心の転回一直線で進みましょう


反省 「敵を作っているのはあなたですよ」を読んでください。(0914)

 敵を作っているのはあなたですよ。あなたが自分の肉を守るために、その心でたくさんの敵を作ってきたのです。敵などありません。自分の心を見て、なぜ敵を作らねばならなかったかを見れば、あなたが何を恐れているかが分かるでしょう。自分を恐れているのです。自分の闇が露になるのを恐れているのです。あなたが敵だと思ってきた人たちは、あなたにその真実を告げてくれているのです。何も恐い人はおりません。あなたを陥れる者もありません。すべてはあなたの心が作った世界です。あなたが自分の心を解放し、広げるに従い、新たな世界が展開ていくでしょう。すべては愛。あなたに与えられた愛です。そこに流れる暖かい思いを感じませんか。あなたが敵だと思っている人から流れているものは、優しさですよ。そのことに早く気づいてください。

 家の軒先に直径10センチほどの、アシナガバチの巣ができている。こんな大きな巣は見たことがない。側を通るたびに、ひやひやしてきた。巣全体がハチで覆われるほどで、見ただけで恐ろしい。殺虫剤を撒いて退治しようかと、一瞬思った。虫の命より、自分の身の安全だと思った。しかし、どうしても薬に手が出なかった。そのうち、だんだん大きくなる巣に恐怖を覚えながらも心ひかれ、毎日忙しく働いている成虫の動きを見ていた。
 今改めて、ハチの巣に心を向けると、暖かい思いを感じる。私は何を怖がっていたのか…ハチに刺されることへの恐怖心か。身勝手な自分を見る。ハチはこちらが近づかない限り、何もしない。恐怖心にかられてつつきに行くと、攻撃してくる。まさしく私の心のままにハチは動いてくれる。

 私たちが怖いですか。私たちは何もしません。ただ、あなたがどんな心で私たちを見ているかだけです。私たちもあなたも、すべてこの自然界に生かされる同胞です。同じ地球で、同じ太陽の光のもと、同じ空気を吸って生きています。なのに、あなたの心には、私たちをただの「虫」としか写っていません。もっと私たちの心を感じてください。喜んで、今を生きています。何も欲しいと思いません。それが喜びなのです。これが私たちの心です。恐怖もなく、悲しみもなく、あるのはただ自然の心に従うだけ。母の懐に抱かれた赤子のように、無垢の心で生きています。だからあなたの心に反応するのです、何をそんなに恐れているのですかと。もっと大らかに生きてください。もっと安らかに生きてください。そして私たちともっと心交えてください。喜びを分かち合うために、私たちはここにいます。

 「敵を作っているのはあなたですよ」という言葉に、自分の心の狭さやら、恐怖心の深さを、思い知った感じです。人を受け入れられない心、人を信じられない心、勝手に「来るな、来るな」と言いながら、寂しいとか悲しいとか言ってひがんでいる。「愛が欲しい」と叫びながら、一方の手ですべてを捨ててきた私。なんと矛盾した心だろうか。今思うと、怖かったハチたちは、私の忘れた心、田池留吉の波動を呼び起こしてくれていたと思う。怖いと思う心を外せば、ハチの語るメッセージは暖かく感じる。肉を本物とする私に対する愛の言葉でした。人間の奢った心の一端を、私は自分の中にしっかりと見ました。そしてすべては心を見る教材なんだと、改めて思いました。

「敵を作っているのはあなたですよ」を読んで

 わたしは、自分の過去世が嫌いでした。わたしは自分の過去世を嫌い、呪い、後悔して、なんとか隠そうと、説き伏せようとしてきました。それができないから、敵として倒そうと命懸けで生きてきました。自分を殺すために、自分から逃げるために、わたしの敵は、わたしでした。無数の過去世でした。一瞬に出る心を敵と見て、恨みを膨らませ、垂れ流していました。
 間違っていました。敵を作っているのは、わたしでした。わたしでした。

反省 「アシガナバチの巣を読んで感じたこと」を一読してください。

 アシナガバチの巣の反省文を読ませてもらって、私が最初に思ったことは、この人は偉いなあ、私なら何の迷いもためらいもなく殺虫剤だということです。まずそこに感心しました。殺虫剤で処理してそれで終わりです。私はいつもそうでした。何にでもそうでした。まず自分の目の前に起こったことをどのように処理していくのか、どう対処していくのかとその方に心を使います。私にとって結果が大事でした。そしてそこにはいつも自分の肉の都合がありました。ましてやそんな自分に害を与えそうなもの、自分に恐怖を与えるものからやさしい思いが伝わってくること自体今までなら全く信じられませんでした。気持ちが悪いものは悪い、怖いのはいや、そういう思いばかりでした。しかしこの学びで私と同通する思い若しくは自分の過去世の思いを心で感じていくたびに、私は本当に苦しみ続けてきたんだということを実感させられました。心は泣き叫び苦しみ喘いでいる、そんな自分に対して肉の私がとってきた方法はまさしくこの手に殺虫剤でした。すべてを殺してきました。お前は私にとって都合が悪いから、お前は私にとって気持ちが悪いからと何の容赦もなく切り捨て踏み潰してきたエネルギーを自分に向けて撒き散らしていました。そのことを今そうだったってつくづく思い知らされています。自分にやさしくなっていきたいです。ありがとうございました。

反省 「今やっと真剣に自分を愛することをしていこうと思い始めています」を読んでみましょう。

 甘く見るな、この俺たちを。こんなことで負けはせん。肉だ肉だ、肉がすべてだ。命のある間にやることがある。負け犬になるな。心がなんだ。そんなもの、力の前に、何の役に立つ。この俺様たちの思いがわからんのか。お前に甘く見られる覚えはない。この力、このエネルギーを使いに使い、今までやってきたのだ。怖い者なんかあるものか、田池がなんだ、あんな者、はやく消えろ、消えてなくなれ。来るな来るな、これ以上この肉に近づくな。お前が来れば、俺たちの力が出ん。肉に力が入らん。来るな来るな。

 知識がなぜいかん。知で悟ることが、なぜ闇じゃ。頭だ頭だ。もっともっと深く入ってこい。知りたい知りたいと、求めてこい。お前の知りたいことをすべて教えてやろう。これか、あれか。何が望みじゃ。宗教の真髄とは悟りじゃ。悟りなくして何の力よ。理屈をこね回して、ああだこうだと議論しろ。知で戦え、問答の中にこそ悟りへの道がある。お前の得意な議論の戦いじゃ。田池に仕掛けてやれ。奴をやりこめてやれ。負けるな、わしがここにおるぞ。

 何が温もりじゃ、何が優しさじゃ。そんなもの、くそくらえ。何を血迷うたことをぬかしている。はやく目を覚ませ。しっかりしろ。うかうかしていると、寝首を掻かれるぞ。しっかり守れ。今まで苦労して築いてきたこの城を、そうやすやすと明け渡してなるものか。3億6千年の恨みつらみを忘れるな。どれほど苦しんできたか、忘れるな。何が神じゃ、何が田池じゃ。今まで、のた打つ我らを見殺しにしてきたのは、あいつだぞ。そんな者の言うことを、お前は聞くのか、この裏切り者。許さんぞ、我らと手を切ることなど、許さんぞ。

 破壊し尽くせ、すべてを破壊しろ。この地球、この宇宙、すべてを粉砕しろ。田池を生かしておくな、あいつが我らの敵。あいつがすベての苦しみの張本人。やれ、殺せ、息の根を止めろ。武器はいくらでもあるぞ、あいつの肉ある間が勝負じゃ。闇のすベてを結集して、お前に加担してやるぞ。行け、行け…

 ああ、私の心の中は、こんな声で満タンです。心に入り切らない闇は、口や鼻の穴からあふれ出て、私の体中にへばりついている。私の肉にしがみついて、己の思いを遂げようと、心に働きかけてくる。「信じるな、あいつの言うことを信じるな」そんな声を聞いたとたん、心は真っ暗になり、恐怖の思いが迫ってくる。いらいらして、落ち着かなくなり、何も手につかなくなってくる。本当にこのまま信じて行っていいのかな…そんな思いがどんどん膨らんでくる。ああ、だめだ、この思いに引きずられてはいけない…心が、まるで振り子のように右に左に揺さぶられる。

 私は何も信じてはいなかった。田池留吉を信じますとかっこいいこと言っても、しょせんこの程度の信しかなかった。何を今まで勉強してきたのか…愛だ愛だと言いながら、私は肉にしがみついて、ただ恐怖から逃げようとしていただけでした。ものすごい波動で、肉の私のすべてを支配しようとしてくる過去の意識たち。すべて自分とわかっていても、心は逃げ腰だ。自分から逃げるなんてと思うが、怖いものは怖いし、肉が狂う恐怖は凄まじい。半狂乱になって過去の自分から逃げ惑う私がいる。足はもつれて動けない。逃げるに逃げられない。凄い形相で、追いかけてくる無数の過去世たち。「逃がさんぞ、待て…」「この卑怯者、わしらを呼ぶだけ呼んでおいて、後は知らんぷりするのか」「お前のどこが喜びだ、嘘言え…わしらから逃げるお前のどこに喜びがある。冷たい冷たい、冷た過ぎるぞ。」そんな声に追いかけられて、私はどこに逃げれば助かるかと、隠れ場所を探している。ああ、私が行き着いた所は、他力の神の住む所でした。ここにいれば安心だ。これで私は助かる。あの怖い怖い化け物たちから逃げられる。どうぞ私を救ってください。あんな恐ろしい目に遭うなんて、もういやだ。お願いです、どうか私をかくまってください。そうやって、一生懸命、祈り、祭り、拝み、ひれ伏して従順を誓い、自分の過去世を呪い続けてきた。

 ごめんなさい、ごめんなさい、私のしてきたことを許してください。どんなに謝っても、逃げ惑ってきた私の心が出し続けてきたエネルギーが、どんなものであったかを感じたら、もう、ただただ申し訳なかったとしか言えません。「苦しかった」と叫ぶ意識に、もっと苦しい波動を送り、私の心の中から抹殺しようとしてきたのです。過去の意識が、「田池がなんじゃ、愛がどうした、そんなものでごまかされはしない。」と言う叫びは、すべて私に向けられた言葉でした。己の肉がかわいい私は、他力の神のエネルギーで、自分を守り続け、挙句に、すべてのものを失ってきた。生かされ続けた過去の時間も、許しの中にあった喜びも捨て、そして何より、この世に生んでくださった母をも抹殺してきた。否定否定の人生でした。暗黒の世界を作り続けてきた。己のすべてを殺しつくしてきた。過去世の一人一人が味わった苦しみを、今の私もすべて味わっている。なのに、心を振り返ろうとしなかった自分がいる。

 苦しむことは、もうやめましょう。あなたを追いかけてくる闇は、あなたの作った影なのです。いくら逃げても、いくら隠れても、自分自身から逃げることはできません。闇はあなたの優しさを待っているのです。心を向けてくれるのを、待ち続けてきたのです。あなたが肉持つたびに、3億6千年という長い時間、じっと待ち続けた自分が、愛しくはありませんか。しっかりとあなたの心に抱いてあげるのです、もう苦しいことはやめようねと。もっと信じてください、この私、田池留吉を、この波動を。そしてその心ですべての過去世を包み込んでいくのです。あなたの感じた、あの暖かい心で、そして優しい心で、…よかったね、よかったね、喜びに出会えてよかったね、うれしいね、うれしいねと、伝えてください。あなたの過去はすべて苦しんでいます。苦しんでいる自分に、喜びを伝えられるのが、今、肉持っているあなたしかいないのですよ。

 やっと、自分を愛することができる。田池留吉に心を向けて、その優しさを苦しかった自分に伝えることができる。闇の中でもがき苦しむ自分に、やっと手を差し伸べることができる。自分を呪うことしか知らなかった、怒ることでごまかしてきた、泣きわめいて逃げてきた。ああ、もうやめようね、こんな苦しいこと。どこかで「苦しくてよかったね、悲しくてよかったね」という声がする。本当にそうだ、すべてよかったんだ。田池留吉に出会わなかったら、私は永遠に苦しみの中にいた。喜びも優しさも知らず、ただ自分を呪い続けていたと思う。そう思うと、過去から逃げ続けてきた自分が恥ずかしいし、情けない。でも、もう前と違う。逃げる足を止めます。追いかけてくる過去の自分に、しっかりと伝えたい、田池留吉を…心を向けていこう、喜びを共に分かち合っていこう。今やっと真剣に自分を愛することをしていこうと思い始めています。

反省 「私は愛が欲しかった」を読んでみませんか。(0916)

 私の中に、「私は愛が欲しかった」と叫ぶ意識がある。心の底から吹き上げるように、慟哭となってあがってくる。その波動は苦しいし悲しいし、寂しさの極限のように感じる。今まで、その意識に対して、私は自分に都合のよいように理解してきた。つまり、すばらしい自分が「神」を求め求めて、それでも得られなかった悲劇のヒロインの叫びとして、「愛が欲しかった」と現れていると思ってきた。
 私が欲しかった「愛」とは、一体何だったのか。田池留吉に心合わせて、もう一度私の欲しかった「愛」に心向けてみる。そこに流れるのは、己偉い、欺瞞に満ちた心でした。私は自分を嘘つきだとは思っていなかった。卑怯者とも思っていませんでした。しかし、真実は、私は自分がもっとも軽蔑する類いの人間だったと思い知りました。苦しいのに苦しいと言わず、寂しいのにその心を否定し、間違いを認めず、自分を守るために自分以外のすべてを敵にまわし、ありとあらゆる心を使って、己を正当化してきた。正義がすべてと、怒りを爆発させ、戦い、恐怖心を隠し通してきた。その苦しさをまぎらわせ、言い訳している言葉が、「私は愛が欲しかった」でした。肉の自分を甘やかせ、肉にいかに溺れきってきたか…
 本当の事を知るのが怖かった。田池留吉に出会うことが怖かった。田池留吉から逃げて逃げて逃げてきた。卑怯者の私は自分を偽り続けてきた。「お前なんかに負けるか」と、自分の心を無視し続けてきた。現象で、先生の指さしから逃げ惑う私がいる。「来るな来るな、私は認めない、お前なんか認めるものか」と、叫びながら逃げている。本当はうれしいのに、本当は間違いを露にされるのがうれしいのに、田池留吉の波動を喜んでいるのに、素直でない私がいる。卑怯な私がいる。
 ようやく、「愛が欲しかった」という心の叫びを、素直に受け入れられそうです。心を見ることが少しずつ喜びになってくる。「愛が欲しかった」と叫ぶ心が愛しく、その苦しい思いのもっと奥に、「素直になりたい、喜びに帰りたい」という私自身の叫びがあった。今までは、その思いが見えませんでした。叫びも聞こえませんでした。田池留吉に出会い、ようやく本当の願いが心に響くようになった。本当に「生きる」とは、心を見ていくことなんだと、つくづく思う。今までは夢の中だった。何かが自分の中で蘇って行く。うれしいです。

反省 「今回のセミナー(静岡)で、先生の指さしで、何度も何度も転がり出て…」を読んでみませんか。

 今回のセミナーで、先生の指さしで、何度も何度も転がり出た。腕やら肩に痛みが走り、青じみができてへとへとになり、肉的に悲鳴をあげているのに、心は軽い。
 ある人が、「転がり出る時、何を感じてるの」と聞きました。その時は、「何か分からんけど、瞬間的に先生の指に反応している」と答えました。そして部屋に帰ってから、「私の感じているのは何か」と、心を見ました。その時、「うれしいんです、うれしいんです」という叫び声が、心のずっと奥底から噴水のように上がってきて、止められませんでした。その声は、全部私の過去世の声でした。私の過去世のすべてが、まるで大合唱しているような感じでした。「私を早く出して…次は俺だ…」無数の声がひしめいている。「苦しい心を抱えて、暗い世界でじっとこの日を待ちわびていた。呪いの心が苦しかった、祈る心が苦しかった、ああ、悲しいことが多すぎた…早く早く心を向けてくれ…」口々にそれぞれの思いをぶつけてくる。凄い波動で、頭ががんがんする。吐き気がする。わめいている。肉が引き裂かれそうだ。狂いに狂った自分がいた。肉で暴れまくって、のたうちまくって、それでも治まらないくらいの苦しさだ。なのにうれしいのです。うれしくてうれしくて、どうしようもないくらいうれしい。子犬がじゃれまわって、しっぽをちぎれるくらい振って、ひっくり返ってお腹を見せて喜んでいる、そんな思いでした。
 改めて、今までの闇出しの現象を振り返りました。私が感じられなかっただけで、すべてが喜びへの道筋の上にありました。ああ、あの時も、私が分からなかっただけで、本当はこんなにうれしかったんだなあと思うと、また喜びがこみあげてきて、感激でした。自分を受け容れてもらっていることの喜びを知り、許されていることへの感謝、今を生かされるうれしさを感じ、そして今回は、過去世の本当に救われることへの喜びの声を知りました。
 自己供養をすることと、心を肉の田池留吉に向けることは同じだったんだと、知識ではなく実感しました。田池留吉に心を向けることが、こんなに喜びだったんだ…それが過去の自分を救うことだったんだ…うれしくてうれしくて、何度も何度も自分の心に確認しました。言葉なんかいらない、ただ、この思いだけでもっと多くのことが語れる。私は自分もうれしいし、この喜びをどのように表現したらいいのか思案するくらいなのに、過去世の喜びが二重に重なって、胸が喜びで張りさけそうでした。今まで、こんな喜びがあるなんて、想像もできなかった。おのれ偉しの頑固者では、とうてい感じられない喜びでした。
 今、過去世の叫びが私を呼んでいる。それぞれの苦しさを訴えに来る。「苦しい」と叫ぶ声が、呪いからだんだんと懺悔に変わるのを、私はただ「ごめんなさい、ありがとう、うれしいです」と見ているだけです。私のすることはただ一つ、心を田池留吉に向けることだけでした。なんと傲慢な私だったかと、今までの自分を反省するだけです。この喜びで、これからを生きていきます。

反省 「私も同感です」を読んでみては。あなたはどうですか。

反省 「私は自分の過去世に冷たかった」を読むと、自己供養の参考になりますよ。

 私は自分の過去世に対して、すごく冷たかったと、今思っています。過去世の意識をどれだけたくさん受けてきたか…でも一つも喜びに変わりませんでした。たくさんの苦しい心を、ただ聞いてきたにすぎませんでした。心で受け止めることなど、まったくありませんでした。己偉い心で、「聞いてやっている」という思いでした。どんなに自分に対して冷たい私だったとは、今まで思ってもいなかった。田池留吉の波動に出会い、その暖かさと優しさは、今までの冷たい冷たい私の心を、はっきりと浮き彫りにした。
 私はこの勉強を、「心を見る修行」と、とらえてきた。私は懸命に「修行」をしていた。何を目的に修行してきたか、その心を見れば、過去世で使った心そのままを、この学びの中で使ってきたと思う。「行をする」心に優しさなんかありません。暖かさも、許しもなく、ただただ厳しくて冷たい心しかなかった。そんな心で、いくら自分の過去世に向かって「いっしょに神に帰りましょう」と叫んでも、何も通じるはずはない。悟りを得たいための修行の一環としての供養、それも自分の過去世に向かって、命令しているのと同じ心を使い、すべてを支配しようとする凄まじいエネルギーを出していた。私の自己供養とは、己を責め裁き、苦しさを許さぬ厳しさの中にあった。
 まったく違っていました。何もかも違っていました。過去世の意識が聞けるということの意味が、今、暖かく迫ってくる。今世、肉をいただいた意味が、大きな喜びになってくる。過去の自分と対面できることが、こんなに大きな喜びだったとは…お母さん、私を生んでくださってありがとうございます…ふつふつと喜びが湧き上がってくる。過去の苦しい自分が、懐かしくて懐かしくて、みんなの手を取って、「ごめんね、ごめんね、出会えてうれしい…一緒に心を見て行こう、幸せな自分に帰ろう」そう抱き合いたい思いです。うれしいです、こんなにうれしい思いになれるのが、不思議なくらい、うれしいです。

感想 「これがセミナーの醍醐味だ」を読んでみませんか。

反省 「自己供養が私の課題です」を読んでみてください。何か心に響いてきませんか。

反省 「自己供養が私の課題です−2」も読んでみませんか。

メッセージ 「自己供養が私の課題です1〜2」反省の指針にしてください。

反省 「自己供養が私の課題です−3」も読んでみましょう。きっと心に響くものがあるでしょう。

反省 「自己供養が私の課題です−4」少し変わってきたようですが、どうでしょうか。

自己供養 「まるで夢を見ているみたいです」一読してみませんか。

自己供養 「大きなセミナーでした」も読んでみませんか。

自己供養 「田池殺してやるの歴史は長かった」を読んでみましょう。地球以前の自己の供養、これからでしょう。

自己供養 「続田池殺してやる。田池留吉って何者か、私って何者か、そう思いました」も読んでみてください。

喜びの体験 「心が宇宙大に広がりました」読んでみてください。あなたの心もどんどん広がっていきませんか。

自己供養 「闇とともに歩いていけそうな気がします」あなたはどうでしょうか。一度読んでみては。

自己供養 「数々の闇の思いが心を向けられることを待っていたんだなあと思います」続いてこれも一読しては。どんな波動が伝わってきますか。

自己供養 「私の宇宙はこれから始まります」反省・瞑想もセミナーもこれから楽しみになってきます。

「この宇宙が大きく大きく喜びの声を上げているのです。そして、これからすべてが始まります」読んでおいたら大変参考になると思います。

「宇宙を支配する闘争と破壊のエネルギーを流し続けてきました」一読してください。

「田池留吉の宇宙と私の宇宙の違いが少しずつ分かることが嬉しいです」これも一読してください。

今朝の私の思い
 「田池殺してやる、お前になんかに絶対負けないぞ。」の思いと「ごめんなさい、間違ってきました。」の思いの繰り返しの中で後34日を迎えていきます。
 「私は田池留吉でした。私は愛されていました。なのにいつもあなたに、反抗していた私でした。」そう語っている私を信じて待っていてくれていることをいつもいつも充分に感じさせてもらっています。
 本当の自分を捨てても捨てても、田池留吉は待っていてくれていました。私はいつもいつも愛されていました。信じてもらっていました。
 ありがとうございました。

「それでも許されて待ち続けてくれています。○の波動を流していくことを信じてくれています」一読してから、あなたも宇宙と心に思って心を宇宙に向けてみてください。

自己供養 「ありがとう、地球。そしてさようなら、地球」

自己供養 「やっと本当の自分に出会えるその時間を持たせてもらいました」

自己供養 「エルカンターレは、私の原点でした」

「この日本の国で私は田池留吉と出会うことをこの心で知っておりました」あなたはどうでしょうか。

「私の心の中でアルバートへの思いが飛び出してくるのです」あなたはいかがでしょうか。

自己供養 「苦しみの中で私はアルバートと出会います」

自己供養 「すべての意識が本来の姿に帰るその流れをはっきりと感じています」


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