ドンとビンの心の風景

○の波動と×の波動の違いがはっきりと分かりましたか

救いと呪い

 おまえたちだけが幸せになるなんて許さない。ビンビンになって反省が進んでいく者への嫉妬心が出てくる。神に愛されていると思いたい私にとって、人の幸せをうらやむほど苦しい思いはない。それは自分が満たされていないという証拠だし、超特別すばらしいという思いが崩れてしまうということになってしまうからです。嫉妬心は認めたくなかった。人のことを嫉妬するなんて私の自尊心が許さないのです。人のことなど気にもならないと、涼しい顔をしていたい私にとって、これほどの侮辱はないのです。嫉妬心は苦しい、自分だけが幸せになりたい思い。
 まず私が幸せになってそれから他の者がなるのはいいけど、私を差し置いて幸せになるなんて許せない。誰も私を越えて幸せになるなー。田池はしかたがない、そのほかの奴らはこの私を置いて越えるな。
 幸せになりたいという思いは、嫉妬、ねたみ、呪いの心を生み出す。幸せになりたいという他力の心が呪いを生み出していた。身勝手な心しかない。自分さえよければいい心しかない。エゴのかたまり。おまけに不幸なやつは救いたい。そして幸せなやつは呪う。自分が満たされていると思った時はわからなかったこの思いが、反省が進まない、みんなの喜びの声を読むにつけ出てくる嫉妬の思い。この心が自分の心を暗くし闇に落とす。自分で自分を闇に落とし込んでいく。幸せになりたいという願いはみんなを呪い、自分を呪い、すべてを不幸にしていく自滅のエネルギーだった。
 悔しい、許せない、と叫ぶ呪いの心は、神を呪い、人を呪い、自分を呪っていた。超特別すばらしいと呪っていた。私はこのものすごい思いを受け入れていくのが、命がけなのかもしれない。横綱とはこの思いだ。私の心の奥深くに潜んでいたマグマはこの呪いの思いだ。嫉妬と怨念が炎となって呪っている。
 認めろ、認めろ、認めろ、私を認めろ。私はできている、すばらしいんだ、認めろ、認めろ、認めろ。認められたかった、認められたかった。悔しい、苦しい、認めろ、こんなことを言わせるな、このすばらしい私にこんな惨めな言葉を言わせるな。神なんか嫌いだ。神に見捨てられたと思った時、神を呪い死んだ私の怨念が叫んでいる。
 すばらしい者だけが愛されると思っていた、愛されたかった。だから私はすばらしいと思い込んだ。思い込ませた。私だけが愛されたかった。その思いを信じ切りたかった。この思いを崩したくない。みんな同じなんてイヤだ。この苦しい心に出会いたくないから、私は超特別すばらしいと自分で自分に思い込ませてきた。
 絶対に絶対に苦しい思いを隠し通したかった。自分で自分に嘘をつき通し、苦しくない、感じないと思ってきた。私がすばらしくなかったなんて認めたくない。どうしてもどうしても私だけが、すばらしいと認められたかった。私はすばらしいと自分にうぬぼれて喜びだと思いたかった。私の肉はすばらしい、私の肉は喜びだと言い切りたかった。これが私の他力信仰だった。
 自分で自分を偶像崇拝し、自力信仰してきた。私が崇めた、唯一絶対の神は私自身だった。田池留吉と真こうから戦ってきた。
 私の肉体は、かゆみとなって私に訴えていた。頑固な頑固な私の心に何度も何度も伝えてくれていた。「私はすばらしい」という思いを崩していきなさいと伝えてくれていた。「あなたの心のなかに苦しい心がマグマとなっているよ」と教えてくれていました。他力の神を作り出した思いそのものでした。
 みんなお母さんのお腹の中から生まれてきたのに、誰一人として特別な人などいなかったのに、私は超特別と思ってきた。私は間違っていました。この心を救っていきたいです。

宇宙の声

 今日、子どもが小学校の時、いっしょにPTAの役員をしていた人が、まったく私の知らない人を連れて、この学びのことを聞きにこられました。もう何年も会っていない人で、顔も忘れているくらいでした。とにかく上がってもらって、いろいろと話を聞かせてもらいました。お二人はいろんな勉強を遍歴され、今は先祖供養と宇宙パワーを一生懸命やっているそうで、話を聞くだけで大変でした。宇宙と交信している人の本を出して、いろいろ説明してくれるのですが、その本からくるエネルギーの強さは、凄かったです。話を聞いているうちに、私のやってきたことをみんな見せられているように思えて、その人たちを通して、私の出してきたエネルギーの強さを改めて思い知らされました。エルからいただいたパンフレットがあったので、とりあえずそれを渡して、私の今の心境など話させてもらいました。
 同じ「宇宙」という言葉でも、これほども違いがあるのかと、絶句です。私が今まで受けてきたメッセージの類いは、こんなものだったのかと、思い知らされました。本を開かずとも、そこから凄いエネルギーが迫ってくる。ぐいぐいと心の中に食いこんできて、すべてを支配しようとしてくる。語っている人を通して、心の中に浸透してくるエネルギー。宇宙の愛、叡知、根源…そんな表現で人の心を支配しようとしてくる凄まじいエネルギー。それを本当のものだと信じ、崇拝し、その力を得たいと願う心。今まで私の使っていた心そのままを見せられました。宇宙に向ける心の凄さ、そしてその心に答えてくる闇の凄さ…本当に私の姿そのものが、そこにありました。
 「うれしいです、うれしいです、喜びです。私たちの思いを伝えることができて、喜びです。あなたの心にこうして出会えて、喜びです。あなたに語ることができて喜びです」今、徴かに心に響く声がある。なんとも優しく、懐かしく、柔らかい波動で、語ってくる意識がある。私の心もその喜びと同調するように、うれしさでいっぱいになっていく。そんな宇宙からの声とは、まったく違う宇宙の声があった。私が今まで「宇宙からのメッセージ」だと思い、一生懸命聞いてきたのは、まさしく闇だった。今日、そのことがはっきりとわかりました。そのことを告げに来て下さった人たちだったと感謝です。田池留吉の波動が、こんなにすばらしいものであったのかと、再認識しました。

敵を作るあなたの心を見なさい

 今まで、私は人を見て、憎み、妬み、恨み、侮り、謗り、そうやって自分を守ってきた。敵をいっぱい作って、戦い続けてきた。自分に味方してくれる人はよい人で、矢を向けてくる人は敵。賛同してくれる人たちを集めて派閥を作り、敵対するグループをやっつけようと、躍起になってきた。この学びでもそうだった。少しでも自分より前に出る人は、絶対に認められなかった。足の引っ張り合いで、虎視眈々と相手の出方をうかがい、少しでも隙を見せたら負けだと、戦ってきた。己一番という凄まじい闘争だった。天照の意識だと言って、己一番を忌み嫌ってきた。一番になりたいのに、「私にはもうそんな思いはありません」と隠して、陰でこそこそと「一番一番」とやっていた。心を見るのも、闇を出すのも競争で、とにかく凄まじい戦いだった。
 この学びはこんなに苦しい場所なのかと、ずっと心のどこかで思ってきた。学びの友が、みんな冷たく感じられ、みんなの欲欲欲の凄さに辟易し、心を許せる人がいなかった。正直に自分の思いを言っても、とんでもないように伝わっていた。心を見る学びなのに、これなら近所の人のほうがよっぽどましだと思ったこともあった。「自分しかない」という言葉を、自分を慰める言葉に使ってきた。「神と自分の間に人を入れてはいけません」という言葉を、私は自分を守る武器として使った。
 そうではなかったんですね。全部、私だったという思いが強く強くなってくる。自分の出している波動が、人を通して自分に返って来ただけだった。私が勝手に「いやな奴だ、あいつは敵だ」と決めつけて、勝手に戦って、勝手に勝ち負けをつけていた。自分が人を受け容れられないことが認められず、相手が悪いと思っていた。自分から拒否しておいて、相手が冷たいと泣いていた。自分の心など、何一つとして見てはいなかった。相手相手、すべて相手でした。心を外へ向けて、ただ自分をかばい続けていただけでした。肉をかばいたい私にとって、この学びほど冷たい場所はなかった。肉を基準にしている私には、ここほど厳しい場所は他になかった。
 自分の心が厳しく露にされる場所が、この学びでした。隠して隠しても、周りの友が崩してくれた。敵だと思っていたあの人が、「くそっ」と思っていたあの人が、私にとってかけがえのない友だった。欲いっぱいと軽蔑してきた人たちが、本当は私が欲いっぱいだということを教えてくれていた。己一番の戦いをしていたのは私でした。周りを蹴飛ばして、切り刻んで、ふみにじっていたのは私でした。自分の闇を端的に示してくれる人を避けて、居心地の良い場所を求めてきた。そんな姑息な私だった。今、「厳しい」という言葉が、「優しい」という言葉に変わっていく。やっと「人が怖い」と思っていた自分をしっかりと見られそうです。人を通して、私は自分の過去世を見せてもらっていた。認めたくない自分を、隠しておきたい自分を、崩したくない自分を、私は田池留吉を通して、そしてまたたくさんの人を通して、教えてもらっていた。その事実に気づいて、今更ながら無知だった自分を知りました。暗い穴の中で、頭を抱えて、苦しんでいる私に、ありとあらゆる機会を通し、田池留吉は語ってくれていました、「敵を作るあなたの心を見なさい」と。自分の心がすべてを知っていたのだと思いました。答えは、すべて私の心の中にあるのですね。自分を信じることの大切さを、今、知りました。

 石川セミナーの帰り道、「さよなら」と挨拶する、みんなが温かくて、優しくて、みんなと別れるのが、いつもより寂しいと思いました。このセミナーに集う、みんな、私は、好きだと思いました。
 そう思っていたら、私は、自分の闇も、みんな好きだという思いになりました。今まで、セミナーで感じてきた、たくさんの闇が思い出されました。その一つ一つ、みんな、好きと思いました。だから、もう苦しむのは、やめようと、思いました。
 みんな好き、と思ったら、だんだんうれしくなってきて、過去世の自分、一人一人、握手して、抱きしめて回りたくなりました。とても、うれしかったです。こんな自分がいるなんて、本当にうれしかったです。
 また、セミナーに行きます。セミナーに行けることは、うれしいです。ありがとうございます。

 どれほど待ちわびたかしれない、待って待って待ち続けた。もうほとんどあきらめた時、微かに徴かに暖かい思いが流れてきた。暗黒の凍てつく世界の中で、肉の己を守り続けた。恐怖と不安に戦きながら、どれほど長い時間を待ちわびたことか。ああ、我らのことを思いだしてくれ。お前の心に、今こうして語る我らの方に心向けてくれ。
 苦しみのエネルギーと成り果てても、いまだ己を肉と思い、お前の肉を使い欲望の限りを遂げようとしてきた。我らの心を反映するために必要な肉、それがお前だった。しかし今、田池留吉の存在が、お前の心の中で大きくなりはじめた。「向くな」と言っても、もう我らの言葉に耳を傾けず、「田池、田池」と言うお前が憎い。なぜだ、これほども愛してやったのに、この我らを裏切るのか。来るな、来るな、我らの世界を撹乱する奴め。なぜ、我らの心に思いを向けてくる。ああ、よもやこんな事態になるとは…苦しいなどと言うものか、寂しいなどと口が裂けても言うものか…「いらっしゃい」と、我らを呼ぶな。行かんぞ、絶対に行くものか…
 大きなターミナルで、私は誰かが長距離列車で着くのを待っていた。誰が来るのか知らない。どの列車で来るのかも知らない。なのに、私は誰かを待っていた。一本の国際列車が入って来てプラットホームに止まった。私は一生懸命誰かを捜している。一番後ろの車両から、大きな男の人がトランクを持って降りてきた。
 その人は、私の姿を目にしたとたん、トランクを放り出して一目散に私の方に走って来る。私もその人の方に駆け寄った。懐かしい懐かしい、あまりの懐かしさに抱きついてわんわん泣いていた。その大きな男の人は、私だった。私の過去世だった。宇宙の果てから、遠い遠い所から、今のこの私に会いにきてくれた私の過去世だった。「ありがとう、ありがとう」、その人も私も、ただお互いに「ありがとう」としか言えない。ふと気がつくと、たくさんの列車が次々にプラットホームに入ってくる。どの列車からも私の過去世の人が次々と降りてくる。みんなうれしくてうれしくて、ただ抱き合って喜び合っている。懐かしい懐かしい自分に出会えて、ただうれしいしかない。
 あなたの心は私たちの終着駅です。終着駅であり始発駅です。みんなみんなともに未来に向かって出発しよう。あなたの肉は過去と未来の接点です。ありがとう、ありがとう。こうしてみんなと出会えて喜びです。喜びの心に戻ろう、田池留吉の中に戻ろう。みんな一緒に愛に戻ろう。みんなともに未来に向かおう。うれしい、うれしい、…
 私の心の中に、どれほどの闇があふれているか、現象の中で見せていただきました。宇宙の果てまで轟く闇の声、打倒田池の旗の下、過去と一緒になって暗い心を使いまくって来た。そんな私の心の中にも、こんなうれしい意識の世界がありました。宇宙に散らばった私の過去世の意識たちが、「帰っていらっしゃい」と呼びかけてくれる田池留吉の声に、こうして集まってくる。みんな帰りたかったのだ、みんな田池留吉に会いたかったのだ、みんなこんなに素直になれるのだ…うれしいうれしい悲鳴をあげています。まるでセミナーの中で、みんなと抱き合って泣いているような状態です。このうれしい気持ちをどんなに表現していいかわからない。「呼ぶな、向くな」とわめいていた意識が、ころりと素直になっていく。そしてこんどは「うれしいな」の喜びコールです。田池留吉の優しさに包まれて、みんなが優しくなっていく。苦しかったことも、戦ってきたことも、許しの中に消えていく。こんな素晴らしい世界が、私の心の中にあった。
 私のいとし子たちよ、戻っていらっしゃい。あなた方の心を信じて、待ち続けてきたのです。何を恐れているのですか。何をためらっているのですか。あなた方は私のかわいいいとし子、どうぞ、この私の胸の中に飛び込んできてください。あなたの抱えている苦しみも、悲しみも、ありとあらゆる闇を私は愛します。あなたの心を愛します。あなたのすべてを愛します。あなたの心のすべてを、私に委ねてください。この心を大きく開けて、あなたの来るのを待っています。いつまでも、待っています。

 心を外へ向けてゆくことが、いかに自分を殺してゆくことか、感じます。
 この苦しいと叫んでいる、私の心の中に、思いを向けることこそが、本当の優しさだったんだなーって、思います。
 苦しい思い、手を組んで、死ねーって、念じている私、これでもか、これでもか、って念じている私、激しくて、激しくて、すさまじくて、すさまじくて、人の闇じゃなかった、人が闇じゃなかった、私の中には、こんなにすさまじい世界があったって、全て、全て、私の闇だったって、そう、思えてきます。
 何か、涙がでてきます。私は、今まで、何をやっていたんだろうって、何を信じていたんだろうって、私が信じた世界は、信じていたかった世界は、全て、幻、虚空の世界だったように思えてきます。

 この学びをしてからも、何度となく心を離しかけた原因を自分の心の中に見る。今まで教祖に求めていたものを、田池留吉に求めてはいけないと自分自身を戒めるが、長年培ってきた頼りたい、認めて欲しい、利益を得たい、人より良い思いをしたいという他力の心が強く、人のせいにしていれば楽で、自分は安全圏の中におれるという責任転嫁の世界が通用しなくなるということは苦しみだった。心を見て自分が間違っているということを認めることが、自分を根底から崩すようで苦しかった。田池留吉とのギャップ、人との関係で、いやな思いをすると、もうこんな学び続けていたくない、皆学んでいる割には少しも変わらず、自分勝手、自己本位で冷たく、これなら世間の人のほうがまだ常識的でつきやい易いなどと自分の心を見るよりもいつも人の心を見ていた。先生がしてはいけないということばかりをし、楽にならない、幸せにならないと、この学びに見切りをつけようとしていた。
 田池がなんじゃ、なんぼのもんじゃ、過去世がないということは、人間社会に疎く、やはり変人なんだ、そんな人のもとで学ばなくてももっと素晴らしい、自分を生かすものがあるはずだと、いきがっていた。肉の自分を生かす、それは闇の世界だと知りながら、それに引きずられる心があった。
 自分を認めてもらえない学びなんて、今まで人に指摘されたことのないようなことを、傷口を掘るように指摘され、すべてあなたが悪いなどと言われる学びには到底ついていけない、やってられるかという思いをだしていた。きれいな服を見ればあの服がきたい、素敵な調度品があればあれで家を飾りたい、そんな心がまだまだある。そのたびに肉だなーと思うことが何か苦しく、窮屈に感じることがある。いいじゃないか少しくらい肉の楽しみがあったってと開き直る自分がある。そしてまた暗くなる自分がある。ほどほどの度合いが田池先生のようにはいかず、苦しさを感じながらも、かなりのスピードで突っ走ってから、やっとブレーキがかかる、そんなことを何度も繰り返してきた。自己嫌悪と後悔を感じながらも自分を正当化するために、この学びは難しいという一言を盾に今まで内在するタイケトメキチと戦ってきた。欲にまみれた肉の思いは本当にしぶとい。闇は根深い。

 「田池留吉が分からない、波動が分からない」という自分を作ってきました。私は敏感じゃない、というのを自分の武器にしてきました。私は敏感じゃないから、といつも自分を守ってきました。言い訳にしてきました。ただ自分の闇を認めたくないだけでした。人の苦しみを見て、自分の思いだと認めたくない心でした。「私はあなたほど敏感じゃないから」と使うとき、「私はあなたほど心を汚していないから」と思ってきました。「あなたほど反省が必要な私ではない」と主張していました。ただ無知で頑固なだけでした。自分の嘘が通用しなくなるのを恐れていました。思いが現象化することを四六時中怯えていました。「大丈夫、悪いことなど何もしていないから」と自分に言い聞かせながら、なぜこのように苦しいのか…。私の中は矛盾だらけで混乱していました。先生の話されることを自分の肉の基準に置きかえて、一人で混乱していました。先生に対して、一つも素直ではありませんでした。肉を誇ることをやめられませんでした。
 「私はがんばってきた」という思いからはずしていきます。素直にハイ、を1つ2つと増やしていきたいです。

 私は今まで、チャネリングすることを、「言葉を聞く」ということだととらえていた。熱海のセミナーで、何回かあった肉の田池留吉に向けての瞑想の中で、いつものように言葉を待っている私があった。田池留吉に心を向けると、言葉では現せない思いがあふれてくる。この場にいるすべての人をいとしく思う思いが感じられ、そしてその思いがどんどん広がって、この世のすべての存在をいとしく思う思いになっていく。その思いを言葉ではとうてい現すことは無理だと思った。すべてをいとしく思う思いは、私の心の中からあふれ出ていた。肉の田池留吉に向けて瞑想しているのに、その思いは私の中から流れ出てくる。言葉に変えようとしても、言葉にならない。思いの方がはるかに大きかった。波が引いては寄せるように、新しい思いが次々と響いてくる。優しくて優しくて、心が溶けていくような波動。真綿にくるまっているようなここちよさ、柔らかくて柔らかくて、その中でずっとくるまっていたい気持ちになる波動。自分のすべてが受け入れられているという安心感。喜びがじわじわと押し寄せて、心の中を満たして行く。心の中全部が歓喜の渦に入って行く。「心静かに私に心を合わせてください」という思いと同時に、心が静かになって行く。静かだけれど暖かい。広い広い心が私の中に広がって行く。心いっぱいに暖かさが広がって、静かな中に喜びが広がる。肉の自分がなくなって行く。
 「私はあなた、あなたは私です」という思いが、心に伝わってくる。この暖かで優しくて広い心が自分なんだ…田池留吉と私の心の区別がつかない。私の心の中からあんなに優しい波動があふれてくるなんて、この感覚をどう説明したらいいのかわからない。ただただうれしいしかなかった。この私の心に田池留吉がいる。私の心から田池留吉の波動が出て来る。そして、「私はあなたです、あなたは私です。あなたといつもいっしょにいます。喜びをともに分かち合っていきましょう」と、伝えてくれる。田池留吉に心合わせるということを、私はただ言葉を聞いて、それを伝えて、反省の指針としてと、そのようにとらえてきた。田池留吉の言葉を聞けるということを、誇っていた。みんな違っていました。田池留吉を他力の神としてとらえ、その言葉を聞くことで己を現し、自己満足していた私でした。今、自分の心からわきあがってくる田池留吉の波動に出会い、まったく今までとは違う世界を見ています。「私もあなたも意識です。私はあなた、あなたは私です。すなわち、意識は一つ、すべては一つということです。」セミナー資料の中にあった言葉が、胸に迫ってきます。まだまだ分かりません。でも、自分の心から田池留吉の波動が喜びとともにあふれてくることを、言葉ではなく思いとしてあふれてくることを感じ、今までの自分のチャネリングの姿勢が間違っていたことを、はっきりと認識しました。そして私に田池留吉だと語っていた意識が、本当の田池留吉ではなかったと、やっと分かりました。この思いを大事にしていきます。

 自分の中から噴出してくる×の波動は凄まじい。田池が何じゃ、神が何じゃという思いは一度引っ込んでも、すぐまた出てくる。そのエネルギーに体がとてもついていかない。自分の中の憎しみに心を向けてみると、体が吹っ飛ばされるような感覚を味わう。こんな心を使い続け自分の心と体を蝕んできたことを感じる。
 田池留吉に対して死ね、消えうせろと刃を向けても、そこには許しがあり、包まれている安心感がある、早く気付きなさいという暖かな促しがある。周りの人に、クソーと思って刃を向けた時、即座に跳ね返ってくるエネルギーを感じる。闇と闇がぶつかり、倍増したエネルギーを感じる。田池留吉だけはどんなに闇のエネルギーをぶつけていっても、それをすべて受け止め、受け入れ、ただ愛だけを流してくれる存在だということを今回のセミナーでは感じさせていただいた。

 田池留吉に心を向けると涙と共に、田池留吉有難うございます、嬉しい嬉しい、と果てしなく続くその先は無限に広がる宇宙でした。
 そして、そこには何物も存在しません。肉の思いなど全くなく、嬉しいとか、有難うとか、田池留吉とか、波動とか、この世の肉の思いなど全くない無限の世界だけです。
 一体これはと、最初疑いましたが、何度田池留吉に心を向けても、ずっとこの無限の宇宙が広がり、それから先は、ただ、自分さえも何もない無限の世界しかありません。
 私は、嬉しいのか、悲しいのか、寂しいのか、全く何もわからなくなってしまいます。しかし、周囲は全くなんにもない無限に広がる世界、ただ、ただ、この世界をじっと楽しんでいます。この世の雑念や諸々の肉の思いなど、全く浮かんで来ません。宇宙ってこんなに全てを包み込んでくれる、素晴らしく無限にどこまでも広がるところでした。
 そして、これが田池留吉ですか? 確かに田池留吉です。田池留吉に心を向けるとこの宇宙だけしかありません。私も意識、波動としてこの宇宙の中に消えてしまいます。
 ただ今、嬉しくて、嬉しくてたまらない波動が、私の中に充満して、思わず心が騒ぎ、嬉しいと言葉が飛びだしてきました。田池留吉は宇宙とは初めから聞いていましたが、確かに温もりと喜びの波動が満ち満ちた宇宙を体験しています。
 もう田池留吉の宇宙は逃すことはありません。私の中にしっかりと確認し、いつでも感じられます。ただ、ただ、嬉しいです。宇宙は永遠、私も永遠に続く意識、波動です。有難うございました。

 私の心の中に、宇宙といえば「宇宙即我」という言葉が出てくる。ずっと前、霊道を開いてすぐの頃、瞑想していると、「今、地球はあなたの手の中にあります」と言われ、見るとドッチボールの大きさの地球が私の手の中にあった。「もっと心を広げなさい」と言われ、今度はピンポン玉くらいに小さくなった地球が、宇宙空間のはるか彼方に浮かんでいる光景を見たことがある。その時、私は「宇宙即我」という悟りとは、ブッダが体験した悟りとは、このようなものであったろうと思いました。
 今、改めてその時の自分の心を振り返ると、あまりに己偉い自分に絶句です。「宇宙即我」という悟りの境地に心を向けると、凄まじいエネルギーの渦を感じます。真っ黒い宇宙空間をいくつも飲みこんで、巨大な暗黒空間を作っている。そのすべてを支配するエネルギーの固まりが「宇宙即我」でした。宇宙空間のすべてを支配し、我以外の存在を許さない世界、「天上天下唯我独尊」という言葉が、そっくりそのまま当てはまる波動の世界がありました。宇宙で我ほど偉い者はないという、己偉しの頂点のように感じます。私の心はこの悟りへの欲望でがんじがらめになり、今もそのままです。かつて「宇宙即我」の悟りを得たいと、心の修行をした。過去世の私はインドで、チベットで、中国で、どれほど宇宙に心を馳せたことだろう。最高の悟り、「宇宙即我」を得たいがために、あらゆる教えを心で試し、これでもかこれでもかと貧欲に求め続けた。
 今、私の心に浮かぶことは、田池留吉という無限の宇宙空間を捨て、「宇宙即我」という悟りにとらわれ、無限の宇宙を有限の宇宙に変えた浅はかな自分です。この愚かな自分を受け容れることなく、本当の愛の宇宙に心を合わせることはできないと思いました。私の心をしっかりと支配している「宇宙即我」の世界を、これから供養していかねば、その先はないと感じています。地球はおろか、宇宙空間すべてを支配しようとする思いが「宇宙即我」でした。その思いが、「田池死ね」でした。私は肉のままで、肉の悟りを得ようとし、凄まじい世界を心に描き続けていました。田池留吉の波動を知らなかったなら、この世界が最高の悟りの世界だと信じて疑いませんでした。やっと、自分が落ちこんでいる世界が、少し見えてきました。

 今、「宇宙は我のもの」と語って来る過去世。肉の私を支配し、自分の思いをぶつけてくる。心がざわついて落ち着かず、どこを向いても苦しい思いで満タンになる。はじめはこんな意識が語ってくることが恐怖だった。凄い波動で、とても受け容れることなどできないと思っていた。でも、心のずっと奥で、うれしい自分があるのに気づいた。その思いに心を向けると、凄い波動の裏側に、「田池留吉に出会いたい、一緒に学びたい、心を見たい、うれしい、私の方を向いて欲しい」という思いが伝わってくる。今、私が過去の自分のためにできること、それはこの凄い波動の意識を受け容れること、田池留吉に心を向けることだと思った。「田池を思いだすな」ということは、「田池留吉を思いだしてほしい」ということだった。やっと苦しい自分に心を向けてもらえるという喜びと、苦しい心を苦しいと言える時を得た喜びが伝わってくる。凄い波動で「田池死ね」とわめいていた自分がこれなんだと、素直に認めていきます。

反省  やはり私の心に欠けていたのは素直さでした。肉の次元で素直という言葉を捕らえていました。田池留吉が伝えて下さる素直さと優しさ、それは自分を意識だと信じた時に、自分自身の本質が田池留吉だと信じた時に、心で感じてくるものだと思いました。頭をまわしていては到底感じることのできない世界でした。
 何かあるといつもあきらめる気持ちがでてきます。見限る気持ちがでてきます。これ以上傲慢な心はないと思いました。一番以外はビリ、人の後ろにはつきたくない、負けたくない、なかなかしぶとくて供養のできない心です。そのためならば人の不幸も喜ぶ恐ろしい心です。ずっとずっとそんな心を抱えたまま、何食わぬ顔ですごしてきたのです。善人ぶって、優しい人ぶって、いつも自分を正当化して、私ほど素晴らしいものはないと誇ってきたのです。こんな心を少しでも修正して来世を迎えたい、私は学びの目的をいつもどこかではき違え、迷路に入り込んでしまっていました。何かをわかろう、知ろうとする心、その心の底にあるものは今までさんざん他力で使ってきた己を表す心、人を支配し導いていこうとする心でした。今まで心で感じた喜び、ぬくもりや暖かさも打ち消し、吹き飛ばしてしまうほど、厳しい冷たい心でした。
 自分の心を見ながら、ただ淡々と田池留吉を思う、そんな時間をふやしていけたらと思います。

反省  私は心で感じるぬくもり暖かさよりも、目で見る耳で聞く田池留吉に心を動かしてきた。肉の田池留吉に認めて欲しい、目をかけて欲しいという思いが強くあって、それがかなわないとすねたりひがんだり落ち込んだり反発したりしてきた。基準がまったく肉だった。充分すぎるほど愛され続けてきたのに、許され受け入れられ続けてきたのに、欲欲の私の心はすべてをはねかえし、自分を落としこめてきた。肉どっぷりの自分の基準で、田池留吉を見続けてきた。根性悪そのもので、自分なりの田池留吉をつくりあげてきた。何とか田池留吉に心を向けない理由を自分でつくりあげてきた。私は自分を田池留吉の上に置いてきた。あの田池にできて私にできないはずがない、できないのは何かがおかしいからだ、田池が間違っているからだと、そう思わなければ自分の気持ちがおさまらなかった。
 目を閉じて心を素直に向けていけば、そこに田池留吉は存在する。私はそれを余りにも軽く捉えてきた。
 肉を基準にしては絶対超えられない壁の存在を痛切に感じる。どれだけ真剣に肉から意識への転回をはかってきただろうか。
 これほど愚かで、反発し愚弄し続けた私の心にも優しく語りかけてくれる田池留吉を感じる。早く気付きなさい、それが幸せへの道ですよ。待っていますよと。
 心で感じたことを信じ、大事にしていきたい。

反省  私の心には過去からずっと積み上げてきた心だろうか、人を簡単に信用しない、疑ってかかる根強い思いがあるのを感じる。人の言葉の裏を見る。そんな肉の基準で田池留吉を見てきたと思った。もう最初から間違いだらけの私の学びでした。自分のそんな心の癖も修正せず、すべてを責任転嫁し、歪んだ心で歪んだ視点でこの学びを続けていました。
 自分にとって得だろうか、利益になるだろうか、結果はプラスとでるだろうか、マイナスとでることを恐れ、疑い深く学び続けてきました。素直さなどかけらもありませんでした。私自身の心に表裏があり、人をだまし続けてきた、ごまかしてきた、保身のために何でもやってきたという負い目があるのを感じます。
 自分の闇を基準に田池留吉に向かい合ってきた愚かな自分を感じます。

反省  私は意識であるということをどれだけ信じられるようになっただろうか、自分自身に問いかけてみる。この学びを続けてきて少しだけ自分の中の素直な優しい部分を見出すことができた。でもほんの少しだけで、あとは真っ暗で闇に翻弄される自分を感じている。でもほんの少しだけ発見できた本当の自分を喜んでいこう。先は長い、この学びは今世だけではなく永遠に続く。今のうちにとあせる心は欲だと思った。現実を知らなさ過ぎると思った。
 田池留吉に出会えたことを喜んで、真剣に学び続けていく、それを許されていることがもう喜びだった。ほかに何を望むことがあるだろうか。あの輪の中で、田池留吉に出会えることが、たくさんの過去世達、他力で放出してきたエネルギーに出会えることが喜びだった。私の心の中ですべてのものが喜んでいた。闇を嫌っていたのは、過去世を疎んじていたのは肉の私だった。
 目を閉じて田池留吉を思えば、そこにいつでも田池留吉は存在した。いつでも語ることができた。いつでも愛が注がれていた。
 長い間忘れていた本当の世界が存在していた。

未来の自分をはっきりと感じられました。

 鹿児島セミナーの講話の中で、先生は、「250年後、アメリカで私のことを思い出すのです。その時の感激は凄いですよ」と、話されました。
 今まで、「未来はもういい、今の事で精一杯だ。過去世の供養もできてもいないのに、未来なんか、もういい」と、拒否していました。だから、「そうか、そんなに喜びなのか」くらいにしか思っていませんでした。
 しかし、先生がそのくだりを語られた瞬間、心の奥から凄い喜びが湧いてきて、「田池留吉に出会えた、あの懐かしい田池留吉だ。ああ、こんな喜びがあっただろうか…」と、先生の肉に飛びついていきたいような思いにかられた。私は一瞬、現在の私の思いなのかと、とまどった。違いました、未来の私でした。未来の私が、アルバートに出会い、田池留吉を思い出した時の喜びを伝えていました。今の私が田池留吉の波動に出会い、喜びの思いを心に思い出すように、いいえ、もっと強烈な喜びが感じられました。うまく言葉で言えないけれど、4次元に向かって旅立つ人類の喜びのような、本当の自分に目覚める感謝のような、今の私の心にはない、もっと大きな喜びのように感じられた。
 そして、今、私が心をしっかりと田池留吉に向け、田池留吉の波動を心に刻むことが、未来につながっていくのだと思いました。未来の自分の心が、はっきりと感じられた思いでした。
 過去、現在、未来、すべての自分の心が、今の自分と同居しているのだということを、改めて思いました。

あのセミナーにまた行けます。

 もう少しで、後、10日あまりでまた日本へ行ってセミナーに行けます。
 セミナーに行けます。あの円陣に座りている、お風呂に入る、食事をする、瞑想する、寝起きする、スリッパをはく、廊下を歩く、外を見る、みんなが席に座っている、そんな光景がこの心に残っているセミナーです。受け付けでみんな自分達の部屋番号を知るセミナーです。
 セミナーにまた行きます。
 田池先生の講話が始まる、先生が円陣にまわって来る、指さしが始まる、みんなあれ狂う、闇出し瞑想、○の瞑想…、セミナーです。
 また、もう少しであのセミナーに行けます。
 また、みんなと逢えます。みんな…自分のもの、過去の、未来の自分に出会う様な、あの場が、そんな場の様な…あのセミナーにまた行けます。肉あってジェット機でまたあの日本まで行きます。みんな一つになる、みんなあれ狂う、でもみんな喜んでいる、嬉しい嬉しいって心の中よりあふれて来る。
 セミナーに行けます。あのセミナーにまた行けます。あのセミナーにまた行けます。
 嬉しい嬉しい喜びがあふれて来る。田池先生がまわって来る…あー、嬉しい「意識を向けて下さい」あー、やさしい、やさしい思いが感じられる。この心に感じられる、嬉しい、嬉しい、ただ嬉しい、またセミナーに行けます。またあのセミナーに行けます、…。後10日で行けます…。
 嬉しい嬉しい、僕は幸せ者、宇宙に広がる喜びがこの宇宙に広がって行く。やっと出会ったこの喜び幸せ、僕は生まれて来てよかった、よかった。お母さん僕嬉しいです、嬉しいです、有難うお母さん、僕嬉しいです、セイオ有難う、みんな有難う。
 この宇宙で、幸せの波動の中に生かされている、この事をやっと心で知る事が出来ました。この心で感じる事がやっと出来ました。嬉しい嬉しい、ただ嬉しいです…。
 お母さん、僕嬉しい嬉しい、どこまでもどこまでも広がって行く、永遠の果てまで…あー、広がって行く、生かされている存在、生かされている存在、幸せ、喜びはこの心の中にありました。ずーと、ずーとありました、ありました。生かされ、喜び、あー、ありました。有難う、有難う…。

反省  36日と鹿児島セミナーで田池先生に言われて、今日で17日目、頭でゴチャゴチャやってた学びだったとつくづく思い知らされつつ、意識で何とかやり繰りしながら細々とやって行ける状態になって来た。
 夜中に目を覚ましては、過去世が語る、今世の過去が語る、ほとんど会話状態、つくづく私は自己供養を怠っていた、怠けていたと思った。けれど、自己供養出来る心の状態ではなかったとも思った。
 私の肉の現象は、起こるたびに、出て来るたびに、人間関係、経済、夫婦、親子、兄弟、私の意識が変わらない限り何も変わらないと初めから思っていたので、苦にはならなかったことも本当であった。
 田池先生に会って、真実を見る目を教わったと思った。今まで見えて来なかったものが、人の心が、人の心のひだが少しずつ見えて来た。そして、つくづく思う、こんな思いで生きて来たから、私は3億6千年苦しんで来たと…今までもそうだったと。
 決して、他人事ではないなと話を聞いて、真剣に考えるようになった。けれど、泣かない、泣き言も言わない。私は今世、地獄から来た。そして、今まで分からなかったことを、真実を、本当の神を知るために田池先生に地獄から呼び戻されたことを思い出しました。そして、またしても私は3年前、死にかけ地獄に落ちかけ、後一歩で、地獄の扉を開けかけていたのを、田池先生に呼び止められた。田池先生の意識は神そのものでした。何も要求しなかった。ただ、私に「これでいいの、このまま死んでしまっていいの、イエスやブッダと同じでいいの?」と聞いてくれた。
 今世二度もいや、もっと何回も何回も田池先生に出逢う前から、呼び戻されていたと寝ていたときに思い出した。ごめんなさい、田池先生、ありがとう。何があっても私は喜びの心が出て来ました。嬉しい思いが出て来ました。初めてです。理屈抜きの、神に、田池留吉に愛されていたことを、今心で確認しました。
 過去世が私を罵り、罵倒し、悪口雑言を吐くたびに胸の辺りが暖かくなります。心のネジが、きつくきつく締めていたネジが緩んで来ています。イエスがブッダが天照が、そうです、天照が先頭切って私を呪い、地獄に引きずり込み、決してお前だけを幸せにはすまい、させない、殺してやると言って来たとき、今なら今だから嬉しいのです。とっても変ですが、嬉しい、喜んでいる自分が嬉しい。
 私にとってこの人たちは私たちであり自分の鏡であり、私自身そのものであり、嬉しい、心に語って来る者たちと共に勉強します。そして、一番最初に田池先生に出会って希望した「田池留吉の心を心として生きたい」と言ったあの言葉を現実のものにして行きます。

反省  素直じゃないということは最大の欠点だとつくづく思う。今自分の心の中で一つ一つ確認していることは、以前から先生が何度も何度もおっしゃっておられること。ハイという心があればとうの昔に理解してたであろうことばかり。ずいぶん遅れてしまったなと思うけど、私のような頑固者にはそれなりの時間が必要だったのだとも思う。でももう横道にそれたり、道草をしている時間はない。素直な心で実践あるのみと自分に言い聞かせている。
 今までずいぶん肉の田池先生を求めてきた。そして心を揺らしてきた。田池留吉を思う時、肉の先生の比重が大きかった。今田池留吉を思う時、いつの間にかその肉は消えている。肉が消えた分、感じる波動は鮮明になってきた。
 私の肉が心にふたをしていた。

愛を心で受け止めました。

 田池留吉を思うと、何ともいえない安らぎと心の底からジワーと喜びが湧いてくる。今までの10数年を振り返り、許され続けてきたこと、愛され続けてきたこと、待って待ってくださっていたこと、いろいろなことが湧いてくる。どうして今まで田池留吉が信じられなかったのだろう、その波動を心で感じることができなかったほど、己が偉く頑固でひねくれ者であったことがようやく心で感じられる。田池留吉に心を向けさえすれば、素直な心で向き合えば、暖かなぬくもりを感じ、母親の懐に帰っていきたいような郷愁を感じる。両手を広げてすべてを受け入れていてくれたのに、その思いを感じることのできなかった私だった。
 田池留吉の愛を素直な心で真正面から受け止めていける、そんな自分になっていきたいと心から思います。

反省 これから素直になっていきます。

反省 肉が基盤でした。

反省 プライド高きゆえに

感想 苦しい思いは次から次へと出てきます。でも心はなぜか嬉しいのです。

反省 まず、田池留吉を思う、そこからすべてを始める。

反省 「大宇宙大神霊仏よ、…の祈りと波動」心当たりのある方は一読してください。

反省  自分が一番偉いと思っていた。逆さまな世界に生きながらこれで正しい、私が間違うはずがない、田池が間違ったことを言っている、間違っているのはあいつだと長い間そんな心を使い続けてきた。頭ばかりをくるくる動かし頭で理解できないことは絶対認めようとしなかった。頑固なまでに自分の価値基準を守った。そこからはみ出るものは受け入れようとはしなかった。この学びも私自身を高めるための単なる勉強だった。いくら心でわかる学びと言われても、頭で理解できないものは真実だと受け止められなかった。耳で聞き、すべてを跳ね飛ばし拒否していた。心はいつまでも肉が基準だった。でもだってしかしと私は心で常に反発し、田池留吉に反発し続けた。今ようやく間違っていた、私が間違っていた、全部逆さまだったと素直に認めていく思いが湧いてきた。待って待って待ってくださる田池留吉の愛をようやく心で感じ始めた。人間技ではない愛、無限の愛。私はそれを知ろうともしなかった。
 今世、田池留吉に出会うために肉体を与えてくれた母、少しも変わらない妻を気長に待ちつつセミナーへの出席を許し続けてくれた夫に対し、初めて感謝の思いがでる。二人にタイケトメキチの愛を感じた。
 田池留吉の愛、波動はすべてを変えていく、それは決して頭では理解することのできない世界、心で体験していく真実の世界でした。

宇宙に放出してきた闇

 1次元、2次元、3次元と宇宙に放ってきた闇が今すべて自分に跳ね返り、恐怖を覚える。いやだ宇宙へは心を向けたくない。私の心にまだ田池留吉の宇宙は広がらない。闇ばかり。宇宙へ意識を向けていくと、グーと闇に引っ張られ、気分がふさいでいく自分を感じる。田池留吉に心を向けようとしても、もやがかかったみたいにボーとして何か気分が落ち着かず、エー、もうどうでもいいやという自分が出現する。一番始末に悪い心の癖が出現する。破戒、闘争、抹殺を繰り返してきた過去世たちがうごめいている。神ならぬ神のパワーを求めた意識が苦しみのたうちまわっている。愛を流すどころか、一緒になって田池が何じゃ、神が何じゃと叫び出す自分を感じる。
 私の心の中に、光と闇があり、今一瞬一瞬、その様相を変えている。肉に心を向けるとそこはもう闇の世界が繰り広げられる。田池留吉に心をしっかりと合わせていくしか、自分自身を救っていく方法はないと思い知らされる。

心の故郷エルカンターレ

 懐かしい、懐かしい心のふるさとでした。心の中に嬉しい思いが喜びの思いが染み込んできます。ゆっくりとゆっくりと私の中が回っております。ああ、私は田池留吉とともに帰る意識でございました。ともにともに帰る意識でございました。私の心のふるさと、エルカンターレ、エルカンターレでした。

 来世私は苦しみの中でアルバートと出会います。未来は私とともにありました。私の心の中で待ち続けています。アルバート、アルバートあなたとの出会いを待ち続けています。そしてともにともに歩いてまいります。心のふるさとへ帰ってまいります。

アルバートとともに歩いてまいります。

 私は田池留吉と出会うために生まれてきました。今世田池留吉と出会うために生まれてきました。お父さん、お母さん、ありがとうございます。私は私の願い通りに田池留吉と出会いそして真実に目覚めるためにたくさんの愛を頂いております。ともにともに帰る意識でございました。とてもとても嬉しいです。
 こんなにも愛され、こんなにも許されていたことがやっとこの心で信じられるようになりました。田池留吉、ありがとうございます。私はあなたを信じそして自分の過去世を受け入れてまいります。未来は今の私でした。過去もすべてすべて私とともにありました。私は本当に幸せです。田池留吉と出会えたことがとてもとても嬉しいです。もう何もいりません。私は私が決めてきた道をただひたすら歩いていくだけです。
 私の心の中の田池留吉とそしてアルバートとともに歩いていきます。私はあなたを信じて信じてまいります。私はあのエルカンターレを出たときよりこの心を捨てました。田池留吉もお母さんもすべて捨て去りました。温もりを捨てたのは私でした。申し訳ありません。申し訳ありません。あなたはずっとずっと私とともにいてくださいました。私はあなたをどれだけの思いで捨て去り殺してきたのでしょうか。しかしあなたは変わることなく私に愛を愛の心を思い出してくださいと伝えてくれました。私達はいつもいっしょですよ、私とあなたはひとつですよと変わることなく抱きしめてもらっていました。
 心を広げてまいります。あなたに伝えてもらったこの心を信じてまいります。私はずっとずっとあなたといっしょであったことを信じていける私は今幸せです。

アルバートです。

 すべては喜びからはじまります。喜びを大きくふくらませていってください。心で感じた喜びを大事にしてください。すべての方の心の中には喜びがいっぱいつまっているのです。それを見失ってきた心の歴史に終止符をうって、真実の道を歩み続けてください。私が来世肉を持った時、田池留吉と出会い、ともに学んだことを思い出してください。意識の流れをその心で感じてください。心を大きく広げ、素直なあなたであってください。私はもう楽しみで楽しみでならないのです。皆さんの心から流れる田池留吉の波動を感じるたびに、ただただありがとうという思いが湧いてきます。今田池留吉の肉を持ってこの日本に存在することが、そして来世アメリカの地に肉持つことが、嬉しくてなりません。
 すべてが計画通りに運んでいます。一部の狂いもありません。これから宇宙は田池留吉の波動を目指してすべてがその意識を集結してきます。そこに素晴らしい変化がおきてくるでしょう。愛に目覚めた意識たちの出現を待って待ってきたのです。
 現在、そして未来、4次元と、皆さんとともに神に帰る道を歩んでいくことがとても嬉しいかぎりです。私から決して心を離さないでください、ともに4次元へ喜びいっぱいで移行していく日まで。

「強烈な波動をアルバートと思ったときに感じました」あなたはどうですか。

地球よさようならを読んで

 アマテラスを思えば昨日とは違ってきました。なんとなくいとおしいのです。こんなことはないはずと一生懸命アマテラスに心を向けました。何度向けてもありがとうが出てくるのです。不思議でたまりませんでした。
 琵琶湖セミナーで私の左膝から「めらめら」と崩れ落とされた私のアマテラスでした。そのアマテラスが愛しくなるなんて、いくら思っても合点がいきませんでした。しかし、それは私の間違いでした。地球よさようならを読んで、私はどっと泣けて泣けて泣きやみませんでした。
 アマテラスも神の子でした。田池留吉の中で共に生きて来た友であり、神の子でした。私が神を捨て田池留吉を捨てるという大きな間違いを起こしました。そして、アマテラスを自分の中に取り入れ、そのために私は、とんでもない罪を積み重ねてきました。このことがはっきりと手に取るように自分の心に分かってきました。
 地球よさようなら、本当にすばらしいですね。私が、今、アマテラスに心を向けた時にこれまでとは全く違った思いを頂いたのは、この地球を喜びの中でさようならされる方の波動のお陰と思われ、こんな嬉しく楽しいことはありません。
 一人の気付き喜びはとても大きくこのように私まで喜びを頂くことを、今、アマテラスを通して、心に強く思いました。足の骨が折れるくらいの大きな衝撃を頂き私も、アマテラスを宇宙に地球にばら撒いてきましたが、このことを誰よりも大きな気付きを下さった田池留吉、そして、私の中のアマテラスよありがとうと心底から叫んでいます。更にまた地球よさようならをされようとされるお方本当にありがとうございました。嬉しくもあり、羨ましくもあります。
 これからもアマテラスと仲良くしていきます。ただ、ただ、ありがとう、おめでとう、という思いが心の中から出てきます。

それが最高の喜びです

 心の癖は本当にしぶとい。ちょっとした隙をねらって私の心をまた深い闇に引き戻そうとする。田池が何じゃ、エルカンターレなど思い出したくもないと。
 でもそんな自分を黙って見守っている意識を感じる。いつまでも待っていますよ、共にいつもいますよと心の癖に翻弄される自分を包んでいる意識を感じる。どんなに抵抗しても、どんなに逆らっても許しつづける意識を感じる。それも自分自身、私の心の中の田池留吉の心だ。それを感じた時にとても嬉しかった。
 そんなあなただから今ここに存在を許されているのですよ、神を捨てた心を田池留吉を捨てた心を今こそしっかり見つめていきましょうと語りかけてくる暖かな意識。私の心の中に存在する田池留吉の意識を信じていく限り、私は田池留吉から二度と心を離すことはないだろう、神を捨てることはないだろう。
 今世田池留吉に出会い、自分の心の中の田池留吉の存在を教えていただいたこと、それが最高の喜びだ。

田池留吉、アルバートとともに歩んでいくことが最高の幸せです。

反省 なぜ、今、私が日本に生まれてきたか。

 アマテラスの意識をもった者たち、我こそは神なりと豪語してはばからない意識たちが長い年月を経て、この日本の地をめざして転生してきました。アマテラスに支配された国を建立するために。
 田池留吉はそんな日本の意識たちを救済するために今世、日本に肉体をもちました。ぬくもりと暖かさとは正反対の氷のように冷たく残虐な争いを好む意識に、本当の自分に目覚めよと田池留吉が語りかけています。この日本の地に住む意識たちの目覚めなくしては本当の平和と安らぎはやってこないのです。
 なぜ今私が日本に生まれてきたか、過去に犯してきた間違いが心から浮かび上がってきます。私が存在するところにいつも争いがありました。残虐な戦争がありました。人の死を何とも思わず常に冷酷な思いで見つめてきた自分がありました。虐殺、民族の滅亡をはかってきました。自分がピラミッドの頂点に立ちたいがために、支配下に入らないものはすべて抹殺してきました。あらゆる手段を使って自分の保身を図ってきました。最低の人間です。
 田池留吉に出会った時、これはやばいぞという感覚がありました。絶対に負けられないという思いがありました。攻撃し抵抗しました。でもまったく歯がたたなかった。抵抗すればするほど虚しさがましてきました。救いようのない苦しさがましてきました。
 田池留吉の暖かな波動によって、やっと少し心が向き始めた時、言いようのない安堵感が湧いてきました。長い長い苦しい心の歴史に新しい風が吹き始めた感覚です。これでやっと私も救われる、本当の道を歩いていけるという思いです。アマテラスにがんじがらめに支配されている私の心にも田池留吉の波動が優しく伝わってきます。嬉しさが喜びがジワーとわいてきます。今日本に生まれて本当によかった。田池留吉に出会えて本当によかった。
 お父さん、お母さん、すべてすべてにありがとうという思いです。

アマテラスとともに、嬉しいです

 今、夜明けを迎えたような喜びです。とても嬉しいです。神を捨て、田池留吉などには眼もくれず、何億年もの気が遠くなるほどの間、貴方と共に宇宙で地球でやりたい放題の罪を積み重ねてきました。多くの人を殺戮し、眼をそらすような悪の限りを尽くし、この世を撹乱してきました。思えば自分でも身が縮まる悪を繰り返し続け、神に田池留吉に対抗してきました。
 アマテラスがいとおしくなった今、私が積み重ねてきた悪業は手に取るように分かってきます。私は、今、アマテラスに思いを向けると今までとは丸っきり反対に、喜びの波動が体全体にみなぎり声もないくらい嬉しいのです。言葉では言い尽くせない喜びを感じるようになってきました。アマテラスは私の中でとても喜び、有難う、有難う、と叫び続けているのがよく分かります。
 私は、今すべてを捨てて空っぽになったように、軽くなりました。これだけ攪乱した罪は重いです。しかし、これだけの地球を撹乱しながら、闇を流し続けたにも関わらず、田池留吉はずっと許し続けてくださっていたことを思うと、身が縮まる思いです。その大きな優しさを今更のように感じられ、私の中のアマテラスと共に感激にうち震えています。私は、今、田池留吉の中に生きていることの幸せと喜びをアマテラスと共に感涙にむせいでいます。何億年も荒らし続けた私をなんのとがめもなく、優しく笑って見守ってくださる田池留吉、その大きな優しい波動の中に、今も生き続ける私は、この世で誰よりも幸せ者です。アマテラスを心にどれだけ闇を流し続けたか、その量は計るものはありません。田池留吉しか知りません。アマテラスは今私の中で喜びいっぱいです。よくもここまで心を変えてくれました。私は、気付いてくれた貴方に今感謝しています。貴方に対して語り続けても決して耳を傾けてくれなかった貴方を見て、私も本当に辛かった苦しかった本当に今は楽になりました。という思いがはっきりと伝わってきます。肉、肉の私でも今は、心が軽く晴れ晴れとなりました。
 こんな私でも許してくださった田池留吉に心から感謝します。アマテラスは、今本当にうれしいです。ただ、有難うと叫んでいます。

反省 「アマテラスを嫌っておりました」あなたとアマテラスはどうでしょうか。

反省 「これ以上何も望むものはありません」

反省 「第一の危機の反省なくして自分自身を救うことなど到底できないということを知りました」第一の危機とはどういうことでしょうか。

「それが第一の危機でした」もう一度第一の危機の反省をしてみませんか。

私の第一の危機の反省

 私の心の中につくり上げてきたアマテラスは、大変なエネルギーでした。いつの時も田池留吉に刃向かい、呪い殺していきたいほどの怨念の思いを抱えて宇宙を、地球を渡り歩いていたのだと思いました。
 私がこの日本に生まれてきたとき二つの思いを心に抱えて転生してきました。闇の思いと本当の自分に帰りたい思いを抱えてきました。私も田池留吉を殺すためにずっと転生を繰り返しておりました。この思いはしぶといです。だから、第一の危機のとき、意識の世界で私の思いと同通していたから何の後ろめたさも思わずにプリントを読み、それを信じようとし、そして私も田池留吉を存在させてはならないと闇のエネルギーに加担しておりました。心を見るのがいかに浅かったかがはっきりと分りました。心から間違っていると認めていないから同じ間違いを危機を迎えるたびに繰り返しておりました。
 今思うと、そんな私でも気付いてくださいと現象を与えられておりました。第一の危機に感謝です。ひとつも変わらない私たちに、目覚めてくださいと、何回も何回も、心に響くまで第一の危機の反省をしてくださいと言われている田池留吉の優しさを感じます。どこまでも許してもらっていた私は幸せな中に存在させてもらっておりました。これから私の中のアマテラスとともに本当の自分に帰っていきたいと思います。アマテラスが存在してくれて本当によかったです。間違っていることを教えてくれているアマテラスの存在にありがとうと言いたいです。

反省 私はこの喜びの道を歩むために生まれてきました。

反省と瞑想の中で

 反省瞑想の中で、底なし沼から体半分出して、私に手を差し出し、助けを求めている自分を見た。声にならない声で、私を求めていた。私はただ茫然としてその自分を見つめていた。どうしたらいいのか、迷った。ここから出たいよ、助けて、手を貸して…私が手を伸ばして引っ張っても、たぶん出てこられないだろう。自力で出るしかない。私はただ見ているだけだ。そう思った。底なし沼に入ったのは、この私なんだ。今、やっと顔を出すことができた。息もできず、もがいてももがいても沈んで行く。恐怖に戦き、ただ一心に助けを求め、必死になっている。それが今までの私の姿だった。沈みながらどれほど神を呪い恨み、絶望してきたか。母を捨て田池留吉を捨ててから、私はずっと底なし沼の底に沈んでいた。そのことを実感した。
 心を田池留吉に向けて、もう一度沼に沈んでいる自分を思った。その時、底なし沼に沈んだことが、よかったんだと思えた。この心から出し続けた凄まじい思いが、泥沼をますます深くしていた。もがけばもがくほど深く沈んだ。ああ、私が間違っていたんだ。底なし沼を作っているのは、私の心だった。苦しみを作り、逃げようとして恐怖し、新たな闇を膨らませ続けてきた。私の周りは泥沼となり、欲と恐怖が深くなればなるほど底なしとなった。私は自分だけではなく、人をも引きずり込んだ。ああ、申し分けない。泥沼が何か暖かなものに見える。やっと現実の自分の姿を直視できるようになった。この心から垂れ流し続けたエネルギーを認めることができる。この苦しい自分を受け容れられると思った。ようこそ出てきてくれました、私の前に。底なし沼の自分が、愛され続けた自分に見えた。待ち続けてもらった自分でした。信じ続けてもらった自分でした。許され続けた自分でした。田池留吉なしでも生きていけると豪語した私でした。肉で幸せになれると信じた大馬鹿者でした。今、自業自得という言葉がとても暖かく響きます。
 心を田池留吉に合わせることが、底なし沼の自分を救うことでした。今まで学んできたことが、これからの自分の支えになる。肉の田池留吉から伝えてもらったことが、今まで理解できなかったことが、今ようやく心で納得できる。「これが真実なんだ。本当のことなんだ。田池留吉の言うことが、真実なんだ」私の心がそう叫んだ。ようやく心からそう思えるようになりました。
 底なし沼に沈む私は、アマテラスそのものだと思う。肉にしがみつき、肉を尊ぶ心、田池留吉を否定し、己しかない冷たい私。今まで受け容れられることのなかった、寂しい私の心です。やっと気づいてもらえて、惨めな姿をさらけ出した。でも嬉しいです。反省は愛…このことを信じて、心を見ていきます。

感想 喜びの渦の中で(第205回下呂セミナー)

 今回のセミナーほど嬉しいセミナーはありませんでした。2日目の夕方終わり近く、アルバートに向けてと先生がキーワードを言いました。アルバートに向けてしばらくして、先生が異語を発しました。その瞬間からさらに喜びが広がり、もう、喜び喜びの渦が会場を舞い始めました。
 そして次に、田池留吉に向けてとなりました。もう、僕は座ってはいられませんでした。田池先生のそばに近づいていきました。先生の周りには何重にも何重にも人が囲みました。僕は田池先生の手をじっと握っていました。もう、言葉では言い表せないほどの喜び、喜び、喜びの世界が展開されました。フワーっとした感じの中でただ、温もり、ただ喜びしかありませんでした。そこには田池先生がいるのやらいないのやら、肉体が見えては消え、見えては消え、先生がそこに浮かんでいるかのようでした。何か異次元空間での体験のように思えました。そして、現象が終わってからも喜びはとまりませんでした。田池先生もしばらく部屋に帰らずに、ずっとその場にいてくれました。その時の温もりやら、喜びやら、この世のものとはとてもとても思えませんでした。異次元空間に思えました。僕は妻と二人、ずっと泣き続けていました。あの喜び、温もり、優しさの前には、もうただただひれ伏し続けるしかありませんでした。ありがとうとか、悪かったとか、そういう次元の話ではなく、もうただただどこまでもどこまでも広がる喜びと温もりの中に存在させてもらっている、そんな感じでした。今もその時の喜びが心の中に残っています。これが4次元の世界なのかなと思いました。 
 周りを見たら、皆も喜んでいました。こんな喜びがセミナー会場を埋め尽くしたことはかつてあったでしょうかと思うくらい、喜びが会場で渦巻いていました。下呂セミナーまで後36日と田池先生がカウントダウンした意味が証された気がしました。こんなにももの凄い皆の喜びのエネルギーがきっと何かを変えていくんだと思いました。皆が喜ぶということはもの凄いことなんだと思いました。ホームページに「喜びの波動はすべてを目覚めさせる時期になりました」と音声ファイルがありますが、このことが証された気がしました。これから皆の意識がどんどん目覚めていき、そして、来世、ひいては4次元の世界の扉が開いたかのようなセミナーでした。
 なんとなんともの凄いセミナーに集っていることでしょうか。2次元、3次元、エルカンターレ、ムー、そして250年後、4次元、宇宙へと、一瞬にして時空を超え、次元を超えたセミナー会場はまさに別世界としか言いようがありませんでした。

感想 異次元でした。今までに感じたことのない空間でした。

 2日目のアルバートに向けて、次に田池留吉に向けての時はもういてもたってもいられなくて、赤ちゃんのように四つばいになって、田池先生のいる方向に、それはまるでひきつけられるように這っていきました。周りからも田池先生に引きつけられるように集まってきた人たちでいっぱいになりました。喜び喜びの渦でした。そこはセミナー会場であって、会場ではありませんでした。異次元でした。ふわっとした空間でした。今までに感じたことのない空間でした。本当に、喜びの空間でした。私の心の中にただただありがとうの喜びの思いだけが広がっていきました。幸せだったんだと思いました。

感想 下呂セミナーを終えて

 今朝、ホームページを開くと、二日目のアルバートに向けての後に田池留吉に向けての瞑想の時の感想がありました。今までのセミナーの中で私の一番の感動した現象でした。エルの人にも感想を聞かれましたが、その時はあまりにもすごい体験で表現のしようがないので困りました。
 何度もその光景が戻ってきますが、ホームページに載せられた文章にあった本当にこの世の体験ではないまさしく異次元での出来事、あれが四次元だったとあったけど、そうだと納得できたような気がします。肉持ちながら肉がなく、今の次元を超えた感覚、田池先生の立っておられるところへまるで赤子になった自分があの懐かしい臭いをたぐって目を開けて探すのではなく、ただただやさしい波動のもとに引き寄せられる感じでごく自然に寄っていきました。すると、やはり同じように感じた人が何人か先生の手を取っておられ、私もふわっとした中で手を出していました。やさしい先生の手を触っていました。もう何もいらない、これだけこれだけ、という感じで何もかもあるんだけど消えていました。後から後から人が集まってきてもう押しつぶされそうになりながらも、それでもただ温もりだけでした。
 会場みんなが一つに感じられました。人と自分と分けるものがなかった。許されて愛されてただただ喜んで、いつまでもその思いが広がり続け、ずっとずっと友と共に嬉しさを分かち合っていました。これが本当の自分だと確認し合っていました。
 本当に意識の世界のすごさをまた少し学ばせてもらい、信を深められてとても嬉しいです。セミナーに参加させてもらったことが感謝です。ありがとうございました。

私の感想 下呂セミナーの感想

 皆の顔が喜びに輝いている。自分が間違ってきたことに気付いていくことが、帰っていく心の原点を知ったことがこんなに嬉しいとは。心の故郷、エルカンターレそれは田池留吉の心だった、アルバートの心だった。すべてを包み込む暖かな優しい心、すべてを素直な優しい思いに変えていく波動。その波動の中で生かされている喜び。もう何もいらない、何も望まない。今このように生かされていることが、ただただ嬉しい。あの輪の中で感じさせていただいた田池留吉の波動をアルバートの波動をこの心に、これからの道を歩み続けていきたい。幸せです、嬉しいです。
 田池先生の伝えて下さることを一つ一つ大事に実践していきます。ありがとうございます、ありがとうございます。

反省 「未来の中に生きています」


 心の転回一直線で進みましょう

 人生は喜びである

 私からあなたへ一筆啓上

 ホームページと心の学び

  はじめに戻る