ドンとビンの心の風景


自分の感じている幸せを伝えられることが、また喜びでした。

 同窓会でかつての自分の姿に出会いました。この学びを知らなかった時の自分の心に出会いました。皆それぞれ悩みや苦しみを抱えながら幸せになりたいと生きてきた。50歳になり人生とは何かと言うような思いを抱くようになったが、その回答には程遠い生活をしている。
 皆何かを心の中では求めていても、それが何かと言うことすら気付かない。どんなに肉的に成功しても、どんなに幸せを装っても、心の叫びは隠せない。懐かしい友に再会し話に花が咲いても、私の心に空しさが残りました。
 本当の幸せを知った心がどんなに広く豊かな心なのか…私は自分の幸せを思いました。肉の田池留吉に出会えたことが奇跡のように思え、帰り道、心で泣いていました。私の話しに興味を持った数人の友に、この学びをかいつまんで、体験を話しました。皆心では求めているのだということを痛いほど感じました。自分の感じている幸せを伝えられることが、また喜びでした。

アルバートを信じることが、今の私にとってこの上もない喜びです。

 アルバートを信じることが、今の私にとってこの上もない喜びです。自分の心の中のアルバートに出会う時、「私は生きている」と実感します。自分の心に存在するすべての意識が、今アルバートを目指していると感じます。その足音が心に喜びとなって響いてきます。アルバートのもとに一つになりたい…そんな思いが私の中に満ちてくる。今までアルバートを信じたいと思ってきた。でも今は信じていますと言える私がある。その信を強く強くしていきたいと願う私がある。どんなにアマテラスが動いても、私はもうアルバートを離さない。「共にアルバートに帰りましょう」と語れる喜びがある。心の中でとても強くなった思いが見えてくる。それはアルバートを感じれば感じるほど強くなる。そして私の中に優しさが増えてくる。すべてを包み込む愛しい思いが溢れてくる。自分でも不思議なくらいアルバートに心を向けて行く。本当に信じることがすべてを変えていくのだと思いました。信じることが喜びです。アルバートに心を向けることが喜びです。

闇の意識も苦しみも、すべてがアルバートに出会うために必要なものでした。

 私の今世は苦しみだけでした。特にこの学びを知ったときからその苦しみは輪を掛けて現れてきました。その苦しみに、セミナーから離れたい、田池から離れたいと思ったことは一度や二度ではありませんでした。どうやってここまでこれたのか不思議なくらいです。苦しみのはけ口を外へ外へと向け、逃げていました。どれだけセミナーに通っても満足できる答えはいただけませんでした。私が欲していた肉の幸せはやってきませんでした。ただただ不平不満、田池留吉に対しての恨み妬み嫉妬の思いが湧いて出てきました。
 この時期に来てようやく私がセミナーに望んでいたもの、田池留吉から得たいと思っていたものがなんであるかを少し少し分かり掛けてきたとき、真っ直ぐな道を歩んでいると思ってきた道は、田池留吉の道とは遠くかけ離れた道だったと思えるようになりました。田池留吉という道標に向かってつばを吐きかけ、小便を掛け、砂を掛けてきていました。そんな心にすら気がつきませんでした。当然それらは全部自分に返ってきました。その心の苦しみは筆舌には耐え難いものでした。しかし少しだけ自分の心の間違いに苦しさに気がついたとき、田池留吉の存在が私の心の中で感じ始めてきました。あんなに嫌っていた田池留吉が、私の心の中で柔らかな波動となって感じ始めました。ある時は厳しく激しく心に感じ始めてきました。この波動が私のバロメーターです。この波動こそが信じられるものですと思えるようになってきました。いつしかこの波動に出会いたいと思うようになってきました。目を閉じて波動の中にいると、他には何もいらない、この優しさの中でずっと生きていたいと思えるようになりました。とろけそうなくらいの波動です。そして私はアルバートに出会えると確信を持ちました。アルバートに出会うために今日までの苦しみがあり今日までの過去があったのだと思えるようになりました。今日までの私はアルバートに出会うための道中でした。そう思えたとき、なんだかすべてが良かったんだと感じ、すべてがアルバートに出会うために自分で作って演じていたんだと思いました。人生苦しんで良かったです。苦しみは全部私がアルバートに出会う愛でした。
 セミナー会場での喜び現象を思い浮かべたとき、そこにAさんがありました。私はどれほどの恨みを持ってこの方と接していただろうか。どれほど引きずり降ろしてやりたいと思っただろうか。一方、この方で良かった、出てきてくれてありがとうと思う心もあるのです。その方から流れる波動を感じたとき、心の中でこの方の存在が感じられました。言葉としてではなく、心の中で思いとして、この方の必要性を感じました。私にとって、いや、すべての人類にとって、宇宙の意識にとっての必要性を感じました。私は今大きな流れの中に生かされています。大きな愛の中に肉体を持たせていただいています。肉体は欲を満たすものでも己を表すものでもありませんでした。ここにこうして存在し、アルバートの波動を感じ、本当の自分に帰るためにありました。嬉しいです。ただただありがとうございますの感謝の思いしかありません。今このセミナーの現象の場に立っていなければ私の未来はありません。私の意識の成長はありません。ここに肉体を持たせていただいて、セミナーに参加できることがどれほど幸せなことなのか、夫の家族の協力があることがどんなに幸せなことなのかを思えます。ありがとうございました。

田池留吉の存在をいかに軽く捉えていた自分であったか、幾重にわびてもわびきれません。

 どんなに大きくアマテラス、クドーラのエネルギーが心の中に強く感じられても、それよりさらに大きく深い無限の愛の中に生かされつづけてきた意識たちであったか、どれほど幸せな意識たちであったか、田池留吉を思う時、アルバートを思う時、その思いがあふれてきます。愚かであった、無知であった、強情そのものだった、この期に及んでさらに闇のエネルギーを撒き散らしつづけていた自分を思います。
 私自身の中に存在するアルバートの意識、それを信じて信じて、道標にしたがって歩み続けていくだけだと、それだけでいいのだと思っています。意識の流れの中に素直に委ねていくだけでよかった、私という肉の思いは何一つ必要ではありませんでした。苦しんで苦しんで歩み続けてきたその原因はすべて自分にありました。ただアルバートを信じて委ねて歩む道、肉から意識への転回は、安らぎと喜び、真の幸せへの道だと伝えてくださった田池留吉の存在をいかに軽く捉えていた自分であったか、幾重にわびてもわびきれません。どれほどの間違いを重ねてきたか、その重さが心に伝わってきます。

許されていた、愛されていた、生かされていたということを嬉しく嬉しくかみしめています。

 田池留吉の言葉を耳で聞き、頭で捉えるということは、他力の心そのままのあらわれであったということを感じています。一歩も他力の域を出てはいませんでした。田池留吉の言葉が心の中で本当にそうであったと確認された時、その言葉は命を持ち、生き生きと脈打ち心の中の喜びを大きく大きく膨らませていく波動、喜びの波動そのものであったことを、今感じています。
 闇を、自分が出しつづけてきた凄まじい波動を嫌いつづけてきました。認めたくない思いで一杯でした。でも心の中に存在するアルバートの心は、その闇によくでてきたね、そんなものではないよもっともっとあるはずと、喜びの心でそれらを受け入れていました。闇の心に出会うことが喜びでした。出しつづけてきた凄まじい波動に気付けることが喜びでした。嫌いつづけてきた闇が今はなんともいとしく思えます。憎み、羨み、責め裁きの対象であった学びの友も私の心の中でただただありがとうの対象へと変わってきています。それがまた嬉しい限りです。
 許されていた、愛されていた、生かされていたということを嬉しく嬉しくかみしめています。

肉の田池留吉が懐かしくてたまりません。

 ここ2週間色々苦しい経験をしました。目の手術そして終戦の日と目まぐるしく私は、試練の苦しみの連続が続く中で、ひとしお肉の田池留吉が懐かしく、アルバート共に嬉しい思いを感じつづけました。肉の田池留吉に面と向って冗談も普通の話も出来ない、今の私はかってたやすく肉で話していた時が、懐かしくもあり反面無智であった自分を恥ずかしくもあります。
 アルバートの凄い嬉しい波動を頂き、これが肉の田池留吉の波動と思うにつけ、とてもとてもこれまで肉で3次元の話ばかりをして来たことが思い出され、私の意識は中からとがめます。アルバートの存在を教えてくださり、またアルバートの喜びと幸せの中に導いて下さったのも肉の田池留吉、肉ではありません意識波動ですと、導いてくださったのも肉の田池留吉です。
 私は、意識、波動が自分と知ってからは、田池先生の顔を見ただけで、心が、意識が踊り見透かされた自分が、心にもない素振りをして肉で近くに行けなくなってしまいました。余りに肉ばかりで過ごした私が、今、懐かしく往時の誤りを恥と思うからです。でも田池留吉、アルバートを心で思うことが、どんなに嬉しくときめきを覚えるか、一人私しか知る由もないことです。
 アルバートの喜びを感ずることは、田池留吉の喜びを感ずることと同じです。田池留吉、アルバートの波動とその喜びの波動を知ったら、肉、肉の私はとても、とても、田池留吉の顔を見ることも、また側にさえ行けなくなります。これが肉と意識との峻別だと思います。
アルバートの喜びの波動ほど素晴らしいものはありません。それと共に田池留吉の波動ほど素晴らしいものはありません。いたずらに距離を大きくするものではありませんが、今、私は田池留吉の波動の素晴らしさと対峙できません。これは田池留吉の側に行ったからとて得られるものではなく、自分の中のアルバートそして田池留吉を信ずるこころを大きく、大きくしていくことしかありません。
 懐かしくもあり嬉しくもあり、肉の田池留吉をこよなく愛し求め続けた過去が懐かしいです。アルバートが分かるにつれて、益々肉の田池留吉が懐かしさが大きくなることを嬉しくなります。肉の田池留吉有難うと心から思います。

今の私にとって田池留吉の肉とは

 セミナー会場で田池先生と一言、二言しゃべる時、その言葉から発せられる波動が、この心の中に伝わってきて、その温かさ、やさしさを感じる私はもう、何も自分を守らなくてもいい安心感に包まれてしまいます。自分でも驚くほど親密な人に話しいる思いになれて後で思うとよくあんなこといってしまったなって吹き出すような恥かしいことでもすらすらと言えるのです。心がとろとろにやわらくほとびてしまうのを感じながら何を言っても受け止めてもらっていることを知っている素直な私になっています。肉で話していても意識が田池留吉に向くとたちまちうれしくてうれしくてたまらない喜びが溢れ出してくるのを何度も感じさせてもらっています。
 この頃はあの心を感じられると言うことは自分にあるんだと信じています。肉の田池留吉と私は一つなんだと意識のつながりをさらに強く信じていけるようになってきました。肉が目の前になくても私が向いたらつながる、と言うことを何度も何度も繰り返しています。そしてその波動が自分の中からあふれ出てくるんだと信じられるようになってきました。幸せに浸っています。いつもいつも肉の田池留吉を思うだけで喜びと感謝で心が暖かくなってもう何もなくても幸せの世界が広がります。その心で肉のことをしたらとても楽で楽しく、現実の肉の世界でありながら夢見心地で時間が過ぎてやがて消えていきます。こうして生きれば軽くて楽で楽しくて、何の執着もわいてこない。アルバートに常にむけているということはその心が大きくなりやがて肉の思いが薄らいでいくのだとわかってきました。ずっとずっと生き続ける意識が私だと信じていけるようになっていきます。
 生きることも喜び死ぬことも喜びとなっていくのだと思えてきました。

来世へ向けて、未来へ向けて、4次元へ向けて、これからが本当の出発でした。

 アルバート、タイケトメキチ、肉の田池留吉その波動がすべて一つ、アルバートの波動であることを感じています。肉の田池留吉の存在はそれを伝えるためにありました。自分の中の他力の心、肉によって揺れる心、それを見つめつづけてきました。もうこれまでと自分を見捨てた時もありました。でも肉の田池留吉から流れる波動が愛そのものであり優しく暖かく懐かしい、アルバートそのものだと心に響いてきたとき、自分の闇が浮き彫りにされ、はっきりと間違いつづけてきたということを知ることができました。田池留吉を拒否しつづけてきた心が雪解けのようにぬくもりに緩みはじめているのを感じています。これが本当の私なんだと感じています。闇に翻弄された時、この学びから逃げ出したい気持ちが膨らみました。後わずかだというセミナーも早く終わって欲しいという思いまでだしました。無知そのものでした。
 アルバートはすべての人の心の中に、田池留吉の波動もしっかりとこの心の中にあることを確認したとき、肉の田池留吉の存在のあるなしを超えて、この学びで伝えられたことが人生そのものであるということを、永遠に本当の自分に帰る道がつづくことを、そしてそれが喜びの道であることを知りました。来世へ向けて、未来へ向けて、4次元へ向けて、これからが本当の出発でした。

肉を自分と思い、肉の自分を誇る思いが、すべてを駄目にしてきました。

 特攻隊の過去世や、琵琶湖に人柱となって沈められた過去世を通して、認められたい心が、たくさんたくさん出てきました。今までもずっとずっと、この心でこの学びもしてきたのですが、反省につなげられないままに今日まで来てしまいました。
 私は、肉の自分を認めさせるために、どうしても霊力が必要でした。神の言葉を聞くことが必要でした。神が必要だったんです。肉の自分を認めさせるために、神になりたいと懇願し続けてきました。自分を認めさせるために、命をかけて、何度も何度もこの思いで肉を粗末にして命を終えてきました。それほど、私は肉の自分を認めさせたかったのでした。
 それは、苦しいエネルギーでした。でも、そのことに長い間気付けずにきました。
 私は、肉でがんばってきました。そのがんばりを決して認めない人が、今世初めて私の前に現れました。田池先生でした。だから、ものすごく反発しました。我を認めよ!という、思いを使って使って使いまくりました。これでもか、これでもかと、苦しいにつけ、うれしいにつけ、この心を先生に突きつけてきました。
 先生は、決して私を認めてはくれませんでした。でも、私にやさしい波動を向けてくれました。許して愛して受け入れてくれました。そして、その波動こそが、本当の人問の姿だよと先生は伝えてくれました。
 私の中にある、認められたいエネルギーが、私にとって大切なこと、本当に必要なことをたくさん邪魔してきたと感じます。
 チャネリングは肉の私がやっているという己を誇る思いで、意識の世界から伝えてくるものをゆがめ、本当のやさしい波動を邪魔してきました。
 「私を認めて」と思っているから、どうしても田池先生に素直になりきれませんでした。「はい」と心を向けて全託するよりも、自分を認めさせたい思いの方が先に立っていました。
 自分を認めさせたいから、肉の自分がつねに前に出てしまい、どうしてもこの学びを周囲の人に伝えることができませんでした。もっと早く自分を認めさせたい心を崩せていたら、肉の母にも、白血病で早世した従兄弟にも、本当のことを伝えることができたかもしれないと思うと、己の高かった自分が本当に情けなく、残念でなりません。
 肉を自分と思い、肉の自分を誇る思いが、すべてを駄目にしてきました。そのことが、一生懸命アルバートを求め、アルバートを信じようとしている自分の心に、本当に申し訳ないです。私はすべてをさえぎってきてしまいました。本当に申し訳ないです。

今度こそアルバートの波動をしっかりと感じながらの旅立ちです。だからこんなに嬉しいことはありません。こんなに幸せなことはありません。

 この地球上での3億6千年は確かに私の心の中でしっかりと記憶されているでしょう。しかしそれ以上に今私の心に響いてくるのは、やはりそれ以前の宇宙の時の思いです。私には時間空間を越えてたくさんの宇宙の友が心にコンタクトしているのが感じられます。真実を知らないまま宇宙にさ迷い続けてきたのですから、それはそれは想像できないほどのエネルギーだと思います。でも懐かしいというかやっと出会えたというか何とも切ない思いが感じられます。
 この地球で生息するにふさわしい肉体をもらい今の今までこのようにいわゆる人間として転生を許されてきましたが、私の心は宇宙人のままのような気がするのです。そして私は今世田池留吉という肉を持った意識と出会わせて頂きました。よもやこの地球で3次元の世界で出会えるとは思ってもいませんでした。異語と異語で語るとき私は遠い遠い私自身を思い出しています。ずっと前から私は知っていた、私達は出会っていた、そういうことを心で感じます。そして後300年、私達はまたこの地球という星に別れを告げ旅立っていきます。今度こそアルバートの波動をしっかりと感じながらの旅立ちです。だからこんなに嬉しいことはありません。こんなに幸せなことはありません。

肉の田池留吉の前に、私はずっと裸でいたのでした。

 肉の田池留吉の前に、私はずっと裸でいたのでした。それなのに、隠れ、逃げ、影でこそこそと何をしていたのか…こんな私なんですよ、こんなに汚く汚れた私なんですよ、臭い臭いをプンプンさせている私ですよ…そう言いながら、私の意識は田池留吉に向かって、一直線に突進して行く。もう止められない。嬉しくて嬉しくて、両手を広げ、ただただ田池留吉を目指して行く。絶対に拒否されない、受け容れられることを信じきって、汚く汚れきった自分を曝け出して行く。信じて信じて自分を委ねて行く喜びだけが、心に伝わってくる。汚れきったことを知ることが、よけい深く心を田池留吉に向かわせる。そこには「こんなに汚してしまいました。ごめんなさい。でも嬉しいんです。」と言う素直な気持ちがありました。真っ黒な心を、もう隠さなくてもいいのだという安心感が、大きくありました。肉の田池留吉はそんな私をしっかりと受け止めてくれていた。そのことを確信した私の心には、ただただ喜びと感謝の思いだけが残りました。いつか、「宇宙の果てまで逃げても、私から逃げることはできませんよ」と言われたことが、今、大きな喜びとなって心に響きます。

「めんめ」の現象で、先生に向かって刀と槍で戦いを挑んで行くゆく私があった。

 「めんめ」の現象で、先生に向かって刀と槍で戦いを挑んで行く私があった。絶対に負けるものか、死んでも負けない。切って切って切りまくれ。殺せ、田池を殺せ…そう喚きながら突進して行った。凄まじいエネルギーで、田池留吉を殺そうとしている。真っ黒い破壊のエネルギーの塊になった私でした。お前なんかさっさと消え去れ。人間の心を信じるなんておめでたい。お前に信じてもらわなくても、我らは生きて行ける。早く諦めて、我らの前から消えて行け…先生が私の前を足を引きずって、痛そうにして歩いて行かれた。「ざまあみろと思ってるんやで」と言われた時、「そんな酷いことは思ってないわ」と反発した。しかしその通りでした。この学びが不発に終われば良い、田池一人で何ができるか、人間なんてしょせん汚い者、心を見て何になる…そんな心が渦巻いて出てくる。私はそんな心を隠して学びに集って来た。お前がどこまでやれるか見てやろうじゃないか。この私を変えれるなら変えてみろ。心の奥深く、田池留吉のすべてを冷ややかに見守ってきた。いいかげん諦めろ、お前に屈する我ではないわ。隙あらば足をすくってやる。お前の愛とやらの効力を試してやろうじゃないか。いつかきっとあいつも我らのことを捨てて行く、だまされるな、あいつの言葉を聞くな…そんなに憎い田池に、なぜ心が引かれるのか…反発ばかり出してきた心が、なぜ田池を求めるのか…ああ、その時、「私は意識、愛の意識でした」…心の奥から叫びが上がり、どんなにしてこの思いを現したら良いのか分かりませんでした。自分の心を殺し続けてきた私でした。殺しても殺しても、私の心から消えることがなかった田池留吉…今、私の前に肉持っておられる…慟哭でした。「私はあなた、あなたは私」この言葉が心の奥深く染み透って、肉の自分がガラガラと崩れるのを感じました。力が抜けて、その場に崩れそうでした。どれほど抵抗しても、私は本当の自分、田池留吉を消し去ることはできませんでした。言葉にならない思いが、胸一杯に広がって、田池を殺せと叫び続けてきた自分を抱きしめていました。転げ回って懺悔したい思いでした。
 素直にすべてを認め、田池留吉、アルバートの胸に飛び込んでいきます。それがどれほど幸せなことか、今やっと少しわかりました。

四次元のアルバートに心を向けると、心の隅々にまでアルバートの波動が広がって行く。

 四次元のアルバートに心を向けると、心の隅々にまでアルバートの波動が広がって行く。まるで心臓から出た血液が、毛細血管を伝わって広がるように、私の心の端まで染み渡って行く。体中を駆け巡り、循環して行く。喜びが静かに広がり、心が満たされて満杯になって行く。そして心から喜びがほとばしり出て、歓喜する自分があった。

 肉の田池留吉から投げられた愛の小石が、水面にさざなみをたてて広がって行く。喜びのエネルギーが波紋のように伝わって行く。宇宙全体に、果てしなく、繰り返し繰り返し、愛の波紋が投げかけられる。その様が心に伝わってくる。その中に私がいる。私の過去世のすべてに、喜びの波動が染み込んでいく。私は、ただただこの愛の中で揺られていれば良い、この流れの中で流されていれば良い…私は幸せな命…なんと静かで広いのか…私の存在の起源から、果てしない未来まで、私はこの中にいる。促され、促され、私はやっとそのことに気付いた。そのことを心で深く思いました。

 私は心、私は心、心でした…肉ではなく、心でした…心が生きていました、生かされ続けてきました。どんなにどんなに汚しても、闇しか見えなくなっても、私は心でした。田池留吉、アルバートと共にいる心でした。心の中になにがあろうと、私は幸せだと思える今が嬉しいです。自分があらゆる闇を抱え込んでいることも、私が心だと言う証だと思えて、嬉しい思いに変わって行く。本当に闇を認めて行く作業とアルバートを感じていく両輪が、私の生きていく道なんだと思う。どちらも同じ、ただ喜びだけが心に残っていく。今は、意識というより「心」という文字が浮かんでくる。心の中身が、私が生きてきた軌跡のすべてのように感じられ、そのなかにあらゆる闇が含まれている。それが嬉しいのです。私は心…しみじみと味わっています。

 思いきり甘えさせていただきました。今も先生の肩に手を置いた自分を思いだし、あんなにして甘えられたことが嬉しくてたまりせん。母にもあんなにして甘えたことがありませんでした。いつもどこか後ろめたい思いがありました。それほど己偉い私でした。私の心の奥から、自分もあんなにして甘えられたら良いのにと言う闇が顔を出してくる。悪態をつきながら、実は自分も…と言う思いなのです。偉そうに、格好をつけて、でも心はもう素直になりたい一心です。これが今の私です。嬉しいです。ありがとうございました。

私は本当にアルバートを信じているのか、信じようとしているだけのことではないのかと、今このことを自分に問いかけています。

 苦しい思いを一杯溜め込んでいたとき、寂しい思いに溺れていたときの私の心はいつも自分中心でした。自尊心を傷つけられたように落ち込んでいきました。そして助けを求めるような思いで、反省と瞑想をしていました。瞑想をすれば心が安らいでいく、反省をすれば母の温もりを思い出す、そんな求める思いばかりを出してきました。
 昨日、ある方の他力の反省文を読んでいてそんな自分を認めることが出来ました。頭では分かっているつもりでも私の心は求める思いだけでした。もっと気持ちの良い瞑想をしたい、もっとビンになりたい、メッセージをドンドン受けて田池先生に認めてもらいたい、喜びの心をもっともっと表していきたい、そんな欲を隠してきました。他力の思いが田池先生に向いていることを感じていながら、「俺は違う」と認めたくはなかったから自分の心を誤魔化してきました。
 セミナーでの現象の中で感じている喜びは本物と思いたいばかりに、反省と瞑想を繰り返してきました。この喜びを忘れないために日々の日課として努めてきたのです。私は本当にアルバートを信じているのか、信じようとしているだけのことではないのかと、今このことを自分に問いかけています。
 何処まで行っても自分でした。自分を表すためだけの心を使ってきました。本当のお母さんの温もりは全く知ってはいなかったのです。知った振りをしていただけなのです。自分を騙してきました。田池先生を騙してきました。仲間を騙してきました。格好の良い自分だけを見せてきました。本当に恥かしい思いです。
 お母さんの温もりを思い出していきたいです。お母さんに、この肉体をこの時期に生んでもらったことをただただ喜んでいきたいです。お母さんの温もりを捨てた心が私の他力の心です。他力の心は寂しい心でした。冷たい心でした。お母さんの温もりに帰っていきたいです。素直に帰っていきたいです。少し落ち着いてきました。母を思う瞑想、四次元の私に向ける瞑想を、淡々とやっていきます。優しい思いを向けていきます。うれしい思いが少し湧いてきました。うれしいです。ありがとう。

アルバートを信じ、いつも思いを、心を合わせていくということの素晴らしさを私は長いこと忘れていました。

 今肉の思いに振り回されていた自分を振りかえっています。言葉にとらわれ、肉の田池留吉の言動によって揺れ動いていた自分の心を見つめています。嫉妬や妬みなど、そんな思いをだしてはいけないと自分を戒めるのではなく、心の中にほんの少しでもアルバートへの信が育ち、意識は一つであると確認していったとき、ありがとうありがとうという思いがわいてくるということを体験しました。嫉妬に狂っていたときには気付けませんでした。うらやましいという思いをだしていたときにはわかりませんでした。
 田池こちらを向け、認めろという思いをだしていては、決して感じることのできないぬくもりがあることを、そしてそれは外から与えられるものではなく、自分の心の中に存在していたことを知りました。アルバートを信じ、いつも思い、心を合わせていくということの素晴らしさを私は長いこと忘れていました。狂って狂っていました。誰を差し置いても一番になりたい、認められる存在になりたいという思いがいかに自分を粗末にし、アルバートを置き去りにする思いかを感じています。大いなるアルバートという意識の中の私、一つの意識の中の私、皆とともに学ばせていただけるということが、嬉しいです。田池留吉のふるさとの歌の波動がとてもとても暖かく心に響きました。ありがとうございました。

私は私の中の温もり、広い心を本当に信じているのだろうかといつも自分に聞きながら着実な一歩を歩いていきます。

 セミナー会場で瞑想状態になったとき、私の心から出てくる思いは、お母さん、ありがとう、生んでくれてありがとう、でした。アルバートの波動の中で喜びの力強いエネルギー、愛のエネルギーの中ではもう何も思うことはありませんでした。ただただアルバートへの道がアルバートの世界が広がっているだけでした。肉も肉の思いもすべてを包み込む愛の波動の中で、その中では何も存在しない、ただアルバートがあるだけでした。肉を持ってその波動の中で喜びを感じ、次元を超えた世界を肉持ちながら味わえる幸せな私であることが原点でした。
 セミナー会場に肉を運べることがどれだけ幸せなことなのか、回を重ねるごとに私の中で小さくなっていました。数え切れない闇出しと喜びの現象の機会に恵まれています。でもそのことに何時の間にか慢性化になって、その機会を自分に与えられているということに喜びを忘れていたように思います。それが喜びでした。後はすべてが欲の思いでした。
 ただ流れのままに淡々と田池留吉と接し自分の心とともに歩いてまいります。自分の中の温もりを信じて闇の思いは必ずこの心で包んでいける、誰にも頼らずとも何にも頼らずとも私のこの心の中から溢れ尽きることなく沸いてくる温もりを信じられる私であることが、本来の私の歩いていく道でした。私は私の中の温もり、広い心を本当に信じているのだろうかといつも自分に聞きながら着実な一歩を歩いていきます。

アルバートの波動と出会えアルバートとともにある私は幸せです。

 私は私のこの寂しい心、私をようやく自分の心で抱きしめていける、私が私の心で包んであげる以外にはどうすることもできないことを今世知りました。だから私は今世生まれてこれたことがとても嬉しいです。生まれてくることが苦しかった私は本当に今世、心の底から生まれてこれてよかったって思っています。田池留吉の肉に出会えたからです。田池留吉の肉が私に真っ直ぐに教えてくれたからです。田池留吉の心から私の心へと流れる波動、思い、温もりの中に私は本当に自分の心を委ねていける幸せ、喜びを膨らませつつあります。
 過去肉を持ち人を愛するということ私が人を愛する心は、自分を知らなかった、何も分からなかった苦しい心であったことを、今世の肉は知りました。私の心の中からそうじゃないよと優しく優しく伝えてくる思いがありました。私はこの思いでした。これが私でした。ようやく今世の肉を通して私はそのことを知りました。田池留吉、田池陽子、私はあなた方と出会えた今世本当に幸せです。私はあなた方とともに歩いていく意識です。しっかりとしっかりとそう思います。
 そして瞼を閉じ中の目を開ければ、私の心の中にはっきりとアルバートが映し出されます。アルバートは優しく優しく私を抱いてくれています。田池留吉の目の中に私はアルバートの目を見ています。私は幸せです。アルバートの波動と出会えアルバートとともにある私は幸せです。来世どのような肉であろうとも私はきっとこの心を繋いでアルバートとともに4次元へと歩いてまいります。嬉しいです、ありがとうございました。

穏やかな毎日が続き、ふと心を見ると嬉しい思いが広がっていく。

 穏やかな毎日が続き、ふと心を見ると嬉しい思いが広がっていく。時間が優しく過ぎて行きます。小さな波が立っても、今までのように大きくなりません。たくさんの心を見なさいという促しをいただき、肉の忙しさではない忙しさを感じています。アルバートに心を向け、自分との対話の中に、本当に生かされているのだと実感する毎日です。心が充実して、肉体細胞も生き生きしてくるのを感じます。自然と周りに優しくなれるのが嬉しいです。心が広がるにつれ、自分の周りも広く広くなっていくように思います。
 今、静かで穏やかで、暖かな自分を不思議な思いで見つめています。こんな私があったんだ…田池留吉を信じる心が、私の心の中にどんな世界を広げて行くのか…今、私は自分の心で証明しているのだと思います。

受け入れられ許され愛されている自分を感じます。失うものも欲しいものもありません。

 自分にとって都合の良いことを嬉しい喜びだと長い間信じつづけていた世界から、アルバートに心を合わせ、アルバートの波動の中に生かされていることが喜びだと感じる世界へと、少しずつ少しずつ移行していることを感じることはとても嬉しいです。
 肉を基盤に置くとすべてが苦しみにつながっていく、喜びすらも一瞬のうちに形を変えて苦しみにつながっていくということを、何度も体験してきました。アルバートの世界には喜びしかないということを、アルバートに心を合わせながら、波動を感じながら学んでいます。何時いかなるときも、アルバートに心を合わせていった時、そこには安らぎの空間が存在します。
 受け入れられ許され愛されている自分を感じます。失うものも欲しいものもありません。この波動の中にとけこんで、姿かたちなく喜びに同化していく自分を感じます。私の中の大闇も帰るところを少しずつ少しずつ確認しているように感じます。

聞く耳を持たなかったというのか、己が偉すぎて素直さがまったくなかった自分をいやというほど知りました。

 この学びをどんなに長い間やっているつもりになっても、心に素直さがなければやっていないのと同じでした。田池留吉の言葉を軽く捉え、耳を素通りさせていたことをつくづくと感じています。今田池留吉の伝えてくださったことの中からひとつずつ、あぁ、こういうことだったのか、と心に伝わってくるものに気付かされます。それは何度も何度も先生が口をすっぱくして伝えてくださったものばかりなのです。
 聞く耳を持たなかったというのか、己が偉すぎて素直さがまったくなかった自分をいやというほど知りました。素直な心でこれからの道を歩んでいきたいと思っています。

ありがとうの心だけが、田池留吉、アルバートに出会えるのでした。

 別れが本当のありがとうで終われたら、出会いもありがとうだったことに気が付きました。そんな自分に出会えた最後の東京セミナーでした。東京セミナーが終わってから日々の中で繰り返し出てくることは、別れる喜びを体験したときから、全ての出会いもありがとうの喜びだけだったことに気が付きました。出会いも別れも心は一つでした。同じでした。ありがとうだけでした。別れをありがとうで終われてから、今までの出会いと別れが全て輝いて見えてきました。やっとやっと心から、生まれてきたことが幸せだったと思いました。自分が信じられるようになりました。自分が好きになってきました。自分が好きになってくると、お母さんありがとうと心が静かに自然に喜んでいます。一人でも寂しくなくなってきます。
 「ありがとう」の思いが私をしっかりと未来に向けていきます。「ありがとう」の思いが私の心を田池留吉、アルバートに喜びと一緒に向いていきます。とてもとても穏やかな世界です。
 ありがとうの波動だけが私を田池留吉とアルバートの波動の中に飛び込んでいけることを知りました。この体験を信じていきます。私が本当の自分と約束していたこと、過去世の全ての自分と約束していたこと、お母さんと約束していたことは、肉持って出会えた喜び、肉持ってありがとうと別れられる喜びの自分と出会うことでした。そこから私の未来が始まることを信じて行きます。
 ありがとうの思いが私を田池留吉、アルバートに向けてくれました。この心に出会えた私はもう迷うことはありません。田池留吉、アルバートだけに心を合わせて生きていきます。私の心で感じた「ありがとう」の波動を信じることは田池留吉、アルバートを信じることと同じでした。心が揺れても必ずこの心を思い出してありがとうの世界に帰っていきます。この積み重ねこそ私が本当の自分に帰る道であると信じられます。嬉しいです。ありがとうございました。

私は真実を知りたかったのです。

 私は真実を知りたかったのです。私の人生の中でするべきこと、何をしていけば私は本当に人生を生きてきてよかったと思えるだろうかといつも思ってきました。心が満たされなかったことを私は感じていました。でもなぜなのか分かりませんでした。そして田池留吉、アルバートの波動に出会い心で感じさせてもらっている今だからこそ、私は心を預ける、心を委ねることをずっとしてこなかったなあ、いつもある程度のところまででその先は自分の心を閉ざしてきた私であったなあということも感じています。本当に人を愛しいと思う思いにも自分を愛しいと思う思いにも私は出会えずに、だからずっと長い長い間苦しんできたんだなあと思います。自分自身が広い心であり、私に必要なことはみんなこの心の中から教えてくれていることを知らなかったから、自分の心を信じる、自分を信じることなんてできませんでした。心で感じたものが私の本当の思いだと感じ信じていこうと思えば、本当の意味で自分に自信が持てます。
 本当に田池留吉は道標でした。田池留吉の肉に他力の思いを向けても何も分からない、分からないどころか心癖を膨らませていくだけであったことも、私の中のあなたの存在を実感していけば納得でした。後はどれだけの信を自分の心の中で育てていくかでした。あたたかい温もり、優しくて大きな懐、たくさんたくさん今世の肉は感じさせてもらっています。そのあなたを感じればもうありがとう、嬉しい、幸せです以外には何の言葉も必要のない世界に私はあなたと存在していました。だからこれからこの信を私は段々と深めていくことだけをしていけばいいのだなあと思っています。

「田池を殺せ」という思いがどれほどのものか、私は知らなかった。

 この心の中にある「田池を殺せ」という思いがどれほどのものか、私は知らなかった。そんなはずはない、この私がこんなに強く「殺してやる」と思っているはずはない…あんたはなんで「殺してやる」と喚いている私の前に出て来たんや…わざわざ殺されに来たんか…首をしめ、切り刻み、八つ裂きにするくらいでは飽き足らない。どんなにして消してやろうかと、この心の中で隙を狙い、木っ端微塵にするまで引き下がらないぞとがんばって来た。そんな自分をはっきりと自覚しました。でも、もう殺せないのです。もう私には田池留吉を殺せないのです。「消えてしまえ」と叫びながら、心ではたまらなく好きなんです。「殺してやる」と暴れても、嬉しくてたまらないのです。なぜ嬉しいのか、自分でもわからない。とにかく嬉しくてたまらない。懐かしくて懐かしくて、心の奥深く潜んできた闇が、大きな声で「殺してやる」とわざわざ田池留吉の前で暴れ出す。自分の無様な格好を、自分で曝け出す。曝け出すことがまた喜びとなる。ああ、嬉しい…今、私は田池留吉とアルバートと共にいる。こんなにこんなに嬉しいんです…そう叫ぶ声が「田池死ね」でした。
 だんだん闇のエネルギーが大きくなって、この心から噴出してくる。それにつれて、肉の田池留吉が私の前にいるということがどんなに大きな愛なのか、ようやく感じ出した。今まで以上に肉の田池留吉に心が向く。意識と肉の区別がなくなっていくように感じる。意識の田池留吉も、肉の田池留吉も、もう私には同じように感じる。田池留吉の世界が前よりずっと広く、そして厚みを帯びて行くように思う。静かな空間が、どんどん私の心の中で膨らんで行く。私はその中に、ただじっと包まれているだけです。肉の田池留吉の前で、「田池を殺せ」と叫ぶことができる幸せを、今しみじみと噛み締めています。ありがとうございます。

私の本当の思いに触れさせてくれる大闇

 私の中で田池留吉への信が大きくなれば、それにつれてアルバートとともにある喜びも大きくなってきますが、また私自身の闇のエネルギーもそのすさまじさを増してきます。「田池、殺してやる」では物足りない、「田池、殺してやる」どころではありませんでした。田池留吉の存在自体が私には苦しかったです。私の中に田池留吉の世界ではなく私の世界、私の宇宙を広げていきたい、だから田池留吉がそこにいることが苦しくて認められなくて許されなかったのです。田池留吉の世界を認められない、田池留吉の世界に与することに対して抵抗するエネルギーを感じました。私は田池留吉の肉を通して、はっきりと自分の闇の思いを知りました。私の世界、私の宇宙、私はこのエネルギーを地球以前より蓄えてきたのだと思います。田池留吉の姿、田池留吉の目は私のその心の深部を真っ直ぐに指差してきます。そして大きな大きな闇のエネルギーを抱えている自分自身の思いを吐き出させてくれる田池留吉の愛を私はその後の瞑想で充分に感じています。
 田池留吉を待って待って待っていた、そしてこの心を田池留吉、アルバートへと合わせていくことを心から願ってきた私の本当の思いに触れさせてくれる大闇です。闇出しの後すぐにはアルバートを思えない課題はありますが、心から噴き出してくる喜びは実感です。アルバートとの出会いも4次元への移行も確信している私がそこにありました。喜び、歓喜の渦の中、そしてそれがやがて静かな静かな喜び、ともに存在している喜び、心に広がっていくアルバートの世界を私はこの心で感じています。

アルバートと私、何時いかなる時もアルバートと私、そう思った時に心の中からふつふつと喜びがわいてきます。

 鹿児島セミナーでは心の奥ふかくにあるアマテラスの意識を鮮明に感じました。しかしそれは決してどっしりとしたものではなく、まるで地盤が崩れていくような揺らいだ感覚のものでした。アマテラスの基盤が緩んでいく、そして最後のあがきを必死でしている感覚でした。
 意識ですか、肉ですか。アルバートですか、アマテラスですか。心を見る機会をたくさん与えられました。喜びの中にも肉の思いを引きずって帰ってきて、光と闇の中で揺れ動く自分の心を見ていても、不思議と心は落ち着いていました。自分の帰っていく場所をどこか心の中で確信しているそんな安心感でした。
 3億6千年の心の癖はしぶといということを実感したセミナーでもありました。でもそんな自分がどこかいとしいのです。なかなか心の癖が抜けず、心の転回も遅々として進まずあたふたしている自分がどこかいとしいのです。あせらずゆっくりのんびりたゆまずマイペースで、でも目標はただ一つアルバートへ帰る道を歩んでいく、それを確認したセミナーでした。私は私の道しか歩めない、人と比較することも羨むこともいらない、自分の道を確実に歩んでいこうと決めました。
 アルバートと私、何時いかなる時もアルバートと私、そう思った時に心の中からふつふつと喜びがわいてきます。

私の帰るところはアルバートの心、それしかないということを私の心は田池留吉に出会ったときにすでに伝えられていました。

 私の帰るところはアルバートの心、それしかないということを私の心は田池留吉に出会ったときにすでに伝えられていました。肉の思い、私の中のアマテラス、クドーラの思いは必死にそれをさまたげていました。どちらを選択するか、シーソーゲームのように揺れ動く状態から、意識こそ自分、私はアルバートの意識の中へ帰っていきますと、やっと自分自身に自信を持って伝えられる時を迎えつつあります。頑固で強情で田池留吉を疑い、軽んじこれでもかこれでもかと造反を繰り返してきた、裏切りつづけてきた長い長い年月でした。どれほどの闇をまだまだ心に抱えているか、どんな闇が飛び出してくるか、私にはわかりかねますが、でもきっと落ち込まず押しつぶされない自分を感じます。アルバートの暖かな波動を感じ、アルバートを信じ、アルバートとともに歩むとき、何の恐れも不安もありません。
 私はまだまだ田池留吉大好きという心の状態ではありません。優しくもあるけど厳父のような恐さも感じます。でも私の心は本当は好きで好きでたまらない、もっともっと田池留吉の心に近づいていきたいという思いがあることを感じています。素直な心で歩んでいきたいと思っています。

心の中の田池留吉、アルバートといつも一緒、その心と対話しながら歩んでいきます。

 今までの私の人生の中で、これだけは信じられる、信じていきたい、そう感じたのは紛れもなく田池留吉、アルバートの波動であったことをあらためて感じています。優しく暖かく広がりのある束縛のない自由な波動でした。肉の愛は一瞬、肉の喜びは一瞬、そう思っていてもそれを求める私がありました。決して満たされない寂しさを味わっても、さらにそれを求めつづけてきました。
 ずっと昔「あなたは寂しい人ですね」と言われました。今その意味がようやく心でわかりかけています。私は自分自身の本質を知らず、自分自身を信じることすらしてこなかった。自分の中に存在する田池留吉、アルバートを確認してこなかった、自分の中の優しさや暖かさ、ぬくもりを否定しつづけてきた本当に寂しい人間だったと感じています。今やっと永遠に変わらない、信じられるものに出会えたことを実感しています。素直に心を合わせ、波動を感じ、信じていく、そこに喜びがありました。暖かく包まれ幸せな自分を発見しました。何ものにも代えがたい喜びです。心の中の田池留吉、アルバートといつも一緒、その心と対話しながら歩んでいきます。

心の中に自分の闇を暖かく包んでいくアルバートの存在を感じるとき、田池留吉に出会えた幸せを思います。

 私たちはどれほどの大きな愛の中に包まれていたか、今さらながら田池留吉、アルバートの波動の中に包まれる幸せを思います。失敗することも、つまずいてひっくりかえることも、泥沼の中でもがくことも、すべては愛の波動の中で、アルバートへ帰る過程の中で体験することでした。失敗を恐れることも、正しい道を歩みたいと力むことも必要ありませんでした。アルバートへ必ず帰っていきたいという思いと、心を見ることを怠らず、自分の間違いを素直に認め修正していきたいという思い、それだけで充分でした。後は安心して信じてすべてを田池留吉、アルバートに委ねていくだけでよかったのです。どんな大闇が出ても、出てよかったねと喜んで受け入れてくれる、そして出せば出すほどそれは喜びに変わっていくことを体験してきました。自分の中の大闇がアルバートの波動の中で喜びに変わっていく、私たちはずっと長い間、このときを待っていました。闇が喜びに変わるたびに喜びが伝わってきて、それはアルバートを信じる信を少しずつ深めてくれます。心の中に自分の闇を暖かく包んでいくアルバートの存在を感じるとき、田池留吉に出会えた幸せを思います。

田池留吉の肉を見てあれこれ思う心、それは自分が肉を基盤に田池留吉を見ていたからでした。ものさしの基準が違いました。

 目を閉じて感じる田池留吉、アルバートの波動、それを心にしっかり抱いていれば、どんなことにも揺らがない信が自分の中に積み重ねられていくことを感じています。そしてそれは目を開けても、何を聞いても何を見ても、ただ一筋にアルバートへの道を歩んでいく心の支柱となりゆくことを感じています。
 田池留吉の肉を見てあれこれ思う心、それは自分が肉を基盤に田池留吉を見ていたからでした。ものさしの基準が違いました。3次元から4次元を見ても何もわかりませんと言われた意味がようやくわかりかけています。肉に揺らぐ心も田池留吉にひとたび心を向ければそこには優しい暖かな波動に包まれて自分の間違いに気付いていく愛が存在しました。どんな思いを出しても許されていました。でも私の心は、もういいかげんに肉の基準はやめようよ、苦しいよ、意識を基盤に田池留吉と向き合っていこう、そう思ったときに今まで感じなかったなんとも表現できない田池留吉の波動を感じました。あっ、好きになる、好きになる、そう感じた時に嬉しさがこみあげてきました。

「あなたはいつも私をその心に感じていますか」と伝わってきます。

 こういうことが幸せなのかとしみじみ思います。心から嬉しいなあ、ありがとうって自然と出てきます。涙が頬を伝います。涙って悲しいときに出てくるものだと思ってきました。でも嬉しいから、幸せだとしみじみ思ったときなぜか涙が溢れてきます。田池留吉、アルバートの優しい優しい波動に触れたとき、時には声を出してワンワン泣くことだってあります。それがまたとても嬉しいんです。心が柔らかくほどけて幼子のときに戻って甘えていける感覚を心に思い出してとても安らいだ心の状態になれます。私ってこんなに素直なのかと自分でびっくりする時もあります。こんな心で肉の生活を淡々と流していけばいいんだという感じです。
 「あなたはいつも私をその心に感じていますか」と伝わってきます。そうでした。いつも田池留吉、アルバートを心に感じていればそれでよかったのでした。何もなくても幸せな私を感じることができます。柔らかな暖かい波動の中に包まれていることを感じられる、信じられるということが幸せだと瞑想をして思える今日この頃です。

ともにアルバートへと帰りましょう、そんな計らいの中にある私を感じるときとても幸せを感じます。

 必ずアルバートへ帰っていきます、アルバートとともに歩いていきますとそう固く誓い決意してきた意識であることに目覚める時間を今、頂いています。だから今世の僅かな年数を振り返っても、私は私なりに色々とありました。決して平平凡凡に生きてきたわけでもありません。悩み迷い苦しみながら、それでも私は田池留吉と出会える道筋に自分自身を誘っていました。今世肉を持たせてもらった私は、田池留吉、アルバートの世界を自分の心の中に広げていける幸せを感じています。肉、形の世界に生き続けてきたと思ってきたから死んでも生きても苦しい世界、そんな中で一筋の温もりを知り、それが段々と心に大きく広がっていきました。
 何のために生まれてくるのか、真実に目覚めるにはどうしても肉が必要であったことを、私は今世の肉を通して知りました。今世田池留吉の肉が必要であったように私自身の肉もまた必要でした。それは来世もそれ以上に感じていくだろうと私は心のどこかで知っています。今世の私と来世の私の区別がないような、ごちゃまぜのような感覚にふとなることもあります。
 ともにアルバートへと帰りましょう、そんな計らいの中にある私を感じるときとても幸せを感じます。肉の環境は厳しい来世、だからアルバートとの嬉しい嬉しい出会いが用意されています。

アマテラスのエネルギーは確かに大きな大きなエネルギーです。だから心の転回に要する時間がこれからの300年に用意されています。その意識の流れの中の今であることを感じずにはいられません。

 私の心の中にアマテラスを神としてアマテラスを立派なものとして心を寄せてきた思いがまだまだたくさんたくさんあります。でも私は今世田池留吉と出会いそして今世の肉を通して、自分の中のアマテラスの波動を知ることができました。それは田池留吉の、そしてアルバートの波動を心で感じて信じる信が大きくなれば、アマテラスの波動がいかに冷たい波動であるかということが自然と心で分かってくることでした。
 私の心で田池留吉、アルバートを思えば、あたたかいあたたかい温もり、幸せな優しい世界が広がっていきます。波動でした。波動だけが真実を伝えてくれていました。田池留吉、アルバートの波動はお母さんの温もりを私の心の中に蘇らせてくれます。私は田池留吉、アルバートとともに歩いていきますと、田池留吉、アルバートの波動に目覚めた意識ははっきりとその思いを伝えてきます。アマテラスのエネルギーは確かに大きな大きなエネルギーです。だから心の転回に要する時間がこれからの300年に用意されています。その意識の流れの中の今であることを感じずにはいられません。遠いようで近い300年です。
 心の中のアマテラスのエネルギーがひとつまたひとつとアルバートへと目覚めていける喜びを今世の肉は知りました。そして田池留吉は肉も意識もひとつであること、私もまた同じであることをしっかりと心で確認する学びが、今世の予定の中に組み込まれていると私は思っています。そのことをしっかりと心に刻んで来世の出会いを心待ちしている私があることを感じ幸せを感じています。

「待っているよ」その一言にどれだけの愛が込められていたかを今振り返っています。

 CDのみんなの顔を見ていると、みんなといっしょに学んでいる今、そしてみんなといっしょに帰れる未来、私にはとても嬉しく感じられました。どのセミナーのCDの中のどの人もみんな素直でみんながひとつだとそう思います。自分がどれほど偉くて自分だけそして特別意識の中で苦しんできたかということが、CDのみんなを見ている私の心の中に間違ってきたなあという思いとともに感じてきます。
 本当にアルバートを思いアルバートとともに歩いていこうとしているセミナーの仲間達にたくさんたくさん出会っています。その人達と過去どんな関わりがあったかなんてどうでもいいことでした。250年後アルバートと出会え、喜びの道4次元への道をともに進んでいける仲間達に今私は出会っています。みんなでその喜びを分かち合いたい、アルバートの意識のもとみんなといっしょに進んでいきたい、そんな思いがCDを見ている私の心の中から出てきます。
 アマテラスのエネルギーの中で己一番を誇ってきた、そしてそうであることが幸せへの道であると信じて疑わなかったこの心に、少しずつ少しずつこのような変化が起こってきたことが私には嬉しいことです。
 田池留吉、アルバートは私のこの心の中の優しさを信じて信じてくれました。待ち続けてくれました。「待ってるよ」その一言にどれだけの愛が込められていたかを今振り返っています。

今、ようやくこの勉強の奥深さを、喜びと共に感嘆しています。

 肉の思いが、どれほど素直な思いを否定してきたか、心に響く思いを疑ってきたか、すべてを打ち消してきた過去を思うと、今あることの幸せをほんとうに嬉しく思います。私の心を占めてきた闇が、怒涛のごとく唸り声をあげて、心の底の底から現れる。みんな帰りたいと、あの懐かしい心に戻りたいと、やっと素直になろうとしています。私はこの自分の中にある、すべての意識を抱きしめたい…帰ろうね、一緒に帰ろうね…ああ、肉あることがこんなに嬉しいなんて、心を見ることがこんなに喜びでした。今、素直に、心に語ってくる思いを受け容れることができる。言葉ではなく、思いが染み渡ってくる。そんな時、自分は肉ではなかったんだと、改めて認識します。肉の枠には入りきらない思いが、この心から溢れます。未来の自分がアルバートと出会う瞬間、どんなに歓喜するか…それが心に溢れる時、私は確実に、今、未来に生きていると思いました。頭では分からない感覚です。しかし現実でした。今、ようやくこの勉強の奥深さを、喜びと共に感嘆しています。

 肉の自分を守るために、ヤマアラシのように、私の心は全身針で覆われている。近づく敵を威嚇するため、針を立てて、フーフーと唸っていた。それが夢で見た私でした。心を開くことも、心を委ねることも、自分を信じるということがどんなことなのか、何も分からない私でした。恐怖に怯え、ただただ戦々恐々と、小さくなって息をしているだけの私でした。寒々とした心は冷え切り、固まってこちこちでした。これが私の中のアマテラスでした。宇宙を飲み込むほどの強大なエネルギーのアマテラス。しかし、現実はこんなに小さいものなのか…田池留吉、アルバートの世界から感じるアマテラスに、何とも言えない思いでした。もう、どんなにそのエネルギーを振り撒いても、すべては許され受け容れられているということを、アマテラスを包み込む果てしない世界から感じました。私の心を覆っていた針の山が、バラバラと散っていくようでした。委ねていきたい、委ねていこう、委ねていきます…私は300年かけて、アマテラスと共に学んでいきます。心のすべてをアルバートに委ねきるまで、学んでいきます。

はるかはるか過去より未来永劫私達はともに生き続ける存在だと伝わってきます。

 自分の心の中にすべて記憶されています。アトランティスもムーも私の心の中では宇宙と繋がっていました。すさまじい宇宙のエネルギーをこの地球に注ぎ込んできた私自身の心の歴史、心の記憶が田池留吉、アルバートの意識の中で紐解かれていきます。だから心に崇めてきた富士の山が爆発しこの日本の国が沈んでいくことに何の不思議もありません。みんな私達が出してきたエネルギーの結果であり、そういったことを通過、経験することにより自分達の本質に目覚めていける道筋であることに意識はすでに目覚めていると思いました。
 目の前の形の世界は崩れていきます。そんな中で心の中にしっかりと田池留吉、アルバートの存在を感じて、ともに存在していることを感じ信じる人達ほど幸せな人はいないと私ははっきりと言えます。田池留吉、アルバートの波動、世界、宇宙、心で感じられる今世私はとても幸せです、喜びです。
 よもやこの3次元で、田池留吉あなたと出会えるとは思ってもいませんでした。あなたと出会えたことを心から本当に喜んでいることをこの肉はその半分も感じていないかもしれません。私にはあなたが田池留吉でもアルバートでもいいのです。ここにあなたが存在していることだけで私がどれだけ幸せか、喜びか私がこの肉を通してその思いを形に表すことに限界を感じています。
 アルバートの宇宙が心に広がっていきます。はるかはるか過去より未来永劫私達はともに生き続ける存在だと伝わってきます。確実に心に響いてくるこの思い、私は大切に大切にしていきます。

アルバートの存在、波動を知ったことが今世の最大の喜びでした。もう言葉も何もいりません。

 心の中にあるいろいろな思い、喜びもひとたび言葉に表現しようとすると、そこにまたいろいろな思いがはたらいて、心を見せられます。とても言葉には表しきれないもどかしさも感じます。
 喜びを語っても、いつも喜びばかりとはかぎりません。そのたびに何か嘘をついたような気持ちになります。自分の心の変動にため息をつきたい気持ちになります。でもそれもすべて良しなのだと今感じています。
 自分の心の深淵の闇を感じると、喜びを感じた時の嬉しさもひとしおです。凄まじいアマテラスを抱えながらも、喜びの心に出会えることが、うれしいのです。喜びばかりを感じていたいという思いがいかに傲慢か、己を知らない愚か者か。大闇の中に一条の光、喜びの心に出会えたことをどれほど喜んできたでしょうか。どれほどの愛の中で、体験させていただいてきたことか、自分が自分でという世界ではありませんでした。
 アルバートを信じ、アルバートに心を向け、全託する、それが喜びの源であり喜びそのものでした。アルバートの存在、波動を知ったことが今世の最大の喜びでした。もう言葉も何もいりません。ただただ淡々と道標に従って、アルバートをめざして歩んでいくだけです。

これからは「偉そうにして…」と言われてきた怖い嫁から「喜びの奴隷」を実践していきます。

 今、私の心の中で、田池留吉、アルバートを信じる信が、強く強くなっていくのを感じています。セミナーを重ね、闇だしと喜びの現象を積み重ねるごとに、私の心は大きく変わっていくのを感じています。ただただアルバート一直線に進みたいという思いだけが、喜びと共に膨らんでいく。今まで感じていたことが、もっともっと深く感じられる。信じる心が大きくなるにつれて、喜びもまた大きくなる。心の中にしっかりとした柱が立って、それがだんだん太くなっていくような感じです。今までグラグラしていた心が、だんだん動かなくなっていく。落ち込むことも少ない。アルバートを心に思うだけで、また嬉しい思いに戻る。寂しい思いが薄らいでいく。そんな中で、今までじっと我慢していた大闇が、たまらなくなって顔を出す。恐ろしい波動で、ドスのきいた声で、「田池を殺せ」と、ささやきに来る。でも、もう嬉しくて嬉しくてたまらないのです。やっと出る機会を得た自分の闇を、両手を広げて受け容れることができる。そんな自分の変化を、私は驚きと嬉しさの混じる言い様のない思いで、じっと静かに見ています。

 心が穏やかで静かな中に、溢れる幸せがありました。気が狂ったように飛び跳ねて喜んでいる心は、ほんとうはこんなに静かで広い心だったのですね。なにもかもが愛しくて、すべてが優しくて、そして暖かいのです。揺れて揺れて、心を粗末にしてきた自分を、今の私がそっと抱きしめている。自分が自分に「嬉しいね」と、優しくできることが嬉しいです。ああ、私は愛され生かされている…深く深く実感できます。今ようやく「苦しみは神の愛」という言葉が、喜びと共に心に入ってきます。

 いつもしかめ面して気難しかった主人が、気が付くと、この頃、ほとんど怒らない。ニコニコよく笑っている。セミナーから帰ると、こんな表現はちょっとと思われるかもしれませんが、「借りてきたネコ」のようです。私の心の鏡になってくれているのだということが、ほんとうに良く分かります。ほんの少し責めたり裁いたりすると、たちまち変身です。「自分の主人を幸せにできない妻は、バカです」と言われる意味が、ようやく分かりかけたと思いました。私はただ心をアルバートに向けるだけで、自分も主人も幸せにできるのだと、しみじみ感じています。私は自分の周りのすべての存在を通して、アルバートへの信を深められるように計らわれている。そう思うとまた嬉しさと感謝で一杯になります。パートナーになってくれた主人に、ほんとうに「ごめん、ありがとう」です。これからは「偉そうにして…」と言われてきた怖い嫁から、「喜びの奴隷」を実践して行きます。

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