えてきました。
 自分から逃げない、自分から目を背けない、自分を切り捨てない、今世このことを心で学ぶために地獄の奥底から生まれてきたんです。それが千載一遇のチャンスだと申してきました。アルバ−トに出会うということはそういうことです。
 どうぞ自分を自分で包んでやれる優しさ温もりに触れていってください。あなたの心の中の優しさ温もりが全開されるのをあなた自身が待っているのです。それが本当のアルバ−トの世界です。アルバ−トがあなたの心に実在することを信じられるあなたに蘇っていってください。自己供養こそが本当の喜びと幸せを伝えてくれる、すなわち地獄の自分が伝えてくれるものだということを知っていってください。


 私は真実の波動の世界に生きています。だから自分のことは自分で、自分の責任は自分でとる、厳しいけれどもこのことがどれだけの優しさと温もりを含んでいるのかが心で感じられます。この心とともに生きていける私は幸せです。

 私は真面目です。真剣に自分を自分の人生を考えています。ただ以前と違うのはそれが肉中心ではなくなったということです。でも堅物ではないし現実的だからへたな人生は歩まない、肉も結構楽しんでいます。アルバ−トを選んだ人生は本当の意味で賢い人生です。大正解でした。
 私にはアルバ−トがある、自分の中の優しさと温もりを知っている、だから私はもういいんです、これ以上望むものはありません。肉は嬉しいし、のめり込むことなく楽しむことができます。苦しい心が出てもいつまでも引きずらないましてやそれによって振り回されることはない、自分の中でフッフッとアルバ−トへ帰してやれることを学習しています。楽しいです。
 田池留吉を思いアルバ−トを思う、肉の中にいながら肉のことをしながらふっと思うことができる、優しいなあ、嬉しいなあ、ありがとう、こんな毎日を過ごしながらやがてこの肉も終えていくのだなあと思っています。
 私は真実の波動の世界に生きています。だから自分のことは自分で、自分の責任は自分でとる、厳しいけれどもこのことがどれだけの優しさと温もりを含んでいるのかが心で感じられます。この心とともに生きていける私は幸せです。長い間探し続けてきた幸せと喜びをほぼ手中に入れたことについてもう何も言うことはありません。


 真実を知らない肉はただの肉の塊に過ぎないけれど、その世界を知る肉は肉も信じられることを知って私の世界は飛躍的に変わりました。

 今世私は父の病気を通し自分の中の暗い部分を早くから自覚して成長してきました。そしてひとつの現象をきっかけに真実の世界に飛び込んだ私は、この学びそしてこの人に自分を賭けていけるのかと私の中で模索が始まり、その私の思いに応じて様々な試みのチャンスをもらいそのチャンスを活かし私は自分の足で歩いてきました。それまで悩み苦しんできたことが全部私の血となり肉となり肥やしになっていることに気付かせてもらいました。そういう方々を通し苦しい心と出会っていた私にそれこそ次から次へと新風を送り込んでくれたセミナ−に、そして田池留吉なる人物に、没頭していったのも当然のことでした。
 田池留吉、その肉からは到底想像できない波動の世界を心で感じていくほどに、肉というものに対する思いは変わりました。真実を知らない肉はただの肉の塊に過ぎないけれど、その世界を知る肉は肉も信じられることを知って私の世界は飛躍的に変わりました。
 何を悩み何を苦しんできたのだろうかと思います。肉の塊に何を求めてもともに地獄に落ちるだけであることに気付けなかっただけでした。全く愚かでした。求めた私が無知であり愚かでした。ともに地獄に落ちましょうと広げてきた宗教の世界であり男女の世界でした。
 だけど地獄から浮上できるものを持たせてもらって生まれてきたことに今世私はようやく気付いたのです。その気付きが私の世界を変えていきました。


 天変地異は当然の流れです。自分の内外から激しく揺さぶってくれる愛のエネルギー、間近に迫ってきていることを感じます。宇宙の変貌が心に伝わってきます。

 殺すなら殺せ、死にたいなら死ねとやってきた、神を捨て母を捨て温もりを捨ててすさまじいエネルギ−を宇宙に撒き散らしてきた意識の集団です。そんな背景を抱えているのに未だ認識不足、だから中途半端、したがって今ひとつなんだと思います。イエス、ノ−、はっきりして、イエスならその道をノ−ならその道を進めばいいのに、イエスと答えてノ−の道を行っているから矛盾だらけです。
 オ−ルオアナッシングという言葉をご存知ですか。すべてを取るかすべてを捨てるかということですが、その中間はないという意味から意識の世界にも当てはまると思います。
 自分の現実を見ようとしない、認めようとしない心に成り下がってしまいました。だからもっと自分を震撼させるエネルギ−を心に感じていく現象が必要なのでしょうね。生半可な現象ではおいそれと間違ってきた自分を目覚めさせることはできません。緩やかな流れではなく激流の中に自分を置いてこそ、真剣に自分と向かい合っていくのだと思います。それほどまでに人間の心は堕落してしまったということなんですね。
 だから天変地異は当然の流れです。自分の内外から激しく揺さぶってくれる愛のエネルギ−、間近に迫ってきていることを感じます。肉持って伝えにきてくれた田池留吉との出会いによりそれが実現されていくことが心で感じられ、宇宙の変貌が心に伝わってきます。すさまじいエネルギ−で存在し続けてきた宇宙全体が喜びに沸き返る、今肉を持って知る現実です。


 私は信じていっただけです。中から突き上がってくる思い、噴き上がってくる思い、肉で止められないその体験こそが動かし難い現実でした。それを私は頭で分析せずにただ感じ信じていったのです。

 私は信じていっただけです。中から突き上がってくる思い、噴き上がってくる思い、肉で止められないその体験こそが動かし難い現実でした。それを私は頭で分析せずにただ感じ信じていったのです。まあ言えばそれほど衝撃的であったということでしょう。だから心で感じ心で分かっていく以外にどうしようもないと言えます。どんなにしても肉で分かる世界ではないということです。
 私がどんどん広がって私はアルバ−トを信じるもの、私の中にアルバ−トが実在しますという思いが溢れ出てくる、同時に間違ってきましたという懺悔の思いも噴き出してくる、そして限りない温もりと優しさが心に充満してきます。これらはみんな頭ではないから、信じる信じないの範疇ではなくただ私にはそれが現実であり、その世界が確かにあることを私は告げているだけです。温もりに触れた意識達の思いだけが心に響きそしてそれは紛れもなく私自身、私が噴き上がってきます。喜びがどんどん大きくなる、間違ってきた自分に出会うたびに喜びが大きくなっていく、それは肉の世界では絶対あり得ないことです。そこが肉基準と決定的に違うところです。その醍醐味を私の心は知っています。
 温もりにどんどん触れていくから真っ黒がどんどん出てくる、真っ黒がどんどん出てくるからさらに温もりの世界へと浸透していく、そうですアルバ−トへ帰っていく意識達の喜びは計り知れないものです。その喜びの道をあなたもどうぞ歩いていきませんか、ぜひ歩いていってくださいと伝えています。


 なぜ生まれてきたのか、どうして苦しみや悩みがあったのか、すべては必要だったからです。私はこのことを本当に心で分かったのです。

 肉をもらって生まれてこれたことが最高に幸せです。今世の人生、最高に幸せです。何があるからではなく私は本当に幸せなんです。お母さん、ありがとうございます、私は心の底からそう言える、今肉をもらってここにこうして存在していることが私の喜びすべてです。
 こんな幸せな人生を生きたことがない、持てるものすべてを手中に収めた過去もあるでしょう、だけどそれは幻でした。すさまじいエネルギ−を自分にぶつけて生きてまいりました。それがみんな私の中に今帰ってきている、喜びとして帰ってきてくれています。それが嬉しい、ただただ嬉しいです。私は今肉を持ってそんな世界を心に広げています。そして心からアルバ−トが伝えてくれる、ともに歩く喜び、ともに生きる喜びを私の中から伝えてくれています。ありがとう、ありがとうしかありません。
 私はこれから250年、300年かけて大きな仕事をなしてアルバ−トとともに次元移行をしてまいります。それが心に今しっかりと感じられる、そしてそれが私の歩むべき道なのです。今世その道をしっかりとつけることができました。私の今感じている喜び幸せはもちろん言葉で表現することなどできません。
 なぜ生まれてきたのか、どうして苦しみや悩みがあったのか、すべては必要だったからです。私はこのことを本当に心で分かったのです。すべては自分に必要であったこと、すべては自分が選んできたこと、頭でなく心で分かった私は、今本当の喜びと幸せの中に存在しています。


 簡単に真実の道は歩けません。そびえ立つ自分というものになかなか気付けないようにしてしまったのは自分です。そんな世界を抱えながらではアルバートとともには歩けないのです。心で感じ広げている世界は己の宇宙、己の世界です。

 気付くということが最も大切なことだと思います。そのためのセミナ−であり、ホ−ムペ−ジです。
 私は何も分かっていなかった、全く違う方向を向いて学んでいた、私はこの道だと思ってきたがその方向は大きくずれていた、セミナ−がある間にそして田池留吉の肉がある間にそう気付かれたなら、それは大いに結構しかしそれは難しいですよとお伝えしておきます。それはその方が肉をつかんでいることに気付けないからです。そんなに簡単に真実の道は歩けません。そびえ立つ自分というものになかなか気付けないようにしてしまったのは自分です。そんな世界を抱えながらではアルバ−トとともには歩けないのです。心で感じ広げている世界は己の宇宙、己の世界です。
 また今世も教祖の思いを心に広げられた方はよほどの反省がない限り、やはり過去からの栄光とおぼしき思いに引きずられていきます。そんな栄光などどこにもないのに自分で握って苦しみの中にはまり込んでいるのです。そこからUタ−ンする道は険しい、しかしやるしかない、自分で広げていった世界は自分で回収する以外にないということをどこかで気付いていかなければならないでしょう。
 どちらも大変です。そのことをどれほど心で感じられているか私には分かりませんが、大変厳しくて険しい道であることだけは伝わってきます。


 意識の流れにみんな任せてアルバートとともに存在している私を感じるとき私は最高に幸せです。

 私は私だけの世界を見ています。心で感じています。自分の中で本当にアルバ−トを思う思いだけを見続けています。そして本当に幸せで喜びの私と出会っています。アルバ−トを呼ぶとき、アルバ−トを思うとき、アルバ−トに心を向けるとき、私は本当に幸せです。その意識の流れにみんな任せてアルバ−トとともに存在している私を感じるとき私は最高に幸せです。そのときの私をこの愚かな肉の私も信じられる、これが本当の私の世界だということが信じられる、だから私の心は後戻りしないのです。そしてこの波動の世界を心で感じている私にはもう何も要らないということも本当なんです。何も必要としない、私の心に本当の幸せと喜びを思い起こしてくれたアルバ−トの世界、その波動です。
 核からのメッセ−ジ、書かれているものすべてを理解してもらおうとは思っていません。反発されてもいいんです。私は心で感じたこと思っていることをそのまま語っているだけです。間違い続け苦しみ続けてきた私がようやく自分の中で真実の世界と出会えたという現実を伝えているだけです。
 私の心から溢れるように出てくる思いは、今世肉を持って田池留吉に出会わせて頂いた喜びです。アルバ−トを伝えてくれた田池留吉にただただありがとうございました、その思いが溢れてきます。私に本当の喜びと幸せを伝えてくれた田池留吉の世界に心を合わせていける私は幸せです。


 自分自身が蓄えてきた莫大なブラックのエネルギーと真正面からもう一度向き合うために、今私はその準備の時間を自分に用意しています。すべては250年後に備えるための今のこの時間と空間だと思っています。

 心に感じた確かなものがあるかないか、そしてそれが本当の自分の心の世界だと信じられるものであるのかどうなのか、自分を支える心棒がしっかりしていれば、何があっても何も問題はありません。心が揺れることはあっても、そしてその揺れの大小はあっても、心を合わせることができれば心を向けていくことができれば、後は信じる信を自分の中で確認しながら流れに沿って対処していけばいい、これが本当の処世術だと思います。所詮この世のことに大したものはない、それをつかんで握って苦しんだり悲しんだり嘆いたりしているだけのことだということが本当に分かれば、握っているものを離せばそれでいいことです。
 私はアルバ−トの世界を感じています。アルバ−トとともにある自分を確認しています。だからそういったものを離そうとする前にくだらないから握らないだけのことです。そして以前に握ったものはいつの間にか小さくなっています。私の中で価値があると思っていたものが干からびて色褪せたものにしか映らなくなりました。
 それよりも私自身が本当に探し求めてきた世界と今出会っている、そしてこれだけがただひとつ待ち続けてきたものだと私に伝えてくれる、これほど確かなことはありません。
 自分自身が蓄えてきた莫大なブラックのエネルギ−と真正面からもう一度向き合うために、今私はその準備の時間を自分に用意しています。すべては250年後に備えるための今のこの時間と空間だと思っています。


 私の中で過去からのものみんなが250年後を指し示しています。間違いなく意識の流れの中にある私です。

 そう、すべては250年後です。250年後の来世に繋ぐための今世です、今世のセミナ−でした。今世生まれてきた意味、そしてセミナ−が開かれてきた意味、よく分かります。私の中で過去からのものみんなが250年後を指し示しています。間違いなく意識の流れの中にある私です。
 田池留吉と出会うために肉を持ちました、アルバ−トと出会うために肉を持ってきます、私はその意識の流れの中で喜びで肉を持つということを心で感じています。肉は必要不可欠です。もちろんエネルギ−は莫大です。だからこそ出会いがあったそしてそれがすべてであり、すべてが喜びと化していきます。そのことを今世心で知った私は幸せだ、嬉しい、ありがとうの思いがどんどんどんどん沸き出てきます。
 250年後はすごい展開になっていくことが感じられます。だから肉は一旦どん底に落ちる、そこから再び蘇ってくることが必要なんです。すべてにおいて意識の世界は正確で無駄がない、流れを感じる私にはそれが嬉しいだけです。本当にありがとうだけです。
 田池留吉と私、肉は別々、しかし私はその肉を通し自分の世界を見ることができます。私はあなた、あなたは私、意識はひとつということ、そして肉と意識もまたひとつということを肉を持って知り感じ得た今世、ああそれはもう言葉にはなりません。よくぞ出会って頂きました、ありがとう、本当にありがとうございました、その思いしかありません。
 私は田池留吉、アルバ−トとともに歩いていく意識です。肉も意識もひとつになってともに歩みを進めてまいります。


 意識の流れの中のセミナーであることをあなたの心で分かってください。意識の流れの中で今世このようにセミナーが開かれていることをあなたの心で本当に知っていってください。

 意識の流れの中のセミナ−であることをあなたの心で分かってください。意識の流れの中で今世このようにセミナ−が開かれていることをあなたの心で本当に知っていってください。
 もちろんセミナ−のときだけではありません。今世の今のこのときがどれほど貴重な時間空間かということを本当にどれだけの方が心で分かっておられるでしょうか。やはり己が偉い方が多いようですね。皆さん、少し感じれば私はアルバ−トの世界を感じた、私の意識の世界はもう250年後に繋いでいる、私はこの学びをやっています、ということですが、それはとんでもないこと、とても甘い考えだと思います。学びの入り口に立っている方なんて数え切れるほどです。今そういう状態で今世のセミナ−もあと僅かを残すだけとなりました。
 本当にあなたが250年後に繋げるかどうかは今そしてセミナ−後どんな時間を過ごしていくのか、ひいてはそれが250年後までの間の転生においてどのような心の世界を描いていくのかに係っています。今セミナ−がある間に自分の中できちんと心を作っておかないと大変難しいということを何度も伝えてきました。セミナ−に集ってきたから集っているからなんていうことはあまり関係がない、それほど肉に戻るのは容易いということです。
 私は本当に心からアルバ−トを信じ、アルバ−トとともに歩いていく仲間達とセミナ−の時間空間を持っていきたいです。それがほんの少数の方でもいいんです。もとよりそんな平易な道ではないことを私は充分承知しています。


 セミナーに集えるということほど贅沢なものはないと私は思います。セミナーに集われている方はみんな本当に恵まれています。

 セミナ−に集えるということほど贅沢なものはないと私は思います。セミナ−に集われている方はみんな本当に恵まれています。何度も何度もその耳を通しその目を通しそして身体全体で真実の世界に触れさせてもらって、これほど幸せなことはないではないですか。後はやるかやらないかだけです。ただし我流ではなく素直にただ素直になっていけば道がすっと開けてくるということでしょう。そしてそれをまた淡々と素直に受けていけばいいだけのことです。決して平易な道ではありませんが、そういう意味で非常に平易かつシンプルです。そう、アルバ−トへの道はシンプルなんです。
 ところで今、肉で苦しみ悩んでいる方はまだその段階なんです。その段階の方がアルバ−トの世界や田池留吉の宇宙が分かるはずがありません。と言ってもうだめだとか落ち込むのではなく、肉はとことん苦しんで悩んでやはり最後は自分で結論を出してという道筋を踏んでいかなければならないでしょう。それを飛ばしてその道筋を踏まないで他力的に学びで伝えられていることを求めても心は納得しません。落ちないで傷つかないで失敗しないでというのでなく、落ちるところまで落ちて納得し気付けることもあります。それがその方のアルバ−への道かもしれません。とにかく自分の心で感じて自分の心で納得しない限り、いくらこれが本当のことだとお伝えしても決してその方の心には届かないでしょう。それが意識の世界の真実です。みんなそれぞれに設定してきたものがあります。それを喜びで受けていける心があることを知っていくことが、本当の喜びの道、アルバ−トへの道です。


 自分の苦しみは自分にしか分かりません。だから自分で解決していくしかありません。その手立てが分かっている人と分からない人で肉の人生すなわち意識の世界が全然違ってきます。

 自分の苦しみは自分にしか分かりません。だから自分で解決していくしかありません。その手立てが分かっている人と分からない人で肉の人生すなわち意識の世界が全然違ってきます。そのことを私達は今世学習してきました。もう自分に甘え人に甘えていくのはやめにしましょう。
 私は今世のこの人生まっとうしていきます。途中で投げ出したりしません。自分に課してきたものを最後まできちんと自分の中で見つめていきます。それはアルバ−トを知っているからです。アルバ−トを信じているからです。アルバ−トとともに自分の中の思いを見つめていくことが私の幸せであり喜びであると本当に心から思っているからです。
 私に救いの手を差し伸べるものは私自身です。私の心です。私は今世そのような自分の世界と出会いました。肉の私ではなく私の世界と出会ったのです。そしてその私が私に指し示している方向を辿っていけばいいということを感じています。その方向をきちんと知っているのだから、自分は本当に幸せだと心から思います。肉は幸せや喜びを探さなくてもいい、そのために自ら苦しみの中に飛び込むことももうないし何もありません。
 私はこれからの時間、空間ゆっくりと来世に向けての心準備を整えていくことに費やしていくことでしょう。そのためにみんな整えられていることを私は感じています。私の中ではすべてが250年後を指し示しています。


 実際そのときになってみないと分かりませんが、たぶんこの肉にありがとうと心から言えるのではないかと思っています。もう決して死にたくない、死ぬのは怖い、そうやって暗い思いに沈んでいくことはないだろうと思います。

 私の中のテ−マのひとつ「死」というものについて、私の思いを率直に語らせてもらいます。
 「死」を恐怖し「死」というものは触れたくもない考えたくもないものでした。だからこそ今世の私は「死」をひとつのテ−マとして持ってきたのだと思います。「死」を通して心を見ていく現象を自分の転機となる場面に配置してきたと私自身思っています。学びのきっかけはもちろん「死」でしたし、心の転回を促したのもまさしく「死」でした。「死」という場面を迎えることにより私自身新たな局面に立ちそこでまたひとつハ−ドルを超えていったようなそんな感じです。一歩また一歩と自分の中の真実の世界に触れていくような、踏み入っていくような、それが今世の私にとっての「死」という現象だと思います。
 私達は心を学ぶために様々な教材を用意してきましたが、私はやはりこの人の「死」というものを通して自分の心を見ていく、自分の心を確認していく、そしてまた一歩を踏み出していく道筋を自ら選んできたと思います。そして最終的には見たくもない触れたくもなかった自分の「死」をどのように受け入れていくかということだと思います。
 今現在の私は恐怖心もだいぶ和らぎ、実際そのときになってみないと分かりませんが、たぶんこの肉にありがとうと心から言えるのではないかと思っています。もう決して死にたくない、死ぬのは怖い、そうやって暗い思いに沈んでいくことはないだろうと思います。


 真実の世界を垣間見たけれどもどこかで自己弁護をする思いが残されていたならば、喜びもまたその程度のものでしかないということでしょう。

 田池留吉、その世界に心を合わせていけば、ありがとう、ありがとう、ありがとう…、その思いが広がっていきます。アルバ−トが伝わってくる、アルバ−トが呼びかけてくれる、アルバ−トに呼応している私がいます。幸せです。
 私は今喜びで閉じていくセミナ−のことを思います。たくさんの本当にたくさんの喜びをありがとうございました。ともに学ばせて頂いたことが本当に嬉しいです。もちろんこれからの一回、一回のセミナ−もきっと素晴らしいセミナ−になっていくことでしょう。ともに歩ませて頂くことがただただ嬉しいです。
 何もかも自由でどんな人生を描いていくかもその人の自由、みんなそんな自由の中で平等に時間も空間も与えられている、自分に自分が与えているということに思いを馳せれば、本当に幸せだなと思います。いつまでもどこまでも信じて待ってくれているものが確かにある、確かにありました。
 私自身今世そのような波動の世界に触れさせてもらって本当に生きるということを自分の心で知りました。愚かな道を歩き続け真っ黒を垂れ流してきた、今はそのことが本当に嬉しいです。だから気付けた、だから本当のことが心で分かったと思っています。間違ってきたということがその心で本当に分からなければ、決して本物は分かりません。
 真実の世界を垣間見たけれどもどこかで自己弁護をする思いが残されていたならば、喜びもまたその程度のものでしかないということでしょう。


 心が敏感で心に感じるものがある、今それは一応横に置いておいて全く白紙の状態で残りのセミナーに臨まれることをお勧めします。そしてそれが本当に難しいことを学んでいってください。

 くどいようですが、セミナ−はお遊びではありません。同窓会ではありません。骨休みするところでもありません。といって別に心を緊張させてセミナ−に参加してくださいとは申しませんが、どこかピントがずれているのではないかと思えてくるのです。様々な思惑、それから動機目的を抱えておられます。ぜひ見直しをと思います。
 私は苦言を呈する思いはありませんが、それではあまりにも時間も何もかももったいないなあと思うだけです。肉の時間は確実にときを刻み過ぎ去っていきます。セミナ−が終わった時点ではもうどうしようもないということがまだ切実に感じておられないようですね。セミナ−が終わるまでに何とかなるだろう、何とかしてくれるだろう、そんな甘い考えは一日も早く捨ててください。何ともなりません。
 真実の方向、全くその方向とはいかないまでもそちらの方向に自分の心を向けていくのは、言うまでもなくあなた自身です。それができるのは田池留吉でもセミナ−でもありません。あなたです。あなたの心です。あなたがそれを拒否していればどんなにしても真実はあなたの心に届かないということを、もう早く素直になって知っていってください。
 心が敏感で心に感じるものがある、今それは一応横に置いておいて全く白紙の状態で残りのセミナ−に臨まれることをお勧めします。そしてそれが本当に難しいことを学んでいってください。いかに愚かな自分であったか心で確認してください。


 アルバートを心から信じアルバートを求める思いに何の邪念もない方が本当の私達の仲間です。それ以外の方はともに歩むことはできません。それが意識の世界の真実です。

 アルバ−トを心から信じアルバ−トを求める思いに何の邪念もない方が本当の私達の仲間です。それ以外の方はともに歩むことはできません。それが意識の世界の真実です。肉でどのような思いを向けられても、ともに歩むこともともに生きていくことも叶わないことなのです。
 あなたがあなた自身の心の世界を覗かれたなら分かるはずです。どんな思いを持ってセミナ−に集っているのか、どんな思いで田池留吉の肉を見てどんな思いを出しながらアルバ−トを呼んでいるのか、もっとシビアに見ていってください。そのような自分の心を素通りのままでは真実の波動の世界など分かるはずがありません。
 自分に与えている時間です、もっと自分を大切になさってください。もっとするべきことがあなたにはあるはずです。それをしないで自分の心の世界は何も変わることはありません。
 他力の中にすっぽり埋もれている心をどうぞ一日も早く自分の心で気付いていってください。話を聞いて分かるものではありません。自分自身の気付きがなければ何も変わらないということです。変わったかのように見えてもそれは錯覚に過ぎない、その証拠にセミナ−が終わりホームページが終わり田池留吉の肉が無くなっていけば、やがて肉、肉の生活に戻っていくでしょう。別に驚くこともない、もともと肉、肉であったというだけです。そうは思いたくないけれど、それが現実なのではないでしょうか。それを心で知ってその肉を終えていかれるのもまたいいのかもしれません。


 間違えないでください。素晴らしいあなただから喜びに温もりに出会えるのではないのです。真っ黒で真っ黒で真っ黒でどうしようもないあなただから、だから喜びが温もりがどんどんどんどん沸いて出てくるのです。

 ともに学ばせて頂いたことが本当に喜びです。どんなにすさまじい心を語ろうともすべてが喜びです。今私達は許されてこのような時間と空間を与えられています。心の底からの叫び、私にはもうただ嬉しくて、本当にありがとう、ありがとうの思いが心を駆け巡ります。
 どうぞアルバ−トをほんの少しでも感じられるあなたに蘇ってください。何度も言ってきました。それにはあなた自身が自分で作ってきた壁を自分の心の中で突き破らない限りどうにもなりません。今回の波動のお勉強もその難しさとしかしそうしていけば、全く別世界の自分に出会える体験をされたことでしょう。
 間違えないでください。素晴らしいあなただから喜びに温もりに出会えるのではないのです。真っ黒で真っ黒で真っ黒でどうしようもないあなただから、だから喜びが温もりがどんどんどんどん沸いて出てくるのです。
 あなたはどうか知りません。だけど私は絶対に田池留吉を裏切りません。それは心を縛っているのでもないし裏切らないぞと頑張っているのでもない、私はともに歩きともに生きていくことが喜びなんです。それが私だからです。それが自然、ともに意識の流れの中に存在することが自然なんです。これが波動のお勉強の場に座らせて頂いている私自身の感想です。
 私には分かる、すべてが喜び何もかも喜びです。たくさんの意識達との出会いが私にはただただ嬉しいだけです。ともに帰ろうそう優しく呼びかけていける自分の心が嬉しいです。


 セミナーに集えるということは大変なことなんです。それは自分の作ってきた世界が崩れ出していけばよく分かります。今世肉をもらってセミナーに集えるということがどれほどの喜びであるのか、よく分かります。

 お金も時間もその他のこともみんなそれぞれに調整してセミナ−に集われているはずです。中にはそうでない方もおられるかもしれませんが、セミナ−に集えるということは大変なことなんです。それは自分の作ってきた世界が崩れ出していけばよく分かります。今世肉をもらってセミナ−に集えるということがどれほどの喜びであるのか、よく分かります。
 みんなそれぞれに大変な世界を抱えて存在してきました。そのことを心で感じてこられた方とそうでない方、当然セミナ−に対する思いは違っています。それは田池留吉に対する関わり具合にも表れてきます。もちろん肉での関わりというのでなく、セミナ−中に自分に巡ってきたチャンスを真正面から受けていくとか、心が納得するまで食い下がるとか、これまで費やしてきたセミナ−を振り返るとき、私自身はそんな感じがしています。
 今現在、自分の中が半煮えみたいで中途半端な方はおられませんか。みんな納得ですか。このままであなたは死に切れますか。確かにそれぞれみんな進み具合は違います。それはそれでそれぞれのシナリオがあるのだからいいんです。しかしそのそれぞれの時点で必ず自分の心で納得していってください。私は今世はここまでだとしても、心で納得できるような学び方をしていってください。後でブツブツ、ジメジメはなしにしましょう。今精一杯誠実に学んでください。


 肉の世界から自分を見つめ苦しみのた打ち回ってきた自分自身から、今世やっとその肉の世界から離れて自分を見つめることができました。私は幸せな存在でした。

 私は自分の中の膨大なエネルギ−を心で見つめています。狂い続け苦しみ続けてきたそのエネルギ−が今たまらなく嬉しいと心で喜びの雄叫びを上げています。今肉を持ってこのように真実に触れるチャンスを用意してきた、自分にチャンスを与えたその思いに私の心は触れています。ようやく今世真実にたどり着いた、私は喜びでした、私は温もりでした、その思いが心に広がっていくとき、本当に今世肉を頂いて生まれてきたことに代えるものは何もありません。
 田池留吉を通して流れるアルバ−トの波動、私の心に真っ直ぐに届きます。意識達がすぐさま反応して私の肉はどこにもありません。心と心が反応しただ真っ直ぐにアルバ−トを呼んでいます。懺悔とともに沸き起こる喜びはまさに私自身、アルバ−トを待って待ち続けてきた私の心の叫びです。そんな自分自身を心で迎え入れるたびに嬉しさが喜びが広がっていきます。肉を持てたことが嬉しい、本当に嬉しい、この肉は私であって私でない、しかしこの肉にはただただありがとう、です。私は今そのような気持ちです。
 肉の世界から自分を見つめ苦しみのた打ち回ってきた自分自身から、今世やっとその肉の世界から離れて自分を見つめることができました。私は幸せな存在でした。
 アルバ−トの波動が形となって表れてくる250年後、私もまたひとつの肉を頂きます。ひとつの肉を頂くこと、それだけでもう充分幸せな私でした。


 あなた自身が他力の神々の世界を大きくとらえているだけで、アルバートの波動の中ではそんなものは本当にちっぽけな世界だということを本当にあなた自身の心で一日も早く気付いていってほしいと私は思います。

 波動のお勉強であるいは喜び、幸せ、ありがとうのお勉強で自分の心で感じ自分の心に響いてきたものだけを信じていってください。間に絶対人を入れないことです。そういうことをしていれば、いつまで経っても他力の渦の中から抜け出せません。自分の心を自分が信じられなくてはどうしようもありません。
 例えば波動のお勉強で言えば、肉にもうひとつ響いてこない方であっても、中の意識達はその一歩を踏み出しています。そのことを肉のあなたが素直に受けてくださればと思います。あの場では肉と肉は向かい合っているだけですが、私とあなたの世界はひとつです。私はあなたの意識達を心で感じています。どんなにすさまじい思いを叫ぼうともたとえ今他力の神々にがっちりであっても、私の心に響いてくるのは意識達の喜びです。今ようやく温もりの世界を垣間見たその意識達の思いが心に伝わってくるのです。嬉しい、素直に喜んでいる意識達は本当に優しいです。そしてそれがあなたですよと私は伝えています。
 あなた自身が他力の神々の世界を大きくとらえているだけで、アルバ−トの波動の中ではそんなものは本当にちっぽけな世界だということを本当にあなた自身の心で一日も早く気付いていってほしいと私は思います。
 ともに帰る道をこのように3次元の中で伝えてもらい、その呼びかけに応じていける設定が施されている、至れり尽くせりの私達です。本当に幸せ者の私達です。


 私の喜びはアルバートを感じること、アルバートを呼べること、アルバートとともにあることです。

 私の喜びはアルバ−トを感じること、アルバ−トを呼べること、アルバ−トとともにあることです。私の中には、私はできている、私は素晴らしい、はありません。私は嬉しいだけです。本当に嬉しいです。アルバ−トと出会えている私は自分自身がどんなに幸せなのか、今世の出会いがどんなに喜びであるのか、それしかないのです。もちろん肉の次元まで降りてくると、肉は馬鹿ですから色々と思います。しかしそれも私の心に長く留まることはない、自分自身の歩いていく方向にそれらのものも溶けていくような感じです。
 ともに生きともに歩いていくということ、本当のそれを心で知ったことが私にはもう嬉しくて、こんなに幸せなことはありません。求めても求めても決して分からなかったものがようやくこの心で分かった、だからそれがたまらなく嬉しいです。間違い続けてきた自分に苦しかったねと一言言ってやれることがどんなに優しいことなのかということも、自分自身が教えてくれています。優しいです、たまらなく優しいです。生んでもらってこんなに優しい嬉しい時間と空間を持てるなんて、自分自身が流してきたエネルギ−に思いを馳せるとき、ただただ涙が溢れ出てきます。
 私とあなたはひとつですよ、ともに生きていきましょう、アルバ−ト、本当にありがとう、待っていてくれました、アルバ−ト、本当にありがとう。


 地獄の底の底の奥底に沈んでいる自分と出会わなければ真実は分からない、どこまでもいつまでもそびえ立つ頑固で強情な自分自身を抱えていれば真実の世界は絶対に分からない、これが私の体験を通して真っ直ぐに伝えられることです。

 自分が流し続けてきたエネルギ−を思うにつけ、今私がこんな時間を自分に与えこんな幸せな自分の世界と出会えているなんて、私はこの胸が張り裂けそうなくらいの思いです。もちろんすべては意識の流れの中の必然ですが、私にはもう何もかもありがたいです。それほど間違って間違って存在し続けてきた私です。喜びを温もりを感じれば感じるほど、そのような過去からの自分の歴史が心に映し出されてくる、だからすべてが嬉しい、何もかもみんなみんな嬉しいです。
 私達はエネルギ−です。そして私達のエネルギ−はとてつもなく大きいです。しかし私はその中で今世目覚めを予定してきました。田池留吉と出会うことにより、マイナスをプラスに転じていく過程を今世の私は歩ませて頂いています。自分の心でしっかりと歩いてきた体験を語っているので、言を左右にすることはありません。
 私は前々から申してきました。地獄の底の底の奥底に沈み込んでいる自分と出会わなければ真実は分からない、どこまでもいつまでもそびえ立つ頑固で強情な自分自身を抱えていれば真実の世界は絶対に分からない、これが私の体験を通して真っ直ぐに伝えられることです。
 皆さん、自分の世界を崩しているようでまだまだ崩れていないのが現状です。生まれてこれたこと、生んでもらったこと、これだけでよかった、そうこれだけでよかったということが心で本当に心の底から感じられなければ何も分かっていないということです。


 他力では一歩も進めない、そして自分自身と真向かいになる優しさが非常に大切だと思います。

 肉の甘えがあなたの心にはないでしょうか。たとえばどれだけ田池留吉の話を直接聞く機会がありそして親しそうに話を交わしても、心の世界、意識の世界は全く別物です。本当の仲間でなければ、ともに生きていくこともともに歩いていくこともできません。この学びで一貫して伝えられている通り、自分自身が心を見て自分の間違いに心で気付き、そんな自分自身を受け入れていくことの実践がなければ、どんなに先生と慕いまたセミナ−に集っても徒労に終わってしまうということです。
 確かに先生は誠心誠意私達とつきあってくれています。きっと肉ではあの人もこの人もという思いはあると思います。長く学んでこられた方々ならその思いもひとしおだと思います。しかし肉はそう思っていても意識の世界はそうはいきません。それぞれの気付きがあって初めて自分自身の心で進んでいける道だからです。そのことを何度も何度も寄せては返す波のように優しく優しく伝えてくれて頂きました。しかし肉の甘え、すなわち他力の心のままではその思いはあなたの心に真っ直ぐに届かないです。恨みつらみ、自暴自棄、真っ暗な穴蔵の中から抜け出せない自分、真っ暗な坂道を転げるように転落していく自分を受け止めてやれるのは自分しかないということを、心で気付くまでどうすることもできない、私はそう思います。他力では一歩も進めない、そして自分自身と真向かいになる優しさが非常に大切だと思います。


 地位や名誉や財産、そんなものいくらこの世に残しても仕方がない、私達はそんなものを手に入れるために生まれてきたのではない、あなたの心の中であなたが叫んでいます。

 肉持つ時間を本当に大切になさってください。真実の知らない意識達にはその今のひとつの肉だけが頼りです。今世学びのチャンスを与えてきたあなたには、もうその意識達の思いが心に切実に響いてきていると思います。肉がなければ真実に触れるということは絶対不可能です。肉があっても自分の中で真実に触れていく、真実の世界を広げていくことがどれだけ難しいことなのか、長く学ばれてきた方はそれは実感でしょう。
 地位や名誉や財産、そんなものいくらこの世に残しても仕方がない、私達はそんなものを手に入れるために生まれてきたのではない、あなたの心の中であなたが叫んでいます。生んでもらった瞬間から私達はすでに莫大な財産を与えられています。そうです、肉を持つ時間は私達にとってかけがえのないものです。どんなに心が苦しくて狂いそうでもあなたには今その肉がある、今肉があるということがどんなに幸せなことなのか、私はそう思います。
 肉の勝手で大切な自分の時間を使い込んできたことをまず自分に詫びてそしてそれから襟を正して自分とともに生きていくことが私は本来の人間の姿だと思います。あまりにも傲慢に存在し続けてきた私達でした。母の思いをことごとく踏みつけてきた私達でした。それでも今世このような時間と空間を用意してきた私達であることを心で感じ入るたびに、言葉も何もなくただありがとうございますが繰り返されるだけです。


 私はいつも「死」を心に留めながら学んできたように思います。もうひとつの私のテーマは「愛」でした。だから学びに触れたときからセミナーは私の心をつかんで離しませんでした。

 私もあなたもやがてその肉を離すときが必ずやって来ます。肉をもらってきた私達にはそれは避けて通れません。病気になり医学処置の結果一時寿命が延びても、やがてときが来れば肉体細胞は朽ち果てていきます。
 そういうことを見つめながら、あなたは学んでこられましたか。私はいつも「死」を心に留めながら学んできたように思います。もうひとつの私のテ−マは「愛」でした。だから学びに触れたときからセミナ−は私の心をつかんで離しませんでした。ここに私が探し求めてきたものがある、その思いで私は自分なりにセミナ−を消化してきました。
 私は私の目で耳でそしてこの心でしっかりした足取りで歩んできました。自分のエネルギ−をセミナ−に集中させてきた、決して生半可なお遊びではなかったです。ふたつのテ−マを何としてでも自分の中で消化していきたいという思いがありました。やがてそれが田池留吉の指し示す方向だと自分の中で確認があったのです。自分の心が叫びました。本当に嬉しかったです。長い転生を繰り返してきた心の歴史の中で探し求めてきたものにようやく巡りあった、その手ごたえは私の中で充分でした。
 肉を離すとき、離した後、その現実をしっかりと見据えながら私はこれからも自分の確信した道、アルバ−トの道を一歩、一歩歩んでいきます。それが自分が本当に望んできたこと、そう心で確認できたことが今はただただ嬉しいです。


 ゆったりとした時間が自分に今許されているほど贅沢はないと思います。どうぞあなたのその時間、母を想いアルバートに心を向ける時間に使ってあげてください。

 日々の生活に明け暮れ、日常雑多なことに一日の大半を過ごされている方はやはり自分と真向かいになることは難しい、しかし一方では学びをしているという思いがあるから、その狭間で苦しんでいる方も今現在あることでしょう。皆さんそれぞれに事情があると思いますから一概には言えませんが、ゆったりとした時間の中、すべてが緩やかに流れていく中でこそ本当に自分と対峙していけるのではないかと私は思います。肉が忙しい人、それはすなわち心もまた忙しいということです。そして忙し過ぎれば心など見る余裕はありません。反対に見たくないから忙しい中に肉を置いている方もあると思います。
 ゆったりとした時間が自分に今許されているほど贅沢はないと思います。そういう方はもう何も望むものはないでしょう。自分の来し方を振り返れば、いくらでも喜び幸せは感じられる、間違い続け苦しみ続けてきた自分が本当に今このときを得て喜んでいると思います。
 肉のあなたはもういい、もう充分やってきました。どうぞあなたのその時間、母を想いアルバ−トに心を向ける時間に使ってあげてください。そうやって日々、一日一日を過ごせていけることがどれだけ幸せなことであるかということを心でかみしめながら、肉の時間を大切になさってください。
 いずれ肉を離したときあなたの世界があなたにもろに覆いかぶさってきます。それは今あなたが心で感じている程度のものではありません。田池留吉を思う、アルバ−トを呼ぶ、とてもじゃないけれどそんな生易しい世界ではありません。


 肉を離せば私達はそれぞれの意識の世界へ帰っていきます。そしてそれがどんな世界なのか今上げ底なく知ってこそ、学びを真剣にとらえていけるのではないでしょうか。

 人は必ず死にます。その肉を離すときがやって来ます。私はこのことを心に置きながら学びを進めていかなければ、やはりどこかで道がそれていくように思います。会社が倒産したとか子供がどうとか身体的な不都合で苦しんでいるとか色々な問題を抱えておられても、やはり最大のイベントは自分の死に直面することだと思います。もちろん自分の死だけではなく自分の周りの人の死、このことにより自分の心がはっきり見えてくるのではないかと思われます。命あっての物種の言葉にあるように、肉の命に執着する思いは一番強いのではないでしょうか。
 そしてまた肉の別れが悲しいとかつらいとかそういったものだけでなく、もっと心の底からの叫びが死という現象に出会うことにより浮かび上がってくると私は思います。それをしっかりと受けられる心の土台がなければ何も学んでこなかったと言っても言い過ぎではないでしょう。
 死は単に肉を離すということですが、自分の心でしっかりと学んでいなければ、それはそれは大変なことだと思います。周りの人の死、そして自分の死、この現象はどなたにも配給があります。そしてそれにより自分の立っている土台がどのようなものであるかがはっきり分かってくると思います。
 肉を離せば私達はそれぞれの意識の世界へ帰っていきます。そしてそれがどんな世界なのか今上げ底なく知ってこそ、学びを真剣にとらえていけるのではないでしょうか。


 今自分が立っている土台を完全に崩していくことが何より大切なことです。間違った土台の上に立っていることを波動のお勉強を通してご自分の心で体験なさることがすべてなんです。

 肉離せばもちろん頭もなくなるということです。頭で感じているものは何の跡形もなく消え去るということです。真実から遠い意識の重さをあなたはその心でご存知ですか。チャネリングとはその波動の世界の違いを心で感じていくことではないでしょうか。言葉ではありません。その口からどんな思いを語りどんな過去世を語っても波動の違いをその心で感じられなければ、本当の意識の世界など分からないです。分からないから間違ってきましたということがその心から噴き上がってきません。そんな方はどんなに心が敏感でもどんなに私は学んでいますと言われても、全く真実の世界とはかけ離れています。今自分が立っている土台を完全に崩していくことが何より大切なことです。間違った土台の上に立っていることを波動のお勉強を通してご自分の心で体験なさることがすべてなんです。言葉など必要としません。私はいつもそのようなつもりであの場に肉を運んでいます。あなたの土台は間違っています、私ははっきりとあなた自身に伝えています。そしてそのことを素直に受け入れてもらえることが私には喜びです。私達の世界にはアルバ−トしかないことを本当にあなた自身が心で知っていってほしいと私は思うだけです。
 そしてそのような中で、ともに歩む仲間に出会うことがまた私達には嬉しいです。苦しみの自分も間違いの自分もみんなみんなアルバ−トとともに歩いていきましょう、その呼びかけにただ喜びで応じてくれる仲間に出会えることもまた喜びです。


 他力のエネルギーは根深いです。本当の自分を信じていくことは難しいです。その難しいことを私達は今世充分な時間を頂き学ばせてもらいました。

 私達はもともとひとりひとり、真実を求めて存在してきました。間違っても間違ってもまたチャンスを自分に与え、七転八倒の苦しみの中を存在し続けてきました。今世ようやくその真実が形となって私達の目の前に示されました。しかしそれは私達の前に提示されただけで、自分の足で自分の心で歩んでいくことをしなければ、真実は自分の目の前をただ通り過ぎていくだけです。
 他力のエネルギ−は根深いです。本当の自分を信じていくことは難しいです。その難しいことを私達は今世充分な時間を頂き学ばせてもらいました。どれだけ真実に逆らって存在し続けてきたかは、それぞれが自分の心を見て自分の放出してきたエネルギ−をその心で感じれば一目瞭然でした。
 私は私のすべてを今許されてここに存在を許されていること、そして自分を生かしている優しい温もりを心に感じています。だからどんなにしてももう私は私自身を離していくことはありません。戻っておいで、母の思いが心に響いてきます。肉の私は愚か者ですが、私自身の思いをしっかりと感じこの心で信じています。それが私には田池留吉の世界でありアルバ−トの世界なんです。だから思うだけでいい、思えることが私にはただひとつの真実です。


 心を見てください。見ていきましょう。そうやってどんどんどんどん私達に迫ってきます。様々な現象を通して寄せては返す波のように真実の声が伝わってきます。

 心を見てください、見ていきましょう、そうやってどんどんどんどん私達に迫ってきます。様々な現象を通して寄せては返す波のように真実の声が伝わってきます。これからそのことが益々顕著になってくるでしょう。いよいよ実践を通して私達ひとりひとりが心で学んでいくということでしょう。もちろんこれまでもそうであることには違いはなかったけれど、まだまだ私達の心の中には甘さがあるということは否定できないのではないでしょうか。セミナ−がありホ−ムペ−ジがあり田池留吉の肉がまだあるという安心感が心の中に占める割合は非常に大きいと思います。そういったことを含めて、自分の中を見定めて自分というものを確立していく道を心に広げていくことが、よりいっそうこれからの時間に望まれることだと思います。ところで肉があれば心の衝撃も動揺も当たり前、だからこそ肉があるのです。程度の差こそあれみんな心は揺れるし衝撃も受けます。肉はみんな同じ、肉の表面では同じような思いを出していると私は思います。しかしそこからです。それを転回する術を会得しているかどうかということでしょう。それには肉を持ってきた意味を心で知りその喜びを本当に心に感じているということが絶対条件です。
 私にはアルバ−トに対する絶対の信があります。一瞬あるいはある時間心が揺れても、自分の中にはアルバ−トしかないというところに帰着します。その繰り返しの中で肉の時間は流れ、そしてそれはみんな意識の流れの中にあるということを私は感じています。


 これから起こってくる天変地異は今までとは全く比較にならないほどの規模ですが、それらは愛のエネルギー、喜びのエネルギーであることをきっと知っていける私達であると思います。

 アトランティス大陸、ム−大陸が沈むときに大きく関わってきた私のエネルギ−は本当にすさまじいです。以前に何度かその方に思いを向けるということをしてきましたが、そのときは心の中に眠る恐怖心とともにただ苦しいだけでした。その時代に限らず天変地異で肉の命を落としていった過去からの思いをたくさん抱えている私にとって、数日前にこの肉が体験した地震はその思いに触れるいいチャンスでした。肉を通して上がってくる恐怖の思いとともに天変地異を起こしてきた思い、そのエネルギ−にともに思いを向けるということでした。過去体験した思いの中にふっふっと喜びが感じられるのはやはり自分自身の心の成長があるからだと評価しています。
 アトランティスもム−も私の中では違ってきているように思います。波動の世界を感じている、アルバ−トを知っている、だからこそ現象を通して自分の出してきた思いを喜びへと変えていけることを確認させてもらいました。心にアルバ−トがなければ苦しい心は苦しいままだということです。そしてすべては自己供養のために起こり来る現象であることを思うとき、何とも言えない優しさを感じます。
 これから起こってくる天変地異は今までとは全く比較にならないほどの規模ですが、それらは愛のエネルギ−、喜びのエネルギ−であることをきっと知っていける私達であると思います。自分達に与えた唯一最大の愛が天変地異だときっとその心で分かることだろうと思います。


 アルバートの世界がどのような世界なのかその心で感じられないからいつまでも他力を離せないのです。そして他力を離せないからアルバートの世界が分からない、肉を持って生まれてきた意味も喜びも分からないということです。

 意識の流れを知らないあるいは感じられないから、肉の世界から心を離すことができないのでしょう。すべては意識の流れの中にあるということが本当に心で感じてくれば、今肉を持って出会わせて頂いていることそれだけがただただ嬉しくて、ありがとうの思いしかありませんということが心でお分かりになると思います。
 今というとき、この3次元の中でこのように出会いを持たせてもらったこと、もうそれだけが本当に嬉しいです。お母さん、ありがとうございますと心から沸き上がってきます。どんなに苦しみの自分を心に感じようともこの嬉しさ喜びこそが私の中で唯一絶対のものです。その喜びが苦しみを癒していける、苦しみを包んでいける、私の中で感じ広げている喜びの世界はそのような土台の上にどこまでも広がっていく世界です。本当に私は幸せです。
 私の中にはアルバ−トの世界が確立しています。今世の田池留吉との出会いがどれほどの喜びであるのか、私の喜びは波動を通して流れていっていると思います。それはみんなこの意識の流れを心で感じているからです。
 アルバ−トの世界がどのような世界なのかその心で感じられないからいつまでも他力を離せないのです。そして他力を離せないからアルバ−トの世界が分からない、肉を持って生まれてきた意味も喜びも分からないということです。
 本当に感じた、嬉しい、喜びは絶対に心が落ちない、ただ喜びが幸せが大きくなっていくだけです。そこには肉がないからです。


 真実の世界をその心で知れば、間違ってまいりました、申し訳ございません、嬉しいです、本当に私は幸せでした、心から心から噴き上がってくる、これが私達の本当の世界です。

 真実の世界をその心で知れば、間違ってまいりました、申し訳ございません、嬉しいです、本当に私は幸せでした、心から心から噴き上がってくる、これが私達の本当の世界です。本当の私達の姿です。このことが心でお分かりになるまで、あなたは文字通り地獄の住人に違いありません。どんなに己を誇り、我は素晴らしい、我こそ一番なり、その世界を広げても絶対にあなたは幸せになれません。
 私は真実の世界をこの心で感じさせてもらいました。これが私が私に書いてきた今世のシナリオです。私はそのシナリオ通りの道を歩いています。私はこの肉を頂いてきたその思いをしっかりと心で感じています。何一つ私の中で狂いはありませんでした。私はすべてその意識の流れに「はい」です。「はい」と言える喜び、幸せを私は今心に感じ始めています。確かな世界を心に広げていくにつれて、私の中で肉の世界は遠のいていきます。しかし肉の命を無駄にするということではなく、自分に与えられている時間の中で肉も喜び、幸せであるということです。
 間違いなく私の意識は250年後に繋がっています。250年後の出会いから次元移行をただひたすら真っ直ぐになしていくということです。3次元のときをこのように頂き、真実の世界を学ばせて頂いたことが私にはもうありがたくてありがたくて、田池留吉との出会いからすべてが私には喜びです。アルバ−トの世界だけが真実です、私はこれからもその波動を流し続けてまいります。


 今だからこそアトランティスもムーも心に受け入れていくことができます。どれだけ宇宙の法にたてついてきたか、そしてそのエネルギーはみんな自分に返ってきたことをこの心で知りました。

 今だからこそアトランティスもム−も心に受け入れていくことができます。どれだけ宇宙の法にたてついてきたか、そしてそのエネルギ−はみんな自分に返ってきたことをこの心で私は知りました。流れに逆らってきた法に逆らってきたエネルギ−はすべて自分に返ってきました。しかしもうそのとき使ったエネルギ−で自分を狂わすことはありません。エネルギ−に翻弄されることはありません。真実を知らなかったゆえの愚かさでございました。神に通じることをよしとしてきた愚かなエネルギ−はすべてを狂わせそしてまた己自身が深い深い地獄の奥底に沈み込んでいく結果となりました。もう私は充分でした。私は充分苦しみました。狂い続けました。だからもう私は今世その同じ轍を決して踏まないことを自分に誓ってきたのでした。私のこの決意は並大抵のものではありません。セミナ−に賭ける思いも田池留吉に対する思いも生半可なものではありませんでした。そしてすさまじいエネルギ−だから肉が潰れていくのを一番恐れてきました。私は自分の中で用意を着々と整えただそのチャンスを待っていました。それが多分田池留吉の目に触れる時期と合ってくるのではなかったかと私は振り返っています。
 そのような私が今このように肉を持ち、真実の波動の世界を知るに至っています。これが意識の流れでなくて何なのでしょうか。もうそのことを思えば私は何も必要としません。ただ申し訳ありませんでしたそしてありがとうしかありません。私は許されていました。


 私の基本は我ひとりです。そしてこの基本をしっかりと持っているからこそ、ともに歩いていくともに生きていく喜び、幸せが本当に心に感じられるのだと思います。すなわち真実の波動の世界に私は存在しているそのことを実感しています。

 過去からの私を思うとき、私にはただ嬉しさがこみ上げてくるだけです。どんなに間違い続け狂い続けそしてすべてを狂わせてきたことか、そのような心の歴史に埋もれて私は存在してきました。今世その過ちに気付きこのように許されてきた自分自身を思うとき、もう何とも言葉がありません。
 私の求めてきた世界は単に肉の喜びと幸せに留まらず神と通じる世界でした。すなわち私は大いなるパワ−を求めてきました。言うまでもなく己一番、我こそ宇宙なりというエネルギ−が根底にしっかりとありました。だから田池留吉をなかなか心で受け入れていくことができなかった、温もりをずっと待ち続けてくれている思いを心に感じながらも私の中で綱引きが長く続いていたことは事実です。
 しかし私はようやく気付けました。我こそ宇宙なりのその思いこそが実は大きな大きな喜びであることに気付けたのです。そして私はそんなちっぽけな存在ではなかったと知ったのです。私はあなた、あなたは私の世界を本当にこの心で知りました。もちろん私は自分自身がどんな世界で苦しみ喘いできたか心で知ってきたから、どんな思いを向けられてもそれで私自身がどうなるものでもありませんでした。当然心に感じたときから私は肉に向けるエネルギ−をどんどん弱めていきました。それが私には自然でした。
 私の基本は我ひとりです。そしてこの基本をしっかりと持っているからこそ、ともに歩いていくともに生きていく喜び、幸せが本当に心に感じられるのだと思います。すなわち真実の波動の世界に私は存在しているそのことを実感しています。


 闇とはいったい何なのでしょうか。所詮は己が作り出してきた幻、実体はありません。己偉しの自分が作り出してきた世界です。それは本当の自分を知らなければ決して消えることはありません。

 闇とはいったい何なのでしょうか。所詮は己が作り出してきた幻、実体はありません。己偉しの自分が作り出してきた世界です。それは本当の自分を知らなければ決して消えることはありません。そして小さな小さな世界を心の中でどんどん大きく膨らませてきただけです。全部己の欲と無知とエゴが作り出してきた世界です。そのことを自分の心を見ていくということを通して自分の心で分かってこなければ、どこまでもいつまでもそのエネルギ−に翻弄されていくだけです。だから一時喜びを感じてもそれらはみんな上滑りになっていくのです。
 自分を生かすのも殺すのもみんな自分次第だということをもう一度その心でかみしめていってください。学びはそんな生易しいものではありません。それは自分の中の意識達の思いを心で聞けば分かるはずです。いかに己という思いが立ち塞がっているか、幻を幻と思えず実体がないものをしっかりと握っていることに気付けなければ、学びの入り口にさえ立っていないことを知っていってください。気付けるか、気付けないか、素直であるかどうなのか、それは決して学んだ年月に比例するものではありません。
 自分自身の欲と無知とエゴの心を本当に見ていかなければ、真実はあなたの前を素通りしていくだけです。それは誰でもないみんなあなた自身が選んでいるのです。自分の間違いを心の底から認めようとしない己の偉さがありませんか。また認めていこうとする裏には本当に何もありませんか。


 私は自分が存在してきた現実を心で感じています。そこから思いを発していますので、伝える内容は厳しいです。しかし私は今世を境にして真実の方向に向かって歩き始めました。

 肉の私はどうしてこんな厳しいことをパソコンに向かって打っているのかといつも思っています。皆さん肉で見ていたらセミナ−会場でも喜んでおられるようだし、実際本当に喜びを感じておられる方も少なくないと思います。しかし私の中からは皆さんが感じられている闇も喜びも小さいと出てきます。私達はそんな生易しい中を生き抜いてきたのではないと出てきます。
 私はいつも言うことですが、肉はさっぱり分かりません。ただ心で感じられる、たとえばこの地球に降り立つ以前を私は心に感じています。地球に降り立ったということが心に響いてきます。そしてそのときすでに苦しみの中にありましたということも感じられます。当然地球上の過去世をいくつ分かったとしても、それは自分の心の歴史からすればほんの一部分であって、そんなもので上がったり下がったりすること自体がおかしいとなってきます。
 私はそういうところから私の思いを核からのメッセ−ジとして伝えているのです。だから失礼ですがそのメッセ−ジを心で分かるということは本当に難しいでしょう。私は自分が存在してきた現実を心で感じています。そこから思いを発していますので、伝える内容は厳しいです。しかし私は今世を境にして真実の方向に向かって歩き始めました。だから本当に波動の世界を心で感じられる方ならばきっと私の思いを心で受け止めてくださると思っています。それ以外の方はやはり他力の中にありますから、私が伝えようとしている本筋は曲解されることでしょう。


 私達の歴史はあなたが思っておられるような浅いものではありません。ずっと間違い続け狂い続けてきたのです。

 私はいつでもあなたと向かい合うことができます。あなたが広げてきた世界と私は真っ直ぐに向かい合うことができます。そしてあなたに真っ直ぐに伝えることができます。どんなに私は分かっていますとあなたがおっしゃられてもそれは私が感じている世界からすればほんの微々たる世界であり、また私自身が感じ広げている世界も真実の波動の世界からすればほんの一部分であるということを、私はあなたに真っ直ぐに伝えるでしょう。
 私達の歴史はあなたが思っておられるような浅いものではありません。ずっと間違い続け狂い続けてきたのです。本当に感じた、嬉しい、喜びは心が絶対に落ちないと伝えましたが、その通りです。本当に自分自身の現実を心で感じればただ嬉しいだけです。よくぞ今というこのときに出会わせ頂きましたという思いだけが心を埋め尽くしていきます。そんな世界からは当然肉として握っているものはどうでもいいようなものばかりです。だから離していけるということです。
 肉を握ったままではいつまでたっても真実の世界の外側です。どんなに心が敏感でも真実の世界から大変な距離があるのです。そういうことを本当に分かっていってほしいと思います。もちろん今世セミナ−に集っている人がどれだけこういうことが心で分かるかということは私には未知数です。やはりこれからの時間をまだまだ待たねばならないだろうとも思います。しかし歩みをともにしたいという私の思いは変わりません。その思いがこのように文字となってくるということだと思います。そしてただ私は伝え続けるだけです。


 アルバート、悠久の過去より出会いたかった意識でした。待っていてくれていたことを心で知った私にはもう何もありません。これから250年後の出会いをただひたすら待つのみです。

 今世の私はずっと自分を賭けていくものを探し求めていたと思います。自分を賭けていくものが見つかれば私はただ真っ直ぐに飛び込んでいく、それで自滅しようとも自分自身がこれだと定めたものであれば私は本望であった、そういう心意気が確かに私にはありました。しかしそれは肉にはありませんでした。肉には私を賭けることができませんでした。
 そんな私でしたから充分吟味させてもらいました。田池留吉という人物、セミナ−、心はつかんで離さなかったけれど何度も何度も自分に問いかけを持ちました。それほど私は心を決めて生まれてきたということです。誰が何がではなく私自身が納得するものが必要でした。そして私はそれを見つけたのです。だから私は幸せです、本当に幸せです。
 アルバ−トでした。悠久の過去より出会いたかった意識でした。待っていてくれていたことを心で知った私にはもう何もありません。これから250年後の出会いをただひたすら待つのみです。形の世界はそのためにすべてが整えられていくことを私は感じています。ただ嬉しいだけです。アルバ−トあなたとともに生きていくことが私にはただ嬉しいだけです。思えば心に響いてくる、アルバ−トの思い、アルバ−トの世界、あなたに出会うために私は長い長い転生を繰り返してきた、今世それが叶い私には喜びしかありません。どんなにすさまじいエネルギ−を感じようともだから私は喜びなんです。今世、このときを私は待っていました。本当にありがとうございます、本当にありがとう。


 自分を導いてきたものが自分の中にあるということを感じずにはいられません。いつも自分と対話してきたように思います。私の話し相手は人ではなく自分でした。

 肉で探しました。だから勉学に励んだし就職も結婚もした、一応のコ−スは自分の肉で体験をしてきました。それでも私の心を納得させるものはなかった、そこにエネルギ−を使ってきたけれどもうそれはいいと思いました。これ以上エネルギ−を燃焼させるものはそこにはなかったです。しかしそれも私のコ−スであってそこには自分に合致するものはなかったと納得したから、何一つ無駄なものはありませんでした。そしてそういうことを経ることにより、肉は取り立てて際立つところはなくても私はたったひとつのものを求めてきた、そういう土壌を持って生まれてきたことの確認が私の中でありました。今の私にはそれで充分です。
 学びに触れる前より私はどこかに真実はあるという思いをずっと持っていたことと、学びに集ってから鈍感のときが長かったけれども今敏感にならないことが自分にとって最も大きな愛であると心にたびたび伝わってきたこと、この二つが今でもよく思い出されます。だから自分自身を振り返るとき、そうやって自分を導いてきたものが自分の中にあるということを感じずにはいられません。いつも自分と対話してきたように思います。私の話し相手は人ではなく自分でした。自分に問いかけ自分で確かめて自分で納得する、このことをやり続けそして今ようやく私ははるか遠い過去より探し続けてきたものに出会ったということです。だからもう後戻りすることは私には万が一にもありません。ただ前へ前へと歩みを進めていくだけです。それがこれからの私の軌跡です。幸せです。


 悠久のときを超えて出会い悠久のときを超えて存在していく、それが私達ですと私ははっきりと答えることができるのです。

 私は何も今250年、300年先のあなたを分かってくださいとは申しません。まだまだ道見えず道遠しの方々は失礼ですがたくさんいらっしゃると思います。しかしその方々も250年、300年先は見えずとも今世の肉の時間のこれから先はもう見えているのではないですか。でしたらもう肉のことはよろしいのではないでしょうか。残された時間はただひたすらに田池留吉にアルバ−トに心を向けることをやっていきましょう。あなたがご自分に与えた時間です。どうぞ最後の最後までご自分のために使っていってください。自分自身の心で感じられなければ信じることはできませんが、私をひとつのサンプルとして頂けたらと私は思うだけです。
 アルバ−トの波動と出会うためだけに肉を持ってきた、私の今世の人生とはアルバ−トと出会うことでした、そう私は言えるのです。真実に出会いたいと強く願う思いが肉を持たせ田池留吉と出会わせたということが、私の心にもう間違いなく響いてきます。そして肉と私はひとつだと感じています。当然肉の喜びと幸せは私の喜びと幸せに一致してきます。みんな肉と意識がバラバラだから苦しいのでしょう。
 そしてまた250年後の来世も私はすさまじいエネルギ−の中に沈んでしまうことはあり得ません。そのエネルギ−を全開させながら必ず喜びの自分にたどり着く、そういうことを私は自分の中で確認しております。
 悠久のときを超えて出会い悠久のときを超えて存在していく、それが私達ですと私ははっきりと答えることができるのです。


 心で感じること、これが第一です。そして感じたからどうとかではなく、感じているものの基盤がどうなのかを自分の心で確認することです。

 心で感じること、これが第一です。そして感じたからどうとかではなく、感じているものの基盤がどうなのかを自分の心で確認することです。基盤が違っていればどれだけ感じようとも全く異なる世界であるということを自分の心で一日も早く知っていってください。
 要は己を全くなくし素直になるということです。簡単なことです。自分が感じている世界は本物、私はアルバ−トを感じている、そこにこだわっているからなかなかなんだと思います。確かにアルバ−トに一瞬触れたかもしれません。でもそのことが心の中で誇大になって一人歩きをしてしまう、それはすなわち自分自身の基盤が変わっていないということです。そういう方は結構多いです。それがこの学びの難しいところだと思います。
 心に感じる、心に響く、繰り返しセミナ−に来ていれば誰しもそのようになってきます。しかしそれで分かったわけでもなくそれからが本当のお勉強です。ましてやいまだお金、子供、仕事、肉の身体等々から心離せずにそして他力の神々を心に握ったままでは本当のお勉強はできかねると私は思っています。人生の彩りにセミナ−があったわけではありません。セミナ−が人生だということです。その本意をどこまであなた自身の心でとらえていけたかは、あなたのこれからの時間にその結果を待つということでしょう。すべては自分が選んできた結果、潔くご自分で受けていってください。


 肉でいくら集ってきても自分の心に本当に感じるものがなければすべてが水泡に帰するのです。

 私の今世の父は侍、武士でした。今世肉を一度もセミナ−会場に運ぶことはなかったけれど、従って肉がない意識は真実とは程遠いですが、私は自分の父を立派だと思っています。数え切れないほどセミナ−に集いその耳にたこができるくらい話を聞いてきた多くの方よりも、おそらく父なりに学んでその肉を離していったと思っています。自分の死を見つめながら過ごした時間は学びをしてきた人以上だと私は思います。学びとはそういうものです。肉でいくら集ってきても自分の心に本当に感じるものがなければすべてが水泡に帰するのです。
 今世の父に対して出してきた私の思いというものは本当にすさまじいものがありました。切って切って殺し抜いてきたエネルギ−をその肉は引き出してくれました。肉を終える瞬間までそして肉を置いていった父の意識とともに私は学ばせてもらいました。それが私には非常に大きな転機でした。そのときの私自身を振り返るにつけそしてその後の父を思う私を思うにつけ、私は本当に幸せだと思っています。
 真実に出会うために今世書いてきたシナリオは本当にすごいです。何一つ無駄がなく、必要なときに必要なものが現れそして消えていく、周りはすべてが愛であったことが心に響きます。
 父を思います、本当にありがとうございましたしかありません。ともに学ばせてもらえた意識としてただただありがとうしかありません。もし今肉があれば私の成長を父が一番喜んでくれるのではないかと思います。


 私はそれぞれの肉を見ていない、私はアルバートを感じ、ただこの道を歩いてまいりますという喜びの波動と出会いたいだけです。言うことと流れてくるものが違っていれば、そこでストップです。思いは通じ合わない、どんなにしても私達は通じ合わないです。

 250年後はすぐそこです。私はもう嬉しくて嬉しくてたまりません。間違ってきた自分とまた肉を持って出会える、心から噴き上がってくる叫びはすなわち大いなる喜びです。そんな自分を心にしっかりと抱きかかえながら私は喜びの道をただひたすらに生きていける、これこそが本当の喜びです。どうぞあなたもそしてあなたも長い長い転生を繰り返してきたことが喜びだったと心の底から思えるあなたに蘇ってくださることを私は待っています。私達はともに歩むことを誓ってきた仲間であるという思いを込めながら私はこのようにパソコンに向かっています。必ず、必ず出会い、ともに喜びを広げていきましょう。250年後を思う私の中にはもう何もありません。ただ喜びが広がっていくだけです。今世の出会いからすべてが始まりそして250年後の出会いへと私は引き継いでいきます。苦しみ狂い続けたままずっと存在してきた私を思うとき、本当にありがとう、ありがとうしか出てきません。
 私はそれぞれの肉を見ていない、私はアルバ−トを感じただ、この道を歩いてまいりますという喜びの波動と出会いたいだけです。言うことと流れてくるものが違っていれば、そこでストップです。思いは通じ合わない、どんなにしても私達は通じ合わないです。
 波動の世界は本当に正直です。信じて信じて待ってくれていた波動の実在を心に感じている私は幸せ、心の底から思います。


 あなたが誇る頭脳も地位も名誉、財産、美貌、そしてその霊能力もあなたが素晴らしいから今あなたが携えているのではありません。そこのところがまだまだ分かっておられない方はたくさんいらっしゃいます。

 あなたが誇る頭脳も地位も名誉、財産、美貌、そしてその霊能力もあなたが素晴らしいから今あなたが携えているのではありません。そこのところがまだまだ分かっておられない方はたくさんいらっしゃいます。最後の切り札として自分の心にしっかりと抱えながら学んでおられる姿は私からすればとても哀れです。心から離していきなさいの促しがそれぞれにあったはずですが、喉もと過ぎればということで、結局はそれらに飲み込まれていくことを自ら選んでいるということなのでしょう。すなわち肉を本物として存在するその枠の中からご自分を解き放すことが難しいということです。
 あなたは250年がまだずっと遠くにあると感じておられます。しかし私は今が250年後なのです。意識の世界はそうです、そのことを私は伝えています。250年に至る現実を私の心は伝えています。今心で感じ心で分からない方つまり肉を本物として存在している方は本当に大変ですよという現実を私は伝えています。
 あなたの世界がどうであれ、意識の流れは厳然としてあります。流れに乗れない意識達は当然地獄の奥底に沈みこんだままです。自分自身が気付くまでその世界から浮かび上がってくるということはありません。意識の世界にはあなたが思っておられるような甘さはありません。だからそのことをやはり心に置きながら今の自分の現実を見るというか知っていくことが、自分にとっての最大の優しさだと私は伝えています。


 私は私で自分の心を見て自分の決めてきた道を歩いていくだけです。あなたもまたご自分が決めてきた道をただひたすら苦しみ続けてきたご自分とともに生きていくという方向にのみ心を向けていかなければ、その地獄からご自分を救うということは至難の業です。

 私は私で自分の心を見て自分の決めてきた道を歩いていくだけです。いまだに田池留吉の肉をあるいは私の肉を見て心を揺らされてばかりでは、本当にあなたの道は遠いです。あなたもまたご自分が決めてきた道をただひたすら苦しみ続けてきたご自分とともに生きていくという方向にのみ心を向けていかなければ、その地獄からご自分を救うということは至難の業です。あなたが今いる場所、現実をその心でどのくらい感じておられるのか、知っておられるのか、本当に肉というものは自分の現実を覆ってしまうほどのものなんですね。何のために生まれてきたのか、そのことを心で分かっていくことがすべてだと私は思うのですが、それもみんなそれぞれが選び取っていくことだから私はそれ以上のところへ介入していくつもりはありません。
 肉のみの喜びと幸せ、肉の生きがい、もう私には色褪せたものとなりました。肉の中で肉は少しだけ遊ばせてもらっているだけで、それにエネルギ−を費やすということがどんなに空しくて自分を偽っているかということを心で感じさせて頂いた今世です。
 肌の色が違うというだけでそこでいつも壁に突き当たってしまう、人間性をすべて否定されてしまうような肉の世界の愚かさを嫌というほど知る250年後の来世の私です。だからこそ肉は何のためにあるのか、なぜ私は生まれてきたのか、そして絶望の中から私の心に蘇ってくるのは、肉の世界には真実がないということでした。心の中の真実に出会う私自身が演じる来世の私、見事なシナリオが出来上がっています。


 すべての意識に平等に公平に真実の扉は開かれています。どんなに苦しい中に存在されていても真実に出会えるチャンスはすべてに平等であり公平であるということです。

 すべての意識に平等に公平に真実の扉は開かれています。私はそのことを心に感じています。どんなに苦しい中に存在されていても真実に出会えるチャンスはすべてに平等であり公平であるということです。これは間違いのない事実、なぜならば私達は優しさと温もりの中に抱かれているからです。何もかも平等です。
 そして気付いた瞬間からその道は開けていくという意識の世界の正確さはすなわち厳しさとともに計り知れないほどの優しさと温もりです。苦しみも喜びも全部自分に返ってくる、これほど確かな世界はありません。嬉しいです。そのような世界を心で感じ信じられる私はただただ幸せです。
 あなたは今幸せですか。心の底から私は幸せですと言えますか。あなたを今支えているものは何ですか。何もなくても幸せを喜びを感じられますか。ただ生んでもらったことだけが嬉しい、お母さんありがとうございますとその心の中の私の目を真っ直ぐに見つめながらあなたは言えますか。
 どうぞ自分から目をそらさずにしっかりと自分と向き合ってください。どんなにしても自分の心の世界から逃げ出せないということを知っていってください。優しさと温もりに包まれて自分は存在しているんだということを心で分かる学びをしていってください。一人でも多くの方が心で気付かれるのを待っています。


 肉で忙し過ぎることもなく、向かい合うものは自分の心だけです。今世のこれからの肉の時間も私はその中でゆっくりと自分を見つめていけるだろうと思います。こんな贅沢はないと私は思っています。

 私には今も250年後も同じです。今が250年後であり250年後が今です。真実に出会う流れの中でこのように肉を頂いてくることがただただ嬉しい、私の心にそのことが響いてくるだけです。
 なぜ私は生まれてきたのか、人生とは何か、私というひとりの人間からひとつずつひとつずつ離していったときに私に残るものは何なのか、自分を紛らわすことなくただ自分だけを見つめていくことを今世の私は願ってきました。その思いが形となっています。肉で忙し過ぎることもなく、向かい合うものは自分の心だけです。今世のこれからの肉の時間も私はその中でゆっくりと自分を見つめていけるだろうと思います。こんな贅沢はないと私は思っています。
 ほとんどの方は何が幸せで何が喜びで何のために自分が存在しているのかということを知らずにそれでも毎日毎日は過ぎ去っていきます。歩みを止めて我が人生を振り返るときが人生の晩年ではとき遅しの感があります。
 はるか過去から肉の人生を生き続けてきた、だからこそ今世はもうそういうものをできるだけ簡素化しようと思ってきたのでしょう。仕事を持つことで幸せにたどり着くならそして結婚をすることで喜びにたどり着くなら、たぶん今世の私はそこへ自分のエネルギ−をもっと注ぎ込んでいったことでしょう。でもそれはできませんでした。それは違うよという思いがそうさせなかったと私は解釈しています。
 それではなぜ生まれてきたのか、私はやはり意識の流れが肉を持たせたということを感じずにはいられません。


 本当に波動の世界は正直です。苦しみは苦しみとして喜びは喜びとして自分の心に返ってくる世界です。

 喜びと幸せを感じながらその裏に不安と恐怖が控えている、言うならばそれらは裏表にある、それは何故なんだろうか、学びに集う前より心の中にあった疑問でした。そしてまた喜びも幸せだと思うことも一瞬のうちに消えていくなあとも思ってきました。
 今私というものの思いを感じれば感じるほど、肉の疑問も合点がいかなかったことも、納得しています。分かれば簡単なことだったんです。それは肉の喜びと幸せだったからです。こんなことは皆さんもう充分知り尽くしていますよね。ということですが、それならばなぜその喜びと幸せをなかなか心から離すことができないのでしょうか。それはこれも言い尽くされ知り尽くされたことですが、本当のご自分に出会われていないということです。
 実体のない己をしっかりと握っていては、土台無理な話です。たとえセミナ−会場で一瞬喜びを垣間見ても、あなた自身がそれを信じていくという方向に歩んでいかなければ行きつ戻りつ、いえさらに事態は悪くなるかもしれません。なまじっか頭で知っているためにそれがよけい自分を苦しめていくという結果を起こしてしまうかもしれません。しかしそれもこれもやはりあなた自身が間違っている、何も学ばれていないというれっきとした証拠です。本当に波動の世界は正直です。苦しみは苦しみとして喜びは喜びとして自分の心に返ってくる世界です。ただそれだけの世界です。


 私はそびえ立つ自分を崩していくことの喜びをセミナーで十二分に感じさせて頂きました。ひとつ崩すごとに喜びが温もりが心を駆け巡り心に染み渡っていく、そんな醍醐味をこの肉を通し学ばせてもらいました。

 私にはいっぱい、いっぱいありました。幸せになりたかった、喜びが欲しかった、探しました、求めました。でも私にはいっぱいあったんです。だからもう何も要りません。私はいっぱい持って存在していました。心の中に溢れるほどありました。私にありがとう、ありがとうと言ってくれる優しい私がいっぱいいます。本当にありがとう、私は今世そのことに気付かせて頂きました。嬉しいです。
 何もなくても幸せ、この気持ち分かりますか。こんな私に変わることができたなんて実は自分自身が一番驚いています。でも嬉しいという思いが、ありがとうという思いが、どんどんどんどん沸き起こってきて、そんな自分がまた嬉しくて本当に私は変わったんだと実感しています。
 前にも言ったことがあると思いますが、私は先生からあなたは喜び少ないねと初対面で言われました。全くその通りでした。あって当たり前何でも当たり前の私だったからです。そのとき先生はどんな小さなことでも喜んでいきなさいという言葉を添えてくれました。
 あって当たり前、何でも当たり前ではありませんでした。そこから見下ろしていたんでは何も見えてこないということでした。私はそびえ立つ自分を崩していくことの喜びをセミナ−で十二分に感じさせて頂きました。ひとつ崩すごとに喜びが温もりが心を駆け巡り心に染み渡っていく、そんな醍醐味をこの肉を通し学ばせてもらいました。心が叫びました。私は幸せ、私は嬉しい、そう心が叫びました。私はそれが私だと思いました。これ以上の喜びはありませんでした。


 肉の生き方を死に方を学ぶために私達は今世の時間を自分に与えたのではないということを本当にその心で知っていってください。知っていけばどうすればいいのか分かります。頭でなく心で分かるのです。

 人それぞれの生き方があり、そこにはそれぞれの価値基準があります。生き方も死に方もみんな肉基準でいくなら、何もセミナ−に集う必要などないのです。肉の処世術なら街中に溢れています。それと同列にセミナ−をとらえておられるならば、すなわち他力のままでは全く無駄骨です。私は違う、私は真実を学ぶために集っているんだと思われていても看板だけを替えてという方がまだまだおられます。まだ気付かれませんか。何のために自分はセミナ−会場に肉を運んでいるのかということを真剣に自分に問いかけて、それでもここにしか自分が本当に求めたいものはないと答えを出したならば、そのことに必ず責任を持ってください。それからでないとあなたの学びは始まりません。それくらいの思いでないと学べないということです。
 自分を裏切ることがどんなに苦しいことかということはどなたの心にも焼きついているはずです。今世もその同じ道をあなたは歩むのですかと私はあなたにお聞きしています。意識の上っ面などどんなに分かってもそれが一体何の役に立つのでしょうか。あなたの根幹に届くほどの思いを自分の中で呼び起こすということをしていかなければ、あなた自身はこれからもずっと地獄の奥底です。
 肉の生き方を死に方を学ぶために私達は今世の時間を自分に与えたのではないということを本当にその心で知っていってください。知っていけばどうすればいいのか分かります。頭でなく心で分かるのです。そしてそれは誰が伝えるのでもない、自分自身が伝えてくれるのです。自ずと方向は定まってきます。みんなアルバ−トだからです。


 繰り返し、繰り返し同じことを伝えます。同じことを伝えられても心で分かるということは大変難しいということです。心癖はこびりついています。他力の心は根深いです。

 繰り返し、繰り返し同じことを伝えます。同じことを伝えられても心で分かるということは大変難しいということです。心癖はこびりついています。他力の心は根深いです。すべてが他力のエネルギ−の中に埋没してしまっていることに気付いてください。正しい自分、間違っていない自分が中心にあれば、お伝えしていることは右から左、あなたの頭を通過しているだけです。
 私とあなたは意識の流れの中で、250年後の出会いを持ってくるでしょう。しかしそれであなたがその意識の流れに乗るということではないのです。それは真実に出会うチャンスは平等に公平にその扉は開かれていますということです。その流れに乗っていくかどうかはみんなこれからのあなた次第だということをお忘れにならないようにと思います。
 あなた自身が他力のエネルギ−の中に埋没したままではだめだということです。そこから出てくるのはあなた自身の気付きです。いくらいざないがあっても頑としてそこから出てこようとしなければ、どうしようもないのです。
 救い出してくれる、導いてくれる、とんでもないことです。私はそういうことを心で感じているから、今世のこのときがとても大切ですよ、私達は本当に幸せ者ですよといつも伝えています。真実を伝えてくれる肉は250年後にしか現れない、そうであれば今世あなたの心に感じていくものですべてです。それがあなたのこれからを作っていくということです。今がどれだけ大切か、お分かり頂けるでしょうか。


 現実にはあなたの周りは真実と程遠い世界ばかりです。他力に生きていればその世界と引き合う、だからやはりそちらの方へと心が向いていくのです。

 私もあなたも必死の思いで肉を持ってきたんです。必死に母に肉をくださいと願ってきました。それは本当の自分と出会いたかったからです。自分の間違いに自分の苦しみに出会いそんな自分に安らぎを幸せを本当の喜びを伝えたかったからです。もうあなたの心で素直に認めていってください。間違ってきたのはあなた自身です。どんなに肉で正論を唱えようともずっとずっと間違い続け狂い続け苦しみ続けてきたのはあなた自身です。そのことが本当に心で分かってくれば、今自分自身がどんなに素晴らしい環境に身を置いているのか、心からありがとうございましたという思いが噴き上がってきます。自分という存在がどれほどの愛の中にあったのか、そしてこれからもその愛に包まれて存在していくのだということが心で感じられるはずです。
 しかしあなたの心が他力のエネルギ−に埋もれていては、そういうことが分からないのです。現実にはあなたの周りは真実と程遠い世界ばかりです。他力に生きていればその世界と引き合う、だからやはりそちらの方へと心が向いていくのです。それは何も周りが悪いのでも何でもない、あなた自身にしっかりとした基盤、心棒がないからです。どれだけ強いエネルギ−であろうとも自分の中にしっかりとしたものがあれば、全く合わないということです。そしてそれはそのエネルギ−を跳ね返すというのではなくそれよりももっと大きな温もり優しさで包み込んでいくということでしょう。もちろんそれは肉ができることではありません。ただ真実を知る心から流れるものが仕事をしていくということです。


 法に逆らって、逆らって存在し続けてきたから、苦しんできたことも狂ってきたことも当たり前でした。今世ようやくそのことが自分の心で分かりました。苦しみは誰が与えるものでもない、自分が自分を苦しみの中に落としていったことをようやく今世心で知りました。

 法に逆らって、逆らって存在し続けてきたから、苦しんできたことも狂ってきたことも当たり前でした。今世ようやくそのことが自分の心で分かりました。苦しみは誰が与えるものでもない、自分が自分を苦しみの中に落としていったことをようやく今世心で知りました。
 もう私の世界は素晴らしい、私の宇宙は…ということは言えなくなりました。無限大の優しさと温もりの中に抱かれてその中でちっぽけな世界を大きくとらえていた自分であったことを私は知ったのです。心で知ったのです。これが今世の私自身の計画でした。その中でどれだけのブラックを流し続けてきたかを心で感じさせてもらいました。それでも私は自分自身に生かされていました。だからこそこうして肉をもらって真実に出会えるチャンスを自らに与えてきたということです。
 私は自分自身の思いに触れました。今世の肉、来世の肉がどんなに愚かでも私はだからもう自分自身を裏切らないということです。250年後に生まれてくる私は喜びです。私の心の世界はそれを感じ広げています。私はいち早く今世の肉とともにその世界を広げています。もう来世の肉がその出番を今か今かと待っているのをともに喜びで感じています。
 セミナ−は楽しい、嬉しい、今と250年後がひとつになってともに喜びを広げていけるからです。たとえそれが今は苦しみであっても私にはみんな喜びです。喜びの声にしか聞こえません。待っています、待っているよ、そんな喜びの声にしか聞こえません。


 まず自分の現実を知り自分の間違いを認めて己を崩していくことから出発しなければ、アルバートの世界を心で呼ぶということは全く不可能です。

 嬉しい、アルバ−トを思い母を思う私の心には喜びしかありません。中からどんなにすさまじいエネルギ−が噴き上げてこようとも私は自分自身を見失うことはありません。私は私自身が培ってきたエネルギ−の大きさを感じています。と同時に私は喜びだ、そして温もりだということも感じ、だからその信は揺らぐことはありませんということです。
 私は私の道を淡々と歩いているだけです。そして私はあなたもあなた自身の道を歩いていってくださいとお伝えしています。私にはその他の思いは一切ありません。喜びと喜びが、嬉しさと嬉しさが合致してともに喜び合いともに嬉しさを広げていく、それがたまらなく嬉しいだけです。他力のエネルギ−は冷たくて重いです。でもどうぞそれらはみんなアルバ−トに帰りたいと叫んでいることを知っていける優しいあなたに蘇ってください。
 今回の波動のお勉強でも示されたように学びの入り口にすら立っていない方はまだまだたくさんおられます。反省をして瞑想をしてまた心が敏感でも真実とは程遠いところにおられるあなたの現実を今というこのときにしっかりと自分の心で知っていってください。
 それからです。まず自分の現実を知り自分の間違いを認めて己を崩していくことから出発しなければ、アルバ−トの世界を心で呼ぶということは全く不可能です。あなたが感じているアルバ−トとは何かをどうぞあなたの心で確認していってください。


 なぜ生まれてきたのか、アルバートに出会うためです。答えはひとつです。そのアルバートが分からなければ肉を持ってきた意味がありません。

 なぜ生まれてきたのか、アルバ−トに出会うためです。答えはひとつです。そのアルバ−トが分からなければ肉を持ってきた意味がありません。私達は自己供養をするために肉をもらいました。お母さんに生んでもらいました。そして自己供養をするにはアルバ−トを知らなければ絶対にできません。
 自己供養をしていない人からは本当の優しさは流れません。優しさも温もりも全部全部肉です。だから最後には自分を自分で裏切っていくのです。本当に真剣に自分と向かい合うということをしていかなければ、また自分を地獄に突き落としていく結果となってしまいます。
 喜び、嬉しい、確かにそうです。私は本当に喜びです、嬉しいです、幸せです。しかし私は決してそれによって舞い上がるとかそういうことはありません。私の喜びはそんな薄っぺらなものではありません。またそんな暇はありません。人を構っている暇もありません。次から次へと出てくる私自身が待っているからです。アルバ−トを伝えることが喜びです。嬉しい、嬉しい、ありがとう、ありがとうと伝わってきます。アルバ−トとともに生きていく道を一歩また一歩と着実に進んでいく私は本当に幸せです。これが本当の喜びの道だ、本当の幸せの道だと実感です。それには何も要らない、ただアルバ−トと呼べるこの心があるだけでいい、それだけで私は幸せ、喜びだということです。肉を持てた私、そして田池留吉に出会えた私、ただただ幸せです。250年後が本当に待ち遠しいです。



         あなたは、なぜ生まれてきたのですか。
         あなたは、どうして今そこにいるのですか。
         あなたは、本当の自分自身に会いたくありませんか。
         あなたは、このまま死んでいくつもりですか。







 セミナーの仲間達の喜びのメッセージ

 核からのメッセージ「今世の肉はアルバートに目覚めるために頂いた大切な肉です」の言葉に懺悔の涙が溢れます。本当にそうでした。心に染み入ってきます。肉は苦しみを表わすのではなかった。喜びを表わすためにあるのでした。
 そびえ立つ実態を把握しないまま肉で夫の奴隷になどなれる筈ないのに傲慢でした。それが今頃少しの努力と勇気があれば奴隷とまではいかないまでも自然に当たり前の事として少しずつ実践できつつあるんです。
 それが嬉しくて楽しくて…諦めていただけに信じられません。高くて分厚い壁が立ちはだかる中で真剣に確実にアルバートへ帰ろうとの強い意志の私が感じられます。


 本当に私は冷たかったと、自分自身に対しても家族に対しても。生まれてこの方ずっと私は自分自身を受け入れた事など、一度もなかったかもしれない。私にとって大切なのは、自己を満足させることだった。金や名誉を得る事、肉体的に認められ、ひいでていること、そんな事にしか関心がなかった。そんな中で私は自分自身を切捨て、母を呪い、生まれてこうしていることを呪い続けてきた。一度も満足だと思ったことがない。いつも他人がうらやましかった。とにかく自分以外の人間がうらやましかった。それだけ、私は自分が嫌いだった。気に入らない所だらけのこの肉が嫌いだった。幸せを感じないのは、この肉のせいだと思ってきた。自分が幸せになれないのは、この劣った肉のせいと思って疑わなかった。そして、この肉を恨み、この肉を生み出した母を呪った。己のしてきたことは、こうした事だけだった。己は自分自身を決して認めず、受け入れず、許さず、冷たい思いばかりを投げつけてきた。
 私はうれしい。こうした、己の存在に気づき、苦しみの原因がどこにあったか気づけることが、うれしい。自分が冷たく、家族にすごくひどいしうちをしてきたって気づいたことが、うれしい。家族におこる不調和の原因が自分の中にあることに気づけたことが、うれしい。母に感謝できることが、うれしい。母にありがとうと言えることが、うれしい。夫に今まで申し訳なかったと思えることが、うれしい。己が間違っていたと思えることが、うれしい。そして、この学びに出会え、この真実に導かれていることが、うれしい。そして何よりも、もう、肉をかかげ頑張らなくていい、と思えることが、うれしい。肉には何にも力がなかったと、何にもできなかったと、白旗をあげることができて、うれしい。


 お母さんに必死の思いで生んでもらったその思いが私の中に有ります。でも結局この肉体を欲とエゴのために使ってきました。この肉に不平不満をぶつけこの肉を使って周りに不平不満を流してきました。それでも今なおこの肉体細胞は私のために働いてくれている。この事実が自分の冷たさ恐ろしさと、それでも必ず気付いてくれるアルバートを伝えてくれると信じて待つ意識たちの存在を教えています。肉体は責任転嫁の道具でない、この私を幸せにするためのものでない、ただ喜びと感謝のために頂いたのです。
 肉で心を制御できる人間は素晴らしい、心弱い人間は失者だと思ってきました。肉の器の大きい人間や特別な存在を素晴らしいと思ってきました。肉でそうあるために心を殺していくことが人として立派だと思ってました。でも田池先生に出会いそうではない全く違う自分を知りました。自分の中に喜びが有る懺悔が出るそしてその自分が楽になっていくのです、姿形は同じでも私の心が楽で幸せになるのです。その自分を嬉しいなって喜んでる私がいます。私は間違ってきた。今までの生き方全部逆だった。自分の心を動かぬようにしてきたその冷たさ、心を殺すことで己を維持してきた厳しさ、その自分を見ればアルバートから外れた苦しみを心殺すことで肉の形を保ってた。私の生き方は間違ってた間違ってた、今それしか出てこない。間違っていた申し訳ないごめんなさいそれしか出てこない、そして嬉しくなってくる。間違っていたと叫ぶ心が嬉しいのです。正直に心を曝け出すことの幸せを信じれなかったのはそれほど肉を信じていたからです、アルバートを呼ぶその土台は欲であったからです。


 私は幼い頃から、人に怒りをあらわにしてこなかった。怒りが大きければ大きいほど、出してはいけないと思った。どんなに苦しくても心の中に封じこめてきた。だから、母に対して口ごたえしたり逆らったりしたことはなかったし、姉たちと喧嘩した覚えはあまりない。しかし、心の中では、散々母を呪い恨んできたし、姉たちのことは大嫌いだった。夫に対しても、どんなに怒っていて言いたい事があっても、それを本人にぶつけたことはない。私は、そうすることがやさしいのだと思ってきたし、一番自分にとっていい事だと信じてきた。
 怒りをあらわにすることが恐怖だった。必死で守ろうとしている肉のかたちを壊すわけにいかなかった。心の中で思っていることなんてどうでもよかった。言いさえしなければ肉の世界はうまくいくと思ってきた。しかし、怒りを表に現さない代わりに、私の心の中では、相手を憎み呪う思いでいっぱいになった。苦しかった、苦しいので、其の挙句、死んでやる、こんな肉なんていらない、と何度も自分自身をきりさいてきた。私は自分で心の中は地獄だということ知っていたからよけい肉にしがみつきこのままでは、私は永遠にこの苦しい心を続け、広げていくだけだった。
 今世、真実に初めて触れ、このことに気づけたことがうれしい。母に、この肉に、全てのものに感謝の気持ちでいっぱいになる。


 みんな己という思いが塞き止めてきた、本当にそう思います。己が前面に出れば心の世界は全く違う、心に何かを掴んだ瞬間から己を前面に出していく、そびえ立っていることに心は気づかないまま、いつの間にか心は肉に埋没していきます。心が空っぽ、感じている心の世界の違いに気づかされます。こうして間違いに気づいていくのですね。限りないやさしさ、温もりに包まれて、田池留吉、アルバートに包まれて、その中で心の間違いに気づかされます。間違ってはいけないと、その思いに縛られていく心、掴んでいる自分の世界の地獄が見えます。私の中のたくさんの意識達の息も出来ない、身動きすら出来ないがんじがらめの地獄を、叫びを感じます。苦しい叫びがうれしい、阿鼻叫喚の叫びがうれしいです。恐ろしい闇を抱えていながら、全てが愛されている、許されています。その中で心の修正なんですね。


 今朝の核からのメッセージで、大きな使命とありました。私はそこで、うっと思いがあがってきました。それがとるにたらない?そうですね、本当にそんなものちっぽけなことだったんですね、私はずっと自分には大きな使命があると思ってきました。それは、寂しい心の裏返しでもあったと今は素直に思えます。人とはちがう、私には特別な、そんなことで自分を安心させ、その寂しい心を癒してきた、満たされない心を満たそうとしてきた、そんな思い。この地球、この宇宙、その私がとらえてきた、地球も宇宙もとてもとてもちっぽけな宇宙だったんだと、今感じています。自分だけの、自分は特別、そんな思いって、本当にちっぽけ、小さな小さな自分の現れだったのだと。この流れは本当にそんなちっぽけなものではなかった、私がつかんできた、私が信じてきた私というものは、本当に小さな小さな私でした。だから、私は幸せではなかった、苦しみしかなかった、外に答えを求め続けてきた、そんな私、そんな私でも、愛しい思いがわいてきて、その思いは優しくて、優しくて、私の全てを包んでゆく、許されていた私を感じる時、やっぱり、私はありがとう、ありがとう、全ての私にありがとう、そんな思いが流れていきます。そんな私があったからこそ、今、こうして、真実にであえている、本当の喜びにであえている、そして、また自分のだしてきたマイナスのエネルギーの大きさを知るのだけれど、それも、うれしい、何だかうれしい、ただありがとう、ありがとう、全てが愛しい、私の中の全てが愛しい、私の全てが愛しい、これが私、これが私、信じられないけれど、確かに流れていく思い、わいてくる思いです。本当にごめんなさい、そして、ありがとうです。


 核からのメッセージを読み、喜びを感じていく中で、一瞬「やった!」とか「もっと!」とかという思いがヌクヌクと出てきます。しかし、それを否定し、握りつぶして、「喜び、喜び」とやっているのですが「己」、「壁」を感じ、喜びが素直に広がっていきません。そんな「己」に心を向けると、「己表したい。一番、一番、一番」とたくさん出てきます。宇宙の果てから芋づる式に列をなして果てしなく続いてきます。これが永遠の過去からの私でしょうか。こんなにも時空を超え、次元を超え、永遠の過去から存在してきたのが私なのでしょうか。皆、アルバートを探し求め、列をなして集まってきていると思うと、嬉しくて心が広がっていきます。ブラックが一枚一枚、まるでドミノ倒しのように喜びが広がっていきます。ブラックは嫌で喜びだけが自分と思いたい肉でした。しかしこの肉が核からのメッセージを読み、ただ素直にアルバートに向かっていこうとする時、ブラック一枚一枚に喜びが伝わっていくようです。その喜びは肉の喜びとは違う、本当の自分に出会っていける喜びというのでしょうか。苦しみを恐れてきた肉でした。しかし、苦しむ意識は喜びだと知ってきた今、無限の喜びが自分であったと分かる気がします。そして肉でできることはただただ素直に核からのメッセージに向かうことでした。


 私は大きな使命というのを見たとき、心が何かに触れたように大きく反応しました。かつて私も大きな使命を持ってとか、私は素晴らしい魂だと自分の心から出てきて舞い上がりました。学びが進んでいく中で反省もしてきました。でも浅かった、ただ心の奥底に押し込めたままでした。だから事あるごとに私、私がここにいるでしょう、私を認めろ、の思いが首をもたげました。聳え立つ思いを持ったまま、私はアルバートを求め田池留吉に心を向けていたのでした。私は誰よりも真剣に田池留吉に心を向けてきたと思っていました。心に幸せも喜びも感じてきました。でもその幸せも喜びも真剣さも腐った土台の上に積み上げてきたものでした。だから何かあればグラグラ揺れる、それはもろく希薄なものでした。欲と他力、外に向いた心でどんなに取り繕っても田池留吉に、真実の前には通用しませんでした。自業自得、自作自演、散々苦しんできました。この苦しんできた自分こそ一番温もりに帰りたかったんだと心が気付き、帰りたかったーと中から噴き上げてきました。ごめんね、冷たかったね、私は聳え立っていました、素直にそう思えました。これまで私は田池留吉の前に分かった振りして偉そうにして、自分を認めさせようとしてきた大バカものでした。小さな小さな狭い心でした。ただこの肉を表すことにキュウキュウとしてきた自分が見えています。この肉を持つ意味を大きく間違えてきたけれど今はそれさえも嬉しいです。沸き上がってきた意識が叫ぶんです。ああ嬉しい、田池留吉、アルバートありがとう、アルバートごめんなさい、何度も噴き上げてくる懺悔と喜び。こんな時空を超えた自分に出会るなんて・・・、もう言葉もありません。下呂のセミナーで垣間見た意識の世界、温もりの中で素直な自分だけがアルバートに溶け合っていく、ただ素直になればどんな自分も温もりに許されて受け入れられていく、それがアルバートの世界だと実感させてもらいました。核が「素直になって喜んでいけばいくほどしっかりと応えてくれるものがあります。」と、そう伝えてくれる思いが心の奥深く染み込んできます。私はただ素直にこの意識に連なっているたくさんの意識と一緒に学んでいきます。


 私はアルバートを信じていませんでした、心にアルバートが全くありませんでした。自分に妥協せず真摯に自分を見つめればわかることです。それを様々な心を使い、ごまかし糊塗してきました。口ではどんな立派なことでも言えます。知識は豊富ですから、言葉を巧みに使って、自分を飾り霧の中に追いやってきました。アルバートですか、アルバートしかない自分ですかと自分に問いかけた時、いかに嘘偽りの多い自分であったかと愕然とします。長い間学んできたけれど、本当に情けない状態の自分だと思います。自分に甘く、他力の心を引きずり、土台の修正ができていない自分だとつくづく感じます。ひとつの課題に向き合ったとき、全く変わっていない自分を感じました。絶望感がありました。でも心の向け先が間違っていたんです。初歩の初歩、相手を変えるのではなくて自分を変えるということを、どれほど真剣に受け止め取り組んできたか、小手先で現状を打開しようとしていた、アルバートを信じるのではなくて、自分の肉を聳え立たせ、肉で何とかしようとしていた、そんな愚かな自分を感じました。アルバートを素直に思い心に呼ぶ、その幸せと喜び安らぎ、でも肉がひとたび表に出ると、その喜びもたちまち心から消え失せ、真っ黒な雲が心を覆い尽くす・・・どちらの人生を歩んでいきたいのか、今思うことはこのままでは死にたくない、せめて250年後に繋ぐ足がかりをしっかりと自分の心に定めて、今世を閉じていきたい、切にそう思います。


 心を真摯に見ていけばはっきりと自分の間違いに気づくはずでした。今世その場をいただいているのに、そびえ立っている心でどれだけ反省を進めていっても決して真実に出会えるものではありませんでした。私の反省とは、心を綺麗に美しくしていく、その行程のなかでアルバートを感じたり田池留吉の世界、宇宙を感じたりしていくものだと思ってきました。だから当然綺麗なものはプラスで闇はマイナスと捉えてきました。核の方は心を綺麗に一つひとつ浄化されていると思っていました。そして私は着実にアルバートの道を歩んでいる、田池留吉の愛もしっかりと感じてきていると思っていました。だけど蓋を開けたら闇は闇としてしっかりと存在していました。
 私は闇は見たくない、心は反省を通してどんどん浄化していると思っていました。ただ汚いものに蓋をしろの思いで封じ込めていただけでした。私の心は全く変わっていない、最初のスタートのままでした。私は全くこの学びの根本が違っていました。波動の勉強の中でアルバートを感じ田池留吉の波動を感じさせていただいたのは、私の心が綺麗になったのではありません、田池留吉の愛だったのです、そして私の真実からの叫びだったんです。
 核からのメッセージは私の間違いをどんどん訂正してくれる、あなたは何も分かっていませんよ、アルバートを信じていませんよ、あなたの闇たちはあなたを待っていますよと。
 闇は私の心の歴史です。闇に出会えることは私の心の歴史を紐解いていくことでした。闇に出会えば出会えるほどに私の心の歴史は広がっていきます。今私は闇の存在をそのように捉えています。マイナスと思えていたものがどれほどの喜びか、私は驕っていた自分、間違ってきた自分に出会えている、こんなに幸せなことは他になかったはずです。


 私は私の作り出した法を持っていました。その法は決して曲げることも放すこともなく、しっかりと今日まで握り締め持ち続けてきました。たとえ田池留吉であろうとも決して認めず、許さず持ち続けてきました。長い年月作り上げたこの法は間違ってはいません。どんなに田池留吉が否定しようとも私は私の法には間違いはありません。そうやって生きてきました。腐った土壌の上にアルバートを乗せ、田池留吉の世界を乗せてきたんです。そうやって生きてきたんです。だけどもう降参です、どんなに頑張ってみてもこの法は間違いです、間違いだって心が苦しかったって叫んでいます。物を上から落とせば落ちる、こんな簡単なことが分からなかったんです。そびえ立つ心に驕り高ぶる心に真実は届きませんでした。どんなに足しげくセミナーに通っても、心にアルバートを呼べども、真実の世界は私の中に届きませんでした。一瞬感じさせていただいた世界はあってもそこから広げることが出来ない、そして信じるに至りませんでした。私は始めて己を崩すの意味を心で今感じさせていただいています。ただただ泣けてきます、間違っていました、ごめんなさいと、ただただ泣けてきます、意味なく泣けてきます。


 日々の現象で心が揺れる時、何とか揺れた心を治めようと必死になってきました。揺れる心、つまり肉を優先する無数の意識が不安と恐怖で大混乱になっている状態でした。「このままでは肉が崩れる。肉が崩れるということは、我々が安住していられず狂った意識が浮き彫りになっていく。だから、何が何でも戦争をしかけてでもどんなことをしてでもいいから形を整えるんだ。」と、肉を優先する心が大挙して大パニックに陥る状態でした。
 肉を優先する心には道も何もありませんでした。ただ、目先の肉を整え、肉の安泰さえはかれればよしとし、荒れ狂う真っ黒な自分を抹殺する心でした。己を誇ることで安住しようと、優越感と劣等感で天と地がひっくり返るほど激しく振り回され、自分をないがしろにする道でした。
 アルバートの道は違っていました。ただただ一直線の道でした。目の前にすーっと広がり、どこまでもどこまでものびていく一本の清らかな道でした。己のない、素直なさわやかな道でした。この道に争いはありませんでした。だから、肉を整えようと躍起にならずとも、揺れた心が落ち着き静かな喜びが湧いてくる道でした。この道をただひたすら行くと思うと、たとえようのない喜びが湧いてきます。たくさんの真っ黒がこの道を行くことを喜んでいます。「ありがとう、本当の道を行こうとしてくれて本当にありがとう」と真っ黒が泣いて喜んでいます。


 核からのメッセージ、ありがとうございます。自己供養は本当に喜びです。喜びですが、肉の強い私です。肉にどんと力が入っていると、自分の無数の闇がどんどん出てきても、ただただもがき苦しみます。そうなれば自分を立て直すのに時間を要します。
 しかし、ホームページに向かい、核からのメッセージに向かう時、私の肉はだんだんにゆるんでいきます。肉がゆるんでゆるんでいくと、核からのメッセージが最初は文字にしか見えていなかったのがそのうちエネルギーに変わります。物凄い喜びのエネルギーが放出されている感じがします。そうすると文字が消えて、莫大な思いだけが伝わってきて、私の心もどんどん広がっていく感じがします。私も優しい目を自分に向けて、狂った私と共に歩いていきます。肉の私にできることは、ただ幼子に戻って素直にホームページに向かうことだと思います。その時間が一日のうちで一番嬉しいです。自己供養の時間が嬉しくてたまりません。ありがとうございます。


 肉の苦しい現象を通して自分の心から飛び出してくるエネルギー、噴出してきます。全てを自滅させていくエネルギー、まさに抹殺です。宇宙を真っ黒に埋めつくしている、己が先が見えないほどにそびえ立ち、表面は清く正しく美しく、その思いから流れている波動は氷のように冷たい、心から飛び出してきます。怨み、呪いの塊が、地獄の叫びが田池留吉に向けて発していきます。そしてどんな思いも全て、全て温もりに包まれている、地獄の叫びが喜びになっていく、心に溢れてくる懺悔と喜び、自己供養は本当にうれしいです。こんなに暖かい、どうたとえていいのかわからないほどの温もりに包まれて生かされているのに、厚い壁を作って見えなくしているのは自分自身、それに気づくか気づかないかも自分自身、本当に心ひとつなんですね。素直になってください、何とやさしいのかと思います。


 私には物差しがあります。この学びの中で作った物差しです。ああしてはいけないこうしてはいけない、こんな思いを持ってはいけない、いつも心は明るく・・・・。沢山沢山作った規則です。私はその物差しで田池留吉を見、核を見てきました。結果その物差しが苦しみとして心に大きく残りました。自分の首を絞めて、がんじがらめになって、ボロボロになって、傷付いて始めて目が覚めました。学んだ時間が長ければ長いほど私の作った物差しは大きくなって太くなっていきました。一つひとつの壁を乗り越えて、心を軽くして行っているはずでした。上を向いて唾を吐けば必ず自分に帰ってくる自業自得の世界でした。まったく田池留吉と反対の方向に行っていました。
 私は田池留吉のセミナーを潰しに来ていました、セミナーに賛同して参加している振りをして、心は全くの鬼でした。今世田池留吉を殺しに、尚且つ、田池留吉のセミナーを潰しに、その機会を影から見ていました。ゴール出来ればそれが私の最大の望ですと言葉を発しながら、心の中ではセミナーの最後を今日か明日かと待っている私自身がありました。ごめんなさい、もう恥ずかしいしかありません、どこまでそびえ立っている意識か。それでも、私という人間を全部知っていてただ黙って見守り続けてくれている田池留吉に脱帽です。それでも私はセミナーに出席します、これが私の仕事だからです。


 形を整えて整えた形を守ることだけに必死でした。肉を守って守って形が崩れる恐怖を自ら作り出して生きていただけでした。形が整うことが私の喜びでした。それはそびえ立っている自分自身をさらにがんじがらめに縛り続ける道でしかありませんでした。欲とエゴをむき出しにして学んできました。何も変わっていなかった。
 死を選んで死んでいった私の心は復讐心でいっぱいでした。自分を守って守って責任転嫁を繰り返し、それが自らをどんどん追いつめて結果は自ら死ぬ事だけを望んで死んでいったたくさんの私が私の心の中で叫んでいました。死ぬことを望み死んでいった自分自身に私は今まで卑怯者と罵り、裏切り者と罵り、消え失せろと罵り、極悪人と罵り、全ての憎しみを真っ黒な真っ黒なエネルギーを流し続けていました。自分で自分を罵る。それが他力の世界の中の私の姿でした。
 この私が待っていたんだ。待っていたんだ。自ら死を選んでいった私がたくさんたくさん待っていてくれた、そのことに気がついたらそう思えることが嬉しくて嬉しくて、始めから何も変わっていなかった。そう思えることがまた嬉しくて、真っ黒な私を知れば知るほど嬉しくて、私の周りには死にたいと言う人、死んでいった人にたくさんたくさん出会いました。思い出したくないことばかりでした。でも今は嬉しくなってきます。私の中で待ってくれていた意識達でした。私は自ら死を選んで死んでいった私を罵り続けて生きてきた。だからだからまた今世も死ぬことを選んでいく道しか歩めない。そのことに気がつくために今までの時間が用意されていた。もう何もかもが全て間違っていた。自分を自分で罵って生きることしかできなかった。嬉しいです。
 真っ黒な自分に出会えることが嬉しいです。田池先生に初めて出会ったその時から私は何も変わっていない。そこからやり直していきたいと今思います。全てを御破算にしてやり直していきたい。罵り続けた私も死んでいった私も私でした。自己供養、うれしい思いでこの言葉が溢れてきます。やっと私は私を抱きしめられる。仲良くなれる。そう思えてきて嬉しいです。


 核からのメッセージからどんどん伝わってきます。エネルギーが伝わってきます。これが波動の世界でしょうか。そして、アルバートが伝わってきます。「田池留吉という過去世を通して」アルバートが伝わってきます。私の心も広がっていくようです。この流れに素直に委ねていきたいです。頭を使っていては何も感じません。素直に核からの呼びかけに委ねていく、そのことだけでよかったのですね。嬉しいです。嬉しい心がどんどん広がっていき、気がついたら目の前にアルバートの道がすーっと爽やかに一直線に伸びているという感じです。ありがとう。
 「みんな、アルバ−トだよ、アルバ−トしかないよ」という核からの呼びかけが物凄いエネルギーに感じます。そして、私の中の無数の意識がどんどん反応していきます。たとえようもない温もりに心の中が包まれていきます。肉の私には何もできません。でも、嬉しいです。この流れに素直になっていきます。核からのメッセージ、ありがとう。


 核からのメッセージよ、本当にありがとうございます。私の肉を通し、宇宙をさまよい、路頭に迷い続けた無数の意識達がそう伝えてきます。自分を呪って呪って呪い殺したかった私達でした。呪いの念を出し続けた3億6千年でした。そのエネルギーが自分を狂気へと追いつめることになろうとは全く分かりませんでした。だから壮絶な苦しみの中に自分を沈めていったのでした。
 今その意識達に核からの真実のメッセージがどんどん伝わっていきます。莫大な喜びのエネルギーが宇宙の果てまで流れていき、たくさんの意識達が私の肉を通して集まってきます。ありがとうございます。肉を頂くということはこんなにも凄いことだったんですね。私もただただ一直線にアルバートの道を行きます。無数の私と共に、ただ一直線にいきます。喜びで喜びで爆発しそうです。この喜びを信じていきます。ありがとう。


 「高く高くそびえ立った人類の愚かさが心に強く響いてきます。崩れて崩れて崩れ切るまで人類は未曾有の体験をしていきます。」のメッセージから莫大な喜びのエネルギーが伝わってきます。そのエネルギーを思い、無数の意識達が「ありがとう!ありがとう!ありがとう!」とただただひれ伏し、喜びの叫びをあげています。
 肉で見たら悲惨な光景かも知れません。しかし、宇宙でさまよい続けた無数の意識達に真実の愛のエネルギーが流れていき、喜びへと目覚めさせられていくようです。「嬉しい!嬉しい!嬉しい!アルバート!」と数え切れない叫びが聞こえてきます。どれほど暗黒の世界で慟哭の叫びをあげ続けたことかしれない意識達が狂喜乱舞しています。こんな嬉しいことは奇跡としか言いようがありません。千載一遇の時です。心の中でどんどん喜びが意識から意識へと伝わっていきます。どこまでもどこまでも喜びが伝わり、伝わった喜びが大きくなり、そしてさらにその大きな喜びが無限の宇宙へと広がっていきます。ありがとうございます。頭の範疇をはるかに超えた意識の世界の展開がもう間近なんだと本当に思います。


 いくらうず高く積み重ねようとも一瞬のうちに崩れ去る形の世界云々、このメッセージを頂き深く私の心に響くものを感じただただ感無量の思いに打ちひしがれています。
 形で肉でいくら作っても積み重ねても所詮は崩れ去る人生を繰り返してきました。どんなに形で素晴らしいことをしても、それはやがて風化し忘れ去られることばかりでした。
 どんなに業績を上げてもやがてすべて時が経つと共に消え去るものでした。しかし田池留吉、アルバートの喜びは、決して消え去るものではなく、永遠に喜びとして心に残りそれが全宇宙に広がり、形容し難い大きな永遠の喜びを私は今体験しています。
 私のこころにアルバートが存在するもの、そのアルバートは無限大に広がり全宇宙に伝わりすべてに喜びをもたらすものと、私は今本当に感じそして信じています。この喜びはもう決して消えるものではありません。
 本当に嬉しいです。田池留吉、アルバートは自分でしたと、本当に感じられ思える、思えばその途端に無限大に広がる喜びの空間、この儘250年後に向けて進んでいきたい希望に心は燃えています。
 250年後にこの喜びが一堂に集い喜びに沸き立つ光景がまのあたりに浮かび、肉の形の喜び悲嘆に打ち興じたこれまでの自分がとても愛おしいです。
 そしてアルバートの喜びの波動は永遠だと本当に思える自分がとても嬉しいです。


 見て聞いて触れる肉の世界にまだまだ影響は受けるけれど、私にとっての現実は心で感じる世界です。はっきりとそう思える今が幸せです。心にじわじわと喜びが染み出てきます。


 田池留吉の肉は裏切らない、裏切らない肉はこの地球上において田池留吉しかいない、田池留吉に心を向けた時、出てくる思いは自分の心の姿でした。お前なんか大嫌い、私の前から消えうせろ、そんな思いを秘めて田池留吉に心を向ければ、結果はどうなっていったか、信じる心に付随して肉も同じように信じている、今、そう感じます。怖かった、なぜか怖かった、それは自分の心の恐ろしさを見せられていた、自分の心の姿でした。
 田池留吉の肉は何もない、空っぽの状態です。だからストレートに田池留吉の波動、アルバートの波動が流れている、私は今、そのことを感じています。もう、うれしい、こうして田池留吉と語り、アルバートの波動を心に感じる今、私は本当の幸せ、心から思えます。いっぱいの闇を抱えて、全てが温もりの中に包まれて、肉を持って心の修正、自己供養です。どんなに凄い、恐ろしいと感じていた闇、ブラックも喜びに変わる存在、ほんのちっぽけな存在です。そのことが心でわかります。うれしいです。他力の神と合体して、ブラックのエネルギーを全開にしてどれだけ破壊、破滅のエネルギーを垂れ流してきたことか、神に仕える身、神の化身として宇宙を真っ黒にしてきた、一つの過去世を語っても、地獄の底で蠢いている実態を心で感じます。今、私は自分に、たくさんの自分に伝えたい、もう苦しまなくていいよ、共に、共にアルバートの道を歩みましょう。私の心から溢れる思い、自分が自分に優しいです。今世、田池留吉にめぐり合い、そしてこんなにも幸せな世界を設定して生まれてきたんですね、おかあさん、私を生んでくれてありがとう。そして田池留吉、ただ、ただ、ありがとう。たくさんの地獄に生きている自分、全てが喜びを伝えてくる、心で感じています。苦しかったね、苦しかったね、壮大な意識の世界、アルバートの世界を私はこれから田池留吉、アルバートと共に歩んでいく、こんな幸せはありません。ありがとう、ありがとう、本当にうれしい、心に伝わる闇の喜びを私は心いっぱい受けとめてアルバートと共にこれから未来に向けて歩んでいきます。


 肉の私と、喜んでいる真っ黒な意識の間に分厚い壁を感じます。凄く分厚い肉の壁です。肉どっぷりの時は、壁の向こうは何も感じません。ただ、肉の思いがあるだけです。ホームページを見ても、文字と音楽があるだけです。
 しかし、ホームページに素直に向かい始めると、壁の向こうの意識のことがかすかに分かり始めます。分かってもらっただけで壁の向こうの意識は喜び始めます。そして、もっと素直になると核からのメッセージが喜びのエネルギーとして感じられ、その喜びが少し薄くなった肉の壁に開いた穴を通って意識にも伝わり、意識はもっと喜びます。意識から無数の意識へと喜びがどんどん伝わり、その喜びは宇宙へと広がっていく感じがします。と同時に、肉にも意識からの喜びが伝わってきます。肉と意識が一緒になって、喜びが大きくなっていくという感じです。
 そして、ただ素直にこの流れに委ねていくだけで、心はいろんなことを感じていきます。肉はただ任せて感じたことをワープロに打っているだけです。しかし、そこに己が入ると、頭が重くなり、胸が苦しくなり、すーっと流れていたものが止まってしまいます。


 今まで誰が「私たちは地獄の底の底をなめ尽くした意識なんです」と伝えてくれたでしょうか。田池留吉の指差しと同じ様に核からのメッセージは私の心の奥底に届きます。自分をどれほど素晴らしいと思って来たか、どんなに反省をし田池留吉の世界を感じアルバートを感じてもこの心は崩せませんでした。肉で成して来た栄光を心でしっかりと抱きながら、そびえ立った宇宙を持ちながら、苦しみを隠し持って来た私に「それでもあなたは素晴らしいのでしょうか」と問い掛けてくれる。メッセージの一言一言が心に染み込んできて私の心から答えが出るまで問い掛けてくる。本当に田池留吉、アルバートを信じるならばすべてが変わるはずです。現実何も変わらないのは私の心にアルバートがないという真実でした。人類が築き上げて来た形の世界は一瞬で崩れ去る、崩れ切るまで未曾有の天変地異を味わう、それは私の心も同じでした。目を閉じるとアルバートの目が迫ってきます、優しいけれどこれ以上の厳しい目はありません。いかにそびえ立った心であるか、そびえ立った心の奥に届く思い、懺悔が噴出し地獄の底に激震が走る…肉で積み上げた世界の儚さ空しさがどっと押し寄せ、そんな自分を守り通して来た愚かな自分がしっかりと見えてくる。田池留吉を捨てアルバートを捨てた自分を認めることができず、永遠の地獄をさ迷ってきた、ありとあらゆる地獄を嘗め尽くしそれでもあがき続けてきた哀れな私でした。今、素晴らしくも何ともない、やっとの思いで肉をいただいてきた自分がうれしいと思えます、ありがたいと思えます。責任転嫁の最たるものである他力のエネルギーに自分を委ねて来た…ああもう何と言う私だったか…「すべてはアルバートに帰る意識です」…生かされ愛され許されてという言葉が新鮮な響きをもって心に広がります。


 うれしいです。生きていることが嬉しいです。喜びのない私でした。感謝のない私でした。全てが当たり前でした。あたり前の上に欲をさらに膨らませてきただけでした。愚かでした。自分の思い通りにならなければ自分で自分を脅して最後は復讐心で死んでいく、その繰り返しが私の人生でした。復讐心いっぱいで生きていました。復讐心いっぱいで子供を育ててきました。復讐心の土台の上に幸せを築いていました。必死でした。復讐心を隠すのに必死でした。でも今はそんな自分が見えるたびに嬉しくなってきます。そうだっただからこんな生き方しか出来なかった。私の心が真っ黒が見えるたびに嬉しくなってきます。心が変わっていきます。嬉しいです。出会えて幸せでしたと変わっていきます。幼いときから自分で比較競争の世界を膨らませ自作自演の中でのたうち回って生きてきました。セミナーを破壊してやる。早くセミナーが終わればいいその思いも比較競争の小さな小さな中での私が叫んでいた思いでした。その叫びこそアルバートに出会いたいと叫んでいた。セミナーから去ることなど出来ないと叫んでくれていました。求めて求めて生まれてきた私でした。やっと地獄の私にありがとうが言える。抱きしめています。嬉しいです。「ともに歩いていこう、ともに生きていきましょう」私が私に伝えたかった思いです。うれしいです。伝えられることが嬉しいです。生まれて来れたことが嬉しいです。ともに歩いていきます。ともに生きていきます。ありがとうございます。嬉しいです。


 欲にまみれて人を羨み、人をねたみ、人を憎む事だけで、人より幸せになろうと人を平気で抹殺しそれでもずっと生かされてきた。そんな自分の思いが日常のちょっとした事を機にぽんぽんと心の中に飛び出してくる。その時どうする事もできなくて苦しみ挙句の果てに抹殺し、まだその上に苦しみの原因を人に責任転化して生きてきた長い歴史、それが今その愚かな自分が語りかけてくれるのを受け止めてやれる優しい私がまるで夢のようで本当に嬉しくて幸せです。
 貪欲に愛をむさぼるように求めてきた真っ黒けの私がいとおしくて仕方ありません。ふとそんな自分に出会えた時、以前の自分だったら抑えて隠してしまって飲み込んでいたけどそんな事する必要ない、受け入れられるって本当に嬉しいなあと喜びに変わっていく、それまで重く沈みこんでいた思いでも軽くなって浮かび上がりやがて消えていく、そして心がぱぁっと広がっていく。
 そんな体験を繰り返すたび自分が自分を癒してやれる喜びに浸っています。心ひとつで喜び幸せにもなれる。核の方の言われる「それだけの愚かさを重ねてきたから今がありこうして見えてくる心の風景」というのが心に染み入ります。


 本当にそうですね。ホームページが終わり、田池留吉の肉がなくなる時が早かれ遅かれ必ず来る、これは動かせない現実、そして自分の心も正直、今、心に田池留吉がなければ、今世失敗、歴然としています。
 今、私のすることは田池留吉の世界を心で知っていく、信を強くしていく、それだけです。それは自己供養をしていく流れの中で自然と強くなっていく、確信です。
 肉があっても肉に振り回されることはない、心に田池留吉があれば決して決して地獄に埋没していくことはないと確信です。私はこうして田池留吉、アルバートと語ることができます。自分の心の中に実在する田池留吉、アルバートを私は実感しています。それが一番大切だと心は感じています。
 心は、意識はいつも一緒、すべて自分が一番気づきやすい状態を設定してきたことを心は知っています。私はうれしい、こうして心を向けて田池留吉、アルバートと語ることができる、それだけで私は何も要らない、今、そう感じます。一瞬の思いではない、心から感じられるからうれしい、田池留吉、アルバート、私は地獄の底の底から生まれてきた、生まれてきたんです。そして全てが温もりに包まれて生かされていた、愛されています。この心が、全てが喜びへと繋がっていくことを知りました。
 たくさんの自分、地獄を抱えて私は今、こんなにうれしい世界で田池留吉、アルバートと共に未来に向けて歩んでいる、二百五十年後の自分は、思うだけで喜びが噴出してきます。全てが喜びに変わる時、それが二百五十年後、私は今、その心を感じながら自分の心の自己供養です。醜い、汚い自分に出会うたびにありがとう、地獄の叫び声はいろんな現象を通して聞こえてきます。相手ではなく自分の心、全部自分の心の姿です。ぎょっとする心にはっとして、そうだった、地獄の叫びがうれしい、自己供養のうれしさを心で感じながら日々を過ごす、心の基盤に田池留吉、アルバートがいます。だからうれしい、もううれしくてたまらない、肉がどんなであろうとも心の基盤は決して消えない、田池留吉、アルバートは消えることはない、こんなにうれしい世界、地獄を抱えて喜びの世界に生かされています。


 顔が引きつって作った笑顔の人生を続けてきました。悲しく淋しい慟哭を抱えた怨念の人生を延々と続けてきました。腹の底から笑ったことなんてありませんでした。そのことを思うと、心の中から「そうだ、そうだ、その通りだ」と多くの意識が反応してきます。泣きながら反応してきます。そして、「ありがとう、ありがとう、そのことを思ってくれるだけで嬉しい」と喜びを伝えてきます。
 核からのメッセージは優しいです。意識に対して優しいです。その優しさが意識の底の底の底まで伝わってきます。そして、意識が動き始めます。暗闇に明かりがぽっと灯ったように意識が温もりに包まれ、喜びが返ってきます。お金がなくて、一人ぼっちで悲しみ続けた意識が温もりに包まれて、束縛から解き放たれていくようです。そうでした。私達は本来、お金がなくても一人ぼっちでも、心の底からお母さん、ありがとうと湧き出てくる存在だったのに、そんなことも分からなくなるほど自分を落とし込めてしまっていました。何と自分を粗末にし続けた私達でしょうか。
 本当にありがとうございます。意識が喜ぶということ、言葉では言い表せない喜びです。このために生まれてきた私達でした。


 形が崩れてきたときはっきりと自分の心に作り上げてきた世界が浮き彫りにされてきます、崩れていく、それを必死に直そうとすると他力のエネルギーが一瞬にして中から放出されます。責任転嫁が始まります。私は他力なんかじゃない、私は分かっている、この心が頑としてあるから、出てくるのは責めまくる思いだけでした。でも学びをしているからそれでは駄目だと自分では前向きに心を見なくてはとやってきたつもりでした。でもどんなに一生懸命にしようとも、間違った心ですればするほどに形が変わらなければその思いは怒りへと変わり、ますます責任転嫁という渦に入り込んでいくだけでした。私は必死に自分を守ろうとしていた、守るための学びでした、全部肉、肉しか見ていない、肉を整えるために必死でした。
 その時は必死でした、今思うと悶々と責任転嫁を繰り返していたあの思いこそが自分の中の他力のエネルギーがどんどんと流れていた瞬間だったと思うのです。そこから何かを気付いていきたいと思っていても、目に見える現実に心は揺れあっという間に自分で自分の渦に入り込んでいってしまう。もう自分しか見えなくなってしまって、気が付けばすべてを支配しようとする自分になってしまっている。現象があって初めて恐ろしい自分というか、今まで私はずっとそうだったということがわかりました。ずっと他力の心を抱えて、支配の心を抱えて、自分の栄達だけを望んで生きてきた自分でした。だから一番恐れたことは崩れていくことでした。自分の間違いに出会うことでした。それを必死に隠そうとする心が私の中の他力の心でした。
 私はこんなにも信がない自分、空っぽの自分を認めたくなかった。どんな現象をもらっても聳え立つ自分が変わることができなかった。そんな自分を嫌って殺したくて抹殺したくて、でも分かりたくて感じたくて、めちゃくちゃです。そんな心で学びに参加していました。自分を振り返ったときすべて責任転嫁でした、自分の間違いも過去世の自分が間違ってきたからだと過去世のせいにしていく、自分と思っているものが狂っているから、受け止めることも抱きしめることもできない、最後は自分を責める道しか歩めなかった。結果残ったものは崩れていく自分を呪う心でした。
 信じているものが何もない、アルバートがない、今までの答えがハッキリと自分に返ってきています。その現実を知ることが怖かったです。素晴らしいと思ってきた自分は不都合なことが起きればすぐに消え怒りに変わってしまうような自分でした。そんな思いを抱えてずっと生きてきた私の心は何も変わっていなかったです。今まで反省と思ってやってきたけれど、心ではわかっていなかった、形で文章を書き、分かっている内容であればもうその反省はできたものと思ってきました。でも心ではわかっていなかった、だから同じ繰り返しをしてきた、自分流の学び方をずっとしてきたように思います。だからとても心が狭かった。そして正しかったことは何もない、今はそう感じます。


 一生懸命に、がむしゃらに、ただ一筋、田池留吉の道を歩み続けていると思ってきました。私が必死に求めてきた道は、田池留吉の進むべき方向と大きくかけ離れたものだったと気づきつつあります。私の道は私自身の造った道でした、どうしようもできない程の曲がりがあります、大きなずれを感じます。何がどれがではなく、全部ずれていたと思います。根本が違うと思います。指し示してくださった道標を足蹴にして、ただひたすら、マイウェーで歩んできました。田池留吉の世界を感じて歩んでいるのではなく、肉が中心です。この肉は、この肉で分かることなんてほんのわずかなもの、ほんの小さな世界なのに、私はその世界が基本で、求めている道でした。どこまでも肉の幸せ、栄耀栄華を望んでの生き方でした。ようやく間違いに気づこうとしている自分が静かです。間違っている、間違がってきたんじゃないだろうかと、ふっと振り返れることがこんなに心を軽くしてくれるのですか。分かった、感じた、嬉しいと、太鼓や鈴を鳴らしながら、自分を振り返らずに独りよがりに進んできた、そんな心が今はこんなに波静かで穏やかです。


 核からのメッセージ、「どうぞ自分を包んでやれる優しさ温もりに触れていってください。あなたの心の中の優しさ温もりが全開されるのをあなた自身が待っているのです。」なんと優しい言葉でしょうか、なんと優しい波動でしょうか。私を私自身が包んでやれる、そしてそれを誰よりも誰よりも私自身が待ってくれている。今日まで何度もこの言葉を聞きました、それでも今日の私には特別のように聞こえます。醜い汚い心はいらないと無視し、己の傲慢さだけで突っ走ってきた愚かな私を誰よりも待ち望んでくれている、そして、私は田池留吉の優しさを思わずにはいられません、待って待ち望んでくれている波動を心地良く感じています。ありがとうございます。
 己が間違っていると気づくまでに20年の月日が流れました、20年の歳月が必要でした、自分の愚かさを知るまで20年も過ぎてしまいました。それでもよかったです、大きな闇を抱え生かされていることを知りました。地獄の底で喘いでいる自分の姿を教えていただきました。自分を知ることがこんなに嬉しいものなのでしょうか、自暴自棄になって苦しんだ心が愛おしいです。


 最近この学びの趣旨を自分の中で今一つつかんでいないことを感じていました。喜ばなきゃ乗り遅れるこんな思いが出ていました。「しかし自分を供養するために生まれてきた」ということを読み、これだったと嬉しくなりました。
 日々いろんなことで心が揺れます。その心の揺れた時逃げられない自分の心が苦しかったけど何度も何度も反芻しこれは自分の心だから見ていこうと思えるときが嬉しいです。過去から同じ心を使っている。このことから逃げたくて違う自分を目指してきたけれど、この自分のままでいいということを今世初めて教わりました。ありのままを受け入れる、これは私が両親に望んできたことでした。それが叶わなくて悲しかったこともあったけど私の中の過去世もきっと同じ気持ちだったのだと思います。いい心悪い心と区別していい心の時だけ受け入れてもらえるというのはとても悲しいものでした。
 私は間違っていました。アルバートへ向けるということを宇宙やUFOと結びつけて次元の違う世界を知りたいという欲を向けていました。だから心からの喜びが溢れてこなかった。心は正直に教えてくれていました。
 自己供養はお母さんの心です。私が自分の過去世を受け入れなかったらどんなにアルバートとやっても寂しさや悲しみはそのままだということに気づきました。自分の心と向かい合っていきます。


 何気ない時、心の奥から湧き上がる思い、ありがとう、ありがとう、おかあさん、ありがとう、とろけそうな温もりが心を包んでいる、肉の思いとは全く関係ないこの心を、この波動を信じていけばいい、心が真実を伝えてくれます。自己供養を感じます。心の奥に閉じ込めて決して触れたくない心、消してしまいたい、心の奥に葬り去ってしまった心、二度と触れるなと、地獄の底の底でじっと塊になってしまっている心、その思いのひとつでも表面に出れば発狂してしまう、恐怖で心の奥に閉じ込めてきた過去からの自分、そんな心が心の中にいっぱい埋もれています。こんな思いが、地獄の叫び声が心の底から飛び出してくる、この喜びを言葉で表すことができない。地獄の叫びは、もう、ありがとう、ありがとう、田池留吉、アルバートと一緒に自己供養です。


 ひとりひとりを救いゆき発掘するためではなく、ひとつの大きな流れの中のセミナーでした・・・本当に実感です。我が我がという欲の思いで田池先生を見ていたときは分からなかった。でも今、納得です。大きな流れの中でのセミナーと捉えているかどうかで、まったくセミナーに対する姿勢が違ってきます。自己供養はもちろん自分のためではあるけれど、それだけではない、私も流れの中のひとつであると確信します。そしてそれが嬉しくてたまらない・・・心から込み上げてきます。この時を待っていたと言う思いが、込み上げてきます。大らかなゆったりとした私を感じます。


 物凄い怒りのエネルギーが突き上げてきます。マグマのように吹き荒れる怒りのエネルギー。いったん暴れ出したら自分でもどうすることもできなかったエネルギーが猛り狂っています。この心に恐怖してきました。権力の座に座ればこの心で世界を席巻し、貧しく力がない地位にいればこの心が出てきて荒れ狂い、止められないのを恐怖してきました。
 しかし今、ホームページから伝わる温もりに触れ、この吹き荒れるマグマが大噴火です。「もっと出ろ!もっと出ろ!」と私の心の中で誰かが言います。「もっともっと、大噴火すればいい!大噴火しろ!」大応援団がこの怒りの大爆発を喜んでいます。
 そして、このマグマの大噴火なんか比べものにならないくらいの莫大なエネルギーがこの怒りのエネルギーを包みこみ、解放していきます。限りない優しいエネルギーのもと、次から次へと地底の奥深くから喜びと共にマグマが吹きあげてきます。流れ出る溶岩が喜びできらきらと輝いているようです。私の心の中の怒り火山の大爆発です。莫大な喜びのエネルギーと共に私の怒りのエネルギーが噴火していきます。「ありがとう!どんどん噴火しろ!この大爆発よ、ありがとう!」と私の心の中は絶叫しています。怨念でしかなかった怒り大爆発が、喜びと共に大噴火です。ありがとうございます。こんなにも出たかった怒りのエネルギーを押さえて押さえて押さえ込んできて、このちっぽけな肉体の中で窒息死寸前、破裂寸前でした。
 しかし、核から伝わってくる温もりの中で、束縛から解放され、喜びと共に大爆発です。あんなにも猛り狂った怒りのエネルギーがまるで母の懐に帰り、大喜びです。ありがとうございます。怒りのエネルギーは真っ黒です。でも、その真っ黒は大きな喜びでもありました。あんなにも苦しんだ怒りのエネルギーがこんなにも大きな喜びでした。


 ホームページの前に座ると、ふるさとの音楽が聞こえてきて、ふわーっとしているうちにその温もりに包まれていきます。最初はホームページの字面を追いますが、だんだんに字面が消えて、エネルギーだけが伝わってきます。温かい優しい包み込むような、それでいて無限に広がりゆく広大なエネルギーです。この温もりの中で無数の闇が解放されていきます。
 怒りと溺愛の中で翻弄され続け、かたくなに心を閉ざして生きてきました。閉ざした心は怨念として鬱積されてきていました。しかし今、ホームページの温もりに触れ、閉ざし続けた心が解放されていきます。巨大な怨念のエネルギー、しかし比較にならないほど大きな温もりのエネルギーが怨念の固まりを包み込んでいきます。温もりを捨て、淋しい心でこんなにも自分を翻弄し続けた私が愛しくてなりません。そんな私を限りない温もりがどんどん包み込んできます。そして解放され、大きな喜びと共に宇宙へ帰っていくようです。自分が愛しくてなりません。自分を愛しいと思うエネルギーが無限に湧いてきます。苦しみ続けた自分が愛しくて愛しくて、自己供養というものはこんなにも嬉しいものなのでしょうか。心の中が「嬉しい!アルバート!」と絶叫して私にその喜びを伝えてきます。間違い続け、真っ暗な地獄に落ちてしまった私が心の底から愛しいです。


 友人の一言、「自分の世界を確立しなさい」と。私はその言葉を今日の今日までしっかりと心に入れていたことを思い出しました。自分の世界を作る、自分の宇宙を広げるんだと。田池留吉でもアルバートの世界でもない、私自身の世界宇宙を作り上げていくことがすなわち頂点に立てることなんだと。愚かな心の奥深くに隠れていた闇を今思い出しています。どこまでも肉の次元です。一度付いた他力の磁石、心癖はそんな簡単に離れられるものではありませんでした。ほんのちょっとの言葉が私の欲の心をくすぐってくれる。どこまでも欲に塗れて生きてきたのか。教祖と崇めた人の言葉は絶対でした、そして信者と成り下がっている私の心には、捨てられたくない、恐怖との戦いが残りました。怖かった怖かったです。だから私は自分自身に叱咤激励しながら付いてきました、田池留吉に付いてきたのではなく、恐怖の心に付いてきました。苦しめてごめんなさい、誰が悪いのでもなく、全部私の心に作ってきた世界です、今は私自身にそう言ってやれるだけです。


 この学びを他力信仰の心癖のまま修行していることに気付かされハッとします。世界遺産に登録された大嶺、熊野、高野の山々がテレビに映ればなつかしく堰を切ったようにたくさんの修験者の思いが肉を通し表われ出てきます。
 神にならんと悟りを求めてきたたくさんの修験者の私がやっとやっとその思いを語れる時を頂きました。重く沈み込んだ意識は怨念の塊です。それはそのまま今世の私の思いでもあります。怨念が少しずつ解きほぐされていくのが肉にも伝わって肉も少しずつゆっくりゆっくり楽になってきています。
 苦しいばっかりだった私の心が確実に変わり始めているのを感じます。肉は苦しみを表わす器、入れ物ではなかったと懺悔する私がいたりします。たくさんの修験者の私とともにアルバートに心向けて参ります。


 今、私はたくさんの私自身と出会っています。あまりにも苦しすぎて自分を捨てて、自分をなくしてしまいたい自分。自暴自棄の自分。荒れ狂うのをとめられない自分。どれもこれも全部、私です。私は素晴らしいと己をそびえたたせてきた私の本当の姿は地獄の奥底をはいずり回り、のたうち回る自分です。自分を誇っている暇なんかとてもありませんでした。肉だけが幸せになりたいと、とても思えるような状態ではありませんでした。まさに地獄の奥底で苦しむ意識の総意として肉をもってきたのが肉の私です。私はそんな自分の中に埋もれて、肉も心も真っ暗な中を生き続けてきました。
 そんな私自身を静かにながめると、自分を愛しいと思う静かな喜びが湧いてきます。自分で自分を落とし込め、真っ黒にしてきました。天を仰いで、何度慟哭の叫びをあげたことでしょうか。ホームページから伝わってくる温もりに抱かれて、心の奥底の慟哭が込み上げてきます。たくさんの心の中の苦しみが噴出してきます。苦しくて息も吸えなかった私自身が、「私もいる、私もいる」とどんどん噴きあがってきます。苦しかった自分が温もりに触れ、解き放たれていきます。言葉では言い表せない喜びに心が包まれます。自己供養はこの世のどんな金銀財宝をつもうと絶対にかえられない本当の喜びです。目の前に一本の道が開けていきます。どこまでもどこまでも続いている一本の爽やかな道です。私はこの一本の道を、苦しみ続けた私自身と共に歩いていきます。


 肉の私がそびえたっているということが初めて心で分かりました。怒涛のごとくあふれ出してきました。波動の勉強に出させて頂いて うれしくて 心から突き上がる思いがあって、だけどその感じた思いを肉の私が蔑ろにしていました。肉の私が私の前に壁を作っていました。そんなことに自分で何か違う、何かおかしい・・と思っていながらもその思いと正面から向き合いませんでした。今、HPを開くと 私の中のたくさんの私達の思いが吹き上がってきました。 感じたはずなのに何かおかしい・・ そびえたっていました。肉の私が壁になり、そびえたっていました。薄々気付いていながら、この時期に、とか感じたはずなのに、という思いがしっかりと前にありました。その思いが自分自身にどれだけ冷たかったか、身が切られそうなほど感じます。
 今、初めて 自分の壁を感じました。そびえたってそびえたっている私を感じました。 私の中の沢山の私に、ごめんなさい 申し訳ない、ごめんなさいとあふれてきて、でも うれしくて どうしようもなくうれしくて、肉が途方もなく遠くへ飛んでいって、揺さぶられるように温かくて 沢山の私に ごめんなさいと心からごめんなさいという思いがこみ上げてとまりません。 こんなにもこんなにも私自身に愛されていました。心が広がるということを感じました。
 素直になってアルバートに心を向けてまいります。しっかりと私自身と向き合ってまいります。


 心から溢れ出る思いがたまらなくうれしい。肉があり、そしてセミナーがあり、田池留吉の波動にすっぽりと包まれる時間、心で体で感じられる、心は知っています。このような場所はどこを探してもどこにも無い、最高の場に集わせてもらい、そして真実を心に伝えてくれている、ブラックパワーを全開にして、地獄の底の底を這いずり回ってきた自分が、今、セミナーに集わせてもらっています。自分が自分を救う道、自己供養の喜びの道を歩ませてもらっている今です。意識の流れ、本当に喜びの道ですね。真っ黒な地獄の自分を自分で救っていく、アルバート、田池留吉と自分、こんな幸せはないです。


 核からのメッセージを読みながらその中に自分とぴったり同じ思いの言葉に出会えば、何かしら核と同じ所に立っているような錯覚に陥ってしまい、核と同じ言葉を使う私はアルバートを感じ信じる道を歩いている…と頭を使いながら、やっぱり私って素晴らしくて正しいんだと自画自賛の世界に自分を落ち着かせ私は正しいを膨らませる心癖を使っていることにふと気付かせて頂けることが多くなってきました。大小のショックに心は揺れますが気付けたことが何かしらうれしくて心が弾んできます。
 正しさを主張し間違いを認められず譲れなかった私が少しずつ少しずつ己の間違いに一つひとつ気付かせてもらっています。気付いて初めて何て独り善がりな偏った思いで自分を苦しめていたんだろうって思います。自分の間違いに気付けるって本当はこんなにうれしいことでした。間違い続けてきてよかったって思えたらまた少しうれしくなってきます。真っ黒がうれしいと伝えてくれる核のメッセージに少しでもいいから呼応していける私の心に甦っていきたいと心から思います。


 素晴らしいあなただから喜びに温もりに出会えるのではありません・・・その通りだと思いました。波動の勉強の場で田池留吉の目を見た時、込み上げてきた思いは、己を表し続けてきました、お母さん、ごめんなさいという懺悔の思い、そして生んでいただいてありがとうございましたの溢れる喜びでした。能登谷さんの波動の勉強で、叫び声が充満する中で伝わってきたのは、アルバート、アルバートとただアルバートを求める一筋の思いでした。これが私たちの真実の心の声だと思いました。
 真っ暗闇の奥の奥を勇気をもって見ていったとき、そこにはアルバートを必死に求める思いが喜びが流れていることを感じました。そしてアルバートの中にみんながひとつに繋がっていることを感じさせていただけたセミナーでした。みんな、みんな、ありがとう。意識の世界に本当の私に素直になりたいと心から思いました。


 波動の勉強に出させていただきました。田池留吉の目を見たと同時に、頭は吹っ飛び、心の底から叫びだけが突き上げました。何をどう感じたから、どう叫んだではなく、ただただ物凄い叫びが心の奥底から噴き上げ、気がついたら、肉体は暴れ狂っていました。何がどうではありません。ただただ自分がやってきたこと、思ってきたことのすべてが間違いだったと、その嵐のような思いが肉体を突き動かしました。
 以前、核からのメッセージに、心で何を感じたから信じようではなく、心から噴き上げること、それ自体が自分にとっての現実だというのがありました。私もそんな感じでした。田池留吉の目を見ると同時に、心の底から嵐のような思いが噴き上げ、全部が間違っていたと暴れ狂った自分が私にとっての現実そのものでした。その暴れ狂った自分が嬉しくて言葉になりません。


 死、死を思う時、肉の執着が何と空しいことか、いつも思っていた、肉の愛は所詮消えていくもの、私は空しい、空虚なものだと感じながら、それでもわからないから、何かを掴んでいなければいられなかった、その先に孤独、無限の孤独を感じている私の心は空しいとわかっていても肉の愛に溺れていった、そのいく先は本当に苦しい世界、孤独、本当のことを知りたかった、心が望んでいた、その望みを伝えてくれた、私は今、そのことを思う、そして私の中に本当に苦しんでいる地獄の意識達がいる、現実にいまだその心を、地獄を抱えて地獄に生きている、その意識達に真実を、温もりの世界、アルバートを伝えたい、自分が今、伝えられる最大限のすべてを伝えたい、そのために今、こうして肉を持って存在している、たくさんのお母さんに支えられて、私はこうして今、自分を自分で救う道を与えられている、そのことに心が気づかせてもらえた、己を誇り、己を表す、その心には冷たい、氷のような冷たいエネルギーしか流れていかなかった、申し訳ない、自分に申し訳ないです。気づいた、その時から私は自分を救う道、アルバートの道を自分に伝えていきます。残されている時間、その時間を精一杯、自分のために費やしていきます。ありがとう、何のこだわりもなく、ただ、素直にありがとうと自分に伝えられることが、ようやく、ようやく出来ます。傲慢な心を抱えて苦しんでいた自分とはもうおさらばです。己というそびえ立つ自分も、もうおさらばです。そう自分に言える今、私はやさしい、苦しんでいる自分に出会い、そして本当のことを心で伝えていきます。すべてが意識の流れの中で動いている、気づくこと、それは意識の流れの中では本当に凄いことが起きているんですね。肉ではわかりませんが、心で感じます。ありがとう、ありがとう、すべてが協力してくれています。


 ゆったりとした時の中で心の中に思いを向けアルバートを思う時、ありがとう、ありがとう、ただありがとうが溢れてきます。ありがとう、ありがとう、本当にありがとう・・・それだけです。嬉しい、ただただ嬉しい。こんな時を過ごせる今が、ただただありがとうです。間違って間違って間違い続けてきた私が、今こんなにもゆったりと穏やかなひと時を持てることが嬉しい、それだけです。心の中にはまだまだたくさんの真っ黒なエネルギーを抱えています。それでもこんなに幸せな中に今あることが嬉しい。ただただごめんなさい、ありがとう、嬉しいです・・・この思いがぴったりです。お母さん、ありがとう。私は今こんなに幸せです。本当に本当にありがとうございました。お母さんとの約束を必ず果たしていきます。


 こころの歌      あの町この町
             かあさんの歌
             里の秋
             夏の思い出
             里の秋
             七つの子
             おもいでのアルバム  作詞 増子とし 作曲 本多鐵麿
             浜辺の歌  作詞 林 古渓 作曲 成田為三
             幼き頃の思い出  作詞者 不詳 作曲 長谷川良夫
          10  通りゃんせ  わらべうた 編曲 本居長世
          11  丘を越えて  作詞 島田芳文 作曲 古賀政男
          12  ちいさい秋みつけた  作詞 サトウハチロー 作曲 中田喜直


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私は田池留吉(1926年生)です。

私とともにアルバートの道を進んでいってください。
ホームページを開いてください。アルバートに心を向けてください。
アルバートがすべてです。波動が真実です。
私はあなた、あなたは私、ひとつです。




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