人生は喜びである


喜び、喜びの便り 今朝、Mさんから次のような文が送られてきました。皆さんも一緒に読みませんか。(0928)

 長い間本当に有難うございました、という思いが出てきて、感謝と喜びで涙が溢れ止まりません。私の培った肉の思いで散々な思いを出してきました。それでもずっと、初めから変わらない優しい思いを頂きました。私は、自分の闇の心そのままが正しいと思い、自由に思う存分振る舞ってきました。それでも全く変わらない先生の心が、今になってようやく分かってきました。時には、馬鹿にしたり、また時には軽蔑したり、そして、時には小便もかけたり、足蹴にしたり、私は肉の思いで、肉の田池留吉に接してきました。現象でも、田池出てこいお前なんかに負けるもんか、と大声で怒なり悦に入ったこともありました。それでも何の制裁もなく、寧ろそのことを喜んで頂き、喜びのきっかけを頂きました。
 年をとってもこの学びではみんな同列、私は、かえって元気に若くなり、頭もぼけず、毎日が嬉しい、嬉しい、喜びの日々を暮らせています。想像もしない今の自分の状態を振り返り、本当に田池留吉に会えてよかったと、心から喜びと嬉しい気持ちで一杯です。
 田池留吉に会えることは、宇宙を飛んでいる蠅を探すような奇跡と思います。地球何億人の中で私は、田池留吉に出会えたことを奇跡と思わなければなりません。不思議と思わなければなりません。母に今世生んで貰ったお陰も大きいが、生んで貰っても田池留吉に出会えない人たちばかりです。私は、このことが、今、田池留吉は何者か、をしっかりと掴んで取り組まねばと思います。
 そして、今、私たちは田池留吉の中で生きていることを、しみじみと感謝の心で分かってきました。皆、皆、田池留吉があるから、今があり、田池留吉の中であるから、空気も水もあり生きていることを思います。このように思うと、私は大変な方と学んでいることを、今更のように思い気付いた今、涙、涙、です。嬉しい、嬉しい、の思いです。
 今頃になってこんな思いが湧いて来て、学びの初歩を歩いています。初歩がなかったら何事も始まリません。私は、今、こんな喜びの道を歩いています。一歩、一歩、が嬉しい一歩です。肉の田池留吉は相変わらず、優しい目を尚一層優しくして微笑んでいます。

私はこんなお便りを待っています。幸せな夫婦の対話

 今朝主人と向かい合って犬を走らせていました。犬は主人の所から私に向かって全速力で走ってきます。頭をなでてあげるとすぐきびすを返して主人の方へ全力疾走です。主人も「よう来たな」と嬉しそうに声を掛けています。私達夫婦の声に励まされる様に犬は何度も何度も二人の間を往復します。もう疲れたのではないかとこちらが心配するのをよそに走るのです。その姿を見ていると嬉しくて嬉しくてふっとこれが幸せなんだなと思いました。こんな輝いた一瞬を感じさせてもらえた事が嬉しくて今の気持を大事にしたいと思いました。
 主人に話すと「幸せはそこいら中に充満してるんやな、今までそれを気がつかなかったんやな」と言いました。「お父さん、私の病気無駄ではなかったね。網膜剥離で視力が落ちたからどこへ行くのも連れてもらわんと一人で行きにくい。もし私が元気でいたら一人好き放題行きたい所へ行っていただろう。父さんと二人でいるから犬とも遊んであげられるんだと、昔の元気な頃の私は思えなかったと思う。当たり前だとしか思えなかったと思う。はじめて病気して良かったなと今日は思えたわ」と言うと、「病気をそう思えたらお前が一番幸せやな」と主人から返ってきました。
 結婚して25年喧嘩ばかりしてきました。宗教戦争を繰り返し、私は正しい、間違っているのは主人だと相手を変える事にエネルギーを使い果たしてきました。
 今まで愚かな時間を過ごしたものです。
 その日々を今主人に「私、間違ってたわ、お父さんを変える事しか考えてなかった。」と言えるようになりました。
 「良かったな、長生きしいや」と言ってくれた主人の思いに胸一杯になりました。

 田池留吉を思えばそのまま宇宙に導かれるのが、私の日課。それはなんとも言えない喜びです。肉の自分は無くなり、残るのは、果てしない喜びだけです。
 その中で田池留吉を思えば、更に、更に、その喜びの波はうねりのように、喜びを大きくしていくのです。私は、もう泣くしかありません。うれしいのです。私の中は喜びで張り裂けそうです。
 いつも、いつまでも、この状態でおられれば、どんなに嬉しいことだろうと思います。まだまだ地獄の煮えたぎった湯の中で、助けを求めている自分があります。目を開けるとどうしても目を閉じた時のあの状態は忘れ、かすかに目を閉じた時を思い出しています。
 しかし、今はいつも、毎日、田池留吉の中で生き続けていると思われ、それは広い広い宇宙全体が、喜びの波動に埋り詰まっていることを思います。宇宙は想像もつかない広いところ、その想像もつかない広いところ全部が喜びの波動だと思われます。
 誰よりも地獄を体験し、誰よりも闇の悪を積み重ねた私は、今、その汚い闇で固まった壁が、崩れて行く姿を思います。喜びの波動で修理されているように思います。私は、今、凄い体験をしつつあります。思わず「田池留吉、お母さんありがとうございます。」と出てきます。この思いのままで死ねたらどんなに嬉しいことだろうと、ふと思う私があります。死は喜びという意味がわかります。

今朝(001126)、Aさんから「幸せと喜び」と題して、次のような文が寄せられました。一読してください。

 今一番の幸せ喜びは、肉の田池留吉を目の前に見て、その波動の中で生きていることです。何十億年の前から田池留吉は存在していたのに、誰一人として田池留吉を知る人、知ろうとする人はなく、現在その田池留吉が肉を持って私たちの目の前に現れ、真実を伝えています。
 そのことを夢のように聞いていましたが、瞑想して田池留吉と思いを向けるだけで、不思議にも田池留吉有難うございます、嬉しいです、といつまでも続く現象を毎日、毎日どこでも頂くに至っては、私は段々とその意味と幸せが何物かを感ずるのです。
 そして、私の今の幸せと喜びは、肉の田池留吉と現在この世にいること自体、いつでも会える、その田池留吉から現に波動を感じられる、目の前にいつでも見れる、そして、田池留吉を責めたり恨んだり、喜びを頂いたり、夢のような今の私は本当の幸せ喜びです。
 その田池留吉の肉体を見ただけでも、目の前を通っただけでも、お話を聞いただけでも、冗談を聞くだけでも、私は幸せと喜びを頂いていたのです。余りにも私はぼんやりでした。遠くから、近くから、心の中で、思える、見れる、会える、そのことが肉を崇拝するのでなくて、滅多に恵まれないこの上もない機会を頂き、その幸せと喜びの中に私はいることを心底から感じていませんでした。
 瞑想して田池留吉を思うと、たちどころに、田池留吉有難う嬉しい、がとびだすのはその幸せと喜びの中にいるからでした。私は、今、その肉の田池留吉の目の前にいること、会えること、講話を聞けること、それが最大の幸せと喜びでした。目の前を通っても喜びでした。お話を聞いてもお互いに話すことも、みんなみんな幸せと喜びでした。これらができることが幸せと喜びでした。
 瞑想していると田池留吉がずっとあり、思った途端に私はフル回転してそのまま宇宙に吸い込まれ、私の姿は消えて田池留吉の中に消えてしまうのです。私は、意識、波動をこの時心から感じられ、田池留吉の中に消えてしまう私があります。この時ほど嬉しいことはありません。目をあけると肉に戻り目を閉じて田池留吉を思えば、意識の中で指差しを頂き私は喜びとともに回転を始めやがて、そのまま田池留吉の中に消えて行く私があります。それからはただ、ただ、なんにも存在しない宇宙を感じながら喜びにしたっています。
 私は、今、誰よりも、田池留吉を思うことが、何より幸せ喜びです。田泄留吉を思えば諸々の肉の思いなど、全く消えてしまい、ただ、ただ何者も存在しない宇宙に導かれ、最高の幸せと喜びを頂いています。今、私の思いは、地球の窮屈な小さい思いは消え、宇宙の中の田池留吉の中の大きなスケールの中でいる思いです。
 こせこせしない全てを認められ、そして、受け入れていける思いでいっぱいです。なんとなく大らかになったようです。これで死んでいけたらどんなに幸せだろうなあと思います。田池留吉を思うことがこんなに幸せと喜びとは、本当に誰に言ってもこの気持ちは通じないでしょう。肉の田池留吉を憎み殺して自分も死んでしまいたい時期もありました。何を言われても心に入らない時期もありました。田池留吉が死んだら苦しいこの学びも無くなる、早く死ね、死ねなかったら俺が殺してやろうかと、思った時期もありました。しかし、今、私は田池留吉なくしては生きていけません。田池留吉を思うことが私の仕事、それがどんなに嬉しいか、経験した人でなければ通じない私の今の幸せと喜びです。肉の田池留吉を見えても見えなくても、いつも私の心の中で出会い、ふと思うことでこの上もない幸せと喜びを大きくしています。

「感謝で一杯です」読んでみませんか。

 田池留吉が私の中で大きく大きく膨らんで行きます。喜びで喜びで大きく大きく膨らんで行きます。生まれてきて良かった。この学びに出会えて良かった。田池留吉に出会えて良かった。
 何にもいわず何時も駅まで送ってセミナーに出してくれる夫、そして何時も帰りを待ちわびていてくれる夫。私は最高に幸せです。
 田池先生本当にありがとうございます。いつまでもいつまでも待ってくださって感謝で一杯です。ありがとうございました。

「心が爆発しそうなほど嬉しいです」あなたの心はどうですか。

 今私の中で「田池留吉に帰りたい」から、「田池留吉に、帰らなければ」という思いに変わってきています。今まで田池留吉に帰るなんて何時のことか、私には到底無理、少しでも心が軽くなればよいと思ってきました。でも心の中から痛切に「田池留吉に帰らなければ」という強い思いが湧き出ています。我ながら意識は凄い、嬉しいと思いました。
 自分が幸せであったら、本当に幸せであったなら何も相手に求めるものなどありませんでした。もちろん相手を変えようなんてその様な傲慢な心など何一つありませんでした。ただただ今ここに生かされていること、田池留吉に出会えることが何よりの喜びでした。
 こんなに傲慢で己偉い私を愛し続けてくださった田池留吉にただただ感謝しかありません。どこどこまでも受け入れ続けてくださって、愛し続けてくださってありがとうございます。心が爆発しそうなほど嬉しいです。
 田池先生感謝です。

未来、わくわくします。

 世の中は暗く、末期的様相を示し、多くの人々は自分達の生き方を見失いさまよっている。私もその中の一人。人間はいったいどうなるのだろう、人類に未来はあるのかなどと悩む日々をおくっている。相変わらず、自分を競争社会の中におき、苦しい日々をおくっている。
 結構身近にいながら、余り話す機会もなかったアルバートに「君は暗い顔をしているね」と言われたことをきっかけに自分の悩み、苦しみなどを話している。話しているうちに不思議な感覚にとらわれる。アルバートの目の奥に、懐かしい光を感じる。心の底からほとばしる思い、私はあなたに出会うために生まれてきた。今存在するんだ、生きているんだ。嬉しくて嬉しくて涙がとまらない。ずっと昔から一緒にいた感覚にとらわれる。
 瞑想中にふとこんな情景がわいてきました。わくわくします。アルバートとの出会いが今からとても楽しみです。

私はアルバートです。

 ありがとう、ありがとう、ありがとうの言葉を私はあなたに伝えたい。今世このようにして田池留吉と出会えたこと幸せでございます。私は来世、来世あなたと出会います。ああ、アルバート、アルバート私はアメリカの地においてあなたをお待ちしております。この心を忘れずに私は来世あなたと必ず出会います。ありがとう、ありがとう、嬉しいです。嬉しいです。

 あなた達に出会えることがもう嬉しくて喜びでたまりません。私の心は4次元へ向けて開かれています。田池留吉の中に私は存在します。田池留吉から流れる波動に私は存在します。あなた達はもう意識の世界で私とともに歩んでいることに気付かれるでしょう。今のあなたの中に田池留吉も私も存在します。喜びの輪を広げていきましょう。喜んで喜んでいきましょう。私は幸せです。私は喜びです。私から決して心を離さないでください。どんな転生を重ねても、私にまた出会うまで、その心にアルバートをしっかりと留め置いてください。
 真実の世界には愛だけが喜びだけが存在するのです。私はそれを来世証明していきます。ともに歩んでいきましょう。4次元へ向けて喜びの一歩を踏み出しましょう。

 意識であるあなたを信じてください。
 あなたの心も私と同じく未来を見つめています。あなたの肉では分かりません、心で感じてください。私と出会い、喜びの思いだけを流しているあなたを感じてください。私はアルバート、あなたの心の中にある未来の田池留吉です。常にあなたと共にいます。
 未来はもう始まっています。250年後あなたが苦しみの中で出会う私です。私と出会った瞬間にあなたの心が反応します。言い知れぬ懐かしさを感じます。過去、共に日本で学び、今世出会うことを約束してきたことを思い出します。そして苦しみの中で私と出会うことも必要だったことを感じます。すべて意識の流れであったことも感じてきます。
 私と出会った瞬間に立ち止まり、私の目を見続けているあなたです。私の目を見続けているうちにいろんなことを思い出しているあなたです。喜びいっぱいになり涙を流し続けています。人目をはばからず、私と出会った瞬間に大声で泣き、喜んでいるあなたです。

 心の転回一直線で進みましょう

 私からあなたへ一筆啓上

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