ドンとビンの心の風景

○の波動と×の波動の違いがはっきりと分かりましたか


心の故郷エルカンターレ

 懐かしい、懐かしい心の故郷でした。心の中に嬉しい思いが喜びの思いが染み込んできます。ゆっくりとゆっくりと私の中が回っております。ああ、私は田池留吉とともに帰る意識でございました。ともにともに帰る意識でございました。私の心の故郷エルカンターレ、エルカンターレでした。

 来世私は苦しみの中でアルバートと出会います。未来は私とともにありました。私の心の中で待ち続けています。アルバート、アルバートあなたとの出会いを待ち続けています。そしてともにともに歩いてまいります。心の故郷へ帰ってまいります。

アルバートとともに歩いてまいります。

 私は田池留吉と出会うために生まれてきました。今世田池留吉と出会うために生まれてきました。お父さん、お母さん、ありがとうございます。私は私の願い通りに田池留吉と出会いそして真実に目覚めるためにたくさんの愛を頂いております。ともにともに帰る意識でございました。とてもとても嬉しいです。
 こんなにも愛され、こんなにも許されていたことがやっとこの心で信じられるようになりました。田池留吉、ありがとうございます。私はあなたを信じそして自分の過去世を受け入れてまいります。未来は今の私でした。過去もすべてすべて私とともにありました。私は本当に幸せです。田池留吉と出会えたことがとてもとても嬉しいです。もう何もいりません。私は私が決めてきた道をただひたすら歩いていくだけです。
 私の心の中の田池留吉とそしてアルバートとともに歩いていきます。私はあなたを信じて信じてまいります。私はあのエルカンターレを出たときよりこの心を捨てました。田池留吉もお母さんもすべて捨て去りました。温もりを捨てたのは私でした。申し訳ありません。申し訳ありません。あなたはずっとずっと私とともにいてくださいました。私はあなたをどれだけの思いで捨て去り殺してきたのでしょうか。しかしあなたは変わることなく私に愛を愛の心を思い出してくださいと伝えてくれました。私達はいつもいっしょですよ、私とあなたはひとつですよと変わることなく抱きしめてもらっていました。
 心を広げてまいります。あなたに伝えてもらったこの心を信じてまいります。私はずっとずっとあなたといっしょであったことを信じていける私は今幸せです。

アルバートです。

 すべては喜びからはじまります。喜びを大きくふくらませていってください。心で感じた喜びを大事にしてください。すべての方の心の中には喜びがいっぱいつまっているのです。それを見失ってきた心の歴史に終止符をうって、真実の道を歩み続けてください。私が来世肉を持った時、田池留吉と出会い、ともに学んだことを思い出してください。意識の流れをその心で感じてください。心を大きく広げ、素直なあなたであってください。私はもう楽しみで楽しみでならないのです。皆さんの心から流れる田池留吉の波動を感じるたびに、ただただありがとうという思いが湧いてきます。今田池留吉の肉を持ってこの日本に存在することが、そして来世アメリカの地に肉もつことが、嬉しくてなりません。
 すべてが計画通りに運んでいます。一部の狂いもありません。これから宇宙は田池留吉の波動を目指してすべてがその意識を集結してきます。そこに素晴らしい変化がおきてくるでしょう。愛に目覚めた意識たちの出現を待って待ってきたのです。
 現在、そして未来、4次元と皆さんとともに神に帰る道を歩んでいくことがとても嬉しいかぎりです。私から決して心を離さないでください、ともに4次元へ喜びいっぱいで移行していく日まで。

「強烈な波動をアルバートと思ったときに感じました」あなたはどうですか。

それが最高の喜びです

 心の癖は本当にしぶとい。ちょっとした隙をねらって私の心をまた深い闇に引き戻そうとする。田池が何じゃ、エルカンターレなど思い出したくもないと。
 でもそんな自分を黙って見守っている意識を感じる。いつまでも待っていますよ、共にいつもいますよと心の癖に翻弄される自分を包んでいる意識を感じる。どんなに抵抗しても、どんなに逆らっても許しつづける意識を感じる。それも自分自身、私の心の中の田池留吉の心だ。それを感じた時にとても嬉しかった。
 そんなあなただから今ここに存在を許されているのですよ、神を捨てた心を田池留吉を捨てた心を今こそしっかり見つめていきましょうと語りかけてくる暖かな意識。私の心の中に存在する田池留吉の意識を信じていく限り、私は田池留吉から2度と心を離すことはないだろう、神を捨てることはないだろう。
 今世田池留吉に出会い、自分の心の中の田池留吉の存在を教えていただいたこと、それが最高の喜びだ。

田池留吉、アルバートとともに歩んでいくことが最高の幸せです。

反省  なぜ、今、私が日本に生まれてきたか。

 アマテラスの意識をもった者たち、我こそは神なりと豪語してはばからない意識たちが長い年月を経て、この日本の地をめざして転生してきました。アマテラスに支配された国を建立するために。
 田池留吉はそんな日本の意識たちを救済するために今世、日本に肉体をもちました。ぬくもりと暖かさとは正反対の氷のように冷たく残虐な争いを好む意識に、本当の自分に目覚めよと田池留吉が語りかけています。この日本の地に住む意識たちの目覚めなくしては本当の平和と安らぎはやってこないのです。
 なぜ今私が日本に生まれてきたか、過去に犯してきた間違いが心から浮かび上がってきます。私が存在するところにいつも争いがありました。残虐な戦争がありました。人の死を何とも思わず常に冷酷な思いで見つめてきた自分がありました。虐殺、民族の滅亡をはかってきました。自分がピラミッドの頂点に立ちたいがために、支配下に入らないものはすべて抹殺してきました。あらゆる手段を使って自分の保身を図ってきました。最低の人間です。
 田池留吉に出会った時、これはやばいぞという感覚がありました。絶対に負けられないという思いがありました。攻撃し抵抗しました。でもまったく歯がたたなかった。抵抗すればするほど虚しさがましてきました。救いようのない苦しさがましてきました。
 田池留吉の暖かな波動によって、やっと少し心が向き始めた時、言いようのない安堵感が湧いてきました。長い長い苦しい心の歴史に新しい風が吹き始めた感覚です。これでやっと私も救われる、本当の道を歩いていけるという思いです。アマテラスにがんじがらめに支配されている私の心にも田池留吉の波動が優しく伝わってきます。嬉しさが喜びがジワーと湧いてきます。今日本に生まれて本当によかった。田池留吉に出会えて本当によかった。
 お父さん、お母さん、すべてすべてにありがとうという思いです。

アマテラスとともに、嬉しいです

 今、夜明けを迎えたようにな喜びです。とても嬉しいてす。神を捨て田池留吉などには眼もくれず、何億年もの気が遠くなるほどの間、貴方と共に宇宙で地球でやりたい放題の罪を積み重ねてきました。多くの人を殺戮し、眼をそらすような悪の限りを尽くし、この世を撹乱してきました。思えば自分でも身が縮まる悪を繰り返し続け、神に田池留吉に対抗してきました。
 アマテラスがいとおしくなった今、私が積み重ねてきた悪業は手に取るように分かってきます。私は、今、アマテラスに思いを向けると今までとは丸っきり反対に、喜びの波動が体全体にみなぎり、声もないくらい嬉しいのです。言葉では言い尽くせない喜びを感じるようになってきました。アマテラスは私の中でとても喜び、有難う、有難う、と叫び続けているのがよく分かります。
 私は、今すべてを捨てて空っぽになったように、軽くなりました。これだけ攪乱した罪は重いです。しかし、これだけの地球を撹乱しながら、闇を流し続けたにも関わらず、田池留吉はずっと許し続けてくださっていたことを思うと、身が縮まる思いです。その大きな優しさを今更のように感じられ、私の中のアマテラスと共に感激にうち震えています。私は、今、田池留吉の中に生きていることの幸せと喜びをアマテラスと共に感涙にむせいでいます。何億年も荒らし続けた私をなんのとがめもなく、優しく笑って見守ってくださる田池留吉、その大きな優しい波動の中に、今も生き続ける私は、この世で誰よりも幸せ者です。アマテラスを心にどれだけ闇を流し続けたか、その量は計るものはありません。田池留吉しか知りません。アマテラスは今私の中で喜びいっぱいです。よくもここまで心を変えてくれました。私は、気付いてくれた貴方に今感謝しています。貴方に対して語り続けても決して耳を傾けてくれなかった貴方を見て、私も本当に辛かった苦しかった本当に今は楽になりました。という思いがはっきりと伝わってきます。肉、肉の私でも今は、心が軽く晴れ晴れとなりました。
 こんな私でも許してくださった田池留吉に心から感謝します。アマテラスは、今本当にうれしいです。ただ、有難うと叫んでいます。

反省 「アマテラスを嫌っておりました」あなたとアマテラスはどうでしょうか。

反省 「これ以上何も望むものはありません」

反省 「第一の危機の反省なくして自分自身を救うことなど到底できないということを知りました」第一の危機とはどういうことでしょうか。

「それが第一の危機でした」もう一度第一の危機の反省をしてみませんか

反省 私はこの喜びの道を歩むために生まれてきました。

反省と瞑想の中で

 反省瞑想の中で、底なし沼から体半分出して、私に手を差し出し、助けを求めている自分を見た。声にならない声で、私を求めていた。私はただ茫然としてその自分を見つめていた。どうしたらいいのか、迷った。ここから出たいよ、助けて、手を貸して…私が手を伸ばして引っ張っても、たぶん出てこられないだろう。自力で出るしかない。私はただ見ているだけだ。そう思った。底なし沼に入ったのは、この私なんだ。今、やっと顔を出すことができた。息もできず、もがいてももがいても沈んで行く。恐怖に戦き、ただ一心に助けを求め、必死になっている。それが今までの私の姿だった。沈みながらどれほど神を呪い恨み、絶望してきたか。母を捨て田池留吉を捨ててから、私はずっと底なし沼の底に沈んでいた。そのことを実感した。
 心を田池留吉に向けて、もう一度沼に沈んでいる自分を思った。その時、底なし沼に沈んだことが、よかったんだと思えた。この心から出し続けた凄まじい思いが、泥沼をますます深くしていた。もがけばもがくほど深く沈んだ。ああ、私が間違っていたんだ。底なし沼を作っているのは、私の心だった。苦しみを作り、逃げようとして恐怖し、新たな闇を膨らませ続けてきた。私の周りは泥沼となり、欲と恐怖が深くなればなるほど底なしとなった。私は自分だけではなく、人をも引きずり込んだ。ああ、申し分けない。泥沼が何か暖かなものに見える。やっと現実の自分の姿を直視できるようになった。この心から垂れ流し続けたエネルギーを認めることができる。この苦しい自分を受け容れられると思った。ようこそ出てきてくれました、私の前に。底なし沼の自分が、愛され続けた自分に見えた。待ち続けてもらった自分でした。信じ続けてもらった自分でした。許され続けた自分でした。田池留吉なしでも生きていけると豪語した私でした。肉で幸せになれると信じた大馬鹿者でした。今、自業自得という言葉がとても暖かく響きます。
 心を田池留吉に合わせることが、底なし沼の自分を救うことでした。今まで学んできたことが、これからの自分の支えになる。肉の田池留吉から伝えてもらったことが、今まで理解できなかったことが、今ようやく心で納得できる。「これが真実なんだ。本当のことなんだ。田池留吉の言うことが、真実なんだ」私の心がそう叫んだ。ようやく心からそう思えるようになりました。
 底なし沼に沈む私は、アマテラスそのものだと思う。肉にしがみつき、肉を尊ぶ心、田池留吉を否定し、己しかない冷たい私。今まで受け容れられることのなかった、寂しい私の心です。やっと気づいてもらえて、惨めな姿をさらけ出した。でも嬉しいです。反省は愛…このことを信じて、心を見ていきます。

感想  喜びの渦の中で(第205回下呂セミナー)

 今回のセミナーほど嬉しいセミナーはありませんでした。2日目の夕方終わり近く、アルバートに向けてと先生がキーワードを言いました。アルバートに向けてしばらくして、先生が異語を発しました。その瞬間からさらに喜びが広がり、もう、喜び喜びの渦が会場を舞い始めました。
 そして次に、田池留吉に向けてとなりました。もう、僕は座ってはいられませんでした。田池先生のそばに近づいていきました。先生の周りには何重にも何重にも人が囲みました。僕は田池先生の手をじっと握っていました。もう、言葉では言い表せないほどの喜び、喜び、喜びの世界が展開されました。フワーっとした感じの中でただ、温もり、ただ喜びしかありませんでした。そこには田池先生がいるのやらいないのやら、肉体が見えては消え、見えては消え、先生がそこに浮かんでいるかのようでした。何か異次元空間での体験のように思えました。そして、現象が終わってからも喜びはとまりませんでした。田池先生もしばらく部屋に帰らずに、ずっとその場にいてくれました。その時の温もりやら、喜びやら、この世のものとはとてもとても思えませんでした。異次元空間に思えました。僕は妻と二人、ずつと泣き続けていました。あの喜び、温もり、優しさの前には、もうただただひれ伏し続けるしかありませんでした。ありがとうとか、悪かったとか、そういう次元の話ではなく、もうただただどこまでもどこまでも広がる喜びと温もりの中に存在させてもらっている、そんな感じでした。今もその時の喜びが心の中に残っています。これが4次元の世界なのかなと思いました。 
 周りを見たら、皆も喜んでいました。こんな喜びがセミナー会場を埋め尽くしたことはかつてあったでしょうかと思うくらい、喜びが会場で渦巻いていました。下呂セミナーまで後36日と田池先生がカウントダウンした意味が証された気がしました。こんなにももの凄い皆の喜びのエネルギーがきっと何かを変えていくんだと思いました。皆が喜ぶということはもの凄いことなんだと思いました。ホームページに「喜びの波動はすべてを目覚めさせる時期になりました」と音声ファイルがありますが、このことが証された気がしました。これから皆の意識がどんどん目覚めていき、そして、来世、ひいては4次元の世界の扉が開いたかのようなセミナーでした。
 なんとなんともの凄いセミナーに集っていることでしょうか。2次元、3次元、エルカンターレ、ムー、そして250年後、4次元、宇宙へと、一瞬にして時空を超え、次元を超えたセミナー会場はまさに別世界としか言いようがありませんでした。

感想  異次元でした。今までに感じたことのない空間でした。

 2日目のアルバートに向けて、次に田池留吉に向けての時はもういてもたってもいられなくて、赤ちゃんのように四つばいになって、田池先生のいる方向に、それはまるでひきつけられるように這っていきました。周りからも田池先生に引きつけられるように集まってきた人たちでいっぱいになりました。喜び喜びの渦でした。そこはセミナー会場であって、会場ではありませんでした。異次元でした。ふわっとした空間でした。今までに感じたことのない空間でした。本当に、喜びの空間でした。私の心の中にただただありがとうの喜びの思いだけが広がっていきました。幸せだったんだと思いました。

感想  下呂セミナーを終えて

 今朝、ホームページを開くと、二日目のアルバートに向けての後に田池留吉に向けての瞑想の時の感想がありました。今までのセミナーの中で私の一番の感動した現象でした。エルの人にも感想を聞かれましたが、その時はあまりにもすごい体験で表現のしようがないので困りました。
 何度もその光景が戻ってきますが、ホームページに載せられた文章にあつた本当にこの世の体験ではないまさしく異次元での出来事、あれが四次元だったとあったけどそうだと納得できたような気がします。肉持ちながら肉がなく、今の次元を超えた感覚、田池先生の立っておられるところへまるで赤子になった自分があの懐かしい臭いをたぐって目を開けて探すのではなく、ただただやさしい波動のもとに引き寄せられる感じでごく自然に寄っていきました。すると、やはり同じように感じた人が何人か先生の手を取っておられ、私もふわっとした中で手を出していました。やさしい先生の手を触っていました。もう何もいらない。これだけこれだけ。という感じで何もかもあるんだけど消えていました。後から後から人が集まってきてもう押しつぶされそうになりながらも、それでもただ温もりだけでした。
 会場みんなが一つに感じられました。人と自分と分けるものがなかった。許されて愛されてただただ喜んで、いつまでもその思いが広がり続けずっとずっと友と共に嬉しさを分かち合っていました。これが本当の自分だと確認し合っていました。
 本当に意識の世界のすごさをまた少し学ばせてもらい信を深められてとても嬉しいです。セミナーに参加させてもらったことが感謝です。ありがとうございました

私の感想  下呂セミナーの感想

 皆の顔が喜びに輝いている。自分が間違ってきたことに気付いていくことが、帰っていく心の原点を知ったことがこんなに嬉しいとは。心の故郷、エルカンターレそれは田池留吉の心だった、アルバートの心だった。すべてを包み込む暖かな優しい心、すべてを素直な優しい思いに変えていく波動。その波動の中で生かされている喜び。もう何もいらない、何も望まない。今このように生かされていることが、ただただ嬉しい。あの輪の中で感じさせていただいた田池留吉の波動をアルバートの波動をこの心に、これからの道を歩み続けていきたい。幸せです、嬉しいです。
 田池先生の伝えて下さることを一つ一つ大事に実践していきます。ありがとうございます、ありがとうございます。

静岡セミナーで

 素直な自分に出会えたことが、本当に喜びでした。素直になればなるほど、田池留吉、アルバートに対する信が深くなることを実感しました。心の奥から新たな闇が叫びをあげてきます。「田池がなんじゃ、アルバートを殺せ、四次元がどうした」凄いエネルギーで噴き出してくる。凄い声で、わめき散らしているのに、たまらないほどうれしい。こんなことがあるのだろうかと、自分で不思議がっている。「殺せ、何じゃ」と言いながら、心はどんどんアルバートに向いて行く。三次元、いいえ、二次元からの闇の大群が、肉どっぷりの私が作ってきた心が、地の底から這い出てくる。みんな、みんな、苦しみの極限にいる。呪い恨みのたけを出しながら、素直になることの喜びを伝えてくる。心に作った苦しみを出すことが喜びなんだと、うれしいから素直になれると、そして田池留吉、アルバートを信じることが素直になることなんだと、しっかりと伝えてくれる。素直な心はすべてを委ねる心でした。委ねれば委ねるほど、信じようという思いになる。心の中から「私は田池留吉でした」と叫びがあがり、喜びの爆発でした。私の心の中にも、こんなに優しくて素直な自分があったことが感謝でした。田池留吉、アルバートを信じることは喜びです。ありがとうございました。

 二次元も三次元も、肉を自分と思い、破壊の繰り返しをしてきました。戦いに勝つことが人生と信じ、どれほどどろどろの世界を作って来たかしれません。肉でどれほどの栄光を得ても、私の心は苦しさでいっぱいでした。なぜこれほども努力しているのにと、自分を呪い、神を呪い、すべてを抹殺してきた。ああ今、なぜ幸せになれなかったのか分かりました。田池留吉を殺し続けた心が、幸せから遠い遠い所に自分を追いやっていました。神に帰りたいという本当の願いを封印して、肉の無駄な努力を積み重ねてきました。それが愚かなことだと、やっと分かりました。肉を本物とする世界に心を置く限り、私は幸せにはなれなかった。それが真実でした。二次元の私にありがとう、三次元の私にありがとう、のた打ってきた自分にありがとう。苦しみに感謝です。この思いを持って、未来の自分の供養をしていきます。

 アマテラスに向けての現象の中で、破壊のエネルギーを振りまく自分がいた。こんな心で本当の自分を殺し続けてきたのだと実感した。あらん限りの力を振り絞って、この世のすべてを抹殺する姿を確認した。田池留吉を抹殺するために、これほど狂ってきたのかと思うと、凄まじい自分を今さらながら思い知りました。それほど肉が大事でした。肉がすべてでした。意識の自分なんて信じられなかった、田池留吉なんて信じられなかった。信じたら終わりだと、いつも恐怖の心でいた。三次元から四次元への移行の時、田池留吉、アルバートの波動を信じられなかったら、この肉の執着を到底離すことはできない。延々と肉の世界に身を置いて、苦しみの世界を作っていかねばならないのだと痛感した。肉の田池留吉に心を向けて、そこから流れる波動を知らなければ、肉から意識の変換は難しいと感じた。本当の世界は分からないと思った。今、私たちが学んでいることの重大さを、改めて思いました。

私は厳しい厳しい未来を選びます。しかしそれは、アルバートの愛を信じるからこそ描けるシナリオでした。

 未来の自分に心を向けると、胸をえぐられるような苦しさに襲われる。寂しさと悲しみと、いわれのない偏見に虐げられる苦しさに満ち満ちた未来の自分が見えてくる。何でこの世に生まれてきたのか、こんなに苦しいのなら生まれて来なかった方がよかった。人間の残酷さを恨み、世を呪い、自分自身を最低まで落とし込め、それでも生きていかねばならないことを嘆いている。どんなに泣き叫んでも、どうしようもない現実に、生きる希望もなく、ただ神を呪うばかり。肉の世界で欲しいものを手に入れても、心満たされぬことを呪い、この肉の命を絶つ勇気すらない自分を嫌悪し、自暴自棄の心で、荒み果てた心で、ただ毎日をふらふらと過ごしている。そんな己の姿をはっきりと感じる。その心は、「田池死ね、アルバート死ね」と叫び続けている。二次元も三次元も、肉を基準とした世界を作って来た私にとって、未来もその延長線上にある。肉を本物と思う心のままに、私の未来は存在する。

 アルバートに向けての現象の時、また肉で会えるのだと、喜びで感激している自分があった。アルバートの波動に心がふるえ、大きな喜びを噛み締めていた。心がどんどんと広がり、とてつもなく広い宇宙を感じ、今まで体験したこともなかったほどの意識の広さを感じた。私の二次元も三次元も、すべては肉中心の世界だった。そこは、田池留吉という暖かい波動に包まれた、優しさの世界の中だったことに気づいた。しかしアルバートの波動は、もっともっと大きく感じられた。四次元という意識に目覚めた世界の大きさを、彷彿とさせる波動なんだと思った。

 今、私は肉どっぷりの世界から、意識の自分に目覚めたいと切実に願い始めた。肉の己を誇ることのむなしさから、真剣に神に帰りたいと願い始めた。やっと自分の前に生きる目的が見えてきた。喜びに満ちた生き生きとした、幸せな自分に帰りたいと、真剣に思い始めた。この道を信じて歩いていこう。この道しかない。そう思うと、過去から未来の自分の姿が、たとえそれがどんなに苦しく醜い自分であっても、いとしくていとしくてたまらなくなる。いつも愛されている自分の姿が確認できるからです。未来がどんなに苦しくても、私は四次元への道を歩いているんだと信じられる。苦しいからこそ、アルバートの存在を心に再び知ることができる。私は自分で描くシナリオの存在を、やっと信じられるようになりました。本当の自分が、真実の自分に帰るために計画した人生のシナリオ。肉を信じることがどんなに苦しみかを知るために、厳しい厳しい未来を選びます。しかしそれは、アルバートの愛を信じるからこそ描けるシナリオでした。自分自身を信じられるから書ける未来の図でした。今、私は確実に四次元への道を歩いていることを、この心で知りました。

今日、Aさんから次のような内容のFAXが届きました。一読してみては。(0119)

 私はこの自分が愛を流し伝えていくのだと思ってきました。この私から愛が流れ、その愛が流れていくのだと思ってきました。その思いは、この愛を流していける私は素晴らしい、私は特別、我こそが神、とその自分を大きく大きく表し、その私こそが本当の私なんだと、私自身を導いていました。その愛に、すべてが氷解していくような温かな優しい温もりはありませんでした。冷たく凍てついたその愛は、田池留吉の前に立ちはだかり、田池留吉の愛を遮っていました。
 愛は田池留吉そのものでした。田池留吉が愛そのものでした。その田池留吉の愛が、本当の私のこの心を通して流れていくのでした。私のこの心から流れていくこの愛は、いつもいつも田池留吉が原点でした。そしてこの愛が大きく大きく流れていくその原点もまた、田池留吉の愛そのものでした。
 すべては田池留吉のこの愛からでした。すべてが田池留吉の愛から始まっていました。すべての愛が田池留吉のこの愛から出発していました。

 私は傲慢でした。この私が、私がという思いは、田池留吉のこの愛の流れを塞き止めてきました。そしてその私から流れていくものは、すべてを破壊し破滅するエネルギーでした。その私が救えるものなど何一つありませんでした。その私に神に成り代われるものなど何一つありませんでした。
 私は傲慢でした。田池留吉に成り代ってこの己がと、みなの心の中より田池留吉のこの愛を消し去って、自らがその中に納まろうと、私は宇宙を転々と渡り歩いてきました。
 私の波動は、冷たい暗いUFOと繋がっていました。

感想 でも本当の私は知っていたのです。田池留吉が何者かを。

反省 「未来の中に生きています」

シンちゃんはもの言わぬ愛のメッセンジャーでした。

 シンちゃんはもの言わぬ愛のメッセンジャーでした。
 私は幸せでした。本当に幸せでした。やっとそのことに気付きました。シンちゃんを通して私は心の安らぎを感じさせてもらいました。シンちゃんを見ている私の心は穏やかです。これ以上のものはありません。シンちゃんから温かな温かな波動を感じさせてもらっています。それは私の中に息づいている思いだったのです。あなたにもその思いがありますよとシンちゃんは私に伝えてくれていました。ただ自然の流れに沿っているだけです。しかし生かされていることをちゃんとその心で知っていました。喜びの思いだけを私に伝えてくれていました。忘れていた心をこの心に思い出させてくれました。
 温もりの波動、喜びの波動は必ず必ず伝わっていきます。何も語らずとも伝わっていきます。人の心から心へその波動は流れていきます。それが愛でした。愛はいつもいつも流れていました。やっと私はそのことに気付きました。
 今すべての現象にありがとうでした。私に伝えてくれたたくさんの意識、そして現象としてこの肉に気付きを促してくれていました。私は本当に愚かでした。肉の幸せ肉の喜びをどこまでも追及する心のままに転生を繰り返してきました。それも間もなくジ・エンドです。
 私は今世大きな気付きをこの心にいただきました。田池留吉と出会い私の心にも喜びの思いが芽生え始めました。これから私は本当にただ真実を目指して歩いていけると思います。

セミナーが待ち遠しいです。

 アルバートの前で、来世の苦しみを、苦しい私を出していけることが嬉しいです。その私を受け入れ供養していける場をいただいていることが嬉しいです。こんな私、あんな私、すべてをさらけだしていきます。愛いっぱいの場、喜びいっぱいの場、セミナーが楽しみです。

私の来世 アルバートの意識に目覚めたたくさんの友がいます。

感想 宇宙へ意識を向けてゆくと、今まで以上に田池留吉の意識のすごさが実感として感じられます。

感想 アルバートに心を合わせていくこと、それが自分自身を救っていく唯一の道だと確信しました。

「田池、殺してやる」、「アルバート、殺してやる」は偽りのない私の思いです。しっかりあります。そして、今、意識の不思議さを思っています。

ほんのわずかであっても喜びを感じたら素直に喜んでいけばよいのです。アルバートです。

己が偉いのです

 己が偉いのです、この思いが出てきます。認めてください、そして私を正しいと評価してください。己が偉いのです、己が正しいのです。神などありません、あるのは私という存在だけです。苦しいです、苦しいです。どうして、なんで、一生懸命にやってるじゃないの、努力してるじゃないの。この頑張りを認めてよと、この思いから抜け出すことができません。
 田池先生のホームページを見ても出てくる思いは、違う違う、違うって、私の思いと違う、私が思っていることと違う。そうやっていつも画面を見ています。私の思いが正しいと、あなた方の出しているものは田池の思いじゃないと。私は田池の何も分かっていないのに、田池留吉と私だけが神を知って分かっているんだと思っているのです。今もこれだけのことを思える私は素晴らしいんだと思っているのです。私の心は腐りに腐っています。どのようにも修正のつかないところに来ているのかもしれません。だけど、その苦しんでいる自分の中に、苦しんでいる先にきっと喜びが待っていると思える心もあるのです。
 「あんたそんなにいいもんですか」と、先生の声が聞こえてきます。頭では十分知っているつもりです。だけど心がついていきません。ただ外に心が向いていて、人ばかりが気になり、批判、評価しています。「何が分かったのよ、何を知ったというのよ」と、自分自身に問いかけているのですが、その答えが見つかりません。「あんたこの時期に来てまだそんなこと言っているのですか、みんな喜び喜びのメールが送られてくるのに、何ですかあんたの文は。」って聞こえてくるのです。
 私は焦りすぎています、早く、よりいっそうのものを気づきたい、誰にも負けたくない。結局私は「人間は意識なのです」が分かっていなのです。今まで心の反省はしていませんでした、やってきていると思っていました。だけどこの時期に来て、こんな大事なときに来て、こんなことをしていてもとも思います。自分を信じて、永遠にする仕事だから。そんな謙虚な気持ちもなくなっていました。

 前回のセミナーで、現在の心に向けての瞑想がありました。突然「桐山密教の桐山だ」が出てきました。「田池がなんだ、田池がどうした。田池出てこい、出てこんか。田池に何が分かる、神の何が分かる。おまえなんかに神が分かってたまるか。こんなに努力して神を知ろうとしている私に、未だ神が分からん。それなのにおまえはそこで何にもしていない、肉の努力もせずして座っているだけのおまえに、何が分かるか。」この人の思いは全く私そのものでした。やはり肉の努力があって神が分かる、山を駆け回る行者の思いその意識にどっぷり浸かったままに、ここに集い、未だその心に気づかずに、アルバートを乗せ、4次元を乗せ、いかにも高次元を知ったかのように、学んでいるかのように振る舞っている自分がありました。
 先生の言葉を借りれば「あなた方は甘いのです、本当に心を見ていないのです。神をなんだと思っていますか。そんなことで神が分かるとでもいうのですか。霊道が開いて心が分かるのですか、チャネリングができて神が分かるとでもいうのですか。愚かですよ、腐ってますよ。荘厳なる神があなたに分かりますか、私が分かりますか。もう十分に苦しんできたあなたです。この辺でどうぞ喜びを感じていってください、神の愛をあなたの心で感じていってください。その時初めて、神、私が何を言わんとしているかが分かってきます。」

 未来に向けると、もういや、肉体を持つのはいや。肉体を持ちたくない。肉体なんかいらない。苦しみたくない。これ以上の苦しみなんかいらない。こんな苦しみなんかいらない。私は生まれたくない、生まれたくない、と出てきます。
 日々の生活の出来事なんてどうでもいいように思います。この心の苦しみは、沢山のお金があったとしても、美味しいものを沢山いただいたとしても、どんなに毎日が面白おかしく過ごされたとしても、心の苦しみは消えないのです。ずっと心の深くにあるのです。この苦しみを見ていかない限り本当の幸せは来ないのです。
 現象の中で、台風の中の木の葉のように、上や下、右や左に飛び跳ねる体験がありました。そこには思いもなく、ただただ強烈に吹き飛んでいく姿があるだけでした。後にその現象を思ったとき、今の私の思いのままでは4次元には到底行けるものではない、4次元という光の中には私の姿はこれなんだと、行けないと思ったのです。

私は本当の喜びを知りませんでした。

 本当の幸せを知りませんでした。心が広がりアルバートの波動をこの心で感じていけばいくほど、私は本当に幸せだ、これが本当の幸せ、喜びなのだということが心で感じられました。
 肉を認められ肉の欲を満たされたならそれが幸せ、喜びの道へ通じるという心を何億年と持ち続けてきた意識に、繰り返し繰り返し伝えてくれている温かな波動を、今世肉持ちながらこうやって感じられる私は本当に幸せという以外にはありません。
 田池留吉の肉と出会い、私の意識の世界が大きく羽ばたいていこうとしています。力んで分かるものではありませんでした。今こうやってセミナーに集え、心を田池留吉、アルバートに委ねていけるそんな時間をこの肉が頂けることが嬉しいです。分かりたい、知りたい、意識の世界をもっと具体的に分かりたい、知りたい、何で私には感じられないのだろうかと心を落としてきた日々が今は懐かしいです。
 今ほんの少し感じられたアルバートの宇宙、そして私の心の広さ、それだけでも私は本当に嬉しいです。しみじみ嬉しさを味わっています。

反省  本当のチャネラーとは…

 先生が「古いチャネラーは眼中にない」とあちこちで言われているのを耳にし、心を落とし込めていました。先生の言葉を肉で捉えていました。
 でも、今日先生の言われていることの意味がわかったような気がしました。波動を伝える、アルバートの波動を伝えることはとてもできませんでした。波動で愛を伝えることはとてもできませんでした。単に言葉を並べた占い婆でしかなかったと思います。チャネリングの内容を誇り、競い、何をしていたのかと思います。闇の言葉を誇っていたにすぎません。
 本当のチャネラーとは愛を伝えていく人、アルバートの波動を確実に伝えられる人、喜びいっぱいの人、自分を意識と信じている人、自分はアルバートだと確信している人、そう思いました。この学びの場では真のチャネラーしか通用しない、そんな場なのだと思いました。
 私は占い婆チャネラーの看板をはずしていきます。

感じたこと  真のチャネラーとは…

 チャネラーとは今まで意識を受ける人、心を読み取れる人という感覚しかなかった。ラジオに徹してということも、それで感度がよくなるという意味あいで受け止めていた。
 チャネラーとはアルバートの波動を全宇宙へ向けて流していける人、アルバートと心を一つにし、アルバートの意識の中で、アルバートの思いを伝えていける人、それが真のチャネラーだと思った。来世、3次元最終の場にアルバート自身がチャネラーとして現れてくる意味が、そして全宇宙へ向けて愛の流れるスピードの速さが思われる。

反省  肉の思いに振り回される人生はもういらない。

 私も知りたい、わかりたい、感じたいという思いいっぱいでやってきた。人の感じる喜びを羨み、意識の世界をより知った人を羨み負けたと悔しがったり、自分は到底そんな世界は感じられないと投げやりにやる気を失ったり、愚かなことを繰り返してきた。肉を基準に、今まで生きてきた価値基準をこの意識の世界に持ち込んで、意識の世界を知ろうとしてきた。アルバートの宇宙を知ろうとしてきた。知ろうとして知れるものではなく、わかろうとしてわかるものでもなく、感じたいと思って感じるものではない。
 さらにと何かを望むから、比較する心があるから、自分の感じた喜びを、幸せだという思いを、田池留吉に出会えた喜びも、このセミナーに参加できる喜びも、自分の心で見失ってしまう愚かなことを繰り返してきた。自分自身を小さくし、卑屈になり落ち込むことは、自分自身を殺し、さらなる大きな闇をまきちらすことだと思った。喜びの心だけでいい、どんなに小さくても喜びの心だけをこの心に膨らませていける、そんなこれからを歩んでいきたい。肉の思いに振り回される人生はもういらない。アルバートを思いながら、自分の心をひたすら見ていく人生、自分が決めてきた人生をしっかりと歩んでいこう。

反省 私は意識ですという基盤は喜びをうみだし、肉だとする思いは喜びを打ち消していく。

 心の癖というのは本当にしぶといということを今まで何度も体験してきました。でも振り返って見ると、基盤が肉に傾いている時、心癖もどっと出てくるように思います。心の中の田池留吉、アルバートに思いを寄せ、本当の自分自身を信じている時、基盤が意識にある時には心の癖もなりをひそめているようです。同じようなことを見たり聞いたりしても、心が揺れる時とまったく揺れない時があるのを体験してみて、その時の心の基盤を確認してみると、自分の心がよく見えてきます。いかに肉の思いが、肉こそ自分という思いいっぱいでやってきたか、すべてを肉を通して見ていたか、自分自身の価値観、価値基準が見えてきます。
 心の基盤の違いによって、「あぁ、もうこんな自分だめ」と思うのと、「そんな心の癖が見えてよかった」と喜ぶ、その差がでてくるように思います。私はいつも前者でした。私は意識ですという基盤は喜びをうみだし、肉だとする思いは喜びを打ち消していく相反するものでした。意識の転回がすべてにおいていかに大事なことなのか、言葉だけの理解に終わり、心では何もわかっていなかったように思います。

反省 誰が先に目覚めてもそこから愛を、喜びを感じます。ともに学べることが嬉しいと、ここに出会えたことが嬉しいと。

 周りが気になって肉の次元で羨んだり、妬んだりひがんだり、責めたりしていた時には、田池留吉のあふれる愛に気付くことができませんでした。自分の心を見て少しなりともその間違いに気付いた時、もうすでに充分愛され、アルバートの波動の中にすっぽりと包まれ、はるか3億6千年の過去より受け入れられ許され愛しつづけられてきた意識であることを心で感じ、幸せな思いに満たされます。何と腐りきった歪んだ思いを心に溜め込んでいたか、その間違いに気付きながらもそれでもなお自分を正当化し相手を責めまくっていたか、凄まじい波動を流しつづけていたか、それでもなお許しの中に存在していたことを、ただただ申し訳なく、感謝です。すべてが自分の心の中に原因があったとあらためて思っています。
 もっとわかりたい、感じたい、知りたいという思いが己の肉を表す、我こそは一番という欲を満たす大闇の思いだったことを強く感じています。でもこの頃一番も二番もビリも何もないと感じています。喜びの心はすでに皆が持っているアルバートの思い、それを一人一人が自分の心の中に見出していく、それだけだと感じています。
 たとえ誰が先に目覚めてもそこから流れる愛を、喜びを感じます。ともに学べることが嬉しいと、ここに出会えたことが嬉しいと。
 アルバートを信じ、アルバートとともに歩んでいこうという思いが広がってきます。ありがとうございます。

意識の流れに心を委ねていくことが幸せへの道であることを実感しています。

 喜び少ない私の心にありがとうの思いがどんどん広がっていきます。特別に何かがあるわけではありません。ただ毎日毎日が過ぎていく中で、目を閉じるその時間を頂いて、そうしたとき私の心は本当に安らいでいることを感じます。このままでいい、もう何もいらない、私が今こうしてこんなに素直な自分と出会えているその時間がただただ嬉しいのです。どれだけ愛されてきたか感じられます。周りはみんな優しいって感じます。
 幸せにしてくれるものを求めてきました。どうすれば心が満たされるか模索してきました。苦しい、寂しいっていう思いを出せずにきたから苦しかったことも分かりました。でも私の心の中には、何もなくても幸せだ、そして嬉しい、ありがとうと素直に思えるこんな幼子の思いがあります。そしてそのことを喜んでいる私がまた嬉しいのです。
 いわゆる4次元の世界は現実と遠く離れた世界、夢の世界、実現不可能な世界、そう思ってきたことがどうやらそうでもなさそうです。ずっとずっと前から学びに集う前からそんなの空想の世界だと思ってきました。でもでもセミナー会場で体験できることは夢、幻の世界ではなく、本当にそういうことが現実に目の前に展開されていることを感じます。肉の世界に長く生き続けてきました。その世界が全く自然に何の違和感もなくしっかりと心にあります。そんな私の心にも4次元へ移行していく流れの中にあることを今しみじみと感じさせてもらっています。意識の流れに心を委ねていくことが幸せへの道であることを実感しています。

  心の転回一直線で進みましょう

  人生は喜びである

  私からあなたへ一筆啓上

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