「意識の流れ」

6.神と金に狂い続けてきた人類



◎ 神と金に支配された人類の歴史
 人類の歴史は神と金に狂ってきたと言っても過言ではないでしょう。神の力と金の力、両者を手にすれば怖いものなし。すなわち、人類の根本には、ずっとこの神と金が鎮座してきました。それらが幸せを運んでくれるものだという思いが心にこびりついています。そして、それが世間の常識です。
 口で奇麗事を言っても現実問題としてお金は必要だ、だから、私は一生懸命働き、お金を稼ぎ、幸せになろうとしてきた、あるいは、神を敬い、神を貴び、神に祈りを捧げる、それのどこが間違っているのだというこれらの思いは、程度の差こそあれ、どなたの心の中にもあったはずです。いいえ、今もその思いのまま人生を生きておられる方がほとんどではないでしょうか。
 私はあえてそういう人達と論じ合うということは致しません。その人達の生きてきた人生を全体から眺め、そして、その人達の意識の世界に思いを向ければ分かるからです、感じられるからです。思いを向ければ、その人達は、「私は本当の人生を生きてこなかった。本当の人生が何か分からなかった」と語っているはずです。自分達の人生には根本がなかった、抜け落ちていたということを、そのように表現してくるはずです。形の上でその人達の言動だけを見ていると、まっとうに生き抜いてこられたと映ることは、往々にしてあります。しかし、決してそれは真実のその人達を語っていないのです。根本の抜け落ちた人生では、真実の自分を語ることはできません。何も分からずに生き、何も分からずに死んでいく人生なんて、何とも哀れではありませんか。たとえ、安穏に生き永らえたところで、根本がなければ、いずれ中の意識達、つまり自分は、またしても苦しい世界に沈んでいかなければならないのです。もちろん、肉体細胞は最後の最後まで愛を流し続けています。その愛に支えられて自分は生かされているということすらにも、全く気付けなくなったその心たるや、お粗末至極だと言えましょう。
 根本が腐り切っていては、その上にどんなに立派なものを築こうとも、それはあっけなく崩れ去ってしまう砂上の楼閣だということを、心に留め置いてください。このように申しましても、私達はその根本が何かということも分からなくなってしまったし、従って、土台が腐り切っていることにも全く気付けていない状態です。まさに、神と金に狂い続けてきた人類です。



◎ 宗教の本質と人類の誤り
 特に、人類の大きな間違いは宗教というものを生み出したことです。自分達の幸せと繁栄のために、神、仏に祈る、縋る、摩訶不思議な力を求める、その思い、そのエネルギーは、破壊のエネルギーです。その実態を知らずにどんどんどんどん増幅していったのが、今現在の私達人類です。それは地球各地で起こっている戦争、テロにその姿が如実に示されています。聖戦とは名ばかり、どうして人と人とが憎み合い、殺し合うのか、神の名のもとに闘いの真っ黒なエネルギーを垂れ流していることに、彼らは気付けないのです。
 もちろん、彼らだけではありません。真実を知らない人類は、己の無知とエゴと欲をむき出しにしているのです。表面は慈悲と愛の綺麗な言葉で飾り、敬虔な態度を示し、正義を唱えても、そこから流れるものはすべてを破壊していくエネルギー、真っ黒なヘドロのような悪臭漂うエネルギーなのです。もちろん、エネルギーだから仕事をしていきます。それがあちらこちらで勃発する闘いであり、その他、気象にも作用します。そして、この地球上で起こる様々な事件、事故も、すべてその表れなのです。



◎ 救いとは何か:真の愛と優しさ
 ところで、あなたは、人を救うとはどういうことだと思いますか。人を救いゆくことが、本当に心優しき慈愛に満ち溢れた行為でしょうか。救いの手を差し伸べることが、本当の優しさでしょうか。もちろん、ここで言う人を救うとか、救いの手を差し伸べるという意味は、目の前の差し迫った危険などから、人を救い出したり、今、困っている人達の手助けをしたりするということではありません。人を救う、いわゆる、人の心を救うということについて、あなたは、どう思っておられますかとお尋ねしています。その行為をするときの自分自身の心を見てくださいと、私は言っているのです。
 どんなエネルギーがそこに働いているのか、どんなエネルギーと繋がっているのか、心を見ていけば分かります。救ってください、救ってあげましょうと思いを広げていくことは、真実を知らないがゆえの愚かさです。誰も何もあなたを救うことなどできません。あなたはあなた自身で救っていくのです。あなたは愛だからです。あなたは愛だから、あなたはあなたを自分で救っていけるのです。愛は優しさです。愛は温もりです。みんなその心に愛をいっぱい持っているのです。しかし、みんなその愛を知らずに存在してきただけのことです。愛はあなたの外にはありません。本当の優しさ、温もり、安らぎは、あなたの外にはないのです。しかし、人は、愛を外に求めます。温もり、安らぎを外に求めます。そして、人に優しさや温もり、安らぎを求めていった結果、裏切られて嘆き悲しみ、あるいは、呪って恨んでいきます。それはお門違いなのです。そういうものには、本当の優しさや温もり、安らぎはないからです。何度も何度も数え切れないほどの失敗を繰り返してきたことが、あなたの心の歴史を紐解けば分かります。肉に愛を求め、肉に喜びと幸せを求め、絶望のふちに沈んでいったたくさんの過去を、どの方も持っているのです。



◎ 他力信仰の危うさ
 それは神も同じです。過去に間違った神を求め、自分の思いを果たせなかった、自分の思いを聞き入れられなかった恨みつらみが、あなたの心の中には息づいています。
 そして、神とは崇め奉るもの、神とは恐れ多いもの、神とは人間を遥かに超越した存在である、その思いを今もあなたの心は引きずったままなのです。だから、あなたは今現在幸せではないのです。「いいえ、私は幸せです」「私の人生は幸せな人生です」とおっしゃるかもしれません。しかし、あなたは本当の幸せと喜びを知らないと、私は、あえて申し上げます。あなたが幸せだ、喜びだと感じているものは、吹けば飛ぶような薄っぺらなものでしかありません。そして、その幸せも喜びも、あなたがその肉を離すと同時に消滅してしまうものなのです。なぜならば、それらはみんな肉にまつわる幸せと喜びだからです。
私があなたに本当に知っていってもらいたいのは、あなたがその肉を離した後も、ずっと消えない幸せと喜びです。では、そういうことは可能なのかと言えば、可能なのです。だから、私は本当のことを知ってくださいと、私の生涯を懸けて伝えてきたのです。

 話を元に戻しましょう。先に記しましたように、この学びの中にも、いわゆる霊能者、チャネラーと言われる人達は、たくさんいます。いいえ、学びに集って来た大半の人達は、チャネラーです。意識の世界を語る人達です。しかし、その人達が語る意識の世界とは、一体どんな世界なのか、どんなエネルギーと繋がっているのかということになれば、少々事情が違います。
 ここで言うチャネラーでさえ、そんな状況でしたから、巷の霊能者、チャネラーと言われている方々は推して知るべしだということです。その方々は自分自身がどんなエネルギーと通じ合っているのか、全く知らない状態です。それにもかかわらず、その霊能現象を通して己を表していっているだけのこと、いうなれば、そのチャネラー自身も操られているに過ぎない、全く無知であるということです。
 救ってください、救ってあげましょう、教えてください、教えてあげましょう、これは全く間違っているのです。救いの手を差し伸べる、教えを垂れる、何か救世主のようであって素晴らしいことのように映りますが、それは形から推し量っているからです。すべては波動の世界です。言葉や態度ではありません。どんなエネルギーと通じているかです。真実を知らない人達が通じているエネルギーは、みんなブラックだと思ってください。物事を言い当てるとか、不思議なパワーを感じるとか、オーラがあるとか、それらはみんなブラックの世界と通じています。だから、そういうところに心を向けていかれた方は、結局は哀れな末路を辿っていかれるのです。一時いい兆しが現れたかのように見えても、それはほんの一時です。そういうことが分からなくなってしまったのは、人間の心の根本に、肉基準の思いがしっかりとあるからなのです。
 何度も言います。真実はあなたの心で分かることなのです。あなたの外に真実はありません。あなたの外に救いを求めても、あなたは救われないのです。救われると思うそのあなたの心を見ていってください。
 宗教では人は絶対に救えません。それは今の世の中を見渡せば一目瞭然です。どうして今もなおこの地球の至るところで闘いが繰り広げられているのでしょうか。人類の幸せと繁栄どころか、宗教を求めるエネルギーはすべてのものを破壊し尽くしているではないですか。神の名のもとに、平気で人殺しが行われています。人類が祈れば祈るほど、祭れば祭るほどにブラックのエネルギーを垂れ流しているのです。
 その結果は、やがて起こりくる宇宙的規模の天変地異として、人類の目の前に示されていくでしょう。



◎ お金と現代社会:人間の堕落
 また、宗教とともに、人類を狂わせているもうひとつの大きなものはお金です。今の世の中はと言うと、今はお金中心の世の中です。
 お金さえあれば何でも買える、どこへでも行ける、おいしいものを食べることができる、何でも好きなことができる、だから私は幸せ、そんな短絡的な思考が決しておかしいとは思えない心の貧しい人間が、満ち溢れています。ですが、みんな心が貧しいとは思っていません。働く時は働き、そして、遊ぶ時は遊ぶ、私は大いに人生を楽しんでいます、案外そういう方は多いことでしょう。そうすることがいいことだと思っている、そうできる自分は幸せ者だと思っています。そして、教養を身につけ、豊かに暮らしている私は立派でしょう、私は幸せでしょうと、一生懸命外に向かって自分が幸せだということを主張しているのです。そう言っている自分の心を覗けば、決してそうではないことが分かるはずですが、もう心の隅々までお金というものに汚染されてしまっているから、そこから自分を解放していくことは難しくなりました。お金を稼ぐ人は偉い人、この世の成功者、世の中の流れは今どんどんどんどんその方向に流れていっています。お金には魔力がある、黒のものも白になる、この世はまさしく金次第、この風潮は今後もますます強まっていくことでしょう。お金によって人々は狂っていったのです。だから、金額の多寡にかかわらず、人を殺すことなど日常茶飯事に起こってきます。今やお金に対する欲の思いは天井知らずの勢いです。
 そんな中に私達は今肉を持って、生活を送っているということを知っていかなければなりません。
そうです、この世はまさに濁流なのです。しかし、濁流を濁流と思っていない人がほとんどです。それが人間の悲劇と言えばそうでしょうが、心で気付いた方々から本当の人間としての喜び、幸せの道を歩いていってほしいと私は思います。
 もちろん、肉を維持していくためには今の世の中、お金は必要です。色々な物、様々なサービスは貨幣という一定の基準に換算されています。だから、それらを手にするためには換算されたお金と交換しなければなりません。それが人間社会が作り出した経済社会です。ただ、それだけのことです。にもかかわらず、お金というものに振り回されて、自分が見えなくなってしまった愚かな人間が増え続けています。無知なままに肉をもらい、肉を捨てていく人間ほど哀れなものはないと、私は思っています。



◎ 幸せとは何か:内なる視点
 ところで、あなたが今、どのような場所で、どんな家族を持たれ、あるいは、どのような人間関係の中で日々を過ごされているかは千差万別ですが、今現在どうでしょうか、あなたご自身、幸せですか。では、あなたが幸せだと思うとき、それはどんな時なのか、何をもって自分は今幸せだと思えるのか、言えるのか、客観的に見つめられてはどうでしょうか。
 また逆に、自分は今不幸せだと思うならば、なぜそのように思っているのか、これもまた第三者的に眺められたらいいと思います。
 あなたが今この世の春と思えるほど幸せな時であっても、また、暗いどん底の日々を迎えていても、その中に埋没しないで、少し外側から自分というものを眺められる心の状態になられることを、私はお勧めしたいと思います。
 そういう心の状態から、あなたを含め、あなたの周りを見渡せば、決してケ・セラ・セラが良いとは申しませんが、この形の世界の中で、絶対ということはひとつもないと思えないでしょうか。
 肉、形の世界において絶対ここは譲れないとか、これだけは唯一絶対のものであるとか、そういうものは本来存在しないのです。本来存在しないものに、あなたが縛られているだけです。いいえ、あなたの心があなたを縛っているだけなのです。だから、あなた自身が心を広げて、狭い視野の中に、自分を押し込んで、はまり込んでいることに気付いていかれたらと思います。何も貪欲に求めなくても、そして、歯を食いしばって頑張らなくても、気張らなくてもいいのです。もっとそこから心を離して、心軽やかに生きていかれたらと思っています。
 ひとつの物にこだわるというか、執着する心では苦しいだけです。たとえ、今幸せを絵に描いたようなあなたであっても、それを失いたくないとしてしがみついていたり、自分の幸せを誇ったり、その心で周りを見下げたりする思いを抱えているようでは、本当にあなたは幸せだと言えるのでしょうか。また、あなたが朝から晩まで不平不満を言い、愚痴り、嘆き、恨みつらみの思いばかりを吐き出しているならば、あなたは間違いなく不幸せでしょう。そのあなたの心があなたを不幸せにしているということが、分かりますか。あなた自身が幸せから遠ざかっていっているのです。



◎ 本当の幸せは意識の中に
 形の上での幸せも不幸せも、意識の世界から見れば、みんな幸せなのです。自分が今ここにこうして存在していることが、もうすでに幸せなことなのです。自分が生きていると思っている人からすれば、どうしてそんなことが幸せなことなのかと思われることでしょう。そういう方達には、やはり、形が整って、誰が見ても幸せだと思えるものが幸せの基準になっているのでしょう。だから、人類はお金によって狂っていくのです。幸せを運んでくれるものはお金であるという考えは、本当に根強いです。
 お金と神様が私達を幸せにしてくれる、それが他力信仰をしてきた人間の本音です。幸せを貪欲に求める心を押し隠しているだけで、中身は無知とエゴと欲のエネルギーが渦巻いています。神を祈り、祭り、お金も何もかも献上します、だから、どの人よりも私を幸せにしてください、私の望みを叶えてくださいとやっています。信仰厚き人は欲深い人です。祈る姿は敬虔な姿ではありません。神様に手を合わせて何を祈るのでしょうか。何を願うのでしょうか。自分の健康と会社や家族の安泰ですか。本当に欲深いと思いませんか。しかし、この日本の国においても、毎年、お正月になればそんな映像が、必ず放映されています。
 もとより、この日本の国は天照を神として奉ってきた国です。今現在、様々な新興宗教が乱立していますが、日本の国は古来より天照のエネルギーの中で成り立ってきた国です。敗戦後、社会的、経済的に目覚しい復興を遂げ、今に至っていることも、この天照のエネルギーによるところが多大です。
そして、今や日本の国における社会情勢、経済情勢、対外的環境等々、あちらこちらから不具合が出てきています。いわゆる天照の国、日本の根幹が揺らぎ始めてきたということです。形の世界に生きているほとんどの方は、まだそういうことには気付いていません。しかし、これから日本の国を取り巻く環境は極めて厳しいものになっていくでしょう。それも天照のエネルギーの強いところから、それが表れてきます。今まで君臨してきた天照のエネルギーに異変が生じてくるのです。天照のエネルギーの中でがっちり固められてきたものが、崩れ始めてきているということです。まず、そこから始まり、神や仏が祭られている信仰深きところがおかしくなっていくのです。他力の神々に心を向けていくということが、どんなに人間の心を狂わせていくか、そんな幸せや喜びとは似ても似つかない様相を呈していくことになるでしょう。どれだけ手を合わせ、祈り、願っても、すべてが崩れていくのです。それはなぜなのか、宗教的な表現をすれば一条の光が射したということでしょうが、まさにそのブラックパワーがこれから大きく変わっていこうとしています。

 何が喜びで、何が幸せか分からなくなってしまった私達ではないでしょうか。肉を自分だと思ってきた私達は、地獄のふちに沈み込んでしまった状態です。その私達が今世の時間と空間を自らに与え、真実に目覚めていこうと、それぞれに肉を持ってきたのです。特に今世セミナーに集われた方々は、その思いが非常に強いのです。そして、この本を手に取られた方々も、ご同様だと思います。ご自身に自覚があるかないかは別として、その意識の流れの中で肉を持たれてきたということです。
 私達はみんながみんなすべて間違ってきました。その間違ってきたことに出会うことにより、真実の道が開けていくという道筋がそれぞれにあるのです。だから、あなたの今世の人生は苦しかったはずです。その苦しみから自分自身を解き放していこうと、あなた自身が強い決意のもとに生まれてきたことを、どうぞ、心を見る作業を通し、あなたの心で思い出していってください。
 人生は喜びです。生まれてくるということは喜びなのです。そのことに一日も早く心で気付かれることを、私は待ち続けています。



◎ 新たな意識の時代へ
 真実はあなたの心の中にあると、私は申してきました。あなたが本当に自分の人生を真剣に考えるなら、自分がなぜ生まれてきたのか、何のために生まれてきたのか、まず、その疑問が心に浮かび上がってくると思います。そして、幸せ、不幸せとは一体何だろうか、人それぞれ様々な人生模様が描かれていく中で、何をもって自分は幸せであるとか、不幸せであるとかを言っているのだろうかと考えるのではないでしょうか。
 私は、心を見るということを知らない人は決して幸せになれない、いいえ、幸せが分からないと思っています。その方々は自分が初めから幸せな存在であることに気付けないからです。生まれてくること、お母さんから肉をもらうということ、それがどれだけ幸せであるのか、心を見ることを知らない人には分かるはずがありません。そして、幸せが分からない人達が集って、幸せになろう、幸せになりたい、幸せにしてやろう、とやっているのです。甘い言葉に乗せられて欲と欲が引っ付いていきます。男と女の世界もそうでしょうし、宗教の世界もそうです。そこに渦巻く欲の世界は、ドロドロのヘドロで覆い尽くされた世界です。悪臭が、死臭が立ち込めている世界です。どんなに外見を綺麗に装っても、繕っても、その方々から流れる波動の世界が物語っています。そんな悪臭プンプンの波動を流されている人が幸せになれるわけがありません。しかし、世間ではそれが通用するのです。お金があって、教養があって、美貌があって、何不自由ない生活があってとくれば、何と幸せな人だろうか、私もその人にあやかって幸せになりたいと、欲ぼけの人間が群がっていくのです。
 そうやって、みんな何も分からずに濁流の渦の中に飲み込まれていきます。その中で、こうして本当のことに巡り会ったあなたには、そんな愚かな生き方の流れを、ぜひ今世こそ自分の中で変えてもらいたいと、私は思っています。濁流に流されながら実は流されていない、そんな生き方をしていってほしいと、私は思うのです。
 確かに難しいです。しかし、それはあなたの心の中に過去より積み重ねてきた心癖、他力の心癖が根を張っているから、あなた自身難しいと思っているだけなのです。その心癖を少しずつ弱めていったとき、ああ、私は間違ってきましたと心の底から懺悔の思いが出てきます。自分自身に申し訳ありませんでした、お母さんごめんなさいの思いが噴き出てくるのです。懺悔は喜びです。止めどもなく溢れてくる喜びです。どれだけ間違い続けてきても、今確かにここにこうして存在を許されていることが嬉しくて、嬉しくて、ありがたいだけです。そうなってくれば、もう何も要らない、誰も必要としない、私はこの心からの思いがあれば、もう何も要りません、となってきます。本当にそのような思いがふつふつと沸き出てくるのです。そのような心の体験をしていけば、あなた自身の物の見方、考え方、価値基準は全く変わることでしょう。
 ところで今、他力という言葉が出てきました。通常、他力という言葉の反対語は自力ということかもしれませんが、ここで言う他力はそれとは違います。他力とは肉を本物とするところから発せられる思い、すべてを指します。また、他力の心とは、肉の喜びと幸せ、繁栄を願い求めていく心です。この世に存在する宗教はみんな他力の心が基準です。あなたに肉の喜びと幸せを与えましょう、授けましょうとするのが、他力信仰の世界です。だから、他力信仰は間違い、宗教は間違いなのです。
 自分を肉だと思って、その肉を、この心を、助けてください、救ってください、何とかしてください、パワーを下さい、私に喜びと幸せを下さいと、祈り、祭り、縋っていく他力信仰は暗い暗い真っ暗な世界です。
ご自身の心が敏感であるならば、その他力信仰で祭られている神々、あるいは、そこで崇め奉られている教祖のほうに心を向けられたらいいのです。あなたの心で感じられるはずです。どんな世界が心に伝わってきますか。穏やかで、安らかで、幸せな世界ですか。絶対そんなことはありません。
 あなたが自分の心を見ていったとき、ずっとその他力の中で生き続けてきたことが分かってくると思います。肉として生まれ、肉を自分だと思って生き続けてきた心の歴史、それはもう気の遠くなるほど、あなたの心の中に詰め込まれています。そしてまた、肉として死んでいった過去のあなたがごまんといます。あなたはご自分をその肉だと思ってこられたから、自分の外にパワーを、力を求めてきたのです。本当のあなたというものをあなたは知らないまま今に至っています。もし、あなた自身、その心で自分の姿を知っていったなら、もうそんなバカげたことはなさらないでしょう。自分の中に自分を救っていく真のパワーがあることを、心ではっきりと感じられるからです。私はそのことを言っているのです。あなたは、あなたが今考えておられるようなちっぽけな存在ではありませんよと、私はお伝えしているのです。
 嬉しいですよ、あなたが自分の本当の姿をその心で知っていかれたなら、あなたの人生観は180度変わっていくことでしょう。私はそのような方が一人また一人と出てこられることを、ただ信じて待ち続けています。
 本当の喜びと幸せをその心で知って人生を終えていかれることが、どれだけ幸せなことなのか、どれだけ自分自身に優しいことなのか、あなたの心で知っていってほしい、私の思いはそこにあります。
確かに、他力の神々も、お金も、自分の心から離していくことは大変難しいことです。地球上だけでも3億6千年の過去を持つ人類にとって、それはもうしっかりと心に染み付いてきた心癖です。そうすんなりと右から左へと流すようにはいきません。私とともに20年、それ以上学んでこられた方々においても、今世ようやく合格点に到達された方が、さあ、どれくらいおられるでしょうか。現実はそういうものです。
 そういうことを踏まえて私は伝えてきたのです。だから、冒頭にもあるように、すべてを一気に理解してもらおうとは思っていません。しかし、少しずつ少しずつでいいのです。少し間違ってきたかなあと、もし、あなたがその心で思えたなら、そこからあなたの人生を振り返る勇気を持ってください。
 みんな間違って生きてきたということには変わりはありません。あなただけではありません。みんながみんな真実を知らないまま、今世も、今の今まで存在してきたということです。そして、これからも間違ってきたあなた自身をいっぱい抱えて存在し続けていくということです。
 しかし、こうして真実の世界を肉で聞き、肉で知ったということは、人類歴史上において本当にすごいことなのです。今世からその歴史は新たなページを開いていくということ、新たなステージに上がったということをお伝えしておきます。

 必ず、あなたの意識の世界での動きが出てきます。今は肉の世界での出来事であり、本当にちっぽけなことに見えることも、それらはすべて250年後への布石だということです。私があなたに伝えていることは、みんなそういうことを踏まえているということが、これからあなたがご自分の人生を生きていかれる中において、きっと分かってこられることだと私は思っています。もちろん、それは今世だけではないということも付け加えておきます。