ドンとビンの心の風景

○の波動と×の波動の違いがはっきりと分かりましたか


「強烈な波動をアルバートと思ったときに感じました」あなたはどうですか。

田池留吉、アルバートとともに歩んでいくことが最高の幸せです。


私は厳しい厳しい未来を選びます。しかしそれは、アルバートの愛を信じるからこそ描けるシナリオでした。

 未来の自分に心を向けると、胸をえぐられるような苦しさに襲われる。寂しさと悲しみと、いわれのない偏見に虐げられる苦しさに満ち満ちた未来の自分が見えてくる。何でこの世に生まれてきたのか、こんなに苦しいのなら生まれて来なかった方がよかった。人間の残酷さを恨み、世を呪い、自分自身を最低まで落とし込め、それでも生きていかねばならないことを嘆いている。どんなに泣き叫んでも、どうしようもない現実に、生きる希望もなく、ただ神を呪うばかり。肉の世界で欲しいものを手に入れても、心満たされぬことを呪い、この肉の命を絶つ勇気すらない自分を嫌悪し、自暴自棄の心で、荒み果てた心で、ただ毎日をふらふらと過ごしている。そんな己の姿をはっきりと感じる。その心は、「田池死ね、アルバート死ね」と叫び続けている。二次元も三次元も、肉を基準とした世界を作って来た私にとって、未来もその延長線上にある。肉を本物と思う心のままに、私の未来は存在する。

 アルバートに向けての現象の時、また肉で会えるのだと、喜びで感激している自分があった。アルバートの波動に心がふるえ、大きな喜びを噛み締めていた。心がどんどんと広がり、とてつもなく広い宇宙を感じ、今まで体験したこともなかったほどの意識の広さを感じた。私の二次元も三次元も、すべては肉中心の世界だった。そこは、田池留吉という暖かい波動に包まれた、優しさの世界の中だったことに気づいた。しかしアルバートの波動は、もっともっと大きく感じられた。四次元という意識に目覚めた世界の大きさを、彷彿とさせる波動なんだと思った。

 今、私は肉どっぷりの世界から、意識の自分に目覚めたいと切実に願い始めた。肉の己を誇ることのむなしさから、真剣に神に帰りたいと願い始めた。やっと自分の前に生きる目的が見えてきた。喜びに満ちた生き生きとした、幸せな自分に帰りたいと、真剣に思い始めた。この道を信じて歩いていこう。この道しかない。そう思うと、過去から未来の自分の姿が、たとえそれがどんなに苦しく醜い自分であっても、いとしくていとしくてたまらなくなる。いつも愛されている自分の姿が確認できるからです。未来がどんなに苦しくても、私は四次元への道を歩いているんだと信じられる。苦しいからこそ、アルバートの存在を心に再び知ることができる。私は自分で描くシナリオの存在を、やっと信じられるようになりました。本当の自分が、真実の自分に帰るために計画した人生のシナリオ。肉を信じることがどんなに苦しみかを知るために、厳しい厳しい未来を選びます。しかしそれは、アルバートの愛を信じるからこそ描けるシナリオでした。自分自身を信じられるから書ける未来の図でした。今、私は確実に四次元への道を歩いていることを、この心で知りました。


感想 でも本当の私は知っていたのです。田池留吉が何者かを。

反省 「未来の中に生きています」

私の来世 アルバートの意識に目覚めたたくさんの友がいます。

感想 宇宙へ意識を向けてゆくと、今まで以上に田池留吉の意識のすごさが実感として感じられます。

感想 アルバートに心を合わせていくこと、それが自分自身を救っていく唯一の道だと確信しました。

「田池、殺してやる」、「アルバート、殺してやる」は偽りのない私の思いです。しっかりあります。そして、今、意識の不思議さを思っています。

ほんのわずかであっても喜びを感じたら素直に喜んでいけばよいのです。アルバートです。


己が偉いのです

 己が偉いのです、この思いが出てきます。認めてください、そして私を正しいと評価してください。己が偉いのです、己が正しいのです。神などありません、あるのは私という存在だけです。苦しいです、苦しいです。どうして、なんで、一生懸命にやってるじゃないの、努力してるじゃないの。この頑張りを認めてよと、この思いから抜け出すことができません。
 田池先生のホームページを見ても出てくる思いは、違う違う、違うって、私の思いと違う、私が思っていることと違う。そうやっていつも画面を見ています。私の思いが正しいと、あなた方の出しているものは田池の思いじゃないと。私は田池の何も分かっていないのに、田池留吉と私だけが神を知って分かっているんだと思っているのです。今もこれだけのことを思える私は素晴らしいんだと思っているのです。私の心は腐りに腐っています。どのようにも修正のつかないところに来ているのかもしれません。だけど、その苦しんでいる自分の中に、苦しんでいる先にきっと喜びが待っていると思える心もあるのです。
 「あんたそんなにいいもんですか」と、先生の声が聞こえてきます。頭では十分知っているつもりです。だけど心がついていきません。ただ外に心が向いていて、人ばかりが気になり、批判、評価しています。「何が分かったのよ、何を知ったというのよ」と、自分自身に問いかけているのですが、その答えが見つかりません。「あんたこの時期に来てまだそんなこと言っているのですか、みんな喜び喜びのメールが送られてくるのに、何ですかあんたの文は。」って聞こえてくるのです。
 私は焦りすぎています、早く、よりいっそうのものを気づきたい、誰にも負けたくない。結局私は「人間は意識なのです」が分かっていなのです。今まで心の反省はしていませんでした、やってきていると思っていました。だけどこの時期に来て、こんな大事なときに来て、こんなことをしていてもとも思います。自分を信じて、永遠にする仕事だから。そんな謙虚な気持ちもなくなっていました。

 前回のセミナーで、現在の心に向けての瞑想がありました。突然「桐山密教の桐山だ」が出てきました。「田池がなんだ、田池がどうした。田池出てこい、出てこんか。田池に何が分かる、神の何が分かる。おまえなんかに神が分かってたまるか。こんなに努力して神を知ろうとしている私に、未だ神が分からん。それなのにおまえはそこで何にもしていない、肉の努力もせずして座っているだけのおまえに、何が分かるか。」この人の思いは全く私そのものでした。やはり肉の努力があって神が分かる、山を駆け回る行者の思いその意識にどっぷり浸かったままに、ここに集い、未だその心に気づかずに、アルバートを乗せ、4次元を乗せ、いかにも高次元を知ったかのように、学んでいるかのように振る舞っている自分がありました。
 先生の言葉を借りれば「あなた方は甘いのです、本当に心を見ていないのです。神をなんだと思っていますか。そんなことで神が分かるとでもいうのですか。霊道が開いて心が分かるのですか、チャネリングができて神が分かるとでもいうのですか。愚かですよ、腐ってますよ。荘厳なる神があなたに分かりますか、私が分かりますか。もう十分に苦しんできたあなたです。この辺でどうぞ喜びを感じていってください、神の愛をあなたの心で感じていってください。その時初めて、神、私が何を言わんとしているかが分かってきます。」

 未来に向けると、もういや、肉体を持つのはいや。肉体を持ちたくない。肉体なんかいらない。苦しみたくない。これ以上の苦しみなんかいらない。こんな苦しみなんかいらない。私は生まれたくない、生まれたくない、と出てきます。
 日々の生活の出来事なんてどうでもいいように思います。この心の苦しみは、沢山のお金があったとしても、美味しいものを沢山いただいたとしても、どんなに毎日が面白おかしく過ごされたとしても、心の苦しみは消えないのです。ずっと心の深くにあるのです。この苦しみを見ていかない限り本当の幸せは来ないのです。
 現象の中で、台風の中の木の葉のように、上や下、右や左に飛び跳ねる体験がありました。そこには思いもなく、ただただ強烈に吹き飛んでいく姿があるだけでした。後にその現象を思ったとき、今の私の思いのままでは4次元には到底行けるものではない、4次元という光の中には私の姿はこれなんだと、行けないと思ったのです。

私は本当の喜びを知りませんでした。

 本当の幸せを知りませんでした。心が広がりアルバートの波動をこの心で感じていけばいくほど、私は本当に幸せだ、これが本当の幸せ、喜びなのだということが心で感じられました。
 肉を認められ肉の欲を満たされたならそれが幸せ、喜びの道へ通じるという心を何億年と持ち続けてきた意識に、繰り返し繰り返し伝えてくれている温かな波動を、今世肉持ちながらこうやって感じられる私は本当に幸せという以外にはありません。
 田池留吉の肉と出会い、私の意識の世界が大きく羽ばたいていこうとしています。力んで分かるものではありませんでした。今こうやってセミナーに集え、心を田池留吉、アルバートに委ねていけるそんな時間をこの肉が頂けることが嬉しいです。分かりたい、知りたい、意識の世界をもっと具体的に分かりたい、知りたい、何で私には感じられないのだろうかと心を落としてきた日々が今は懐かしいです。
 今ほんの少し感じられたアルバートの宇宙、そして私の心の広さ、それだけでも私は本当に嬉しいです。しみじみ嬉しさを味わっています。

反省  本当のチャネラーとは…

 先生が「古いチャネラーは眼中にない」とあちこちで言われているのを耳にし、心を落とし込めていました。先生の言葉を肉で捉えていました。
 でも、今日先生の言われていることの意味がわかったような気がしました。波動を伝える、アルバートの波動を伝えることはとてもできませんでした。波動で愛を伝えることはとてもできませんでした。単に言葉を並べた占い婆でしかなかったと思います。チャネリングの内容を誇り、競い、何をしていたのかと思います。闇の言葉を誇っていたにすぎません。
 本当のチャネラーとは愛を伝えていく人、アルバートの波動を確実に伝えられる人、喜びいっぱいの人、自分を意識と信じている人、自分はアルバートだと確信している人、そう思いました。この学びの場では真のチャネラーしか通用しない、そんな場なのだと思いました。
 私は占い婆チャネラーの看板をはずしていきます。

感じたこと  真のチャネラーとは…

 チャネラーとは今まで意識を受ける人、心を読み取れる人という感覚しかなかった。ラジオに徹してということも、それで感度がよくなるという意味あいで受け止めていた。
 チャネラーとはアルバートの波動を全宇宙へ向けて流していける人、アルバートと心を一つにし、アルバートの意識の中で、アルバートの思いを伝えていける人、それが真のチャネラーだと思った。来世、3次元最終の場にアルバート自身がチャネラーとして現れてくる意味が、そして全宇宙へ向けて愛の流れるスピードの速さが思われる。

反省  肉の思いに振り回される人生はもういらない。

 私も知りたい、わかりたい、感じたいという思いいっぱいでやってきた。人の感じる喜びを羨み、意識の世界をより知った人を羨み負けたと悔しがったり、自分は到底そんな世界は感じられないと投げやりにやる気を失ったり、愚かなことを繰り返してきた。肉を基準に、今まで生きてきた価値基準をこの意識の世界に持ち込んで、意識の世界を知ろうとしてきた。アルバートの宇宙を知ろうとしてきた。知ろうとして知れるものではなく、わかろうとしてわかるものでもなく、感じたいと思って感じるものではない。
 さらにと何かを望むから、比較する心があるから、自分の感じた喜びを、幸せだという思いを、田池留吉に出会えた喜びも、このセミナーに参加できる喜びも、自分の心で見失ってしまう愚かなことを繰り返してきた。自分自身を小さくし、卑屈になり落ち込むことは、自分自身を殺し、さらなる大きな闇をまきちらすことだと思った。喜びの心だけでいい、どんなに小さくても喜びの心だけをこの心に膨らませていける、そんなこれからを歩んでいきたい。肉の思いに振り回される人生はもういらない。アルバートを思いながら、自分の心をひたすら見ていく人生、自分が決めてきた人生をしっかりと歩んでいこう。

反省 私は意識ですという基盤は喜びをうみだし、肉だとする思いは喜びを打ち消していく。

 心の癖というのは本当にしぶといということを今まで何度も体験してきました。でも振り返って見ると、基盤が肉に傾いている時、心癖もどっと出てくるように思います。心の中の田池留吉、アルバートに思いを寄せ、本当の自分自身を信じている時、基盤が意識にある時には心の癖もなりをひそめているようです。同じようなことを見たり聞いたりしても、心が揺れる時とまったく揺れない時があるのを体験してみて、その時の心の基盤を確認してみると、自分の心がよく見えてきます。いかに肉の思いが、肉こそ自分という思いいっぱいでやってきたか、すべてを肉を通して見ていたか、自分自身の価値観、価値基準が見えてきます。
 心の基盤の違いによって、「あぁ、もうこんな自分だめ」と思うのと、「そんな心の癖が見えてよかった」と喜ぶ、その差がでてくるように思います。私はいつも前者でした。私は意識ですという基盤は喜びをうみだし、肉だとする思いは喜びを打ち消していく相反するものでした。意識の転回がすべてにおいていかに大事なことなのか、言葉だけの理解に終わり、心では何もわかっていなかったように思います。

反省 誰が先に目覚めてもそこから愛を、喜びを感じます。ともに学べることが嬉しいと、ここに出会えたことが嬉しいと。

 周りが気になって肉の次元で羨んだり、妬んだりひがんだり、責めたりしていた時には、田池留吉のあふれる愛に気付くことができませんでした。自分の心を見て少しなりともその間違いに気付いた時、もうすでに充分愛され、アルバートの波動の中にすっぽりと包まれ、はるか3億6千年の過去より受け入れられ許され愛しつづけられてきた意識であることを心で感じ、幸せな思いに満たされます。何と腐りきった歪んだ思いを心に溜め込んでいたか、その間違いに気付きながらもそれでもなお自分を正当化し相手を責めまくっていたか、凄まじい波動を流しつづけていたか、それでもなお許しの中に存在していたことを、ただただ申し訳なく、感謝です。すべてが自分の心の中に原因があったとあらためて思っています。
 もっとわかりたい、感じたい、知りたいという思いが己の肉を表す、我こそは一番という欲を満たす大闇の思いだったことを強く感じています。でもこの頃一番も二番もビリも何もないと感じています。喜びの心はすでに皆が持っているアルバートの思い、それを一人一人が自分の心の中に見出していく、それだけだと感じています。
 たとえ誰が先に目覚めてもそこから流れる愛を、喜びを感じます。ともに学べることが嬉しいと、ここに出会えたことが嬉しいと。
 アルバートを信じ、アルバートとともに歩んでいこうという思いが広がってきます。ありがとうございます。

意識の流れに心を委ねていくことが幸せへの道であることを実感しています。

 喜び少ない私の心にありがとうの思いがどんどん広がっていきます。特別に何かがあるわけではありません。ただ毎日毎日が過ぎていく中で、目を閉じるその時間を頂いて、そうしたとき私の心は本当に安らいでいることを感じます。このままでいい、もう何もいらない、私が今こうしてこんなに素直な自分と出会えているその時間がただただ嬉しいのです。どれだけ愛されてきたか感じられます。周りはみんな優しいって感じます。
 幸せにしてくれるものを求めてきました。どうすれば心が満たされるか模索してきました。苦しい、寂しいっていう思いを出せずにきたから苦しかったことも分かりました。でも私の心の中には、何もなくても幸せだ、そして嬉しい、ありがとうと素直に思えるこんな幼子の思いがあります。そしてそのことを喜んでいる私がまた嬉しいのです。
 いわゆる4次元の世界は現実と遠く離れた世界、夢の世界、実現不可能な世界、そう思ってきたことがどうやらそうでもなさそうです。ずっとずっと前から学びに集う前からそんなの空想の世界だと思ってきました。でもでもセミナー会場で体験できることは夢、幻の世界ではなく、本当にそういうことが現実に目の前に展開されていることを感じます。肉の世界に長く生き続けてきました。その世界が全く自然に何の違和感もなくしっかりと心にあります。そんな私の心にも4次元へ移行していく流れの中にあることを今しみじみと感じさせてもらっています。意識の流れに心を委ねていくことが幸せへの道であることを実感しています。

喜びのセミナーでした。

 みんなと手と手をつないだ輪が一人また一人と輪が大きくなっていくのを見てとても嬉しさを感じます。幸せを感じます。このセミナーの場でこうやって肉を持ってこんな幸せ喜びを味わえるとは思いもしませんでした。
 わがまま気まま自分勝手な思いを出してきました。あって当たり前の私でした。でも私の中にこんなに喜べる心がありました。みんなと喜びを分かち合いたいと思える心がありました。素直な素直な私がありました。それがとてもいとおしいです。本当の私は私の心の中にはこんなに嬉しい思いがあった、所かまわず喜びまた泣き、こんなに幼子の私が、こんなに自由な私があったと確認できるセミナーは最高に嬉しい場です。
 闇が出てアルバートなんか思えない、喜べないと思っても「いっしょだよ、嬉しいね、アルバート」と言って手をつないでくれる仲間がありました。とても嬉しいです。闇もそうですが、喜びも色々な喜びに出会います。体は飛び跳ね心ははちきれんばかりの嬉しさもあり、心から心の底からアルバートと叫ぶ喜びもあります。それは懐かしい故郷、お母さんの温もりを求める思いです。そして私が一番幸せを感じるとき、それは静かな静かな安らぎがこの心に広がっていく、ああこれが本当の幸せだ、本当の喜びだと感じられる時間空間です。こんなセミナーに集えたことが本当に嬉しいです。
 田池先生、ありがとう。みんな、ありがとう。いっしょに4次元へ行こう。みんなでそうやって心をひとつにしてアルバートとともに歩いていける喜び、嬉しさを何度も何度も感じています。嬉しい、嬉しいです。

私は幸せでした、私にはもうありがとうの思いしかありません。

 私はアルバートを伝えることが喜びでした。アルバートの波動の中でアルバートとともに歩いていく私を確認できるからです。
 私の中で過去も現在も未来もひとつであることを感じます。私の中の過去、アマテラスも苦しい中、今アルバートをもっと伝えてくれと語っていました。「アマテラスの力、この日本の国を牛耳ってきたアマテラスの力が弱くなってきたから、だから富士の山が崩れこの日本の国が沈没していきます。喜びです、この国が沈んでいくことが喜びです」と語っていました。
 そしてまた私の来世が私に伝えてくれました。「私は喜び、喜びです。今よりももっと荒れ狂っているアメリカで、荒れ狂っている人々の中で私達は再会できるのです」アルバートのもとに集える喜びを伝えてくれます。世界の各地からそんな仲間がアルバートのもとに集まってきます。それがそのことが私の心の中ではっきりと確認できるのが、あのセミナー会場の場なのです。
 「私は幸せでした、私にはもうありがとうの思いしかありません」と来世の私が語っています。アルバートとともに歩いていく未来が大きく私の心の中に広がっていきます。私の心の中には4次元の世界が広がっています。アルバートの世界、それが私の心でした。私の心にはアルバートの宇宙がどこまでもどこまでも広がっていきます。そして今世、私はアルバートを伝えるために肉を頂いたことをはっきりとこの心で知りました。来世も同じです。
 来世の私があのセミナー会場にいます。そしてたくさんのUFO達、UFO達が喜びを伝えてくれています。みんながひとつになって喜びの輪を広げていくことをUFO達が本当に本当に心の底から喜んでくれていました。
 アルバートの宇宙をあなたの心の中のUFOに伝えていくのです。私達は争いのあなた方ではなくひとつの仲間としてのあなた方を待っています。喜びの輪をこの宇宙に広げていってください。

 私の意識の世界は大きく広がっていきます。速いスピードで喜びを伝えてくれています。肉がそれに追いつけないそんな心境です。でも心に響いてきた喜び、嬉しさ、幸せは間違いありません。
 今私は肉の田池留吉の存在に言いようがないほどの嬉しさ、喜びを感じています。本当に会えてよかったって思います。心から心から嬉しいです。喜びです。

「寂しくないよ、いつもいっしょだよ」そう自分に言えるようになりました。

 「幸せですか」と聞かれました。「幸せですか」と尋ねてくれました。こんな殺伐とした、狂った世の中において、心からそう聞いてくれています。本当の幸せをしっかりと感じていますかとそう尋ねられているようでした。
 アルバートに心を向けアルバートの存在をただ信じていく信じていける心、そんな心を私の中に少しずつ育んでいけば、私は自然に幸せを感じていけるのだろうなあと思っています。幸せにしてくれるものを求めそして探し、そのために心を使い自分自身を欺いてきました。欲の心で求めたもので自分を裏切ってきました。
 今、寂しい思いが出てきてもそんな自分に伝えることができるようになりました。「寂しくないよ、いつもいっしょだよ」そう自分に言えるようになりました。心の世界でつながっているものを私は感じられるようになりました。闇と手をつないできた私の心の中に優しさが温もりが広がります。そしてこれが私の本当の思いなんだと少しずつそう自分を信じられるようになりました。そうしたとき、私の周りには優しさがいっぱいだと思えるようになり、その思いがまた私の心に嬉しい思いとお母さんありがとう、お父さんありがとうの思いを広げていきます。
 心が揺れても迷うことはありません。そのように私の意識は語っているように思えます。

ホームページで「アルバートを伝えていきましょう」を私は肉の次元の小さな心でとらえていたことを知りました。

 この地球という星に降り立った私達は、たくさんのたくさんのUFO達を見捨ててきました。たくさんのたくさんのUFO達の犠牲の上に私達地球人の繁栄があると私の中のUFO達が伝えてきました。「我らの苦しみ悲しみをお前たちの心で受けてみろ。我らはお前達を許しはしない、絶対許すものか。お前達は我らを見捨てた。我らを見殺しにした。」そんなUFO達の思いを私はこの心で感じています。そんなUFO達の意識を受けることができない、そんなUFO達の意識を受けることが恐怖でした。それは宇宙時代に私は自分がどんなに恐ろしいことをしてきたか、たくさんたくさんこの心の中で殺し、そして言葉で表現できないほどの恐ろしいことを仕向けた張本人であることをこの心が知っているからです。
 ホームページで「アルバートを伝えていきましょう」を私は肉の次元の小さな小さな心でとらえていたことを知りました。あのセミナーは全宇宙に向けて開かれているのです。「アルバートを伝えていきましょう」は私の中の宇宙、私の中の苦しいUFO達を含むすべてに向けたメッセージでした。私はそのことに気付かせてもらいました。
 UFO達の喜びの思いだけを受けていきたい、そんな心も見えていました。

みんなの拍手の中にいて、私は死を迎える時、この拍手を思い出せると確信した。

 現象の時間に、先生の手の合図で、みんなの拍手が続いた。私は、目を閉じて、そのこころよい拍手の中にいた。体がしびれるほどの、その中で、心が静まっていくように感じた。大きな拍手の渦が心の奥に届くようで嬉しいと思いながら、この思いを忘れないようにしたいと聞いていた。みんなで四次元に行進していると思った。嬉しい嬉しいと心が叫ぶ、涙が溢れ出して止まらない。
 先生は、これ以上ない笑顔で、少年のような笑顔で、真ん中におられた。みんなの波動が一つになって、大きく膨れていく、どんどん大きくなってその渦は柱になってすごいスピードで、天に上がっていく。そして宇宙の果てまで一瞬に広がっていった。
 私は、この肉を天変地異によって、海にのまれて死んでいくとき、怖いだろうなあと、思うこの心があった。まだあるといつも思っていた。しかしこの拍手の中にいて、私は死を迎える時、この拍手を思い出せると確信した。喜びの拍手を心で聞きながら、死んでいけると思った。先生の優しいこの笑顔を心で見ながら死のうと思った。
 先生の笑顔は、まるで少年のようにかわいかった。そしてどの人にも優しかった。ホールの中のみんなはこんなに優しいんだと気付けて、すごく嬉しい現象でした。みんな本当にありがとう。先生ありがとうございました。

「死を迎えるとき、この拍手を思い出せると確信した。」この1行に何か共鳴する思いを感じました。

 手を叩いている先生の所に集まっていくとき、私の心の中には静かな静かな喜びが広がっています。そして立ち止まって目を閉じ拍手している私の心には安らぎが広がっています。アルバートへの思いが高鳴り、自然に身体が飛び跳ねるほどの喜びを感じたり、またアルバートを思うと自然に涙が出てくることもたくさんありますが、静かに静かに目を閉じてただそこにいるだけで嬉しくて安心できるそんな時間空間を感じるあのときも私は幸せだと実感しています。みんなの心がひとつになっていく、そう感じられるからです。

 私は幸せでした。とても幸せでした。目を閉じてぐるぐるぐるぐる輪の中を飛びながら手を振りながら回っていたとき、私はこの肉の思いが薄れていたように思います。声を出す訳でもなく、涙が出る訳でもありません。私の心の中には何もなかったように思います。もしかしたらあの瞬間アルバートとひとつになっていたのかもしれません。手を繋ぎ嬉しい、嬉しいと喜び合うのもまた喜びです。でも私にはあの時間が何とも表現できないような喜びであったなあと今振り返ってそう思います。
 静かな静かな心の広がり、私の心が広がっていくそういう体験を重ねていくうちに、自分の死をまた静かに受け入れることができるのだろうと思います。

私は、どんなにアルバートから遠く離れても、必ず喜びに帰る意識でした。

 今まで闇出しで、「田池死ね」と言葉で現していた思いが、私の想像以上のものであることを今回のセミナーで感じた。先生が前に立たれ、「私に心を向けて…」と言われた時、先生の背中を見ている時は何も感じなかったのに、真向かいになったとたん、心の底から言いようのない恐怖がわいてきた。単なる恐怖ではない。今まで感じたことのない恐怖だった。先生の姿が大きく大きくなって迫ってくる。田池留吉の波動が波のように迫ってくる。暖かい優しい波動なのに、なぜか恐ろしい。私の中の闇が恐怖におののいている。恐怖は怒りに変わった。「お前がそこにいるから私の心が滅茶苦茶になった。肉持った田池留吉に出会いたくなかったのに…私がなくなる…」意識の奥で震えている自分がいた。恐怖と怒りで震えていた。
 「田池死ね」とわめいてきたが、その思いがこれほどの恐怖と怒りで満ちているとは知らなかった。凍りつくほどの恐怖は宇宙時代の心と直結していた。今までの「田池死ね」とはエネルギーの大きさが違った。私の闇の根源と言えるほどの闇…田池留吉をアルバートをすべて否定する意識…私の闇が凝縮されたもの…そんな心が浮き出してきた。今までの心の見方が甘いと思った。心の宇宙をすべて汚し続け、真っ黒にしてきた。闇を飲み込みどれほどのブラックホールを作ってきたか…なにも言われなくても心で分かる。肉の思いで宇宙を支配し続け、ついにここまで来てしまった。懺悔と後悔とそしてあれほど恐怖を感じた田池留吉に感謝する心が一度に上がってくる。「肉持った田池留吉に出会いたくなかった」と怒っていた意識が、本当は田池留吉に出会いたくて出会いたくてしかたがなかったのだと感じた。田池留吉の波動は優しすぎる。それが闇にとってどれほどの恐怖なのか…しかしすべての意識は喜びに帰りたいと望んでいることをこの心の中から知った。どんなにこの時が来るのを待ち望んで来たかを知った。宇宙を飲み込む大きな闇も田池留吉、アルバートの前には喜びに変わるのだと思った。すべての意識はアルバートのもとに一つだと感じた。
 私は自分が汚し続けてきたこの心の宇宙に、しっかりとアルバートを伝えたい。どんなに暗い意識も本当は喜びなんだと信じていきます。私の前に肉持たれた田池留吉がどんなに大きな意味を持っているか、私はまだまだその価値を知らないのだと思った。それは私の反省が浅いことを表していると思う。喜びの現象で「私はあなた、あなたは私…ああ、私はアルバートとともに四次元に進むのだ」と感じたことを大切にしていきます。

 どんなにどんなに苦しくても、私は喜びに帰る意識でした。どんなにアルバートから遠く離れても、必ず喜びに帰る意識でした。私の故郷、母の心…ああ幸せな幸せな意識でした。許し与え、そして待ち続けてくれるアルバートとともに、今までもそしてこれからも、永遠に歩む意識でした。喜びが私でした。ありがとうございます。

ホームページ「私は、どんなにアルバートから遠く離れても、必ず喜びに帰る意識でした」を読んで

 僕も同じような体験をしました。
 福岡セミナー1日目の夜、田池先生が「目をあいて私を見てください」と言った時、僕は吸い寄せられるように、立ち上がり、前に出ていった。どんどん吸い寄せられていった。ものすごい、ものすごい波動だった。アルバートの波動、田池留吉の波動、言葉では言い表せないほどものすごい波動。光、喜び、愛、法、道、温もり、こんな波動を発する者にかつて出会ったことはない。そんなものすごい波動が、まさに波のようにどんどん迫ってくる。
 心の底からうなり声が上がる。僕は向かっていっている。その愛の波動に向かって向かっていく。怖くて怖くてならない。「早くやっつけなければ…。田池、死ね!」の思いで向かっていく自分があった。田池を威嚇せんと大声があがる。しかし、先生の手前で止まってしまう。それ以上、前に進めない。前に進みたくても、とてもじゃないが進めない。そして、田池先生と真正面に向かい合った。目を見れない。恐ろしくて恐ろしくて目を見れない。うしろめたくて、目を見れない。しかし、勇気を出して目を見た。先生が真正面に向き合った瞬間、目と目と合った。心の底から、数え切れない叫びがあがる。高圧電流が全身にいきわたる。怒り、悲しみ、憎しみ、怨念、3億6千年の思いが噴きあがる。火山爆発のように、腹の底から思いが噴出し、溶岩が流れ出る。闇が光の前にさらされ、断末魔の叫びがあがる。「俺は正しい!田池、死ね!」の思いに高圧電流が当てられ、全身が感電死寸前の状態となった。
 まさしく、田池留吉、アルバートを否定し、呪い続けた意識が一瞬にして浮き彫りにされた。ただただひれ伏すしかなかった。ひれ伏してひれ伏して顔を上げられない状態だった。あの波動の前ではただただひれ伏すしかなかった。
 今まで、頭では、知識では間違い続けてきたと何度も何度も思ってきた。しかし、心はそうは思っていなかった。「自分は正しい。自分の正しさはいつかは証明される」と心は叫び続けていた。しかし、アルバートの波動の前では、自分は正しいどころか、ただただひれ伏すしかなかった。高圧電流で感電死寸前の自分しかなかった。
 帰りたい、帰りたい、もうアルバートの波動に帰りたい。どんなに反逆し続けても、あの波動に帰りたい。

無心に田池留吉の目を見れない思い

 現象で無心に田池留吉の目を見ることができなかったのです。
 ホームページを見て、私の中に潜む思いが見えてきました。私のどす黒い真っ暗な思いが見透かされる、今まで口を閉ざしてきた、隠しとおせると思ってきた思いを出してなるものか、悟られてなるものか、とそんな思いでした。半身に構え、どことなく伏し目勝ちになる心、後ろめたい思いが一杯つまっているのでした。
 どんなに取り繕うとも、どんなに糊塗しようとも、絶対だませる相手ではないことを知り尽くした上での私の最後のあがきのように思えるのです。余りにも自分の暗い心を、苦しい心を、他力の心を知っているから、そんな心で喜べない、嘘の喜びだと自分を縛ってきました。こんなんでいいのですかと田池留吉に問い掛けてきました。すべてが肉の基準でした。心を見ることすらも肉が基準でした。3億6千年の闇をすべて知り尽くした上で、私達の目の前に心を救うために現れた田池留吉になお心を閉ざし、唾を吐きかけていた私でした。己が偉すぎて甘えることもできない愚か者でした。
 素直になれなかった私、素直になるということは、敗北だと、絶対負けてなるものかと頑張っていた自分が見えます。今すべてがアルバートの許しの中に、愛の中に存在します。どんなに反逆し、抵抗し、まだまだと踏ん張っても、心はもうアルバートの愛をぬくもりを優しさを知っているから帰っていける、みんな帰っていけるとそう信じてやみません。
 私達はすべてすべて幸せです。今この学びの輪の中に存在を許されていることが奇跡です。

田池留吉の肉が伝えてくれたもの

 私はたくさんの他力をしてきました。教祖、指導者の肉に頼ってきました.何かをしてくれる存在、頼りがいがある力を持つ存在として見てきました。そしてまた教祖、指導者たちもそのように思わせる努力をしていました。田池留吉はまったく違っていました。外見は普通の平凡な中高年でした。その姿は今まで他力で教祖等に使った心をまざまざと見せてくれました。反省するどころか、もっと頼りになる人を求める心をも浮き彫りにしてくれました。低く見下げる思い、疑う思い、侮る思い、威厳を求める思い、普通の人であってはならないとする思い。特別な人であって欲しい、そしてその力にあやかりたい、頼りたい、とする思いが一杯ありました。何も見えない、聞こえないと言う言葉に惑わされました。「何だ頼りない、普通の人なのか」その思いに私の思いがすべて込められていました。でも今、すべてが間違っていたということをやっと気付かせていただいています。本当に確かに波動でした。田池留吉の肉は私に過去使いつづけた他力の心を、肉を重視する心を、形を重んじる心を見せてくれました。
 アルバート、タイケトメキチ、そして肉の田池留吉、流れてくる波動はすべて一つでした。自分が肉で向かい合うのではなく、意識として向かい合えた時、それはより鮮明に自分の中ではっきりと確信できるだろうと楽しみにしています。
 今肉の田池留吉を思う時、ただただ「ありがとうございました、申しわけありませんでした、間違っていました」という思いがわいてきます。暖かな優しい波動と共に「よかったな、私はどう思われても一向に構わない、でもあなたの幸せのために、本当の私を知ってください」という思いが伝わってきます。

田池留吉が伝えてくれたもの

 真実はこれしかありませんよと確信をもって伝えてくださっておられるもの、それをどれだけ自分のものとして受け止めているだろうかと思った時、余りにも情けない状態だということを、本当に申し訳なく思います。田池留吉の伝えているものを信じ、実践を重ねてこそ田池留吉を心から信じていますということにつながると思う。その意味でとても信が薄かったと自分を振り返っています。命がけで、死に物狂いでという思いを真剣に受け止めていませんでした。田池留吉の肉はそれを伝えてくださっていました。命をかけてこの道を伝えてくださっているということがこの頃とくに感じられるのです。見返りを求めず、ただただ許し許し、受け入れ愛しつづけるその姿勢をたんたんと自然体で、私達に示してくれています。他力に毒され腐りきった心でその思いを受け止めることはなかなかできませんでした。いつも色眼鏡で自分の基準でしか、田池留吉を見ることをせず、ごちゃごちゃ言っていた自分が本当に愚かとしか言いようがありません。
 今田池留吉を思う時、その肉の姿はだんだんぼやけてただただ暖かな優しい母のようなぬくもりが伝わってきます。我が子の幸せを願う優しい母親です。時に肉の厳しさも感じていましたがそれも自分の心だったと気付かせていただきました。私の中で田池留吉は好きも嫌いもなく、そんな対象でもなく、崇めるものでも特別視するものでもなく、私達の心の故郷そのものだと感じ始めています。

肉で向かい合っても田池留吉を知ることはできませんでした。

 すべての間違いの根本は肉を基準に田池留吉に向き合っていたことから始まりました。そして今まで出してきた様々な思い、波動は田池留吉には合いませんでした。それなのになお自分を正当化し田池留吉を責め批判してきた大きな反逆を思います。ただただ許されていました。その愛を思う時、私はもう何も言うことができません。肉を持った人間がそこまで人を許し受け入れることが今までの経験からとても信じられないのです。
 田池留吉は肉ではなく意識として私達の前に立っている、私達にこの心を波動をしっかり感じてくださいと存在しているその意味が感じられてきました。間違っていました。2次元から3次元から田池留吉を知ることはとてもできなかったということが実感として感じられます。今私達の前に存在している田池留吉は、アルバートそのもの、ひとつとなって4次元、5次元の波動を伝えてくれています。私達はその波動の中に誘われた幸せな存在です。明るい自分も暗く苦しい自分も、すべてすべて許され受け入れられていた幸せを思います。

「田池、死ね!」がこんなにも喜びに変わっていくことを体験させていただきました。

 僕は、「田池、死ね!」をやり続けていました。田池の脳天から渾身の力を込めて、「田池、死ね!」と、振り下ろしてきていました。なんという大きな間違いをし続けていたのでしょうか。そのことを、現象で確認させていただきました。
 でも今、「田池、死ね!」のエネルギーに意識を向け、田池留吉を思うとき、「田池、死ね!」が喜びにはじけていきます。「田池、死ね!」がバラバラにはじけ、そこから光のエネルギーがほとばしり出ていきます。喜びが湧き上がってきます。火山爆発のように、喜びが大噴火し、溶岩が流れ出てきます。「田池、死ね!」がこんなにも嬉しく、こんなにも喜びになっていくなんて奇跡としか言いようがありません。こんなにも脳天から叩きわるような真反対のエネルギーで生きてきた自分が申し訳なく、愛しくてなりません。田池留吉、アルバートの波動の前に、「田池、死ね!」のエネルギーは溶かされ、喜び喜びの溶岩となって流れていきます。宇宙へ、そして、苦しみの世界に流れ着き、すべてが溶かされ始めました。アルバートの波動はすべてを愛に、喜びに変えていくエネルギー、そのことが心の底からふつふつと湧いてきます。ありがとうございます。今、「田池、死ね!」が泣きながら喜びに変わっていくことを体験させていただきました。ありがとうございました。

心豊か安心です。

 今は、ただ、田池留吉とアルバートを信じて行けばよい、ということだけになりました。そして、この思いが心奥にあると思えば、とても軽く安心です。私は、田池留吉、アルバートと、いつも心に決めてそれを思うことが、こんなに嬉しく、幸せな心になりました。
 アルバートを信ずることが私の全てを変えて行きました。過去宇宙時代から今日までの何億年間に、私の作った闇は想像することさえできません。その闇は今も私の中にあって暴れています。瞑想して「お母さんありがとう」から始まろうとすると、さっそく喉に咳が現われ集中力を止めてしまうのです。私の過去世と思いつつどうにもなりません。あらゆることを想定して供養に努めています。地球に来る前から、地球に来てからの私が作った何億の闇が、供養を待っています。喜べは喜ぶ程その傾向はひどくなります。でも気にはしていません。出てくることは当たり前で、出てくることを喜んでいきます。田池留吉、アルバートを信ずれば信ずるほど出てきます。
 これが今一番の喜びと受け止めてアルバートを信じていきます。

お前我らの全容をその心で知れば腰を抜かすぞ。

 「アマテラス、アマテラスなど目じゃないわ。アマテラスをこき使ってやった。アマテラスは我らの手下だ。」そう語っていました。語るのを肉は聞いていてこのエネルギーの実体は何だろうか、不気味に思いました。
 さらに語ります。「お前、ようやく我らの存在をお前の心で段々分かってきたのではないのか。だが我らはお前にまだ我らのすべてを見せているのではない。お前我らの全容をその心で知れば腰を抜かすぞ。お前の流すエネルギーは大きい。お前はすべてを殺してきた。誰も誰もお前の足元に近づけないはずだ。」
 肉はこんなに大きなエネルギーをどのように受け入れていけばいいのかと、そして第一私の中にこんなに大きなエネルギーが潜んでいるなんて、まだまだ信じたくない思いでいっぱいでした。
 さらに「語りなさい。」と優しく伝わってきます。しかし私の心の中で「もうこの位にしておけ。まだその時期ではない。すべてを語るでない。」という思いが出てきていました。

 「目覚めなさい。」と優しく促される波動により、少しずつその温もりの方に心を向けていけたと思います。温もりを感じ、気付きをありがとうと伝えてくれました。ひとつ大きな闇が出てきて、その意識が温もりを感じるたびに心が広がっていきます。この大きなエネルギーは私が培ってきたエネルギー、私なのだとしっかりと認めていくことがとても大切なことだと思いました。

想像もつかないほど大きい闇…しかしアルバートはその闇のすべてを包み込む。

 私の心の中にも底なしの闇が広がっている。「アマテラスなど枝葉にすぎない。我らのエネルギーのほんの端くれだ。手先として我らの思いの一端を現してきたにすぎない。我らの全貌をお前はまだ知らないのだ。宇宙と言うが、お前の認識は甘い。」闇は悠然として語ってくる。「アルバートなど我らには必要ない。お前がいくら心を向けようが我らはびくともしない。」
 少し前から肉に色々な現象が出てきて、私の心を揺らし、田池留吉に心を向けることを阻止するエネルギーを感じていた。そのエネルギーは今まで感じたことのない大きさだった。アマテラスを自由自在に操り、人間の肉の思いを思いのままにする。そこに展開する世界は、肉の世界を小手先で操る一次元の向こうの世界のように思えた。私が肉持つ遥か遥か過去に、この心に持った意識…どのように表現していいのか、とにかく私が肉持たなくてはならなかった意識の存在を感じた。今まで簡単に「神を捨て田池留吉を捨て」と言ってきたが、私はその意味を心で知らなかったと思った。その意味は私が思うより、もっともっと深いのだと思う。
 今、「自分を知る」ということの喜びを感じます。「私は意識、喜びの意識です」と、心に田池留吉を感じアルバートを感じる度に喜びは広がった。その反面、闇の世界が大きく目の前に見えてくる。真剣に自分は何者かと心に尋ねるとき、この底無しの闇を無視することはできない。いや、この闇の存在こそが本当の自分につながる唯一の手がかりだと思う。闇の存在に自分の心の歴史を垣間見る。そして心が行きつく先は田池留吉でありアルバートでした。こんなに深く広く、私は心を見ることができるのだ、私の心はこんなに果てしなく広い…たとえ今は闇の宇宙でも、きっとアルバートに帰ることができる、この心がすべてアルバートに戻るのだ…そんなうれしさで一杯になる。
 真っ黒い黒煙を上げて、私の心に迫るエネルギー…どれほどのエネルギーを私はこの心に貯めてきたのか…これが現実の私なのか…でもそのエネルギーが大きければ大きいほど、この心が田池留吉でありアルバートだと信じられる。不思議な感覚です。自分の心の全貌も知らず、ただ宇宙をさまよってきた寂しいだけの自分から、闇でもいい、生かされ愛されている自分を確認しながら、もとあった自分に帰る幸せを思います。もっと出て来ていいんだよ、この肉に働きかけてきていいんだよ、全部私なんだから、この私の心なんだから、私が作ってきた心なんだから、私なんだから…
 アルバートの無限の宇宙を思うとき、闇は私自身が愛であり法であり道であることを証明してくれる。想像もつかないほど大きい闇…しかしアルバートはその闇のすべてを包み込む。私が存在することの理由を自分の中に見た時、ただただ喜びと感謝しかありません。どんなに大きな闇も、私は受け容れていきたい。今、この心に立つさざ波のようなざわめきを感じている。それは田池留吉、アルバートを目の前にした闇たちのざわめきであり、喜びへの心の動揺である。恐る恐る喜びに近づいてくる闇たちの足音のように思える。

田池留吉もアルバートも自分

 幾ら田池留吉、アルバートを知りたい広い心を知りたいと思っても、自分の心に田池留吉、アルバートの喜びを持てない限り、絶対に田池留吉、アルバートは分かりません。そのことは厳然としてあります。苦しい心、欲の心で幾ら田池留吉、アルバートを求めても、決して分かるものではありません。自分の心に、自分は田池留吉、アルバートの喜びと幸せ、どこまでも広がる田池留吉、アルバートと同じ心を持てない限り分かりません。
 幾らセミナーに通い肉の田池留吉を求めても、自分が喜びと幸せの田池留吉の波動になれない限り分からない事に気付きました。瞑想を幾ら長くしても、自分自身に田池留吉、アルバートの素晴らしい喜びを感じなければいつまでも分かりません。ただ、自分の心の中の田池留吉、アルバートに心を向けるだけです。自分の中に田池留吉、アルバートの喜びが存在しなかったら分かりません。自分の中にアルバート、田池留吉を感じるように、講話、瞑想、現象を永年続けて来ました。今、その成果が如実に現われつつあります。あなたは私、私はあなたと言いつづけて来られた田池留吉の真髄が分かってきました。単に言葉だけに操られ深く、深く、田池留吉、アルバートとは何者かを掴んできませんでした。
 深く、深く、掴みその真髄を極めてきたら、少なくともその一部分でも自分の中に維持できたのに、今、田池留吉、アルバートと言っても、自分の心の中に存在しない、田池留吉、アルバートは出てきません。喜びと幸せは出てきません。
 私は、瞑想して田池留吉、アルバートに心を向けた時、自分の心の奥から田池留吉、アルバートの喜びの波動が湧き出てくるのをずっと感じてきました。やはり田池留吉、アルバートは自分の中に存在していました。心に存在しているからこそ、田池留吉、アルバートを思えば心奥から大きく喜びと幸せの波動が、湧き起こってなんとも言えない喜びが宇宙一杯に広がることを知りました。
 田池留吉もアルバートも外にありません。自分の心の中にあります。自分の心になかったら幾ら思っても、向けても田池留吉、アルバートは感じられません。喜びも幸せも感じられません。このことをしっかり心に持って、セミナーに現象に臨まなければと思います。

「アルバートを信じて信じていきなさい。」が私の唯一のメッセージとなりました。

 田池留吉もアルバートも自分なら、今不気味だと思っている心で感じられるエネルギーも自分だったのです。みんな私の心の中にありました。何度も何度も聞いてきました。受けたメッセージの中でも何度もその表現が出てきます。でも心で分かっていませんでした。今、田池留吉を思いアルバートを思えば心に温もりが広がります。優しい私と出会えます。そしてその心の中から正反対のエネルギー、大きなエネルギーも飛び出してきます。喜びも苦しみも外からくる、そう思い続けてきた心が苦しみを膨らませてきたと実感です。
 「私は喜びの意識です。私の本当の姿は喜びです。」
この僅か1行足らずのメッセージをどれだけ私の中の意識は待っていたか、この1行足らずのメッセージを本当に優しい思いで自分自身に伝えていけることが、どれだけの喜びどれだけの幸せだろうかと思います。今世肉体を頂いたからこそできるのです。温もりの私、優しい私、そんな自分を信じていける私に少しずつなれること、そのことがまた私の心に嬉しい、ありがとうの思いを広げていきます。自分をいとおしいと思うことがこんなに嬉しくて幸せなことだったのかと大きな闇のエネルギーが出るたびに感じられます。
 「アルバートを信じて信じていきなさい。」が私の唯一のメッセージとなりました。

アルバートに心を合わせ、アルバートを信じていくことを喜びとし、生きていく心の糧とすることが、私達の道でした。

 どんな闇も自分の心が作り出してきたもの、でもその闇があるからアルバートの心、田池留吉の心がさらに私達の心の中で確認できるということを知りました。どんな闇が出てきても、アルバートを信じ進む道には何の心配も恐れもなく、ただ喜びと安らぎが存在することを知りました。身辺にどんな現象が起こっても、それで揺れる心があっても、アルバートを信じていく道には心を広げていく喜びがあることを知りました。
 すべてはアルバートの心へ帰っていく道でした。無駄なことは何一つありませんでした。どんなに我をはっても、どんなに私は闇まみれだと嘆いても、心は嬉しくて嬉しくて喜んで喜んでいたことを知りました。どんなに田池留吉に逆らい反発しても、本当は今世出会えたことを奇跡だと大喜びする心がありました。私は何と幸せだととても喜んでいる心がありました。その心を覆い隠していたのは他でもない私自身だったということを今素直に認めていきます。素直になれたら楽なのに、一人でああでもないこうでもないと理屈をこねる癖がある自分だということを思い知りました。
 アルバートをひたすら信じていきます、嬉しいです、ありがとう、田池留吉ありがとう、その言葉以外に何も必要ありませんでした。

アルバートを思うだけで、アルバートの暖かな波動に包まれて、この上もない幸せを感じます。

 アルバートを思うだけで、アルバートの暖かな波動に包まれて、この上もない幸せを感じます。そんな思いになれるなんて自分が一番信じていなかったことです。喜びや嬉しさや幸せな気持ちを素直に伝えることが、気恥ずかしいというか何というか、できませんでした。長い年月、過去世を通じて培ってきた心癖でした。素直になるということが一番苦手な私でした。でも今そんな自分もすべてひっくるめて自分自身を愛しく思います。苦しかったね、もうやめていこうと自分自身に優しくなれることが嬉しいのです。
 アルバートを思い、アルバートに心を合わせていくということが理屈ではなく、自分自身を変えていくということに驚いています。そして今まで少しも信じていなかった自分を思います。意識の世界を信じていなかった自分を思います。
 愛が大きな本流となって一人一人の心の中にそして宇宙の隅々に流れ始めていることを感じます。

意識は一つです。ひとりが喜べば全てに伝わっていくのが喜びの波動です。

 今日も瞑想すると、心は喜んでいます。田池留吉が、肉を持って、私たちの前で、真実を伝えてくれることが、奇跡なんだと心が教えてくれます。田池留吉の存在が、肉でははかりしれないほどの軌跡なんだと、セミナーの体験や瞑想で、気付けるたびに感じます。
 すべて心が教えてくれます。私たち意識は、母の温もりなくしては存在しないと教えてくれました。永遠に消えないのは母の温もり、アルバートの波動です。その思いの中で存在するのです。永遠に消えないのを否定し続けてきたのが苦しみでしたと、教えてくれました。目を開けている自分の心と、目を閉じる自分の心の違いを、感じるたびにあぁ自分はこの思いの中に存在し、この思いに委ねているんだなぁと思います。
 お母さん、産んでくれてありがとうと、心が静かに静かに自分の口を通して語っている自分がとても嬉しいです。母の温もり、アルバートの波動を先生の肉を通して、感じられることを思うとき、先生が僕たちの目の前に存在することは、本当にすごいこと、奇跡なんだと思います。田池留吉が何者か、もう充分すぎるほど心が教えてくれました。
 心で感じることが本当に喜びです。常に先生は心で分かる学びだと言われたことが今、日に日に、自分の心を通して、実感できます。ありがとうございました。

 すべての意識は母の温もりの中に存在し、母の温もりに帰っていくのです。母の温もりなくしては存在できないのがあなたなのです。その思いを否定し続けたのはあなたの心の歴史でした。苦しみの歴史でした。本当は、あなたは初めから母の温もりの中で今まで転生してきたのです。私が、肉を持った今、そのことを思い出すことができるのです。あなたの苦しい心の歴史が、喜びの心の歴史へと変わっていくことを、あなたの心で感じてください。
 あなたの心すべてが私の思いを感じ、そのことを思い出せることを喜んでいます。私の思い、波動を感じられることの喜びをあなたの心と共に喜んでください。私の思いの中ですべてが存在しています。私の思いに帰っていく300年です。すべての意識が喜んでいることを私は感じています。私の波動を感じ、私の波動を流し始めた人が増えてきたからです。
 意識は一つです、ひとりが喜べばすべてに伝わっていくのが喜びの波動です。もともと喜びだけの存在だからです。その思い以外は存在しないのです。喜びは喜びを生み出していくこと、これから300年を通して、人類は気付いていきます。喜び喜びの300年の幕開けです。

たかが地球の一人の老いぼれが何をほざくかと、我らは肉の田池留吉を侮って来た。

 あんな肉に何ができるとたかをくくって来た。今、我らは肉の田池留吉の後ろに広がる無限の空間に心を奪われている。これが愛という波動なのか…なんと優しく、なんと穏やかで温かいのか…我らはただ田池留吉という肉しか見えなかった、肉しか見なかった。しかしその肉も、今や我らにとって恐ろしくもあり、また懐かしくもある。田池留吉に感じるこの思いは、我らが長く長く忘れていた思いであり、思い出すことを自らに禁じてきた思いでもある。言葉にならぬ思いが我らの心を満たしていく。どんなに抵抗しても、我らの心が求めていた。どんなに否定しても、決して抹消できぬ思いだった。
 あなたは知っているのか、田池留吉の後ろに広がる無限の宇宙空間を…小さな老いぼれの肉に隠された果てしなく広い世界を…我らは今、己が垣間見た田池留吉の世界に驚嘆している。戦いの刃が消えて行く。呪いの炎が消えて行く。そして我らの心に安らかな思いが広がって行く。みんな誘われるままにその心を曝け出し、うれしそうな顔をして田池留吉の宇宙の中に飛び出して行く。柔らかな波動が我らを包み込む。

 闇の言葉は私の思いを代弁している。肉の田池留吉を低く見て侮り、どれほど足蹴にしてきたか…口では「先生、先生」と言いながら、心は大変なものでした。己偉い頂点で君臨してきた私でした。今、肉の田池留吉を通して知ったこの無限の愛の空間に驚異し、そして「あなたは私、私はあなたですよ」と言われて、あらためて己の心を粗末にしてきた過去を懺悔している。私の心の中で今大きな転換が始まった。心の底から喜びの思いが噴き出し、どんなにしてこの思いを現したらいいのか言葉がない。肉の頑丈な鎧を脱いで、私本来の心が顔を出してくる。喜びの喜びの私です。ああ、うれしい…涙が静かに流れてくる。なにもかもが喜びです、喜びしかない世界が見えてくる。すべてが優しい波動です。喜びを伝え合う世界に私は生かされている。自分の心を変えることがすべてでした。田池留吉を殺し続けた私の心の世界が、少しずつ消えていく。肉にしがみついて生きてきた恐怖が薄らいでいく。果てしない地獄をさまよってきた心が、癒されていく。
 私は田池留吉に出会うために生まれてきた、アルバートの波動を心で知るために、今ここにいる。そしてこの幸せを伝え行くことが私の喜びでした。自分の存在が喜びの塊のように思えます。そしてそんな自分をはっきりと心で確認でき、心が定まった感じです。ここしかない、これしかない、唯一の道を私は歩んでいる…そんな喜びが心にこだまします。ありがとうございます。

素直になれたと、素直に喜ぶ思いがありました。

 あーなんとやさしい光、その光に誘われてやってまいりました。私は過去、たくさんの過ちをつくり出してきた意識でございます。その闇の大きさを誇り上げてきた意識でございます。しかし、私の心にこれほどのやさしい思い、安らぎは存在しませんでした。安らぎが存在しないために、私はたくさんの闘いを繰り広げてまいりました。たくさんのものを抹殺してまいりました。汚い世界をきれいにしてやろうと、そう思って闘い、たくさんのものを消してきました。その根底にある思いは、恐怖でした。安らぎのない思いでした。
 あなたは私がたくさんの暗闇をつくり出してきたことをご存知でいらっしゃいます。どれほどの悪行の数々を繰り広げてきたか、もう既に知っておられます。それでも、私を信じてくださるというのでしょうか。こんな私であっても喜びの心を感ずることができるといってくださるのでしょうか。この心だけでした。本当に本当に私が欲しかったもの、感じたかったもの、得たかったもの、それはこの心でした。たくさんのものを求めては、違うと思ってきました。私が望んだものではないと思ってきました。常に常に失望落胆でした、これだと信じ、やっと安らげると信じてきた私はいつもいつも、私が望んで得たものに失望しておりました。そのたびに私はもっともっとと心を外に向け、求める思いを膨らませていったのです。闘いを大きく大きくしていったのです。得れるものが多いほど、私の心は満たされるはずだと信じて邁進していったのでございます。
 待って待っておりました。やっとやっとこの心を感じることができました。素直にこの心を感じれることを喜んでいる私がおります。あー、嬉しい。そう思う私がいます。本当に嬉しいのです。これ以上の安らぎはありません。たくさんの過ちを繰り広げてまいりました。こんな私が許されておりました。その自分を認めていける時がやってまいりました。あなたのもとでこの心を修正していける時がやってまいりました。ありがとうございます。あなたを求めて遥か遥か過去よりやってまいったものでございます。田池留吉の思い、真実、その光が増してまいりました。だから私は出てくることができました。そのもとに出てくることができました。ありがとうございます。ありがとうございます。
 私はたくさんのものをこの心に携えてまいりました。地位、名誉、プライド、頭脳、人間が欲してきたもの、その全てを得てまいりました。しかし、しかし、私の存在が安定した時はありませんでした。私は常に常に不安定でありました。幸せになれると信じて握ったものに、私はとらわれ、更なる苦しみを自分に課していくこととなってしまいました。私は今世、その全てを投げ捨てたいと思いました。投げ捨てたいと真剣に、この心から願い、そしてこの肉体を与えられたのでございます。この肉体を頂き、田池留吉のもとに集い、そして今まで捨てようとして捨てることができなかった執着の思いを全て捨てていく覚悟で生まれてまいりました。それが喜びで生まれてまいりました。自分を解放していくために生まれてまいった意識でございます。そのために今世この私はなんのとりえも持たずに生まれてきました。誰に認められるほどの能力も持たずに生まれてきたのです。しかし、こんな肉であっても心につくりあげた己偉しの世界は無限であり、こんな肉であってもどれほど己を誇ってきたか知れません。思いがこの者から溢れておりました。苦しみがこの者を通して溢れ出ておりました。その思いを満たすこと、それが幸せになれると、この者は肉の努力を重ねてまいりました。しかし、田池留吉の存在を知り、その波動を感じるにつけ、この肉体が得てきたものはガラクタに過ぎなかったと知り始めました。
 嬉しいです。この者と共に心を供養していけることが嬉しいです。たくさんの意識がこの者のなかに存在しております。私のように自分の苦しみを認め、あなたの前に素直に出てくる意識はほとんどおりません。しかし、その全てはあなたの存在を心では待っております。それを感じております。やっとやっと波動こそが真実であると、この者も確信し始めました。己を誇る心を持っていては、タイケトメキチ、アルバートの波動を自分のものとすることはできないと感じ始めました。全てを捨て、心を委ねてこそ、本当に本当に田池留吉の伝える真実が分かるのだと、やっとやっと感じ始めました。私はそれが嬉しくて嬉しくて、やっと一緒に帰っていける、やっとやっとこの者も私の声を聞いてくれるとそう思い、出てまいったのでございます。
 意識の世界は複雑ではありません。とてもとても単純な世界です。本当に皆喜びに帰りたがっている意識ばかりです。どれだけ闇にしがみつき、己の存在は闇だと言い切ろうとも、その心はやさしさ、温もりを求めております。それだけです。それだけの世界です。単純明快な世界です。光か闇か。それだけです。皆皆光に帰りたいのです。どれだけの悪行を積重ねようとも、皆皆光を待っているのです。自分の闇に光が差し込むことを待っているのです。その時を今か今かと待っております。それが意識の世界です。そして皆皆光に帰っていく世界です。私はそう信じることができます。田池留吉の語る世界は真実であると、私は意識の世界から伝えます。そんなに恐ろしい世界ではありません。ただ、肉を本物と信じ、そしてその心で闘いを繰り広げていく思いは恐ろしいものです。しかし、その心に振り回されることなく、その心を供養していこうと本当にやさしい思いを向け始めた時、意識の世界ほど単純で、そして実感のある世界はないと、その心で知っていくことでしょう。その世界をこの者と共に、田池留吉のもとで証してまいりたく思っております。
 ありがとうございます。私も散々自分の闇を暴かれることを拒否しておりました。そしてこの者を脅しておりました。しかしこの者が田池留吉を信じ、そして素直に素直になっていく様を見るにつけ、私も素直になりたかった、でもなれなくて悪くなっていっただけだと思ったとき、素直になれることの喜びをこの心に思い返したのです。素直になりたかった。素直になれること。それができないだけで、私はこんなにもこんなにも苦しんできたのです。それだけのことでした。素直になりたかった。そう素直に言えることがまた嬉しいのです。声を大にして言えます。素直になりたかった。素直になれた。これ以上の喜びはない。素直になれたのは、田池留吉の肉があったからこそでした。あなたの愛があったからこそ、この者はあなたに心を開き、そして母に心を開き、そして我々にも伝えてくれたのです。こんな世界がありますよと、伝えようとしなくても伝えてくれたのです。私達は肉体がない分、敏感に心を察知していきます。この者の素直な心を感じ、そしてあれほど頑なであったこの者の心をこれほどやさしくした存在は何かと思いました。その存在に心を向けた時、私達も知ったのです。本当の愛を知ったのです。待って待って待ってきました。やっと出会えました。ありがとうございます。これから自分の作り上げた心の世界を、この者と共に、この者を通して、学ばせていただきます。

形の世界よ、ありがとう。今世の肉はとても幸せな肉でございました。

 苦しみだと思ってきた私の3億6千年はすべてすべて喜びであった。今世、田池留吉の肉を持った意識と出会わせていただいて、私はようやく自分の本当の心、自分の本当の姿をこの心で思い出しました。私は肉ではなかった、私は意識でしたと、そう思えた瞬間、私のこの3億6千年が喜びへと変わりました。私は幸せです。このことに気付けた私は幸せな意識です。今はただこんなに汚いこんなに醜い心を広げてきた私を受け入れ、生んでくれた母にありがとうの思いしかありません。お母さん、ありがとう。お母さん、ありがとう。私はもう何もいりません。私はこの心で知ったからです。私は意識であるとこの心で思い出したからです。
 形の世界よ、ありがとう。今世の肉はとても幸せな肉でございました。

「尽くして尽くして」と講話で言われていることを実践することが、さらなる喜びへの道だと思います。

 伝えてくれ、伝えてくれ、お前の心で伝えてくれ。今までお前の心にはなかった思いが、我らに伝わってくる。これは何だ、我らの心が騒ぐ。一緒に喜びましょうと誘ってくれるが、我らは今、面食らっている。喜びなど、我らの心にはない。喜べる我らではない。我らの心は苦しみの淵にある。何が喜びだ、何が幸せだ。我らはそんな心は捨てたのだ。寂しさと絶望に閉ざされた世界に生きてきた我らに、未来などなかった。永遠に続く暗黒を、我らは己の心としてきた。光を恐れ、温もりを拒み、恐怖に戦く心の世界を造ってきた。それが我らに与えられた運命だと、あきらめてきた。ああ、しかし、何かが変わって行く。我らに伝わるお前の心が、どんどん変わって行く。それが我らにもわかる。心の奥から「うれしいな、うれしいな」と呼びかけられる。「うれしくない、うれしくなんかない」と耳を塞いでも聞こえてくる。何度も何度も否定する思いを送っても、また聞こえてくる。気が付けば我らも何時の間にか「うれしいな」と、小さな声で言っていた。言えば言うほど心が楽になる。まだ大きな声で「うれしいな」とは言えない。あたりを見回して、我らの声を誰も気付いていないのを確かめて、また小さな声で「うれしいな」と言ってみる。みんな気付いていても、しらんぷりしてくれているのだろう。初めて、心の中に「うれしいな」と言う思いがわいてきた。そして心で「うれしいな」を味わっている。

 「アルバートをどれほど信じていますか」と聞かれたら、私はなんと答えるだろうか。自分が信じた分しか喜びは伝わらないということを実感しています。闇たちが喜びの現象に参加して、喜びに触れて、驚きと喜びを伝えてくれる。「ありがとう、ありがとう」と伝えてくれる。しかし一番うれしいのは、この私でした。心の闇たちが悪態をつきながら、恐る恐る手をつなぎに来て、そして何時の間にか「うれしな」と一緒に言っている。喜んでいるのが闇なのか自分なのか、もうわからない。たくさんの懺悔とそして喜びが涙となって流れてくる。喜んでいる闇は、私自身でした。喜びが喜びを呼び、大きく大きく、広く広く心に伝わってくる。こんな喜びを味わえるなんて…心がはちきれんばかりの喜びです。信じれば信じるほど、また喜びも大きいと感じました。そしてその喜びが、もっと大きな喜びにつながるのだと思いました。
 「アルバートを伝えて行きましょう」とメッセージにありましたが、アルバートを伝えていくことが私の喜びであり、アルバートを知ったら伝えずにはおられないのだと思いました。喜びを伝えることが私の本当の姿なんだと思いました。こんな私があるなんて、ほんとうに信じられないけれど、喜んでいるのは私でした。「尽くして尽くして」と講話で言われていることを実践することが、さらなる喜びへの道だと思います。アルバート一筋に、喜びの道を歩きたい。信を深めていくことが、喜びでした。ありがとうございます。

宇宙を汚し続けた己を思うとき、こんなに幸せでいいのかと、心が号泣します。「田池を殺せ」を合言葉に生きてきた私でした。

 今朝、Aさんからメールの返事をいただきました。その中に「宇宙で大闇を垂れ流してきた私達が、許されて許されてやっと出会えた。出会えたことがうれしくて、本当にうれしかったです。許されて、愛されて、ともにアルバートの世界へ、四次元の世界へ進んでいける友でした。」とありました。この言葉を読んでいて、私の中から「私はどうしても生まれてきたかった。肉が欲しかった。どうしても、どうしても、生まれてきたかった」と、肉体を欲しがった自分の心が大声をあげて、今ここに肉体を持たせていただいたことを喜び始めました。今まで、「許されている自分」を何度も何度も感じさせていただきました。けれども今日ほど許しの深さを感じたことはありませんでした。セミナーで、田池先生が「本当の誕生日は肉をいただいたことを、お父さんお母さんに本当に感謝した日です」と言われましたが、私の「お母さん、ありがとう」はまだまだ浅かった。心の叫びとして、どれほど自分が生まれてきたかったかを知ったとき、母の愛、温もり、許し、私を受け容れてくれた思い、そのすべてがどれほどのものかを心で知りました。
 田池留吉とともに肉を持たせていただけることを、どんなにどんなに切望したことか…遥か過去から待ち望んだ時が、今私の前にある。たくさんの友と約束し、ともに肉をいただき、ともに集い学び、喜びを伝え合い、ともにアルバートの世界、四次元に旅立とう、そのように約束した友に出会えた。今、私達の前に田池留吉が肉を持たれている。そしてアルバートを伝えてくれる。どれほどの許しと愛の中に私達はいるのか…ただただ喜びと感謝です。計り知れないほどの幸せの中に私はいる。お母さん、私を生んでくださって、本当にありがとう。私は自分の望んだ人生を送ることができます。田池留吉に出会い、アルバートを知り、この心に喜びを再び呼び起こし、自分を救って行くことができます。宇宙を汚し続けた己を思うとき、こんなに幸せでいいのかと、心が号泣します。「田池を殺せ」を合言葉に生きてきた私でした。長い長い時間、闇の帝王だった私でした。それでも肉をいただき、田池留吉に出会えました。信じて信じてくださる方に出会えました。ああ、私の心はもうまっすぐにアルバートを求めていきます。これが私が望んで望んで、やっとたどり着いた道でした。
 たくさんのありがとうを友の心に送ります。一緒に四次元に進もうねと言ってくれる友でした。うれしい、うれしい、その思いだけが伝わってくる。田池留吉が優しい目をして、私達を見守ってくれる。今、静かな喜びが心一杯に広がっていきます。ありがとうございます。

母に生んでもらったこと

 たくさんの思いを感じます。今ここに肉を持ち存在しているということ、どれほどの愛をもらってきたか計り知れません。苦しい世界ばかりをつくり上げてきました。その私が許されていることを教えてもらいました。この肉体があるということ、それが愛の証しであると思います。この肉体を頂いて今がある、自分がつくってきた心の世界と共に今存在している。ただ、ありがとうという言葉しか通用しないような気がします。愛されてきた。その一言に尽きるような気がします。
 たくさんの自分がつくり上げてきた苦しみを自分と信じ、苦しみのエネルギを放散してきました。どれほど神に反逆し、田池留吉に刃向かい、母に呪いをかけてきたことでしょうか。私の全エネルギーを結集させて、私は全てを破壊させることを目的として生きていた意識です、田池留吉を抹殺せんと、その時を虎視眈々と狙い続けてきた意識です。今か今かと田池留吉がくたばる時を待ち続けてきました。早くくたばれ、いつまでこの地上界にのさばっているんだと、そう田池留吉の肉体を見るたびに思ってきました。早くなくなれ。早くその姿をこの地上界から抹消しろ。早く早く。その思いをただひたすら田池留吉に向けていました。いつまで存在する気だ。早くくたばれ。皆の心にお前の愛の波動が根付く前にくたばってしまえ。お前の亡き後は、この私がしっかりと皆を闇の地獄へと突き落としてやる。そんな思いを使っていた私でした。
 この私を愛で包んでくれた存在がありました。それはこの私がこの心を向けている田池留吉でした。どれほどこの思いを向けようと、もっと出しなさい。そう言ってくれました。どんどん出していきなさい。あなたの本質は愛ですよ、温もりですよ。喜びですよ。そう伝えてくれる存在でした。
 たくさんの転生を重ねるたびに、真実から遠ざかっていきました。真実を捻じ曲げていきました。その私を愛してくれました。その私を無条件で受け入れてくれたのは、母の温もりでした。母の子宮の中で、私は安心して存在していました。自分が今の今まで苦しんできた思いを抱えながら、それでも包まれていることを信じられる私がいました。ただ委ねておりました。母の愛をこの心に一心に受けさせてもらっていました。ありがとう。嬉しい。そう感じておりました。その心、田池留吉の思いと同じでした。
 この肉体が今あるということが、本当にありがたい。この肉体を持っている今に、田池留吉に出会い、そして真実を伝えてもらい、自分の犯した過ちを供養する道を教えてもらえたことは、計り知れない愛です。お母さん、なんだか余りにも簡単にこの真実を知ることができ、戸惑っています。これほどの真実に出会わせてもらえました。肉の私は馬鹿なので、なかなかその真実に身を投じていく覚悟ができず、ウロウロウロウロとしていました。
 意識の世界の深遠さ、嬉しさ。ありがとう。そう言える素直さ。お母さん。ただただ安心の空間を頂いておりました。肉のとらわれもなく、何もなく、あるのは喜びの世界でした。生まれていけることを喜んでいる私の思いが存在しておりました。この肉体をいただけること、それだけをただ喜んでいる私がいました。肉でどれだけ苦しむかなど、そんなこととるに足らない問題でした。ただ、今、この空間の中で母の温もりを感じ、そして肉体をいただけることの喜びを胸一杯に膨らませておりました。
 生まれてこれて良かった。田池留吉に出会えて良かった。家族で愛されていました。愛されているとそう実感できる私になりました。愛されていることを素直に喜べる私が、はじめから存在していました。肉を本物と思い、そして肉の世界で生き、その中でたくさんの苦しみ、真実を塗り替えようとする心を使ってきました。そのすべてを田池留吉は知っていました。それでも私に向かって伝え続けてくれました。一番見下してきた母に感謝することを知りました。一番見下してきた母が、私に一番大切なことを本当に大切なことを教えてくれていたと、気づかせてもらえました。生まれてこれたことが喜びです。生まれてこれた意味を知り、そして死んでいける私も幸せな存在です。ありがとう、この肉体もありがとう。ありがとう。嬉しいです。生まれてこれたこと、お母さんの子供として今生きていること、それが嬉しくてなりません。ありがとう。

アルバートありがとう

 アルバートを思うことが如何に素晴らしいか、今、私はそのアルバートの喜びの波動を余すところなく感じ、この喜びの波動の中でよかった、良かったと感激しています。そして、肉の田池留吉に巡り会うことは、アルバートに巡り会うことだったことに感激しています。アルバートは私の中に、今、完全に定着しています。アルバートを心に思えば私の中から大きな喜びの波動は、たちどころに広がり喜びの波動は果てしなく宇宙に広がります。そして、そこには喜びの波動のみでなんにもありません。この世界にいつまでも留まっているときが、所謂4次元と信じ全く夢の世界を感じています。
 この喜びさえ信じ感じていれば、この世的な所謂3次元的な思いは全く存在しません。なんの悩みも苦しみもなく、遠い昔の過去だったとしか思いません。今、肉の田池留吉に巡り会えたことがようやく、素晴らしいアルバートに巡り会えたのです。アルバートを思うことが私の仕事、こんな素晴らしい仕事に巡り会えました。毎日アルバートに感謝して仕事に励める私は幸せです。

私達はいつもあなたとともにいます。私達に心を向けてください。そして田池留吉、アルバートを伝えてください。

 私は私と出会いたいから肉体を持って生まれてきました。どうしても今世生まれてきたかったのです。田池留吉が肉を持つ今世私達はどうしてもあの方と会いたかったのです。何億という意識が必死の思いで肉体を持たせて頂きました。そして私達はあの方と出会うことができたのです。私達は今世あなたの肉体を通してやっと真実に巡り会える道筋を今歩いています。
 田池留吉を殺すために生まれてきたと思ってきた私達です。そしてその温もり、喜びに反逆する思いもまだまだこの心に秘めています。でもようやく私達は田池留吉を殺すためでははなく、田池留吉に本当に会いたかった、それはちょうどふるさとの母を思う思いと同じ思いを田池留吉に伝えたかったと今心で気付き始めています。すべてを破壊してきたエネルギーも優しく包み込んでくれた波動に私達は今世やっと巡り合えました。田池留吉の心からあなたの心へあなたの心から私達の心へと喜びの波動はしっかりと流れていることに誰よりも気付いている私達です。私達はただ伝えてほしかった、ただ私達に気付いてほしかった、ただそれだけでした。そしてともに学びともに気付いていける喜びをあなたに伝えています。
 この3次元で肉持つあなたに私達はいつも伝えています。「私達はいつもあなたとともにいます。私達に心を向けてください。そして田池留吉、アルバートを伝えてください。」

セミナー参加の動機の間違いが見えました。

 セミナー参加の動機の間違いが見えました。セミナーと肉の生活を切り離して考えていた私がありました。「セミナーはセミナー、肉は肉。私はその肉の生活をより良くしたいために、自分の欲望が叶えられるために、私はセミナーに参加している。この私の欲望を叶えろ。」その思いはどこまでもエゴ丸出し、己一番、自分さえ良ければいい。喜びのない欲だけでした。人を蹴落としても自分さえ幸せになれればいい。宗教・他力信仰剥き出しの欲そのものの思いでした。
 「意識は意識、肉は肉。意識は肉をより快適にするために利用するもの。肉が主で意識は従。肉に意識を従わせるために私は意識の修正をする。」振り返ればずっとずっとその心を使い続けていました。私の根底はその心でした。それが私の動機でした。田池留吉もそのために利用していた私でした。あー、今どんどん楽になります。間違っている自分がはっきり見えてくれば見えてくるほど楽になるのです。嬉しくなるのです。「意識しかない。」本当に田池先生がそう言い続けてきたことが私の中からもまた同様にそう出てくるのです。肉を握り続けた私は疑心暗鬼の中で「信じたいな。でも信じられないな。信じたいな。信じていきたいな。でも信じきれないな。」そんな繰り返しでした。そんな自分がどんどん剥がれ落ち田池留吉と一つになっていけそうです。「意識しかない」そこには「肉」の「に」の字も出てくる余地がない。

肉が主で意識が従だとは思えなくなりました。

 ドンビンの所にセミナー参加の動機の間違い〜という文章がありました。肉の生活をよりよくするためにセミナーに参加している、肉が主で肉に意識を従わせるために意識の修正をする、とありました。私はどうだろうかと振り返りました。私は今の肉の生活にさして不満はありません。特にこうなりたいとかこうあってほしいとかありません。と言って特別な生活をしている訳でもなく、普通に朝起きてという毎日を送っています。肉では得られない、どれだけ努力してどれだけ頑張っても形の世界からは到底感じることのできない意識の世界、心の広がり、心の温もりを今世の肉は感じさせてもらいました。だから目を開けて日々流れていく生活の中で肉に心を揺らされたりすることはあっても、私はその心の体験がこの心にしっかりとあるから、肉が主で意識が従だとはもう思えなくなりました。
 肉のことは本当にほどほどでいい、肉のことを深く考えたり、突き詰めて考えたりせずとも、必要であれば目の前に現れるし、必要がなければ消えていくのだなあと今まで心から離せなかったものが段々そのとらわれている思いが緩くなってきたと感じるようになりました。何より心が少しずつ軽くなり、今まで受け入れられなかったことでも割と簡単に流していけるようになったと今感じています。
 セミナーに集え田池留吉と出会えたから、意識の世界を自分の心で知っていける、それが何より幸せだと思っています。

頭で知っていることが本当に知っていることではないということをつくづくと感じています。

 心の中から「田池など信じるな、馬鹿を見るぞ、今に本当のことがわかってくるぞ、田池を支配しているエネルギーがわからないのか、お前の選択は間違っている、目を覚ませ」というささやきが聞こえてきます。私を支配しているエネルギーが総力を上げて私をおしとどめているのを感じています。意識か肉か、その線上にすべてが集約されているのを感じます。とどのつまりが、あなたは実際どちらを信じているのですか、どちらを本当に選ぼうとしているのですかという問いかけのように思います。
 頭ではすでに充分学んできました。多くの知識を得てきました。でも自分自身が本当に意識の世界を信じ、意識の世界に生きない限り、それは単なる知識に終わってしまうでしょう。今までの他力とまったく同じ経過をたどってしまうでしょう。田池留吉に出会い、この学びに触れ、そしてこれが真実の道だと思ったならば、あらゆる自分を形成してきた肉の思い、肉こそ自分という思いを転回してこそ、アルバートを信じ、田池留吉を信じていくということにつながり、心でわかったということにつながるのだとつくづく思っています。今までの学びはどんな弁解をしようとも、頭の学びの枠を一歩も超えてはいなかったと感じています。肉の世界にどっしりと腰をすえたまま、頭だけ意識の世界を探っていたにすぎません。己が偉く、それさえ気付こうとしませんでした、いつも心の中に自分こそ正しいという思いを抱えていたのです。

玄海ロイヤルのお風呂の前で先生の目を見たとき心で学んだこと

 先生、自分に向けられるみんなの思いが怖いです。自分に向けられてくるみんなの思いがずっと怖かった。今やっぱり言い表せない怖さを感じてしまいます。
 私、やり直します。先生の言うとおりやり直してみます。玄海のお風呂の前で先生の目をまっすぐ見れたとき、一番大事なことを忘れていた自分がわかりました。先生の目をまっすぐ見れなかった私は自分の出してきた闇の渦の中に飲み込まれて翻弄されるしかなかった理由がわかりました。アルバートを忘れていたからです。真っ直ぐ見れなかった先生の目を真っ直ぐに見れたとき、これさえ忘れなければ、これさえ失わなければ大丈夫と思いました。心が向いてなかったことが間違っていたと思いました。
 寝る前、部屋で肉の話をしたとたんすごい闇を引き寄せて収拾がつかない状態になりました。私は「先生とこ行こう」と思った瞬間、部屋を飛び出てお風呂に行きました。先生に会える約束はないのに、走っていました。そしたら、先生が出てきて目の前に先生が大きく目の前にだんだん大きくなってきて、さっきまでの状態が安心とともに緩むのがわかりました。先生の代わりは誰にもできない現実をまたまた実感して、先生を見つけられた安心でさっきまでの緊張が緩んだと同時に「泣くな」っていつも修正を促されてるのに涙が出た。「泣いたらあかん。私の目をちゃんと見なあかん」と言われて、見たら、何もかもを知らされました。
 私、また闇が出てきても、あのとき心で学んだことは忘れないようこの心に刻み続けていきます。きっと、今世の私だけが先生の目を見たのではないと思います。今世の私が田池留吉の目を見ているとき、同時に来世の人がアルバートの目を見ているのがよくわかりました。今世の自分の肉の目を通して、数え切れない意識たちが先生に、アルバートに、四次元に心を向けているのを感じます。私の肉体を通して、田池先生を探し、アルバートを探し求めている思いの重さを感じます。
 今世の肉は、決して今世の私一人だけの所有物ではないことを教えられています。肉体を持ちながら誰にも理解されない状態を頂いてこれたから、道を理解していける状態を整えてこれたと本当に思います。徹底的に闇が出てくる中で、徹底的にお勉強していかなければならないと痛感しています。

田池留吉に認めてもらいたいという心、それがまさしく他力の心でした。

 田池留吉は肉を持って私達の前にいる、でもそれは今まで私が使ってきた多くの他力の心を見せてくれていました。
 肉が消えた時、いったいどんな思いを出し、どんな行動をとっていくだろうか、自分の心に問い掛けてみました。私はいつも自分の心の中に田池留吉を裏切るだろうという思いを抱え怯え苦しんできました。でもそうではないということにやっと気付かせていただきました。
 アルバートの宇宙はすべてを許し受け入れ生かす世界。裏切る裏切らないは肉の世界、肉を基準とした思いでした。他力の心ではなく、自分の本質は意識であり、田池留吉であると本当に心で感じた時、そこにはもう喜びと幸せしか存在しない世界なのだと思います。本当に心からそれを感じられた時、私の心のその苦しい暗い思いも喜びへと転回していくでしょう。
 すべては心で感じていく、心で感じたものが真実であり、永遠に心に刻まれていく宝だと思っています。誰に対しても、誇るものもなく、また認めてもらう存在でもなく、ただ自分の心の中の田池留吉、アルバートを信じ淡々と生きていく、それが幸せであり喜びと感じられる日々を送っていきたいと願っています。

心で感じた喜びをなぜすぐ見失ってしまうのか、今少しずつ気付かせていただいています。

 本当に己が偉く、すべてにおいて私が一番を誇りたい人間でした。喜びも気付きも認めてもらうのも誰よりもとにかく私が一番と、あたりを蹴散らし、かなわないと憎みそねみ批判し誹謗し、様々な暗い想念を撒き散らしてきました。そんな自分を正当化するためにさらに相手を責め裁き、自分自身を落としこめてきました。すべて、肉が基準でした。意識の世界までも、競争でした。人よりもよくわかりたい、感じたい、意識の世界を把握したい、間違っていると頭でわかっていても、心は揺れ動きました。比較し比べる心が喜びを潰してきました。もっともっとという欲の心が喜びを潰してきました。どれほど長い間、愚かなことを繰りかえしてきたか、今自分自身に対して申しわけなかったという思いが湧いてきます。こんな心を過去からずっと使い続けてきた自分を思い、今こそ少しなりとも変えていこう、楽になろうと思っています。
 アルバートの世界、意識の世界には比較する心、優劣をつける心など存在しませんでした。すべてが喜びの世界でした。私が今まではまっていた世界は自分が肉を基準に作り上げてきた世界、闇の世界だったと感じています。

クドーラを受け容れることなしに、心をアルバートに向けて信じていくことはできないと思った。

 どんなに喜び喜びと言っていても、心のどこかにアルバートを信じきれない何かがあることを、私はずっと感じていました。それが何なのか、どうしてなのか分からなかった。心が白けたり、何も感じなくなったり、不信感が湧いて来たり、様々な心の変化を通して、自分は信が薄いのだと思ってきたけれど、ここに来てようやくそれがクドーラの波動だったんだと感じました。心の中にクドーラを抱えているという事実を無視して、アルバートにまっすぐ心を向けていくことはできないと思いました。自分を肉だと信じてきた心が作った意識、田池留吉を認めず打倒せよという意識、己一人がすべて、我こそ一番…凄まじいエネルギーでアルバートを打ち消して行く。私の心は揺れて揺れて、巧妙にアルバートから離されて行く。それも分からずに、何時の間にかクドーラに翻弄されていた。

 お前の心を田池から離してやる。肉だ、肉だ、肉がすべてだ。アルバートなど信じるな。お前に信じれるはずはない。己が一番と生きてきたお前に、己以外の存在が認められるのか。お前の心は己を中心に渦巻いて、すべてを飲み込んできたのだ。その己を邪魔する田池を消してしまえ。我にはただ「打倒田池」の心しかない。田池さえいなかったら、すべては我の思いのままだ。あいつをのさばらしてなるものか。我以上の存在を認めてはならない。向くな、田池など求めるな、アルバートの存在を疑え、ないのだ、そんなもの、存在しない、認めるな、認めさせはしない…

 簡単に「己偉し」の心と言ってきたが、その中身をしっかりと見なかった。己一番が作る心の世界が見えたとき、そこにはなんの光も射さない暗黒の世界が広がっていた。アルバートを認めず否定する波動が支配する世界、狂気に満ちた世界、そんな世界が私の心の中にある。
 今、私がアルバートを信じて行こうとする時、クドーラを抜きにしては進めないと思った。クドーラを受け容れ、クドーラと共に学ぶことが、これから私がするべき仕事ではないか。クドーラは私の心です。長い長い時間、私の心として生きてきた意識です。やっとやっとそのことが認められました。肉の田池留吉を通して知った波動があればこそ、私はクドーラを愛しく思える自分に出会えました。それがうれしいです。

アルバートを信じることだけに生きていきます。

 アルバートにさえいつも意識を向けていれば、信じて行けば、なんにも思い煩うことも苦しむこともありません。アルバートを忘れアルバートから心が離れた時には、必ずと言ってよいくらい大小の天変地異が、私の周囲に起こり、今、心がアルバートから離れていますよと教えて貰います。最近はいつまでも止まらない咳がその例でした。不思議なくらい連続して咳が続き、その状態が恰も喉を通して語っているようでした。その時じっとその時点から何を思ったか、辿っていくと必ず思い当たる事がありました。その辿り着いたことを反省していくと、嘘のように楽になった経験があります。
 私に取ってはこの経験がとても、とても大きな気付きになり、益々アルバートを信頼するようになりました。理屈や理論ではありません。ただ、ただ、素直にアルバートの存在を信じ、自分の中にそのアルバートが確かに存在することを信じ切ること以外にありません。
 私は、肉の田池留吉からアルバートまで、たくさんの経験を頂きました。頭だけで分ったと自惚れたときもありました。チャネリングで大きく浮き沈みしたこともありました。しかし、これもみんな今、アルバートに辿りつくための大きな道筋でした。肉の田池留吉が今世肉を持たなかったら、そして、肉を持っても巡り会うことがなかったら、私も私達もどんな地獄の生活をしていたか、想像するだけでもぞっとします。私は、今、本当に肉の田池留吉に会えたこと、そして、道草はしましたが素直に付いてきたことをよかったと、述懐しています。本当に肉の田池留吉に心から有難うございました、と感謝しています。
 理屈抜きで肉の田池留吉を信頼し、感謝して一言、一言を素直に認め実践して行きたいと思います。素直さを欠いていました。アルバートに出会えた今どんなことがあっても、真摯に素直に反省瞑想に取り組んでいきます。アルバートなしでは生きて行けません。アルバートを信じ、信じ切っていかない限り、今の私は生きて行くことはできないこともよく分りました。
 アルバートを心から信じ切りその存在を知ったなら、どんなに幸せかもよく分かりました。生きて行く上でこんな幸せはありません。私は、どんなことがあってもこの道を、つまりアルバートを信じることだけに生きて行きます。

我はクドーラなり。肉こそすべて、肉、肉、肉の欲望を追い求めてきた己一番の思いです。

 宇宙に光が増すことにより、宇宙に愛のエネルギーが流れ出すことにより多くの意識が目覚めてきます。我らもその中のひとつ。クドーラ、我はクドーラなり。肉こそすべて、肉、肉、肉の欲望を追い求めてきた己一番の思いです。この我らにもようやく目覚めの時を頂きました。今苦しい苦しい中よりこのように真実の光と出会えたこと感謝でございます。
 肉を持った人間の心の中にずっと住みついてきました。「肉から心を離すな。肉が幸せを運んでくれるぞ。肉をもっと表せ。肉をもっと高めろ。」とそのエネルギーを吹き込んでやりました。肉を持った人間ほど愚かな生き物はない。我らの思いのままにどんどんそのエネルギーを膨らませてくれる。我らはそのエネルギーでどんどんどんどん我らの領域を大きくしていった。心の中にドーンと我らの王国を作ってやった。人間ほど愚かで哀れなものはない。お前達は我らの操り人形だ。お前達には何もできない。我らのパワーがあればこそ今の繁栄があったのだ。こうやって我らはお前達の心の中で安穏と暮らしてきた。しかしそうもできなくなった。我らは影で操る存在でよかったのにそれが今表舞台に引きずり出されようとしている。
 今しきりに呼びかけがある。「あなたのその心を語りなさい。」と何ともいえない穏やかな柔らかな思いを感じます。
 「ああ、我らの思いを聞いてくれ。本当の思いを心で受けてくれ。そして我らに伝えてくれ。教えてくれ。いっしょに帰りましょう、その言葉をその思いを我らはずっとお前達の心の中で待っていたようにも思う。」

田池留吉の肉はただの人でした。

 田池留吉の肉はただの人でした。肉で見る限り真実は到底見えてはきませんでした。3億6千年、それ以前に使ってきた他力の心は、特別の力を持つスーパースターを求めてきました。今という時代だからこそ特別の力を持つ者を求めてきました。田池留吉の肉はその間違いに気付くように私達を促していました。ひとたび、自分は肉だという思いを私は意識であるという思いに転回したとき、そこには真実の田池留吉が存在していました。
 田池留吉をどのように見るか、田池留吉から何を受け止めるか、それは一人一人の心にかかっています。心で田池留吉を感じていかない限り、本当の自分に出会うこともできないということを知りました。

クドーラが語りかけてきます。

 クドーラが語りかけてきます。嬉しいなんて言うな、喜びですなどと口が裂けても言うな。お前が努力して築き上げてきたものはどうなる。どんどん失っているではないか。この世は相対評価の世界だ。人よりも素晴らしく、誰よりも抜きんでて一番に認められる世界。魅力を感じないはずがない。皆一つだとすべてひとつだと、そんなこと本当に信じているのか、勝つか負けるか、やるかやられるか、自分を生かすためにいったいどんなことを繰り返してきた。今さら牙を抜かれたトラのようなことを言うな。そんなに簡単に心が変わるわけがないことを我らは知っている。その証拠に喜びを感じてもすぐもとの世界に戻ってくるではないか、夢か幻か、目を開ければもうそこは苦しみの世界ではないか。この世で花を咲かせろ。300年後には300年後の花が咲く。肉をもって4次元、5次元など感じなくてもいいぞ。田池だと、あんな者の言うことなど聞くな、力もない、歯もない、毛もない、普通の爺ではないか。あぁ、しかしどうしたことか、我らをひきつけるエネルギーが弱まってきている、我らを包む暖かな思いが伝わってくる。
 アルバートだ、我らを排斥するのではなく、共にアルバートの世界へ帰ってきなさいと誘いかけてくる。我らはクドーラと呼ばれ皆から恐れられ忌み嫌われていたはずなのに……悪いのはお前、クドーラのせいだとすべての責任を我らに押し付けていたのに。
 何かが変わってきている、我らを取り巻く宇宙が変わってきている、大変なことだ。力も何もないと思ってきたのに、これは力ではない、我らが一番恐れていたもの、でもそれは何となく懐かしく、心に優しい、暖かなぬくもり。我らが求めていたものは、本当はこの優しいぬくもりだった。アルバートの波動、エネルギー、それがすべての原点だった……
 アルバートに田池留吉に素直な心で向き合えたとき、私の中の闇も共に喜び、嬉しい喜びの思いが自然にわいてくるということを、ずいぶん長い間忘れていました。

クドーラが語ってきました。

 そうだ、我らは確かにクドーラと呼ばれてきた意識。肉を本物としていつも闘いのエネルギーを流してきた意識。しかし我らもこの者のこの中で4次元、5次元の世界を感じた。そんな我らの今の思いだ。300年後には300年後の花は咲かない。今この時に我らの意識を転回せねば我らには未来はない。我らはこの者の心の中でそのことを強く感じた。4次元、5次元の世界を少しでも感じたものはその世界こそが本当の世界、それが真実だと自ずと心で感じているはずだ。闘いの世界がいかに空しいかそのことを心に感じずにはいられない。こんな窮屈で狭い世界に生きてきたのかと思うと、自分自身が哀れでならない。もっともっと広い世界があった。それを我らはこの心で感じることができる。今そのことだけを信じてアルバートと心に思うことにしてみよう。

自分自身を破滅させる心を使い続けてきました。

 自分自身を破滅させる心を使い続けてきました。長いトンネルと穴倉を長い間住処にしてきました。そこから脱け出る方法をもう充分過ぎるほど伝えていただいてきたのに、そこから脱け出る勇気も意欲も失い、自分自身を見捨ててきました。頭では自分が間違っているとわかっていても、軌道修正していく素直さと自分に対する優しさに欠けていました。
 ホームページを読んでいて、私は今の自分しか考えていない愚か者だと思いました。やはり肉が基準だと思いました。250年後の自分に喜びを伝えていける、つないでいける自分を培うこと、それは今というときをおいて、田池留吉という存在を抜きにしてありえることではないと、強く感じました。永遠の命、意識の流れの中で最高の愛をいただいている今というときを、アルバートへ向けて一直線、その道筋を心の中に銘記していきます。

嬉しい、ありがとう、幸せです以外に表現できる言葉は見つかりません。

 この学びに出会ったことを本当に喜んでいます。肉でこの学びをとらえていたときは、私もあんなふうに感じたいあのように分かればいいなあと心を揺らしてきました。でも今目を閉じて自分に思いを向けたとき何とも言えない優しい私、嬉しい、幸せな私を感じます。そこに出てくる思いはもう何もなくただこうしてここに肉体を持たせてもらったことが嬉しい、お母さんありがとうの思いだけです。このままでずっといたい、すべてが喜び合っている、意識の私に心を向けることをすべてが喜んでくれている、そんな思いです。喜びの中に生かされている、喜びの中にただただ存在しているそれが私自身なのだと思います。信じられます。この穏やかで優しくて安らぎの世界、目を閉じたとき心に広がっていく温もり、ただただ涙が溢れてきます。包み込まれているような感覚、もう言葉もなく何もいらない、ただこうしていることが幸せな時間空間を感じます。嬉しい、ありがとう、幸せです以外に表現できる言葉は見つかりません。

この時期に出てきてくれたクドーラーに「ありがとう」と言える自分を取り戻したいと思います。

 思い返せば、今年の4月の福岡玄海セミナーあたりから、私の中からクドーラーが囁く声が聞こえてきていた。喜びの絶頂にあるかの如く己を誇っていた頃でした。
 セミナーが終わった後、とても寂しい思いが襲ってきました。私はその時その心を見ようとはしませんでした。見たくはなかったといった方がよいでしょう。この喜びは本物だ、そう思うことにしていました。そしてこの暗い心は次の琵琶湖、そして熱海セミナーへと引きずっていきました。他力の反省、動の2の反省が出来ていないのは分かっていました。しかし、私は自分のクドーラーを認めたくはなかった。喜びだけを感じていたかった。
 熱海での先生の講話のお話はこたえました。自分が一番嫌ってきたもの、認めたくないと拒み続けてきたものを自分の中にしっかりと残したたままに放置してきました。そのクドーラーを受け容れていかない限り本当の喜びは分からないと感じました。他力の反省のやり直しを始めました。初心に帰って始めました。出てくる思いは己一番の心ばかりでした。認めて貰いたい、褒めて貰いたいそんな思いが一杯一杯出てきました。外に目を向けると新聞紙上を賑わしている面々はすべて私の中のクドーラーたちであり、その思いと同通する私が存在している事が確認できました。恐怖する心、防禦する心、責めたてる心、これらの私の中のクドーラーを供養しない限り私も救われないと思いました。
 この時期に出てきてくれたクドーラーに「ありがとう」と言える自分を取り戻したいと思います。そして本当の喜びであるアルバートの道をクドーラーと共に歩んでいきます。

嬉しさを感じながら、喜びを感じながら、そうじゃないと自分を否定しつづけてきました。

 基準が肉だから、欲張りでもっともっと違うさらなる喜びが嬉しさがあるはずと自分自身が感じたものを疎かにするそんな心癖が強かったのです。その根底には飛び切り一番と人と比較して落ち込んだり、ひがんだりする心も人一倍強かったのです。それがどんなに愚かなことか少しずつ感じ始めました。
 未来の私が私を両手を広げて受け止めてくれていました。アルバートとともに歩んでいきましょう、心の歴史の中でどんなことがあってもどんな思いを出してもただアルバートはすべてを受け入れ許しつづけてくれる存在であることを伝えてくれます。
 今世を精一杯学んで後は安心してバトンを未来につなぐ、すべては自分自身の道、アルバートへ帰っていく、それが人生の目的でした。形ではありませんでした。心が軽く明るく素直、そんな自分を目指せばよいだけだった、私と人ではなくすべてがアルバートの意識の中へ帰っていく仲間でした。
 すべてが喜びでした。自分自身の心を変えていくことによって、今まで気付かなかった暖かな波動をすべてから受け止めることができるということを知りました。すべては自分の心に原因がありました。耳ではよく聞きなれた言葉でも心ではしっかり受け止めていなかったものが多いと感じています。

T氏の意識と私

 私の思いを語りなさい。私の力を現わしなさい。私の思いのままに生きていきなさい。私を現わしていくのです。私の思いのままに生きていけば良いのです、それ以外何も考える必要はありません。ただ私を現わすことだけ、私の思いを表現していくことだけに、その肉体生命を使っていくのです。
 そう、私の心の中から、頭から、囁きかける声があります。私を現わせ。私の具現者となれ。私の僕。私の所有物。お前は私だ。お前は私の物だ。決して決して手放しはしない。絶対に私はお前を手放しはしない。手放してなるものか。私の支配下から抜け出させはしない。お前をしっかりとしっかりと牛耳っている。もがげばもがくほど、お前は私の手の中に落ちていく。私の思いを表せ。私の意のままに操ってきたお前だった。なんの疑いも持たずに今まで私の声を聞いてきたではないか。疑う必要などなかったではないか。さあ、今まで通りに生きていけ。今まで通りに私の声を聞き続けていけば良い。そうすれば失敗のない人生が目の前に展開されていく。それを保証しよう。間違いのない人生が、お前の目の前に展開されていくのだ。しっかりとしっかりと私の声を聞け。私の命令に従え。私に背くような心を使うな。私から心を離そうと思うな。
 支配の手をぎゅうぎゅうと締め上げてくる思いを感じる。さあ、しっかりとしっかりと私に思いを向けろ。しっかりとしっかりと私の声を聞け。私に従え。私を蔑ろにするな。私の存在を無視するでない。
 私が今まで聞きつづげてきた声は、T氏だった。T氏にずっとずっと心を向け続けてきた。その支配のもとに、私は田池留吉と思い心を向け続けてきた。高圧的な思い。抑えつける思い。自由がない。ピシッと形作られた小さい世界の中での窮屈な自由を、私は今まで心の解放だと信じてきた。この心が温もりであり、広がりであると信じてきた。しかし、それは無理やりにつくり出した温もりだった。支配するための温もりだった。まやかしだった。私はずっとずっとそれに心を向け続けてきた。心が自由になるはずもない世界の中で、私は田池留吉の語る世界を知ろうとしていた。手探りで、がむしゃらに、探し求めていた。握ったものを離せなかった。これだと信じたものをしっかりと握り締め、それを自分の中で育てようとしてきた。それは執着だった。苦しみだった。信じる心ではなく、欲の思いだった。やっと知ったこの温もりを逃してなるものか。その温もりがT氏の温もりであることにも気付かずに、その温もりを握り締め、その温もりに頼りきり、私は感じたと、一人悦に入ってきた。
 自由がない。喜びがない。心が広がらない。湧いてくる心なんてあり得ない世界だ。ただただ、自分で自分に言い聞かせるためにまやかしの温もり、光を感じていく。それを信じる。それがどこに通じているか、確かめようともせずに、アルバートの温もりと信じたい自分。感じた。感じた。もう感じた。後はこの温もりを信じていけば良いと、なんとか先へ先へと進んでいきたい自分が存在する。もっともっと、もっともっと。
 支配の中にいる。頭を抑えつけられている。頭を握られている。頭を使え、頭を使え。頭に意識を集中させろ。頭が、がっちりとなにかに握られている。
 お前を支配し、操ってきたのはこの俺だ。Tだ。お前はずっとずっとこの私に心を向け続けてきたのだ。この私にお前の心を委ねてきたのだ。お前の世界は私の世界。お前の感じる世界は私の世界。お前は素晴らしい。お前は立派だ。お前には私がついている。なんの心配もすることはない。ただ私を信じれば良い。私に心を向けてくれば良い。私にしっかりと心を合わせてくれるだけで良い。私の存在を認めれば良い。崇めれば良い。私を信じてくればそれで良い。感じたものは私の心。私の心の世界だ。田池留吉の世界ではない。あんな奴の世界を感じる必要などお前にはない。私の世界をお前の心の中で広げていけば良い。しっかりとしっかりとその世界を広げ、その世界の住人になれば良い。私と共に生きていけば良い。
 なにも分からなかった。私が信じてきたのは田池留吉ではなかったのか。田池留吉にしっかりと心を向けてきたと思ってきたのに、実はT氏だったのか。頭が締めつけられる。頭をガッチリと握られている。頭を信じてきた。その頭はT氏にしっかりと握られている。心の世界は、頭でつくり出した世界。心の広がりなど感じない。ただまやかしの温もりにこれで良いのかなと、自分自身を納得させる。田池留吉に向けて感じた広がりなど感じない。田池留吉に、心を向けた時ほどの喜びもない。ただ漫然とした時間が流れていく。私が心を向け続けてきた先は、T氏だった。支配の中だった。頭、頭、頭。肉、肉、肉。頭で全てを理解することが出来ると信じる世界。言葉で伝えることが出来ると信じる世界。だから本もたくさんある。自分の体験をもとに、頭を使って納得させようとした本が、山のようにある。頭を使え。感じるな。頭を使え。心を閉ざせ。頭一本に絞っていけ。心は付属物に過ぎない。さあ、しっかりと私に心を向けろ。後は私が全てを動かしてやる。頭。頭。頭を信じた人間ほど扱い易い存在はない。誉めて誉めてその気にさせて、後は私の思い通りに操るだけ。誉めて誉めて誉めて、私の支配下に入れて、後は私の要求を受け容れさせるだけ。なんて簡単な世界だ。なんて人間は操り易いんだ。信じさせること。それだけで後はどうにでもなる。
 心が緩んでいく世界を今感じた。頭が締め上げていたのもなくなっていく、それを感じたのは、私だか、私の中のT氏だか分からない。ほっとしている。なんとも言えず気持ちの良い世界が心に広がっていく、このまま委ねていたくなる。なにもない世界がある。私がいない世界がある。
 一瞬で心の世界が変わる。もう外していこうと思ったとき、田池留吉に心を向けていっただけで、締め付けられていた頭が外れていった。力の入っていた肩が軽くなった。自分の心の状態を知ること、そして、田池留吉に心を向けること。そうすることによって自分の心の世界が鮮明になってくる。今までずっとずっとT氏の世界の中にいた。そしてセミナー会場でたまに田池留吉、アルバートの世界に浸れていた。でも、ずっとずっとT氏に心は向いていたことを知りました。頭をガッチリと握られていました。
 まず自分を知ること。それがいかに大切かを知ります。なにも分かっていなかった。T氏を軽く見ていた、というか、あまりにも一体化しすぎていて分からなかったのが正直な所でした。それくらい私の中にびっしりと詰まっている。でも、気付けたことが嬉しいです。なんとなく、いろんなことが、納得できます。やっぱりそうか、田池留吉に心がしっかりと合っていなかったのだと、分かります。よかったです。

私の心にもT氏が存在しています。でも、共に学びたいという思いが大きく膨らみます。

 「T氏の意識と私」を読んで、私の心にもT氏が存在することを改めて認識した。過去世を含めてT氏との深い関わりを感じます。かつて自分がチャネリングをする時の心を見ていた時、T氏の支配の元で、T氏の意思を現すチャネリングをしている自分に気付いた。そこには田池留吉を抹殺する波動が流れていた。肉の己を現したい心を手玉に取られ、T氏の操り人形と成り果てた己を見た。言葉巧みに人の心を握り、欲望を巧妙にかきたて、この肉をT氏の支配に委ね、私は立派な自分を演じてきた。T氏だけではない。私の心を操らんとするたくさんの教祖がいた。意識の世界で何度も何度も誘いがくる。今も私の心に働きかけにくる。私の己現したい心、肉を守る心、肉で何とかしてくれという思い、アルバートを認めない心に入り込んでくる。夢で黒塗りのリムジンで迎えがくる。この学びの人たちが何人も乗っているから私は安心して乗りこんだ。しかし着いた所は思いもよらない場所だった。私の中に教祖を素晴らしいと思う心が残っている。かつての栄光に酔いしれる心を見る。誘いを受けて「まんざらではない」奢りを見る。そんな心を操らんとする今は肉亡き教祖たち。自分の心を見ることを怠った時、私は完全に彼らの支配下に置かれると思った。
 己に厳しく、命がけで心を見る…この学びがいかに厳しいか。しかし厳しい故に優しい…今、私は本当に自分を信じることを実践することが、アルバートに心を向けていくことが喜びだと、やっと思えるようになった。この喜びある限り、私はもう二度と再び彼らの手先にはならない、そう実感している。そして私の心に接触してくる彼らの心を己の心と受け容れ、ともにアルバートに進みたい。私はすべての教祖とともに学んでいる…それほどこの心の中にはたくさんの教祖がいる。しかし、それが今の私の喜びでもある。真実に出会い、真実の道を歩き、真実の自分に帰る…多くの信者を奈落の底に突き落とし、自らも地獄に生きる教祖たちに、今、やっと救いの道が開けたことがどれほどの感謝か…この肉を使い己の欲望を満たそうとした彼ら…今度はこの肉を通して喜びを伝えたい。偽者の温もりではなく、本当の田池留吉、アルバートの波動を伝えたい。それが私の喜びです。

「T氏の意識と私」を読んで

 この文章を読ませてもらって今の自分の苦しい心を代弁してもらったようで、そうだったのかと心がとても穏かに落ち着いています。他力の反省が進んでいなく、前々回の熱海のセミナーの時ぐらいから自分の中の教祖の存在が自分と一体化していることに気づき始め、そのことを恐怖する思いがあってその心を暖かく迎え入れることができませんでした。自分というものを肉としてみる心癖があまりにもきつ過ぎて、せっかく暗い心が顔を出してもどうすることもできなかった自分でした。しかしセミナーでアルバートの喜びを感じさせてもらう中で、どんどんとその偽物のぬくもりの化けの皮が剥がれ落ち、もう取り繕う気持ちが薄れてくるのを感じていました。
 私も頭ですべてを支配していこうとする思いが強く、心の世界を言葉で語り、自分を表していきたいとする自分がその思いにひきずられていくのを感じながらも止められず、後で自分を責めるということを繰り返していました。頭で理解していけるとの思いの強さが、その教祖に支配されていく原因だった。自分はその思いに操られ同じように頭で理解したい人が扱いやすく、いとも簡単に自分の支配下に入ってくることを気持ちよく思っていた。同じ心癖を持った相手を言葉巧みに誉めて気持ちよくさせるとおもしろいように意のままに動いてくれるのが心地よくてやめられなかった。自分の欲がこの教祖の思いに操られていたことがわかってきた。狭い狭い世界で偽物のぬくもりを求め、抑えつけられる思いの中で自由のない窮屈な窒息しそうな思いを感じていました。自分がこうして自分がいた他力の世界を知る機会を与えられ、その過去の間違いを受け入れ共にアルバートの世界に帰ってきなさいと、心の中から果てしない大きな大きな懐に引き寄せられているのを心が穏かに落ち着いていきます。ありがとう。狭い狭い世界に住んでいた自分が今開放されていくのを喜んでいます。やっとやっと手を差し伸べられてでてこられたという感じです。
 しかしまだまだ安心できない、引きずられるエネルギーを抱えていることを常に忘れずに嫌わずに歩いていきたいと思いました。
 自分の前に起こってくるすべてのことは肉の自分には恐怖かもしれなくても、意識の世界に心を向けてみると本当に暖かい愛の計らいということばかりなんだと実感しました。

アルバートと思ったとき感じる波動が変わってきます。意識がどんどん促されているように感じます。

 肉だと思ってきた私の3億6千年の過去世たちが、クドーラの思いが喜んでいます。待ちに待った時がやってきたと、いつ本当のことを伝えてくれるのか、アルバートの波動を感じ、信じて、我らに伝えてくれるのか、ずっとずっと待ち続けてきました。おそるおそる、半信半疑で今世の肉が目覚めるのを待ちました。
 肉の思いが人一倍強いこの人が変われるのだろうかと思っていました。肉だと思わせるのはいとも簡単でした。確かな、手応えのあるものが本物と言い続けてきました。恐怖も呪いも恨みも嫉妬も、あらゆる思いが膨らむように仕向けてきましたが、この者が田池留吉を思い、信じ始め、アルバートを心に感じ始めたときはどうなることか、我らが抹殺されるのではと恐怖しましたが、我らの思いをはるかに超えたアルバートの世界が優しく温もりが包み込んでくれるのです。一瞬ひるみましたが、どこまでもどこまでも広く暖かい思いは尽きることなく、ひたひた冷えきった乾ききった心にしみわたります。それは、ずっと、ずっと昔に忘れ去り、思い出せなくなっていた母の温もりそのものであると思い出させてくれました。
 やっとやっと本気で我らに心を向けてくれました。そのことが我らにとって奇跡です。このものが心を変えられるなんて。
 タイケトメキチを殺せとすごんできた我らを、無条件で両手を大きく広げて受け入れてくれている田池留吉、アルバートがいます。感じます。大きく安心して呼吸ができます。安堵に胸をおろすそんな思いです。ありがとうございます。

 アルバートを思ったときに感じる波動が変わってきます。意識がどんどん促されているように感じます。私は私の道を歩きます。真っ直ぐにアルバートを見据えて、アルバートと共に歩きます。それが本当に生かされているのだと思います。そして、意識が一つだと心から思えます。私の来世が喜びで待ってくれているそんな気がしてなりません。ありがとう、ありがとうと次々に伝わってきます。ありがとうございます。

他力と私

 なかなか一直線にはこの学びの本道を歩めず、また迷いの多い過程だったことを思う時、そこに自分が過去から今まで重ねてきた他力を思う。自分と同じ波動、エネルギーをもつ教祖を選んで、また教えを選んできた。闇のエネルギーに支配されてきた。でも支配されたというより自らが選択した道であり、通るべくして通ってきた道であり、今田池留吉に出会いその間違いに気付き、ともにアルバートの世界に帰っていくということも、すべて意識の流れの中で計画されていたことのように思われる。
 闇のエネルギーに引きずられるのも、ともに真実に目覚めアルバートの世界に帰っていくのも自分の心次第。恐れることも嫌うこともなく、ただ淡々と自分の心を見ていく、そしてアルバートにしっかりと心を合わせていく、それが自分自身を救い自分の心の中に存在するすべての教祖の意識をも変えていくことにつながると思う。
 自分自身の本質、私は田池留吉、アルバートの意識ですと信じるところに愛は流れていくということを信じてやみません。私が供養していくのではありません。頑張ってできるものでもありません。ただひたすらアルバートに心を合わせていく、それだけが自分の選択する道だと思っています。

今世肉体を持たせていただいてよかったと思える自分、この嬉しい気持ちをただ素直に来世につなげていきたいと思っています。

 肉を生かせと語ってくる私の心の中の闇たちに、ようやく心からアルバートを信じアルバートとともに歩んでいこうと伝える思いを持たせていただいています。
 私は意識でした、長い間それを忘れ闇とともに苦しい道を歩んできました、今世田池留吉に出会えなかったら、さらにとても苦しい道を突き進んでいたことを思う時、ただただ感謝です。肉の基準で田池留吉を見つづけてきたことは大きな間違いでした。それに少しずつ気付かせていただいています。大きな思い違いをしてきました。
 真実だからこそ無償ですというその言葉の重みが心に伝わってきます。田池留吉の心には愛しかない、喜びしかない、ただただ真実の道を指し示し、喜びを伝えるために肉を持った存在であるということが、伝わってきます。様々な思いを出しても、何をしても許されつづけてきました。受け入れ許し与えつづけ尽くしつづけるその姿を示しつづけてくれていました。呪い、責め裁き罵倒しても、ただただ待ちつづける大きな愛をいただいてきました。
 田池留吉の波動アルバートの波動を今世少しなりとも感じさせていただいていることが嬉しいです。今世肉体を持たせていただいてよかったと思える自分、この嬉しい気持ちをただ素直に来世につなげていきたいと思っています。もう何も望みません、充分すぎるほど幸せです。アルバートとともに歩んでいける、それがただただ嬉しいです。

一人一人に最も適したすべてのものが用意されていました。アルバートの波動の中で生かされていることを感じます。

 嬉しい思い、喜びの思い、それ以外はどんなに弁解し自己弁護し詭弁を弄しても闇の思いそのものだったことをあらためて感じています。嬉しく喜びの思い以外の様々な思いが噴出してきた時、どれほど素直に自分の心を見てきたか、認めてきたか振り返るとまったく素直さのない私だったということに気付きます。自分で自分の首をしめてきた、意識の転回どころか、さらに闇の心を重ねてきた自分が見えてきます。もう止めていこう、アルバートの前に重ねてきた肉の思いをすべてさらけだして本当の自分に帰っていこう、母親の胎内にいたときのようにすべてを委ねてアルバートと向き合っていこう、アルバートを信じ信じ信じきる道を歩んでいこう、その道が私たちの前に広く開かれているのを感じます。意識の流れの中で、私たちがアルバートとともに4次元へ移行するために必要なことはもうすでに整えられていたことを感じます。一人一人に最も適したすべてのものが用意されていました。アルバートの波動の中ですべてが生かされていることを感じます。
 アルバートの波動を感じ、アルバートを信じ、アルバートにすべてを委ねていったとき、不安も心配もなくただただ嬉しい喜びの心だけが存在するということが、以前よりも鮮明に心に伝わってきます。
 本当に間違ってきました、どれほど己が偉かったか実際のところ少しもわかっていない自分でした。

私の中の闇の心

 何が田池じゃ。何がクドーラじゃ。わしがいてこそのお前じゃないか。このわしから離れられると思うなよ。そんなに簡単に、このわしから離れられると思うなよ。お前のその心をわし掴みにしておるわ。何がクドーラじゃ。あんなもの、へでもないわ。このわしの方がすっとずっと凄い力を持っておるわ。このわしにもっと心を向けてこい、もっともっと強い強い力を与えてやろう。このわしの凄い力を見せてやるわ。この念力を使えば、この地球なんていちころじゃ。ちょろいものよ。この地球なんて、わしの眼力だけで吹っ飛ばして見せる。人間の一人や二人殺すなんて、訳もないことよ。お前はいつもやっているではないか。このわしと共に、今まで何人の者を殺した。わしと共に、わしと共に歩いていこう。このわしと…そう田池留吉じゃ。お前が求めている田池留吉じゃ。お前に何でも与えてやろう。わしこそがお前の中で、長年共に歩んできた意識じゃ。お前が田池留吉を求めておる限り、わしはお前の中の田池留吉として存在してやろうではないか。都合が悪いか。このわしがいては、闇のチャネラーとなってしまうから都合が悪いか。それでもこの心は、しっかりとお前の中に存在するぞ。お前が認める認めないにかかわらず、お前の中に存在するぞ。今まで散々力を貸してやったのに今更何じゃ。クドーラやアマテラスだけではないぞ。お前の中にはもっともっと大物が控えておるわ。わしなど露払いよ。クドーラやアマテラスだけが本物の闇ではないぞ。わしらにももっと目を向けろ。わしらの存在を認めろ。
 波動が分からないと、ずっとメッセージのチャネリングを嫌ってきました。その底に流れる思いをしっかりと見つめることをしていませんでした。私は出来る。私は分かる。私はちゃんとチャネリングが出来るチャネラー。普段は鈍感でも、いざとなればチャネリングの一つや二つちゃんとやって見せるわよ…という傲慢な心を使ってきました。その底に、私はやっぱり特別、選ばれた人間という思いがありました。
 そうだ。わしはそのお前の、私は人とは違う、他のチャネラーとは違う、というエリート意識をいつもくすぐり続けてやった。わしが「田池です。」と語れば、飛びついてきた。しかしその波動が感じられないと、お前はやっぱり心の中で不信感を持っていた。それを他人から見破られまいと、正面からその心と向き合うことをしなかった。自分では、私のチャネリングは本当か、間違っているのではないかと不安に思いながら、人からは絶対にそんなことは言わせぬ厳しい心で、人の思いを跳ねつけてきた。自分を認めぬ者は絶対に許さないと、お前はその心の奥底に手厳しい仕返しの心を持ち続けてきた。あの田池にすら、私のやることにとやかく言わせない。この私の素晴らしさ、正しさを認めぬ奴は、たとえ田池と言えども許さないと、心の中で牙を剥き続けてきた。田池が何じゃ。田池が何程の者かと思いながら、その思いを知られまいと、ごまかし続けてきた。このわしが導いてやる。お前の好きな名前を何でも使って、導いてやるぞ。アルバートがいいか。田池留吉がいいか。しかしこの者も、少しずつ波動というものが分かってきたようだ。わしも安泰ではない。苦しい。苦しい。苦しくなってきたぞ。止めろ。止めろ。止めろ。わしに思いを向けるのは止めろ。
 きれいなままでいたかった。隠しておきたかった。ここまでならいいけれど、これ以上は…と、自分勝手に線引きをしてきました。やっていることはいい加減だけれど、心の中ではいつも優等生を願ってきました。決して劣等生とは言われたくなかった。人の目ばかり気にして、人の思いばかり伺って、自分を縛ってきました。誰からも認められたかった。誰からも賞賛されたかった。特に田池先生からは、この人は一番と認めて欲しかった。いつも最後にはきっと私が勝つんだと、心密かに思ってきた。いつも誰かと競争してきた。負けるものかと勝ち誇る思いと、嫉妬する思いの中で心を揺らし続けてきた。この次元の低い思いが、現実の私です。
 こんな私が、今信じられないような喜びを感じています。これも現実です。やっとこの喜びの心が本当だと信じる思いが芽生えてきています。本当に嬉しいです。この喜びの心を信じて、私の中の無数の汚い心、闇の心と向き合っていこう、受け入れていこうと思っています。それがどんなに大きな喜びであるか、何度も私自身の心で体験させてもらいました。これからも焦らず真剣に心を見つめていきます。

常に瞑想して私の中のアルバートと語ることだけが、今からの私の人生です。

 私は、アルバートに自分がなり切るまで、どんなことがあっても自分を供養し見詰めて行きます。今の私は、ただ、アルバートの波動だけを信じ、自分はこの波動、意識だと信ずるしかありません。肉ではありません、アルバートを思った時に感ずる、私の中から湧き出るあの喜びの波動が自分と信じています。アルバートの波動さえ信じ、これが自分、私ですと、信じられる自分になることだけに努めています。肉肉のこの世的な歴史はアルバートの波動の中には、微塵も感じられず姿形のない喜びの波動だけの世界これが自分です。
 この自分、波動を信じ信じ切って行くことが、現在の私の唯一の仕事だと思っています。頭の毛くらいの喜びしか感じられず、その他すべてが肉肉の闇ばかりの今の私は、最後の手段として、今、心を自分の中のアルバートに思いを向けると、たちどころに全てが溶ける広い喜びの波動を頂きます。この波動が自分、この波動こそアルバートと、信じただ、ただ、維持喜んで行く事にしています。私にはこの喜びがアルバートと思えば、幸せ幸せです。
 アルバートしかありません。本当にここまで信念を持てるまで来ました。もう何も求めたり要求するものはありません。私は、このアルバートがある、この人一倍の全宇宙に広がるアルバートがある、と思う毎日が私の不動心になっていきます。私は、これからの仕事はこのアルバートの波動が自分、自分はアルバートと益々信念を固くしていくことだけが私の仕事です。
 これからも自分はアルバートになり切るまで、ただそのことだけに努めて行きます。これが私の死ぬまでの今世の仕事と思って、進んで行きます。常に瞑想して私の中のアルバートと語ることだけが、今からの私の人生です。99パーセントまで闇にまみれた侭の自分に手向ける手段は、アルバートを信ずることだけです。そのアルバートはいつでも語れる、自分の中にあります。それが心の支えであり喜び幸せです。

闇が語ってきました。

 意識の勉強と言いながらしっかり肉の自分を表したい奴ばかり集まっているではないか。お前らはそんなに自分だけ認められみんなの上にたって、この田池留吉の肉亡くなった後、皆を引き連れて過去よりより一層凄いパワーを集めすべてを覆い尽くそうとしたいのか。そんな奴ばかりではないか。口では学んでいるそして愁傷なことばっかり言いやがって心の中では競争競争でいかに人の前に出て己のすばらしさをアピールし認めさせようとしているか。肉がすばらしい。肉を誇りたい。肉が自分だ。肉より信じられるものはないぞ。意識なんてまやかしだぞ。こうやって現実おしゃべりして人にちやほやされ、自分を受け入れてもらえる喜びほど気持ちよくて自分が生きているんだと実感できることの方がまず大事なんだ。そうしてこそ、そういう地盤を固めてこそ人間というものは自信に満ち溢れて人にも自分にも優しくなれるってもんだ。そして心の底から満面の笑みで人々を魅了していけばみんなぞろぞろお前についてくるぞ。そうだそうだみんな競って自分の心をしっかりと見ているポーズを見せろ。誰が一番自分を効果的に演出できるかだ。それが勝負の分かれ目だ。頑張れ頑張れこの中に中心になりたい奴はどんどん勇気を振るって飛び込んでこい。一人でただただコツコツと心なんて見ている場合じゃないぞ。どんどん取り残されるぞ。今入れてもらわないと、今声をあげてこの俺様の手下に入ってこなかったらもう入れなくなるぞ。それでもいいのか。どんどんみんなから取り残されるぞ。取り残されたら思いっきり寂しいぞ。早く乗って来い。早く入って来い。ここは暖かいぞっ。いっぺん入るともう気持ちよくってもう抜け出せない。いっぱい友達もいるぞ。みんな肉肉、話がよく合うぞ。楽しいお前の仲間たちがいつもお前を励まして喜ばしてくれるぞ。みんな味方してくれるぞ。田池留吉のホームページなんてぶっ潰せ、みんなこっちに向け、自分の手ごたえというものをはっきり感じられるところだぞ。みんなを大事にみんなと一緒に楽しく手を取り合って学んでいこう。田池留吉なんて不公平な奴は無視していけ。何もかも見抜いていると言いながらなんの力もないあんなよぼよぼのじいさんに何ができるって言うんだ。何が信じられるっていうんだ。肉だ肉だ。まず肉を喜ばせるんだ。意識なんてもの、いくら頑張ったって信じていけるもんか。自分が消えてなくなるほど恐ろしいことはないぞ。あんな奴の言うことを本気で聞いている奴は後で偉い目に合うぞ。適当に田池留吉が死んだ後のことを考えながらこの仲間を大事にしてやっていれば、何とかしてもらえる。人を信じ、人を頼っていけ。暖かいものに集まっていけ。そうだそうだ。しっかりしたことを言ってやれ。やさしく包んでやれ。己表したい奴は集まって来い。みんなが注目しているぞ。話題の中心になれるぞ。注目を一身に浴びられるぞ。寂しさなんて吹っ飛んで嬉しくなるぞ。
 私は決して表には現われません。人の後ろで背後から人を操りたくさんの欲の心を集めてまいりました。他力の神さんと言われるものをこの世につくる人間の心に住んでいます。外にあるのではなく、いつも人々の心の中でこうしてその存在を脅かされることもなく、ふんぞり返って何億年と生延びた意識でございます。みんな己が偉いから何かことあれば自分のことのように人を助けてやろう、救ってやろうという哀れみの心を出し、見返りに自分のすばらしさを売り込めと教えてきました。みんな神が好きで神と言えば飛びついてきました。今は田池留吉と言えば飛びついてこの私の言葉を鵜呑みにしてくれる素直な人ばかりです。この私が田池留吉の名を語りぬくもりを与えてきたとも知らずに。人間とはなんと愚かしいものよといつも笑っています。田池留吉がいくら真実を知ってくださいと命がけで訴えてきても、みんな肉の楽しみにすりかえてうつつを抜かす奴ばかり。見事に自分の都合よく真実をすりかえていく。本当にその姿を見いてるこの私があきれ果てている。この私以上に浅ましい。こうやって語っている自分は一体なんなのか。誰なのか。急に気になりはじめました。
 「あなたも愛ですよ。」と語る声が伝わってきます。どなたですか。この私に何を言いたいのですか。この私をどうしようって言うのですか。あなたはこの私を自分だって言われるのですか。私はもうまっとうには生きられません。ほおって置いてください。もうとっくに諦めているのです。こんな私にそんなにやさしい思いをかけてくださるのですか。こんな私がこれほどの許されていると言うのですか。みんな分け隔てなく愛してくれていると言うのですか。この自分だけは嫌われていると勝手に思ってきたと言うのですか。この自分は、自分に愛されているのですか。田池留吉は私ですか。そうだったのですか。私は自分で嫌って捨ててしまっただけだったのですか。心が暖まって落ち着いてきます。自分というものがこの心なんですか。安らいできました。今までの自分とは全く違った穏かな自分に変わってしまいました。田池留吉の言う愛とはこんなに凄い人を一瞬にして変えてしまうほどのエネルギーなんですか。ああ今までの自分は一体なんだったんだ。なにをそんなに苦しみ恨んでいたんだろうか。不思議な気がしてきました。田池留吉の波動を感じることはなかった。これが田池留吉、アルバートの波動ですか。ああなんと懐かしい。忘れていただけだったと言うのですか。これが私ですか。
 今まで間違ってきました。すべてが肉の基準でまわっているこの世の中で、自分を認めてほしくて、誰よりもすばらしいと思いたかったから、少し負けたらもう怒りの炎が燃え上がり人を焦がし自らも狂いまくり苦しみの中で他力の神さまに手をあわせて支配下に入っていきました。誰かに相手してほしいと外に求めてきました。私が肉が自分だと思っていたからこの世界とつながっていきました。たくさんの人を心に入れてきました。自分より優れた人を崇め後をついていこうとしてきました。誰かに心寄せていました。自分の汚い心を嫌い誰かに何とかしてもらおうとしてきた自分が恨み呪いの中で救いを求めています。そんな自分に優しい思いを向けて一緒にアルバートに向いていこうと手を差し伸べていきます。そして共に喜びの花を咲かせたいと思います。

それでもそれでも私は信じていきます。

 「田池留吉に心を向けるな。肉、肉で生きていけ。」と語ってくる意識、「田池留吉を殺すために生まれてきた。」と語ってくる意識、それでもそれでも私は信じていきます。信じて信じていきます。すべてを知ったうえで何もかも抱き止めてくれた田池留吉の波動を私は信じていきます。アルバートを信じていますかと伝わってくる波動の優しさ、温もりこれが闇の温もりだとは信じられません。この心で感じた波動は絶対だと私は思っています。ホームページの文字を目で追い頭を回していけば心が揺れ闇に引きずられそうになりますが、目を閉じれば伝わってきます。素直な私、嬉しい私がそこに存在しています。心に伝わってくる波動は喜びでした。
 来世の私も伝えてくれます。来世の私はアルバートを信じて信じて信じています。しっかりとした信を伝えてくれます。そして「私は肉の喜び、肉の幸せのために生まれてくるのではありません。私はアルバートを伝えていくために来世また肉を頂きます。」とそのように語ってくれました。「250年後にお会いしましょう。私はあなたを今世のあなたをそのとき思い出すでしょう。」
 肉の形は厳しい来世です。でも心に伝わってくる思いは喜びです。私はそのことを信じてまた一歩一歩歩いていきたいと思いました。

アルバートになり切るまで。

 自分はアルバート、アルバートは自分となるまで、私はアルバートに心を向けて行きます。またこんな嬉しく幸せなことはありません。アルバートに心を向けられる、ただ、これだけでも私は嬉しいです。ましてや目を閉じてアルバートに向けることは、自分の中に存在するアルバートに向けることです。その自分の中のアルバートを思えば、これが自分かと疑うくらいに、自分の中から宇宙に広がる喜びの波動は、地球どころか宇宙全体に広がって行く波動です。
 この波動こそアルバート、そして自分だと確信しています。私はこのアルバートの中にいることが、どんなに幸せそして、奇跡であるか今更のようにこの自分を振り返っています。もうアルバートを捨てては自分はありません。アルバートなしでは自分は考えられません。アルバートを感じていれば、苦しみなどの肉の社会は思われません。ただ、喜んでいればいいのです。その喜びとは私の中に存在するアルバートをいつも感じていればよいのです。
 いつでも会えます。語れます。そして大きな喜びの波動と共に地球に宇宙に広がって行けます。これがアルバートであり自分の心です。私はこのアルバートが、どんな時でもどんなことが生じても、心の中にあることを信じ切れるまで努力します。信じ切る事信じ切って行けば、3億6千年間積み重ねた闇たちも目覚めてくれます。もうその闇達もそこに居れる場所さえ無くなります。一人異議を唱えても聞いてくれる人も場所でもなくなります。
 私はこのアルバートをこよなく愛しています。私が愛すればアルバートも私を愛してくれます。愛するとか愛さないとか小さいものではありませんが、アルバートで自分という人間の全体を、染めぬいてしまえば絶対に消えません。私は、アルバートを自分全体に染め抜くまで、アルバートに心を向けその喜びの波動を信じていきます。
 信じて喜んで行くことこそアルバートを自分のものとすることです。
 アルバートという意識と波動これが自分でした。

ホームページに載っている闇の数々

 ホームページに載っている闇の数々は、まるで誰かが私の心をチャネリングしてくれたのではと思うほど、私の心の闇を端的に語ってくれています。まさしく使ってきた心そのものです。でもそれをしっかり認めて供養していくこと、たとえどんな状況でもアルバートから心を離さず、アルバートだけを信じて自分の前に開かれている道を歩んでいくこと、それが私の喜びにつながっていくことを信じています。肉ばかり信じてきた今までの人生から意識の世界、波動の世界を信じていく道を田池留吉の道標にしたがって歩んでいけることが、どれほどの喜びか少しずつ少しずつ、感じ始めています。

  心の転回一直線で進みましょう

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