心の転回一直線で進みましょう


 田池留吉を信じていきましょう。信じる心が全てを変えていきます。心が変わっていくのです。田池留吉の波動がわかればわかるほどに心は変わっていきます。心の中の闇も浮上してきます。
 あなたの心がどんなに真っ黒でも、愚劣の極みでも私はあなたを愛しています。あなたは肉ではありません。意識、神の子です。
 自分の心を知ってください。間違ってきた心の修正に必要な現象なのです。気づけたことを喜んでいきましょう。相手は相手の問題です。お互いがお互いの教材です。あなたの気づきは過去、そして未来につながっています。田池留吉はあなたの心の中に存在しています。あなたは私、私はあなたです。

現象であぶり出される心の闇を受け容れていきましょう

次のメッセージはAさんが受けたものです。一読してください。

 この田池留吉を信じ、しっかりと心の中の神々に心を合わせてください。あなたがその神々に向かうエネルギーを確認していってください。それがセミナーでの現象の場です。あなたが自分の肉の思いをかなえたいが為に作り上げてきた神々です。そこに作り上げた神々は人間の持っている力をはるかに超えているのではないでしょうか。あなたの心が求めるものはそうでなければならなかったはずなんです。
 かなえろかなえろと一心に念じるエネルギーが現象の中で転がりのたうつ姿です。かなえてやるからこの神の力を表せと、言うがままに翻弄された姿です。

 自分の心を見つめていくのです。自分の心だけを見つめていくのです。意識の転回は本当に難しいかもしれません。それでもやっていってください。それを無視して自分を供養することは出来ません。いつも自分の心がどちらに向いているか点検しながら、心の向きを修正しながら、一歩ずつ歩いて来て下さい。
 目の前の現象から出てくる自分の心をしっかりと見てください。誤魔化さずに見ていってください。現象であぶり出される心の闇を受け容れていく中で、無尽蔵の汚れた心から、あなたはそれでも生かされている本当の世界を知っていくのです。
 自分がいかに愚劣の極みか知ることで、あなたは許されていることを思い出していくのです。許されているから心を見ていける場所があなたが今ある環境です。
 自分の汚さを認めていくということはきれいになった訳ではないのです。そんな汚い自分が許され生かされていることを知っていくことです。心でそれを飾ったときあなたの心から懺悔が噴き上げてきます。喜びが溢れてきます。感謝が溢れてきます。「ごめん、ありがとう、嬉しいです。」その思いだけが残るのです。それには自分の心を見ていくしかありません。意識の転回をしていくしかありません。私を信じて信じて歩いて来て下さい。

マン・ツー・マン「心の学びをしませんか」をしたBさん感想です。

 王麗華の意識を受けて

 背骨が折れそうなくらい苦しかった。それなのにまだまだ握っている私があった。どんなに苦しくっても、形で見ている私があるのだと思った。自分も同じように苦しいのに、肉が生きていければ、何とかなるという、とてもずうずうしい心で生きていた。私は自分が本当に馬鹿なのかと思った。あんなに苦しい波動なのに、自分が間違っていると直ぐに思えない私は本当に馬鹿なのかと思った。馬鹿なのかもしれない。だから、これから反省していこうと思う。自分で自分の間違いに気付いていこうと思う。

 何故求めたのか。あの優しくって、人々に愛を与えているような態度にとても引かれたのだ。控えめで、余計なことを言わない。そんなマリア様のような姿、形に引かれたのだ。美しくて、優しくて、触れる手が暖かくて、そんな人に私はなりたいと思っていた。そんな人に憧れていた。不思議な力も然る事ながら、私はまだまだ形で求めていたのだと思う。そうだとしたら、私はまだまだ心の世界の入口にも入っていないのではないかと思う。形ばかりを重んじる私は、意識の何も信じていないのだと思えた。私は何も信じていないのだと思った。自分がどれだけ苦しいのか、心がどれだけ苦しいのか、それが分かってとても嬉しかった。そして、未だに、心を外に向けている自分が分かってとても良かった。

 田池留吉の波動を感じて

 いつまでもこうしていたかった。いつまでもこのままでいたかった。広がっていた。責める思いの何もない、暖かな思いだった。優しい思いだった。
 何も怖くなかった。心が爽やかだった。自分はあったけれど、自分がなくなっていた。許しだと思った。許されていたんだと思った。自分がいかに何も信じていなかったのか。けれども全部知っていても一つも責めていない気がした。ただ許しだった気がした。心が穏やかだった。自分と周りの区別が無いような気がした。背中に少し重い感じがあった。それは委ね切れない私の思いのような気がした。
 自分にも波動が感じられることがとても嬉しかった。忘れたくなかった。この波動をいつでも思い出せるようになりたいと思った。そしたら幸せだなあと思えた。こんな心で生きていけたら、毎日を過ごせたら、何もいらないような気がした。人を羨ましがることも、人に負けたくないという思いも、自分の思い通りにならないことが悔しいという思いも、どうでもいいような気がした。何が食べたいとか、何が欲しいとかそんなことはどうでもいいような気がした。幸せだと思った。生まれてきて、生きていることが幸せだと思った。

 自分が心で掴んできたものを、本当に間違いだと心で思えるまで、反省していきたいと思った。他力の反省をしていきたいと思った。自分の間違いに気付いていきたいと強く思った。

 あなたは意識です。あなたは肉ではないのです。もう肉を重要視する思いを少しずつでも無くしていきましょう。あなたは波動です。あなたは意識です。あなたは私です。私はあなたです。あなたが心を見て、気付いたことを喜んでいけば、きっと心で分かってきます。私の伝えたことを真剣に取り組んでいけば、心で必ず分かってきます。それまで反省を続けてください。自分の間違いに気付いてください。信じるのはあなたの本当の心です。人を尊敬し、人に憧れる思いを真剣に見てください。一番良いのはあなたなのです。心を見るために、その肉体も環境もあります。人を羨ましがることなど何もないのです。本当の自分と本当でない自分だけです。そしてあなたは意識です。そのことに気付くのです。

 ありがとうございました。とても勉強になりました。まだまだの私ですが、これからまた一から反省を進めていきたいと思います。他力の反省がなかなかできない私でしたが、自分で間違いに気付いていかないことにはどうしようもないという思いになりました。

 それから、どんな思いが出てきても、受け容れていきたいというのは本心です。いつも逃げる方にばかり心を使ってきましたが、これからは逃げずに受け容れていきたいと思っています。どんなに時間が掛かっても、受け容れる努力をしていきたいと思います。

 心で感じた波動を忘れずに、瞑想でまた思い出せるようになっていきたいと思います。ありがとうございました。

次はCさんの感想です。

 波動しかありませでした。波動が真実を教えてくれていました。田池留吉の波動がわかれば、人を嫉むことも、憎むことも、許せないと思うこともありませんでした。肉の形や、言葉を聞いていたら何もわからないということがわかりました。
 チャネリングでも言葉にとらわれたら、自分が感じている波動もわからなくなってしまうこともわかりました。

 今、ホームページを見ていて、お母さんの温もりが吹き上がってきました。お母さんも田池留吉もずっと待っていますよと伝えてくれました。ずっと待っていてくれたことがわかりました。田池留吉の意識が私の方に意識を向けてくださいと伝わってきました。心が温かく静かになりました。どんなに愛されていたかわかりました。
 ありがとうございました。

チャネラーUさんの反省文

チャネラーの方、チャネラーを志している方、チャネラーに他力の心を向けている方は一読してください。

 8年前霊道を開いたとき、毎日次々と語ってきて、私は意識が受けられる事が嬉しかった。頭では考えつかないような、直感的な言葉が浮び、自分は深い真理を知りつつある、他の霊道者が受けているようなメッセージではない、もっと意識の世界の、人が知らない事を受けている、わかりつつあるとうぬぼれていた。
 反省をすると、はい次はい次とだんだんレベルが上がっているような事を言われ、叡智という意識に導かれ、自分は高次元の魂になっているような気がした。だんだん変だなと思って、先生に電話をしようとすると、ものすごい暖かい波動を感じて、私は出来たと思った。そして皆がお祝いの意識を送ってくれるのを、本当だと思った。
 狂った中で感じていたのは、自分はキリストの生まれ変わりであり、それは過去でキリストとして肉体をもったかどうかより、キリストと同じ意識だという頂点に立つ思いだった。人をいとおしいと思うのも、それほど自分が愛の人だという上に立った愛だった。念力の世界でも自分は宇宙即我がわかったと思っていた。それは宇宙即我というような真実ではなく、偽物の悟りを自分で悟ったと思ってうぬぼれていただけだった。
 自分とは何か、人とは何かがわからなかったのです。意識は一つという事がわかりませんでした。神を外に求め、自分が神の代理になって、あるいは自分が宇宙一偉い神だと思って、闇の中とも知らずに、光の中にいると思っていました。そして、人を救おうとしていました。救いとは自分の本質であるお母さんのぬくもり、田池留吉の波動を知り、自分の闇を供養する事だったのに、人の闇を救おうとしていました。自分が闇に支配されているとも知らずに、光の存在として、人を見下し、救おうとしていました。
 私がこの学びに入った当初は、まだ天上界という言い方があり、それを私はキリスト教の天上界とごちゃ混ぜにし、人間は神の子であり、それは神ですよと言われても、何か天上界の人より人間の方が下だという捉え方をしていました。その後天上界の意識を受けさせてもらい、人間の苦しみこそが不幸の元だと思って救おうとした事が間違いだった、人間はその不幸から真実に目覚めていったという、意識を受けさせてもらいましたが、私の心の中では、まだ自分は素晴らしいという、キリスト教がしっかり入っており、ミカエルの意識と同通し、闇の帝王の支配下に入ったまま、田池留吉に反発していました。あの狂ったときは、エルランティパトモスという意識が語ってきて田池留吉に対し、宇宙を支配しているのは、我だと戦っていました。田池留吉の愛の中に存在しているとも知らずに、田池留吉を敵として宇宙を支配しようとしています。
 今田池留吉の波動を感じさせていただく中で、自分の間違いに気づけることがどれだけの愛か、これほどの愛の中で反省の仕方を教わり、心で気づける場をいただいていることに、感謝が湧き出て参ります。自分が母の愛、田池留吉の愛の中にいるということに気がつかないままに、闇の波動を流しつづけ、それを闇とも知らずに、光だとうぬぼれていました。いまだに自分は、今度こそは本当の波動を流せるチャネラーにと、また同じ過ちをする心を使っています。
 頂点が素晴らしいと思う心癖が強いのです。人より上に立つことで自分を支えなければ、惨めな役割では生きていけないのです。自分が神そのものであり、皆一つということがわからない限り、肉の基準で作った、これは上これは下という基準で自分も人もはかり、競争、優越感、ねたみ、恨み、敗北感、自己嫌悪と苦しみを作っていました。自分の闇を見ようとしない心、嫌う心、それらを受け入れるという事を知らないから、ふたをしたまま、高い存在に行きたかったのです。自分が狂った姿は闇のエネルギーにこの肉体を支配されたまま、言うがままに操られた、そんなエネルギーを体験しながら、いまだにそのエネルギーを、念力を、キリスト教を素晴らしいという心がある、愚か者です。
 狂ったときの反省をしていなかった、と、三河三谷のセミナーで心より語って来ました。遅まきながら、その反省をしていきたと思います。

Wさんのマン・ツー・マンで波動の学びをしたときの感想

 電話の向こうの先生に従って、自分が今までしてきた宗教に心を向けて、初めて自分で自分がこんなに祈り、他力の苦しい心を使っていたと知りました。
 他力信仰に心を向けている間、心はどんどん、どんどん小さく狭くなり、ただただ苦しい、苦しいと叫ぶだけ、冷たい冷たい心だけでした。一体どうなってるんだ。自分の体から温もりが消え、痺れとあまりの冷たさに苦しい、苦しいと声を出すのが精一杯。これが他力のエネルギー、私の出しているエネルギーなのか。
 「 田池留吉に負けるな。こんな甘っちょろい事で人は救えぬわ。祈れ!」もう心の中は完全にパニックだ。今までの立派な私なんかどこにもいない。「ただ苦しい。助けてくれー。もう止めてくれー」必死に田池留吉を思う。意識を向ける。先生は優しく意識を向けてと言って下さるが、私はもう心の転回するのに死に物狂いだ。
 少しずつ心が広がってきた。あったかくなってきた。これが田池留吉の波動、温もりなのかなと感じ始める。その途端「お母さんごめんなさい。間違ってきました。私はずっと田池留吉に負けるものかと闘うてきました。ごめんなさい。素直になりたいです。素直になります。田池留吉ごめんなさい」という思いで涙が止まらなくなった。心はどんどん軽く温かくなっていきます。愛は温もりはこんなにも冷たい苦しい心を溶かしていくのか。他力のエネルギーの恐ろしさと田池留吉の優しい温かさを心で体験させていただきました。こんなにも自分を粗末にしているとは知りませんでした。
 「この温かい心もあなたですよ」と言ってくださる先生の優しい波動に「このままいたい。電話を切りたくない」と無理を言っていました。「セミナーでお会いしましょう」と言って、私が受話器を置くまで先生は侍ってくださいました。こんな私を信じて待っていますと言ってくださる先生。今日の貴重な体験を私の一生の心の道標にしていきます。ありがとうございました。本当にありがとうございました。

Jさんの喜び、聞いてください。

 真実の神を捨ててきたことも、肉は愚かで分かりませんでした。肉が本当の自分だと思ってきました。肉の幸せばかり望んできたのです。寂しい、愛されたいと心を外に外に向けていきました。癒されることはありませんでした。真実のことが分からなかったのです。

 お母さんに産んでいただき、田池留吉に出会うことが出来ました。そして真実のことを学んでいます。このときを私のなかの私もずうーと待ち望んでいたと思いました。
 一番望んでいたのは私自身だと思います。神を捨てた心は恐怖でした。常に闘争と破壊のエネルギーを、出しつづけてきた心には安らぎはありませんでした。肉は無知と強欲の塊の私でした。ようやく本当の私は意識でした、神の子でしたと思えられるようになりました。
 田池留吉は許してくださっています。私も自分を許していこうと思いました。長い間自分自身を許せなかったのです。自分に冷たい心でした。優しい自分になってくれることを、私のなかの闇も待っていると思いました。待っていました。
 田池留吉の優しい波動を感じると、長い間見失ってきた優しい心が蘇ってきます。許せぬ心、怒る心、寂しいと思う心もなくなり喜びだけが充満しています。いまだかって感じたことありませんでした。この心を信じて歩んでまいります。
 ありがとうございました。

「福島セミナーで感じたこと」Kさんから寄せられました。一読してみては。

 わかっている、できている、認めよ…そんな思いが心の中に充満していて、体中が破裂しそうでした。頭では「そんな思いを持っていてはいけない、自分をできているなんて絶対に言えない」とわかっている。でも心は正直でした。体の中から吹き上げてくるすごいエネルギーは、確実に己を表し、誇り、己を認めさせ、すべてを支配するエネルギーでした。肉がばらばらになりそうなくらいみなぎっている。肉を突き破って噴出してくる。まるで火山の爆発でした。こんなエネルギーを使っていた。こんなすごい闇の中で生きてきた。それでもまだ止められない。自分ではどうしようもない世界に、今も生きている。3億6千年も、こんなエネルギーを出し続けているのかと思うと、身がすくみます。でもうれしかったです。
 すべてを破壊し尽くしてもまだ飽き足らないくらいの自分なんだと、つくづく思いました。体を突いて吹き上げてくるエネルギーに翻弄されながら、なんてすごい学びの場なんだと思いました。闇を出せば出すほど、心は軽くなり、暖かさを感じるのです。「もっと出しなさい。そして喜んでいくのですよ」と、ずっと語ってくる田池留吉の意識。自分が何を誇り、何を認めよと叫んでいたか…あの闇出しの場で感じたものは、大きな許しの中で、一人よがりの馬鹿が、自作自演の劇を得々と演じている、こっけいな姿でした。
 いくら自分の力を誇っても、どんなに私はわかっていると叫んでも、ただただ信じてもらい、許されて、受け入れられている私でした。許しは大きくて大きくて、計り知れない感じでした。私が誇ってきた世界が、小さかったとは…そして田池留吉に心を向けると、「よかったね、喜んでいくのですよ、ただ喜んでいけばいいのですよ、ありがとうありがとうと、喜んでいくのですよ」と、優しさが伝わってくる。あまりの優しさに、すべてが崩れそうになる。「ごめんなさい、ありがとう」を、素直に言えばよかったんだ。
 自分の傲慢さがいやと言うほどわかり、懺悔の思いやら、感謝の思いやらが入り乱れて、心の中がひっくりかえりそうでした。肉を自分と思う心がつくり続けてきた世界のすごさを、改めて教えられました。自分だけを、自分の肉だけを尊んだ成れの果てを見せていただきました。それでも私の心の中には、田池留吉がいる。信じて信じて、待ち続けてくれている。あなたは肉ではありません、意識ですと。
 今、いったい私は誰に謝ったらいいのかと、思案している。ごめんなさい、ごめんなさい、許してください…ありがとう。そして、とてもうれしいのです。静かな喜びが、心に広がっていきます。あんなに大きな闇のエネルギーを抱えているのに、こんなに静かな自分が存在していることが、うれしいです。

今朝、「みんな田池留吉の中でした」と題して、ある方から喜びの声を伝えてきてくれました。読んでください。(0905)

 すべて田池留吉の中で私は、生きてきました。喜びも苦しみもすベての営みも、田池留吉の中で私は生きてきました。
 今朝は田池留吉を思えば、肉の私はみんな無くなったようで、その喜びと嬉しい状態を言葉に表すことは、肉の世界に戻るような気持ちが湧き、戻ることに抵抗があります。
 でも私の中の田池留吉は、全くやめることなく私の中で、喜びの波動を益々広げています。思わず田池留吉〜と、田池留吉を慕う心が一杯湧いて来て、涙が吹き出し大きな、大きな喜びと、嬉しい嬉しい波動は、胸が裂けそうです。喜びというより、一杯一杯詰まった喜びでむしろ痛みを覚えます。
 そこに、なんとなくお母さん嬉しいの思いが湧き、お母さん、お母さん嬉しいといつまでも続きます。やはり何を置いても、喜びの根本はお母さんの温もり、お母さん有難う嬉しい、というなんとも言えない母の温もりだと分かります。
 更に、田池留吉に心を向けると、やはりお母さん有難う、の思いの波動と変わりません。私は、今こうして文章にしながら、お母さんと田池留吉の波動をこの上なく頂いていますが、もうこれ以上肉の世界の文章はお断わりにします。そして、この侭底しれぬ喜びの波を泳ぎ続けていきます。続けることの大事さを痛感しています。続けるほどに田池留吉の優しい波動は、大きくなるばかり広がるばかりです。


 人生は喜びである

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