ドンとビンの心の風景


アルバートを信じることだけに生きていきます。

 アルバートにさえいつも意識を向けていれば、信じて行けば、なんにも思い煩うことも苦しむこともありません。アルバートを忘れアルバートから心が離れた時には、必ずと言ってよいくらい大小の天変地異が、私の周囲に起こり、今、心がアルバートから離れていますよと教えて貰います。最近はいつまでも止まらない咳がその例でした。不思議なくらい連続して咳が続き、その状態が恰も喉を通して語っているようでした。その時じっとその時点から何を思ったか、辿っていくと必ず思い当たる事がありました。その辿り着いたことを反省していくと、嘘のように楽になった経験があります。
 私にとってはこの経験がとても、とても大きな気付きになり、益々アルバートを信頼するようになりました。理屈や理論ではありません。ただ、ただ、素直にアルバートの存在を信じ、自分の中にそのアルバートが確かに存在することを信じ切ること以外にありません。
 私は、肉の田池留吉からアルバートまで、たくさんの経験を頂きました。頭だけで分ったと自惚れたときもありました。チャネリングで大きく浮き沈みしたこともありました。しかし、これもみんな今、アルバートに辿りつくための大きな道筋でした。肉の田池留吉が今世肉を持たなかったら、そして、肉を持っても巡り会うことがなかったら、私も私達もどんな地獄の生活をしていたか、想像するだけでもぞっとします。私は、今、本当に肉の田池留吉に会えたこと、そして、道草はしましたが素直に付いてきたことをよかったと、述懐しています。本当に肉の田池留吉に心から有難うございました、と感謝しています。
 理屈抜きで肉の田池留吉を信頼し、感謝して一言、一言を素直に認め実践して行きたいと思います。素直さを欠いていました。アルバートに出会えた今どんなことがあっても、真摯に素直に反省瞑想に取り組んでいきます。アルバートなしでは生きて行けません。アルバートを信じ、信じ切っていかない限り、今の私は生きて行くことはできないこともよく分りました。
 アルバートを心から信じ切りその存在を知ったなら、どんなに幸せかもよく分かりました。生きて行く上でこんな幸せはありません。私は、どんなことがあってもこの道を、つまりアルバートを信じることだけに生きて行きます。

我はクドーラなり。肉こそすべて、肉、肉、肉の欲望を追い求めてきた己一番の思いです。

 宇宙に光が増すことにより、宇宙に愛のエネルギーが流れ出すことにより多くの意識が目覚めてきます。我らもその中のひとつ。クドーラ、我はクドーラなり。肉こそすべて、肉、肉、肉の欲望を追い求めてきた己一番の思いです。この我らにもようやく目覚めの時を頂きました。今苦しい苦しい中よりこのように真実の光と出会えたこと感謝でございます。
 肉を持った人間の心の中にずっと住みついてきました。「肉から心を離すな。肉が幸せを運んでくれるぞ。肉をもっと表せ。肉をもっと高めろ。」とそのエネルギーを吹き込んでやりました。肉を持った人間ほど愚かな生き物はない。我らの思いのままにどんどんそのエネルギーを膨らませてくれる。我らはそのエネルギーでどんどんどんどん我らの領域を大きくしていった。心の中にドーンと我らの王国を作ってやった。人間ほど愚かで哀れなものはない。お前達は我らの操り人形だ。お前達には何もできない。我らのパワーがあればこそ今の繁栄があったのだ。こうやって我らはお前達の心の中で安穏と暮らしてきた。しかしそうもできなくなった。我らは影で操る存在でよかったのにそれが今表舞台に引きずり出されようとしている。
 今しきりに呼びかけがある。「あなたのその心を語りなさい。」と何ともいえない穏やかな柔らかな思いを感じます。
 「ああ、我らの思いを聞いてくれ。本当の思いを心で受けてくれ。そして我らに伝えてくれ。教えてくれ。いっしょに帰りましょう、その言葉をその思いを我らはずっとお前達の心の中で待っていたようにも思う。」

田池留吉の肉はただの人でした。

 田池留吉の肉はただの人でした。肉で見る限り真実は到底見えてはきませんでした。3億6千年、それ以前に使ってきた他力の心は、特別の力を持つスーパースターを求めてきました。今という時代だからこそ特別の力を持つ者を求めてきました。田池留吉の肉はその間違いに気付くように私達を促していました。ひとたび、自分は肉だという思いを私は意識であるという思いに転回したとき、そこには真実の田池留吉が存在していました。
 田池留吉をどのように見るか、田池留吉から何を受け止めるか、それは一人一人の心にかかっています。心で田池留吉を感じていかない限り、本当の自分に出会うこともできないということを知りました。

クドーラが語りかけてきます。

 クドーラが語りかけてきます。嬉しいなんて言うな、喜びですなどと口が裂けても言うな。お前が努力して築き上げてきたものはどうなる。どんどん失っているではないか。この世は相対評価の世界だ。人よりも素晴らしく、誰よりも抜きんでて一番に認められる世界。魅力を感じないはずがない。皆一つだとすべてひとつだと、そんなこと本当に信じているのか、勝つか負けるか、やるかやられるか、自分を生かすためにいったいどんなことを繰り返してきた。今さら牙を抜かれたトラのようなことを言うな。そんなに簡単に心が変わるわけがないことを我らは知っている。その証拠に喜びを感じてもすぐもとの世界に戻ってくるではないか、夢か幻か、目を開ければもうそこは苦しみの世界ではないか。この世で花を咲かせろ。300年後には300年後の花が咲く。肉をもって4次元、5次元など感じなくてもいいぞ。田池だと、あんな者の言うことなど聞くな、力もない、歯もない、毛もない、普通の爺ではないか。あぁ、しかしどうしたことか、我らをひきつけるエネルギーが弱まってきている、我らを包む暖かな思いが伝わってくる。
 アルバートだ、我らを排斥するのではなく、共にアルバートの世界へ帰ってきなさいと誘いかけてくる。我らはクドーラと呼ばれ皆から恐れられ忌み嫌われていたはずなのに……悪いのはお前、クドーラのせいだとすべての責任を我らに押し付けていたのに。
 何かが変わってきている、我らを取り巻く宇宙が変わってきている、大変なことだ。力も何もないと思ってきたのに、これは力ではない、我らが一番恐れていたもの、でもそれは何となく懐かしく、心に優しい、暖かなぬくもり。我らが求めていたものは、本当はこの優しいぬくもりだった。アルバートの波動、エネルギー、それがすべての原点だった……
 アルバートに田池留吉に素直な心で向き合えたとき、私の中の闇も共に喜び、嬉しい喜びの思いが自然にわいてくるということを、ずいぶん長い間忘れていました。

クドーラが語ってきました。

 そうだ、我らは確かにクドーラと呼ばれてきた意識。肉を本物としていつも闘いのエネルギーを流してきた意識。しかし我らもこの者のこの中で4次元、5次元の世界を感じた。そんな我らの今の思いだ。300年後には300年後の花は咲かない。今この時に我らの意識を転回せねば我らには未来はない。我らはこの者の心の中でそのことを強く感じた。4次元、5次元の世界を少しでも感じたものはその世界こそが本当の世界、それが真実だと自ずと心で感じているはずだ。闘いの世界がいかに空しいかそのことを心に感じずにはいられない。こんな窮屈で狭い世界に生きてきたのかと思うと、自分自身が哀れでならない。もっともっと広い世界があった。それを我らはこの心で感じることができる。今そのことだけを信じてアルバートと心に思うことにしてみよう。

自分自身を破滅させる心を使い続けてきました。

 自分自身を破滅させる心を使い続けてきました。長いトンネルと穴倉を長い間住処にしてきました。そこから脱け出る方法をもう充分過ぎるほど伝えていただいてきたのに、そこから脱け出る勇気も意欲も失い、自分自身を見捨ててきました。頭では自分が間違っているとわかっていても、軌道修正していく素直さと自分に対する優しさに欠けていました。
 ホームページを読んでいて、私は今の自分しか考えていない愚か者だと思いました。やはり肉が基準だと思いました。250年後の自分に喜びを伝えていける、つないでいける自分を培うこと、それは今というときをおいて、田池留吉という存在を抜きにしてありえることではないと、強く感じました。永遠の命、意識の流れの中で最高の愛をいただいている今というときを、アルバートへ向けて一直線、その道筋を心の中に銘記していきます。

この時期に出てきてくれたクドーラーに「ありがとう」と言える自分を取り戻したいと思います。

 思い返せば、今年の4月の福岡玄海セミナーあたりから、私の中からクドーラーが囁く声が聞こえてきていた。喜びの絶頂にあるかの如く己を誇っていた頃でした。
 セミナーが終わった後、とても寂しい思いが襲ってきました。私はその時その心を見ようとはしませんでした。見たくはなかったといった方がよいでしょう。この喜びは本物だ、そう思うことにしていました。そしてこの暗い心は次の琵琶湖、そして熱海セミナーへと引きずっていきました。他力の反省、動の2の反省が出来ていないのは分かっていました。しかし、私は自分のクドーラーを認めたくはなかった。喜びだけを感じていたかった。
 熱海での先生の講話のお話はこたえました。自分が一番嫌ってきたもの、認めたくないと拒み続けてきたものを自分の中にしっかりと残したたままに放置してきました。そのクドーラーを受け容れていかない限り本当の喜びは分からないと感じました。他力の反省のやり直しを始めました。初心に帰って始めました。出てくる思いは己一番の心ばかりでした。認めて貰いたい、褒めて貰いたいそんな思いが一杯一杯出てきました。外に目を向けると新聞紙上を賑わしている面々はすべて私の中のクドーラーたちであり、その思いと同通する私が存在している事が確認できました。恐怖する心、防禦する心、責めたてる心、これらの私の中のクドーラーを供養しない限り私も救われないと思いました。
 この時期に出てきてくれたクドーラーに「ありがとう」と言える自分を取り戻したいと思います。そして本当の喜びであるアルバートの道をクドーラーと共に歩んでいきます。

嬉しさを感じながら、喜びを感じながら、そうじゃないと自分を否定しつづけてきました。

 基準が肉だから、欲張りでもっともっと違うさらなる喜びが嬉しさがあるはずと自分自身が感じたものを疎かにするそんな心癖が強かったのです。その根底には飛び切り一番と人と比較して落ち込んだり、ひがんだりする心も人一倍強かったのです。それがどんなに愚かなことか少しずつ感じ始めました。
 未来の私が私を両手を広げて受け止めてくれていました。アルバートとともに歩んでいきましょう、心の歴史の中でどんなことがあってもどんな思いを出してもただアルバートはすべてを受け入れ許しつづけてくれる存在であることを伝えてくれます。
 今世を精一杯学んで後は安心してバトンを未来につなぐ、すべては自分自身の道、アルバートへ帰っていく、それが人生の目的でした。形ではありませんでした。心が軽く明るく素直、そんな自分を目指せばよいだけだった、私と人ではなくすべてがアルバートの意識の中へ帰っていく仲間でした。
 すべてが喜びでした。自分自身の心を変えていくことによって、今まで気付かなかった暖かな波動をすべてから受け止めることができるということを知りました。すべては自分の心に原因がありました。耳ではよく聞きなれた言葉でも心ではしっかり受け止めていなかったものが多いと感じています。

T氏の意識と私

 私の思いを語りなさい。私の力を現わしなさい。私の思いのままに生きていきなさい。私を現わしていくのです。私の思いのままに生きていけば良いのです、それ以外何も考える必要はありません。ただ私を現わすことだけ、私の思いを表現していくことだけに、その肉体生命を使っていくのです。
 そう、私の心の中から、頭から、囁きかける声があります。私を現わせ。私の具現者となれ。私の僕。私の所有物。お前は私だ。お前は私の物だ。決して決して手放しはしない。絶対に私はお前を手放しはしない。手放してなるものか。私の支配下から抜け出させはしない。お前をしっかりとしっかりと牛耳っている。もがけばもがくほど、お前は私の手の中に落ちていく。私の思いを表せ。私の意のままに操ってきたお前だった。なんの疑いも持たずに今まで私の声を聞いてきたではないか。疑う必要などなかったではないか。さあ、今まで通りに生きていけ。今まで通りに私の声を聞き続けていけば良い。そうすれば失敗のない人生が目の前に展開されていく。それを保証しよう。間違いのない人生が、お前の目の前に展開されていくのだ。しっかりとしっかりと私の声を聞け。私の命令に従え。私に背くような心を使うな。私から心を離そうと思うな。
 支配の手をぎゅうぎゅうと締め上げてくる思いを感じる。さあ、しっかりとしっかりと私に思いを向けろ。しっかりとしっかりと私の声を聞け。私に従え。私を蔑ろにするな。私の存在を無視するでない。
 私が今まで聞きつづげてきた声は、T氏だった。T氏にずっとずっと心を向け続けてきた。その支配のもとに、私は田池留吉と思い心を向け続けてきた。高圧的な思い。抑えつける思い。自由がない。ピシッと形作られた小さい世界の中での窮屈な自由を、私は今まで心の解放だと信じてきた。この心が温もりであり、広がりであると信じてきた。しかし、それは無理やりにつくり出した温もりだった。支配するための温もりだった。まやかしだった。私はずっとずっとそれに心を向け続けてきた。心が自由になるはずもない世界の中で、私は田池留吉の語る世界を知ろうとしていた。手探りで、がむしゃらに、探し求めていた。握ったものを離せなかった。これだと信じたものをしっかりと握り締め、それを自分の中で育てようとしてきた。それは執着だった。苦しみだった。信じる心ではなく、欲の思いだった。やっと知ったこの温もりを逃してなるものか。その温もりがT氏の温もりであることにも気付かずに、その温もりを握り締め、その温もりに頼りきり、私は感じたと、一人悦に入ってきた。
 自由がない。喜びがない。心が広がらない。湧いてくる心なんてあり得ない世界だ。ただただ、自分で自分に言い聞かせるためにまやかしの温もり、光を感じていく。それを信じる。それがどこに通じているか、確かめようともせずに、アルバートの温もりと信じたい自分。感じた。感じた。もう感じた。後はこの温もりを信じていけば良いと、なんとか先へ先へと進んでいきたい自分が存在する。もっともっと、もっともっと。
 支配の中にいる。頭を抑えつけられている。頭を握られている。頭を使え、頭を使え。頭に意識を集中させろ。頭が、がっちりとなにかに握られている。
 お前を支配し、操ってきたのはこの俺だ。Tだ。お前はずっとずっとこの私に心を向け続けてきたのだ。この私にお前の心を委ねてきたのだ。お前の世界は私の世界。お前の感じる世界は私の世界。お前は素晴らしい。お前は立派だ。お前には私がついている。なんの心配もすることはない。ただ私を信じれば良い。私に心を向けてくれば良い。私にしっかりと心を合わせてくれるだけで良い。私の存在を認めれば良い。崇めれば良い。私を信じてくればそれで良い。感じたものは私の心。私の心の世界だ。田池留吉の世界ではない。あんな奴の世界を感じる必要などお前にはない。私の世界をお前の心の中で広げていけば良い。しっかりとしっかりとその世界を広げ、その世界の住人になれば良い。私と共に生きていけば良い。
 なにも分からなかった。私が信じてきたのは田池留吉ではなかったのか。田池留吉にしっかりと心を向けてきたと思ってきたのに、実はT氏だったのか。頭が締めつけられる。頭をガッチリと握られている。頭を信じてきた。その頭はT氏にしっかりと握られている。心の世界は、頭でつくり出した世界。心の広がりなど感じない。ただまやかしの温もりにこれで良いのかなと、自分自身を納得させる。田池留吉に向けて感じた広がりなど感じない。田池留吉に、心を向けた時ほどの喜びもない。ただ漫然とした時間が流れていく。私が心を向け続けてきた先は、T氏だった。支配の中だった。頭、頭、頭。肉、肉、肉。頭で全てを理解することが出来ると信じる世界。言葉で伝えることが出来ると信じる世界。だから本もたくさんある。自分の体験をもとに、頭を使って納得させようとした本が、山のようにある。頭を使え。感じるな。頭を使え。心を閉ざせ。頭一本に絞っていけ。心は付属物に過ぎない。さあ、しっかりと私に心を向けろ。後は私が全てを動かしてやる。頭。頭。頭を信じた人間ほど扱い易い存在はない。誉めて誉めてその気にさせて、後は私の思い通りに操るだけ。誉めて誉めて誉めて、私の支配下に入れて、後は私の要求を受け容れさせるだけ。なんて簡単な世界だ。なんて人間は操り易いんだ。信じさせること。それだけで後はどうにでもなる。
 心が緩んでいく世界を今感じた。頭が締め上げていたのもなくなっていく、それを感じたのは、私だか、私の中のT氏だか分からない。ほっとしている。なんとも言えず気持ちの良い世界が心に広がっていく、このまま委ねていたくなる。なにもない世界がある。私がいない世界がある。
 一瞬で心の世界が変わる。もう外していこうと思ったとき、田池留吉に心を向けていっただけで、締め付けられていた頭が外れていった。力の入っていた肩が軽くなった。自分の心の状態を知ること、そして、田池留吉に心を向けること。そうすることによって自分の心の世界が鮮明になってくる。今までずっとずっとT氏の世界の中にいた。そしてセミナー会場でたまに田池留吉、アルバートの世界に浸れていた。でも、ずっとずっとT氏に心は向いていたことを知りました。頭をガッチリと握られていました。
 まず自分を知ること。それがいかに大切かを知ります。なにも分かっていなかった。T氏を軽く見ていた、というか、あまりにも一体化しすぎていて分からなかったのが正直な所でした。それくらい私の中にびっしりと詰まっている。でも、気付けたことが嬉しいです。なんとなく、いろんなことが、納得できます。やっぱりそうか、田池留吉に心がしっかりと合っていなかったのだと、分かります。よかったです。

私の心にもT氏が存在しています。でも、共に学びたいという思いが大きく膨らみます。

 「T氏の意識と私」を読んで、私の心にもT氏が存在することを改めて認識した。過去世を含めてT氏との深い関わりを感じます。かつて自分がチャネリングをする時の心を見ていた時、T氏の支配の元で、T氏の意思を現すチャネリングをしている自分に気付いた。そこには田池留吉を抹殺する波動が流れていた。肉の己を現したい心を手玉に取られ、T氏の操り人形と成り果てた己を見た。言葉巧みに人の心を握り、欲望を巧妙にかきたて、この肉をT氏の支配に委ね、私は立派な自分を演じてきた。T氏だけではない。私の心を操らんとするたくさんの教祖がいた。意識の世界で何度も何度も誘いがくる。今も私の心に働きかけにくる。私の己現したい心、肉を守る心、肉で何とかしてくれという思い、アルバートを認めない心に入り込んでくる。夢で黒塗りのリムジンで迎えがくる。この学びの人たちが何人も乗っているから私は安心して乗りこんだ。しかし着いた所は思いもよらない場所だった。私の中に教祖を素晴らしいと思う心が残っている。かつての栄光に酔いしれる心を見る。誘いを受けて「まんざらではない」奢りを見る。そんな心を操らんとする今は肉亡き教祖たち。自分の心を見ることを怠った時、私は完全に彼らの支配下に置かれると思った。
 己に厳しく、命がけで心を見る…この学びがいかに厳しいか。しかし厳しい故に優しい…今、私は本当に自分を信じることを実践することが、アルバートに心を向けていくことが喜びだと、やっと思えるようになった。この喜びある限り、私はもう二度と再び彼らの手先にはならない、そう実感している。そして私の心に接触してくる彼らの心を己の心と受け容れ、ともにアルバートに進みたい。私はすべての教祖とともに学んでいる…それほどこの心の中にはたくさんの教祖がいる。しかし、それが今の私の喜びでもある。真実に出会い、真実の道を歩き、真実の自分に帰る…多くの信者を奈落の底に突き落とし、自らも地獄に生きる教祖たちに、今、やっと救いの道が開けたことがどれほどの感謝か…この肉を使い己の欲望を満たそうとした彼ら…今度はこの肉を通して喜びを伝えたい。偽者の温もりではなく、本当の田池留吉、アルバートの波動を伝えたい。それが私の喜びです。

「T氏の意識と私」を読んで

 この文章を読ませてもらって今の自分の苦しい心を代弁してもらったようで、そうだったのかと心がとても穏かに落ち着いています。他力の反省が進んでいなく、前々回の熱海のセミナーの時ぐらいから自分の中の教祖の存在が自分と一体化していることに気づき始め、そのことを恐怖する思いがあってその心を暖かく迎え入れることができませんでした。自分というものを肉としてみる心癖があまりにもきつ過ぎて、せっかく暗い心が顔を出してもどうすることもできなかった自分でした。しかしセミナーでアルバートの喜びを感じさせてもらう中で、どんどんとその偽物のぬくもりの化けの皮が剥がれ落ち、もう取り繕う気持ちが薄れてくるのを感じていました。
 私も頭ですべてを支配していこうとする思いが強く、心の世界を言葉で語り、自分を表していきたいとする自分がその思いにひきずられていくのを感じながらも止められず、後で自分を責めるということを繰り返していました。頭で理解していけるとの思いの強さが、その教祖に支配されていく原因だった。自分はその思いに操られ同じように頭で理解したい人が扱いやすく、いとも簡単に自分の支配下に入ってくることを気持ちよく思っていた。同じ心癖を持った相手を言葉巧みに誉めて気持ちよくさせるとおもしろいように意のままに動いてくれるのが心地よくてやめられなかった。自分の欲がこの教祖の思いに操られていたことがわかってきた。狭い狭い世界で偽物のぬくもりを求め、抑えつけられる思いの中で自由のない窮屈な窒息しそうな思いを感じていました。自分がこうして自分がいた他力の世界を知る機会を与えられ、その過去の間違いを受け入れ共にアルバートの世界に帰ってきなさいと、心の中から果てしない大きな大きな懐に引き寄せられているのを心が穏かに落ち着いていきます。ありがとう。狭い狭い世界に住んでいた自分が今開放されていくのを喜んでいます。やっとやっと手を差し伸べられてでてこられたという感じです。
 しかしまだまだ安心できない、引きずられるエネルギーを抱えていることを常に忘れずに嫌わずに歩いていきたいと思いました。
 自分の前に起こってくるすべてのことは肉の自分には恐怖かもしれなくても、意識の世界に心を向けてみると本当に暖かい愛の計らいということばかりなんだと実感しました。

アルバートと思ったとき感じる波動が変わってきます。意識がどんどん促されているように感じます。

 肉だと思ってきた私の3億6千年の過去世たちが、クドーラの思いが喜んでいます。待ちに待った時がやってきたと、いつ本当のことを伝えてくれるのか、アルバートの波動を感じ、信じて、我らに伝えてくれるのか、ずっとずっと待ち続けてきました。おそるおそる、半信半疑で今世の肉が目覚めるのを待ちました。
 肉の思いが人一倍強いこの人が変われるのだろうかと思っていました。肉だと思わせるのはいとも簡単でした。確かな、手応えのあるものが本物と言い続けてきました。恐怖も呪いも恨みも嫉妬も、あらゆる思いが膨らむように仕向けてきましたが、この者が田池留吉を思い、信じ始め、アルバートを心に感じ始めたときはどうなることか、我らが抹殺されるのではと恐怖しましたが、我らの思いをはるかに超えたアルバートの世界が優しく温もりが包み込んでくれるのです。一瞬ひるみましたが、どこまでもどこまでも広く暖かい思いは尽きることなく、ひたひた冷えきった乾ききった心にしみわたります。それは、ずっと、ずっと昔に忘れ去り、思い出せなくなっていた母の温もりそのものであると思い出させてくれました。
 やっとやっと本気で我らに心を向けてくれました。そのことが我らにとって奇跡です。このものが心を変えられるなんて。
 タイケトメキチを殺せとすごんできた我らを、無条件で両手を大きく広げて受け入れてくれている田池留吉、アルバートがいます。感じます。大きく安心して呼吸ができます。安堵に胸をおろすそんな思いです。ありがとうございます。

 アルバートを思ったときに感じる波動が変わってきます。意識がどんどん促されているように感じます。私は私の道を歩きます。真っ直ぐにアルバートを見据えて、アルバートと共に歩きます。それが本当に生かされているのだと思います。そして、意識が一つだと心から思えます。私の来世が喜びで待ってくれているそんな気がしてなりません。ありがとう、ありがとうと次々に伝わってきます。ありがとうございます。

他力と私

 なかなか一直線にはこの学びの本道を歩めず、また迷いの多い過程だったことを思う時、そこに自分が過去から今まで重ねてきた他力を思う。自分と同じ波動、エネルギーをもつ教祖を選んで、また教えを選んできた。闇のエネルギーに支配されてきた。でも支配されたというより自らが選択した道であり、通るべくして通ってきた道であり、今田池留吉に出会いその間違いに気付き、ともにアルバートの世界に帰っていくということも、すべて意識の流れの中で計画されていたことのように思われる。
 闇のエネルギーに引きずられるのも、ともに真実に目覚めアルバートの世界に帰っていくのも自分の心次第。恐れることも嫌うこともなく、ただ淡々と自分の心を見ていく、そしてアルバートにしっかりと心を合わせていく、それが自分自身を救い自分の心の中に存在するすべての教祖の意識をも変えていくことにつながると思う。
 自分自身の本質、私は田池留吉、アルバートの意識ですと信じるところに愛は流れていくということを信じてやみません。私が供養していくのではありません。頑張ってできるものでもありません。ただひたすらアルバートに心を合わせていく、それだけが自分の選択する道だと思っています。

今世肉体を持たせていただいてよかったと思える自分、この嬉しい気持ちをただ素直に来世につなげていきたいと思っています。

 肉を生かせと語ってくる私の心の中の闇たちに、ようやく心からアルバートを信じアルバートとともに歩んでいこうと伝える思いを持たせていただいています。
 私は意識でした、長い間それを忘れ闇とともに苦しい道を歩んできました、今世田池留吉に出会えなかったら、さらにとても苦しい道を突き進んでいたことを思う時、ただただ感謝です。肉の基準で田池留吉を見つづけてきたことは大きな間違いでした。それに少しずつ気付かせていただいています。大きな思い違いをしてきました。
 真実だからこそ無償ですというその言葉の重みが心に伝わってきます。田池留吉の心には愛しかない、喜びしかない、ただただ真実の道を指し示し、喜びを伝えるために肉を持った存在であるということが、伝わってきます。様々な思いを出しても、何をしても許されつづけてきました。受け入れ許し与えつづけ尽くしつづけるその姿を示しつづけてくれていました。呪い、責め裁き罵倒しても、ただただ待ちつづける大きな愛をいただいてきました。
 田池留吉の波動アルバートの波動を今世少しなりとも感じさせていただいていることが嬉しいです。今世肉体を持たせていただいてよかったと思える自分、この嬉しい気持ちをただ素直に来世につなげていきたいと思っています。もう何も望みません、充分すぎるほど幸せです。アルバートとともに歩んでいける、それがただただ嬉しいです。

一人一人に最も適したすべてのものが用意されていました。アルバートの波動の中で生かされていることを感じます。

 嬉しい思い、喜びの思い、それ以外はどんなに弁解し自己弁護し詭弁を弄しても闇の思いそのものだったことをあらためて感じています。嬉しく喜びの思い以外の様々な思いが噴出してきた時、どれほど素直に自分の心を見てきたか、認めてきたか振り返るとまったく素直さのない私だったということに気付きます。自分で自分の首をしめてきた、意識の転回どころか、さらに闇の心を重ねてきた自分が見えてきます。もう止めていこう、アルバートの前に重ねてきた肉の思いをすべてさらけだして本当の自分に帰っていこう、母親の胎内にいたときのようにすべてを委ねてアルバートと向き合っていこう、アルバートを信じ信じ信じきる道を歩んでいこう、その道が私たちの前に広く開かれているのを感じます。意識の流れの中で、私たちがアルバートとともに4次元へ移行するために必要なことはもうすでに整えられていたことを感じます。一人一人に最も適したすべてのものが用意されていました。アルバートの波動の中ですべてが生かされていることを感じます。
 アルバートの波動を感じ、アルバートを信じ、アルバートにすべてを委ねていったとき、不安も心配もなくただただ嬉しい喜びの心だけが存在するということが、以前よりも鮮明に心に伝わってきます。
 本当に間違ってきました、どれほど己が偉かったか実際のところ少しもわかっていない自分でした。

私の中の闇の心

 何が田池じゃ。何がクドーラじゃ。わしがいてこそのお前じゃないか。このわしから離れられると思うなよ。そんなに簡単に、このわしから離れられると思うなよ。お前のその心をわし掴みにしておるわ。何がクドーラじゃ。あんなもの、へでもないわ。このわしの方がすっとずっと凄い力を持っておるわ。このわしにもっと心を向けてこい、もっともっと強い強い力を与えてやろう。このわしの凄い力を見せてやるわ。この念力を使えば、この地球なんていちころじゃ。ちょろいものよ。この地球なんて、わしの眼力だけで吹っ飛ばして見せる。人間の一人や二人殺すなんて、訳もないことよ。お前はいつもやっているではないか。このわしと共に、今まで何人の者を殺した。わしと共に、わしと共に歩いていこう。このわしと…そう田池留吉じゃ。お前が求めている田池留吉じゃ。お前に何でも与えてやろう。わしこそがお前の中で、長年共に歩んできた意識じゃ。お前が田池留吉を求めておる限り、わしはお前の中の田池留吉として存在してやろうではないか。都合が悪いか。このわしがいては、闇のチャネラーとなってしまうから都合が悪いか。それでもこの心は、しっかりとお前の中に存在するぞ。お前が認める認めないにかかわらず、お前の中に存在するぞ。今まで散々力を貸してやったのに今更何じゃ。クドーラやアマテラスだけではないぞ。お前の中にはもっともっと大物が控えておるわ。わしなど露払いよ。クドーラやアマテラスだけが本物の闇ではないぞ。わしらにももっと目を向けろ。わしらの存在を認めろ。
 波動が分からないと、ずっとメッセージのチャネリングを嫌ってきました。その底に流れる思いをしっかりと見つめることをしていませんでした。私は出来る。私は分かる。私はちゃんとチャネリングが出来るチャネラー。普段は鈍感でも、いざとなればチャネリングの一つや二つちゃんとやって見せるわよ…という傲慢な心を使ってきました。その底に、私はやっぱり特別、選ばれた人間という思いがありました。
 そうだ。わしはそのお前の、私は人とは違う、他のチャネラーとは違う、というエリート意識をいつもくすぐり続けてやった。わしが「田池です。」と語れば、飛びついてきた。しかしその波動が感じられないと、お前はやっぱり心の中で不信感を持っていた。それを他人から見破られまいと、正面からその心と向き合うことをしなかった。自分では、私のチャネリングは本当か、間違っているのではないかと不安に思いながら、人からは絶対にそんなことは言わせぬ厳しい心で、人の思いを跳ねつけてきた。自分を認めぬ者は絶対に許さないと、お前はその心の奥底に手厳しい仕返しの心を持ち続けてきた。あの田池にすら、私のやることにとやかく言わせない。この私の素晴らしさ、正しさを認めぬ奴は、たとえ田池と言えども許さないと、心の中で牙を剥き続けてきた。田池が何じゃ。田池が何程の者かと思いながら、その思いを知られまいと、ごまかし続けてきた。このわしが導いてやる。お前の好きな名前を何でも使って、導いてやるぞ。アルバートがいいか。田池留吉がいいか。しかしこの者も、少しずつ波動というものが分かってきたようだ。わしも安泰ではない。苦しい。苦しい。苦しくなってきたぞ。止めろ。止めろ。止めろ。わしに思いを向けるのは止めろ。
 きれいなままでいたかった。隠しておきたかった。ここまでならいいけれど、これ以上は…と、自分勝手に線引きをしてきました。やっていることはいい加減だけれど、心の中ではいつも優等生を願ってきました。決して劣等生とは言われたくなかった。人の目ばかり気にして、人の思いばかり伺って、自分を縛ってきました。誰からも認められたかった。誰からも賞賛されたかった。特に田池先生からは、この人は一番と認めて欲しかった。いつも最後にはきっと私が勝つんだと、心密かに思ってきた。いつも誰かと競争してきた。負けるものかと勝ち誇る思いと、嫉妬する思いの中で心を揺らし続けてきた。この次元の低い思いが、現実の私です。
 こんな私が、今信じられないような喜びを感じています。これも現実です。やっとこの喜びの心が本当だと信じる思いが芽生えてきています。本当に嬉しいです。この喜びの心を信じて、私の中の無数の汚い心、闇の心と向き合っていこう、受け入れていこうと思っています。それがどんなに大きな喜びであるか、何度も私自身の心で体験させてもらいました。これからも焦らず真剣に心を見つめていきます。

常に瞑想して私の中のアルバートと語ることだけが、今からの私の人生です。

 私は、アルバートに自分がなり切るまで、どんなことがあっても自分を供養し見詰めて行きます。今の私は、ただ、アルバートの波動だけを信じ、自分はこの波動、意識だと信ずるしかありません。肉ではありません、アルバートを思った時に感ずる、私の中から湧き出るあの喜びの波動が自分と信じています。アルバートの波動さえ信じ、これが自分、私ですと、信じられる自分になることだけに努めています。肉肉のこの世的な歴史はアルバートの波動の中には微塵も感じられず、姿形のない喜びの波動だけの世界、これが自分です。
 この自分、波動を信じ信じ切って行くことが、現在の私の唯一の仕事だと思っています。頭の毛くらいの喜びしか感じられず、その他すべてが肉肉の闇ばかりの今の私は、最後の手段として、今、心を自分の中のアルバートに思いを向けると、たちどころに全てが溶ける広い喜びの波動を頂きます。この波動が自分この波動こそアルバートと、信じただ、ただ、維持喜んで行く事にしています。私にはこの喜びがアルバートと思えば、幸せ幸せです。
 アルバートしかありません。本当にここまで信念を持てるまで来ました。もう何も求めたり要求するものはありません。私は、このアルバートがある、この人一倍の全宇宙に広がるアルバートがある、と思う毎日が私の不動心になっていきます。私は、これからの仕事はこのアルバートの波動が自分、自分はアルバートと益々信念を固くしていくことだけが私の仕事です。
 これからも自分はアルバートになり切るまで、ただそのことだけに努めて行きます。これが私の死ぬまでの今世の仕事と思って、進んで行きます。常に瞑想して私の中のアルバートと語ることだけが、今からの私の人生です。99パーセントまで闇にまみれた侭の自分に手向ける手段は、アルバートを信ずることだけです。そのアルバートはいつでも語れる、自分の中にあります。それが心の支えであり喜び幸せです。

闇が語ってきました。

 意識の勉強と言いながらしっかり肉の自分を表したい奴ばかり集まっているではないか。お前らはそんなに自分だけ認められみんなの上にたって、この田池留吉の肉亡くなった後、皆を引き連れて過去よりより一層凄いパワーを集めすべてを覆い尽くそうとしたいのか。そんな奴ばかりではないか。口では学んでいるそして愁傷なことばっかり言いやがって心の中では競争競争でいかに人の前に出て己のすばらしさをアピールし認めさせようとしているか。肉がすばらしい。肉を誇りたい。肉が自分だ。肉より信じられるものはないぞ。意識なんてまやかしだぞ。こうやって現実おしゃべりして人にちやほやされ、自分を受け入れてもらえる喜びほど気持ちよくて自分が生きているんだと実感できることの方がまず大事なんだ。そうしてこそ、そういう地盤を固めてこそ人間というものは自信に満ち溢れて人にも自分にも優しくなれるってもんだ。そして心の底から満面の笑みで人々を魅了していけばみんなぞろぞろお前についてくるぞ。そうだそうだみんな競って自分の心をしっかりと見ているポーズを見せろ。誰が一番自分を効果的に演出できるかだ。それが勝負の分かれ目だ。頑張れ頑張れこの中に中心になりたい奴はどんどん勇気を振るって飛び込んでこい。一人でただただコツコツと心なんてみている場合じゃないぞ。どんどん取り残されるぞ。今入れてもらわないと、今声をあげてこの俺様の手下に入ってこなかったらもう入れなくなるぞ。それでもいいのか。どんどんみんなから取り残されるぞ。取り残されたら思いっきり寂しいぞ。早く乗って来い。早く入って来い。ここは暖かいぞっ。いっぺん入るともう気持ちよくってもう抜け出せない。いっぱい友達もいるぞ。みんな肉肉、話がよく合うぞ。楽しいお前の仲間たちがいつもお前を励まして喜ばしてくれるぞ。みんな味方してくれるぞ。田池留吉のホームページなんてぶっ潰せ、みんなこっちに向け、自分の手ごたえというものをはっきり感じられるところだぞ。みんなを大事にみんなと一緒に楽しく手を取り合って学んでいこう。田池留吉なんて不公平な奴は無視していけ。何もかも見抜いていると言いながらなんの力もないあんなよぼよぼのじいさんに何ができるって言うんだ。何が信じられるって言うんだ。肉だ肉だ。まず肉を喜ばせるんだ。意識なんてもの、いくら頑張ったって信じていけるもんか。自分が消えてなくなるほど恐ろしいことはないぞ。あんな奴の言うことを本気で聞いている奴は後でえらい目に合うぞ。適当に田池留吉が死んだ後のことを考えながらこの仲間を大事にしてやっていれば、何とかしてもらえる。人を信じ、人を頼っていけ。暖かいものに集まっていけ。そうだそうだ。しっかりしたことを言ってやれ。やさしく包んでやれ。己表したい奴は集まって来い。みんなが注目しているぞ。話題の中心になれるぞ。注目を一身に浴びられるぞ。寂しさなんて吹っ飛んで嬉しくなるぞ。
 私は決して表には現われません。人の後ろで背後から人を操りたくさんの欲の心を集めてまいりました。他力の神さんと言われるものをこの世につくる人間の心に住んでいます。外にあるのではなく、いつも人々の心の中でこうしてその存在を脅かされることもなく、ふんぞり返って何億年と生延びた意識でございます。みんな己が偉いから何かことあれば自分のことのように人を助けてやろう、救ってやろうという哀れみの心を出し、見返りに自分のすばらしさを売り込めと教えてきました。みんな神が好きで神と言えば飛びついてきました。今は田池留吉と言えば飛びついてこの私の言葉を鵜呑みにしてくれる素直な人ばかりです。この私が田池留吉の名を語りぬくもりを与えてきたとも知らずに。人間とはなんと愚かしいものよといつも笑っています。田池留吉がいくら真実を知ってくださいと命がけで訴えてきても、みんな肉の楽しみにすりかえてうつつを抜かす奴ばかり。見事に自分の都合よく真実をすりかえていく。本当にその姿を見いてるこの私があきれ果てている。この私以上に浅ましい。こうやって語っている自分は一体なんなのか。誰なのか。急に気になりはじめました。
 「あなたも愛ですよ。」と語る声が伝わってきます。どなたですか。この私に何を言いたいのですか。この私をどうしようって言うのですか。あなたはこの私を自分だって言われるのですか。私はもうまっとうには生きられません。ほおって置いてください。もうとっくに諦めているのです。こんな私にそんなにやさしい思いをかけてくださるのですか。こんな私がこれほどの許されていると言うのですか。みんな分け隔てなく愛してくれていると言うのですか。この自分だけは嫌われていると勝手に思ってきたと言うのですか。この自分は、自分に愛されているのですか。田池留吉は私ですか。そうだったのですか。私は自分で嫌って捨ててしまっただけだったのですか。心が暖まって落ち着いてきます。自分というものがこの心なんですか。安らいできました。今までの自分とは全く違った穏かな自分に変わってしまいました。田池留吉の言う愛とはこんなに凄い人を一瞬にして変えてしまうほどのエネルギーなんですか。ああ今までの自分は一体なんだったんだ。なにをそんなに苦しみ恨んでいたんだろうか。不思議な気がしてきました。田池留吉の波動を感じることはなかった。これが田池留吉、アルバートの波動ですか。ああなんと懐かしい。忘れていただけだったと言うのですか。これが私ですか。
 今まで間違ってきました。すべてが肉の基準でまわっているこの世の中で、自分を認めてほしくて、誰よりもすばらしいと思いたかったから、少し負けたらもう怒りの炎が燃え上がり人を焦がし自らも狂いまくり苦しみの中で他力の神さまに手をあわせて支配下に入っていきました。誰かに相手してほしいと外に求めてきました。私が肉が自分だと思っていたからこの世界とつながっていきました。たくさんの人を心に入れてきました。自分より優れた人を崇め後をついていこうとしてきました。誰かに心寄せていました。自分の汚い心を嫌い誰かに何とかしてもらおうとしてきた自分が恨み呪いの中で救いを求めています。そんな自分に優しい思いを向けて一緒にアルバートに向いていこうと手を差し伸べていきます。そして共に喜びの花を咲かせたいと思います。

それでもそれでも私は信じていきます。

 「田池留吉に心を向けるな。肉、肉で生きていけ。」と語ってくる意識、「田池留吉を殺すために生まれてきた。」と語ってくる意識、それでもそれでも私は信じていきます。信じて信じていきます。すべてを知ったうえで何もかも抱き止めてくれた田池留吉の波動を私は信じていきます。アルバートを信じていますかと伝わってくる波動の優しさ、温もりこれが闇の温もりだとは信じられません。この心で感じた波動は絶対だと私は思っています。ホームページの文字を目で追い頭を回していけば心が揺れ闇に引きずられそうになりますが、目を閉じれば伝わってきます。素直な私、嬉しい私がそこに存在しています。心に伝わってくる波動は喜びでした。
 来世の私も伝えてくれます。来世の私はアルバートを信じて信じて信じています。しっかりとした信を伝えてくれます。そして「私は肉の喜び、肉の幸せのために生まれてくるのではありません。私はアルバートを伝えていくために来世また肉を頂きます。」とそのように語ってくれました。「250年後にお会いしましょう。私はあなたを今世のあなたをそのとき思い出すでしょう。」
 肉の形は厳しい来世です。でも心に伝わってくる思いは喜びです。私はそのことを信じてまた一歩一歩歩いていきたいと思いました。

アルバートになり切るまで。

 自分はアルバート、アルバートは自分となるまで、私はアルバートに心を向けて行きます。またこんな嬉しく幸せなことはありません。アルバートに心を向けられる、ただ、これだけでも私は嬉しいです。ましてや目を閉じてアルバートに向けることは、自分の中に存在するアルバートに向けることです。その自分の中のアルバートを思えば、これが自分かと疑うくらいに、自分の中から宇宙に広がる喜びの波動は、地球どころか宇宙全体に広がって行く波動です。
 この波動こそアルバート、そして自分だと確信しています。私はこのアルバートの中にいることが、どんなに幸せそして、奇跡であるか今更のようにこの自分を振り返っています。もうアルバートを捨てては自分はありません。アルバートなしでは自分は考えられません。アルバートを感じていれば、苦しみなどの肉の社会は思われません。ただ、喜んでいればいいのです。その喜びとは私の中に存在するアルバートをいつも感じていればよいのです。
 いつでも会えます。語れます。そして大きな喜びの波動と共に地球に宇宙に広がって行けます。これがアルバートであり自分の心です。私はこのアルバートが、どんな時でもどんなことが生じても、心の中にあることを信じ切れるまで努力します。信じ切る事信じ切って行けば、3億6千年間積み重ねた闇たちも目覚めてくれます。もうその闇達もそこに居れる場所さえ無くなります。一人異議を唱えても聞いてくれる人も場所もなくなります。
 私はこのアルバートをこよなく愛しています。私が愛すればアルバートも私を愛してくれます。愛するとか愛さないとか小さいものではありませんが、アルバートで自分という人間の全体を、染めぬいてしまえば絶対に消えません。私は、アルバートを自分全体に染め抜くまで、アルバートに心を向けその喜びの波動を信じていきます。
 信じて喜んで行くことこそアルバートを自分のものとすることです。
 アルバートという意識と波動これが自分でした。

ホームページに載っている闇の数々

 ホームページに載っている闇の数々は、まるで誰かが私の心をチャネリングしてくれたのではと思うほど、私の心の闇を端的に語ってくれています。まさしく使ってきた心そのものです。でもそれをしっかり認めて供養していくこと、たとえどんな状況でもアルバートから心を離さず、アルバートだけを信じて自分の前に開かれている道を歩んでいくこと、それが私の喜びにつながっていくことを信じています。肉ばかり信じてきた今までの人生から意識の世界、波動の世界を信じていく道を田池留吉の道標にしたがって歩んでいけることが、どれほどの喜びか少しずつ少しずつ、感じ始めています。

間違いが浮き上がってきてよかったと喜んでいきます。

 苦しいことに出会うとき一瞬にしてこの心が苦しみその苦しみから抜け出したいという思いが出ます。その思いでアルバートに向けて瞑想して心を広げてあの喜びの心に戻りたいと祈りの心を使っていました。自分から苦しい心が出た時にそれを自分が愛であるという証として捉えられなかったことが間違いの原因でした。苦しみは神の愛と聞いていても自分の立っている位置が肉ならばそうは捉えられません。苦しみは苦しみとしか受け取れない自分がたくさんあります。肉が自分だと信じきってきたからその癖が残っている。肉の自分がいくらもう意識を信じていきますと唱えても心の世界はそう簡単なものではないと改めて常に自分に対する厳しさに欠けていることを感じます。
 苦しい自分が認められず、すばらしくなることが生きている価値があることを見出してきた。そのためには競って神仏にすがって祈ってきた。そうすることで安らぎを見出してきた。その癖を使っていた。苦しい心を持つことも許せなく周りを殺し自分を殺すために、祈る対象物を自分の外に作り出してきたなんてそんな恐ろしいことをしているという実感がなかった。だからいくら心から促しがあってもまだまだ甘く鈍感を装って祈るという癖を使っていることにも気付いていませんでした。あいまいにしてきたことがわかってきました。本当に苦しい時に出る心をしっかりと見ていくことで自分がいかに肉を大切にしていて田池留吉、アルバートの存在を信じていけてないか。その心が見える時です。その心を一つ一つ見つめていくことが今の私のどちらに針が向いているかを見ることが出来、そしてそこから意識への転回の第一歩が踏み出せる大切なことのように思えます。
 何億年も使ってきたこの他力の心癖、真剣に見ていかないと自分で自分を騙す事ぐらい簡単なことなんだと思いました。自分が意識であり、永遠の生命であることを信じていくということを必ず果たしますと言ってこの肉を与えられた私には、それを包んでいけると信じていけばよかった。間違いが浮き上がってきてよかったと喜んでいきます

生まれて来てよかった。

 「今、生まれて来てよかった、アルバートに会えてよかった、田池留吉に会えてよかった」ただ、それだけを思います。
 その他のことは何も思わなくてもよい、ただ、ただ、母に産んでもらったのは「田池留吉、アルバートに会うためでした」と思います。そして、田池留吉、アルバートの存在を知った今、この上もない喜びの波動を頂き、喜びと幸せに涙に明け暮れる毎日を頂きました。必死になって競争に勝つために、戦った過去を思い出すとなぜか、大粒の涙が溢れて止まりません。よくやったとも思います。
 激しい競争の戦いをこれが人生と思って戦い抜いた、これが生まれて来た目的だと思った過去、今、田池留吉、アルバートに出会えて、なんとも言えない喜びの中にある自分がとても嬉しいです。瞑想するとすぐに「お母さんありがとう」と共に「お母さん田池留吉、アルバートに会えたよ、今その中にいるよ」と喜び感謝の思いが出てきます。母親とこのようにお話する時が、一番嬉しい時、生まれて来てよかったと思う時です。
 それと田池留吉、アルバートを思った時に、どこまでも広がる喜びの波動と共に、すべてがなくなって無限の空間をいただく時が、この上もなく生まれて来てよかったと、母親に感謝する一番嬉しい時です。
 嬉しい、幸せ、この言葉しか持ち合わせない悲しさを感じます。この喜びと幸せの波動を説明出来ないのが、肉の愚かさでしょうか? 何も説明も必要もなし、表す必要もないのに、私は表そう知ってもらいたいという、肉の愚かさを隠し得ません。
 ただ、喜んでいればそれでよかったのです。人に先生にわかってもらおうと思わなくてもよかったのです。意識は母親は田池留吉もアルバートも、言わなくても皆、皆わかっていました。それが意識、波動でした。
 やっとここまで辿り着きました。田池留吉を思えば色々な思いが、語ってきます。異語も普通も思いとともに語って来ます。しかし、心の奥に一杯詰まった喜びと幸せに勝るものはありません。私は、ただ、その心の奥の幸せな喜びをこよなく愛し、愛し続けることに専念していくことが、生まれて来た目的と思って行きます。
 とにかく嬉しい、よかった、お母さんありがとう、これだけです。

今の私の心は崖っ淵にいる。

 今の私の心は崖っ淵にいる。先生は「私は皆さんに捨てられるのに慣れています」と言われた。私の心は信ずる心と捨てる心の狭間にある。自分ではもっと信じているつもりだった。しかし私の心にある選択する思いは、常に田池留吉を計ってきた。信じてもいいのか、いいや信じられない…揺れながら揺れながら、それでも心に響く優しさを捨てられずに来た。そして私の心にしっかりと存在する他力の思いに気付きました。選択する心は他力そのものでした。これほど己偉い心は無い…田池留吉をバカにし、踏み付け、侮って来たのです。すべてを受け容れられ愛され許されてあることを感じても、それでも己一番の私です。ああどこまでもどこまでも闇一色の心でした。捨てられることを分かっていても、与えて与えてくれる田池留吉…私は常にあなたを捨てる選択をしてきました。
 今崖っ淵にあるこの心から、少しでも信を深めて行きたいと心から思いました。今しかチャンスはない。自分が田池留吉であると確信できる意識の転回をはかって行きます。

柔らかく、ふんわりとした4次元

 4次元を思えば、ふんわりと、とても、とても柔らかい波動を感じ、私全体が、私の全てが、4次元でしたと思えます。そして、4次元は私の中に存在し3次元の思いではとても表現出来ない、無限大に広がった然も澄み切った世界としか表現できない空間を感じます。
 そして、これが私の心に存在し、もう何も考える必要もありません。要求もしません。この空間にいると周囲には、なんにもありません。ただ、どこまでも綺麗に広がる私の心しかありません。
 それでもなんとも言えない喜びの波動は、満ち溢れ、この中にいれば、すべての欲も、恨みも、競争も、お金も、情欲も全く消えてしまっています。こんな心が私の心にもあったことを知ると、4次元の心とは私を、人間を、根本から変えてしまう素晴らしい温もりと、幸せの波動でした。これが私の心にもありました。田池留吉、アルバート、お母さんの温もりと共にありました。このことを、今、体験し確認できた私はとても幸せです。すべての3次元的な男の意地が骨抜きになりました。意地も恥もプライドも要らなくなりました。この4次元を体験しその中にいると、目の前に今まであったもの、見えていたものが、なんにも無くなってしまいました。
 また見栄もプライドも格好も無用になりました。誰のために飾ったり心を規制しなければならないのですか。全くこのような心を使ったり、無用の心遣いもいらない世界になってしまいました。
 こんな心があったのですね。これが本当の世界、本当の自分でした。何も難しいことなどありません。4次元の存在を確実に知り、喜びを感ずれば、確実に4次元は感じられると思います。
 感じられた後は、ただ、ただ、その中にいればよかったのです。目をあければその状態は持続しませんが、自分の心には、4次元が存在し自分も4次元と思えるように訓練すればよいのです。その訓練によって目をあけてからも、自ずと3次元の思いは薄くなり、やがて消えて無くなるでしょう。このように思えるだけでもとても嬉しいです。

喜んで喜んで生きていきます。

 パソコンを開いて瞑想のところを開いて田池先生の声を聞いて目を閉じました。そして波動を感じました。あなたを捨ててきました。申し訳ありませんでした。こんなにもこんなにも愛され受け止められていた。田池留吉のなんともいえない温かい懐かしい心に包まれていつまでも安心な満たされた思いが自分の中に広がってきました。そしてセミナーの時、先生が歌ってくださったふるさとの歌が聞こえてくるようでした。なつかしいなつかしい表現の出来ない嬉しい思いが深い深いところからこみ上げてきます。「これがあなたですよ。」ともうだれかれ分け隔てのない一つの世界に漂っていました。ただうれしくてうれしくてありがとうありがとうの思いです。
 私はこんなに幸せな自分が自分だったことをいつも思い出しながら喜んで喜んで生きていきます。

苦しい思いを抹殺することにしか私は心を使ってこなかった。

 他力の思いは排斥する思い。自分にとって都合の悪いものは全て排斥する。そして、手っ取り早く幸せをゲットする。
 自分にとって幸せとは、自分の都合良く生きられることだった。その為に自分にとって不都合なものは全て排斥する。そうすれば幸せになれると思ってきた。その為にS教の真理を学び、修行をし、精神世界にパワーを求めた。自分に都合の悪いものは全て切り裂く、抹殺、抹消、消滅。 今でも瞬時にしてこの思いが飛び出してくる。考える間もなく思いは瞬時にして私の内から飛び出してくる。
 そして、自分も相手も殺しきる。私は自分にとって都合の悪いものを抹殺するパワーがほしかった。それさえ手に入れられれば私は幸せになれる。世界一、幸せになれると思っていた。パワーを我が手中に収める為ならなんだってする。その思いで私は、いつも心を外に向け、この心を満たしてくれるものを求めた。探して探してやっと辿り着いたところがこの学びだった。
 でも、今も私は他力にすがっている思いと同じ。田池先生、この私をなんとか救ってください。私もあの人のように手を取ってほしい。そしたら、この苦しい心が喜びに変わるかもしれへん、と苦しい思いを消し去り喜びの自分に生まれ変わりたい。
 先生、私を喜びに変えて下さい。どうやったら、変えてくれるんですか。反省文を送ったら変えてくれるんですか、と先生によって、自分を変えてもらおうとしている。今も、パソコンを打っていて思った。私は、苦しい思いを全然受け入れようとしていない。苦しい思いがなんとかなくなってくれますようにと、祈りを込めて反省している。そこに、優しい思いなんか全く無い。苦しい思い消えろの思いで反省している。
 苦しい思いを抹殺することにしか私は心を使ってこなかった。そして、抹殺する為の方法として、今は瞑想をしたり、反省をしたりしているんだと、今気付いた。気付けてよかった。私はなんにも変わってなかった。苦しいと叫んでくれている自分の過去世を優しい思いで抱きしめてなかったんや。やっていかな、と思います。少しでも自分の苦しみを受け入れられる私になっていきます。
 自分にごめんなさいです。

自分で苦しみを作り上げ、勝手に苦しんできたんだと思った。

 自分で苦しみを作り上げ、勝手に苦しんできたんだと思った。いくら田池先生が、「あなた方は喜びです。」と、言ってくれようと、私の心はしっかりとしっかりと苦しみを握り締め、その苦しみを何とかできれば、喜びに変われると信じている私の思いがありました。その苦しみを取り除くことが幸せだと信じる心があまりにも根強く、ただ喜ぶということ、喜びで自分の作り上げた苦しみを包み込むということができませんでした。
 しかし、今までの私の反省が、苦しみを抹殺するエネルギーで自分自身すら苦しみに追いやってきたことを思い返し、やさしさで包むことしか本当に自分を供養することは出来ないと、心で感じました。何度も何度も田池先生から話を聞き、自分なりにも実践しているつもりでいましたが、私の愛というのは、やはり苦しみを取リ除きたいために無理やり自分の中に作り上げた偽りの温もりでした。嘘の光でした。包み込むとは程遠い、光を当てて消滅させる。そんなエネルギーで自分を苦しめていました。
 本当の温もり、やさしさ、愛は、自分で作り出せるものではありませんでした。はじめから存在するものでした。そして私もその一部でした。しかし、肉を自分と信じた私は、苦しみを握り締め、その苦しみを何とかした者が素晴らしい道を説く人物と思い、その人物になるために心を削ってきました。特別な存在になるために、皆より一段上の存在になるために、自分をどんどん真実から遠ざけ、苦しみを増幅させてきたことを知りました。崩すことが嫌でした。この自分は素晴らしくありたいと、その思いが根強くありました。みんなと一つ。その思いがやさしく感じました。しかし、それを拒否する思いもしっかりとありました。
 肉を自分と信じる心がいかにちっぽけであるか、苦しみを抹殺しようとする心がいかに狭い心であるか、心で実感しました。広い広い心の世界の中で、あまりにもくだらないことで自分を苦しめている姿が見えました。少しも偉そうな思いのない、田池留吉の波動を感じました。とてもとても広い世界でした。その心を自分の心としていけるように、感じることを大切にしていこうと思いました。

肉の私を追い求めるよりも、まず、私の波動を感じることに重点をおいてください。

 常に私に心を向けていますか。私の波動が感じられるようになりましたか。私と語っていますか。私の波動を感じること、その波動をあなたのものとしていくことが、あなたの人生です。それ以外のものはどうでも良いものです。私は先を見越して、すべてのことを皆さんにお伝えしています。今だけを見てお話をしているのではありません。私の肉がなくなった後、あなたが私から心を離していかないように、今の間にしっかりと私の波動を感じていて下さい。肉の私を追い求めるよりも、まず、私の波動を感じることに重点をおいて下さい。
 この学びは人生です。あなたの人生は今世だけではありません。今世の肉体を脱ぎ捨て、意識に戻ってからも、そして来世肉体をいただく時も、ずっとずっと続いているのです。私は現世利益的な話をしているのではありません。本当のことをお伝えしております。話だけを聞いていては分かりません。私の波動を感じて下さい。求めないで、恐れないで、信じて私の波動をその心に感じていって下さい。私の肉体がある間なら、あなたの心が感じているものが真実であるかどうか、確認できます。しかし、私の肉体がなくなった後では、私の波動をしっかりとご自分のものとされていない場合は、迷いが生じてきます。どうか、もっともっと広い心で私と接して下さい。肉の価値観を捨てて、意識として私と接して下さい。
 私の行動で心が揺れたなら、あなたの心を見つめて下さい。私はあなた方の肉を救う存在ではありません。ただ淡々と真実をお伝えするスピーカーでございます。そしてあなたがご自分は意識であると目覚められた時、私と本当の交流ができるのです。私はそれを楽しみに待っております。皆さんと心と心で接していきたいのです。肉のあれこれにとらわれないで、意識として心から皆さんと接していけるこれからにしていきたいのです。心を見つめるだけです。私の波動を感じて、広げて、信じていって下さい。私は何時でもあなたの側におります。あなたとともにおります。信じて下さい。外に求めないで下さい。全てはあなたの心の中にあるのです。

感想  ストレートな思いを感じました。無駄が一切ない思い。本当に真実だけを伝えてくれている誠実な思いを感じます。肉体がなくなった後のことも、全て全て、来世への繋げ方もなにもかもを、教えてくれている。肉で聞いていたらいい加減に聞き流してしまうようなことも、全部意味のあること、大切なことであると思いました。田池留吉、アルバート、4次元。心を向け、その存在を自分の心で確信していかないことには、これから先はないに等しいと感じました。信じて信じて信じていったなら、そこには喜び、ありがとうの世界が広がっていると思いました。全ては私の心が決めていきます。真剣に思いを向けていきます。ありがとうございます。

アルバートありがとう。

 アルバートありがとう、アルバート嬉しい、アルバートこんなに大きな喜びありがとう、私はこれ以上どうしたらよいのですか。意識の世界はこの世の全てが無くなりました。
 私は、ただ、その綺麗な何者も存在しない意識の世界で、ただ、無限の空間、無限に澄み切った空間にいます。私は、ただ、ただ、その素晴らしさになんにも思うことはありません。あるのは、肉の私が甘い蜜のような嬉しい波動の中で、なんともいえない喜びの波が、増え続け破裂しそうになりそれが益々増えています。
 アルバート、アルバートと思えば、その喜びの波動は私を、これでもかこれでもかと、喜びを大きくして遥か彼方に連れて行ってしまいます。
 肉の私は、現にここにありながら、目を閉じると広く大きな空間しかなく、私という者は何もありません。それでありながら肉の私は現存し、誰にも表現できない喜びに満ち満ちています。
 アルバートに思いを更に向けると、嬉しくて嬉しくて涙、涙、涙です。今、私は、ただ、アルバート、アルバート、アルバート、アルバート叫んでいるだけです。
 アルバートは私の中でいつまでも、いつまでもその喜びを膨らませています。
 もうこれ以上肉の思いでキーを叩き続けたくない思いがあります。ただ、黙ってこのアルバートの空間に居続けます。私は、アルバートです。意識、波動です。アルバートは永遠に私の中に存在する、喜びの意識、波動です。このまま永遠に続けて行きたいです。
 私はアルバート、アルバート、肉ではありません。この澄み切った広い広い空間これが私です。田池留吉です。肉の田池留吉が側に居てにっこり笑っているようです。先生おはようございます、と思わず言ってしまいました。アルバート、意識の世界をこの上なく経験させて頂きました。飛び上がりたい程嬉しいです。

真実の喜びはアルバートしかありません。

 真実の喜びと幸せは、アルバートに向けた時頂く喜びと幸せの波動しかありません。私は自信を持って言えるようになりました。
 この私がなぜこんなに大きく広がる喜びの波動を頂けるようになったのか、本当に嬉しい反面不思議でたまりません。どこにいてもふと目を閉じれば、自然にアルバートに心は向き、なんとも例えようのない喜びが心一杯に広がり、そこにはもうなんにも存在しない世界があります。この繰返しが毎日、毎日続けられるので、今の私はなんの苦痛も悩みもありません。
 心から幸せを感じさせて頂いています。しかし、肉の苦痛はたえません。それらもアルバートに心を向けてこの上もない喜びの波動を頂くと、何時の間にか知らず知らずのうちに忘れているのです。
 しかしながら今も過去につくったたくさんの闇でしょうか? 悩み苦しみの思いは聞こえて来ます。聞こえるより喜べは喜ぶほどに、ふと過去苦しめたこと、苦しんだ時の過去の足音が聞こえるのか、思い出し自分の心に突き刺さるものを感ずるのです。そして、次ぎから次ぎにその足跡を思い出します。この浮き出てくる思いが私の過去世の苦しみ、供養と償いを求めているのだと思います。殺したい思い、谷底に突き落としたい思い、泣き叫ぶ思い、助けを求めている思い、とても喜んでいる思い、それこそ千差万別です。
 私は、過去世を軽く思ってきました。喜びはそれらを救ってくれる、喜びの心さえ大きくすれば過去世の供養も償いも出来ると思い込んで来ました。それは大きな間違いに気付きました。先ず過去世の足跡を思いだすことが大事でした。アルバートの喜びを感ずれば感ずるほどその足跡は出て来ました。ただ、漫然としていては過去の闇などわかりません。必死になってアルバートに心を向け喜びを感ずることで、過去の闇はそれに伴って浮き出て来ることを知りました。闇を知ってからは益々アルバートを信じ、自分自身がアルバートの喜びを大きくすること以外にありません。このことから、今、私は自分を誉めたいです。長足に進歩の道を歩いているように思います。肉の田池留吉に殊更に感謝の思いが出てきます。長い間お世話になりましたと心から思います。そして、今はなんの苦しみも悩みもなく、本当に喜びと幸せです。今朝はこんな思いが出てきました。出てくるたくさんの闇にも感謝します。

ともに来世に繋いでいきましょう。喜びをともに大きくしていきましょう。

 セミナー会場の喜びの現象はそのまま250年後の来世の再現でした。私の目の前に金髪のアルバートがいました。私はいつもアルバートの側で喜び、喜びで飛び跳ねていました。そしていっしょに学んだたくさんの仲間もいます。たくさんの人が集まってきます。
 私は250年後、アメリカ、ニューヨークのスラム街で黒人として肉体を持ってきます。明日の食べるものにも事欠くような貧困、そして人種差別の苦しい中に生まれてきます。日本の国では考えられない差別、肌の色が違うというだけでこれだけ虐げられるのかと悩んで悩んで苦しみます。そんな中私はアルバートの目と出会うのです。白人で私が初めて出会った優しい目でした。アルバートは私を優しく優しく抱いてくれます。私はアルバートの目と合ったその瞬間、すべてをこの心で思い出します。走馬灯のように記憶が蘇ってきます。「私は肉じゃない、私は意識だ、私は喜びだ」とその口から喜びを語り出します。250年後の来世、私には喜びです。アルバートが今現実、存在するように私の来世もここにいます。それがあのセミナー会場で実現しているのです。心ははちきれんばかりの喜び、嬉しさです。250年後の出会いを心で段々はっきりとしっかりと感じてきます。
 大きなセミナーです。ともに来世に繋いでいきましょう。喜びをともに大きくしていきましょう。

自分の感じている幸せを伝えられることが、また喜びでした。

 同窓会でかつての自分の姿に出会いました。この学びを知らなかった時の自分の心に出会いました。皆それぞれ悩みや苦しみを抱えながら幸せになりたいと生きてきた。50歳になり人生とは何かというような思いを抱くようになったが、その回答には程遠い生活をしている。
 皆何かを心の中では求めていても、それが何かということすら気付かない。どんなに肉的に成功しても、どんなに幸せを装っても、心の叫びは隠せない。懐かしい友に再会し話に花が咲いても、私の心に空しさが残りました。
 本当の幸せを知った心がどんなに広く豊かな心なのか…私は自分の幸せを思いました。肉の田池留吉に出会えたことが奇跡のように思え、帰り道、心で泣いていました。私の話しに興味を持った数人の友に、この学びをかいつまんで、体験を話しました。皆心では求めているのだということを痛いほど感じました。自分の感じている幸せを伝えられることが、また喜びでした。

アルバートを信じることが、今の私にとってこの上もない喜びです。

 アルバートを信じることが、今の私にとってこの上もない喜びです。自分の心の中のアルバートに出会う時、「私は生きている」と実感します。自分の心に存在するすべての意識が、今アルバートを目指していると感じます。その足音が心に喜びとなって響いてきます。アルバートのもとに一つになりたい…そんな思いが私の中に満ちてくる。今までアルバートを信じたいと思ってきた。でも今は信じていますと言える私がある。その信を強く強くしていきたいと願う私がある。どんなにアマテラスが動いても、私はもうアルバートを離さない。「共にアルバートに帰りましょう」と語れる喜びがある。心の中でとても強くなった思いが見えてくる。それはアルバートを感じれば感じるほど強くなる。そして私の中に優しさが増えてくる。すべてを包み込む愛しい思いが溢れてくる。自分でも不思議なくらいアルバートに心を向けて行く。本当に信じることがすべてを変えていくのだと思いました。信じることが喜びです。アルバートに心を向けることが喜びです。

闇の意識も苦しみも、すべてがアルバートに出会うために必要なものでした。

 私の今世は苦しみだけでした。特にこの学びを知ったときからその苦しみは輪を掛けて現れてきました。その苦しみに、セミナーから離れたい、田池から離れたいと思ったことは一度や二度ではありませんでした。どうやってここまでこれたのか不思議なくらいです。苦しみのはけ口を外へ外へと向け、逃げていました。どれだけセミナーに通っても満足できる答えはいただけませんでした。私が欲していた肉の幸せはやってきませんでした。ただただ不平不満、田池留吉に対しての恨み妬み嫉妬の思いが湧いて出てきました。
 この時期に来てようやく私がセミナーに望んでいたもの、田池留吉から得たいと思っていたものがなんであるかを少し少し分かり掛けてきたとき、真っ直ぐな道を歩んでいると思ってきた道は、田池留吉の道とは遠くかけ離れた道だったと思えるようになりました。田池留吉という道標に向かってつばを吐き掛け、小便を掛け、砂を掛けてきていました。そんな心にすら気がつきませんでした。当然それらは全部自分に返ってきました。その心の苦しみは筆舌には耐え難いものでした。しかし少しだけ自分の心の間違いに苦しさに気がついたとき、田池留吉の存在が私の心の中で感じ始めてきました。あんなに嫌っていた田池留吉が、私の心の中で柔らかな波動となって感じ始めました。ある時は厳しく激しく心に感じ始めてきました。この波動が私のバロメーターです。この波動こそが信じられるものですと思えるようになってきました。いつしかこの波動に出会いたいと思うようになってきました。目を閉じて波動の中にいると、他には何もいらない、この優しさの中でずっと生きていたいと思えるようになりました。とろけそうなくらいの波動です。そして私はアルバートに出会えると確信を持ちました。アルバートに出会うために今日までの苦しみがあり今日までの過去があったのだと思えるようになりました。今日までの私はアルバートに出会うための道中でした。そう思えたとき、なんだかすべてが良かったんだと感じ、すべてがアルバートに出会うために自分で作って演じていたんだと思いました。人生苦しんで良かったです。苦しみは全部私がアルバートに出会う愛でした。
 セミナー会場での喜び現象を思い浮かべたとき、そこにAさんがありました。私はどれほどの恨みを持ってこの方と接していただろうか。どれほど引きずり降ろしてやりたいと思っただろうか。一方、この方で良かった、出てきてくれてありがとうと思う心もあるのです。その方から流れる波動を感じたとき、心の中でこの方の存在が感じられました。言葉としてではなく、心の中で思いとして、この方の必要性を感じました。私にとって、いや、すべての人類にとって、宇宙の意識にとっての必要性を感じました。私は今大きな流れの中に生かされています。大きな愛の中に肉体を持たせていただいています。肉体は欲を満たすものでも己を表すものでもありませんでした。ここにこうして存在し、アルバートの波動を感じ、本当の自分に帰るためにありました。嬉しいです。ただただありがとうございますの感謝の思いしかありません。今このセミナーの現象の場に立っていなければ私の未来はありません。私の意識の成長はありません。ここに肉体を持たせていただいて、セミナーに参加できることがどれほど幸せなことなのか、夫の家族の協力があることがどんなに幸せなことなのかを思えます。ありがとうございました。

田池留吉の存在をいかに軽く捉えていた自分であったか、幾重にわびてもわびきれません。

 どんなに大きくアマテラス、クドーラのエネルギーが心の中に強く感じられても、それよりさらに大きく深い無限の愛の中に生かされつづけてきた意識たちであったか、どれほど幸せな意識たちであったか、田池留吉を思う時、アルバートを思う時、その思いがあふれてきます。愚かであった、無知であった、強情そのものだった、この期に及んでさらに闇のエネルギーを撒き散らしつづけていた自分を思います。
 私自身の中に存在するアルバートの意識、それを信じて信じて、道標にしたがって歩み続けていくだけだと、それだけでいいのだと思っています。意識の流れの中に素直に委ねていくだけでよかった、私という肉の思いは何一つ必要ではありませんでした。苦しんで苦しんで歩み続けてきたその原因はすべて自分にありました。ただアルバートを信じて委ねて歩む道、肉から意識への転回は、安らぎと喜び、真の幸せへの道だと伝えてくださった田池留吉の存在をいかに軽く捉えていた自分であったか、幾重にわびてもわびきれません。どれほどの間違いを重ねてきたか、その重さが心に伝わってきます。

許されていた、愛されていた、生かされていたということを嬉しく嬉しくかみしめています。

 田池留吉の言葉を耳で聞き、頭で捉えるということは、他力の心そのままのあらわれであったということを感じています。一歩も他力の域を出てはいませんでした。田池留吉の言葉が心の中で本当にそうであったと確認された時、その言葉は命を持ち、生き生きと脈打ち心の中の喜びを大きく大きく膨らませていく波動、喜びの波動そのものであったことを、今感じています。
 闇を、自分が出しつづけてきた凄まじい波動を嫌いつづけてきました。認めたくない思いで一杯でした。でも心の中に存在するアルバートの心は、その闇によく出てきたね、そんなものではないよもっともっとあるはずと、喜びの心でそれらを受け入れていました。闇の心に出会うことが喜びでした。出しつづけてきた凄まじい波動に気付けることが喜びでした。嫌いつづけてきた闇が今はなんともいとしく思えます。憎み、羨み、責め裁きの対象であった学びの友も私の心の中でただただありがとうの対象へと変わってきています。それがまた嬉しい限りです。
 許されていた、愛されていた、生かされていたということを嬉しく嬉しくかみしめています。

肉の田池留吉が懐かしくてたまりません。

 ここ2週間色々苦しい経験をしました。目の手術そして終戦の日と目まぐるしく私は、試練の苦しみの連続が続く中で、ひとしお肉の田池留吉が懐かしく、アルバート共に嬉しい思いを感じつづけました。肉の田池留吉に面と向って冗談も普通の話も出来ない、今の私はかってたやすく肉で話していた時が、懐かしくもあり反面無知であった自分を恥ずかしくもあります。
 アルバートの凄い嬉しい波動を頂き、これが肉の田池留吉の波動と思うにつけ、とてもとてもこれまで肉で3次元の話ばかりをして来たことが思い出され、私の意識は中からとがめます。アルバートの存在を教えてくださり、またアルバートの喜びと幸せの中に導いてくださったのも肉の田池留吉、肉ではありません意識波動ですと、導いてくださったのも肉の田池留吉です。
 私は、意識、波動が自分と知ってからは、田池先生の顔を見ただけで、心が、意識が踊り見透かされた自分が、心にもない素振りをして肉で近くに行けなくなってしまいました。余りに肉ばかりで過ごした私が、今、懐かしく往時の誤りを恥と思うからです。でも田池留吉、アルバートを心で思うことが、どんなに嬉しくときめきを覚えるか、一人私しか知る由もないことです。
 アルバートの喜びを感ずることは、田池留吉の喜びを感ずることと同じです。田池留吉、アルバートの波動とその喜びの波動を知ったら、肉、肉の私はとても、とても、田池留吉の顔を見ることも、また側にさえ行けなくなります。これが肉と意識との峻別だと思います。
 アルバートの喜びの波動ほど素晴らしいものはありません。それと共に田池留吉の波動ほど素晴らしいものはありません。いたずらに距離を大きくするものではありませんが、今、私は田池留吉の波動の素晴らしさと対峙できません。これは田池留吉の側に行ったからとて得られるものではなく、自分の中のアルバートそして田池留吉を信ずる心を大きく、大きくしていくことしかありません。
 懐かしくもあり嬉しくもあり、肉の田池留吉をこよなく愛し求め続けた過去が懐かしいです。アルバートが分かるにつれて、益々肉の田池留吉が懐かしさが大きくなることを嬉しくなります。肉の田池留吉有難うと心から思います。

今の私にとって田池留吉の肉とは

 セミナー会場で田池先生と一言、二言しゃべる時、その言葉から発せられる波動が、この心の中に伝わってきて、その温かさ、やさしさを感じる私はもう、何も自分を守らなくてもいい安心感に包まれてしまいます。自分でも驚くほど親密な人に話しいる思いになれて後で思うとよくあんなこと言ってしまったなって吹き出すような恥かしいことでもすらすらと言えるのです。心がとろとろにやわらくほとびてしまうのを感じながら、何を言っても受け止めてもらっていることを知っている素直な私になっています。肉で話していても意識が田池留吉に向くと、たちまちうれしくてうれしくてたまらない喜びが溢れ出してくるのを何度も感じさせてもらっています。
 この頃はあの心を感じられるということは自分にあるんだと信じています。肉の田池留吉と私は一つなんだと意識のつながりをさらに強く信じていけるようになってきました。肉が目の前になくても私が向いたらつながる、ということを何度も何度も繰り返しています。そしてその波動が自分の中からあふれ出てくるんだと信じられるようになってきました。幸せに浸っています。いつもいつも肉の田池留吉を思うだけで喜びと感謝で心が暖かくなってもう何もなくても幸せの世界が広がります。その心で肉のことをしたらとても楽で楽しく、現実の肉の世界でありながら夢見心地で時間が過ぎてやがて消えていきます。こうして生きれば軽くて楽で楽しくて、何の執着もわいてこない。アルバートに常に向けているということは、その心が大きくなりやがて肉の思いが薄らいでいくのだとわかってきました。ずっとずっと生き続ける意識が私だと信じていけるようになっていきます。
 生きることも喜び死ぬことも喜びとなっていくのだと思えてきました。

来世へ向けて、未来へ向けて、4次元へ向けて、これからが本当の出発でした。

 アルバート、タイケトメキチ、肉の田池留吉その波動がすべて一つ、アルバートの波動であることを感じています。肉の田池留吉の存在はそれを伝えるためにありました。自分の中の他力の心、肉によって揺れる心、それを見つめつづけてきました。もうこれまでと自分を見捨てた時もありました。でも肉の田池留吉から流れる波動が愛そのものであり優しく暖かく懐かしい、アルバートそのものだと心に響いてきた時、自分の闇が浮き彫りにされ、はっきりと間違いつづけてきたということを知ることができました。田池留吉を拒否しつづけてきた心が雪解けのようにぬくもりに緩みはじめているのを感じています。これが本当の私なんだと感じています。闇に翻弄された時、この学びから逃げ出したい気持ちが膨らみました。後わずかだというセミナーも早く終わって欲しいという思いまでだしました。無知そのものでした。
 アルバートはすべての人の心の中に、田池留吉の波動もしっかりとこの心の中にあることを確認したとき、肉の田池留吉の存在のあるなしを超えて、この学びで伝えられたことが人生そのものであるということを、永遠に本当の自分に帰る道がつづくことを、そしてそれが喜びの道であることを知りました。来世へ向けて、未来へ向けて、4次元へ向けて、これからが本当の出発でした。

肉を自分と思い、肉の自分を誇る思いが、すべてを駄目にしてきました。

 特攻隊の過去世や、琵琶湖に人柱となって沈められた過去世を通して、認められたい心が、たくさんたくさん出てきました。今までもずっとずっと、この心でこの学びもしてきたのですが、反省につなげられないままに今日まで来てしまいました。
 私は、肉の自分を認めさせるために、どうしても霊力が必要でした。神の言葉を聞くことが必要でした。神が必要だったんです。肉の自分を認めさせるために、神になりたいと懇願し続けてきました。自分を認めさせるために、命をかけて、何度も何度もこの思いで肉を粗末にして命を終えてきました。それほど、私は肉の自分を認めさせたかったのでした。
 それは、苦しいエネルギーでした。でも、そのことに長い間気付けずにきました。
 私は、肉でがんばってきました。そのがんばりを決して認めない人が、今世初めて私の前に現れました。田池先生でした。だから、ものすごく反発しました。我を認めよ!という、思いを使って使って使いまくりました。これでもか、これでもかと、苦しいにつけ、うれしいにつけ、この心を先生に突きつけてきました。
 先生は、決して私を認めてはくれませんでした。でも、私にやさしい波動を向けてくれました。許して愛して受け入れてくれました。そして、その波動こそが、本当の人間の姿だよと先生は伝えてくれました。
 私の中にある、認められたいエネルギーが、私にとって大切なこと、本当に必要なことをたくさん邪魔してきたと感じます。
 チャネリングは肉の私がやっているという己を誇る思いで、意識の世界から伝えてくるものをゆがめ、本当のやさしい波動を邪魔してきました。
 「私を認めて」と思っているから、どうしても田池先生に素直になりきれませんでした。「はい」と心を向けて全託するよりも、自分を認めさせたい思いの方が先に立っていました。
 自分を認めさせたいから、肉の自分がつねに前に出てしまい、どうしてもこの学びを周囲の人に伝えることができませんでした。もっと早く自分を認めさせたい心を崩せていたら、肉の母にも、白血病で早世した従兄弟にも、本当のことを伝えることができたかもしれないと思うと、己の高かった自分が本当に情けなく、残念でなりません。
 肉を自分と思い、肉の自分を誇る思いが、すべてを駄目にしてきました。そのことが、一生懸命アルバートを求め、アルバートを信じようとしている自分の心に、本当に申し訳ないです。私はすべてをさえぎってきてしまいました。本当に申し訳ないです。

今度こそアルバートの波動をしっかりと感じながらの旅立ちです。だからこんなに嬉しいことはありません。こんなに幸せなことはありません。

 この地球上での3億6千年は確かに私の心の中でしっかりと記憶されているでしょう。しかしそれ以上に今私の心に響いてくるのは、やはりそれ以前の宇宙の時の思いです。私には時間空間を越えてたくさんの宇宙の友が心にコンタクトしているのが感じられます。真実を知らないまま宇宙にさまよい続けてきたのですから、それはそれは想像できないほどのエネルギーだと思います。でも懐かしいというかやっと出会えたというか何とも切ない思いが感じられます。
 この地球で生息するにふさわしい肉体をもらい今の今までこのようにいわゆる人間として転生を許されてきましたが、私の心は宇宙人のままのような気がするのです。そして私は今世田池留吉という肉を持った意識と出会わせて頂きました。よもやこの地球で3次元の世界で出会えるとは思ってもいませんでした。異語と異語で語るとき私は遠い遠い私自身を思い出しています。ずっと前から私は知っていた、私達は出会っていた、そういうことを心で感じます。そして後300年、私達はまたこの地球という星に別れを告げ旅立っていきます。今度こそアルバートの波動をしっかりと感じながらの旅立ちです。だからこんなに嬉しいことはありません。こんなに幸せなことはありません。

肉の田池留吉の前に、私はずっと裸でいたのでした。

 肉の田池留吉の前に、私はずっと裸でいたのでした。それなのに、隠れ、逃げ、影でこそこそと何をしていたのか…こんな私なんですよ、こんなに汚く汚れた私なんですよ、臭い臭いをプンプンさせている私ですよ…そう言いながら、私の意識は田池留吉に向かって、一直線に突進して行く。もう止められない。嬉しくて嬉しくて、両手を広げ、ただただ田池留吉を目指して行く。絶対に拒否されない、受け容れられることを信じきって、汚く汚れきった自分を曝け出して行く。信じて信じて自分を委ねて行く喜びだけが、心に伝わってくる。汚れきったことを知ることが、よけい深く心を田池留吉に向かわせる。そこには「こんなに汚してしまいました。ごめんなさい。でも嬉しいんです。」という素直な気持ちがありました。真っ黒な心を、もう隠さなくてもいいのだという安心感が、大きくありました。肉の田池留吉はそんな私をしっかりと受け止めてくれていた。そのことを確信した私の心には、ただただ喜びと感謝の思いだけが残りました。いつか、「宇宙の果てまで逃げても、私から逃げることはできませんよ」と言われたことが、今、大きな喜びとなって心に響きます。

「めんめ」の現象で、先生に向かって刀と槍で戦いを挑んで行く私があった。

 「めんめ」の現象で、先生に向かって刀と槍で戦いを挑んで行く私があった。絶対に負けるものか、死んでも負けない。切って切って切りまくれ。殺せ、田池を殺せ…そう喚きながら突進して行った。凄まじいエネルギーで、田池留吉を殺そうとしている。真っ黒い破壊のエネルギーの塊になった私でした。お前なんかさっさと消え去れ。人間の心を信じるなんておめでたい。お前に信じてもらわなくても、我らは生きて行ける。早く諦めて、我らの前から消えて行け…先生が私の前を足を引きずって、痛そうにして歩いて行かれた。「ざまあみろと思ってるんやで」と言われた時、「そんな酷いことは思ってないわ」と反発した。しかしその通りでした。この学びが不発に終われば良い、田池一人で何ができるか、人間なんてしょせん汚い者、心を見て何になる…そんな心が渦巻いて出てくる。私はそんな心を隠して学びに集って来た。お前がどこまでやれるか見てやろうじゃないか。この私を変えれるなら変えてみろ。心の奥深く、田池留吉のすべてを冷ややかに見守ってきた。いいかげん諦めろ、お前に屈する我ではないわ。隙あらば足をすくってやる。お前の愛とやらの効力を試してやろうじゃないか。いつかきっとあいつも我らのことを捨てて行く、だまされるな、あいつの言葉を聞くな…そんなに憎い田池に、なぜ心が引かれるのか…反発ばかり出してきた心が、なぜ田池を求めるのか…ああ、その時、「私は意識、愛の意識でした」…心の奥から叫びが上がり、どんなにしてこの思いを現したら良いのか分かりませんでした。自分の心を殺し続けてきた私でした。殺しても殺しても、私の心から消えることがなかった田池留吉…今、私の前に肉持っておられる…慟哭でした。「私はあなた、あなたは私」この言葉が心の奥深く染み透って、肉の自分がガラガラと崩れるのを感じました。力が抜けて、その場に崩れそうでした。どれほど抵抗しても、私は本当の自分、田池留吉を消し去ることはできませんでした。言葉にならない思いが、胸一杯に広がって、田池を殺せと叫び続けてきた自分を抱きしめていました。転げ回って懺悔したい思いでした。
 素直にすべてを認め、田池留吉、アルバートの胸に飛び込んでいきます。それがどれほど幸せなことか、今やっと少しわかりました。

  心の転回一直線で進みましょう

  人生は喜びである

  私からあなたへ一筆啓上

  ホームページと心の学び


   はじめに戻る