反省と瞑想の時間ですよ

(2000年6月から9月上旬掲載分)
このホームページはセミナーに参加している人たちのために用意したものです

 私たちは意識、神の子、神です。
 私たちは肉ではありません。意識、永遠に存在するものです。
 意識は一つです。

大切な言葉

 私はあなた、あなたは私です。
 意識即現象、現象即意識
 すべては一つ、すべてよし。
 苦しみは愛、天変地異は愛、現象はすべて愛の現れである。
 ごめんなさい、ありがとう、嬉しいです。
 私の波動がすべてです。
 私と欲は合いません。

反省と瞑想

 メッセージを読む

 神の存在、人間の本質、人生の目的、転生について認識を深める。

 メッセージを聞く

 瞑想と反省を心掛ける。
 波動を知り、本当の愛に目覚める。

瞑想 私、ホームページの作製者、田池留吉にあなたの心を合わせてください。

田池留吉(肉)に心を向けることと神と自分の間に田池留吉(肉)を入れることとは同じではありません。この瞑想は、正に、本当の自分の波動を知るためのものです。私、田池留吉を崇拝しなさい、私に救いを求めてきなさい、私にすべてを任せなさいと云っているのではありません。この点を正しく理解して瞑想を始めてください。

Hさんの感想

 先生、パソコン買って本当によかったです。パソコンからあんなに優しい波動が感じられるとは思いませんでした。今朝、主人と二人で先生の瞑想の声を聞きながら嬉しくてワンワン泣きました。主人も声を出して泣いていました。私達夫婦は今まで一度もお互いに涙を見せたことのない勝気な夫婦でした。でも、今はとても素直に自分の思いをお互いに出し合えます。夫婦でこうして毎日二人でパソコンを開け心を見ながら反省、瞑想と励むことが出来ます。
 私が一番嬉しいのは主人と二人でいつも一緒に勉強出来ることです。喜び喜びです。主人が敏感になり真剣に心を見ながら反省している姿を見ていると、嬉しくて涙が出てきます。愛しいと思ったことのない私が今は愛しく感じるのです。愛しいと思うと心がとても軽く感じます。いつも田池先生が言っておられるように夫婦が仲良くすることが一番幸せになる道だと思います。先生道標を教えてくださってありがとうございました。
 毎日が嬉しくて嬉しくて喜びの心で生きています。ありがとうございました。

Iさんの感想

 私、ホームページの作製者、田池留吉にあなたの心を合わせてください。この文章を読んだ瞬間と言うか、ホームページを開いた瞬間に何とも言えない暖かい温もりに包まれました。涙が流れてきました。
 音声ファイルで先生の声がとても優しい波動で語りかけるのを聞いていて嬉しい嬉しいと出てきました。
 先生のホームページを見て何度か暖かい波動は感じましたが、今回は先生の波動に一瞬のうちに包まれた感じがしました。ホームページは田池留吉の波動を感じていくんだなあと思いました。

Jさんの感想

 地位も名誉も財産もない普通の人でした。その普通の人から伝わってくる思いに私の心は反応します。どうしてこんなに嬉しくなるのか。どうしてこんなに涙が出てくるのか。肉しか信じていなかった私に、何度も何度も伝えてくれます。待ってるよ、ただその思いが伝わってきます。

Kさんの感想

 今日、家に帰ったら大きなプレゼントがありました。瞑想の音声ファイルです。
 寄せては返す波のように私の心に響いてきました。涙があふれてきました。懺悔の涙、嬉しい涙、もうそんなことどうでもよくなりました。いっぱい涙を流して泣いている自分が、いとおしくなりました。この嬉しい思いは確かに私の中から出てきています。この思いのままずっといたいそんな感じです。

Rさんの感想

 ホームページの「瞑想」を開く。
 セミナー会場で、先生の姿を思い浮かべる。私が思い浮かべるのは、やや右斜めから、先生がマイクのあるテーブルに向かう姿。
 急に、涙が出てくる。こんな優しさって他にない。私の心をフンワリと包んでしまう。すべてをまかせてしまって良い、そんな気持ちだけになる。これが波動なんですね。
 田池先生が肉体であるのに、私には目で見ているというよりは、感じられるという感覚。これからは先生がどこに居ても、側に居て下さるという感覚が分かりました。

Sさんの感想

 セミナー会場、田池先生を思い浮かべようとした。何も思い浮かばない。田池留吉の姿形を思い浮かべることができない。
 何度も何度もセミナー会場で田池先生の講話を聞いてきた。一番前の席で聞いたことだってある。だけど今まで一度だって、本気で田池留吉に心を向けて講話を聞いてきたことがあったんだろうか。
 私はセミナー会場にいて、何に心を向けて講話の時間を過ごしていたのか。そう、私は田池留吉の発する「言葉」に心を向けてきた。全神経を「言葉」に向けて、一言たりとも聞き逃すまいと、田池留吉の発する言葉の意味を総て理解しようと全身全霊を傾けて講話を聞いていた。だから私は眠ってしまっていたんですか。
 いつも、いつも、眠り込んでいた。総てを解ろう、言葉から総てを理解しようと心を「言葉」に集中して、それが、ふっとカが抜けて眠り込んでしまう。いつもそんなセミナーを繰り返してきた。

Tさんの感想

 音声ファイル(瞑想)を聞きました。すごく良かった。
 側に先生がいるような気がして、嬉しかった。いつも…いつも待ってもらっているようで嬉しかった。
 そして、同じようにお母さんも、いつでも心の中で微笑んで存在していると思えました。今でも…いつもいつも、愛をかけてもらっていたと思いました。

 今まで、肉の田池留吉を自分と神の間に入れないようにしてきました。でも、信じていいのは先生の温もりの波動(意識)なんですね。そう思えたら、まわりには一杯の温もりばかりだと思えました。
 意識を信じれる気がしました。そして自分の中に、その温もりと同通する本当の自分がいると嬉しくなりました。

Uさんの感想

 音声が流れるとすぐにすごい波動を感じました。セミナー会場にいる感覚で大きな愛の中にすっぽり包まれてしまって自分がパソコンの前に座っているのを忘れて宙に浮かんだような、そして体全体がどんどん温かくなってうれしいうれしい、と声を出して泣きました。こんな波動に包まれていた自分なのかと思うとまたうれしくなりました。
 その波動というのはどんどん後から波のように押し寄せてくるすごいパワーのようなものを感じました。本当の自分はこんなに暖かくて広いんだと思わせてもらう体験でした。
 このことを忘れないようにしたいです。

Vさんの感想

 今は、田池留吉を思うだけで、田池留吉有り難う、嬉しい、と声になり、その後は、ただ、言葉の世界には全く存在しない、嬉しさと喜びの波動はパンクする位に膨れていきます。
 その様子を語ろうとしても、私の脳裏には表現する言葉は存在しません。とても、とても言葉などで表現できるような、喜びと嬉しさの波動の世界ではありません。私は、先生の録音を聞きながら(それはなぜ苦しみから逃げるのですか、からずっと今回の夜の瞑想前の録音まで利用しています)先生の優しい目や講話の時のイメージを描きながら、瞑想するとなんとも言えない喜びを頂きます。
 私は、初めは丹田呼吸と共に、お母さん有難う、田池留吉嬉しい、からはじまりましたが、繰り返しているうちにいつの間にか、ただ、田池留吉を心に思うだけで、「嬉しい、嬉しい、有難うございます」がとめどもなく心の奥からでてきます。
 この時の波動は嬉しくて、なんとも表現のしようがありません。口で説明しようとか、言葉で説明できるものではありません。録音にありますように、それまでのすベてが消えてしまいます。私は、田池留吉が私の心に内在し、私が田池留吉を思うと、ただちに反応してくださるのが田池留吉ということを、自分の心で確認しました。田池と思った途端にこの嬉しくて、喜び一杯の波動を頂くとは夢のようです。嬉しいです。
 今は、肉のことなど全く思いたくありません。遠い昔の悪夢としか思えません。混乱とひしめき合い、現象の場の騒ぎが目に浮かびますが、田池留吉の波動を感じている時は、全くその場面はありません。

 心の転回一直線で進みましょう

 人生は喜びである

 私からあなたへ一筆啓上

 Fさんの反省

  Fさんの反省を読んでいる内にどんな波動を感じるでしょうか。

 ホームページと心の学び



 熱海セミナーを終えて

 UTT倶楽部

 喜びの波動

 最後のページ



 備考

このホームページは試作第−5号です。2001年1月に第1号を送ります。

ホームページの字が読みづらい方は「表示」をクリックして「文字のサイズ」をポイントしてください。ツールバーのボタン(サイズ)も使ってみてください。

                                  作製者  田池留吉  1926年生