人生は喜びである

あなたは喜びです。喜びの輪を広げていきましょう


喜びのエネルギーはすべてを癒し、すべてを喜びへと変えていく。

 喜びのエネルギーはすべてを癒し、すべてを喜びへと変えていく。心の中に積み重ねてきた闇、何重にも何重にもグルグル巻きで息も出来ないほどの闇の深さも、今、アルバートの波動を感じ、アルバートの波動を信じていくことにより、すべてが一瞬のうちに溶けていくような気がします。喜びのエネルギー、愛のエネルギーは、すべてを大きく大きく包み込んでくれます。優しい優しい母の温もり、安らぎの中ですべてが愛の中へと誘われていくような感覚です。軽く、甘く、優しい世界、まさしく四次元の世界へと心を委ねていけることの幸せを感じます。
 今世肉体を頂き、このような幸せな世界を垣間見る機会を頂きました。計り知れないほど大きなマイナスのエネルギーを出し続けてきた意識が今、田池留吉が肉持った今、惜しみない愛の中でともに学ばせてもらえる幸せを感じながら日々を送れるとは思いもしませんでした。

今世の肉ほど幸せな肉はないと今改めてそう思います。

 今世の肉ほど幸せな肉はございません。肉の喜び、肉の幸せを求めどれだけ栄耀栄華を極めた時代を経験してきても、この幸せこの喜びに優る幸せ喜びはないと私ははっきりとこの心で感じております。もう私には何もいりません。肉の喜び、肉の幸せの何と薄っぺらで嘘偽りのものであったのか、本当にこの心で温もりを感じそれが大きく強くはっきりと感じられたとき、もう私の心は本当に何も迷うことなく何にも揺らぐことはありません。
 田池留吉の肉は外です。しかしその田池留吉に心を向けたとき私はこの心の中に田池留吉を感じるのです。すなわち田池留吉の肉と意識の区別はなく、肉はあるけど肉はない、外だけど中そんな感じです。田池留吉の肉から流れる波動がタイケトメキチでした。そして田池留吉と私がひとつ、田池留吉は私であり私は田池留吉であるということを心ではっきりと感じられたとき、私の心には何の不安もなくただただ温もり優しさそして幸せ安らぎで満たされているのです。このことが幸せ、喜びでした。今世生んで頂いて本当に嬉しい、こんなに幸せ、喜び、安らぎを感じたことはありませんでした。
 今世の肉ほど幸せな肉はないと今改めてそう思います。

肉の田池留吉有難う。

 今、瞑想しても、またなんにも思わず、ただぼんやり座っていても、長い間肉の田池先生にはお世話になったなあ、随分と我が儘を言って来たなあ、随分と可愛がってもらったなあ、と走馬灯のように浮かんで来ます。残り少なくなった私の人生の締めくくりも、生まれて来たことを喜び、妻に有難う、幸せだったよ、と喜んで逝ける私になる為だったなあと、しみじみ思うこの頃です。今、田池先生が私に色々と下さった数々のお話、人は意識です、永遠に生きる意識です、と言われたことが真実の言葉となってきました。まだ、まだ、富士山で言えば一合目、二合目ですが、裾野でもいい、神に無理を言って母親に肉を頂いた私が、人生の大半を無駄に過ごし残り少なくなった時に田池留吉に巡り会い、今、最高の喜びと幸せを感じています。今なら妻にも、有難うお世話になったなあ、幸せだったよ、とお礼を言って逝ける気がします。想像もつかない悪の限りを尽くした私を、ここまで変えて下さった田池先生に両手を着いて感謝します。本当に嬉しい今の私、逝く日まで感謝し続けます。

アルバートに出会った瞬間に、今までの苦しみが必然であったことに気付きます。

 私は来世、アメリカに生まれます。今までの転生とは比べものにならいほどの苦しみを体験します。3次元最終の時に相応しい肉を持ち、苦しみを体験します。生まれてきたことを呪い、母を呪い、宇宙すべてを呪い続けます。その私がアルバートに出会った瞬間に今までの苦しみが必然であったことに気付きます。すべて自分が、決めてきたことも感じてきます。
 アルバートと目が合った瞬間に、私の心すべてが喜びを伝えてきます。肉を通り越し、喜びだけの私を感じます。私のすべてを知り尽くしているようなアルバートの優しい優しい目です。私は初めて、このときに心で感じることの喜びを知ります。アルバートの波動を全身で感じています。ただただ優しい暖かい波動に委ねています。過去、日本で体験したことを思い出しています。今、この喜びは確かにあの日本で共に学び、共に喜びを広げていった田池留吉であることを思い出します。私が、今世のあなたに、今この喜びをつなげてくれてありがとうと伝えます。
 今世のあなたが、田池留吉の波動を感じ喜びを広げてくれたから、この喜びを知ることが出来ました。今、この時の喜びは、あなたが喜びを広げてくれたからです。ありがとう。


喜びの現象

田池留吉の肉はタイケトメキチでした。

 一日目、渦の中で優しい中で自信と確信に満ちた田池留吉、いやアルバートの顔が見えた。みんなの拍手の中でしっかりとアルバートの目を見ながら私はこの場におらせてもらっている事の重大な意味を心で受け止めアルバートを信じていきます。という誓いのような熱い思いが出てきました。
 すると一番前ではなかったのにいつのまにか渦の中に、田池留吉の肉の前に引き寄せられていました。肉の思いは薄れていました。ただ自分のその思いを確認しながら先生に喜びを伝えました。もっともっと喜びなさい。もっともっとその思いを強くしていくのです。というような思いが流れてきて体と心はうれしいうれしいと飛び跳ねていました。

 二日目、ハイハイの会場に響き渡る拍手とアルバートの世界と一致してこれが私の帰る世界、目をつぶってその中にその中に溶け込んでいました。死ぬときはこのリズム、この波動の中に返っていくんだとなんか納得して心が静に喜びに震えていました。
 なんか安心、そうだこの世界だと思うと「もう何にもいりません。もう何の心配もありません。もうしあわせです。」とそればかり出てきて心がやわらかく暖かく広がって肉の自分がどうこうは要らない、すべてお任せでよかった。喜びだけだった。そう思っていました。
 そして喜びの渦のほうに心を向けながら後ろのほうで立っていると目の前がすっとあいて真っ直ぐあの懐かしい捜し求めていた田池留吉が私の前に現われました。肉を追い求めなくてもよかった。そしていっしょに踊ってくださいました。あんまりの嬉しさに、体がしびれるというか硬直するというかなんか変でしたがそのうち打ち解けていくのがわかりました。まさにあなたは私、私はあなた一つということを体験しました。私は抱きつきたかったけど肉でセーブしていました。でも自然と先生の脇を触っていました。暖かい思いがその肉から伝わるのを感じました。田池留吉の肉はただの肉ではなかった。私は肉の基準で捉えていたことが恥かしくなった。私の肉なんて吹っ飛ぶぐらいの凄い愛のパワーの塊すべての意識の中心だと源というのかそんな感じがしてもう何もいりません。私が悪うございました。とひれ伏す思いでした。

 思い出して書いているうちに又あの喜びが蘇ってくるようです。これが先生の言われる何度でも繰り返すことができる科学なんですということだと思い、目をつぶっていつでも何処でも帰れる本当の世界が存在することを信じていきます。まさに命がけで全力投球ありがとうございました。

ずっと先生の目が見られませんでした。

 3日目の現象の時、先生と目があいました。「私と一緒に、手をつなぎましょう。」先生の目はそう言っているようでした。吸い寄せられるように手を出すと、先生は優しく手を持ち、弾んでくださいました。いつも、いつも、先生の姿だけを追い求め、「私も手をつないでください。私を認めてください。」と、懇願し続けてきました。でも、それは間違っていたと思えた瞬間でした。やっと本当にやっと手をつないでもらったとき、私は、声も涙も出ませんでした。先生の柔らかい温かい手の感触と、身体が軽くてふわふわしていてまるで空気とともに弾んでいるという感じでした。でも、私は無表情に弾んでいるだけでした。
 私には分かりませんでした。あんなに願っていたことなのに、どうして喜びがわき上がってこないのか。心の中で「喜んでいこう。せっかく先生と手をつないだのに、喜べないとは何事だ。さあ、喜べ喜べ。」と焦るばかり…自分がこの学びから遅れていないかのように、喜びの演技をしようとしていました。だから、心はどんどん硬くなっていきました。
 ずっと先生の目が見られませんでした。素直に喜べない自分が恥ずかしい。後ろめたい。見られたくない…。いろいろな思いが出て、先生をまともに見ることができませんでした。そんな自分が許せませんでした。責めまくりました。どんなにひねくれているんだと…。
 セミナーから帰って、ホームページを見ました。その中に私の思いをそのまま語ってくれる友がいました。「その通りだ。」と、心の中が喜んでいました。今まで、もやもやしていたものが取れていくのが分かりました。嬉しくて嬉しくて、涙が止まりませんでした。今まで、隠そうとしていたものが、ホームページによって、明らかにされました。まさしく、パソコンが先生の指さしでした。今、やっとそのことに気付きました。

喜びの現象を体験する中でアルバートへの思いが膨らみ、アルバートへの信が強くなればなるほど、自分の中の闇のエネルギーも浮き彫りになります。

 私は傀儡、操り人形でした。しっかりした自分の考えに意思に基づき行動していると思ってきました。愕然としました。と同時に語っている私を肉の私が聞きながら、いつも心に出てくる苦しい思いがどこから来るのか納得する思いもありました。
 大きなエネルギーを蓄えてきた私が今世肉をもらいました。普通の肉を持った私が普通の肉を持った田池留吉と出会いました。大きなエネルギーを心に秘めている私も目を閉じて母を思うとき、この心の中に温もりが膨らみます。田池留吉を拒否し田池留吉に心を向けるなと語っている闇も、目を閉じた私の心の中できっと田池留吉と出会ったことを喜んでいることを信じます。
 本当はそんな恐ろしくすさまじいエネルギーの私ではなく、優しい優しい私であることを心に広げていきます。今世肉を頂いたからこそ、私は自分というものを知っていけることを喜んでいます。喜びの現象を体験する中でアルバートへの思いが膨らみ、アルバートへの信が強くなればなるほど、自分の中の闇のエネルギーも浮き彫りになります。そんな私をアルバートはすでに受け入れてくれているのです。だから心をアルバートに向けるだけでした。セミナー会場のあの場はそのことを私に教えてくれていました。

喜びと幸せに満ちたセミナー

 喜びと幸せに満ち満ちた琵琶湖セミナー、みんなが一つになった喜びと幸せだけでした。老いも若きも、男女の区別もなく、遠くに離れた友も、長く音信不通の友も、宇宙の彼方の友も、今、この場を思い出して集う場でした。その友もなんの遠慮もなく、何事もなかったように許し合い喜び合い、互いに手と手を取り合って幸せに蘇る場でした。こんなに幸せな場所がセミナーの場で、これがまさにアルバートの世界、4次元の世界だと汗みどろになって喜び合いました。親しさも疎遠も好き嫌いの全く関係ない場所でした。
 肉の田池留吉はその温もりと幸せをくまなく与え、競ってその喜びの波動に集うたくさんの友、私は、250年後のアルバートの世界をまざまざと見ました。この宇宙に地球にこんな喜びと幸せに満ちた所はここしかありません。私は、田池留吉の温かい手と手と握り合う機会を、二度三度頂きました。そして、その都度この世のものとは思えない温もりの波動を頂きました。或る時はその波動に意識を失い、足が感覚を失いその場に立っておられず、周囲のたくさんの方々に支えられて現象を続けたこともありました。妻はわざとらしく見えたとも言いましたが、強烈な先生の波動に意識朦朧となったことは本当の体験でした。先ず足が感覚がなくなり崩れる思いでした。嬉しかったことこの上なく、周囲の沢山の方々も共に喜んで支えてくれたのには感激しました。
 また集まった人々のパワーにも圧倒され、積極さ真剣さにも圧倒されました。はじめは一番前にいても段々と時が経つうちに、いつの間にか一番後ろに突っ立っている自分に気付いてばかりでした。
 この姿がやがて先生もセミナーから消えて行っても、その侭喜びのエネルギー、幸せのパワーは永遠に続き何百年後には、喜びの集団となって行くと思えば、感激と共に良くぞ田池留吉に会えたと感激でした。限りなきよろこびの愛の中に居合わせる私は、今、アルバートを思うことがどんなに幸せか、表現の言葉もありません。
 甘いかも知れませんが、4次元をまっしぐらに求める私も、すぐそこにあるような嬉しい気持ちも湧いて来ました。田池留吉とアルバートを真剣に信じ、まっしぐらに、一直線に進むことこそ今の私の務めと確信しました。今もセミナーの場面が心に余韻として残り、この上もない喜びと幸せに満ちています。

田池先生、琵琶湖セミナー、とってもとっても嬉しかったです。

 セミナーに参加するごとに、田池留吉、アルバートを信じる思いが強くなっていくような気がします。嬉しい思いも、どんどん膨らんでいきます。今回も、心で、凄い体験をしたなって思います。喜びの現象で、田池先生の目をみた瞬間、アルバートだったんです。肉は田池先生でした。でも、アルバートに出会えました。もう、嬉しくて、嬉しくて、来世の自分を信じれます。必ず、アルバートに出会えることが嬉しくてなりません。肉もって、4次元の世界に浸ることができる、あのセミナー、喜びの現象、もう凄いです。喜びが、嬉しさが、どんどんどんどん心から、溢れてきました。
 喜びの思いの中で、一瞬で自分の思いも変わることも、今回、何度も確認しました。欲の思いがすぐ膨らみます。もっと、私も、田池先生の肉を求めては、間違ってるな、やった!私は出来ている、素晴らしい、そんな思いもすぐ出てきます。現象中、田池陽子さんの近くにいることが何故か多くて、いろんな人の思いを感じて、見下したり責めたりする思いも何度も経験しました。陽子さんはどんな人がきても、尽くして尽くしておられました。私はなんて傲慢な思いをだしてるんやって、その度に心を見せてくれました。いろんな波動がわかるようになってきて、自分の中の思いもよく分かるようになってきました。嬉しい思いもどんどん出てくる代わりに、ドロドロした思いもいっぱい出てくるし、感じます。でも、そのために、田池先生の肉が存在してくれているんだって思います。田池先生も尽くして、尽くして、尽くしぬいてくれてました。陽子さんもでした。本当に嬉しいです。幸せです。私も夫に尽くして尽くして尽くしぬく、そんな自分になれるよう、心をアルバート、田池留吉にむけて、心を見ていきたいです。
 本当に素晴らしいセミナー、ありがとうございました。日常生活のなかで、あの喜びに心をむけると、たまらなく嬉しくなります。続けて熱海のセミナーにも行けます。もう、嬉しくて、楽しみです。それまでも、心をしっかり田池留吉、アルバートにむけていきたいです。

「私を見捨てるな。私もともにともに4次元へ連れていってくれ。」とクドーラは語っていました。

 動の反省瞑想から喜びの現象へとセミナーは流れていくけど、私の心の向きはそう簡単には変えられないということを前回の大阪セミナーと今回の熱海セミナーで痛感しました。それがセミナーの課題でした。動の反省瞑想の心のままでその心に引きずられたままで喜びの現象となりました。
「もう喜びの現象が始まっているよ。苦しいのはもう終わり。」と喜びの心を自分の中から一生懸命出そうとしている私がありました。でもそんなことできるはずがない。「ああもう苦しいものは苦しい。何でこんなに苦しいのに喜べるのか。私は苦しい。私は喜べない。」と苛立っている自分がありました。でもその時間が前回の大阪セミナーに比べたら今回の熱海セミナーは短くなりました。苦しい喜べないと苦しんでいる自分から喜びへと心の向きを変えるのは誰でもない自分しかできないという当たり前のことなのに、何か甘ったれている自分をそこに感じました。
 確かに私の心の中にも、「もっと肉を表せ。意識を信じるな。アルバートを信じるな。お前の心には喜びなどない。」と語るクドーラの思いはたくさんたくさん詰まっています。でも私は田池留吉から流れる波動を、そしてアルバートを感じ信じてそして4次元、5次元の喜び幸せをしっかりとこの心で確認できていると信じています。だからクドーラの私が語ってきてもそちらの方に心がどっぷりと流れることは有り得ないことだと思っています。ただクドーラの私を優しく優しく包んでいくそんな心を育んでいけばいいのだと思います。「私を見捨てるな。私もともにともに4次元へ連れていってくれ。」とそうクドーラは語っていました。

熱海セミナー 現象を振り返って

 先生にテコ入れされた時、自分の凄まじいエネルギーに翻弄され、肉はまさに七転八倒の苦しみでした。意識の世界に足を踏み入れてみて、凄まじい苦しみの中にいる自分を知って本当に驚きました。私の心の世界、そのエネルギーの凄まじさに大きなショックを受けました。あれほどとは思っていませんでした。肉を表してきた意識は、みんなのた打ち回って苦しんでいます。肉は苦しみでしかありませんでした。それでもこの身体で表しきれていないと思いました。凄まじいエネルギーを受ける肉体細胞のひとつひとつが悲鳴をあげていると思いました。この肉体にもごめんなさい、ありがとうしかありませんでした。
 長い間闇のエネルギーを流して、私は素晴らしい、己れ一番と生きてきました。肉を誇り自分は正しいと生きてきました。そんな肉の自分を表してきたことが恥ずかしいと思いました。無知とエゴに生きてきました。まさに愚かとしか言いようがありません。田池留吉の事も自分の事も何ひとつわかっていませんでした。だから田池留吉を侮り殺してまで肉の自分を表してきました。
 でもうれしい心もありました。意識の世界を通して中の意識が心から田池留吉に懺悔していることを知ったからです。それが本当にうれしかったです。七転八倒の苦しみの中で、心の底からごんなさい、間違っていましたの思いが溢れたからです。ただただ懺悔の思いだけでした。それが本当に本当にうれしかったです。そして、どれだけ経ったかわかりませんがアルバートを思う私がありました。アルバートを思うとき、肉体はどんどん解放されていきました。受け入れられているのでした。アルバートのやさしさの中でアルバート、アルバート、ただアルバートを思っていました。意識状態の中で身も心もアルバートに委ねました。肉はまったくありませんでした。
 田池留吉、アルバートは「本当のあなたは意識ですよ」と現象を通して教えてくれました。この事を通してたくさんの気付きがありました。意識の自分に出合えて本当にうれしかったです。

現象の喜びを

 熱海セミナーから帰って来て今回は体の疲れもなく嬉しいです。セミナーに参加することは、田池留吉、アルバートを信じる心が強くなっていくような気がしました。嬉しいなあ、嬉しいなあ、と手を叩き目をつぶっていたら、私に抱き着いてきた人があり、側に来れた、やっと来れた、という思いが伝わって来ました。それからはずうっと二人で抱き締め合い泣いていました。ただ、嬉しいだけでした。みんな心は一つ、目と目と合えば飛びついたり、抱き合ったり手を繋いで大きな輪になり、嬉しいなあと喜びと幸せだけの思いです。他力の心、クドーラに向けた時は喉から血が出るくらい咳が出て息も出来んくらい苦しかったです。しかし闇もみんな私、一緒に喜んで行こうとアルバートを信じていくしかありません。私は今嬉しいです。喜びを膨らませて行きます。アルバート4次元に向けた時は優しい温もりを感じ涙が出てきます。私は私なりに自分の心を信じて行きます。アルバートだけを思い信じていく道です。
 今私は嬉しいです。田池留吉、田池先生の肉が軽く飛んでいる飛び上がってる、凄い、凄い、嬉しい嬉しい思いとびっくりするやらで、喜びの現象はもう凄いしか言えません。
 私達が田池先生と出会えましたことが、どれだけの喜びであり、幸せであることかと実感しております。毎日を真剣に学んでいきたいと思っています。素直さと共に優しくなっていきます。
 中味のない私、ただ嬉しいだけしか書けません。

熱海セミナーの現象の中で

 いくつかの現象の体験を重ねる中で私は意識の世界を感じていました。
 田池先生に心を向け、田池先生の促すままに心を向けていくその許された時間の中で私は真実を見ていました。道が開いているのです。自分の歩む道が自分の目の前にスーッと開いていくのを見ていました。最近、時々肉の世界に存在しながら、自分の道が見える体験、自分の道が開かれているのを見ている体験があります。それが、現象の中で目をつぶって先生の促すままに心を向けていくと、はっきりと自分の歩く道をはっきりと目の前に見ているのです。心の中から「これがあなたの歩く道ですよ」と何度も何度も響いてきます。「これがあなたの道ですよ」と真っ直ぐに指し示された道が心の目の前にはっきりと示されているのです。涙がぼろぼろあふれ、いろいろなことの意味を学んでいました。お母さんに約束していただいたこと、お母さんに受け入れていただいたこと、お母さんに生んでいただいたこと、今世のことがいろいろとよみがえってきました。今世の人生をまるでスライドショーを見ていました。このためにすべてがあったと心から諭されました。一歩一歩道を歩みながら、自分の目の前に指し示された道をただうれしくてうれしくて肉を持てた感謝の思いをかみ締めながら、道を歩めるすべてがうれしくて、例えようのない至福の思いで確実に一歩一歩確かな歩みを確実に進めていくその中で「これが私の道」と「これが私の歩む道」と思いながら一歩歩道を歩いて、歩みを進めていける喜びでどうにかなりそうでした。
 先生の位置からずい分遠くに離れた私がどんどん先生の近くに吸い込まれていくように歩いていました。私の歩く道の向こうに確実に先生が立っていました。間違いのない道を私は今歩いていると自分の心で確かめながら先生に向かって、アルバートに向かって、四次元に向かって歩ける安心と安らぎとうれしさでいっぱいでした。歩みを進めながら何度も何度も「これがあなたの歩く道ですよ」「これがあなたの道ですよ」と響いてきます。私はただただ泣きながら「これが私の歩く道ですか?」「これが私の道ですか?」と本道を歩ける喜びでいっぱいでした。着実に先生に近づいていく自分に何の違和感もありませんでした。とても自然に本当に自然な流れで何の心配もありませんでした。ただ素直に付いていけば四次元への道のりは、何の心配もない道だということを本当に信じられると思いました。その思いには、不安や疑いなど本当に何にも存在していなかった世界が確実に存在してるだけでした。
 自分の目の前に指し示された自分の歩く道を喜びで歩いていると、吸い込まれるように私は田池先生のもとにたどりついていました。私の目の前に田池先生が待っていてくれました。私にはそう思えました。大好きな大好きな田池先生。現象の中ではめったに近づけなかった私にとってはあんなに遠い遠い田池先生でした。その先生が間違いのない道標として存在して待っていらっしゃいました。私達の目覚めを例えようのない大きさで待っていてその大きさで何もかもを包んでくださいました。後のことはもう何も覚えていません。肉のあることも意識であることも何にも記憶がありません。

瞑想でアルバートを思い、私は意識です…と思うと、心の中に幸せな思いが広がりました。

 瞑想でアルバートを思い、私は意識です…と思うと、心の中に幸せな思いが広がりました。しばらくすると柔らかな柔らかな優しい空間に包まれていました。ずーっとこのままここにいたいと思いました。ふとこれが本当の私だと気付きました。幸せな幸せな一時でした。
 前回の愛知セミナーの3日目の午前、4次元の田池留吉に思いを向けると、心の中から幸せな思いがどんどん広がりました。そして気が付くと何とも言えない幸せな思いに包まれていました。心の中も外もなく、幸せで一杯でした。ふわーっと幸せの中に漂っていました。午後には先生が繋いでいる私の手を上に挙げてくださいました。自然に顔が上を向いていました。しばらくすると意識の中でどんどん上へ上へ昇っている感覚がしました。この時も又田池留吉という方は何と凄い方なんだろうと思いました。そして咋年の12月の下呂セミナーを思い出しました。あの2日目の夕方、会場全体を包んでいる凄まじいエネルギーを感じて、会場を離れることができず、放心したように椅子に座っていました。これが田池先生の意識の世界のエネルギーなんだと感じました。暖かいとか嬉しいとか優しいとか、そんな生易しい言葉では表せないもの凄いエネルギーが溢れた世界でした。ただ茫然とした思いの中で「凄い!凄い!」とつぶやいていました。今でも一体私は何を感じさせてもらったのかよく分かっていません。
 下呂セミナーの2日目の夜、お布団に入った途端喜びが込み上げてきました。嬉しくて嬉しくてたまらないのです。3日目の現象では、私の心の中に「田池留吉と共に歩んでいきます。この道一筋に歩んでいきます。」という強い強い意思が溢れてきました。陽子さんと抱き合った時にも、「アルバート一筋に歩みます。」という思いが溢れました。肉の思いの強い私にとって、心にしっかりと響く忘れられない体験となりました。帰宅してから、陽子さんを思い出すと嬉しくて嬉しくてたまらなくなりました。田池先生を思い出すともっともっと嬉しくて嬉しくてたまらないのです。じっとしていられない程、嬉しいのです。田池留吉もアルバートも私も一つと感じました。そして先日の愛知セミナーの後も、田池先生を思うと以前先生がおっしゃっていたように、初恋の人を思うような一途な思いで心が一杯になるのです。余りにその思いが強く出てくるので、それでは主入の存在はどうなってしまうのだろうかとふと心配になりました。目の前でテレビを見ている主人に思いを向けました。心の中から「大好き!」という思いが溢れました。あ一こういうことなんだと、ほっとしました。
 先生に電話で闇の心を引き出していただいてから、どんどん闇の思いが吹き出てきます。下呂セミナーでは、今まで感じたことがないほど強い怒りの思いが出て気持ちの切り替えがつかないほどでした。途中でこの思いと向き合っていこうと思った時から思いが変わってきました。私はずっとずっとこの思いで生きてきたと、心から思いました。涙が止まりませんでした。愛知セミナーでも、はっきりと闇の心が浮き彫りになりました。心が動いて、自分の中の闇の心が見れることが愛なんだ、喜びなんだと思いました。

芯からアルバートを信ずること

 芯からアルバートを信じてさえいれば、すべてが分り、すべてが解決、全てか整ってくる、ということに確信を持った琵琶湖セミナーでした。
 3日間のセミナーは益々その中味に凄さと、濃さを心から感じ愈々田池留吉が十数年に亘って、私達に真実を説いてこられたことが証明される時期を感じられました。
 私はそのことを強く感じると共に、私の心にも強く強く確信を持たせて頂くものがありました。それは、すべてを知り、すべてを解決することは、アルバートを心から信ずること、このこと一つだと強く心に持てたことです。
 一番大事な心を見ることも、過去世の供養も、アルバートを信じアルバートを思った時に、たちどころに広がる喜びと幸せの波動、この波動さえ確立していれば、すべてが解決できると確信を持ちました。この確信は3日間の現象の中で、自然と私の心に伝わって来たものです。
 アルバートさえ信じていれば、アルバートの波動を自分と信じれば、私の中に生ずるあらゆる苦痛も、過去世の供養も、心を見ることも、なんにも苦痛にならないことが分りました。
 不思議でした。汗みどろになって必死にたくさんの方に、喜びですよと喜ぶことですよと、4次元の私に心を向けてくださいと、呼びかけられたり、必死になって静かなアルバートの意識をつたえられました。私はあの時の静かなそして荘厳な意識の世界を感じる中で、必死にそれこそ必死にアルバートに心を向けながら、アルバートの全宇宙に広がる喜びの波動の中にいるように努めました。
 その時、私の心に「ふつふつ」と湧き出てきたのが、アルバートを信ずること、アルバートさえ信じていれば喜びも幸せも自分のものと出来る、すべてを解決するとふと思いました。自分の身の上に生ずる過去から現在までの、全てがアルバートを信じ切っていれば、なんの苦労もなく解決または消えてしまうことに気付きました。
 アルバートを信ずることが供養であり、反省であり喜びと幸せであると、確信を持ちました。私は、今、アルバートを思えばたちどころに喜びの波動が湧き出る、そのことが自分の中にアルバートが存在することを心から信じています。今とても嬉しいです。

目を閉じると今もあの柔らかな空間が広がっている。

 目を閉じると今もあの柔らかな空間が広がっている。「四次元の私に心を向けて」の瞑想で感じた空間が、しっかりと私の心に広がっている。どんなに肉の周りが騒がしくても、目を閉じるとアルバートの世界に出会える。静かに静かに広がる何とも言えない波動、ずっとそこにいたいと思う空間。心を委ねることの喜びを心の奥深く感じていた。そこにいた人達と手をつなぐと、静かに心が一つになる。もう誰の心とか思いとか関係なく、一つに溶け合って行く。ただアルバートの中に一つになって行く。ありがとう、ありがとう…互いに心で語り合っている。つないでいる手から暖かい思いが流れ伝わってくる。うれしいね、ありがとう。間違ってきた過去が反省し、また喜びとなって伝わってくる…もうすべてが自分の心でした。喜びも懺悔も温もりも、心に伝わる思いはすべて私でした。そしてその思いはアルバートの中に包まれて行きました。ゆったりとした幸せな自分が見えました。心に伝わる思いはただ幸せな幸せな自分でした。今もこの心に広がる世界をしっかりと信じて行きます。幸せです。

 目を閉じて感じられる世界が、肉であたふたと過ごしていた私の心を大きく変え始めました。どんな心を使って肉を守って来たかを思うと、ただただ愚かな自分だったという一言に尽きます。無知とエゴに塗られた己偉い私が、こんなに静かで柔らかい心を持っていたことを知り、自分に感謝です。そして嬉しい嬉しい思いが湧き上がってくる。波が寄せては消えるように、何度も何度も心に確かめている。目を閉じてアルバートに心を向け、心に感じる世界が本当なんだということを、何度も何度も自分の心に聞いている。肉の喧騒にかき消されても、私の心にはアルバートの世界が歴然として存在することを、私は何度も自分に確かめている。ああ、うれしい…この心が感じる世界をやっとやっと信じられるようになりました。心が落ち着いて、穏やかになりました。静かに湧き上がるこの思いに、私は自分を委ねて参ります。

 心で感じる世界を信じて行きます。今回のセミナーで深く思いました。ありがとうございました。

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